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加太こうじ「日本のヤクザ」 (昭和39年12月20日)
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投稿者 五月晴郎 日時 2014 年 4 月 27 日 10:09:58: ulZUCBWYQe7Lk
 


ヤクザ物講談―民衆の不満のはけ口として


 亭主持つなら堅気をお持ち とかくやくざは苦労の種よ―(旅笠道中・昭和十年)
 
 昭和四年頃から十二、三年まで、レコード会社製のヤクザ歌謡曲が次つぎに発表されて流行した。もちろん、そのほかの歌もはやつたが、ヤクザをうたった歌が、この時期のように広く深く全国的にうたわれたのは明治以来―いや日本はじまって以来、はじめてのことであった。それは、昭和三年に長谷川伸の戯曲『沓掛時次郎』が新国劇で上演されて大好評だったために、その後、多くのヤクザを主人公にした演劇・映画・小説が作られ、地方演芸中の花形であった浪花節がヤクザ礼賛を専門のようにやったことによっている。


 森の石松がヤクザ者の一典型のように多くの人に知られるようになったのもこの頃からである。『一本刀土俵入り』の駒形茂兵衛も、『瞼の母』番場の忠太郎も、清水の二十八人衆も、映画史上に残る監督・伊藤大輔、主演・大河内伝次郎、撮影・唐沢弘光による『忠治旅日記・三部作』も、みな、この時代の所産であった。昭和初年から十二、三年にかけては国民的規模でヤクザが物語化され、うたわれたのである。そして、日本と中国の戦争が本格的になるとヤクザ物はだんだんと、軍人物、あるいは戦争物に切換えられていった。太平洋戦争の頃にはヤクザ物をうたった歌は 影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひく煙り―という、東宝映画『伊那の勘太郎』の主題歌ひとつになった。ヤクザ小唄の流行は、今にして思えば『一億決戦進めつらぬけ米英に最後の止どめ刺す日まで』という、破局的な戦争への前奏曲でもあった。


 戦後、ヤクザ小唄はいち早く復活した。昭和二十一年、SPレコードで出た『股旅ブルース』がそのはじまりであった。これはA面に吹込まれたパンパン小唄『星の流れに』 星の流れに身を占って どこをねぐらの今日の宿―が空前のヒット曲になったし、曲・歌詞共に『星の流れに』がすぐれていたのでそのかげに没してしまった。その後、昭和九年に『赤城の子守歌』をうたって大ヒットした流行歌手東海林太郎によって、『さらば赤城よ』がうたわれた。これはヒット盤となった。
 こよいかぎりの 赤城の山と
  月も惜しむか 木の葉かげ
(中略)
   男忠治の 意地はある
 この歌以後『おしどり笠』『上州鴉』など、いくつかのヤクザ小唄が作られたが、あまりぱっとしなかった。


 国定忠治をうたった『さらば赤城よ』が、戦後のヤクザ小唄では、はじめにヒットしたということは象徴的な事柄である。なぜならば、いわゆる《ヤクザ物》《博徒物》《股旅物》《侠客物》《三尺物》などといわれるヤクザを主人公にした物語の最初の作品は、安政六年(一八五九)に講談になった上州佐位郡(群馬県下)国定村の博徒、長岡忠次郎の物語だったからである。


 日本ではじめてのヤクザ物は講談の『国定忠次』と『天保水滸伝』だが、共に幕末の動乱期から明治中期頃までに物語の大筋がかたち作られ、日本人のあいだに定着していった。
 国定忠治は不人情な暴力団のかしらで、強盗、押し借り、賭場荒し、おどしなどを常習とした悪人だった、といっても今日ではよほどの説得力をもって語らなければ多くの人は信用しない。代官屋敷斬り込みも飢饉の難民を救ったのも作り話だといえば尚さらである。これは『天保水滸伝』も同じで、笹川の繁蔵はきらわれ者で、平手造酒は架空の人物だといっても忠治伝と同じように信用されない。これほど深く英雄として忠治や繁蔵や造酒が民衆の信頼を得たのは、その物語が民衆の要求にぴったりと合っていたからである。


 いわゆる侠客物、三尺物のはしりは、江戸初期の博徒のかしらで人足口入れを業としていた幡随院長兵衛の話だが、これは士農工商の上に立つ武士のうちでも、天下の直参を誇る旗本水野十郎左衛門の白柄組に、町奴といわれた長兵衛たちが対立する痛快さが、江戸市民に支持されたのである。その背景には江戸における町人文化の成立や、商工業の発達と共に富が大町人に集中し、武士層が没落していく時代相が反映している。だが、徳川時代における生産者としての一番大きな層―農民の生活や意志の反映は見られない。もちろん漁民のそれも見られない。


 実在の国定忠治は、農民を食いものにした土木工事や賭場の開帳などで大もうけをしている。だが、物語の忠治は、天保の大飢饉で窮乏のどん底に落ち込んだ農民を救うために起ちあがり、悪代官を斬って赤城山へ立てこもるのである。あるいはそれ以前に、富豪の金をはこぶ飛脚をおどして大金をうばって農民に分けあたえたり、家重代の銘刀を売り払って農民救済の資金にしている。


 それは忠治と同時代の盗賊ねずみ小僧が、江戸の貧民のために大名屋敷を荒したという美談をでっちあげられたのと同じである。あるいは、生涯、自分の領地から出ることのなかった徳川光圀(水戸黄門)が、世の中の歪みを正すために日本全国を漫遊する話を作られたのと同じである。とにかく、忠治は農民のために働いたことにされた。これは待望の英雄の誕生であった。


 講談における国定忠治の物語は、報恩という美徳を大きな柱として作られている。親の恩にむくいる孝行というところから少年時代の忠治の物語がはじまる。貧しい病弱な父を助けて、忠治は馬方になって家計をささえる。馬方をしているとき、大天狗の覚太郎というお尋ね者に大金をめぐまれる。のちに忠治はヤクザ者になって、捕われて江戸送りになる覚太郎を、唐丸籠を破って助ける。今度は覚太郎の番だ。覚太郎は名を日光の円蔵と改めて忠治の身内になり、以後は生涯を共にして忠治につくす。


 忠治は忘恩の徒はたたっ斬る。まず、義母とその情夫、つづいて忠治の親代りの博徒百度村の紋次がうらみに思っている島の伊三郎という博徒の親分を、紋次への報恩のために斬る。これが忠治の売り出しになる。


 忠治は上州一帯の百姓に対してさまざまな恩義を感じている。それゆえに天保の大飢饉では悪代官を斬って難民救済に立つのである。赤城山にこもっているうちに一度下山して捕方にかこまれる。そのとき三室の勘助という御用聞きがうまく立廻って逃してくれる。勘助は十手捕縄をあずかる役人のはしくれでも、百姓を助けた忠治に対する報恩の精神があるからそうしたのだが、忠治は勘助への報恩のために、勘助の甥で自分の子分の板割の浅太郎を下山させて堅気にもどそうと無理難題をいう。ところが、浅太郎は親分に対する報恩のために無理難題を実行して伯父の勘助を殺す。大恩ある親代りの勘助と、親分の恩義の板ばさみになって苦しむ浅太郎の挿話は、結局のところヤクザの掟の勝利、人情の敗北になって悲劇的に終る。忠治は意志の疎通を欠いたために起きた悲劇に反省をする。そして勘助の遺児勘太郎を立派な堅気に育てることをちかう。


 赤城山を降りた忠治は数人の子分と共に信州と上州の境、大戸の関所のあたりで壁安という富豪の世話になる。忠治は報恩のために壁安邸をおそった盗賊を斬る。今度は壁安が恩返しとして勘助の通児勘太郎の育成を引き受ける。勘太郎は堅気の商人になり、後年、大戸の関所跡で忠治が死刑になると、報恩のために一基の石地蔵を建てて供養する。信州へはいった忠治は忘恩の徒小松屋鶴吉という二足わらじの博徒を斬る。以下忠治召捕まで報恩と忘恩の話がつづく。


 忠治の講談ができた当時の受け手―民衆は、自分たちの苦しい生活を実際には打開できなかったので博徒の義侠にその夢を託した。それが忠治を任侠の徒として英雄化する要因である、とする説はまさにその通りである。だが、その夢は《ねずみ小僧における富の平等な分配のための義侠》《水戸黄門における上からの権力による困窮者の救済》とは大いにちがっている。すなわち情けは人のためならず。あのときこうしたのだから、困ったときにはこうしてもらいたい≠ニいう考えにもとづく、義理固く恩を返してくれる英雄として忠治は任侠の徒としての側面もふくめて当時の民衆から支持されたのであった。


 孝は百行のもと、という儒教の考えと、因果応報という仏教の考えが波瀾万丈の物語と結びつき、また、封建治下で救いのない生活をしている農民の苦悩に訴えるものがあったから、講談『国定忠治』はヒットしたのであった。同じ孝と輪廻の思想につらぬかれていても、同時代の講談『塩原多助一代記』は、封建の重みをはねのけて金銭と実力の世の中を作ろうとした町人の、明治という新時代に対する希望を反映している。それゆえに多助には明るさが、忠治には暗さがある。後年日本の資本主義と金銭のカが民衆の生活に黒い影を落しはじめると、忠治は物語上の第一線の英雄として再びクローズアップされる。多助は国定教科書の中に消えていく。


 同じ作者が同時期に作っても、『天保水滸伝』は忠治の物語とその重点が多少ちがう。 平手造酒斬り死にの話は一種の報恩談だが、忠治伝に見られる報恩談のように義理にからんで死ぬ、というものではない。やり場のないヤケクソな気持が不治とされた肺病やみの平手の根底にあって、それが斬り死にの要因となっている。平手の話をのぞく飯岡対笹川の争いは、すべて意地と意地、ヤクザの立て引きのもつれである。いわば幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の争いがかたちを変えて語られているようなものである。それゆえに忠治伝にくらべると華やかで変化に富み、人間関係も複雑でこちらの方がおもしろい、といえる。


 忠治伝はこの項の後の方で見られるようにさまざまに作り替えられるが、『天保水滸伝』は、さほどに作り替えられない。ただ、平手造酒だけがこの講談を原型とした新しい人間関係を大正、昭和において描かれる。
 初期のヤクザ物―講談におけるふたつの大きな主題《報恩》《男の意地》は、宝井琴凌の二作『国定忠次』と『天保水滸伝』においてかたちづくられ、やがて数多くのヤクザ物の講談を生んだ。ただし、当時においてはヤクザ物という名称は使われていない。もちろん股旅物は長谷川伸以後である。当時は三尺物といわれていた。三尺とは三尺の大刀、長脇差を意味している。


 講談におけるヤクザ物の主人公は実在、架空とりまぜておも立ったところは次のようである。
 幡随院長兵衛(これは講談よりも歌舞伎の『極附幡随院長兵衛』黙阿弥・一八八一年、『浮世柄比翼稲妻』通称『鈴ケ森』南北・一八二三年、などで名高く、のちに講談として読まれた)
 布袋市兵衛
 釣鐘弥左衛門
 国定忠次
 飯岡助五郎(『天保水滸伝』中の悪玉だが独立した講談がある)
 大前田英五郎
 相模屋政五郎(伊豆の相政)
 うづら権兵衛
 梅の由兵衛
 祐天吉之助
 奴の小万
 黒駒の勝蔵
 清水次郎長(次郎長伝のうちには、吉良仁吉、大政、小政、大瀬半五郎、法印大五郎、森の石松その他、いわゆる清水二十八人衆がふくまれる)
 笹川繁蔵(これは『天保水滸伝』の主人公のひとりだが、勢力富五郎、清滝佐音、州崎政吉、平手造酒などをふくむ)
 安中草三
 雁金文七
 野狐三次(鳶職だがこの部類にはいる。新門も同じ)
 新門辰五郎
 夕立勘五郎
 佐原喜三郎
 三日月次郎吉
 小金井小次郎
 赤尾林蔵


 以上のほかにもヤクザで講談の主人公になった者はたくさんあるが、ここにあげたヤクザたちは、のちに浪花節化されたり、演劇や小説の素材につかわれた。また、映画や流行歌にもなった。特に三代目神田伯山による『清水次郎長』は登場人物も多く物語もいくつかに別れていて、のちにはさまざまな話がつけくわえられた。昭和二十年代以降においてはヤクザ物の代表作となっている。


 次郎長物語の大きな特徴は忠治伝、天保水滸伝にない復讐談的要素である。すなわち吉良の仁吉の仇討、森の石松の仇討、その他の復讐が次郎長伝の各挿話の締めくくりになっている。それは次郎長伝が明治中期以後に作られ、日清、日露の両戦争を最大の関心事にした民衆に、正義のための復讐を語る、という形でアッピールしていたからである。そういうふうに考えれば、次郎長伝は日清、日露両戦争の侵略的本質を心理的におおいかくす役目を果したともとれる。具体的にいうなら、吉良の仁吉や森の石松は大陸において死んだ(戦死した)同胞の位置にあり、その復讐のために戦って占領するのは正当だ、というわけである。


 国定忠治を赤城の義人としてたたえる運動が明治になっておこなわれたが、その中心になった者は忠君愛国を国民道徳の基本として宣伝した為政者側であった。伯山の講談以後、清水次郎長とその子分たちは任侠の鑑のようにいわれるが、それを広めようとした者も忠治義人説と同じ立揚に立つ者であった。だがヤクザ物と忠君愛国との結びつきは講談の世界ではまだ薄い。それは浪花節において大正末から昭和へかけてはっきりと物語られる。講談では明治年間を通して、ヤクザ物の基本的な位置づけを、日本の民衆のあいだにしたと見ることができる。


 くり返すが、ヤクザ物の講談における基本は《報恩》と《男の意地》と《正義の復響戦》である。その三つにヤクザたちをかり立てるのは、かれらが抱く任侠の精神による場合もある。だが多くの場合はヤクザが自分のために意地をつらぬき復讐をし、かつて自分のためになってくれた人への報恩をするのである。それが、明治末から大正、昭和十年代へかけて保守政治家や軍人などのあいだでヤクザの任侠をたたえ、ヤクザ物を奨励するようになると、ヤクザ物は精神主義的になって任侠の精神を多く語るようになる。
 

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