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株式日記と経済展望
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日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのような
ことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。ヘンリー・S・ストークス
2013年12月23日 月曜日
「戦勝国史観」は、有色人種を蔑視した白人優位主義から発している。
それなのに、日本国民の多くが、なぜ、そのような史観を信じているのか、
理解に苦しんでいる。さらに著者は「戦勝国史観」は
歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかったと反論する。
◆内容の一部 12月12日 剣kenn囂々より
http://kennkenngakugaku.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
◆ 彼らは私たちに向かって、何か小さな物を放り投げたのだ。私たちは、それが何だかわからなかったが、とにかく拾いに行った。
私はこの時、生まれて初めてチューインガムを手にした。アメリカ兵は立っている子どもに、チューインガムを無料で放り投げていた。私はそれに対して嬉しいと感じることなどなく、むしろ複雑な気持ちだった。
いまの私のアメリカに対する感情も、その時に感じた気持ちと似たものがある。とても不安な感じで、どっちつかずで心落ち着かない感覚だ。素直に受け入れられない気持ちだ。(p.19)
◆私はあの戦車を初めて見た時に、はるかに強大な力を感じた。アメリカが世界を完全に制圧しており、抵抗することは不可能だと思った。(p.19)
私は子どもとしてアメリカの戦車を見て、本能的にアメリカ軍がわれわれの国を支配するようになるのだと感じた。私たちが戦っていたドイツについてそう思ったのではなく、アメリカに対してそう直感した。そして今、アメリカは巨大な勢力となって、わが国イギリスをコントロールしている。実に不愉快なことだ。
アイダホか、ユタか、アーカンソーか、どこから来たか知らないが、アメリカの若造が戦車でやって来て、まるで王であるかのように振る舞っていた。私はあの若造たちが浮かべていた笑みを、今でも鮮明に覚えている。彼らは意気揚々としていた。(p.20~1)
いったい、私たちの国の何をわかっていたのか。戦車で町を通りすぎて行ったが、そこがアーサー王ゆかりの伝説的な町であるなどということに、まったく頓着もせず、アメリカ文化を象徴するチューインガムを薄ら笑いをしながら、ばら撒いていった。(p.23)
◆ イギリスは何百年もかけて大帝国を建設し、その帝国を維持した。その間に、インド人をはじめアジアのさまざまな民族と戦った。もちろん、インド人との戦闘も、熾烈を極めた。アフガニスタンや、北パキスタンの敵も、手強い相手だった。
しかし、日本人はそうした「強い敵」をはるかに凌駕していた。日本人はそうした植民地支配を受けた人種と、まったく違っていた。日本が大英帝国に軍事進攻した途端に、何百年も続いた帝国が崩壊した。イギリスは日本のマレー進攻によって、催眠にかけられてしまったようだった。日本軍のあまりの強さに、降参するしかなかった。(p.34)
◆ 日本軍が突然、マレー半島に上陸し、まったく次元の違った戦いが始まった。チャーチル首相も、面食らった。
シンガポール防衛軍のパーシバル司令官は、金縛りにでもあったかのように、まったく戦うこともせずに、戦意を喪失し、降伏した。日本軍の司令官もイギリス軍の弱さに、驚いたことだろう。日本陸軍はそれほど強かった。
イギリスだけではない。アジア各地にオランダ軍など、西洋各国の軍隊が展開していたが、あっという間に日本軍に敗れてしまった。日本は短期間にそれだけの地上軍を展開する力を、持っていた。(p.43~4)
日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。(p.44)
◆ 日本外国特派員協会の記者会見は両刃の剣で、けっして甘いものではない。ライオンの口の中に頭を入れるようなもので、いつ噛みつかれるかもしれない。記者は残忍だ。温情は期待できない。特に政治家に厳しい。(p.82)
橋下市長の「慰安婦」に関する一連の報道は、彼が女性の人権をないがしろにしているという印象を与えた。もちろん、橋下市長は不本意だろう。そこで日本外国特派員協会で、あの記者会見を開いた。
効果的に伝えたいなら、もっと違ったやり方があったろう。テレビで、日本で尊敬されている女性と対談をするという手もあった。また会場にしても、ホテルのような中立的な場所で会見したほうが、まだよかった。外国人記者倶楽部は、中立の場ではない。(p.85)
◆ヘンリー・スコット・ストークス Henry Scott-Stokes 1938年英国生まれ。61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年フィナンシャル・タイムズ社入社。64年東京支局初代支局長、67年、ザ・タイムズ東京支局長、78年ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に『三島由紀夫生と死』(徳間書店)、『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書、加瀬英明氏との共著)。
(私のコメント)
「株式日記」では大東亜戦争については、アジアの植民地の解放と人種差別撤廃のための解放戦争だと書き続けてきました。当初はそれなりの反論がありましたが、最近ではこのような事を書いても左翼の巣窟である阿修羅BBSに書いても反論が来なくなった。当時のラジオ放送でもこの戦争を大東亜戦争と名付けてアジアの解放のためであると宣言している。
しかしこの事は終戦とともに抹殺されて、日本はGHQによって歴史が書き換えられて、日本は侵略戦争を行った戦争犯罪国家とされてしまった。学校の歴史教育でもそのように教育されて東京裁判史観が青少年に植え付けられてしまった。これはGHQによる洗脳教育であり、それは今でもマスコミによって続けられている。
最近ではアーミテージまでもが従軍慰安婦で「反論するな」と威圧しているようですが、彼らにとっては日本は戦争犯罪国家で無ければならない。でなければ在日米軍を駐留させておくために大義名分が無くなり、アメリカこそ白人優越主義とフィリピンを植民地統治して20万人ものフィリピン人を殺した残虐非道な国家なのだ。
小泉首相はテキサスでもって「アメリカは日本を解放して民主主義を植え付けた」と称賛していますが、日本の政治家でもこの程度の歴史認識だから60年に及ぶ洗脳は成功したともいえる。確かに朝鮮や中国を日本は植民地支配しはましたが、朝鮮や中国の近代化のためであり、その事は欧米の学者の本などでも克明に描かれている。
日下公人氏の最近の本でも、イギリス人をはじめとしてヨーロッパ人は戦勝国と言う意識は無いようだと書いている。しかしアメリカ人はいまだに戦勝国としての意識が抜けずにいるのは不思議な事ですが、歴史学的な常識が無いからだろう。ヨーロッパでは年中戦争をして勝ったり負けたりしているから、戦争は外交の一手段としてのルールがありましたが、アメリカ人には無いようだ。
つまり戦争に勝てば何をしても許されるといった感覚であり、無条件降伏を要求して歴史まで書き換えてしまう。大昔はどこでも戦争に勝てば敗戦国民は男は奴隷にされるか殺されて、女は性奴隷にされて民族の浄化が行われた。しかし野蛮な行為をして恨みを買えばいつかは復讐されて外交的に収まらなくなってしまう。
日本でも戦国時代の初めには戦争に勝てば敵を皆殺しにしていたが、そんな事をするよりも味方として取り込んだ方が後々の為に良いと気が付いた。武田信玄は「戦は六分の勝をもって良しとする、勝ちすぎるのは良くない」と言葉を残していますが、同盟国として取りこんで行った方が戦国末期の武将はそうした。信長も秀吉も家康も敵を味方に変える名人だった。
ヨーロッパでも同じであり、プロイセンは普仏戦争ではパリ占領の手前で講和したし、オーストリアとの戦争ではウィーンの手前で講和して、アメリカのように無条件降伏は求めなかった。戦後の処理を考えれば敵を無条件降伏させてしまえば、占領統治に負担がかかるからだ。日本でも日清日露の戦争では勝敗の目途が付いた時点で講和しましたが、アメリカはそのような国ではなかった。
アメリカがヨーロッパの国のようであったならば、パリ解放あたりで講和しただろうし、余計な戦死者も出さずに済んだだろうし、日本に対してもレイテ海戦のあたりで講和に応じていただろう。そのあたりなら戦死者も数十万人で済んでいただろうし本土空襲も免れて日本に劣っても被害は最小限度で済んだはずだ。しかしアメリカは当初から日本を四分割して占領統治するつもりだったから途中での講和はならなかった。
しかしアメリカも朝鮮戦争以降は勝てる見込みがなければ撤退したり、講和したりしていましたが、イラクでは無条件降伏させてゲリラとの泥沼化して統治に苦労しているようだ。日本も無条件降伏でいまだにアメリカ軍が駐留して占領統治が進んでいますが、イラクのようなゲリラ闘争が行われていないのは洗脳工作が上手く行ったからだ。
ヘンリー・スコット・ストークス氏は経歴からわかるように、イギリス人で新聞記者として東京で長い間仕事をしている人です。イギリスから見れば大東亜戦争のおかげでインドやマレーシアや中国の植民地を失い大英帝国からただのイギリスになってしまいましたが、戦勝国としての意識は無いようだ。
大英帝国を没落させたのはチャーチルの日本への人種的な偏見であり、ストークス氏もその事を指摘している。アメリカのFDルーズベルトはより日本人への人種的偏見が激しく、チャーチルやルーズベルトの日本人への人種的偏見は手紙などで明らかであり、大東亜戦争は白人と有色人種の解放戦争だったのだ。イギリスやオランダやフランスは再度植民地化を試みましたが、イギリス軍やアメリカ軍が日本軍にぼろ負けしたところを見たアジア人は立ち上がって追い出した。
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