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株式日記と経済展望
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『マリガンを連れ帰る』は、太平洋戦線における米兵のPTSDの深刻さを正視
するとともに、米側から見た太平洋戦争の大義に対する批判を提起した本です。
2013年7月25日 木曜日
Bringing Mulligan Home: The Other Side of the Good War
http://www.amazon.co.jp/Bringing-Mulligan-Home-Other-Side/dp/1586489992/ref=sr_1_cc_3?s=aps&ie=UTF8&qid=1374723199&sr=1-3-catcorr&keywords=dale+maharidge
◆太平洋戦争における米兵のPTSD(その8) 4月9日 太田述正コラム
http://blog.ohtan.net/archives/52178905.html
さて、以下、取り上げるのは、ことごとく、長期間激戦が続いた戦争ですから、一の条件は皆、充たしています。
その上で、第一次世界大戦の場合、両陣営とも同盟諸国と手を携えて戦ったわけですし、英米日以外は自国民の広範な支持を受けて戦ったのですから、四の条件を充たしていないので、それだけでPTSD申告者が殆んどいなかったことの説明がつく、ということになります。
ところが、先の大戦の太平洋における日米戦の場合は、日本側は、国体(≒自由民主主義)の擁護とそれと裏腹の共産主義勢力の抑止、それを邪魔する支那の腐敗ファシズム勢力の打倒、そしてこれらを邪魔する英米等の撃破による彼らのアジア植民地の解放、という下から盛り上がった正戦意識があったのに対し、米国側は、米国が戦っているのは、タテマエ上はアジア征服を目指していてかつ汚い戦争をやっているといる日本を成敗する、そしてホンネ上は優等白人種による世界支配に反逆している劣等有色人種の日本を成敗する、というお仕着せの正戦意識があったのです。
正戦と正戦がぶつかれば、互いに死にもの狂いで戦い、往々にして捕虜をとらなくなりがちです。
また、日米の正戦意識は、特定の宗教やイデオロギーに立脚したものではないところの世俗的なものであったこともあり、互いに相手の正戦意識の詳細は分からないなりに、自分達の抱く(抱かされている)正戦意識の正当性ないし信憑性に対する確信が揺らいでも不思議ではなかったわけであり、日本兵が勇敢で頭が良く、また、貪欲に基づいて戦ってなどいないこと、等を肌で感じるにつれて、米兵の間で正戦意識は急速に低下していったと想像されるのです。
(日本の委任統治下にあったものを含めた)太平洋の島々ではそもそも一般住民の数が少なかったところ、沖縄のように一般住民が多いところでも、米兵達は自分達の味方の存在がほぼ皆無であったことも、正戦意識の低下を促進した、と考えられます。
(フィリピンはいささか事情が異なりますが、同地では、潜在的には反日感情より反米感情の方がはるかに強かったと言えるのであって、先の大戦中に米側に協力したフィリピン人の多くは、単に利害打算に基づいてそうしたに過ぎず、そのことを米兵達としても察知できたのではないでしょうか。)
本来、PTSDになるはずのない米兵でも、こんな体験をさせられれば、PTSDになっても当然である、と思えてきませんか?
逆の立場の日本兵に、(米兵に比べてはるかに凄惨かつ深刻な経験を彼らがしたというのに、)PTSDになった者が殆んどいない理由についても腑に落ちるのではありませんか?
他方、先の大戦の東南アジアにおける日英戦の場合は、日本側にこそ正戦意識はあったものの、英国側には殆んどなかったと考えられます。
第一、兵士の多くは英印兵でしたしね。
英国人将校達も、仇敵ドイツの同盟国であり、自分達の植民地支配の邪魔をしている日本を叩かざるをえない、という程度の意識だったことでしょう。(オーストラリアに関してはいささか事情が異なっていたと考えられますが、ここでは深入りしません。)
(このように見てくると、先の大戦中も続いた日中戦争で、日本兵でPTSDになった人が全く話題に上らず、逆に戦争を謳歌した人が多かった理由は、もはや明らかでしょう。
ならせば、戦いは間歇的にしかなく、自分達に正戦意識があったのに対し、主敵であった中国国民党の兵士達に正戦意識など希薄であったことでしょうし、傀儡の域を超えた味方が、上は汪兆銘政権関係者から下は一般民衆に至るまで山のようにいたのですからね。)
ことのついでに、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、及びアフガニスタン戦争にも触れなければなりますまい。
朝鮮戦争とベトナム戦争は、米国が、日本に代わって、日本が追求してきたものを、はるかに後退した場所で、遅ればせながら実践するために行った戦争であった、という点で共通しています。
ところが、朝鮮戦争とベトナム戦争で決定的に違っていたのは、朝鮮半島にいたのはつい最近まで日本帝国臣民であった人々であり、出兵したところの、米国を始めとする自由民主主義諸国に心を寄せる人々が少なくとも過半を占めていたのに対し、南北ベトナムでは、ナショナリズムないし共産主義という民主主義独裁イデオロギーに染まった人々が大部分であった点です。
つまり、朝鮮戦争では米軍の味方がたくさんいたのに、ベトナム戦争では米軍の味方が殆んどいなかった・・味方と言えば、旧宗主国の買弁ないしカトリック教徒というベトナムの一般の人々から浮き上がったグループや、ベトナム人から差別され迫害されていた少数民族くらいのものだった(典拠省略)・・・ということです。
朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、敵側にも程度の差こそあれ正戦意識があったものの、それは、ナショナリズムと共産主義がないまぜになった、いずれにせよ、イデオロギー的な狂信的な正戦意識であり、米軍の自由民主主義的正戦意識が希薄化することはなかったと思われるものの、そんなものでは追いつかないくらい、「戦場及びその周辺に自分達の真の味方がいない」ことがこたえた、と考えられるのです。
そして、イラク戦争とアフガニスタン戦争についてです。
どちらも、基本的にはベトナム戦争と状況は同じです。
イラク戦争の場合、味方は地方勢力たるクルド人だけで、スンニ派はイラクの支配権をシーア派に譲り渡した米国には敵対的で、シーア派の方は米国と敵対関係にあるシーア派のイランに誼を通じていて米国には面従腹背であったわけですし、アフガニスタンの場合、イラクほどは状況が悪くないとはいえ、タリバンに心を寄せる国民もそうでない国民もおしなべて、米軍を含め、外国勢力に対する排外意識が強く、そのような中で米軍等に味方するカルザイ政権等の人々の大部分は腐敗した新興買弁勢力である、ときています。
これではPTSDになる兵士が続出しても決して不思議ではありません。
以上、記してきたことを、誰か日本人の学者が、調査や文献をもとに検証してくれるとありがたいのですが・・。
ここでは、太平洋戦争における日米戦では、日本側の方が道徳的高み(moral high ground)に立っていたことを、ローズベルトの人種主義を振り返ることで私なりに検証して、本シリーズを閉じることにしたいと思います。
(私のコメント)
昨日は従軍慰安婦問題で、米軍資料などからの物的な証拠でもって、単なる戦場売春婦であったと米軍の調査でも報告されている。だから東京裁判でも「従軍慰安婦」の問題が出される事がなかった。当時は当事者が沢山いたから「強制連行されてセックススレイブにされた」と言うのは、朝日新聞の作り話なのだ。これも一つの情報戦であり、大東亜戦争は終わってはおらず思想戦、言論戦は残っている。
どういう訳か、朝日や毎日やNHKなどは中国や韓国のプロパガンダに同調的ですが、共産党系の工作員が入り込んでいるからだろう。90年代まではマスコミや政界さえ押さえてしまえば世論を操作することは簡単だった。戦後教育でも「日本は戦争犯罪を犯した犯罪国家」として教育されてきましたが、大東亜戦争は侵略戦争だったのだろうか?
太田述正コラムでも述べられているように、戦後の朝鮮半島やインドシナ半島は共産主義勢力の拡大浸透が激しくなり、アメリカ軍は北朝鮮軍や北ベトナム軍と戦う羽目になった。日本は戦前から戦っていたのはソ連の南下であり、中国共産党と国府軍の連合軍だった。ソ連の南下はどうにか撃退しましたが、米英の支援があったからだ。しかし大東亜戦争ではアメリカはソ連共産党や中国共産党を支援して日本は敗北した。
日本軍は解体されて、アメリカ軍は初めて北朝鮮や中国の共産党軍と戦闘することになりましたが、それほどアメリカ政府も国民も共産主義に対する認識が甘かった。その事はマッカーサーの議会証言からも伺えますが、日本が侵略戦争を行ったと言うのは中国共産党のプロパガンダであり、時代が変われば中国共産党は尖閣諸島や沖縄を奪いに来ている。
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◆マッカーサー「自衛戦争」証言
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1951-60/1951_makasa_shogen.html
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです」
マッカーサーは実際に朝鮮戦争を戦って、ロシア(ソ連)、共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟った。マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。
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日本はまさに大陸の共産主義と戦い、さらにはアジアにおける植民地解放と人種差別撤廃の戦いを行なったわけであり、それがアメリカのプロパガンダによって戦争犯罪国家にされてしまった。アメリカの歴史学者は比較的冷静な見方をしている学者もいますが、大東亜戦争を戦った米国軍人にとっては日本は戦争犯罪国家でなければ、PTSDに苛まれたのかも知れない。
ようやく大東亜戦争を戦った米国軍人も少なくなって、先日も「オリバーストーンのもう一つのアメリカ史」を紹介しましたが、オリバーストーンはベトナム戦争を戦った軍人であり映画監督になった人だ。テレビ番組では「もう一つのアメリカ史」と言うように、全く異なる歴史観を持つ人が出てきた。
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◆第二次世界大戦での敵国・日本に対する、大統領をはじめとしたアメリカ首脳の生々しい差別観の記述には、正直おどろきました。 5月11日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/38a655b9b090fb0dac67778c2400759a
オリバー・ストーンは大東亜戦争で日本軍が植民地支配の解放者として歓迎される事もあったと解説しています。嘘だと思うのなら第一回の番組を見てください。さらにオリバー・ストーンはアメリカの大統領や軍の幹部が露骨に日本に対する人種差別的な発言を紹介しています。つまりアメリカと日本の戦争は人種間の戦争でもあったのです。それはポスターや宣伝映画を見ても証拠があります。日本人は猿として描かれています。
オリバー・ストーンがこのような見方になったのは、やはりベトナム戦争におけるアメリカ軍の腐敗振りを見ていたからでしょうが、アメリカ軍はベトナム市民の虐殺事件を起こしています。このように近代戦争ではナチスドイツも日本もアメリカも一般市民を巻き添えにした戦争をしているのです。もちろんオリバー・ストーンの見方はアメリカ一般人の見方ではありません。しかし「株式日記」で大東亜戦争が人種差別撤廃と植民地解放の戦争であったと言う見方をする欧米人は増えてくるだろう。
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大田述正氏は、大東亜戦争において日本軍兵士がPTSDにかかる人が少ないのに比べて、アメリカ軍兵士のPTSDにかかる兵士の多さに注目している。もし日本軍兵士が聖戦意識を持たなかったならば日本軍兵士にもPTSDにかかった人は多かったのではないだろうか? 中国戦線でもめったやたらと一般人を殺したり女を強姦して殺したりすれば、その後の占領統治は厄介な事になる。
そうさせない為に日本軍は「従軍慰安婦」を用意したのであり、高給を出して慰安婦を買っていた。満州などでは治安も取れていたので中国人達が続々とやってきて生活していた。もし日本軍が中国人を皆殺しにしていたら終戦後に生きて帰る事は難しかっただろう。確かに戦争犯罪を犯す兵士もいたがBC級戦犯として裁かれている。
オリバーストーンが体験したベトナム戦争に聖戦意識を持たせることは、共産主義との戦いと言っても無理があり、多くのベトナム戦争帰還兵がPTSDに悩まされた。朝鮮戦争の帰還兵も多くは語らずアメリカ人にとっては忘れられた戦争だ。戦争にアジアの開放と言う大義名分があればPTSDに悩まされる兵士が少なかったと言うのは、大東亜戦争を戦った兵士のPTSDの少ない理由なのだろう。
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◆<太平洋戦争における米兵のPTSD(その1)>(2013.7.9公開) 大田述正コラム
http://blog.ohtan.net/archives/52177447.html
「旧日本軍の将兵たちがPTSD・・・に罹患する確率は,世界中の軍隊のなかでどうやら一番少ない」というくだりについては、「どうやら」というのですから頼りないこと夥しいものがあるけれど、恐らく正しいのであろうと思います。
基本的に同じ制作者が制作したところの、先の大戦における欧州戦線と太平洋戦線における米兵の戦いぶりをそれぞれ描いた米国のTVドキュメンタリー・ドラマ・シリーズ・・米兵は欧州戦線ではかからなかったPTSDに太平洋戦線ではかかった(、ただし日本兵については、?)・・の評論を通じて私が行った主張とほぼ同じ指摘を行っている人が日本にも他にいることは心強い限りです。
ただ、少なくともこの文章を読む限りにおいては、野田正彰による、どうして旧日本軍では「一番少ないのか」についての説明は説明になっていません。
この際、私が行った説明を「映画評論28:ザ・パシフィック」シリーズ(コラム#5086、5094、5096、5098、5100、5102)を読むことで振り返ってみてください。
ついでに、欧州戦線の方のTVドラマ・シリーズの評論である、「映画評論6:バンド・オブ・ブラザーズ」シリーズ(コラム#4180、4184、4188)についても、お時間があればどうぞ。
さて、『マリガンを連れ帰る』は、太平洋戦線における米兵のPTSDの深刻さを正視するとともに、米側から見た太平洋戦争の大義や当時の米軍の戦略に対する批判を提起した本です。
米国でこのような本が上梓され、(私が読んだ限りでは)どちらかと言えば好意的な書評が寄せられるようになったからには、ようやく米国の有識者層との間で日米戦争についてホンネの建設的な議論を交わすことが可能な状況になりつつあるのかもしれないとの思いを抱きつつ、以下の記述を進めて行きたいと思います。
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