http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/740.html
Tweet |
(回答先: 釈迦の悟りとは何であったのか? 投稿者 富山誠 日時 2013 年 1 月 22 日 00:31:51)
鳥は誰に教わらない場合でも羽ばたく事を知ります。そのように創られているから。いわんや人間をや。
http://oriharu.net/jrinri.htm#ai
『 また、人は「快」を求めますが、それは人の内部の(精神的な)エネルギーの問題です。「苦」とは、内部的に葛藤があるためにエネルギーが衝突して浪費の状態にある事です。快とは、エネルギーが調和的に働いている状態です。しかし、その「特定の快」も、やはり一つのパターンであり、やがては底が見えてきます。例えば、オレンジ・ジュースを飲むのが快であっても、毎日それを繰り返せば、何かが満たされて底が見えてくる事になります。その時はまた別の快を求めますが、それは大体同じ事です。なぜ人は快を求めるのでしょうか。それは統一した存在になろうとする傾向があるからですね。快を求める行為も段々と高度化します(ある程度まで)。最初は具体的な快であったものが、やがて「矛盾した言動はしたくない」とか「人に親切にする事で何か満足感を得たい」とか「いやいや、もっと真に人の為だけに働きたい」とか「見返りを求めたくない」というふうに快も進化します。そのようにして人は快を求めます。それは自己として統一した存在を指向してるからです。そうすれば、エネルギーの内部的な葛藤は極力少なくなりますから(だから快を求める)。自分が統一できれば、エネルギーは最大効率で生かされ、環境に優しい人になるでしょう(^_^;)。』
★因みに、以前、私はスブドという会にいました。インドネシア発祥です。創始者の周りには英語に通訳する人、食事を作る人、運転する人等々組織となっていましたが、お釈迦様のパターンがここに顕わされていました。通訳に専従する男性に「シャリフ・ホーシー」という人がいました。これはお釈迦様の弟子のシャーリプッタの名前であるかのようでした。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。