★阿修羅♪ > 近代史02 > 715.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「従軍慰安婦問題」の真実    西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/715.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2012 年 10 月 05 日 19:42:46: of0poCGGoydL.
 

*
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1874364438&owner_id=6445842
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5977866.html

次の記事をお読み下さい。これは、第二次世界大戦の末期に、或るドイツ人親子に起きた出来事です。

--------------------------

 あれから半世紀がたった今でも、ヒルデガルド・ブーブリツは、恐怖の記憶におののいている。家族とともに東プロシアを逃げ出したときの体験だ。
 ある夜のこと、ブーブリツは家族や仲間と民家の地下室に隠れているところをソ連兵に見つかった。ソ連兵たちはまず、腕時計を巻き上げた。次に欲しがったのは、女だった。
「私たちの中に女性教師がいた。四五歳で男性経験のない人だった。」と、ブーブリツは語る。
「彼女は、一○人のソ連兵にレイプされた。血に染まった下着姿で戻ってくると、大声で泣き叫んだ」
 この教師の母親は、娘を抱きかかえてこう言ったという。−−「私がカミソリの刃を持っているから」。
 そして、親子は外に出ていった。「二人は森の中で死んでいた」と、ブーブリツは言う。

(アンドルー・ナゴースキー「終戦後の『民族大虐殺』」ニューズウィーク日本版1995年5月17日号42ページより)

-----------------------------


 一体、この親子が、何をしたと言ふのでしょうか?


 第二次大戦末期、ドイツに侵入したソ連軍が、占領したドイツの町々で、子供や老人を含む多くのドイツ人女性を強姦、輪姦した事は、有名な事実です。首都ベルリンをはじめ、ドイツ東部のあらゆる地域で、ソ連軍の兵士たちは、ドイツの女性たちを徹底的に強姦しました。その中には、例えば、こんな事例すら有ったのです。


-------------------------------

 ドイツでは、老女から四歳の子供にいたるまで、エルベ川の東方で暴行されずに残ったものはほとんどいない、といわれている。あるロシア人将校は、一週間のうちに少なくとも二百五十人に暴行されたドイツ人少女に出会いさすがに愕然とした、という記録が残されている。

(半藤一利「ソ連が満州に侵攻した夏」文藝春秋社・1999年 274ページより)

------------------------------

 これは、記述からお分かり頂ける通り、加害者であるソ連側が記録した事例です。そのソ連側の記録で、一人の少女が、「一週間のうちに少なくとも二百五十人(のソ連兵)」に強姦されたと報告されて居るのです。
 そして、これは、ソ連に占領された地域で起きたソ連兵による数え切れない数のドイツ人女性に対する強姦、輪姦のほんの一つに過ぎないのです。


 そうしたドイツ東部で起きた無数の悲劇の中で、私は、こんな恐ろしい事例が有ったと読んだ事が有ります。それは、ドイツ東部の或る町で、その町を占領したソ連軍が、その町のドイツ人女性たちを教会に集め、その教会の中で、それらの女性たちを強姦、輪姦したと言ふ事例です。
 教会の中で、です。皆さんは、その情景を想像できるでしょうか?キリストやマリアの像が有る教会の中で、そんな恐ろしい事が起きたのです。

 私は、キリスト教徒ではありません。しかし、この話を読んだ時、私は、衝撃を受けずには居られませんでした。


 戦時下、占領軍によって被占領地の女性が性暴力の犠牲に成る事は、ソ連軍以外の軍隊にも有った事です。ドイツ軍自体にも有りましたし、日本軍にも有りました。しかし、古代や中世を別とすれば、19世紀以降の世界史において、第二次世界大戦末期に、ソ連軍が、ドイツと満州で行なった集団強姦ほど大規模で残虐な事例は、他に無かったと断言して間違い有りません。沖縄でアメリカ軍が繰り返した性犯罪もひどい物でしたが、それすら、ソ連軍が、大戦末期、ドイツで繰り広げた強姦や輪姦に較べれば、較べ物に成らない程、ソ連軍のドイツでの性犯罪はひどい物だったのです。この時期(1945年春)、ソ連軍に占領されたエルベ川東部では、強姦されなかった女性は居なかった、とすら言はれる程、それは酷い物だったのです。(特に、それらの強姦犠牲者の中に、どれだけ多くの幼児が居たかを思ふと、鳥肌が立ちます。)


一方、言はゆる「従軍慰安婦問題」はどうなのでしょうか?

驚かずに、次の記事をお読み下さい。

−−−−−−−−−−

『サピオ』2007年5月9日号
「アメリカ人にもわかる『従軍慰安婦問題』の基礎知識」
(同誌編集部)より


Q.慰安婦たちの証言はウソ?


 メディアの前で泣き叫びながら、自らの不遇を訴える元慰安婦たちの証言はどこまで信用できるのか。
 前述した金学順さんの場合、実際に慰安婦だったことは確かなようだが、証言に論理的矛盾があることは吉見教授も認めている。
 韓国で慰安婦問題の告発を行なっている「挺身隊問題対策協議会」が、元慰安婦として登録された女性40名に聞き取り調査を行なったところ、21名が自ら進んで慰安婦となっていた。残る19名が自分の意志に反して強制的に慰安婦にさせられたと証言し、同協議会はその証言集を出版したが、内15名は家が貧しかったために親に売られた書かれている。残った4名の内2人は富山と釜山に強制連行されたと主張しているが、どちらも戦地ではないので軍隊の慰安所ではなく、送られたのは普通の売春街であったと考えられる。残る2名が、金学順さんと貯金返還訴訟を起こした文玉珠さんで、文さんも最初の頃は「養父に慰安所に連れていかれた」と言っていたはずなのに、証言集では「日本軍将校に連行された」と証言を変えており、信憑性に疑いが残る。つまり、韓国側の調査でも、「強制連行された従軍慰安婦」の実在を確認できなかったと言える。
 米下院では2人の韓国人女性が証言した。その内の1人、李容スさん(17ページ写真)は、証言するたびに連行された場所や年齢、状況、慰安所のあった場所が二転三転し、まったく証言に一貫性がないことで有名で、本当に慰安婦だったのかさえ疑われている。もう一人の金君子さん(同写真)も、公聴会で「警官に家を出てお金を稼がなくてはならないと言われた。軍服を着た朝鮮人が私を送り出した」と証言したが、別のインタビューでは、「17歳のときボーイフレンドとの結婚を彼の両親から反対され、不本意ながら日本に性奴隷として招集され、中国に連行された」と述べている。
 時と場所により変化する証言を米下院は証拠として採用するつもりなのだろうか。
 親に売られた女性に対して同情心を感じるのは人として当然のことだが、だからといって旧日本軍の戦争犯罪と結びつけるのは間違いである。


サピオ(SAPIO)2007年5月9日号
19ページより


−−−−−−−−−

「従軍慰安婦問題」とは、実は、こんな話でしかないのです。

その一方で、韓国人は、第二次大戦後、朝鮮や、日本国内で、多くの日本人女性を強姦して居ます。更には、ベトナム戦争中、ベトナムに派遣された韓国兵は、多くのベトナム人女性を強姦し、殺害して居ます。それにも関はらず、自分たち(韓国人)がやった日本人やベトナム人の女性に対する性暴力には口を閉ざし、「従軍慰安婦の強制連行」などと言ふ作り話をいつまでも、いつまでも、しつこく叫び、日本の子供達にまで嫌がらせを続けて居るのです。

以下に御紹介するのは、韓国人が自ら述べるベトナム戦争中の韓国軍の行為です。

-------------------------------------------

 大東亜戦争期に日本の軍人が残酷だったという点は十分にうなずける。だが、韓国と中国が機会さえあればそういう軍人の行為を戦争犯罪だと非難するのはおかしな話だ。これは、それが犯罪であるかないかの問題ではなく、「糞まみれの犬が糠(ぬか)まみれの犬を汚いと咎(とが)める」(目糞鼻糞を笑うの意)たぐいのことなのである。
 韓国の場合、アメリカからいくばくかのお金を与えるといわれて、なんの関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無この良民を見分けることができず虐殺したのはわずか三〇余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナムでは「タイハン」(韓国軍のこと)がきたといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣き止んで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらにアメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したともいう。このように韓国軍の残虐さを記録した資料は計りしれないほどある。ベトナムの人びとは韓国軍に抹殺された村ごとに碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓いあっている。米軍はベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺したベトナム人は三〇万人をこすと推定されている。
 「遠くでタイハンが私たちを呼んで手まねきした。かれらは手にアメを一握りもっていたので、私たちはわれ先にもらおうと走っていった。しかし私たちが近ずくと、アメをもっていたタイハンは笑いながら銃をとるや、いちばん先に走ってきた子どもの頭めがけて引き金を引いた。そうやって先にいった子どもが三、四人死んだ。私は殺されると思って逃げた。あれが果たして人間なのかと身震いしながら走った。私たちは、大きくなったら必ず韓国からきたあの悪魔に復讐するのだとなんども約束した」
「後輩のひとりが今年軍隊を除隊しました。後輩の話によれば、彼の部隊長は、ベトナム戦争のときに自分の部隊が村を丸ごと焼き払い、住民を撃ち殺したと自慢げに語っていたということです。かれらは修道女まで殺したそうです」
 この種の証言は、ベトナムでも韓国でも何人かに尋ねてみれば聞きだすことができる。たぶん軍隊生活の経験がある韓国の男性なら、ベトナム参戦軍人から数多く聞いていることだろう。いまとなってはそれほど驚くほどの内容ではない。

(金完燮著 荒木和博+荒木信・訳 『親日派のための弁明』
 (草思社・2002年)44〜45ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E6%97%A5%E6%B4%BE%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%BC%81%E6%98%8E-%E9%87%91-%E5%AE%8C%E7%87%AE/dp/479421152X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1344678660&sr=1-1


---------------------------------------


ソ連軍や、韓国人自身が行なった性暴力は不問に付されて居ます。その一方で、何の証拠も無い、「証言」に一貫性の無い「従軍慰安婦の強制連行」は、いつまでも、いつまでも、大々的に取り上げられ続けて居ます。

平成24年10月5日(金)

                  西岡昌紀

--------------------------------------------

NYタイムズスクエア広場に慰安婦謝罪要求広告が登場
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=56&from=diary&id=2177528

NYタイムズスクエア広場に慰安婦謝罪要求広告が登場
中央日報 - 10月05日 09:20


3日(現地時間)米国、ニューヨークのタイムズスクエア広場に日本軍慰安婦強制動員に対する日本の謝罪を促す大型広告が設置された(写真=徐敬徳教授)。


3日(現地時間)米国、ニューヨークのタイムズスクエア広場に日本軍慰安婦強制動員に対する日本の謝罪を促す大型広告が設置された。
歌手キム・ジャンフン氏が設置費用を出し、徐敬徳(ソ・ギョンドク)教授が企画したこの広告は縦・横15メートルの大きさで、12月末まで3カ月間掲載される予定だ。広告に使われた写真は西ドイツのヴィリー・ブラント首相が1970年12月7日ポーランド、ワルシャワ戦争犠牲者碑石の前でひざまずいて謝罪する姿だ。広告文句は「DO YOU REMEMBER(覚えていますか?)」で始まり「ドイツのヴィリー・ブラント首相がポーランドで謝罪したことによってヨーロッパの平和に大きく寄与した。
2012年韓国の日本軍慰安婦被害者は依然として日本の心からの謝罪を待っている」と書かれてある。キム・ジャンフン氏はこの日、自身のme2dayに「保険金まで崩したが、私が少し力不足で通り側を確保できなかったが場所はまあまあだ」という文を残した。


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年10月05日 20:26:16 : HNPlrBDYLM

慰安婦にされたのがアジア女性だったから問題にならなかっただけ:


「わたしの友人オヘルンの写真があそこにあるね。本当に勇気のある友人だった」

今月8日、オランダのハーグで開幕した「韓国・オランダ・ドイツ性奴隷展」(北東アジア歴史財団主催)を訪れたブルーフさん(86)は、旧日本軍の元慰安婦だ。日本軍がオランダの植民地だったインドネシアを占領した1942年春、ブルーフさんの家族はジャワ島中部のスマランにあった収容所へ連行された。それから2年後のある日、日本軍は

「病院や事務所で働く事務員を募集」するとして、若い女性30人を選んだ。

ブルーフさんはほかの女性14人とともに、上流階級の居住地区にある「仕事場」へ連れて行かれた。そこは日本軍の将官のための公娼街だった。

60年余り前のことだが、ブルーフさんはこの経験を忘れていない。

「日本軍にとっては快楽を求める場所だったが、わたしには恐怖と悲しみ、恥辱(ちじょく)が満ちた地獄以外の何物でもなかった」。

彼女は反抗する意欲も無くし、ただ早く無傷で解放されることを祈るだけだったという。3カ月後、ようやく解放され収容所へ戻った彼女は、着ていた服を収容所へ戻るバスの窓から投げ捨てたという。「自分の体を汚された」というのがその理由だった。

ブルーフさんは長い間、日本軍の慰安婦だったことを誰にも話さなかった。

90年代に入り、まず韓国の元慰安婦たちが立ち上がり、オランダでも友人のオヘルンさんが口を開いたことで、ブルーフさんも勇気を出し告白した。ブルーフさんはオランダの「対日道義的債務基金」(SJE)の助けを借りて証言集を発行し、日本の戦争責任の認定や補償を求める裁判に証人として出廷した。オランダ人の元慰安婦は約300人とされ、このうち10人ほどが生存している。

「日本の人々が過去を反省し、責任を認めることに消極的な様子を見ていると、怒りを覚える」。ブルーフさんは澄んだ目で「わたしが体験した悲劇を繰り返さないためにも、日本が犯した罪について若い世代へ伝えていきたい」と語った。
http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/895782.html


2007/2/9

米国下院外交委員会アジア太平洋地球環境小委が15日、下院で日本軍従軍慰安婦聴聞会を開く。

第2次世界大戦当時、慰安婦として連行されたオランダ人女性が証人として出る。オーストラリアに住むヤーン・ルーフオヘルンさん(84)が主人公だ。彼女は「慰安婦問題に対して日本政府が公開で謝罪しなければならないという内容の慰安婦決議案が米国下院で成立してほしい」とし、下院外交委の証人出席要請を快諾した。

「あのとき、あの恐怖、絶対忘れない」

ヤーンさんは1941年12月、日本が太平洋戦争を起こしたとき、オランダ領東インド諸島(インドネシア)ジャワ島に暮らしていた。日本軍は4カ月後、ジャワを占領し、ヤーンさんの家族を含むオランダ人たちを収容所に入れた。そして2年後21歳のヤーンさんを含むオランダ人女性100人をジャカルタ南ボゴールに連行した。そこで彼女らは日本軍の性の奴隷になるという話を聞いて驚愕した。

ヤーンさんは2001年、オーストラリアABC放送とのインタビューで

「あのとき、私たちが『ジュネーブ協定違反』と叫ぶと日本軍はにやにや笑った」

と回想した。ヤーンさんらはそのとき、日本式の名前を1人ずつ与えられた。ヤーンさんには何かの花の名前が付けられたが、記憶から消してしまった。彼女は過去を隠して暮らした時代、花が嫌いだった。慰安婦生活を思い浮かべるからだ。英語が分からなかった2人の娘に、誕生日のプレゼントとして花をくれると言われても素直に笑えなかった。ヤーンさんは慰安所に入ってから少し立って髪の毛をすべて刈ってしまった。

「はげ頭のように見えれば日本軍が嫌がるだろう」

と思ったからだ。しかし日本軍はそんな姿にもっと好奇心を感じたようだと彼女はABC放送で明らかにした。それとともに

「あのときのあの恐怖を絶対忘れることができない」と話した。

ヤーンさんは92年、慰安婦出身韓国人女性3人が日本政府に公開謝罪を要求したのをテレビで見て、自分も過去を明らかにして闘争しなくちゃいけないと決心した。それで同じ年の12月、東京で開かれた日本の戦争犯罪聴聞会に出て証言した。

「証言でおびただしい反響起こす」


ヤーンさんはオーストラリアの放送で

「日本は私たちが死ぬことを願っているが、私は日本政府が慰安婦被害者たちに謝罪と補償をするまで闘争する」

と言った。そんな彼女が米下院で証言すれば波紋は大きく広がるだろう。下院のある関係者は8日

「ヤーンさんと韓国人キム・クンジャ、イ・ヨンスさんが証言すれば米国人は『当時の日本軍はそれほど残忍だったのか』と思うだろう」とし「彼女らの証言で慰安婦決議案の下院成立の可能性は高くなる」と話している。
http://japanese.joins.com/article/460/84460.html?sectcode=&servcode=500

1944年2月、オランダ領東インド(インドネシア)で起りました。事件の首謀者として死刑となった岡田慶治少佐の「青壮日記」と題した獄中日記によれば、州庁で希望者を募って慰安所を作ろうという構想を聞いた熊崎中将が、宮野スラマン州長官に話をつけたと切り出す。熊崎中将がジャカルタの第16軍当局から本人の許諾を条件に構想の認可を得て計画を策定し、岡田は上官の池田大佐や大久保大佐に命じられ実施面を担当したのでした。。

 岡田は、州庁が作成した希望者名簿を元に数ヵ所のオランダ人抑留所から35人の女性を連れだし、1944年3月1日、将校用の慰安所を開設した。岡田は、希望者を慰安婦にしたのであって強制連行したのではないと裁判において主張しています。。

 しかし、裁判記録によれば、女性たちは「強制連行だった」と証言し、ある抑留所では、リーダーが抵抗して徴集を断念した事例が挙げられてもいます。また、自殺した大久保大佐が、岡田には「若干、強引な言動があった」と遺書に書き記しているのも決定的です。

 岡田は、州庁の杜撰な希望名簿を信じて「手違い」が生じたのを、独断先行による「強引な言動」で埋め合わせたのかも知れない。しかし、オランダ人慰安婦たちが戦後、対日協力者のレッテルを張られるのを恐れて告発に回ったとも考えられます。

 なお、この裁判は杜撰な点も多く、例えば、その「強制連行」があったとされる期間、東京に出張して不在だった池田省三大佐は、シオウテンという名の検察官らに拷問を加えられて発狂させられたあげく起訴されて、「懲役15年」の判決を受けている。この戦犯裁判は敗者に対する報復裁判の色合いが濃いと言えましょう。

 この慰安所はわずか2ヶ月後、第16軍当局の命令で閉鎖となっています。この理由を、94年のオランダ政府報告書は、

「娘を取られた抑留所の親が視察に来た陸軍省の大佐に直訴したため」

と説明しています。しかし、当時第16軍当局で勤務していた鈴木博史大尉は、

「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞きこみ、山本第16軍参謀長へ伝えると、山本は『まずい、すぐ止めさせろ』と怒り、翌日に閉鎖命令が出た」

と回想しています。どちらにしても、すでに裁判は終結しており、関係者は処罰されています。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4069300.html

オランダの軍事裁判の報告を調査した吉見義明によれば、

当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。)

複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。


3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。


しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。)しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。

終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。また、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された)。


としている。

一方、オランダ人女性の強力な抵抗により若い女性が連行されることを防いだ抑留所(スモウォノ・バンコン・ランペルサリ)もあった。年上の女性たちが志願することで、若い女性が助かった事例もあった。また、以前に日本人と関係があった「道徳観念に乏しい」女性達のリストを作り若い女性の身代わりとさせたケース等もあり、これらの身代わりとなった女性は「志願者」と呼ばれた(この件では戦犯裁判で無罪)。

1994年のオランダ政府の報告書では、インドネシア各地の慰安所で働いていた200〜300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に(most certainly)強制売春の犠牲者だったとされている。

1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動が始まった。これに対し日本政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」を「終了」した。

しかし2007年、オランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」[9]と述べ、日本側の償い事業の継続を求めた。

また同2007年、米国議会での慰安婦聴聞会にこの事件の被害者・証人としてたったジャン・ラフ・オハーンは、 当時19歳だった42年、日本軍占領後、収容所に入れられ、

「日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。 彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」

「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」

と証言し、

「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」とも主張。

「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。

「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けるとした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

オランダ人慰安婦
http://www.youtube.com/watch?v=FA84tRAG-i0
http://www.youtube.com/watch?v=Bm-QIRhtq-M
http://www.youtube.com/watch?v=EOTNQfS23zY

ネトウヨはいつも「慰安婦はただの朝鮮人の売春婦だったDEATH〜〜www」なんて言ってますが、皆さんは韓国だけでなく台湾でも対日非難決議が採択されたことを知って­ます?

台湾だけでなく中国もフィリピンも東南アジア諸国もオランダも欧米諸国もみんな日本の従軍慰安婦問題を非難しています。なぜならこれらの諸国の女性たちも日本軍性奴隷にさ­れてしまったのが事実なのですから。この時点で既にネトウヨの言う「日本軍慰安婦=朝鮮の妓生」論は破綻していますね。

良識派の皆さんや韓国の皆さんも、さも韓国人女性だけが日本軍慰安婦にされていたかのような誤解を与える言及の仕方をするのは色々な意味でやめましょう。

しかしながら、この期に及んでも都合の悪いことは見えないふり、聞こえないふりしてスルーするのが毎度お馴染みのネトウヨ・クオリティ。それなのに「俺たちは歴史の真実を­知っているDEATH〜〜〜wwwww」とかぬかすのは全く片腹痛いですね。ネットで幅を利かせる「Japanese nationalism」がいかに病理に満ちているのかがわかるようですね。

こういうネトウヨみたいなのがいつまでも日本でデカい顔してのさばっているから中国や韓国が反日をやめようとしないのがわからないのかなあ。今後、もし台湾や東南アジア諸­国までもが忘れかけていた反日感情をまた思い出したりしたらネトウヨや右翼言論人のせいだな。

以下、ネトウヨがどうしても直視できない現実についてのリンクをいくつか紹介。都合の悪い相手を「在日」と思い込まなければ正気を保てない人たちにはあまりにも残酷な現実­でしょうね。

台湾、慰安婦で日本に謝罪要求 - 立法院が決議
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111101000463.html

憲兵が連行、売春強制 - 慰安婦でオランダ新史料
http://www.47news.jp/CN/200705/CN2007051101000223.html

各国の対日「慰安婦」決議
http://space.geocities.jp/ml1alt2/data/data5/data5-09.htm

ネット右翼の妄言録
http://www.geocities.jp/ondorion/now/mougen.html

ネットウヨのガセビアを指摘するスレ その5
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1172996871/

ネトウヨがよくばら撒いている嫌韓コピペのデタラメを指摘。「在日の生活保護がどうたら」とか「日本統治時代の朝鮮の人口がどうたら」とか「ごくごく一部の抵抗はあったが­上から下までみんな日本に憧れ、日本人になろうとしたのだ〜」とか。
http://www.geocities.jp/ponnitisuki/copipe.html

ちなみにネトウヨの南京大虐殺否定論がどれほどインチキなのかを検証してくれるサイトはこちら。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10053587358.html

【ネトウヨ涙目】もはや誤魔化せない従軍慰安婦問題の真実
http://www.youtube.com/watch?v=f3YMripanwI


02. 2012年10月05日 21:14:51 : efWRp4GsI6
>>01様、貼り付けをありがとうございます。

西岡センセも「自衛隊の海外派遣に反対」を貼り付けておられれば

池田勇人内閣と佐藤栄作内閣当時に、相手国の言い分を

丸呑みにしてとっくの昔に支払を済ませていて、

相手国の不浄役人どもが横領してた事が判明してるのに残念です。


「証拠はないガー」「解決済みだガー」としか言えず

国会図書館に日本の誠意と謝罪を証明する証拠文書が保存されてて

閲覧も簡単なのに、偽みそ汁化してる自民党のおバカ世襲議員こそ

真っ先に糾弾されるべきでしょうが。父祖議員の国際社会への

誠意ある努力を無効化して、そんなに戦争が死体の?かね。



03. 2012年10月11日 19:59:04 : piS0HPXTJ6
総合的奴隷制度(性も含む)で大儲けしていたオランダに対して
この「勇気ある」オランダ女性は謝罪と補償をすべきだと訴えたのでしょうかね?
多分、現在のオランダの全資産3回や4回売り払ったくらいでは
とても賄いきれないでしょうけど。

なかなか面白いですよね。自国の過去の悪行は追及せず、
他国の悪行(あったかは知りませんが)のみ追及するといった姿勢は。
朝鮮や中国や米国のやりかたそのものです。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 近代史02掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 近代史02掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧