http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/708.html
Tweet |
http://list.jca.apc.org/public/cml/2012-September/019425.html
[CML 019624] 耿諄さん逝去
鷹嘴 factories_of_death at yahoo.co.jp
2012年 9月 3日 (月) 22:19:41 JST
既に報道されていますが8月27日、花岡蜂起を率いた耿諄さんが河南省の自宅で逝去されました。満97歳でした。ご冥福をお祈りします。
戦時中、秋田県花岡鉱山の土木工事に従事させられた強制連行被害者たちは、劣悪な環境と鹿島組の虐待によって次々と殺されていました。こうした状況の中で中国人たちは死を覚悟して蜂起しましたが、鎮圧され多くが虐殺されました。
戦後、耿諄さんを中心とした生存者が、日本人の支援を受けて鹿島建設に訴訟を起しました。この訴訟は鹿島との和解成立によって終結しましたが、和解内容は加害企業である鹿島の責任を認めないものであり、耿諄さんら原告は深く失望しました。そして耿諄さんは鹿島の拠出した「基金」受け取りを拒否したまま、亡くなりました。
耿諄さんは和解前、鹿島が謝罪しないつもりなら敗訴してもいい、と語っていたそうです。裁判の成果を得るよりも虐殺された同胞たちの尊厳回復を求めていたのです。そもそも耿諄さんは、花岡では中国人を統率する「労工大隊長」という立場にありながら特別待遇を拒否し、同胞を助けるため共に立ち上がったのです。同胞の尊厳を守るために闘い続けた耿諄さんの生涯を、決して忘れてはならないでしょう。
==============================================
http://www.topics.or.jp/worldNews/worldMain/2012/09/2012090301002118.html
花岡事件の指導者、耿諄氏が死去 中国河南省の自宅で
2012/9/3 19:52
【北京共同】太平洋戦争末期、秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山に強制連行された中国人が蜂起して多数が犠牲になった花岡事件で、蜂起を指揮し、使役企業を訴えた裁判では原告団長を務めた耿諄(こう・じゅん)氏が8月27日、中国河南省襄城県の自宅で呼吸器不全のため死去した。97歳だった。地元紙が3日までに伝えた。
耿氏は国民党軍の将校だったが、日本軍に捕まり花岡鉱山に強制連行された。花岡では大隊長として中国人の生活などを管理。繰り返される拷問や、満足な食事もないままの過酷な労働に耐えかねて1945年6月30日、一斉に蜂起した。
【写真説明】 耿諄氏
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。