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株式日記と経済展望
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『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』 日本人への差別、さらに
強制収容所の悲劇をルポルタージュにまとめた。本書は第一級史料である。
2012年7月18日 水曜日
カレイ・マックウィリアムズ著、渡辺惣樹訳
『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(草思社)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%81%B4%E9%9D%A2-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%8F%8D%E7%9C%811944-%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4794219113
◆あのカリフォルニアにおける日系人差別と強制収容所 米国が反日で発狂していた時代は、つい昨日の出来事でしかない 7月18日 宮崎正弘の国際ニュース・早読み
http://melma.com/backnumber_45206_5609264/
本書の原題は「偏見」。つまり日系アメリカ人に対しての、度し難い人種偏見。それが「太平洋戦争の元凶」だと位置づける。
この本を手にとって、すぐに思ったことがある。「あ、これは西尾幹二さん、高山正之さん、そして田中秀雄さんあたりは、もう読んだでしょうね」。
保守論壇に彗星のごとく登場した訳者の渡辺惣樹さん、四冊目の作品だが、こんどは翻訳。それにしても、こういう本が1944年に米国で出ていたとは!
あのタウンゼント『暗黒の中国』にしても、当時の正式の米国外交官、それがシナは悪いが、日本とは闘う必要なしと書いたために米国では長く発禁処分となり、田中秀雄さんが見つけ出すまで歴史の沙のなかに埋もれていた。
本書は渡辺さんが前作の取材過程で見つけ出した。ちなみに本書はネットから米国のライブラリーにアクセスすると閲覧可能。
▼原作者は左翼的でスタインベックに近い思想ゆえ、公平、人権を尊重した
さて本書の内容に触れる前に、著者のカレイ・マックウィリアムズのことを紹介した方が良いだろう。
マックウィリアムズは、反日運動が燃えさかるカリフォルニアにあって日本人差別は人種偏見であり、まして戦争勲章を与えられた日系アメリカ人も多く、かれらの名誉を剥奪するまでの差別、しかも強制収容所にぶちこみ、かれらの在米資産を取り上げるなどという無謀は歴史への汚点だ。もっと公平に扱うべきとする勇気ある主張をなした。
戦争殊勲賞に輝いた日系アメリカ人のひとりは、それでも強制収容所に入れられると知って、抗議をこめて自決した。
このような正論が反日で凝り固まるアメリカでも当時、なぜ生まれ、しかも出版が、可能であったのか?
第一にカリフォルニアという独特の土地柄であり、黄金ラッシュとメキシコからの大量移民と苛酷な農業従事季節労働者の呻吟、スタインベックの「怒りの葡萄」の背景があった。
マックウィリアムズは、こうした農業従事の苛酷な社会問題でも執筆している。
第二に著者は決して親日ではなく、むしろ共産主義のよき理解者、社会主義を理想とする法律家であったことだ。コロラド州生まれの彼は、実際に1980年まで生きたが、ジャーナリストとして豊饒な仕事を左翼方面の分野に残しており、チャイナタウンに関しても映画の原作に関与し、またカリフォルニアの社会問題に深い関与をしめす作品群を残した。
第三に同時にマックウィリアムズは反政府の姿勢をつらぬき、マッカーシー旋風が吹き荒れたときはかろうじてパージをまぬがれたもののキューバ危機直前に「グアンタナモでカストロ打倒のゲリラを米国が軍事訓練している」と『ネーション』(左翼理論誌)にすっぱ抜いて、JFK政権からきらわれた。
JFK政権をささえてNYタイムズもワシントンポストも、JFK補佐官アーサー・シュレジンガーの助言をいれて、記事にしなかった。
▼近年のJACL(日系アメリカ人団体)は左傾化した
こういう基本姿勢を貫いた原作者が、当時のカリフォルニアにおける人種編見の嵐と、日本人への差別、さらに強制収容所の悲劇をルポルタージュにまとめた。本書は第一級史料である。
私事ながら評者(宮崎)は、1983年にレーガン政権教育局プログラムでカリフォルニア州クレアモントにあったクレアモント研究所へ一ヶ月招待され、そのおりに、知り合った日系三世のシンクタンク研究員が、戦争中の日系人収容所の貴重な写真があるというので、同年12月にロスアンジェルスに三週間ほど滞在し、クレアモントの彼もさりながらUCLAの図書館に足繁く通って、資料をあつめ、一冊を編んだ(拙著『ふたつの山河』、ダイナミックセラーズ、1984年)。
と書いているうちに肝腎の中味を論評する紙幅がつきた。
次の叙述個所はきわめて印象的である。
「かつてカリフォルニアでは誰も彼もがシナ人を嫌った時期があった。今日、職業として反支那人を訴えている者以外はそうした主張をする人はいない。ディリーアルタ紙はかつて『支那人は人間ではない。弱い生き物を狙う動物と同じ存在だ』(1853年6月15日)と主張していた。それが遠い過去のように感じられる」。
翻って言えば、職業としてアンチ日本を煽り、組織的運動や団体が、いまのアメリカにあるということである。そして戦争中、コミンテルンが画策した「世紀の謀略」は、日本の近衛内閣のブレーンに入り込んで、日本の戦争方針を「南進」させ、スターリンはほくそ笑んだ。
同様にルーズベルト政権には夥しい共産主義者とコミンテルンの代理人がいた。かれらが、この日系アメリカ人差別政策の背後にいたという歴史的証拠がもっと出てくれば、事態はもっと顕著なもの、つまり歴史の修正が必要になる。
アメリカ人歴史家の主流が真珠湾はルーズベルトの陰謀だという真実を言うと、「修正主義者」と罵倒するが、この歴史観のほうが、いずれ正しかったという判定がなされる日が来るだろう。
(私のコメント)
「株式日記」では、大東亜戦争は人種差別撤廃と植民地解放戦争だと書いてきましたが、日本の戦後の歴史教育では、そのようには教えられていなくて戦争犯罪を犯した犯罪国家と言う事になる。そのように定義しなければ東京裁判を正当化できないためであり、アメリカは正義の国であり、日本の軍国主義を打ち破って日本に民主主義を植えつけたと言う事になっている。小泉総理はテキサスでブッシュ大統領にそのように言った。
しかしアメリカにおいては、日系人を差別する法律が歴然としてあったし、アメリカやカナダでは日本人強制収容所が幾つも作られて収容されていた。そのような歴然とした事実があるにも拘らず、大東亜戦争は日本が悪でありアメリカが正義であると言う事になっている。当時はアメリカは歴然とした人種差別国家であり、公民権法案が作られたのは1960年代になってからであり、それまでは人種差別国家であった。
私はまだこの本は読んではいないが、アメリカ人にとっては大東亜戦争を人種差別が原因だと言う人はほとんどいないだろう。しかし当時はアメリカ海軍には黒人の海軍士官はいなかったし、黒人兵は炊事などの補助的な任務しか出来なかった。陸軍も黒人兵は後方支援にしか使われていなかった。また黒人兵への虐待も酷くて反乱騒ぎまで起きています。
大東亜戦争の歴史的評価を書き換えようとすると「修正主義者」扱いされますが、アメリカにとってもこの問題は一番触れてほしくない問題だろう。当時の米軍にとっても黒人兵は人種問題を抱えるから兵役免除になる事も多く、第二次世界大戦のアメリカ映画には黒人兵はほとんど出てこない。これはアメリカの白人兵と有色人種であり日本兵の戦いであり、最後には日本人が原爆実験材料にまでされてしまった。
アメリカでは現在でも人種問題は非常にデリケートな問題であり、ここに書かれているような事をアメリカ人に言ってみたところでアメリカ人を感情的にするだけだろう。アメリカでは法律的な差別は無くなったが感情的な差別問題は厳然としてある。もし大東亜戦争が無ければ人種差別問題や白人国家による植民地問題は大きく後退していただろう。
◆黒人差別と先の大戦(その2) 2006年6月11日 太田述正コラム
http://blog.ohtan.net/archives/50954543.html
さて、フランクリンは、陸軍に徴兵されたらひどい目に遭うことが分かっていたので、海軍を志願することにしました。真珠湾攻撃を受けた直後で、海軍は能力ある若者を集めようと必死になっていました。
募集担当官はフランクリンの志願書を見て驚嘆しました。
速記ができてタイプも一分間に75字印字できる上にハーバード大学の博士号を持っていたのですから。
しかし、募集担当官は一言つぶやいただけでした。「君は一つの重要な資格要件を欠いている。それは肌の色だ」と。
そこで、フランクリンは次に陸軍省に志願先を切り替えました。ハーバードの中退生等を集めて公式の戦史を編纂しようとしていたからです。彼は既に歴史の本を書き上げ、印刷に回したばかりでしたし、その上、ローズベルト大統領夫人の口添えも頼んだのですが、採用には至りませんでした。
フランクリンの兄はもっと悲惨な経験をしました。黒人虐めを旨とした地方の徴兵委員会によって、30歳を超えていて結婚もしていた高校教頭の兄は徴兵され、入隊後白人士官にいじめ抜かれたために、精神に変調を来し、二度と快復することがありませんでした。この兄は戦後すぐの1947年に、ホテルの窓から落ちて(飛び降りて?)亡くなっており、フランクリンは、これは事実上殺人であったと主張しています。
4 感想
フランクリンの自伝に対するNYタイムスの書評兼論説(NYタイムス上掲)は、米国の「栄光の」歴史は今や全面的に修正主義的見方による批判的洗礼を受けているけれど、先の大戦だけはその例外であり、先の大戦における米国の役割は依然褒め称えられ続けているとしつつ、先の大戦当時の米国でひどい人種差別が横行していたことを決して忘れてはならないと述べています。
その上でこの書評兼論説は、これは栄光の陰のささいな恥部などというものではなく、政府によって実施された人種差別主義は先の大戦の核心的部分に関わる問題であって、戦争遂行の努力を阻害しただけでなく、当時の米国社会における人種差別を増幅し、黒人達に快復不可能な傷を与えたのであって、このことを忘れることは犯罪行為の上塗りである、と言い切っています。
私は、この書評兼論説者の念頭には、先の大戦中強制収容所に入れられた日系米人と、収容所から出るため、そして米国に対する忠誠心を照明するため、志願して欧州戦線で戦った日系米人の若者達・・黒人同様、白人部隊とは隔離され、白人士官に率いられた(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/01/AR2006060101565_pf.html。6月6日アクセス)・・のこともあったに違いないと思います。
NYタイムスは、「<米国>政府によって実施された人種差別主義は先の大戦の核心的部分に関わる問題“government-enforced racism was actually at the very heart of the enterprise,
すなわち、先の大戦は、有色人種差別意識に凝り固まっていた当時の米国が、こざかしい黄色人種たる日本人が、単純素朴な黄色人種たる支那人等を虐めているという歪んだ情勢認識に基づき、自らが死活的利益を有さない東アジアに介入したために起こった、という観点から先の大戦史は書き換えられるべきなのです。
(私のコメント)
日本がなぜ勝てる見込みのない戦争に踏み切ったかと言う事が疑問点だったのですが、大東亜戦争が人種解放戦争だと考えれば納得がいきます。当時の常識としては有色人種は、白人と猿との中間的存在であり人間とはみなされていなかったと言う事があるだろう。当時のアメリカの漫画にも日本兵は猿のように描かれている。
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