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広瀬隆さんの「赤い楯」(ハードカバー版)を読んでいて気がついたこと。
フランス家3代目(ジェームズの孫,当主ではない)のロベール・ロスチャイルド(Robert Philippe Gustave de Rothschild)は,「赤い楯」上巻P422では,ナチスに捕らえられて(1944年3月ごろ),行方不明になった(=強制収容所で殺されたらしい)ことになっている。
ところが,上巻の巻末にある系図では,
★ 1946年没 ★
とはっきり書いてある。この本自体が,没年で矛盾している。インターネット検索しても1946年12月25日没しか出てこない。つまり,第二次大戦後に死んだことは間違いなく,さらに,死んだ日まではっきりわかっているので,広瀬さんの「ロベール行方不明」説はかなりアヤシイ。
ところが,このパリにあるロベール家の邸宅は,「赤い楯」上巻P401で,「ナチスの司令官が邸宅のいわれを聞いておそれをなし,占領中もまったく手を触れなかった」と,書いてある。
邸宅の持ち主は,強制収容所にぶち込んだのに,邸宅はなぜ,「おそれをなし」て,手をつけないんだ??????????????
さらに,同じP401で,「パリのロスチャイルド家は,ナチスが侵入してきた時(1940年6月)にはすでにニューヨークへ脱出していた」と但し書きなしで書かれている。ロベールは1944年3月まで,約4年間もフランスで何をしていたというのか?
P400には,こんな記述もある。ロベールの息子(アラン)と娘(エリー)が,英仏連合軍に参加して,ドイツ軍に捕まった(1940年5月)が,二人とも殺されずにすんだ,と。親父だけなぜ殺す?
さらに,極めつけ。Googleインターネット検索で,
"Robert Philippe Gustave de Rothschild" nazis
としても,ロベールが強制収容所送りになったことはまったく出てこない。しかも,検索結果はたったの2件のみ(当方検索時で)。もし,本当にロスチャイルド本家の人間が強制収容所送りになったのなら,これは大変な事件であり,関連のインターネットの文書はごまんとあるはず。
広瀬さん,がっかりです… orz
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