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この稿が一般にいう書評に該当するか否かを別にして、本書を読み進めながら、私はなんども著者との生前の会話を思いだした。著者を含め5、6人の仲間で三十年余にわたり、勉強会のような集まりを続けてきた。その集まりでは、昭和天皇論を交わすことも再三のことだったが、著者は宮内記者会時代に昭和天皇になんどか接していて、その論議は常に具体的であり、そしてわかりやすかった。
なにより昭和天皇の人間性に魅かれていることもわかった。ただその天皇が近代日本の政治や軍事システムの上で、特異な立場に置かれていたことへの制度上の不満は強くもっていた。はからずもそれは私にとっても同じで、現在の象徴天皇制を守り抜くことが重要であるという点で一致していた。
本書は昨年9月に病死された著者の遺作である。四百字詰めで1千枚を超える大作、上下巻合わせると千頁に達する大著である。近年、昭和天皇の評伝や論が相次いで刊行されているが、本書の位置づけはふたつの点で正統派足りえている。第一は、ジャーナリストの手法で昭和天皇とその生きた時代を自らの取材ノートと文献で丁寧に正確に記述していることだ。第二は、著者は死を覚悟して筆を進めたのだろうか、自らの立ち場を明確にしたうえで、正邪を遠慮せずに書いている。たとえば、戦争責任問題をめぐっても昭和天皇が弟宮の高松宮の戦後の回顧談にどれほどの怒りを示したかを明かす。「全文を取り消せ」と迫ったと断定している。
昭和天皇の誕生から即位までは、著者のネットワークで実像を捉えているし、正確な文献からの引用を心がけることで、少年期、青年期と成長していく天皇の内面を忠実に浮かびあがらせる。昭和3年の張作霖爆殺事件時の田中義一首相への天皇の怒りは巷間伝えられる以上に激しく、「辞表を出せ」とどなったというのだ。著者が刊行の労をとった木下道雄の『側近日誌』をもとに、昭和天皇が人物評を行わないというのは単なる風説で、ときに激しい批判や不満を口にしていたと指摘する。
皇太子時代の訪欧、摂政宮時のエピソードも類書にはない。
著者自身、証言、史料の限界を超えて推測をもちこんでいる。たとえば昭和20年9月27日の天皇・マッカーサー会見での天皇発言について、真実はどこにあるか。「会見に臨む前、天皇は側近や外務省などとシナリオを作った」との推測で示される幾つかの事実は充分に当たっているのではないか。
著者の体力は最後には落ちたのだが、編集者が本人の残した記録から克明な参考文献リストを作成した。これも貴重な記録である。橋さん、天皇研究を前進させた著書をありがとう、と私は密かにつぶやくのである。
http://facta.co.jp/article/201202016.html
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