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萩原朔太郎研究会の特別会員、蔵原伸二郎(1899-1965)は研究会設立の翌年3月16日に逝去。
会報4号には追悼文が掲載されている。
本会特別会員蔵原伸二郎(惟賢)氏は、本年*1三月十六日午後、東京北里研究所病院において逝去された。同月二十三日午後、東京青山斎場で執り行われた告別式には、同じく本会特別会員の伊藤信吉、神保光太郎、西脇順三郎、萩原葉子、藤原定、村野四郎の諸氏を始め、文壇詩壇の人々が多数参列し、前橋方面の会員を代表した形で渋谷常任幹事も参列した。
詩人蔵原伸二郎と萩原朔太郎との深い関係は、何よりもその文章「猫。青猫。萩原朔太郎」が、朔太郎自身によって同人誌の中から採用され、『定本・青猫』の跋文として飾られていることによって、萩原朔太郎の名と共に永遠に記念される。もとより伸二郎は朔太郎に溺れることなく、独自の詩境をめざして、最後まで詩の道に生きたが、朔太郎に対しては終生変わらない愛情を抱いていた。
ここに朔太郎逝去の折に伸二郎が書いた追悼詩がある。これを再録して、詩人蔵原伸二郎に対するわが研究会のことばに代える。
悼詩 蔵原伸二郎
ああ
先生は世にも得がたい
姿なき青猫となられ
ふしぎな匂ひとなられ
はてしれぬ蒼天の深き道を
ひとり飄々と歩み去られた
かぎりなき寂寥が
その道の奥から流れてくる
<『文芸世紀』昭和17年7月号、萩原朔太郎追悼号より>
『萩原朔太郎研究會會報』第4号 1965.6.25
初版「青猫」は多くの世評に登つたけれども、著者としての私が滿足し、よく詩集のエスプリを言ひ當てたと思つた批評は、當時讀んだ限りに於て、藏原伸二郎君の文だけだつた。よつてこの定本では、同君に舊稿を乞うて卷尾に附した。讀者の鑑賞に便すれば幸甚である。
(萩原朔太郎)
「自序」(部分)
『定本 青猫』版画荘 1936(昭和11)年3月20日発行
『定本 青猫』には、蔵原伸二郎の「猫。青猫。萩原朔太郎」が添付されている。
蔵原伸二郎(惟賢)(1899-1965)
熊本県生まれ。詩人、作家、評論家。
父は神官で阿蘇神社の直系。母は北里柴三郎の妹。
叔父に蔵原惟郭、従弟に蔵原惟人がいる。
オタさんに教えていただいて調べてみると、慶應義塾大学文学部仏文科在学中には、青柳瑞穂らと同人誌『葡萄園』を刊行しているようだ。
神保町系オタオタ日記の「慶應義塾大学図書館員加藤元彦」で紹介されている小田嶽夫は、蔵原伸二郎の紹介で『葡萄園』に参加したようなので、小田嶽夫『文学青春群像』を読んでみたいと思う。
*1:1965年
http://d.hatena.ne.jp/yukunoki-a/20120110/p1
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