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明治維新の指導者の誰を評価するか
年内に、かなりの数の歴史学者をお訪ねする予定。3年後に向けて着々と、という感じかな。
近代史の研究者も含まれているので、私としては、この記事タイトルのことを質問するつもりだ。これって、このシリーズが成功するか失敗するか、それを分けるカギになるような気がするから。
いえ、ふつうの方にとっては、そんなに難しくないだろう。好みに応じて、西郷さんだったり、勝海舟だったり、伊藤博文だったりするんだと思う。
でも、マルクス主義が重要な役割を果たした戦後歴史学から見ると、そこが難しかった。だって、明治維新で絶対主義的天皇制ができて、左翼はそれに弾圧されてきた。その天皇制政府の誰を評価するかと聞かれても、そう簡単ではなかっただろう。
それに、日清、日露以降の戦争の歴史がある。国内では人民を弾圧し、国外では侵略をするような政府を、その一部といえども、いかなる意味でも評価できるのかということだ。
なんというか、実践上の問題があって、学問的な評価が難しかったといえばいいだろうか。マルクス主義って、理論と実践が不可分だから、純学問的な評価って、簡単ではないかもしれない。
でもね、マルクス主義は、実はそれではいけないはずだ。だって、マルクス主義は、原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義という、経済的社会構成体の移り変わりを見抜いた理論である。社会構成体の変化を歴史の進歩としてとらえてきた。
その歴史観からすると、封建制から資本主義へと転換する節目である明治維新は、きわめて大事なのである。そこで重要な役割を果たした人物は、本来、評価すべきなのだ。
そりゃあ、資本主義が生まれれば、労働者が誕生し、その生活苦という問題は生じてくる。弾圧とか、対外侵略もそうだ。
だけど、封建制から大きな進歩を遂げたことこそが、まず何よりも大事なのである。その肯定的な評価のうえに、あれこれの問題を指摘するということが必要なのではないか。
しかも、マルクス主義というのは、資本主義が残虐で、貧困で苦しむ人びとを生みだすから、社会主義への転換が成し遂げられるという考え方ではない。まったく逆に、資本主義が富を生みだし、発展していく先に、社会主義が見えてくると考える。
それがないから、「自虐史観」という攻撃に対して、侵略を肯定する議論を否定することは大事なのだが、明治以降の日本を暗く描くことに腐心してしまい、本当に自虐史観なんだと思われるようになってしまったのではないか。説得力ある歴史観を提示できなかったのではないか。
まあ、怒られるかもしれませんけど、素人ですから勘弁してもらいます。きのう、ある人から、「松竹さんは恐れを知らない」といわれたんだけど、経験も知識も不足しているから挑戦できることもあると、勝手に思っています。
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