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朝日カルチャーセンター「小説教室」の前に、時間があったので立川駅ビルの8階にある本屋に立ち寄ったら、江藤淳と吉本隆明の対談集『文学と非文学の倫理』が出ている。しかもその脇に、吉本隆明の『情況への発言』の新装板が並んでいる。どうしたのだろう。出版界にどういう変化がおきているのだろう。何かが変わろうとしているように見受けられる。「江藤淳と吉本隆明」と言えば、70年前後、論壇やジャーナリズム、アカデミズムで、両雄として一世風靡していた文藝評論家である。この二人の華々しい活躍ぶりにあこがれて、小説家でも学者でもなく、敢えて文藝評論家を目指したものも少なくない。その後、江藤淳が自死し、吉本隆明が老いていくにつれて、論壇もジャーナリズムも、そしてアカデミズムも地盤沈下し、柄谷行人やは蓮実重彦らの活躍にも関わらず、ニューアカ・ブームを経て、思想性も批評性も喪失した小物たちが跋扈する世界に成り果てた。奇しくも311以後、論壇の情勢も一変し、さらに先の見えない時代に突入した。もはや「小物たち」が跋扈する余地はなくなった。そこへ、江藤淳と吉本隆明の対談集『文学と非文学の倫理』や吉本隆明の『情況への発言』が、復活してきたというわけだろうか。面白いことだ。僕も、江藤淳や吉本隆明を読みながら青春時代を過ごした人間である。「大きな物語」を語り続けた江藤淳や吉本隆明の復活は大いに歓迎である。特に『文学と非文学の倫理』は、左右両翼を代表する思想家同士の丁々発止の対談集である。二人の言葉は今も古びていない。新鮮だ。とりわけ「江藤淳の復活」は喜ばしい。ここ2、30年、保守論壇でさえ「江藤淳」を語ることはタブーになっていた。三島事件以後、保守・右翼論壇の「神」的存在なった三島由紀夫を絶賛するあまり、エッセイ「『ごっこ』の世界が終ったとき」(「諸君!」昭和45年1月号)で、三島由紀夫の楯の会自決(三島事件)を「軍隊ごっこ」と斬り捨てたり、小林秀雄との対談で三島事件を「病気」と批判した江藤淳は、三島由紀夫を批判したということで、「悪役」のレッテルを張られてきた。「江藤淳全集」も企画されていたと言うが、いつのまにか立ち消えになっている。僕は、「江藤淳のタブー化」と、保守論壇の「愚者の楽園化」、そして論壇そのものの地盤沈下、さらにはジャーナリズムやアカデミズムの沈滞化は、無縁ではないと考える。今こそ、江藤淳を読み直すべき時だろう。(続く)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20111121/1321883361
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