http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/574.html
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20世紀に誕生した天才日本書紀区分論学者 森博達(ひろみち)氏彼の待望の親書が発売された。内容は、一般の日本書紀研究者向けなので比較的平易に内容を選んでいる。
では、少し紹介します。
日本書紀は、日本で最初の正史です。書紀なしには、7世紀以前の日本の歴史は語れません。日本古代史の研究にとって卓越した文献です。
しかし、書紀は史実のみが書かれているわけではありません。史実と創作をどのように判別するのでしょうか。
書紀は「古事記」と違って漢文で書かれています。それゆえ分析には、昔の中国語の知識が不可欠です。
学問とはなんでしょう。「学問の虚実の判別は簡単です。事実の発見を伴っているか否か。事実の発見を伴わず、想像の隘路を辿る研究があります。「それを解釈史学」と名付けました。印象史学といってもいいでしょう。学問ではなく評論の類です。
さらに、一部の『印象史学」は事実を被い隠しています。虚偽を捏造するものがいます。もはや、学者でも評論家でもありません」
「書紀成立区分論を無視した日本書紀研究は、砂上の楼閣となりました。書紀区分論は難しくありません。漢和辞典というツルハシ一本で着手できます。百の妄想より1グラムの純金です。ぜひ多くの方々に事実を掘り出す喜びを味わっていただきたいと願っています。」
このような言葉で始まる最新版の森博士の本を購入した。
私が本を買うのは珍しい、この本に期待することは大きいのです。
大化の改新の詔勅は、α群に属する。正確な当時の唐代北方音の話者が記録したものだ。
その人物には「薩 広恪」という唐人捕虜を登用した。その前に「続 守言」さんが百済戦(660~663)で捕虜として列島に連れてこられたと記録されていますが、これを記録したのが「薩 広恪」、優秀な人物2名のうちの一人。
しかし、おかしい。百済戦の捕虜を倭国に移すということは、倭国、百済国は一心同体なのかとも思える。(こういう書き方は事実をもとにした推量である。歴史捜査とでも言っておこう。)
その間違いのないはずの孝徳紀は、誤用が多い。特に、「大化の改新」への始まりから、「改新の詔」部分は間違いのオンパレードであるそうだ。
私が以前から、このあたりに焦点をあてて推理を展開してきたことは間違いはなかった。
「薩 広恪」は、私の大好きな皇極紀から書き始めていますが、スタートは691年からであると森博士はいいます。(714年に書紀編集の命令が下ったのですが)、それを改ざん・加筆したのが、われらがヒーロー三宅の藤麻呂様です。(三宅臣藤麻呂)彼は、倭人系の癖を持った方で、たくさん致命的漢文のミスを残しました。大化の改新につながる皇極紀から孝徳紀がとくに多い。(でも、それで真実が明らかになってきたから、彼はヒーローです。)
そして、決定的に編纂が合わらないまま終了せざるを得なかったのが、天智紀です。その理由を博士は具体的に述べています。
藤原不比等の死です。死期が迫り、大急ぎで提出させたのです。だから未完成の状態で残されているのです。
皇極紀・孝徳紀への加筆は、入鹿暗殺の予兆から改新の詔まで長いが、そこには、唐人の正格漢文を改ざん・加筆した決定的証拠がめじろ押しだったことが、この本に一部書かれている。
私が以前投稿した範囲の記事をちょうど証明してくださっていいる。細部は一致していないがその流れは間違いない。
1) http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/533.html
2)http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/541.html
3)http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/542.html
4)http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/534.html
*本文は森先生の新刊から参考にしています。
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