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=転載開始=
2009/01/07
中年サラリーマンや企業のトップが最も好む小説家といえば、やはり司馬遼太郎だろう。私も大好きで、何冊読んだか知れない。しかし、今考えてみると、彼の罪はあまりにも大きく、単に小説だからで済ませることはできない。
「ニッチ」と言う小冊子が送られてきた。これはまことにマイナーな出版社、批評社という会社の会報である。以前、サンカの雑誌を買ったために定期的に届くようになった。
その中で、大政奉還の歴史認識に関する対談がおもしろかった。特におもしろかったのは司馬遼太郎への批判である。全文はとても載せきれないのでダイジェストしよう。備仲臣道・礫川全次の対談から抜粋し、つなぎ合わせました。
司馬遼太郎のことを「金と人を使って資料を集め取材をしている」とし、「尊王家と評する人もあるほど体制べったりで、民衆の変革の情念に少しも関心のない、人を見下した史観の根源を見る」、とこき下ろしている。
「色川氏(歴史家)が、司馬氏の書いた小説「燃えよ剣」の土方歳三について、「そうした暗さ、不信と絶望の深さがわからなかったら、それを生き抜いて五稜郭まで落ちてきた土方歳三の、あの複雑で深みのある人間像が丸ごと書けないじゃないですか。」と司馬遼太郎に問い詰めたところ、彼は「色川さんの言うのは歴史でしょう。それと歴史小説とは違う。歴史小説というのは、読んでくれる方に楽しみの娯楽を与えるものであって、読んだら絶望してしまうようなのはだめだ。」と弁明したという。しかし、司馬氏は別の場所で「燃えよ剣」を歴史として書いたと言っているので、矛盾している。」
あくまで小説なのだから、真実である必要はないとすれば、武田鉄也のように「竜馬が行く」に感動し、海援隊などというグループまで作っってしまった責任は誰にあるんだろう。鉄也が司馬氏に面会したとき、司馬氏は「いいかげんに卒業なさい。」と言ったそうだ。
やはり、「歴史に合わせて小説を書いたというより、小説にあわせ歴史を都合よく引き寄せ、つじつまを合わせた。・・・・・・・」、まあ、コテンパンですが、主人公を徹底的に好きになり、褒め称えるのがくせになっているのに、なぜか「殉死」の乃木希典に関しては気分が重くなるほど悪く書かれている。と述べている。
また、徳川慶喜を「最後の将軍」で、「自分の明治国家観にあうように小説を作ったと思います。慶喜が愚鈍な将軍では都合が悪いので、つじつまをあわせたに違いありません。司馬氏はいたるところで慶喜をべた褒めしています。・・・・」、まあ、体制べったりで、権力者を褒め称えればお金に不自由するはずないですね。
なまじ才能があったばっかりに上手に利用されたのでしょう。しかし、楽しくて気分良く歴史を学んだつもりになっている司馬遼太郎のファンの人は、私のような歴史観の持ち主にとっては極めて扱いにくい人種になっています。本当に迷惑な人だ。やはり、松本清張がいいですね。
歴史に学べとはよく言われることですが、私の知る限り、正しい歴史というのはどこにもないではないか。正しくない歴史を学ぶことで一体何がわかるのでしょうか。
たった一つだけでも良い。答えてください。「日本は古代には倭と呼ばれていた。」この教科書の一番最初の一言。これが歴史と言えるのですか?どこに真実があるのですか?
=転載終了=
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