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フランクフルト・シューレ(いすけ屋の戯言)
2008/12/25 11:44
昨日でひとまず田母神前空幕長名古屋講演会報告を終えたのであるが、若狭先生の配布資料には最後に「フランクフルト・シューレ(学派)」という、今日の日本を覆っている左翼思想の原点の説明がある。このことについて配布資料と、先生の「(続)日本人が知ってはならない歴史」(P196)から引用する。
若狭和朋先生のご紹介
1942(昭和17)年、福岡市生まれ。九州大学法学部卒業。某省に勤務すべきところ、人の死を契機に雲水を経て公立高校の教師となり、平成15年退職。2つの大学を経て現在執筆、講演活動中。教育学博士(Pb・D・)発言集団シューレ代表。
主な著書に『衰弱する教育』(光入社)『生徒指導言論素描』(梅文社)『エゴグラムと生徒指導の展開』(同)『日本人が知ってはならない歴史』正・続(朱鳥社)その他法律関係の論文や日本刀研究に関する著書がある。
フランクフルト・シューレ(学派)
歴史の運命の一変は1917年のロシア革命以降です。ロシア革命というのはプロレタリアート主導の社会主義革命だったとの誤解が世を覆っています。当時はロシア・ユダヤクーデターと呼ばれた事件でした。マルクスがユダヤ人なのは周知ですが、レーニン、トロツキー、ジュノビエフ、カメーネフ……など指導者の殆どはユダヤ人なのです。
先の章でも触れましたが、ルーズベルト大統領もユダヤ人です。第一次大戦の敗戦国ドイツは「社会主義革命」の危機に陥りました。有名な指導者、ローザ・ルクセンブルグやカール・リープクネヒトたちもユダヤ人です。敗戦国ドイツはワイマール共和国となりますが、主要な指導者をユダヤ人とするユダヤ・ドイツと目されていたのです。
これらへの激烈な反動がナチズムですが、ナチを逃れて多数のマルクス主義者がアメリカに亡命しました。コロンビア大学やハーバード大学を拠点にしたフランクフルト学派はつとに有名です。ルーズベルト政権を支えたニューディーラーと呼ばれる一群の人々はマルクス主義者なのです。ルーズペルトもコロンビア大学を出て、ハーバードの大学院を出ています。ルーズベルト政権の主要なスタッフの内、二百数十人、正規職員以外では三百人を下らないマルキストが含まれていました。
この中には当然に、ソ連やコミンテルンの要員が含まれていたことが『ビェノナ文書』等により明らかになっています。このことは、現在の問題に直結していることなのです。マルクス主義を古臭いと感じる向きは、ちょっと認識を改めていただきたいものです。1917年のロシア革命の成功は当時の言葉でいえば、ユダヤクーデターの成功なのです。マルクス主義の勝利と錯覚されたにすぎません。
アメリカで『西洋の死』(パトリック・J・ブキャナン著2002年)が出て衝撃を与えました。日本では『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(宮崎哲弥監訳・成甲書房)として刊行されています。このフランクフルト・シューレの理解を抜きには、今の日本や世界の世相の病根を理解することはできないでしょう。
ロシア革命の後、ハンガリー革命に敗れたルカーチは、ソ連に亡命しました。次々に敗北していくヨーロッパ革命の退潮を見て、彼は革命が起こらない原因を次のように考えました。それは人民の頭を縛る文化の力と考えたのです。彼は著書『歴史と階級意識』の中でプロレタリアートだけではない人間全体の「自己疎外」からの解放、つまり古い価値観の廃絶・それに替わる新たな価値観なしには革命の成就はありえないと考えました。
一時勝利したハンガリーの革命政府で、彼は教育人民委員(教育大臣)代理に就きました。彼は自分の理論を実践しました。学校の生徒たちは恋愛の自由や古い性道徳からの脱却を教えられました。女性は古い性道徳から脱却するように求められました。疎外からの脱却ということから、あらゆる「文化」規範が批判の対象となったのです。女性の貞操観念などは反革命的と嘲笑されました。
キリスト教、教会、家族制度、父権、権威、性的節度、伝統、国家、愛国心、尊敬心・・・・ありとあらゆる徳目や「価値」は批判されなければならないとされました。ハンガリー革命が再び敗北すると、彼はワイマール共和国(ドイツ)に逃れフランクフルト大学にマルクス研究所を創設しました。1923(大正十二)年のことです。
「古い」マルクス・レーニン主義は自覚しないままに権力奪取に成功してしまったのだ、と彼は考えました。彼のこの考えには明らかにマックス・ウェーバーの影響があります。一言だけすれば、資本主義社会の誕生には、資本主義の精神(エトス)が産業革命等を指導したからだと彼らは考えたからです。マックス・ウェーバーもユダヤ人です。革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが、文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功したと考えたのです。
このように人間を疎外している文化を破壊しなければ共産主義には到達できないのです。革命の主導者は疎外された労働者ではなく知識人でなければなりません。なぜなら、「批判理論」を駆使し、諸学問を学際的に結合し、資本主義社会の構造を批判の対象として構造化できるのは知識人だからです。インテリゲンチュアこそ物象化の止揚の任務を担う主体なのです。
フランクフルト学派というのはコミンテルン的な旧式なマルクス・レーニン主義と違って(重なった部分も大きいが)、知識人向きのマルクス主義として大学・メディアの世界に広がっていきました。マックス・ホルトハイマー、ハバー・マス、アドルノ、フロム、ライヒ、ベンヤミン、マルクーゼたちが有名ですが、日本国憲法制定工作で名の出るノイマンも、その一人です(先出)。日本人では、あの福本イズムの福本和男氏が初期の招介者です。
さて、マッカーサーです。彼は総司令部(GHQ)の最高司令官ですが、部下の多数のニューディーラーたちの跋扈と、その正体を知り衝撃を受けたようです。農地改革も財閥解体、そして日本国憲法などはニューディーラーたちの「遺産」なのです。
安倍政権が教育改革や憲法改正に意欲を見せましたが、根は深いのです。戦前の日本も深い部分には、マルクス主義者の潜伏を抱えていました。ゾルゲ・尾崎の事件が有名ですが、この事件は露頭部の一部に過ぎません。ニューディーラーたちの改革によって、戦後の日本の言語空間はマルクス主義者たちの支配するところとなったのです。日本の大学やマスコミ世界の現状は、敗戦日本の戦後利得者の利権構造にほかならないのです。
日本で有名なフランクフルト学派の大物の名をあげておきましょう。都留重大氏です。アメリカ共産党のポール・スウィージーとの親交も知られています。都留氏の同志がノイマンです。ちなみに都留重大氏の岳父は和田小六であり、和田氏は東工大の学長にもなりますが、彼は木戸幸一内府の実弟です。昭和天皇のすぐ側までコミンテルンの影が見え隠れしています。日本の大学の人事に通じている人なら、巨大な左翼支配の利権構造が直ちに理解できることと思います。
高校教師の世界も同じです。殆どの都道府県で教育委員会の最高幹部の中に「隠れキリシタン」ならぬ、隠れマルキストがいます。現に文部省の最高幹部(事務次官)は「カクメイをやるには入るしかない」と若き日には公言していました。
彼は今日の「ゆとり教育」なる教育破壊の責任者のひとりです。名など知る大子知るです。彼は文部省(旧)のキャリアとして人省していきました。彼らの生き方のモデルは編しも可のマルクーゼです。彼はライヒやフロムを引きながら父権の確立した家族、つまりは権威主義的家族は全体主義や軍国主義の基盤になるから、家族ではなく個人の人格を尊垂する家庭にならねばならないのだと言っています。そして次官君は、民主教育の理論を体した者こそが、教育界を指導しなければならないとルカーチを賞讃していました。
「俺は国家の中枢に入るつもりだ。プロレタリアートなんぞ、いまは幻想だ。二・ニ六(事件)で、俺は一個中隊を指揮したかった。諸君もこれからどんどん国家の中枢に入れよ。総評(当時)なんかにいくら説教しても革命は来ない。中からそして上から知力と権力で革命はやるのだ。マルクスも『ドイツ・イデオロギー』あたりではそう言えばよかったのだ。マックス・ウェーバーはマルクスの裏を取ったのだ。ルカーチはそれを知ったのだ。だから潜るさ……」
二十三歳当時の会話でした。彼は文部省に入りました。そして彼は、ジェンダーフリーやゆとり教育の旗手でいます。同類の一人が外務大臣なった時には、私はさすがにささやかな義憤を感じたものです。
私は法学の徒ですが、東大法学部憲法学(元)教授宮沢俊義氏(この先生はフランクフルト・シューレとして令名が高い)門下のイデオローグたちが何を考えているかぐらいは想像できるつもりです。GHQ御用達のフランクフルト・シューレの牙城は簡単には揺るがないでしょう。皇室典範改定の「クーデター」(未遂)騒ぎは確信犯たちの所業なのです。小泉首相が危うく「拉致」を逃れることができたのは、ただ秋篠宮家の親王御誕生のお陰にほかなりません。
(引用終り)
(いすけ屋)
以前にも若狭和朋先生の「日本人が知ってはならない歴史」(正・続)を紹介したことがあるが、ほんとうに目から鱗とはこの事を言うのかと思う。2004年には既に発行されていたから、田母神氏もおそらくこの本の影響を受けているに違いない。未読の方には是非とも一読をお勧めする。
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/848555/
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