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ウォール街とボルシェビキ 第11章 銀行家達と革命の同盟
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/516.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2011 年 7 月 20 日 08:37:42: tZW9Ar4r/Y2EU
 

第十一章

銀行家達と革命の同盟

ロックフェラーという名前は革命論者を暗示しておらず、私の生活状況は保守主義に近い、注意深く慎重な態度を育成してきた。私には正道から逸脱した動機はない・・・

ジョン・D・ロックフェラー三世、第二アメリカ革命(ニューヨーク:Harper & Row.1973年)

提示された証拠:概要

ジョージ・カトコブ、ステファン・ポッソニィ、およびミカエル・フトエルによって既に出版されている証拠は、レーニンおよび彼の仲間の放逐されたボルシェビキ主義者達のロシアへの帰国やそれから2〜3週間遅れのメルシェビキ主義者達の帰国がドイツ政府によって金融支援され組織化されたということを立証している。1 必要とされた資金の一部は、オロフ・アシュベルグが所有するストックホルムのNya Bankenを通して送られた。そしてそのドイツの2つの目的は、(a)ロシアを戦争から撤退させること、(b)戦後のロシア市場支配 であった。2

脚注
1 Michael Futrell, Northern Underground (London: Faber and Faber, 1963); Stefan Possony, Lenin: The Compulsive Revolutionary (London: George Allen & Unwin, 1966); and George Katkov, "German Foreign Office Documents on Financial Support to the Bolsheviks in 1917," International Affairs 32 (Royal Institute of International Affairs, 1956).

2 Ibid., especially Katkov.


p. 169

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ロシア革命中および革命前後におけるボルシェビキ銀行家オロフ・アシュベルグとニューヨークのモルガン支配下のGuaranty Trust Companyの間に、絶えることなく関係が続いていたことを証明するために、我々はこの証拠を今越えている。ロシア帝政時代、アシュベルグはロシアにおけるモルガンのエージェントで、合衆国におけるロシア公債の交渉人であった。1917年、アシュベルグは革命家達のための融資仲介人で、革命後、アシュベルグは最初のソビエトの国際銀行であるRuskombankの頭取になった。一方、モルガン支配下のGuaranty Trustの副会長マックス・メイは、Ruskombank外国部の取締役部長になった。我々は、Guaranty Trust Companyとボルシェビキの間に絶えることなく続いていた関係があったという文献に基づく証拠を提示した。1917年におけるGuaranty Trustの取締役はAppendix 1 に列挙した通りである。

更にまた、ウォール街の銀行家から国際革命家への資金移動の証拠がある。たとえば、ニューヨークの連邦準備銀行の取締役で、ロックフェラー支配下のChase Bankの大株主で、またグッゲンヘイムス一族およびモルガン一族の金融業仲間であるウィリアム・ボイス・トンプソンの(海底電信によって実証されている)言明があり、彼(トンプソン)はプロパガンダ目的でボルシェビキ革命に百万ドル寄付していたのである。他の例は、ニューヨークの民間銀行家であるユゲネ・ボイッセバインによって融資支援された第三インターナショナル実行委員会のアメリカのメンバーであり、またハリー・ペイン・ホイットニーのMetropolitan magazineに雇われていたジョン・リードである。ホイットニーはその当時Guaranty Trustの取締役であった。合衆国駐在の最初のソビエト大使であったルドウィグ・マルテンスは、(英国諜報部長バシル・トンプソン卿によれば)Guaranty Trust Companyからの資金によって支えられていたということも我々は立証した。合衆国におけるトロツキーの財源を追跡して、まだ確認する必要性が残っているものの、ニューヨークにおけるドイツ起源であることをつきとめている。そして、トロツキー財源の正確なドイツ起源を知らないけれども、合衆国におけるドイツ人スパイのボスであったバン・パヴェンステッドは、Amsinck & Co.の年長のパートナーでもあったことを我々は知っている。Amsinckは、いつも存在するAmerican International Corporationの子会社で、J.P.モルガン商会の支配下にもあった。

更に、Guaranty Trustを含むウォール街の企業は、メキシコにおけるカランザとヴィラの戦時下の革命活動に絡んでいた。今日では中国における毛沢東革命の前ぶれとして中国共産党に是認されている革命、すなわち1912年の孫文革命に対して、ウォール街のシンジケートが融資したことに関しての文献に基づく証拠も我々は明らかにした。このシンジケートのために孫文との交渉を担当したニューヨークの弁護士チャールズ・B・ヒルは、Westinghouseの子会社3社の取締役であって、ロシアのWestinghouseのチャールズ・R・クレーンはロシア革命に絡んでいたことを我々は示した。


p. 170

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金融から全く離れたところでも、ボルシェビキ運動におけるウォール街の関与についての他の、そして多分より意義のある証拠を我々は見出した。ロシアへのアメリカ赤十字派遣団はウィリアム・B・トンプソンの個人的な投機的事業であって、彼はボルシェビキへの遊撃兵的支援を公然と申し出ていた。現在では入手可能となっている英国戦時内閣の書類に、英国の政策は1917年12月のトンプソンとロード・ジョージの個人的な干渉によってレーニン-トロツキー体制に方向転換されたと記録されている。我々はトンプソン取締役とウィリアム・ローレンス・サンダース副議長の声明を再現した。両者は共にニューヨーク連邦準備銀行所属であり、ボルシェビキに極めて好意的であった。ジョン・リードはウォール街から融資を受けただけではなく、彼の活動に対して一貫した支援を受けていて、American International Corporationの社長室長ウィリアム・フランクリン・サンヅによる国務省への干渉というレベルの支援さえ受けていた。ロバート・マイナーの反政府的扇動運動においては、エドワード・ハウス大佐がマイナーを解放させるように干渉したという強い兆候およびある状況証拠がある。マイナー事件の意義は、ドイツにおけるボルシェビキ革命に対するウィリアム・B・トンプソンのプログラムはドイツで拘留されていた時にマイナーが実行したまさにそのプログラムであったということである。

たとえばアェクサンダー・ガンベルグのような何人かの国際エージェントがウォール街とボルシェビキのために働いた。1917年、ガンベルグはペトログラードの合衆国の会社の代表者であって、トンプソンのアメリカ赤十字派遣団のために働き、ノルウェイを去るまでの間、スカンジナビアにおけるボルシェビキエージェントのボスになっていた。その後、ニューヨークのChase Bankのリーブ・シュレイやAtlas Corporationのフロイド・オディウムの腹心の補佐人になった。

ボルシェビキのためのこの活動は、大部分が単一の住所 ―ニューヨーク市ブロードウェイ120番地― から発せられていた。この観察に対する証拠は概説したが、何故、活動が単一の住所に異常に集中しているかについては結論的な理由を述べなかった。ただし、J.P.モルガンが国内左翼に潜入しているというキャロル・クイグレイの告発の海外での複製であるように思えると述べた。モルガンはまた、国際左翼にも潜入していた。

p. 171
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ニューヨーク連邦準備銀行の所在地はブロードウェイ120番地であった。この親ボルシェビキ活動のための手段はAmerican International Corporationであり、その所在地もブロードウェイ120番地であった。AICは、ボルシェビキ体制に関する見解を述べるように、革命が始まって僅か2〜3週間後に、ロバート・ランシング国務長官によって求められ、AICの社長室長サンヅはボルシェビキ運動に対する彼の熱狂をほとんど抑制できなかった。最初のソビエト大使ルドウィグ・マルテンスはWeinberg & Posnerの副会長であったが、その会社の所在地もブロードウェイ120番地であった。Guaranty Trust Companyは隣のブロードウェイ140番地であったが、Guaranty Securities Co.はブロードウェイ120番地であった。1917年、Hunt, Hill & Betts社はブロードウェイ120番地で、この会社のチャールズ・B・ヒルは孫文との取引における交渉人であった。スウェーデンのオロフ・アシュベルグおよび合衆国のGuaranty Trustによって融資され、軍諜報部のブラックリストに載っていたJohn MacGregor Grant Co.は、ブロードウェイ120番地だった。Guggenheims社および(American Internationalにも参加していた)General Electric社の執行部の中核はブロードウェイ120番地であった。それ故、銀行家クラブもブロードウェイ120番地の最上階(34階)にあったということは、別段驚くべきことではない。

ボルシェビキに対する支援が革命の強化をもって終わることがなかった点は意義深い。したがって、この支援はドイツとの戦争の期間だったからだとは全面的に説明され得ない。ロシアにおける特権を得るために1918年に作られたアメリカ-ロシア・シンジケートは、ホワイト、グッゲンヘイム、およびシンクレア財閥によって支援された。これらの3人の金融業者に支配された会社の取締役として、トーマス・W・ラモント(Guaranty Trust)、ウィリアム・ボイス・トンプソン(連邦準備銀行)、およびジョン・リードの雇い主であったハリー・ペイン・ホイットニィ(Guaranty Trust)が含まれている。これは、革命中のボルシェビキ運動に対してより早急な支援して儲けるために、そのシンジケートが作られたことを強く示唆している。そして、1919年におけるニューヨークのソビエト支局をGuaranty Trustが金融支援していたことを我々は突き止めた。

以前の政治的および金融に関する支援が期待の成果を上げようとしている最初の現実的で具体的なシグナルは、ソビエトが最初の国際銀行Ruskombankを創立した1923年にやってきた。モルガンの仲間オロフ・アシュベルグはこのソビエトの銀行の名目上の頭取となり、Guaranty Trustの副会長マックス・メイはRuskom-bankの取締役となり、RuskombankはGuaranty Trust Companyをその合衆国における代理店に即座に任命した。


邪悪な同盟に対する説明

どのような動機が資本家とボルシェビキのこの連携を説明するだろうか?

p. 172
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ロシアはその当時の世界における最大の未開発市場であり、今でもそうである。更に、ロシアは当時も今もアメリカの産業および金融の覇権に対する最大の潜在的な競合する脅威である。(広い土地を有するロシアとより小さな合衆国の間の地形上の差異が目立っていることを知るには、世界地図を一目すれば十分である。)ウォール街は、アメリカを超える巨大産業国家としてロシアを思い描いたとき、寒さで身震いするに違いない。

しかし、何故、ロシアが合衆国の覇権に対する競合者・挑戦者になるのを許したのであろうか? 19世紀末、モルガン/ロックフェラーおよびグッゲンヘイムは独占的傾向を明白にしていた。農民ではなく鉄道所有者が彼らの独占を維持し、競合者を排除するために、鉄道が国家的にコントロールされることを如何にして望んだかということを、「鉄道と規制、1877−1916年」において、ガブリエル・コルコは立証した。それ故、我々の証拠の最も簡単な説明は、ウォール街金融業者のシンジケートは彼らの独占野望を拡大し、独占領域の水平線をグローバルに拡張したということである。巨大なロシア市場は、強大な力を持つアメリカの金融業者および彼らの支配下にある会社によって開拓されるべき専属の市場および特殊な植民地に変換されようとした。アメリカの産業の言いなりであった各州相互通商委員会および連邦通商委員会が国内においてその産業のために成し遂げたのと同じことを、ウォール街とワシントンD.C.の適切な援助および誘導の下で、計画的に作られた社会主義政府を使って海外において成し遂げようとしたのであろう。

最後に、この説明が余りに急進的と思わないならば、以下のことを思い出して欲しい。赤軍を強化するために独裁的将軍を任命したのはトロツキーである。革命下のロシアをコントロールし、ソビエトのために仲介するように、アメリカの公務員に訴えたのはトロツキーである。ロシア革命における自由主義者を、そして次に労働者および農民を鎮圧したのはトロツキーである。しかも、記録に残されている歴史において、革命の裏切りに怒り、白軍および赤軍と戦った元ボルシェビキからなる70万人の緑軍が全く持って無視されているのである。言い換えれば、ボルシェビキ革命とは、国家統制主義者、すなわちロシアにおける純粋に革命的な自由主義者に対抗して提携した国家統制主義革命家と国家統制主義金融業者の同盟であったのである。3

読者は、ここにおいて、これらの銀行家達も隠れボルシェビキだったのだろうかという疑問を抱いているに違いない。否、勿論、そうではなかった。金融業者達にイデオロギーなんてものは無い。どんなに狭い意味においても、ボルシェビキへの支援がイデオロギーに押されたものであると考えることは、著しい誤解であろう。金融業者は権力に関心があり、それ故、権力への入り口を提供してくれる可能性があるならば、どのような政治的組織であろうとも支援した。トロツキー、レーニン、皇帝、コルチャク、デニキン ― 彼らはすべて多かれ少なかれ支援を受けていた。すなわち、本当に自由な産業社会を望む人々以外ならば誰でも支援したのである。

脚注
3 See also Voline (V.M. Eichenbaum), Nineteen-Seventeen: The Russian Revolution Betrayed (New York: Libertarian Book Club, n.d.).


p. 173

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支援は、国家統制主義ボルシェビキおよび国家統制主義反ボルシェビキのいずれにも限定されなかった。ジョン・P・ディッギンスは「ムッソリーニとファシズム:アメリカからの見地」4において、Guaranty Trustのトーマス・ラモントについて次のように記している。

すべてのアメリカ人実業家のリーダのうち、ファシズム運動を最も精力的に後援した人物はトーマス・W・ラモントであった。強力なJ.P.モルガンの銀行業ネットワークのヘッドであったラモントは、イタリアのファシスト政府のためのビジネスコンサルタントの重要人物として仕えた。

ラモントは、特に厳しい状況であった1926年にイタリアの独裁者ムッソリーニのために1億ドル貸付の保障をした。Guaranty Trustのその取締役は、国内の共産主義者コーリス・ラモントの父親であったということも我々は思い出すかも知れない。双子の全体主義システムである共産主義とファシズムに対するこの片手落ちでない公平なアプローチはラモント家だけに限られたことではない。たとえば、American International CorporationとKuhn, Leob & Co.の取締役オットー・カーンは、「イタリアに投資されたアメリカ資本は安全、励み、機会、および報酬を見つけるであろう」5ということを確信していた。その目的が彼の目的であったところの産業民主主義の社会主義者リーグ(socialist League of Industrial Democracy)について1924年に講演していた人物が同じオットー・カーンである。6 オットー・カーンによれば、彼らはこれらの目的を達成するための手段を通じてのみ異なっていた。 

ロックフェラーの広報担当者アイヴィ・リーは同様の宣言をしていて、1920年代後期において騙され易いアメリカの大衆にソビエト体制を売り込む責任者であった。国務省のロシア部局に勤務し、ウィリアム・フランクリン・サンヅの以前の仲間であったバシル・マイルスは、ボルシェビキ運動をプロモートする実業家達を明らかに手助けしたが、1923年に同じマイルスは親ファシズム記事「イタリアの黒シャツとビジネス」7を著わしたということも、我々は見てきた。ファシスト達の成功はイタリアの若さを表しているとマイルスは書いていたが、その一方でファシスト運動を賛美し、アメリカのビジネスのためのその評判に拍手を送っていた。


マルブルグ計画

アンドリュー・カーネギーの膨大な遺産によって融資されたマルブルグ計画は、20世紀初頭に立案された。それはこの種の見かけ上の統合失調症が前もって計画されていたことを示唆していて、それはつまり権益獲得のための統合されたプログラム ―「もしカーネギーと彼の無限の資産があるならば、国際金融家および社会主義者は、平和を強化するためのリーグ形成を屈服させるための運動において組織化され得るであろうこと」8― を覆い隠すものであった。

脚注
4 Princeton, N.J.: Princeton University Prss, 1972.

5 Ibid., p. 149.

6 See p. 49.

7 Nation's Business, February 1923, pp. 22-23.

8 Jennings C. Wise, Woodrow Wilson: Disciple of Revolution (New York: Paisley Press, 1938), p.45


p. 174

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マルブルグ計画によれば、世界の各政府は社会主義化され、その結果、"議会を支配し、平和を強化し、人類のすべての政治悪に対する特効薬を与えるために"9究極の権力が国際金融家達の手に委ねられるであろう。

このアイデアは、同様の目的を持った他の要素とも結び付けられていた。イングランドのミルナー卿は、マルクス主義の美徳と将来性を認識していた銀行業財閥の大西洋の向こうにある例を与えている。ミルナーは英国の戦争時に影響力があった親マルクス主義の銀行家であった。10 ニューヨークにおいて1903年に社会主義者"X"クラブが創立された。それは、メンバーとして、共産主義者リンカーン・ステフェンス、社会主義者ウィリアム・イングリッシュ・ウォーリング、共産主義銀行家モリス・ヒルキットだけではなく、ジョン・デウェイ、ジェームス・T・ショットウェル、およびラフス・ウィークス(New York Life Insurance Companyの副会長)を含んでいた。ニューヨークのAstor HotelにおけるEconomic Clubの年に一度の会議に、社会主義演説家が臨席していた。1908年、Chase National Bankの頭取A.バートン・ヘプバーンがEconomic Club会長であったとき、メインのスピーカは前述のモリス・ヒルキットであり、彼は"富裕層および金融財閥を代表する群集に対して社会主義を伝道するのに、あり余るほどの機会を持った"。11

これらの思いも寄らない種子から近代の国際主義者運動が成長し、その運動には、金融家カーネギー、ポール・ウォーバーグ、オットー・カーン、ベルナルド・バルチ、ハーバート・フーバーだけではなく、カーネギー財団およびその後継者International Conciliationが関与していた。我々が見てきたように、カーネギーの被信託人はAmerican International Corporationの取締役会において突出していた。1910年、カーネギーは国際平和のためのカーネギー基金設立のために1千万ドルを寄付した。そのカーネギー財団の取締役会のメンバーとして、エリフ・ルート(1917年のロシアへのルート派遣団)、クリーブランド・ドッジ(ウィルソン大統領の融資銀行家)、ジョージ・W・パーキンス(モルガンの仲間)、G・J・バルチ(AICとAmsinck)、R.F.ヘリク(AIC)、H.W.プリチェット(AIC)、および他のウォール街のお偉方が含まれていた。ウッドロー・ウィルソンはこの国際主義者グループの強力な影響下にあって、実際に彼らから借金をした。ジェニングス・C・ワイズが書いているように、"レーニンがアメリカのパスポートを持ってロシアに入国することを可能にしたのはウッドロー・ウィルソンであったということを歴史家達は決して忘れてはならない。"12


脚注
9 Ibid., p.46

10 See p. 89.

11 Morris Hillquit, Loose Leaves from a Busy Life (New York: Macmillan, 1934), p. 81.

12 Wise, op. cit., p. 647


p. 175

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しかし、レオン・トロツキーも彼自身、国際主義者だと宣言していた。ある関心とともに、彼の高レベルな国際主義者との繋がり、あるいは少なくともカナダにおける友人達に、我々は注目してきた。その時、多くの人々が彼はそうだろうと理解しようと努めたけれども、トロツキーは親ロシアでも親同盟軍でも親ドイツでもなかった。トロツキーは世界革命、世界独裁政権を望んでいた。13 彼は簡単に言えば国際主義者であった。ボルシェビキおよび銀行家はその当時、この重要な共通の基盤―国際主義―を持っていた。もし革命の結果がより中央集権化された権威を樹立することになるのであれば、革命と国際金融は全く矛盾しない。国際金融は中央政府を相手にするのを好む。銀行共同体が最も望まない事は、放任主義経済および地方分権化された力である。なぜならば、これらは力を分散させるからである。

それ故、これは証拠に合致する説明である。この一握りの銀行家およびプロモータはボルシェビキでも共産主義者でも社会主義者でも民主主義者でも、更にアメリカ人でもなかった。何よりも先ず、これらの男達は市場を、望むらくは専属の国際的な市場 ―究極のゴールとしての専属の世界市場の独占― を欲した。ロシア人、ドイツ人、あるいは(魔法で守られたサークルの外にいたアメリカの実業家を含む)その他の人々との競合の恐れ無しに独占的に開拓されえる市場を彼らは欲した。この閉鎖的なグループは政治に無関心で道徳観念がなかった。1917年、そのグループは一途な目的 ―平和を強化するためのリーグというシェルターの下に提供され、知的に保護されたロシアにおける専属市場を得るという目的― を持った。

ウォール街は実際にそのゴールに達した。このシンジケートに支配されたアメリカの会社は後に進出し、ソビエト連合を創立しようとし、現在ではソビエト軍産複合体をコンピューター時代に連れて行こうという途上にある。

脚注
13 Leon Trotsky, The Bolsheviki and World Peace (New York: Boni & Liveright, 1918).

p. 176
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今日、その目的はまだ生きていて健在である。 ジョン・D・ロックフェラーは、タイトル頁において五つ星を誇示する彼の著書「第二のアメリカ革命」において、それについて詳しく説明している。14 その本は、我々の第一の優先課題は他人のために働くことであるという、ヒューマニズムについてのあからさまな口実を含んでいる。すなわち、集産主義のための口実である。ニューマニズムは集産主義である。一世紀に亘ってこのヒューマニズムの概念を振興してきたロックフェラー一族は彼ら自身の資産を他人に渡すことがなかったことは注目に値する。我々全員がロックフェラー一族のために働くということが、彼らの推奨の中に多分含蓄されている。ロックフェラーの本は、"用心深い保守主義"および"公共の利益"といううわべの下、集産主義を振興している。それは実質的には、以前の集産主義者企業のモルガン-ロックフェラー支援および個人の権利の全転覆の持続のための口実である。

要約すると、世界平和および人間的良識を主張するエリート仲間による自己権力の拡張に対する策略および弁解として、公共の利益が利用されてきて、今日でも利用されている。しかし、資本主義と共産主義の間の不変のマルクス主義的矛盾という見地で世界史を見ている限り、国際金融と国際革命の間のそのような同盟の目的に気付かないままとなる。略奪者達による公共の利益振興の滑稽さも気付かないままになる。もし、読者がこれらの同盟にまだ騙されているならば、これらの同じ国際財閥およびプロモータが他の人々が何をすべきかをいつも喜んで決定するが、彼ら自身の富と権力を捨てるために先ず同調することに対しては著しく抵抗するという明白な事実について熟考すべきである。彼らの口は開いているが、ポケットは閉じている。

社会を搾取するために独占主義者が使うこのテクニックは、20世紀初め、フレデリック・C・ハウエによって「独占主義者の告白」15の中で述べられている。先ず第一に政治はビジネスの必要部分であるとハウエは言っている。産業を支配するためには、議会と規制者を支配すること、およびその結果として、独占主義者のために社会を動かすことが必要である。そうして、ハウエによれば、独占主義者が成功するための二つの原則は、「第一に社会を独占主義者のために働かせること、第二に政治からビジネスを作ること」16である。これらは基本的な"ビッグ・ビジネスのルール"であると、ハウエは書いている。

脚注
14 In May 1973 Chase Manhattan Bank (chairman, David Rockefeller) opened it Moscow office at 1 Karl Marx Square, Moscow. The New York office is at 1 Chase Manhattan Plaza.

15 Chicago: Public Publishin, n.d.

16 Ibid.

p. 177
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この途方もなく凄まじい目的が議会や学界にも知られていたという何らかの証拠はあるのであろうか? 確かにその可能性は知られていた、しかも公的に知られていた。たとえば、革命についての巧妙なコメンテータアルバート・リス・ウィリアムスの上院監督委員会における証言が証明している。:

・・・ソビエト政府の下では通常の資本主義システムの下におけるよりも、たぶん産業の発展がはるかにゆっくりになるであろうことはたぶん正しい。しかし、アメリカのような大産業国家が何故別の大産業ライバルを望むべきなのであろうか? この点に関するアメリカの利益は、ソビエトロシアがそれ自身のために計画する発展のスローテンポと同調しないのか?

ウォルコット上院議員:それならば、ロシアを抑圧することはアメリカの利益であると、あなたは主張するのか?

ウィリアムス氏:抑圧ではなく・・・

ウォルコット上院議員:アメリカは、何故ロシアがアメリカの産業対抗国になることを望むべきなのか?

ウィリアムス氏:これは資本家としての立場からの発言です。アメリカの全体利益で言えば、既に市場で競合しているドイツ、英国、フランス、およびイタリアのような別の大産業ライバルを持つべきではないと思います。ソビエト政府以外の他の政府ならば、たぶん発展のテンポまたは速度は大きくなると思います。そして、我々は別のライバルを持つでしょう。勿論、これは資本家としての立場からの発言です。

ウォルコット上院議員:アメリカの人々にアピールするかも知れないとあなたが思っている議論を、あなたはここで提示している。あなたの議論の要点は、あるがままのロシアのソビエト政府を我々が是認するならば、何年もの間、産業において我々と対抗できないであろう政府を我々が是認することと同等だということだ。

ウィリアムス氏:それが真相です。

ウォルコット上院議員:それは、ソビエト政府ロシアが少なくとも何年もの間アメリカに産業的に近付けるポジションにないという議論だ。

ウィリアムス氏:全くその通りです。17

そして、アルバート・リス・ウィリアムスの率直な言明において、過去半世紀に及ぶロシアの歴史の解釈は、修正主義者にとっての基本的な手がかりである。

脚注
17 U.S., Senate, Bolshevik Propaganda, hearings before a subcommittee of the Committee on the Judiciary, 65th Cong., pp. 679-80. See also herein p. 107 for the role of Williams in Radek's Press Bureau.

p. 178

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ウォール街、いやむしろブロードウェイ120番地およびウォール街14番地のモルガン-ロックフェラー複合体は、ウィリアムスの議論に極めて近い何かを計画していた。ウォール街はボルシェビキのためにワシントンを支持した。それは成功した。ソビエトの全体主義体制は生き延びた。1930年代に、ほとんどがモルガン-ロックフェラーのグループに属する外国の企業が50年計画を立てた。彼らは、引き続き、ロシアを経済的および軍事的に作り上げた。18 一方、ウォール街は朝鮮戦争とベトナム戦争をたぶん予見しなかった。それらの戦争において、10万人のアメリカ人および数え切れない同盟軍の兵士が、この同じ輸入されたアメリカの技術で作り上げられた軍備のために彼らの生命を失った。先見の明があり、疑いなく得だと思われたウォール街シンジケートの政策は、エリートの権力グループおよび支配者階級の外の何百万人もの人々にとっては、悪夢となった。

脚注
18 See Antony C. Sutton, Western Technology and Soviet Economic Development, 3 vols. (Stanford, Calif.: Hoover Institution, 1968, 1971, 1973); see also National Suicide: Military Aid to the Soviet Union (New York: Arlington House, 1973).


p. 179


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