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第十章
J.P.モルガン、もう一方の側を少し援助する
私は、モルガンの動機と態度について何かを学べる可能性がないならば、彼と昼食を共にすることはないであろう。
ウィリアム・E・ドッド、ドッド大使の日記、1933−1938年
これまで我々の物語は、単一の主要な金融一族、すなわち合衆国における最大の企業合同会社であり、J.P.モルガン商会に支配されたGuaranty Trust Companyのまわりで展開してきた。Guaranty Trustは革命の前後においてロシアでの仲介者としてボルシェビキ銀行家のオロフ・アシュベルグを使った。Guarantyはルドウィグ・マルテンスおよび合衆国における最初の代表機関であった彼のソビエト支局の後援者であった。そして1920年半ばにおいて、Guarantyは合衆国におけるソビエトの金融エージェントで、ソビエトの金の合衆国への最初の輸送もまた、Guaranty Trustまで辿り着く。
この親ボルシェビキ活動に対して驚くべき逆の側面がある。Guaranty Trustは過激な反ソビエト組織であるUnited Americansの創設者であったが、そのUnited Americansは1922年まで共産主義襲来を騒々しく脅かし、2千万ドルのソビエト資金が共産主義革命に資金を提供する途上にあると主張し、街でのパニックおよびニューヨーク市での大量餓死を予想した。勿論、この二重性はGuaranty Trustおよびその重役達の意図について重要な疑問を提起する。ソビエトと取引し、ソビエトをバックアップさえすることは、政治に無関心な強欲心あるいは単なる利益に対する動機によって説明されえる。一方、恐れとパニックを生み出すためのプロパガンダを広め、同時に恐れとパニックを生じさせる条件を促進することは、相当より重要な問題である。それは極めて異常な倫理上の腐敗を暗示している。先ず、反共産主義組織United Americansをより詳しく調べてみよう。
p. 163
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共産主義との闘いのために創設されたUnited Americans1
1920年にUnited Americansなる組織が創設された。その組織は合衆国の市民に制限されていて、5百万人の会員を集める計画で、"その唯一の目的は社会主義者、共産主義者、ロシアの組織で急進的な農民の団体であるI.W.W.の教義と戦うことであったろう"。
言い換えれば、United Americansは反資本主義者と考えられる全ての機関やグループと戦うことであった。
United Americansを創設するために作られた暫定的な組織の職員は、Guaranty Trust Companyのアレン・ウオーカー、Baltimore & Ohio Railroadの会長ダニエル・ウィラード、Westinghouse Air Brake CompanyのH.H.ウェスティングハウス、Kuhn, Loeb & CompanyおよびAmerican International Corporationのオットー・H・カーンであった。これらウォール街の住人は種々雑多な大学の学長およびニュートン・W・ギルバート(フィリピンの元支配者)によってバックアップされていた。一目で明らかなように、United Americansは支配階級の資本家が融資・加入することを期待されるような種類の組織であったのは正確である。その創設は驚くほどのことではなかったであろう。
一方、既に見てきたように、これらの金融業者はロシアのソビエト体制をサポートすることにも深く関与していた。ただし、そのサポートは隠されていて、政府ファイル内のみに記録されていて、50年間も公にされなかったのであるが。United Americansの役割として、ウオーカー、ウィラード、ウェスティングハウス、およびカーンは二重のゲームを演じていた。反共産主義組織の創設者オットー・H・カーンは、英国の社会主義者J.H.トーマスによって"光に面した顔"を持つと報告されている。カーンはトーマスの本の序文を書いている。1924年、オットー・H・カーンは産業民主化のためのリーグに取り組んでいて、この活動的な社会主義グループとの共通した目的を公言していた(p. 49 参照)。Baltimore & Ohio Railroad(ウィラードの雇い主)は1920年代においてロシアの発展に積極的であった。United Americansが創設された1920年、ウェスティングハウスは、国有化から除外されていたロシアのプラントを操業していた。そして、Guaranty Trustの役割は既に詳細に述べた通りである。
脚注
1 New York Times, June 21, 1919.
p. 164
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アメリカ人連合(United Americans)、赤に関する"驚くべき事実"を暴露する
1920年3月、New York Times は2年以内の共産主義による合衆国侵略についての長く詳細な恐怖話を主要見出しとして掲載した。その侵略は、"ロシア貴族階級の殺害と強奪によって得られた"2 2千万ドルのソビエト資金によって資金供給されるというものであった。
United Americansは合衆国における"急進的な活動"をサーベイし、"政府の代表形式と個人所有の権利を保障する合衆国憲法を維持するための"組織として、その役割に即してそうしたということが明かされた。
更にそのサーベイは、"オットー・H・カーン、Guaranty Trust Companyのアレン・ウオーカー、ダニエル・ウィラード他を含む" 執行役員によって支援されたことが公表された。そのサーベイは、
急進派のリーダ達は2年以内に革命を達成する自信があり、それはニューヨーク市においてゼネストとともに始まるであろうことや、共産主義リーダー達は大殺戮を予言し、ロシアのソビエト政府は合衆国の急進派運動に2千万ドルを与えた
ということを断言していた。1920年半ば、Guaranty Trustへ輸送されたソビエトの金(それぞれ49.14kgの540個の箱入り)は、大よそ(トロイ・オンス当り20ドルで換算して)1,500万ドルの値打ちがあって、ロバート・ダラーおよびオロフ・アシュベルグを通して輸送された他の金は総額で2,000万ドルに極めて近かった。急進派運動のためのソビエトの金についての情報は"完全に信頼できる"と判定され、"政府はその情報に目を向けようとしつつ"あった。共産主義者は4日以内にニューヨークを飢えさせ降伏させることを計画していると力説された。
また一方で、共産主義者は彼らの理想を進展させるために次の2〜3週間以内の金融パニックを期待している。パニックは労働者達の間に貧窮をもたらし、その結果、彼らは革命の教義に感染し易くなるであろう。
United Americansのレポートは、合衆国の急進派の数を著しく誇張して述べていて、最初は2百万人とか5百万人のような数字を挙げていたが、最後には4つの組織において正確に3,465,000人だとしている。そのレポートは殺戮の可能性を強調して終わっていて、「International Publishing Associationの会長かあるいは共産党の党首で、共産主義者が社会の現在の形態を完全に破壊する時が間も無く来るであろうと誇らしげに話すスカゼウスキ(Skaczewski)」を引用している。
要約すると、United Americansは、確証された証拠がなく、市民を怯えさせてパニックに陥らせるために設計されたレポートを発行したのである。経過の意義深いポイントは、これはソビエトを防衛・援助・支援したのと同じグループであったということであり、彼らはこれらの同じ計画を引き受けることができた。
脚注
2 New York Times, March 28, 1920.
p. 165
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アメリカ人連合(United Americans)に関する結論
これは左手がしていることを右手が知らないという事例なのだろうか? 多分、そうではない。我々は会社のトップ、そのことで大いに成功した会社について話しているところである。それ故、United Americansは多分、ロシア市場に参入するために為されていた秘密裏の奮闘から公衆の ―そして公的な― 注意をそらすための策略であった。
United Americansは、ソビエト体制を支援するその一方で、ソビエトに反対する最前線にいた組織として、本書の著者が知っている、文献で確認できる唯一の組織である。これは決して矛盾した行為ではなく、次の見方に焦点を当てた更なる調査研究が少なくとも必要である。
(a)権力機構として一般に知られている影響力あるグループによる二重行動の他の例があるか?
(b)これらの例が他の領域に拡張され得るか? たとえば、労働争議がこれらのグループによって扇動された証拠があるか?
(c)これらの挟み撃ち戦術の究極の目的は何であるか? それらの戦術が、テーゼとアンチテーゼの対立が統合(synthesis)を生み出すというマルクス主義の原理に関係しているか? もし、目的が共産主義世界であり、弁証法を受け入れるならば、マルクス主義運動がまっこうから資本主義を何故攻撃するのかは難題である。もし、その目的が共産主義世界であるならば、―すなわち共産主義が望ましい統合であるならば― 資本主義はテーゼであり、資本主義や共産主義と異なる何かがアンチテーゼでなければならない。それ故、共産主義と資本主義の2つのシステムを統合し、まだ述べられていないある世界システムを構築するという革命家グループおよびその後援者にとって、資本主義がテーゼで共産主義がアンチテーゼであり得るのであろうか?
p. 166
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モルガンとロックフェラーは、コルチャクを援助する
ソビエト支局とUnited Americansを支援するこれらの努力と同時に、Guaranty Trustを支配するJ.P.モルガン商会はボルシェビキの主要な対抗者の一人であるシベリアのアレクサンドル・コルチャク(Aleksandr Kolchak)提督の経済的な援助をしていた。1919年6月23日、マソン下院議員は連邦議会決議案132を提出した。その決議案は、"新聞記事の真実に関して、全ておよび異常なものについて取調べをすること"を国務省に指示するものであった。その新聞記事とは、ロシア国債所有者は、ロシア国債の利子支払い継続を確実にするために、"ロシアにおけるアメリカ軍の維持"を成し遂げるために、彼らの影響力を行使したということを非難したものであった。ある銀行が以前のロシア国債に対する支払いを得るためにシベリアのアレクサンドル・コルチャック提督の承認を保障しようと努めていたと、ウィリアム・F・サンヅの同僚バシル・マイルスのファイルメモを根拠として、マソン下院議員は告発した。
その後、1919年8月、国務長官ロバート・ランシングは、ロックフェラーの影響下にあるニューヨークのNational City Bankから、コルチャク提督への5百万ドルの融資計画についての公式コメントを求める手紙を受け取った。また、J.P. Morgan & Co.および他の銀行家達から、英国および合衆国の銀行家達のコンソーシアムによるコルチャクへの1千万ポンドの追加融資に関する国務省の見解を求める手紙も受け取った。3
ランシング長官はその銀行家達に、合衆国はコルチャクを承認していない、そして彼に援助を与える準備がされているけれども、「国務省はそのような交渉を奨励する責任を負うことができると思わない。しかし、それにも関わらず、銀行家達がそれをするのを望ましいと考えているならば、その融資に対して反対する必要はないように思われる」4 と知らせた。
引き続き、9月30日、ランシングはオムスク(Omsk)のアメリカ総領事館に「その融資は正常な手続きを踏んでまとまった」5 と知らせた。その全融資額のうち2/3は英国と合衆国で、残りの1/3はコルチャク政府が望む場所で使われた。その融資は、サンフランシスコへ輸送されたロシアの金(コルチャクのもの)によって保障された。先に述べたソビエトの金輸出のタイミングは、金売却に関するソビエトとの協力がコルチャクの金−融資契約に続いて決定されたということを暗示している。
脚注
3 U.S. State Dept. Decimal File, 861.51/649.
4 Ibid., 861.51/675
5 Ibid., 861.51/656
p. 167
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モルガン財閥は国内の左翼に潜入したというキャロル・クイグリィ(Carroll Quigley)の陳述は海外の革命および反革命運動にも当て嵌まるということも、ソビエトの金売却とコルチャクの融資は暗示している。1919年の夏はクリミアおよびウクライナにおけるソビエト軍の敗北の時であり、この悲観的な状況のため英国とアメリカの銀行家達は反ボルシェビキ権力と仲直りする気になったのかも知れない。明白な根本的理由は、二股をかけておいて、革命または反革命が成功して新政府が安定化した後、特権およびビジネスに関する交渉において有利な立場を得ようとするものであろう。スタート時点において、いかなる紛争の成行も分かりえないので、革命のレースにおいてすべての馬にかなり大きく賭けるという考えである。このような訳で、一方ではソビエトに、また他方ではコルチャクに援助が差し延べられた。― なお、英国政府はウクライナのデニキン(Denikin)を、フランス政府はポールズ(the Poles)を支援していていた。
1919年秋、ベルリンの新聞Berliner Zeitung am Mittak (10月8日、9日)は、西ロシア政府およびボルシェビキと戦っているバルチックのロシア-ドイツ連合軍 ―両者ともコルチャクと同盟― に融資したということでモルガン商会を非難した。モルガン商会はその非難を激しく否定した。:「弊社は、西ロシア政府およびそれを代表するふりをする誰とも議論したり、会ったりしたことは決して無い。」6 しかし、融資の非難が不正確と言うならば、協力の証拠がある。Western Volunteer Armyの指揮者ベルモント大佐の書類の中からラトビアン政府諜報部が発見した書類は、"コルチャクのロンドン駐在工作員とベルモントのバックであったドイツの産業一味との間に告発された関係が存在する"ことを確証している。7
言い換えると、J.P.モルガン、ロンドンおよびニューヨークの銀行家達はコルチャクに融資したことが分かる。コルチャクおよび彼の軍隊を他の反ボルシェビキ軍と結びつける証拠もある。そして、ドイツの産業および銀行界がバルチックにおける全ロシアの反ボルシェビキ軍に融資していたということに、ほとんど疑問の余地がない。
脚注
6 Ibid., 861.51/767 — a letter from J. P. Morgan to Department of State, November 11, 1919. The financing itself was a hoax (see AP report in State Department files following the Morgan letter).
7 Ibid., 861.51/6172 and /6361.
p. 168
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/chap10.html
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