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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1742381784&owner_id=6445842
1990年代初めの事です。ニューズウィーク(英語版)と記憶しますが、或るアメリカの雑誌にチェコ人が書いた興味深い投書が載った事が有りました。
その数週前に、その雑誌は、ベルリンの壁崩壊後、ドイツの企業が、チェコを含めた東ヨーロッパで、著しい進出を遂げて居る、と言った内容の特集記事を掲載したのでした。その記事について、記事を読んだチェコ人が書いた投書だったのですが、それは、非常に興味深い投書でした。
記憶では、私は、その特集記事自体は読まなかったと思ひます。しかし、その投書の内容から判断して、その特集は、冷戦後の東ヨーロッパにおけるドイツ企業の進出を懸念を持って伝えた記事だった様で、特に、例によって、第二次大戦の話を持ち出して、ドイツと東欧諸国は上手くやって行けるのか?と論じた記事の様でした。
記憶で書くので、正確に再現は出来ませんが、そのチェコ人の投書は、大旨
次の様な物でした。
「我々(チェコ人とドイツ人)はとうに和解して居る。第二次大戦中の事など、我々チェコ人にとっては、もう些細な事でしかない。そんな事より、我々チェコ人が直面して居る課題は、40年も続いた共産主義体制の遺物をどう克服して行くかと言ふ問題だ。あなた達の記事には、共産主義体制が崩壊した東欧で、ドイツの企業に先を越されたアメリカの悔しさが感じられる」
もう一度言ひますが、記憶で再現して居るので、正確ではないかも知れません。ですが、大旨こんな内容の事を、そのチェコ人は、その投書の中で述べて居たのでした。
もっとも、ドイツ人の側は、大戦末期から大戦直後に、チェコ人がチェコ領内のドイツ系住民に加えた残虐行為を許して居る様には思へないので、この投書は、チェコ人のドイツへの片思ひと言へなくもありません。
ところで、下の記事ですが、この記事には、この戦車が、第二次大戦末期に、プラハに突入した最初のソ連軍戦車であった事が書かれてありません。
だからこそ、プラハに最初に突入したこの戦車は、戦後、チェコがソ連の支配下に入った後、「チェコをドイツから解放したのはソ連軍である」と言ふプロパガンダの道具として、利用されて来ました。ソ連のロボットであったチェコの共産主義者は、この戦車を「教材」にして、チェコの人々に「ソ連は解放者だった」と言ふ歴史観を広めようとし、同時に、ソ連に対して自分たちの忠誠心を示して来たのです。
その「聖なる戦車」をチェコ人がピンクに塗った時、私は、たまたまチェコに居ました。今は故人と成ったチェコ人の友人が、笑ひながら、この戦車がピンクに塗られた事を話してくれましたが、彼の話を聞きながら、私は、複雑な気持ちがした事を覚えて居ます。
共産主義体制が終はり、チェコが民主化された結果、人々は、ソ連のチェコ支配の象徴でもあったこの戦車をピンクに塗る事が出来る様に成りました。ソ連の過酷な支配が続いた共産主義時代を想起させるこの戦車をピンクに塗って、私の友人の様に笑ったのです。
しかし、その笑ひは何処か寂しい笑ひだったと私は思ひます。
チェコ人は、何故、この戦車を撤去しなかったのでしょうか?
ピンクに塗って笑ふ事は出来ました。しかし、撤去する事は出来無かった。
私は、「出来無かった」と感じたし、今もそう感じて居ます。
いかにチェコが自由に成ったとは言っても、この戦車を撤去する事は、ソ連のチェコ支配を否定するのみならず、「ソ連はチェコをドイツから解放した」と言ふ「歴史観」を否定する事に成る、と、チェコ人は感じたのではなかったか?と、私は思ひます。そこまで歴史の見直しを進めると、チェコ人の側が戦争末期から戦争直後にチェコ領内のドイツ系住民を虐殺した歴史を含めた「パンドラの箱」が開く事をチェコ人は直感したのではないか?又、この戦車を撤去まですると、ロシアを刺激する事を懸念したのかも知れません。
(第二次大戦末期から直後に、チェコのドイツ系住民が体験したチェコ人からの迫害については、浦沢直樹氏の劇画『モンスター』は、お読み下さい。この作品は、この問題を主題にした稀有な作品ですが、余りにも長く成った事と、こうしたチェコの歴史が余り知られて居ない為、この秀逸な視点が十分理解されて居ないと、私は思ひます。)
↓
http://www.amazon.co.jp/Monster-18-%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B5%A6%E6%B2%A2-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4091852785/ref=cm_cr-mr-title
(ここの掲載されて居る私の書評をお読み下さい)
こんなニュースにも、大国に挟まれたチェコと言ふ国の歴史の複雑さが感じられます。
平成23年6月26日(日)
西岡昌紀(内科医)
(第二次世界大戦末期のチェコにおけるドイツ人迫害の悲劇についてはこの日記をお読み下さい)
↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=427722414&owner_id=6445842
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プラハにピンクの戦車、旧ソ連軍の駐留終了から20年
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1644696&media_id=52
(ロイター - 06月21日 14:10)
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6月20日、チェコの首都プラハ中心部で、第2次世界大戦中に旧ソ連軍が使用した戦車が、ピンク色に塗られて展示されている(2011年 ロイター/David W Cerny)
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[20日 ロイター] チェコの首都プラハ中心部で、第2次世界大戦中に旧ソ連軍が使用した戦車が、ピンク色に塗られて展示されている。
この戦車は大戦以降、同市で展示されていたが、1991年に地元のビジュアルアーティストのダビド・チェルニー氏が、友人らとともにピンクに塗装した。
チェコでは現在、ソ連軍の駐留終了から20周年となるのを祝う記念イベントが開催されているが、戦車は20日、1週間貸し出されていた軍事博物館からプラハに移すために船で輸送された。
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