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(レビュー)『カティンの森』−−羅生門』としての現代史/モスクワで上映時の出来事   西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/492.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2011 年 5 月 22 日 18:14:12: of0poCGGoydL.
 

(映画批評)


カティンの森 [DVD]
DVD ~ アンジェイ・ワイダ

羅生門』としての現代史−−この映画がモスクワで上映された時の出来事, 2011/5/21


 黒澤明監督の『羅生門』は、芥川龍之介の短編『藪の中』を原作とした戦後日本映画の傑作である。平安時代に起きた或る殺人事件を巡って、関係した人間たちが全く食ひ違った「事実」を証言する。その結果、彼らの証言を聞く者達は、観客を含めて、何が真実であるのかが分からない。一体、人間の言葉と言ふ物は、信じる事が出来るのか?と問ふ事で、人間の世界の恐ろしさを描いた作品である。余り知られて居ない事であるが、第二次大戦中、イギリスの宰相であったウィンストン・チャーチルは、黒澤監督のこの『羅生門』を絶賛した一人であった。チャーチルは、『羅生門』が描く人間の嘘の光景について、それが、現代の政治やイデオロギーを描いて居るのではないか?と、言ったと言ふ。『カティンの森』が描いて居るのは、まさに、チャーチルが想起させられた様な、『羅生門』としての現代史である。

 1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻した事は、誰もが知って居る。ところが、その2週間後に、ソ連が、ドイツに続いて、東からポーランドに侵攻し、ポーランドの東方地域を占領した事は、余り知られて居ない。ドイツとソ連は、直前に密約を結んで、ポーランドを分割したのである。この歴史について、前半のドイツによるポーランド侵攻は、良く知られて居るのに、後半のソ連によるポーランド侵攻について知らない人が多いのは何故なのだろうか?答えは、戦後、ポーランドが、ソ連の強制によって「共産主義国家」にされ、永い間ソ連に支配された間、当のポーランド人達が、ソ連のロボットであったポーランド政府によって、第二次大戦中のソ連による侵略と残虐行為を語る事を禁じられて居たからであろう。(加えて、日本では、歴史学者や教育関係者の中に親ソ的な知識人が多かった事も影響して居ると私は考える。)
 この映画の主題であるカティンの森事件は、1939年にソ連がポーランド東部を占領した後、そこに居た多数のポーランド軍の将校たちを密かにソ連に連行し、秘密裏に処刑して、死体を埋め、隠匿した血生臭い事件であった。ソ連は、占領したポーランド東部を支配して行く上で、抵抗勢力と成り得るポーランド軍将校たちを皆殺しにしたものと考えられて居るが、この事件には、今もその動機について、謎が多い。いずれにしても、その様な経緯で、或る日ポーランド国内から行方不明に成り、二度と妻や母親を含めた家族の元に二度と戻らなかったポーランド軍将校たちは、いかに無念であった事だろうか。そして、その行方不明に成り、密かに殺害された多数のポーランド軍将校たちを、ポーランドで待ち続けた彼らの妻や母たちは、どんな思ひをした事であろうか。この映画を監督したアンジェイ・ワイダ監督の父親も、カティンでソ連によって処刑された将校の一人だったのである。
 そんなソ連によるポーランド軍将校大量殺害の事実が明らかに成るのは、1940年、ドイツがソ連に侵攻した後の事であった。開戦後、ソ連西部の広範な地域を占領したドイツ軍は、ドイツがカティンと呼んだその森で、無数のポーランド人将校の死体を発見した。そして、ソ連によるこの大量殺害を世界に向けて発表したが、ソ連は、それを否認し、「カティンの事件は、ドイツの犯行である」と主張した。そして、戦後、ドイツが敗北し、ソ連が勝者に成ると、ソ連は、自分たちが行なったこのポーランド人将校の大量殺害をドイツのせいにして、それが「歴史」であると、主張した。「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉通りである。戦後、加害者であったソ連は「解放者」を気取り、真実であったドイツの主張は無視された。そして、戦後、ソ連の支配下に置かれた共産主義ポーランドでは、カティンの森の大量殺人は、ドイツの仕業であったとされる公式見解が強要された。しかし、ポーランド人達は、事カティンに関する限り、真実はドイツの発表した通りである事を知って居たのである。

 そのカティン森事件について、昔、こんな話を読んだ事が有る。ポーランドがソ連(ロシア)に支配されて居た共産主義時代、ポーランドの学校では、歴史の授業でカティンの森事件の箇所に来ると、教師が、生徒達に「教科書を閉じなさい」と言ったと言ふのである。そして、当時のポーランドの教科書では、ドイツの犯行だと書かれてあったこの事件について、ポーランドの教師達は、生徒達に「これは、本当は、ソ連の犯行だったのです」と教えて居たと言ふ。ソ連が、ゴルバチョフ時代に入り、ゴルバチョフ政権が、カティンの森事件がソ連の犯行であった事を認めるまで、ポーランドでは、この事件の真実を語る事自体が、一つのレジスタンスだったのである。
 父親が、カティンで殺された将校の一人であったワイダ監督は、自分の母親が、夫の生存を信じて待ち続ける姿を見ながら成長した。この映画は、カティンの森事件を、夫や息子を待ち続ける女性たちの視点から描いて居るが、この背景に、ワイダ監督のそうした体験と母への思ひが有った事を知ると、本当に胸がつぶされる思ひがする。多くの日本人がシベリアに抑留された歴史を持つ日本人にとって、この悲劇は、他人事ではない。

 この映画の中ほどで、ソ連が作ったプロパガンダ用のニュース映画の一部が、映画に挿入されて居る。ソ連のカメラが、自分たちが殺したポーランド人達の死体が広がる光景を映し出す。そして、ソ連兵達が、空々しく、その死体の前で、帽子を取って黙祷して居る光景を見せながら、ナレーションの声が、「ドイツの残虐行為」を糾弾する、恥知らずなニュース映画である。(戦争直後のソ連のニュース映画と思はれる)ところが、この恥知らずなソ連のニュース映画で、バックに流れて居る音楽は、ショパンの『革命』なのである。『革命』は、カティンの森事件のおよそ100年前、当時のロシアによって、多くのポーランド人が処刑されたと知ったショパンが、憤激して作曲した曲である。ところが、その『革命』の旋律が、ソ連のニュース映画で、BGMとして使はれて居るのである。この皮肉に、私は、ポーランドの悲劇の深さを感じた。

 救いは、この映画がモスクワで公開された際、観客の一人が、「黙祷しよう」と呼び掛け、そこに居たロシア人の観客たちが、カティンの犠牲者達に黙祷を捧げたと言ふ逸話であろう。(この逸話は、NHKのドキュメンタリーで、ワイダ監督が感動をこめて語った物である。)この映画の上映に際して、そこに居たロシア人達が、黙祷したと言ふ事実に、私は、人類社会への希望を持つ。『羅生門』のあのラスト・シーンの様に。


(西岡昌紀・内科医/ヨーロッパの大戦が終結して66年目の5月に)


 

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コメント
 
01. 中川隆 2011年5月22日 19:15:15: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

映画「羅生門」_ 黒澤明にはわからなかった女性の恐ろしさ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/397.html


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