山本五十六はハニートラップに掛かったのか 日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書) – 2015/8/1 林 千勝 (著) https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96%8B%E6%88%A6-%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AE%E5%8B%9D%E7%AE%97-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9E%97-%E5%8D%83%E5%8B%9D/dp/439611429X/ref=sr_1_3?keywords=%E6%9E%97%E5%8D%83%E5%8B%9D&qid=1559859231&s=gateway&sr=8-3
内容紹介
■負けはしない戦争だった! 七十年前のあの戦争は、本当に無計画で非合理なものだったのか。 開戦を決意した陸軍は無謀にも、勝算のない戦いに、やみくもに突入したのか。 そんなはずはない。 近代史を研究する著者は「陸軍戦争経済研究班」の報告書を詳細に調査し、少なくとも陸軍は、科学性と合理性に基づいて開戦に踏み切ったことを知る。 秋丸機関と呼ばれた研究班は、第一級の英才を動員し、英米の経済力を徹底研究。 報告書に基づいて策定された戦争戦略は、大本営政府連絡会議に上げられたのだった。 報告書の真相は戦後、意図的に歪曲化(わいきょくか)され、闇に葬られた。 そこには何が書かれていたのか。報告書の真の意図を探り、戦後の常識に一石を投じる驚愕(きょうがく)の研究書! 出版社からのコメント
戦後70年。 あの戦争はどうやって始まったのか。勝算は本当になかったのか。 なぜ、負けたのか。 改めて検証する動きが各所で行なわれています。 著者はある重要な研究報告に着目し、それを徹底研究することによって、開戦の謎を解き明かしていきます。 陸軍の科学性と合理性が開戦の決断を促した! 事実をもってそう結論つける過程がスリリング! 現代史の常識に一石を投じる、知的興奮の書! ____ カスタマーレビュー
うさぎ1919 山本五十六はハニートラップに掛かったのか。 2018年1月12日
本書には日米英開戦に先立ち、国家総力戦で勝利するため陸軍が立案した大戦略の作成経緯が詳述されている。 この折角の大東亜戦争開戦の大戦略「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」を破壊したのは、山本五十六連合艦隊司令長官ですね。 開戦劈頭の真珠湾攻撃は、そもそも「腹案(行動計画)」には無かったし、この愚策により米国世論は「リメンバー・パールハーバー」の大合唱となり米国を参戦に導いた。 その後の「ミッドウェー海戦」や「ガダルカナル攻防戦とソロモン海戦」も「腹案(行動計画)」には無く、あまりの錯誤と稚拙ゆえに大敗北となった。 まるで意図して帝国海軍を破滅させようとしているようではないか。 山本五十六は工作員か、あるいはフリーメーソンかと囁かれるのも無理はなかろう。 山本の愛人は、16歳年下の芸者鶴島正子と、20歳年下の新橋芸者河合千代子の二人が良く知られている。これら愛人を囲う費用の出所はどこかの疑問はあるが、両名とも日本人芸者であり外国のハニートラップとは断定出来ないだろう。 しかし「見えざる日本の支配者フリーメーソン」という著書には、山本にはフランス女との間に男児の隠し子があったとの記述がある。証言者は「ダフニス・スワンソン」という戦前から日本在住のスウェーデン人で、元香港ロッジのパスト・グランド・マスターのメーソンだという。 ジャーナリストの問いに、スワンソンが答えた肝心な部分を以下に抜き出します。 スワンソン;私、山本五十六長官に会っているんですよ。
ーーー山本長官に会っているんですか。
スワンソン;終戦前ですよ。どうしてかというと、山本長官の息子が私と同じ学校で、私、彼の家に何回も行ったことがあるんです。山本さんはこれがね (小指を示して) いたのですよ。正式の奥さんでは無かったが、私は、その息子と同級生だった。 ーーー長官のお子さんだったのですか。
スワンソン;フランス人の女性との間に出来た子供、ビリー・ヤマモトという名前でした。私はアメリカンスクールに通っていて、これは1933年の卒業のときの写真です。これがビリー・ヤマモトです。この人は公認の戸籍には入っていないでしょう。(これが卒業アルバムです。と言って見せてくれた)
ーーー確かにヤマモトと書いてありますね。アジア人系の顔でハーフのような端正な顔のビリー・ヤマモト。
スワンソン;ビリー・ヤマモトは田園調布に住んでいたんですよ。お父さんの家です。私は、このビリーと大変仲が良くて、よく家に遊びに行っていたのですよ。そしたらお父さんが帰ってきて「おい」って「誰だ」っていう。山本五十六だった。他にも同級生でハル・ライシャワー夫人がいます。(ほら、ここですとアルバムを示す) ここにいますよ、 ハル・マツカタ 松方ハルさん。
松方ハル(後のライシャワー駐日米国大使夫人)は1933年に「アメリカンスクール・イン・ジャパン」を卒業している。この年に18歳の同級生ビリー・ヤマモトがいたとすれば、1915年山本五十六31歳の隠し子であろう。
山本の年譜を見ると、1909年にアメリカに駐在、1911年に海軍大学校乙種学生を卒業すると海軍砲術学校と海軍経理学校の教官になり、同僚の米内光政と盟友になるとある。(米内光政は無類の女好きでロシア女との間に隠し子がいたはずだ) 山本が1909年からの滞米時期か帰国後にハニートラップに掛かったのか、若干30歳程の海軍士官にフランス女を囲う費用の出所はどこか。山本五十六には、もっと明らかにされるべき下半身の秘密があるようだ。 読書家 『勝算が実際に正しかったか』が重要なのではない 2016年12月11日
本書はよくある、後知恵で『こうしてれば勝てた』的な他人事批評本ではありません。 『陸軍の勝算』とタイトルにあるので、軍部賞賛家が書いた敗けた戦争の言い訳本か、という先入観を持ってしまいそうですが、そんな本でもありません。 実際、敗けたので『勝算』は立てていたが見通しが甘かった、というのが厳然たる事実です。 ただ、本書で重要なのは『見通しが正しかったか』、ではなく『日本は合理的に、開戦した場合としない場合の分析を行い、具体的で勝算の十分にある戦争遂行プランと終戦に至るまでの戦略を持って、開戦の判断を行なっていた事実があった』ことで、 それは、一般に周知されている『日本は陸軍を中心とした軍部が暴走して何の勝算も無く無謀な戦争に国民を追いやった』という通説とは全く異なっている、ということで、それが戦勝国アメリカによって意図的に改竄されたものであった、ということです。それも戦略を立てた当事者達に隠蔽、改竄工作を主導させるという徹底ぶりで。 それが終戦直後にGHQによるWGIPの中で行われていただけでなく、2011年になっても日経新聞のような権威のある新聞の一面で、秋丸機関の報告に関する嘘のプロパガンダ記事が掲載された、ことに代表されるように、今もマスメディアが自分達の信念である陸軍、軍部悪玉論を覆す史実の証拠を必死に隠蔽、改竄していることが、本書の扱う内容が今私達が当事者として直面している『自分達やその子供達が誇りを持って生きていけるか』という問題であることを示しています。 GHQによる焚書も驚愕の事実でしたが、本書の内容は思想戦が今も続く我が国の厳しい現状を改めて痛感させられます。 ただ、合理的な戦略が立てられていても、それが実行されなければ絵に描いた餅なので、海軍、山本五十六長官によって開戦時に政府決定していたプランが滅茶苦茶にされてしまったのが事実であっても、それを許した日本の組織運営の非合理性や統制力の弱さは、正に国の存亡をかけた総力戦を戦うにあたっては致命的であったということだと思います。 それは、現在日本においても厳然として存在する問題ですが、和や義理人情を尊ぶ日本人の良い点と裏腹な面もあるので、一概に悪い点としてあげつらうような単純な話ではないですが、今後も弱肉強食の国際社会を日本が生き抜いていくためには目を背けずにしっかり研究していくべきことだと思います。本書ではその点は踏み込まれていないので、今後の著者の研究に期待したいです。 本書は、これまで流布されてきた通説を覆す史実を世に知らしめる、ということだけでなく、それを証拠となる一次資料を掲載することで説得力を持たせていること、論旨も悪戯に情緒的にならずに事実を冷静に分析してわかり易いことが、素晴らしいと思います。 職業としての研究者ではない中で、これだけの研究をされて書籍化された著者には敬服します。 西尾幹二さんのGHQ焚書図書開封シリーズと合わせて読むと本書では簡単にしか触れられていない点もその根拠や真意がより理解できてよいと思います。 本書を多くの人が読まれることを願い、その際に当レビューの冒頭に書いたような誤解を受けないよう、当レビューが役に立てば何よりです。 にゃんこもち 陸軍悪玉論を問い直す 2018年2月2日
70年前のあの戦争は、本当に無謀な戦争だったのか? 無計画な一部の指導者が、アメリカを相手に、勝算のない戦争をはじめてしまったのか? 当時の陸軍には、優秀な経済学者を集めたシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」(通称、秋丸機関)があった。その報告書によると、日本は科学的な調査・研究に基づき、開戦に踏み切ったことが明らかになった。 秋丸機関では、米英との戦争に備え、日本が「総力戦」をいかに戦い抜くかが研究されていた。国家の経済力の観点から、日米英の国力を比較し、戦争の期間や規模、戦費や動員兵力、資源調達能力、輸送能力などを子細に分析、何度もシミュレーションを行っていた。 その結果、同機関は、以下のような負けない戦略を考え出したという。 ・米国との戦争は極力避ける ・統制経済により、資源を軍備に集中させる ・主戦場を太平洋ではなく、インド洋に設定する ・インド洋に展開する英国軍を屈服させる ・英国の敗北により、戦意を喪失した米国と早期に講和する ・講和後、日本は大東亜共栄圏の維持・発展を図り、自国の資源不足を補う そして、日本が持久戦に耐えられるのは、長くて1年半から2年と試算。その後の長期戦を有利に戦えるかどうかは、広域経済圏、すなわち大東亜共栄圏の運営にかかっているとした。 ではなぜ、太平洋ではなく、インド洋なのか? 当時のインド洋は、米英にとって軍事と経済の大動脈であり、通商・資源の輸送ルートになっていたからだ。敵の部隊をたたくより、輸送路を遮断することで継戦能力をくじく作戦である。極めて合理的な判断だったといえよう。 ここで注意すべきなのは、あくまで主戦場は東アジアだった、ということだ。戦後、GHQの洗脳教育により、先の戦争は「太平洋戦争」と呼ばれた。いかにも太平洋で戦っていたような印象があるが、本来の呼称は「大東亜(東アジア)戦争」であり、それが当時の閣議決定でもあった。 しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいった。こうした陸軍の戦略をぶち壊したのが海軍であり、なかでも連合艦隊司令長官の山本五十六だったと著者はいう。 1941年12月8日、海軍がハワイの真珠湾を奇襲したことで、米国との戦端が開かれたわけだが、前述したように、秋丸機関の報告書に「真珠湾」の文字はない。山本は当初、真珠湾攻撃により、米国の士気をくじき、講和に持ち込もうと考えていた。 だが、結果は裏目に出た。米国民の戦意は猛烈に高揚し、日本は貴重な戦力を東の太平洋に割く羽目になったのである。これを著者は山本の「暴走」と見る。 その後のミッドウェー海戦での大敗北を見ても、日本軍は米国の挑発にまんまと乗ってしまったような感すらある。日本は、陸軍が想定していた東アジアへの西進戦略もままならないうちに、対米戦へと舵を切った。戦線は大幅に拡大し、少しずつ敗戦への道を歩み始めたのである。 世間には「陸軍は無謀で不合理、海軍は先進的で合理的」と、頑なに信じている人もいるかもしれない。本書に書かれていることがすべて正しいとは思わないが、歴史をより多面的に理解する意味でも一読をおすすめしたい。 himawari 具体案は描けたが人間支配で負けた日本 2018年11月19日
粛々とこの作戦を遂行すれば勝てた戦いでした。 何故に勝てなかったか? アメリカによって中枢部が支配されていた結果です。 裏切るトップがいる国が日本。 日露戦争の大借金でアメリカの影響力、金融支配が強まります。 日露戦争自体が日本ロシア双方に送り込まれた工作員によって引き起こされた可能性が高い。 徐々にですが中枢部まで支配されてしまった日本。 関東大震災時には工作がなされた可能性が高い。 官僚軍人の無謬性を謳うことで日本は工作を防げない国になってしまいました。 戦後日本は東条英機を大悪人に仕立て、インパール作戦の無謀。「ニイタカヤマノボレ」山本五十六の神格化が図られます。 それらがすべて嘘だとわかるのがこの本。 戦前の工作はひどいのですが、アメリカによって書かれた戦争史は日本人の誇りを奪いました。 正義感を持って戦った歴史が忘れ去られてしまった。 鴨 面白い視点、ただし歴史はご都合では動かない 2018年8月13日 陸軍の世界戦略の勝算と真珠湾奇襲による破滅に関する視点については政治・軍事系まとめサイトなどで時折見かける書き込みの中にあり、信頼に堪えない書き込みが多い中では自分が納得できるものだと思っていました。 これは良くある山本元帥スパイ説や無能説を裏付ける説得力を持つ内容だと思っています。 ただ面白い説だと認めた上で私は全面的には賛同はできません。むしろ否定的です。 仮説を立てることは自由でありそれを表現することは素晴らしいことです。しかしそのためにありがちなことが自説に都合の悪い事実に蓋をしてしまうという危険性です。 現に自然科学の分野でもデータの改ざんが頻繁に行われているという報道がなされている現状があります。 この本に関してもその匂いがすることを感じざるを得ません。 私は軍事関係者ではありませんが、割合本格的なシミュレーションゲームを長期間行ってきています。そのために一応戦略的な思考を持っているという自覚があります。 その点から言わせて頂ければ、この論を疑心なく支持できるためにはいくつかの前提条件が必要となると思います。 一、真珠湾奇襲を行わない場合、絶対にアメリカが大戦に参加しないこと。 一、ドイツが優勢を維持していること。 一、時代の変化と戦略、戦術の変化に適合すること。
アメリカの参戦については真珠湾奇襲の実施如何に関わらず、恐らくかなりの確率で、あっただろうと推察します。
当時アメリカの参戦が無く、もし英国がドイツに屈し、ドイツの傘下に下った場合、アメリカは第三帝国と正面で対峙しなければなりません。 この事態を看過できるかということになります。 アメリカにモンロー主義があったとしても南北アメリカ大陸に外部の勢力の手が及ぶ場合、それ(モンロー主義)を維持できたかどうかいささか疑問が生じます。実際南米諸国にはナチスの政治的謀略工作が活発に起こされています。 モンロー主義とはアメリカ南北大陸のブロック経済圏を意味します。ここが浸食されるされるわけですよ。 日本が真珠湾を攻撃しなくても、アメリカはいずれ何らかの形で参戦する口実を作り上げるとみた方が合理的ではないでしょうか。 アメリカが対独戦に参戦したいという意向があるとすれば、ドイツと同盟関係にある日本が南・東南アジアへの進出を行っているという名目で、同盟国英国を支援する目的をもって十中八九参戦してきただろうと私は考えています。 次に当時のドイツの情勢ですが、1941年末には攻勢において陰りが見られるようになります。実際日本が参戦した後モスクワ攻略に失敗しています。 したがって中東での合流は難しかったのではないかと判断せざるを得ません。 攻勢限界点の知識がおありならこの事態の意味を理解すべきだと思います。 本書が批判する海軍の真珠湾攻撃の意図も私には意味があるように思えます。 史実を見れば山本元帥の真珠湾攻撃の博打は成功しました。その結果半年程度の時間を稼ぐことができ、その間日本軍は後背の危険を心配することなく初期の戦略目標を達成できています。 もし真珠湾攻撃を実施せず、マリアナで米艦隊を待ち受けていたら確かに勝てたかもしれませんが、損失もかなり被っていた可能性が高いと思います。第一、機動艦隊がマリアナに貼り付けになり他方面の作戦に使えません。アメリカの機動艦隊が健全ということになれば初期の南方作戦において連合国は簡単に降伏しなかった可能性があります。 加えて、当時の南洋群島の陸上攻撃機の数は数十機にすぎず、陸海共同での航空作戦は不可能。 ミッドウエイ海戦では、米軍は100機以上の陸上機と200機以上の空母艦載機(これだけで日本海軍とほぼ同戦力)で待ち受けていたわけです。アリアナで待ち構える想定においては機動部隊ワンセットしかなく、こういう状況にならないのです。 結論として、ハワイを攻略せずして日本の勝機(敗北しないということも含め)はない。これが私の見解です。 ハワイを占領しなければ、ハワイを基地とした米潜水艦による通商破壊戦や、空母によるヒットエンドラン攻撃に常にさらされます。実際史実ではこの通りになりました。 日本軍は海戦劈頭ハワイの敵艦隊をたたき一時足止めをし、アジア各方面での作戦を完遂したのち可能ならばハワイを占領するという作戦大綱に切り替えたとみるのが正しいのではないでしょうか。 誤算はミッドウエイの賭けに負けたことです。 ミッドウエイに完勝する必要があり、敵空母を殲滅する必要がありますが、ハワイを占領できた場合、ハワイに基地航空隊を重点的に配備し、空母艦隊とで待ち伏せすれば2セットの戦力配置が可能となります。 これにより逆ミッドウエイの防御態勢が敷けることになりハワイが奪還されることはなかったかもしれません。 そうなればここで初めて講和を俎上にあげることが可能となるからです。 ハワイを攻略できていたらアメリカによる潜水艦攻撃の損害は激減し、日本軍の兵站線は切られることがなく、補給も維持されます。兵站兵站としか言わない戦略家気取りの無能人間さんにも少しは納得できるような結果は上げられたと思います。 (この人達は旧日本軍が無能とするなら、それより遙かに無能で国にとっての害悪だと思いますが・・・) もう一点。よく批判されることですが、日本がなぜ戦線を拡大したのかということ。 これは航空機の性能(航続距離とペイロードの拡大)によるものです。本土で米軍を待ち伏せるということは当時の日本には難しかったでしょう。イギリスは本土決戦においてドイツ空軍に勝利しますが、それでも大損害を受けます。 重要なことは英軍には後方支援があり、物資には困らなかったということです。 レーダーに劣っていた日本はそういう作戦は立てられませんし補給もありません。 前進し、そこから相手に打撃を与えるという前進戦略は全く間違っていませんし、漸減作戦の本質を変えたものでもありません。時代を超えた同義の作戦行動なのです。 日本には勝機があった。作者とは全く違う意味でですが。そういう感想です。 一応戦略ゲームぐらい遊んで、効率的に勝利できる結果をもって世界情勢を眺めてみたらとお勧めしたいと思います。 ただ、本書の意図は日本に合理的な判断があり、決して無謀な戦争に国民を追いやったものではないということを述べることであると思います。戦後レジーム・戦勝国史観に対する反証の一石としては支持したいと思っています。 ビールもう一本 歴史修正主義の面目躍如かね 2015年8月17日 歴史修正主義者というのは陰謀大好き、特務機関大好き、という人間が多く、山本五十六スパイ説まで紹介している。 武藤軍務局長、その下の岩畔軍事課長というラインは、中期的には開戦不可避と考えていただろうが、1941年のこの当時では陸軍省内部では避戦派だった。ハルノートを巡っては、岩畔は武藤の意を受けて訪米し、外交的に戦争回避に向けて交渉した人物である。 ハルは後に、岩畔をして「岩畔大佐は日本陸軍の美徳と欠点を併せ持っていた」と評したという。 (イワクロ.comを参照) 避戦派であるかれらの要請に基づいて設置された秋丸機関がどのような性格を帯びたものであったかは、明らかであろう。秋丸自身が戦後、 「対英米戦の場合、経済戦力の比は20対1程度と判断するが、開戦後二年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以後は我が経済戦力は耐えがたいと言った結論であった。 すでに開戦不可避と考えている軍部にとっては都合の悪い結論であり、消極的平和論には耳を貸す様子もなく、大勢は無謀な戦争へと傾斜したが、実情を知るものにとっては薄氷を踏む思いであった。」 と回想しているのである。ところが、歴史修正主義者である筆者によれば、これは秋丸の「嘘」になってしまうのである。 回想録には、時間の経過とともに合理化や美化が入り込むことは考えられるが、 回想録を第三者から正反対の「嘘」と断定されてはかなわない。 41年の10月には、海軍も1から2年は何とかしてもその先はわからないといい、企画院も燃料は1942年の半ばで枯渇する、徴用船も2年で不足することになると主張しており、秋丸機関の報告の趣旨とほぼ一致している。 それを荒唐無稽に捻じ曲げて、日本は「負けはしない戦争だった!」とは呆れる。 この筆者は、どんな人間かと思って調べてみたら、 12年の衆議院選挙に維新の党から出馬して、落選。 遡ると、他にも県議選や市長選に出て、見事に落選。 有権者はどんな人物かよく見ているなぁ。 読むべき本に非ず。 誰かが出版助成金でも出しているのではなかろうか。 出版社には、横浜事件などに思いを至らせてほしい。 シャルツ1993 5つ星のうち1.0 印刷していなければ、他に使い道があるのに。☆ゼロかマイナス星がほしい。 2015年8月29日
1円の価値もない文。 このような人は、敗戦後のアメリカ支配、それが70年続いている。そのきっかけが「日米開戦」なんだと言う思考が抜ける。 また、どのような作戦をたてようが、負ければどうなるのかが見えていないようだ。 まず、1941年8月、英米で調印された「太西洋憲章」を見過ごしては行けないと思う。 「太西洋憲章」をまじめに理解すれば、日本の帝国主義は受け入れられない。 戦争になることははっきりしている。 また、対独戦を戦っていた英国は、米国に参戦してほしかったし、米国政府もそうしたかった。米国国民を戦争に誘導するかだった。 また、このとき対独戦終了後のヨーロッパ支配に付いて話し合っていた。 2国で世界を支配する事を目指した。それが戦後、国際連合(連合国)になった。 それが戦略。 また、なんで、WWII開戦前、アメリカの財閥が、ヒットラーに金を渡していたのか。(フォード、など) それはヨーロッパのユダヤ資本の一層を狙ったから。 最初英国(チャーチルなど)もヒットラーを支持していた。
戦後、ドイツ、イタリアのロスチャイルド家は消え。経済は行きずまった。 マーシャルプランによって、西欧は復活するが、米英の経済支配は如実になった。 -----1946年には、統一ヨーロパの考えが思考され、それが現代のユーロ圏誕生につながった。それは米英の経済支配からの独立に他ならない。 ドイツは、中国との和平を仲介しようと提案し、その後、米開戦をするなと警告していた。ことごとく日本は、ドイツの提案を蹴った。 日本軍官僚は、戦争を拡大したかった。それだけが思考の中心だったように思う。後戻り、停止できないのが、官僚の性(さが)だが、止めるべき青磁は機能しなくなっていた。 リヒャルト・ゾルゲは、日本がソ連に侵攻しないと情報を送り、ソ連はシベリアに展開していた部隊を西部戦線に投入できた。 それは稚拙な作戦で完敗した「ノモンハン事件」が伏線にある。 著者は、「西進」が本来すべきだったと述べたが、それは、インパール作戦の思考と同一。結局滅んだ。 そして、今日本は、アメリカの属国として、70年存在する。これからもそうかもしれない。 どこの国で、他国の軍隊に特権的権利を与えているか。アメリカ軍には、日本は一切手がつけられない現状をどう思うのか。 この現状のきっかけになったのが、日米開戦。 紙の上でどのような作戦をたてようが、戦略がなければ、結果は見えている。 千保川隼人 5つ星のうち1.0 作戦部と前線が乖離していては戦争に勝てない 2018年8月27日
司馬遼太郎、城山三郎、大岡昇平、会田雄次、山本七平などの作家や評論家は日本軍の内実を本にしている。 司馬氏はタンクの装甲の劣悪さに生き残ったのは奇跡であると述べ、 ノモンハン戦争の敗北を秘匿し、北支・満州での戦闘を教材に南進政策を進め、暑さに弱い馬は役に立たず、人力で輸送したなどの時代遅れの戦術に悲嘆の声を出した。 城山氏はビンタ攻撃で保持された日本軍の規律を悲憤に堪えないとした。 大岡昇平はフィリピンのジャングルをさ迷ったが、食料不足で苦しめられ、戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」の縛りを受けた。 世界戦史史上で70%に及ぶ病死者・餓死者を出した日本軍の非道を訴えている。 日本の捕虜は自殺することが多くアメリカ軍を困らせたが、一方軍の機密を洗いざらい喋ることはアメリカ情報将校を驚かせた。捕虜になった時のの教育がなされていなかった。 大本営の作戦部が現場を知らないで、真珠湾攻撃をしたためアメリカの反撃を強めたのは山本五十六の間違いといっているが山本五十六は宣戦布告の遅延を心配しており、外務省が宣戦布告のアメリカへの通告を遅らせたのが原因である、 海戦、ガダルカナル争奪戦に敗れたのちも和戦を考えずずるずると相も変わらぬ戦いを続けたことを海軍の山本五十六に責を負わせる著者の考えに違和感を覚えざるを得ないし、インド洋戦略が実現していれば日独同盟が勝ちを得たのではないかという「たられば」物語を語るにいたっては嗟嘆の限りであった。 両面作戦が無理であったことは否定できず、北支・満州に9割の兵士が張り付けられたままで世界最強の米軍を迎え撃ち、アメリカ軍には飛び石作戦を敢行され、多くの戦士を戦闘に参加させられず、ラバウル基地、グアム基地は放置されたままになったのは、かえって兵士の生き残りを喜んであげるべきと考えた。
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