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http://otona.yomiuri.co.jp/history/20090318.htm
03月18日
「かい人21面相」の正体は今もわからない。「キツネ目の男」なんてやつもいたが、散々世間を騒がして、勝手に犯行終結を宣言したのだった。すでに時効だが、警察は滋賀県警本部長の自殺など大きなダメージを受けた。‐1984年(昭和59年)‐
複雑怪奇な事件だった。
その発端がこの日に兵庫県西宮市で起きた江崎グリコ社長誘拐事件である。
1984年3月18日午後9時35分、拳銃と空気銃を持った2人組が江崎勝久社長(当時42歳)宅に押し入った。スキー用の目出し帽をかぶった男たちは夫人と長女を縛り上げ、入浴中の社長を拉致した。社長は後ろ手に手錠をかけられ、車に押し込められたという。運転席には別の男がおり、犯人は3人組だった。
翌日、犯人グループは会社に、現金10億円と金塊100キロを要求してきたが、指定場所には誰も現れない。そして、事件から65時間後の21日午後2時22分、社長は監禁されていた大阪府摂津市の倉庫から自力で脱出し、無事に保護された。
だが、これで終わったわけではなかった。
実は「グリコ・森永事件」はここからが本番なのである。
4月に入って、江崎グリコには現金を要求する脅迫状が何度も届くようになる。5月には新聞社に「かい人21面相」から「グリコ製品に青酸ソーダを入れた」という挑戦状が届いた。コンビニでは「どくいりきけん たべたらしぬで」と書かれた紙をはったグリコ製品が見つかり、スーパーやコンビニは製品の撤去を始めた。
警察は6月、指定場所に現れて現金を積んだ車に乗り込んだ男を取り押さえた。しかし、その男は犯人グループに襲われ、連れの女性を人質にとられたために運搬役をしていたことがわかった。犯人グループとはつながりもなかったのである。
犯人グループは丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家なども脅迫した。「どくいりきけん」のシールがはられた菓子は全国で見つかり、報道機関への挑戦状も途切れなく送られてくる。
犯人グループは消費者を人質にとって、メーカーから金を脅し取ろうとしたのである。新たな手口の犯罪だった。
警察もあと一歩のところで犯人を逃したことがあった。
丸大食品事件では女性の声で指定場所の指示があった。
国鉄高槻駅で京都駅行きの電車に乗って、白い旗が見えたら金を外に投げろというのである。捜査員のひとりが車内で不審な男を見つけた。その男は刑事の動きを見張っているようだった。何人かが尾行した。しかし、電車を降り、途中で見失ってしまった。
これがあの「キツネ目の男」である。
ハウス食品脅迫事件では1984年11月14日に現金受け渡しが指示された。滋賀の大津サービスエリアから草津パーキングエリアへ。白い布が見えたら、その下の缶に入った指示書を見ろという。白い布はあった。しかし、缶は見当たらない。
その頃、滋賀県警のパトカーが無灯火の不審車両を職質しようとしていた。受け渡しは極秘のオペレーションである。パトカーの警察官が現金の受け渡し現場となっていることなど知るはずもなかった。
不審車は急発進し、カーチェイスの果てに逃げ切られてしまった。
あと一歩の所まで迫っても、犯人には届かなかった。
そして1985年8月12日、犯人側は一方的に終結宣言をしたのだった。2000年2月13日、すべての事件の時効が成立した。
その日は警察が敗北した日であった。(三)
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