http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/407.html
Tweet |
(回答先: 「ホロコーストは作られた神話」(イラン最高宗教指導者シラージ師の発言) 西岡昌紀 投稿者 西岡昌紀 日時 2010 年 9 月 12 日 20:23:08)
「ナチ『ガス室』はなかった」の筆者・西岡昌紀とは何物なのか?
どこまでも西岡氏は「いいひと」だった。そしてたぶんこうした無邪気な「善人」を、多くの日本人は決して嫌いはしないだろう。罪の自覚を欠いたその無邪気さは、私たち自身の中にも間違いなくある。
封筒の表にも裏にも、赤いマジックで「重要! 必ずおわたし下さい!」と大書されている、一種、奇妙な郵便物が昨年の7月、月刊『現代』編集部に届いた。郵送先は同誌編集部だが、宛名は「岩上安身様」、つまり私である。送り主の氏名に覚えはない。どうやら読者からの手紙らしい。封を開くと、中からは15枚のワープロ打ちの文書をコピーしてホッチキスでとじた、アジビラかパンフレットのようなものが出てきた。
内容はとくに私個人に向けられて書かれたものではない。「今世紀最大の報道操作」と題して、特定の政治団体にも宗教団体にも属していないことを強調した自己紹介に始まり、以下、「大部分の日本人にとっては寝耳に水の」「余りにも驚くべき」等々の大仰な修辞のもとに、延々と「アウシュビッツには"ガス室"など存在せず、その故に"ガス室"で殺されたユダヤ人は一人もいなかった」という主張がつづられている。一読して、欧米のホロコースト・リビジョニストのプロパガンダの無批判な受け売りとわかるものだった。
マジックペンで「『ホロコースト』について、驚くべき事実が有ります」「『ホロコースト』が、本当だったら、私は医者をやめます。本気です」「絶対に時間は無駄にさせません。ご一読下さい」などと手書きの書き込みがなされている。パンフの文体といい、恐ろしく騒々しい自己主張である。
たしかに欧米には少数ながら、ナチのホロコースト犯罪の事実を歪曲、ないしは矮小化するリビジョニスト(修正主義者)や、犯罪事実そのものを否定するディナイヤー(否定論者)が存在する。そんな常識なら、わざわざ教えてもらうまでもない。現に、月刊「現代」4年8月号誌上で、私はホロコースト・リビジョニストがネオナチの行動を正当化する思想的バックボーンを提供している事情を書いたばかりだった。この号が発売されたのが7月5日、手紙の消印は7月9日になっている。発売直後に買い求めて、読後すぐにこのパンフを送ってきたのだろう。ありがたい、熱心な読者ではある。それは感謝するが、しかし、「啓蒙」されても、私としては困惑する他はない。
奇妙な印象は、それだけではなかった。文面に、生々しい政治問題に深く関わってしまった人間に時としてありがちな、ある種の毒々しさや鬱屈したルサンチマンの臭いが奇妙に稀薄なのである。先述したように、文体はひどく騒々しい。にぎやかな躁状態といってもいい。そのにぎやかさは、「邪馬台国論争」の新説を思いついて有頂天になっている素人の古代史マニアや、ひょっとしたら自分が昨夜望遠鏡で見た星は未発見の星ではないかと興奮しているアマチュア天文マニアなどとどこか似ている。他愛のない無邪気なはしゃぎぶりである。
まず切実さがない。むろん苦悩もない。売名や商業的成功を狙っている気配もない。ただただ、愉しみのための愉しみとして、現代史の「謎解き」ごっこに熱中しているオタク−−そんな像がおぼろげながら浮かんでくる気がしたのである。
ホロコーストが事実なら医者をやめるなどという書き込みも、まるで日曜ゴルフの"握り"やマージャンで晩メシを賭けているかのような気楽さである。ゲームを少しだけ白熱化させるためのスパイス。むろん、真面目に受け止めれば、こんな不謹慎な話はない。
文書の内容自体は取るに足らないが、この愚鈍な無邪気さだけには強くひっかかるものを覚えた。それは私がドイツやポーランドや、あるいはロシアで目のあたりにしてきた、ファシズムやホロコーストの評価をめぐって今もなお−−あるいは今だからこそなお−−熾烈に政治闘争を繰り広げている人々の死にものぐるいの切実さから、気が遠くなるほど離れていた。善し悪しは別にして、無邪気さと切実さとのこの途方もない距離を、私は自分の中ではすぐには埋められず、しばらくはこの課題を扱いあぐねて机の引き出しにしまっておくことにした。
西岡昌紀氏から送られてきたパンフが、屑篭に放り込まれることなく、今も私の手もとに保存されているのはそうした次第による。
「負」の聖地
それから約半年後の1月17日−−。
忌まわしい阪神大震災が起きた同じ日に、『マルコポーロ』95年2月号が発売された。同誌に掲載された「ナチ『ガス室』はなかった」と題される記事が巻き起こした騒動の顛末は、読者は周知のことだろうから、ここでは割愛する。この騒動での報道の傾向について、一点だけ不満があったことを記しておく。
不満とは他でもない。報道の焦点が多くの場合、文芸春秋社とその「エース」編集者である花田紀凱(かずよし)氏の蹉跌、というドラマに絞られていて、肝心の筆者の西岡昌紀氏と、彼の書いた記事内容の吟味を素通りする傾向が見受けられたことである。内容にふれる場合でも、おおむね有識者の「ホロコーストをめぐる論争は歴史的決着がついている」といった、門前払い風のコメントを引用してお茶を濁し、深くは議論に立ち入らずにすませていた。うかつなことを書いて西岡氏や彼の仲間たちからうるさく反撃されては厄介だ、ガス室の存在は「国際的常識」なのだから、ここは門前払いしておくに限る−−。そんな計算がちらついて見えた。
結局、各メディアは国内ゴシップの一種としてこの事件を"処理"し、有識者は腰の引けたコメントを出すのみ、肝心の文藝春秋側もあっさり謝罪・廃刊という「結論」を出して幕引きにした。かくして発端となった「アウシュヴィッツの嘘」という論点の中心な真空のまま、この騒動は「ユダヤ人団体の圧力行動は、ひとつの雑誌を廃刊に追い込めるほどのパワーがある」という、いずれは過大に神話化されて語られることになるであろう「経験的事実」のみを残して終わってしまった。こんな「経験」からは、ホロコーストの悲劇のおぞましさを、一般の日本人が自分に引き寄せて感じとり、理解する生産的な契機は決して生まれてはこないだろう。残念という他はない。
そうでなくても、ホロコーストという巨大な狂気を理解することは生易しいことではない。その全体像のすべてを一人の人間が理解することは、あるいは不可能なのかもしれない。私自身も、理解できたとはいえない人間の一人である。ハナ・アーレントやエリ・ヴィーゼルやV・フランクルらの著作を読んでも、旧アウシュヴィッツ収容所(現在はポーランド国立オシフィエンチム博物館)へ足を運び、膨大な量の毛髪や歯ブラシや靴といった遺品の山を前にして震えるほどの戦慄に襲われてもなお、その狂気を理解できたという確信には至ることができない。
私個人の知的能力の貧しさを割り引いたとしても、人間の知力、想像力、理解力は、同じく人間が生み出す狂気の大きさに比べて、何と頼りないものか。ナチズムは、スターリニズムと同じく、人間の理念が生んだ狂気である。人間の脳が生んだ狂気なら、脳によって理解可能のはずだが、全き理解にはまるで届かないのだ。その意味でならアウシュヴィッツは「聖地」である。人間が自分の知性・悟性の、情けないまでの無力さに直面させられ、思わず立ちつくしてしまう、負の「聖地」−−。
だが一方、人間にはこういうことも可能である。「理解できないもの」を前にしてなお「理解」しようとし、震えながら立ちつくすなどというとは一切やめてしまう。そのかわりにポケットからメジャーとフラスコを取り出して、「聖地」を計測し、サンプルを採取し、その「データ」を母国へ持ち帰って「科学的な検証の結果、ガス室はなかった」と言い出すことだ。自称エンジニアのフレッド・ロイヒターという男がしたことは、そういうことだった。
彼の発表した「ロイヒター・リポート」は、ロベール・フォリソンやディビッド・アーヴィングらリビジョニストの歴史家たちの一連の著作と並んで、ナチスの狂気を直視することに耐えられない人々に「福音」をもたらした。
救われた気分になった人間たちは、皆が皆、ネオナチなのではない。それは当然だ。誰にとっても忌まわしい過去などない方がよい。原爆投下がなかったなら、アメリカ人は安堵できるだろうし、南京大虐殺や731部隊の実在が嘘なら、日本人は機嫌よくアジアを歩ける。集団化やラーゲリ(強制収容所)がフィクションなら、ロシア人の憂鬱は少しは晴れるだろう。
同様にもし本当にガス室は幻であり、今まで聞かされてきた話は何かの勘違いであって、ホロコーストなどなかったなら、すべてのドイツ人は救われる。いや、ドイツ人だけでなく、地球上の人類、誰もが救われるだろう。もっと素朴に、簡単に、人間というものを、あるいは現代の文明というものを信じられるからだ。そうすれば皆ハッピーだ。実にイージーにハッピーになれる。
だがひどく残念なことに、我々はそう易々とは「ハッピー」にはなれない。ロイヒターは専門家を自称しているが、正式には化学の高等教育は受けていないこと、彼は政治的中立を装ってはいるが、実はこの調査のためにエルンスト・ツンデルというネオナチの大物の資金提供を受けたこと、彼のリポートが多方向から反駁にあい、間違いだらけの代物であることが判明して信頼性を失ってしまったことがすでに公になっているからである。
『マルコポーロ』に掲載された西岡氏の記事は、この「ロイヒター・リポート」をはじめ、いくつかのリビジョニストの著作や、極右の宣伝組織であるIHR(インスティテュート・フォー・ヒストリカル・レヴュー)の定期刊行物を下敷きにして書かれたものだ。本人もまた、そのことを隠さずに「他人の論文を参照して、自分の解釈を加える、医学論文の形式で書いた」と記者会見でも語っている。
本人は自分の文章を、科学的な学術論文か何かのつもりでいるらしい(マスコミの一部も、この記事を「西岡論文」と呼んでいた)。だが、あいにくこれは受け入れられない。
「科学的」であることを標榜するための資格を、決定的に欠いているからである。この点は後で述べる。
「科学的」論文でないなら、これは報道や論評の類か? そうだとしたら、ジャーナリズムに必須の公正さが完全に欠落している。
論文でも報道でもないとしたら、政治的プロパガンダ文書か? ユダヤ人団体は、おそらくそう受け止めた。だからこそ、激しい抗議行動にも出たのだろう。だが、私にはこの解釈も正確とは思えなかった。西岡氏の文章はたしかにプロパガンダ文書を下敷きにして書かれている。しかしだからといって、当人が政治的党派に属しているとは限らないからだ。社会性が極端に欠けていて、自分の言動やテクストが、どのような政治的・社会的文脈に位置づけられるか、まるで無自覚な場合もあり得るのだ−−。
ボクはちゃんと議論したい
紙袋いっぱいに、資料を携えて西岡氏は現れた。「ガス室はなかった」を証拠づける資料だという。どうやら、「実証的」な講義を聴かせようというつもりらしい。予想していたとおりというべきか、彼には悪びれた様子はまるでなかった。深刻さも、猜疑心や警戒心も見受けられない。しばらく話をしていて、目の前にいる私に例のパンフを送ったことを彼がまるで忘れていることに気がついた。
お忘れじゃありませんか、ときくと、驚いた表情で、「あ、そうですね。思い出しました。これはうかつでした。失礼しました」と率直にわびた。傲慢でも、無礼でもない。社会的常識も備えている。これもまた、およそ思い描いていた通りだった。
私は自分の関心の中心を彼に説明した。
あなたの書いた文章には間違いと思われる箇所、論証の怪しい箇所がいくつもある。しかし、個別の議論には立ち入る気はない。私が関心があるのは、あなたという個人である。6年もかけて資料を調べ、パンフを作って私を含む100人を超えるマスコミ関係者に送り、ついにはこうした記事を発表する。その奇妙な情熱はどこからわいてくるのか、それを知りたい。世間の多くの人が、あなたの言動を政治的確信やイデオロギーにもとづいたものだと錯覚している。他方、あなたは政治的信条はないと表明しているし、私もおそらくその言葉通りだと思っている。とすれば、あなたを支えるモチベーションは何か、その情熱の正体は何なのか。
「政治的党派に無関係というのはその通りです。正確に理解してもらえて嬉しいです」といって、彼は自分が語りたい「本題」に入っていった。
「ナチスがアウシュヴィッツでサイクロンBを使ったというのはおかしい。物的証拠がない。科学的リポートである『ロイヒター・リポート』もそれを指摘している。こうした科学的リポートを発表する自由まで制限しようとする動きが、ドイツにはあるんです。日本でも筒井康隆氏の断筆事件のように、ものを言えない風潮が強まっていて危険だと思う。こうした風潮への反発が動機といえば動機で、もう一点主張したいのは、「ユダヤ人絶滅」を命令した命令書がないのに、あたかもナチス指導部があらかじめ絶滅を計画したかのようにいうのは間違いだということ。物的証拠と命令書がない、この二点から、ボクはガス室はなかった、と結論を出したんです。反論なら歓迎ですよ。ボクはちゃんと議論したいんです」
私はひと通り、彼の主張を聞いてから、個別の議論はするつもりはないと再度告げた。すればいつまでも続くだろうし、夜を徹しても終わらないだろう。彼がその「論戦」を愉しみに待ちかまえているのが、うんざりするほどよくわかったので、あえてお断りしたのである。私は「娯楽」に手を貸したくはない。
むろん、それだけでは取材に応じてくれた彼にも失礼だし、「逃げた」と受けとられかねないので、ただひとつだけ疑問を投げかけておくことにした。なぜ西岡氏は記事の中で「ガス室はなかった」と断言したのか、「科学的論文」を自称しながら、なぜ断言が可能と考えたのか、という疑問である。
あなたは「科学的」ではない
−−ホロコーストの事実に関しては、膨大な数の証言がある。あなたはこれをどう論破するのですか。
「証言の中には科学的に妥当でない箇所があるんですよ。たとえばヘスの証言には科学的にみておかしいところがいくつかある。それにヘスを尋問したイギリスの軍曹が後に、ヘスを拷問したと自著で書いている。だからヘスの告白録は信用できないし、あれは連合軍が『ガス室』をでっち上げるための策謀だと思います」
−−ヘスの告白録には事実誤認と思われる箇所がたしかにある。とくに犠牲者数についてですが、その点はイスラエルのホロコースト研究期間であるヤドバシェム研究所も認めている。私はこの事実をヤドバシェムに直接取材して確かめたうえで、『宝島30』94年9月号に書いてもいる。これはスキャンダルでも何でもない。あらゆる歴史研究がそうであるように、ホロコーストの実態を究明する実証的な検証努力は、今も続けられているという、ただそれだけのことです。それにヘスの告白の一部に瑕疵(かし)があるからといって、告白録すべてが虚構である証明にはならないし、まして連合軍が捏造したと断定する根拠になどならない。しかもホロコーストに関する証言はヘスだけではない。ホロコーストの生存者や、元ナチ党員や、ガス室での直接作業に従事させられた通称「カポ」と呼ばれるユダヤ人作業班の人々などの膨大な数の証言が存在する。一例をあげれば、現在日本で上映中の記録映画『ショアー』にも、そうした証言者が数多く登場し、自分の経験を語っている。何百、何千という証言者たちは全員、細部まで口裏を合わせて虚構を語っているというのですか。それならあなたは彼らの偽証を証明しなくてはならない。
「ボクはすべての証言を知っているわけではないし、『ショアー』も観てないから何も言えません。もちろん証言を全部無視するとは言ってないですよ。科学的に妥当であればね」
−−科学的に妥当とは?
「証言ではなくて、物理的・科学的な物証がそろっていて、証明できているということですよ。ボクは、科学的にみて、ガス室はなかったと確信しています」
−−失礼ながら、あなたは「科学的」では決してない。科学的であるといわれるなら、科学的知というのは推定知ということ。仮説を立てて、証明するだけでは充分ではなく、反証に対して開かれていなくてはいけない。こんな初歩的な常識はあなたも医学者なら知っているはずだ。
「ウーン、厳しいなあ……。たしかにボクも言葉の使い方が強すぎるというなら、悪いところもあったかもしれないけど、ウーン、断言しちゃったらダメなんですかね……」
一方的な断言
いささか驚いたが、西岡氏は「反証可能性」という、科学を基礎づけるごく基本的な概念を知らなかったらしい。反証に対して開かれ、充分に耐えていない命題は、それこそ「科学的」ではない。「ガス室はなかった」という命題を証拠づける物証なるものはごくわずかしかなく、しかもそれらは厳しい批判にさらされている。一方、その命題に対する反証は、それこそ気が遠くなるほど膨大に存在する。だが、そうした反証に対し、西岡氏の「論文」は何ひとつ応えていないのである。もう少しくだいていえば、彼は「ガス室は存在しなかった」という自説に都合のよい論拠や証拠のみを無批判につまみぐいして拾い集め、そうした証拠の真偽についての個別の検証をまったく省き、他方、自説を揺るがす証拠・論拠は一切無視している、ということだ。
彼は自分でも認めている通り、自分では一次資料にあたっていないし、証人への取材も行っていない。もちろん、アウシュヴィッツ現地での「物理的・科学的検証」も行っていない。私と同様、半日ばかり「見学」しただけである。他人の研究から論拠を借りてくるならば、出典を明記するのは当然だし、その際、信ずるに足るものかどうかの検証を怠ってはならないのは常識であろう。そうした手続きを彼は一切踏んでいない。
しばらく私と彼の間でやり取りが続いた。「反証可能性」という概念を理解してもらうのに手間取り、私が言葉を費やしたためだが、結局のところ、西岡氏も「たしかに一方的でした」と、自分の「論文」が「科学的」ではないことを認めた。
「論文」ではないならば、では、あの文書は一体どういう性格のものなのか?
「ホロコースト・リビジョニストの議論があることをあまりにも一般の日本人は知らないんですよね。ボクはもともとマスメディアに非常に不満というか、疑問がありましたから。とくに湾岸報道の頃からですけど、情報操作の問題が非常に気になりだしたんです。ホロコーストの問題も非常に一方的に報道されている。これはおかしいと思ったんですね。ボクは今までも原発問題とか、環境問題とか、エイズとか、社会問題に広く関心があったんです。趣味といえばボクは読書で、他には山登りくらい。いろいろ読んでいるうちに、たまたまホロコースト問題に突き当たったので、資料を集めていったわけです。ボクとしてはこれは情報操作のケーススタディのひとつとして論じたかったんです。啓蒙と言っちゃうと大げさだけど、こういう議論もありますよと紹介しようと思ったわけです」
「議論」の「紹介」ならば、これは広義の意味での報道の範疇に入る。そうなるとまた話は別になる。紹介者は基本的には中立・公正を心がけなくてはならないのは当たり前のこと。たとえリビジョニスト・サイドに肩入れしていたとしても、その反論や批判の紹介をするべきだし、そうした議論が欧米の社会的文脈でどう位置づけられ、政治や社会の現実にどんな影響を及ぼしているかまで、視野におさめて分析する必要もある。しかし、そうした姿勢は西岡氏の文章には皆無だ。一方的な断言があるばかりである−−。
愉しいゲーム
「あの記事で書いた主張は、ボクはこう思っている、という主観なんですよ。ボクはそのつもりで書きました」
−−でも西岡さんは、そんな書き方はしていないでしょう。
「たしかにそれは、ボクも認めます。ああいう書き方をしても読者はわかってくれるんじゃないかって思って……。甘いかなぁ」
「断言」が決してできない理由は、ひとつには冷戦後の政治的変化にある。旧共産圏諸国、とりわけ旧ソ連のアルヒーフ(古文書館)から新資料が「発掘」されて、従来の研究の見直しが進んでいるからである。とはいえ、新資料のどこかに、「ガス室はなかった」という主張を裏づける証拠が見つかったなどという話は聞かない。新資料によって、犠牲者数の確定作業や犠牲となった人の名前の特定作業が進んでいることと、その一連の過程を通じて、ソ連やポーランドの共産党政権が反ファシズムの宣伝材料としてアウシュヴィッツを利用してきた経緯が明らかになってきたことだけである。それはむろん、西岡氏が『マルコ』で書いているように、「ガス室はソ連のでっち上げだった」という、裏付けのない飛躍した主張を立証するためのものではない。むしろその根拠なき主張こそ、あえて言えば「でっち上げ」であり、「情報操作」なのである。
また、ドイツ国内では「絶滅命令書は残されていない」という定説が揺らぐような事実もつい先日、報道された。
アウシュヴィッツ解放50周年にちなみ、ドイツ国営放送第2チャンネルが放送した特別番組の中で、アウシュヴィッツのSS(親衛隊)建築部がベルリンの上官に送った報告書が存在すると報じられたのである。当時ナチスは、事をすべて秘密裏に処理するため、公式文書の中では「ガス室送りにする」「ガスで殺す」といった言葉の使用を禁じていたのだが、筆のすべりで「ガス室(Vergasungskeller)は時宜に即して完成、予定通り操業開始が可能」と書かれた文書が残されていたのである。この話を西岡氏にしたところ、彼は「知らなかった」と答えた。
「申し訳ないが、それについてはよく知らないのでコメントのしようがない。でもボクは、命令書とか、それに類する文書の存在はないって過去に本で読んでいます」
−−この件をあなたがご存じないからといって責めているわけではない。ただ、新しい資料の証拠は今もなお発見され続けているという一例として挙げたまでです。命令書が今まで見つからなかったというのは、すべての研究者が認めている常識。ナチスは戦争中も証拠隠しに努めたし、戦争末期は証拠隠滅のためにアウシュヴィッツをはじめ、絶滅収容所の施設をダイナマイトで爆破し、文書もことごとく廃棄した。現存する物証が乏しいのはそのためであって、物証の乏しさはホロコーストが虚構であることの直接的証明にはならない。それでも今なお、地道な検証作業は続き、新しい資料が発見されつつある。ユダヤ民族に対する大虐殺という史実は不動であるにしても、細部の輪郭は新たになっていくでしょう。そういう意味で「議論」は存在するし、結論は未来に開かれている。誠実であろうとするなら、「断言」は、少なくとも今は絶対にできないはずです。
「おっしゃる意味はわかります。ウーン、なんて言ったらいいのかなあ……。でも、これは言い訳になっちゃうけれど、編集部はシリーズ化するって言ってたんで、ボクは自分の主張をストレートにパーンと言っちゃってもいいかなと。その後賛否両論が続いていくかなと思ってたんですけど、こういう結果になってしまって。たしかにそのへんは認識が甘かったというしかない」
賛否両論がシリーズで続けば、彼にとっては、それはそれは愉しいゲームとなったことだろう。身を削られるような思いをすることもない、楽しい娯楽。だがそれにユダヤ人側がつき合う必要はないし、『マルコ』編集部が西岡氏の主張を全面的に支持するかたちの見出しとリードをつけている以上同誌は論争の舞台として中立ではありえない。反論掲載の申し出をユダヤ人側が断ったからといって、彼らが責められる筋合いはない。
もっとも、広告ボイコットを企業に呼びかけるという圧力行使手段には、私も疑問がないわけではない。しかし、ジャーナリズムとしての最低限の公正さを備えた文章を、中立の節度ある態度−−あるいは議論の当事者の一方に与(くみ)する場合でも、せめて一定の留保をつける−−を保った媒体が掲載したなら、このような事態には至っていないだろう。
閉店です、と店のウェイトレスが告げた。私たちは、膠着したこの話をひとまず切り上げ、別のファミリーレストランに移動した。
歴史をオモチャにする者
席が改まったところで、私は話題を変え、「断言」の問題とともに気になっていたこと、この文章が発表されたとき、既存の社会的文脈の中でどのように位置づけられ、解釈されるかをどう読んでいたかについて尋ねた。
「社会的文脈って、よくわからないんですけど、それはつまり、右か左かっていうことですか。僕は右、左という区別が、好きじゃないんですよ」
−−いや、そんなに大ざっぱな話ではない。たとえば、『ニュース23』の中で、筑紫哲也氏は「南京大虐殺を幻と主張してきた文芸春秋社が、今またナチのホロコーストまで否定する論文を自社の雑誌に発表した」と発言していました。南京大虐殺とホロコーストは、事の性質においてむろん違う。しかし、こうした粗雑なくくり方は、予想できたことです。
「文春は文春、ボクはボクという気持ちがはじめのうちからありましたから。ボクはこの記事に関してだけ、文春とつき合うのであって、他の問題について文春の論調とつき合うつもりはない。そういうスタンスでいいと思ってたんですけれどね。たとえばもし誰かが南京のことを聞いたら『ボクは幻だと思ってません』というつもりでしたよ。規模の大小は別として、南京で虐殺があったのは事実でしょう。そう言うと文春はいやな顔をするだろうけど、文春に義理立てするつもりはありませんから。だってこの二つは別の事件だもの」
話を聞きながら不思議な気分にとらわれた。西岡氏は記事の中で、乱暴に要約すれば
(1)ホロコースト=ガス室と一般に理解されている。
(2)しかしガス室はなかった。
(3)したがってホロコーストもあったとはいえない−−
という強引な三段論法を展開している。
ホロコーストという言葉は大虐殺、より正確に定義すれば平時と戦時とを問わずなんら法的根拠をもたない殺戮、という意味だ。西岡氏が言う通り、その罪の重さは規模の大小にも、そして用いた手段にも関係ない。もともとはナチスは、ユダヤ人を次々と拘束し、何百人、何千人という単位で銃殺していた。しかし、そのうち、銃殺する当のドイツ将兵がストレスに耐えられないという実に「人道的な理由」で、「負担」のかからないガス室を考案したのである。極論を述べるならば、ガスか銃弾かは問題ではない。
「定説」の600万人という犠牲者数が仮に10分の1の60万人−−阪神大震災の死者の約100倍−−だったとしても、その罪は決して軽減されない。だが、西岡氏はそれを「ナチスによる迫害」という微温的表現にとどめ、しかもホロコーストがなかったと主張するその文章を「露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい」としめくくっている。これを無神経、という言葉以外にどう表現していいのか、私は知らない。
「ボクはたまたま今回書く側に回ったけれども、あくまで読者の一人という気持ちが非常にある。今でももちろんそのつもりでいるから、その意味で、読者というのはそんなに愚かなものではないという気持ちがあるんですよね。行間を読んでくれるだろう、そういう期待が今でもある」
−−西岡さんの書いたものを読んで支持する人は、愚かじゃないとおっしゃりたいのですか。
「というか、これを読んで、反ユダヤの方向に日本人が走るとか、そうは思ってないんですよ。そういう意味ではボクは読者を信じてる」
日本人が反ユダヤ主義者になるはずはない。なれるはずもない。そもそも日本人には、ユダヤ人憎悪に走る文化的な「基礎資源」がない。キリスト教社会におけるユダヤ人憎悪は、二千年来の宗教的葛藤に根ざしているのであり、そうした伝統を欠く日本で、反ユダヤ主義の台頭を懸念するのは杞憂である。加えて言えば、ユダヤ人に関心のある日本人−−いわゆる「ユダヤ本」の熱心な読者にとって、ユダヤなるものは実在の民族ではなく、ロマンティックな想像をかき立てられるおとぎ話の住人にすぎないのである。そういう意味では、ユダヤは「論争オタク」にとっては、ファンタジックでしかも当事者性がなくリスクもない、格好のテーマである。もちろん、オタクの娯楽として許容されうる範囲は自ずとある。「日ユ同祖論」のような、「超古代史」ならば、無邪気な罪のない話として許されもする。しかし、ホロコーストとなれば別である。
「ホロコーストは、あらゆる司法・学問上の検証を経て確認された歴史的事実。これを否定するのはよほど無知かバカか、政治的な意図のためにあえてしているとしか思えない」
と、「南ドイツ新聞」日本特派員のゲップハルト・ヒルシャー氏は『AERA』誌上で語っている。まったくその通りだと、私も思う。しかし、彼はホロコースト否定論者の種類として、もうひとつのタイプ、ただ単なる"趣味"として謎解き論争ごっこを愉しむ種類の人間を挙げ忘れている。無理はない。おそらく彼には想像もつかなかったのだろう。ホロコーストの犠牲者にとってはある意味でこれは、ネオナチのプロパガンダ以上に、堪えがたい侮蔑である。痛ましい惨劇の記憶をオモチャにされているのだから。加害の罪に苦しむまともなドイツ人や恐怖と屈辱の記憶に耐え続けているユダヤ人なら、「それは人間か!?」と訊き返すだろう。そう、それも「人間」である。
夜も更けた。そろそろ失礼しなくてはなるまい。私は長時間の取材に応じてくれた西岡氏に礼を言い、あわせて議論を吹っかけるようなかたちになった非礼を詫びた。「いや、とんでもない」と彼は応じた。
「むしろ、こういうお話をしたかったぐらいなんです。今まで来た記者の方は芸能ニュース的に『花田さんとは会ってるんですか』とか、そんな話ばっかり訊くのでがっかりさせられてきたんですよ。むしろボクはこういう議論の方が好きなんで、大変嬉しかったです」
最後に私たちは握手をして別れた。どこまでも西岡氏は「いいひと」だった。積極的に善をなしているという意味ではなく、悪意を欠いているという意味での「善人」。そしてたぶんこうした無邪気な「善人」を、多くの日本人は決して嫌いはしないだろう。西岡氏の無邪気さは、決して彼特有のものではない。そうなのだ。罪の自覚を欠いたその無邪気さは、至るところに、そして私たち自身の中にも間違いなくある。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/jew3.htm
__________________
ホロコースト否定派自滅の軌跡
歴史的事実に関する記憶を抹殺し、過去をねじまげようとしているのは、何も日本の右派勢力ばかりではありません。欧米には、「リビジョニスト」を自称する人々 -- ホロコーストに関する歴史の「見直し」を主張する勢力 -- がいます。驚くべきことに、彼らは膨大な証拠、証言に基づいて既に繰り返し検証されてきた明白な歴史的事実である、ナチによる組織的ユダヤ人大量虐殺(とりわけその象徴としての殺人用ガス室)の存在を何とかして否定しようと、執拗な試みを続けています。
日本でこれらホロコースト否定論者の言説を輸入・宣伝している人物としては、あの「マルコポーロ事件」の西岡昌紀医師が有名ですが、同じようなことを行っている人物としてもう一人、「フリージャーナリスト」木村愛二氏がいます。この木村氏は、『マルコポーロ』に西岡氏の問題記事が載るよりも早く、『噂の真相』1994年9月号に『映画「シンドラーのリスト」が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑』なる記事を書いており(ただし、このときは媒体がマイナーだったせいかほとんど問題化せず)、その後も『アウシュヴィッツの争点』なる本を出版したり、彼を批判した『週刊金曜日』の本多勝一編集委員と執筆者の梶村太一郎氏、金子マーティン氏を名誉毀損で訴えるなど、この分野では「大活躍」を続けています。(この裁判はその後木村氏の敗訴で終結しました。当然の結果ですが。)
ホロコースト否定論などというものは、相手の無知に付け込んで白を黒と言いくるめようとする醜悪な疑似科学・似非歴史学の寄せ集めに過ぎませんが、私にとってはもともと畑違いの分野ですし、私と西岡氏や木村氏との間にも何ら接点はありませんでした。ところが98年5月、私が長らく購読してきたamlというメーリングリストにこの木村氏が参加するようになり、さっそく「ホロコーストはシオニストがでっち上げたデタラメだ」といった類の記事を流し始めたのです。しばらくは静観していたのですが、なかなか正面からの反論が現れないため、やむを得ず10月半ばに私が反論記事を投稿し、その結果amlおよびamlに付属する議論用MLであるaml-stoveにおいて、私と木村氏との間で論争を行う結果となりました。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/holocaust.htm
もはや議論では相手にされなくなった木村氏は、何を思ったか、自著の内容を細切れのメールにして複数のMLに流すという暴挙を始めました。当然大顰蹙を買ったわけですが、木村氏はあらゆる抗議(そんなに「無料公開」したければ自分のホームページに掲載してアナウンスだけ流しなさいという余りにも当然の抗議)を無視して迷惑メールの送信を続け、その上、騒ぎに乗じてaml参加者をテロリスト呼ばわりする「中宮崇」なる人物まで現れるに至って、amlは一時大混乱に陥りました。(この時の状況がどのようなものだったかは、2000年1月分のログを見れば想像がつくと思います。)
そうこうするうち、何者かが木村氏にメール爆弾を送り付けるという事件が発生し、これを機に木村氏はamlへの登録を解除して消えて行きました。
代わって「大活躍」を始めたのが、マルコポーロ事件を引き起こした張本人、西岡昌紀氏です。西岡氏は、ラウンド4の終わり頃から、木村氏にメールを代理投稿してもらうという形で姿を見せ始めていたのですが、まるで去っていく木村氏と交代するかのように、大量のメールをばら撒き始めました。
木村氏も相当なものでしたが、西岡氏はそれに輪をかけたひどさで、その内容の低劣さは以下に掲載した実物を見て頂けば明らかだと思います。(注:西岡氏の投稿のここへの掲載は、氏自身が要求したことです。)
指摘された内容を理解する意志も能力もなく、ただひたすら自分の思い込みを繰り返すことしかできない西岡氏は、ホロコースト否定論を主張する人々の程度と実態を誰の目にも明らかにしてくれたという意味で、木村氏以上に優れた反面教師だったと言えるでしょう。
なお、今回西岡氏の投稿は相当数を省略しています。全部を掲載したらディスクがゴミの山に埋もれてしまうからですが、それでも彼が持ち出した論点はほとんどカバーしているはずです。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/round5.htm
「ガス室の嘘」オンライン論争の経験から
高橋 亨
1.はじめに
1995年の『マルコポーロ』事件を記憶しておられる読者も多いことと思う。あのときは、国外からの激しい抗議にあって掲載雑誌の回収・廃刊という安易な対応がとられた結果、問題の論文[1]のどこがどのように間違っていたのか(実際にはほとんど徹頭徹尾デタラメだったのだが)が充分明らかにされることなく話題が収束してしまった。
そのせいか、いまだに「ガス室」の存在には何らかの疑惑があり、その解明を試みた論文がユダヤ人団体の「圧力」によって潰されたのではないか、というような誤解が払拭されずに残っており、そのような誤解に乗じてホロコースト否定論を広めようとする動きも消えていない。
私は、ひょんなことからこのガス室の存否をめぐって「フリージャーナリスト」木村愛二氏と約半年間に渡る論争を行うことになった。ここではこの論争の経緯と、この経験から私なりに学んだ事柄について報告する。
2.論争の経緯
事の発端は昨年5月、私が数年来購読してきたAML(オルタナティブ運動情報メーリングリスト[2])というメーリングリストに木村氏が参加してきたことにさかのぼる。AMLはその名前のとおり、様々な市民運動団体や個人が、一般マスコミでは報道されない各種情報を交換するための「オルタナティブな」媒体を提供することを目的としている。ところが、氏はAMLに加入すると、ただちにこれをホロコースト否定論を満載した自著やホームページを宣伝するための手段として利用し始めた。
AMLを貴重な情報源としてきた私にとって、米軍基地問題や日本軍性奴隷問題を追求する抗議声明や集会案内が日々流されているその同じ場に、こともあろうに史上最悪の大虐殺・人権蹂躙の事実を否定し、その免罪化を図るインチキ情報が流されるなどというのは、耐え難い苦痛以外の何物でもなかった。単にゴミ記事が流れてくるだけなら読まずに捨ててしまえばいいのであるが、例えばイラクへの空爆を非難し、アメリカの恣意的な中東政策を糾弾する記事(それ自体はまったく正当なものであるが)の間に、ホロコーストはイスラエルの政治的立場を有利にするために仕組まれた巧妙な嘘であり、イスラエルはナチス・ドイツ以上に悪辣なのだ、などと決め付ける主張が混ざり込むと、困ったことにそこには一定の奇妙なもっともらしさが生じてしまう。
これを放置しておいてはならない。一種の危機感に駆られた私は、この問題についてはまったくの素人(マルコポーロ事件後に出版された『アウシュヴィッツと<アウシュヴィッツの嘘>』[3]を読んだことがある程度)に過ぎない立場ではあったが、にわか勉強をしつつあえて反論を投稿し始めた。
昨年10月から始まったこのオンライン論争は、木村氏が最終的に論争の継続を拒否する(今年3月)に至って完全に決着が付き、氏が認めるかどうかはともかく、客観的には結論は明白となった。ただし、議論の内容そのものを繰り返すのは本稿の趣旨ではないので、興味を持たれた方は私のホームページ[4]に掲載してある論争記録を参照して頂きたい。また、この論争を契機として、ホロコースト否定論者たちの手口を徹底的に暴く情報ページ[5]を東京経済大学の山崎カヲルさんが開設されているので、そちらもご覧頂きたい。
3.ホロコースト否定論とは何か
ホロコースト否定論とは、ナチス・ドイツが約600万にものぼる膨大な数のユダヤ人をガス室その他の手段を用いて殺害し、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の絶滅を図ったという歴史的事実を否定し、それは戦中から戦後にかけて捏造された嘘であり、巧妙に仕組まれた陰謀である、と主張する言説のことである。論者によって多少ニュアンスは違うものの、この「陰謀」の裏にはイスラエルがいるとする点ではほぼ共通しており、いわゆるユダヤ謀略説の一種と見なすことができる。(実は、ホロコーストの犠牲となったのは決してユダヤ人だけではなく、それに匹敵するほどの数の「忘れられた」非ユダヤ系犠牲者が存在した[6]。この点だけをとってもユダヤ謀略説など成立しようがないのだが、否定論者たちはこのような不都合な事実は一切無視している。)
ホロコースト否定論の起源はフランスやドイツの極右勢力に求めることができるが、現在その中心はカルト的言論に対する規制が緩い北米に移っており、特にカリフォルニアに本拠を置く疑似アカデミー組織IHR(The Institute for HistoricalReview)がその総本山的役割を果たしている。代表的論者としてはロベール・フォリソン、マーク・ウィーバー、ブラドレー・スミスなどがいる。彼らの主張と比較してみると、日本の否定論者は欧米の言説を直訳輸入しているに過ぎないことがよく分かる。
4.嘘とその見分け方
重大な歴史的事件の中でも、ホロコーストほど大量の証拠、証言(被害・加害両側からの)によって裏付けられ、戦争犯罪法廷の場や多数の歴史学者の研究によって繰り返し検証されてきたものは他にほとんど例がない。複雑で大規模な事件であるだけに解明すべき謎はまだ多数残されているものの、ナチスによるユダヤ人大量虐殺という事実そのものに疑問の余地はまったくない。否定論者たちもさすがに事実としてのホロコーストを正面から攻撃することの困難さは理解しており、従って様々なトリックを使って搦め手から攻めようとする。その戦術をひとことで要約すれば、一般人の無知につけ込む、ということに尽きる。
体験者でも専門研究者でもない我々にとって、ホロコーストは結局のところ「教えられた歴史」の一部でしかない。「アウシュヴィッツ」、「ガス室」、「チクロンB」といった断片的な知識は持っていても、絶滅収容所で用いられた殺人ガス室がどのような構造を備えており、ガス殺とその後の死体焼却がどのような手順で行われたのか、あるいは「殺虫剤」チクロンBがどのような毒性を持ち、なぜ大量虐殺手段として採用されるに至ったのか、といった細部についてはほとんど何も知らないと言ってよい。だからこそ、例えばフォリソンは「ガス室の設計図を描いて見せよ」というような突飛な要求を突き付けて相手の動揺を誘おうとする。否定論者たちがとりわけ「アウシュヴィッツのガス室」について語りたがるのは、その存在がいわばホロコーストの象徴として広く知れ渡っていると同時に、ガス室の詳細について知る者など専門家以外にはほとんどおらず、いくらでもごまかしが効くからに他ならない。
彼らの正体を理解した上で眺めてみれば、ホロコースト否定論なるものが断片的事実の上に嘘と歪曲と恣意的引用を積み重ねてでっち上げた疑似科学と似非歴史学の混合物に過ぎないことは容易に分かる。しかし、ホロコーストに関する専門的な知識がなくても、否定論の嘘を見抜くことは必ずしも不可能ではない。次に示す例を見て欲しい。
ナチスの支配領域に600万ものユダヤ人はいなかった。従って600万人の大虐殺など不可能である。
あのような構造のガス室で大量殺人を行うことはできない。これは専門家によって確認されている。
戦後の法廷で元親衛隊員たちが行った加害証言は拷問によって引き出されたものであり、信用できない。
どこかで見たようなパターンではないだろうか? 例えば「ナチスの支配領域」を「南京」に、「600万ものユダヤ人」を「30万もの人口」に置き換えてみたらどうだろう?「ガス室」を「日本刀」、「専門家」を「軍隊経験者」に置き換えるのでもよい。あるいは、「元親衛隊員」を「日本人戦犯容疑者」、「拷問」を「洗脳」に入れ換えてみたら?そこに出来上がるのは我々にもおなじみのプロパガンダではないだろうか。
歴史上の事件にまつわる真実は驚くほど多様であり、時として我々の想像力を遥かに上回る。しかし、嘘はいつも似通っている。それは、嘘をつく人間の卑小さを鏡のように正確に反映する。
5.なぜそれを許してはならないか
一部の反ユダヤ主義者や極右グループ内部の言説に留まっているかぎり、ホロコースト否定論など取るに足りない存在に過ぎない。「地球平面協会」の主張にいちいち目くじらを立てても仕方がないのと同様である。しかし、どれほど明白な歴史的事実でも、そのリアリティは体験者たちが減少し、教えられたこととしてしか知らない世代が増えるに従って必然的に薄れていく。そしてホロコーストに限らず、否定論者たちはこうしたリアリティの希薄化に乗じて過去を改竄し、歴史を自分たちの都合のいいように捻じ曲げようとする。
もしも、かつての朝鮮植民地支配の過酷な内実や、中国侵略に伴っていたホロコーストにも匹敵するような残虐行為が実は事実ではなく、巧妙な「反日宣伝」によって植え付けられた嘘だったとしたら日本人でいることがどれほど気楽になることか、これは容易に想像してみることができるだろう。しかし、どんなに魅力的に見えてもそのような歴史の改竄は許されることではない。どれほど醜悪で受け入れ難い過去であっても事実は事実として正確に認識し、その克服(取り返しのつかない行為をしてしまっている以上「清算」はもはや不可能であるにせよ)に努めなければならない。歴史に学び、同じ過ちを二度と繰り返さないことは、その歴史の果実を享受して生きている我々が理性ある人間として振る舞おうとする限り避けられない最低限の義務である。
だからこそ、ホロコースト否定論は絶対に許してはならない。それは、単にそれが誤った、愚かな妄説だからなどではなく、過去を改竄することによって歴史から学ぶ可能性を奪い、かけがえのない記憶を抹殺し、ついには未来を奪い去るものだからである。
周囲にユダヤ人の知人の一人もいない平均的日本人にとって、ホロコースト否定論はあまり深刻な問題には感じられないかもしれない。しかし、これが世界的に大きな勢力を占めるようなことになればどれほどの災厄が生み出されるか、それは「自由主義史観」を名乗る日本版否定論の脅威にさらされている我々の方が、むしろ容易に想像できるのではないだろうか。
6.否定論への有効な対抗手段
「真実は作り話より脆い」という言葉がある。実際、その場その場の口からでまかせで言いつくろえる嘘と比べて、ひとつひとつの資料事実に基づく実証によって真実を維持していくのははるかに困難な作業であり、また膨大なコストを必要とする。否定論は容易であり、その安易さゆえに何回論破されてもしぶとく生き残る。
では、このような否定論に対して、いったいどのように抗していけばいいのだろうか。ドイツやフランスでは、ホロコースト否定論のような反社会的言論を法的に規制するという直接的手段がとられている。しかし、このような手法は言論の自由という貴重な市民的権利と対立するだけでなく、思ったほどの実効性も得られていない。ホロコースト否定論をばらまくような人々は軽微な処罰など恐れないし、法的規制は「言論弾圧」にさらされる被害者という免罪符を彼らに与え、最悪の場合、法廷を彼らのための宣伝の場として提供する結果にさえなりかねない。
実は、今回の木村氏との論争において、私の主張を支えてくれたほとんどの資料は、インターネットを介して入手することができた。とりわけ、カナダ人のケン・マクベイを中心とするスタッフにより、ホロコースト否定論への反撃を目的として運営されているウェブサイト“The Nizkor Project”[7]は、詳細かつ豊富な資料を提供してくれている。ここには、ホロコーストに関する貴重な一次史料から否定論者たちが持ち出す各種論点への逐条的反論、主要な否定論者たちの正体に関する情報、更にはUsenetニュースグループ上で繰り広げられた彼らとの論争記録など、実に膨大な資料・情報が集積されている。また、同様な目的を持つもう一つのウェブサイト“The Holocaust History Project (THHP)”[8]も、否定論者たちがガス室否定の「証拠」と称して持ち出す疑似科学文献を粉砕する専門家による論文など、極めて貴重な資料を提供している。
私のような素人がホロコースト否定論の「プロ」に対抗できたこと自体、NizkorやTHHPの方針の正しさを示していると言える。謬論に対する反撃をその場限りのもので終わらせてしまうのではなく、他の心ある人々が再利用できる形で記録や資料を公開し、できる限り広く情報を提供していくこと、そのようにして次々と理性的な反論の輪を広げていくことが、例えば日本版否定論に対する反撃手段についても貴重なヒントを与えてくれているのではないか、これが今回の論争を終えての私の実感である。
最後に、有益な情報を与えてくれたこれらのサイトのスタッフの皆さんと、今回の論争に際して暖かい声援をお送り下さった方々に感謝するとともに、その死後半世紀を経た今もなお精神的暴力に晒され続けているホロコースト犠牲者たちの魂の平安を祈りつつ本稿を終えることにする。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/lets23.htm
梶村太一郎さんからのメール
『週刊金曜日』誌上での連載・寄稿を通して木村愛二氏と全面対決された一人であるベルリン在住のジャーナリスト、梶村太一郎さんから励ましのメールを頂きました。メールアドレスは明かさない、という条件で公開の許可を頂いてありますので、ここに掲載します。
--------------------------------------------------------------------------------
Subject: ガス室論争へのお礼
Date: Sun, 27 Jun 1999 14:03:22 +0200
From: "Taichiro Kajimura"
To: toru-tk@altavista.net
高橋 亨様
拝啓 突然メールで失礼いたします。
私は、ここ数ヶ月ではありますが、ベルリンからインターネット上で日本のガス室論
争を追っていました。
そこで、高橋氏らが大変な努力をなさり、徹底的に否定論に対抗されていることを知
りました。
この件では私は週間金曜日誌上などで発言する機会を持っているので、また私にとっ
ては木村愛二以下の否定派はまともな論議の相手ではないので、ネット上で対抗する
ことは一切控えていました。
しかし、御存知のように、東京地裁の判決で完勝し、週間金曜日(六月十八日号)で
総括特集を終えましたので、この機会に高橋氏をはじめ、歴史改竄主義の危険性を察
知して堂々と立ち向かわれた方々の努力に敬意を表し、かつお礼を述べさせていただ
きたいのです。
歴史の事実は一つしかありません。魯迅の言ったように血で書かれた歴史は墨で消す
ことはできないのです。日本の司法もホロコーストを史実と認定し、真実が小さな勝
利を遂げたのです。しかしこれは広範な日本の歴史改竄主義に対抗する貴重な一歩に
なるはずです。
この論争で残されたことは、ここで水に落ちた犬、「歴史の暗殺者」どもを、徹底的
に叩くことです。なぜなら、歴史の事実は一つですから、非和解であるからです。と
りあえずは、論争での敗北を認めないかぎり相手にしないという姿勢をネット上でも
表明することでしょう。ますます嘘をまき散らすことを止めさせなければなりません
。それには大変な手間がかかりますが、民主主義はそのようなものとしてしか生きた
ものとして実現できないのです。徹底した論争は民主主義の糧です。
さて、高橋氏が論争で私の言葉を引用なさっての部分もあり、それに関することです。
私は金曜日の論争覧に書くひと月前にもマイダネックを尋ねています。冷戦後の様子
を確認するためです。
ガス室もじっくり観察し多くの写真も撮ってあります。天井の爪の跡もです。それが
本物であるかと言われれば証明することはかなり難しいことになります。徹底して古
い文献を当たらねばなりません。私はポーランド政府が偽物のツメ跡をつける可能性
については、動機が考えられないので無いものと判断しています。
だが、のぞき穴のある鉄扉がベルリンのどの会社で何時つくられ発送されたかなどは
最近の研究で解明されています。
またこれは昨年になって一般にも知られるようになった研究成果なのですが、各収容
所へ納品されたチクロンBが何時、どれだけの量、何処に配分になったかまで実証さ
れました。アウシュヴィッツのビルヶナウのガス室が本格的に稼働しているころどれ
だけの「消費」がそこであったかまでが、ハンブルグのTesch & Stabenowという販売
代理店の売り上げ台帳には量と金額で表されています。一九四三年には大利益を挙げ
ています。この年にはアウシュヴィッツには12174kg,マイダニックには29
13kgが納品されています。この年の膨大な需要増大が何に基づくものかを否定論
者は決して実証的に答えられないでしょう。
また犠牲者の遺体などから盗られた金(Gold)の量と行方もほぼ完全に解明されまし
た。これはつい最近の研究成果ですが、驚くべきことです。これについては詳しい報
告をしたいと思っています。吐き気のするような歴史ですが事実は確認されねばなり
ません。(金曜日3月26日号で簡単に触れています)
このように歴史の事実は時間が経つにつれ次第に明確になっています。
以上、お礼をかねての報告と致します。これ以上「アウシュヴィッツの嘘」が日本で
通用しないことを祈っています。これからも貴ホームページの充実に期待いたします。
ベルリン 一九九九年六月二七日 梶村太一郎
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/kajimura.htm
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。