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今から頂度20年前の9月7日、一人の歴史家が、この世を去りました。
その時、世界は、イラクのクウェート侵攻による緊張の只中に在りました。その緊張は、結局、翌年(1991年)の1月17日に勃発する湾岸戦争へと至るのですが、イラクのクウェート侵攻によって、世界が、「開戦前夜」の緊張の中に在った時、その歴史家がこの世を去った事に、私は、深い感慨を覚えました。
その歴史家の名前は、A・J・P・テイラー。イギリスの高名な歴史家です。
(A・J・P・テイラーに関する日本語版ウィキペディア)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBJ%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
以前、ウィーンを訪れた時、シェンブルン宮殿の書店で、このテイラーが書いたハプスブルグ家に関する本が山積みに成って居たのを見た事が有ります。オーストリア人が、自身の国の歴史書として、このイギリス人の著作を、シェンブルン宮殿の書店に積んで居た事はとても印象的でした。誇り高いオーストリア人達が、彼らの魂とも呼ぶべきシェンブルン宮殿を訪れた外国人観光客たちに、イギリス人であるテイラーの著作が読まれる事を望んで居る様で、テイラーの世界的名声を改めて感じずには居られない光景でした。
テイラーは、ハプスブルグ家の歴史についても、そうした世界的に評価される歴史書を残した訳ですが、テイラーには、もう一つ、有名な著作が有ります。
それは、“The Origins of the Second World War”(『第二次世界大戦の起源』)と言ふ本です。
、“The Origins of the Second World War”(『第二次世界大戦の起源』)に関するサイト
↓
http://www.amazon.co.jp/Origins-Second-World-Penguin-History/dp/014013672X/ref=sr_1_2?ie=
戦後16年目の1961年に発表されたこの本は、世界中で読まれて来ましたが、この本において、テイラーは、ヨーロッパにおいて、第二次世界大戦が起きた理由は何であったのか?と言ふ問いに取り組み、ヴェルサイユ条約の成立から、第二次世界大戦の始まりと見なされる事が多い、1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻までの過程を、一次史料に即して、詳細に分析して居ます。
そのテイラーの著作(『第二次世界大戦の紀元』)において、テイラーが結論ずけて居る事を私(西岡)の言葉で要約すると、ヨーロッパで第二次世界大戦が起きた原因を検討すると、あの大戦は、成り行きで起きてしまった部分が大きい、と言ふ事ではないかと、私は思ひます。
言ひ換えるなら、ヨーロッパで第二次大戦が勃発した過程には、偶然の要因が大きかった、と言ふのが、テイラーの見解ではないかと、思ひます。そして、ここが重要なのですが、要約すると、テイラーは、戦後、多くの人々が思って居るのとは違い、ヒトラーは、第二次世界大戦を起こす積もり等無かった、と言ひたかったのだと、私は、思ふのです。
ヒトラーは、別にヨーロッパの征服などしようとはして居なかったし、第二次世界大戦を始める積もりも無かった。しかし、外交交渉の過程で、ヒトラーとしては予期しなかった事が重なり、成り行きから戦争が起こってしまった、と言ふのが、テイラーの見解である様に、この本は読めるのです。
それは、テイラーが、この本の序文に書いた、次の有名な言葉に要約されて居ます。
In internetional politics, there was nothing wrong about Hitler
except thet he was a German.
(ドイツ人であった事を別とすれば、国際政治において、ヒトラーに悪い所は何も無かった)
以前、読んだ所に依ると、戦後まだ16年しか経って居なかったイギリスで、こんな挑発的な言葉が書かれたテイラーのこの本が発表された時、イギリスでは、大変な反発が起きたのでそうです。
ところが、ここが面白いのですが、テイラーは、個人的にはドイツが嫌いで、別に、ドイツの味方をする様な心情は、全く持って居なかったのだそうです。
それどころか、テイラーは大変な愛国者で、祖国イギリスを深く愛し、特に、イギリスの普通の人々を本当に深く愛した人だったと言ふのです。
つまり、テイラーは、歴史上の事実を分析する仕事と、個人の心情を峻別して居た訳で、歴史に対する姿勢と、特定の国や民族に対する自身の個人的感情を切り離す姿勢を貫いた人だったと、言ふ事が出来るのではないかと思ひます。
ですから、そのテイラーが、ヒトラーには戦争をする積もりは無かった、とする見解を発表した理由は、ヒトラーに対する好悪の感情とは無関係の物で、単に、事実を客観的に分析したら、そう言ふ結論に至ったと、言ふ事に過ぎなかったのだと言って間違い無いのです。
しかし、大戦終結から、まだ16年目のイギリスでは、テイラーのそうした姿勢が十分理解されなかった様で、彼は、多くの感情的な批判にさらされた様です。
そんな批判に対して、テイラーが述べた言葉は、この様な物だったそうです。
「我々は、第二次世界大戦を、17世紀のピューリタン革命を研究する様な態度で研究するべきなのだ。」
お分かりでしょうか?同時代の人間としての感情を排して、遠い昔の歴史を研究する様な冷静な姿勢が、現代史研究にも求められる、と言ふ意味です。私たち日本人の場合で言へば、第二次世界大戦を、関ヶ原の戦いを研究する様な客観的な姿勢で研究せよ、と言ふ事でしょうか。
私は、テイラーのこうした姿勢に深く共感する者です。
そんなテイラーが、心血を注いで書いた『第二次世界大戦の起源』を読むと、戦争が起こるまでの過程で、外交官や政治家をはじめとする様々な人間たちの苦悩が、逆に、同時代の出来事として伝はって来ます。
そのテイラーが、パーキンソン病との闘病生活の末、世界がまさに新しい戦争(湾岸戦争)に移行する予感と不安の中でこの世を去った時、私は、因縁深い物を感じずに居られませんでした。
あれから、もう20年が経ったのか、と思ひます。
核時代65年(西暦2010年)9月7日(火)
A・J・Pテイラーの20年目の命日に
西岡昌紀(内科医)
(関連するミクシイ日記)
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