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勝海舟 書簡 動画
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/382.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 7 月 31 日 22:36:12: xbuVR8gI6Txyk
 

http://www.youtube.com/watch?v=-JiLv_8rkZk&feature=related

勝 安芳(かつ かいしゅう / かつ やすよし)は、江戸時代末期から明治期にかけての幕臣、政治家。位階勲等は正二位勲一等伯爵。

幼名および通称は麟太郎(りんたろう)。本名義邦 (よしくに)、維新後改名して安芳。これは幕末に武家官位である「安房守」を名乗ったことから勝 安房(かつ あわ)として知られていたため、維新後は「安房」を避けて同音(あん−ほう)の「安芳」に代えたもの。勝本人は「アホウ」とも読めると言っている。海舟は号で、佐久間象山から受領の篆刻「海舟書屋」からとったものである。

父は旗本小普請組(41石)の勝小吉、母は信。幕末の剣客・男谷信友は従兄弟に当たる。海舟も10代の頃は剣術修行に多くの時間を費やしている。家紋は丸に剣花菱。

山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。明治6年には福澤諭吉らの明六社に参加(勝安芳)。 1887年に哲学館(現:東洋大学)を創設した井上円了と親交があり、多くの寄付をしているため、「哲学館の三恩人」の一人と呼ばれている。

また、専修学校(現:専修大学)の繁栄にも尽力し、専修学校に「律増甲乙之科以正澆俗 礼崇升降之制以極頽風」という有名な言葉を贈って激励・鼓舞した。

 

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コメント
 
01. 2010年8月01日 09:06:20: xqdNZxNgjc
幕末、色んな人間がそれぞれの立場で行動をしたが、
もっとも冷静に日本民族、日本国という視点に立って、行動したのは、
勝海舟をおいて、無かったのではないかと思っている。
幕府側にも優秀な人材は多かったが、結局は、幕臣という枠から出ることは
できなかった。
薩長土肥というけれども、この連中も反幕府、権力奪取という枠から
出られなかった。
挙句の果てに、そこに付け込まれて、メーソングラバー共の走狗となって
しまった。
維新以後も政府に対して、苦言を呈することができたのは、この人だけだった。
しかし、もとより実権のない立場に追いやられ、無視されたのである。
しっかりと、毛唐人(欧米)の裏側(金融財閥の危険性)を見抜いていた!
建国以来、未曾有の国難を迎えている今こそ、
我が国のリーダーたちは、この人の言葉に真摯に耳を傾けるべき時である!

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