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日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 4 月 06 日 22:09:55: 3bF/xW6Ehzs4I
 


荻原祐介氏は狭山事件発生直後から独自を調査を重ねた結果、真犯人が石川青年ではありえないことを確信した。 そして石川氏が一審で死刑判決を受けたことを権力の謀略といち早く見抜き、石川氏に面会して、あの有名な二審冒頭での爆弾発言、

「裁判長殿、私は善枝ちゃんを殺していません!」

という「名文句」を授けた人でもある。 正に石川氏とその家族が「命の恩人」として慕う人でもあった。

荻原氏は同時に石川氏を死刑台に送ろうとした首謀者たちを法廷に引きずり出して、
その卑劣な仮面を引き剥がそうと目論み、様々な告発を行なった。
その中の一部に、浦和簡易裁判所宛に提出した、当時の埼玉県警本部長警視監・
上田明氏を被告とする緊急証人喚問請求がある。 以下にその一部を紹介する。


尋問事項

一、被告は中田善枝さんの母、故ミツ(明治42・11・18生、昭和28・12・30死亡)
  の存命中の素行を熟知しているか。

二、母故ミツが中田栄作と昭和8・5・12、婚姻したが婚礼中の翌朝中田家の庭に
  何が持って来て置いてあったか。

三、○○○○は男好きの奔放な女性で死亡まで肉体関係をしていたという色男が
  十人位いたということを知っているか

四、母ミツは昭和28・12・30午前十時三十分に東京都北多摩郡小平町小川六六二〇
  国立療養所精神科病院に於て「脳腫瘍」という一万人に一人位しかいないと
  いう珍しい病気にて昭和28・12・19に入院して昭和28・12・30午前十時三十分
  に死亡しているが、この母故ミツの死因について村人たちは○人いたという色男
  の中の誰かがやきもちをやいて毒を呑ました、中田家で死んだのでは世間体が
  まずいので、遠い所の病院へ運んで死なせたのだ、といっているのである。

  原告が専門医の意見を徴たる処、国立武蔵野療養所は患者は全部精神病者にして、
  外科医の治療を受けねばならぬ脳腫瘍患者が専門外の精神病院に収容されたこと
  及び脳腫瘍という病気は発病してから三年位患ってから死亡するのが此の病気に
  なった患者の発病から死亡するまでの過程であるという。

中田家周辺の住民は母故ミツは病院に連れていかれるまで毎日丈夫で働いていた
ということからして、発病して三年経過しなければ死に至らぬという病気が僅か
入院して十日位で死亡していることは何か臭い、死亡診断書が臭いとの意見
である。

五、被害者中田善枝は、昭和22・5・1生まれで、十六歳であったが、体格は一人前
  の女に成長し、性格は死ぬまで○○○○をしていた色男が十人もいたという
  多情多感、○○な母に似て中学一年位の頃から既に男性に積極的で○○○○を
  持ち、母故ミツに劣らぬ○○が相当いたはずと村人はいっているのである。

  中田善枝さんが強姦されて死んでいるのではなく、和姦の後、格闘乱闘、抵抗の跡
  もなく、おとなしく殺されていたという殺害の状況よりして、村人たちは十人以上
  居た善枝さんの色男の中の誰かが、合意に依る和姦の後、殺害したのに
間違いない。
  
  真犯人は善枝さんと事件以前から肉体関係を持っていた10人以上の色男の中
  の誰かであるといっているのである。

  故に善枝さんを見たことも聞いたこともない通りがかりの男が慾情にかられ
  て殺したのではないと異口同音に村人たちは話している。

六、被告は被害者善枝に肉体関係をしていたという10人以上の色男の所在を突き止め、
  以てそのアリバイを確認する捜査をしたか。

七、狭山市、入間川の菅原部落及び柏原の下宿部落には、環境の相違よりして中田善枝
を知っている男性は一人もいないのである。
  この犯人のいない所謂部落に集中捜査攻撃が加えられたことは差別的偏見による
  偏見捜査であったと断定せざるを得ない。

  原告に多分の暇があれば詳細なるききこみを続行して十人以上いたという色男の
所在を突きとめ、真犯人を発見するのだが、毎日多忙の体でそれができず遺憾
である。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html

エサクとミチュが結婚した翌朝、自宅の庭にとんでもない光景が広がっていたというのは皆さんご承知の通りです。

では誰がやったのか?

ミチュと関係のあった10人以上いたというイロ男たちでしょうか。
もしかするとそうかもしれませんが、それはどんなヒトか・・・

そしてミチュは不審な死を遂げ、恐怖に怯える長女が家出。
さらに利権のからんだ当事件につながっていく。

たとえばです、ヨッチャンの父親が部落民だったとしたらどうでしょう。

当時の農村における差別意識を想像するに、エサクや長兄の心境は?
考えただけでも恐ろしいです。

中田家も、街道も、警察も、真犯人逮捕を望まなかった。
むしろ絶対に避けなければならなかった。 それぞれの事情でです。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

日本の農村共同体( 講 )での婚姻は家と家のバランス、双方が親戚となった場合の他家との兼ね合い、または両親が無くなったあとなどにどう言った財産関係が出来上がるかなども考えられた上でなるべく血の薄い相手を「講」の中で選んで縁談させるのです。

なぜそうまで考えるかというと講というシステムの中では特出した金持ち、土地持
ちなどは必要とされず、全ては平等の元にという小さい規模の共産主義のような
意識が基本であるからと考えられます。なので婚姻により財産が大きく増えたり土地、田畑が大きくなるのはタブーであったと思われています。

ただし、中田栄作さんの場合は「講」の外である川越の裕福な農家から嫁を入れる
ことになりました。

これは当時の中田家の経済事情であったとか入間川のある資産家から縁談を持ち込まれ断るに断れなかったなど諸説ありますが、結果としたら講に対する奉納品を倍増するなどしてこの縁談を押し通したこととなり、他のこれまで規律を守ってきた講員らには面白くないことと思えたでしょう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

493 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/26(日) 00:39:10 ID:???]

この地区は事件まで夜這いの風習が残っていたらしい。
古い農村の夜這いの風習が、事件を横溝的に恐ろしくするキーワードだよ。
母親の結婚した時の惨状しかり、異父兄妹関係しかり。


793 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 10:37:00 ID:???]
例えそれが嫌がらせでも、、、

普通墓石なんて考えつくか??

なぜ墓石?

昔のイジメはこれが定番なの???


795 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 13:04:03 ID:???]
>>793
「共同墓地からの追放」ってことを意味するんじゃないかねぇ


796 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 13:21:53 ID:???]
重い墓石をわざわざ運んでまでやるわけだから、いたずらというには度を越しているよな。

何で運んできたんだろう?リヤカー?軽トラ?

善枝さんの自転車も、何で運搬してきたのかが謎になっていることを思えば、不気味な因縁を感じるね。

事件とは直接関係のないただの嫌がらせだったのかもしれないが。


797 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 14:35:15 ID:???]
車が一般的に普及し始めたのって昭和40年代ぐらいじゃない?
よしえサン事件の時車持ってるって聞いてお金持ちだなあと思った。

だけど墓石事件の時って昭和20年代ぐらい、、だよね。
車なんてないんじゃないかな。

しかもあんな重いものをワザワザ。。。。

やっぱリヤカーで村ぐるみなのかね?

798 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 15:00:34 ID:???]

昭和八年の五月


799 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/11/14(水) 15:05:24 ID:???]
墓石投げ込みを、一人でやるとなると、相当な労力がいるだろうからかなり根が深い怨恨だったんだろうね。

複数とすると、結構組織的嫌がらせという感じがしてくる。

…つーことを考えると、やっぱり狭山事件との関連性が、
どーしても頭に浮かんでくる。

単独犯か、複数犯か。
痴情怨恨か組織的脅迫か…
http://yomi.mobi/read.cgi/bubble6/bubble6_archives_1140268024

長兄の手記 (発表されたのは、石川一雄さんが逮捕された日)


善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき「善枝! 本当にこの人なのか?」
と聞いても 遺影は何もいわず、表情すら変えられないのです。

全国から多大なる激励、慰めの手紙をいただき一刻も早く今日のこの日を待って居たのですが長引いてしまいました。 

これも農村という古くからの何ものかゞ ひそんで居たのではないのか?

と責めざるお得ないのです。 この様な憎むべき犯罪が善枝以外に 誰の許にも起らぬ様、世の皆様にお願ひ致します

犯人たるおまえに なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに

苦しかった事だろう 善枝よ!
安らかに ねむりたまえ!
http://blog.livedoor.jp/higurashi/archives/841936.html
http://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090506074847968

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狭山事件(さやまじけん)とは、1963年5月1日に埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女を被害者とする誘拐殺人事件である

この事件では中田家を中心に不幸な出来事が続いた。

まず、事件後に中田家の農業手伝いの奥富玄二さん(当時31歳)が自分の結婚式の前日に農薬を飲んで自殺。

続いて、不審な人物を見たと警察に証言した田中登さん(当時31歳)がナイフを突き刺して自殺。

さらに捜査線上に浮かんでいた付近の養豚場勤務の石田登利造さんが自殺した。

更に驚愕したのは、佐野屋で犯人と唯一会話した善枝さんの姉が石川の死刑判決直後に自殺。

善枝さんの次兄も自殺した

不可思議な事は、石川被告の家宅捜査は3回行われたが、第一回の家宅捜査(5月23日)で徹底的に捜査して何も事件につながるものが出てこなかったのに3回目の家宅捜査で善枝さんのピンクの万年筆が勝手口の鴨居から発見された。

捜査員自らこれを取らず被告の兄に取らせて写真を撮影するなど実に不思議なことが起こっている(尚、この第三回目の家宅捜査の時間はたったの24分間で、第一回と第二回の家宅捜査では2時間以上を費やしている)。公判ではこのピンクの万年筆が物的証拠として有罪の決め手になっている。

取り調べ中も「自供したら10年で出してやる」と自白を強要したり、留置場から浦和拘置所に移された後、この留置場の床に「中田よしエさん ゆるしてください」と書かれていたとして川越警察署が証拠として提出したりしている。

が、前述の通り、石川は字が書けないのである(自分の名前、住所のみ漢字で書ける程度)。

その他の状況も含めて鑑みると「真犯人は別に居る」と見た方が素直である。

だから尚更、警察は「何が何でも石川」という演出に走っていったと思われる状況が多々ある。だが、一審の判決は「死刑」、二審で「無期懲役」の判決によって平成6年12月の仮釈放になるまでの実に31年7ヶ月間を獄中で過ごす事を余儀なくされた。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage51.htm


警察にも関与者が居るような気さえしてくる。強引に冤罪者を作ったり、後に何人も出てくる自殺者の状況も怪しきものばかり。

●次姉は空井戸に落ちているのに警察は溺死と判断。

●養豚場の経営者が踏切に飛び込んで自殺。狭山市・入曽の両駅の日誌から、なぜか当日のページが紛失(破り取られる)。

●事件当日に死体発見現場のそばで怪しい3人連れを見たと届け出た証人が包丁で胸を突いたとして死ぬ。(警察で犯人扱いされ厳しい取り調べでノイローゼ状態)
 (もしかすると重要な証言者だったのかも…)

また、気持ち悪いのが次兄の首吊り自殺。
オカマでも無いのに自殺の遺書は女言葉で綴られている。
事件そのものじゃなくて、後々に沢山出てくる自殺(死)者だけでも謎深いよ。

この家庭は良い家柄だけど、変わった家庭らしくて被害者の母が嫁入りした時も
家の庭に墓石やそとばが大量に投げ込まれていたらしい…

ちなみに被害者の少女は1963年当時16歳だけど、事件で犯される以前にも何度かの性体験があったということが検死(処女膜より)によって明らかになってる。

当時としては早いと思うけれど、もしかして、もしかして父か兄とやってた??
http://jbbs.livedoor.jp/study/56/storage/1149838795.html

1. 狭山事件の謎

事件から45年を経過した現時点でなお、真犯人が誰なのかわかっていません。石川一雄さんが逮捕されて有罪とされましたが、その判決文を読むと物理的にも論理的にもありえないことが大量に書かれていて、「推理」とも呼べないようなものです。
本当にこの事件を起こしたのは誰なのか。事件直後から様々な「推理」が提示されましたが、未だに万人を納得させるものは登場していません。


2. 狭山事件の猟奇

この事件の関係者(被害者の家族(兄と姉)、容疑者、重要な目撃者など)が次々と謎の死を遂げています。

「謎の死」という月並みな言葉を使いましたが、この事件に関しては本当に謎な死に方なのです。

公式にはことごとく自殺あるいは事故死として処理されていますが、それをそのまま信じるなんてとても無理だろ常考。という死に方です。


3. 狭山事件のトリック

事件に際して、奇妙な、当て字を多用した脅迫状が被害者宅に届けられています。例えば「警察」を「刑札」と書いています。
刑札ではこれを「知能が低い者の犯行」と見ましたが、その「刑札」でもわかるように微妙に意味が通る当て字で、なおかつ当の刑札自身がこの脅迫状に「車出いく」と書いてあったのを真に受けて身代金受渡し場所で犯人を取り逃がしていたりして、少なくとも刑札よりは知能が高い者の犯行であることは確実です(笑)。

さらに、身代金受渡場所に犯人自身が現れて、身代金を持ってきた被害者の姉と会話しています。その様子は張り込んでいた刑事たち(複数)も聞いています。
その上で犯人は悠々と包囲を突破して逃げおおせています。それを「単なる偶然」と片付けることは可能でしょうが、堂々と脅迫状を出した上に、警官38人の包囲をサクっと突破して逃げる犯人というだけでも推理小説のネタになるでしょう。


4. 狭山事件の陰謀

上の「謎」で名前が出た石川一雄さんは、なぜ「犯人」に仕立て上げられなければならなかったのか。あるいは、被害者はなぜ殺されなければならなかったのか。そのあたりにプチ陰謀論の種も大量に転がっています。

特に、石川さんを犯人に仕立て上げるにあたっては、数多くの「証拠」がでっち上げられています。このでっち上げは誰が何の目的で行ったのか。そこにも陰謀のニオイをかぎつけることは可能でしょう。

くりか江す(これも脅迫状にあった誤字です)と、これは実際に起きた事件です。
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものです。
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/192
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1. 狭山事件関係者一覧

1963年(昭和38年)5月1日事件当時(狭山市大字上赤坂100番地)


中田家

父親: 中田栄作(明治38年8月14日生57歳):善枝の父、富豪、地域の有力者、
平成2年(1990年)没

母親: 中田ミツ(明治41年(1908年)生まれ。昭和28年(1953年)没。享年45 、
死因は脳腫瘍。入院して10日前後で急死した。近親憎悪の対象?

長男: 中田健治(昭和12年5月5日生25歳), 事実上の家長?、あいまいな証言

長女: 昭和9年生まれ。事件の8〜9年ほど前に家を出て東京で働いていた。
実家とはほとんど縁を切っており、その後結婚して子供が出来た時も実家に
入れてもらえなかった。

二女: 中田登美恵(23歳) 、昭和15年(1940年)生まれ。昭和39年(1964年)没。
享年24。自殺だった。真相を知る?、善枝の理解者 、中学卒業後、高校に
行かず家業を手伝っていた。
さのヤに身代金(に見せかけた包み)を持っていった。

三女: 夭折?

二男: 中田喜代治(昭和19年生まれ19歳) 入間川分校定時制4年生 、
昭和52年(1977年)没。享年33。自殺だった。
女言葉で書かれた奇妙な遺書を残している。

四女: 中田善枝((昭和22年5月1日生16歳) 、 昭和38年(1963年)5月1日没。
川越高校入間川分校別科1年生 、被害者、異父姉妹 
        
三男: 中田武志(昭和27年生まれ11歳) 堀兼小学校6年生 。後に他家に養子に出た。

 YH:登美恵の婚約者、健治と同級生

父親は近所では評判のしっかり者で、妻の死後も遺産相続の原因となる後妻を娶らず、
区長としても自分の考えを貫き通し、成績優秀の子供達も「百姓には学問はいらん」
との方針で四女以外は夜間高校に通わせるほどの徹底した頑固者だったと伝えられている。

長兄は高校卒業後、神経系の病気になって通院していた。病気は顔面神経痛と脊髄の疾病らしいが、詳しい病名は判らない。 東大病院に通院しながら会計事務所で働らき、会計士を目指して専門学校にも通っていたらしい。

その後勤めた新聞社というのは「東京タイムス」じゃなかったかな。
死体発見現場で写真を写していた(「最愛の妹がむごい姿で見つかったというのに
涙一つこぼさずにカメラマン気取りとは」と、のちに長兄が犯行に関与しているのではと大いに疑われることになる原因の一つ)のは、新聞記者だった頃の名残りかもしれない。

この新聞社は今はもうないみたいだけど、当時は農業関係の業界紙も発行していたんだろうか?

結局、長兄は父の説得に負けたのか、夢破れて(?)実家の農業を継ぐことになったらしいが。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html


被害者はもともと7人きょうだい(三男四女)でしたが、長兄以外のきょうだいは全員死去するか通常でない形で家を出るかしています。

そのことと、被害者宅が裕福な農家だった(「百万円様」とあだ名されていた。さらに、父親は地区の区長を務めていたこともある)ことから、「被害者の長兄が遺産相続で独り占めをするために他の兄弟を次々と排除していった、その手始めが狭山事件である」という「長兄犯人説」が唱えられています。


中田家のその後

 長男・・・結婚して中田家の「家長」となる
 長女・・・家出して東京で結婚。中田家とは没交渉。
 次女・・・事件の1年後、「自殺」。
 三女・・・幼くして病死。
 次男・・・事件の十数年後、「自殺」。
 四女・・・事件により殺害される。
 三男・・・事件の十数年後、養子縁組。改姓して中田家を出る。

つまり7人のきょうだいの中で存命者は長男・長女・三男の3人のみ。
そのうち事件が起こったあの家に残ったのは長男のみ。


27 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/17 16:00

次兄が経営していたのはラーメン屋だったらしい。大きな料理屋なら経営苦で自殺というのもうなずけるがラーメン屋程度なら、うまくいかなくても本家から相続分の畑でもわけてもらって農業をやってもいいわけだし、借金があったのなら土地を売るという手もあったはず。

父親と長男は相談に乗ったのだろうか。
なんでも末の弟も家を出て、次男の店から東京の大学に通っていたそうだ。
どの兄弟も長男とは一緒に暮らしたくないほど、仲が悪かったのか。


31 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/17 18:03

店をたたんで農業やるとか考えられたにも関わらず、自殺とは何かがおかしいと思う。
頭下げられないほど実家とは仲悪かったのか? それとも下げるに下げられない「何か」があったのか・・・
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html


249 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 17:18

末弟も、のちに養子縁組して中田姓を捨て、家を出て行った…

それ以前に、大学へも実家からではなくのちに自殺する次兄の家(中華料理店)から通っていたというから、よっぽど実家にはいたくなかったのだろう。

そんなに父または長兄との折合いが悪かったのか…
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html


230 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/04/11 15:12

結局中田家の財産を相続したのは誰なんですか?

231 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/04/11 17:48

兄じゃろう。でもそんなに財産あるのか?


262 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/04/27 00:02

中田家の農地、山林四町歩(潜在的価格は坪十万円と安く見積もっても十二億円)は長男健治氏の心境ではすでに自分一人のものであるらしい。姉、弟とともに将来は四等分、均等配分の意志なぞみじんもないようである。 これについて昭和46年9月「週刊アサヒ芸能」の記者が兄健治と対談した記事をみると次のようである。

「犯人身内説を受けて中田健治さんがいう。「うちの財産ですか。兄弟はみんな外にでて、たしかに私が中田家を継いでいますが、ここらあたりは一反歩百六、七十万円でうちは三町もっているから四千五百万円ですが地価のとくに安いところですから、百姓やっていてもバカをみますよ。以前、名古屋のほうの新聞だったかに長男が怪しいなんて書かれたんですが、ぼくはやましいことないから平気ですよ。」 静かな口調だった。」

ところで兄のいうようにかりに一反歩(三百坪)百六、七十万円なら坪五、六千円 とみているわけだが当時でも坪二三万円とみられている。又、「うちは三町」といっているが父の警察調書では畑二町三反、山林一町三反、宅地一反三畝計三町七段三畝、一万一千九○坪である。平均坪五千円として五千五百万円、坪三万円とすれば三億三千万円である。

そして兄は中田家を継いでいる、と称しても父がいなくなれば姉弟四人で四等分ではないか。誰も相続権を放棄していないし、長男が勝手に「自分独りのもの」とみなしているところにおかしな心境がみえているのではないか。「百姓をやっていてもバカをみる」といいながら独りで継いだ気になっている

ところに矛盾がある。「バカをみる」なら長男が農家を継ぐことを拒否している例もあることゆえ土地を長女や弟に譲って勤人でもする方がよい。長女、弟たちに父の存命中に土地を四等分して「バカをみないようにする」なら長男の言行は一致し「長男が怪しいなんて書かれない」事になるわけだ。犯罪があるとその結果誰が一等利益したか、又誰がその利益を世間にごまかそうとするかの二点を世間は疑いの的とするのは定石であり、多くの実例と推理小説が強調するところである。 (亀井トム「狭山事件 権力犯人と真犯人」1977)

※この著書は次兄喜代治の「自殺」以前に発表された。
http://mblog.excite.co.jp/user/hageguma/entry/detail/?id=574093

重要人物

石川一雄 事件犯人?、被差別部落民

奥富玄二 B型の血液、1週間後に自殺、中田家の元作男 、土建会社と中田家の仲介人

石田養豚場

  石田登利造 長男、アリバイ不明、3年後自殺、ひこつくしが得意

  石田一義 弟、養豚場経営者、スコップを盗まれたと証言


事件証言者、協力者

増田秀雄 元PTA会長、村の有力人物、現金受け渡し時に協力

内田幸吉 怪しい人物が訪ねる、あいまいな証言

田中登  矢けん坂で不審な3人を目撃、10日後自殺

Q 40代、元浦和の部隊所属の軍人、石田Tと事件の協力する、S30〜S35増田秀雄の元で働く

X 30代 主犯?警察の動きを把握する、医学・薬学関係者

H 訓読みではA、事件直後取調べを受ける、その後行方不明

C 17歳、町の不良少年、取調べを受けるがシロ
B A,Cの仲間、唯一車の免許を持つ、事件後行方不明
A 18歳、Cの親分格、怪しい背後関係、矢けん坂に自宅

O 中田栄作と対立する元区長、土建会社Kを経営

U 大物狭山市会議員、Oと懇意にしている, 水利工事を牛耳る

森(仮名)戦後復員し、紡績業を営むが村の「講」を破り追放
  善枝さんの実の父親?川越の周辺を渡り歩く。母親の秘密?

森の次男 =田中 中田家を恨む。石田登利造の仕事を手伝う。真犯人?

田中幸男= 森の次男? Uの経営するバーに出入りする、善枝さん誘拐・監禁実行犯?

O2=田中? Uの経営する店の従業員、暴力団関係者、アリバイ工作に協力 、善枝さん誘拐・監禁実行犯?

土建会社K 元区長Oの経営する会社,狭山市の水利工事を担当、
U議員が工事の都合をつける
      奥富に対立する中田家との交渉を依頼

事件後の変死者一覧

奥富玄二 S38.5.6 農薬エンドリンによる自殺-井戸で発見。B型結婚式前日。

田中登(31)  S38.5.11 事件当日見た不審な3人連れの男たちについて証言。

中田登美恵 S39.7.14 薬物自殺。遺体がきれいになって、農薬のビンも洗われていた。

石田登利造 S41.10.24 石田養豚所の経営者石田一義の兄。礫死体で25日に発見。

中田喜代治 S52.10.4 中田家二男自殺


事件の関係者で変死したのは以下の通り(死亡順)。

@中田善枝(事件の最初の被害者)
A被害宅の元作男、奥富玄二(農薬を飲み、井戸に飛込自殺)
B目撃情報をもたらした、田中登(心臓を包丁で一突き自殺)
C佐野屋で犯人の声を聞いたPTA会長、増田秀雄(脳内出血で急死)
D被害者の次姉、中田登美恵(農薬自殺)
E石田登利造(鉄道列車で轢死)、「ひこつくし」の名手
F被害者の次兄 中田喜代治(首吊り自殺)
G善枝の母親 中田ミツ (精神科の閉鎖病棟にて脳腫瘍の為病死)


以上、遺書があり自殺として扱われているのはADF。

A 奥富玄二は以前からノイローゼ状態ともいわれており、結婚式を前に、性的不能を悩んでの自殺ともいわれている。

B田中登は警察発表では、支援していた議員の落選を苦にしての自殺とされているが、家族はそれを強く否定。

C増田秀雄は単なる病死とする意見が多く、事件の「不審死者リスト」からは外されている。

D中田登美恵は事件後からノイローゼで通院しており、一審の死刑判決後、日記を中断。妹の後追い自殺といわれている。

E 石田登利造は自殺、他殺、事故死いずれも不明。重いアルコール依存症で、入退院を繰り返しており、病苦とも借金苦による自殺ともいわれている。

F 中田喜代治は経営する飲食店の不振が原因とされているが、妻はそれを否定。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html


かって中田家の三男喜代治の「自殺」をある週刊誌は「また死んだ・・狭山事件の八ッ墓村」 というタイトルで報道した。

むろんこれは当時ヒットしていた映画のタイトルになぞらえたに過ぎないのだが、はからずもこの事件の本質を示していた。この事件は被害者一家を巡る人間関係、それを取り巻く地域社会の特性に着目しないかぎり絶対に理解、解明はできない。


農村地帯特有の奔放な男女関係、

住宅地図を開くと一目だが隣近所が皆同姓という濃い血縁関係の集落、

東京オリンピックを翌年に控えた好景気の中、東京の衛星都市として急発展し地価も急騰する農村、その中に芽生えた遺産相続にまつわる近親憎悪、この事件の背景は横溝正史の小説がくりかえし描くところと全く同じものである。彼の小説がいつの時代も読者を魅了するように、この事件の真相もまた人類に普遍的な問題を孕んでいるのだ。
http://mblog.excite.co.jp/user/hageguma/entry/detail/?id=574093

狭山事件資料
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sayama.htm
http://flowmanagement.jp/sayama/
http://sayamacase.web.fc2.com/ie_index_1iay.html

狭山事件写真
http://sayamacase.web.fc2.com/0/jiken.html
http://flowmanagement.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/05/higaisha-3.jpg
http://flowmanagement.jp/wordpress/wp-content/uploads/2008/06/higaisha-4.jpg
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sayama/photos/kyou2.jpeg
http://sayamacase.web.fc2.com/3/sayama2007.html

狭山第二鑑定
http://www.kanshiki.com/sayama/


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2. 本当は怖かった日本の農村

世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。
しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。

例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。

まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。

「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。

ただ、夜這いについては現代では少々、誤解があり、まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、実際は当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、村の女性たちは

「村の男が私を悦ばせにやってくる」と夜ワクワクして床についたそうです。

薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。

「当時の村の女は夜這いによって無理矢理犯された哀れな性奴隷であった」
という現代の誤解は「女性が自分の意思でセックスを求めるわけがない」という歪んだ女性像から来ています。

第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。
つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。

しかし、これもあくまで過去の時代の話しで現代では夜這いは一般的風習にそぐわない単なる犯罪行為になってしまったのも事実です。 夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。

例えば単なる旅行者の女性が村の若者に村の夜這いの習慣によって集団レイプされた事件とか南九州で東京から来ていた女性が地元の男に略奪婚の習慣で拉致されて、親子ともども「うちにもやっと嫁さんが来た」と泣いて喜んだ事件とか表立った騒ぎになった事件がいくつもありました。

あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。

他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/


これが日本の農村の風俗


30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 

夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。 
やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。

できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html



「夜這い」

 筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。

 かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。

 そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。

 一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。

 夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。

 参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。

 というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。

 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。

 若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。昔だって男たちに強烈な性欲があった。それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。

 夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。

 夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。

 父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。

 生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。

 タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。

 それは権力・財産を作った男性の子供を特定するための制度であった。それは名主・武家・商家・有力者などの権力・財産を「自分の子供に受け継がせたい」インテリ上流階級にのみ意味のあることであり、このために女性を婚姻制度、貞操に束縛したのである。

 農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。

 このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、冒頭の飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。

 そうした自由な性風俗は1960年あたりを境にして、急速に失われていった。その後、読者が知っているように、女性に貞操観念が求められるようになった理由は、世の中全体が豊かになり、個人が財産を蓄積する時代がやってきたことによるのである。

 豊かになれば財産を「自分の子供」に相続させたくなる利己主義が芽生えるのである。「自分子供」を特定するために、誰の子かはっきりさせる必要があり、女性の自由な性を抑圧し、貞操観念に閉じこめる必要があった。
http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10590234.html


八つ墓事件(津山30人殺し)については

こんな女に誰がした_1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

のコメント欄 09〜12 を参照下さい.

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村落共同体(農村講)


講(こう)とは、同一の信仰を持つ人々による結社である。ただし、無尽講など相互扶助団体の名称に転用されるなど、「講」という名称で呼ばれる対象は多岐に渡っている。

元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。

この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。

前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。

講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B

763 名前:入曽歴3年:02/09/15 11:45

「農村講」というものは農村単位での自治集団といえば分かりやすいでしょうか、昔
飢饉や不作などに困窮した日本の各地で自然発生し、根源は非常時の助け合いが
目的と思われますが実際は非常な内向的社会で外部との接触も必要最小限であり
なによりも自らの利益や自治意識を優先させた集団との見方が適当かもしれません。

「講」の組織自体は日本各地でまさにさまざまで、ある集落内の親戚の集まりで形成
されていたり、あるいは複数の村をまたぎ大掛かりな集団であることも珍しくは
無かったようです。 しかし時代が明治となり、大正昭和となる頃には「講」自体の存在自体価値が乏しくなり自然消滅していったのが一般とされています。
ただ日本各地の豊穣を祈願する春夏秋のお祭りなどにその起源を垣間見ることも
珍しくなく、もっとも近年「講」のシステムを受け継いできた町村も昭和40年代
まで福島県や長野県で見うけられたそうです。

そしてシステムや規律もそれぞれの「講」で違いは多く、その「講」の数だけさまざま
な組織が存在していたと考えられます。 中には少数精鋭の秘密結社的な「講」もあり、または伝統行事などを継承するための「講」も存在していたそうです。歴史的に言うと前者は時の政府などと折り合いが悪く、早期にその存在を無くしていき後者のように時代に対応した組織のほうがどちらかと言うと後年まで組織的に生き延びた経緯があるようです。

ともかく日本の各地に「講」(地域によっては組とか御講、または御講組などと呼び名
はさまざま)と呼ばれる助け合い組織、または幕府や明治政府を頼りにしない自治集
団が存在したということは理解頂けたでしょうか。

NSさんらの調査では埼玉県堀兼、上赤坂地域で小規模ながら「講」が機能していたのは
終戦直後辺りまでと推測しています。「講」が機能していた、していないを判断する
のは「講」内の結束を確認する「覚書・おぼえがき」がいつ頃まで交わされていたかで
判断するのが一般とされているようです。

そこで過去に「講員」(講を構成する人々)であった人々にその点を調査してみると
一様に「講」については口を閉ざすのが常であったようです。
なぜなら「講」内には厳しい規律がありそれに反する者は覚書の元に厳しい処罰を
受けなければならないからです。

「講」における処罰はまったく私刑的なものでもっとも厳しいとされていたものが
「はなれもん・追放」で組織からと土地からの追放を意味します。わかりやすく言うと
ここから出ていけ、二度と戻るな、という意味で該当する人物の家族も含まれます。
(例外あり)何をするとこれほどの処罰を受けるかというと、殺人、放火、重度の
窃盗などがあげられます、いずれも意味合いは講の中でという事と思われます。

次に厳しい処罰が「はちぶ・村八分」となります。これは馴染み深い言葉のとおり
組織内で完全に孤立することを意味します。農作業も一家族でせねばならず、当然
出切ることできない事が起こり家族としては非常に困窮を極めることとなります。
「はちぶ」だと起こした事の程度について期限が決められることもあったようです。
そして何をするとこういった罰を受けるかというと、軽度の盗み、傷害事件、姦通、
覚書に反すること、などがあげられます。

こう言ったことを書くと必ず大したこと無いじゃないの、と思われるかもしれませ
んが当時の農業をしていて講の内部で助け合って生きている者にとって他の土地に
裸同然で放り出されることはすなわち死を意味した事と考えられます。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

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夜這と村落共同体


日本における夜這の事例が数多く紹介されていますが、村落共同体の実態が紹介されないで、性関係だけが取り出されていると、一対婚しか知らない現代人には違和感の方が強くなりかねません。夜這いを理解するためには、村落共同体がどんなものだったかを理解する必要がありそうです。

大きな特徴は、村落の構成員に大きな変化が少なく、長年にわたって婚姻を重ね、地縁・血縁が複雑に重なり合った共同体であることでしょうか。現代は、苗字があり家族以外は他人という強い意識がありますが、当時は苗字等もなく、村中の人たちが大きな家族のようなものだったのでしょう。

村全体で、田植えをし、水路を整備し、里山を管理し、稲刈りもしていた。年貢を納めるのも、村全体の課題だったかもしれません。子を育てるのも、家を作るのも、共同作業で家だとか個人とかいった観念は非常に稀薄であったように思えます。
みんな家族のようなものだから、誰の子種でも気にする必要は無いし、どっちみち、みんなで育てるのだから更に、誰の子でも良い。年貢もみんなで払うのであれば、相続なんて形式的なもので、どうでも良い。

このような状況では、家と言う意識が稀薄であり、家父長権は殆ど存在せず、色んなことは寄り合いでみんなで決めていた。

みんなが生まれたときから生活を共有し、気心も知れた者どうしだから、警戒心も違和感も好き嫌いもなく、支配も被支配もない。だから村人同士であたりまえのように性を満たしあう。

一対婚は私有制度を母体にした婚姻制度であり、このような血縁と地縁の双方で一体化した村落共同体には、一対婚制度こそ全く相応しくない制度だったといえそうです。
このように考えてみると、明治以降村落共同体を破壊し、夜這から一対婚に変わっていった原因に、家父長権の法制度化が存在する可能性が見えてきます。

それまでは、武士階級にしか存在しなかった家父長権が、明治憲法により農民にも拡大され、名字と一緒に一人ひとりの男に権利が与えられました。その結果、農村にも支配権力が発生し、私権意識、家意識が少しずつ浸透していき、ついに農村も私権を中心とした家が、村落共同体の紐帯を解体し始めた。

そして、村落共同体の中で貧富の差などの、身分意識が形成され、夜這制度も解体されていくという流れをたどったのではないでしょうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=83440

★娘の通経を村内へ披露する理由

遠州国曳馬村地方:女子に初めて月経が来ると、隣家では米二・三合を袋に入れて贈り、『初花が咲いてお目出とうございます』と祝詞を述べた。女子は月経の度に別に立ててある小屋に入ることとなっていた。

讃岐国小豆島:娘が十七歳になると村内の若い衆を招き、『娘も通経があるようになったから、何分ともよろしく頼む』と披露することになっていた。もし娘の家が貧しく披露の宴をひらけないときは、若衆が各自醵金して宴を張る定めであった。
八丈島:女子の初潮のときは『タビ祝い』として村内の若者が芋酒一升と里芋一籠を持ち寄って祝宴を開いた。娘が一人前の女―即ち妻となり母となる資格ができたことを村内に披露するのである。

「而して此の女子が通経を機会として、その事実のあったことを部落中へ披露―即ち若者の共有に提供することに就いては、種々なる方法と手段が存していたのである。他屋(月屋またはひま屋または汚れ屋などとも言う)と称する定められた家屋に別居することもその一つであるし、十三詣り(この事は後に述べる機会があろう)と称して神社仏閣へ参拝するのも又たその一つであった。」


★村内の娘を女にしてやる若者の権利

阿波国山城谷村:未婚の娘と寡婦は、村中の若者の自由になると考えていたから、他の村の者が娘に通じようとすれば、まず村内の若者に酒を買い黙認を受けることになっていた。守らなければ石打または殴打されるのが普通であった。

磐城国草野村付近:娘が年頃になると村の若者が集って、旧正月十五日の夜に『誰々の家の娘は、まだ女になっていぬから、あれを女にしてやろう』といって、娘達を呼び出して女にする行事が近年まで存在していた。

下野国氏家町:五人の若者を我が家に引き入れた娘に親が怒り、娘を裸にして外に立たせ、通行人に向かってこれが浮気女のよい手本ですと懲罰の意で説明したことを若衆が知り、神聖なる淑女を侮辱する不法の父母なりとして押しかけて大論判をした事件があった。

梁田村(筆者の生まれた隣の村):明治二十五六年頃、寺の娘が若者数名に悪戯され、親である寺の住職が立腹して告訴すると息巻くのを、村内の故老が調停に立ち、言った。

『昔は娘は若者持で身分の高下なく自由にして差支なかったのである。それに村の娘が他日嫁入りする際に不具者であるようなことがあれば、ただに親の恥辱ばかりでなく村の名折れになる。

それ故に嫁入りする前に娘が不具でないか否かを試験するために若者はこれを自由にする権利が与えられていたのである。

此の村の古い掟も知らずに告訴して表沙汰にするというのなら、住持は傘一本で追い出してしまう』

こうしてその住職は屈服しなければならなくなり、そのまま結末を告げた。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000485.html

★処女は若者の共有物たりし類例

陸奥国東通村:明治の初期までは村の娘と出戻りの婦人とは青年男子の共有物であった。

娘達は十五歳になると娘宿に泊まりに行き、村の青年達の要求には絶対に従う事になっていた。

理由なく拒絶すると、拒絶された男子は直ちにこのことを娘の父兄に知らせると同時に村中に報じる。

娘の父兄は娘を一室に二週間も監禁して村の掟を説くが、それでも従わなければ村から放逐する。

また、反対に外来者に対しては、娘達は絶対に貞操を固守せねばならず、背くと同じく放逐される。実際に、区長が娘を青年に提供しなかった為に、襲撃された事実がある。

羽後国檜木内村:妙齢の女子を持つ親達は、旧正月十五夜に、一定の場所に仮小屋を設け、青年の男女を会合して徹夜させることになっていた。

もしこの会合に娘を出さぬ親があると、大勢の青年が押しかけて砂石を飛ばし誹謗をなし、さらにその娘の嫁入の妨害まで行なった。

★娘の嫁入には若者の承諾を要件とす

羽後国秋田群の村々:「媒介者の斡旋で縁談が進むと、新郎新婦の双方とも家族や親属の承認を経ることは勿論だが、更に村内の友人(即ち若者達の意)の異議の無いということが成立の要素となっていた。

かくてこれ等の者が総て承知すれば内約を取り結び、改めて組頭へその旨を口頭で届け出で式を挙ぐることになっていた。」

こうして若者の異議の有無を確かめるということは、未婚の女子は村の若者の共有であるという習慣から導かれたもので、親達と言えども、若者の承諾を得なければ嫁入りさせる事はできなかった。

★露骨で極端なる女子共有の風俗

「越後三條南郷談」より:明治四五年までは毎年盂蘭盆になると、村の若者が盆の休日間だけの妻女を村の娘の中から籤(くじ)引きで決めた。

もし自分の気に入らない娘が当たったら、清酒一升を出せば取りかえてもらえた。
勿論、この盆くじが縁で夫婦となる者も多い。村内の男女の数に過不足があるときは、その数だけ白籤を入れ、引いたものはその年だけ妻なしで過ごす。ただし酒を出して娘を譲ってもらう事はできた。

★村の娘の結婚の許可権は若者の手に

加賀国能美群:処女は村の若者の共有である。認めぬ家があると、若者が大挙してその家の屋根をめくり、またその娘の嫁入りを妨げて婚期が遅れるようにした。また、その娘が生活に困っても、同情せぬのを常とした。
美作国勝北群:娘は若者の共有物であり、他村に嫁ぐには若者団体の承認を要した。もし若者団体が異議を唱えたら、若者と仮に配婚して、その後に他村へ嫁ぐ習俗となっていた。

丹波国志賀郷村:村内の男女同士で結婚することが慣わしであり、これを破ると両人を素っ裸にして提灯を持たせて村民がその後ろにつき、村内を囃しながら歩かせる制裁があった。

安芸国十二ヶ浦:娘が他村のものと関係することは禁じられていた。
破ると、『樽入れ』と称して、村の若者から僅かな酒肴をその娘に送る。これを受けた娘は日時を定めて氏神の社に村内の人々を招き、できるだけ手厚い酒食の饗応をせねばならず、これを『樽開き』と称した。

これに要する莫大な費用は他村の男の負担となり、この樽開きをしないとその男と結婚することはできなかった。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000481.html

共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)
共同婚の遺俗としての嬥会(かがい)

『常陸風土記』に現れた嬥会は、共同婚の遺風として認められる。『他妻に吾も交らむ、吾妻に他も言問ひ』とある。そこに参加した女は、「嫂財」として「貞操を提供する義務が負わされた」のである。

嬥会は、国初時代に入ると、歌垣として各地で行われるようになり、この系統の結婚方法は、明治初期まで行われていた。

土佐国西豊永村:毎年七月六日の例祭には、近隣から数千の男女が集まり参詣。夜になると男女で押し問答し、女が答えられぬようになると、男の意に従うことになっている。


三河国の山中村:毎年春に未婚の男女が盛装して山行を行い、夫婦の約束をすれば、父系は必ずこれを承認せねばならない。婚約の出来なかった女は笑いものになるので、近頃では山行の前に内約させたり、他村の青年を養子として必ず婚約できるように仕向けたりしている。


美濃国東村:三日間行われる秋祭りで、村中の若者が鎮守の森に集まって輪になって踊り続け、夜が更けると村長・村会議員・青年会長なども交じって、踊りながら共鳴した男女が交わる。

「此の奇習によって生れる幾多の喜悲劇は、総て神の裁きとして解決され、且つこの踊りが縁となって結ばれた男女は、氏神の許した夫婦として、村人から羨望される」

紀伊国白崎村:「旧暦の盆踊の最中に双思の男女は婚約するのを習いとしている。此の約束が出来ると後で他家からその女を貰いに来ても、身代や身分がどうあろうとも盆踊で約束したと断り、一方、断られた者も盆踊で約束した中では言うて引き退がるのを常としている。」


  この種の土俗が結婚の礼式となって存在する例を、次に挙げる。
下野国の宇都宮市を中心とした村落:「新婦の一行が乗りかけ馬で新郎の家の前まで来ると、門前に二人の男が立っていて『大勢して一体どこから来た』と問う。
新婦の方では『若者に美しい花をやるために来た』と答える。
かくて両者の間に押問答が始まるのであるが、先ず嫁方から口達者な一人の女が出て、婿方の男二人を相手に問答し合う。若し此の問答に嫁方が負けると、馬は元へ引き返してしまう。実に念の入ったものであるが今では稀にしか行なわれぬようになった。」

信州木曾山中の婚礼:花嫁が婿の家に往く道すがら、おこしを撒き散らしながら行く。媒酌人は、顔一面に墨を塗って婚礼の席に出る。
「嫁婿の座が定まると嫁は携えてきた小豆一升を入れた麻袋を取り出し、婿へ投げつけながら『わりゃ(私)、うね(郎)を頼りに来たぞ』と言うと、婿は『オウ石の土臺の腐るまで居ろよ』と答え、此の問答が済んでから盃事になるのである。」

 これらは、嬥会系に属する掛け歌の形式化・単純化されたものであると推知される。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/11/000477.html

★我国にも貸妻の習俗は各地に在った

阿波国澤谷村:かなりの山奥で十三戸しかない寒村であるが、宿屋がないので旅客は普通の民家に宿泊する。

旅客を迎えた家では、その夜は娘(なければ妻)を同衾させる。
もし旅客が娘に振られるようなことがあると、娘は『出戻りさんだ』と大声を発し、親や夫が出てきて夜中であろうとその旅客を追い出してしまう。一度『出戻りさん』の名を負わされると、その村では宿を得られない。

肥前天草島:他地方から旅客が来ると良家の子女が自らすすんで枕席に侍る。こうして多くの異性に接するほど、早く良縁が得られると信じていたためである。


肥前国富江村:殊の外に外来人を忌む風俗がある。それは昔から今(昭和二年の秋)に至るまで、外来人が『あの女を借りたい』と言うと、処女でも妻女でも貸さなければならぬ習慣があるためだと言われている。


他に、山陰の因幡・伯耆や越後国三面村等でも、貸妻が行なわれていた。それらは物質的な報酬を受けるのではなく、全くの好意に外ならぬのである。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000485.html


3. これが狭山事件の真相(?)

171 :名無しのオプ:2009/07/25(土) 22:23:51 ID:S4bEmZu4

今年出発された伊吹本と昔オカ板で書き込まれた元警察官の甥っ子898さんの有力情報を照らし合わせると、点が線になる。

黒幕は中田父と区画整備とか土木工事だかの入札とかで敵対する隣の区長だか市議会議員だかで、実行犯は黒幕の息のかかった2〜4人ぐらいの養豚所がらみの不良青年達ABC。

結婚式直前に自殺した元作男 奥富玄二氏はカネにつられたか弱味を握られたかで脅迫状を書いたり、善枝さんの死体を埋めるのを手伝わされた共犯。
後年電車にひかれて亡くなられた養豚所経営者の兄も、もしかしたら車を出したりと一部共犯かもしれん。

だいたいこんな感じだ。 これで決まりだ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1222783294/

686 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/02 17:59

黒幕とは、中田家と土地の利権(それ以外にも?)で対立していた元区長のO1氏と、
その親分格の市会議員U氏。

中田家の秘密を子飼いの同家元作男 奥富玄二から聞き出したO1は、中田家を秘密の
暴露をネタに同家をゆするがうまくいかず。Uに相談し中田家を揺さぶることにした。
Uは配下の元暴力団幹部O2に指示して事件を計画。

実行犯はO2の手下の未成年A・B・Cの3名。3人のアリバイはO2が作っていた。

最初の計画では善枝さんを殺害する予定ではなかったが不測の事態が起き、
彼女を殺してしまったので営利誘拐事件に見せかけることになった。

脅迫状を書いたのは元作男の奥富玄二。
彼はのちに嵌められたことを気付き、犯人扱いされることを悲観して自殺?

佐野屋には、善枝さんとは幼なじみで3人の中では最も度胸があるAが事前に
警官の配置を調べた上で近づき、身代金を取りに来たふりをしてうまく逃走した。
その後、捜査撹乱のために一味の意を受けた田中登が、事件当日やげん坂で怪しい男たちを見たと警察に届けるが、警察はこれを不審に思い、彼を二日間厳しく取り調べる。
ノイローゼ状態になった田中登に対し、犯人一味は寝込んでいた彼を襲い、ナイフで
心臓を一突き。口封じをした上、自殺に見せかけてすばやく逃げ去った。

警察の一部の捜査員はA・B・Cを怪しいとにらみ、取り調べたが、結局アリバイが
崩せず、そのあと石川氏が逮捕されたこともあり、その線の捜査は打ち切られた。

以上、前スレで898さんが彼の伯父さんである警察の元捜査官に聴いた話です。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

55 :名無氏物語:2006/04/16(日) 13:17:41 ID:E3zNiCO0

つまりこーゆーことか。

@中田善枝は母親が同和地区出身者との不倫の結果生まれた子だった。それは閉鎖的な堀兼地区の豪農であった中田家では容認しがたい事実だった。

Aそれを知った奥富玄次がつながりのあるU市議会議員に情報を漏らした。

BU議員は入間川工事入札にあたって現地の土木会社に有利なように進めていたが、中田栄作氏の強硬な反対にあっていた。

C中田家のおぞましい秘密を使って中田氏を脅すことにより、何とか入間川に関わる利権をモノにしようと画策したU議員は、中田氏が一番恐れるであろう善枝さん誘拐という行為に及び、子飼いの O2を使って奥富の新居で殺させた。

D中田氏は「犯人はよく知っている人物だろう」と言ったが、それは奥富とU議員を指した。

E奥富の自殺は、結果として殺人事件にまで発展した事件にうまいこと使われた自分への絶望から?

F姉の自殺は善枝という呪われた血の存在と、健次が佐野屋の際、偽札を用意したこと→種々、犯人グループへ協力したことを呪い、石川氏に死刑判決が出たため?


追加すると、

・奥富=U議員は以前にも電話で中田家を脅した(善枝の出自について)。しかし中田氏が動じないので善枝さんを誘拐するまでに至った。

・兄:健次は善枝を捜しに行った際に自転車と脅迫状を発見していた。

・警察の初動捜査は発表された時間よりも早かった。

・佐野屋での身柄引き渡し時には中田家は善枝さんが殺されている事を知っていた。だから健次は偽札を持っていった。

・被害者家族から犯人への憎悪や悲しみのコメントがあまり出て来ないのは善枝の出自によるもの。

・裁判での遺族の不自然・不可解な発言理由も同上。

・犯人は中田家が絶対に口外出来ない事情を利用することにより、自分達の安全が確保されると確信していた。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1137408263/


898 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/22 10:24

実は私には大宮に伯父がいまして私の父の8人兄弟の長兄なのですが元警察官なの
です。で最近私が狭山関係の本を図書館から借りたりしているのを見た父が一言
「大宮の大きいアンちゃんは昔狭山事件にかかわったことがあるぞ」と。
私の幼少の頃は伯父はまだ現役で大宮の警察署のちょっと偉いさん、といった印象
でした。しかし実は警官としてのキャリアは所沢と大宮を10年周期くらいで往復
するような感じだったようです。

で昭和38年当時は所沢署で警備課の主任という役職であったようです。
そこで私は本や雑誌で得られない、疑問の部分を伯父に直接聞いてみようと十何年
ぶりに大宮を訪れました。日曜の午後で時間的制約もあるのがわかっていたのと
伯父がどの程度事件にかかわっていたのかがわかりませんでしたので、かなり大
雑把に質問を考えていきました。

1)事件当日のこと
2)被害者の家族のこと
3)上記以外でわかる範囲で細かいこと(脅迫状、自転車などなど)

最初にお断りをいれますが伯父は現在77歳で自分ではしっかりしているつもりの
ようですが記憶違いやあとからの新聞などの情報などがごっちゃになっている
部分があるかもしれません。しかし職業的なものか当時のことも手帳にびっしり
とメモをしている一面もあり少しは頼りになるかなと言った感じもあります。


1)事件当日の記憶
5月1日はメーデーであったので市内各所、とくにH製作所やNなどの警備に当たっ
ていた。特に大きな混乱は無く署に戻ったのは15時くらいであったはずである。
その後は交通課のMらとPCにて市内を巡回し再び署に戻ったのは16時半から17時く
らいであった。

当日報告を書くか書かないか課内で雑談したり出前をとったりしている内に18時か
18時半くらいであったかH署長名で召集がかかった。
会議室に集まるとすでに20名ほど署員がおり署長の報告があった。

「本日夕刻狭山市内にて営利目的による誘拐事件が発生した」と。

「所沢署捜査課捜査員がすでに4、5名狭山署に応援に行っているので、ここに
いる署員は西武園、狭山湖周辺の不審者または被害者の捜索にあたること」

不審者、捜査対象者は不明、被害者は女子高校生一年生十六歳と被害者の特徴が
発表された。自分の課は課長が不在であった為自分が班長となり交通課の協力も
あり12名ほどで狭山湖の捜索および警備に向かうこととなった。
車両の手配、雨中装備など準備を整え署を出発したのは召集がかかって一時間ほ
どしたころであった。(ちなみに西武園および狭山湖は所沢署の目と鼻の先である
そうです)

雨の中狭山湖を捜索しつづけ考えたこと。
署長の「誘拐事件が発生した」との言葉を聞いたときの署員の雰囲気だ。
有名な3月の吉展ちゃん事件の話題がいまだ冷めやまぬどころか数分前ま
でああでもないこうでもないと推理をしていたところに自分達の身に降り
かかった本物の誘拐事件、息を呑むのもやむをえない。

今では誘拐事件は犯罪として公に認知されているが当時としてはやや物語
の中のものという感じが強く犯罪者が金を欲した時に人を略し金を要求す
るというのは今一つピンと来なかった。
どちらかと言うと犯罪者が金を欲すれば刃物を携えて強奪に至る、と考え
たほうがわかりやすい時代ではあったからだ。
5月1日の夜の捜索は23時近くまで行われたが大きな成果も無く終了した。
2日の朝8時半に再度召集命令があったのは官舎に戻った零時前後であった
と思われる。

5月2日午前8時半、本来召集がかかるはずであったが9時に延期された。
理由はすぐにわかった。県警の機動捜査隊が協力にくることになっていた
ようであるからだ。再度9時に召集し昨日の20数名とは違い60名を超え
ようかというほど会議室は人であふれかえっていた。

まず昨日までの報告が署長からあると思っていたら県警の捜一(捜査一課)の
おそらく課長クラスの人物が今後の指揮系統の説明をしだした。
結局署長は口を開かず捜一課長が現場指示責任者となり昨日までの報告は
一切なかった(はず)それとともに本日も西武園、狭山湖周辺の不審者、被害
者の捜索が厳命された。伯父は裁判所関連の用事で午後まで班から離れる事
になったが裁判所でも誘拐事件のことは頭から離れなかった。

誘拐事件であるからには犯人との交渉は進んでいるのか、しかし捜一の課長
が不審者の捜索はともかく被害者の捜索も厳命するとは、これは被害者は
かなりの確率で死亡、遺棄されているのではないか。そう思えてくるからだ。
捜査一課は殺人、強奪、強盗などが専門でそういった部署が専従班を率いて
所轄にやってくる、これはただ事で無いとこの頃思い出したそうである。

午後より捜索班に合流しようとした伯父はいったん立ち寄った署で捜索班は一時
狭山署預かりとなったことを告げられた。
それでまだ向かっていなかった者達と狭山署に向かった伯父は「ただ事でない」
事象を実際に目にすることとなった。狭山署に刻々とマスコミが集まって来ている
ことであって、そのトドメは狭山署に県警本部長がいたことであった。

伯父はそれまでかなりの数の事件に関係してきてはいたが本部長が指揮をとる(実
際の指揮系統の頂点は捜査一課部長クラス、本部長はお神輿だが)のをみたことが
なかった。マスコミが集まるのと比例して捜査員の数も増えていくようであった。

捜索範囲は西武線と川越街道を挟む四角区間を4等分に、その周囲を8等分にして
ローラー作戦で行われた。伯父ら所沢組みは結局再び周囲の南側にあたる西所沢
周辺の担当となった。狭山署を離れる際所沢署より応援で出ていた捜査員のTを見か
けたので捕まえて捜査状況を聞き出そうとしたが脅迫状が来ているそうだが内容は
しらない、被害者宅には十数名の常駐の捜査員が張っている、これくらいであった。
この日の深夜取り逃がしがあるのだがほかの所轄の応援組である叔父らにはそれが
事前に知らされる事はなかったらしい。2日は20時くらいまで地域の巡査の協力の
もとに捜査を進めたが狭山署の本部に21時集合して明日朝9時集合を命令され解散と
なった。

犯人取り逃がしの時間は・・・・家で寝ておった。大きい事件にかかわっている
期間のくせに割合早く帰れたので風呂に入って、テレビを少し見て0時には寝てい
た。実は5時くらいに起きて署(所沢)に行って持っている事件の報告書を仕上げね
ばとも考えていた。それが本当に4時か5時に電話で起こされた。
電話の相手は課長ですぐ署に来い、狭山でなく所沢のほうだぞ、と。

署に着くと名ばかりのロビーに記者が3、4人来ていた。どうしてここにいるの、
狭山はいいの?と言うとSさん(伯父)知らないのですか、と記者にいわれた。
すごく悪い予感がしたのですぐに課部屋に逃げ込んだ。そこで聞いたのが狭山の
犯人取り逃がしだった。朝の6時半くらいだっただろうか会議室に狭山の応援組み
がほとんど集まって捜一課長から説明があった。そこから出た言葉は忘れもしない
県警の不備により犯人を取り逃がした、所轄の諸君には不備は無いというものだっ
た。日頃ならばこれほどの言葉を聞くとすっきりするはずがまったくしなかった。
これからくる大変な事態が予想されていたからだ。

5月3日の狭山署は蜂の巣をつついたような騒ぎであった。あの狭い署内は人で
溢れかいり前の県道にはテレビ局や新聞社の通信車で通行もままならぬ感じがした。
記憶が間違っていなければ捜査会議らしい物がはじめて開かれたのは3日の午前で
あったと思う。これまでは捜査会議と名がついていても一方的に指示をだされる
だけであったからだ。脅迫状の文面を見たのもおそらくこの時が初めてと思う。
実物を拡大した物で無く、黒板に似せて書いたものであったと思う。当然それを
手帳に写した。それと同時に西武園の捜索の意味もわかったが同時に被害者は助か
らないと悲観的な空気が流れたのも確かである。

これまでの捜査状況の擦り合わせが行われたのもこの頃であったと思う、午後には
本部長らの記者会見があるためと考えられた。
午後には県内より150名に及ぶと思われる警察官が応援に到着した、その中に川越で
巡査をしている甥のS・Sも応援に来た、それと同時に狭山署以外に所沢署にも合同
捜査本部が開設された。これは狭山署の手狭なこともあるが地域的な問題が大で
あったと思う。今後は所沢組みは県警の応援を含めて200人体制で所沢を本部に
捜査を進めていくこととなった。

5月4日からは狭山の特捜本部と所沢の臨時本部を往復することが多くなっ
た。4日朝所沢にて刑事部長による特別な訓示があった。
内容は被害者の早期発見と容疑者の情報収集についてであった、同時に警察
の信頼復活に努力を惜しまないようにとあったかもしれない。
4日午後狭山より一報あり、被害者が堀兼の通称吉田農道より発見されたと
の報告。4日夕刻には空には新聞社のセスナ機が飛び交い、各本部はテレビ
カメラや記者で混雑した。

4日20時くらいに所沢本部にて被害者発見時死亡の報告を受ける、細かい
検証は5日午後検死の結果を受けてからとなり。各班の捜査結果の発表があ
った。この日堀兼駐在所の巡査と面会かなう。追ってN課長より取り逃がし
時の詳細の報告を受ける。容疑者が自動車で現れるとの思いこみが人員配置
に穴を作った、とのことであった。

5月5日朝特捜本部より重要容疑者が発表(計3人、この日より市民による
通報が増え出す)追って捜査方針が検討され実行に移される。
正午頃、浦和より検死結果到着(内容は告げられている通り)
続いて正午頃警察庁長官、引責辞任を発表。これは捜査員間でもかなりの
話題になる。

不審者の補導、尋問が始まる(当時は祠を住家にするような不良少年や乞食
は非常に多かった)
22時頃帰宅すると、親戚の巡査であるS・Sが泊まりに来ていた。被害者宅
周辺の警備を担当していたSに聞くと被害者宅は相当な豪農といった雰囲気
であるそうである、昔で言う間続きの屋敷で農機具や自動車なども充実して
おり、Sいわく裕福な農家が金目当てに狙われたとの説を論じた。

5月6日午前重要参考人が一名追加され四名とされ任意による聴取が始まるが、その
中の一名が特捜部の監視をのがれ自殺。

重要参考人の四名のうち三名はすべて被害者家族および親類からの聴取による参考人
であった、自殺した人物はその三名の中のひとりであった。

所沢署ではその内のひとり17歳の無職の少年を聴取、結果シロ。
この頃より市民情報(たれこみ)が日に百軒を超えるようになり厳選して捜査員を
派遣しても手が足らない状態となった。
機捜が日に3、4人引っ張ってくる為留置場が足らず川越、大宮その他まで留置
場を使用することとなる。全県を挙げての捜査という雰囲気となっていった。

(事件の謎)
自殺した人物というのは紛れもない奥富玄二氏ですが、接点というのは意外な部分な
ようです。

「奥富玄二という人はな、聞くことはまずまずあったと思うが早い時点で毒を飲んじまっただがな、毒を飲んだ時点では聞くことはあったが、ほぼノーマークだったよ。

興味を引くネタがづるづる出てきたのは、そうさな死んで3日位してからかな意外な人
が背後にいたんだ、これはそうそうに事件に関係なしと言ってしまってまずかった
なと思ったね」

早期の重要参考人、その一人を取り調べたわけだが。

「俺達が調べたCだがな、ありゃ白だった。だけどね、
Cの親分格Aは限りなく黒だと確信したよ。

なにより度胸が据わっている。18の小僧の癖にね。

大柄な捜査員5、6人に恫喝されて顔色一つ代えやしない。惜しかった。一つでも何かでればすぐに逮捕だったよ、だけどね何も出ないんだ。背後関係しかね。目(目撃情報)
のひとつもあればね、拘留も伸ばせたのに」

当時の中田家について

「中田さんの所はね、事件当時はそりゃあS・Sの言ったとおり大農家だったよ、だ
けどねあれだけ裕福になったのは昭和も三十年代になってからだろうね。

昔はさ、土地もあるし小作もいたし、しかし金がドーン動くようになったのは三十年代になってからだね。どこに道路引くとかどこに宅地つくるとか。それと同時に栄作
さんは力付けて事件の前年には区長になるまでになった。

それで面白くないのはさ前の区長や取りまきだよ。区長てのは、今は農協とか助け合い組織あって便利だけど昔はその土地の作物の取引は区長に裁量があった、

俺は被害者の葬儀の時に長女Kさんにツテを使って面談したんだ。ホンの5分くらいだったけど。Kさんは早々に他所に出ていて今の家のことはわからないと言っていたけどヒントがあったんだ。 これはその時は気がつかなかったけどね、あとからアッと思ったよ」

重要容疑者A,B,C、そしてBの逃走。

「Aがどうにもこうにも臭い、というのはさっきも言ったけど、拘留期限が来てAと
Bは一度出した、それでAは尻尾を出さなかったが、Bのほうがすぐに建築資材の盗難
に関して容疑が出て引っ張ろうということになった。しかしドロンしちまった。

結局数年か永久かわからないけど出てこなかったんじゃないかな。
Bに関しちゃ実は4月30日に車を運転しているところを見られている。A,B,Cの中で免許を持ってたのはBだけ。

まあ時代がおおらかだったんで無免で運転している奴は多かったけど、
とりあえず事件の前日車を転がしているのをBは見られている。

Aを引っ張りたかったけど肝心なBが姿を消したことでAにはますます手が届かなくなった、残念なことにね。」

脅迫状のこと

「取り逃がしのあった次の日だったか特捜部で堀兼の駐在と面談がとれた、で聞きた
い事は山とあったけど一番聞きたかったのはどう言う経路で脅迫状が届けられたか
だった。

家族と親類の調書を取った捜査官と駐在とその他の捜査官が質疑したのだ
けど、足跡の事が大きく扱われた、駐在が狭山署の依頼を受けて中田家に行った時は
親類の捜索隊が大勢出入りしていて土間に足跡どころじゃなかったと言うんだ。で誰
がどの時点で脅迫状を見つけたかというとたぶん親類の誰かが見つけて中田のボン
(長兄)が開いて読んだというんだ。あとからでは誰が見つけたかわからない。

たぶんその場にいて10分後に誰が見つけたんだとやってもわからなかっただろう、と
いうのが駐在の意見だった。調書では中田の長兄が見つけたことになっていたと思う
(親父(栄作氏)の具合が悪く、私がその場で読んだ)となっていたのでイコール見つけ
たのも中田の長兄と調書では解釈してしまったのかもしれない、なので結局脅迫状は
土間の何処かにあったのは事実でそれ以外のことは曖昧になってしまったというのが
事実、ちょっと残念だがね。」


佐野屋の件、同時にAらの素性。

「俺が思うに石川さんには申し訳ないがAと石川さんを比べたら十倍以上Aの方が
臭かった。佐野屋に現れたのもAだと確信している。

証拠はずばり佐野屋から逃げ果せたことが大きい。地図で書くとわかりやすいが佐野屋からAの自宅まで薬ケン坂の雑木林を通れば奴なら8分で帰られる。石川さんでは包囲網から出るのも容易ではなかったはずだ」

*佐野屋では声からして中年男との説が多いですが。

「声からは年齢を特定するのは難しいよ。大体男なら声変わりして五十の終わりまで
声質が変わらないということも珍しくない。高校生くらいに電話に出てお父さんと
間違えられたことがあるだろう?それと昭和四十四、五年大宮で郵便局に強盗が入った
ことがあって犯人は一人で覆面していたんだ。それで局員と客七人くらいは声から
して四十前後の男と証言していたんだがいざ捕まえたら二十歳の男だったということ
もあった。声紋でも取っていれば別だが印象に捕らわれると間違いやすいよ。」

「佐野屋は当時地域のための雑貨と食料品店という店で塩とタバコの公社の小さい
看板しか出していなかった、一見すると大きい民家に見える。その佐野屋を指名して
くるということは地の利に精通していることが想像されるのと佐野屋の位置、道路
状況が理想であったと考えられるね。

もしかしたら最初は車で行くつもりだったのかもしれない、しかし要所要所に追跡車両を隠したり捜査員を納屋に隠したりしているのは地元民のAからしてみたら筒抜けだったろうね。それで裏を取って雑木林から暗闇を利して佐野屋の横の畑まで行くことができたのだろうと思う」


*危険を侵してまで佐野屋にくる理由はやはりお金ですか?

「いや、金ではない。一種の虚栄心だろうね。俺はこれだけ出切ると親分に
アピールする意味もあったろうて。しかし危ない橋には違いない、だけど
逃げ切れる自信は10割あって実行したと思うよ。

佐野屋からAの家までの経路をいろいろ復習してみると危ないのは1箇所どこで道路を横切るか、くらいであったよ。恐らく入間川線まで出て道を横切って家に逃げ込んだ。
これが最も早くて交差点などにポイントを置いていた捜査陣に一度もはち合わず家に帰れる。


*親分とは?

まあ後で説明するがUという議員だよ。ちょうどAの逃走経路に薬ケン坂が
出てくるので言うけど薬ケン坂で怪しい人間を見て、それを証言後自殺した
田中登はUの子飼いの人物だったよ。


*よく目撃者は自殺他殺問われ亀井氏などは他殺と解きますが?

ます゛頑張って7割は他殺だろうと思っている、今も昔もね。
実感したのは検死書を取ってみた時だね。大体自分で心臓を刺す時刃を立てには刺さない、横にするのが手首が返らず力が入って刺しやすい。

それに戦中派はね。当時米軍が本土にきて陵辱されるよりは死を選べって時が合ったのよ。その当時のことを知っている人は刺し方を知っているんだ。本当は青酸ソーダでも
あればかなり楽だけど、そこらにある物でもない、そこで何処にでもある
包丁で心臓をこう、サクッと刺すと薬の次に楽に逝けると聞いたもんさ。

その時刃は縦にしてはいけない、横にして肋骨を避けてミゾオチより一握り
上の少し左を刺すのさ、そうすると苦しまずに死ねる。縦に刺すとね肋骨に
当たったりしてうまく行かずに苦しむ、戦中派なら知っていることだ。

むろん田中氏もね。しかし刃の跡は縦だった、こりゃ殺しの線もありだなと
思った。問題なのは奥さんがすぐ見つけたことだね。ただしUから奥さんに
何かのアプローチがあれば別になるけども。」


*では田中登さんは殺されたとしたら何故ですか。

「田中は薬研坂で怪しい男たちが、それもよそ者風で何か重たい物を抱えていたの
を見た、と出頭してきた。当時重要容疑者は100名にも上がっていたがこれと言って
成果はなかった、一部はスコップの土を調べたり一部は前述のAやBの足取りを調べ
たり、そんな壁に当たりかけているところに怪しい男たちの証言は普通に考えてどう
写る? 捜査のかく乱と思えはしないか?

まず実際そういった男たちを本当に見たとしても、その出頭者がどう言った人物かは調べなければならない。

で出た結果がUと言うわけだ。

もう言わなければならんけどUは中田栄作さんと対立している元区長のOとは懇意にしている、確か姻戚関係があったのではないかな。

それでUやOは否定するだろうがAやBなどの愚連隊を都合のよいように使っている。

今の時代では信じられないだろうけどA、Bやその仲間のような奴らは利用する側に
してみたら良く働く、ライバル会社の工事を妨害したり、恐喝したり、捕まること
がまるっきり怖くないんだ。

で特捜部としては田中さんにはかなり揺さぶりを掛けた。しかし掛けすぎたのかも知れない、Uらにしてもかく乱するつもりが田中がかなりおびえながら帰って来たらどういった対応をとるだろうか。少し予想が入っているけどもどう転んでも田中さんにしては不幸なことだったと思います」

被害者中田家とA、そして元区長のO

「事件から10日経った頃、俺達の班の班長であったT警部は俺達のいわゆる怨恨
説班としての捜査を支持してくれたよ、それで地域的な背景、地元への捜査を人員
をこれまでより割いて行うことになった。まあ他の線も行き詰まっておったからね。
調べる内にネタは沸くように出てきたよ。

地区に投入される金の動きに驚いたね。河川整備事業、上下水道整備事業、宅地造成事業、道路計画による保証金などなど、どれがどの地主どのように働いているかも一目瞭然であった。

時代はもう戦後を過ぎて大きく膨張を続けざる時期に来ていたんだ、オリンピック
に新幹線、高速道路、日本中に大金持ちが溢れだしておった。しかしねホンの10
年前にはみんな慎ましやかな生活をしておったんだよ。

中田の川辺りの土地の横にはAの親父の土地が合った。水害で川が溢れたりしたら皆して力合わせて土手を直したりしていた、むろん元区長のOらもね。それが金が人間を狂わせ始めたのかもしれない。

俺達はひとつの事業に目を付けたよ、事業主が中田栄作さんの土地にかかる事業の選定にOが取り入っていたというものだった。

Oは家族経営でちょっとした規模の土建会社を持っていた、その役員はかねてから
出てくるUだ。この件を洗っていくと意外な人物が出てきた、井戸に身を投げた奥富玄二
なんだ。」


「元区長のOはそれ以前に栄作さんに農業技術会の役員の件で蹴られたことがある、
それで双方の溝は深まったのだけど今度の事業だけは逃すことはできなかった、
なにかプランがあったんじゃないかなOの頭には。

それでそのアプローチ以前か以後かわからんが元作男の奥富玄二があるネタ、中田の家を揺さぶるネタを持って登場したと考えられる。

最初は小遣い稼ぎ程度に元作男の奥富玄二も考えていたかも知れないが、交渉役として使われるようになって後悔し始めたんじゃないかな。死ぬ1ヶ月前くらいから大変な事になったと家族や同僚に繰り返している。

おそらく元区長のOやUの圧力は凄かったんじゃないかな、事件後元作男の奥富玄二はUらの本当の怖さを知ったことになった。奥富玄二の神経は一杯一杯だったと思うよ。

それでどうにも首を縦に振らない栄作さんにUや元区長のOはゆするネタをそのまま
に娘に手を掛けたんじゃないかと思う。Aを使ってね。

俺はAを見て最初から殺す目的でさらったのでは無いと思っている、顔見知りだしね、
一日二日連れ出して家に心配を掛けさせる、言ってみれば揺さぶりを掛けるのが目的
だと思うよ。揺さぶるのが目的だから事前に脅し文句もあったかもしれない。

そう考えると居なくなった時の家の対応の早さもわかる。居なくなった時点で助か
らないと捜査陣に漏らしたこともうなずける。

それで我々は西武園を早い時期で捜索したんだ、最初に誘拐ありきなら捜索は少し
先になるからな」


* それだけ事象があって被害者の家族はなぜ訴え出なかったのでしょうか?

「それがこの事件の一番大きなポイントなんだよな。肝心なことに踏みこむと中田
の家族はだんまりするんだ。

一度班長と家を尋ねたことがある。すると親父は具合が悪くて息子(健治氏)が出てきたけど、事前にゆすり、脅しがなかったか? と聞いても(そういった事実はありません)と言うんだ。

そのあともう一度行ったが同じだったよ。これは、もう奥富玄二の持っていたネタ、中田の家の秘密が外に出ることが一番恐れていることなんだと確信したよ」

5月18日特捜部を離れる事に。

「奥富玄二の持っていた秘密についてね、確認することがあったので同じ班のTとKが川越筋にでかけた、その帰りに狭山の駅を出たところで特捜部の狭山署の捜査員G警部補と
かちあった。俺はその場に居なかったので聞いた話だけどAやUの話しになったらし
い。

でGはいつまでもその線を追っても何も出ませんよ、と言ったらしい。なかば
凄みさえしたそうなんだ、あとで何となくわかったんだけどね、その日18日に刑
事部長から捜査員の削減と捜査本部の縮小の発表があった。

特に所沢組みは初期からの捜査員5名以外は全て外されることになった。もちろん俺もね。それで次の日県警からの捜査員Hに引継ぎをした、Hは非常に有能な捜査員で安心して引継ぎできた。

それで所沢に戻ってまた通常勤務に戻ったんだけど次の日だったかなHから電話があって石川一本で行くことになりましたって、残念だったね。すでに部外者であったことがね。T警部に電話したんだけど何も出ないのだから仕方ない、と残念そうだった」
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html

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415 名前:入曽歴3年:02/11/17 15:40

自転車は何故納屋に収められていたのか、これは中田長兄が奥富玄二さんの指示でおそ
らく菅原の祠あたりに置いておいた自転車を回収したと考えているそうです。

では長兄は犯人グループか?ということになります。ここからは少し長くなります。

当時農地への水利事業が狭山市主導で進められていました、各地の区長も計画に
参加し後は予算と計画の練り直しと考えられていました。それが農水省主導により
県が計画推進することに計画が大きく変更されました。 県は浦和市にある大手建設会社に工事を依頼します、

そして大手は狭山市内の工事については入間川にあったKという土建会社に工事を依頼しました。 つまり丸投げをしたと考えられます。

その工事と予算をKに持ってきたのがUという市会議員であり工事の規模は当時の価格で六千万円ほどであったといわれています。

もともと地元の小さな土建会社が各地域で3分割ほど工事を分け合い施工
されるはずが特定の1社のみが工事を請け負う形となったわけです。

地元の、とりわけ責任のある区長らは反発しました。しかし時期が経つにつれ工事
は少しずつ計画に乗っていったと言われています、

しかし最後まで工事に反対していたのが中田栄作区長でありました。

それは計画の大きな変更もありますが自分の土地を通る水路の計画も最も気にいら
ない点であったと考えられます。

入間川のK社はしだいにあせり出したのかもしれません、あまりに反対が続くと県が
地域民に考慮して計画を変更するかも知れないからです。

そうしてU議員に泣きついたのではないでしょうか。当然U議員にしても自分のマージンが削られる事になるかもしれないので何かしら打つ手を考える必要があった事でしょう。

そして自分の息の掛かった会社の社員であった奥富玄二さんを交渉役として抜擢したのではと思われます。交渉役にされてからは奥富玄二さんは仕事よりもそちらを優先するように仕出したようです。

奥富玄二さんは当初栄作さんに直接考えを改めるよう交渉しだしたと思われますが時期が経つに連れ無理と判断し長兄にその矛先を替えたのではと考えられます。

長兄はある時期から父親には悟られぬように工事計画を飲んではどうだ、と家の中
で発言しだしたのではと予想されます、しかし父親の意見は最後まで変わらなかっ
た。それどころか父親が自分と奥富玄二さんが密かに意見を交換している事に感ずいたらどうなるかと考え出したのではと思われます。

そしてU議員は中田家四女をU議員の経営するバーに出入りする田中(O2?)という
二枚目に接触させ拉致監禁しその間長兄に父親の考えを変更させようという計画を
奥富玄二さんを通し伝えさせたのでは無いかと。

しかし田中(O2?)なる人物は諸事情により当初から監禁にとどめる気はまったく無くむしろこれを機に中田家を落とし入れる考えがあったのではと。

658 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/28 20:17

898さんからの情報を元に推理すると、事件の大枠は地元の有力者に逆らった
中田家への「報復殺人」という見方が一番当たっていると思う。

中田家側も、報復と思ったからこそ、誘拐の脅迫を受けてすぐに警察に届けたの
だと思う。ただこの時、以前に黒幕の有力者から脅迫を受けていた事実は話せなかった。

犯人側からすれば、営利誘拐事件に見せかけながら中田家を恐怖に陥れることに
最大の目的があったような気がする。

家族が殺されるという最大の恐怖があれば、以後の「交渉」の無言の圧力となる。
したがって、この事件は最初から四女殺害が目的であり、決して「ゆさぶり」な
どという生易しいものではない。

計画を見破られて尻尾を捕まえられないよう、首謀者は完璧なアリバイを構築し、
実行者には中田家と接点がない若者を使った。

ただ、被害者の呼び出しについては、彼女が見知らぬ男に付いて行くわけがない
ので、中田家の元作男を利用したのだろう。犯行現場も彼の新居かもしれない。

そして、警察の眼をあざむくために様々な偽装工作をほどこした。
一番の難題は身代金受取りで、張込みに気付いて逃げた犯人が怒って被害者を殺
害した、という筋書きのために仕組んだが、目論見どおり見事に成功している。
そして、警察の捜査の眼が養豚場に向くよう、巧みに偽装・誘導しており、事実
そのとおりになった。また、中田家の長男も黒幕に感づいていながら、
「最初からあの養豚場が臭いとにらんでいた」などと発言している。
もともと腹違いで不仲の妹だし父親にとっては赤の他人だ。

これで母親と被害者の出生の秘密で脅されることもなくなるし、将来の遺産相続
の取り分も増える。

黒幕と取引したのかどうかは判らないが、肉親の情より現実の算盤勘定が勝った
のだろう。それは、石川氏逮捕の日の新聞手記を読めばよく判る。

ただ、次女だけはそんな家族の態度が許せなかったのだろう。

中田家の二人の女性の死の原因は、黒幕と中田家の確執にあり、真相が闇に葬ら
れたのは、黒幕の策略に嵌った上、途中で気付いたが引き返すことが出来なかっ
た警察組織に最大の責任があることは言うまでもない

犯人から中田家への脅迫の時刻が確定判決よりも早いのかどうかは不明だが、
いずれにせよ中田家は脅迫されて、すぐさま警察に届けている。
確定判決では、脅迫状を見てわずか5分後には自宅を飛び出している。

犯人は24時間以上の猶予を与えているのにも関わらず、異常なまでのすばやさだ。
可愛いはずの娘・妹の身を案じて、わずか20万円を渡して彼女を返して貰おう
との深刻な相談もなく、父と長男は一目散に派出所に駆け込んだと言うのである。

おまけに佐野屋に次女を行かせる時、父も兄も現金を持たせることは
「まったく考えなかった」なぜなら「本当にあの時は夢中でして」。
16歳の四女の命より、有力者に逆らって起きた一大事に震え、下手をすれば
次は自分たちが殺されると思い、警察に身の安全を託したのだろう。
家の財産と面目と自分らの命を考えるのに「夢中だった」のではないか。

中田家の「秘密」をネタにした脅迫も、ストレートなものではなく、手下を通して婉曲に行われたものだと思う。 ところが中田家側が言うことを聞かないので「家族がどうなっても知らないぞ」くらいの捨てゼリフはあったように思う。

つまり、中田家は家族が誘拐され殺害されることに十分な心当たりがあったが、
事件の黒幕に有力者がいるとの証拠はないし、家の秘密をさらすことと、さらなる
「報復」を恐れて有力者との確執は明るみに出来なかったのだろう。
土地を離れる覚悟と有力者と徹底的に闘う気持ちがあれば全て話したかもしれないが。

関係資料などを見る限り、中田一家の実質的家長としての権限は、この頃から長男が
握っていたようだ。父親は「犯人は知り合いの者に決まっている」と言い続けており、
石川氏逮捕の報を聞いても「まだ本当の犯人かどうか分んないけども・・・」と言っている。

対して、死体発見現場に駆けつけ冷静に死体と野次馬達をカメラで撮っていた長男は、
石川氏逮捕で「石川が犯人に間違いない。」と早くも断言している。

真犯人の偽装工作を十分知りながら、お家の危機を回避するため、それを明かさず
石川氏犯人視に迎合することで、有力者の無言の圧力に屈してその後の「取り引き」に
応じたのだと思われる。ついでに家の秘密と不仲の厄介者も消し去ることができた。

長男にとって石川氏無罪は、即事件の真相解明への道が拓かれることを意味する。
こう考えると、二審での彼の「健忘症ぶり」も納得がいく。
長男の不審な言動は、彼が事件の主犯だからではなく、真犯人の意図を早々と察して
おきながらそれを隠し、二人の妹を犠牲にしてまで家の体面と自分の身を守ろうとした
ことに起因するものだと思う。

199 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/05 19:23

狭山事件の真犯人の動機が、単なる営利誘拐目的ではなかったならば、
事件の十年前におきた母親の死にまつわる不穏な噂話を、真犯人が
犯行に利用した可能性は少なからずあると思う。
また、「森の息子」なる人物が真犯人とすると、母の死をめぐる怨念が
直接的な動機ということになるのはいうまでもない。

ここでは犯行動機が前者(不穏な噂を利用し、被害者家族を何らかの形で恐怖させ、
それによって得られる実利を目的としたもの)であったと仮定してみる。
そうみると、この事件の被害者が四女であったことに、必然性がでてくるのである。
どういうことかというと、真犯人の真の標的が家長の父親であったならば、
そして何度も脅迫を繰り返したが父親が妥協しない人物であり、
最後の手段として家族に手をかける手段を選んだのであれば、
四女は犠牲者として最も相応しい人物であったろうと思えるからだ。

なぜか。

それは、四女が父親とは血のつながりのない家族だったからではなかろうか。
真犯人は被害者家族の内情を熟知しており、母親の生前の行状とその死、そして
兄弟姉妹の中に他人の血が混入しているという事実に起因する不和・不協和音が
家庭内に発生していることを利用したのではないかと考えられるのである。

父親は近所では評判のしっかり者で、妻の死後も遺産相続の原因となる後妻を娶らず、
区長としても自分の考えを貫き通し、成績優秀の子供達も「百姓には学問はいらん」
との方針で四女以外は夜間高校に通わせるほどの徹底した頑固者だったと伝えられている。

このような性格の人物を落とすには、かなり荒っぽい手段に出るしかないと考えた人物が眼をつけたのが、他ならぬ四女だったのではなかろうか。

誘拐するなら、小学生の三男を狙った方がはるかに容易である。
だが、相手は単なる「ゆさぶり」だけで落ちる相手ではない。
家族に一員を「消して」、家長に尋常ならざる恐怖の念を与えねばならない。
だからといって幼い実の子を殺されたとなれば、逆に態度が硬化する可能性がある。
かくなるうえは、母親と似て自由奔放で勝気な性格、何かにつけ家の方針に逆らい、
昼間の高女行きも認めざるを得なかった、家族とは異質な存在の四女に
「犠牲の子羊」となってもらうしかない。

血のつながりのない四女が、下校時に不良に襲われ暴行のあと殺される。
あくまでも主犯の姿は見せないが、その死の意味は父親にだけは理解できるように
真犯人は綿密に計画を立て、実行したのではないだろうか。
それゆえの様々な偽装工作であったと思えるのである。

事件直後の父親の印象は薄く、一気に老け込んだという感じである。
やはり事件を起こした真犯人の意図が十分に伝わったのだろうか。

父親が事件翌日には早くも「もう殺されている」と涙し、
「犯人はどうせ知り合いに決まってる」
「犯人の方でも私の顔を見れないだろうし、私も見たくない」
と言った言葉でも、そのことは十分に窺い知れるのである。

665 名前:660:02/08/29 17:44

中田家の長男を手厳しく批判したが、むろんこの事件で最も責められるべきは
卑劣な真犯人グループであり、その首謀者である。

と同時に、面子を重んじるばかりに犯人逮捕を急ぎ、証拠を捏造し無防備な青年を
騙して代用犯人を仕立てた警察であり、それを黙認し追随した検察の罪も深い。
権力の偽装を見破れず(見破ったが見逃した?)、石川氏を有罪とした上、再審
の門も閉ざしつづける裁判所も同罪である。

中田家の父親と長男は、法的には偽証罪(時効ではあるが)に、道義的には真犯人の
心当たりがあるにも関わらず、それを隠したことに対して責められるべきだとは思うが、別に彼らの肩を持つわけではないが、当時の(今も?)農村の閉鎖的な共同体でそれからも生きていくには、仕方がなかったのかもしれない。

事件の前に、真犯人側にとっては絶対に許せない言葉を、中田家の父親か長男が
吐いたのかもしれない。「四女殺害」という報復でもって、中田家は彼らの本当
の恐ろしさを感じ取ったのだろう。

仮に過去のいきさつを警察にすべて告白したところで、本当の黒幕まで捜査の手が
伸びるという保証はなく、この地で生きていく以上、こうなってしまえばもう彼らに
屈服せざるを得ない。これだけの事件が起こせる、この地の有力者と対決したところで、ますます自分たちが窮地に追い込まれるだけだと、父と息子は判断したのではなかろうか。

そして真犯人側は、中田家の家庭内に吹く「すきま風」を十分に知っており、
四女を殺したとしても、「報復」に対する中田家の「反撃」はまずあるまい、
と読んでいたのだろう。

あとはいかに警察をあざむくかに全力を挙げて知恵を絞った結果が、
あの「奇妙な脅迫状」と「死体埋葬」そして「佐野屋の逃走劇」であったのだ思う。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

581 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 21:38

事件直後に流れた犯人像としては、

 1、顔見知りのボーイフレンド説
 2、区長選挙をめぐる父親への怨恨説
 3、流しの不良説
 4、米軍の不良外人説

などがあり、2はかなり有力な説だった。

つまり、堀兼地区の利権について発言権が大きい区長である頑固な父親をめぐって、他の有力者との対立が抜き差しならぬところまで来ていたのではないか、との憶測。
第1スレの898さんの伯父さんの話はこの説を裏付けていて、今のところ、この説が最も真相に近いと思う。

ところが、この説を追った刑事は、異様とも思える地元住民のだんまりと捜査拒否にあって立ち往生する。 そこに様々な未確認情報とやらが舞い込んできて、さらに混乱をきたしたという訳だ。

おそらく、地元民にとっては地価の高騰に伴う水利事業などの利権構造は、自分達の財産価値に直接影響する事態でもあるので、単純な正義感だけでは発言しにくい雰囲気があったのだろう。

結局、世論の強い批判を受けた警察は、3の説をとって、弱い立場の青年を犯人に仕立て上げることを選択した、というのが本当のところだろう。 ちなみに「森の息子」とやらの情報も、そのときに囁かれた根拠のない噂話が元ネタになっていると思う。

結局、3の説ということにはなったが、養豚所の元使用人たる石川氏が逮捕されたとき、これに2の説をくっつけて、親父と対立する一派が石川氏らを遣ってやらせたとみる向きもあった(事実、親父と長男はそう思い込んでいたはず)。

地元民としては、黒幕がいることに薄々気付いていながらも、まあ実行犯が逮捕されたのならいいかと思っていたように感じる。
石川氏逮捕を聞いて、芋づる式に2〜3人の実行犯が逮捕されると考えられていた。
ことによると黒幕まで行ってしまうかも?と、戦々兢々いた者も多かったはず。
ところが結論は石川単独犯ということでケリがついた。これには実際、たまげた地元民が多かったと思う。

現地に行って、石川自供の通りに歩いてみると、その犯行の実態がいかに現実にそぐわない作り話であることがよく認識できる。 その意味では、雑木林付近で農作業をしていたK氏の証言(「雑木林の方からは悲鳴など全く聞こえず、あの時刻にあそこで殺人事件が起こっていたなどとは信じられない」)などは、地元民としては大変勇気がある行為だと思う。

772 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/29 21:44

これが40年前の東京近郊の農村で起こった事件だということを忘れてはならない。
次第に薄れつつあるとはいえ、現在でも日本の農村社会に巣食う、血縁・地縁が
絡むドロドロとした閉鎖的で排他的な慣習は、厳として存在し続けている。
そしてそれを直接的間接的原因とする犯罪もまた、少なからず発生し続けている。
ただ、都会で起きる事件とは違い、それが明るみになる事例は極めて少ない。

事の善悪を問わず、それら農村社会で発生する非日常的な事件は、背景に土地の
有力者の存在が噂される場合も少なくないが、これが明るみになる事もまた稀だ。
都会人の視点から見れば、片田舎の大地主や区長、市町村議会の議員や首長クラ
スの者など、取るに足らない小物だろうが、その土地での「力」たるや、「子飼いの人
物」が平気で殺人を犯すほどの影響力を持っていたのが、数十年前の日本の農村の
裏の顔でもあるのだ。

その当時の雰囲気は、898さんの元刑事の話で極めて正確に活写されている。
狭山事件の背景に、かかる事象が潜んでいるのかどうかは不明だが、少なくとも
一人の無学な青年が行きずりに犯した犯罪とするよりは、可能性は大であるよう
に思う。当時の水利事業など利権構造をめぐる地元の確執が、どの程度のもので
あったのか、そして区長たる被害者の父親は、その渦中にあって、いかなる役割
を果たしていたのか、人間観関係などを含めて綿密に調査すれば、今からでもあ
る程度は判明する部分があるように思う。



711 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/04/04 19:56

時は高度成長期の真っ只中で東京オリンピックの前年。
のどかな農村共同体の善良な農民も、時代の波に呑み込まれ、カネが人間を変えていく過程で起こった事件だった。 この事件、その動機を大別すると

 @男女関係のもつれ
 A被害者家族の母親にまつわる怨恨
 B土地開発をめぐるトラブル

の3点に絞られると思うが、事件を丁寧に調べると、事件発生時よりも、佐野屋の一件以降の事後対策に犯人側は全力を尽くしている感じを受ける。
ゆえに元刑事サンの言うとおり、動機はBであって、被害者殺害は突発事故。
事件の背景を気取られないよう、事後処理にあらん限りの知恵を絞ったとみていいと思う。

もうひとつ。

死体の埋没は一人でも可能という意見もあるが、とんでもない。
あれだけの作業を深夜に一人でやれば、軽く三時間以上はかかる。
その他の証拠偽装工作、撹乱情報などを考え合わせると、やはり犯罪に手馴れた
組織の存在を疑わざるを得ない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

776 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/30 16:54

地元の有力者が背後にいたと仮定しても、その有力者が直接計略した事件ではないと思う。

有力者(政治家?)は「あの中田栄作、なんとかならんのか」くらいは言ったかもし
れないが、実際に計画に携わったのは、有力者と権益を共にする「親分」だっ
たと考えられるし、事実、元刑事の話にもそれを裏付ける内容がある。

狭山地区ではないが、関東の田舎の農村に住む知り合いの老人(93歳)に聞
いてみると、昔の農村社会では、今の暴力団的組織とは違う任侠系組織が確
かに存在していて、そこの親分の命令なら、親でも殺しかねない人物がごろご
ろしていたそうだ。

この事件は、そういう組織の親分の命令で、数名の手下達が実行犯となってし
でかした犯行とみていいと思う。

ただし、こういう大きな「シノギ」の場合、実行犯は地元の者ではない人物が選
ばれるそうだ。それは組織と友好関係にある別の組織の構成員などで、失敗し
たときの背後関係を判らなくする為らしい。

とはいっても、一人だけは地元の地理に詳しい人間がいたはずで、おそらくそ
の男が佐野屋に行ったのだと思う。おそらく組織構成員は、だいぶ以前に離れ
ていたが、親分にかなりの義理があり、危険を承知で引き受けたのではないか。
ただし、その危険度の高さから考えて、元刑事がいう二十歳そこらの若者では
ないように思う。若者が佐野屋に来ていたとしたら、姉と会話した男ではなく、
多分探りの投石をした人物だろう。そして会話した男の「おらけぇるぞ」の声を合
図に走り去ったのだと考えられる。

奥富玄二は組織構成員ではないが、構成員の誰かと親しい関係にあり、被害者を誘う
ために利用されたのだと思う。この時代には、普段は善良な百姓や勤め人が、いざというとき事件に利用される大勢ができていたそうだ。
田中登についてはよく判らない。

芋穴の棍棒とビニール風呂敷は、先に穴を掘ったグループが、死体を運んで来
る地元民ではないグループに、その場所を誘導するために残したものだと思う。
有力者は、事件後に自らの身に捜査の手が及ばないよう、実行犯らがなした偽
装工作を、豚屋関係者が犯人と見られるよう、捜査当局幹部をうまく誘導したの
ではないだろうか。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

656 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/12 20:29

市長はエライというより「大きな権力と権限を持っている」というのが正しいかな。
区長はむろん市長に比べて権力の幅は比較にならないほど小さい(つまり市長より
エラくない)とは言えるが、それだけに田舎の農村でしかも地価の高騰に結びつく
土建工事などをめぐっては、利害関係を持つ地元民にとってそこの区長は莫大な権力を
握っている人物ということになる。

特に東京オリンピックを翌年に控えた事件の年、狭山市近郊は都心のベットタウンとして注目を浴び始めていた矢先で、開発も急ピッチで進んでいた。
なにしろ水利事業ひとつにしても、それがどのコースが選ばれるかで地価が何桁も変わってくるのだから、その決定権を持っている区長の周りには実際、さまざまな思惑が渦巻いていたことだろう。

そのことで区長の親父さんが恨みを買っていたとしても不思議ではないし、事件の黒幕がこういう背景の後ろに隠れている、と言う人がいても当然という気がする。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

407 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/20 14:40

父親は当時、農村共同体のリーダーたる区長という立場。 身内のスキャンダルは、即その地位を危うくする。 事件当時から、上赤坂地区の区長は大きな権力を有していた。 当然のことながら、利権が絡む区長選挙などには相当な確執があり、当初は、その遺恨が引き起こした犯罪という見方もあった。 898さんの元刑事の話には、そのことを想起させるものがある。

そして今一度、あの脅迫状に眼を向けてみると、あることに気付く。
それは真犯人が、事件の真の動機を気付かれないような工夫を凝らしているという点である。

まず、犯人は四女とは顔見知りではない人間であることを示すため、最初は「少時家」の子供を狙ったが果たせず、行きずりに出遭った女子高校生に眼を付け、身代金を取るついでに性欲を満たそうと考え、下校途中の四女を襲った、というストーリーを考えた。

そして四女を拘束したあと、脅迫状の宛名たる父親の名前を四女に訊ねる。
四女が「中田栄作」と言ったのを「なかた・えさく」と聞き違え、封筒には「中田江さく」「中田江」と万年筆で書いた。 本文は「少時様」宛に以前に書いておいたと見せかけるために、ボールペン書きにしておいた。

そして封筒の宛名と本文の訂正箇所を万年筆で書くことによって、四女のカバンの中にあった筆入れから万年筆を奪い、あとから書いたように見せかけた(このとき、インクの色を確かめなかったのはうかつだった)。 このことを強く印象付けるため、筆入れごと持ち去って処分した。

見ず知らずの四女の住所をそれで知ったと思わせるためと、誘拐がいたずらではないことを示すために、脅迫状の封筒には四女の生徒証を同封しておいた。
もし父親が不在だったら他の家族が開封せず、発覚が遅れては困るので、封筒は一度封をしたあと、ちぎって開封しておいた。

指紋がつかぬよう軍手を用いたが、これも二種類のものを使い、手袋痕を検出されても複数犯との印象を与えるよう、念には念を入れておいた。

身代金の金額は、貧乏な若者が犯人との印象付けのため、20万円にしておいた。
では警察の捜査をどこへ誰に向けさせればいいだろうか?

そうだ、菅原四丁目の被差別部落の人間にしよう。
ちょうど四女宅の近くに養豚所がある。ここは部落出身の兄弟が経営していて、部落の若者が多く出入りしている。 たわいないものばかりではあるが、いろいろと悪さもしているようだし、地元の人間も差別意識丸出しでこの養豚所を見ている。 それを利用して、彼らに疑いがかかるように工作しよう。

それには身代金受け取り場所を「佐野屋」に指定するのがいい。
ここなら養豚所に近いので、そこで働く者は誰でも知っているはずと思われることだろう。

「少時様」の「前の門」の「前」を訂正し、稚拙な字の共犯が訂正したと見せかけるため、この箇所は左手で「サノヤ」と書いておこう。

それに佐野屋は五本の道路が交差する場所なので、張込み刑事を分散させ、身代金を取りに来たと見せかけて逃げるのに都合がいい。 しかし捕まっては行けないので、過去の事件(斎藤恵子さん誘拐殺人事件)を参考に、指定時刻を「五月2日の夜12時」と書いて前日にも張込みをさせるよう誘導しよう。 そして1日夜に、大体の張込み配置を確かめておこう。

佐野屋での逃走を成功させるため、犯人が自動車でやって来るように見せかけよう。
脅迫状に「友だちが車出でいく」と繰り返し書いて、複数犯と車の使用を印象付けよう。

ちょうど養豚場にはトヨエースがあり、経営者兄弟が乗り回しているので大いに疑われることだろう。

714 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/04/05 14:51

脅迫状に「こども」と書き、金を持って来るのを「女の人」としたのは、犯人があくまでも家族および善枝さんと面識がない「よそ者」であることを強調するためと、最初は「少時様」の子供を狙っていたと思わせるために考え抜いた偽装工作だろう。

実にややこしい工作だが「顔見知りではない行きずり犯」であることを示すのに、これほど効果的な方法も他にそうあるまい。 電話があるのに、わざわざ足のつきやすい手紙を書いた必然性がここにあるように感じる。

被害社宅には、善枝さん以外に女性は次姉しかいなかったので、「母親」ではなく「女の人」とせざるを得なかったのが、きわめて作為的だし、養豚場に近い佐野屋を指定したところなど、最初から警察を誤誘導する計画性の高い犯行と思える。

(「女の人」と書くことで「少時様」の母親と中田家の次姉の両方の意味を持たせることができる。 「こども」も同様で、すなわち文章の訂正を必要最小限度にとどめた、ともとれる。この点、脅迫状の文章を考察して導き出せる「狡猾で合理的な思考をする犯人像」とも合致する。)

稚拙さを装った脅迫状には、「養豚場にたむろする漢字も満足に書けない不良達が数人で、4月29日にしょうじ家の子供の営利誘拐を企てたが果たせず、3日後の5月1日に下校途中の善枝さんを待ち伏せして襲い拉致し、貧乏人にとっては大金の20万円を強奪することにした」 という犯人側の見せかけの意図が透けて見える。

そして、死体と証拠品埋没、その前後の撹乱情報まで、その意図は一貫している。

当初の捜査本部にあった「犯人は顔見知り」という真っ当な見方に、地元民は異をとなえ「あんなことをするのは“よそ者”に決まっている」と言い、捜査への協力を拒否したと聞く。

だとすると、そのような意見を主張し地元民による警察批判の声を煽った者の中に、
真犯人につながる人物がいるのではないだろうか。

http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

578 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/15 20:03

事件当時の現地航空写真を、改めて見てみると、真犯人がなぜ佐野屋を
身代金受け取り場所に指定した上、脅迫状にトラップを盛り込んだのかが
よく理解できる。 警察を出し抜いて逃走するというのが、計画犯罪成就の絶対条件だったとするならば、あの日、あの時刻、あの地区で、あの場所以外に適当な箇所を捜すのは難しい。

すなわち「佐野屋」は、

 @「よそ者」が集う養豚場が近くにある
 A川(不老川)の附近
 B5本の道路が交差する変形十字路である
 C道路側の茶垣の丈が高い
 D道路に街灯がない

犯人は、「車出いく」と見せかけ、5本の道路側に刑事を分散配置させ、
畑側から声をかけた。街灯の明かりもなく、茶垣に隔てられていては、
自分の姿を見られる心配もない。警察犬がいないことも事前に知っていたが、
臭気は2、3日残るため、不老川に入って臭いを消している。

察するに犯人グループは、かなりの手間ひまをかけて、この計画を遂行している
と思われる。

警察犬は狭山署にはいないので、川越署から派遣しようとしたが、同署の訓練士
がなんと二人とも病気などで出動できず、張込み前までには準備できなかった。
急遽手配した大宮署からの警察犬が現場に到着したのは、すでに犯人逃走から
3時間以上も経ってからだった。

警察犬の手配が間に合わず、投光機やトランシーバーなども用意できていない
ことは単なる偶然で、犯人にとってはまれに見る僥倖だったのか?
いや、そうではあるまい。

現地の地図を広げ、用意周到に計画を練っていると思われる犯人グループが、
この点のみは、いちかばちかで決行したとは到底思えないのだ。
結論として、この大胆不敵で壮大なトリックを成功させるためには、警察当局
の動きを逐一把握できることが必須条件であったに違いなかろう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html


538 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/03 16:50

堀兼地区の住民にとっては、地元にあの養豚場ができて、被差別部落の青年が出入りしていることに眉をひそめる者が多かったときく(豚と「よそ者」の臭いでたまらんということらしい)。

それで事件当初から「やったのは養豚所の者」という雰囲気が出来上がっている。

事実、警察が養豚所に眼を向けたのはスコップ発見後ということに公式上はなっているが、実際には事件当日から内偵を開始したらしい。1日夜の養豚場のスコップ盗難についても翌朝には警察はその事実を把握していた。

実行面の主犯格と思われる人物は、土地の有力者(計画面の主犯?)の意向を受けて、
警察・マスコミ・地元民が養豚場を疑うように、事件後も情報操作と誤誘導を行なった
節がある。

堀兼農協に集まって「警察不信任決議集会」なるものを開き、地元民への捜査に圧力を
かけ、警察が部落への見込み捜査を開始すると一転して、署長夫人まで繰り出しての
炊き出しを始めたのは、一体どこの誰がリーダーとなってやったことなのか。
そして石川氏が逮捕されると、マスコミに石川氏の素行不良ぶりを針小棒大にリークし、「犯人に間違いなし」との世論を形成せしめた、陰の大物は誰なのか。
このことは、事件が奥富玄二の自殺で完結するものではないことを如実に示している。


568 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 15:49

奥富玄二にしても田中登にしても、犯行の「手伝い」をしている可能性は高いと思う。
奥富玄二は被害者を誘い、新居に案内した(?)役目で、被害者の殺害計画までは
知らなかったと思う。

ちなみに、被害者が殺されたのは奥富玄二の新居とみている人が多いが、被害者は後頭部に頭蓋骨まで達する裂傷を負っている。 かなりの出血があったはずだが、新居からはルミノール反応は検出されなかったようだ。

このとこから、被害者は奥富玄二の新居でトマトとおにぎりの接待を受けた後、身柄を拘束され(あるいはなんらかの口実に乗って自ら進んで)、車で別の場所に移されたのではないだろうか。

彼女が殺され、しかも新居近くで死体が発見されたことで奥富玄二は、進退窮まったということで死を選んだような気がする。

田中登にしても同様で、割と軽い気持ちで事後の撹乱工作の手伝いのため偽情報を持って警察に行ったのだろうが、取調官に証言の矛盾を突かれ、怪しまれて背後関係を追及されたのだろう。

ベテラン刑事にとっては、それが善意の情報であるのか、それとも作為あるデマ情報なのか、いずれかを見抜く眼力はあるはずだ。 では、本当のことを打ち分ければいいではないかと思う人もいるだろう。 しかし、そうすれば自分が犯行に関与したということになり、閉鎖的な農村社会では、家族には村八分という厳しい制裁が待っている。

かといって、ヘマをして警察に感づかれたと、仲間に助けを求めても口封じに殺されるのがオチである。 こうなれば、もう自ら死を選ぶしかない。
犯人グループはそのことも計算の上、「普段からおとなしく、気が弱い」
性格の奥富玄二と田中登に、その役割を振り分けたのではないだろうか。


571 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 18:05

あの時代、あの農村社会の中で起こった事件という事実を考えると、犯罪に利用された気弱な農村青年が、あの情況下で死を選ばないと考える方が「短絡的」。逃げ出してどこかで一人で生活するということを選択するはずがない。

それに、映画のセリフじゃないが「警察はあきらめても組織は絶対にあきらめない」。
自供すれば、いかに利用されたとはいっても殺人事件の共犯。
家族は村にはいれなくなるだろう。
ちなみに、吉展ちゃん事件の犯人小原保が、厳しい取調べでもなかなか自供しなかったのは、「田舎の家族が村八分にされて苦労するから」だったそうだ(そして実際そうなるのだが)。


578 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 20:32

田舎の狭い世界しか知らない住民に 「全てを捨てて遠くに逃げる」
なんて発想ができたかどうか。 村八分になるのが怖い&地域の連帯大切っていうのも納得できる。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html


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4. 中田家の秘密

974 名前:898:02/07/27 10:30

被害者の家の秘密に付いて

「中田の家の秘密にしたいことなんだけど俺達が調べたことが全貌だったのか一部
だったのか実は整理がついていない。

最初は見当もつかなかった。栄作さんの兄弟なんかにかなり取り入っている捜査員などに頼んでも何も出なかった。だけど思い出したんだ、長女のKさんの言葉を。それで川越方面を中心に調べてみたらポッと出たんだ、被害者達のお母さんのことだった。

健治さんにさぐりを入れた時に外殻の部分を言って見たんだけど否定されたよ、当然だわな」 「お姉さんが言ったことはヒントになっただけだったよ、

お母さんのことでもひどい事なのに何故善枝がこんなことに、

て言われたと思う。
恐らくこのことが白日の元に出れば良くても栄作さんは今の地位を追われ悪くて土地を後にしなきゃならないかもしれん。土地にとどまっても今までの生活は無理だろうからね」

「事件のあと、もしかしたら栄作さんとUの間で手打ちがあったかもしれない、もう
これ以上踏みこまないということでね。

それは暗黙のうちであったかもしれんし、誰か間に入ったかもしれない。だけど耐えられんよ普通の人間には。犠牲になったのはお姉ちゃんじゃないかな(次姉)、丸い顔した愛嬌のある子だった、あの子には耐えられない、事実が全て伝わったらね」

「さっきも言ったけどAもBもあるいは奥富玄二にしてもUにしても娘を殺すつもりで連れだしたとは思わないし思いたくない。いくらUが心底極道でもそうは思いたくないよ。

一晩くらいかな連れ出して栄作さんらにたっぷり冷や汗かかせりゃ良いくらいに
考えていたと思う。なので連れ出す以前に娘には気おつけろよ、くらいは言ってた
かもしれない。

だけども実行犯であるAは娘さんをあやめてしまった。予想以上に手がかかったか、逆にたしなめられてかっとしたのかもしれない」

「それで泡くってUに連絡したと思う、Uは裏の仕事に精通しているO(Oが多くて迷
いますが、このOは実質Uが経営している飲食店の経営者でO2です、

ちなみにAとBの5月1日のアリバイはOの飲食店(キャバレー)の改装の手伝いをしていたことになっている)に指示して事件の隠匿、あるいは偽装を敢行したんだと思う。それが
脅迫状であり誘拐事件と言うことと思う」

「あの脅迫状は娘が居なくなったのは脅しの方向ではなく誘拐事件ですよ、と行為
をぼやかす意味と時間稼ぎが目的と思う。
5月1日に誘拐しておいて5月3日の未明に金持って来い、というのは時間が空きすぎる。当然それはUらが自分達に塁が及ぶのを避けるためにAとBにも十分なアリバイを作るための時間稼ぎであったと思う。

警察としても誘拐事件ならば脅迫状の取引時間まで相手の出方を待たねばならない
、なのであの脅迫状で重要だったのは3日の午前0時まで興味を引きつけておくこ
と、その間に実行犯はその後に容疑が及んでも大丈夫なようにアリバイをしっかり
作っておくことが大事だったと思う」

「あの脅迫状はいろいろ脚色されているとは思う、特に思慮の無い者が20万ぽっち
の金欲しさに子供をさらったと方向付けしているが、金の引き渡しがさきすぎる、
思慮の無い者の仕業とするなら当日の夜でも良いし、二日の朝方でも良い、金は早
く欲しいとなるだろう、だけど脅迫状の犯人はのんびりしているね、時間を稼ぎ
たかったんではないかな」

「アリバイの偽装にそんなに時間がかかるかというとかかるんだ。詰めのあまい偽の
アリバイほど崩しやすい。

AとBのものに関してはほぼ完璧だった。O(飲食店)の書いた筋書きとおもうけどね。
あそこで崩せなかったのが惜しい、何度思いかいしてもね」

「石川さんがやってないとしたら、それはそう大変なことだとおもう。だけど石川
さんはもう刑期を追えて市井の人として無実を訴えている、それは立派と思うよ。
再審は難しいではないかな。真犯人が名乗りでもしない限りはね、無実の証拠を
積み上げても今になっては、どうかな。時間が経ちすぎている。未公開の証拠と
いっても大した物は無いと思うよ、特に真犯人を判断する材料はね」 
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

201 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/03/31 22:38

中田家には事件以前に家を出て、実家との音信を絶って生活していた長女がいるが、次女の登美恵は「うちは女は義枝(被害者)とあたしの2人だけだったので・・・」と証言しことさら長女の存在を隠そうとしている。

長女が家を出た原因については明らかでないが、家に留まっていればさらなる犠牲者の発生をみただろうという指摘もある。

何れにせよこの事件が被害者一家と無関係な第三者による身代金目当ての誘拐や、行き
ずりの性犯罪の結果でないことは確実である
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html

682 名前:本当にあった怖い名無し:2005/10/05(水) 12:07:04 ID:2+Old3dP0

一家の秘密なんですが、家出して東京に行った姉とは無関係?

姉の旦那の田舎は、貧しくても、色々な物を送ってくれても被害者一家は姉のもとにネギ1本も送ることもなく姉が子供を出産する時(里帰りして、お産をするのが普通の時代)も家に入れてもらえなかったと昔の記事にあったので・・

被害者家族の姉に対する仕打ちが普通ではないようで気になりました。 http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/11.html

620 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/18 11:47

自分が一番気になる点は、やっぱり「中田家の秘密」なのですが
母の性格とか被害者の出自とかではなく(これらは近隣の人達には周知の事実だったはず)墓場まで持っていかなければならない秘密と言うならば、中田家(父or長兄)が犯した何らかの犯罪行為(横領とか仲間を死に追いやるとか)があったのではと思うのです。

それと被害者の死が繋がったところに答えがあると思います。既出の意見ですが
この答えは絶対に分からないでしょうね。農村の気風もあるけど、バレたら罪を問われる訳ですから。

そういう意味では家出した長女がポイントなのではと考えます。
結局は真相は闇の中なのでしょうけど・・・。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

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648 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/07 22:51

・父母の結婚式、中田家の庭に大量の墓石投入事件

・前日まで元気だった母を、精神病院に強制入院、数日後に死亡事件

・長姉の中田家縁切り家出事件

・末っ子の被害者だけタネちがい


これらの事は、じつは母親が事件の真相に係わっていることを意味している。
狭山事件は、すでに母の死から始まっていた。


昭和8年5月12日被害者の母故ミツは隣村である川越市中福から中田家に嫁いだが
婚礼の翌朝、村落の墓地の墓石や卒塔婆が大量に庭に投げ込まれていた。

ミツは平素から素行になにかと噂があり、この時も結婚を妬んだかっての男たちが嫌がらせに行ったのだと囁かれている。

また結婚当時「中田家に生まれた女子は育たない」という予言めいた噂も流れたが、
長女は事件前に家族と対立して勘当同然に家出、次女登美恵が事件後「自殺」三女善
枝が事件で殺害され、結果的にその通りになった。

ミツは昭和28年12月30日午前10時30分に東京都北多摩郡小川町(当時)の
国立療養所精神科で、死亡診断書によれば「脳腫瘍」で死亡した。病名とは関係のな
い精神科で死亡していること、自宅から近い川越や所沢の病院でなく、遠い縁のない
病院に入院していること、入院から約10日で死亡しているが、近隣住民の目撃によ
るとミツは入院前日まで畑仕事をしていた、脳腫瘍がそれほど短期間に発病して死に
至るとは通常考えられない、などの疑惑が囁かれている。

ミツは結婚後も男との噂が絶えず、当時地元ではミツに振られた男が腹いせに毒を飲
ませた、近所の病院では噂が広まり世間体が悪いので、家族が医者に金を含ませて遠
隔地の病院に入院させ死亡診断書も工作させたとの噂が流れた。この事件の犯人と善
枝の出生、後年の善枝殺害との間に関連をみる人もいる。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html

725 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 15:19

被害者の母親は農村のタブーに触れた女性だったようだ。

被害者もまた勝気で現代的な女性で、ボーイフレンドも多かったそうだが、
彼女もまたなんらかのタブーを犯したとは考えられないか。
特にその異性関係において。

インドやパキスタンの田舎では、異性間の交渉でタブーに触れた女性は
親戚縁者がよってたかって私刑をくわえたり、場合によっては殺してしまうことさえ
いまだにあるらしい。これを「名誉殺人」というのだそうだ。
警察もこの名誉殺人については見てみぬふりをすることが多く、犯人が逮捕され起訴されても一般の犯罪に比べて刑が軽いと聞いている。

別に狭山事件が「名誉殺人」だと主張するつもりはないが、犯人側と被害者家族側との
利害が一致する時点がどこかであったような気がしてならない。
むろん警察の利害も同様である。

三者とも、事件の真相が明るみになることだけは絶対に避けたいとの思いが強いこと
は間違いなさそうだ。


388 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/06/02 03:43

長男と被害者は戸籍上は兄妹だが、実際は被害者が母親の不行跡、つまり不倫によって生まれた「種違い」であったらしいことが裁判の過程で示唆されている。


441 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/08 11:24

中田家の秘密とは、色情狂の母親が、遠くの精神病院にブチ込まれて、不審な死に方をした事に、父親と長兄がただならぬ係わりをもっていたということですね。

被害者はその事を知って、悩んでいた。 長兄に詰め寄っていたかもしれない。
そして・・・
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

733 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 23:09

中田家の闇の部分は母の件と、
善枝が近親相姦によって生まれた子だということ。

735 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 14:17
>>733
その話は、私も耳にしたが事実なのでしょうか?


736 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 19:28
善枝ちゃんの父親はいったい誰???

http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

686 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/21 12:57

真相は、母親の不倫相手の出自にあると思う。
当時の農村社会で、主婦の不貞だけでも許されないのに、その相手が「よそ者」だとして、家族にその「よそ者」の子供が混ざっているとしたら…

当時、それだけで村八分の対象になったかどうかは判らないが、一家にとっては
絶対に隠し通したいスキャンダルであったことは想像に難くない。
こう考えると父親と長男が事件の真実の一遍を隠そうとしたことや長女の家出、
次女・次男の自殺の謎も解けるように思う。


687 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/21 14:23

>当時の農村社会で、主婦の不貞だけでも許されないのに、

ちょっと違う。

農村社会の内部に於てという限定条件の下で性は今よりもオープンであった。
男手が足らない家に「種付け」すること、未亡人に子を産ませ後に養子として
引き取ること、他、いわゆる夜這いという行為も多くの場合黙認されていた。

だから、問題になるとすれば、
「講」に属さない者との性交渉が「講」と中田家の問題であったのだろう

688 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/21 15:25
>>687
大筋では同意だし、昔の日本の農村が性に対しておおらかであったということも
事実だろうとは思うが、本家の正妻の不倫となると話は別なのではあるまいか。
「未亡人への種付け」とはわけが違うと思う。

それとこの場合、家族に「よそ者」の血が混ざっていることの方がスキャンダルとしての意味あいが大きかったのだと思う。

大尽農家としては正当な嫡出子と不貞の子供とでは家督争いの種に十分なり得る。
事件の背景には、かかる「お家騒動」の側面があったようにも思えるのだが。

517 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/11 10:44

墓石に秘密があるような気が。
自分もなんでいやがらせに墓石?と思っていたが


519 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 09:02

投げ込まれた墓石は、当然中田家のものです。
そこには、栄作の母親の死が関係している。
近所の人たちは知っていたのです。


522 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 12:45

俺の聞いた噂では、墓石は中田家のものじゃないよ。
「中田家の秘密」とは、その件の真相と被害者の四女の出生に関わる秘密のこと。http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html

729 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/10 20:22

長兄のあの手記は、非常に意味深だ。
石川氏逮捕の日、まだ彼が本当に犯人かどうか分からない時点で、
記者に「石川が犯人だと思う」と語った上であの文章を書いたのは、なにか真犯人へのメッセージのような気もする。

「農村という古くからの何者かが潜んでいたのではないのか」

とは、

「妹は農村という古くからの因習の犠牲になった」

という風に長兄が思っていることを吐露したものではなかろうか。

その古き因習の中に自分自身も身をおいているので、真犯人の名を明かせずに
いることへの自責の念も読みとれる。
最後の二行を離して書いていることも奇妙だ。
つまりこれは、あの脅迫状を書いた犯人に宛てた「返書」なのではないだろうか。

http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

37 名前:3-679:03/02/01 10:25

母ミツは、昭和28年に精神病院に入院、11日後に「脳腫瘍」という一万人に一人位
しかいないという珍しい病気で死亡しています(正式な死亡診断書あり)。

つまりこの事件全体において、父栄作氏および長兄が、義枝さんの誘拐
殺人に関して、なんとも不可解な行動や発言をしていたのは、母の不審死
についての秘密を隠すためではなかっただろうか、と考えることもできる
わけです。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

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93 名前:研究歴一週間:2005/08/21(日) 17:26:01 ID:Qp2TBMg60

被害者家の母親がどのようにして失踪したか。
「脳腫瘍」という診断で遠方の精神科に収容される、というのはそもそも話がおかしい。

一方、「脳腫瘍」というカルテに惑わされて「鈍器で殴りつけてしまった息も絶え絶えの母親を、包帯でぐるぐる巻きにして救急車で運ぶ途中、なぜか行き先が縁故の精神科になった」ということでもないような気がする。

まったくの憶測でしかないのだが、おそらく母親は「だまされて車に乗せられ」遠い場所へ運ばれたのだろうと思う。あるいは睡眠薬などで眠らせて、健康体のまま二度と出られぬ施設に送られた。

まぁ、そのあたりが898さんの伯父さんが語っている事柄だろうと思う。
これは精神科側が明らかに共犯なわけだが、その共謀がどのルートからか、漏れたのだろう。

しかもなんとなく、「そういう話が昔あったらしい」というのではなく、具体的な実行過程が全部バレてしまったんだろうと思う。それがとっておきのユスリネタとして、今回の事件のターゲットとして被害者家を『選定』せしめた。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/11.html

634 名前:3-679 ◆2gw3ijNQ4E :03/07/19 17:21

私も母親の死因=脳腫瘍 は、あり得ないと思います。おそらく死因は、頭部外傷に
よる脳内出血(例えば、鈍器で殴られたとか)ではないかと考えています。なぜなら、
脳内出血であれば昏睡や幻覚、妄想など、精神疾病のような症状が現れることもあり、
脳腫瘍のように死に至るまでに時間がかかる疾病ではなく、入院後10日で亡くなる、
という点で納得がいくからです。

635 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/19 18:48
>>634
でもそれだと、医者も殺人のグルということになるよ。
鈍器で殴られた死んだとなれば、明らかに殺人事件。
それを脳腫瘍と偽って隠すとなれば、大変な犯罪。

精神病疾患で入院し、発作か何かでの自殺を、世間体を考えて
脳腫瘍による病死と発表した、とする推理の方がまだ無理がないと思うが。


636 名前:3-679 ◆2gw3ijNQ4E :03/07/19 19:06
>>635氏
>医者も殺人のグル

あり得る話だと思いますが。そもそも「脳腫瘍により死亡」とされたことに疑問を
もって書き込んだ訳ですから。

>精神病疾患で入院し、発作か何かでの自殺
まあ、私も40年前の精神病棟の様子が判らないで書いているのは確かなんですが。
過去スレにも書きましたが、私はその閉鎖病棟に入院歴があるのですよ。
精神科の病棟は、病気を治すためだけではなく、自傷他害を防ぐための管理施設
であるとこは事実なんです。

とくに昔は、患者のプライバシーなどは後回しにして、自傷他害に対する監視を
今よりも厳しくしていたと思うんですがね。従って、自殺、というのは考えられない
のですが。

637 名前:635:03/07/19 19:43
>>636
自分が思ったのは、仮に、何かの鈍器でうまいこと外傷なしに脳内出血を
引き起こしたとして、それを疾病に見せかけるのなら、やはり脳外科なりの
病院に入れるのではないか。精神病院に入れるというのはどう考えてもお
かしい。ということ。

村の噂では、母親と関係があった「色男」が、他の男と「いい仲」になった
母親に嫉妬して毒を呑ませた。というものがあるらしいが、毒を呑んでこう
いう症状が出るものなのかどうか。

それにしてもこの一家、作男まで含めると5人も不審な死に方をしている
わけで、こういう一家というのも、ちょっと他にないんじゃないかな。
全てが偶然の産物とはとても思えない。

643 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/20 00:05

しかしいくら何でも、原因不明で倒れた病人を精神病院に入院させたりしないでしょう?
特に隣人の陰口や噂話を極端に嫌う農村で、どうぞ噂して下さいと言っている様なものです。

それに裕福な家庭の人間なら東大病院とか脳外科専門の病院とかいくらでもお金を積んで最先端医療を受けさせますよね?
患者を助けようと思っていたらね。
それを小平の精神病院に入れるっていうのが不自然だという話なんです。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

663 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/07/08 13:17

善枝ちゃんの母チャンはあることが原因で善枝ちゃんを連れて実家に帰る
ことにしました、しかしそれは善枝ちゃんの家が母チャンの実家にお金を
返さなければならないことになります。

それで家族は母チャンを病院にいれます。良くわからない事を口しゃべる
からと放り込んだのです。ほんとうはほとぼりを冷ますつもりだったので
すが、今と違い精神病院はひどいところです。

母チャンは悲観して自殺してしまったと聞きました、しかし病院では自殺は
許されません。善枝ちゃんは中学の時に親戚に知らされました。上の姉ち
ゃんが家を出た理由もそれだと知らされました。

善枝ちゃんは相当に悩みました。母チャンが家を出る理由が自分にあったの
かも知れなかったからです。


630 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/19 04:26

例えば昭和30年代の精神病院といったら、不衛生で正常な人間でも狂ってしまうような
所だったのではないでしょうか?たぶん状況からいって、この母は措置入院あつかいだったと思われます。

担当医にもお金を包んでいたでしょうし、少なくとも父親はたぶん死ぬだろうと考えて入院させているように思えます。

では、なぜ入院させなければならなかったかと言うのが不明なのですが、それが秘密に関わって来るのだと思うのです。
その結果、長兄は将来の家長として秘密の共有者になり、長女は反発して縁を切ったのではないでしょうか?
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html


625 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/18 17:18

元刑事がいうには、その秘密が知れると「今の地位を追われ悪くて土地を
後にしなきゃならな いかもしれん」ということであり、そこには犯罪の臭いま
では嗅ぐことができない。このニュアンスでは、あくまで地元に留まる事ができ
ない、なにか世間体を気にせざるを得ないスキャンダルという感じがする。

そうである以上、母親をめぐるスキャンダルとこの事件は直接関係があるわけで
はなく、むしろそのスキャンダルを最大限に利用した計画的犯行と思われる。
10年も前のスキャンダルをもとに、家族を恐怖のどん底に突き落とすような犯行
となれば、利権獲得というのが主たる動機であるとはいえ、やはり家族に対して
強烈な遺恨と怨恨を持った人物が主犯であると思えるのだが。

626 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/18 20:17
>>625
なるほど。しかし母親の死亡については、精神病院に入院したのに死因が
脳腫瘍だったり、入院してたった10日で死亡したりと自然死と考えるには
変な事が多すぎる気がするのです。しかも入院直前まで元気だった姿を
目撃されている訳ですし。

となると、父や長兄に死んでしまっても構わないと言う「未必の故意」があった
のは明白なのではないでしょうか?

長女がどこまで中田家の秘密を知っていたか不明ですが、この点だけを取ってみても縁を切って家出する理由になると思います。田舎の犯罪は大義名分に守られる傾向にあると考えますので父の寡黙さとあいまって、長兄と父は何らかの犯罪行為をしていたと思うのです。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/5.html

188 名前:3-679:03/02/05 00:18

母の死については、農薬ではないだろうと思っております。というのは、
農薬を致死量まで飲んだ場合、11日間も生きることができないのでは?
と考えているからです(これは奥富玄二、次姉のケースを見れば判断できる
と思います)。

精神科の閉鎖病棟で死者が出る、というのはめったにないことです(私自身、閉鎖病棟に入っていたことがあるので)。

最も真実に近いのは、「殴打などによる頭部外傷および脳内出血」で11日後にあぼーんなのではないでしょうか。

医師に対してある程度の金を積めば、「脳腫瘍により」という死亡診断書
は、簡単に入手できたのではないかと思います。

189 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/05 00:38
>>188
母親をこの時期に殺害するメリット何?
子供がまだ小さいのにする理由がわからん。
ただ脳腫瘍のため頭がイカレて精神病院に入ったのではないのか。
それに医者が脳腫瘍を見過ごしたっておかしくないと思われる。

191 名前:3-679:03/02/05 08:35
>>188
要はメリットを求めたのではなく、新たなスキャンダル発生、という
デメリットを阻止したのだろうと思います。
母は入院する直前まで性的に奔放であったと言われています。つまり新たな種違いの子をもうけるということを恐れて、中田家父と長兄が入院させたのではないでしょうか。
脳腫瘍を精神疾病と思い見過ごしたとしたら、かなりのヤブ医者でしょうね。というのは、

・脳腫瘍は頭部のガンであり、人格変化などの精神的症状だけでなく、
 頭痛や吐き気、めまいなどの肉体的症状が現れること。
・頭蓋骨という密閉された容器の中に、徐々にガン細胞が増殖するため、
 発病から死に至るまで数年かかること。

「家庭の医学」のような本にも書かれているような上記の症状を見過ご
したのなら、まさにヤブ医者です。

519 名前:BBB:03/03/01 16:41

善枝さんの父親が誰だったかということ。
善枝さんの母親が、被差別部落の人間と密通を重ねていたのではないだろうか?

当時は部落の人間と結婚するだけで、家族の縁を切られた時代。
富農の中田家と被差別部落という社会的立場を考えれば、殺人がおきても不思議でないような気がする。

この事件、単なる行きずりの強姦や痴情のもつれだけならば、あまりにも大袈裟すぎる。
その背後に差別問題があったような気がする。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

98 名前:ななし:02/07/29 17:23

898さん、貴重なレスご苦労さまでした。
質問ですが、鍵を握る被害者の母にまつわる秘密ですが
前スレの 652や 663 のような内容なのでしょうか?
それともまた違う内容なのでしょうか?


99 名前:898:02/07/29 17:45
>>98
内容はほぼ合っています、しかしその件は半分なんです。
思わせぶりで申し訳ありませんが確実でない為残りの半分は
伏せさせていただきます。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html


168 名前:3-679:03/02/03 23:12

う〜ん……。まあ義枝さんに本当に自分の血が入っていないなら、「影の薄い人」
が殺意を抱いていたかもしれませんね。
もしそうなら、次姉が真実を知ったときの衝撃は、想像を絶するほどだった
でしょう。
しかし、単独犯ではないような……。やはり奥富玄二が従犯かな?


182 名前:1-531:03/02/04 19:03

石川さんがそういったわけでもないのに、あの人犯人説を考えだしたら、
昨夜は眠れなくなってしまいました。
合点がいくことがいろいろ出てくるのです。

まず母の死とヨシエさんの死が直結します。
3−679氏の指摘に答えますと、ヨシエさんが自分の子でないことを
いつ知ったのかが問題になります。
たとえば、それを知ったためにかねてから問題人物であった母を・・・

そしてその憎しみが、血のつながってないヨシエさんに向けられ、計画が練られる。
長兄・次女の偽証、奥富玄二・次女・次男の自殺(あるいは他殺)、
これらの点も、割とすんなり説明がつきます。

この事件が、あの人・長兄・奥富玄二による、いわばジサクジエーンだとすると・・・

母・奥富玄二・次女・・・彼らがもし検死されていたなら、
3人から同じ農薬が検出されていたかも???

517 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/11 10:44

墓石に秘密があるような気が。
自分もなんでいやがらせに墓石?と思っていたが

519 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 09:02

投げ込まれた墓石は、当然中田家のものです。
そこには、栄作の母親の死が関係している。
近所の人たちは知っていたのです。


522 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 12:45

俺の聞いた噂では、墓石は中田家のものじゃないよ。
「中田家の秘密」とは、その件の真相と被害者の四女の出生に関わる秘密のこと。

その秘密をネタに中田家から20万円をゆすろうとしたのが事件の発端。
家族が警察に知らせず、すぐカネを出していれば被害者は殺されなかったはず。

警察に知れた以上、生きて返すわけにはいかない。
最初の計画では被害者もグルだったというのもありえない話ではない。
自分の出生の秘密を知って、家族を困らせてやろうと思ったのかもしれない。
20万円くらいすぐに出すと思ったのが計算違いだったのかも。

家族は、1日の張り込みの前に被害者が殺されたことを知っていたようだ。
ただ、この噂が本当だとすると、佐野屋に犯人一味が現れるはずはないから、
この点が謎として残る。

523 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 13:15
>>522
その噂は、ほぼ事実に近いと思う。
被害者を殺すかどうかで犯人一味が仲間割れした可能性あり。
カネの受け渡し方法と時刻は電話で二度ほど訂正されているようだ。
脅迫状の2日夜が最終で、このときはすでに最初の計画を立てた人間は手を引いている。


167 名前:1-531:03/02/03 22:58

好色な母の不審死にあの人が関係しているとすれば、
自分の血が入っていない被害者に執拗な殺意をいだいていても不思議ではないと・・・
はい。奥富玄二と長兄がお手伝いってことに。

507 名前:505のつづき:02/08/10 16:28

母親が中田家に嫁いできたのは昭和8年の5月12日。奇しくも事件のちょうど
30年前の同じ月である。そして結婚式の翌朝、中田家の庭には墓石が投げ込まれてあった。

これは母親と以前交際していた人物がいやがらせをやったものと思われた。
そしてどういうわけか「中田家の女は育たない」という変な噂が流されていたそうだ。

そして事実、6人の子供の内、長女は家出同然で去り、次女は自殺、三女は幼くして病死し、四女は狭山事件で惨殺され、母親自身も事件の10年前に脳腫瘍で死んでいる。
噂どおりに中田家には、女が一人もいなくなったわけだ。
(ただし事件の数年後、長男が結婚して嫁を迎えているようである。)

ついでにいうと、女ではないが次男も自殺している。

ところで、母の嫁入り当日の夜か翌朝に投げ込まれていた墓石はどこのものだったのか。

このへんに「秘密の全貌」を知る鍵がありそうだ。
ここまで書けば、私が何をいわんとしているか、事件関係の本を読んだ人には理解できるだろう。

こう考えると、狭山事件の犯人が石川さんでなければならなかったこともうなずけるような気がする。
そしてあれほど「犯人は知り合いの者に決まっている」と言い続けた父親とその家族が、石川さんを犯人に仕立てることに同意したことも。

昭和8年5月12日の墓石事件と昭和38年5月23日の石川さん逮捕は、
「ある秘密」によって一本の線としてつながっているとみてよさそうだ。

497 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/10 13:00

898さんの伯父さんの推理だと、弱みを握られてた中田家を脅してもいうことを聞かないのでゆさぶり目的で市会議員が事件を起こしたそうだけど。これってどう考えても理屈に合わないよね。

いうことを聞かないのは秘密をばらされても構わないということだから、娘が殺されたのなら少なくとも警察には洗いざらいしゃべると思う。現に当時の週刊誌には「被害者の家族をめぐる複雑な事情ががあり、怨恨での犯行ではないかとも思われる。」との報道もあったくらい。

当時、中田家の秘密など秘密でもなんでもなく、誰もが知っている噂だったのでは?
中田家が犯人側の人物を怒らせる「何か」をしでかして、事件はその報復だった、
という筋書きのほうがまだ理解しやすい。

だとすると推測に過ぎないが、やはり被害者がからんだ三角関係のトラブルがあったのでは?

それなら被害者が殺されたのもうなずけるし、家族がそれを隠したのも理解できなくはない。

502 名前:497:02/08/10 14:40

娘が殺されても言えない秘密なら、それをネタに脅迫された時点でいうことを聞くんじゃあないの? いうことを聞かないってことは「どうぞ勝手にバラして下さい」ってことでしょ?

それくらいの秘密なら警察にだけは話すんじゃない?
現実に898さんの伯父さんも、中田家の周辺を調べてすぐに分かったくらいの秘密なんだから。

504 名前:500:02/08/10 14:58
>>502
898の伯父サンは秘密の全部はわからなかったと書いているよ。

「中田の家の秘密にしたいことなんだけど俺達が調べたことが全貌だったのか一部
だったのか実は整理がついていない━

505 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/10 15:51
>>504
ということは898さんがいう「よくいわれている噂は事実の半分」どころか、
10分の1である可能性もあるということかな。

となると、市会議員Uの脅迫では、Uは秘密の一部しか掴んでいなかったので
中田家側はつっぱねた。ところが四女が殺されてしまったので、仕方なく手打ちをした。
警察に話すとなると、秘密の全貌を明かさねばならなくなるからそれは出来なかった。
というところかな。これなら一応筋が通るね。

では秘密の全貌とは何か?ということになる。
娘が殺されても言えないとなれば、これはもう犯罪がらみかそうでなければ、
当時の(今も?)社会的タブーに触れた事としか解釈しようがない。
そこで、今の段階で明かされている事実から推理してみる。

母親が中田家に嫁いできたのは昭和8年の5月12日。奇しくも事件のちょうど
30年前の同じ月である。そして結婚式の翌朝、中田家の庭には墓石が投げ込まれてあった。
これは母親と以前交際していた人物がいやがらせをやったものと思われた。
そしてどういうわけか「中田家の女は育たない」という変な噂が流されていたそうだ。

そして事実、6人の子供の内、長女は家出同然で去り、次女は自殺、三女は幼くして病死し、四女は狭山事件で惨殺され、母親自身も事件の10年前に脳腫瘍で死んでいる。
噂どおりに中田家には、女が一人もいなくなったわけだ。
(ただし事件の数年後、長男が結婚して嫁を迎えているようである。)
ついでにいうと、女ではないが次男も自殺している。

ところで、母の嫁入り当日の夜か翌朝に投げ込まれていた墓石はどこのものだったのか。

このへんに「秘密の全貌」を知る鍵がありそうだ。
ここまで書けば、私が何をいわんとしているか、事件関係の本を読んだ人には理解できるだろう。

こう考えると、狭山事件の犯人が石川さんでなければならなかったこともうなずけるような気がする。 そしてあれほど「犯人は知り合いの者に決まっている」と言い続けた父親とその家族が、石川さんを犯人に仕立てることに同意したことも。

昭和8年5月12日の墓石事件と昭和38年5月23日の石川さん逮捕は、
「ある秘密」によって一本の線としてつながっているとみてよさそうだ。

509 名前:教えて君:02/08/10 16:58
>>497
>やはり被害者がからんだ三角関係のトラブルがあったのでは?

これについて教えて君です、はい。


510 名前:497:02/08/10 17:27
>>509
別にそのトラブルの事実を知っているわけではないし、憶測で被害者のプライバシー
についてうんぬんしてもいけないとは思うけど、すでにいくつかの本に書かれている
ことなので少しだけ触れると、被害者は大変人気者で社交的な性格の女性で、
ボーイフレンドも当時たくさんいたそうだ。

だから事件後、犯人はそのボーイフレンドの中にいるのではないかと、噂されていた。
ただ、仲のいいボーイフレンドなら殺したりするはずがないので、被害者は社会人と
不倫してしまい、ヤバイことになっていたのではないか、という噂が別にあった。

前スレの488さんの主犯Xというのはその噂がもとになっていると思う。
ただちょっと違うのは、
不倫の清算ではなく、三角関係がヤバイ筋にばれて中田家は脅迫を受けていた。
それを突っぱねたのでその筋から報復を受けた。という内容だった。


511 名前:教えて君:02/08/10 18:03
>ヤバイ筋にばれて

これはO2ですか?


512 名前:497:02/08/10 18:49
>>511
はっきり言うと、そう。

この噂はずいぶん前に聞いたことがあるんだけど、このスレを読んで思い出した。
被害者の実家がゆすられていたというネタは、母親の件なんかじゃなく、実はこれなんじゃないかと思ったりする。

ついでにいうと、被害者は言葉巧みに誘拐されたあとすぐに実家は脅迫を受けたけど、
警告を無視して警察に知らせたので、報復で殺されたんだということだ。

素直に言うことを聞けば金で解決して、被害者は無事だったはずということらしい。
だから家族は、脅迫時刻について本当のことが言えないんだと思う。
これを言うとヤバイかもしれないが、脅迫状は、それをごまかすために身内の誰かが
書いて届けたのでは?という噂も耳にした。自転車の件も。
佐野屋の一件はどういうことなのかはちょっと分からないが。


515 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/11 09:57

大昔に週間文集に書かれてた奴は、確か被害者とX氏ともうひとり(身内)
の三角関係の末、X氏が行き詰まってO2関係に委託したんじゃなかったけ。
488氏はO2のとこを他の本の元軍人を当てはめていましたが。


517 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/11 10:44

>>507の推理のように三角関係より墓石に秘密があるような気が。
自分もなんでいやがらせに墓石?と思っていたがこの推理だと納得できる。

519 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 09:02

投げ込まれた墓石は、当然中田家のものです。
そこには、栄作の母親の死が関係している。
近所の人たちは知っていたのです。

522 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 12:45

俺の聞いた噂では、墓石は中田家のものじゃないよ。

「中田家の秘密」とは、その件の真相と被害者の四女の出生に関わる秘密のこと。
その秘密をネタに中田家から20万円をゆすろうとしたのが事件の発端。

家族が警察に知らせず、すぐカネを出していれば被害者は殺されなかったはず。
警察に知れた以上、生きて返すわけにはいかない。

最初の計画では被害者もグルだったというのもありえない話ではない。
自分の出生の秘密を知って、家族を困らせてやろうと思ったのかもしれない。
20万円くらいすぐに出すと思ったのが計算違いだったのかも。
家族は、1日の張り込みの前に被害者が殺されたことを知っていたようだ。
ただ、この噂が本当だとすると、佐野屋に犯人一味が現れるはずはないから、
この点が謎として残る。

523 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 13:15
>>522
その噂は、ほぼ事実に近いと思う。
被害者を殺すかどうかで犯人一味が仲間割れした可能性あり。
カネの受け渡し方法と時刻は電話で二度ほど訂正されているようだ。
脅迫状の2日夜が最終で、このときはすでに最初の計画を立てた人間は手を引いている。



531 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 19:35

522です。
俺の聞いた噂はもうすでにいくつかの雑誌や本、ローカル誌などに出ているよ。
墓石の件も。別に新しい情報じゃないって。

ただ、脅迫については何度か行われて、そのたびに時間と場所が変わっている
という話だ。だから脅迫状の「五月2日夜12時」というのも、「サツに通報したので殺す」という通告のあとだったので、その真意が分からず家族も警察もてんやわんやだったらしい。

そんな中、2日の張込みで来るはずのない犯人が現れたので、驚いたというのが真相
らしい。PTA会長はそれを知らないので、当然犯人が来ると思ってた犯人が来たのに、いつまでも飛び出してこない警察にイライラしていたそうだ。

ところが、佐野屋に近くにいた刑事はエライさんだったが、なぜかビビって足がすくんでいたそうだ。足が速くて若い刑事はみんな道路側にいて犯人に気付いていない。
これは犯人の一味が、車2台でやって来るというガセ情報を警察が真に受けたためらしい。

姉の登美恵さんは、警察に知らせたことの報復のため犯人が自分を殺しに来たと思い、
震えていたそうだ。

532 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/12 21:50

しかし、いくら信用できると言ったって、誘拐事件を民間人に漏らして協力を
要請したというのは、今ならちょっと考えられないね。
事実、PTA会長は高校に行って話してしまい、2日の午前中には先生はみんな
誘拐の事実を知っていたらしい。それと近所の金持ちのMT氏の自宅が警察の
前線基地になったことで、その近所のからも事件は漏れている。
犯人はその線から張込みの配置をつかんでいたようだ。
吉展ちゃん事件でも、信じられないミスで犯人を取り逃がしているし、
狭山事件でも、まだ善枝さんの遺体が発見されていない段階で、朝日新聞が
「姉が持っていったのはニセ札」というすっぱ抜き記事を載せている。
営利誘拐事件に対するノウハウが全くなかった時代というのがよく分かる。

535 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/13 12:33

残念ながらここのところのレスにある四女(被害者)の出生に関することというのは秘密でもなんでも無いと思う。 事件後の推理本や週刊誌にあることないこと書かれた元ネタでもあるからね。

それよりも母親の件とその背景、母親の件が秘密の一部と言い切る898さんにすこしでもヒントを貰えるとありがたいのだが。

668 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/30 19:28

狭山事件関係の本を読むと、その多くが中田家の長兄を真犯人扱いしていて驚いた。
事実そうだとすれば、これはえらいことだ。遺産相続で邪魔になる片親違いの妹を
消すために、誘拐事件に見せかけて殺し、完全犯罪をもくろんだとすると、
日本犯罪史上、他に例がない大事件ではないか!

長兄が自分を真犯人扱いした本の著者を訴えないのもおかしいと思っていたし、
二審でのとぼけぶりにも大いに疑惑を感じていた。

でも、このスレを見て、事件以前に中田家が脅迫されていたとすると、全てが理解できるような気がする。自分が疑われることで、結局真犯人をかばうことになるわけだし、
もともと犯人ではないのだから何を言われても平気だったのだろう。

警察は早くに石川氏を捕まえて起訴し、これをくつがえすことなどないことは、
誰よりもよく分かっている。
長男にとって最大の恐怖は、真相が判明して彼らから報復を受けることだったに違いない。

737 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 20:37

長男は真犯人ではないが、真犯人(黒幕)が誰か判っていた上で、彼らとの「取引き」に
応じたのなら、事後従犯とでもいうべきか。
その心情があの新聞手記にはよく表れているような気がする。
こう考えると二審で長男が突然健忘症になったのもうなずける。


792 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/19 19:35

中田家の長兄は、同家に恨みを持つ「農村という古いものにひそむ何者か」が
石田養豚場で働く不良たちを使ってやらせた犯行と思っていたようだ。

現に雑誌記者たちに「石川の他に複数犯があるはずで、警察もその証拠をつかんでいる
はずなので、もうすぐそれが明らかになるだろう。」と話している。
実際、怨恨の線を追っていた捜査班もあったのである。

ところが警察は単純に養豚場の不良グループの金欲しさからの凶行との見方から脱却できず、結局石川氏以外の養豚場グループにアリバイがあったため石川氏単独犯行というストーリーに仕立ててしまった。 これには長兄も腹を立てたことだろう。 この事件が無学な青年一人のみで起こせるものではないことは、誰よりも長兄がよく知っている。

彼は、今でもこの事件は中田家のタブー破りに怒った者たちが、石川氏その他の不良に
やらせた事件だと思っているのではないか(むろん石川氏は事件と何の関係もない)。

善枝さんの誘拐殺人はともかく、佐野屋に警察の裏をかいてあらわれ、まんまと逃げおおせるなど、地元の地理に明るくそうとう肝が据わった人物でなければ出来るものではない。 おそらく佐野屋に来た人物(多分2名か3名)の見当は長兄にもついているに違いない。

その中に一人は、中田家の遠縁にもあたり、誘拐の事実をも同家から知らされ相談された人物のはずである。真犯人と「密通」できた人間が中田家の近くにいたのは確実である。

長兄がその後、事件の真相と真犯人を知ったことは間違いなく、その事実は家族にも
伝わっている。 むろん、次姉の婚約者(長兄の親友)も知っているのは間違いない。

すでに中田家の実質的「家長」であった長兄は、真犯人側となんらかの「取引き」をした。このことが次姉と末弟の自殺につながっているわけである。
ニ審で長兄と次姉の婚約者が「記憶喪失症」になったのは、こういう事情があったからだ。

本当のことを言えば全てが明らかになり、中田家が窮地に立たされる。
世間からも村の仲間からも。しかし偽証は怖くて出来ない。
裁判での二人は「記憶にない」と逃げるか、沈黙して石になってしまうしかなかったのである
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html


________________________________________________


義枝さんの出生の秘密(?)


326 名前:劇団おまわり:05/02/10 21:58:01 ID:TdWOeT0N0

墓石・卒塔婆投込み事件

母の謎の死は、ひとつには家系の問題(この結婚に先祖が泣いてるぞというメッセー
ジ)、もうひとつには某氏ご指摘にようにパラシュート成金との不倫の二つが絡んで
いるのでしょう。

封建制の色濃く残るH兼で、母は中田家では寂しい存在だったのではないか、だから成金と関係をもつようになったと想像しています。

それは中田家の公然のタブーですが、一番の当事者善枝は知らされていなかったのでは。そして事件勃発。 姉の死は善枝に対する贖罪の意味もあったのでは。だから家族の一抹の良心が姉の遺体をきれいにしたのではないだろうか。

H兼および中田家の口の堅さはいったいどこからくるのか。H兼の語源となった「水を掘
りかねる」という劣悪な自然環境を住民一体となって乗り越えた結束力は、逆に排他
的営力となって「狭山事件」に作用しているのだろうか。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/10.html



「講」と言う物(形はありませんが)を理解することが狭山事件を理解するのに必要である
というのはNSさんの持論であるようです。 NSさんらの調査では堀兼、上赤坂地域で小規模ながら「講」が機能していたのは終戦直後辺りまでと推測しています。「講」が機能していた、していないを判断するのは「講」内の結束を確認する「覚書・おぼえがき」がいつ頃まで交わされていたかで判断するのが一般とされているようです。

そこで過去に「講員」(講を構成する人々)であった人々にその点を調査してみると
一様に「講」については口を閉ざすのが常であったようです。
なぜなら「講」内には厳しい規律がありそれに反する者は覚書の元に厳しい処罰を
受けなければならないからです。

覚書が最後に交わされたのが推測されるところ昭和24,5年頃、狭山事件が起こったの
が昭和38年、「講」のシステムが終了しておよそ13,4年の年月が経っていても元講
員らに影響を与えている昔の規律と言う物が事件の背景として理解せねばならない
事象ということであると言えると思います。

「講」のシステムや当時の「講員」の方々の心情を理解できないと善枝さんの本当の
父親のことやその家族の心情。はたまた中田父の犯人は知り合いに決まっておると
の発言、PTA会長が何故推されたか、などなど他にもありますがそういったことが
結局理解できないと思うのですよ。

「講」の中での処罰のみ見ると非常に厳しい世界であるなと思いがちではありますが「講」の基本は助け合いであるので最低の線さえ守っていれば講員として生きているのは講のシステムが無かった場合を考えると合理的で便利な面が多かったと考えられています。

便利な面とは呼べないかもしれませんが婚姻の面は家と家のバランス、双方が親戚
となった場合の他家との兼ね合い、または両親が無くなったあとなどにどう言った
財産関係が出来上がるかなども、まったくおせっかいとは思いますが考えられた上
でなるべく血の薄い相手を「講」の中で選んで縁談させるのです。

なぜそうまで考えるかというと講というシステムの中では特出した金持ち、土地持
ちなどは必要とされず、全ては平等の元にという小さい規模の共産主義のような
意識が基本であるからと考えられます。なので
婚姻により財産が大きく増えたり土地、田畑が大きくなるのはタブーであったと思われています。

ただし、中田栄作さんの場合は「講」の外である川越の裕福な農家から嫁を入れる
ことになりました。

これは当時の中田家の経済事情であったとか入間川のある資産家から縁談を持ち込まれ断るに断れなかったなど諸説ありますが、結果としたら講に対する奉納品を倍増するなどしてこの縁談を押し通したこととなり、他のこれまで規律を守ってきた講員らには面白くないことと思えたでしょう。

中田の家が「講」の外から嫁を迎えたことは周囲の反感は買ったかもしれないがこれと
いって処罰が無かったことを考えると明治の頃と比べると随分と「講」のシステムも
薄れ掛けて来ていたのかもしれない。

しかし時代が戦時下ともなるとこのシステムは他の地域の隣組制度以上に効果的に
機能した。この地区からは約10名の男手が出征していたが大きな働き手を欠いて
しまっている家族には何の苦労もいらないように組織として援助がなされていたの
である。

やがて終戦となりこの地区の出征者4名が復員してきた。6名は戦死あるいは行方
不明者として帰らなかった。その中でも
海軍に召集された森(仮名)は昭和12年と17年に2回召集され2度目の召集は激戦地の南方に送られたのだが無事戻ってきた軍神なのであった。

しかし森は昭和20年10月頃に復員しても老いた両親と妻、子供を残し横浜に半年
ほど居住していたようである。何をしていたかというと海軍の宿舎の備品(ベッド
や調理道具、末は航空機のタイヤまで)を闇に売りさばいて大金を得ていたよう
なのである。昭和21年の春頃売りさばく物が無くなったのか、森は地元上赤坂に
戻り奇妙な行動を取り始める。進駐軍が放出したパラシュートをトラック一杯に
持ちかえりその生地で作業用のズボンや上着を作り出したのである。

そのパラシュート生地の作業衣料は物の無い時期の池袋や新宿の闇で飛ぶように
売れたようだ。それに気を良くした森は近隣の裁縫の得意な主婦や女子5、6人
に声をかけ割増な賃金で雇い入れた。
その中に中田栄作氏の妻も刺繍や裁縫の腕を見こまれ手伝いに借り出されたと言われている。

生地がパラシュートであったのは初期であっただけと思われるが、しばらくは
衣料の闇での販売は好調であったようで知人に森はこれからは生産業で金儲けを
すると手紙を書いている。その証拠に森は所有する田畑を近隣の農家に地代を
取りながら貸してしまい、老いた両親も衣料の製作を手伝わされていたようだ
からなのだ。

しかし森にとって良い時期はそれほど長くはつづかなかった。
昭和23年の春頃、森は家族ごと行方をくらましてしまうのである。

以前「講」における処罰に「はなれもん・追放」という組織、集落からの追放という
処罰があるとご説明しましたが森の家族にその処罰が下ったのであるのでしょう
か?

時代は昭和の時代であるので住民記録もあるので消えていなくなるという事
はまず考えられない。そうして調査をすると森の家族は川越の的場集落に転居と
なっていた、しかし該当の住所地は単なる荒れ放題の河川敷であり人の住めるよう
な居住地では無かったのである。しかも転居している家族構成が森の両親、妻、
長男、長女、次男の6人であり森自身が含まれていなかったのが確認されている。
森自身は家族が転居する直前に行方不明となっていたからである。

前回までの書きこみが元講員のひとや関係者から聞きこんだ事実と思われる事々の
マトメです。これ以降それらの方々の証言から推理を働かせてこうだったのでは?
と推理編とするつもりでしたがとりあえず概略のみ書いておきます。

1) 森は失踪時、すでに殺されてどこかに埋められていると噂がたった。
2) 森がいなくなったことにより利益を得た5人の内のひとりは栄作氏である。
3) 森の家族が追放された後、家族を監視していた人物は佐野屋に出向いた人物
  である。
4) 元講員らは森の処分を覚書によって必ず同意しているはず、よってそれに関する
事にはいっさい口を開かない。

私の説明不足で「講」の掟を破ったので事件が起きたと解釈させてしまっているよう
で申し訳ありません。 講がもっともシステムとして機能していたのは明治の中頃までで昭和の初期には上赤坂地区でも風習としては残ってはいるが厳しい制裁などは行われていなかったのでは、というのが地元の風習を研究している方々の意見なのです。

それが戦後に森という人物と家族に厳しい制裁が下ったというのは「講」の規律を
悪用し森の財産を不当に取得した者達がいて講のシステムから言うと全ての講員の
同意のもとに制裁が加えられたということになるという事なのです。

それで森とその家族にもっとも恨まれるのは妻と森の不通を講の総代に訴えでた
栄作氏であったと考えられるのです。

上赤坂地区で区長と総代が統一され事実上、講の組織自体崩壊を向かえたのは昭和
29年頃であったのですが、講の規律の中で暮らしてきた人々にとってはその意識と
言う物はすぐに消え去る物では無いということが一番念頭に置きたいことなのです。

狭山事件の実行犯と推測されるのは森の次男、しかし森の次男は森の次女とともに昭和26,7年に結核で死んだと後に母親は語っているのですが、次女の死亡は医者(役場)による死亡確認ができているのにかかわらず次男はされていない。

森の家族は講を追放されてからは川越周辺の遠縁を転々と渡り歩いていたそうなのですがそのころの縁者によると次男は昭和24,5年くらい(本人は12歳の頃)に里子(里子と
言うと聞こえはいいですが事実上人身売買に近い物あり)のではという証言がある。
その先が特定地域の極貧重労働集落であったということなのです。

栄作氏は事件の時に警察に恨まれる憶えは?

と聞かれ真っ先に頭に浮かんだのは川越に今も住むあの一家のことではないでしょうか。しかしその理由は決して口外はできないものでしょう。

森の次男と推測される人物は田中幸男(仮名 = O2?)と言う名で特定地域出身という理由で事件時に逮捕拘留されている。逮捕時年齢が推定24歳(森の次男としたら26歳)
なぜ推定かというと自称戦争孤児で義父の田中卯一郎に引き取られた時の推定年齢
が元になっているからであったらしい。他の同様の逮捕理由の不良少年らと田中の
違う点は狭山市街の西洋酒場Kで男娼として生活していた点であった。

Kで雇われている訳では無く夜にKに行き日に50円を払い客を自分で取っていたので
あったらしい。そして田中は事件において奥富玄二氏と石田登利造氏を結びつける唯一の人物で有った事も因果が深まる点であったと思う。

田中は自分では東京の生まれだと言ってはいるが東京のことは記憶に無い、忘れた
との一点張りであった、確かに卯一郎は終戦直後身寄りを無くした孤児らを拾って
きて養子にしては鉄くず拾いの仕事をさせていた。手製のリヤカーを2人一組で
引かせて2日に一度入間川の鉄くず業者に持ち込み日に100円から200円ほどの金を
稼がせていたらしい。何も収穫も無く帰って来ることを卯一郎は許さず自然と田中
を含めた孤児らは窃盗に手を染めるようになっていった。

農家の納屋のトタンを剥がしたり外に出してある農機具を盗むようになったのだっ
た。うまく行けば良いのだが捕まれば凄惨なリンチにあった。時には二度と盗みを
働けぬように両手を金槌で潰されたこともあった。中でも田中は年を追って顔立ち
がハッキリしてくるとボロをまとった赤黒い風体でも男として屈辱的な行為をさせ
られる事も時にはあったらしい。

そのような経過が後年男娼として生きることになったとしたら悲惨なことであった
ことである。昭和30年頃、卯一郎が死ぬと血のつながらぬ家族は瞬く間にバラバラ
になった。その後に田中の消息の証言が得られたのは33年頃、石田登利造氏の仕事を手伝い、一緒に生活していたころになるのであった。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html


田中の過去を大方教えてもらったのが田中の義兄の人物で、その人も同時期に石田登利造氏の仕事を手伝っていたそうです。

それで義兄いわく田中が石田登利造氏の元にいたのは現状から脱する為(金)なのでその他にも基地の雑用もこなしながら獣の皮を伸ばすような仕事も文句も言わず行っていたそうです。そうして田中は34年の頃には大宮や川口、はたまた池袋や大久保などの深夜
クラブでしばしば見うけられるようになった。特に大宮の深夜クラブSではいわゆる
「顔」でSで田中を知らない者は潜りとか言われるようになった。

昭和36年Sの店長大田(仮名)が独立して同様の店を出すようになった、その場所が
偶然にも入間川駅からすぐの場所で田中の実家より歩いても10分というような
所であった。田中は当時大田と関係が有ると言われ田中自身も入間川の店が開店す
ると自然と顔を出すようになった、これが前述の西洋酒場Kである。

西洋酒場というとピンと来ませんが基地の関係者や都会に働きに言っている若い層
を客層としたバーのような店であった。
そのKに開店時より通っていたのが奥富玄二氏であり、田中とはかなり懇意にしていたと言われている(奥富玄二氏にその方面の趣味が有ったかどうかはわかりません)
大田はかなりのやり手で所沢にも同様の店を出す、と計画していた矢先起こったの
が狭山事件であった。

事件で田中は別件で逮捕され10日以上取調べを受けアリバイの有効性が決め手となって釈放された。田中はKで新聞、週刊誌記者らに警察の不当逮捕について記者会見らしきことも行っている(週間文春などに他の逮捕者の記事などと共に一部掲載)

田中は大田より本来は所沢に出店する店舗を任されるはずであったが事件後双方は
関係を解消し田中は大宮に越して牛田(仮名)という男と共同で深夜酒場を始めた
大宮の店は2年ほどで潰れ、つづいて浦和にそれより小規模の店を自分一人でを開店させる。

田中はその後昭和42年10月に右翼の青年に深夜腹を刺される(青年は逮捕、事件
は痴情のもつれとされるがNSさんらは青年は大宮の暴力団員で事件の日が田中
と初見と推理)田中は一命を取りとめるが実生活に支障をきたし東京の多摩市の
生活保護養護センターへ身を寄せ生活を送るが昭和45年4月肺炎で死亡。享年推
定31歳。

田中が森の次男であったしたら33歳という若さであった。


679 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/20 21:23

<母ミツの死について>

このスレ>>373で、野間宏著「狭山裁判(岩波新書)」上巻 p.119
に記載されているとして、
>善枝さんが中学三年時の担任、相沢先生が教師として善枝さんの
>家を家庭訪問したときのことを話し、変った家庭であることをつげ、

とあり、またこのスレ>>397では、荻原祐介氏が当時の埼玉県警本部長
警視監・上田明氏を被告とする緊急証人喚問請求で

>母ミツは昭和28・12・30午前十時三十分に東京都北多摩郡小平町
>小川六六二〇 国立療養所精神科病院に於て「脳腫瘍」という
>一万人に一人位しかいないという珍しい病気にて昭和28・12・19
>に入院して昭和28・12・30午前十時三十分に死亡している
>死因について村人たちは○人いたという○○の中の誰かが
>やきもちをやいて毒を呑ました、中田家で死んだのでは世間体が
>まずいので、遠い所の病院へ運んで死なせたのだ

とのレスがある。

さらに前スレでは、

>中田家の秘密とは、色情狂の母親が、遠くの精神病院にブチ込まれて、
>不審な死に方をした事に、父親と長兄がただならぬ係わりをもって
>いたということですね。

とのレスもある。

これらを重ね合わせて考えると、母ミツの男癖の悪さに辟易した父と
長兄(当時16歳)が、毒を飲ませて(?)死に至らしめた…と推測
できますよね(「村人」が毒を飲ませるより、家族がそれを行ったほうが
チャンスも多いので)。

 これに入曽歴3年さんの過去レスを絡めると、「講」のメンバーだった
復員兵の森が上赤坂に戻ってきたのが昭和21年春。パラシュート生地
の作業衣料を作っていたが、「講」の「はなれもん」とされ、追放された
のが昭和23年の春頃。

被害者の義枝さんが生まれたのは昭和22年5月1日。
つまり時系列として、森とミツが密通して生まれたのが義枝さんである
ということに矛盾はない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html

681 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/20 21:26

義枝さんは裕福な中田家の四女として育てられたわけだが、それと
対照的に森の次男は(もし本当に存在するのであれば)12歳の頃に
里子に出され、不遇な人生を送っている。

この次男=田中幸男(仮名) は、20代になって狭山市街の西洋酒場
Kで男娼として生活していたとのことだが、石田登利造のもとで働き、奥富玄二が
なじみの客だったことを考えると、自分の腹違いの妹が、裕福な暮らしを
していると知ったことは想像に難くない。さらに元中田家の作男であった
奥富玄二から、義枝さんの母ミツが、中田栄作とその長兄によって謀殺
されたとの噂を聞いたとしたら…。

これはゆすりのネタとしてはまさに格好の情報である。

つまりこの事件全体において、父栄作および長兄が、義枝さんの誘拐
殺人に関して、なんとも不可解な行動や発言をしていたのは、「母ミツ
を死に至らしめた」という秘密を隠すためではなかっただろうか。

次女・登美恵さん、次男・喜代治さんが自殺したのは、この真実を知った
からではないだろうか。

奥富玄二および石田登利造の変死についても、入曽歴3年さんの説によれば、田中
幸男は昭和42年10月に右翼の青年に深夜腹を刺され、その後死んだ、
とあるので、2人を口封じのために殺すのは可能であったことになる。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html


539 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/25 09:27

「当初逮捕された3人」というのがI養豚所関係者のことだとすれば、
それはI三兄弟のことであって、森の息子ではないと思う。
狭山事件関係では、I養豚所に出入りしていた者を初めとして、
石川氏の友人関係や、素行不良の者など、別件でかなり逮捕されているから
その中に含まれると思う。

558 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/27 14:23

父親は、主犯として森の息子を念頭においてしゃべっていると思う。
長男の方は、自分が共犯なので森の息子にはふれることが出来ない。
そこで殺害実行犯として養豚所関係者を挙げたのだと思う。
主犯については、例の新聞手記でそれとなくふれているようにも感じる。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html

_______________________________________________


5. 被害者は…


477 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/26 14:16

事件の日の朝に善枝さんが書いた日記は、最後の行に一言だけ。

「五月一日、私の誕生日(十六歳)。うれしい。」

この短い一行の中に、誕生日当日に彼女はなにか特別楽しいことに胸を膨らませていたことがよく分かる。 同級生には「今日は私の誕生日で、家でごちそうを作って待っているから早く帰る。」
と言っていたそうだ。

中田家では兄弟が多かったこともあって、誕生日を祝うという習慣はなかったという。
この日は姉が妹のために赤飯を炊いているが、それは朝食でのこと。
善枝さんが楽しみにするごちそうなどを作る予定は、「ぜんぜんなかったです。」(姉による法廷証言)とのことだ。
まさか夕食の天ぷらうどんを楽しみにしていたわけでもあるまい。
友人との約束であれば、日記にそのことは書いているはず。

したがってこの日の「誕生パーティー」は、善枝さん自身も誰にも言えない
相手との「秘密の約束」であったことは、想像に難くない。

昭和38年5月1日のこの日、この時刻、善枝さんが目撃された場所近くを通って、
会社を早退して新居に向っていた奥富玄二は、事件関係者の中で善枝さんと出遭う
可能性が最も高かった人物といっていいだろう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

被害者の日記から読み取れる情報をまとめると以下の通りです。

• 被害者は、ゴールデンウイークにお金を使う予定があった。それはおそらく、5月1日の待ち合わせに関係するものであった
• その内容は、家族とは関係がないものだった
• その内容は、被害者にとって「うれしい」ものだった
• 5月1日の待ち合わせの相手は、被害者にとって対等に費用負担をしたいと思わせる相手だったhttp://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090822174957982

狭山事件: Mくん☆LOVE

個人的に伊吹本で最も衝撃的だったのが、被害者の日記のMくん(PTA会長の息子)への恋心を綴った部分です。

あのすばらしい……Mさんといっしょに……三日間……楽しかった
笑った顔がなんともいえない
Mさんが道でローラースケートを楽しんでいた。行きも帰りも会い、少し恥ずかしかった。早く私もうまくすべりたい。早く早く。

Mさんはこないかしら。


これだけの想いを毎日のように日記に綴っていることから考えると、学校でもラブラブ光線を発していたであろうことが容易に想像でき、そうなるとその恋心を犯人に利用されたのではないかと妄想してしまいます。被害者本人はおそらく隠していたでしょうが、周囲から見ればバレバレというありがちな状況だったのではないでしょうか。
そして、Mくんが生徒会長で野球部、被害者が副会長でソフトボール部という目立つ立場だったこともあり、堀兼中学ではそれなりにウワサになっていたのではないかと思います。

この点、なぜか従来の狭山事件本ではあまり取り上げられて来ませんでしたが、そういう被害者の恋心を犯人(あるいは犯人グループ)が利用した可能性はかなり高いのではないかと個人的には考えています。「誕生日を祝うパーティーをみんなでやろうよ。Mも来るからさ」という形で誘えば被害者は喜んでついていったでしょうし、「私の誕生日、うれしい」と書いていたり当日を楽しみにしていた理由も説明がつきます。さらに、そういうパーティーに誘われていたから、お金を用意しておきたいということで次兄に事件前日にお金を無心したことにもつながります。

ただし、Mくん自身が犯行に関わっていた可能性はまずないと思います。その理由は、被害者が失踪して遺体が発見される前の5月3日にMくんが被害者宅にいる写真が残っているからです。このような形で自分から堂々とマスコミの前に姿を現しながら事件に関係することは、Mくんの当時の年齢(16歳)を考慮するとまずありえないと思います。
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/759#more-759


422 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/17 18:45

善枝さんのボーイフレンドは全員警察が調べており、すべてアリバイが確認
されているそうだ。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html


529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 mailto:sage [2007/08/31(金) 20:31:18 ID:???]

中学時代も含めて同窓生は全員捜査対象になっている。
アリバイその他で重要容疑者はでてきていない。
したがって、事件当日待合わせ(?)して誕生パーティをするはずだった相手は高校生ではないと思われる。
http://yomi.mobi/read.cgi/bubble6/bubble6_archives_1140268024

539 名前:のゆ 投稿日: 2007/12/26(水) 19:07:42

亀井トム氏が昔に書いた本の中に、被害者を解剖した際、膣内に残存していた
精液の量は3人分くらいあったという話しが、非公式に捜査官から漏れていた
とのことです。確認できた血液型はBだけだったらしいです。

620 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/10 12:58
解剖直後の発表では「精液多量、血液型はBとO」だったんよ。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1061689365/l50


165 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/08/01 19:33

だいたい、事件発生当初は複数犯というのが大方の見方で、被害者の膣内に残された
精液の量も多く、犯人の血液型はB型とO型と書いた新聞もあるほど。

これは解剖が被害者の自宅の庭で行われたため、医師の話が漏れたためらしい。
佐野屋付近に残された足跡も二人だったらしい。

590 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/07 22:01

死体における上田鑑定と五十嵐鑑定があるが、
大方の見識は強姦ではないという立場じゃないの。


706 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c :03/09/27 21:13

被害者の処女膜には3箇所の「陳旧性」=旧いもの と見られる傷があったか
ら、「非処女」と言えるが、これらの傷が性交によって出来たものとは限らな
い。被害者の生前の生活状況などから、運動によって処女膜が破損する事はあ
り得る。

712 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c :03/09/27 21:54

処女膜の損傷部に「出血等の異常を認めしめず」との所見からすると、常識的に考えてこの損傷は旧いもので、上に書いたように性交によるものかどうかは法医学上は五分五分だが、「処女膜の破損」は確かだト言う事。


912 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c :04/03/24 21:39

処女膜の損傷の件につき解答を得たのでそれをもとに投稿します。

初めに一般論として、

処女膜は性交の際に充血、腫脹し、亀裂が入る。しかし性交のほか激しい運動、
乗馬、自転車乗りなどでもしばしば破れることがあり、このような場合には後方
または側方が破れることが多い。
性交による亀裂の方向は7、8時或いは4、5時の方向に生じる事が多く、6時
及び12時は稀である。
性交以外の運動による亀裂は6時、3時、9時方向が多いと言う事になる。
但し処女膜の形態とその損傷の出来方は個人差が甚だしく、上記のような亀裂が
あったからと言って、即性交によるものか、スポーツによるものかは断定出来な
い。

本件被害者の処女膜の損傷を記した箇所を下記に引用する。

『処女膜は輪状にして、時計文字盤位の2時、7時、及び10時の処に遊離縁よ
 り附着基部に達する亀裂夫々1個存在するも、出血等の異常を認めしめず。』

これは陳旧性(旧い)傷の所見。

『処女膜の最後部即ち6時位の処には小指爪面大の挫傷1個存在し、皮下に出血
 を認めしむ。』

これは性交時、叉は死後に何らかの理由で出来た傷。

冒頭の一般論からすれば、陳旧性亀裂については、性交によるものとも、運動に
よるものとも断定出来ない。皮下出血がある新しい亀裂については、それが6時
方向(後方)にある事からすれば性交によって出来た傷ではなく死後何らかの理
由でついたものである可能性が高いが、もしこの傷が性交時についたものであっ
たならば(一般論的には性交で6時方向の亀裂が生じる事は稀ではあるが)被害
者は性交経験が無かったと言う事になる。その場合は陳旧性亀裂の方は、性交以
外の運動(スポーツ等)でついたものと言う事になる。

結論として、これらの新旧両亀裂は、共に性交、スポーツ、そして不測の理由と
の、原因が可能性として考えられる(旧亀裂は性交かスポーツ、新亀裂は性交か
他の不測の理由)。従って処女膜の所見だけでは、被害者の生前の性交経験の有
無は断定出来ない。運動好きであったとの被害者の生前の生活容態を考えれば、
尚更である。

915 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c :04/03/25 00:32

小生の投稿を少し修正します。

新亀裂について、「死後何らかの理由でついた可能性」を記したが、死後につい
た傷には「生活反応」が無いので、一般的には、この亀裂が皮下出血を伴ってい
る事を考えると、この亀裂は死後に出来たものではなく、生前に出来たものと言
う事が出来る。 生活反応が無いと言う事は、死後は血液循環が停止する為、皮下出血が生じないと言う事である。

とすれば、この亀裂(6時方向についた傷)は性交時に生じた可能性が最も高い。
傷が性交時に生じたとすれば、被害者が性交未経験であった可能性も生じる、と
言う事になる(断定は出来ない)。

但し、皮下出血は心停止後もしばらくは生じうる場合もある。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/7.html


700 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/09/27 17:16

弁護側の鑑定によると被害者の下着には精液のシミがついていたらしい。
したがって被害者は性交後、一度下着をはいたあとに殺された、すなわち
強姦されてそのまま下着をずり下げられたまま殺害されたのではない、
つまり被害者と犯人は顔見知りだった…という主張だったように思う。


701 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/09/27 18:01

だいだい被害者は、1日に誰かと逢うことを、家族にも親しい友人にも内緒に
していた。これは誕生日のデートとしか考えられない。
そしてトマトなどを食べたあとボーイフレンドから強姦されたという推理も
一応成り立つが、彼女はかなり発展的な女性だったようで、非処女だったことは
法廷でも証明されている。

トマトを食べておしゃべりをするだけなら親友には秘密にしなくてもよさそうだし、
スポーツ・ウーマンの彼女が激しく抵抗した痕がないこのは、どう考えても
性行為は合意の上だったとしか思えない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/6.html

110 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/23 14:18

善枝さんは乱暴されたのではなく合意の上だったというのは多分間違いないと思う。
それは善枝さんが激しく抵抗したあとがないことと、強姦時には必ず残る太もも内側の
内出血がなかったことによる。

それに父親が証言しているように、善枝さんは男勝りのスポーツ・ウーマンで、
見知らぬ男のいいなりになって付いていくような性格ではないのと、トマトと白米(おにぎり?)の接待を受けて、それを食べていることをみても強姦などではないことが分かる。

ではB型の血液型は元作男というと、地元の人に聞いてみても二人が付き合っていた
という事実がどうしても確認できない。
それどころか元作男は性的な悩みを抱えていて、結婚前にそれを苦にして自殺したのではないかと言う人もいるくらいだ。性格的にも気が弱くお人よしで、とても女子高校生と浮気するなど考えられない。ただ、お人よしの性格が災いして事件の共犯に仕立てられた可能性はあると思う(脅迫状を書いたことと新居の提供)が、真犯人ではないと思う。

事件の日、誕生日のお祝いを口実に善枝さんをデートに誘い、トマトなどを振舞って
性交したのは、やはり彼女のボーイフレンドのひとりだったのではないかと思う。

94 名前:不老川:02/07/29 15:21

私が疑問なのはAと被害者の関係です。被害者の膣内から精液が検出されたこと、
また、被害者が抵抗した形跡がないことから合意による性交と見なしてよいと思われ
ますが、この点はどうなのでしょう? 


97 名前:898:02/07/29 16:33
>>94
Aについてはアリバイのみが崩せなかったと聞いているので血液型は合致していた
と思います(また確認してみます)またAと被害者は年も近く小学校まではよく遊ん
でいたそうです(次兄も含め)また被害者宅とAの家は6,700mしか離れていないそう
です。


609 名前:前スレの898:02/08/23 09:43

伯父が実行犯として推理していた(A)ですが、盆休みに大宮の伯父の所を
再度訪ねた際に確認しましたが血液型のほうほぼB型とのことです。

ほぼというのは、それが小学二年の健康検査の資料のためで当時は精度が
若干悪く確率としては7割方はB型だろうということでした。
ちなみに(B)はO型です、双方とも中学に満足に行っていない様で中学の
検査記録が残っていたらもっと正確な物となっていたはずということです。
たぶん、容疑が固まりしだい血液検査をするつもりだったのでしょうが
それ以前に釈放せざる状況になったと思います。


622 名前:898:02/08/24 09:41

伯父説では脅迫状を書いたのは作男の奥富玄二氏ですが書かせたのはU氏の配下のO2という飲食店の店長と考えているようです
(内容を考えたのも)アリバイ製作も犯行現場の証拠隠滅も脅迫状を届けさせたのも飲食店O2氏の指導の元にと考えているようです。そのため伯父は飲食店O2氏を何故だか高く評価しています。

もともと大宮や浦和を根城にしている広域暴力団員の幹部であった人ですがU氏が手腕に惚れて大金を出して引っ張ってきたような人物だったらしく選挙のゴタゴタや言う事を聞かない人物の意見を変えさせる作業などにかなり重宝された人物とされています。

評価されている点は手腕のみでなく元ヤクザの割りにそれまで微罪で一度しか逮捕
されていないほどの「尻尾を出さない人物」として評価しているようです。
飲食店O2氏が作男奥富玄二氏に安心して脅迫状を書かせるには奥富玄二に近しい内容は排除する点が重要だったと思います。 なので4月29日といい加減な日付、前の門と抽象的な表現、娘ではなく子供との表現、西武園という有名行楽地の表記などで奥富玄二にはかかわりの無い内容として書いていただいたという推理がされます。

しかし書かせたこと自体がトラップで遺体の埋没現場も飲食店O2氏の指示であった
のなら奥富玄二は嵌められるべくして嵌められた事になると思います。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html

968 名前:953:02/10/11 15:59

田中登と石田登利造を殺った奴は黒幕(市議会議員)の部下の元暴力団員の手下だと思う。

898氏の親戚の元刑事氏の推理とは少し違っていて、佐野屋に来たのも、石田登利造を殺害したのも同一人物と思う。

殺しに慣れた中年の男。元軍人。親分のためならなんでもやる男。
ヤクザ組織での闇の仕事に加えて、軍隊で謀略・謀殺の手法を学んだ男。

ついでにいうと、5月1日にボーイフレンド(これも一味)に誘われて食事したあと、
合意もとに性交し、奥富玄二氏の新居でくつろいでいた被害者を背後から襲い、
後頭部を鈍器で殴って殺害したのもこの男。

さらにこれは確証がないが、元憲兵のPTA会長の死にも、この男の影が見える。
元暴力団員の周辺を洗えば必ず該当者は出てくると思う。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/2.html


_______________________________________________________________________________


6. 次姉は…


次姉の遺書の公表箇所

「夫」宛
(次姉)は誰とも結婚できない女です。(「夫」)さん、どうか幸せになってください
(「夫」)さん幸福に。私は美しい花を見ても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない


長兄宛
(長兄)ちゃんとはもっと相談したかった


父親宛
お父さん力強く生きてください。自分のクヨクヨした性格で、毎日毎日が、実にいやになりました。(次姉)の生活には発展もなければ何の信念も考えもない。動物にすぎない。死を考える親から、よい子など生まれません。五月一日、(被害者)の供養をしたとき、はじめて自分がわかった。二人でまっ黒になって働いたころが一番幸せだったと思う。先立つ(次姉)のわがままを許してください。

なお、長兄が次姉の遺書について別途、「常識では考えられないことが書いてあったんだが……」というコメントを残しています。その「常識では考えられないこと」が上の文章のどれかを指しているのか、あるいは公表されていない内容を指しているのかは不明です。

この「遺書」を読むと、やはり次姉は「真実」を知っていて、それを公表できない自分の弱さを「何の信念も考えもない」と表現したのか、と考えさせられます
http://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090506075850770

382 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/06/01 18:16

中田登美恵の死亡診断書を書いた医師鈴木将の証言(二審第六四回公判)


問い 山上弁護人

山 そのことについて少し述べていただきたいんですが、この先生のお宅
  におうかがいして、私どもがいろいろおうかがいしたときに、先生の
  お話になられたなかに、どうも死因がわからんといいますか、非常に
  奇妙な感じを受けたんだということをいっておられましたが、それは
  何に原因してそういうふうな印象をもらされたんでしょうか。

鈴 そうねえ、一般に何で亡くなられたにしても、苦悶の形をしているね。
  老衰というのはいちばん楽な死に方だね。だけど普通の毒で死んだとか
  何とかいう人は非常に苦悶の体で死んでるな。ところがこの人はすっか
  りととのってきれいになって亡くなったね。だからすごく奇異な感じを
  もったよね。

山 すっかりととのってきれいというのは仏さんとしてきれいというんです
  か、身づくろいが。

鈴 身づくろいは普通のものだったけど、吐物がないとか、たとえば失禁と
  かいうことがなかったということですね。そういうものが伴うものだね
  たいがいね。

山 この人の場合にはそういう何か毒薬を用いたというような徴候もなかっ
  たと、こういうことですか。

鈴 それはあったかもしれないけれども、そこの様子じゃわからなかったで
  すね。ただそういう死に方もないとはいえないね。絶対用いないとは私
  はいえないよ。

山 先生は農薬を用いたんじゃないかということで、家族の方に農薬のびん
  はないかというようなことをたずねられたようですね。

鈴 うん。

山 その際、どうだったのでしょうか。

鈴 なかったね。そしてみんなきれいに洗ってあったね。

山 びんを洗ってあった。

鈴 うん、だからどうもね。

山 先生が中田さんのうちに着かれてまあすぐ死体を見られたということに
  なりますと、そのときの死体の状況はまだなま暖かいといいますかもう
  冷えきって固くなる、硬直状態といいますか、その程度は。

鈴 私もいくつも死体をみてるからもう忘れてるけれども、硬直があったと
  思います。

山 これは死後何時間ぐらいして、まあ、普通これは科学的には厳密にはな
  かなかむつかしいということを聞いておりますが、通常硬直というのは
  死後・・・。

鈴 さあ、私も法医じゃないから、そのへんはくわしくはわからないですね。
  知らないといったほうが正しいのですね。

山 とにかく硬直がきておったように思うと。

鈴 そうですね。

山 で、布団が敷かれてあって、すでに普通の人が寝るような形で安置され
  ていた、こういうことになりますか。

鈴 そうですね。


つまり鈴木医師が訪れた時には、遺体はすでに通常の通夜などの時のように
きれいな形で布団に寝かされていた。苦悶のあともなく、こういう場合につ
きものの失禁などもなかったというのである。
これは明らかに死後加工された状態である。仮に布団に入った状態で薬をあおったとしても、苦しむうちに姿態が乱れ、周囲が荒れた状態になるのが普通である。死因の追求にあまり熱心にみえない鈴木医師さえも「奇異に感じた」状況であった。
一応農薬自殺を疑った鈴木医師は、家人に農薬の瓶の有無を尋ねたが、それらはすべ
てきれいに洗ってあったというのである。


中田登美恵の死亡診断書を書いた医師鈴木将の証言(二審第六四回公判)

問い 山梨検察官


山 そのときの死亡診断書ですがね、まあ直接の死因として薬物自殺となっ
  て いるんですが。

鈴 ああ、そうですか。
(中略)
山 ただこの死亡診断書を見ますと、まあ、おいでになった時間がこれは一
  つの問題なんですけれども、発病より死亡までの時間として五時間とな
  っているんですよね。

鈴 それは想像ですよ。だって死んだ時間がわからないでしょう。だいたい
  だからうちの者がうちをあけた時間からそのへんまでということにした
  んじゃないでしょうか。あくまでも想像ですよ、それは。

山 五時間というのは本人が死んだのは何時頃という推定はどうやってつけ
  られた。

鈴 だからうちの人が朝ご飯食べるときは生きてたでしょう。それから今度
  は昼に帰ってきたといったかな、そうじゃないですか。そうするとその
  間ぐらいはだいたい五時間ぐらいあったんじゃないかというふうな、多
  くの根拠をそこにもって私書きませんでしたけれども、わかりませんで
  すよ。私はどうやってわかるかといえば食べ物を行政解剖でもして出さ
  なければわかりませんよ。出ますか。

鈴木医師は一応薬物自殺として診断書を書いたものの、薬物中毒の明確な痕
跡もなく、死亡推定時刻も特に根拠がないことを認めている。これでは先の
奥富玄二のケースと同じく「自殺」と理解することはとてもできない。少な
くとも「変死」とすべきであるし、どちらの場合も医師の診断時すでに遺体
に工作がなされている可能性を考えると、むしろ「他殺」を疑うのが自然と
すら思えるのである
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html


622 名前:488:02/07/06 12:27

次姉は、石川さんが犯人とされ、裁判が始まった時くらいからふさぎ込むことが
多くなり、次第にノイローゼ症状が重くなっていた。

彼女は事件後婚約し、すでに入籍していたが中田家に女手がないので実家にとどまり、
新婚生活もままならない毎日であった。

唯一の話し相手であった妹を失った上、家を出て夫と暮らすことも許されない。
スポーツ万能で勝気だった妹とは違い、おとなしく優しい性格の次姉にとっては
耐えがたい生活だったはずだ。

次姉は、事件当時から独自に調査をしていた石川さんの支援者・荻原佑介氏の訪
問を受ける。そして石川さんが無罪であることの論拠を示された彼女は、
そのとき顔面蒼白となるのである。

「石川さんが無罪ならば、やはりあの人が…」

次姉は裁判で警察に迎合して佐野屋にあらわれた犯人の声を「石川さんにそっくり」と
証言したことを後悔し始める。
そして一審での石川さんの死刑判決の報を聞き、自責の念にかられるのである。

さらに狭山事件のをめぐる直接的・間接的関係者の内、少なからぬ人々が訴えている症状、「原因不明の頭痛と身体のだるさ」に彼女も悩まされるのである。

夫にあてた遺書のなかの「私は美しい花をみても美しく思えない女になったしまった」
という言葉に彼女の苦悩がよく表現されている。

そして次姉の日記には、真犯人の名前がはっきりと記されてあった。

次姉の「自殺」後、長兄はマスコミの取材に答えて、彼女が生前に付けていた
日記の存在を明かし、

「日記には常識では考えられないことが書いてあったんですが…」

とコメントしている。 しかしその「常識では考えられないこと」の内容については口をつぐんでいる。 これはどういうことであろうか。

わざわざ日記の存在を公表し、内容に興味を引くコメントを残しながら、肝心の
内容についてはだんまりを決めこむ。 中身が話せないならば、日記のことなど最初から触れなければいいではないか。 にもかかわらず、そこに書かれてあったことについて思わせぶりな話しをする。 それもマスコミに対して。

はたして長兄のこの不思議な言動は、何を意味するのか。

私には、あの「犯人たるおまえに」同様、これはマスコミを利用して行った長兄
の真犯人に宛てたメッセージであると思う。

つまり「自殺した彼女の日記にはおまえの名前が書かれている。俺はお前の策略
をすべて見抜いているぞ」という意味が込められているのである。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/1.html

158 名前:レイムダック 投稿日: 2004/05/14(金) 16:20

次女が自殺した後の報道によると、彼女は大学ノートに書いていた日記を石川氏の
地裁死刑判決直後から中断したようです。

「身体がだるく、頭が重い」と訴え、死の十日ほど前に訪れた堀兼診療所では、
「極度のノイローゼ」と診断されたとのことです。

また、父親宛ての遺書にはこう書いてあったとのことです。
「死を考える親からよい子など生まれません。五月一日善枝の供養をしたときはじめて
自分がわかった。二人で真っ黒になって働らいていた頃が一番幸せだった」

さらに「夫」宛ての遺書には、「私は美しい花をみても美しく思えない女になってしまった。あなたを幸福にできない」と書いてあったとのこと。

このことから、次女の遺書は一部かもしれませんが、公開されていたことが見てとれ
ますね。ただ、長男が言う「日記には常識では考えられない事が書いてあった」のが、
この遺書のことを指しているのか、それ以前の日記のことなのかが不明ですね。

もし後者とすると、彼女は日記を書くのを中断していたわけですから、一審判決以前から、次女は「常識では考えられない」精神状態に陥っていた、ということになりかねないようにも思われます。

次女は事件の年の秋にお見合いし、十二月には入籍しています。

非業の死を遂げた妹の喪が明けてからでもよかったように思われますが、なにか特別に
急がなければならない事情でもあったのでしょうか。
しかし、この年までは特に変わったことはなく、体調が悪くなったのは年が明けてから
としても、亡くなったのは七月ですから、ノイローゼは急速に進んだと見てよさそうです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1061689365/

756 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/05 17:48

石川氏の声をテープで聞かされた次姉の最初の証言は
「(犯人の声は)もっと低かったと思います。」というものだった。
(実際、石川氏の声は60歳を超えた今でも甲高い。)

それでテープの回転速度を遅くして「似ている」という証言を引き出したもの。
一審では石川氏も長谷部警視との「男の約束」を信じて犯行を認めていたので
中田家の家族も彼を犯人と思っており、次姉の「そっくりです」という証言に
なったものと考えられる。

その後、石川氏が一審で死刑判決を受けたあと、何らかの理由で真犯人と家族との
「関係」を知ってしまったことで良心の呵責に耐え切れなかったのだろう。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/3.html

609 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/02 21:51

自殺したお姉さんは可哀想だよね。

母親が死んだあと、上のお姉さんは家出。
唯一の話し相手だった妹が惨殺されて家の中の女は自分一人。
母親代わりと主婦の役目もこなさなければならないし、せっかく婚約したのに
実家に女手がないということで籍だけ入れたまま、新婚生活もままならない。

相談相手だった増田秀雄さんは急死。

そこに自分が証言したせいで無実の人が死刑になってしまうという事実を知らされたとしたら…

お姉さんは石川さんの死刑判決があった日から、毎日つけていた日記を書くのを止めて
ふさぎこんでしまったそうだ。

そこでさらに事件の真相か背景を知らされたとしたら、田舎の純朴な女性にはとても
耐えられることではなかったに違いない。

善枝さんも気の毒だけど、事件の最大の被害者はお姉さんのような気がしてならない。

134 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c 投稿日: 2004/05/11(火) 20:51

その姉の遺書についてですが、公判証言をつぶさに読んで見たところでは、
「遺書」がどのような形態であったのかも語っていないし、と言う事は、その
「遺書」が夫宛のものであったかどうかも結局の処不明です。

しかし『Yさん、幸せになって下さい』と言う様な文面があったと言い、その
様にある程度内容に関してはっきりと証言していると言う事は、夫は確かに、
ある種の遺書的な文面は家族から見せられたのでしょう。

そうすると言うと、この「遺書」(姉の、夫宛の)はあったのかどうか、と言
う事になるわけですが、小生は、これは姉の日記(の最後の頁)に書いてあっ
た事を、夫はその時見せられたのではないか、と。

要するに姉の「遺書」と称する物は、「日記」に書いてあったのではないか。
 (個別宛の「封書」ではなく)
ト言うのが、現在小生がこの「姉の遺書」について考える処です。

135 名前:レイムダック 投稿日: 2004/05/11(火) 21:42
>>134
公判記録などによると、次女の遺書は3通で2通が父と兄弟宛てで、残り1通が
「夫」宛てとのことです。

ただし「夫」は遺書は見せられたがどんな内容だったか、縦書きか横書きかさえ忘れています(法廷証言は次女の死から8年後)。

遺書は日記にしていた大学ノートを引きちぎって書かれていたそうで、枕の下にあり、
封筒はなかったとのことです。

137 名前:盛況 ◆cQ5CwQT2.c 投稿日: 2004/05/11(火) 23:05

「夫宛」の遺書に限定して言うと遺族に(この夫も遺族なのですが)「遺書」
を見せられた処「ぼくのことが書いてあって‥」と言う事で、その言いっぷり
を一応信用すれば、それは実は夫宛の遺書ではなく、家族宛のものに書いてあ
ったか、やはり日記の文言を見せられたのではないか‥?と言う意味でした。

しかしこれは長兄の「日記には常識では考えられない事が書いてあったんだが」
と言う言葉を、姉のお墓の前で思い出した時に、浮かんだ考えです。

つまり、「日記」(その最後の部分が遺書を兼ねていたのかも知れない)にはその「常
識では考えられない事」が書いてあった為、夫には全部を見せられなかったか、
夫はそれも読んだが、勿論公判では全てを語る事など出来なかった‥‥のか、
と言う事です。

夫が何故通夜にも葬式にも行かなかった(行けなかった)のかについては、その裏にどうも事件総体の真相にも関わる、相当な事情があったのではないか‥‥と考えています。


158 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/03 20:52

野間宏の本では例の次姉の婚約者(戸籍上は夫)の裁判証言も面白いというか不気味だったねぇ…

なにしろ最愛の人の死なのに遺書もよく見てないし、通夜にも葬式にも行っていない。
いや、行っていないというのなら「ショックで行けなかった」といういいわけも成り立ちそうだが、なにしろ弁護人が「通夜には当然行ったんでしょう?葬式にも」と聞くと
無言のまま答えずさらに突っ込まれて「忘れた。バカだから」というのだから、
驚きを通り越して不気味な感じがする。

次姉が亡くなった原因や、遺書・葬式などの件になると記憶喪失状態になるのに、
夫なら当然の権利のはずの次姉の相続分の分配などは「まったくありません」と断言し、相思相愛で肉体関係はあったと証言している。 ちなみに婚約者は被害者の長兄の同級生。

出廷の前になぜか警察官が婚約者の家を訪ねて来ており、「一体なんの話をしに行ったんだ」と、弁護人が迫る場面もあった。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

503 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/27 21:06

二人は、事件の年の秋に婚約し12月には入籍しているが、それはYH氏の勤務先(米軍ジョンソン基地)の税金控除で有利というためで、結婚式も挙げていないし同居もしていない。 善枝さんの喪が明けたあとの翌年の秋に挙式予定だったらしい。

つまり戸籍上では夫婦だが、実質的にはまだ婚約中という状態だった。
ちなみに法廷でのYH氏は、仮にも結婚する予定で肉体関係もあった仲なのになぜ通夜や葬式に行かなかったのかと弁護士から追及され、

「まあ、死んで、たまげて行きましたしね、で、とにかく戸籍上では、そういうふうになってたけれども、まだ結婚式もあれだったりして、それ以上深く…」

と答え、他の質問にも

「バカだから忘れちゃう」

との返事を繰り返してまともに証言せず、弁護士は「事実上の証言拒否」と
苛立ち、傍聴していた女性の一人は 「彼女のお墓はY・登美恵となっていますよ!」と叫んだ。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html

737 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/11 20:37

次姉の婚約者も、彼女が自殺したとき中田家の秘密と事件の真相の一部を知らされたのだろう。

愛する婚約者の通夜にも葬式にも行っていないのだから、よほどのショックを
受けたのではないだろうか?(婚約者も二審では健忘症状態)

戸籍上は夫だったわけだから、当然彼が喪主だったはず(次姉の墓の姓は彼の苗字になっている)。

喪主が葬式にも出ないとは、普通考えられない。特に昔の農村ではなおさら。
「夫はあまりのショックで式には出られない」とでも説明したのだろうか?


306 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 19:51

次姉の婚約者Y氏について、その裁判証言があまりにも不可解だったので
大いに疑惑が向けられることになったわけですが、でも本当にY氏が共犯ならば、
あるいは最初から犯行を知っていたのなら、通夜や葬式には行くと思いますよ。

つまり、次姉の死の床で、彼は家族からなんらかの秘密を打ち明けられ、そのショックで通夜・葬式に出ることができなかった。

裁判では嘘を言うと偽証罪になってしまうので、秘密を暴露できない以上、Y氏は沈黙せざるを得なかった、ということですね。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/4.html


268 名前:本当にあった怖い名無し:05/01/31 00:33:08 ID:EbJlKciq0

自殺した次兄がカレンダーの裏に走り書きしていたという「遺書」:

  私の生きる道はどこにあるのかしら。

  社会は流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。

  あすの社会もきょうの社会も余り変わりはないけれど、
  私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。

  そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいものがあることを願いたい。

  いまを生きるのでしょう。
  けれどもこれは余りにも遠すぎた夜かしら。

  すべてが終わり、すべてが夢だったのね。

はたしてこれが「遺書」といえるのか疑問だが、盛況氏の推理にあるように、
これは次姉の遺書の文面を書き写したものではないだろうか?

妻子ある33歳の男性の遺書とすると奇怪至極だが、ノイローゼ状態だった
24歳の女性の辞世の詩とするならば、そう違和感はない。

「さみしい夜」と「余りにも遠すぎた夜」

昭和38年5月2日の深夜、佐野屋の前に立ち、恐怖に震えた次姉ならではの
表現のように感じられてならない。
http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/10.html  

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コメント
 
01. 2010年4月07日 20:51:29: MiKEdq2F3Q

『となりのトトロ』

http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557534
http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557520&page=1&lu=m_frm_pview_clip_5
http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557505&page=1&lu=m_frm_pview_clip_4

http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557490&page=1&lu=m_frm_pview_clip_3
http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557478&page=1&lu=m_frm_pview_clip_2
http://tvpot.daum.net/my/PlaylistClipView.do?ownerid=UASw.Gq1yoY0&playlistid=34617&clipid=5557465&page=1&lu=m_frm_pview_clip_1


『となりのトトロ』はモデルになったと言われている事件がある。

トトロの舞台となった所沢の隣町である狭山で昭和30年代に起きた"少女惨殺事件"である。 この事件を念頭において『となりのトトロ』を見てみると、大分印象が変わるというか新しい解釈、新しい発見がある。

 まず"トトロは子供にだけ見える"という印象だがサツキの同級生であるカンタには見えないなどの矛盾がある。そこで登場したのは"トトロは妖精のようなものであるから、死に近い人間が見える"という事だ。

 死期の近づいた老人が、先に死んでしまった家族を見るなど良くある話である(大概はもうろくしたと片されるがね)

 つまりサツキとメイは、あの段階で死期が近づいていたのである。

 結論から言うとメイは母親に会うために1人で病院に向かう最中に死んでしまったのである。

村の人たちの捜索で沼でサンダルが発見され、サツキは「メイのじゃない」と否定するが、実はあの段階でメイは既に水死していて、現実を認めたくないサツキがひきつった顔で「メイのじゃない」と言って走り去ってしまうという流れである。

 そして森の精霊であるトトロにすがり「メイがいなくなっちゃったの! お願い、メイに会わせて! きっとあの子、1人で泣いてるわ!」と言って、サツキは妹に会うため"自らの命を捨てる選択をする"

 そう猫バスとはこの世とあの世を結ぶ乗り物なのだ。物語中盤で登場した猫バスに、サツキが乗る事を恐れた理由も、ただ単に異様であるというだけでなく、「乗ってしまったらもう戻れない」と本能的に感じ取ったからであろう。

 その辺は、「凄い、木が避けてる!」や「みんなには見えないんだ…」のセリフからも、猫バスが実体の無い虚無の存在であると伺える。

 そして重要な証拠としてよく挙げられるのは、沼でサンダルが発見されたシーン以降、"作画からメイの影が無くなっている"のである。作画レベル世界一と言われるジブリがミスをするとも思えないし、何よりも「以降全て無い」というのは明らかに不自然である。

 そして自分が死んだ事に気づかずにさ迷っていたメイの元に、冥界の乗り物である猫バスとともにサツキが迎えに来て、姉妹は再会する。

 そうしてサツキとメイは母親の入院する病院を訪ね、メイが渡したかったトウモロコシを渡すのだが、このシーンでも不自然なポイントが2つ。

 何故サツキとメイは、お母さんに直接会って渡さなかったのだろうか?
 そして何故、病室の窓の外目の前の木に座っていた2人を、両親は見えなかったのか?

 ………ふと風が通り過ぎ、両親が窓の外を見ると、「おかあさんへ」と書かれた紙と共にトウモロコシが置いてあり、母親がふと窓の外の木を見つめ(絵では目の前に座っている)、「今…サツキとメイが笑ったきがしたわ」

 もうここまで来ると反論の余地が無い。


 そして更に悲劇としては、母親の入院している七国山病院というのは、八国山病院という実際にあった病院がモデルなのだが、その病院は"不治の病の末期患者や、精神疾患者を半ば強制的に収容していた病院"だったそうだ。明らかにお母さんの方も先は長くない…。

 映画はその病室のシーンでエンディングを迎えるが、その後に父親が知る事実と悲しみを考えればあそこで終幕なのがベストだろう。

 エンディングと共に流れるハッピーエンド風味の映像…

「サツキとメイが家に帰ってきて、おばあちゃんと再会し抱き合う」、

「お母さんの病状も回復して家に帰ってくる」、

「そして家族4人で幸せに暮らす」


 この流れを加味すると、このエンディングは全てが終わってしまった後、1人残されてしまったお父さん(作家)が、こうだったらよかったと想像する「最良の可能性」だったのであろう。
http://mp.i-revo.jp/user.php/ewalrqsy/entry/329.html

『となりのトトロ』の舞台は狭山丘陵が広がる、埼玉県所沢市松郷地区。当時、所沢周辺は結核患者の療養地であった。

「トトロ」の由来は、宮崎駿監督の知り合いの女の子(姪?)が「所沢」と言う地名を言えず、「トトロザワ」と言ったことに由来する。

2人の子供の名前はサツキ→「皐月」、メイ→「May」でいずれも5月を表している


さつき とメイは途中で本当は死んでしまい、それを父親が想像で生きていたらこうなっていて欲しかったと書いたのがとなりのトトロであり、作中でずっと書いていたのはその原稿。

さつきとメイがトトロと一緒にでかい木の上で何か吹いていたシーン、

あそこでお父さんがチラッと木を見やり、少し満足げにして書類に向かう。

確かに違和感あり。父の想像を臭わせます。


まず、トトロというのは死神、冥界への使者であり、トトロに会った人は死が近い、もしくは既に死んでいるという裏設定。

『トトロ』とはサツキがメイに「トロルのこと?」と聞き直した様に、トロルをモデルにしています。

トロルは地方によって異なりますが、死神であったり、気に入った者には幸福をもたらしたり、またある時は子供をさらうと言われています。


そして母親の入院していた七国山病院のモデルとなった八国山病院という実際にあった病院は末期患者や精神疾患患者を収容する場所であった。

当時の所沢周辺は実際に結核患者の療養地でした。


母親の病気は結核であるとウィキペディアにも記されています。
結核は1950年までは日本人の死亡原因のトップ。となりのトトロの時代設定は1950年代・・・


メイが行方不明になって池でサンダルが見つかる騒ぎが途中でありますが、
あの時既にメイは池で水死しており・・・

「これ・・これだよ」

老婆の差し出したサンダルを見てサツキは凍りついた。それはメイの物であった。
しかし、サツキはぐっと唾を飲み込み、言った。

「メイのじゃない・・・」


(確かに引きつっていました。)


今ここで本当の事を言えば、間違いなく老婆は卒倒するであろう。
老婆の身を思い、サツキは嘘をついたのだった。
妹の死を悟り、その場にしゃがみ込むサツキ。

(メイのサンダルの詳細。

ピンクで、つま先の方が2〜3本のひもで、踵にも一本あるタイプだ。
沼から出てきたのは、つま先が2本、踵ヒモもあるタイプだ。そしてピンク。)


メイの物ではないと聞き、安堵してしゃがみ込む老婆。
そしてサツキは気付いた。メイは病院へ行こうとしていた。
ならばメイの魂は未だ病院を目指して迷子になっているに違いない。

「このままではメイの魂は永遠に迷子のままになってしまう・・・」
「いや、もしかしたらどこかで生きているかも知れない・・・」
サツキは決心した。かつてメイがトトロに会ったという場所で語りかけた。

「お願い・・・トトロに会わせて!!」
木のトンネルを進むサツキ。その先には以前は無かった道があった。
サツキの言葉が冥界への扉を開いたのだ。
そしてその道の先には冥界の番人、トトロがいた。


「トトロ、メイが迷子になっちゃったの。探したけど見つからないの。
お願い、メイを探して!今頃・・・きっとどこかで泣いてるわ・・・
どうしたらいいか分からないの!」

「みんなには見えないんだ・・・」

というセリフから分かるように、さつきは自ら冥界への扉を開け、
魂を運ぶ乗り物である、猫バスに乗ってメイの元へ向かったのです。
(ネコバスの行き先表示の札に「墓道」が出てきているのも暗示・・・)


さらに病院のシーンでは母親が

「今、あの木のところで、さつきとメイが笑ったような気がした」

と言う。なぜ母親だけに二人の姿が見えた気がして、尚且つ二人は近くまできているのにも関わらず、実際には両親に会わずにメッセージ付きのトウモロコシを置いていったのでしょうか?

それは二人が既に死んでいるからです。

そして、父親は全く気が付かなかったのに対し、母親だけが死んだメイとサツキの気配に気づいたのは、母親にも死期が近づいていることを現しています。


(生きている子供のことについて、「あの木のところで・・・」なんて言うでしょうか?

そして、母親に会わなかったのは心配かけまいとして・・・と言うのであれば、なぜメッセージ付きのトウモロコシは置いていったのでしょうか。

メイとサツキは父親にはトトロのことも猫バスのことも揚々と話していました。
「心配をかけまいとトウモロコシだけ置いて帰った」というのは、不自然すぎます。)


母親の発言に対し、父親も「案外そうかもしれないね。」

もし生きているなら「こんなところにいるわけがないだろう。」

が自然な台詞です。否定しないのは、父親は二人が死んでいるのを知っているからです。


・メイが行方不明になった後から、メイの影がなくなっている。

・最後のシーンでは全員が若返っており、実はあれは後の話ではなく、生前の昔のシーンをくっつけハッピーエンド風に仕立てただけ。 もしくはエンディングの歌が始まって以降は本編とは別の終わり。
(サツキの服装を見ると、スカートではなくつなぎのようなものを着ています。これは現実ではなく、父の想像かも知れません。)


・所沢市に隣接する狭山市で起きた、女子高生が殺害された狭山事件をモデルにしている?

サツキ=皐月
メイ=May=五月
狭山事件発生日が5月1日

狭山事件では誘拐された女子高生の姉が犯人との交渉に参加している。

トトロの舞台は狭山丘陵が広がる、埼玉県所沢市松郷地区(所沢市)。


ここまでなら「偶然5月だった」という解釈も出来るのですが、宮崎駿監督は左翼としても有名な方です。ググれば一発です。彼が学生運動に参加している時代に狭山事件は起きています。

(どなりのトトロと同時上映された「蛍の墓」もメインテーマは妹の死でした。)


つまり、宮崎駿監督がこの事件について精通している可能性は高く、これを皮肉って『となりのトトロ』に盛り込んだのでは、という見方も出来るわけです。

一見平和で高度経済成長によって最先進国となった”完璧な日本”が『となりのトトロ』の表向きな姿であり、しかしその裏には人種差別や理不尽な国家権力という巨悪が潜んでいるのに、なぜ気がつかない?そんなメッセージの可能性はないでしょうか。

「となりのトトロ」の劇場での上映が、戦争によって死んで行く悲しい兄弟の話「火垂るの墓」と同時上映だった点からも、何か通じるものを感じます。


さつき、メイ・・・被害者、子供、無垢な存在

トトロ・・・闇、巨悪、日本、一見して平和的で良い子(国民)の味方
しかしその真の姿は・・・。

お父さん・・・監督

視聴者・・・日本国民、気づかない人達

・エンディングでメイちゃんとばあちゃんが抱き合って泣いてるシーンを無視。

→最後はおばあちゃんも死んじゃったんだろうな

魂になってやっとメイ達と会えたんだね
自分達の死に気づかずに家に帰るラストシーン


・もし本当にメイとさつきが死んでたとしたらラストの病院のシーンでお母さんが
『退院したらあの子たちにめいいっぱい甘えさせてあげたい』なんて言わないんじゃないかな?

→母はまだ知らされてないのさ

病人だからね
父は知っていたが心配させまいと・・・。
もしくは、末期患者が入る病院にいる為、既に正気ではなく記憶が曖昧になっているのかも。


・婆ちゃんが死んだとしても、
どうしてラストでかんたとさつきが話せているか説明がつかない
ってことはかんたも死んだのか?

→カン太は生れつきの霊媒体質なんだよ


(ウィキぺディアから抜粋)
最期のシーンで「サツキとメイに影がない」ことについて、都市伝説として「トトロは死神でサツキとメイは死んでいる」という噂が流布している。
これについて、スタジオジブリがブログで「サツキとメイの影は省略しただけなので、トトロは死神でもないしサツキとメイは死んでいない」と一蹴した。


この見解はスタジオジブリの総意であって、宮崎駿の見解ではないことに注意したい。製作発表の時、宮崎監督はこの映画は「サツキとメイの魂の開放」といった


今トトロのCDを見てみたら、さつきとメイが合体したようなひとがトトロの横に立ってました・・・

その場面って猫バス待ってるときの場面なんですけど、バストップの影しかなく、メイ&さつきの人の影なんかありませんでした(/´△`\)


CDの歌詞カードのところの裏見てみたら、また絵がありました。

そこにはトトロの世界へ行くときの穴を見ているメイの後ろ姿なのですが、そのメイにも影がありませんでした(T∇T )( T∇T)

死んじゃったんですね><残念です・・・これがほんとじゃないことを祈りつつ・・・娘には教えないでおきます;;ぁぁぁぁこわい><(@_@;)


たぶん香恋さんと同じCDありました〜〜〜!!ほんとにそのとうりです( -ノェ-)まじでこわい・・・・しかも、そのCDの中にある、「まいご」という曲の歌詞がどうしてもおかしいのですが・・・・・・ひまなかたは少し長いですがお付き合いのほうよろしくお願いします( *・ω・)ノ

今からまいごの歌詞を(問題の場所まで)下に出します。


さがしても みつからない まいごの子
はなをつまみに いったの
ふりむかないで トンボをおいかけていったのかしら
おばけが出てきたら どうしたらいいの
かくれんぼだーいすき
なきむしのあまえんぼ
へんじして おねがいだから きえてしまった小さな子
(中略)
どうしよう こまったわ
のはらにひとりきり かえってきておねがいだから
わたしのだいじないもうと
どこかしらどこかしら


と書いてありました。これは死んでしまったメイの魂を探しに行くさつきの、あのシーンの話だと思います。これはまいごということで聞くのよりも死んでしまっているという設定のほうが絶対に自然だと思いました。
こわいですねぇ;; くれは

宮崎さんはヒットするまでさまざまな作品をテレビ局などに出されてたって聞きました

その中には、「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」など、いまでは誰もが知っているようなジブリ映画の“もと”となった作品も多くあったそうでもちろんその中に「となりのトトロ」もありました

その“もと”の作品ではトトロが子供をさらうおばけのような存在であったんです。

ですからこの作品を“もと”にして子供向けでもあるこの映画を作るにあたって、
その内容ではいけない、子供でも楽しめるように、と宮崎さんが改良されたのが
いまの「となりのトトロ」なんです。

セリフとか、事件とか私は分からないけど、根本的に間違っているところは
“裏設定”じゃなくて昔のとなりのトトロつまり“原作”だったというところだと思います。


たぶん、宮崎監督は、狭山事件のことをみんなに知らせたかったんじゃないのかなhttp://houtobega-eien.at.webry.info/200705/article_17.html


[ 作中の違和感 ]
・ラストの病院の木のシーンで、母親にメイとサツキの姿が見えなかったのは何故?

・物語が進むにつれて、メイとサツキから「影」が消えていく

・「トトロのテーマはサツキとメイの解放なんです」 と宮崎監督自身がコメント

     →「解放」の意味するものは!?


・始まって15分ぐらいに荷物の食器を片付けている後ろの箱に狭山茶って書いてある。

     →狭山事件(※注2)を連想させる描写?


・家の2階に上がる階段付近に違和感がある

     →「階段が存在するはずの空間に何もない。

     →「雨戸の外には「階段」があるはずの家の壁が見えず、外の景色が見えていなかった?

     ※作画上のミスかもしれないし、意図的なものかもしれない。

・メイが描いたトトロの絵が、どう見てもトトロに見えない。

・池で発見されたサンダル、メイのじゃなければ一体誰の物?

・ネコバスが行き先表示するときの「めい」になる前が「墓道」

[ 狭山事件との奇妙な共通性 ]

(狭山事件)
5月1日の日が沈んだころ、被害者(当時16歳)が通学に使っていた自転車がいつもの場所にもどっていた。本人はすでに死んでいるのに。外は雨。サドルがぬれていない。いったい誰が・・・。そのころ長男が被害者を探しにいく。脅迫文には「西武園の池に沈める」とあるが、実際はちがった。

(作品)
メイとさつき、雨の中、バス停で父を待つ。日がくれる。自転車に乗ったレインコートが通りすぎる。トトロとネコバスがやってくる。西武園は、まさにトトロの森のすぐそば。
______________


(狭山事件)
死体発見現場は川にほどちかい茶畑の農道。まるで棺を埋める穴のように掘られた穴に、儀式を行ったかのごとく埋められていた。
(作品)
耕された畑で儀式のシーン。新しい芽が顔を出す。三人のトトロと中を舞うメイとさつき。
______________

(狭山事件)
真犯人と巷でうわさされた長兄は、東京タイムスで勤めた経験がある。また、目白の経理学校に通った経歴がある。

(作品)
徳間書店←東京タイムス最後の親会社。宮崎←学習院大政経学部(経済)宮崎は姉と同い年、カンタとさつきは同い年。

______________

(狭山事件)
被害者の実母は精神病院に入院し、10日後急死している(脳腫瘍とのこと。10日で脳腫瘍が急変することはない)。その時、被害者の年齢は5〜6歳。姉12〜13才。病院は小平市(狭山から15km程度)。兄弟は6人だが、2人は特に仲良かった。母なきあとは、まるで姉が母のようであった。姉は、犯人との接触を買って出るほど、主体的にかかわった。

(作品)
自宅所沢から小金井を歩いて通勤したことがある。逸話となっている。位置関係が平行移動の関係。「3時間」を確かめたのか・・・。母のようにお弁当を作るさつき。トトロに会いに行くさつき。

______________

(狭山事件)
被害者には、同居する2人の兄と1人の弟がいた。被害者の死後、まもなく、後を追うように姉は命を絶った。妹と2人でいるときが幸せだったと書き残して。目撃情報によれば、3人の男と車があった。長男は、顔面神経痛と脊椎の病気を患っていた。車が足であり、顔であったようだ。次男はしばらくの後、自殺。3男は養子にだされ、家には長男が残った。

(作品)
3人のトトロと2人の姉妹とお父さん、お母さんの物語。トウモロコシを命がけで母に渡そうとするメイ。「おかあさんへ」「いもうところし」。遊んでくれない父を横目に、トトロの寝床に迷い込むメイ。トトロはメイとさつきにしか見えない。決して怖くないトトロたち
http://darknarice.jugem.jp/?eid=656

■【となりのトトロ】作中との共通(?)点

(1)トトロの舞台が、狭山丘陵(埼玉県所沢市松郷地区)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  事件の場所と酷似。

  実際に、時代設定の1950年代の所沢周辺は結核患者の療養地。


(2)迷子をイメージした歌詞…少女が行方不明になる

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   参照⇒となりのトトロ歌詞

  ●「誰かがこっそり小路の木の実埋めて」

   ⇒事件では、少女が農道に埋められていた。

  ●「雨降りバス停、ずぶ濡れオバケがいたら」

   ⇒事件当日は大雨だった


(3)入院中のお母さん

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ●七国山病院のモデルとなった、八国山病院は実在した。

  └末期患者や精神疾患患者を収容する場所であったらしい。

  ●お母さんの病気は結核

   ⇒事件の被害者の母が入院10日後に亡くなっている


(4)サツキとメイの関係

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ●5月

   ⇒事件があったのも5月

  ●姉が妹を探す

   ⇒事件では、被害者の姉が犯人との交渉に参加した

  ●お父さんとサツキは似ているがメイは似ていない

   ⇒被害者とその姉は異父姉妹だった


(5)メイの靴が池に浮いていた

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  事件の脅迫文に「子供は○○池の中に死んでいるとある」

  とあった。


はい。

ここまでが予備知識。

あ、ちなみに、「トトロ」の名前の由来は、宮崎駿監督の知り合いの女の子が「所沢」と言う地名を、「トトロザワ」と言ったこと。らしいです。
http://d.hatena.ne.jp/hachi-88/20080521

6 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 00:15:19 ID:UMZDBDtt
たまにめいちゃんの陰がなくなるとか
お父さんがうつろな目をするのがヒントだとか
あそこに引っ越したのは子供が死んじゃったからとかいろいろあるらしい。

友達の友達が昔ジブリに問い合わせたらよくわかりましたねって言われたってww


9 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 01:34:33 ID:F+vfE66h
あの田舎の村が、あの世なんだよね

死んだ姉妹がお父さんお母さんに、会いに行く物語なんだ
お父さんは想像で作り出した人物だけど、ラストのお父さんは本物

他にも色々ある


10 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 01:40:44 ID:F+vfE66h
>お父さんは想像で作り出した人物だけど
ここは、ちょっとニュアンスが違ったかも、実在のお父さんが死んだ娘を想う気持ちが作り出した生霊

お父さん本人は気づいていないけど、それが死んだ娘と交流している姿

14 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 02:18:36 ID:F+vfE66h
あの村が、あの世だ バスだけで外界とつながっている

だから、村の住人は死者


18 :名無シネマさん :2006/11/15(水) 02:41:31 ID:MQUC3Vw/

あの土地を舞台にしたのは狭山事件と無関係ではないんだよね。。。
狭山事件は60年代起きた少女誘拐殺人事件で有名な冤罪とされる事件。

宮崎監督は事件のことをかなり調査していて自分なりの解釈をトトロに盛り込んだ。 映画の景色は事件当時の狭山そのものだし。

犯人は被差別部落の青年とされ結審したけど、冤罪を訴える人々は犯人は実は被害者の… これ以上はやばすぎるからやめとく。。。

カンタとおばあさんは部落の人だよね

ちなみに狭山丘陵には七国山病院のモデルになった病院もある。
http://www.geocities.co.jp/playtown/1541/totoro-tour.html

見に行くとサツキとメイが登ってた木が実際にあるんだけど


32 :名無シネマさん :2006/11/19(日) 00:57:51 ID:AE8TDUWT
村の人みんな死んでて、糸井お父さんだけは生きてるってこと?
独りごと言いながら暮らしてるってこと?

33 :名無シネマさん :2006/11/19(日) 02:07:14 ID:TBnuipdP
そうらしいね
かなり寂しすぎる


36 :名無シネマさん :2006/11/23(木) 01:35:37 ID:OGFX4Xko
ラストでは、娘のサイン入りのトウモロコシが病室の窓に置かれていたけど、
どうみても怪奇現象だろ。

それに驚くことなく受け入れる両親とそれを外から眺めてる半透明の娘達。


37 :名無シネマさん :2006/11/24(金) 18:19:12 ID:BiqYOeu/
メイが迷子になった後から メイの影が無くなるらしい (見てないけど
つまり迷子になったときに死んだ


49 :おせち(1d):2006/12/27(水) 01:31:42.32 ID:VGZZ7TWnO
七国山病院

実際には八国山病院という病院が実在して、そこは末期患者を収容する所とか

メイはあの池で水死したんだろ?
http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/50630935.html

投稿者: ゲストユーザ on 2010年02月11日(Thu) 03:11 JST

このトトロという話において、子供の見る映画として、入れるひつようのない描写(池に浮いたサンダル、病気の母親)があるのはどうしてなのでしょう……?

私には何かしら死をイメージさせているとしか思えません。
故に、この都市伝説はあながち間違っていないようにかんじるんですよね……
http://flowmanagement.jp/sayama/article.php/20090505183024460


02. 2010年4月07日 22:09:40: MiKEdq2F3Q

名張毒ぶどう酒事件


 事件が起きた昭和三十六年、葛尾の住人たちは閉鎖的ともいえる共同体の中で暮らしていた。奥西元被告の有罪を疑う人々の中には、当時の集落の閉鎖性が彼を犯人に仕立てあげたと主張する人もいる。捜査段階では、村人がこぞって奥西元被告を犯人にするために警察に協力したというのだ。ジャーナリストの青地晨氏は、次のように書いている。

 「もし勝が犯人でないと言明すれば、部落のなかに真犯人がいることを意味する。せっかく惨劇の傷あとが、たとえ表面的にせよ癒されているのに、勝の無実をいうことは、部落から新たな縄つきを出し、部落の平和を攪乱することに結びつく。これは部落の人びとが絶対に避けたいことであり、すべてに優先する心情なのである」(「現代」五十一年四月号)

 奥西元被告が自白をひるがえした後には、彼の家に石が投げられ、家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。

また奥西元被告の家の墓地は、共同墓地から追い払われ、墓地に隣接した畑の中にぽつんと建てられているという。

つまり葛尾の集落は、奥西元被告とその一家を“犠牲の山羊”にすることで、平和と団結を保っていたというのである。
http://www.e-net.or.jp/user/stako/DE/dengon-200602c.html


90 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/06/10(水) 02:04:08 ID:NVOVQXT80]

事件直後、この部落でこんな事件を起こすやつは奥西しかおらん、と言われた男

事件が起きたのは十数世帯が住む小さな農村部でもそこには十数組の不倫カップルがいてドロドロの愛憎関係だったと判明した

つまりそういう事件だったんだよ、これは事件の背景にあった泥沼不倫の愛憎劇がいつの間にか忘れられてしまい「ぶどう酒に毒を入れた動機が不明」なんておかしな理屈が登場するから呆れる


92 名前:名無しさん@十周年 [2009/06/10(水) 08:49:57 ID:SYRkZGmx0]

この時代の農村なら夜這いは当たり前で、ドロドロでもなんでもない。

懇親会ってのも乱交パーティーだろうし、もりあげるためのドラッグ代わりに飲んだ

農薬の量を間違えただけだろ。

動機面で材料となる部分を、過去ログから引っ張ってきたよ。

4.奥西勝は、当初、疑わしい人物として、妻ではなく、奥西フミ子の名前を挙げていた。

理由として、次のエピソードを挙げている。
「フミ子さんが泣きながら『かくまって』とうちに逃げ込んできて、義母(コヒデ)と喧嘩をして追われたので、逃げてきたと言って、家に戻ろうとしないことがありました。3月23日か24日頃、寝床で妻が『今日もフミ子さんとコヒデさんが喧嘩をして、フミ子さんは、川へはまって死ぬか、薬でも飲んで死んでしまいたい、と言っていた』と話したことがありました。」

江川氏著書pp146より参考になる箇所を引用しておこう。

フミ子の夫楢雄も、翌4月1日の警察の取り調べの中で、「このような事件を起こすような理由のあると思われる人」の「第1番目」として妻フミ子の名を挙げている。

姑のコヒデとの折り合いが悪く、コヒデが時にはフミ子に手を上げたこと、
そうしたことがきっかけでフミ子は宗教団体に通うようになったを挙げ、
「長年いじめられた私の実母に対する復讐のためではないか」という。

北浦ヤス子は奥西勝死刑囚だけでなく「三奈の会」会長の奥西楢雄とも不倫関係
にあったという話もあるんやな。それで妻のフミ子(事件の被害者)から別れる
ように迫られていたと。つまり奥西勝と奥西楢雄は全く同じ状況にあったらしい
んやな。


北浦ヤス子は勝と別れるから楢雄に妻のフミ子と別れるように頼んでいたとも。
一体この村はどうなってるのか何が何だか分からん。

147 :名無しさん@十周年[sage]:2009/06/11(木) 23:14:05 ID:PPlzp7B60

ぶどう酒の購入を決めたのは、当日の朝。実際に買ったのは、Rさん

 ◆ぶどう酒が懇親会に出ることが決まったのは当日の朝。

 ◆決めたのは三奈の会会長で農協に勤めるN氏で、農協職員のRさんに購入を命じた。

Rさんは、H酒店でぶどう酒を購入。N氏宅に運んだ

 ◆Rさんは村に飼料を運ぶため農協に立ち寄った車に便乗し、H酒店で清酒2本とぶどう酒1本を買い、

 ◆N氏宅に運んだ。受け取ったのはN氏の妻・F子さん(事件で死亡)。

午後5時20分頃、公民館に(奥西)勝さんが運んだ
  その後、隣家の(奥西)勝さんがN氏宅に来て、5時20分ごろ公民館に運んだ。

事件直後の供述では、午後4時頃に到着(※)

 ◆事件当初Rさんや酒屋など運搬に関わった村人の供述では、ぶどう酒がN氏宅に届いたのは4時前。

 ◆N氏宅に1時間以上も置かれていたことになっています。

 ◆つまりN氏宅でも犯行機会があったのです。

以上、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/mujituda-2.htm より引用

(※)
事件発生後しばらく経ってから、住民の証言が申し合わせたかのように一斉に変わる。
新証言により、N氏宅での犯行機会がなくなり、奥西勝だけが犯行機会があったとされてしまう。

 
この事件が深刻なのは、奥西勝氏が冤罪だった場合、「部落住民の誰かが真犯人」だということ。

そして、部落の住民が、奥西勝氏を陥れるために、「偽証」したことが、判明してしまうということ。


そもそも、事件直後の住民の供述によれば、奥西勝氏による犯行は物理的に不可能であり、
むしろ、毒物の混入は、N氏宅で行われた可能性が高いとされた。


ところが、事件から2週間以上経ってから、「住民の供述が一斉に変わった!」
すべての供述が、奥西勝氏の犯行を示すかのように、置き換えられたのである。


一審では、供述の変遷等が疑問視され、無罪判決。

無罪判決を受けた奥西勝氏は、葛尾部落に戻ったが、部落中から嫌がらせを受けたという。

・(奥西勝氏の)家には、石が投げ込まれ、
・家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。
・母親が、部落民の暴行を受けることもあった。
・家の墓地は、掘り返された挙げ句、部落の外に放り出された。


二審では、一転して、死刑判決が下る。
部落住民は、大喝采したという。


(奥西勝氏が冤罪かどうかはともかく、)
部落民は、奥西勝という生贄を差し出すことにより、部落の安定を守ろうとしたと言える。

 
150 :名無しさん@十周年[sage]:2009/06/12(金) 03:15:41 ID:66xOufbv0

「住民全員が犯人だった」というオチかな?

146 :名無しさん@十周年[]:2009/06/11(木) 23:10:35 ID:PPlzp7B60

名張市葛尾の住民が、奥西勝被告人の家族に対して行ったとされる行為を整理すると、

「彼(奥西勝被告人)の家に石が投げられ」


「家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。」


「奥西元被告の家の墓地は、共同墓地から追い払われ」


「(奥西勝被告人の)母親にまで暴力を振るった」


各所に書かれていることが事実ならば、名張市葛尾の住民が行った行為は、完全な犯罪行為である。
警察は、見て見ぬふりをしていたのか?

166 :名無しさん@十周年[]:2009/06/12(金) 21:51:09 ID:y7EKm3SC0

TVで特集をやっていた
ここの地区民は不気味で、インタビューで死刑囚について
酒を飲みながら、ヘラヘラと笑い語っていた

167 :名無しさん@十周年[]:2009/06/12(金) 21:52:40 ID:9vmW7nXk0

一審では、供述の変遷等が疑問視され、無罪判決。

無罪判決を受けた奥西勝氏は、葛尾部落に戻ったが、部落中から嫌がらせを受けたという。

・(奥西勝氏の)家には、石が投げ込まれ、

・家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。

・母親が、部落民の暴行を受けることもあった。

・家の墓地は、掘り返された挙げ句、部落の外に放り出された。


二審では、一転して、死刑判決が下る。
部落住民は、大喝采したという。

196 :名無しさん@十周年[]:2009/06/13(土) 02:15:13 ID:99qpjRPw0
 
 再審棄却時の部落民の反応からすると、

 奥西勝氏が獄死したら、部落総出で祝杯を上げるんだろうなあ。

 なんだか、怖いよ。
http://www.unkar.org/read/tsushima.2ch.net/newsplus/1244500265


さてこの日は当時取材し「ブドウ酒殺人事件公判に潜む謎」という記事を書いた富山さんの講演でした。

この記事もとても興味深く、「この地域は非常に開放的に男女の交際が行われていた」そうで、「既婚、未婚者の男女関係が半ば公然と行われていた」そうです。

事実「地域内のほかの人たちの同じような関係、つまり誰と誰が関係があったとか、現在までもどうだとか、三角関係、四角関係といった具合に供述している」と「検察側が証拠として提出した供述調書」の中に書かれている」そうです。

で、そういう中でこの容疑者だけが「三角関係の清算」というのは動機としてちょっとおかしいんじゃないの?ということなんですね。

で、一番印象に残ったのは、(これはまた聞きだそうですが)当時の主任弁護士の方の話です。

「彼は無実だよ。だって2、3日前に薬局でコンドーム買ってるんだよ。これから愛人と妻を殺そうと計画している人間がそんなことするわけないでしょ」
といっていたそうです。
http://blog.iwajilow.com/?eid=687003


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この怪奇事件

1 名前:きち 投稿日: 2004/01/12(月) 21:07

ご存知の方も多いと思います。大分昔の事件ですが、ある(東北だったかな?)村でのこと。その村の風習で結婚式の日、初夜の前に新郎の父親と新婦が結婚式場の会場で交わるという儀式があったそうで。

もちろん、ついたての向こうで行なわれるのですが、その事件のとき4時間たっても2人はでてこない。

しびれをきらした新郎が「親父、いいかげんにしろ。」と叫び、出席者もいらいらしてついに覗きにいったそうです。

そうしたら、2人は、裸で抱き合ったまま死んでいたそうです。

結局、死因もわからなかったそうですが、私もいろいろ事件について考察するのは好きなのですが、この事件2人とも亡くなったというのは心中なのでしょうか?
その日以前から2人は関係があったのでしょうか?

父親が仮に腹上死したとしても花嫁が死んでいるのはおかしいですし、皆さんの推理はどんなものでしょうか。

大体、この村の新郎の気持ちは全般にどのようなものだったのでしょうか?

中には、結婚後も父親と関係が続くようなこともあったと思うのですが、どんなものでしょうね。

母親の嫉妬とかはなかったのでしょうか?色々気になります。

まあ、夜這いなんかも今の常識では考えられないことですし、その時代の常識がそれが当たり前だと思えばそうなのかもしれませんが。皆さんの思ったところをお聞かせ下さい。

2 名前:吉之助 投稿日: 2004/01/13(火) 00:04

この事件は私も永年、気になっているのですが、如何せんかなり古い話(明治16年)なのでソースも見当たらずよくわからないというのが正直なところです。ただ、こうは考えられないでしょうか?

そもそも仮の一夜で二人は死んだのではなく何らかの理由で死んでしまった。(それこそ心中かもしれません。)

きっと、その村では隠さなければならない理由だったのでしょう。

そこで、仮の一夜で不可思議な死を遂げたことにしたと・・・

奇習が残っていた古い部落ですから死因を隠蔽することぐらい口裏を合わせれば可能だったんじゃないでしょうか?

いずれにしろ、自然死とは考えにくく捏造された事件だったんじゃないかと思います。

4 名前:吉之助 投稿日: 2004/01/13(火) 23:32

この事件については資料がほとんど見当たらずなかなか調べにくいのですが
明治16年(1883年)1月24日宮城県宮城郡のある村で起きたとしか
私の持っている本には出ていませんでした。いつぐらいまでこの奇習が残って
いたかはわかりませんが、このHPでも取り上げられている名張毒ぶどう酒事件
(1961年)の起きた部落ではフリーセックスのような習慣があったらしい
のでかなり後年まで続いていたのではないかと思います。
繰り返しになりますが、義父が死ぬのは理解できるのですが(心臓麻痺等)
若い新婦まで亡くなる、しかも伝えられるところによると抱き合ったまま
死んでいたというのはやはり無理がある。警察が来たのは当然、その後で
現場にずっといたわけではない。式の参列者は親戚と村の有力者。恐らく
式が始まる前に既に二人は死んでいたのではないか?
その部落にとってその死はあってはならない死に方(心中?)で村の有力者
親戚が話し合って仮の一夜で不可思議な死を遂げたことにした・・・
的外れかな?


5 名前:猫田 投稿日: 2004/03/18(木) 22:52

大分前に読んだ本には、

義父が妻に内緒で囲っていた新婦と、それを全く知らない新郎が出会って付き合いだし二人が祝言を挙げる段で、急に新婦を息子に取られるのが嫌になり、閨で何らかの毒を飲ませて殺し、自分も後を追った…

とあったようです。出版社や著者は覚えていませんが、結構ありきたりな心中事件だったように思った覚えがあります。


9 名前:きち 投稿日: 2004/05/07(金) 23:18

すごいといえば、30年代の名張ぶどう酒事件の村のようなフリーセックスとかもすごいですね。

10年ほど前、仕事で3年ほど住んでいた僻地の村では近親相姦やら夜這いもどきやらで全校50人ほどの中学に知的障害の生徒が8人もいました。

でもこの事件も周りの人が何時間も待っていたというのが笑えますね。

12 名前:あんず 投稿日: 2004/05/08(土) 23:17

日本は近親相姦(父→娘)が多いのはどうしてだ?

と外国人に聞かれたことがあります。なんでも彼の周りだけでも
4人の日本人の女性がそういう過去があるそうです。

そういう話を聞くと病的で嫌悪感を感じますが、もしかしたら日本は昔そういう奇習が普通(と言ったら語弊がありますが)だったのかもしれないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1073909229/


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身近にある近親者からの性的侵入


 家族というのは実に不思議なものです。同じ屋根の下で暮らしていながら、夫婦の寝室では、性行為そのものが行なわれているのに、他の家族に対しては、その性行為は厳重に隠されてしまうのです。そして、性の匂いを拭い去った家族の生活が、延々と続いて行くのです。このような日常生活の中で、ときとして、親と子の間の性的な境界がゆるみ、本来なら夫婦の間だけで表現されるべき性欲が、子供たちに向かって滲み出していくこともあるのです。そして、それが性的虐待と呼ばれるものへと、少しずつ発展していくこともあるのです。まずは、その具体的な例として、私が目撃した出来事から書き始めてみたいと思います。

 あれは、真夏の暑い日のことでした。強い日差しを浴びながら、人通りのない住宅街を歩いていると、アパートの前の道路で、親子が水浴びをしているのに出会いました。ビニール製の小さなプールを作って、そこに三、四歳くらいの男の子がひとり裸で立っていました。そして、その周囲を三人の主婦たちが取り囲んでいたのです。主婦たちは、なにやら男の子のオチンチンに代わる代わる手を伸ばしては、それをいじくり回しながら、話に夢中になっているようでした。私が近付いて行くにつれて、その会話も聞き取れるようになってきたのですが、「将来これで女を泣かせるようになる」というようなことを言っているのが分ったのです。そして、彼女たちは卑猥な笑い声をたてていたのですが、途中で私が接近していることに気付くと、一斉に顔を伏せて黙り込んでしまいました。顔を下に伏せただけではなくて、強い羞恥心に駆られて、さらに私から顔をそむけるようにしているのです。真ん中にぽつんと取り残された男の子は、何が起きたのかまったく理解できずに、私が通り過ぎて行くのをぼんやりと眺めていました。

 これだけの出来事なのですが、ここにはいろんな意味が含まれています。まず、この主婦たちは、人通りがなかったとは言え、そこが道路という公の場所であるということを忘れるほど、話に夢中になっていたということです。おそらく、男の子のオチンチンという、まだ未発達ではあるものの、男性性器の実物を手に取って、それを品定めしながら、お互いに卑猥な冗談に花を咲かせていたのです。そして、性的な興奮も手伝って、周囲への警戒がおろそかになっていたのでしょう。おそらく三人の主婦うちの一人は、その子の母親に違いありません。自分の息子のオチンチンを、他の主婦たちにもいじらせながら、卑猥な会話によって性的な高揚感を味わっていたのです。もちろん、彼女たちは自分のやっていることの意味を理解してたのです。理解していたからこそ、恥ずかしさのあまりに、私を見るなり一斉に顔を伏せたのです。まさに文字通りに、人に顔向けのできないようなことをやっていたわけです。

 性的な虐待というと、どうしても変質者をイメージしてしまいがちですが、実際にはそんなことはないのです。加害者で、もっとも多いのは、見ず知らずの他人ではなくて、子どもの身近にいる、一見普通に見える人たちなのです。肉親だったり、親戚だったり、近所の人だったり、学校の先生だったりするのです。そして、加害者のイメージとしては、どうしても男性の加害者を思い浮かべてしまがちですが、女性がそんなことをするはずがないと言う間違った思いこみが世間にあるために、女性による虐待が見過ごされていることが多いのではないかと思われます。それに、男性が女性から性的虐待を受けたとしても、それは虐待であるとは受け取られずに、逆に「いい思いをしたじゃないか」と羨ましそうに言われたりする風潮があります。しかし、もしこの場面で性が逆だったらどうなるでしょうか。たとえば、三人のオヤジたちが、幼い女の子の股間に指を入れながら、「将来、男を泣かせるようになるぞ」などと卑猥なことを言って笑っていたらどうなるでしょうか。これはつまり、大人の性的な興味のために、子どもの体が利用されたということなのです。体が性的に利用されたということの影響は、女の子も、男の子も同じなのです。しかし、どうしても世間では、女の子の場合には騒いだりするのに、男の子の場合には、まともに取り上げようとしない傾向があります。しかし、最近、まだ少数ではありますが、女性の加害者の問題や、男性の被害者の問題が取り上げられるようになってきています。この問題は別のところで詳しく書く予定です。

 もう一つのケースを紹介しましょう。これは会社の同僚のことなのですが、この人はたしかに仕事のできる人なのではありますが、ちょっとプライバシーの境界に曖昧な部分がありまして、家庭での出来事を、会社に来て冗談のようなつもりで話してしまうのです。普通なら恥ずかしくて言えないようなことでも、ぺらぺらと話してしまうため、この人の家庭の状態をみんなが知ってしまうことになるのです。その話の中で、幼稚園に行っている娘さんのことで、奥さんからひっぱたかれたというのがありました。幼い娘さんをお風呂に入れているときに、娘さんに自分のペニスを洗わせたというのです。洗ってもらっているうちに感じてきて、ペニスが勃起してきたのですが、気持ちがいいのでそのまま洗わせていると、突然、奥さんが浴室に入ってきて、思いっきり彼の顔をひっぱたいたのだそうです。こういうことを、会社に来て、みんなに冗談めかして話してしまうのです。

 では、このケースでは浴室でどういうことが行われたのか考えてみましょう。幼い女の子が、お父さんと一緒にお風呂に入ると、男と女の体の違いに興味を持つようになることがあります。自分の体にはないオチンチンというものに関心を持つようになるのは自然なことです。そして、その機会に親が適切な知識を与えてやるのも必要なことなのです。しかし、子どもの好奇心を利用して、大人が性的な興奮を得るとなると、これはまったく違う話になってしまうのです。おそらく、彼は性的な興味から、面白半分で娘さんにペニスを洗わせたのでしょう。親子の間で性的なことが行われる場合には、普通は秘密のこととして隠されて行われるのですが、彼の場合には、自分のやっていることの意味を理解していないために、まったく隠そうともせずに、ましてや罪悪感を抱くこともなく、堂々と開けっぴろげにやっていたのでしょう。子どもは、父親のペニスをいじることで、妙な高揚感があって、いわゆるはしゃいだような状態になったのではないでしょうか。そこで、大きな声で「オチンチン」とか「大きくなった」とか、意味も分からないままに叫んでいたのかもしれません。その声を、台所にいた奥さんが聞きつけて、普段の夫の言動からして、浴室で不穏な事態が発生していると感じたのでしょう。そして、浴室のドアを開けてみると、その不穏な事態を目の当たりにすることとなり、思わず夫の顔を力まかせにひっぱたいてしまったのでしょう。そして、おそらく子どもをすぐに夫から引き離したことでしょう。

 果たして、このような出来事は、この一回だけで終わるのでしょうか。幼い娘さんは、こういう父親と大人になるまでの間、ずっと一緒に生活していかなければならないのです。その間に、さらにいろいろな出来事があって、そのたびに性的な境界が少しずつ曖昧にされて行くことでしょうし、その他にもさまざまな影響を受けていくことになると思われます。

 ここで、性的虐待という言葉の意味をはっきりさせておきましょう。性的虐待というのは、いま書いた二つのケースのように、親などの立場の強い人が、子どもなどの弱い立場の人を「性的に利用する」ということなのです。どうゆうふうに利用するのかというと、大人が性的な刺激を得るために利用するのです。しかし、子どもを利用するにあたっては、暴力や脅しを使うというパターンもありますが、近親姦のような性行為にまでは行かないような場合には、日常的な何気ない行動を装って行われることが多いのです。たとえば、よくあるのが入浴の時に子供の体を洗ってやる場面です。まだ幼くて自分で体を洗えないような子どもは、たしかに親が洗ってやらなければならないのですが、ここに微妙な状態が発生することがあるのです。親であるとは言っても、子どもの性器に多少は興味を持つこともあるでしょう。しかし、中には体を清潔にするという大義名分のもとに、必要以上に念入りに子どもの性器を洗ったりする人もいるのです。浴室という、閉ざされた密室の中で、子供の体を清潔にするという言い訳のもとに、親が性的な刺激を得る目的で、自分の子どもの体を洗うのです。幼い子どもは、自分がされていることの意味をまだ理解出来ませんし、親の方も、ちょっとしたイタズラ、あるいはちょっとふざけてみただけ、というような軽い気持ちでやっているだけなのかもしれません。しかし、ここには、自分の子どもを、性的に利用しているという「虐待」の一面が顔を覗かせているのです。

 その他にも、子どもは成長するのに従って、さまざまな独り立ちを体験していきますが、それを妨げるような形で行なわれることもあります。たとえば、子どもが一人で寝るようになるとか、一人でお風呂に入るようになるとか、そういう自立的な行動が、親の寂しさを埋め合わせるために妨害されてしまうのです。そして、ときにはそれが性的な色彩を帯びてくることもあるのです。

 普通、何歳で一人で寝るようになるのかといった資料は持ち合わせていませんが、子どもが一人で寝るようになってもいい年齢に達しているにもかかわらず、いつまでも一緒に寝ている親子もいるのです。たとえば、息子が中学生なっているにもかかわらず、母親と一緒に寝ているようなケースもあるのです。思春期になれば、当然、性的な意識も目覚めてきますので、ただ単に一緒に寝ているだけで性的な意味はないのだとは言っても、息子の心の中には、母親の体から立ち上る「女」の匂いへの関心が少しずつ芽生えていくのです。親と子の間には、別々に寝るようになる時期というのがあるのですが、たとえば夫の不在とかの理由で、母親が自分の寂しさを紛らわすために、子供が成長を無視して一緒に寝ることで、密着感を得ようとすることもあるのです。こんなふうに、親に利用されて育った子どもは、自立へのステップをうまくクリアできない可能性が高くなってしまうのです。

 一人寝と同じように、一人でお風呂に入るようになるのも、自立へのひとつのステップとなるわけですが、ここにも自立を妨害をしようとする親がいるのです。そして、お風呂の場合には、裸になりますので、性的な要素が入りやすくなってきます。たとえば、小学生の高学年になっているにもかかわらず、母親が息子と一緒に入浴したり、息子の性器を「清潔にする」という名目で、母親が必要以上に丁寧に洗ったりするケースもあります。

 このようなことは、父親と娘の間にも時々見られます。娘と一緒に入浴することを、親子のコミュニケーションを取るためだとか、適当なもっともらしい理由をつけるのです。もう胸が膨らんできて、父親と一緒に入浴するのが不適切な年齢に達しているにもかかわらず、うまく言いくるめてしまうのです。娘の方でも、まだ世間知らずで、中学生や高校生になっているのに、風呂には父親と入るものだと思っていたりするケースも、ときにはあるのです。しかし、学校の友達との会話で、お風呂の話題になったときに、父親と一緒に入浴しているということを、何の疑問も持たずに話してしまい、その結果、友達から、異常だとか、父親が変態だとか言われて、強いショックを受けたりすることになるのです。たしかに、父親との入浴に性的な雰囲気は一切無かったとしても、父親の方としては、娘の成長してゆく肉体を眺めて、秘かに楽しんでいたわけです。つまり、自分の楽しみのために、娘をだまして利用していたことになるのです。一方、娘の方は、世間の常識を知ったことでその異常性に気づき、裏切られたという思いを抱きます。子どもというのは、親は自分のためになることをしてくれるはずだという期待を持ちますが、ただ単にそれが裏切られたというだけではなくて、自分の体が親の身勝手な楽しみのために利用されていたのだということも分かって、二重に裏切られた気持ちになるのです。

 自立心が正常に発達していけば、友達からバカにされるという思いが出てくるようになって、適当な年齢になれば、自分の方から一人で入浴すると言い出したりもするのですが、親にうまく利用されている場合には、このような自立心がなかなか育たなかったりします。それに、自分の体なのに、いつまでも親に洗ってもらっていたりしますと、自分が自分であるという感覚もあいまいになっていきますし、成長に伴って発生してくる「性的なプライバシー」も歪められてしまうのです。この、性的なプライバシーの発達は、自分といものを確立するための重要な要素となってくるのです。このような性的なプライバシーについても、親から尊重してもらえずに、侵害されてしまうこともあるのです。よくあるのが、年頃になった娘の裸を見たがる父親が、「つい、うっかりと」浴室のドアを開けてしまうケースです。そして、「ごめん、ごめん」と言って、笑ってごまかしたりするのです。父親の方としては、冗談の延長のような軽い気持ちでやったりするのですが、見られてしまった方としては不愉快な気持ちが残ります。思春期になれば、そういうわざとらしい行動の意味を理解するようになるからです。

 このような性的なプライバシーへの侵害は、娘が部屋で着がえをしているときにも行なわれます。「つい、うっかり」ノックするのを忘れてドアを開けてしまった、というようなパターンです。しかも、着がえをする時間を見計らったかのようなタイミングで、ドアを開けるのです。さらに、もっと侵略的な親になりますと、子どものプライバシーを侵害するために、もっと強力な方法を使ったりします。家が狭くて収納場所がないという理由で、子供の部屋の押し入れなどに、親が普段よく使うような品物をしまっておくのです。そして、それを取りに行くという口実で、頻繁に子供の部屋に出入りするのです。これは、子どもにとってはたまったものではありません。こうなると性的なプライバシーだけではなくて、「自我」への侵略を受けることにもなるのです。このような度重なる侵略は、自分というものの境界を確立できずに、自他の区別があいまいなまま成長することにもなっていくのです。

 性的なプライバシーへの侵害は、親が自分の性的な部分を露出するという形で行なわれることもよくあります。たとえば父親が風呂上がりに、腰に巻いていたタオルが「偶然」落ちてしまい、年頃の娘にペニスを見られてしまうというようなケースです。たしかに、偶然そうなることもあるでしょう。しかし、親が性的な刺激を得るためにわざとそうしたのなら、意味は違ってくるのです。ここには、隠された露出症的な意味合いが含まれてくるのです。他にも、たとえば、母親が湯上がりの着がえを持ってくるのを忘れたと言う口実のもとに、あらわな姿で思春期の息子の前を行ったり来たりするとか、あるいは、父親が湯船につかってから、石鹸を忘れたとか、タオルを忘れたとか言って、娘に持ってきてもらい、ドアを開けたときに、自分の股間をさらけ出したりするのです。

 このような行為は、すべて正当な言い訳のものとに実行されるのです。実際に石鹸を忘れることもあるでしょうが、たとえ意図的に忘れたとしても、いくらでも偶然を装うことが出来るのです。しかし、ときには冷静になって考えてみれば、その不自然さが浮かび上がってくるようなこともあります。たとえば母親が着替えをするときに、息子にスカートのジッパーをしめてもらうとか、ブラのホックを留めてもらうような場合です。急いでいたからとか、いろいろな口実もあるでしょうが、急いでいるのなら自分でやった方が早いでしょう。あるいは、父親が腰痛になって娘に湿布薬を貼ってもらうときに、必要以上にお尻を露出させるとかいうケースでは、果たして自分で鏡を見ながら貼ることが出来ないのかとか、そんなにお尻の方まで露出必要があるのかとかいう疑問も出てきます。

 これらの露出症的な行為に共通しているのは、性的な誘惑の存在です。しかし、親としてもあまり大胆な行動に出るにはためらいがあるのです。親子間の性的なタブーを犯そうなどという、そんな大それた考えはないのです。ですから、何気ないような日常の行動を装うのです。そうすればいくらでも言い訳が出来ますし、罪の意識も持たなくて済むのです。ですから、たとえば息子にブラのホックを留めてもらっても、息子が母親の体をじっと見つめていたりしますと、「いやらしい目で見ている」と言って、冷たく突き放してしまうことも出来るのです。こうすることで、ただ単に着替えを手伝ってもらってただけなんだという、正当な言い訳が成立するのです。しかし、息子の方としては、誘惑を受けながら同時に禁止されるという、非常に矛盾したメッセージを同時に受けとることになり、このようなことが繰り返されるに従って、徐々に根の深い性的な葛藤を抱え込むようになっていくのです。

 このような、もっともらしい言い訳というのは、立場を逆転するために使われることもよくあります。たとえば、父親が幼い娘とプロレスごっこをして遊んでいるときに、父親の手が妙に娘の性的な部分ばかり触っているのを、母親が不自然に思ってとがめたりしたしても、「これはただの遊びであって、お前がいやらしい目で見るから、そういうふうに見えるんだ」と言いくるめるのです。そして、さらに、「いやらしい目で見ているお前の方が、おかしいのだ」と反撃するのです。

 このような、反撃は、たとえば、「偶然」裸を覗かれて不愉快になっている娘に対しても、「裸は自然で美しいものなんだ。見られて恥ずかしがったり、不愉快になったりするのは、お前の方がいやらしいことを考えているからなんだ」と、逆に強引に押し切ったりするのです。そして、性的なプライバシーの侵害が行なわれているにもかかわらず、まるでなんでもないような自然なことにしてしまうのです。このようなやり方は、イジメのやり方と同じなのです。あくまでもふざけているだけなんだ、ということにするのです。もしも、イジメではないのかと抗議しても、冗談の分からないヤツだと言うことで、ごまかしてしまうのです。性的な虐待も、これと同じようにして行なわれることが多いのです。こういう状態にさらされ続けていますと、性的な境界が混沌としたものになって行くのです。

 もちろん、このような性的な侵略は、言葉によるカラカイという形で行なわれることもあります。生理が始まった娘に、卑猥な冗談を言ってみたり、成熟していく肉体に対して「色気付きやがって」などというひどい言葉を浴びせたりするのです。このような言葉によって、自分の体に対する嫌悪感を植えつけられていくのです。

 それから、性的な露出で、子どもに非常に大きな影響を与えるものに、夫婦の性生活をそれとなく露出するというパターンがあります。寝室のドアを「うっかりと」閉め忘れたことにして、子どもたちに覗き見をする機会を与えるとか、自分達のセックスの声が聞こえるようにしたりするのです。このようにして、覗かれたり、あえぎ声を聞かれたりすることで、自分たちの性的な興奮を高めようとするのです。日本の住宅事情を考えてみれば、たとえ意図的ではなくても、子どもたちへの配慮がおろそかになると、性行為の気配に気付かれてしまうこともあるでしょう。このような性行為の露出は、子どもに非常に大きな影響を与えます。たとえば性に対する嫌悪感や、羨望、嫉妬、恐怖、あるいは自分だけが除け者にされて見捨てられたような感情などをあおったりするのです。そして、こういう強烈な感情が、子どもの性的な方向性をゆがめてしまうのです。

 しかし、こういったこととは逆に、表面的には性的な要素がまったく無いような形で子供が利用されることもよくあるのです。たとえば、父親が娘に接するときに、まるで妻であるかのようにして接するのです。親子ではなくて、夫婦のような心の親密さを娘に求めて来るのです。娘の方でも、父親の求めに応じて、まるで妻にでもなったかのように振る舞うことで、父親との間に、ある種の一体感のようなものを感じることが出来るのです。別に性的なことをするわけではありません。親と子の立場の違いをなくして、まるで夫婦のような対等な口のききかたをしたり、あるいは、妻ように父親の身の回りの面倒を見てやったりするのです。しかし、妻であるかのように振る舞ったとしても、現実には、父親には本物の妻がいるのです。父親が娘の方に寄りかかっているときはいいのですが、本物の妻の方へ寄りかかって行ったときには、娘はまるで見捨てられてしまったかのような寂しさと、母親への激しい嫉妬を覚えるようになるのです。そして、このような三角関係は、やがて性的な色彩を帯びてくることもあるのです。こうなると、親子の役割や境界が混乱したものになってくるのです。このような混乱は、娘を妻の代用品として利用しようとした父親によってもたらされるのです。娘はこのような混乱の中で、本来の子どもとしての自分を失ってしまうのです。

 このような関係は、母親と息子の間にもよく見られます。仕事などで父親の不在が長引いたり、夫婦関係が希薄なものだったりしますと、母親が自分の寂しさ紛らわすために、まるで夫に接するかのようにして息子に接していくのです。つまり、息子を夫の精神的な代用品として利用するのです。もし、息子が母親の期待に応えようとしても、本物の夫が帰ってくれば、代用品の夫はもう不要になってしまうのです。息子はその時、以前のような本来の息子の役に戻ることも出来ずに、自分が何者なのかという問題に直面することになります。そして、息子は母親との濃厚な一体感を失うこととなり、見捨てられたような喪失感を味わうのです。息子は、やがて父親に対して、「あいつさえいなければ」という思いを抱くようになっていくのです。父親さえ帰ってこなければ、いつまでも母親との、まるで夫婦であるかのような、密着した精神的な一体感を持ち続けることが出来るのです。さらに、母親が夫に対する愚痴や不満をこぼしたりしますと、息子にとっては、それが自分への誘惑に聞こえてきたりするのです。しかし、現実には父親が帰ってきて、母親を独り占めしたうえに、さらに性的な関係まで持ってしまうのです。そして、息子は激しい嫉妬を抱くのです。息子の心の中で、母親を独り占めにしたいという願望が次第に大きくなっていくのですが、このような願望は、父親との関係を危険なものにしてしまいますので、心の中に深く抑圧されることになるのです。

 このような、代用品としての夫や、代用品としての妻の役をやらされて、ずっと親から利用され続けていますと、やがて自分が何者なのか分からなくなっていきます。親としては、子どもを利用しているなどという意識はなくて、ただ寂しかったり、話し相手が欲しくて、子どもにべったりと寄りかかって行くだけなのです。子どもの方は、薄々自分が利用されているという持つこともありますが、何とか親の期待に応えようとして、代用品ではなくて、本当の夫や妻になりたいという願望を抱くのです。そして、現実にはかなうはずのないこのような願望が、さまざまな葛藤を作り出して行くのです。

 このように、性的な出来事が無くても、少しずつ「近親相姦」的な感情が、植えつけられていくのです。ですから、もしも、子どもの方から親に性行為を仕掛けていったとしても、それ以前の段階で、親からの長期間にわたる刷り込みが行なわれているのです。日々の暮らしの中で、境界が少しずつ緩んでいって、親に対して性的な願望を抱くようにと仕向けられて行くのです。表面的には「相姦」のように見えても、そこに至るまでの、代用品として利用され続けていた、長い長い日々の積み重ねがあるのです。

 このような、親からの性的な接近には、ほかにもさまざまなパターンがあります。親からだけではなくても、きょうだいの間でも、たとえば、お医者さんごっこなどがエスカレートしていって、性的な虐待になったりすることもあります。いずれにしても、性行為に至らなくても、家族内での役割が混乱したり、性的な境界があいまいなものになったりしますと、それがさまざまな影響を子どもに与えることになるのです。そして、もし実際に性行為にまで進んでしまった場合には、さらに複雑で強烈な影響を与えることになるのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/1mijika.html

近親相姦タブーと性的境界


 人間の性行動の調査をするときには、「性の秘密」という厚い壁に阻まれてしまい、その実態をつかむことが非常に困難であります。そこで、近親相姦タブーの問題を考えるにあたって、そもそも人間はなぜ隠れて性交するのかという問題から考えてみたいと思います。

 人間に近い動物であるサルは、堂々とみんなの見ている前で性交するのですが、最近、野性のチンパンジーの観察で非常に興味深いケースが報告されています。これは、極めてまれなことなのですが、群れの中で地位の低いオスが隠れてメスと性交していたというのです。観察によると、どうやらみんなのいる所で性交していると、地位の高いオスが割り込んできて、メスを横取りされることがあることから、それを避けるために隠れて性交しているらしいのです。これは、人間の性行動を考えるうえで、非常に示唆に富んでいると言えましょう。つまり、隠れて性交するということは、地位の低いサルであっても、子孫を残すチャンスが得られるということです。サルの観察でも、弱い者同士が群れを離れて別の群れを作るというケースも観察されています。ですので、おそらく人間もこれと同じように、弱い者同士が集まって、なるべく平等な集団を作ろうとしていく過程のなかで、性交もお互いに隠れてすることによって、子孫を残す機会を平等に分け合うようになったのではないか、というふうに私は推測しています。そして、隠れて性交することによって、メスとの継続的な夫婦関係や、夫婦の持ち物としての「家族の財産」といった観念が発達していったのではないかと思われます。つまり、性は公開すべきものではなくて、プライベートなものであり、隠すべきものであるというふうに位置づけることによって、そこから個人の所有の観念や、夫婦や家族などの観念が発達していったのではないかと思います。

 人間の社会にも、かつて二百数十年くらい前までは、乱交社会というのが現実に存在していまして、あの大航海時代にキャプテン・クックが初めてタヒチ島に上陸したときには、そのあまりのありさまに、ビックリ仰天しているのであります。そして、彼等が島に上陸したときに非常に困ったことは、露骨な誘惑もさることながら、島民には「所有」という観念が希薄だったということです。ですから、個人の所有物であろうと何であろうと、みんな勝手に持っていってしまい、それで島民との間でトラブルが多発することになったのです。西洋から来た人たちにとって、これはまさに泥棒行為そのものなのですが、島民にとっては何でもないことだったのです。このような所有の観念があまり発達しなかった背景には、やはり乱交による性の共有というのがあるのではないかと思われます。集団のしきたりとして、特定の異性とだけ性交することが許されず、頻繁に相手を変えて性交しなければならなかったのです。しかし、このような乱交社会であっても、若いうちはいいのですが、歳をとってくるとやはり特定の異性に愛着を持つようになるようでして、なかでも地位の高い人たちには夫婦のような関係になることも黙認されていたようです。このような乱交社会というのは、現代の我々の社会と比較すると、興味深い事がたくさんありますので、これはまた別の機会に書くことにします。

 さて、このような所有という観念も、発達の仕方がいろいろとありまして、それが性的な関係にも色濃く反映されることになるのです。たとえば、その最たるものに、家族の財産を誰が引き継ぐのかということがあります。男が代々財産を引き継いでいくのが父系社会であり、女が引き継いでいく場合が母系社会となるのです。この、両者の間には、性関係のあり方にも大きな違いがあるのです。たとえば、父系社会では、男が家の財産を継いでいきますので、生まれてくる子供は間違いなく父親の子どもでなければならないのです。妻が浮気をして作った他人の息子では困るのです。そこで、間違いなく妻に自分の子どもを産ませるために、いわゆる純潔だとか貞操観念だとかいった性道徳が発達することになるのです。そして、たとえば、結婚するまでは処女でなければならないとか、女は男を産んでこそ一人前の女であるとか、性的に活発な女はふしだらな女であるとか、そういったさまざまな価値観が、父系社会を支えるために発達していくのです。

 しかし、母系社会では様子がだいぶ違ってくるのです。女性の場合には、自分の子どもというのは、当然のことながら自分自身が産むわけですので、父系社会の父親ように、本当に自分の子どもなのかというような疑いを持つ必要はまったくないのです。ですので、子どもの父親がどこの誰であろうと、自分で産んだ子は、疑いもなく自分の子どもなわけです。このようなことから、母系社会では性に関しては全体的に開放的な傾向が見られるのです。そして、女が財産を継いでいきますので、産んだ子が男ですと「ハズレ」ということになってしまうのです。そして、女は女を産んでこそ一人前の女となるのです。

 このようなことは、民族によって風習やしきたりなどがさまざまなのでありすが、おおざっぱに言いますと、父系社会と母系社会にはこのような違いがあるのです。しかし、母系社会だからといってかならずしも女が威張っているわけではなくて、なかには、女は男の前を横切るときには四つん這いにならなければならないというような、非常に変わったしきたりのある母系社会もあるのです。

 さて、このようにして人間はさまざまな文化や性道徳を発達させていったのですが、では次に家族内での性関係はどうなのかという事について考えてみたいと思います。なぜ近親者の間では性行為や、婚姻関係を結ぶことが禁止されるのかという、いわゆる近親相姦タブーの問題です。これにはいろいろな説がありまして、だいたいみなさんは、すぐに遺伝の問題を思い浮かべると思いますが、どうもこの説にはあまり説得力がないのです。たしかに近親婚を繰り返すことによって、遺伝的に問題を持った子供が生まれる確率は高くなるとは思われますが、それは統計を取ってみて初めて分かることでして、乳幼児の死亡率が非常に高かった時代においては、死亡の原因が近親姦によるものなのか、病気などによるものなのかを区別することが不可能だったからです。では、現在では、近親姦による遺伝の問題はどうなっているのかというと、研究者によって非常に大きなバラツキがありまして、現在においても確かな事は分かっていないのです。たしかに、両親が最初から遺伝的な問題を抱えている場合には、それが子どもに遺伝していくことになりますが、そういう場合を除けば、おそらく今の高齢出産の危険率と同じくらいではないかという人もいますし、いや、もっと高いはずだという人もいます。相手が人間ですので、実際に交配して実験してみるわけにも行きませんので、おそらく危険率は高くなるだろうとは思われますが、それがどれくらいの数字になるのかということはまだよく分かっていないのです。しかし、歴史を振り返ってみますと、たとえば古代のエジプトでは、きょうだい婚による王位の継承が何代にもわたって続けられて、かのクレオパトラもそのようにして生まれてきたわけですし、クレオパトラ自身も実の弟であるトレミーと結婚しているのです。そして、遺伝的には何の問題もないのです。インカ帝国においても14代にわたってきょうだい婚が繰り返されましたが、健康上の問題は起きていません。その一方で、ヨーロッパの王家は、近親婚による血友病という遺伝的な問題を抱えていて苦しんだようです。

 では近親相姦タブーはなぜ存在するのかというと、いろいろな説がある中で、「社会化」説が一番説得力があるのではないかと思われます。これはどういうことなのかといいますと、家族の外部の人と結婚することで、親戚が増えることになりますので、このような社会化によって、たとえば農作業などの人手が必要な時に、親戚同士で助け合うことが出来ますし、食べ物やお金に困っているようなときには、お互いに融通し合うことも出来るのです。このように血の繋がりを家族の外部の人たちに解放することによって、みんなから社会の一員として受け入れられることになるのです。しかし、これを拒否して閉鎖的な近親姦をしていますと、それは社会化への拒絶となりますので、このような反社会的な行為は忌み嫌われることになるのです。しかし、これとはまったく逆に、強大な権力や莫大な財産を持っている人のような場合には、親戚が増えれば権力や財産が分散してしまいますので、古代エジプトのファラオのように、近親婚を繰り返すことで、自分たちの独占的な利権を守ろうとするのです。そして、近親婚を、王に許された神聖な婚姻であるとして、それを正当化したりするのです。

 このように、社会化がタブーの背景にあることから、そのタブーの範囲をどこまでとするのかということも、その社会の文化や価値観によって違ってくることになるのです。そこで、まず日本の現在の状況について言いますと、法律によって、直系の血族と、傍系の血族で三親等以内の人との結婚は禁止されているのです(備考欄に条文掲載)。ここで直系というのは、たとえば自分の両親、祖父母、曾祖父母というふうに、親をさかのぼって行ったり、あるいは自分の子ども、孫、ひ孫というふうに子どもをたどっていったりする、上下の垂直の血の繋がりのことで、これは何親等であろうと禁止されています。さて、ちょっとゴチャゴチャしてきますが、次の傍系というのは、直系の人たちの兄弟姉妹や、そこからさらに先に伸びていく血の繋がりのことを言います。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係はどうなるのかと言いますと、これは直系ではなくて傍系ということになるのです。そして、何親等になるかと言いますと、親等の数え方は、私−親−私の兄弟姉妹、というふうに血の繋がりをたどるときに、一度親のところに戻って、それから兄弟姉妹のところに行くという数え方をしますので、2親等ということになります。そして、法律ではこの傍系の血の繋がりについて、3親等以内が禁止の対象になっているのです。

 私 −−−−−−−−−−−− 0親等
 私の両親 −−−−−−−−− 1親等(直系)禁止
 私の兄弟姉妹 −−−−−−− 2親等(傍系)禁止
 兄弟姉妹の子である甥や姪   3親等(傍系)禁止
 さらにその甥や姪の子ども   4親等(傍系)結婚可能

 ということになりますが、いくら法律上は結婚可能であるとは言っても、その年齢差を考えてみるとどうなんでしょかね。そこで、自分の年齢に近い線を探るのであれば、親のルートをたどることになります。
 私 −−−−−−−−−−−−− 0親等
 私の両親 −−−−−−−−−− 1親等(直系)禁止
 私の祖父母 −−−−−−−−− 2親等(直系)禁止
 その子、つまり両親の兄弟姉妹  3親等(傍系)禁止
 さらにその子、つまり私のいとこ 4親等(傍系)結婚可能

 ということで、いとことなら結婚できることになるのです。もしも、自分に配偶者がいるときには、配偶者の両親などは、血族ではなくて「姻族」というふうに呼ばれ、姻族については、直系についてだけが禁止の対象になっています。ですので、たとえば妻が亡くなった時は、夫は妻の妹と結婚することもできるのです。しかし、妻の母親、つまり義母は直系の姻族ということになりますので、結婚はできないのです。こういった、結婚できるかどうかという問題については、その他にも離婚や再婚をした場合とか、養子をもらった場合とかに、いろいろと複雑な組み合わせが発生してきますが、そこまで突っ込んで調べていくと、私も疲れてしまいますので、このへんでやめときます。
 さて、このような、何親等までの結婚を禁止するかということは、それぞれの国によって違いがありますし、時代によっても結婚できる範囲が揺れ動いたりすることもあるのです。なかには、非常にまれなケースではありますが、近親婚や近親姦が社会的に容認されているところもあるのです。たとえば、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンの間では、農作業の事情と経済的な理由から、今でも父と娘の近親姦が普通に行なわれているそうですし、ジャワのカグラン族では母親との近親姦は繁栄をもたらすとされ、カシス族では母と息子の間以外であれば問題なく結婚でき、東アフリカのタイタ族では、経済上の理由から、息子が母や姉妹と結婚することがよくあったそうです。しかし、これらはあくまでも例外的なものでありまして、ほとんどの社会では、近親婚や近親姦はタブー視されているのです。

 この近親婚を禁止しようとする圧力の源となっているのが、先に書きましたように社会化という事なのですが、このことは個人レベルについても言えることでして、個人の社会化、つまり個人が精神的に成長していって、社会的な自立を達成するということでもあるのです。もしも、近親者の間で性行為が行なわれたりしますと、親離れや、子離れが非常に困難になってしまい、それが子どもの精神的な成長を妨げることにもなるのです。ですので、ほとんどの社会では、近親者の間に、何らかの境界を設定して、性の秩序を維持しようとしているのです。昔は性の秩序がルーズだった社会であっても、いわゆる「近代化」の波が押し寄せると共に、性の境界が明確にされる傾向があります。そして、このような性の境界の明確化は、同時に近代的な自我の確立を目指すものでもあるのです。

 たとえば、最近の日本では、性の乱れが指摘されることがよくあるのですが、近代化以前の性風俗を見てみますと、今の若い人たちには信じられないようなことが、ごく普通に行なわれていたのです。なかでも特に有名なのが、「夜這い」と言われる風習ですが、知らない人もいるかと思いますので、簡単に説明しておきます。これはおもに農村部で全国的に広く行なわれていたことなのですが、年頃になった娘のいる家に、夜中になると村の若い男が忍び込んでいって娘と交わるのです。昔の農村の家の作りは、ごく簡単なものであり、とくに戸締まりもしていませんので、そっと忍び込んでいって、真っ暗やみの中で娘の寝ている布団を探し出して、そこに入り込むのです。若い娘のいる家では、自分の娘の性を村の男たちに解放しなければならなくなるわけですが、もしも拒否したりしますと、村八分ということになって除け者にされてしまい、村に住んでいられなくなってしまうのです。このような夜這いは、嫁選びという意味もありますし、過酷な農作業の合間におこなわれる楽しみのひとつでもあったのです。このような村社会における女の性というのは、男たちの共有財産のように位置づけをされていたのでが、こうすることによって村の連帯感強め、水争いや百姓一揆のときなどに、団結して行動できるようにするという意味もあったのです。しかし、ここには当然のことながら、人権とか、性の自己決定権とかいうものはありません。たとえば、各地にいろんな風習があったのですが、新潟県の三条市の周辺では、明治のはじめころまで「盆かか」という風習が残っていたそうでして、お盆の三日間だけの妻になる人を、くじ引きで決めるのです。男たちは、組み合わせが気に入らないときには、男同士で互いの相手を交換する交渉をしていたそうなのですが、女性には変更する権利は、一切認められていませんでした。

 他にも、地方によってはフンドシ祝とか、腰巻き祝とかいうのがあって、親戚の年長者が若者に性の手ほどきをするとかいうのもありますし、あるいは、若い男たちが夜這に行って恥をかかないようにということで、年配の女性たちが神社などに集まって、若者に性交の実施教育をするというようなことも、地方によっては行なわれていたようです。あるいは、結婚していても、厄落としと称して、祭りの時などに夫も婦も見知らぬ人と交わったりするような風習もあったようです。ほかにもいろいろな風習があるのですが、農村部でのこのような性的にゆるんだ環境下では、おそらく近親姦もそれなりに行なわれていたのではないかと思います。全体的に言えば、子供の父親が誰なのかということにあまりこだわらないような、母系社会的な雰囲気が背景にあって、もしも父親の子どもでないことがはっきりしているときには、「祭りの子」などと言って済ませていたようです。しかし、このような淫靡な風習は、明治時代から始まる近代化の波が押し寄せるて来るに従って、しだいに消滅していったのです。

 そして、近代化と共に、「近代的な自我」の確立が求められるようになっていくのですが、これはつまり、人間としての、あるいは個人としての、自立した精神の確立が求められるようになって行くということなのです。社会においても、家庭の中においても、性の境界が設定され、性のプライバシーが尊重され、性の自己決定権が尊重され、そして個人の人権が尊重され、精神的な自立が促されるようになっていくのです。しかし、これは一つの理想でありまして、人間の心の中には、暗いドロドロとした欲望が渦巻いていたりしますので、時には歪んで屈折した心が、陽の当たらない場所で、毒々しい悪の花を咲かせたりすることもあるのです。

 しかし、1970年代にアメリカで「性革命」と呼ばれる性の解放運動が起こり、それと共に、今まで家族の秘密として厳重に隠され続けて来た近親姦の問題も、その暗いベールが剥がされて、社会の表舞台に登場することになったのです。そして、虐待的な近親姦の悲惨な実体も、世間に知られるようになっていったのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/2taboo.html

近親姦の実態について


 実際に起きている近親姦の実態とは、どのようなものなのかと言いますと、どうやら近親姦にはおおざっぱに言って、「虐待」的な要素と、「お気に入り」的な要素の、両極端の二つの要素があるように思います。虐待的な要素というのは、言葉の暴力や、肉体的な暴力などを伴いながら、強制的に行なわれる性行為のことです。もう一方の、お気に入り的な要素というのは、いわゆる「お父さん子」とか言われるような、親子の親密で良好な関係を利用しながら行なわれる性行為のことを言います。この二つの要素は、それぞれが単独で現われるケースもありますが、二つの要素が複雑に入り混じっているようなケースもたくさんあるのです。

 ではまず最初に、虐待的なケースから書いていきましょう。これは、いわば家庭内レイプのようなものなのですが、通常のレイプ事件と違う点は、被害者には逃げ場がないということです。通常のレイプ事件というのは、もちろん被害者にとって非常にショックな出来事であり、精神的にも非常に大きなダメージを被るわけですが、それでも被害者には帰る家がありますし、そこには自分の寝室があり、自分のベッドや布団があるのです。しかし、家庭内で発生するレイプの場合には、どこにも安全な逃げ場がないのです。夜、眠っているときに、父親が勝手に寝室に侵入してきて、脅迫しながら力ずくで強姦したりするのです。そして、通常のレイプと大きく違う点は、被害者は子どもであり、しかも犯人は、自分を育ててくれている実の親なのだということです。つまり、被害者である幼い子どもは、犯人である親と一緒に生活しなければならないのです。まだ幼い子どもは、衣食住のすべてを親に依存しなければなりませんので、このような逃げ場のない状況が、さらに大きなダメージを与えることになるのです。

 さらに、家庭内レイプには、虐待的な行為が含まれてくるのです。たとえば、父親が幼い娘の膣に、むりやりペニスを挿入しようとして、膣口が裂けてしまったケースの写真を見たことがありますが、いったい、この親はなにを考えているのかと言いたくなるようなことが発生したりするのです。虐待的な親たちは、こいう唖然とするような非常識きわまりない行為を、性的な衝動に駆られたままに、平気でやってしまうのです。

 虐待は、このような性交を強要するものばかりではありません。幼い子供に対しては、ペニスをマッサージさせたり、フェラチオを強要したり、精液を飲むように言ったりするのです。もしも、子供が性的なサービスを拒否したりしますと、罵詈雑言を浴びせて、子どもの心をズタズタにしたり、浴室に連れ込んで、頭から小便を浴びせたり、あるいはトイレに連れて行って、泣き叫ぶ子どもの頭を便器の奥へ押し込んで、その上から水を流して溺れそうにさせたりするのです。ほかにも、肛門にアイスピックを挿入して直腸に穴をあけたり、膣や肛門への異物の挿入、さらに殴る蹴るだけではなくて、裸にして縛って部屋に監禁したり、食事を与えないで放置したり、何回も妊娠させて、そのつど子どもに嘘をつかせて堕胎を繰り返させたりするのです。このようにして、虐待的なケースでは、子どもの人間としての人格は完全に無視されてしまい、性的なオモチャのように扱われたりするのです。

 こういうケースでは、親は教育という名のもとに、子供のあら探しをすることがよくあります。そして、子どものやることに難癖をつけて、子どもを罰しようとするのです。そして、そのつど罰として性行為を強要して行くのです。このような親は、あらゆる思考が性行為へと結びついていくのです。このような虐待的な親の特徴としては、言うことがコロコロと変わったりして、非常に気まぐれなところがあったり、あるいは突然、怒りを爆発させたりするようなところがあるようです。怒りが暴走してしまいますと、親は自分でも感情をコントロールすることができなくなってしまい、場合によっては激怒に駆られて、突然子どもの首を絞めたりするようなこともあるのです。そして、このようなケースでは、首を絞めている途中で子どもが静かになってから、はっと我に返ったりするのです。まさに、殺人の一歩手前まで行ってしまうのです。このような、親の衝動的な行動というのは、まったく予測不可能な面があるために、子どもはいつどんなことをされるか分からないままに、常に虐待の不安にさらされることになるのです。

 こういう虐待の被害者というのは、言っておきますが、まだ幼い子どもなのです。たとえ、大人がこのようなひどい扱いを受けたとしても、精神的に大きなダメージを被ることになりますが、まだ幼い子どもたちは、大人以上に大きなダメージを被ることになるのです。普通の家庭の子どもであれば、テレビで「ドラエモン」だとか「サザエさん」だとかいう、平和な家族を描いたマンガなどを見て、無邪気に楽しんだりするのでしょうが、同じ年頃の子供たちの中には、親からフェラチオを要求されたり、むりやり強姦されたり、便器の中に頭を突っ込まれたり、首を絞められて殺されそうになったりしている子供たちがいるのです。「家族」という閉ざされた扉の奥で、このような虐待行為が行なわれているのです。しかし、それでも、子どもたちは生きていかなければならないのです。どんなにひどい家族であっても、子どもたちはそこで生きていかなければならないのです。その環境の中で、なんとかして生きて行く方法を考えなければならないのです。

 そして、その生きて行くための方法のひとつが、「心を凍らせる」ということです。心が何も感じなくなってしまえば、もう苦しむこともないのです。たとえば、手術のときに麻酔をかけて、痛みの感覚を麻痺させてしまうように、子どもは、自分の心を凍らせて、感情を麻痺させてしまうのです。そうすれば、心をズタズタに切り裂かれたとしても、もう何も感じなくなってしまうのです。なにも感じなくなってしまえば、虐待にも堪えることが出来るのです。そして、卑劣な親から強姦されるという、こういう忌まわしい出来事は、すべて忘れてしまえばいいのです。心を凍らせて、何も無かったことにしてしまえばいいのです。そうすれば、もうそのことで苦しむこともなくなるのです。このように、心を凍らせてしまうという行為は、激しいショックによって自分が発狂してしまわないようにするための、ひとつの安全装置として作用するのですが、しかし、後で詳しく書きますが、これが大人になってから、さまざまな心の障害となって現われて来るのです。

 さて、虐待的なケースについて書いてきましたが、これとはまったく正反対の位置にあるのが、いわゆる親の「お気に入り」になるようなケースなのです。この、お気に入りタイプでは、言葉による暴力や、肉体的な暴力はほとんど見られません。なぜかといいますと、親は子どもとの良好な愛情関係をうまく利用しながら、性行為へと誘導するからなのです。子どもは最初は少し抵抗を示すこともありますが、最終的には消極的ながらも、親との性行為を受け入れてしまうのです。あるいは、このような消極的な態度ではなくて、時として子どもの方から積極的に親を誘惑するようなケースもあるのです。このようなお気に入りタイプの子どもというのは、親と性的な関係を持つことによって、家族内でさまざまな特権を獲得していくことになるのです。たとえば、親の愛情を独り占めにすることができますし、自分の欲しいものを優先的に買ってもらったり、親との肉体関係を利用しながら家族内の人間関係を操作したりして、自分が家庭の中で中心的な存在になったりするのです。

 このような、お気に入りになってしまう子どもというのは、親との性行為を楽しんでいるようにも見えますし、親との間に濃厚な恋愛感情があったり、あるいは、まるで夫婦のような状態になったりするのです。しかし、子どもが大人になってから、自分のしてきたことやされてきたことの意味を知って、そのショックから精神的にボロボロになったりすることもあるのです。あるいは、いつまでたっても親との性行為を断ち切ることが出来ずに、自立の問題で苦しむことになるのです。たとえば、自分に恋人が出来たときに、親から妨害されたりして、なかなか親離れをすることが出来なかったりするのです。あるいは、たとえ親との肉体関係を終了させることが出来たとしても、精神的な分離や自立の問題を抱えることになるのです。

 お気に入りタイプでは、なぜ親が性行為へと誘導したのかといいますと、親が自分の子どもを、性的に利用したかったからなのです。親が勝手な都合によって、自分の子どもを利用しているだけなのです。こういう親というのは、子どもの自立の問題だとか、近親姦によって生じる心の問題だとか、そういうことはまったく考えていないのです。親は、性教育だとか、子どもへの愛情表現だとか、いろいろなことを言ったりしますが、それは言い訳にしか過ぎないのです。親は、ただ自分の性的な願望が満たされれば、それでいいのです。そのために、子供をうまく利用するのです。ですから、子どもが大人になって、性行為の意味を理解できるようになると、それに伴って、親が自分の体を利用していただけなんだという事も、理解できるようになるのです。そして、親の裏切り行為を知ったショックから、精神的に苦しむことになるのです。

 たとえ親が、「子どもの方から誘惑してきたんだ」と言ったとしても、大人同士の関係ならばともかく、子どもと大人の間では、このような言い訳は成り立たないでしょう。もし子どもが「あんなヤツ、殺して」と言ったら、子どもに言われるままに人を殺してしまうのでしょうか。善悪の判断をつけなければならないのは大人であり、それを子どもに教える責任が、親にはあるのです。

 こういうお気に入りタイプの近親姦の中には、ときとして歪められてしまった愛情や性欲のままに、親やきょうだいとの関係をいつまでも続けていくケースもありますし、なかには、近親姦の体験が自分にとっては有意義だったと言う人や、近親姦による悪い影響は何もなかったと主張する人たちもいるのです。しかし、こういう人たちの実態というのは、まだほとんど分かっていません。

 このように、近親姦には、虐待を伴う悲惨なものもあれば、親のお気に入りになってしまうものもあるのです。そして、実際にはこのような両極端な二つの要素が、複雑に絡み合っているような、中間的なケースもたくさんあるのです。たとえば、児童相談所などでの事例を見ますと、性交を強要する親に対して嫌悪感を抱いているにもかかわらず、ときには欲しいものを買ってもらったり、あるいは、今までほとんど親と話をしたことがなかったのに、関係を持つようになってからは一緒に食事に行くようになったりして、憎いはずの親に対して愛着を抱いたりすることもあるのです。こういう家族内の人間関係には、正反対の矛盾した感情が非常に複雑に絡みあっていたりするのです。

 このような近親姦の発生状況を見てみますと、赤ん坊の頃からずっと行なわれていることもあれば、子どもが思春期になってから発生することもあります。一回だけで終わることもあれば、何回か繰り返されることもありますし、継続的に長期間続くこともあります。そして、両親がそろっている家庭よりは、片親の家庭の方が発生率は高くなります。

 加害者は父親だけではなくて、母親も重要な役割を果しています。たとえば、夫と娘の近親姦に感づいていながら、見てみぬふりをしていたり、あるいは、夫から見捨てられて離婚になることを恐れる妻が、夫を繋ぎ止めるための材料として、娘を夫に差し出したりするようなこともあるのです。そして、最近外国で取り上げられるようになってきた、女性の加害者の問題があります。調査によりますと、従来から言われているような、夫から強制されて、仕方なく息子や娘と性行為をするようなケースよりも、女性が単独で自発的に性的虐待をするケースの方が、どうやらずっと多いようなのです。そして、このような女性の加害者というのは、どうやら想像以上に多く存在しているようなのです。この問題は、後で詳しく取り上げます。

 両親以外の加害者としては、きょうだい、親戚、知人などがあげられます。近親姦が発生する家族というのは、性的な境界があいまいなために、被害者は、複数の加害者から同時に関係を強要されたりすることがあります。たとえば、父親との近親姦と、兄との近親姦が同時に平行に進行していたりするのです。そして、ときには家族全員が近親姦に加わって、家庭内乱交のような状態になるケースもあるのです。それに、近親姦は異性間だけではなくて、同性間の近親姦も結構たくさん存在するのです。こういう近親姦の組み合わせにつきましては、後でそれぞれ個別に取り上げてみたいと思います。

 さて、このような近親姦を犯してしまう親というのは、どんな親なのでしょうか。一般的なイメージとしては精神異常者を思い浮かべるかもしれませんが、実際にはそうではないのです。たしかに、分裂病による精神的な混乱から近親姦に及んだり、知的障害者が近親姦におよぶようなケースもあります。しかし、これらは全体の一部でしかないのです。大部分は、一見普通の人たちなのです。所得や学歴、社会的な地位などには関係なく、近親姦は発生しているのです。しかし、あえて言えば、加害者には境界例的な要素が多分にあるのではないかと思います。たとえば、加害者に見られる性的な境界のあいまいさや、感情の不安定さ、アルコールなどへの依存傾向などは、境界例に通じるものがあります。それに、近親姦の被害者の症状は、境界例の診断基準にあてはまることも多いですし、世代間連鎖によって、被害者がやがて加害者になってしまうことも多いのです。

 次に、近親姦の問題を分かりにくくさせている、「秘密の共謀」という問題について書いてみたいと思います。前回、近親相姦タブーでも書きましたように、人間は進化の過程で隠れて性行為をするようになりましたので、その実態というのはなかなかつかみにくいのですが、近親姦の問題になりますと、秘密の共謀によって、さらに厳重に隠されてしまうのです。つまり、親が近親姦の事実を隠そうとするだけではなくて、子どもも事実を隠そうとするのです。加害者と被害者が、まるで共謀しているかのようにして、近親姦の事実を隠そうとするのです。

 まず親の方ですが、親としてはタブーを犯しているわけですから、もちろんなにがなんでも近親姦の事実を隠さなければなりません。もし、こんなことが他人に知られてしまったら、大変なことになってしまいます。アメリカですと、すぐに警察や福祉機関が介入しますし、親は逮捕されて刑務所に入れられてしまいます。そして、子どもが施設に保護されたり、親の親権が剥奪されたりして、あっという間に家族がバラバラになってしまうのです。アメリカでは、子どもに接する職業の人に対しては、虐待の事実を知った時には通報しなければならないという、罰則の伴った義務が課せられているのです。さらに、そういう職業の人たちだけではなくて、一般の市民の間にも、子どもへの虐待とか性行為というのは犯罪なんだという認識が、広く行きわたっているのです。ですので、もしも近親姦の事実が知られてしまったら、親は法的な処罰を受けるだけではなくて、仕事や社会的な信用なども一気に失うことになったりするのです。日本でも、不充分な形ではではありますが、警察や児童相談所などが子どもの保護に乗り出しますし、それに、もしもこんなことが近所の人たちに知られたり、あるいは妙な噂を立てられたりしますと、異常者あつかいされたり、変態あつかいされて、もうそこには住んでいられなくなってしまいます。ですので、なにがなんでも隠さなければならないのです。

 隠さなければならないという気持ちは、子どもにもあるのです。その理由のひとつは、親からの脅しです。卑劣な脅しや暴力による口封じが行なわれたり、あるいは親がうまく言いくるめたりするのです。そして、子どもは親からの報復を恐れて、口を開かなくなるのです。それだけではありません、子供自身にしても、親からひどいことをされている惨めな自分、親に性行為をさせられている自分、タブーを犯している自分、そういう自分を知られたくないという気持ちもあるのです。さらに、こんな忌まわしいことは忘れてしまいたい、無かったことにしてしまいたいという気持ちもあるのです。

 みなさんの中には、そんなひどいことをされているなら、なんで近所の人とか、学校の先生とかに訴えないのかと、不思議に思う人がいるかもしれません。これは、ふたたびレイプと比較して考えてみれば、理解が得られるのではないでしょうか。とは言っても、レイプの被害者に対しても、単純に「なぜ警察に訴えないのか」と言う人がいますが、被害者にとっては、これは非常に気の重い事なのです。訴えることによって、忘れてしまいたいような出来事に、裁判になったときに正面から向き合わなければならなくなるのです。さらに、自分自身が周囲の人から「レイプされた人」という偏見の目で見られることにもなるのです。こういうことと戦いながら、犯人を訴えるというのは、勇気と決断を必要とすることなのです。もしも、あなたが男性であれば、同性の人からレイプされた場合を想像してみてください。同性からレイプされた人として、警察で事情聴取を受けたり、裁判を戦ったりする勇気がありますか。

 近親姦の場合では、被害者は大人ではなくて、子どもなのです。大人でも訴えるには辛い思いをしなければならないのに、子供の場合には、なおのこと辛い思いをしなければならないでしょう。それに、子供の場合には、子どもの目の高さで物を見る必要があるのです。訴える相手は、他でもない自分の親なのです。生活のすべてを依存している親を訴えるということは、子どもにとっては恐ろしいことなのです。訴えた後、自分の生活はどうなるのかとか、まだ世間というものを知らない子どもにとっては、不安でいっぱいなのです。ですので、自分を絞め殺そうとした親であっても、それでも食事を与えてくれるますので、訴えるなどという見通しの付かないことをするよりは、今のままで堪えていた方がいいのです。

 さらに、このような秘密の共謀には、周囲の人たちの無理解も関係してくるのです。たとえば、もし被害者たちが訴えてたとしてもそんなことがあるはずがないということで取り合わなかったりすることがあるのです。あるいは、大人が精神療法の治療の過程で、幼いころにあった近親姦の体験を語ったとしても、こういう問題に理解のないセラピストたちが、「それはあなたの空想であって、実際には、そんなことはなかったんだ」などと決めつけてしまって、近親姦の事実が闇に葬られてしまうようなことがよくあるのです。これは、考えてみれば実におかしなことなのです。たとえば、患者が「私は若いころ、シンナーをやっていたことがあります」と言ったとき、「それはあなたの空想にしか過ぎないんだ。実際にはそんなことはなかったんだ」などと言うのでしょうか。あるいは、男の患者が、「実は五年くらい前に、女子トイレの盗撮をしたことがあるんです」と言ったら、これも空想だと決めつけるのでしょうか。

 通常の患者への接し方というのは、患者は本当のことを言っているのだ、ということを前提として話を聞くのではないでしょうか。そして、もしも途中で不自然な点や、矛盾した点が出てきたときに、初めて患者の言っていることを疑うのではないでしょうか。しかし、近親姦の場合には、最初から疑ってかかるのはなぜなのでしょうか。その理由としては、次回に書く予定の「逆転移」の問題もあるのですが、他の大きな要因として、近親姦というものが、まだ一般的には「あり得ること」として理解されていないからではないでしょうか。アメリカでは、多数の虐待の通報の中に、近親姦もたくさん含まれているために、実際にあり得ることなんだと言う社会的な認識が作られているのです。そして、たくさんの親たちが、過去の近親姦を子どもたちから告発されて、裁判で裁かれたりしているのです。

 しかし、最近になってこのような行き過ぎた告発への反動として、「偽りの記憶」という問題が社会的に取り上げられるようなってきました。これは、未熟なセラピストたちが治療の際に、過去に近親姦の事実があったのだという方向へ、患者を誘導してしまうことによって発生している問題なのです。そして、裁判になったときに、近親姦の事実関係を巡って、非常に混乱した状況が生まれているのです。そして、無実を主張する親たちが、子どもの記憶に基づいた証言によって、証拠が乏しいにもかかわらず、有罪の判決を受けているのです。その一方で、「偽りの記憶」を主張する人たちの「科学的な実験」にも、いろいろな問題点がありますので、こういった「記憶」の問題に関しましては、次回に詳しく書くことにします。

 では、日本では近親姦は「あり得ること」として認識されているのでしょうか。たしかに七十年代ころから、女性週刊誌などを中心として、盛んに近親姦の告白記事が取り上げられてきましたが、まだまだ「実際に」あり得ることとしては認められていないようです。やはり、なにかの大きな事件などがあって、警察によって近親姦の事実が立証され、さらにそれをマスコミが大きく取り上げて報道したりするようなことがないと、なかなか一般的に認められたと言う状態にはならないのではないでしょうか。

 しかし、日本でも、今から二十年ほど前になりますが、近親姦が絡んでいるのではないかと思われる、非常にセンセーショナルな殺人事件が起きているのです。川崎市に住む、予備校生の一柳展也が、金属バットを使って両親を惨殺したという事件です。当時、この事件は、過酷な受験戦争の影響による殺人事件として、マスコミで大きく報道されたのですが、ジャーナリストたちが取材をしていくに従って、不可解な点が次々と出てくるのです。もちろん警察は公式にはそんなことは一言も言っていないのですが、ここに「近親相姦」というキーワードを当てはめてみますと、たくさんの不可解な点が、すべて理解できてしまうのです。

 たとえば、検視官が意味ありげなことを漏らしていたり、殺し方に異常とも言えるほどの残虐さがあったり、あるいは警察の内部情報として、母子相姦の事実が分かって、これを公表するかどうかで非常にもめたという話があったり、その他にも事件に至るまでの家族の動向に、いろいろな不可解な点があったりするのです。そして、このような謎を解くキーワードとして、母親と息子の間に「近親相姦」があったのだという説が、浮上して来たのです。この近親相姦説は、一部のワイドショーでも取り上げられられたこともあるのですが、しかし、警察が公式的に否定している以上は、この説はあくまでも推測でしかないと言うことになってしまうのです。

 日本では、最近、子供への虐待が注目されるようになってきて、マスコミでも大きく取り上げられるようになってきました。ですので、いずれは近親姦による虐待や事件なども、大きく報道されるようになるのではないかと思います。そして、将来的には、近親姦という虐待も、身近に「あり得る」犯罪として、認識されるようになっていくのではないかと思います。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/3jittai.html


03. 2010年4月10日 00:16:25: MiKEdq2F3Q

昔の農村共同体というのはこういう世界だったんですね:

1.精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。
 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。

もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。

Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。


この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


2.宇宙語で会話する夫婦

 まずは精神医学1995年3月号に掲載されている堀端廣直らによる「Folie a deuxを呈し“宇宙語”で交話する一夫婦例」というものすごいタイトルの論文から紹介してみよう。

 鍼治療の仕事を営む夫婦の話である。

 夫婦は「温和で物静かな夫婦」とみられていたが、1986年8月中旬から、妻の方が「宇宙からの通信」を受け始めた。その内容は「病気はこうしたら治る」「宇宙から素晴らしい人がやってくる」といったものだった。また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。

そして約1ヶ月後には夫も同様の被害妄想をもつようになり、宇宙からの通信を受け始めたのだという。妄想が感染したのだ。二人は治療を求める客に対して「あなたは価値のない人間だから」などといって断るようになる。昼間から戸を締め切り夜は部屋の電灯を一晩中ともして「宇宙からの使者を待つ」生活をして周囲から孤立していった。

 そして約二年後のこと。今度は夫の方から「宇宙語」と称する言葉をしゃべりはじめ、半年後には妻も同調して二人は「宇宙語」で会話するようになったのだという。近所に抗議に行ったり通行人を怒鳴り追いかけるときにも「宇宙語」を発して近所の人々を驚かすこともあった。

宇宙語は中国語やスペイン語に似た言葉のように聞こえたとのこと。子供が3人いたが、感化されることもなく宇宙語も理解できなかった。


1991年、妻が通行人に暴力をふるう行為があったので妻のみが入院。妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、同席した夫と宇宙語で会話。しかし入院翌日からは落ち着きが見られ話も通じるようになった。

入院3週間後より夫との面会を許可したが、笑顔で落ち着いた様子で宇宙語は話さなかったという。退院してからは「あのときは自分は一生懸命だったのです。今となっては過去のことです。通らねばならない過程だったと思います」と冷静に振り返ることができたという。

 これは春日武彦『屋根裏に誰かいるんですよ。』にも紹介されている症例だが、おそらくこれは「愛」の物語だ。フォリアドゥの成立条件に「2人の親密な結びつき」がある以上、フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。

 この症例で興味深いのは、もともとの妄想の発端は妻だったのにも関わらず、「宇宙語」を話し始めたのは夫の方からだというところ。

最初妻が妄想を語り出したとき、当然夫はとまどったことだろう。その時点で病院に連れて行ったり誰かに相談したりすることもできたに違いない。

しかし、結局夫はそれをせず、妻の妄想世界を受け入れる。それはつまり、二人の間にはそれほどまでに深い結びつきがあったということだ。それから二年後、夫は、世界を与えてくれた妻に対し「宇宙語」を伝え、さらに二人の世界を広げるのである。

 「宇宙語」はつまり、夫から妻へのプレゼントだったのかもしれない。

3.行者と女工

 もうひとつ、篠原大典「二人での精神病について」(1959)という古い文献に載っている事例も紹介してみよう。72歳の女行者と25歳の女工の話だ。

 まずは行者の方である。老婆は若い頃から信心に凝り、夫や子を捨てて住みこみ奉公をし、金がたまると神社仏閣を遍路するという生活を繰り返していた。いつのころからか病人をまじないし、狸がついているなどというので、昭和31年夏、I病院に入院させられた。病室の隅にお札やお守りで祭壇をつくり大声で祈り、ときどき気合いをかけたりしていた。

医師には「お稲荷さんもこの病院は嫌だといっておりますわ。いろんなことがありますが、いうと気狂いだといわれますさかい」と言っていた。

 一方、女工は18歳で母を亡くし、継母とはうまくいかず、郷里を出て工場を転々とし、苦労を重ねていた。入院1ヶ月前、3年間つきあっていた男性から別れ話を持ち出された。

その後、ほかの人が彼女には無断で男から手切れ金を取ったり、すぐあとで別の男から結婚を申し込まれるなどの事件が重なり、発病。「不動さんの滝に打たれていると自然に首が振れだし、止まらなくなりました。不動さんが私に乗り移り問答できるようになりました。故郷に帰れとお告げがあったので荷物をまとめていると、手切れ金の噂をする声が聞こえてきました」。彼女は昭和31年秋に入院した。

 1年後にこのふたりは同じ病棟で移る。すると2人はすぐさま一日中話し込み、ともに祭壇を拝み、女工は行者のお経を写すようになる。

このころ、女工は「私の病気の原因を知っていて治してくれたのです」「不思議な風が私をおさえつけもがいているときに○○さん(行者の名前)のお守りで楽になりました」と話している。

女工は、男に裏切られて以来始めて、信頼できる人に出会ったのである。このころの2人はまさに教祖と信者の関係であった。


しかしその関係は長くは続かなかった。いったんは救われたものの、行者の方が「腹の中にいる生き物がはらわたを全部食ったらおまえは死ぬ」「人を犯す霊がお前についている」などと女工を脅すようなことをいうようになり、女工は行者に不信を抱くようになる。

彼女は行者とは別に祈るようになったが、するとますます行者は怒る。結局3週間で2人は争い分かれてしまった。女工は言う。「○○さんは私を計略にかけたのです。○○さんは身寄りがないから私を治して退院させ、退院した私に引き取ってもらおうとしたのです」

 その後1ヶ月して面会させたが、語り合わずまた争うこともなかった。行者はその後も変化はなく、女工は症状が消え3ヶ月して退院、故郷に帰っていった。

 孤独な2人の、出会いと別れの物語である。


4.フォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。

もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。

「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。

万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。2人は同じ妄想を共有していたのだった。

 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。

私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。


今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


5.古いタイプの感応精神病

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。


悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。

 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。


青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いたこっくりさんの例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。


 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。

 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。

どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師Kに祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。

その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。


こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、ものもいえず苦しげにもがいているものなど憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」と提案した。

すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。


これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。

集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。

6.家庭内幻魔大戦

 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。


Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。

この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。
 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。

昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。


昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。

「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。

長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」

「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。

「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」

「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには

「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。


 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。

体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。


困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。

入院3日目より陽子は「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」

などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」と語り合っていた。

 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」

と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」と逃げ出した。

主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、


「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。

 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。


入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、
「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には「先生! オールマイティになってください」と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。

しかし飛べずに興奮し始め、

「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。


7.フォリアドゥと家族

 さて最後にちょっと違った視点からフォリアドゥを見てみよう。共同生活をしている家族などの中で狂気が伝染していくというのは、確かに気味の悪い現象ではあるのだけれど、ある意味、感染して同じ狂気を共有するようになった人は幸せといえよう。

抵抗をやめて吸血鬼(or屍鬼orボディスナッチャーorボーグ)になってしまえば楽になるのと同じようなものだ。

 それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
 家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 

映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 

家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。

 これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。しかし、どういうわけか、これまでの文献は、感染した家族には興味を示すのに、狂気に陥らなかった家族についてはほとんど触れていない。「宇宙語」の論文でも、感染しなかった子どものことはほとんど書かれていないし、「家庭内幻魔大戦」の論文でもそうだ。無視しているといってもいいくらいである。

 このへん、精神医学という学問の偏りがよく現れていますね。派手な精神病症状には興味を示すくせに、狂気を耐え忍んできた人の心にはまったく無関心。今でこそPTSDなどが話題になってきているけれど、つい最近までの精神医学はこんな具合だったのだ。


フォリアドゥそのものではなく「狂えなかった家族」に焦点をあてた文献はあまりないのだが、それでも皆無というわけではない。酒井充らによる『いわゆる被虐待児症候群の事例化』(社会精神医学1987年12月)という論文から事例を引いてみる。

発端者は母親であったらしく、結婚前の18歳ごろから

「近所の人たちが自分のことをバカにして笑っている」

とくってかかるなどの行動があったという。21歳で結婚するが、しだいに夫も妄想を共有するようになり、次男Kが生まれた頃には、夫婦そろって近隣といざこざを起こし転居を繰り返していた。

 次男のKは4歳のときに幼稚園に入園したが、両親はKが保母に不当にいじめられているという被害妄想を抱き、中途退園させてしまう。またその頃父から「家族は家族だけでやっていくから、もう二度と外の人とは遊ぶな」と言われ、子どもたちは外出を禁じられるようになる。

 6歳でKは小学校に入学するが、やはり父は担任の家に電話してどなりつけたり、教育委員会に抗議に行ったりしていた。まもなく両親はKの登校を禁止。Kが登校しようとすると、両親、ときには兄も加わってベルトで鞭打つ、金槌で殴りつける、煙草の火を押しつける、鉄パイプで眼を突くなどの身体的虐待が加えられた。そのため、小学3年生以降はほとんど学校に出席できなくなった。

 他の兄弟は親に従ったがKだけは抵抗したため、Kは親の言うことを聞かない子として、兄に行動を監視され、他の家族員から仲間はずれにされていた。Kは自宅内で一人で教科書や本を読みながら過ごすようになる。


12歳、中学校に進学したが一日も出席できず、学校から自宅に届けられた教科書で勉強し、父に命じられて自宅の敷地内の草取りをしたり、自宅内で飼っている豚の世話をしたりしていた。

この頃から、両親の近隣に対する被害妄想はますます強くなり、両親は自宅周囲をトタン板で囲い、月に一、二度のリアカーでの買い出し以外外出をしなくなる。

外出のときには両親はカメラやテープレコーダーを持ち歩き、「いやがらせの証拠」を探していたという。その際にもKは外出を許されず、父から訪問者の声の録音を命じられていた。

 15歳ごろより、Kはマンガ家になりたいと思うようになり、マンガの添削教育を受け始める。しかし両親は「マンガなど描くのはやめろ。豚の世話をしろ」と反対し、Kの描いたマンガを破き、届いた郵便物を焼き捨てる。反抗すると、両親はKに暴力を加えた。

Kは両親の妨害を避けるため、自宅の隅に家具やガラクタを積み上げて「バリケード」を築き、その中に閉じこもってマンガを描くようになった。Kの態度に父は逆上、バリケードに灯油をぶちまけて火をつけ、自宅は全焼、Kは右半身に火傷を負い、翌日外科病院に入院した。

 入院したKは病院で植皮術を受ける。しかし、手術痕の回復に従い、問題行動が始まった。看護婦の体に触る、夜間徘徊して眠らない、注射・服薬を拒否するなどの行動を繰り返し、病院側から治療半ばにして退院させられてしまう。

病院は通院治療を勧めたが、父は「一旦家から離れた者は家族ではない」といって、Kを父の信奉する宗教施設に預けた。

しかしKはそこでも問題行動を起こし、自宅に帰された。両親はやむなくKを家に置くことを許したが、やはり自宅外への外出を禁じたため、Kは再びバリケード内にこもった生活を続けることになった。


痛ましい話である。Kにとってはまさに地獄のような家だったに違いない。15歳で入院し、家から離れたときになぜきちんと助けを求めなかったのかと不思議に思う人もいるかもしれないが、それは無理な話だろう。

それまで家族以外との接触がほとんどなかったKには、他者とうまくコミュニケーションをとることができなかったのだろう。

 さてこのあと、Kは意外な方法で地獄からの脱出を図る。

17歳頃になると、Kは両親が話しかけても「あなたは誰でしゅか」などと幼児語しか話さなくなり、昼夜かまわず奇声を発するようになった。

また布団の上や鍋の中に大小便をしたり、糞尿を身体をなすりつけて転げまわるなどの異常行動が徐々に激しくなり、両親も対応に困り、翌年11月、救急車で精神病院に入院することになった。

 入院したKは、主治医の質問も待たず一方的に喋りだし、

「親から離れて入院できたのは本当にラッキーでした。でも僕は本当のことは言いません。狂気を装っているんです。催眠療法してもだめでしょう」

とうれしそうな表情で話した。入院前の異常行動については

「親が鉄パイプで殴ったり、僕のものを燃やしたりするのが鬱積して、精神病の方へ出ちゃったんです」

「虐待ばかりで学校へも行かせてくれず、訴訟ばかりしている親に反抗して、家から脱出したいと思って、親の方から僕を嫌いにさせようとして狂うふりをしたんです」という。

また「これは父にやられた、ここは母にやられた」と体中の傷痕や火傷痕についてしきりに説明した。


病棟では他の患者や看護婦に一方的に話しかけ、苦情が出るほどだった。また自分の要求が通らないと大声でわめきちらし、逆に強く注意されるとその場で土下座して謝ったりと、周囲の人たちとどのように接したらよいのかわからない様子だった。

 両親への憎悪は強く、「もう自宅には戻りたくない。親戚に連絡して引き取ってもらいたい」と要求。入院が長引くにつれ、

「自分の親は被害妄想狂です。だから僕ではなく親のほうを入院させて下さい」と攻撃的な口調で退院を要求した。

 一方両親は、入院時「一生退院させない」と言って面会にも現れなかったが、月に2、3回の手紙は必ず送って来た。

Kは両親が「被害妄想狂」である証拠として、主治医に手紙の一部を見せた。手紙は、警察や近隣、福祉事務所などへの被害的内容が主で、当初は病院に対して好意的だったが、徐々に

「病院も警察とグルになって一家をバラバラにしようとしている」

と被害妄想の対象になっていった。そして、それとともにしだいにKの退院を認めてもいいとも書くようになっていった。

 翌年7月、突然父が病院を訪れ、Kを自宅に引き取りたいと申し入れ、即日退院となった。その後もKは以前のように自宅に閉じこもった生活を続けているようだが詳細は不明だという。


こうして、Kは結局地獄の家に帰ってしまうのである。おいおい、そりゃないだろ、と思うのは私だけではないはずだ。

 Kが本当に狂気に陥っていたのか、それとも本人の言う通り狂気を演じていたのか、この論文でははっきりとした結論は出していない。

それでも、Kは、両親の狂気に対して、それを上回る狂気という奇策によって脱出を図り、必死に助けを求めてきたわけだ。そんなKを、父親に言われるままにあっけなく自宅に引き取らせてしまっていいんだろうか。いくらなんでもこの結末はないだろう。

 確かにこの患者は未成年でもあることだし、普通は親が退院させたいと言えば、法的には退院させるほかはない。たとえ親の方がおかしいと思おうが、この両親を無理矢理入院させるわけにはいかない。でも、このような場合には何かほかの方法があったんじゃないかなあ(例えば親戚に介入してもらうとか)。

 この論文は、「今後はさらに、本事例児のみならず、他の兄弟の発育についても、慎重に経過を追う必要があると思われる」と結ばれているのだが、本当にそれだけでいいのか?
 その後この家族がどうなったのか、気になって仕方がないのだが、残念ながら続報は発表されていない。
http://homepage3.nifty.com/kazano/folie.html


04. 2010年4月10日 02:24:57: MiKEdq2F3Q

 1968年10月5日、栃木県矢板市で、娘(当時29歳)が実の父親(53歳)を絞殺するという事件が起きた。父親は娘が中学生の時から乱暴し続け、娘は父親の子を出産していた。


 栃木県佐久山町にTという男がいた。

 Tは農業のかたわら町役場の吏員として勤め、青年学級の指導員でもあった。妻とのあいだに長女A子をはじめ、二男四女をもうけた大家族だった。

 A子は1939年生まれ。父母が24歳の時の子どもである。

 昭和28年、農業を嫌ったTは、宇都宮に移り味噌・雑貨を扱う商売を始めた。木造平屋の二間に9人が暮らした。商売はうまくいかず、貧しい生活が続いた。

 中学2年の三学期頃、A子(当時14歳)が四畳半で寝ているところ、酒臭い父親が布団にもぐりこんできて体を触られた。

他の兄弟が折り重なるように寝ていたので、A子さんは家族を起こすまいとそのあいだ声を出すことはできなかった。そしてそのまま父親に犯されたのである。以後、母親の目を盗んでは、1週間に1度、10日に1度と犯され続けた。

「お父ちゃんが私のところへ来て変なことする・・・」

 中学3年になったA子は泣きながら母親にこのことを打ち明けている。だが母は「どうりで私のところにこなくなった。おかしいとは思っていた」と言うだけで、ショックを受けたようでも、怒っている様子でもなかった。

 娘の目にはそう見えた母親だが、子ども達のいない時に「A子に何すんだ!」とTに怒りをあらわにした。だがTは逆に包丁をつきつけて「ガタガタぬかすと、殺すぞ」と脅し返した。恐れた母親はA子や他の子ども達と逃げ出した。Tはそれまでは心優しい夫であったのだが、A子とのことがあってからは、乱暴な男に変わっていた。

 結局、母親は子どもの半分を連れて知人のいる北海道に家出。残されたA子が母親代わりとなって、弟妹の面倒を見た。Tは母親の目を気にすることもなくなったので、日に何度もA子を求めるようになった。


 A子17歳の時、母親が戻ってきた。母の実家に屋敷に掘立小屋を作り、一家はそこに住むようになった。母は父を監視して、A子の寝ている方に行こうとすると止めに入ったが、そのたびに喧嘩となった。

 それでもTの欲望はつきることなく、酒を飲んでは娘の体を求め続けた。そしてこの頃、A子は父親の子どもを身ごもった。

 身重のA子は、田植えの時に知り合った男性(当時28歳)と駆け落ちした。A子の方から「私と逃げてください」と哀願したのだった。男性は同情して、2人は黒磯まで行ったのだが、父に追いつかれて引き離された。

 この一件があって、Tは妻の留守中に矢板市に間借りして、長女とその妹H子とで暮らし始めた。この矢板市の家は一部屋で、ここでは毎晩夫婦のように父と1つの布団で眠った。Tはこの頃、植木職人をしていた。

 11月24日、A子は長女出産。

 昭和32年、市営団地に引っ越す。A子はここで二女、三女を出産。

 父親は精力はますます旺盛になったのか、毎晩1度では終らず A子が断ると、大声でわめき散らした。A子は近所の人や自分の子どもにそれを聞かせたくないから応じ続けていた。
 
 妹H子は中学卒業後、千葉県の工場に就職し、矢板の家ではTとA子、子ども3人での生活が始まった。事情を知らない人間からすれば、幸せに映っていただろう。


 1968年、A子は29歳になっていた。

 すでに四女と五女も生んでいたが、生後まもなく死亡した。5度の出産以外にも、5度の中絶をしている。

昭和42年8月、大田原市の産婦人科では「このように中絶していると体が持たないから、手術して妊娠しないようにしたほうがいい」と言われた。A子は父親に相談し、父もそれに賛成したので、8月25日に矢板市内で不妊手術を受けた。供述によると、この手術以来、A子は不感症となり、父とのセックスは苦痛以外の何者でもなくなっていた。

 A子は家計を助けるために65年から近所の印刷所に働きに出ていたのだが、ここで年下のSさん(当時22歳)という男性と知り合っている。A子はSさんに好意を持ったが、積極的に仕事を手伝うぐらいで、それを口にしたことはなかった。以前、駆け落ちした男性は嫌いではなかったが、父の元を離れたいという想いの方が強く、恋とは言えなかった。だからSさんが初恋の相手となる。

 8月の終わり頃、仕事を終えて帰宅中のA子に、Sさんが「工場をやめようかな」と言った。その理由については言わなかったが、その翌朝、Sさんが告白した。
「あんたが悪いんだ。あんたが会社に入ってこなければよかった。あんたが好きになってしまった」

 A子は父に束縛されるため遠出がほとんどできなかったので、同僚が「恋人と〜に行ってきた」と話すのがうらやましくて仕方なかった。だからこそSさんと仕事帰りに喫茶店でおしゃべりをしたり、東武デパートで買い物をしたり、花屋敷で映画を見たことは、彼女にとって初めての幸福であったに違いない。

 Sさんは他の従業員からA子さんに子どもがいるのを聞いており、また子どもが出来ないことも知っていたが、結婚を申し込んだ。

 A子は寝床で父親に結婚したい人がいるということを打ち明けた。

「お前が幸せになれるんなら良い。相手はいくつだ」
「22歳」
「そんなに若いんじゃ向うでお前をからかっているんだ。子どもはどうするんだ」
「お母さんに頼む」
「何を言う!俺の立場がなくなる。そんなことができるか。お前の子どもなんだぞ」

 父親は焼酎を一気に飲んで、「今から相手の家に行って話をつけてくる。ぶっ殺してやる!」とわめいた。A子は「勤めをやめて家にいるから、Sさんのところには行かないで」と言ってようやく納得させた。

 翌朝、A子は工場に電話を入れ、「ゆうべお父さんに話したが駄目だった。今から矢板駅に行くから来てくれ」とSさんに伝えた。Sはすぐに駅に行ったが、A子は姿を現さなかった。

 その頃、A子はよそ行きの服を持ち出して、近所の家で着替えていた。しかし、Tに見つけられ、ブラウスを剥がれ、下着まで破られた。悲鳴を聞いた近くの人が父を押さえているあいだに、A子はバス停に向かったが、バスが来ぬ間に父親に連れ戻された。

 9月20日、A子は父から逃れるために東京に出ようと決心した。その前に1度だけSさんと会ってお別れを言いたかったのだが、彼の自宅でも、工場でも電話は取り次いではもらえなかった。

 Sさんは工場長からA子が父親と関係を持っていることを聞かされていた。「深入りしないように」とも言われた。A子も工場を辞めてしまったので、もう忘れようとしていたのだった。

 A子の上京は、父が仕事を休んでまで監視するため不可能になっていた。

 10月5日、この日も父はA子を監視するため仕事を昼までで切り上げ、泥酔していた。

「俺はもう仕事をする張り合いがなくなった。俺を離れてどこにでも行けるんなら行ってみろ。一生つきまとって不幸にしてやる。どこまで行ってもつかまえてやる」

 夜8時すぎ、いつものようにTが娘の体を求める。

「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、苦労に苦労してお前を育てたんだ。それなのに十何年も俺を弄んで・・・・このバイタめ!」

「出ていくんだら出ていけ。どこまでも追って行くからな。3人の子どもは始末してやるぞ!」

 この罵声を聞いた瞬間、A子は父親を押し倒し跨ったうえで、傍にあった股引の紐をつかんで、首にかけ絞めた。Tはなぜか抵抗しなかった。

「殺すんだら殺せ」
「悔しいか」
「悔しかねえ。お前が悔しいからしたんだんべ。お前に殺されるのは本望だ」
「悔しかねえ。悔しかねえ」

 父は絶命した。A子にとっては父の束縛から自由を取り戻した瞬間でもあった。

 A子は近所の親しい雑貨商宅を訪れ、「父親を紐で絞め殺しました」と言って崩れ落ちた。
http://yabusaka.moo.jp/yaita.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totigi.htm
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage473.htm


05. 2010年4月10日 02:37:15: MiKEdq2F3Q

日本の農村は怖い


世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。
しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。

例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。

まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。

「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。

夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。
名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。

他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/


06. 2010年4月10日 11:18:04: MiKEdq2F3Q

『奇子』 手塚治虫

罪の意識に悩まされながらも奇子を抱く伺朗。

「こんなことはしてはいけないんだ」

「なして?奇子を広い高いお空の上へ連れ出してくれたのは、兄ちゃんよ」

「俺を愛してはいけないんだ」

「奇子が窓から星空に飛び出せるのはこの時だけなのに、兄ちゃんはすぐにまた窓の中に引き戻そうとするのね」

「明日は奇子の15歳の誕生日だな。親父の証文をおふくろがあける日だよ。お前が15になるとき、親父が財産をどう分けるか決めた証文を見せるんだ」

「とうちゃんはまだ寝たっきり?」「ああ。意識はない。でも親父の威厳は落ちたわけじゃない」

市朗は証文を出せ、とゐばに迫る。「父さんの枕の中じゃ」その証文の中味を見て驚く市朗。

「遺産の8割は奇子の産みの母親に譲る!」

意識のない作右衛門に迫る市朗。

「親父。俺との約束はどうなった。俺はお前さんのいいなりになり嫁をもらい嫁を貸したんだ。田畑財産を譲り受ける約束だったんだ。奇子の産みの母親はすえだ。だが父親は俺じゃねえ」

そしてすえに迫る市朗。

「さあ書け」

「何を」

「お前が俺に渡す証文よ。女房から亭主が財産を譲り受けるのは当然のことだ」

http://www.asahi-net.or.jp/~an4s-okd/private/bun/man02305.htm


Yahoo!コミックでは「手塚治虫」の作品「奇子」が今すぐ楽しめます。無料立ち読みページつき!!

奇子シリーズ一覧
http://comics.yahoo.co.jp/10days/tedukaos01/ayako01/list/list_0001.html


07. 中川隆 2010年8月18日 21:13:34: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q

狭山事件について思う事


◆◆「狭山事件・自殺した容疑者O氏について」◆◆


 一年ぶりに狭山事件の現地調査に参加した翌日、都合で参加できなか
ったM氏から電話があり

「事件発生直後に自殺したO氏はどうしても怪しい。

関係なければ結婚式の前日に自殺するだろうか」と質問された。


 同じような声はよく聞く。

事件から四十三年過ぎているが、O氏への疑いはいまだに晴れていない。自殺した直後にマスコミが「容疑者が自殺」と報じたので、その印象がいまだに強く残っているのだろうか。

また、国会でも野党議員が「自殺したO氏を調べろ」と追及したこともあった。

 O氏は当時トラック運転手だったが、婚約者がいて家も新築中だった。

五月七日には結婚式をする予定で、その前日の六日朝に自宅で農薬を飲んで井戸に飛び込んだ。家族宛に遺書もあったらしい。

 六日は善枝さんの葬儀の日だった。O氏はかつて十年前に善枝さん宅で作男として働いていた。血液型もBで条件は整っていた。

 事件発生直後から容疑者として浮かんでいて、狭山署の捜査本部は任意で呼んで調べている。連日朝早くから夜遅くまで調べられていた。自殺の直後、捜査本部はマスコミの取材に対し「O氏は事件と無関係だ」と発表した。

 なぜ、さんざん容疑者として調べていたO氏が、自殺したとたんに「無
関係」と断定したのか。そこに、重要な意味があるのではないか。

 事件発生当初は単独犯でなく、グループによる犯行と考えていた捜査本部は、O氏に仲間の名前を問いただしていたのではないか。

近くの森養豚場のスコップが盗まれていて、地下足袋がO氏の自宅付近から見つかっている点などから、O氏が犯人を知っているのではないかと追及した可能性がある。

 O氏は二十万円の身の代金を要求するほどお金に困っていない。

運転手としての収入もあり、家の新築も進んでいて婚約者もいた。

善枝さんを強姦し埋めたり、カバンや教科書を別々に捨てるような複雑な犯罪をしなければならないような、実行犯としての動機がない。

 しかし、犯行グループは知っていると見て

「だれがやったのか、知っているならいえ」

と迫ったのではないか。


警察は、よく容疑者の秘密を見つけ出し、自白しないなら世間にいうぞ、といって自白を迫る手口を使う。

かつて、自白しない女性容疑者に

「おまえは学校時代、特殊学級にいたな。

そのことを夫にいっていいか。自白すれば内緒にしてやる」

といって殺人を自白させた事件があった。


 おそらく、O氏にも警察は過去の事実を突きつけ、ばれれば結婚できないような状態で

「仲間の名前をいわなければ、おまえの秘密を婚約者にばらすぞ」

と、O氏をせめ立てたのではないか。

 だからこそ、自殺した翌日には「O氏は無関係」と断定できたのではないか。

「死人に口なし」で、その後もO氏は「犯人では」といわれ続けている。

そういう意味でO氏も被害者の一人だと思う。

簡単に「怪しい」などと裏付けのない疑いはしてほしくない。


参考図書 『狭山事件の真犯人』 著者・殿岡 駿星
http://blog.goo.ne.jp/syunsei999/e/f59e7b6d78bd25f8699f48ead8d69879

狭山事件については多くの人が謎解きをやっていますが、狭山事件の犯人は中田家の長男かO氏だというのがコンセンサスになっている様です。

しかし、この投稿を読まれた方はこの両人は何らかの関わりで犯行には止むを得ず加わっていた可能性は高いけれど殺人の実行犯とは考えないだろうと思います。

要するに、狭山事件についての多くの論者は興味本位に無責任な文章を書き散らして、狭山事件の犯人は中田家の長男かO氏だというをでっちあげて定着させてしまったのです。

死人に口無しですから、真犯人にとってはO氏が犯人扱いされるのが一番都合が良い訳ですね。

また、中田家の長男は中田家の秘密(?)を知られたくないから、自分に嫌疑が
かかっていても否認すらしない。 まあ、自分は犯人ではないから何を言われようと平気なわけですね。


こういうのも真犯人にとっては非常に好都合な訳です。

このまま行ったら関係者が全員死んで事件は迷宮入りですから、真犯人は現状のまま時間が経つのを待ってるのでしょう。

日本人はみんな人が良いから気付かないでしょうが、真犯人は口塞ぎの為に自殺に見せかけて何人も殺してる異常性格者です。

当然、真犯人はゴーストライターに狭山事件の犯人を中田家の長男やO氏だと思わせる様な文章を書かせているだろうし、ネットを通して情報操作を繰り返していると想定した方がいいと思います。

今頃、真犯人もうまくいったと ほくそ笑んでいる事でしょう。


08. 中川隆 2011年5月17日 23:16:33: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

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09. 2011年10月10日 11:31:20: MiKEdq2F3Q

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10. 2011年12月04日 10:35:30: MiKEdq2F3Q

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           ,. '"    u  /         ヽ、(   {:l/ ./l      、 ヾ,、}    ::::::::::::.Yi芽.l-‐|
        ,. '"  _,.っ,,.__o゚ノ            ヽ`゙'ー--‐'".:::::l         ノ'       ::::::::ノ'"}lメ! ,レ
    ,. ,. -‐''"´ -::r=:、:.、  ``丶、      u     ヽ.   / .:::::::l、   ι´´   _     ::::U '゙’-ィ-/
 ,. ' イ    /::::::::::゙'':´::::::::..                ヽ./  ..:::::::::>:..、      ´u (( ̄``ヽ=ァニ二イ/,ィ
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            u                     ,. ィ''´               `丶、 `ヽ、Y :l l iヾ
                            /             ι       ヽ、 ヾ、 l ! !〃
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、ij               ι           /                       ..:::::::::::::ヽ_j./ / l
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中川隆_麻薬・陰謀論関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak50/msg/913.html

中川隆_風俗関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak50/msg/912.html


11. 2012年5月16日 07:34:47 : MiKEdq2F3Q


名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は?


名張毒ブドウ酒事件


1961年3月29日朝日朝刊の第一報
三重県名張市 ブドウ酒で5人死ぬ
生活改善クラブ 全部女、10人は重態

 28日午後6時ごろ名張市葛尾の薦生原(こもおはら)公民館葛尾分館で、同地区と隣接の奈良県山辺郡山添村葛尾の両地区合同の「生活改善クラブ 三奈の会」の男女会員31人が役員改選総会後、折り詰めで酒を飲んだが、“乾杯”でいっせいにブドウ酒を口にした女の会員19人のうち15人が十数分後突然苦しみだして倒れ、29日午前2時現在5人が死に、危篤1人、9人が重態となっている。上野保健所では症状から原因は農薬のような毒物の疑いが濃いとみて調べている。

 名張市から医師4人がかけつけ葛尾分館で応急手当てをしているが、現場は屋外、屋内に被害者が折り重なるようにして倒れ、うめき声をあげているなど、文字通りの地獄絵図を描いていた。

 問題のブドウ酒はラベルによると、大阪市浪速区西圓手町、西川洋酒醸造所製の三線ポートワインで飲んだ量は約1.8リットル、名張市林商店から買ったもの。阪大および西川醸造所の話ではブドウ酒の製造過程に有毒物がはいったり、発生したりすることは考えられないといわれ、買ってから何かの原因で毒物がはいった過失の線も浮かび名張署でも調べている。ブドウ酒は28日午後、奈良県側の葛尾の伊勢原利一君(20)(1) が会員である母親の頼みで買ったもので、折り詰めには全員手もふれていなかった。


◇死者 

▽名張市葛尾、農業 奥西千恵子(33)
▽同 北浦ヤス子(37)
▽同 中島登代子(37)
▽同 新矢好(27)
▽同 奥西文子(30)


 3月29日夕刊では、12人の重体患者のうち10人はやや快方に向かったが残りの2人はまだ重体のまま、となっている。


(1) 3月29日夕刊では、葛尾農協職員の石原利一さんとなっている。バタバタしている中で書いたものと思われ事実関係にもいくつか間違いがある。
 奥西千恵子は奥西勝の妻、北浦ヤス子は奥西勝の愛人という。奥西文子は役員改選時まで会長であった奥西楢雄の妻である。


 この事件では、前代未聞のデタラメが警察により行なわれた。そして検察・司法によってデタラメが行なわれているのは他の冤罪事件と同様である。奥西勝の人権があまりにも踏みにじられているではないか。

 1961年4月3日午前4時、奥西勝は妻の千恵子と愛人の北浦ヤス子との三角関係を清算するためブドウ酒に農薬を入れたとして、殺人と殺人未遂の容疑で逮捕された。
 そして警察は、奥西勝が犯人であることをマスコミや国民に印象づけるため、同日午後0時半から奥西勝に記者会見をさせた。逮捕された被疑者に記者会見をさせるなど、これ以前にもその後も聞いたことがない。朝日とNHKの2人の記者が代表で会見室に入ったが、事実関係や犯行の動機など事件の核心については触れないよう制限されたという。警察側は担当刑事ら3人が立ち会った。


 江川紹子著「六人目の犠牲者」によると、

 “担当刑事は刑事部長から、報道関係者が

「奥西に会わせてくれ、記者会見をやってくれ」

と言っている、

「報道陣の方でどうしてもということで要望がある。何とか一つ、わずかな時間でもいいから会見できるようにならんかね」

と言われたという。そこで奥西勝に尋ねたところ、しばらく考え込んでいたが

「今のこういう気持ちを社会の人に知ってもらいたい。自分の謝罪するという気持ちを新聞とかラジオ、テレビなどを通じて一応知ってもらいたいので会います」

と話した。

 しかし、奥西勝によれば事実経過はまったく違う。 彼が後に弁護士に出した手紙によると、午前中の取り調べの際、担当刑事から「記者会見に出るように」指示された、という。

「何のためにですか」

「謝罪をするんだ。家族の者が部落の人に謝っているが、お前が謝らないと家族がますます苦しむ」

「記者に会っても話すことはありません」


いったん担当刑事は引き上げたが、戻ってきてから、


「どうしても会見をやれ」

と強硬だった。

「俺が教えてやる通りに話せばいい」

 そんなやり取りが交わされた末、奥西勝は渋々応じた。家族の負担を軽くしてやりたい気持ちもあったし、自分はやっていないのだから、いつか真実が明らかになるのだと事態を楽観視してもいた。大勢の記者の前に引っ張り出されるわけではなく、少数の代表者と会うのだからと説き伏せられ、それならば仕方がないという気持ちになったのだという。”

 そして記者会見は僅か3分で打ち切られ、奥西勝を犯人とするに都合の良い警察の意図する内容のみがマスコミを通じて流された。会見の内容は4月3日の夕刊にすべて載っているが、“警察に教えられたもの” であり馬鹿馬鹿しいため転載はしない。

 このような事実経過が、警察の発表では

「・・・自分の謝罪するという気持ちを新聞とかラジオ、テレビなどを通じて知ってもらいたい・・・」

となって発表されるのである。警察の発表はウソばかりであり、まったく信用してはならないのです。

 誰が農薬をブドウ酒に混入したか、混入する機会があったかを考えるうえで時刻が最も重要であったが、 すべての関係者の時刻の証言が4月12日くらいから、事件直後と大きく変わった。事件直後極めて具体的に証言していたにもかかわらず、4月12日くらいから、勘違いしていた、はっきりしない、分からない、覚えていない、時計が狂っていたと思う、などとあやふやになり時刻の証言が変わった。


石原利一 は事件翌日3月29日の取り調べで、

 〈当日午後2時頃であったと記憶します。上野市の販購連から(鶏の)資料が小型四輪車で着きましたので、(この飼料を)先に注文のあった分館(=公民館)のすぐ近くにある依頼者方へ送り届けてもらうため、その四輪貨物自動車に同乗して依頼者の家に向かったのでありますが、

その途中林商店の前を通りますので、そこで先に頼まれていた清酒2本とブドウ酒1本、いずれも1.8リットル入りを買い受けて、また小型四輪貨物に乗って依頼者の家の方に向かいますと、

会長の奥西楢雄さんの家の前の道路に奥西さんの奥さんで文子という人がいましたので、私は自動車の助手台から奥さんを呼んで、

「これ晩に飲むやつさかい、預かっておいて」

と言って、先ほど買ってきたばかりの清酒2本とブドウ酒1本を渡したのであります〉

 と明確に供述していた。30日には時間経過の自筆メモも作成している。


 農協  2時頃  小型四輪車
 林酒店  2時5分  清酒2本 ブドウ酒1本
 奥西会長  2時15分  清酒2本 ブドウ酒1本を会長の奥さんに渡しました
 依頼者  2時17分  飼料13俵をおろす


 販購連から(鶏の)資料が着いてそれを依頼者に運ぶのは業務であるから、時刻はほぼ正しいだろう。何月何日何時ごろ、或いは今日(明日)何時ごろそちらの農協に持って行きます、のような連絡があるのは常識である。さもなければ業務が成り立たない。

ところが4月20日の警察官調書では、

 〈午後4時30分頃に、上野から四輪車が飼料を積んで来たので、私はその飼料は名張市葛尾の依頼者のとこへ持っていく飼料でしたので、すぐその自動車に私が乗せてもらって林酒店により、清酒2本、ブドウ酒1本をもらって葛尾へ来たのであります。

そうして葛尾の奥西さんのとこの前まで来た時は、午後5時前後でありまして、道端に文子さんがおりますし、入り口の水道のところにもう一人女の人が見えましたが、今考えてみれば、この女の人は・・・〉

 と変わった。この女の人は、というのは変更した時間の信憑性を高めるために警察が作り出した証人であることは言うまでもない。

法廷では、裁判官たちから石原に対し次々に質問が飛んだ

「小川裁判長」―あなた、(4月11日に)検事の調べを受けた際には、2時から3時ぐらいの間に酒を買って、奥西さん(会長)の所に届けたと、こういうふうに答えてられますが、記憶がありますか。

「記憶あります。それは勘違いしてました」


―どうして2時から3時の時間が、4時半なんてこう1時間半も狂ってしまうんだろうか。

「それは勘違いしてました」


―どういう点を勘違いしておったの?

「・・・・・・」


―これ、あんた警察で、この事件が起きたらすぐ調べを受けたでしょう。そしてその当時、何時ごろに販購連から小型四輪車が来て、林さんとこに酒を買いに行ったかというようなことを説明したでしょう。そういうこと説明しませんでしたか。

「しました」


―その当時、あなた、何と言っておったの?

「はっきり思い出せません」


―どういうわけで、あんた、2時から3時までと言っておったのを、4時半から5時の間に訂正したんですか。その勘違いしておった根拠を一つ納得いくように説明してくれませんか。

「・・・・・・」


―10分や15分ならそれはあるけどさ、何時間という違いが出てくるもんだから。

「そのとき、あんまりびっくりしまして、何と言ってええか、分かりませんでした」


「高橋裁判官」―あなたが葛尾へ帰られた時間は何時ごろでした?

「調書にはなんと書いてありますか」


「岡田裁判官」―その時間について何か時計を見たわけじゃないようですが、何か根拠らしいものがあるんですか。

「バスが動いていやへんだ。バスが普通4時10分くらいですから」


―それがもう出てしまってなかったんですか。

「はい。それから葛尾へ行って10分かかるし、それからこちら(葛尾公民館)へ来るのも10分かかるし、4時半くらいかなと」


―バスの時間が根拠になっているんですか。そのほかにはどうですか。

「そのほかに全然ありません」


「高橋裁判官」―しかしバスに会わなかったからといって、このバスが通った後だということはいえないでしょう。それはどうですか。

「せやけど、久田亭のバスの停留所も、誰もいなかったんです」


「船越検察官」―あなた4時から5時の間ごろに久田亭の前を通ったこと、この事件までに何回かありますか。

「さあ、覚えませんわ。それはあるかもわかりません」


―久田亭の前をそれまでに通ったことはあるね。

「あります。毎日通ってます」


―それで、バスは来てるけれども、乗り場に誰もお客さんいなかったようなことありましたか。

「バスの時間に通ったことはあまりありません」


 検察官は助け舟を出したつもりが、反対に石原の証言のいい加減さを証明することになってしまった。お笑いものではないか。下らない刑事ドラマを見るより余程面白いんじゃないでしょうか。

事実は小説よりも奇なり、と申します。面白くないと言うのはバカ或いはキチガイと検察・警察の威信を守るのが仕事であると考える裁判官及び検察官・警察官以外にありません。


「小川裁判長」―あなたの時間が、こういうふうにガタンと変わってるんだけれども、これはなんか、この問題について大分追求されたと違うんですか。

「お前の言ってる時間、違うんじゃないか、違うんじゃないか」

と言われてこういうような大きな開きが出てきたんと違うの?

「そんな覚えありません」

―それじゃ君は3月23日に中村検事に調べを受けた際に(ブドウ酒到着時間について)答えられなくなっているのはどういうわけだ。初め奥西さん(会長)の所に瓶を届けた時間は、最初は2時半か3時ころと申しておりますがと言って、きみ、時間がピタッと言えないのはどういうわけなんだ。

「・・・・・・」

―私が眼に入れた調書じゃ23日のやつが一番終いなんですが、それにまた2時半、3時ということを問題にしてるんだがね。

「君の時間は違ってるぞ、違ってるぞ」

と言われたのとは違うのかね。そういうことはない?


「言われたこともあります。あんじょう考えてみたら、4時半ぐらいやったと思うんです」


 奥西勝を犯人とするに都合の良いよう、検察・警察により時刻を “調整” させられたのである。

 つまり石原利一の当初の供述では、女たちが懇親会の料理の準備のために奥西楢雄会長宅にやって来る4時45分くらいまでの2時間半、会長宅の表玄関の小縁に置かれていたことになってしまい、犯人が奥西勝と特定出来なくなってしまう。

奥西楢雄会長宅では嫁姑の関係が険悪で、奥西楢雄会長は事件直後可能性のありそうな者として第一に妻の文子の名を上げていた調書がある。山村の部落では、都会と違い、会長宅にブドウ酒の瓶が置かれていたのを見たものは他にもいるだろう。


 “このようなことをする動機のある奴は奥西勝しかいないんだよ。

その時刻じゃ奥西勝と特定できなくなってしまうじゃないか。

お前の言う時刻は間違いでこれが正しいんだよ” と。


そして区長の号令のもと部落としてもその時刻に “調整” した。村八分(部落八分?)を恐れる部落民は証人喚問されても “調整” の経緯を話そうとはしなかった。偽証を問われるよりも村八分の方が恐いのである。偽証を問われるのは自分一人ですむが、村八分は家族にも及ぶ。

 裁判所でデタラメを証言し、矛盾をつかれると 「・・・・・・」 と黙りこくってしまった。

証人喚問で矛盾をつかれた場合は下手に弁解せず黙っていれば良い、と検察・警察から知恵を授けられたのであろう。

部落民は裁判所よりも警察の方が上だと考えているのである。


 時刻の証言の変更は石原利一だけではない。関係者すべてなのです。


一審判決時毒牙にかかっておらず正しい時刻を明確に証言した、折り詰めを販売した店の女主人はその後毒牙に噛まれ、時計が当てにならなかったなどとして時刻を変更した。

 彼女は名古屋高裁では次のように一審での証言を翻した。


「藤本忠雄裁判官」―(約束の時間から)1時間遅れたとかいうようなことは(石原に対して)言った覚えはないのかね。

「はい、そんなことは申したことはありません」

―ありませんというのは、そういうことを言ったような記憶がないという意味か。

「はい、記憶がありません」


―しかしあなた、原審の裁判所の調べでは、その点についてこういうことを言っていますよ。

「奥西楢雄さんから28日の4時に折り詰めをもらいに行くからという電話があったのです。

ところがその日、私方店の時計が5時になっても取りにみえないので、葛尾農協の方でその折り詰めがいらなくなっのかなあと思っていた時、石原さんがみえたのです。

それで私は石原さんに一時間も超過したなあと申し上げた記憶がございます」


と、こういうふうな趣旨のことを言ってるんですが、どうですか。


「申し上げたんだと思います」

―だから石原にそういうことを言った覚えがあるか、ないか。

「・・・・・・」

―今、覚えがないのか。

「はい」

―中略―


―時計が狂っておったということに気がついたのは、いつのことですか。

「それは多分、(一審判決後に)蔵持(派出所)へ行って尋ねられた時 に申し上げたと思います。その時分に、その時計のことで気がついたぐらいのことです」

―あなたの家の前の辺りにバス停があるでしょう。

「あります」

―お客さんが時間なんかを聞くのに、1時間も2時間も狂っているようなことはないでしょう。

「そんなに狂ってないと思いますけど」

―石原利一が折り詰めを取に来たとき、あなたは時計を見たのですか、見ないのですか。

「今になると、何も分かりませんけれども」

―見た記憶ですか、見なかった記憶ですか。

「・・・分かりません」

 人間であるから勘違いすることもある。しかしすべての関係者が勘違いすることはない。この事件にかかわった50人を越える裁判官の8割近くが、一審判決で


「かかる時刻の訂正は、ブドウ酒引渡し人側の時刻を受取人側の述べる時刻に合致せしめるための検察官のなみなみならぬ努力の所産であり、このことは各該当の報告書を一読すれば容易にこれを理解し得るところである」


と指摘されていたにもかかわらず、すべての関係者が “勘違い” することをおかしいと考えず、すべて検察・警察に都合よく判断したのである。事件の鍵を握る奥西文子、奥西千恵子は亡くなっており、検察・警察に都合のよい判断をしたとしても、真実が明らかになることはない、と考えたのであろう。


 いくら精神構造の異常な裁判官が多いといっても、8割近くの裁判官が異常だとは考えたくない。 裏で裁判所と検察の癒着があるのではないかと考えるのです。健全な常識ではそれ以外に考えられないのです。

 庶民であればそのような脳タリンがいても良い。しかし人の命を奪う判断をする者が、このような 低脳・異常な精神構造で良いものであろうか。正義が行なわれないどころか、無実の人を国家権力が殺すというあってはならないことが行なわれることになる。


 時刻の調整だけでなく、捜査はすべてデタラメだった。

 事件直後石原利一はブドウ酒の栓は自分が開けたとし、具体的に供述していた。


「私が席に着いている時、文子さんから『栓を抜いて』とブドウ酒の瓶が差し出されたので、私が

『よし、抜いてやるわ』

と言って何気なく瓶を受け取りました。瓶の口の方を右に、底の方を斜め左下にして、王冠を口に入れて歯でこじ開けようとしたら、私の側にいた男衆の中の誰であったか、
『それじゃあ抜けない。歯を折るぞ』

と言っておりました。私はその言葉を聞いて、歯を折ってはだめだからと注意しながら、瓶の栓を噛んでテコの原理を応用してやってみましたところ、意外に簡単に一回で栓が開きました。それで瓶を文子さんに返したのです」


 会場にいた者たちの証言の大半は石原利一が開けたというもので、一人は次のように証言している。


「男の方が最初の酒を注いでもらう少し前くらいに、文子さんか千恵子さんのどちらかであったと思いますが、私たちの方にコ字型に並んでいた(机の)内側からやってきて、ブドウ酒の絵を描いたレッテルの貼った瓶を持ってきて、

『誰か栓抜いて』

と言ってきましたので、石原利一君が

『抜いたろう』

と言って 口で栓の辺りを噛んでいるのを確かに見ました」


 それが4月12日以降、石原利一の供述は次のように変る。


「私は会合の席で奥西文子さんに頼まれて開けたと申しましたが、奥西千恵子さんに頼まれて開けたのか、その点、この2人の中のどちらかに頼まれたことは確かですが、どちらに頼まれたとは断言することが出来ません。

また、ブドウ酒一升瓶入りの王冠を歯で開けたと申しましたが、その一升瓶は清酒であったか、またブドウ酒であったのか、はっきり記憶がありません。とにかく、ギザギザのあった王冠を歯で開けたことは確実であります」


 4月16日には更に次のように変る。

「いろいろ考えてみますと、初めから申しているように、歯で開けるときギザギザがありましたし、中栓はなかったと思いますから、私の開けたのは酒の瓶であったと思うのが本当であります」

 目撃者の証言も4月21日次のように変る。

「前回申し上げたことの中で、石原利一君が栓を開けていた瓶にブドウ酒のレッテルが貼ってあったのを見たと言いましたが、これは間違いであって、今ようく考えてみますと、そのようなものは見なかったと思いますので、その点で訂正さして貰います」

 お笑いものではないか。まさにデタラメ、滅茶苦茶である。

検察・警察はこのようなデタラメが我が国では通ると考え、裁判所はこのデタラメを認めてきたのてある。

当方が右傾化した低脳な者たちを軽蔑する 「国際社会などどうでもよい。日本国内で、日本人だけで論理を構築できればそれでよい」 そのもの、いやそれ以前の問題か。

 このような調書が国民の目に触れることはないだろうという前提で、我が国ではデタラメな刑事司法が行なわれてきたと思われる。


 予算がないためこの年は、女性たちのためのブドウ酒は出されないことになっていた。

当日になって奥西楢雄会長が自腹を切っても良いとして購入したものである。

従って前日まで懇親会にブドウ酒が出されることを知っている者はいなかった。
 にもかかわらず警察は、ブドウ酒に農薬を入れるため、前日の夜に、笹山から切り出してきて8年にもなる古い竹を切って直径2センチ長さ6センチの竹筒を作り、農薬を入れて新聞紙で蓋をして準備したとする “自白” を作ったのである。

猛毒で液体の農薬を古い竹筒に入れて新聞紙で蓋をするようなことを、その毒性を知っている者がするであろうか。義務教育をまともに終了していないような者でもしないだろう。竹筒を横にすれば新聞紙の蓋から農薬が滲み出してくると思われる。細心の注意を払って、立てて保管・移動しなければならない。また新聞紙で強く蓋をすれば古い竹筒ではひび割れる恐れがある。

このような常識では考えられない幼稚なデタラメの “自白” が作られたのである。お笑いものではないか。

 当方であれば、王冠の歯の跡がどうのこうのなどという下らないことは考える必要もなく、関係者の時刻の証言の不自然な変更だけで十分であるが、奥西勝の無実を考えるうえで興味深い事実を指摘したい。

 虚偽の自白をさせられた奥西勝が農薬の入手先を問われ店名をあげた。この農薬は前年の夏、茶畑の害虫退治のため購入していたものであるが使用していなかった。妻の千恵子には奥西勝の浮気が原因による夫婦喧嘩の際、この農薬が “こわい薬” であることを置き場所とともに話してしまっていた。

 しかし店主は彼に農薬は売っていないと証言した。事件に巻き込まれることを恐れ、伝票を焼却してしまったのである。

もし奥西勝が農薬を混入したのであれば、せっかく店主が売っていないと証言してくれているのだから、“良く考えてみたら買っていなかった” と言えば良いのである。それこそ “勘違いしていた” と言えば良いのである。

しかし彼は店主を呼んでもらって買ったではないかと対決した。そして3月6日ぐらいまで自宅にあった(それ以降無くなっているという)と証言した。

奥西勝が犯人であるなら、仮に店主が売ったと証言したとしても、“すぐに害虫退治に使ってしまった” と言えば良かったのである。犯人がこんな馬鹿なことをするわけがないではないか?  
知的障害者でも物事が何も分からない余程知能指数の低い者でなければしまい。これが分からない裁判官は知的障害者でも余程知能指数の低い者である。

 葛尾部落は当時二十五戸、人口約130、外から嫁いで来たような僅かな人を除き、ほぼすべての人が血縁・親族関係にあったという。これが異常な精神構造の原因なのであろうか。

 名張市の隣りは伊賀忍者の里、上野市である。葛尾も忍者の里と言う。頭の指揮のもと一糸乱れず行動し、仲間の結束を何よりも重要と考える・・・精神構造が受け継がれているのであろうか。

 1961年4月3日の朝日朝刊には “山村には珍しい美男子” とある。

実際当時の写真を見ると驚くほどの美男子である。しかし調子に乗ってあまり浮気をするとこのような事件に巻き込まれるのです。検察・警察は男(醜男)の敵と考えたことだろう。

 江川紹子氏が話を聞こうとある婦人を訪ねた際、婦人の夫から言われた。


「もう勘弁してくれ。どうしてみんな、時間のことばかりしつこく聞くんだ。

事件の時だって、警察にも検察庁にも最初から本当のことを話してきた。

でもいくら話しても信じてもらえず、妻はノイローゼになって入院してしまった。

今でも、あの事件のことを聞かれると血圧が上がって・・・」


_______________

1964年12月23日朝日夕刊
奥西被告は無罪
津地裁 決め手の証拠なし


 さる36年3月28日夜、生活改善グループの懇親会の席上、ブドウ酒で乾杯した婦人会員5人が死に、12人が重軽症の中毒にかかった「名張毒ブドウ酒事件」で、死刑を求刑されていた名張市葛尾、農業奥西勝被告(38)の殺人、同未遂事件の判決公判は、23日午前9時半から津地裁第一号法廷で、小川裁判長、岡田、高橋両陪席係り、船越名古屋地検公判部長検事、長井、吉住、杉浦3弁護人立会いで開かれ、「証拠不十分で無罪」の判決言渡しがあった。初公判以来3年半ぶりである。

 小川裁判長は判決要旨の中で

「犯行の動機、犯行の機会、方法のいずれについても犯行が被告のものであるという決め手になる物的証拠は見出せなかった」

とのべ、検察側の主張をほぼ全面的にしりぞけた。


 36年6月16日の初公判以来、検察、弁護人側とも@動機A毒物投入の機会の有無、について争ってきたが、奥西被告が検察官の最終調書でそれまでの自供をひるがえし、犯行を全面的に否認、弁護人側は被告が事件直前にパラソルを妻の千恵子さんと愛人の北浦やす子さんの2人に買い与えていることから被告の2人に対する愛情は薄らいでおらず、三角関係を清算する必要がなく犯行の動機はないと主張。

また犯行の方法や機会についても状況証拠はそろっているというものの、被告が名張川に捨てたという農薬ビン、公民館のイロリで燃やしたという農薬を入れた竹筒のいずれも発見することができず、物的証拠としては事件の翌々日、現場から発見されたブドウ酒ビンの王冠だけだった。

 さる37年5月、弁護人側が「審理不十分」を主張してはじめられた再開弁論では、この王冠につけられたキズが奥西被告の自供通り、ブドウ酒ビンを歯でかんであけたときについたものかどうかという点にしぼられていた。

 この王冠のキズについて同地裁は同年8月職権で吉田莞爾名大教授、井上剛金沢大教授、船尾忠孝慶大助教授に鑑定を依頼、昨年7月、まず吉田教授が「王冠のキズは奥西の歯によるもの」と鑑定。はじめて物的証拠による “クロ” が出された。

 ところが、ことし10月の公判に提出された井上教授、船尾助教授の鑑定は、いずれも

「キズは奥西被告の歯によってつけられたものとはいえない」鑑定したため、被告の有罪を立証する決め手はないとしたものである。


1969年9月10日
名古屋高裁 無罪を逆転、死刑判決
「名張毒ブドウ酒事件」「原審は事実誤認」

 地区の公民館の会合に出されたぶどう酒で主婦5人が死に、12人が中毒になった「名張毒ブドウ酒事件」で殺人、殺人未遂罪に問われた奥西勝被告(43)=現住所四日市市昌栄町、ガソリンスタンド店員=の控訴審判決公判は、10日午前10時から名古屋高裁刑事一部上田孝浩裁判長係りで開かれた。上田裁判長は「証拠不十分で無罪」とした津地裁小川潤裁判長の一審判決を破棄し

「ブドウ酒ビンの王冠の歯型は奥西のものとみられ、さらにその他の証拠を総合すれば、公訴事実の証明は十分であり、この点で原審は事実を誤認した」

として奥西被告に死刑を言渡した。事件発生から8年半ぶりである。


 法廷はこれまでの公判と同じ27号法廷。定刻、上田裁判長、斎藤寿、藤本忠雄両陪席判事が出廷。検察側は荒井健吉名古屋高検刑事部長、船越信勝総務部長、弁護側は杉浦酉太郎、吉住信百両弁護人が立ち会った。

 控訴審は検察側控訴によって、40年11月20日の初公判以来、15回の公判を重ねた。この間、裁判長は上田裁判長の転勤で一度、坂本収二裁判長に変り、再び上田裁判長に変った。また起訴当時からの長井源主任弁護人は審理途中の41年9月に死亡している。それだけの難事件だった。

 検察側は現場検証による克明な足どり調べと新証言をあげ、特に


「ブドウ酒に農薬を混入し得る機会があったのは、公民館で奥西被告が一人になった約10分間だけである。

王冠の歯型については、控訴審で “黒” と判定した松倉(阪大教授)鑑定が信頼できる。

捜査段階での自供内容は具体的でくわしく、体験した者でなければ供述できない」


と主張した。 これに対し弁護側は

「事件の筋書に合わせた無理な供述、証言をそろえたまで。一審の判決は正しい」

と反論していた。また、奥西被告は終始

「自供は、妻が犯人にされるとかわいそうだと思ったのと、警察に強要されたためだ」

と、一審と同じように犯行を全面的に否認してきた。

 同裁判長は判決理由の中で

「被告人の自供は任意性のみならず信用性を十分かねそなえたものにもかかわらず、原審が採証法則に違反し、事実を誤認したものである」
と述べた。
http://ww6.tiki.ne.jp/~funabashi/dokubudoushu.html


91 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 08:26:41 ID:L5V8AkY9O]

これって事情聴取の時に、このオッサン泥酔していて何を質問されてるか分からなくて、全ての質問に対して『はいはい』で答えてた奴だよな

で、酔いが醒めた時に大変なことになっている事に気づき、調書の書き直しを求めた時、要求に応じてもらえず、すでに遅し状態だったんだよな?


19 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 02:15:32

ID:is4W9po70]

奥西勝が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。家族には一切口を利かず、家には石が投げ込まれた。

こうした村八分の結果、家族が葛尾を去ると、何者かによって共同墓地にあった奥西勝の家の墓が暴かれ、墓地の外にうち捨てられた。

葛尾は事件当時、人口100人程度の集落であった。
奥西勝が無罪であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「和」に再び波風を立てる結果になることを恐れたのである。

なかなかえぐいな。

118 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 13:32:55 ID:Rl+7cv9yP]

実はその程度の甘いもんじゃないんだよ

奥西被告人の弁護団が村に調査に行くと「帰れ!帰れ!」って石をぶつけられ
逆に死刑を求刑してる検察の調査団が行くと「頑張ってください!」って声援と
拍手が送られたんだな


235 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 11:48:02 ID:VVmVeVUY0]

実際は奥西の母親外に引きずり出されてすさまじいリンチしたんだろ

ちょっと良識ある家じゃ「奥西さんは生贄にされたんだよ・・」が定説だったらしいし

田舎はこええこええ

152 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 19:02:17 ID:RufaJzE2O]

山添村から名張へ行くスゲー狭い峠道にある集落?

前に道に迷って行ったことあるけど集落の雰囲気が怖かった。彼女が

「なんかココ八墓村みたいで怖い」って言ってた。

その集落を抜けて名張へ向かう川沿いに温泉旅館が一軒あった。

197 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 00:52:30 ID:pMrsisYU0]

旅館は平井亭のことだな そうだよそこだよ


122 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 13:44:32 ID:DIvgDmH60]

その集落に済んでたら、異論なんか絶対に言えないね…
本当に恐ろしい…
この村の奴らは大量殺人の共犯者みたいなもんだろ 悪魔かよ

123 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 13:46:39 ID:kvE1qp3o0]

実は村人全員が犯人だったとか。


124 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 13:48:10 ID:/iN0V1Jb0]

もともと地元にあった住民と、B地区の対立を警察があおった

「あなたがた以外が犯人と思うんですよ、普段から怪しい人はいませんか?」

で住民に容疑者を差し出させた

あとは警察がシナリオを書いて、住民が口裏を合わせた

125 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 13:57:07 ID:Rl+7cv9yP]

>その集落に済んでたら、異論なんか絶対に言えないね

この事件を初めて表沙汰にしたのはまだ一連のオウム事件で有名になる前の江川紹子女史、その江川さんが著書の後書きに記してたが

ほんの少しでも疑義のある事件ってのは現場で取材すると真偽はともかくとして
必ず「実は・・・」って裏話を聞かせてくれる人間がいるものなのにこの事件に関しては全員が全員

「犯人は奥西!それ以外は絶対にありえない!」

の一点張りだったらしい


29 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 02:26:53 ID:apZvvzVA0]

率先して家族をいじめた奴とか石投げた奴が一番怪しいな?どいつなんだ?


169 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 21:55:07 ID:cCNs8U940]

確か夜這いが横行していた村で乱れた男女関係のもつれが原因と噂された事件だろ。

それでこの容疑者は村の有力者にはめられて生贄になったと。


82 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 06:18:59 ID:QElJRuIa0]

この犯人は変に女にモテて目立ってたんだっけ。
そこらで恨まれて、罪を着せられたとかも、ありそうだ。


104 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 10:06:56 ID:4bf766vy0]

これ真犯人は奥西の奥さんという説もあるな。

旦那とまんじゅ合戦してた女(出戻り若美人)が憎くて憎くてそいつを殺して
自分も死ぬ。他数名まきこんだのは、旦那が死刑になるように。

まわりくどい復讐劇。


55 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 03:04:11 ID:Nt12DznHO]

奥西もイケメンだったからやりたい放題したツケが回って来たんじゃね?

159 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 20:21:05 ID:5vblo7GT0]

名張市葛尾はわずか15世帯ほどの小さな集落だったが、実に10組もの不倫カップルが存在したことが捜査で明らかになった

つまり隣のとおちゃんやかあちゃんとやりまくる夜這い村だった
「不倫関係の清算」とはそういう話だよ


160 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 20:29:20 ID:KPqiU0zq0]

奥西勝氏だけでなく、村人全員に動機はあったのね。


161 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 21:00:46 ID:zTqTE3az0]

そういった風習の中でもルールがあるんだろうけど(理解不能だが)、
やりまくりの夜這い村で清算が必要だったんだろうか?


162 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/10(木) 21:14:07 ID:uqBSxQRC0]

狭い集落で口裏合わせられると、作れちゃうんだよね、犯人を

田舎出身だが、こういう事知ってるから、絶対田舎に戻りたくない

163 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 21:18:51 ID:zTqTE3az0]

村八分と聞くと奈良の月ヶ瀬村を思い出す。
女子高生殺害事件の犯人一家も村八分に近い状態だったらしいね。


165 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 21:41:22 ID:zKZrW1NRQ]

逮捕前の奥西死刑囚は、素行が決してよい人物とは言えず、葛尾の鼻つまみ者だった事実があるから、毒毒ぶどう酒事件の犯人に仕立て上げるには好都合だったのだろう。

もう少し警察がきちんと証拠品を客観的に調査すれば良かったのに、「犯人は奥西勝」と断定して、警察の描いた筋書き通りに供述書を作りあげてしまったから、後で矛盾点が出てきたりした。

今の社会では不倫とひとくくりされてしまうけれど、近世以前の日本は性に関しておおらかだったから、山間にあるこの集落では昭和30年代も夜ばいの風習があったと考えていいのかな?

「こらえてつかあさい」の津山の殺人事件のあった集落では、金持ちの家の旦那が、金を融通する代わりにその家の妻と事に及んだというし、今の世の不倫とはやや違うのかもしれない。

233 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/11(金) 10:49:59 ID:dy6sO45P0]

狭い地域で浮気とかして無茶苦茶な生活してたからこうなる


356 名前:名無しさん@十周年 mailto:sage [2009/12/13(日) 20:56:16 ID:5s4ak5JF0]

前に新聞で特集の写真をみたけど

被告はかなり整った顔立ち。N氏とは月とすっぽん。

あの風土ではN氏の嫉妬、やっかみがあり陥れられた感ありの印象をもった。

234 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 11:28:25 ID:+ANuCtPD0]

田舎こそ男女関係がひどいのは面白いね。
岡山の津山30人殺しと一緒にしたらまずいけど、男女関係は怖い。


153 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 19:11:57 ID:KPqiU0zq0]

89 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい :2007/05/21(月) 16:31:00 ID:aysqRUiS0

事件前日、勝氏の隣人の妻(事件によって死亡)は、家庭内暴力を振るう夫からのがれるため、勝氏の家に逃げ込んでいた。隣家の主人(N・O氏、健在)には愛人がいた。事件後、妻が死亡したため、すぐに再婚している。関係者の話では、彼が真犯人とされている。これは真実である。

以上は、裁判司法板のスレからの引用。

名張毒ぶどう酒事件 再審取消について
society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1167357268/

181 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 22:58:32 ID:F6E5XFL6O]
>>153
なんだこれ!酷いな!
新犯人の化け物が一石三鳥じゃないか。
いわない現嫁を抹殺し愛人と再婚が出来、勝を犯人に陥れた。

何やってんだ裁判官や検事は!
しかも、48年間牢獄?生きてる者にあまりに残酷!


187 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/10(木) 23:45:33 ID:KPqiU0zq0]

真犯人と断定するのは、新たな冤罪を生みかねないから、避けるべき。

ただし、ぶどう酒がON氏宅に長時間保管されていたことは、確認されている。
ON氏の妻が亡くなったことも事実。


190 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 00:01:50 ID:KPqiU0zq0]

115 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい :2009/09/08(火) 10:25:24 ID:dyNf+kXj0

犯人はNの奥さんなんだよ。無理心中だったんだ。

だからNは奥西死刑囚に罪を着せた。そうしないと、自分の立場が無くなってしまうからだ。

奥西死刑囚は奥西死刑囚で自分の奥さんがやったと思ったらしい。だから虚偽の自白をしたんだね。

愛人との三角関係。この愛人は多数の村人と関係を持っていた。


以上のような説もある。真相は闇の中だが、村人が供述を同時一斉にひっくり返すなど、捜査過程に大いに疑問が残る事件であることは間違いない。

【名張毒ぶどう】門野博の出世を生温かく見守るスレ
society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1168080045/


206 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 03:08:42 ID:lYHsYb+b0]

事件が起きた昭和三十六年、葛尾の住人たちは閉鎖的ともいえる共同体の中で暮らしていた。奥西元被告の有罪を疑う人々の中には、当時の集落の閉鎖性が彼を犯人に仕立てあげたと主張する人もいる。

捜査段階では、村人がこぞって奥西元被告を犯人にするために警察に協力したというのだ。

ジャーナリストの青地晨氏は、次のように書いている。

「もし勝が犯人でないと言明すれば、部落のなかに真犯人がいることを意味する。
せっかく惨劇の傷あとが、たとえ表面的にせよ癒されているのに、勝の無実をいうことは、部落から新たな縄つきを出し、部落の平和を攪乱することに結びつく。

これは部落の人びとが絶対に避けたいことであり、すべてに優先する心情なのである」(「現代」五十一年四月号)

奥西元被告が自白をひるがえした後には、彼の家に石が投げられ、家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。

また奥西元被告の家の墓地は、共同墓地から追い払われ、墓地に隣接した畑の中にぽつんと建てられているという。

つまり葛尾の集落は、奥西元被告とその一家を“犠牲の山羊”にすることで、平和と団結を保っていたというのである。


207 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/11(金) 03:13:07 ID:lYHsYb+b0]

ぶどう酒の購入を決めたのは、当日の朝。実際に買ったのは、Rさん

 ◆ぶどう酒が懇親会に出ることが決まったのは当日の朝。

 ◆決めたのは三奈の会会長で農協に勤めるN氏で、農協職員のRさんに購入を命じた。


Rさんは、酒店でぶどう酒を購入。N氏宅に運んだ

 ◆Rさんは村に飼料を運ぶため農協に立ち寄った車に便乗し、酒店で清酒2本とぶどう酒1本を買い、

 ◆N氏宅に運んだ。受け取ったのはN氏の妻・F子さん(事件で死亡)。


午後5時20分頃、公民館に(奥西)勝さんが運んだ

  その後、隣家の(奥西)勝さんがN氏宅に来て、5時20分ごろ公民館に運んだ。


事件直後の供述では、午後4時頃に到着(※)

 ◆事件当初Rさんや酒屋など運搬に関わった村人の供述では、ぶどう酒がN氏宅に届いたのは4時前。

 ◆N氏宅に1時間以上も置かれていたことになっています。

 ◆つまりN氏宅でも犯行機会があったのです。


以上、
www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/mujituda-2.htm(現在は閉鎖)より引用

(※)
事件発生後しばらく経ってから、住民の証言が申し合わせたかのように一斉に変わる。新証言により、N氏宅での犯行機会がなくなり、奥西勝だけが犯行機会があったとされてしまう。

登場人物

 N=奥西楢雄
 F子=奥西フミ子(奥西楢雄の妻)
 R=石原利一


390 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/14(月) 15:43:04 ID:KeU6w3KRO]

勝さん可哀想
http://yomi.mobi/read.cgi/newsplus/tsushima_newsplus_1260378058/

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人

 
 最高裁が審理を審理を高裁に差し戻した・・

 再審が濃厚となった名張毒ぶどう酒事件。 人口100人、 わずか15世帯。そのうち10組が不倫関係だったという夜ばいの村で起った大量殺人。

 途中で村人が供述を同時一斉にひっくり返すという過疎の村ならでは、前代未聞の異常事態が起ったこの事件。 奥西死刑囚の声は届くのか。

 この大量殺人、村内では決して触れる事が無いが犯人が特定されているという。

 事件前日、奥西死刑囚の隣家でトラブルがあった。
 事件で死亡した隣家で村の有力者でもある奥西楢雄の妻が、夫奥西楢雄に殴られ逃げてきたという。 奥西楢雄も夜ばいの村の例外ではなく村内に愛人がいた。このトラブルだったという。

 「凶器」となったぶどう酒の購入を決め、購入したのはこの奥西楢雄。農協に勤務していた。

 ぶどう酒を懇親会に出すことになり、奥西楢雄は農協職員の石原氏に運搬を依頼する。 石原氏は酒店で清酒とぶどう酒を購入し奥西楢雄宅に運ぶ、受け取ったのは事件で死亡した奥西楢雄の妻。 受け取ったのは16時ごろだという。

 この前後に石原氏は何人かの村人とすれ違っており それらの証言からもこの時刻ははっきりしていた。 その後、17時すぎに奥西死刑囚が殺戮現場である公民館に運び事件が起こった。

 これが事件直後の村内での供述だ。

 しかし・・事件から2週間以上経ってから「村人が供述を同時一斉にひっくり返す」 という異常事態が起る。

 村人たちが石原氏がぶどう酒が奥西楢雄宅に届けたであろうすれ違った時刻は17時ごろと証言しはじめ、奥西楢雄宅での空白の1時間がなくなってしまう。そして犯行機会があるのは奥西死刑囚だけとなってしまう。 
 
 その後、奥西楢雄の妻は事件で死亡したため、すぐに再婚しているがなんと奥西楢雄は奥西死刑囚の愛人でもあり事件で死亡した北浦ヤス子とも愛人関係にあったという。 そして北浦ヤス子は奥西死刑囚と別れるから奥西楢雄も妻と別れるよう迫っていたと言う。 事件前日の痴話げんかはこの別れ話がエスカレートしたものだったという。

 奥西死刑囚が犯人でないのなら、毒物を入れたのは空白の1時間、奥西楢雄か奥西楢雄の妻ではないか・・・

 村内ではタブーであり、住人全員が奥西死刑囚の死刑を願っているのだ。実際に、奥西死刑囚が否認に転じると奥西死刑囚の墓は住人の手により共同墓地から追い払われ、奥西死刑囚の母を集団リンチという犯罪行為が堂々と行われていたのである。
 
 ぶどう酒を飲んだ懇親会を開いた生活改善グループ「三奈の会」の会長で、妻フミ子さんを亡くした奥西楢雄さん(81)は、自宅のテレビで午前十時すぎ、速報で取り消し決定を知った。

 奥西楢雄さんは

「日本の裁判所は正しい判断を下した。事件後、住民が徹底的に調べられ、勝しかいないと確定したから、今回の取り消しは確信していた」

と納得の表情。 さらに

「勝は生きたいために無実を訴えているだけ。 何度やっても同じこと」

と口調を強めた。

 事件から50年、再審の行方は。

 そして真犯人は奥西楢雄なのか、奥西楢雄の妻なのか。
http://sfu9xi.sa.yona.la/630

★役職務め 趣味も達人 名張 奥西さん

奥西さん=名張市葛尾の自宅で

名張市葛尾に住む奥西楢雄さん(80)は、数々の地域の役職を務めながら、趣味も楽しむ達人だ。

 定年後、区長から始まった地域の役職は数えきれない。現在も全国乗馬倶楽部東近畿地区会長、昨年8月からは名張地区交通安全協会の会長などを務める一方、趣味は民謡や渓流釣り、書道を20年来続ける。

 地元の農協に勤めていた奥西さんは47歳の頃に淡路島を訪れた。そこで初めて馬に乗り「何て楽しいんだ」と即決で5頭の馬を購入し伊賀で初めて同市夏見に「名張乗馬クラブ」をオープン。最初は観光馬のようなものだったそうだ。その後間もなく長男に任せた。

 スリムな体型から出るエネルギーは夏限定で飲む“マムシの心臓”のおかげらしく、クラブ周辺の除草作業や馬たちの好物であるニンジン作りは奥西さんの仕事だ。

 奥西さんは「動ける間は色々と挑戦したい。今は交通事故を少なくするにはどうしたら良いかを考え中」と話した。
http://www.iga-younet.co.jp/honshi/special/special419/

372 名前:名無しさん@十周年 [2009/12/14(月) 08:49:31 ID:fhwGc3+w0]

奥西楢雄

「あれだけ調べたのだから犯人は(奥西勝で)絶対間違いない。

 騒いでいるのはあなたたち(報道陣)だけで、事件は解決済みだと思っている」
http://yomi.mobi/read.cgi/newsplus/tsushima_newsplus_1260378058/l50  


12. 2012年5月18日 23:34:09 : MiKEdq2F3Q


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以下はネットで有名な噂なので一応コピペしておきますが、第二の冤罪事件を生むと困りますから話半分に読んでおいて下さい:


160:名張住在[] 08/03/15(土) 21:42:25 ID:PH0g7/54O(1)

容疑者と昔からの友達だったという人が、「あいつは絶対やってない」と言っていた。周りの人は皆、冤罪だってわかってる気配だよ。

159 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 08/02/23(土) 15:06:18 ID:G31xFQrG0(2)

この事件を知ったのが小学生のとき
現在中年

当時から

「あれはいじめられていた女性がワインに農薬を混入させ自分も自殺をはかった」

とまことしやかに言われてましたよ
三重県名張市近く在住


161 + 2:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 08/04/04(金) 22:22:10 ID:SyfHrOYT0(1)
>>159
ということは、犯人は、死者の中にいる?


163 + 4:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 08/04/17(木) 20:35:26 ID:+wxwRWym0(1)

真犯人がいるとしたら>>161ということかな。隣の嫁だよなあ…。

だとしたら、死人に口なしというし、奥西勝氏可哀相すぐる。

結局、余りに証拠が無さすぎる、と。だから状況証拠が一番揃っていた勝氏が疑われたんだよな。

不倫の清算て…対女性無差別テロみたいな形で殺すかあ?と思う。むしろ、姑にいびられる不幸な女性が田舎の女の生き方に悲観し、近所の女衆を道連れにして自殺…という方が納得がいく。

奥西楢雄犯人説同様、勝氏犯人説以上に物証を欠いた妄想にすぎないけど。


192 + 2:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 09/03/19(木) 17:55:23 ID:3EpznxSN0(1)

これは愛人か奥西楢雄の奥さんが犯人なんだろ。

死人に口なしではないが、犯人が死んでいたら犯人なんて出てくるはずが無い。

奥西楢雄としても奥西勝がやったことにしておかないと困るというわけ。

とはいえ、奥西勝がいまさら出てきても帰る場所が無いというのもある。

198 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 09/04/18(土) 23:28:08 ID:Bzhqgzic0(1)

容疑者は、奥西勝の奥さん、奥西楢雄の奥さん、奥西勝と奥西楢雄の共通の愛人。

奥西勝が自白したのは、奥さんが毒を入れたと思ったから。小さい村だから奥さんが毒を入れたとしたら、自分の責任にもなる。しかし、奥西楢雄の奥さんや愛人が毒を入れていないと確定していない。誰かが仕組んだ無理心中だったという線が一番ありうる。

犯人は死亡した人間の中にいると考えるのが合理的。

奥西勝がぶどう酒を飲んで死んでいない以上、三角関係の清算と言う見解は難しいだろう。

235:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/01/21(木) 11:03:03 ID:yaqkpWTC0(1)

六人目の犠牲者(江川紹子)を読んでみた。

村の女(相手が誰であっても)を、女たちが宴会で飲むブドウ酒に毒を入れて殺すという計画なら、もう前述の奥西楢雄しか犯行不能だと思う。

死んだ奥西楢雄の奥さんも含めて、参加者たちは宴会で例年出ていたブドウ酒が
出ない事を知っていた。前回の会合(会長の奥西楢雄欠席)で予算不足から、それは決定済みだった。死んだ奥西楢雄の奥さんが犯人なら、会長代理として出席しているのだから、そんな決議はしなかったはず。

肝心の女用ブドウ酒が無いなら、単なる無差別殺人になってしまうもんな。

奥西楢雄は当日になってポケットマネーを出しても、と独断で予定の清酒二升に
ブドウ酒を付け加えさせて農協の石原利一に買いに行かせてる。 そして、当初は酒が奥西楢雄の家に3時間以上も置いてあったはずなのに、村の証言者たちは、証言を翻して奥西勝が来る直前に届いたという事にしているのも奇妙。奥西楢雄夫婦と酒の接点を無くそうと必死になっているわけ。

もっと面白いのは宴会に先立って、このブドウ酒のフタを開けたのは誰かという捜査で、当初、奥西楢雄は自分が開けたと言ってる点。

驚いたことにブドウ酒の栓を開けた、という人物は二人いる。

もうひとりは石原利一で、周囲の多くは石原利一だったとも言っている。それに関する会話(歯で開けようとした)も周囲に記憶されているから、こちらが本当と思える。 ただし、この石原利一は後に「思い違いだった」と言い始めるけど。

その奥西楢雄は死んだ細君から瓶を渡されてフタを開けてくれ、と頼まれたと語るのだが、「私に渡す前に妻は開けようとしたらしく封緘は無かった」と言ってる。 何のために、そんな事を言ったか目的を考えてみると答えはひとつだよな。

さらに付け加えると、死んだ奥西楢雄の奥さんが犯人だとすると、人に開栓を頼むのは不自然に過ぎる。自分も飲んで死ぬ覚悟であったとすれば尚更だ。
決して奥西楢雄が犯人と断定はしないが、出てきている状況からすると奥西楢雄の可能性は否定できないと思う。


236:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/01/21(木) 21:38:09 ID:i7JKLF7N0(2)

もうひとつ。

農薬なんだけど当時の村ではほとんど使われてなかったようで、村の人間の中で農薬の知識があったのは「消毒好きな」奥西と営農指導員の奥西楢雄くらい、というのが村人の供述にある。

奥西楢雄の母と死んだ嫁の仲の悪さは村でも有名だったらしいから、これが動機と考える事は可能だよね。嫁姑問題というヤツ。

この母親は死ななかったわけだけれど、当時の個人ごとの中毒状況所見は見てみたい気がする。

それが記載されてる資料ってあるんですかね?

237:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/01/21(木) 22:09:21 ID:i7JKLF7N0(2)

>>232さんに質問なんだけれど、当時の警察が被疑者死亡ではなく、あくまでも
犯人逮捕に拘った理由というか、そうしなくはならない事情はあったんでしょうか?

事実、死亡者犯人説が当初はあったらしいのに、こちらの方向では早々に捜査が
打ち切られているんですよね。 狭山事件のように「生きた犯人を」という上部からの無言の圧力があった情報は見つかりません。

村人たちが叫んだ「村の和を尊ぶ」方向へ誰の犠牲も出さずに落ち着かせるのは、当初は皆が納得していて、奥西すら語った奥西の細君の無理心中説なんですよね。


238:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 10/01/24(日) 00:03:04 ID:BATQGeH20(1)

動機としては、奥西楢雄の奥さんが嫁姑問題を解決するために毒ぶどう酒を作成
した。(奥西楢雄の母親を殺そうとした)それに気が付いた奥西楢雄が奥さんを叱責。 自暴自棄になった奥西楢雄の奥さんが無理心中・・・こんな線が考えられそう。


239 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/01/24(日) 11:57:17 ID:uW67gHlP0(1)

奥西楢雄の奥さんが犯人だとすると、この宴会でやる必要は無いんですよ。
覚悟の無理心中なら後の世間体は考えずに済む。日々の食事に細工を行なえばいい。無関係な人を巻き込む理由は無いわけです。

おそらく警察が早い時期に奥西楢雄妻を捜査対象から外したのはそれに気が付いたからでしょう。同時に奥西勝さんが疑われたのも同じ理由でしょう。

奥西楢雄は犯行に関係無い、と間接的に主張している事になる酒5時到着説のもとになる証言は奥西楢雄の実妹が言い出したものです。

当初の2時到着説は、この証言が出てから一斉にそれと合致するシナリオに変わっている。 奥西楢雄の当日午後の行動が知りたいですよね。


89 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/21(月) 16:31:00 ID:aysqRUiS0(1)

事件前日、勝氏の隣人の妻(事件によって死亡)は、家庭内暴力を振るう夫からのがれるため、勝氏の家に逃げ込んでいた。隣家の主人(奥西楢雄 氏、健在)には愛人がいた。事件後、妻が死亡したため、すぐに再婚している。

関係者の話では、彼が真犯人とされている。これは真実である。


94:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/23(水) 22:08:54 ID:zWAWELXK0(1)

暴力をふるっていた奥西楢雄氏は、すぐに愛人と結婚した。 妻が邪魔だったのだろう。 勝氏の、三角関係の清算と言われているが、普通なら両方殺したりしない。

 ちなみに、奥西楢雄 氏は、村の実力者。

だから、誰もが口を閉ざしている。

http://read2ch.com/r/court/1167357268/


873 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 12:26:20 ID:d0COKNxP0 [13/20回発言]

真犯人の殺したかったのは奥西死刑囚の妻と愛人やなくて自分の嫁やったということや。 つまり真犯人は奥西勝に自分の嫁が寝取られとると思たわけや。それで嫁を問い詰めたけど白状せんのでますます妄想を膨らませ殺意をつのらせていったわけや。

真犯人が村のリーダー的な存在やったら不倫間係そのものより自分の嫁を寝取られたことが公になってしまうことでメンツがつぶれることを気にする。不倫妻の制裁と村社会での自分のメンツを保つことは動機にならんか?
http://logsoku.com/thread/news19.2ch.net/newsplus/1167189784/

54 名前:朝まで名無しさん[] 投稿日:2007/01/03(水) 16:02:32 ID:Sa+Dx8wN

動機面で材料となる部分を、過去ログから引っ張ってきたよ。


●前スレの856
4.奥西勝は、当初、疑わしい人物として、妻ではなく、奥西フミ子の名前を挙げていた。   理由として、次のエピソードを挙げている。

 「フミ子さんが泣きながら『かくまって』とうちに逃げ込んできて、義母(コヒデ)と喧嘩をして追われたので、逃げてきたと言って、家に戻ろうとしないことがありました。3月23日か24日頃、寝床で妻が

『今日もフミ子さんとコヒデさんが喧嘩をして、フミ子さんは、川へはまって死ぬか、薬でも飲んで死んでしまいたい、と言っていた』

と話したことがありました。」


●前スレの878
江川氏著書pp146より参考になる箇所を引用しておこう。

フミ子の夫楢雄も、翌4月1日の警察の取り調べの中で、「このような事件を起こすような理由のあると思われる人」の「第1番目」として妻フミ子の名を挙げている。

姑のコヒデとの折り合いが悪く、コヒデが時にはフミ子に手を上げたこと、そうしたことがきっかけでフミ子は宗教団体に通うようになったを挙げ、「長年いじめられた私の実母に対する復讐のためではないか」という。

●前々スレから

974 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/28(木) 20:52:40 ID:d0COKNxP0

北浦ヤス子は奥西勝死刑囚だけでなく「三奈の会」会長の奥西楢雄とも不倫関係にあったという話もあるんやな。それで妻のフミ子(事件の被害者)から別れるように迫られていたと。つまり奥西勝と奥西楢雄は全く同じ状況にあったらしいんやな。

976 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/28(木) 21:08:07 ID:d0COKNxP0

一方、北浦ヤス子は勝と別れるから楢雄に妻のフミ子と別れるように頼んでいたとも。一体この村はどうなってるのか何が何だか分からん。

97:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/24(木) 20:21:18 ID:H1bFx98P0(4)

北浦ヤス子さんは会長とも関係が?
その会長の奥さんのフミ子さん(死亡)が義母(→会長の母親)を疎ましく思っていた?

99:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/24(木) 20:27:01 ID:H1bFx98P0(4)

奥西楢雄さんと愛人が存命だとしたら、、、どうなるの?(何

100:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/24(木) 20:28:55 ID:H1bFx98P0

奥西楢雄さんの当時30歳の妻が邪魔になって(汗)

102:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/25(金) 12:14:06 ID:dETCRWrm0

ぶどう酒の購入を決めたのは、当日の朝。実際に買ったのは、石原利一さん

 ◆ぶどう酒が懇親会に出ることが決まったのは当日の朝。

 ◆決めたのは三奈の会会長で農協に勤める奥西楢雄氏で、農協職員の石原利一さんに購入を命じた。

石原利一さんは、林酒店でぶどう酒を購入。奥西楢雄氏宅に運んだ

 ◆石原利一さんは村に飼料を運ぶため農協に立ち寄った車に便乗し、林酒店で清酒2本とぶどう酒1本を買い、

 ◆奥西楢雄氏宅に運んだ。受け取ったのは奥西楢雄 氏の妻・奥西フミ子さん(事件で死亡)。

午後5時20分頃、公民館に(奥西)勝さんが運んだ

  その後、隣家の(奥西)勝さんが奥西楢雄氏宅に来て、5時20分ごろ公民館に運んだ。

事件直後の供述では、午後4時頃に到着(※)

 ◆事件当初石原利一さんや酒屋など運搬に関わった村人の供述では、ぶどう酒が奥西楢雄氏宅に届いたのは4時前。

 ◆奥西楢雄氏宅に1時間以上も置かれていたことになっています。

 ◆つまり奥西楢雄氏宅でも犯行機会があったのです。

以上、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nabari/mujituda-2.htm より引用


(※)
事件発生後しばらく経ってから、住民の証言が申し合わせたかのように一斉に変わる。 新証言により、奥西楢雄氏宅での犯行機会がなくなり、奥西勝だけが犯行機会があったとされてしまう。

148 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 07/10/07(日) 09:40:07 ID:N40sP6W60(1)

奥西勝さんはぶどう酒を運んだ後の公民館で10分間ひとりきりになったとされています。 そして、その間にぶどう酒に毒を入れたとされています。 しかし、この「10分間」は本当にあったのか、大いに疑問とするところです。

奥西勝さんも、裁判のなかで一貫して「公民館でひとりになっていない」と主張しています。

この「10分間」は、そのころ公民館とN氏宅を往復したS子さんの証言にもとづいています。

「私は5時頃2回公民館に行った。一度目はぶどう酒を運ぶ奥西勝さんと一緒だった。 公民館に雑巾がなかったので、奥西楢雄宅に取りに戻り、もう一度公民館に引き返した。 私が雑巾を取りにいっている間、勝(奥西勝さん)は公民館にひとりでいた」


というものです。 しかし、N氏宅で総会のための炊事仕事をとりしきっていたY子さんは再審請求の裁判のなかで、

「S子さんが最初に公民館に行ったあと勝を道で見たけど、勝(奥西勝さん)は牛の運動をしていた」

と、こう証言しています。 とすると、S子さんの証言には重大な疑念が生ずるのです。

さらなる新証拠発見!名張署長の捜査ノート

また、名古屋高裁での第六次再審請求において提出されたのは、新たに発見された事件当時の名張署長の捜査ノート(「中西ノート」)です。このノートは当時の捜査会議の内容を克明にメモしたものですが、事件後3〜4日後の記述には、S子さんの供述として

「奥西勝さんは公民館でS子さんや別の主婦とずっと一緒にいた。」

と書かれており、奥西勝さんの

「公民館で一人になった機会はない」

という主張を裏付ける内容のものです。 S子さんは事件直後の新聞記者の取材に対しても同様の延言をしています。 こうした記億の鮮明な事件直後の供述と明らかに食い違うS子さんの供述は信用できません。

死刑判決が認定した奥西さんの犯行機会(=「10分間」)がそもそも存在しないことがいっそうはっきりしたのです。
http://read2ch.com/r/court/1167357268/

912 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 16:36:14 ID:UCngw7Wt0 [4/5回発言]

この事件の住民の証言は笑えるよ

最初の頃の詳細な証言なら無実確実なのに突然みんな揃って勘違いでしたでがらっと変わる、そして破綻しまくり

一審無罪の後、無罪の決定的な証言をしていた人物が証言を変える

変えた証言は無茶苦茶

他の人物は不利になると忘れただの、覚えていないだの証言

ぶどう酒が出るのを被告が知りえるわけないとの証言も二審で勘違いでしたで全く違う証言

そして被告に不利な証言を正しいとしてどんどん採用

まぁ無罪だね


915 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 16:52:22 ID:d0COKNxP0 [16/20回発言]
>>912
奥西勝が無罪になると困る村側の事情とメンツにこだわる警察・検察の利害が
一致したということやろね。
http://logsoku.com/thread/news19.2ch.net/newsplus/1167189784/

125:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 07/07/03(火) 11:13:05 ID:gYkNPD1mO(1)

前にドキュメンタリー番組でこの事件の取材ものを見たんだが事件のあった地域の、事件をリアルタイムで知っているあるいは関わっている老人達の取材が怖かった。

死刑囚の方に対して

「犯人はあいつに決まってる!」

「なんで早く死刑にならないんだ!」

ということを言っていたんだが、この中に真犯人がいるとしたら…おそろしい。
http://read2ch.com/r/court/1167357268/


95 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/23(水) 23:45:34 ID:75fP95TT0(1)
【伊勢新聞】
ぶどう酒を飲んだ懇親会を開いた生活改善グループ「三奈の会」の会長で、妻フミ子さん=当時(30)=を亡くした奥西楢雄さん(81)は、自宅のテレビで午前十時すぎ、速報で取り消し決定を知った。 楢雄さんは

「日本の裁判所は正しい判断を下した。事件後、住民が徹底的に調べられ、勝しかいないと確定したから、今回の取り消しは確信していた」

と納得の表情。さらに

「勝は生きたいために無実を訴えているだけ。何度やっても同じこと」と口調を強めた。
http://read2ch.com/r/court/1167357268/


138 + 3:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 07/08/05(日) 00:08:29 ID:vdsU3YG20(1)

俺、今名張市民で接客業してるんだけどさ

>>95の上のリンク先で奥西楢雄の写真見てびっくりしたんだけど

こいつたまに店に来るやつじゃないのかなぁって思うんだけど

江川氏の本読んで、(店に来るのが本人だったとして)あいつの態度見たら
あいつが犯人だろ?って思うわけさ。

すごいえらそうなのよね、態度が

しかも老人の割りにめちゃくちゃ派手なかっこうして、いかにも権力持ってます、的な。

やっぱり犯人なのかね?

今度直撃してみたいw


101:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/24(木) 21:45:15 ID:i/hT9HeK0

時間が経ちすぎていてどうにもならないのかな?

のうのうと暮らしている奥西楢雄が許せないね。

勝氏は当時、奥西楢雄に疎まれていた。

この地区で一番初めにテレビを買ったのが勝氏の家。地区の人はみんな勝氏の家に観にいっていたらしい。 派手な生活をしているのが、疎ましかったのだろう。 あとは北浦さんとの関係も。


248:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/04/09(金) 09:21:41 ID:4ADapTG1O(1)

奥西氏はイケメン


249:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/04/09(金) 12:31:20 ID:Hp2N3Ybz0(1)

あのイケメンで、あの当時あの小さな集落だったら・・・

そりゃモテモテだっただろうなぁ・・・

俳優みたいですやん;;
http://read2ch.com/r/court/1167357268/

822 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 10:08:23 ID:CR03pfsE0 [1/3回発言]

奥西死刑囚の母

 奥西死刑囚の母の死が伝えられた記事を目にした。
 そこには、彼女が受けた仕打ちが書いてあった。

 事件後、家のガラスを割られ、土足で家に上がられ、頭を蹴飛ばされ、庭で土下座をさせられたそうだ。

 こんな状態では住んでいられないので、事件の翌年には市内の別の場所に引っ越し、67年に落ち着くまで4回の引っ越しを余儀なくされたそうだ。

 そんな苦しい目に遭っても、毎日のように息子に面会に行ったそうだ。だが彼女は、当時の再審が大詰めを迎えつつあった88年、84歳の生涯を終えた。

 どんな気持ちで亡くなっていったのだろうか・
http://www.geocities.jp/waramoon2000/hitori39.html


111 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/06/01(金) 09:34:08


名張市葛尾の住民が、奥西勝被告人の家族に対して行ったとされる行為を整理すると、

「彼(奥西勝被告人)の家に石が投げられ」
⇒器物損壊罪
  刑法261条:3年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料

「家族の夕食中に住民がなだれこみ「土下座してあやまれ」と迫ったりもした。」
⇒住居侵入罪
  刑法130条:3年以下の懲役または10万円以下の罰金
⇒脅迫罪
  刑法222条:2年以下の懲役または30万円以下の罰金

「奥西元被告の家の墓地は、共同墓地から追い払われ」
⇒礼拝所不敬及び説教等妨害
  刑法188条:6月以下の懲役若しくは禁錮または10万円以下の罰金
⇒墳墓発掘罪
  刑法189条:2年以下の懲役
⇒墳墓発掘死体損壊等
  刑法191条:3月以上5年以下の懲役

「(奥西勝被告人の)母親にまで暴力を振るった」
⇒暴行罪
  刑法208条:2年以下の懲役または30万円以下の罰金または拘留もしくは科料


各所に書かれていることが事実ならば、名張市葛尾の住民が行った行為は、完全な犯罪行為である。 警察は、見て見ぬふりをしていたのか?


254 + 1:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/04/18(日) 11:16:16 ID:ki520z+R0(1)

村八分にして投石&墓荒らし。これでは他の100人の中に真犯人がいると自白しているようなものだ。w


211:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 09/06/13(土) 23:41:04 ID:q1szwqUNO(1)

村人は全員地獄行きだな。

213:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 09/06/20(土) 14:27:12 ID:3gcMlH890(1)

村人は、奥西勝さんに酷いことをしたよね
http://read2ch.com/r/court/1167357268/


13. 2012年5月19日 19:46:59 : MiKEdq2F3Q

三重県名張市葛尾
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E5%90%8D%E5%BC%B5%E5%B8%82%E8%91%9B%E5%B0%BE&sll=34.60444,135.517588&sspn=0.011692,0.013497&brcurrent=3,0x60014d8668fde0ab:0xfb3770f5e7d67671,1&ie=UTF8&hq=&hnear=%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E5%90%8D%E5%BC%B5%E5%B8%82%E8%91%9B%E5%B0%BE&ll=34.652335,136.060315&spn=0.002921,0.003374&z=14


1969(昭和44)年、奥西勝(84)は名古屋高裁で逆転死刑判決を受けた。そのまま収監され、40年。支援者との面会で最近、独房から無実を訴え続けた半生をこう振り返ったという。長い沈黙の後、「残念。無念。悔しい。言葉にならない」と。


 「家族も大きな被害者。苦しみは私と同じ」。

奥西は今年1月、支援者への手紙に書いた。無実を信じて他界した父母、疎遠になった長男、長女、その子孫たち…。

捜査段階で犯行を認めた奥西は

「捜査員に『苦しんでいる家族を救うために』と、うその自白をさせられた」

と訴える。だが皮肉にも、その自白が有罪の大きな支えに。死刑囚の親族として生きる人々の慟哭(どうこく)が、いつも奥西の頭にある。


 母タツノは88年に亡くなるまで三重県内のアパートに独りで暮らした。月1回は内職で得た金を手に面会へ。毎週のように送った手紙には、死刑囚となった息子への励ましと苦悩がにじんでいる。

 「おとなしいのは、そんです。してない事はしたというな。しんでもしないというてけ」
(72年の上告審判決で死刑が確定した直後)


 「ほしいものがあれば母がはだかになってもかってやるから手紙でおしえておくれ」(73年の第1次再審請求直前)


 「あんかを入れてねると勝は寒くないのかと心配で、勝のゆめを見るのです。びっくりしてとびだしてみると、うそ(夢)でした。ざんねんでなみだがでて目が見えませんでした。ゆめなのに本とうの事のように思えて」
(亡くなる半年前)


 奥西は2005年、第7次再審請求審の意見書に書いた。

「母は息子の無実の罪を晴らしてやりたい一心だった。元気なうちに晴らしてほしかった」

 逮捕の約7カ月後、手錠姿で現場検証に立ち会う奥西に、中学生の長男、小学生の長女が駆け寄る写真がある。

「『お父ちゃん、お父ちゃん』と何度も叫び続けていた。その声は今も耳の奥に残っている。私はどうしてやることもできなかった」

と奥西は述懐する。

 2人は今、故郷を離れてひっそり暮らす。それぞれに家族ができ、ここ数年はほとんど奥西と顔を合わせていないとみられる。家族に会いたいと切望する奥西を、支援者はこう励ましている。

「まず再審を勝ち取ろう。そうすれば、きっと分かってもらえる」と。


 再審をめぐる特別抗告審で、最高裁の判断が近づいている。最愛の母が他界した年齢に達した奥西は「後にも先にもないヤマ場であります」と繰り返し、支援者の1人に「これが最後」と漏らす。期待とともに、残された時間への切迫感もまた、色濃くなっている。(文中敬称略)

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/nabari.htm

半世紀の証言:名張毒ぶどう酒事件/上 無実信じ続けた母


 「赤飯を炊いてタイを用意して待っとるよ」。

その朝、母は努めて明るい声で息子を送り出した。 1審無罪から5年後の69年9月。奥西勝が名張市の母タツノ宅から向かったのは、控訴審判決が下される名古屋高裁。

「原判決を破棄し、被告人を死刑に処する」。

奥西がタツノの元へ戻ることはなかった。タツノも毒ぶどう酒事件のあった集落から姿を消した。
     


 元東海テレビカメラマンの門脇康郎(67)が集落を訪ねたのは78年冬だった。奥西のことを書いた本を読み「判決は事実を見誤っている」と直感した。だが集落の住民は事件について口をつぐんだ。

 「奥西を一番よく知る人物から話を聞きたい」。

弁護団すら知らなかったタツノの居所を捜し当て、80年2月、名張市内の市営団地に足を運んだ。ガラス戸の5センチほどの隙間(すきま)から、小さな声が聞こえた。

「(集落の住民に)墓も持って行け言われてな」

 タツノが明かした「死刑囚の母」の日常は過酷だった。

道に座っていると蹴られ、家のガラスは石で割られた。

逃げた先々で「毒ぶどう酒の奥西や」とささやかれた。

団地は事件から数えて4カ所目の住まいだった。

「つらい毎日でした」。

昼も雨戸が閉め切られた室内の闇から、おびえ切った目がのぞいた。


 80年秋、タツノは初めて門脇を室内に招き入れた。戸を開けると線香の香りが鼻を突き、煙でいぶされてすすけたカーテンが目に留まった。タツノは午前と午後に2時間ずつ、線香を上げて息子の帰りを毎日祈っていたのだ。

「どうか息子を助けてください」。

タツノは息子より若いカメラマンの前に正座し、涙を流して畳に額をつけた。門脇は恐れさえ抱きながら、黙って眺めるしかなかった。

    
 「まさる しっかりせよ」(上告棄却直後の72年6月22日)

 タツノは拘置所の奥西に手紙を送り続けた。

「1日でも、もういっぺん一緒に暮らしたい」(74年4月19日)

「あんかを入れて寝ていると勝は寒くないかと心配で、すると勝の夢を見るのです」(88年4月22日)


 特別面会人として奥西との面会記録をノート10冊に書き残した川村富左吉(故人)は94年2月、手紙をワープロで打ち直し、奥西に差し入れた。息子の無実を信じた母は88年11月、84歳で病死した。969通に上る手紙は120ページの冊子となって残った。(敬称・呼称略)


 ●奥西死刑囚の言葉●

 最後まで無実を信じてくれた。母は誰よりも一番よく無実を知っていた=91年3月22日、母タツノについて


 これでやっと終わると思った。死んだ妻にも晴れて墓参りがしたいと思った=96年5月22日、無罪判決時の心境


 名古屋拘置所に移され2〜3日ぼーとしていた。自分が今どうしてここに居るのかわかるのに1週間くらいかかった=同、逆転死刑判決時の心境
 (特別面会人・川村富左吉の記録より)

 ●奥西死刑囚の言葉●

 妻が死に、子どもやら家族のこと、仕事のことやらどうしたらよいかが真っ先に気になった=96年5月22日、事件発生後の心境

 警察の暴力はしょっちゅう受けた。頭を押さえつけたり、こづいたり。机をどんどんたたいたり、恐ろしかった=93年12月27日、取り調べについて

 死刑になるとか全然思わなかった。思うのは子どもや家族のことばかり=96年5月22日、自白時の心境

 (特別面会人・川村富左吉の記録より)
毎日新聞 2011年6月15日 東京夕刊

http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/15dc3c5683e0aff3f5144e26f96f1f1b

奥西楢雄さんはどうやって責任を取るのかな?


14. 2012年5月20日 10:02:55 : MiKEdq2F3Q


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鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鹹              情苛泣罅         ∴3S川Γ ヨ据鬱鬱鬱
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奧西勝は警察から連日激しい取り調べがおこなわれた.  それは任意の取り調べであったが,奧西勝は事件直後から連日ジ−プで警察に連行され,長時間にわたり取り調べを受けた.

さらには自宅に帰っても警察官が泊まり込んで監視した.就寝から排便にいたるまで警察官に監視される生活の中で,ついに奥西勝は大量殺人を自白したのである。

妻と愛人を殺すために公民館で1人になった隙に,用意していたニッカリン・Tをぶどう酒に混入したと自白したのだった。自白したのは事件の6日後の4月3日午前3時40分である.

この自白した時間から分かるように,警察は深夜まで参考人に過ぎない奧西勝を取り調べていた。さらに自白した直後に警察で記者会見をおこない,奧西勝本人に記者の前で犯行を告白させ逮捕したのである.この記者会見は自白の任意性を世間に知らしめるための警察側の演出であった.記者会見とはいえ,警察官や記者に囲まれた状態で本当のことを言えなかった可能性があった.つまり自白が嘘である可能性が高いのである.奧西勝は自白したことに対し,犯人とされていた妻の千恵子の濡れ衣をはらすためだったとしている.

 名張毒ぶどう酒事件は,奥西勝による妻と愛人の三角関係の清算が犯行動機とされていた.しかし小さな村落である葛尾では,既婚の男女がそれぞれ他の男女と自由な性的関係を持つという性的に開放的な地域であった.そしてこの村落では三角関係、四角関係は珍しいことではなく,25戸の農家のうち7組が三角関係にあったとされている.そのため自白動機は殺人の理由としては希薄だった。奥西勝は愛人の他にも数人の女性相手がいたし,殺された千恵子,ヤス子にも他の男性相手がいた.

 田舎ののどかな村落では,全員が仲むつまじく暮らすというイメ−ジがある.しかしこの事件は村落の大らかで乱れた男女の性的関係を暴露し,平和に見える農村にも,世間の目から隠された暗部のあることを示していた.その意味でこの事件が世間に与えたインパクトは大きかった.

 奥西勝はお茶の消毒薬として日本化学工業株式会社の「ニッカリン・T」という農薬を買っていた.そしてこの農薬をぶどう酒に混入したとされている。しかしその後の調査で,ぶどう酒に混入されていたのはニッカリン・Tではなく,ニッカリン・Tと同じにテップを含有する三共株式会社の「三共テップ」または富山化学工業株式会社の「トックス40」と解明されたのであった.これらの農薬は広く製造販売されていたことから,ここに冤罪の可能性が生じたのである.

 裁判では奥西勝は一貫して無罪を訴え続けた.この事件は証拠らしい物的証拠はなく,村は男女関係がオープンで不倫は日常茶飯事だったことから,三角関係の清算という動機は弱いものであった。しかも三角関係の清算が動機とされているが,奥西勝さんと妻,愛人の3人はいつも連れだって仕事や映画に行っており,殺害を起こすような三角関係の苦悩という深刻さがなかったと村人たちは証言したのだった.

また事件2日前に奥西勝さんは市内の薬局でコンドームを買っている.これも妻や愛人との情事に使うためで,殺害の動機は希薄であった.
http://blog.goo.ne.jp/cool-susan/e/43b6c460b53d83ff084c78a70c655ac9

2 警察の焦り

 警察は、事故と犯罪の両面で捜査を開始したが、間もなく、ぶどう酒製造過程においてぶどう酒にテップ剤が混入した可能性は乏しく事故の線は薄いと判断し、殺人及び殺人未遂事件に捜査を絞り込んだ。

 警察は、事件発生直後から、ぶどう酒を懇親会に出すことを決定した当時の三奈の会会長奥西楢雄、右会長奥西楢雄の依頼によりぶどう酒を購入し、酒店から会奥西楢雄宅まで右ぶどう酒を運んだ石原利一、会長奥西楢雄宅から公民館までぶどう酒を運んだ奥西勝さんの3名の中に犯人がいるものと考え、右3名の取り調べを集中的に行った。
当初警察は、ぶどう酒に接触した人間を調べれば案外簡単に犯人を割り出せるだろうと楽観し、その旨公言もしていた。しかし、本件は「第二の帝銀事件」として全国的な注目を集め、26戸、総勢14〇人の小集落である葛尾に多数の報道機関が乗り込み、連日報道合戦を展開していたので、犯人の特定もできず、これといった物証を発見できない警察に対し、日増しに批判、圧力が増していった。

 このような中、警察は、早期に犯人を検挙しなければならないという焦りから、奥西勝さんら重要参考人に対し、長時間にわたって取り調べを行い、自白を獲得して一気に事件解決を図ろうと躍起になっていた。

そのため奥西さんは、事件発生翌日の3月29日から連日朝から夜遅くまで長時間にわたって取り調べを受けた。警察署までジープで送迎され、奥西さんが自白する直前の4月1日には、警察官が奥西さんの自宅まで付いてきて、排便、就寝まで監視される状態であった。
このように警察は、奥西さんのみならず、どんな人でもこのような状況下であれば、身に覚えがないことでも早く自白すれば楽になれるといったところまで追い込んでいた。


3 どうして奥西勝さんが、犯人にさせられたのか。

 この事件で5人の方が死亡したが、その内の2人が奥西さんの妻であり、また奥西さんの愛人であった。このことは二重の悲劇を生んだ。1つは、妻と愛人を1挙に失ったということであり、もう1つは、それが長年にわたり犯罪者という汚名を着せられるきっかけになったということである。

 奥西さんは、当初、取り調べのなかで、この事件で亡くなった愛人のことを隠していた。そのため警察はそれが判明すると厳しく奥西さんを追求するようになり、奥西さんは、「自分の妻がやったのではないか」と言うようになった。
これに対して


警察は、奥西さんが「妻が犯人である」と言いだしたとの情報をマスコミに流す


とともに、


「妻がやったことなら自分がやったのと同じだ。」

「農薬のある場所を教えたのだから幇助罪だ。」

「幇助罪は殺人罪と同じだ」

などと嘘を交えながら奥西さんを強く問い詰めていった。

もうこのころには、奥西さんは、妻と愛人を失い失意のどん底にあったこと、連日の長時間に渡る取り調べが行われたことなどから、肉体的にも精神的にも憔悴しきった状態であった。

 その結果、とうとう奥西さんは、4月2日の深夜(厳密には、4月3日午前3時ころまでの間に)自分自身が所持していたニッカリンTをぶどう酒に混入して本件犯行をしたとの自白をしてしまったのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~jinkenha/nabari_r1.html


おそらく村人も警察も真犯人が誰かわかっていたんでしょうね。しかし、本当の事を言ったら奥西勝さんの家族と同じ目に遭わされる。狭山事件の場合と全く同じ事情ですね。


揺らぐ死刑判決 〜検証・名張毒ぶどう酒事件〜
http://www.dailymotion.com/video/xfyc1t_yyyyyyy-yy-yyyyyyyyy_news

裁きの重み 名張毒ぶどう酒事件の半世紀
http://www.youtube.com/watch?v=16nVNVJhOPg


15. 2012年5月21日 13:42:24 : MiKEdq2F3Q


奥西文子は何故盛装して三奈の会に出席したのか?

275 :名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 16:04:25 ID:DedFR/430

奥西勝が嫌われ者だったというのは違う
きつい仕事を率先してする優しい人とみなが言っていた、人望もあった(三奈の会の元会長)

子煩悩の普通の人

自白後、村の住民は残された家族に罪はないとして暖かく接そうと有線放送で言っている

ショックを受けた子供を他の子供が向かいに行き学校に行っている

憎悪を浴びるようになったのは無罪を訴えるようになってから

三角関係が動機というのも非常にあやふや

事件のちょっと前に妻と愛人、他男性2名で映画を見に行っている

事件の数日後に妻と愛人と仲間で花見に行く予定を立てている

(事件の数日前、カメラを借りにきた友人に花見に行ってカメラがいるからと断っている)

妻が事件の日、「お父ちゃんに酒を飲むな」と言われたと言っている(証言あり)殺そうとした人物に言わないだろ

そもそも空白の十分間なぞ警察のシナリオに合わせてみんなででっち上げたものだから話にならない
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1167316366/


集落:生贄のヤギとアザゼルのヤギ   2010/04/12


「私は無実」訴え続け84歳…奥西死刑囚、時間とも戦う

「「判決主文を言い渡すからね」。法廷でこう切り出した高裁の裁判長は、一呼吸置いて「被告人を死刑」と続けた。閉廷後、両手に手錠をかけられ、拘置所に移送された。72年、最高裁で死刑が確定。

「やっていない事はやっていないと、言わないかん」

と励まし続けた母親は、88年に84歳で亡くなった。死刑の執行を恐れながらの拘置所での生活。これまで処刑や獄死で見送った死刑囚は二ケタを数え。70歳を目前に控えた93年には、死亡した時に私物を届ける先や献体を希望する先などを聞かれ、いよいよと覚悟したという。」(朝日新聞)


再審とは有罪の確定判決に対し、その効力をくつがえすものです。そしてその型には、ファルサ(falsa)とノヴァ(nova)があります。

ファルサとは、確定した判決が事実を認定するのに使用した証拠などが虚偽だったり、偽造などがなされた場合に再審を認める型です。対してノヴァは、明らかな証拠があらたに発見されたときに再審する型です。

名張毒ぶどう事件とは、小さな集落の会合で供された葡萄酒に密かに毒が盛られ、たくさんの人が亡くなった事件です。名張毒ぶどう事件の被告人、奥西勝さんは集会前日に葡萄酒に毒を入れたのだとされています。

しかしながら「魔の時間―六つの冤罪事件 (1976年) 」によればその寄り合い、「三奈の会」に葡萄酒がでるかどうかは、当時の会長、奥西楢雄さんの判断一つに任されており、誰も知りませんでした。

事実会長が葡萄酒を出すことを決めたのは当日朝だったといいます。

また警察で接待を受けた集落の某有力者(中川註:奥西楢雄?)にも奥さんと愛人との三角関係があり、惨劇のあった日は奥さんと大喧嘩をしたといわれ、その奥さんは何故か盛装して会に出席、毒ぶどう酒を飲んで死亡しています。

一審判決では、この家でも毒を入れるチャンスがあったことを、かなりはっきりと指摘しており、事件をめぐるナゾは、まだ十分に解明されたとはいえません。
http://iceburg.cocolog-nifty.com/iceblog/2010/04/post-b4f2.html

856 :名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 19:46:42 ID:yPFBYVfy0

奥西楢雄氏は、疑わしい人物として、次の3人を挙げている。


 1人目は、彼の妻である奥西フミ子。楢雄母(コヒデ)との嫁姑関係の険悪さは地区内でも有名だった。

 2人目は、ぶどう酒が飲めるはずなのに、当日に限って飲まなかった女性

 3人目は、奥西勝。妻と北浦ヤス子との三角関係を証言。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1167316366/

235:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 10/01/21(木) 11:03:03 ID:yaqkpWTC0(1)

六人目の犠牲者(江川紹子)を読んでみた。

村の女(相手が誰であっても)を、女たちが宴会で飲むブドウ酒に毒を入れて殺すという計画なら、もう前述の奥西楢雄しか犯行不能だと思う。

死んだ奥西楢雄の奥さんも含めて、参加者たちは宴会で例年出ていたブドウ酒が 出ない事を知っていた。前回の会合(会長の奥西楢雄欠席)で予算不足から、それは決定済みだった。死んだ奥西楢雄の奥さんが犯人なら、会長代理として出席しているのだから、そんな決議はしなかったはず。

肝心の女用ブドウ酒が無いなら、単なる無差別殺人になってしまうもんな。

奥西楢雄は当日になってポケットマネーを出しても、と独断で予定の清酒二升にブドウ酒を付け加えさせて農協の石原利一に買いに行かせてる。 そして、当初は酒が奥西楢雄の家に3時間以上も置いてあったはずなのに、村の証言者たちは、証言を翻して奥西勝が来る直前に届いたという事にしているのも奇妙。奥西楢雄夫婦と酒の接点を無くそうと必死になっているわけ。

もっと面白いのは宴会に先立って、このブドウ酒のフタを開けたのは誰かという捜査で、当初、奥西楢雄は自分が開けたと言ってる点。

驚いたことにブドウ酒の栓を開けた、という人物は二人いる。

もうひとりは石原利一で、周囲の多くは石原利一だったとも言っている。それに関する会話(歯で開けようとした)も周囲に記憶されているから、こちらが本当と思える。 ただし、この石原利一は後に「思い違いだった」と言い始めるけど。

その奥西楢雄は死んだ細君から瓶を渡されてフタを開けてくれ、と頼まれたと語るのだが、「私に渡す前に妻は開けようとしたらしく封緘は無かった」と言ってる。 何のために、そんな事を言ったか目的を考えてみると答えはひとつだよな。

さらに付け加えると、死んだ奥西楢雄の奥さんが犯人だとすると、人に開栓を頼むのは不自然に過ぎる。自分も飲んで死ぬ覚悟であったとすれば尚更だ。
決して奥西楢雄が犯人と断定はしないが、出てきている状況からすると奥西楢雄の可能性は否定できないと思う。
http://mimizun.com/log/2ch/court/1167357268/


873 :名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 21:02:17 ID:yPFBYVfy0

ニッカリンについての知識を持つ者について、地区内男性の証言(調書より)

 「葛尾の部落の中の男の間でも、ニッカリンというようなものについて、いくらかでもその使い方等について知っていると思われるのは、営農指導員の奥西楢雄と消毒好きの奥西勝ぐらいで、その他の者は、ニッカリンを見たこともないし、それをどのように使うのか全然知らない者ばかりであります。」


878 :名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 21:28:04 ID:yPFBYVfy0

フミ子の夫楢雄も、翌4月1日の警察の取り調べの中で、

「このような事件を起こすような理由のあると思われる人」の「第1番目」として妻フミ子の名を挙げている。

姑のコヒデとの折り合いが悪く、コヒデが時にはフミ子に手を上げたこと、そうしたことがきっかけでフミ子は宗教団体に通うようになったを挙げ、

「長年いじめられた私の実母に対する復讐のためではないか」

という。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1167316366/

156 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 21:56:58 ID:+KFKVbcl0

犯人が○○の妻(自殺)ってのも100%有りえない
それだったらもっと強力な毒にするだろ。現に飲んだ女の半分以上は助かってるんだぞ

何が悲しくて死ぬかどうか微妙な半端な毒を使って、自分が苦しまないかんのだ

499 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 05:03:29 ID:fyWJgDVUP

死んだ女性5人の中に犯人は居ない。

死んだ人間が真犯人なら、村人たちが生きている人間(勝)に罪をおっ被せるような嘘の証言をあれほど一致団結して必死にやる理由が無い。
スケープゴートっていうのは生きている誰かをかばうためのものだろ?


500 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 05:41:26 ID:BJOzaEDA0
>499
50年前の周りから隔離された小集落の村においてその村の昔からの地主を受け継ぐ有力者の影響力というのは、外の部外者からは考えられないほど大きい。
後、周りと違うことや不都合なことをすると、村八分にされる危険性はすごく高い。

村人は保守的、閉鎖的な考えの人が大半だから、地主の妻の犯行ということになれば、全国的な報道によって批判され、地主がいなくことになる村の崩壊を一番
恐れてもおかしくはないと思う。

503 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 06:32:55 ID:HPVYQcmp0
>>500
有力者の影響力というのは理解するけど、それなら勝ではなく、勝の妻か愛人を犯人とすることで村がまとまることもできたはず。 実際、当初は勝も勝の妻が犯人という供述をしていた。(そういうことにすれば村が落ち着くのでは、という形跡があった)

でも、結局生きている勝が犯人ということで、村が団結したのは、勝の妻の犯行とするだけのものを見出せなかった結果、>>499 のいうスケープゴートになった可能性が高いと思う。

俺が犯人の可能性の順番をつければ、


有力者>有力者の母>有力者の妹>>>有力者の妻


だと思う。 村人の供述が変わったのが、有力者の妹の言動がきっかけになっているものがある。 これは、この有力者かその母・妹(自身)・死んだ妻の誰かを助けるため、と思う。

ただ、有力者の妻の犯行だとすると動機が今ひとつ読めない。 自分も飲んでるわけだし。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#75


337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/21(月) 07:50:44.82 ID:b3IknOwN

名張毒ぶどう酒殺人事件の容疑者とされたのは

奥西楢雄
奥西フミ子(死亡)
石原利一
北浦ヤス子(死亡)
奥西千恵子(死亡)
奥西勝

の6人かな?

真犯人が誰かは、関係者はわかってたんだろうな。


328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 13:03:16.08 ID:6c3Hpyxq

警察は奥西楢雄の死んだ奥さんは犯人ではないと考えていた様だから、

容疑者は農薬の事を良く知っている奥西楢雄と奥西勝の二人に絞っていた様だ。

どうしても奥西勝を犯人にしないと奥西楢雄は困るんだね。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 13:20:59.65 ID:6c3Hpyxq

奥西楢雄はぶどう酒の栓は自分の死んだ奥さんが最初に空けたと証言したみたいだから最初は死んだ奥さんを殺人犯に仕立てる予定だったのかな?

しかし、警察が死んだ奥さんは容疑者でないと判断してしまったので最初の目論見は失敗?

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/21(月) 00:30:34.93 ID:b3IknOwN

自分の奥さんに盛装までさせて、犯人だと思わせようとした(?)のなら幾らなんでもあくど過ぎだったね。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1318440442/

873 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 12:26:20 ID:d0COKNxP0 [13/20回発言]

真犯人の殺したかったのは奥西死刑囚の妻と愛人やなくて自分の嫁やったということや。 つまり真犯人は奥西勝に自分の嫁が寝取られとると思たわけや。それで嫁を問い詰めたけど白状せんのでますます妄想を膨らませ殺意をつのらせていったわけや。

真犯人が村のリーダー的な存在やったら不倫間係そのものより自分の嫁を寝取られたことが公になってしまうことでメンツがつぶれることを気にする。不倫妻の制裁と村社会での自分のメンツを保つことは動機にならんか?
http://logsoku.com/thread/news19.2ch.net/newsplus/1167189784/

567 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 21:53:11 ID:g+44KPzy0

もてるやつってムカつくだろ

そうゆう鬱積したものがあるだろ
特に村社会だと あいつめちゃめちゃもてるし俺の邪魔だと
あいつに何かあったらおとしめたれ

そうゆう感じだよ

568 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 22:03:54 ID:2t8K+/Du0

そうだろうな。
夜這いの風習が残っていたんだしな。

夜這いは女にも断る権利があったから、イケメンでおそらくほとんど拒否られることのなかった勝を邪魔と思っていた奴はそれなりにいるはず。

ただ、それが公式発表の三角関係のもつれっていうのとは違う。
そもそもこの集落の人間に三角関係という認識なんてなかったと思う。
フリーセクロスとまでは言わないけど、それに近い環境だったんだから。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#490

94:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/23(水) 22:08:54 ID:zWAWELXK0(1)

暴力をふるっていた奥西楢雄氏は、すぐに愛人と結婚した。 妻が邪魔だったのだろう。 勝氏の、三角関係の清算と言われているが、普通なら両方殺したりしない。

 ちなみに、奥西楢雄 氏は、村の実力者。

だから、誰もが口を閉ざしている。
http://read2ch.com/r/court/1167357268/


971 :名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 19:01:42 ID:thjoiiPB0

俺もはじめてこの事件のドキュメンタリー番組見たとき

村人が犯人は死刑囚以外ありえないとTVカメラに向って吼えてるのを見たとき間違いなく犯人は別に身近にいるなと思ったよ

田舎の人間の恐ろしさを都会の人は分からないだろうね・・・

972 :名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 19:13:14 ID:Ij9qtKoA0
>>971
俺もそう思った。
少なくともこれだけ疑義のある事件で、神様でもないのに常識的にあそこまできっぱり断言するのはおかしい。

疑問点もあるが、自分は奥西だと思う、程度なら分かるんだが奥西以外いないって、そんなこと誰にも断言できねえよ。

283 :名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 17:01:26 ID:Jod+6sGK0

閉鎖的な少人数の共同体での犯罪の捜査は極めて困難らしい。
村人はみんな犯人を知ってるけど、警察にそれを語る人間はいない。
いつだったか、奈良の山の中の事件でそういうのあったよね?
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1167316366/


507 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 09:55:39 ID:o8hUZMwn0

確かに村人たちの態度はおかしい。何かを隠してるんだろう。
昔、世にも奇妙〜とか古畑〜に部落をテーマにしたのがあったが----。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#490


148 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 21:31:49 ID:bTg8Pi8b0

この事件はなあ。

狭い村の中の古い因習が原因だから犯人とされた人物の隣に真犯人がいるんだよな。 村の有力者の犯罪を弱い立場の人間がかばっているのかも知れない。
口に出さないだけで真犯人は公然の秘密なんじゃね。

545 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 19:53:49 ID:mFwf57jZO

勝氏が犯人として逮捕された時、村人達は
「皆が家族の様な狭い村だし、勝氏の身内のことも支えて行こう」
ということだったらしい。

けれど、勝氏が犯行を否認した途端、墓を壊し、家に石を投げ込み、村八分にして勝氏の身内を追い出した。


550 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 20:48:08 ID:mFwf57jZO
>>547
色々辛いやね…

勝氏の身内ったって、妻は死んでるから、勝氏の老いた親と、まだ幼い娘と息子がそういう目にあったわけだから。

71 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 15:39:07 ID:kdGjnUwu0

男が逮捕された当初は、彼が犯人と安堵した結果、むしろ男性の家族にも愛の手をさしのべようという呼び掛けが行われた。

しかし、男性が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。
家族には一切口を利かず、家には石が投げ込まれた。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去ると、何者かによって共同墓地にあった男性の家の墓が暴かれ、墓地の外にうち捨てられた。

こんな村滅びればいいのに


97 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 17:18:37 ID:UGrrJN0X0

自白を翻した途端に村八分ですからね。 検察の誘導にしたがって当初の証言も変更しているわけです。 これじゃ人身御供ですよ。

誰でもいいから真犯人に仕立て上げれば安心できるのでしょうか。


相手が潔白でもね

552 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 21:02:16 ID:mFwf57jZO

しかし、どういう心理だろうね?
村人の総意で「支えて行こう」と言っていたのが一転、村八分というのは…

575 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 23:01:40 ID:79GrYbam0
>>552
村人たちの当初の証言では、勝以外にも農薬を入れる機会があった人間がいた。
それを、その楢雄の圧力で、一斉に証言を覆した。
警察に自白を強要された勝が、そのまま罪を被って死んでくれるのなら、村に残った勝の身内がよそでおかしなことを言い出さないように、村から出さないようにしようと結託。

だが、勝が否認し始めたため(あるいは一審で勝が無罪になったため?)、
自分たちの目論見通りに運ばなくなったことに腹を立てた、とか。

今までの村人たちの発言を読む限り、
無差別殺人犯の身内を本気で支えてあげようと考えていたなんて、到底信じられない。


555 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 21:14:38 ID:BJOzaEDA0
>>552
楢雄が勝が罪をかぶってくれるなら、勝の家族を支えてもよかったが、否認に転じたので、不都合な証言の後々されるのを嫌がって追い出しにかかったのが実情。


556 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 21:18:12 ID:mFwf57jZO
>>555
そのナラオの考えに村人達が同調したということ?


562 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 21:36:40 ID:6zTQgtb60

一番おかしいのは、犯人のアリバイを崩した証言。
目撃時間には真っ暗でろくに見えない時間帯に本人と確認出来るわけがない。


684 :名無しさん@十周年:2010/04/10(土) 21:41:55 ID:eSEGBvuMO

村人がコロコロ証言を変えたからこんな事になる。

「勝は一人で牛の運動をしていた」という証言はなぜ揉み消されたんだ。

639 :名無しさん@十周年:2010/04/10(土) 12:13:37 ID:eSEGBvuMO

「勝は牛の運動をしてた」と証言したあの人は胸が痛まなかったのかな…
小さな村での村八分を恐れてしまったのかな…


690 :名無しさん@十周年:2010/04/10(土) 22:27:51 ID:/b2WoFWI0

ぶどう酒が会長宅に着いたのは裁判で言われている5時過ぎ(勝が来る直前)ではなく2時ごろだったんだろう?

当初の村人たちの証言では。

2時から5時までの3時間も会長宅にあったのなら、勝だけに空白の10分間があったから勝が犯人という消去法的推論は全く無意味だろ。

2時から5時までの間に会長宅に居た人間なら誰でも入れられる。

あと、冤罪派の人でも誰も言わないけど、林酒店の段階で既に農薬が仕込まれていた可能性だってある。

王冠をきっちりかぶせ直そうと思ったら酒屋でゆっくりやりたいね。
ただし、酒屋や運搬係の男性が犯人とは思わん。


696 :名無しさん@十周年:2010/04/10(土) 23:08:26 ID:++JRKBoj0

勝氏の親や子供達の事を考えると切ないよ。
>>690 のきっかけを作る偽証まがいをしたのは、隣家の妹なんだよね。
何かに気付いたんだろうか…。


733 :名無しさん@十周年:2010/04/11(日) 01:57:13 ID:AHe+zPFD0

素人目には、奥西楢雄のほうが、灰色というよりかなりクロに近く見えるんだが…

当時の世間では、「奥西楢雄真犯人説」ってのは出なかったのか?


737 :名無しさん@十周年:2010/04/11(日) 02:04:05 ID:lmB6mv+kO
>>733
初期段階で村人達の証言が一致していても、ナラオやナラオの妹がそれとは違う証言をすると、村人達がそれに合わせて証言を変えている所がそうとう胡散臭い。

そのせいでナラオが黒く見えてしまう。そんなにナラオにゃ逆らっちゃイカンのか。


98 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 17:26:37 ID:enKGVkcqO

自分は何年か前に深夜見た「NNNドキュメント」で初めて事件を知った。
老人達が笑いながら

「あいつが犯人よ、違うんなら犯人連れてきてよ〜(笑)」

って茶だか酒だか飲みながら答えてたのがすごく怖かった。
いくら体裁気にしてもこんな村、もう若者とかは住み着かないとは思うけど。

525 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 15:35:05 ID:mFwf57jZO

ずいぶん前に放送されたこの事件の検証ドキュメンタリー番組ひどかったね。
何がひどいって村人がもう…絶対に行きたくないよ名張には。


530 :名無しさん@十周年:2010/04/09(金) 16:38:27 ID:KTkdEoPo0
>>525
こことかその周辺のB(部落)地区がアレなだけ
人がいる地域はふた昔くらい前のベッドタウンだよ
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#75


16. 2012年5月22日 13:09:38 : MiKEdq2F3Q

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C. ドッグヴィルの世界 _ 僻地の農村はどこの国でも…

@ドッグヴィル

監督 ラース・フォン・トリアー
主演 ニコール・キッドマン

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6895844
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6901165
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6901647
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6902027
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6902691
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6904743
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6905786
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6909582
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6910532

http://www.youtube.com/watch?v=MHU_KWr6F44&feature=related

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB-%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88BOX-DVD-%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC/dp/B0002AP1WK/ref=pd_cp_d_0

ロッキー山脈の麓にある孤立した村、ドッグヴィル。村人は23人。そこにひとりの美しい女性、グレース(ニコール・キッドマン)がやってくる。

自称作家の青年トム(ポール・ベタニー)は、村人たちに彼女をかくまうことを提案。グレースはトムの計画に従い、無償で肉体労働を始め、徐々に閉鎖的な村人たちの心を開いていく。とりあえず村の一員として認められた彼女だが、やがて警察からの手配書により、強盗に関与している疑いをかけられ、村人たちの態度は急変。

村人たちはグレースを奴隷扱いするようになり、りんご農園を経営するチャック(ステラン・スカルスゲールド)は、彼女をレイプする。そのことを知ったトムは、村からグレースを逃がそうと決意し、トラック運転手のベン(ゼルイコ・イヴァネク)に協力を頼む。しかしベンは裏切り、グレースは村人たちに逃亡防止用の重い首輪をはめられた。

連日のように重労働を課せられ、男たちに弄ばれるグレース。ついにはトムまでも彼女との肉体関係を望むが、グレースが断ったため、傷ついたトムはギャングに通報。やってきたギャングのボスは、グレースの父(ジェームズ・カーン)だった。

グレースは彼と議論の末、自分が家に帰る代わりに、ドッグヴィルを全滅させるよう要望を出す。ギャングの部下たちは村に火を放ち、村人たちを次々と射殺。そしてグレース自身は、トムを射殺するのだった。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4354/story.html

私は美形の女優が虐げられたりするのを見るのは映画の醍醐味の一つと思っているのだが、いくらなんでもこれはあんまりだ。

グレイスは肉体的にも精神的にも徹底的に痛めつけられ、最後の方では逃げ出すことができないよう、首に鉄輪をはめられるだけでなく、鈴が鳴っていつでもどこにいるかわかるようにされる。これではベッドで寝てても、寝返りも打てまい。あるいは寝返りは打てても、自分が立てる鈴の音によって、眠りを妨げられるに違いない。さらに車輪をくくりつけられ、どこに行くにもそれをひっぱっていかなければならないのだ。 つまり、グレイスは、まったく家畜同然の扱い、いや、それ以下の仕打ちに耐え忍ばなければならない。

ここでのキッドマンに較べれば、「モンスター」におけるシャーリーズ・セロンが陥った運命は、子供の遊びのように見える。しかし、鈴と鉄輪をつけても、やはり美人は美人だ。薄幸の美人なんて言葉が難なく思い起こされる。キッドマンは近年、「ムーラン・ルージュ」、「めぐりあう時間たち」、「白いカラス (The Human Stain)」と、不幸な目に遭う役柄の方が多く、そういう役によって演技を磨いてきたという経緯はあるが、「ドッグヴィル」はその頂点を極めている。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/4222/films/04/dogville.htm

R-15指定です。セットは白線でかかれただけの道、家、犬・・・。家には壁も天井もドアもなく必要最低限の家具だけが設置され、常にドッグヴィルの村人達が見渡せるようになっています。

最初は追われている立場の女性に対して、関りをあまり持ちたくない、けれど弱い立場である人に対して冷酷にするのは人間性を問われてしまうので、相手に対して遠慮深く接し、けして悪い人間ではないんだよ、というのだけは一応見せておく。女性が危害を加えるような人間ではないと分った時点で、安心しもう一歩進んで受け入れる姿勢を見せる。

二枚目の手配書から手のひらを返したように、弱者を徹底的に支配する村人達。閉鎖的な村の心理というのもあるでしょうが、強者が弱者を支配するという点は、大なり小なりどこの世界でもあり得ることで、人間の本性をすごく考えさせられました。

共有の秘密を持っているということ、集団の均衡を保つ為とかなんとか理由付けをし、何があっても悪いのはグレースだと決め付けることによって、罪悪感を感じなくしていくところが、人間って・・・・と残酷に思いました。

首輪と錘もそうですが、首につけられたベルがとてもショッキングでし
た・・・。

家畜化扱いされ、男達からは毎晩レイプを受け、女達からは嫉妬心をむき出しにされ、子供達もグレースより強者なので、笑って意地悪をする・・・。もう、死ぬまであんな仕打ちを受けるのは目に見えていました。

あのマゾッ気のあるクソガキもグレースを性的対象に見て、成長すればレイプしたでしょう。そして、ママにはグレースが誘惑したといって泣くんです。ママはまた目を吊り上げてグレースをぶちのめすでしょう。目に見えています。

なぜ、あそこまでしてギャングのボスであるパパから逃げなくてはいけなかったのか。権力を使わないやり方を身をもって示したかったのでしょうが、右頬をぶたれたら左頬を差し出すみたいなやり方しかしていなかったように思います。一度逃げようとしたけど、けして村人と戦う姿勢を見せなかったグレースに、ちょっと疑問を感じました。

ラストでパパとグレースの会話の中に「傲慢」という言葉がたくさん出てきましたが、これも考えさせられました。確かに、グレースは傲慢です。ドッグヴィルの中では弱者として扱われましたが、グレースは最初からドッグヴィルを貧しく環境が悪いから仕方がないんだと、見下ろして見ていました。

何の気なしに親切心から「手の荒れにはアロエが効くわよ」とリズに言い放っていた場面でもそれは見て取れます。ドッグヴィルの中では手の荒れなんか目立たなかったリズにしてみれば、綺麗な手をした女からいわれたことで、手の荒れを気にするようになったでしょう。リズは傲慢と受け取ったから、グレースが労働をさせられていた時に、「手が荒れたら治しかたを教えてあげるわよ」と言い返したのでしょう。
http://tenteko.exblog.jp/3411487/

ラース・フォン・トリアー監督の「ドッグヴィル」、大スターのニコール・キッドマンさんが主役をやっている映画です。

今回はその「ドッグヴィル」という作品で描かれたダメダメ家庭に特徴的な具体例というより、もっと一般的にダメダメ集団の具体的な特徴として考えてみたいと思っています。勿論、ダメダメ家庭も、ダメダメ集団の一つですから、ここで描かれたダメダメ集団の特徴は、そのままダメダメ家庭の中で繰り広げられている風景と言えます

ダメダメ集団の具体的事例はてんこ盛りの作品です。では、具体的に見てみましょう。

1. 見栄っ張り・・・とある老人は盲目であることを隠していたりする。いたし方がないところもありますが、このドッグヴィルという町の人は大体が見栄っ張りです。ダメダメ集団は自分自身を必要以上に立派に見せようすることが多いもの。


2. 自己弁護・・・「オレは本当はこんなことをしたくはないんだ!」などと自己弁護しながら女性をレイプしたりする。そんなシーンが実に多い。ダメダメ家庭でも「オレは本当はこんなことをしたくはないんだ!」といいながら、ロクでもないことをやっていることが頻繁ですよね?


3. ウソつき・・・ドッグヴィルから女性の脱出を請け負った運転手がいます。その運転手は、女性から金だけとって、女性を引き渡してしまう。また、模造品のグラスを作っている家庭もあったりする。どうも人をだますことに罪悪感を持っていない人たちです。自分の尊厳にはこだわりがない人たちなんですね。


4. 排他的・・・大体、貧乏なところほど排他的です。まあ、わざわざ貧乏なところに人が新たに来ることはありませんから、そうなってしまうのでしょう。しかし、新規の人をやたら監視したり・・・お金の貧しさというよりも、心の貧しさが顕著となっている状態と言えます


5. 弱いものイジメ・・・相手が絶対に自分に反撃しない状態になって、うれしそうにイジメたりする。大人がやっているそのような弱いものイジメを子供がマネする。まさしくダメダメの連鎖状態になっている。


6. 強いものに媚びる・・・自分より弱いものには大きな顔をしますが、自分より強いものには媚びた態度です。相手の立場によって態度が豹変したりするんですね。それだけ信念がないわけです。そのような環境なので、子供も駆け引きのような政治的な発想をするようになる。弱きをイジめ、強いものに媚びる。「ママに言いつけてやるからな!」などとスグに言い出すような子供になってしまう。


7. 恩を着せる・・・この映画ではやたら出て来る言葉があります。「これはオマエのためにやっているんだ!」・・・そう言いながら人をイジメたりする。イジメるにしても恩を着せようとする。ダメダメ集団の典型的発想です。


8. 犠牲を強調する・・・「アンタのためにこんなに苦労しているんだ!」って、ダメダメ家庭ではおなじみのセリフですが、この「ドッグヴィル」でも頻繁に出てきます。


9. 報酬を求める・・・何かと言うと、「親切にしてやったのだから、報酬を払えよ!」と言い出すことになる。まあ、このドッグヴィルの人はガメツイ。心が貧しい状態なので、スグに報酬を求めるわけです。本当にちゃんとしたことをしているのなら堂々と報酬を請求すればいいわけですが、やましいことで報酬を取ろうとしているので、言い方も「もし、あなたがその気なら報酬を受け取ってあげてもいいですよぉ。」そんな言い方になっている。本当に腐っているんですね。


10. 大人の発想を読もうとする子供・・・子供時代から弱いものと強いものの上下関係を強く意識しているので、子供も政治的な発想をするようになってしまう。「大人が今何を考えているのか?それを読んで自分に有利に動かしていこう!」と考えたりする。天真爛漫とは程遠い状態の子供となっている。


11. 真実から目をそらす・・・このドッグヴィルでの主要人物としてトムという青年がいます。一応は作家志望とのこと。ところがこの青年は本を読んで思索するわけでもなく、その「しょーもない」ドッグヴィルから抜け出そうとするわけでもなく、アホな人間相手に説教をぶつだけ。創作にせよ、社会改善にせよ、本当の問題は自分自身ですよね?その本当の問題から目をそらしているわけです。


12. ケチ・・・選挙に行くのに金がかかるようになったら、突然に選挙に行かなくなったり・・・やたらケチくさいのもこの手のダメダメ集団の特徴と言えます。そんな風に選挙に行かないのに「政治家はダメだ!」などとグチったりする。そんな姿を見ている子供がどうなってしまうのか?それは言わずもがなですよね?


13. 付和雷同・・・ダメダメな人は信念がありません。やたら付和雷同なんですね。「目立たないように、人に合わせていけばいいや!」ということで、やたら人の行動に合わせたり、投票に当たっても大勢に従ったりする。


14. 改善しようとしない・・・妙に現状満足。ぶつぶつグチっている割には改善の努力をしようとしない

・・・と、ダメダメ家庭でおなじみの風景が展開されている映画です。

やたら排他的で、新参者をいびったりするところは、まさにダメダメ集団のお約束の後継と言えるくらい。

性格の悪いオバンが仕切っている公園に、キッドマンさんが公園デビューする映画と思えば理解しやすいかな?そんなシーンはありませんが、経験された方は苦笑いすると思います。

別の例えをしますと、性格の悪い姑が威張っている家庭に、キッドマンさんがお嫁に行った映画とみることもできるでしょう・・・亭主はトムで、役柄としては典型的なダメ亭主の役。そう見ると、実にありきたりな風景といえます。

このドッグヴィルという町・・・実に『普通』の、ありきたりな町をイメージしているのでしょう。

DOGは英語で「イヌ」。VILLEはフランス語で「町」。それだけアメリカだけの問題ではないと言いたいのでしょうね。アメリカだけの問題ならDOGVILLEと言うタイトルではなく、DOGTOWNと言うタイトルにするでしょうから。

また、犬が持っている序列意識も、その「DOG」という名称に入っているでしょう。
それに「楡の木」もないのに、「楡通り」という名前なんて、「文化」も何もないのに、「文化会館」があるどこかの国とそっくりですよ。

ちなみに、ニコール・キッドマン演じる主人公の女性は、「善意の人」。

犯罪が起こったりすると、

「悪いのは環境のせいだ!彼ら本人には罪はないのだ!」

って、日本でもよく聞く善意を持っています。「恋に恋する」ように、「自分の善意に恋している」状態と言えるでしょう。

しかし、ドッグヴィルで本当のダメダメな連中を見ることで、自分自身の考えを改めるわけです。確かに環境の問題は重要です。しかし、その気があれば、そこから抜け出すこともできるでしょ?ダメダメな環境にいつまでも留まっていて、「環境が悪いからこうなってしまった。」とグチってもしょうがない。環境が悪いことが分かっているのならなおさら、そこから抜け出さないとね。


この映画の最後で、ドッグヴィルは「清掃」されますが・・・

このシーンは旧約聖書のソドムやゴモラの最後を思い出される方も多いと思います。多分、映画のパンフレットにもそれくらいの程度のことは書いてあるでしょうね。

実際に、犬の名前が「モーゼス」なんだから、旧約聖書をイメージしているのは明白でしょう。モーゼの声に従って「まっとう」な人間になれよ!というわけなんでしょう。

それこそソドムのような環境でダメになった人間には同情すべき点がありますが、そこから抜けようとしない点で、もう改善は不可能なんですね。むしろ本人たち、あるいはそこの子供たちのためにも清掃する必要があるわけです。

ちなみに、この「ドッグヴィル」という映画を私は劇場では見ていません。ヴィデオで見る前に、劇場で見たという人に「どんな映画だったの?」と聞いたことがあります。


その人いわく

「うーん・・・ラース・フォン・トリアー監督は『ドグマ』の人だから、そんな感じの映画だった・・・」

とかの、わけわからないお答えでした。ちなみに、「ドグマ」というのはラース・フォン・トリアーらのデンマークの映画監督が掲げている映画スタイルのことです。

以下のような教理(ドグマ)?が掲げられています。


1.撮影はロケーション撮影。小道具やセットを持ち込み不可。       
2.映像とは別のところで音を作り出してはならない。
3.カメラは手持ち。手で出来ない動きや静止についてはこの限りではない。
4.映画はカラーで、人工的な照明は不可。
5.オプティカル処理やフィルター使用は禁止。
6.表面的なアクションは入れてはならない。(殺人、武器など)
7.時間的、地理的な乖離を認めない。
8.ジャンル映画(アクション、SFなど)は、認めない。
9.フィルムのフォーマットはアカデミー35mm(スタンダード・サイズ)にすること。
10.監督はクレジットに載せてはならない。


こんな感じらしい。


しかし、映画「ドッグヴィル」をご覧になられた方はお分かりのように、全然違っていますよね?

スタジオ撮影だし、音楽も入っているし、殺人はあるし、監督名は入っているし・・・

何も分かっていないクセに、一体全体何知ったかぶりしているの?

その「ドッグヴィル」を私に語ってくれた人とのやり取りにおいて、


『ラース・フォン・トリアー監督って、前衛的でしょ?』

私・・・「前衛って何?」

『普通じゃないってこと。』

私・・・「普通って何?」

『普通って・・・普通のことよ・・・』

歯並びが悪い口から発せられる典型的な言葉をニヤニヤ聞いていた私。

ダメダメ家庭出身者は自分を実際以上に見せようとします。このことは以前にも配信いたしました。この「ドッグヴィル」という映画での登場人物もそんな人たちですね。映画を見て、分からないなら正直に「分からなかった!」・・・と言えばいいのでしょうが、そのような言葉を決して言おうとしない。どうしても知ったかぶりをしちゃうんですね。


しかし、相手の人格を知りたい場合には、映画などを語らせるのは有効な方法です。笑って「訳分からなかった。」という説明でもいいわけです。映画に対する理解力なんてどうでもいいことですからね。「自分が理解したことをどのように相手に伝えるか?」という、人に対する説明能力が分かりますよね?説明能力が低い人はコミュニケーション能力が低いことですから、それこそドメスティック・ヴィオレンスなどの問題に陥りがちです。

あるいは、やたら知ったかぶりをするような上記のケースでも、まともなコミュニケーションができない人であることが見えてきます。このような人が子供を持ったりしたら、将来は見えていますよね?

だって、子供としてもそんな知ったかぶりをされては、話をする気がなくなるでしょ?

まあ、知ったかぶりの人のよく使う言葉は、○○的とか△△主義とか☆☆論とか・・・いかにも分かったような言葉を使ったりするわけです。本当に知性のある人には、全く通用しないそのような言葉も、自分で考えることをしないダメダメな人間にはカッコよく見える。そうやって、「割れ鍋に綴じ蓋」のダメダメカップルが誕生するわけです。

まあ、私は「その人」に対し、そのようなことを何も言わず、ただニヤニヤしていただけですが・・・

私が一番性格悪いねぇ・・

ラース・フォン・トリアー監督も、別に「ダメダメ集団は清掃しなくてはいけない!」などと主張しているわけではありません。彼がやりたかったことは

「実例を示す」


さて、ここでは、フォン・トリアーが自らの作品によって、ダメダメの実例を示したわけですが、同じような状況を別のところで取り上げております、エーリッヒ・フロムでの「自由からの逃走」の中でも見ることができます。まさにフロムも、フロムなりに実例を示しているといえるでしょう。

この「ドッグヴィル」と関わりの強い部分を抜き出してみましょう。

ルターを支持したドイツの中産階級と、ヒトラーを支持したドイツの中産階級についての記述・・・この階級は、富と力にあかし、生活を楽しむ人間に対して、実際には羨望をもっていたが、この憤りと羨望を、道徳的な公憤の言葉や、これらの上層の人間たちは永遠の苦悩を受けて罰せられるだろうという信念によって合理化していた。

その他にも・・・彼らが心の中で意識していたのは、極度の卑下の感情である。

利己的な人間について・・・利己的な人間は、いつでも不安げに自分のことばかり考えているのに、決して満足せず、常に落ち着かず、十分なものを得ていないとか、何かを取り逃がしているとか、何かを奪われるとかいう恐怖に、駆り立てられている。彼は自分よりも多くのものを持っている人間に、燃えるような羨望を抱いている。

サディズムについて・・・「私は人から傷つけられた。人を傷つけようとする私の願いは復讐にほかならぬ。」という理屈を使いたがる。

権威主義について・・・権威主義的人間は相手が無力になればなるほど、いきりたってくる。

尊厳のないキャラクターとして・・・強者への愛、弱者に対する嫌悪、小心、敵意、金についても、感情についても、けちくさいこと、そして本質的には禁欲主義というようなことである。かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していた。

フォン・トリアーも当然のこととして自由からの逃走くらいは読んでいるでしょうが、もちろん、この映画のテーマがフロムによって影響を受けたということではなく、同じものを見ているということなんですね。
多少は表現方法に違いはあっても、その本質は見えている人には見えるわけです。そして、そのようなダメダメ人間の姿は、いつの時代でも、どんな場所でも存在するわけです。
http://space.geocities.jp/estrelladelsur010/04-09/04-09-01.htm


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           ,. '"    u  /         ヽ、(   {:l/ ./l      、 ヾ,、}    ::::::::::::.Yi芽.l-‐|
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    ,. ,. -‐''"´ -::r=:、:.、  ``丶、      u     ヽ.   / .:::::::l、   ι´´   _     ::::U '゙’-ィ-/
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Aマンダレイ


監督 ラース・フォン・トリアー
主演 ブライス・ダラス・ハワード

http://www.youtube.com/watch?v=P7SRf2Fdaaw&feature=related
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8332650

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AC%E3%82%A4-%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%89%88-DVD-%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC/dp/B000H7ZWXG


ギャングの娘、グレースは、父親らと共にアメリカ南部の農園「マンダレイ」に到着する。その農園では未だに白人が黒人を鞭打って働かせており、70年以上も前に廃止されたはずの奴隷制度が残っていた。

グレースは黒人たちをすぐに解放する。そんなグレースに、農園の主であった「ママ」がひとつの頼みごとをして死ぬ。その頼みとは、

「皆のために、ベッドの下にあるものを燃やすこと」。


グレースはこの依頼を断りつつ、「皆のために」いくつかの介入を行うことを決める。それは、グレースなりの民主主義「自由と平等」をレクチャーしようという試みだった(父親はそのような介入に反対し、その場を去る)。しかし、そのレクチャーはことごとく裏目にでる。その理由について考察させることがこの映画の肝だ。

グレースが来るまでの間、奴隷達を縛っていたいくつかのルールがある。それはベッドの下にあるもの=「ママの法律」だ。「ママの法律」とは、細かな決まりごとが百ページ以上にもわたって記されている古びたノートのこと。

グレースはこのノートを抑圧の象徴としてとらえ、黒人に対し解放された後の自由を享受させるべく、ノートに書かれているいくつかのルールに抗う行動に出る。

例えばそれまで立ち入り禁止にされていた雑木林を切って黒人達の家の修繕に使うこと、食料を対等に配分すること、コミュニティの決定は多数決によって行うことなどなど。

しかしそれらの行い=抗いは、短期的には「自由」の象徴であるかのように映ったが、しばらくたつとしっぺ返しをくらうことになる。例えば解放され、消費された雑木林は、元々は防風林として機能していたため、「マンダレイ」は砂塵に襲われてたちまち食糧難になってしまう。食料の対等な配分は、「抜け駆け」に対するルサンチマンの過剰性を生み、多数決はしばしば歯止めの利かない暴力を正当化するために行われる。「ママの法律」は、農園の秩序を保つための管理の手法として機能していたため、それを破棄することはその機能すらも破棄することになってしまう。

ママのノートの中でも最も印象的なものが、各奴隷に番号を振り、奴隷のそれぞれの役割を分類した項目だ。項目は「泣き虫黒人」「役立たずの黒人」「誇り高き黒人」「おしゃべり黒人」など7つ。グレースはこれを、権力による非人間的な管理の手法だと捉え、憤慨する。それぞれの役割にハイアラーキーが与えられ、上下関係を構築するための暴力的な行為だと思われたからだ。

しかし、映画がクライマックスになると、実はそのノートの中身を多くの黒人が既に知っており、コミュニティの秩序を保つためにあえて

「各人がそれぞれの役割を演じること」

を守っていたことが分かる。「マンダレイ」では、奴隷制度がただ漫然と続いていたわけではない。「自由や平等」よりも、奴隷であるがゆえ、虐げられる立場であるがゆえの幸福を選択していたのだ。

「『自由や平等』よりも」と書いたが、これはいささか語弊を招く。物語の最後で、黒人の一人がグレースに対し、

「農園の周りの柵はそれほど高くなく、ハシゴを使えばいつでも越えられたはずなのに、自分達がそれをしなかったのは頭が悪かったからだとでも思っているのか?」

という趣旨のことを問う。つまりそこでは「役割から降りる自由」も、「演じ続ける自由」同様に実はあったのだが、彼らは「降りる」方がリスクだと考え(実際、映画の中では、「降りる」選択をした者は無惨な死を遂げている)、あえて「演じる」ことを選んでいたのだ。

物語のラストでは、グレースを除くコミュニティの成員が全会一致である結論に達する。それは、グレースを新たな「ママの法律」にすること。元々はママもまた、「皆の嫌われ役になる」という役割を演じていたのであり、絶対的な権力者というわけではなく、むしろ「平等に」配役されたプレイヤーの一人にすぎず、秩序を管理するための共演者であったのだ。

実際、「ママの法律」は「ママ」が書いたものですらなく、黒人の一人が「みんなのために」作ったものであり、「ママの法律」は「みんな」が「幸せ」に暮らすための台本であった。すなわち、コミュニティの成員は、「グレース型の自由と平等」よりも、「マンダレイ型の自由と平等」を選択していたと言えよう。そして、それが映画の最後で「再」確認されたというわけだ。グレースは黒人達のそのような希求に耐えられず、即座に逃げ出すことになる。そして、次の舞台へと駆けていくのであった。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070131/p2

時は1933年、ドッグウィルを焼き払ってから2年後、父親(ウィレム・デフォー)らと共に新たな移住地を求めてアメリカ南部にやってきた。 辿りついたのはマンダレイの大農園。

マンダレイの外に駐屯していると「助けて下さい」と黒人女性が現れる。 罪もない恋人が、鞭でうたれるところだ、と言うのだ。 奴隷制度はとっくに終わっている。ここでは未だに黒人を奴隷のようにしてきたのか???と怒りを露にするグレース。 父に

「この土地の人間の問題だ。放って置け!余計な事だ」

と咎められてもグレースは止まらない。丁度、白人のこの地の地主でママと呼ばれていた老婦人が死に、奴隷としての生き方しか知らない残された黒人たちに「白人として責任を取らねば」と正義感に燃えまた、そんなグレースが昔、自由にさせようと鳥かごから出した小鳥が凍死した事を父に言われ益々

「私にはこのマンダレイを変える自信があるわ!」

と火に油が注がれる。 父の手下を3人ほど置いて貰い、父は去る。

フェンスで囲まれた元奴隷達の住み家は、簡易的で雨漏りがして、ボロボロだ。ママが死ぬ間際、

「私のベッドの下にあるNOTEを燃やして欲しい」

そういっていたがそのNOTEには奴隷たちをまとめていくための“ママの法律”
が記されていた。 黒人は、数字で分けてある。「おべっか黒人」や「「誇り高き黒人」など7項目だ。

グレースは、奴隷の中のリーダー的存在の男から中を案内され、皆に集会するように言うがまだ何にも“準備ができていない”彼らは戸惑うばかり。グレースの父から借りた、弁護士に奴隷たちの新たな契約書を農場主達と交わさせて、これからは仕事した分の報酬をお金で貰う(ごく当たり前の事になのだが)事に。が元奴隷達は嬉しそうな顔もしない・・・。 長い間、鞭うたれながら命令に従ってきた彼らは被支配者の立場に慣れてしまっていてグレースの言葉は全く響かない。 人権についての勉強会と称して毎日集会所に集まる規則を作ったが、そこでちょっとした事でも多数決で決めるという事から、手始めに学ばせていく。

グレースの勝手な思い込みと自分ぎりの捉え方で、進んでいく所が滑稽だ。
そんなある日、悪天候による大飢饉がその地を襲う。

ママの法律によると、切ってはいけない場所の木を、家のツギのために根こそぎ切ってしまったので、この地の特産物、綿花を植えた場所には砂嵐が襲い収入の望みが絶たれたかのように見えた。

ある若い黒人夫婦の1人娘が、窓から入る砂埃で肺を侵され肺炎にかかる。 グレースが 何かと意識していた黒人青年テイモシーが自分のロバを進呈。 肉を食べればスタミナがついて治るだろうと、見守る中、娘は病死してしまう。 窓辺に置いてた肉は、実は食べるものがなく砂を食べていたお婆さんが食べていたのだった。 お腹がすいたから・・・そこに肉があったら。泥棒になる事も考えずに。

それを知って怒った子供の母は「会議を開いて多数決でお婆さんへの罰を決
めようとする。 命の尊さや人権問題もまだ何にも知らない元奴隷達はグレースに教わった通り多数決で「子供の肉を奪った罪」で処刑する事に。

復讐のための処刑であってはならない・・・グレースには個人的に優しくしてくれたお婆さんだったのだが、その地のにわか法則にのっとりグレースが撃ち殺す。 民主主義を唱えた後の収拾のつかなさ。

前作で事あるごとに


「充分な教育がなされてないからよ」

「この村を出た事がないから、何が悪で何が善か、わかってないのよ」


などといつでも弱い者の味方をしていたグレースも今回は言い訳が少ない。

冒頭で父が「性的な妄想をしない女性なんていないね!」と手下と笑っていたように、グレースもまた、黒く逞しい腕に抱かれる妄想を描き喘いでいた。

簡潔に淡々と物語は進む。 綿花が無事に育ち元奴隷達は、初めてその仕事に対する報酬を手にする日が来る。が、金での通貨が始めての彼らには実感がない。しかし、高揚した頬で、グレースは父の部下に

「父に伝えて。理想の土地に変えた」

と言う。やっと壊れた玩具の修理を完成させた子供のように得意げに。


その上ママのベッドでティモシーと寝るが・・・・。真っ白いグレースが何だか痛々しい・・・・・。

その頃、綿花を売った金が忽然と消えて、「笑わせる黒人」が殺されていた。騒然とする中、グレースはティモシーが、賭け事に有り金全部費やした事を知り、父の迎えの時間に(最初は行かない予定だったがコロコロ気が変わるのもグレ ースの特徴だ)いそいそとマンダレイを出て行く仕度を始める。

そこにリーダー格の元奴隷が「あのママのNOTEは私が書いたのだ」と告げる。

奴隷たちが自ら望んで「奴隷」で居た事を知り愕然となるがグレースにはもうどうでもよい。早くこの“手遅れの村”から出なければ。

冒頭で鞭に打たれそうだった所を助けた筈のグレースは、今や鬼のような顔でティモシーに制裁を加えていた。自分の体を弄んだ男だけに尚更だ。

ママのNOTEに依るとテイモシーは「要チェック人物」だった。「誇り高い黒人」と 「おべっか黒人」の1と7を見間違えたのだ。見た目で思い込んでいたせいもある。(ティモシーは美しい青年だから)

ママの法律は実によく、黒人達を統制していくためのバイブルだった。 それに比べて グレースが行おうとした事は、ただの「よそ者のおせっかい」でしかない。よそ者=アメリカ そう皮肉をこめてあるのだろう。

元奴隷達はグレースに「今後もこの地にいて貰うと多数決で決めた」という。
http://yaplog.jp/tonton119/archive/186

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D.月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件


奈良r25(月瀬針線)
http://www.youtube.com/watch?v=-f3MbtoJ4Cg
http://www.youtube.com/watch?v=jqQsh5xGLRE&feature=relmfu

83 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 16:24:20 ID:iYeNtAm80

奈良県の辺りって、すげー変な事件が起こるよなあ。

村で女子中学生が殺された事件で、捕まった犯人は実は家族ぐるみで村の奴隷みたいな生活送らされてたとか。

ここら辺が平成に入ってからの事件なんだから、60年代とか、俺らからは想像できないような世界だろう。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#75

____________

1) 在日朝鮮人一家が月ヶ瀬村の被差別部落民に飼われていた話


 1997年5月4日午後、奈良県添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬)にて、村内に住む中学2年生・浦久保充代子さん(当時13歳)が卓球大会からの帰宅途中に行方不明となった。

 7月23日、同村に住む丘崎誠人(当時25歳)が逮捕された。丘崎誠人は車から下校途中の浦久保充代子さんに「乗っていくか?」声をかけたところ、無視され激昂し、殺害していた。

【ある集落の話】

 両親と兄弟は姉が3人、妹が1人。両親はともに日本人と朝鮮人のハーフ。内縁関係の夫婦で、土木の仕事に就いていた。父は無口、母親は気性の激しい性格だったが2人とも働き者で通っていた。長姉は村に一軒しかない居酒屋で賄いをしていた。

 集落には茶積み農家しかなく、丘崎一家は浮いていた存在だった。封建的な村社会の中、朝鮮人の血が入っていることから丘崎一家を「朝鮮が!」と見下す者もいたという。家は藪に囲まれたあばら屋のような借家であり、この家を借りることができたのは民生委員であった浦久保充代子さんの祖父の計らいによるものだった。家賃は月々1万円程度。一家は30年以上、村に住みながら「区入り」(村の一員に加えること)を認められていなかった。

(中川註 : 

家賃1万というが、代わりに最初は母親ナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。 

父のセイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。

集落に住まわせてやっているから。缶ジュースかミカン数個を置いていく。

幼い誠人は隣り合う部屋でその様子を聞きながら育った。 )

 誠人は中学卒業後、測量のアルバイトをはじめた。1988年(丘崎誠人16歳)、大阪、そして東京に調理師として住みこみで働いたが、性に合わず村に戻ってきた。以後、土木作業員や警備員、左官業などを務めたがどれも半年も続かなかった。TVゲームなどを夜遅くまでして、朝起きられないからだと言う。

 事件当時、すでに二女と三女は独立し、両親と四女、長姉とその子供3人の8人で暮らしていた。丘崎誠人はあいかわらず無職で、地域住民との摩擦が耐えなかった。TVゲーム、ビデオ、車にばかりのめりこむ。3月に三菱ストラーダを購入したばかりで、カーステレオでドリカムやチャゲ&飛鳥の曲を聴くのが好きだった。滋賀県・雄琴の風俗街へはたびたび遊びに行っており、犯行前日にも行っている。

【裁判】
 2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄。無期懲役を宣告した。上告を勧める弁護団に対し、丘崎誠人は訴えの取りさげを希望。刑が確定した。

 2001年9月4日午後8時頃、大分刑務所の独居房で丘崎誠人が首を吊り自殺。享年29。遺書はなかった。4日は浦久保充代子さんの月命日だった。
http://yabusaka.moo.jp/tukigase.htm


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html

とある田舎の殺人事情


1997年 平成9年 7月25日――奈良県添上郡月ヶ瀬村 

 ――深夜午前3時 奈良県警は彼を略取誘拐容疑で逮捕した。

 自宅から連れ出された彼はタンクトップに柄パン、ひょろりとしたやせぎすの男だった。汗まみれで叫び声をあげる。捜査員が携帯電話を調べようと手にすると

 「おれのケータイやて!」
 「やめーや!」

 荒れ狂い、取材陣に前蹴りを食らわす始末だった。
 だが、実際の彼はごく小心者で内気で気弱な男だった。


 彼を連行した捜査本部は初め、わいせ つ目的だろうと見込み、取り調べをしていた。というのも彼の部屋から女子中学生や女子高生のレイプ系のAVや18禁雑誌が見つかっていたからだ。それもナイフで制服やらを切り裂くような内容のものが多数あった。 公衆トイレで見つかった失踪少女のジャージや下着の状態がいかにもそれと符号していた。

 逮捕から9日後、ずっと否認を続けてた25歳の丘崎誠人は、村の女子中学生、浦久保充代、13歳の拉致殺害を自供した。

 供述も当初は「てんごするつもりだった」だった。てんごはイタズラのこと。この場合は性的な悪戯の意味だ。だが、これは取調官の想定してる性的目的の犯行へと誘導していったから出ただけの言葉だった。さらに聴取が進むと捜査本部は困惑することになった。 というのは単純な性犯罪とはまったく違う、よじれた田舎の構造と動機が浮かび上がってきたのだ──。

      ――1997年 平成9年 8月1日

 奈良県「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室。

 「なんでやった?」

 「………」


 丘崎誠人はまるで抜け殻のようだった。

 誠人が事件の日からまもなく突然売り払った三菱ストラーダの後部座席から血痕が発見され、それが充代のDNAと一致した。現場の路上に落ちてた塗料片とジャージに残されたタイヤ痕も誠人のストラーダと一致した。ダウンベストにこびりついてた毛髪の血液型が誠人と同じだった。

 証拠を突きつけ、厳しく取り調べて、 「てんごしようと思った」つまり愛好のAVのように少女を拉致して凌辱をねらい──という自供までこぎつけた。

 この時の丘崎は逮捕連行のときにマスコミの前で演じた大暴れと同じ人間とは思えない大人しさだった。
 たしかに丘崎は仕事も長続きせず転々としていた。だが、仕事先でモメごとを起こしたことはない。ただ来なくなったり遅刻ばかりでクビになったりして、いつの間にかすうっと消えていく。「大人しくて物静かな人」というのが元同僚たちの共通した印象だった。


 ――生きる力が少ない。そんな匂い。

 前科前歴もない。せいぜい軽めの交通違反くらいしかない。

 勿論、このままでも性的いたずら目的の容疑で立件できる。しかし取り調べというのはそれで終わらない。犯罪事実の調書、人定、つまり本人による本人だという説明から始まり、生い立ち、果ては小遣いの金額から今の人生観まで聴取される。


 「なあ、丘崎くんな。君は犯罪事実を認めた。この調べはな、君の言い訳をきこうかって調書や。日本ではちゃんと言い訳を聞いてくれる制度になってるんや」

「さ、もう一度訊こうか」

 誠人はそれでやっと口を開いて、初めて話したのだった。
 自分が生まれたときから決まっていた異端の人生を。


     とある田舎の殺人事情 「差別」

 名張川上流、小さな山の尾根に家屋敷が軒を並べる山渓の村。3000本の梅林とお茶の生産地。江戸時代の家屋や能舞台が残っていて文化財に指定されている。 梅林は始まり江戸時代に染料として需要は高かったが、化学染料登場で衰退していった。だが、本数が多かったので観賞用として名所になった。

  奈良県月ヶ瀬村嵩集落

 この小さな村で丘崎誠人は生まれた。

 35年前── 誠人の両親、セイジとナツエが流れ流れてこの村にやってきた。
 2人とも被差別部落出身かつ在日朝鮮人の血が複雑に絡み合う出自だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11233811835.html


 丘崎誠人の両親はそれぞれトラブルがあって元の被差別部落界隈に住めなくなった。 母親のナツエは月ヶ瀬村の隣の山添村ので生まれた。朝鮮人と日本人のハーフだった。

 (ここで言う『村』は行政村のこと、一般的な近世以来の血縁集団による『ムラ』はここでは『ムラ』と記述する。また『ムラ』は幾つかの集住地域に別れるがこれを『集落』と記述する。関東や東北では『部落』と呼ばれる単位であるが、近畿地方で『部落』と言えば『被差別部落』のことであり、まぎわらしいので集住単位を『集落』とし、被差別部落は『被差別部落』と記述する)

 ナツエの生まれた集落は近くのムラに枝村として附属していた被差別部落でナツエの母(丘崎誠人の祖母)もナツエの祖父母(丘崎誠人の曾祖父)もこの被差別部落民だった。ナツエの母は未婚のままで朝鮮人の男との間にナツエを生んだ。朝鮮人の男はナツエが生まれる前に何処かへ行方を眩まし、ナツエの母もナツエを生んですぐに他の男と家出した。

 ナツエは祖父母に育てられることとなった。だが、家が貧乏で小学校にも行けず7歳の頃から魚の行商を手伝わされていた。いや、そもそも戸籍があったのかどうかも定かではない。 小学校にも通えなかったナツエは読み書きもできなかった。

戦前や発展途上国の話ではない。戦後の日本の話である。


 年頃の娘になった頃は集落で唯一の居酒屋で賄いをしていたが、両親がいない。父親が朝鮮人。学校にも行っていない。当然のように、この被差別部落の中でも最下層で、被差別部落民から差別されていた。

 このころからナツエの元に近隣のいろんな男がやってくるようになった。ナツエはそれ自体を悪いことだとも考えていなかった。いや、そういう認識すらなかった。そのうちに、その男たちのうちの一人と「昵懇」になった。だが、その男は既婚者で不倫だった。狭い集落でそれを隠し通せるはずもなく、周囲に知れるとナツエは集落から追い出されるように出ていくことになった。

 父のセイジの経歴ははっきりしない。セイジも朝鮮人と日本人のハーフで奈良の柳生から流れてきたらしい。ナツエが集落を出て、セイジとナツエは知り合って夫婦になった。夫婦といっても戸籍は入れない事実婚。内縁関係と報道されていたが、主義や主張じゃなくていろいろやむを得ずの事実婚だった。

(そもそもナツエに戸籍があったのかどうかも疑わしい。このあと記述するが国から貰えるべき手当てもなかったのはそのせいではなかろうか)

 二人は流れ流れて別の被差別部落、月ヶ瀬村嵩集落にやってきた。ナツエが山添村で賄いをしていた時にこの集落から来ていた男たちがいて、ナツエと関係を持つものもいた。 ここで夫婦は、村人から早速、「おめえらは区入りさせん」と告げられる。


 ここで登場するのが、この近隣集落独自の自治制度「区」と「与力」

 ムラは長引・月瀬・嵩・桃香野・尾山・石打など、尾根や谷で分かれた小集落の集まりで、これが「区」に分けられ、「区」の代表が「与力」だった。区入りというのは「区の一員」と認められること。区民2人の推薦がないと区入りができない。もちろん明文化された条例ではない、しきたりである。

 村史を繙くと、慶長年間に幕府が農村支配の末端機関として相互観察・全体責任などの目的のために設けた五人組制度がその源ではないか、という。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のこ とである。「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。与力には「一家の重要な事柄は喜憂一切」を相談せねばならず、「結婚相談はもちろん、仲人の決定まで与力に相談しないと将来の交際に支障をきたすという」「与力は“縁者は一代、与力は末代”と親類以上に頼りになり、一面言うことをきかねばならぬ権威ある存在であった」(月ヶ瀬村史)

 1. 葬式には運営その他、一切の指揮をとり、家族全員手伝って山仕をつとめたり、会計もつかさどる
 2. 家の普請などのときに手伝う
 3. 結婚の結納、荷の受領、披露宴などでは、与力が親族代表として挨拶をする
 4. けんか・土地の境界争い等の仲裁・調停をしたり、身元引受人になる
 5. 出産や祝い事には親類としてつき合い、失火など、他に迷惑をかけた場合などは親類代表として詫びをする(月ヶ瀬村史)

とある。


 戦国時代、ムラや町の成長期に村人や町人を確定する動きが起こっていた。豊臣秀吉は兵農分離政策の一環で、この動きを促進させ、村人や町人以外の流れ者を厳しく取り締まり、チェックする命令を頻繁に出している。ムラや町のほうも自衛や安全の為に構成員を村人や町人の相互承認という形で確定する排他的な動きを強めていった。また、戦国から近世までは税や法は「村請け」といって、村が法人として請け負っていた。その代表者として「庄屋」や「与力」が税を集めて、不足のときは高利で立て替えたり、法を触れ回ったりしていた。

 つまり、この月ヶ瀬村のこのムラ周辺ではその戦国、江戸時代の名残が未だ続いていた。 勿論、法的根拠はない。だが、今でも与力の権威は絶大で、区民の冠婚葬祭、トラブル解決、生活指導、納税、全てを与力が取り仕切っている。

 区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切るこ ととなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。区入りの概念は必ずしも法廷では明確にされなかったが、嵩集落の区長の証言によれば、区入りとは「皆さんと一緒にこれからお付き合いしていくということ」とされている。

 ほかにも月ヶ瀬では、集落ごとに税金の申告・支払いをまとめている。もちろんこれらは僻地の山村における相互扶助の役割も果たしている。

 繰り返すが、近世や戦前の話ではない。1997年の話である。ちなみに月ヶ瀬では土葬、両墓制で埋め 墓と詣り墓の2つ墓がある。かつて日本では両墓が主流だった。いろんな時計の針がここでは止まってるが、封建時代の旧制が今も生きている所は意外と全国各地にある。

 このような制度は共同体の内側にいて疑問を持たずに生きていられるなら、それは分厚い帰属感に包まれてすこやかに暮らせるだろう。 だが、その輪からはじかれた者にとっては、そこは地獄と化す。

 区入りがなければ与力もつかない。村の社会的生活は全て与力が取り仕切っているので、区入りできないと自動的に村八分になるのだが、そもそも二人は村人から初めから直接言い渡されていた。

 「家ぇ焼けるか、葬式できひんときは村が寄ってやってやる。それ以外は付き合わへんからな」

 それは村八分そのものである。

 成人式、結婚式、出産、病気、普請、水害、法事、旅行、葬式、火事

 この十のうち葬式と火事以外の八には一切関わらない、すなわち村八分。
 葬式と火事だけ例外なのも善意ではない。死体をそのままにしておくと匂うし伝染病のもとになる。火事は延焼が困るからにすぎない。

 近代日本で村八分は違法だけど、1952年には静岡県上野村で選挙不正告発した女子高生一家への村八分事件、1992年には兵庫県佐用町水根の村八分訴訟、2004年には新潟県関川村の村八分訴訟が起こっている。

 水根では、たった7戸12人しかいない集落だが、そこの総代(月ヶ瀬村の与力と同じ)に命じられるまま1戸を村八分をしてる。もちろん総代が訴えられて敗訴した。だが、賠償金も6戸で割り勘することになった。しかもそれでも、裁判はなかったかのように村八分は続行中だ。

 郊外都市でもママ友集団のシカトやイジメも装いを変えた村八分で、法的にも同じく共同不法行為として損害賠償どころか刑事罰の対象にもなる。
 田舎事情は田舎で起きるとは限らな い。都会にも田舎事情は存在する。だが、ライフラインおよび全人生が一元支配されている田舎での田舎事情は生きるか死ぬかになる。

 まさにセイジとナツエ夫婦は住むところもない、生きるか死ぬかの状態だった。だが、集落の民生委員(与力が公的役回りも兼任していた)が動いた。

 (当時のマスコミ報道は、この「与力」という概念を説明できず、「民生委員」を肩書きとして記事を書いたので妙な記事になっていた)

 この与力兼民生委員が、区民に空いてる土地を融通させ「この家に住むがええ」 と夫婦に貸した。 

区入りは認めない。だが、住むことだけは許す。家賃も貧乏だろうからと月1万。

 というと与力の親切心、善意のようだが、そこは村はずれの傾斜地、周りは藪、日当たりも悪くいつもじめじめしている。


しかも家賃1万というが、代わりに最初はナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。


 こうして物置にしていた納屋だった掘立て小屋が、以後35年の夫婦の家になった。トタン屋根、壁はベニヤで隙間だらけで夏は暖房、冬は冷房とすきま風。風呂の湯沸かしは薪を燃やす。

 「下水道の分担金を払ってないから」便所もない。だから一家は裏山に穴を掘って用を足していた。長女が穴に用を足していたのをマスコミが写真を撮って仲間内で回したりされたりした。

 これは江戸時代でも発展途上国でもなく戦後、それも平成になってからも続いていたお話である。 

そして、この親切な与力兼民生委員の大きな屋敷に生まれた孫娘が、のち被害者となる充代だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11235582637.html


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セイジとナツエ夫婦は、行商と日雇いの肉体労働でなんとか食いつないでいた。

 やがて長女カンが生まれ、次女が生まれ、三女が生まれ、長男誠人が生まれ、さらに四女が生まれた。

 セイジは、家族が増えるたびに板切れで斜面に家を継ぎ足した。その為、彼らの家は一瞬3階建てに見えて、斜面に1階建て3棟が階段状に連なっている。素人の造作で更にあばら家感が増している。

 区入りできないのでは茶畑も持てないし区有林の使用権利もない。集会にも呼ばれないし、役員選出の投票権もない。けれども負担だけは負わされる。区の奉仕作業もやらされるし、負担金は最低ランクながら支払わされる。

 30年住み続けても、扱いは変わらなかった。

 実をいうと、ここが旧弊に囚われた隔絶された排他的集団かというと、そうでもない。梅林は観光地で、都市生活に疲れて「田舎暮らし」を求めて移住してきた都会人もいる。村人は排斥するでもなく普通に受け入れて付き合っていて、寛容な顔も持っている。 だが、その顔は丘崎家にだけは一度も向けられなかった。日本が経済大国になろうが昭和から平成になろうが、丘崎家は不変だった。
 

 極貧かつ孤立の暮らしだがセイジは愛人を作った。当然ながら夫婦仲は冷めた。

 ナツエは子育てをしなかった。7歳から働かされていて、子育てという概念すら知らなかった。されたことも見たこともないものはできない。

 家事も知らないから家の中はホコリと土だらけだった。家具もまったくない。生活用品は土だらけの床に直接置いてある。

 一家団欒もなかった。料理をなんとか覚えた長女カンが作りおきしたおかずを各々が食べたい時間に勝手に食べる。

 家族の会話もない。みんなたまたまひとつ屋根の下で息しているだけの家族だった。

セイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。集落に住まわせてやっているから。

缶ジュースかミカン数個を置いていく。

隣り合う部屋で幼い誠人はそれを聞いていた。

姉カンが成長すると、村にある居酒屋の賄いとして働くようになった。
 
今度はカンのもとにかわるがわる男たちが通ってきた。

隣り合う部屋で少年誠人はそれを聞いていた。


 カンは未婚のまま子を産んだ。父親は誰ということもないままだった。

 (ナツエもカンも抵抗はしなかった。既に抵抗する術を持たなかったからか、そこに自らの存在意義を見つけたからか、それはわからない。おそらく、抵抗すること自体わからなかったのではないか?産まれたときからそんな境遇で、それが当然だと)


 こうして何重苦もの荒んだ家庭で少年誠人は育った。そして、日本には義務教育制度があり、国籍住民票の有無に関係なく子どもは小中学校に行かされる。誠人は当然のようにひどい目に遭った。

 小3のとき、公民館で放火騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」と噂が立った。なぜなら「丘崎の息子やから」

 村祭りで金が盗まれた、ビニールハウスでボヤ騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」なぜなら「丘崎の息子やから」

 川で遊んでいると石を投げつけられた。なぜなら「丘崎の息子やから」

 「あの子と遊んだあかん」親たちは子ども達に言い聞かせる。なぜなら「丘崎の息子やから」


 当たり前だが、少年誠人はめっきり暗い性格になった。中2で不登校になった。そのまま学校には二度と行かなかった。友だちもできず、家にこもった。 担任教師は誠人に冷淡で、卒業まで数度しか様子を見に行かなかった。法廷で誠人は「不登校は担任のえこひいきと体罰がひどかったから」と証言した。

 卒業式も行かなかった。担任に命じられてしぶしぶ同級生が卒業証書を届けると、誠人はそれを破って焼いた。

 裁判では、村の住民、同級生たち、当時の担任も証人として出廷したが「そんな差別はなかった」と口をそろえて否定した。だが、新潮45の記事を書いた中尾幸司は 取材中に聞いた、村人の「嘲笑まじりの」証言を次のように記録している。

 「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いから、どうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が“朝鮮がっ! ”って吐き捨てるように蔑むのを聞いとるしね」


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。確かに一部にはそれがあるものの、それだけではない。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。

 部落差別、在日差別、職業差別、貧困、村八分、いじめ──丘崎家は戦後日本の暗部を網羅したかのごとく背負わされた。しかも一家はどのカテゴリにも入れずどこにも属すことができない。だから解放や同和の互助も、被差別への支援も、救済も彼らだけをすり抜けていった。 こうして一家は、オリジナルの下層民として「創造」されたのだった。

 ここで疑問が出てくる方もいるかもしれない。どうしてそんな目に遭っているなら村から逃げなかったのか?と。 村から出なかったのが悪い、外で自立しなかったのが悪い、どこに住むかは自由、どう生きるかは自己責任と必ず自己責任論を掲げたバッシングが出てくる。

 だけど、それは孤立し虐げられ続けることが人の心の芯をどう破壊するか理解できていない。または、する必要もない幸せな人か、要領よくいつも踏みつける側にいて、 「いじめられっ子にも非がある、ぼくらも被害者」 と嘯く人だ。


 ナツエにはこの嵩集落以外に行くところがなかった。集落の男たちの慰み者になるのなら、街に出て風俗でも稼げる。文盲で常識的な知識すらないナツエにはそれがわからなかったし、集落の者たちからは
「ここを出て行ったらお前らは生きて行かれへんぞ」
と言われ続けながら差別を受けていた。とりあえず、ここでは生きていける。虐げられ続けたものの心は自尊心すら破壊され、洗脳されていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
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{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
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  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
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|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
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       1986年――奈良県添上郡月ヶ瀬村


 丘崎誠人は3年生を1日たりとも登校することなく中学を卒業した。

 働かないといけないということで測量のバイトを始めたが辞めた。東京や大阪の飲食店で調理師見習いとして住み込みを始めたが辞めた。土木作業員を始めたが辞めた。警備員になったが辞めた。左官見習いをしたが辞めた。

 家族の会話もなく、中学でも人間関係もなかった15歳の少年が、外界で急に円滑なコミュニケーションがとれるはずもない。 いつも、いつの間にか実家に舞い戻っている。

 家では数少ない贅沢品、プレステで黙々とゲームかアダルトビデオ鑑賞の毎日だった。とくにお気に入りは少女凌辱もので、購入資金は老いても日雇い肉体労働を続ける親にねだった。丘崎家には1台しかテレビがないので、誠人がAVを見たくなると、そのたびにテレビを自分の部屋に運ぶ。終わると戻す。

 もはや何度目かわからないが、またもや誠人は実家に舞い戻ってきた時には中学を出て10年経っていた。 もう2・3番目の姉は自立して家を出ていた。長女カンは28歳で子どもはさらに2人増えていた。やっぱり父親は誰ということもないままだった。

 狭い家に、まだ肉体労働を続ける老父母セイジとナツエ、姉カンと3人の子ども、誠人と妹の計8人が住んでいた。

 もはや誠人は働こうという気配すら見せない。プレステとAVビデオ、たまに滋賀県のソープ街雄琴まで遠征して性欲を発散。その資金は親にねだる。

 もうひとつの楽しみは自慢の三菱ストラーダだった。もちろん親にねだって農協でローンを組んでもらって買ったものだ。 チャゲアスとドリカムなどの都市の若者のラブソングを流しながら、ドライブするのが誠人の幸せだった。購入して3ヶ月で5300km走った。深夜までゲームをして昼まで寝る。夕方にストラーダでどこかへ行き、夜戻ってきて深夜までゲームの繰返しの毎日を過ごす。

 (なぜか田舎事情のある殺人者はみんなこうである。なぜか田舎に戻って来るのだ。外の世界へ出て行ったこともあるにもかかわらず。なぜか本人にとって最も忌み嫌って憎んでいるはずのそこにわざわざ戻ってしまう。  

彼らはそこを忌み嫌い憎悪を燃やしつつ、でも外では生きられない。だからそこに帰ってくるしか道を知らない。そこは家もあるし、親に依存して、とりあえず生きることができる。だが、そこを憎んでいるのは変わらない。それでますます毒々しい澱をためていく)
 

 丘崎誠人が村に舞い戻って1か月後。
      ――1997年 平成9年 5月4日

 その日──自慢の愛車ストラーダで夜明けの月ヶ瀬へ朝帰り中だった。前日の夜、例によって母親から貰った金で滋賀県の雄琴ソープ街で性欲を発散し、晴れやかな気分で翌朝、月ヶ瀬へと帰ろうとしていた。
 途中、眠くなってパーキングで仮眠をとった。起きたら昼過ぎで愛車ストラーダを家へと走らせる。 県道をジャージ姿の少女が歩いてるのを見つけた。

 (あれ…おお、充代やんか。帰る途中か。部活かな)

 与力兼民生委員の孫娘、13歳の充代は、卓球大会が終わって家に帰るところだった。この先、まだ高台にある屋敷までかなりある。その上に急な登り坂が続く。 誠人は愛車ストラーダのスピードをゆっくりと緩めて、 少女に、追いついた──

 充代は自宅に戻らなかった。卓球大会が終わって、学校を出て帰宅の途について──それきり足取り不明だった。駐在所と所轄警察も捜索を始めた。捜査員が村で聞き込みを少ししただけで、すぐに有力な怪しい人物が浮上した。

 丘崎誠人、25歳無職。

 ――5月27日

 充代が失踪した5月4日午後の時間帯の丘崎誠人のアリバイは無い。前夜からストラーダで村外へと出ていた。


 ――働きもせえへん。素行も悪い。怪しい。なにしろ丘崎の息子やから。

 「なんだ?最後の“丘崎の息子やから”というのは…」
 「はあ、それが──」

 刑事たちが戸惑ったのは、与力、区入りだという時代劇な言葉だった。村人には常識らしく普通に口にするが、なんのことかわからない。

 「丘崎の家とは付き合いしてへん」  

「付き合いのある人は誰でしょうか」  
「誰も丘崎の家とは付き合ってへんよ」

 「なぜですか?」
 「区入りしてへんし。村のもんやないで」

 「すると最近村に来た人たちですか?」
 「んー30年かそこら前ちゃうかな、来たんは」

 「はぁ、30年も住んでたら村の人やないですか」
 「区入りしてへん。村のもんやないで」


 困惑した県警の刑事達は駐在所の警官からも話を聞き、失踪少女の祖父が「与力」と呼ばれ、村ではたいへん偉い人であることが分かった。最初は「民生委員」だから偉いのかと思っていたが、与力が偉いから民生委員も兼ねてる、とも分かった。


 ――6月28日 台風の夜

刑事たちは違和感を覚えていた。村の人々は捜査にとても協力的だ。そして誰もが「丘崎の息子が怪しい」という。しかし、なぜそう思うのか、と聞くと

 「子どもの頃に公民館を放火したいう話や。 小3の頃やから警察沙汰にはならんかったけど」
 「働いても続けへん。家でぶらぶらしとる怠け者や」
 「親もあれやしな」

 全く論理的な根拠がない。根拠は「丘崎の息子やから」である。


 (丘崎誠人を、何の躊躇いもなく「怪しい」と名指しする。それは被害者が身内(しかも与力の孫)で、対する誠人は、永遠のヨソ者にして犠牲の子羊だったからだった。

 結果的には、村の噂どおり彼が犯人だった。 でも仮に、誠人が無関係だったとしても、きっと村人は言ったはずだ。彼が小3の年に起こった公民館火事のときのように)

 「丘崎の息子が怪しい」
 「丘崎の息子やから」
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238229540.html

     ――1997年 平成9年 8月1日


 「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室

 丘崎誠人の、生まれてから、5月4日午後に少女と県道で出会うまでの、自分語りが終わった。取調べ官はやっとあの村にずっと感じてた違和感の正体が分かった。

 「では、これは復讐なのか?充代ちゃんのじいさんは区の与力だ。今までの恨みがあったから、その仕返しということか?」

 そうだとしたら、より犯行は凶悪だ。衝動的ではなく計画的、身勝手、怨恨のため罪もない少女を狙う──

 だが、丘崎はぽかんとしていた。

 「うーん…」

 本当によく分かっていない様子だった。

 「なあ、丘崎くん。一緒に思い出そうや。あんときのことを。できるだけ早う真相を明らかにするのが君の罪滅ぼしにもなるんやで」

 「はい」


 誠人は前夜、雄琴のソープランドに行き、5月4日の午前中に地元に戻ってきた。
 途中、仮眠をとり、昼過ぎに目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見ると嵩集落に帰る途中の充代が歩いていた。

 ――あ、あれは充代か。部活の帰りかな

 ――嵩集落まではまだ距離がある、急な坂もある、あの子を家まで送っていってやろう

 ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。充代が小学生の頃は何度か送っていってやったこともあった。暫く顔を合わせていなかったが、彼女は誠人を蔑視したり、差別したことはなかった。よく笑う、誠人を「おいちゃん」と呼ぶ、人懐こい子だった。

誠人は車のスピードを落としてゆっくりと近付いた。最初の供述だと「車に引きずり込んで連れ去るつもりで」となっていたが、それは取調べ官が誘導しつつ供述させたものだ。
 いつもはそんなことしない。みんな、誠人を嫌っているので、車に乗れ等と言うと怒鳴られて石を投げられる。それを誠人は自分自身で知っている。だが、この時はいい気分だった。それに充代は誠人を蔑視したことはなかった。


 「乗って行くか」

 誠人は声をかけた。しかし充代は誠人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。そして、足早に歩き出した。

 (どうしてそんな風に反応したか、 彼女の心は今となっては分からない。年頃の女の子だ。大人の男の車に乗ることに抵抗があったかもしれない。
13歳だから、うまく取り繕って断れなかったのか、単に丘崎の顔を忘れてて「変な男」と思って逃げたのか、それとも、中2になるまでに周りの大人たちから丘崎は『丘崎の息子やから相手にしたらあかん。近づかんとけ』と言われていたのか、ただ集落の空気を感じとってそうしたのか。
だが、いずれにしろ丘崎誠人は、無邪気な少女がいつのまにか冷淡な世間という仮面を被っていたと受け止めた)


 ――俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。この女も一緒や。

 ああああああああああああっ
 ああああああああああああっ
もう許さん!!

 それまでの嵩集落の人間から受けていたよそ者扱いと謂れのない差別の悔しさが爆発寸前になった。さっきまでのいい気分とこの現実の落差は誠人にとって絶望的だった。自分を無視した充代と嵩集落全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中が混乱状態に陥った。


 ――集落の者が一人居なくなれば、集落の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスや!!

 それまでの嵩集落の人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみと差別を受けてきたことが交差した。頭の中は爆発寸前の混乱状態のままだった。後先のことを考える余裕等なかった。

 誠人は充代の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。ドンッと音がして、充代は物も言わずに転がった。ガードレールに衝突するとそのまま倒れこんだ。靴は片方脱げて転がっている。ガードレールに血糊がべっとり付いていた。

 車をぶつけた瞬間、誠人の憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻された。急ブレーキを踏み車を停める。慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こした。あちこち擦りむいて血が出ている。頭からも血が流れていた。少女はハアハアと荒い息をしていた。

 ああああああああああああっあああ、大丈夫かああっ
 うわわわ、ははねちゃっははははねはね ちゃった。
 ああなんでおれはなんで。こんな。

病院行かなきゃひどいケガケガひどい/
これがバレたらもう村にいられなくなる/
早く連れてってやらんと/
俺も家族も追い出される/
病院病院へ/
どうすりゃ/
病院へ早く病院/
いいんだどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうす りゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃななななんとかしなけりゃなんとか──

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ──


 病院へ連れていくことも脳裏をよぎった。だが、今までの集落でのことが次々と駆け巡る。自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく家族までが村に住めなくなる。事件を持って逃げるしかない。そう考えた。

 みみみ見つからない場所場所へ

 見つかっ隠して追い出される殺して隠して殺し場所見つかったら探しヤバイ殺しヤバイ見つかったら死体場所隠す場所

 どこどこどこどこがががが


 丘崎誠人の自供どおり、村から10km離れた伊賀山中で、充代の白骨化した遺体が見つかった。 祖父の与力兼民生委員は、孫娘の骨壷を受けとった。

 「やっとうちに帰ってきました」

 彼は決して悪人ではなく、集落では皆から慕われる人格者だった。月ヶ瀬の人々も、名張葛尾の人々も、加古川西神吉町の人々も、それに山形新庄市の人々も、日頃から凶悪なはずもなく、ごくふつうの素朴な人々だったはずだ。そこに田舎事情の闇がある。

 丘崎家は当然のように村から追い出さ れた。彼らの長く暮らした掘っ立て小屋の家も、すぐに取り壊されて更地になった。 丘崎家の人々は別の地に流れて居を構えた。貧しいままだったが、彼らは皮肉にも誠人の凶行によって35年にわたる呪縛から解放された。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238480746.html

月ヶ瀬村を訪ねた。あの事件の集落を見たくなったのである。青年が生まれ育ち、ついに捨てきれなかった故郷の村の風景を。うららかに晴れた暖かな朝だったが、柳生の里を抜けるうねうねとした山間の道は日も差さず、ひどく寒かった。

 事件は1997年の5月に起きた。梅林で有名な村の中心部から川ひとつを跨いだ山間の集落で下校途中の中学2年の女子生徒(当時13歳)が行方不明となり、付近からタイヤのスリップ痕や女生徒の着用していていた靴やジャージなどが見つかった。二ヶ月後におなじ集落内に住む25歳の青年が逮捕され、自供から伊賀上野市郊外の峠で白骨化した遺体が発見された。

翌年、青年に対して奈良地裁は懲役18年の一審判決を申し渡したが、検察側がこれを不服として控訴し、2年後に大阪高裁により無期懲役の判決。青年は弁護団のすすめにもかかわらず上告をしないまま刑が確定し、去年の夏、収監先であった大分刑務所の独房内にて自らのランニング・シャツで首を縊って果てた。29歳だった。

 事件は当時、いたずら目的の稚拙な誘拐殺人といったニュアンスで報じられたように思う。だが今年になって雑誌に掲載されたレポート(新潮45・7月号「虐げられた人びと」中尾幸司)や、裁判の係争中に弁護団の一人がある機関誌に寄せた文章(部落解放なら第12号「月ヶ瀬事件と差別」高野嘉雄)などに目を通すと、そこからまた、べつの風景が浮かびあがってくる。

 青年は逮捕後、事件の動機として、集落の住民によるじぶんや家族への差別があったと供述した。月ヶ瀬は現在も与力制度といわれる昔ながらのしきたりが残っている村である。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のことである。たとえば「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。

 B(部落)地区には与力制度というものがあり、地元民二人の推薦がない限り、区入りができない。区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切ることとなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。
 被告人の母の法廷での証言によれば「地区民から、家が焼けたり、人が死んで葬式ができなくても、それだけは村で寄ってやってやる、それ以外はつきあわない、と言われた」というのである。

事件を起こした青年の家族は30年以上も前に隣村から移っててきたが「区入り」は果たしていない。村の民生委員を務める、かれがその命を奪った少女の祖父の計らいによって家族は、村はずれの日当たりの悪いじめじめとした傾斜地にかつては物置として使われていたトタン屋根とベニヤ板の壁のあばら屋に住みついた。

冬には隙間風に悩まされ、室内にはいつも鼠が走りまわっていた。
風呂は薪で、「下水道敷設の分担金が支払えなかった」ために便所はなく、外に掘った穴で用を足していた。

内縁関係にある青年の両親は、ともに日本人と朝鮮人の間に生まれたハーフであった。お茶の栽培農家がほとんどを占める村内にあって、二人は行商や日雇いの仕事で家計を支えた。

寡黙な父には愛人があり、気が強い文盲の母は子どもに金だけを与えて放任した。毎日、長女がおかずをつくり、それをみなが好き勝手な時間に食べた。会話もない、ばらばらの家族だった。

 中学卒業後、青年は職を転々とするがどれも長続きしていない。測量事務所のアルバイト、土木作業員、警備員、左官見習い。大阪や東京の飲食店で調理師見習いとして働いたこともあったが、住み込みが性に合わなかったのか、ふらりとまた村へ舞い戻った。そんななかで車は、かれの唯一の安らぎの空間であったようだ。カーステでかけるのはドリカムやチャゲ&飛鳥。「特に初期のドリカムの、都市生活を楽しむ若者たちの屈託ないラブソングがお気に入りだった」(新潮45) 事件のひと月ほど前に買ったばかりの大型四駆「三菱ストラーダ」の走行距離は、事件後に売却される三ヶ月の間に5.300キロに達していた。

 そして事件当日。ここでも修羅は、一見何気ない、のどかなごく当たり前の光景からその首をもたげる。 

 被告人が反抗に至った経過は以下のとおりである。

 被告人は前夜、滋賀県内の、いわゆるソープランドに行き、5月3日の午前中に地元に戻ってきた。うららかな日だまりの中に車を停め、しばし仮眠をした後に目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見るとB地区に帰る途中の被害者が歩いていた。B地区まではまだ距離がある、坂もある、あの子を家まで送っていってやろう、ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。

 気楽な思いで「乗って行くか」と声をかけた。しかし被害者は被告人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。その時の心境は、被告人の調書では、以下のとおりのものとされている。

「顔見知りの私が親切に声を掛けているのですから、せめて、お爺さんが迎えに来ますから結構ですとか、家が直ぐそこですので結構です等と断ってくれれば、私としては腹が立つことは無かったのですが、浦久保充代子さんが私の親切心を無視し、返事もせず、逃げるように足早で歩き始めたことで、私は俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。○○の者は俺を嫌っており、この女も一緒や等と思うと、それまでの○○の人間から受けていたよそ者扱いの悔しさが爆発寸前になったのです。

このようにして自分を無視した浦久保充代子さんとB地区全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中がパニック状態になったのです。そんな腹立たしい気持ちで車を走らせている時、完全に切れてしまい、許さん、車を当てて連れ去ってやろう、最低でも身動きできないようにしてやろう、B村の者が一人居なくなれば、村の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスやと考え」

「待ち伏せしている間も私の頭の中は、親切心を無視された腹立ちと、それまでのBの人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみを受けてきたこと等が交差し、とにかく頭の中は爆発寸前のパニック状態であり、後先のことを考える余裕等な」かったとされている。

 青年は少女の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。だが、いざぶつけてしまうと「憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻され」(弁論要旨)、慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こし後部座席に移した。少女はハアハアと荒い息をしていた。病院へ連れて行くことも一瞬脳裏をよぎったが、

「自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく、家族までが村に住めなくなる.... 事件を持って逃げるしかないという気持ちになった。(少女を)発見されにくい場所へ連れてゆき、殺して死体を隠してしまおう」(冒頭陳述) 

そして二時間後、伊賀上野郊外の山中で、はじめは四重の紐状にしたビニールテープで絞殺しようとしたがうまくいかず、手元に転がっていた人頭大の石(4.9キロ)を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた。死因は左頭蓋底骨折による脳挫傷であった。

 事件をめぐる検察側と弁護側の争点は、当初、その動機にあった。検察側は殺された少女の下着が刃物で切り裂かれていたことから、事件は性的ないたずらが目的の誘拐殺人であり、青年は性的異常者であると主張した。それに対して弁護側はそのような性的異常の傾向は認められず、事件は青年の自供どおりに「被告人、被告人の家族に対する月ヶ瀬村住民等による差別の中で、被告人の鬱積した怒りが衝動的な形で暴発したものである」と反論した。

もうひとつは「差別」の問題である。一連の公判において、青年の家族を取り巻く村の旧弊さが浮き彫りになったものの結局、裁判所は「被告人のいう差別感情なるものは、何の咎もない中学二年生の被害者に対する本件の犯行動機として、ほとんど酌むべき事情にはならない」としてこれを斥けた。情状酌量の余地はないとして、検察側の求刑通り無期懲役が宣告されたのである。

 月ヶ瀬事件で特徴的なのは、被告人は自白に転じた以降、終始一貫して自己の行為を弁解せず、正当化しようとはしていないことである。被告人は動機として月ヶ瀬村の住民による被告人及びその家族への差別があったことを供述しているが、それは何故に本件の如き犯行をしたのかという質問、追求があったため、「事実」として、その経過、内心の感情の推移を説明したのにすぎない。

被告人は当然償わねばならない責任はこれを受け入れるべきと考えており、自己の刑事責任を軽くするための一切の弁解、責任転嫁を拒否し、公判廷においてもただ「事実」としての自己の心情を述べたに止まったのである。


 冬の月ヶ瀬は、さながら湖底に横たわった村のようにひっそりと静まりかえっていた。梅林近くのみやげ物屋は軒並み店を閉ざし、観光客の姿もまばらだった。昼寝をしているような観光会館にバイクを停め、置いてあった観光パンフを貰い、二階の展示室でかつてこの地を訪れた文人たちの梅林を愛でる書画をしばらく眺めた。

それから梅林の裏手にある尾山代遺跡に立ち寄った。茶畑の広がる丘陵地の斜面が小さな公園のように整備されていて、素堀りの住居と、その隣に四畳半ほどの鍛冶工房の建物が復元されている。室町期あたりに奈良の都の大安寺などに木材を供給していた職能民たちの集落跡だという。北風を避けたなだらかな南の斜面を三段に造成し、上段に前述の住居と工房、中段に食料を貯蔵した穴、下段をゴミ捨て場として使用していたらしい。どこまでも続く低い山並みを眺めながら、いにしえの杣人たちの日々の暮らしを想った。陽が雲間に隠れ、相変わらず寒かった。

 ふたたび中心部の月ヶ瀬橋までもどり、橋のたもとで山頭火の句碑などを眺めてから、青年の生まれ育った集落へ向かった。

日当たりの良い高台に茶畑が広がり、20数戸のわずかな家々が尾根筋の平坦地に身を寄せ合った、のどかな山村の風景だった。人の姿はほとんど見えず、閑としている。集落全体を見わたすことのできる公民館と薬師堂の前にバイクを停めた。もう一方の高台にひときわ立派な土塀に囲まれた屋敷が、あれがおそらく亡くなった少女の家だろうと思った。

隣接する神社の珍しい石造りの神殿などをしばらく見物してから、寺の本堂を横切り、反対側の墓地へとゆっくりと歩をすすめた。

 月ヶ瀬はいまも土葬であり、しかも埋め墓と詣り墓(石碑墓)という両墓制の形を残している。村はずれにある埋め墓に遺体を埋葬し、一定の期間祀った後は村に近い詣り墓へ霊魂を移し、以後はそちらへ詣でるのである。薬師堂の境内にあるのはその詣り墓の方で、ここから暗い雑木林の小径を20分も下ったところにあるという埋め墓も覗いてみたい気持ちもあったが、今回はあえて控えることにした。

 集落の裏山の小高い山の上に位置する、乙若城跡という南北朝時代の史跡を訪ねた。史跡というにはお粗末な、草ぼうぼうの猫の額ほどの淋しい場所だった。青年もかつて子ども時分にここでひとり孤独な時を過ごしたに違いない、となぜか思った。逮捕前に青年がマスコミの「(行方不明の)少女を知っているか」との問いに応えて、「おなじ地区だから知っている。小学生の頃は通りがかりに車に乗せてあげたこともあった」と語ったという、そのことばを想起した。

幼い頃には無邪気にかれの車に乗り込んできた少女が、ある時から「世間」という得体の知れぬ皮をかぶり、他の大人たちと同様にかれに冷淡に背を向ける。鬼だ鬼だと言われ続けてきた者が、ついに本物の鬼となって復讐をした。だが所詮、本物の鬼には成りきれなかった。
http://www.geocities.jp/marebit/oni.html


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2) 奈良県 月ヶ瀬村


493:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 19:39:19 ID:???

梅の観光地になってるから行ってみたらいいよ。 梅やさんがいくつかある。
こんなところで事件があったのかってしみじみ思うよ。
見えない何かで囲われた場所って感じ。

289 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:16:13 ID:???

月ヶ瀬にドライブに行ったことある。 すっごく不気味で暗い雰囲気だった。
他にもあちこちのどかな田園地帯には行ったことあるけど、雰囲気が全く違う。
何かにとりつかれたような、とにかく気持ち悪い村だった。
悪霊や山姥でも住んでそうな村だったよ


749 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 21:47:38 ID:???

月ヶ瀬付近の谷の道路沿いr82だっけ走ってると細い道があって、小さい集落に続いてたりするね

なんか暗い感じのする地域なんだよね
名阪国道の南北周辺は

751 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:08:01 ID:???

東名阪辺りから行くと判るが JRに取り残された丹波方面は一種変わった空気してる 昔のままが残ってるような 非開放的と言うか いわゆる田舎だ

752 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:20:34 ID:???
>>751

奈良市街地→柳生→月ヶ瀬

ドライブに行ったことがあります。 奈良には転勤で二年間滞在してました。
月ヶ瀬に近づくにつれ、怖くなりました。

白土三平の忍者漫画カムイの雰囲気がして、背後から手裏剣が飛んで来そうな恐怖感でした。 のどかな田舎の田園風景という感じじゃなくて、山ん婆とか化け物が住んでそうな恐ろしい雰囲気でした。


754 : 752 : 2010/11/11(木) 23:57:46 ID:???

そういえば 月ヶ瀬は三重の伊賀上野の隣だね。
伊賀上野といえば伊賀者忍者の里。
奈良市側の柳生は柳生一族の里だよね。

月ヶ瀬が時代劇の忍者っぽい雰囲気なのも納得。


290 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 13:33:38 ID:lOMjkoom [1/1回発言]

月ヶ瀬村ってど真ん中に太い川があるんだけどさ、その川がダム湖みたいに深くてハンパなくでかいの。 バーベキューするような川原って感じじゃない。

あの深くてでかい川は自殺の名所かもね。 年柄年中自殺者の遺体が浮かんでそう。川の周りにはコンビニとか街灯とかはとにかく何も無くて、飛び込む人がいても誰一人目撃者がいないと思う。

梅林見学に車で行った自分は、あの川を見てたら何だか陰欝な気分になった。
真っ青に晴れた日だったのだけどね、空気が重たく感じられたよ。


296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 10:34:10 ID:AABLjX7e

ほんとあの村は異常な雰囲気が漂ってるよ。
俺は仕事とかで行くが横溝作品の舞台じゃないのかと思う時があるな。

ちなみに自殺の名所であり年間多数の自殺者が発生してる。

761:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 13:50:27 ID:MWeCSpx/

月瀬橋っていう赤い大きな橋知ってる?
橋の北側が中心部で、観光協会、梅林、役場がある。

川を挟んで橋の南側の山を奥へ奥へと進むと、細い道になっていき、うっそうとした薮になる。 その薮の中に丘崎のあばら屋があった。


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 17:44:01.59 ID:???

奈良市月ヶ瀬嵩っていう地域。
名張川に南北にかかる月ヶ瀬橋の南側地域が嵩。

嵩の細い道(地図に載ってないのでは?)をくねくね奥に入っていき、うっそうと草木が生い茂り日光が入ってこないところに丘崎のあばら家があったそうな。

同じ月ヶ瀬嵩で道路に面した小高い所に被害者中学生の家があるそうだよ。


135:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 08:58:13 ID:LIHP0hsz

以前京都市内に住んでたとき、月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。
川とか梅林があってのどかな場所だったけどなあ。

でも、観光客にはわからないような、暗い部分があるのね。差別、古い因習、近代生活から掛け離れた極貧一家、・・・

格差社会がより一層進んでいる今、こういう事件が激増するかも。


358:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 02:06:05 ID:???

月ヶ瀬は梅林を見に行くところ。
住むところではないよ。

あんな閉塞感たっぷりのところなんてね。

360:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:29:34 ID:???

自分は奈良の中心街に住んでるけど、月ヶ瀬ってBだっけ?

そうだったとしたらこの犯人への非人道的な扱いも分る気がする。 そもそも未だに関西に差別が根強いのは、ある程度仕方のない現実なんだよ。

知人が車で走行中、いきなり窓を割られた事があった。 すぐに届け出て、しかもあきらかに犯人と思われる車両が見えるところにあったのに、警察は煙に巻くだけだったとか。 それは、その犯人が周囲でも有名な札付きのBだったためであったことが分った。 奈良ではBは何をしても訴えられない(関わるとえらい目に合う)特権階級。

最近ようやく行政での不正が色々発覚するようになってきたが、まだまだやりたい放題なのが現実だよ。 小学校から無駄な同和関連の授業を組み、過剰なまでに差別の事実を刷り込むのも差別を「商売」にしてBが暮らしていくため。 こんな環境だから、Bとはなるべく関わらないように刺激しないように常に気を使う。 自衛するためには転入者に出身地を訊ねたりするのもやむを得なかったりする。

自分達で「差別」を温存しながらも、低く見られていることに鬱憤を抱えたまま閉鎖的に生きていくB。 彼らなら更に弱い立場の者がいれば、嬉々としていじめをするだろうな。


148:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 13:00:02 ID:1Tklg+vP

月ヶ瀬村自体が、同和地区だってことですか?
山奥の川沿いの小さな村らしいけど。


149:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 14:18:38 ID:ZjhKLGj+

山奥の川沿い=まさしく

150:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 20:26:50 ID:2PZfVmfN

月ヶ瀬村の山高地区


405:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 17:55:18 ID:Ty1lbCVR

県境はB地区多し


319:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:37:08 ID:gxLrsi7V

月貸せ村って部落なん?
部落民が朝鮮人を差別したってことなん?


320:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:31:51 ID:???

言うまでも無いだろうw
関西方面は半島からの渡来人の末裔が多いから差別意識が強いんだぜ。


321:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 19:19:56 ID:gxLrsi7V

ふ〜〜ん、そうなんだ。
大昔朝鮮から渡って来た奴らが、20世紀に朝鮮から来た人達を差別するとはね。 同胞いじめってか!?


164:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 07:41:28 ID:Zihyooab

大体において、月ヶ瀬の祖先は渡来人のくせに、流れ者朝鮮一家の丘崎を村八分ににしたのがこの事件の発端。

月ヶ瀬の奴らは未だに「差別なんかしてません」と、ほざいてる。
自分らが行った酷い村八分行為が、巡り巡って孫の死を招いたことを月ヶ瀬の奴らは思い知るべき。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 16:16:07.96 ID:???

月ヶ瀬はB地区?って事は月ヶ瀬の人達は他の町からは差別を受けてたって事?

さらにその人達が丘崎一家を差別してたって事?はらいせみたいな感じ?


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 18:29:36.82 ID:???
>>146
月ヶ瀬全体が被差別部落なのではなくて、丘崎一家が住んでいた嵩という集落がそうだったということ。 だから被害者やその祖父や「与力」という住民組織のメンバーも被差別部落民で、社会の底辺層がさらにその下を差別する構造だったという認識でいいと思う


188:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 11:28:07 ID:fD6W5uiH

チョンが、部落の子を殺した事件。

147:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 12:50:01 ID:2PZfVmfN

部落民に差別されてたんだろ。


288 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:09:11 ID:???

丘崎一家が住んでた地域は月ヶ瀬の中のB地区(月ヶ瀬全体がBというわけではない)
で、そのBの奴らが自分らより更に下の丘崎を人非人扱いすることで憂さを晴らしてたんだよな。

底辺が最底辺を見下す構図。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 22:19:43.18 ID:IUQJa6/D

丘崎はKで村人がBだよね。

「差別をなくそう」って綺麗事言いながら、自分たちは何をやったのか?、

と月ヶ瀬B民に俺は聴きたい。


489:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 06:04:24 ID:???

同和って差別されることには五月蝿いけど、差別することには寛大なんだねw

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 23:53:48.97 ID:???

底辺は底辺を叩きたがるもんだよ 
士農工商からしてそう 汚い人間の業だね

救われんなぁ

406:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 18:20:06 ID:???

上でBがなぜ住所で分るかって言う人がいたけど、大抵その場に行って見れば分るよ。 明らかに他の地区と雰囲気が違う。簡単に言えばボロいし汚いし雑多。 もしくはいわゆる改良住宅だったりする。(ニコイチなど特徴のある建物が多いから一目で分る)

血が濃いので悪い血が…ていうのも、ただの風評ではない。 実際いとこ同士などの近親婚が多いので、視力などに明らかな劣性遺伝をもっている人が多くみられる。

親族や地区での繋がりが強く、本人同士の問題と安易にBと結婚などをすると、いざ関係が悪くなったら突然ヤクザまがいの人間が出てきて親族中に迷惑をかける事になったというのもよくある話。

「差別」自体は良くない事だと誰でも分ってるんだけど、Bに関しては実害が現実にあるんだから区別して付き合うのは仕方のない事なんだよね。

でも月ヶ瀬って本当にBなのかな?

村の変な制度やいじめ体質を見るとBっぽくはあるけど…

でも身近にこの犯人の家庭みたいな一家が住んでたら正直嫌だと思うんだよね。
極力関わらないようにするし、子供に「付き合うな」と注意するのも普通の対応だと思うんだが。

331 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 08:07:54 ID:???

Bがばれて婚約が破談になった芸能人

女優のM・R(相撲取り貴○花との破談)
元ミス日本のN・K(名高○郎との破談)
歌手のN・A(近藤○彦との同棲中に自殺未遂)

彼女達本人は、自分がBの子孫だとは知らなかっただろうね。

好きな男が出来、いざ婚約という時に相手側に調べられて親がB出身であることが判明。
結果、一方的に婚約解消されて涙に暮れた…という感じだろうね。

N・A以外はその後、理解ある別な男と幸せな結婚したけど
N・Aは未だにショックが癒えずメンヘラ状態。

親がB地区を出て都会に住むようになった子供は自分がBの子孫であることを知らずに過ごしてる人が多いだろうけど、戸籍から祖先の出自を調べられたらBがわかっちゃうんだよね。


451:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:33:57 ID:R2RSZAbt

「部落」「部落差別」「同和」という言葉に敏感なヒトが多いのは確かだが、
これは、世間がそういう言葉を使用禁止にしたり、隠語にするところに原因がある。
昔、身分制度で「えた・ひにん」という最下層に属する人間が居たのは事実だが、
彼らは、処刑の後の死体処理、動物の屠殺、皮剥ぎなどの仕事に従事させられ、
ある特定の地区に住まわされただけである。それが「部落」だ。

今、そんな仕事をさせられている人間なんて居ないのに、その地区へ呼称だけが根強く残り、現在に至っている。 要は、「部落出身者がどうのこうの・・・」と言っているワケではなく、人間の中には、他の人間と差をつけないと生きていけない・・・というヤツが多く、「アイツは部落出身だ!」などと言って、その人間と「差」をつけること(つまり、自分はその人間よりは上なのだ、と思う)で、自分自身が生きる支えのようなモノにしているだけである。

413:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 10:41:32 ID:???

月ヶ瀬がブラクなんじゃなくて犯人がブラクなんで月ヶ瀬村の中で差別されていたってことだと理解していたのだが・・・


414:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 15:16:25 ID:3rjrpBBe
>>413
月ケ瀬全体がBなのではない。

月ク瀬の中の某地区(B)に、隣村の朝鮮人と日本人(B)の夫婦が引越してきた。

その夫婦の息子が犯人。
某地区住民(B)の女子中学生を、犯人が殺した。
つまり、Bの娘を、朝鮮籍の犯人が殺したってことだよ。


433:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 07:02:20 ID:???

丘崎が住んでいた嵩地区はB地区。

173:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 04:05:46 ID:3JZ1lI3e

名張毒ぶどう酒事件なんかも奥西の家族に対する地元の連中の村八分行為が凄惨だった
地裁で再審開始決定が出た時の、地元の連中のコメント見たら吐き気がした


174:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 09:36:22 ID:8WOPMAxt
>>173
名張毒ぶどう酒事件の現場(葛尾地区)も山奥の川沿いだね。
しかも、奈良の月ヶ瀬村、三重の名張葛尾には両方に同じ名張川が流れている。

差別で苦しめられた人間には、山と川が付き物だね。
山奥川沿いのムラって、いやな所だね。


175:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 10:05:12 ID:8WOPMAxt

この事件が起きる3年前(1994年)に月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。 村を流れる川とか、上流のダムを見てたらすっごく陰鬱な気分になり、「この川は自殺の名所なのだろうか?」なんてなことを思いもよらず考えてしまった。

梅林や川、山など確かに自然は豊かなんだが、どことなく陰鬱さを感じさせる地域だった。

もしかしたらあの当時、丘崎とどこかですれ違っていたのかもしれない・・・

あの暗くて陰鬱で気分の滅入る山奥川沿い村に、陰惨な差別があるとは当時想像もできなかった。(北海道出身なので、被差別部落・朝鮮差別とかそういうことに全然ピンと来ないです)


169:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 10:53:36 ID:J52YXR80

小学生時代に、放火の濡れ衣着せられて、皆からいじめられるのってさ、「フランダースの犬」のネロみたい。

ネロの場合は、アロアとか近所のおばさんとか味方がいて。コゼツの旦那も、最後にはネロへの猜疑心も消えて探してくれたけど。

このスレの犯人は最後の最後まで、信頼出来る人がいないまま、孤独死したんだね。
「自分は何のためにこの世に生まれてきたんだろう」って絶望感で一杯だったんだろうね。


401:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 21:55:02 ID:bBNPZW2M

こういう言葉は適切かどうかわからないけど
生まれてこない方が良かった人 っているんだなと思った。


153:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 00:47:49 ID:gyEL9ih5

弁護士の奨める上告もしないで刑を素直に受け入れ、服役中は罪悪感で苛まれてたらしいですね。 罪の意識に耐え切れずに自殺。 自分で自分を死刑にしてしまったんですね。

コンクリ詰め犯や、栃木リンチ犯とは、えらい違い。(こいつらには死刑が妥当)

丘崎には服役して出所後、別な土地で人生ゼロからやりなおしてほしかったな。殺人犯とはいえ、境遇を考えると同情を禁じえない。


49:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 23:59:01 ID:???

でも、こいつはレイプしてないんでしょ?


53:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 00:43:44 ID:???

おかざきは性的なことは一切してないよ
裁判記録見れば書いてる


72:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 01:01:27 ID:+Bb5Rhk7

女子中学生がキツく無視したからだろ。
穏やかに断っていればこんなことにはならなかったのに。

140:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 01:06:54 ID:1Tklg+vP

親が無学でしかも日本国籍ではない極貧家庭に生まれてしまうって悲惨だね。
丘崎は、一生の中でおいしい物を食べるとか旅行に行くとか家族団欒とか、暖かい部屋で寝るとか普通の人の普通の生活を知らないまま命を閉じたんだろうね。

日の当たらない、ネズミと土ぼこりだらけで、トイレすらない、すきま風ふきすさぶバラック建てのあばら屋で、心も体も病みながら成長していったんだろうね。

村人達からの差別、村八分。 親も情けない親で。

丘崎を殺人犯へと追いやった原因は、村人と親にも責任があると思う。


142:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 06:34:27 ID:1Tklg+vP

丘崎は過去に家を出て、住み込みで働いた経験がある。
しかし、朝起きられないのと能力が無いのとで、行く先々をクビになった。
自活への道をあきらめ、あばら屋に舞い戻り、母親から金をせびっては遊び暮らすようになった。

幼い頃から、我慢することを躾けられなかったんだろうな。読み書き計算も、出来たかどうか?
いい加減な親だから文房具も何もちゃんと用意してやらなかっただろうな。


87:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 21:35:08 ID:DRUEpIVH

丘崎の報道陣への逆切れぶりは異常だったね。
あれだと働いても同僚や客とトラブル起こすのは目に見えている。

303:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 04:40:40 ID:Zzoc8oKv

マスコミの前で暴れてから、凄いフテブテしい全然反省していない極道と思ってたが本当は物静かな気の弱い、自殺しちまうような男だったんだな。ネットで読むまでまったく勘違いしてたよ

しかし、なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

普通はマスコミは遠いところからやっと映像取れるぐらいなのに

頭から服をかぶったりしてあげたりしてる

麻原クラスになると車の正面のほんの瞬間という気に使いようなのに


307:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 02:54:03 ID:W02/g6in
>>303 
なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

それが差別なんだよ

月ヶ瀬の人たちは少しは反省しないとね
酷い差別が自分たちに帰ってきたんだからね

トイレもないような家だったら、誰か民生委員でも知らせてちゃんとしてやるべきだよ
穴ぼこだらけで臭い!っていうならね

308:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 07:59:39 ID:1p9ofrxo

ムラの奴らは丘崎一家を人間扱いしてなかったんだろ。
その辺の虫ケラと同等レベルにしか思ってなかったんだろな

335:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:22:35 ID:IQl2cStV

丘崎一家は飼われてたんだよ。 月ヶ瀬の住民に。

魂を売った見返りに、民生委員の被害者家族に生保かなんかを斡旋して貰ってたんじゃないの?

月ヶ瀬の住民も酷いが、丘崎の両親も情けない。

336:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:55:56 ID:CfnrJJBg

村民は何のために丘崎を飼ってたの?

飼うからには、飼う側に利益がないと邪魔な人間を飼ったりしないと思うが。
犬や猫などのペットは心を癒す愛玩動物だし、牛や豚などの家畜は乳や肉を売って利益を得る。

村民にとっての、丘崎一家を飼う目的は何?


343:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:39:03 ID:IQl2cStV
>>336
飼って住民のストレスの捌け口にしてたんでしょ?

男は虐げられ、女は性の玩具。

「人権を守れ」と立派なこと宣う部落民が人権を蹂躙してどうするんだよwww

344:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:31:36 ID:CfnrJJBg
≫343
なるほど、サンドバッグ&性処理の道具ね。

708:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:27:51 ID:RqBVorhl

丘崎家は生活保護じゃねーよ。

両親は土方、姉は居酒屋勤め、

それ以外に母と姉が村人達の性処理の相手してて(売春)、

村人から飼われてたんだよ。

売春は暗黙の了解。 お互いもちつもたれつの関係。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 22:41:27.66 ID:wYVT3CC/

一番の原因は母ちゃんが慰み者にされてたからじゃ無いのか?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:10:51.60 ID:???

一番かどうか知らんが、歪むだろうなぁ、そりゃあ。


普通の風俗は基本的に、来たい客が楽しく遊んで、

女が金を得る商売と割り切れるからまだいいが、

丘崎の母ちゃんは差別されてただろうし、オモチャだもんな。

しかしそんなンが日常だった村って今も正常に機能してんのかね。
代わりのはけ口かありそうで嫌だわ。


645:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 23:50:56 ID:???

差別・村八分して人格踏みにじっておいて、
一方では金で母と姉を肉便器にするなど、
自分らを都合よく飼い殺し扱いしていた村人達への復讐だな。


646:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:35:55 ID:???

両親が隣村にいられなくなった理由…

母が村の有力者と出来ていたのが、奥さんにばれて追い出された。
しかし逆に、月ヶ瀬では村人達の肉便器になることで居住を許されてた。
女の穴を共有するのが月ヶ瀬の習俗。


673:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:24:19 ID:???

しかし姉はともかく母親はかなりのオバサンだろ。

都市部ならマニアの客も付くだろうが、相手も歳がいってるにしても田舎でよく稼げたな。
年齢の割りにルックスはかなり良かったのだろうか?


674:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:55:54 ID:???
>>673
外部からの見知らぬ客ではなく、
母親が20代の頃から関係が続く数十年来の馴染み客(村の衆)

事件当時の母親は50代後半だから、その頃は60代70代のじいさん相手にしてたんだろうよ。

不特定多数の客をとる都会の売春婦と同等に考えるな

732:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 18:05:56 ID:VMVne5te

月ヶ瀬にドライブに行ったことあるけど。
山、川、梅林しかなくて、コンビニすら無くて寂しい所だった。

あんな所に住んでたら、鬱になりそう。 とにかく、山奥の超ど田舎。
ああいう土地の住民て、普段は何が楽しみなの?

あんな超山奥だと、家でテレビ見て晩酌するぐらいしか、すること無いじゃない。


734:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 20:53:17 ID:???
>>732
月ヶ瀬住民の楽しみは、

自分以下の人間を見下して差別し村八分にすることが唯一の鬱憤晴らし


735:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 02:15:18 ID:ae4eW/XC
>>734
で、酒飲んでセクスな。

736:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 05:11:13 ID:???
>>735
で、チョンB女を肉便器にして中出ししてな


737:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 02:13:16 ID:RMl7zJI0
>>736
で、また酒飲む


647:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:48:06 ID:bn7G1Ow6 B、

チョン、差別、村のならわし、
肉便器、貧困、文盲、
あばら家、トイレ無し地面掘って排泄、山奥…

つくづく嫌な環境だなこりゃ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 18:17:00.33 ID:XckXsGMP

以前「新潮45」の記事で読んだんだけど、丘崎の家は便所がなくてその辺でする
もんだから、近所の人は「もう臭くてかなわんかった」と言っていたという。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 18:50:48.51 ID:???

丘崎家を「くそぅてくそぅて(くさくてくさくて)」と言ってた村の男

何の用事で丘崎家に行ってたのかな?wwww

丘崎の同級生とかじゃなくて、かなり年上の男のようだったけど

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 05:28:55.21 ID:???

村に住まわせてやるかわりに丘崎母や姉を強姦してたんでしょ、村人が。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 07:53:37.84 ID:???

母や姉を性奴隷にしていたなんてどこソースよ?

住民が毛嫌いしていたというのに、掘建て小屋でセックス?


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 08:50:54.05 ID:???
>>124
それがしてたんだよ。 丘崎家のあのバラック小屋で。

執拗な差別と肉体関係、

それがこの事件を取り巻く村社会の不思議さと、陰湿さを際立たせている。


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 06:39:00.44 ID:???

あのじいさんってテレビで見た限りでは普通のいい人に見えたけど…
あの人も丘崎の姉母を肉便器にしてたって本当だろうか。


709:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:34:14 ID:RqBVorhl

で、何故 民生委員の爺さんの孫娘を丘崎が殺したかって?

母親を肉便器にした張本人が、その爺さんだったからさ。

丘崎は、その怨みでジジイの孫娘殺したんだよ。


278 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 03:56:25 ID:???

丘崎母親を肉便器にしてたのは、被害者中学生少女の祖父な。

乞食のような丘崎一家を月ヶ瀬に住んでもいいと許可し、物置小屋だったボロ小屋に住めるように持ち主に仲介を依頼したじいさん。

そこまで世話してやったのは母親の肉体が目的だから。

丘崎はそのジジイのことを心の底から憎んでた


648:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:01:24 ID:???

犯人の両親に格安家賃の貸家を世話して住まわせ土方の職を紹介したのが、被害女子中学生のじいさんなんだよな。

犯人母と被害中学生じいさんの関係…

なるほどな。復讐の意味はそういうことな


284 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 06:31:27 ID:???

ジジイと丘崎一家は親戚みたいな人間的付き合いじゃねーよ。

飼い殺しなのさ。

飼い殺しの意味わかる?

母と姉は村人達に肉便器にはされてたけど金銭はもらえず、せいぜいミカンかジュース程度。

住まわせてもらうことの代償が肉便器になること。

肉便器として扱ってはいても村の奴らは全員、丘崎一家を人間としては扱ってなかったのだよ。

例えて言うならホームレス女にオニギリ一個与えてHして、やり終わると唾を吐きかけ蹴飛ばしてゴミをぶつけるようなもん。

シベリア抑留で強制労働させられた日本人みたいな扱いと思えばいい。


739:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 07:09:46 ID:???

小さい丘崎に、母親と民生委員の爺さんが見せつけながら、セックスしていてたんだろうな。


16 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/09(土) 19:05:12 ID:???

丘崎の母と姉は、村人達の肉便器にされることで村への居住が許された。

土地を持たず国籍にも問題のある乞食同然の一家にとって、それは生きていくためには仕方の無いことであった。

自宅に代わる代わる訪れる村の男どもに母と姉が体をまさぐられている間、子供だった丘崎誠人はその屈辱に堪えていた。

差別されている者ども(月ヶ瀬の中のB民)が、さらに自分達より下の者を虐げることで憂さ晴らしをしていた構図。 村の有力者の娘を殺害することで、丘崎誠人は長年にわたって鬱積していた恨みを晴らした事件。


66 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/29(金) 21:23:59 ID:cexANW65 [1/1回発言]

未だに前時代的な風習を続ける山奥の小さな集落。 まるで明治時代。

夜這いもひそかにまだ残ってそうだね。

弱者が女房娘を強者に差し出すことで、村に住むことを許されるみたいな…

やれやれ、つくづく陰惨な土地だね。

72 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 12:58:24 ID:DXNYTpOb [3/4回発言]

しかし、関係持っておきながら人間扱いしないって酷い話だな。
情ってモンはないのか。


73 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:02:06 ID:???
>>72
人間と認めて交際してたんじゃなくて、性欲処理だけのために利用してたんだろ。
東南アジアへ回春旅行する男みたいなもん。
東南アジア女性を養う気も入籍する気も無い。 マソコだけが目的。

丘崎母姉はただの肉便器にしか思われてなかった。


74 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:41:55 ID:DXNYTpOb [4/4回発言]
>>73
なんか嫌だなぁ…

アヘアヘ腰振ってフィニッシュしておきながら人間扱いしないとは。

そんならヤギとヤッときゃイイのにな。

207 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/08/11(水) 19:40:41 ID:???

長女は村の飲み屋の人気者で中々セクシーだったそうだ。

その長女が外で垂れていたのを、張り込みのカメラマンが盗撮して、仲間内で画像をまわしたと、下品な話には事欠かない事件だったな。。。。


454:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 21:48:44 ID:???

そもそも同和地区内部での差別ってあるの?


455:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:02:42 ID:???
>>454
何世代も前からの土着民は仲間意識が強いのだろうけど。
丘崎一家はよそからの流れ者だし、しかも在日朝鮮人だからね。
村八分状態だったろうよ。


351:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:50:26 ID:???

少数の人間を生け贄にして集団の団結を計るのは昔からのやり方だからね
その生け贄に逆襲されるのもまた仕方が無いんじゃないの

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:14:32.70 ID:???

村民達は丘崎一家を見下して差別していたくせに、実は逃げられないように飼い殺ししてたんじゃないだろうか?って。

無学で国籍の怪しい乞食一家が転居してきて、対等な仲間としては受け入れがたいけど、ストレス解消に役立つサンドバッグが出来たぞいいアンバイだなと。


村で放火や盗難事件が発生すれば全て丘崎に罪をなすりつけ、

セックスしたくなったら丘崎母姉で性欲処理して、

むしゃくしゃしたら丘崎にみんなで石をぶつけ…


いじめる相手がいなかったら村民達は困るんじゃないの?

丘崎の母は小学校すら行ってなくて文盲ってことだから、一般的な知識も情報もなかったと思う。 村民達に


「町に出てもおまえらの仕事あらへんで」

「村から出たらおまえら生きていけへんのや」


と巧みに言いくるめられてたんじゃないかって。

この一家は頭悪そうだし、生活設計とか将来の計画とか出来なさそう。 どうやったら村から出て行けて、町で人生再出発出来るかなんて考えつかなかったんじゃない?

もうどうでもよくなって、そういう生活から抜けだそうって気持ちすら持たなかったかもね。 学の無い情弱一家ってことでしょうね。 息子はヘタレだから、東京や大阪で行き詰まって帰郷してしまったし。


134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:35:22.30 ID:YAtNVMoT

丘崎母に旦那は居る。けれども未入籍の事実婚。
丘崎父も日本人と朝鮮人のハーフで流れ者。
丘崎が自殺した時は丘崎の両親は三重でひっそり暮らしていた。

貧困な両親には墓を建てる金がなく、丘崎の遺骨は両親の家に置いたまま。
けれど、当時で両親は70代半ばくらいだったので、今は生きているかどうか…


丘崎姉は未婚で子を産んでいる。子の父親は誰だか明らかにされていない。

もしかすると関係を持っていた村の誰かの子かも知れない。
事件後、月ヶ瀬には居られなくなり、大阪に移り住んだらしい


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:27:59.36 ID:YAtNVMoT

新潮文庫の記事によると、母親は文盲。
突然疳癪を起こしたりすることからみても知的障害か、あるいは精神障害を患ってたような感じではある。

最初は自分の祖父が婆さんと間違えたみたいにドサクサに紛れて夜中に手をつけたらしいことを匂わせる記述もある。

丘崎母にとって、自分が生きるためには犬猫のような交尾は必要、かつ当り前であって、そこに倫理観やら羞恥心やらの価値観はなかったのかも知れない。

教育を全く受けてないのだから、猿やイノシシと同じで野生のまま…
だから村中の男と関係を持つことに、悔しいだとか悲しいという感情を抱くことなく
生きる為に交尾を重ねていたのではなかろうか。

539 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 10:09:23 ID:???

丘崎一家は出ていかなかったんじゃなくて、出ていけなかったんじゃないかと思うなぁ。 村の人達が出ていかせなかったというか。

つまり、集団の中で敵を設けると集団がまとまりやすく一致団結するみたいに村に丘崎一家という「最底辺の敵」を敢えて設けて、村の結束を強固にする役割にしてたのかな、と。

事実、村の男たちが丘崎家の女を共有することで秘密を共有し、ボヤ騒ぎが起きた時も
最終的に丘崎のせいにして問題が収まってる。他にも水面下ではいっぱいあるんじゃないか。 B地区特有の世間に対しての鬱憤も、丘崎一家をサンドバック代わりに解消してた気もする。

でも万が一、丘崎一家がいなかったとしたら、自分もターゲットにされるかもしれないというある種の恐怖感さえ生まれてくる。 いじめのターゲットを設けることでその他がまとまり、設けてる間はとりあえず自分は安心みたいな学校や職場のいじめの構造と全く一緒な感じがするんだよなぁ。

結局、あの村にとって丘崎一家は必要悪だったように思う。 丘崎一家には


「この村にいるからこそ家にも住めて仕事ももらえ、食べることが出来るんだ」


と言い続けて見えない恐怖に怯えさせれば、簡単に御することは出来そうだし。


541 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 12:34:37 ID:???
>>539
同意。
精神的圧力と物理的圧力で丘崎一家は、村から逃げられないようにされてたと思う。

仮に逃げようと思ったにしても日中はばれるから夜中に逃げるしかない。
しかし街灯の無い真っ暗な山奥から徒歩でどうやって奈良市内の町まで出る?
あんな山奥から徒歩ではとても無理。

一家が夜逃げを決行して歩いて逃げるたとしても、途中で誰かに気付かれ村人達に連れ戻されリンチ等の制裁を加えられそう。

じゃあ夜逃げではなく、普通に「町に引っ越したい」と正式に言ったとて許してはもらえなかっただろうね。 役場は転出手続きを拒否し、バスは乗車拒否するかも。 家財道具を運ぶトラックも出してくれない。

>>539さんが言うように、

「町に出たってお前ら住む場所も仕事もあらへんで。

お前らはこの村にいるからこそ、家に住めて仕事させてもらって食べていけるんや」


とか言いくるめられそう。


542 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:05:25 ID:aAvPWP8W [3/4回発言]
>>539
考えられますね   なんか村の連中に洗脳されてそう。 

長い期間、屈辱受けてメタメタに傷つけられていたら逃げようとか嫌だとか言う考えないかもね 
 
もういいや みたいな。まして、子沢山でお金もなければ絶望的でしょうね。
 
丘崎父は、以外と人のいいところあるかもね。

しかし、この村の男ども最低だね 読めば読むほどむかついてくる 

家族で住んでる家に押し寄せて肉体関係なんて・・ 丘崎父は、どんな思いだったんだろう。 丘崎姉は初めての時、どんな思いだったんだろう。 


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 21:06:55 ID:???

家を買えるお金がない

かといって新規に家を借りる時に必要になる保証人がいない

犯人をかばうつもりはないが村民が悪い


286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 09:46:03 ID:???
>>265
全く当たってる。他から来た人には猫なで声、しかし中へ入ってみるとイジメ体質。
村八分制が根強く子供にまで染み透っている。


660:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 00:41:27 ID:???

引っ越せばよかったとも思うけど
こういう村の人がおいそれと引越しさせるものなのかも疑問。

憂さ晴らしのための差別の生贄として丘崎を逃がさないような気もするけど

村人相手に売春できた辺りも、「そういうため」に用意されてた感じがしてならない

自分より下を置けば安心できる、またそういう対象があると村をまとめやすいし

ところでこの被害者宅には「座敷牢」があったって話だけどw

家族にそういう人がいて、それを閉じ込めるためのものね

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 22:22:10 ID:nC9t4TrN

丘崎が勤めをやめて竪穴式住居に舞い戻ってきたのは母親と姉と近親姦関係にあったからだろう。

姉の子供というのは実は丘崎との間に出来た子供なんだよ。

丘崎逮捕の前からその噂は立っていたし、村人もその事実をほのめかすようなことを言っていたけど、丘崎の母親と姉は村の公衆便所だったので村人もあまり語りたがらないんだな。


殺された娘の家からは檻が出てきたな。

殺された娘の兄というのが精薄でずっと檻に閉じ込められて生きていたと言うんだな、それが発覚するのを恐れて殺された娘の家が捜査に非協力的だったので逮捕が遅れてそのうちに事件が(意図的に?)報道陣にリークされてTVが丘崎の家に押し寄せたというのが真相。

ここまでは報道関係者なら誰でも知っている。
俺も当時現場行ってたからわかる。

ダム工事のあとにあの村に住み着いた朝鮮人は丘崎の家だけではなくて他にも数軒あったらしいのよ、家も残っていたから結構最近まで住んでいたらしいんだけど、どこに消えたのか誰も言わないのよ。

丘崎の親父が「みんな殺されてしもうた」みたいなことを言っていたけど誰も追及しないでうやむやになってしまったな。

その家族がどこに消えたのかはわからないのだけど、失踪したのは親だけで遺棄された子供は村の家のゴミ箱を漁ったり、ネズミみたいなもんを焼いて喰ってたりしてしばらく村にいたらしい。


これ昭和60年代の話だよ。

戸籍も無い奴隷みたいなのが、あの村にはまだいるんじゃないかって話もあった。
昭和30年代までは農奴というのは東北とかにいたらしいねえ。


543 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:38:43 ID:???

平成の時代にあっても
白装束で樽の棺桶を運ぶとか
与力制度が残るとか
不気味な村だね

544 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 19:15:40 ID:???

丘崎父は丘崎母と世間一般でいうところの恋愛関係らしきもので事実婚に至ったわけではなく、押し付けられたんじゃないだろうか、と個人的には思ってる。

両方とも朝鮮人の血が混じってるし、小屋も二軒は用意できないし、

「二人とも似たようなもんだし、いいから一緒に住んどけや」

みたいな。 村人からすれば、分散してるより一か所にまとまってくれてた方が管理しやすいし。 子供だって丘崎父の子かどうかも分からないし、丘崎以外の子が池沼かどうかも分からないけど、さすがに村の男が堂々と家に入ってきて当り前のように家族に手をつけられたら、丘崎父の立場としては居た堪れないだろうね。

だけど村の人に反抗するわけにもいかず、結果的に愛人の元に逃げた、て感じかも。

丘崎母を受け入れたのではなく、受け入れざるを得なかった、そうするより他に道がなかった、またそれ以外の道を探す能力もなかったのが丘崎父と言う男なんじゃないかなと思ってみたりみなかったり。


337:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:03:46 ID:dZk7MMd1

田舎の村社会って、陰湿で怖いな。
河瀬直美さんも、この事件のような村社会の闇に迫って欲しい。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:44:08.55 ID:???

月ヶ瀬村は丘崎に復讐されたんだよ。

住民たちがこの犯人の母親や姉妹を性欲処理の道具として蹂躙して来たという事件記録が、ネット上で大分消えている。

http://2chnull.info/r/archives/1191711689/1-1001
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1296636852/
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1127680911/

571 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:07:51 ID:???

夜ばいは主に西日本の農村に根付いた風習で高度経済成長期直前まで続いていた。
都市部には遊郭(赤線)があるけど山奥の農村には無いからね。

女房の妊娠中とか独身青年の性欲処理。
山奥の農村では性風習が開放的だったってこと。


569 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:06:48 ID:gMNnjzq5 [3/5回発言]

長女や母と関係もった村のキモ男たちはどういうつもりなんだろう 

昔から、その近所に住んでたわけで下手したら親族やらも住んでいるわけでしょ 

風俗店へ行くって考えはないのかね 安くて近所で済まされる場所みたいな感覚なのか 
お金はどのくらい払ってどのくらいの頻度、人数だったのだろうか

私が思うには、シャワーなんて浴びないで汚い手と臭い息でスボンだけ下ろしてサーッと。  金額にして千円くらい。

「今日は五百円に負けろよ。柿持って来てやったんだからよ。」

みたいな。


570 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:45:46 ID:???
>>569
山奥の村って夜這いの風習があったから、自分の亭主や息子・兄弟がよその女と交わってもあまり気にしないんじゃない?

戦前の山奥では長男の嫁が妊娠しない場合は次男と嫁を交わらせして、跡取りを産ませたとか聞くよ。

月ヶ瀬の男達は丘崎母と姉には現金は払わなかったらしい。 あくまで


「俺達が相手してやってるおかげでお前ら一家はこの村に住めるんやからな。感謝しろ」


の上から目線。 ただでやり逃げの奴もいただろうし、物を持って来てもせいぜいミカン3〜4個か、缶ジュース2本程度。


月ヶ瀬村からソープのある町までは車で遠方まで行かないといけないし、金がかかるから丘崎母姉で済ませてたんだろうね。


それこそ、>>569が言うように

村の男は服を着たまま、ズボンを少しだけずりおろして大急ぎで処理って感じで。

572 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:14:39 ID:???
>>569
人数や頻度までは知らないけど、男どもは重ならないように男どうしで示し合わせてたのでは?

夜這いにもルールがあったそうだよ。
権平は月曜日、熊八は火曜日、杉作は水曜日ってな具合にさ


573 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:18:38 ID:gMNnjzq5 [4/5回発言]

じゃあ血筋とかわかんないよね。 
代々あの一族は●の血筋を引くサラブレッドでなんてよく言われてるのも実はいい加減なのだろうか?  

津山殺しもヨバイが発端ですよね。


574 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:37:24 ID:???
>>573
跡取り息子は身内の血縁で産んでたそうだよ。
長男の嫁不妊

嫁が次男と交わって出産
又は、長男が次男(三男)の嫁と交わって生まれた子供を実子とする


明らかに亭主との間に出来てない子供も一応は出産してばあさんとか親戚が預かって養子養女として育ててたそうだよ。

「私のお父さんとお母さんはどこ?」

と聞かれたら、もう死んだよと嘘でごまかす。 農村は働き手がたくさんいる方がいいから、他人の血の入った子供でも大事に育ててたんだって。


578 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:01:37 ID:gMNnjzq5 [5/5回発言]

一族間で血縁を結んだ場合、障害者が産まれる確率が高いと聞きました。 
昔は婦人科で検診してエコーで見るなんてなかったから、産婆さんが殺したりしたんでしょうね。  


夏江は、自宅で産んだのかな。誰も産後を手伝ってくれず。汚い鼠が這いずる埃だらけの家で。 村のババアどもは、自分の旦那とやってるような女をケアするわけないよね。


579 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:52:50 ID:???
>>578
昔は奇形が生まれたら、産婆さんか母親が処理(間引き)してたそうだね。
知的障害児は三歳ぐらいにならないと判明しないから、そういう子は倉や座敷牢に閉じ込めたり、崖から突き落としたりしてた。

581 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 22:49:47 ID:???

次女と三女の体が村人に手をつけられなかった理由を知りたい

考えられることとしては
かなりの醜女、超肥満体、病弱、知的障害、身体障害
マジで理由は何だろうね?


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586 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:26:34 ID:UuTsfdSX [1/1回発言]
>>581
次女も三女もやられてたんじゃないかな 未成年だからさすがに面には出なかったわけで 
だって村から逮捕者が出ちゃうし

母や姉のを昔から見てたら、結構抵抗無いのかも 
村の鬼畜ジジイどもが、手をつけないとは思えないなあ  

まだ生きてるんでしょ 鬼畜ジジィどもは 許せないね

583 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:26:01 ID:???

長女と次女三女は歳が離れているのかもよ。
長女と誠人は一回り程度の年齢差っていうから13歳ぐらいの差と仮定して。
本に書いてある母親と長女が村人達と昵懇云々は誠人が少年時代のことだから

誠人が12歳のとき長女は25歳
次女が誠人の2歳上と仮定すると14歳で、
三女が誠人の2歳下と仮定すると10歳

村にはたまたまロリがいなくて熟専は40代母親の体で遊び、
成人女好きは25歳の長女で遊んだって感じ?

誠人が25歳で殺人事件起こした頃は、母親は60代で長女はアラフォー。

さすがに村人達もその頃には、母・長女のくたびれた体に飽きていて
若い愛人作ったりソープに行くようになってたのかもね。


725 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 01:21:05 ID:???

丘崎誠人がもし今も生きてたとしたら38歳で、
長姉は一回り違うので現在46歳、
母親は現在70歳と思う。


事件当時(1997年5月)
誠人25歳
母親57歳
長姉33歳


肉便器にされてたのは、丘崎の出生前〜少年時代らしいので、
母親がまず最初に肉便器にされてて(30代)
母が40代になった頃には20代の長姉も手をつけられてたみたい。


584 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:35:04 ID:???

金と時間惜しさに以前は丘崎母・長姉で済ませてきた男どもも汚い家での性欲処理がだんだん不快になっていって途中でやめちゃったのかもね。

それより金を出して綺麗な部屋で綺麗な姉ちゃんと一緒に風呂に入ってサービスしてもらう方がいいやと…


587 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:32:57 ID:???

丘崎が25歳で事件を起こしたことを考えると、B地区と言えど通常の教育を受けた、丘崎と同世代の男達はやっぱり同世代の女達や、他地区や他県で就職して普通に恋愛するだろうな

丘崎でさえ車も持ってるんだから、もちろん他の若い男達も持ってるだろうし

昔の因習そのままに、丘崎母や姉に肉欲をぶつけてきたのはその上の世代、つまり丘崎母と同世代、もしくはそれ以上の年齢の男達かもしれない

そう仮定すると、まだ子供だった次女三女に手を出すには年を取り過ぎて幸いにも手をつけられずに済んだ、て可能性も考えられるわけだ
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/

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    l  l         ,'   i、    i  _,r'='ー='、_ _ _ _ _, - ' ´  ,'       ヾミ>、三,'三'´ ,イ  , ',', ' /,イ三三三三三/
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   / /.         ',   レ' .`Y`‐、   _,-`,´,‐'´      _l           ヾミ> ' ´, '―'´/ /,イ三三三三三三/
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335 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:07:55 ID:???

正直、丘崎が本当にどんな生活をしていたのか想像するしかないんだけど、
小学校に上がる前あたりまでは、無邪気に皆と遊んでたんじゃないかな
小学生になり、少しずつ社会性が出てくるあたりから徐々に友人が離れて行き、
自らも自覚が生まれ、周囲との壁が年々厚くなっていったんじゃないかな
他人と話すのも苦手だったようだから、当然、彼女なんていないと思う

そう思うと、丘崎にとっての風俗は、通常の男性の性欲処理とは異なってくる
初めて自分に触れてくれ、話を聞いてくれ、笑顔を見せてくれる人がいる場所がソープ
つまり丘崎はそこで恋人、友人、仲間に会ってたような感覚だったんじゃないか、と
たとえ金銭が絡もうと、その時自分の欲するものが全てあったのが風俗だったように思う

丘崎は風俗からすぐには自宅に帰らず、しばらく車中で時間を過ごしたようだけど、
それが人生で一番平和で充実した、唯一の穏やかな時間だったとするならば、
その時にたまたま通りがかった被害者には、幸福感に包まれたまま声をかけたんじゃないかな

で、被害者の態度で最悪で最低な日常を残酷に突きつけられてしまう
不幸なことに、少女は差別や悲惨な生活、惨めな自分を象徴するアイテムになってしまった、と


336 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:44:11 ID:zn/McJqG [1/1回発言]

何となく平和的でイイ気分の時に被害者に無視されてかなりショックだったんだろうな。
顔見知りだし、以前は屈託なく言葉を交わしていた被害者に無視されたことが。


893 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/12/15(水) 22:31:59 ID:StAqrXdb [2/2回発言]

丘崎の人生で幸せと感じたのはソープでのほんのひと時だけだろうね

それ以外で幸せな時間はなかったのだろうな

惨めだったろうな
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1262165480/l100


 


17. 2012年5月22日 21:47:06 : MiKEdq2F3Q

奈良市 月ヶ瀬 嵩 地図
http://www.mapion.co.jp/m/34.69811389_136.03240833_8/
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E136.1.52.610N34.41.55.130
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C+%E6%9C%88%E3%83%B6%E7%80%AC&lr=lang_ja&um=1&ie=UTF-8&ei=dW27T-DQCevymAXRnaCtCQ&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=3&ved=0CFEQ_AUoAg

奈良市 月ヶ瀬梅林 散策
http://www.youtube.com/watch?v=gZpbQAuuR5Y

奈良の絶景・月ヶ瀬梅渓
http://www.youtube.com/watch?v=sbunLRUb_c0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=X4ssfgAbHgI&feature=fvst

五月橋〜月ヶ瀬橋〜桃香野
http://www.youtube.com/watch?v=UGqf8o3bMSA&feature=related

月ヶ瀬村の八幡橋
http://www.youtube.com/watch?v=a2U8qjnuY5k


18. 2012年5月23日 20:10:40 : MiKEdq2F3Q


    |〃、 ii  川 ヾ  レ'/::::::::::〃爪::::::川::::::::||:::ヽ::::i::::::::::::i!\ \::::::::::
 ノ  ,/  |! i||  iiハ  | //::i:::::::::||:::| |i:|:::||!i::::::::::|i::::ヽ:::::|!:::::::::||:::\ \::::::
 / /ノi  | i!  |i川  | i::|:::|:::i::::::i!::| |ili:|:::||ヾヽ::::|i!:::::ヽ:::|!:::::::::||:::::\:::\:::
 //ノ i!│!| |!i |川ii  |i::!:::|:::|::::::|:::| i !ト!::| !ヾ゙i:::::|i!::::::ヽ:|!:::::::::|!::::::::\::::\
 //i! | | |_,,i,,L|ト!ilハ ||:|::::|:::|l::::||:i:| i ゙!゙ト、,i_ 'i,::!::|ii:::::::::i,:|i::::::::|!::::::::::::ヽ:::::
  /il i!| ‐''|´! | ハ!| | |i!::i:::|:::||::::|::::| !ヾ!:i`''‐i,,::::||!::::::::::||::::::::|::::::::::::::::ヽ::::
 i i!i | | | i/ / | /  ii | |ト、i:|!:::!゙!::|::::| ゙i ゙、ヾ'、 ゙、‐|、i:::::::::||:::::::|::::::::::::::::::ヽ:::
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i i 川i!ハ/" _!   | │川 ヾ:ii ゙'∨     |    ゙ヾiヽヽ;||:::::i':::::::::::::::::::::::::
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E. 嫁は夫ではなく家の所有物

669 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:29:05 ID:???

ド田舎の旧家の次男坊に嫁いだんですが、結婚して二年経ったころ姑に呼ばれて

「ここでは嫁は○○家に嫁いできたものなので、家事以外にも舅と長男の相手もなさい」

と言われた。「は?」と驚いて訊き直すと、要するに夜の相手もせよということらしい。義姉にも聞いたが、やはり私の知らないところで舅のお相手もさせられていたらしい。

「○○さん(私)には悪いけど、私の負担が減るから正直助かる」

と言われてショック。その地方では普通のことらしいけど、やはり義父・義兄とセックスするのは気持ち的にツラい。

まず舅がその日の相手(姑か義姉か私)を決め、旦那の兄がその次に指名(義姉か私)。新参者の私はほぼ必ず舅か義兄に指名されるので、肝心の旦那とのセックスがめっきり減ってしまった…


670 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:33:46 ID:???
>>669
それで子供ができたらどういうことになるの?
旦那は納得してるの?


671 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:42:23 ID:???
>>670
もちろん避妊はします。一応ですが。
もし仮に出来たとしても

「○○家の嫁が○○家の子供を産む」

ので問題ないとされる雰囲気です。義兄夫婦には子供(13歳)がいますが、これが義兄の子か舅の子かは怖くて訊けません。

旦那はしきたりを知っているので仕方ないといった風情です。「黙っててゴメン」
とは言われました。納得というか、たまに義姉とセックス出来るので満足してるんじゃないのかな。

672 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:43:31 ID:???
>>671
あ、次男が長男の嫁を抱くってのもありなのね

673 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:49:11 ID:???

そう。嫁は家の所有物という扱いなので。

それよりも私にとっての心配事は、甥(13歳)が今年元服ということです。
姑には今からそれとなく言われてますが、甥の相手もしなければならない雰囲気です。甥の相手が出来るのは当然私だけなので、ますます旦那との営みは減りそうです。


674 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:52:05 ID:???
>>673
なんだかすごい世界だ……本当に現代の日本の話?

676 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:08:34 ID:???
>>674
そうですよ。ぶっちゃけ福島。

村のお祭りで筆おろしの儀式も残ってるらしいです。最近は少ないらしいですが。


677 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:10:26 ID:???
>>676
うわあ……

よし、俺、福島の旧家の婿養子になる!


678 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:16:59 ID:???

そして家のモノとして60越えの姑に奉仕させられる677…


679 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:17:55 ID:???
>>678
それでも多分逝けそうだw

689 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 22:43:18 ID:???
>>687
家を出る気はないの?
元服したら筆おろしって、女子も似たような風習はあるの?
もしあなたのところに男の子ができて、年頃になったら義理のお姉さんと寝るの?


690 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:16:34 ID:???
>>689
批判覚悟で白状すると、かなり裕福な暮らしをさせてもらってるので離婚とかは考えてません。“それ”以外はすごくよくしてもらってるし。

正直嫌悪感というのもマヒしてくるというか、薄らいでくるので気の進まない家事くらいの位置づけになってます。

女の子はいないのですが、いても嫁に出す体なのでしきたりからは外れると思います。

うちに男の子が出来ても、14歳になるころには義姉もかなりの歳になってるので望まないんじゃないかな。親としてもあんまり気乗りしないので「やめなさい」ってこっそり言うと思う。


691 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:19:51 ID:???

近親相姦とかはないのか?
他に身内で女性は?

692 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:26:47 ID:???

旦那は男二人兄弟、兄夫婦は息子一人なので今のところ本家に女の子はゼロです。

近親相姦はないです。あったら義兄・旦那は姑を相手にしているはずだから。

693 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:30:22 ID:???
>>692
そうすると、お舅さんがあなたor義姉さん、義兄さんがあなたor義姉さんを指名した場合、あぶれたお姑さんと旦那さんは何をしているんでしょうか?


695 :なまえを挿れて。 :2006/06/02(金) 00:01:28 ID:???

旦那からの受け売りですが、血の濃い子供を作ることを避けるために嫁を共有するのだから、近親相姦は普通にタブーになってるのだそうです。
(「避妊するんだったら意味ないじゃん」って言いたいけど言えない)

うちは本家なので、親戚(分家)の男のところに行けといわれたことはありません。舅が行くという話も聞いたことはないです。実際行ってないかどうかは分からないですけど。


>>693

一番多いパターンは  舅→私、義兄→義姉で、

その次に多いのは  舅→義姉、義兄→私

というパターンなので、だいたい旦那はあぶれます(笑。

私に余力があるときは深夜に極力旦那の相手をします。私も旦那に抱いて欲しいから。舅とする夜はすごく疲れる(長時間になる)ので、ちょっとムリですが。


709 :なまえを挿れて。 :2006/06/02(金) 21:45:21 ID:???

舅は60歳を超えているので、挿入可能な状態になるのも射精するのも時間がかかる
のです。準備オッケーになるまでは私の体をいじりまわして気分を高めていくわけですが、20分とか30分とかナメられ続けることになります。

最初のうちは特に我慢もせず、気持ちよくなってきたら躊躇なくイッてましたが、それだと舅が挿入してくるまでに2度も3度もイかされてしまうので、一生懸命耐えなければならないのです。

射精してからももちろん長い時間をかけます。 

私の旦那や義兄はバチン!・ビタン!という感じでリズミカルに腰を打ちつけてくるので、私の声も「アッ、アッ、アッ、アッ…」というふうに出ます。

舅はさすがに勃起してもそれほど硬くならないので、そんなに早くピストンするとグニャッという感じに曲がってしまうので、出し入れがゆっくりです。

ぐにゅうううぅぅ…と差し入れて、ずるうううぅ…という感じに引き抜きます。

不思議とそうされると喘ぎ声は出ず

「っっっ…ハアッ、うッ……ッッッハアッ」

といった風にに息つぎをする感じになります。


息子のセックスがテンポよく点で感じるのに対して、父親のは線で感じるセックスと言えば近いと思います。どちらが好みとかはないのですが、なんせ舅は延々とそのリズムで動いているので、ほぼ確実にイかされてしまいます。

だから舅とした後はぐったりして、旦那と2度目のお勤めをするのは無理なのです。


714 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 10:50:35 ID:???

別に夕飯の席で重々しく今日の組み合わせが発表されるわけではなくて、
私は指名されるとき舅からは

「○○さん、今日僕の部屋に布団敷いといて」

といわれます。義兄から指名の時は普通に

「○○さん、今日いい?」

です。生理の日や舅から既にいわれてたりする日は

「あ、今日はちょっと…」

ですんなり通ります。


別にセックスするわけですから布団二組は必要ないので、実際に布団敷いたりはしません。夜舅の部屋に行くだけです。

コトが終わると当然自分の部屋に戻って寝ます。朝まで一緒にいたりはしません。夫婦の寝室も別です。終わって帰っても旦那は誰かとまだ最中だったりすることがあるからです。


717 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 20:02:06 ID:???

>終わって帰っても旦那は誰かとまだ 最中だったりすることがあるからです。

誰かって、義姉以外にもいるんですか?

718 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 22:19:57 ID:???

舅は歳の割りにすごく旺盛な方だと思いますが、それでも週に一度が限界だと思います。なので私は舅とはせいぜい月に3度、多くて4度です。

義兄は週に2・3度なので月だと10回くらいです。

残りの日は常に旦那とといいたいところですが、私が義兄の部屋にいるときには義姉が旦那の部屋にいるケースが多いので、それでは旦那が毎日ということになるので、私が空いてる日の半分くらいです。


舅がパス、義兄がパスした日に旦那が

「じゃあ義姉さん、今日お願いします」

となる日がたまにあるので、そういう時は後で旦那とケンカになります。

比で言うと舅:義兄:旦那で1:5:4くらいです。そのうち義兄と旦那の比は逆転すると思います。義兄が飽きるまではこのままでしょう。

>>717
主語がグダグダで分かりにくくなってしまってすみません。

3夫婦ともに寝室は別ということです。舅姑はもちろん義兄夫婦も私が義兄の布団に入っているときは義姉の居所がないからという意味です。

719 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 22:51:36 ID:oLQQY0ux
>>718
そういう事をしてる家はざっと何軒ぐらいあると思われますか??

720 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 23:12:17 ID:???

舅や義兄が指名してくる時って、あなたが一人の時なんですか?
それともダンナさんがいても構わずに誘ってくるんでしょうか?

それからエッチの時は口で奉仕することもあるの?
口内発射とか。

721 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 23:52:04 ID:???

旦那が私のそばにいるときは遠慮してくれます。舅も義兄も。

でもどっちみち雰囲気で分かるというか、舅や義兄と目が合えば旦那がスッと知らん振りして私から離れていくので同じことですが。

口を使うことはよくあります。でもあくまでも元気にさせるための補助という位置づけです。

旦那は義姉の口の中に出させてもらってるらしいです。義姉が

「遠慮してるつもりなのかもしれないけど、口に出される方が面倒」

といってました。

>>719
部落の人たちとは頻繁に会うわけではないので、確証はありません。
農作業の協力分担の会合のときとかに奥さん方と会いますが、「やってそう」と思えばそう見えるし、かといって当然のことのように話題にすると「はぁ?」みたいな顔されるようで怖くて訊けません。

今度勇気を出して姑に訊いてみようかな。


724 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 07:53:50 ID:???

お義姉さんとは仲いいの?
こういう事についてはどんな話してるの?

舅や姑や義兄とは普段の会話の中でもそういう話するの?
食事時などの団欒の席で

「○○さん、昨夜は激しかったなぁ」

みたいな。それとも昼と夜とはちゃんと区別してるのかな。


726 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 22:22:14 ID:???

昨夜の書き込みが23時52分。
昨夜はお休みの日だったのかな。

舅さんや義兄さんの部屋に行くのはいつも何時頃なんですか?
その後何時頃までいるんですか?


727 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 22:39:07 ID:???

ご近所さんが近所にいないくらいの田舎なので、同性の話し相手は義姉くらいです。姑ともいわゆる諍いみたいなのはないですが、仲良しというほどでもありません。

義姉ともそうひんぱんにあけすけな話をするわけではないですが、たまに際どい話題になることはあります。


私「お義父さんて、…ちょっと柔らかいですよね。ふにゃっと…」

義姉「あんなもんでしょ普通」

私「でもお義兄さんや旦那に比べるとやっぱり違いますよ」

義姉「私の旦那は私とするときはお義父さんと変わらないわよ、アナタとするときは頑張っちゃってんじゃないの(笑」


みたいな。

皆の前でそういう話題は出てきません。みんな知らんふりしてます。
昨晩は日曜だったので、全員仕事に備えてお休みだったです。まず日曜にはしないですね。

今日は今のところ言われてないです。食事も風呂も全部終わって部屋に帰ってきて一人です。11時頃まで言われなければ今日もナシだと思います。


742 :トコ :2006/06/06(火) 23:03:50 ID:???

コテハン/トリップはウザがられがちなので気乗りしませんが、名前だけ。
さとこなのでトコと家族には呼ばれています。

家の中は想像されるようなエロ満開の雰囲気ではないです。思春期の男の子もいるので。それに家がだだっぴろいのもあって、食事のとき集まることを除けばそう頻繁に行き交うこともないです。

私は自分の部屋ではセックスはしません。義姉もそうだと思う。内線電話で呼ばれていくことが多いです。食事の際に目配せや耳打ちされることもあるけど。

昨晩はPC落とした後、旦那の部屋に行って雑誌読みながらダラダラと過ごしてから帰って来て寝ました。

今日はさっき義兄の部屋から戻ってきたところです。夕飯の後お風呂の順番待ちをしていたら内線がかかってきて

「トコちゃん今日空いてる?」

と言われたので

「あ、はーい」と。


745 :なまえを挿れて。 :2006/06/06(火) 23:21:51 ID:???

甥っ子の筆おろしはトコさんになるのではないですか?


749 :トコ :2006/06/07(水) 00:10:46 ID:???

何度もクドくて申し訳ないですが、うちは家庭内でそういう雰囲気は漂ってないです。甥っ子がいるからです。

甥は多分まだ童貞だとは思いますが、我が家のしきたりについては知らないはずです。だから裸で廊下(すごく長いのに)を渡るとかありえないです。

甥の筆おろしについてはまず一番に義姉の意向が関係してくると思います。私ももちろん義姉が「させない」といってくれた方がいいし、きっと義姉もそういう気持ちだと思われます。どこかよそで済ましてきて欲しい。お祭りとかで。


元服式が済んだらどのみちしきたりについては教える予定なので、その際

「トコおばちゃんとする」

といえば私はイヤだとはいえません。多分その時点でも義姉が「まだダメよ」と止めると思います。


私たち夫婦が分家してよそに住み始める前に甥が奥さんを連れてきたら、義姉の意向に関わらず私は甥の相手をすることになるんですけど。今は甥をみてると

「この子とセックス?  ありえなーい」

と感じるんですけどね。まだ幼いし、第一その子の祖父とセックスしてるのにありえないです。

751 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 00:29:56 ID:???
>>749
避妊ってコンドーム?
それとも、ピル?

756 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 17:43:06 ID:???

>私たち夫婦が分家してよそに住み始める前に甥が奥さんを連れてきたら、義姉の意向に関わらず私は甥の相手をすることになるんですけど。

これはなんで?


それから、甥が嫁さんを連れてきた時は、その嫁さんは今の舅、義兄とトコちゃんの旦那さんの3人にも抱かれるって事なのかな。



757 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 19:16:29 ID:???

義父や義兄とエチするときキスは有りですか?

764 :トコ :2006/06/07(水) 22:37:30 ID:???

結婚した当初はピルを処方してもらってました。文字通りの家族計画と、私の子宮内膜症のためです。何年か経ってから子作りは始めようという予定でした。

2年経って家のしきたりに従うようになってからはピルを止めました。逆のように
感じるかもしれませんが、これでいいのです。

そろそろ子供が出来てもいい時期だと思ったことと、ピルを飲んでると舅と義兄にも中に出されてしまうからです。

「飲んでるんだからいいよね」というノリだと思うのですが、中に出されるとヤられちゃった感というか犯された感というのがじわじわとこみ上げてくるんです。

二人に悪感情は抱いてないですが、ちょっとこれは勘弁して欲しかったです。

それに後始末が段違いに面倒になるのがイヤだったんです。

中出しだと終わったあとシャワーを浴びるのが必須になりますが、お風呂場にいくまで廊下にポタポタと垂らしながら行くわけにはいかないので、下着を穿く必要があります。それはもう穿いて寝られないからその場でザブザブと洗うんですが、それが面倒で。

だから今は遠慮なく

「もうピルは飲んでないのでゴムを着けて下さいね」

といえます。後は

・キスはします

・甥と旦那の順列は、少なくとも成人するまでは旦那>甥だと思います

・甥は今のところ私に性欲を抱いているようには見えません

・甥が今すぐ嫁を連れてきたらそのお嫁さんは4人を相手にするはずです

・家長は舅です。絶対権力者(優しい人ですが)


769 :トコ :2006/06/08(木) 00:05:17 ID:???

ここに書き込んでから「ありえない」とか「明らかにおかしい」とか書かれて、
自分でも「ひょっとして…」と思わないでもないです。でも寄り合いでもない限りよそんちの人とは会わないので確認するのは難しいです。

あ、それから「家」のしきたりなので分家すると相手をする必要はなくなります。
私の代でなくなるかどうかは義姉次第じゃないでしょうか。私も義姉も姑の逆らえないオーラみたいなのに気圧されて従ったようなものですから。私にはまだ子供がいませんが、そりゃ止めるに越したことはないと思います。

私自身が舅や義兄に抱かれるのはいまさら感があるのでどうこうしようとは思いません。どうせ舅も現役でいられるのもそう長くないだろうし、分家すれば義兄とも断てるのですから。

ピルを止めてからはゴムは必ず着けてくれます。旦那以外の子を妊娠するというのは耐え難いので、絶対これだけは譲れません。

784 :トコ :2006/06/08(木) 23:07:31 ID:???

始めた当初は毎晩泣き暮らしてましたが、泣かなくなったころにはそういう気持ちとは関係なしに、身体の方が勝手に馴染んでいった覚えがあります。

そういう言い方だとなんかいやらしい感じがしますけど、相手のセックスのリズムが分かるというか呼吸の合わせ方を覚えるといった意味です。


舅とするときは

(0)(スタート)なんかゴソゴソといろいろする
→(1)舅が口でする
→(2)私が口でする
→(3)私が上に乗る
→(4)舅が上に乗る(フィニッシュ)


という手順が殆どなんですが、例えば(1)→(2)では私がギブアップ状態でグロッキーになってるのを舅が気付いてスッと身を引くので、二人無言で体を入れ替えます。

(2)→(3)は私が「もうこれくらい硬くなったらいいかな」と舅の顔を見ると、
舅がコクッとうなずくので私がゴムをはめて上に乗ります。

(3)→(4)のときは舅が上体を起こそうとするので私が上から引き起こしてやり、そのまま二人座って向き合った状態で少し動いてから、私が後ろに倒れ舅が上に乗る形になります。

こうやって殆ど会話をせずにセックスを終わらせるようになってました。こういう状態になってからは随分苦じゃなくなったように思います。

775 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 08:03:21 ID:???

トコさんのご両親はこの事をご存知なんですか?

>>775
知りません。知らせるつもりもないです。どういう騒ぎになるか想像しただけで恐ろしくなります。

776 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 11:03:16 ID:CvwIqudV

ホントにその地方のしきたりなのかな その家だけのしきたりじゃないのか?

しかし福島のド田舎だとそんな風習が本当に残っていそうで怖いな


>>776
私は福島出身じゃないのですが、なんとなく福島の人ってとっつきにくいというか排他的な感じがするんです。秘密主義というか。 だから姑から「風習だ」と言われたときは妙に納得してしまったのですが。


778 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 13:02:05 ID:???

探偵ファイルとかにメールしてみたら特集してくれるかも

>>778
逃げる頃合でしょうかね。ある日庭いじりしてたら見知らぬ2ちゃんねらが

「あなたトコさんでしょ。ね、そうでしょ」

…コワ過ぎる

787 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 23:40:35 ID:???
>>785
分家の人達は、その家で同じ事やってるのかな?

トコさんの近所の人と会った時に聞いてみたらどう?
同じ事してるかどうか


789 :トコ ◆cnKAU13406 :2006/06/08(木) 23:57:55 ID:???
>>787
本当にしつこく書いて申し訳ないですけど、あまり親しい人が近くにいないんですよ。というか隣の家とかなり離れてるんです。田舎なので。だから

>トコさんの近所の人と会った時に聞いてみたらどう?

そんな親しいわけでもない人に

「こんにちはごきげんよう。ところでつかぬ事をお伺いしますけど、あなたお舅さんとヤってます?」

とかいきなり訊いたらグーで殴られるんじゃないかな。


793 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 00:09:19 ID:???

トコさんの家では夫婦の寝室が別になってるみたいだけど、例えば

トコさんがお休みの時にダンナさんが義姉さんとしていたりしたら、
義姉さんの喘ぎ声とかがトコさんの寝室に聞こえてきたりしないの?

逆に義兄さんとしているトコさんの声を義姉さんに聞かれたりとか。


800 :トコ :2006/06/09(金) 21:16:30 ID:???
>>793
3夫婦のエリアは随分離れているので、舅・義兄の部屋の物音は聞こえません。
そもそも甥の事があるのでみんな意識して声や物音をたてないようにしているようです。

屋敷の3ヶ所でギシギシアンアン聞こえてきたらさすがに教育に悪いですから。
私も頑張ってタオル咥えるなどして声出さないようにしてます。

旦那の部屋に義姉が来ていたら部屋の前の廊下に義姉のスリッパがあってすぐ分かるから近寄らないようにしてますが、うっかりしてると中の声が聞こえてくることもあります。

それがあえぎ声だったらやはり嫌な気持ちにはなりますが、むしろひそひそ話の方がムカつきます。

「なにピロートークかましてんのよ!」

と後で大抵ケンカになります。セックスすることは分かってるので、義姉のあえぎ声が聞こえるとかえって

「よし、旦那がんばれ。やっつけてしまえ」

という気になります。旦那が

「いやー、お義姉さん具合いいわ。とろけそうだったよ」

と私にいうより、義姉が

「トコちゃんの旦那さんってすっごいのね。私もたないわ」

という方が嬉しいじゃないですか。


795 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 07:54:43 ID:???

>。ハスタート)なんかゴソゴソといろいろする

ワロタ

801 :トコ :2006/06/09(金) 21:31:46 ID:???
>>795
いくらなんでも部屋に入るなり無言でお互いの服を剥ぎ取り、ベッドに倒れこみながら野獣のように相手の体をむさぼり始める…

みたいなどこのエロ小説かというような行動はムリです。体力的にもキャラ的にも。


「お義父さん?失礼します」

「あ、さとこちゃん来てくれたね」

から始まって、天気とか庭の手入れとか旦那の話とかしながら徐々に(自分で)服を脱ぎます。私がパンツ一枚で座って二人の脱いだ服を畳んでいると、舅が横に座って足とか背中とかをサスサスとなでてきて、じりじりと二人で布団にもぐりこみます。

もう「なんかゴソゴソといろいろする」としか言いようがないんですよ。


804 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 22:01:37 ID:???

昨日は舅さんとのセクスの流れを書かれていましたが義兄さんとのセクスはどんな流れなんでしょうか

840 :トコ :2006/06/10(土) 23:30:00 ID:???
>>804
義兄はセックスのパターンが決まっていないので、舅のときみたいに流れを説明することは難しいです。

ただ、一つの状態を長く続けずに次へ次へと(例えば体位を)忙しく変えるので、立ったり座ったりで大変です。それこそ上へ下への大騒ぎ。

旦那も含めて「親子だなー」と感じるのは、3人ともに口でするのにすごく時間をかけてくれることです。旦那と付き合ってた頃は

「ずいぶん念入りにする人だなあ」

と思ってましたがお義兄さんも同様で、父親に至っては輪をかけてでした。舐めたり噛んだりすすったりよくこれだけ飽きもせず延々と続けられるよなと感心するくらいです。

性格って似るのかなと思ってましたが、ひょっとしたら若い頃から経験豊富な女性を相手に実戦を重ねてきたせいかなとも思います。

あと笑っちゃうのが3人とも「相手の服を脱がせてくれない」ということです。

要するに女性の方が自分で服を脱がなくてはいけないんです。服を脱ぐさまを眺めるのが好きなんだと思います。

義兄なんかは私が風呂上りでノーブラだったらちょっとがっかりしてるはずです。ブラをしてて、それを外そうとするときは決まってガン見してるから。

796 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 17:51:31 ID:???

トコさんのダンナさんはトコさんと結婚する前から義姉とセックスしてたの?

>>796
詳しくは書けませんが、旦那の上京の時系列から言ったらしてないはずです


803 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 21:59:20 ID:???

あ、トコさんだ。こんにちは〜

もうお風呂は済んだんですか?
舅さんや義兄さんに抱かれるのはお風呂の後ですよね。
呼ばれた時はメイクをし直して行くんですか?

>>803
あまりしないです、面倒だから。いまさらスッピン見られてどうもこうもないし。


815 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 23:46:25 ID:/IwQbv1S

トコさんありがとう。もしよければ、芸能人で例えると誰似か知りたい。
トコさん夫婦の関係は案外普通で安心した(良い意味で)


>>815
期待を裏切って申し訳ないんですが、私は器量よしではないです。
今まで似てると言われた中で一番マシだったのが『ピザハットのCMのお母さん役』
なんですけど分かります?

834 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 18:01:24 ID:49DPGGxX

トコさん

各登場人物の年齢を教えて下さい。

舅、義兄、旦那
義姉、トコさん

>>834
ちょっとそれは勘弁してください。舅は還暦を過ぎてて、甥は13歳。これが限界。


842 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 23:39:06 ID:???

今夜のお勤めはないんですか?
(これから?)

ちなみにバストカップは?

>>842
チチはないです。謙遜じゃなくて。

848 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 23:56:22 ID:???
>>トコさん

せめて甥御さんとの件がどうなるかまでは続けて欲しいです


>>848
元服式は成人式と同じ日にあるので、甥がこの件に関係してくるのは早くて来年一月です。また先に書いた理由もあって、仮に私が甥と関係するようになるとしてもそれはずっと先のことだと思います。よってムリ。


853 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 16:12:40 ID:???

このしきたりの事を姑から言われ、その後初めて舅や義兄に抱かれた時までの流れを聞かせて貰えませんか?

ダンナさんにも説得されたんですか?

>>853
最初は>>669に書いたとおりです。口調はもっと柔らかかったけど。

私は「は?」とか「え?」とか何度も訊き返しました。

「○○さん(旦那)は何て言ってるんですか」

というセリフは20回くらい言ったと思う。半ギレで。

話が終わると当然旦那のところにダッシュで行って

「お義母さんがこんなこと言ってるんだけど」

とオロオロして半ベソかきながら問い詰めました。旦那が

「え?ああそう…それはうーん、ちょっと待ってて」

と母のところに飛んで行ったので「ああマジなんだな…」と確信しました。

旦那は「今日トコに言うとは聞いてなかった」と後で白状しました。説得される
までの経緯についてはもう思い出したくもないです。

口も利かない日が続いて、徐々に会話するようになっても、その話題が出ると私がキーーーーッとヒステリー起こしてまた何日も口を利かないといったことが続きました。
姑に言われてから実際に舅の部屋に行くまでは3週間くらいかかりました。

最初に舅の部屋に行った日も、前の日に舅から

「さとこさん、明日の晩 何時でもいいから僕の部屋に来なさい」

とお達しがあったので、仕方なしにといった風にでした。

旦那は「大丈夫だから」というので

「大丈夫って何よ!
…ねえマジかな?
マジだと思う?」

と救いを求めているのに「大丈夫だから」としか言いませんでした。 舅に

「今から伺いますから」

と電話で知らせて部屋に行くと、

「ああ、さとこさん きてくれたね」

と招き入れてくれて、「そこに座って」と言われました。 舅が淹れてくれたお茶を二人で飲みながら、舅が淡々と説明してくれました。

私ももちろん子供が出来たときのことや、今時そんなのナンセンスだとかモノ扱いするのは非道いとか嫌です嫌ですイーヤーですとしつこく食い下がりました。 結局初日はセックスどころかそういう雰囲気すらなく開放されて、これは案外せずに済むのかなと思ってました。

でもそういうのが何日も続くとやがて

「お義父さんとこんなに長くお話することってなかったですよね」

「そうね、まあジジイは出しゃばってもいかんし」

「そんなことないですよ、こんなよくしてくれるお舅さんっていないですよ」

とか打ち解けた雰囲気になってしまい、結果的には懐柔されてしまいました。

今思うと、そういう作戦だったんだと思います。旦那は頼りにならないので自然と当事者である舅に相談するような形にもっていかせて懐柔するという。


860 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 21:24:28 ID:???

初めて舅に抱かれたのは今から何年(何ヶ月)くらい前なんでしょうか


>>860
そこまで注意深く読んでる人はいないと思いますが、舅・義兄との関係が始まってどのくらい経ったかを言うと、かなりの確度で旦那の歳がバレちゃうのでいえません。

861 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 23:13:24 ID:???

こうゆう場合、

旦那が助けてくれない(頼りにならない)→愛がなくなる→離婚。


と大半の人は流れていくと思いますが、トコさんがそうならなかったのはそれ以上に旦那さんを愛していたからですか?それとも何か他に特別な理由があるんでしょうか?

もう一つ、前記で“それ”以外はよくしてもらってるとありましたが、具体的に言うとどんな事がありますか?(かなりの田舎だと金銭的に恵まれても、その使い道等困ると思ったので。)

>>861
もちろん旦那のことを愛してます。大好きです。早くこの人の子供が欲しい。

離婚するとしたら舅との最初のセックスより前にするべきだったと思いますが、もって行きかたが上手くなし崩し的にセックスまで行ってしまったので、完全にタイミングを逸した感があります。

それから前も書いたけど裕福なんです、すごく。私はハーブとガーデニングが趣味なんですが、中庭のテニスコートくらいある敷地を「好きにしていいよ」といわれて理想のイングリッシュガーデンにしようといじり倒しているところです。そのくらい裕福。

もうそれだけで打算的だとか現金とか批判されて当然ですが、この際だからぶっちゃけてしまうと、性的に満足しているというのもあります。

今日みたいに“お勤め”がない日などは冷静に「間違ったことをし続けるのはよくないよなあ」と反省するのですが、いざ誰かとセックスして帰ってきて布団に入ると思わず余韻に浸ってうっとりしています。肉便器とか淫売とか言われても反論できません。


862 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 23:25:43 ID:???

義兄さんとの初めても聞きたいです

舅さんと初 → 義兄さんと初

まではどのくらいの期間が開いたんですか


>>862
すぐでしたよ。初セックスした後舅に

「○○(義兄)も心配してるんだよ。さとこさんがショックうけてるんじゃないかって。もしよかったら○○に心配いらないって伝えてくれないかな」

といわれて、その通りに義兄に伝えました。

「納得できたわけじゃないけど心配いりません。大丈夫です」

と。すると義兄から


「僕ともってのは聞いてるの?」

と聞かれたので

「…まあ聞いてます」

と答えました。


「で、どうする?気持ちの整理がつかないっていうんならムリにすることはないよ」

「いや、いいです。どっちみちしなきゃいけないんなら早く最初を済ませたいです」

という流れで、舅と最初にセックスした次の晩に義兄としました。

875 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 13:38:11 ID:???

トコさんは、その家に嫁いでからは、舅、義兄、旦那以外とはエッチしていないんですか?

また他の人ともしてみたいと思ったことはありませんか?

>>875
結婚してからはその3人以外の男の人と寝たことはないです。
他の人としてみたいと思ったことはあります。しないけど。

885 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 21:49:48 ID:???

トコさん

一応、家族の方達はこのようなしきたりは非常識な事だと認識はあるのですか?


>>885
言葉で「悪いね」とか「よく頑張ってくれてるね」など、気の毒に思ってねぎらってくれたりはしますが、根っこの部分では

「しきたりだからしかたないもんね」

というスタンスは一切ぶれていないと感じます。

899 :なまえを挿れて。 :2006/06/13(火) 04:13:34 ID:???

しきたりが始まったのは結婚から二年後か。
予め決められてあった時期だったのかな。

その時期を男達は指折り数えて待ってたんだろうか。はたまた様子を見てた時間の経過だったのか。「そろそろ頃合かな」なんて相談してる様とか恐すぎ。



>>899
二年というのは、男が種無しであるかどうかの見極め期間みたいなものだと舅は言います。その後、家の男衆で試してみてそれでもダメだったら石女(うまずめ)として三行半を出されてた嫁もいたとのことです。コワ


908 :なまえを挿れて。 :2006/06/13(火) 22:14:05 ID:???

赤ちゃんが出来やすい日(いわゆる危険日)は、それを理由に舅や義兄の誘いを断ってダンナさんとHできるの?



>>908
出来ます。「○○さん(旦那)と子作りします」と宣言したりもしないけど。

920 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 01:27:15 ID:???

分家しても風習って続くんだろうか。

>>920
うちの旦那がどれだけの屋敷を建てられるかにかかってると思います。
いま住んでる屋敷は代々のものなので広く、子供に気付かれないように営みを持てるというのが大きいです。

まあそんな大豪邸は必要ないので分家した先では続かないと思います。
すくなくとも私たち夫婦の子孫は。

879 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 18:42:58 ID:???

>>打ち解けた雰囲気になってしまい、結果的には懐柔されてしまいました。

そこんとこもう少し詳しくお願いします。


>>879
舅が淡々とこのしきたりというか風習について、いつ頃から続いているのか どうしてこういうことするのか、現在の社会規範と照らし合わせてどう考えているのかを話してくれました。

当然ハイハイと従う訳はないので、でもでもでもでもと一々反論してました。

それが何日も続くと肩の力も抜けて、舅が話してくれる

「かあさん(姑)のときは気の毒でねえ」とか

「○○さん(義姉)のときは大変だったんだから」


のようなエピソードにただふんふんふんふんと頷いて聞き入ってました。

さらにそういう日が続くと

「お義姉さんがそういうことしてたなんて全然知らなかったですよ」

「そりゃ月に何回かしかしないし、部屋離れてるだろ」

「イヤーー想像できない。本当にされてるんですか。普通の夫婦の営みみたいな?」


と自分から話を転がしたりするようになりました。 当然そうなったら

「さとこさんはどういう感じでしてるの?」


みたいな流れになりますよね。女の人なら共感してもらえるかもしれないけど、女性が自分のセックスについて話し始めたら、大抵はその話し相手と寝ちゃうと思うんですけどそうですよね?


まあ共感はいらないです。私はそうでした。舅が

「じゃあちょっと試してみて、それでもどうしても耐えられなかったらまたそのとき考えよう」

とお決まりの誘い方をしてきたので、

「本当にイヤだったら考えてくださいよ」

と念押しして服を脱ぎました。その日は口でだけされて

「明日も来なさい。そのとき続けるかどうか決めよう」


と部屋に帰されました。 大体の経緯はこんな感じです。その次の日にセックスまで行きました。

927 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 20:03:24 ID:???

てか、旦那が種なしかどうかは子供が出来なきゃ分からないし、(まだ子作り途中だし)それでもダメなら家族が……

ってそれじゃあ複数と交わる意味とか子作り前提のセックスとか色々矛盾してこない?

ましてやゴム着けてやってるし。

>>927
昔は2年子供が出来なかったら種無しの疑いありとしてたんじゃないでしょうか。
そもそも義姉にしても子供産んだ後でもお勤めしてるんだから、そんなの穴だらけのこじつけに決まってるじゃないですか。

矛盾だ矛盾だって私を責められても。

928 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 22:35:49 ID:???

トコさんを指名出来る順列は 舅>義兄>ダンナさん ですよね。


舅さんや義兄さんがトコさんを指名する時は連絡(もしくは「今日来てね」の合図)があると思うのですが、逆に指名しない日は「今日は指名しないよ」という意思表示はしてくれるのでしょうか?

その意思表示が無いと、義兄さんやダンナさんから指名を受けた後に舅さん(や義兄さん)から指名されてしまう事態が起きると思うんですが。もしもそうなった場合、先に指名していた人はキャンセルですか?


>>928
舅は月に数度しかないのだから、しない日に「しない」とは一々言ってこないです。 義兄から予約が入った後で舅にいわれたら一応

「もうお義兄さんに言われてるんですがどうします?」

と訊いて舅の決定に従います。 でも通常は義兄は「今からおいで」と電話をかけてくるので、舅とダブるとしても私はもう義兄の部屋にいる最中か帰ってきた後になります。

929 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 22:45:24 ID:???

義兄の部屋から帰ってくるトコさんと、ダンナさんの部屋から帰ってくる義姉さん。途中で擦れ違ったりすることはないの?

そんな時は、やっぱり「お疲れさま」って挨拶するのかな。


>>929
>そんな時は、やっぱり「お疲れさま」って挨拶するのかな

ワロタ。鉢合わせはないです。

931 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:20:00 ID:???
>>トコさん
妊娠しても、できるかぎり相手させられるのかな?
後、出産後どれくらいしたら、また相手させられるのかな?


>>931
子供は授かりものでとても大切なものなので、妊娠中は大切にされると義姉はいってました。普通の妊婦の話にしても安定期に入るまではご法度でしょ。

義姉が出産後どの程度お休み期間があったかについては知らないです。

932 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:27:15 ID:???

結構矛盾出てきたな。


933 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:29:57 ID:???
>>932
俺らが感じる矛盾を乗り越えた(まだ途中か?)トコさんが語ってるんだよ。
矛盾だらけっていうなら、この家の全てが矛盾なんだよ。


>>933
私をどんだけトンマだと思ってるかは知らないですけど、ここで言われるような矛盾点なんかもう既に200回くらい詰問してます。 答えはいつも

「それがうちの決まりだから」

です。話にならん。

934 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:32:43 ID:???

>>舅とダブるとしても 私はもう義兄の部屋にいる最中か帰ってきた後になります。

帰ってきた後に舅から電話があった時は再度出動ですか?


ダンナさんから指名があった後に義兄さんから呼び出された場合は?

>>934
一日に二度三度というのはムリなので、終わった後で言われたら普通に

「今日はもう無理です」

といいます。旦那は基本的に指名という形ではないです。夜も更けて

「え、今日トコ空きだったの?じゃあする?」

というパターンが普通です。一般的な夫婦でもそういう感じじゃないのかな

「する?」

みたいな訊き方。

935 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:40:37 ID:???

今日のお昼に親子丼を食べてたら、
唐突にトコさんを思いだしてモッキしてしまいました。

トコさんごめんなさい。

>>935
私の容姿も知らんと。義姉の方がずっと綺麗ですよ。本家の長男の嫁として厳選されてますから(見合い結婚です)。

936 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:46:37 ID:???

もう義兄や舅に裸を見られるのは慣れた?

義兄や舅とする時は電気点けたままするの?


>>936
慣れました。舅は豆球を点けたまま、義兄はこうこうと明かりを点けたままです。


946 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 04:18:25 ID:???

特にお義姉さんは、恋愛でなく見合いで本家の長男に嫁いできたようですが
トコさんのお話によると何もかも承知で嫁に入った訳ではなさそうだし
紆余曲折はあっても結局「しきたり」に従おうを決心したわけであろうし
お姑さん然り、お義姉さん然り、トコさん然り

「気の毒」だったお姑さんや、「大変だった」お義姉さんの床始めの悶着も気になるが

イヤ気になるのは、拒絶せずに「しきたり」を受け入れた本心なのだが歴代の嫁さんサイドに何か弱味でもあったのだろうか?

旦那に惚れた弱味とか、金に目がくらんでというのは決定打に欠けるきらいがするしもちろん背徳的な性風習に血が騒いでというのも説得力に欠けると思う

まさか金子銀子と引き換えに小作農家から本家へ奉公に出されたわけでもあるまいに

そもそも家の「決まり」事たる「しきたり」の発端とかには興味はなかったのですか?

家長制度維持や単純に快楽追及だけの旧家に代々伝わる「しきたり」に過ぎないのか

一子相伝で家長にしか与り知らぬ集落の存亡に関わるような重大な背景が存在するのか

現家長やお姑さんが亡き後、「しきたり」や「決まり」事を改める気配もなさそうですし何よりトコさん自身、来たるべき甥御さんのご指名には甘んじて受ける気構えですしね

そもそも将来の分家について旦那さんのご意見はいかようなものなのかと

直系や傍系となるご息女はおられぬようですが、ご生誕の暁にはその処遇も気がかりです

>>946
心からお詫びしたいのですが、私は専攻が電子工学だったのでそういった
民俗学とか文化人類学っぽい分野には全く興味がないです。
文章も漢字が多くて難しいです。バカで済みません。


948 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 08:07:26 ID:???

>>トコさん
初めて舅や義兄とした時に、ダンナさんは何て言ってましたか?


>>948
何にも言ってこなかったです。私も話しかけられたくなかったしその辺は空気を
読んでくれたのだと思う。どうせ近寄って来ても涙目でギッと睨むだけだったし。


949 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 09:17:35 ID:???

結局は正当な理由は無いのか。てっきり今の時代でも説得に足る(理論上)理由があるのかなぁと思ってたんで。

トコさんの旦那さんは、分家したらやめるつもりですか?
今の状況をみると比較的積極的にしているとおもうんですが、トコさんが反対しなければ「しきたりを続けたい」とか言い出しそうですか?

>>949
分家して旦那が「続ける」とか言ってもセックスする相手は私しかいないじゃないですか。

男の子を授かってその子がお嫁さんを連れてくるまで待つ?

待つとして息子が承知するかしら…などを考えると無理っぽいですね。だからこのしきたりって家長がいて何世代も同居している本家でしか続いてないのかもしれませんね。 知らんけど。


952 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 19:03:34 ID:???

福島県民の俺が来ましたよ

って、どの地域の話よ。農作業とかの話も出てるから、農家なのかと思うが。会津の方?

今の時代、そんな豪農があるのか?

>>952
>農家なのかと思うが。会津の方?

教えるわけには行かねーなー


954 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 22:48:49 ID:???
>> トコさん

舅さんや義兄さんとした後に、
ゴムをはずしてフキフキしたりするのはトコさんのお役目?

>>954
終わった後私はグンニャリ寝転がってるのでそこまで面倒は見てられません。

旦那がゴムを使ったときは私が後処理します。ゴムを外してウエットティッシュで拭くし、旦那が望むなら口でもします。

でもどうせその後シャワー浴びに行くんですけど。

974 :なまえを挿れて。 :2006/06/17(土) 21:46:49 ID:???
>>トコさん

現段階では、甥とのことは姑に何て言われているんですか?
それについてダンナさんや義姉は何と言っているんですか?

以前の書き込みで「甥が『トコおばちゃんとする』と言えば私は断れません」
と書かれていましたが「舅や義兄とはともかく、甥とするのは断固お断りします」とは言えないんでしょうか?

トコさんのカキコを読んでいると、なんとなく言えちゃいそうな雰囲気を感じるんですが。

>>974
姑は「相手して当然」という風情です。旦那はその話題には関わりません。
義姉は私よりずっと強い拒否反応を示しています。早すぎるそうです。

でもそれは逆に甥が義姉を説得するなり、義姉に「仕方ない」と思わせること
ができれば、私には否も応もないということです。

義姉が「しょうがないからトコちゃんお願い」といえば私は断れません。筋としても
雰囲気としてもです。ただその時でも私はいやだいやだ言ってると思います。

甥が大手を振って(?)私を好きにできるようになるのは成人するか結婚するか
した時ですが、私たち夫婦の計画ではそんなに長く本家にとどまるつもりはないので、現実問題として甥と私が日常的にセックスするようになることはないと思います。

ただし一度もないかといわれると「ない」と言い切る自信はないです。多分私達
が出て行くことが決定したら激しく甥が抗議すると思うからです。

だからありがちですが「一度だけなら…」と応じることになるでしょう。そして多分ほんの一度きりではなく何回か繰り返すのは間違いないと思います。

甥の性格からして「一回じゃ上手く出来なかったから悔いが残る」だのなんだの
いうでしょうから。

まあそれもこれも甥が「トコおばちゃんと?ありえねえ」といえばただの妄想ですが。


961 :なまえを挿れて。 :2006/06/16(金) 00:42:40 ID:???

だいぶ前の方でカキコされてた「筆降ろしのお祭り」とは,具体的にどんな感じで進行するものなのですか?

いわゆる乱交,みたいな感じですか?


>>961
お祭りに関しては殆ど詳しいことは分からないです。

祭りの喧騒の裏でそういうことがあるということだけで。

ただ姑の話では、お相手をする女の人がむしろ楽しみにしている行事らしいです。私が私が状態で。

ちなみに「筆おろしのお祭り」じゃないです。それが主眼のお祭りじゃないです。


963 :なまえを挿れて。 :2006/06/16(金) 01:59:13 ID:???

舅、義兄、旦那、義嫁、トコさんで、それぞれは個別につながっているんだから、5Pとかしても良い気がするんだけど、
それはないんだね。

>>963
ないです、絶対ありえない。

正直言うと旦那と義姉がどんな風にしてるのかというのに興味がないわけじゃないですけど、自分が参加してというのは恥ずかしくてイヤ。ましてや義兄・舅もいるとか考えられない。

そもそも舅がそういうのに乗りそうにない人ですからないでしょう。

982 :なまえを挿れて。 :2006/06/18(日) 10:25:51 ID:???

万が一 トコさん夫婦が子供を授からなかった場合
舅や義兄の種で子作りすることになるのでしょうか?
トコさんはそれを拒否することも出来るのでしょうか?


>>982
旦那の子供だから欲しいのであって、あくまでも私は子種をもらってまでつくろうとは思いません。子供ができなかったら普通に不妊治療すると思います。それでもダメだったら私は諦めます。旦那が望んでもイヤ。

http://logsoku.com/thread/love.2ch.net/kageki/1076854082/
http://moemoe.homeip.net/view.php/15359


19. 2012年6月08日 21:49:12 : HNPlrBDYLM

☆分かっていても公表できないことがある


鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱醯鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱驩鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱雖雁聴隅鬱鬱鬱鬱羈贍貔躍鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱詣觀召_召状隅鬱羇剤錐鋸醯艪鬱鬱歡笵鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱醢儲ィ鑓テ羽Ы⊇没踈佼Y荘繍鬱鬱鬱鬱甑璢霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱勧鬱藹韲菅莢べ⊇∃Ц它∬⊇羽讙蠢鬱葢温輻鬱鬱諸荻Y呈シ隴鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鐔鬱露媛どベ   ベS辷Щ坦旦鏥鬱鬱`驩讒鬱鬪舜悠⊆ジY停o鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱齬醯譴甜Ρ       `∃Ш珀伽躇遏T鬱鬱鬱鬱芦サY川ジベ介Y蹄ヲ霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱醯佼三、      ベ∃滋譴靄謔鬱噬ッ¨       ``ベ⊇川浴壮穉隴罅T鬱鬱鬱鬱鬱
鬱盛護燗燗鷦妓冖マ∴、      ベ俎罎靄躇諚牧べ              ベ⊇川衍掘雁隴鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱醢世鎰鋸謐鬱廷レ、          沼貍隴謡鈷⊆゛                `ベ∃氾狛挧鍠薩鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱靉咒謐鬱鬱鬱醢止        ∃堀鍠狽拔シ`∴               ベベ川Y珀掘鐫遏T鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢=@     ‘氾荘珀召Κ`∴、                ベベ川Y壮掘隴鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱蠢蹟蠢蠧熨鬱影        ベY珀笠に∴3、                  `ベ介衍衒鐫鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱醪攤J蠡J鬱’         ‘∃衍衒旦Щ辷゛                   ベ∃衍衒鋸遏T鬱鬱
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鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢,``                `ヨ召Y定ネ此                   ベ∃汾珀掘儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱監                   ベ交ベヨ疆齔                  ∴S⊇浴衒鍠譴鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢』                  ベ三ヘベ鴪彭                ベ⊇⊇氾衒掘儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱ル                  ∃川シ  ヅ’                 ベベ3氾珀伽疆鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱』                  `当癶、        、  u∴     ベベ⊇Y珀雄鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱。                  ″  シ  、uムЩ糴庇     ∴シ⊇汾衍儲鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱監                      ∴、∃ヨ櫨鬱鬱齔      `3⊇氾珀遏T鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱テ                逧此払(錙鬱鬱鬱h     ベ3⊇氾衒鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢』              『鬱JJ鬱鬱鬱鬱影忙      ベ⊇⊇浴郤弭儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢=@             『鬱鬱鬱鬱鬱Г      ベジ⊇Y交氾据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鹹              情苛泣罅         ∴3S川Γ ヨ据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱醢=@           ヴ県戸”          ⊇⊇ジ   ∃据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠧=@                       ⊇⊇゛    ヨ溷鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠧止.                  ベシ       旧疆鬱鬱鬱

再審を認めた裁判官は出世コースから外れてしまう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/288.html

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/289.html


名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人が誰かくらい、関係者ならみんな知っているのにねwwwwww

翌三月三十一日の取調べで、勝はこんなことを言った。

「奥西楢雄(会長)さんの妻、深子さんが怪しいと思う」

続けて

「深子さんが泣きながら『かくまって』とうちに逃げ込んできて、義母と喧嘩をして追われたので逃げてきたと言って、家に戻ろうとしないことがありました。三月二十三日か二十四日頃、寝床で妻が、

『今日も深子さんと楢雄さんが喧嘩をして深子さんは川へはまって死ぬか、薬でも飲んで死んでしまいたい、と言っていた』

と話した事がありました。 それにブドウ酒が楢雄さんの家に長い時間置いてあったことですし・・・」


974 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/28(木) 20:52:40 ID:d0COKNxP0

北浦ヤス子は奥西勝死刑囚だけでなく「三奈の会」会長の奥西楢雄とも不倫関係
にあったという話もあるんやな。それで妻のフミ子(事件の被害者)から別れる
ように迫られていたと。つまり奥西勝と奥西楢雄は全く同じ状況にあったらしい
んやな。


976 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2006/12/28(木) 21:08:07 ID:d0COKNxP0

一方、北浦ヤス子は勝と別れるから楢雄に妻のフミ子と別れるように頼んでいた
とも。一体この村はどうなってるのか何が何だか分からん。
http://yomi.mobi/read.cgi/tsushima/tsushima_newsplus_1260378058


奥西楢雄の妻は事件で死亡したため、すぐに再婚しているがなんと奥西楢雄は奥西死刑囚の愛人でもあり事件で死亡した北浦ヤス子とも愛人関係にあったという。

そして北浦ヤス子は奥西死刑囚と別れるから奥西楢雄も妻と別れるよう迫っていたと言う。 事件前日の痴話げんかはこの別れ話がエスカレートしたものだったという。
http://sfu9xi.sa.yona.la/630


873 : 名無しさん@七周年: 2006/12/28(木) 12:26:20 ID:d0COKNxP0 [13/20回発言]

真犯人の殺したかったのは奥西死刑囚の妻と愛人やなくて自分の嫁やったということや。 つまり真犯人は奥西勝に自分の嫁が寝取られとると思たわけや。それで嫁を問い詰めたけど白状せんのでますます妄想を膨らませ殺意をつのらせていったわけや。

真犯人が村のリーダー的な存在やったら不倫間係そのものより自分の嫁を寝取られたことが公になってしまうことでメンツがつぶれることを気にする。不倫妻の制裁と村社会での自分のメンツを保つことは動機にならんか?
http://logsoku.com/thread/news19.2ch.net/newsplus/1167189784/

94:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 07/05/23(水) 22:08:54 ID:zWAWELXK0(1)

暴力をふるっていた奥西楢雄氏は、すぐに愛人と結婚した。 妻が邪魔だったのだろう。 勝氏の、三角関係の清算と言われているが、普通なら両方殺したりしない。

 ちなみに、奥西楢雄 氏は、村の実力者。 だから、誰もが口を閉ざしている。
http://read2ch.com/r/court/1167357268/

姉の北浦ヤス子さん(当時36歳)を亡くした遺族で、奥西死刑囚と幼なじみだった宮西武男さん(84)は

「勝君(奥西死刑囚)の主張が本当だと思っていたのに……」

と肩を落とした。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1318440442/


583 :名無しさん@12周年:2012/05/27(日) 13:32:44.88 ID:bUceDgzhO

昨日の報道特集で事件で姉を亡くした宮西武男さんは

「絶対勝はやってないと断言できる。あの歳まで生きているのは神様によって生かされていると思う」

 奈良県と接した山あいの葛尾地区。宮西さんは奥西死刑囚とともにこの山里で育ち、同じ会社に勤めたこともあった。

「(奥西死刑囚は)律義で温和な性格。同僚は毎晩のように集まって酒を飲んだが、彼は自転車で真っすぐ家に帰る真面目な男だった」。

犯人を憎む気持ちを抱く一方、奥西死刑囚の無罪を信じてきたという。

 「彼は人を殺せるような男でない。無罪が真実ではないかと思う。本当のことを明らかにするために、神仏が勝君(奥西死刑囚)をここまで長生きさせたのでは」。


587 :名無しさん@12周年:2012/05/27(日) 14:22:08.12 ID:xXJSmhpU0
>>583
よくそんなこと言えるな、村八分とかにされそうで他人のこっちが心配だわ


589 :名無しさん@12周年:2012/05/27(日) 14:25:59.00 ID:3JaMke4o0
>>587
この人は、とっくの昔に村を追い出されているよ。
冤罪じゃないかと発言したことで、畑を焼き払われた。
http://2chspa.com/thread/newsplus/1337954853

この事件、昨日見ていて、戦前の日本のあり方を思い出しました。

これは、一つ先を辿ると全て親戚同士になってしまう村。ここが問題です。つまり、村にいたひとは、みんなエンコ関係にあった事。そして、そこで問題が起きれば、大体は、誰がやったって、わかるもの。分かってて公表できないこともあること。ついでに言えば、村の中で、村八分的な存在や、そういうときに咎を代わりに受けることで、残った家族に有難い想いがあると言う話も事実。

あの頃の村は、そういう風にして、色々な事を隠してきたんです。

無論ですが、この事例はアメリカにも同様な事件があります。皆で隠して風化させて、どうでもいい事にしてしまって、そして、多少の泣き寝入りをしてもらう。裁判で拘置所にはいっても、死刑にならずに済むのは、そういう事情があって、死刑にするに忍びなかったからという話が、ありまして、聞いたときは、アメリカも案外閉鎖的なんだなと思ったこと。

今回の名張ぶどう酒事件に関しても、真相があったのだと思いますが、当時の最高裁判所のあり方も、現時点の最高裁判所のあり方も、実際には、色々な表に出せない諸事情を加味しての裁きなので、真相が見えない人にとっては、不誠実に映るかもしれません。

世の中って、未だ、そういう不誠実な面があって、取引をする代わりに、これを授けるからこれで迷惑料となせとか、そういう事って一杯残っています。まして、親族だけでできた村がまだ残る存在に対して、都会に住む人は驚きがありますが、田舎に住む人たちは、これで十分排他的なんです。

金持ちの世界もそうです。お金があって成金になったからって、入れない世界というモノがあります。非常に排他的で、みなの利益を守るためには、理不尽で不誠実です。ですが、そういう事を言ってしまえば、世の中は全てそういう風な風習が残っています。世界中で、そういう風習が残っています。

私たちは、戦後、村社会を捨て、個を尊び、集団就職に行って、てんでばらばらになって、一見、どこの誰だか分からないようなそんな感じを受けますがね。氏も育ちもあなたの戸籍には残って、あなたが、どういう人なのかって事もある程度辿れるし、大体どこの出身って聞くと、ピンと来るものがあるんですよ。それが、忌み嫌われる民俗学という学問です。

奇祭、奇習、世の中には沢山ありまして、面白半分という部分はあるのですが、実際に知っていくとですね。口が段々重くなります。近親相姦、精神疾患、遺伝病の発症の理由、村の中での奇習を隠すための排他主義。私もちょっと見てみたんですが、何といいますかね。今まだ残る人に対して、困ることになるんじゃないかと。

私は特に、幼い頃から、「えたひにん」と呼ばれる人たちの生い立ちや生き様、「部落」と呼ばれるところの部落からどう脱していくか、そして、現在、口が裂けても言われないけれど、ある施設の近所の子供に対する「差別」を追っていった事がありました。それを専門に勉強したかったんですが、あまりに、悲しい事実があるので、私も知りうることに関して、口が重いことがあります。けれど、実地でそういう人たちの話を聞いて周った(はじめた当時の私はまだ、8歳くらいでしたかね)ので、口も重くなります。

どうしてここに、社が建つのか。どうしてここに、こんなものがあるのか。どうしてここにこんな施設があるのか。

紐解いていけば紐解けるのですが、だからと言って、残された人たちが、すっきりはっきり白状できない理由も、あるのです。

何度でも話に上がっては来ると思いますが、触ってはいけない問題もあるということで、やったやってないは関係ない世界があるんです。それを、個だけを尊重して尊んで美談にしようとすると、村全体が悪くなって、誰も嫁に来なくなってしまったり、後を取る人もいなくなったり、廃村に持ち込まれたりします。あなたは、掘り下げようと思うとき、全ての人の利益を考えて発言してください。

どさくさにまぎれて行ったことは、全て、美談にならない洒落にならないものばかりなんです。
http://blog.goo.ne.jp/nekotech/e/ff1deb2cfcd8c62ed0dced78d7521f04

映画 八墓村
http://www.youtube.com/watch?v=3QjrDh8IkcA



20. 中川隆 2012年7月08日 09:48:43 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

戦前の日本では財産の無い一般民は完全フリーセックス状態で、生まれた子供は父親が誰かわからなくても村の働き手になる人材としてみんなで大切に育てていたのです。


一方、大地主や財産のある家だと、自分の一族の子供にだけ全財産を引き継がせたいので、許される乱交も嫁と義父・義兄弟の間だけに限っていたのです。 しかしそうすると未婚男子の相手ができる女性が少なく成り過ぎるので、乳母を何人も雇って相手をさせていたんですね:


旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/292.html


21. 2012年7月08日 21:27:35 : HNPlrBDYLM

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html


22. 2012年7月12日 20:51:31 : HNPlrBDYLM


名張ぶどう酒毒殺事件が起きた背景(もちろん僕の妄想ですが)

@当時の名張市葛尾ではまだ戦前から続く完全フリーセックス状況がそのまま残っていた。

Aイケメンだった奥西勝は女性からの誘いが引きも切らない状態だった。

B奥西勝は葛尾の部落民を支配する絶対権力者 奥西○○の妻とも関係を持ってしまった(?)

C奥西○○は広大な田畑を所有する財産家で、自分の本当の子供にだけ財産を相続させたかったので、妻の奥西勝との不倫(?)がどうしても許せなかった。


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   勝さん…ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
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:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';''   ノノノ/;/      ..:: ::::  ヽ,,,ノ     ':::    :::
ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/::      ::、::: ::::..     ..:.::::::::"     :::::::::

名張市葛尾の三奈の会というのは宴会で意気投合した相手と〇〇〇するしきたりだったんでしょうね。 三奈の会の中心はもちろん美男子の勝で、色々な女性から誘いが沢山来ていたでしょうね。 勝は事件の前日にちゃんと避妊具を買いに行って、楽しみにしていたようです。


奥西○○はそれをずっと苦々しく思っていて、勝と〇〇〇した(?)自分の妻だけではなく、今迄ずっと勝ばかりチヤホヤしていた三奈の会の女性全員を憎んでいたんでしょうね。

部落民はそういう事をずっと身近で見ていて良く知っていたので、勝の冤罪は自業自得だと思って誰も助けなかった。


もし部落の人が本当の事を言ったら奥西○○に部落を追われる。 その当時は農作業しかやっていなかった人が簡単に就職できる職場なんかなかったんですね。

特に奥西さんの世代は戦前の大恐慌の時代に学校へ行ったのですから、毎日食うや食わずで勉強なんかしてないので読み書きそろばんも満足にできなかったでしょう。

部落を追い出されたら、男は廃品回収業や行商、日雇いの土方、女はピンサロかソープ位しか仕事は無かったでしょうね。 だからみんな奥西○○の言うなりになるしかなかったんです。


これが真相だと思いますがいかがでしょうか?


23. 2012年7月13日 22:36:42 : HNPlrBDYLM

374 :名無しさん@七周年 :2006/12/29(金) 23:37:32 ID:EvRaDICm0

俺の親戚のおばあちゃんは、名張市葛尾におって、事件があった日、この会合にでる予定やったらしい。

俺自身は、この事件についてはあんまりしらんけど、おばあちゃんが言うには、奥西さんは当時、むちゃくちゃ男前(今でいううイケメン)で、婦人会でもものすごく人気があったらしい。

この会合も、奥西さんがぶどう酒を飲ませてくれる、ということで前から
大変楽しみにしとったけど、前日から風邪をひいて行けやんようになってしもて
ものすごく残念やったと思ったけど、そのおかげで死なんとすんだ、とよく言うとった。

また、上下関係がはっきりしているので、ぶどう酒を飲む順番も年輩の人から
先についでもらって飲んだみたいで、死んだ人は若い人ばっかりやったらしい。
先に飲んだ人は毒の少ない上澄み部分を飲んだので軽かったが、後で飲んだ若い人は毒が多く残った(沈んだ)部分を飲んだんで、重傷や死んでしまったみたいや、
とよく言っていた。

 俺は、事件の詳細はわかりません。おばあちゃんが時々、話してたことを
そのまま書きました。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1167316366/

222 :名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 13:02:49 ID:nQ7w2dgx0

こんな当時の記事がある。

朝日新聞記事「美男,複雑な女性関係/二重人格の男――奥西勝」

(奥西)勝は山村には珍しい美男子,表面的には人にうらやまれるほどのむつまじい家庭で,ついこの間も名張市内の映画館で二人の仲むつまじい姿をみかえた人もあるという。

しかし陰で数人の女性とひそかな関係が続いていた。近所の人たちの話では,
勝と地区内の何人もの女性をめぐって三角関係,四角関係が複雑にからみ合っていたという。

しかも北浦さんとの関係は地区内でも公然の事実だった。
……無口でまじめそうにみえるが,半面ふしだらな女性関係をもっている二重人格の男だったといえよう。
http://www.dcns.ne.jp/~t-oku/guilty.pdf

名張毒ぶどう酒事件は間違いなく何ヶ月も掛けて周到に準備された計画犯罪ですね。 自分のアリバイはどうするか、どうやって罪を自分の妻か勝に着せるか、警察や近所の人への根回しと脅しはどうするか等、勝の様な女性にしか関心が無い人にはとても思い付かない事ばかりですね。


しかし、勝の家の納屋からニッカリンの壜をこっそり持ち出して隠したのは一体誰なのかな?


25. 2012年7月14日 21:23:51 : CkN7ktyvDv
狭山事件当時の日本の「共同体」は正直な所、弥生時代から何も変わっていない。そして21世紀になって10年以上経過した現在も、本質は弥生時代の儘である。
人間社会とは名ばかりで、実際は互いに相入り乱れ(=乱婚≒オーラルセッ○ス)喰い殺し合う畜生社会。溜息ばかりが只漏れる。

26. 2012年7月15日 14:24:29 : Ec0aivqppo
狭山市長選で、無所属現職の
仲川幸成氏(69)=自民、公明推薦=

が、無所属新人の元市議会議長中村正義氏(62)を約五千票差で破り三選を果たし、「協働の地域づくりの総仕上げ」と抱負を述べた。

http://www.47news.jp/blog/OUT/投票率-仲川幸成.html


27. 2012年7月26日 12:03:39 : ekn3oTXb4Q
どうみても都会のほうが怖い

28. 中川隆 2012年7月30日 20:39:00 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

秘祭


540 :本当にあった怖い名無し :2012/06/18(月) 18:24:33.55 ID:bdzkjPNW0

私が育った集落は、小さな田舎町だけどそれなりの歴史があって、古くから続いている数年に一度のお祭りがある。仏教や神道とは違う感じだから、おそらく民間信仰の一種なのかな。

別に、特別オカルトな事がある訳でもなく、神聖な場所と言われる所に、お婆さんがお供え物と依代の木を持って行って、毎年選ばれる”神様の子”の役目の子供達が数人で歌を歌うだけなんだ。


ただ、その儀式の行われる日は、その場所に集落以外の人間は入っちゃいけないと言われてて、それは、祀られている神様が依代に移る時に落ち着かないからだと教わってきた。

実際、夏休みや年末の帰省時期とは全然ずれてるから、なんの観光もない田舎に部外者が来る事はないんだけど、どこからか、こういう民間の秘祭(?)に興味を持ってやってくる人がいるんだよね。

それで、わざわざその祭りの日に、東京から来たっていうオッサンがビデオカメラを持って入ろうとしてきて、大人達が止めに行ったんだけど、大声でわめき散らして大騒ぎになった。


「なんで見せられないんだー!ヤバイ事でもやってるんだろー!!」


とか大声で叫んでケンカみたいになってて、最終的には駐在さんに連れて行かれた。パトカーに乗せられる時に、その男が血管が浮き上がるくらい真っ赤な顔して


「ここで巫女を村中の男がレイプしてるって本当だったんだな!
だから見せられないんだろ!!」


って叫んでた光景がものすごく異様で怖かった。

祭りがゴタゴタになった事とは関係ないと思うけど、その年に集落に繋がる場所の道路工事で崖崩れが起きて亡くなった方が出たり、高校生が1人、心筋梗塞で亡くなったりしたので、もっぱら「あの騒ぎのせい」っていう噂も多くて、ますます私の中で東京=怖いイメージが固まってしまった^^;

実際、上京してみたら親切でまともな人が多くて、なーんだ普通だと思ったけど、上京するまでは怖くて仕方がなかったな・・・f^^;

http://gnosis.blog64.fc2blog.net/blog-entry-7617.htmlhttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1338006880/l50

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29. 2012年10月07日 18:07:37 : HNPlrBDYLM

裸祭り

私の住んでいる地区にはチョッと恥ずかしい変なお祭りが有るんです。

子供の裸祭りと言う物なんですが、地区に有る小さな混浴の温泉があって、その温泉の源泉の所になる源泉神社と温泉のお祭りなんですよ。

年に4回の季節の神事と月に一度の温泉と源泉神社の掃除が有るんですけど、それを地区の子ども会の子供達が行うんです。 月に一度の掃除は小4以上の子供だけだけど年に4回の季節のお祭りは小1の時から参加なんです。 だから小さい頃から地元の子ども会の男の子も女の子もお互いの裸を見ているので恥ずかしいって感じもなくなってしまう感じなんです。

一応神社は子宝に恵まれると言う由緒ある神社なんですけど、一般の人たちは地区の所にある神社に参拝に来たりするんですけど、温泉のある奥ノ院は地区の所にある神社から300メートルくらい森の中の参道を入った所に有るんです。

いくら幼馴染で小さい頃から裸を見慣れていると言っても、中学生くらいになると恥ずかしいですよ。 男の子なんかは小学校5年生くらいからチンチンが大きく勃起させちゃってるし、女の子だって恥ずかしさでアソコがなんだか濡れるって感じになりますね。

月に一度の掃除は地区の分社から森の中の参道を500メートル奥に入った温泉の有る奥ノ院だけでやるんで良いんですけど、年に4回の季節の神事の有るお祭りの時はチョッと恥ずかしいですよ。

地区の所に有る神社から奥ノ院まで子供が山車を引っ張って行くんですけど、さすがにその時は裸じゃないですけど、男子も女子も越中フンドシで女子だけは上に白い絹の祭りハンテンを着させてもらえるけど恥ずかしいですね。 一応胸とアソコは隠せるけど大人になってから観ると恥ずかしいと思いますよ。 でも子供の頃は恥ずかしさも有ったけどお祭りの楽しさも有って楽しんでいたって言うのも正直な所かな?

でも年に4回の季節のお祭りの時はチョッと変な事をやらさせるんですよ。
山車を引っ張って奥ノ院に行ってからです。
中学生になるとやらされるんですけど神社の中で一応は男女フンドシを着けていますけど交尾の真似事をやらされるんです。

早く言えばセックスの真似事やらされるんだけど男子もフンドシの中でチンチン勃起させちゃってるし
女子もいくらフンドシを着けていてもセックスの真似事させられると興奮してしまいます。

バックのスタイルと正常位のスタイルと立ちバックとやって最後に騎上位の格好でセックスの真似事するんですよ。
でも男子もほとんどの人がフンドシの中で射精しちゃってるし、女子もフンドシでアソコが擦れるんで本気で気持ち良くなっちゃうんですよ。

奥ノ院の神事の時は子供と一部の親しか見ていないけど人に見られながらセックスの真似事をして本気で気持ち良くなってイク瞬間を見られるのは異常に恥ずかしいです。

観ていた一部の親達は神事が終わると帰っちゃうんですけど、本当に異常な恥ずかしさが有りましたね。 正直な話しで年に4回の季節のお祭りの時は地区の分社の神社で一般の人たちが居る所でフンドシと絹のハンテンと言うで女の子の多くはオシッコ漏らしそうなくらい恥ずかしさと緊張がありますね。
オシッコじゃないのにフンドシが濡らしちゃう子も多かったと思います。

奥ノ院のセックスの真似事をした後に全員裸になって温泉に入るけど、月に一度の掃除の時には恥ずかしいって感じじゃないのに、なんでか妙に照れくさいですよ。
セックスの真似事をするのは中学生以上なんだけど、中学生以上の男女共に締めていたフンドシが男子は精液が出て濡れてるし女子もエッチな汁で濡れてるし妙な感じです。

花園メリーゴーランドと言う漫画は読んだ事が有るけど私の住んでいる所の祭りはイメージが違う感じがします。 元々温泉の源泉をお守りする神社なんで温泉に入るのには裸になるのは当たり前だし変な意味の裸って訳じゃないですね。

年に4回の季節のお祭りの時のセックスの真似事はチョッと変ですけど、これはこの神社が子宝祈願の神社でも有るって事で昔からやっているそうなんです。

奥ノ院の神社に有る温泉は地元の人たちも普段から多く利用しているんです。 温泉の湧出量があまり多くないので神社の所に有る浴場しかないんですけど、私も今でもたまに行く事が有りますよ。

おかしな話ですけど、私の住んでいる地区の男の子は小学校の低学年のうちにチンチンの包茎手術を受けているみたいです。 地区では私と同じ歳の人は6人で男子3人女子3人でしたが、男子の3人は小学校の3年生の時に手術を受けたと話していました。

小学校4年生以上になると月に1度の温泉の掃除が有るので包茎だと恥ずかしいと言う事も有るのかも知れないですね。

それと男子もチョッと恥ずかしい事が有るんです。
男子の場合は小学校6年生の時に射精の儀式って言うのが有るんですよ。
小学校6年生だけが集められて神社の温泉浴場で行うんです、単純に言うと男子のチンチンが成長している事を確かめるみたいな事らしいです。

これは男子も恥ずかしいけど女子も恥ずかしいですね。
一応これを経験しないと中学になってからのセックスの真似事の神事が出来ないからと言う事らしいです。

男子のほとんどがオナニーの初経験は済ませているみたいですけど、でも同級生の女子に見られながらするんだから恥ずかしいみたいです。

女子もその頃にはオナニー初経験はみんな済ませていましたね。
私の場合も小学校4年生の頃から覚えていました、月に一度の温泉浴場と源泉神社の掃除が有るのでその時に上級生のお姉さんに教わってしまうんです。

それも変な教え方されるんです、温泉浴場と源泉神社の掃除は裸でしなきゃいけないので最初の頃はたとえ子供同士でも男子に見られると言う恥ずかしさで何だかオシッコ漏らしそうな気持ちになるんです。

それでその気分を抑えるためだって言って上級生のお姉さんが面白半分で教えてくれるんです。 男子の見ていない所に連れて行かれて教えてもらい私も始めての性的快感を覚えたのはこの時が初めてでしたね。
男子も同じ様に教えられているんじゃないかと思います。

中学になって季節のお祭りでセックスの真似事を初めて経験してからは、一緒に組んだ男子と仲良くなりましたね。

季節のお祭り以外の時も一緒に遊んだりしました、おかしなもので誰から教わった訳じゃないけどシックスナインを自然と覚えちゃうんですよ、それでお祭りで一緒に組んだ男子とシックスナイン遊びをしちゃうんです。

地区ではお祭りでセックスの真似事をしても本当のセックスは大人になるまでしちゃ駄目だって教えられているんで中学の頃はシックスナイン遊びで夢中でした。 学校の帰りにどちらかの家に寄って行ってシックスナインで遊んじゃうんです。

私の頃はまだしていましたけど、今は月に1度の掃除は水着を着てしているみたいです。 今は年4回のお祭りも男女ともに短パンの上にフンドシになったし、上半身も女子はTシャツを着ています。 これも児童ポルノの問題で色々と有ったみたいです。

今でも小学校6年生の男子の射精の儀式だけは有るんですけど、女子は裸にはならず水着を着ています。 私の時代が裸でやっていた最後の時代かも知れないですね。 児童ポルノの問題が有ってかなり普通っぽいお祭りになったみたいです、お祭りでのセックスの真似事をするのも、かなり簡素化された物になったと言う事ですよ。

源泉の神社の温泉は浴場は岩を組んで作った物で屋根は有るけど壁のない露天の混浴状態です
普段は地元の人や老人会の人たちがゲートボールをやった後に入浴している所です。

それと源泉の所の神社が子宝に恵まれると言う神社だから子作り作業の真似事を神事の形で行うんですよね。 年4回の祭りでは小学校1年生から参加するけど、子作り作業の真似事をしているのを観れるのは小学校4年生以上なんです。

小学校3年生までは山車を引っ張って終わりなんですけど、小4の時に初めて観た時はびっくりしました、小4だとまだ知識不足だし私も初潮前だったので身体もまだ子供だし良く解らなかったですね。

だから小4の時に始めてみた時に女子は恥ずかしくて良く観れなかった、でも男子は喜んで観ていましたね。 自分達も中学生になったら同じ事をしたんだけど、例え真似事と言ってもフンドシ1枚の所に男子のチンチンがアソコを擦るんだから気持ち良くなっちゃって恥ずかしい事を忘れちゃいます。

子作り作業の真似事をお祭りでするんだけど、中1の時は最初のお祭りの前に何度か練習会が有りました、その時に挿入しないのにアソコから血が出たりするんです。 生理でも無いのに血が出てしまったので驚きでしたけど、激しくアソコを突かれたり擦れたりするんで刺激や振動で処女膜が自然を破けるんだと言う事でした。

練習会は最初の祭りの前に10回くらい有って本番のお祭りの神事で血を出さない様にって慣らされました。 最初はアソコを突かれたり擦れたりで痛かった感じもしたけど、練習会の4回か5回目くらいからスゴク気持ち良い感覚を覚えました。

私と組んだ同級生の男子は練習会と別に練習しようよって言うんです。
だから個人的な練習もしましたよ、その時はフンドシは使えないので私はパンツを履いているだけで後は裸だし相手の男子は裸になっちゃってしてました。
でも途中から私もパンツを脱いじゃって裸になっちゃいましたけど、挿入しないで素股って言うのかな
そういう状態で私のアソコの割れ目でY君のチンチン擦る感じでした。

私の故郷は、最寄の駅から、村営バスで2時間も掛かる場所に、ある秘境に近い村でした・・・、その村は、「マタギ」の村、簡単に言えば狩人たちが暮らす村です。

狩猟の季節に、村の大人たち(マタギ)は、何ヶ月も山に入って、熊や鹿狩りを行います、特に「熊」の肝臓や胆嚢は・・・漢方薬の原材料として、高く取引され、村の貴重な収入源の一つです。 熊の一匹を狩って、一人前のマタギと言われ、何匹もの熊を狩ったマタギは村では、名誉ある者として尊敬を集めました。
そのマタギの村、この村に生まれた男児・・・村で、大人として認めて貰うための儀式が数回ほどありました。

人里離れた秘境の村、昔ながらの「男尊女卑」の意識が強くて、男児が大人として認めて貰うための儀式ですが、12歳になった時に、「精通の儀」が行われます、マタギの血筋を残すため、生殖能力の基本である、射精が出来るかの??テストが行われます、

それを確認するために、狩りで夫を亡くした未亡人たちが分担して、12歳の男児のペニスを触って、射精できるか??を試します、
山神さまを祭る神社にある集会所・・・数部屋に仕切られた部屋の前に、12歳になった男児が並んで・・・順番を待ちます。

未亡人から、ズボンとパンツを下ろされて、下半身が丸出しにされてしまい家族を除いて、自分の下半身を見られる恥ずかしさ・・・

未亡人が、自分のペニスを触って勃起させる、恥ずかしくて・・・頭が真っ白になってしまい気がついた時は、射精していました・・・。


「精通の儀」をクリアした、12歳の少年らは・・・2年後のの村祭りにてマタギの見習いとして認めて貰う「成人の儀」を通過しなくてはなりません
その「成人の儀」とは、「精通の儀」をクリアして、二年を経た少年たちに対して、子供を作るための基本を教える儀式です・・・その相手は、未亡人たちです、

14歳になった私・・・「成人の儀」を迎え、村のマタギ衆から指名された相手は、隣に住む未亡人の阿佐美さんでした・・・

子供の頃から遊んでくれた、近所のお姉さんの阿佐美さんが・・・「成人の儀」の相手をするなんて・・・

阿佐美さんの夫の、正彦さんは〜私が子供の時に、遊んでくれて、強くて優しくて・・・私が憧れる人でした、前年の狩猟シーズンに大物の熊を仕留める時、手負いとなった熊が振るった〜反撃を受けて、亡くなりました・・・。

「成人の儀」、相手をしてくる未亡人宅を訪れます、私は・・・阿佐美さん
の自宅へと行きました、

迎えてくれた・・・、佐美さん、平静を装う感じで迎えてくれて、阿佐美さんは

「夕食を用意しているから一緒に食べよう」

と言われ、阿佐美さんの美味しい手料理を食べて、私が子供だった頃の話にて
盛り上がりました、それから・・・阿佐美さんは、お酒を持って来て・・・
私に勧めました、私は「未成年だからと・・」と断ったら、阿佐美さんは〜

「少しだけ、お酒が飲みたい〜私の相手をして欲しいの」

と言われました。阿佐美さんから勧められ、私は一緒に酒を飲みました、無論、酒を飲むのは初めてではありません、村祭りの時には、村の大人たちが面白がって、子供たちに酒を飲ませるので、別に酒を飲むことに対して抵抗感はありません。 一応、そう言っておかないと・・・私に酒を勧めた、阿佐美さんの立場とかありますし、ある意味で緊張していました、本当です。

女性の裸を見るのは、生まれて初めてではありません・・・私が住む村には温泉が湧いており、村人の大半は共同浴場に通いました、幼少の頃は母親に連れられて、女風呂に入りました・・・そこで何人も裸の女性を見ました。

「精通の儀」を迎える年齢になるまでは、村の掟で、母親に連れられて来た場合に限り、男児は女風呂に入ることが出来ました。

数杯ほど、阿佐美さんと酒を飲みました、今から思えば・・・阿佐美さんも私と同じく緊張していたと思います、「成人の儀」は父親から聞いていましたし、これをクリアしないとマタギとしての修行が始められません。
むしろ、阿佐美さんが「成人の儀」の相手と、当日になって村のマタギ衆の親方たちから知らされたとき、内心・・・ホッとしました。

既に、隣の部屋には布団が敷かれており、幾らか酔った阿佐美さんに手招きされて布団の上に寝ました、着ていた浴衣を脱がされて、パンツも脱がされました、阿佐美さんも着ていた浴衣を脱ぎました・・・

下着を付けていない状態だったので、二人とも全裸となりました、阿佐美さんは優しい手つきで私の陰茎に手を触れました、あっという間に勃起してしまい、クスっと微笑みを浮かべた阿佐美さん・・・

「まあ、立派なこと、亡くなった主人が貴方のことを弟のように思っていた」

と話してくれました、正彦さんは色々と私の面倒を見てくれた兄貴分です、「精通の儀」「成人の儀」から、マタギとしての礼儀作法、山神さまを大切にする心を教えてくれました、正彦さんは当時、二十代の半ば・・・阿佐美さんは、十九歳で正彦さんと結婚しました。

「成人の儀」は、快楽を求める儀式ではありません、子供は山神さまからの賜りものと言う厳格な宗教的な観点と、マタギの仕事は狩猟中の事故を背にして行う厳しい仕事、その血を絶やさないためにも、適齢期になった少年に対して、実地で生殖能力の有無と、将来、村に住む女性と結婚して、子供を作るための予行練習みたいな儀式です・・・

勃起した、私の陰茎を触ったり口で舐めたりして、頃合と見た阿佐美さんは、騎乗位で挿入しました。

何だか、自分の陰茎が暖かいものに入って行く感じがしました、ヌルヌルとして何とも言えない快感がしました、途中から、阿佐美さんが・・・

「この状態で入れてみて」

と言われ、正常位で陰茎を挿入してみたら、自然と腰を動かしていました、大した知識が無くても人間の持つ、子孫を残すと言う本来の生殖能力はDNAに刻まれていると、後になって思いました。 初めての快感と緊張から、数分で「成人の儀」は終わりました・・・

避妊のためコンドームを付けていました、射精したら浴衣を着て、阿佐美さんの家から出るようにと、予め言われていましたので、その通りにしました。

浴衣を着て、家に戻る私の陰茎には、コンドームが着けられた状態でした。
家に戻ったら、母親が、私を共同浴場に連れて行きました、誰もいない共同浴場にて、私の浴衣を脱がせました・・・萎んだ陰茎にはコンドームが着けられた状態でした、母親にそんな姿を見られて、恥ずかしい気分でした。

母親は、陰茎に着けられたコンドームを外して、

「今まで、子供だと思っていたけど、これだけ出れば、立派な大人よ、マタギ衆の親方に、父親が息子の「成人の儀」の相手として、阿佐美さんにお願いして良かった」

と・・・言いました、これだけ出ればの意味は・・・射精した精液の量です。

共同浴場にて、丹念に母親から全身を洗われました・・・陰茎も母親の手で洗われて、つい勃起してしまいました・・・

「仕方ない子ね、お父さんと負けない位よ、早く立派なマタギになって結婚して、お母さんを安心させてね」

と言われました、当時・・・中学の同級生で大好きな子がいたので・・・
その子と結婚して欲しいと、母親が言っていたと思いました。

母親が村の女性も「成人の儀」があると、初めて教えてくれました、

14歳になった村の娘は、生理の有無を確認する儀式として、「成人の儀」があると言い、生理の日に・・・秘部から流れ出る生理の血を、村の未亡人が確認し初めて、村の大人の女性として認められると・・・。

男女とも「成人の儀」をクリアして、15歳の時に婚約して、男はマタギの修行に入って・・・鹿を一匹、狩猟で仕留めたら、結婚が許されると、母親から聞きました、今は・・・法律の関係から、男女とも結婚が出来る年齢になるまで、婚約の状態で過ごし、男が結婚できる年齢になったら、村を挙げて結婚式が行われます、

その間は・・・溜まった性欲の捌け口として・・・
村の未亡人が、月に1回だけ夜の相手をしてくれます、「成人の儀」にて相手してくれた未亡人に限ってです、その時は未亡人が避妊が不要と言えば避妊なしでの行為となります・・・

その未亡人が妊娠して、子供が生まれたならば・・・村の子供として、養育費はマタギ衆から出ます。

かく言う私も、ある未亡人が生んだ子供の一人です、子供に恵まれなかった夫婦に養子として迎えられ、育ての親となってくれました、実の父親は村で若手では一番のマタギと言われた御仁、「赤鬼」と呼ばれた人食い熊がいて山にハイキングに来た人や、山菜取りに入った人を襲っており、猟友会のハンターでも逆襲されて死傷者が出るほどの大熊で、実の父親は、何ヶ月も山に入って・・・「赤鬼」を探し、その「赤鬼」を仕留めましたが・・・
相打ちでした、「赤鬼」の死骸に横たわって死んでいる実の父親の姿、山を
捜索していた村のマタギ仲間に発見されました。

そんな実の父親の血を受けた私、実の父親の兄であり子供に恵まれない夫婦に引き取られ、「成人の儀」では・・・阿佐美さんの年齢では、「成人の儀」の相手をする未亡人から外されるところを、育ての両親と阿佐美さんからの願い出で、村のマタギ衆の親方たちが・・・亡き実の父親の偉業を称えて認めて貰えた結果と、一人前のマタギになった時に、育ての両親から聞きました。

現在も人里離れた秘境に近い「マタギの村」で暮らしています、近年の電話事情でしょうか? 村でもインターネットが出来るようになりました。
この話を書くにあたり、妻である「阿佐美」が面白そうだからと、言うので書いた次第です、年上女房の阿佐美は面倒見の良い妻です、2男3女の子供に恵まれ、

今でも〜夜の営みは週3回・・・(^^ゞ マタギの収入だけでは足りないので、マイカーで近隣の温泉旅館で契約社員の仕事をして、生計を立てる日々、唯一の楽しみは・・・マタギの経験を生かした、女風呂は露天風呂の覗き見でしょうか!? 

現在は「成人の儀」はありません、「精通の儀」は残っております・・・
父親が、息子の射精能力の有無を、確認する形にと変わりました、去年に「精通の儀」を迎えた長男、緊張して勃起しないため妻が持って来た、肩こりに使う「バイブレーター」を、長男の陰茎に当てて刺激したら、速攻で勃起して・・・射精してしまいました、妹たちに、その光景を見られてしまい・・・

「お兄ちゃん、白い〜オシッコを漏らした」
と言われしまいました。

成人する男子の数だけ、相手をする未亡人はおりません・・・当たり前です!
数人の成人する男子を1人の未亡人が請け負う形です、未亡人と言っても〜
年代に幅があり、年増の未亡人に当ってしまう不幸?な成人する男子もいたりする訳ですよ(+_+)
それに、マタギは数人でチームを組んで狩猟するから、その中の1人が単独行動して、チームワークを乱した結果、手負いの熊の逆襲を受けて死んだり大怪我する、それを助けようとする腕の良いマタギが犠牲になってしまうチームワークを乱して死んだマタギには名誉は無い、残された未亡人と家族も同じ、未亡人が常に快楽の対象にされるケース、それはチームワークを乱した夫の責任を妻が背負う、また、村の掟を破った妻が、村人の資格をされて受ける罰みたいなものかも・・・・。

それに、マタギの村を出た女性もいて、他所の地域で結婚して、結局は離婚して、Iターンで故郷のマタギの村帰って来ても、大した仕事も無いし・・・
30代の男日照のバツイチのIターン組の女性、裏稼業ではないが、未婚の若いマタギの相手(夜這い)をして、日銭を稼ぐこともあるらしい・・・。
http://www.moedb.net/articles/1245899725-


30. 2012年10月10日 11:17:40 : HNPlrBDYLM


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            )人ミ、.弋トミ、  、    / {ノ /〃/ノノイ / /
               jノ} ノ代_   、.. .-乂 弋 ( {! λ(__:( / /
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___/    /| |    |       〉 { ` ‐- ..._    / ̄ ̄ヽ /    ,.'      `ーr_、
    /   ∧/   /       /  \      ̄'´        〈、__,.イ-- 、      }-}
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  ヽ.  /   _/         /   \ ̄ ̄ ̄ ̄\≧‐--/\_,.  -―-'

沖縄 新城島の秘祭

新城島(パナリ)
http://www.youtube.com/watch?v=-0p9BHXUbmA
http://www.youtube.com/watch?v=lVAmBAq_Wz4
http://www.youtube.com/watch?v=1Ehez1XIhIg
http://www.youtube.com/watch?v=aL5Fj-Iv63o
http://www.youtube.com/watch?v=Nt_0KxEgZBM

新城島(パナリ)人魚神社
http://www.ishigaki.fm/panari/ningyo.html

新城島(パナリ)美嶽神社
http://www.ishigaki.fm/panari/mion.html


地図
http://www.ishigaki.in/aragusuku-top.html
http://www.ishigaki.in/spot-aragusuku-panarishukuhakujo.html
http://www.ishigaki.in/map-aragusuku-panarishukuhakujo.html

http://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%B3%B6&hl=ja&prmd=imvns&biw=1047&bih=892&um=1&ie=UTF-8&sa=X&ei=nhVwUJXbHsbjmAWez4GwBw&ved=0CAsQ_AUoAg

http://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%B3%B6&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ExVwUJrCD8LRmAW4-IGoBg&sqi=2&ved=0CDYQsAQ&biw=1047&bih=892

A. 神の島の秘祭


石原慎太郎 秘祭
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119082
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-DVD-%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%8D%93/dp/B001B4P91O


人口わずか十七人の南西諸島の孤島をリゾート化しようと、観光会社の青年、敏夫が島に赴任する。前任者が事故死した為だ。

島の和やかな雰囲気や、島唯一のいい女、タカ子に魅了され島に惚れ込む。タカ子も敏夫が気にいったようで、二人は即、獣のように愛を交わすようになる。社命で赴任したとはいえ、仕事らしい仕事はせず、タカ子とセックスばかりしている敏夫だが、島で生活していく内に、段々と島のタブーが見えてきた。

まずおかしいのは、檻に入れられている男、ミノルの存在。
言葉は発っせず、原始人のような風貌で獣のようにウーウー吠えているだけ。島の人は

「ミノルは頭が弱くて乱暴することがあるのでね」

とあっさり言うが、明らかに異常な光景だ。

さらにある晩、漁に出た敏夫が見たのはタカ子が他の男と交わっている姿。
タカ子に問い質すと、「嫌なら私を島から出して」と懇願する。
どうやらタカ子は島の男全員と寝ているらしい。このことから、段々とこの島の異常性が露わになっていく。

乱婚、近親相姦、暴力、拷問、殺人…。

近親による性交の歴史により、この島は狂人パラダイスと化していたのだった!
前述した、檻の中の男は島の秘密を漏らさないよう、舌を切られていたのだ。

敏夫の前任者もこの秘密を知って殺されたらしい。そして、知りすぎてしまった敏夫は、タカ子を連れて島を出るため島の老人たちに、「訴えることもできるんだぜ」と脅す。老人たちは

「わしらが島を出ます。だからあんたもこのことは黙っておいてくれんかね」

と、屈伏したように見せかけるが、結局、敏夫は別れの酒と称した杯に毒を盛られて眠らされ、ボコボコに拷問された揚句殺されてしまう。

時は流れ、何も知らない敏夫の後任の青年がまた島に赴任して来た。木の下に不自然に土が盛り上がった土饅頭が二つある。「あれは何ですか」と、島の人に聞いてみると、

「ああ、あれは昔から人魚の墓と言われておってな…」

…それが敏夫とその前の前任者の墓であり、

いずれ自分もそこに葬られることになるとは思いもしないであろう…。
http://hojomatsugoro.blog41.fc2.com/blog-entry-982.html

奇祭アカマタ・クロマタ 美女が洞の中で男衆と妖しい儀式

 アカマタ・クロマタは、八重山列島の新城島、西表島の古見集落、小浜島、石垣島の宮良集落で行われている。場所ごとに開催日はずれているが、それぞれの期間は3日間。開催日時は島民と関係者以外には知らされない。

 アカマタ・クロマタに関する文献や写真は極端に少ない。中でも新城島に関しては、さらに厳しいかん口令が敷かれて、外部にはまず漏れない。

 漏れ伝わる話によると、新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われるという。

「ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという」

 あくまで噂の域を出ないが、島の人たちが観光客などの行動を異常に警戒しているのは秘議にまつわるタブーを暴かれることを恐れているのかもしれない。

2011.8.5 東京スポーツより
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html


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行ってはいけない!ニッポン「不思議島」異聞 (別冊宝島 (1323)) [ムック]

秘密を知ったら戻れない ・ ・ ・ 日本最後の秘境 ! !
民俗学者たちも恐れる離島最大の禁忌 聖地・人魚神社と禁断の秘祭に潜入
http://tkj.jp/book?cd=20132301
http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E5%B3%B6%E3%80%8D%E7%95%B0%E8%81%9E/dp/479665304X

残念ながら新城島だけはここ数年、観光客は入れないとか、ネットに書かれることを恐れているらしい。


アカマタ・クロマタ?赤股・黒股?

赤い股が女で黒い股が男?

30代後半の女性は生け贄でしょうかね?

早い話がお祭りという輪姦行為?

「怪しい」じゃなく「妖しい」ってのが艶めかしい!


 30代後半と言えば主婦?

生け贄と言いつつ自ら手を挙げちゃったりしてね!

島民皆穴兄弟?なんちゃってね。って、妖しい儀式がどのような物かは島民と童子しか知らないが、知らぬが仏だよ、知ったら死亡?

あぁ〜止めた止めた! これ以上は書けない。


秘儀はあくまで秘技?

秘技は秘戯だよね。

美しい熟女が・・・

祭りの日は1日島民になりたいよ!

マンマン様ご開帳、2礼3拍手その後・・・!

写真は東スポより。
(1963年に撮影されたとされるアカマタ・クロマタの写真。なぜ撮影できたかは不明だ。>って、撮った人は・・・もう死んでるのかな
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html

不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!

その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい

アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。


麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・

メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、

男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを演じる、というのが慣わしです!


何でここまで秘密にするかというと

女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです
http://unkar.org/r/tropical/1163308866


728:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。

多分そんな神秘の祭りなんだろう。


737:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、処女が選ばれる。だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。


アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。 そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきでよそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。 驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。
その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。


65:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく
これ以上この島に関わるな
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


627:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな↓

海で監視をしている西泊さんと目が合う。そろそろ上がらないといけない時間だった。すると

「佐野さん?あなたのシンカはどこ?」

と尋ねられた。これは嬉しい島言葉だった。冒頭に書いた、この島で島民と旧島民だけで行われる秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

「シンカ」、そうかここではきっと家族っていう意味なんだろう。瞬時にそう判断して「あそこにいます。呼んできますね」と返事をしていた。 海から上がり、シャワーを浴びて着替えたあとは、約束どおり人魚神社(アーリィウガン)を案内してくれるという。その時には他のツアーのお客さんも加わり、我々はまだ見たこのない人魚神社だけ見て、そこで別れ船を待つことになった。

人魚とはザンと呼ばれたジュゴンのことである。ジュゴンの肉は不老不死の霊薬とされ、琉球王府の王様に献上されるのだが、パナリは毎年、そのことが義務付けられ、必死に捕獲していたらしい。そして捕獲したジュゴンの頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社にはジュゴンの頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。

鬱蒼とした緑の奥にたたずむ鳥居は神秘的で、とても勝手に入れるような雰囲気はなかったが、西泊さんが、我々も含めたツアー客に

「この神社は、昔、王様に献上したジュゴンを祭った場所です。ジュゴンの肉というのは美味しいものだったそうです」

と語ったとたん、2人の女子高生風の化粧バッチリの女の子2人が間髪いれず「入っていーの?」と質問した。西泊さんが

「ここはダメです。私たち島の人間も勝手に入れません」

というと「どーして?」。このやり取りが続いて噴出しそうだった。なんだか屈託がなくて微笑ましい。


鬱蒼とした緑に覆われた立入禁止のアーリィウガン

我々はそこで案内から外れ、珊瑚の塀で覆われた美しい村の集落を抜け、港で船を待つ。目の前には大きな西表島、遠くには高い山をいだいた石垣島、その中間になだらかな小山を持つ小浜島が見える。翡翠の海に幾重にも重なる島影。この美しさは八重山ならではだ。


パナリ集落

一週間前にはここでその豊年祭が行われていた。400人以上の人が訪れ、3日かけて儀式が執り行われるという。

一昨年、案内してもらったナハウガンと呼ばれる神社の奥にあった赤い太陽と月のマークを描かれた真っ白なアーチ上のワーと呼ばれる門から、稲を島にもたらした神であるアカマタとクロマタの2神が現れる。

アカマタは男の神で、旗には太陽が描かれその先に剣がついている。
クロマタは女の神で、旗には月が描かれ先には二股の槍。その体は野ぶどうの葉で覆われ手や足は見えず、それぞれ赤と黒に塗られた怪異な仮面をつけ、頭には大きな葉をいただき、大きさは2m半を超えるという。

目は夜光貝なので暗闇でも光り、その圧倒的な存在感はまさに神、村人は声を限りに神に出会えた喜びの唄を歌い、神は家を一軒一軒訪ね歩いて踊る。明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟

(シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)
へ帰っていくのだが、アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。

この祭りは、以前、村人の招待があれば見られた時期から、撮影、録音からメモを取ることまで禁止され、禁を破った者はシンカから何をされるか分からない厳しい掟がある。このパナリのアカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。

このアカマタ・クロマタはパナリだけでなく、最初に始まったという西表の古見、西表島の向かいにあるここパナリと小浜島、そして小浜島の住民が移り住んだ石垣島の宮良の4ヶ所の部落のみで行われているが、どこでもいつ行われるかも公表していない秘祭であることは変わりがない。勝手に見ようとするとシンカに阻止され排除される。

昔出版されたある雑誌に、西表島の豊年祭の写真が掲載されていたが、ここではアカマタ、クロマタ、シロマタの3体の神が現れるのだが、パナリのそれとはまったく違う姿をしていた。小浜と宮良は似た姿だそうだが、パナリのものはこれも違う姿かたちだという。

そしてパナリだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。

子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われているため、みな必死で逃げるのだそうだ。

このようにそれぞれの島で違う形で伝え続けられてきた。  私はこの祭りを見ることが、ギアナ高地に降り立つことと並ぶ一生の夢であり、見られないだけにここ何年、国会図書館まで行って僅かに記述された文献を調べている。知識はあっても一度も見ていないのだから、ただの頭でっかちである。いつかその「許し」は出るのだろうか...。
http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html

沖縄県の新城島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、セックス祭りである。

沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”新城島”。

ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。

運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。

一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。

毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。

首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。

ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


45:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:14:07 ID:/PcXl9tp0

平成17年:上地島5人 下地島2人
平成18年:上地島6人 下地島2人
平成19年:上地島9人 下地島2人
平成20年:上地島8人 下地島2人
平成21年:上地島10人 下地島3人

人口増加率すごいなw
5年で約2倍w


44:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:13:51 ID:tszwOt390

この人口で若い男女なんかありえない
完全に嘘だな


48:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:14:33 ID:VvjyifBx0

そんな人口、集まれる若い男女自体がいねーじゃんw


49:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:14:47 ID:hHsGAgkbP

人口13人じゃあ、ほとんど、近親相姦だよね。
きもちわりぃ。


51:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:15:29 ID:UED0Noxq0

人口13人の島に「若い男女」がいるはずがない


(中川註 :

新城はかつては上地島、下地島を合わせ700人以上の住民が住み、両島に小学校も有った。学校も一番生徒が多いときで、約30名もいたという。

戦前はカツオ漁での隆盛があり、戦後は農業を中心とした島だった新城は、サトウキビを作り製糖工場もあり、米は西表に田んぼがあって男たちが渡って稲作を行っていた。島では粟・麦・豆類などを作っていて、自給自足の生活をしていた。

しかし昭和16年に沖縄県の移住政策により、南風見(現在の大原)開墾のため上地島・下地島から半強制的に移住をさせられた。)

66:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:19:48 ID:FR1ryQpw0

WIKIみたら、島出身者が400人集まると書いてある。
そこから選ぶとしたら、あながちウソではないのかもしれん。
しかし、そんなキモイことを島を出た人間(自由を知った人間)が、できるのだろうか?


323:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:13:53 ID:L6kw8wra0

新城島(上地島)の豊年祭
参加できるのは島民・島出身者400名のみ
トリックの山田奈緒子のルーツとも言われる島


755:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 08:23:34 ID:oKQ3gfHg0

祭祀にあわせて島出身者が400名ほど集まってくる。
むしろ逆にいうと、普段はたった10数人しか島への入植を認めていない聖地ということ
彼らは島守なんだよ
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001

123 : 天之御名無主 : 05/01/18 16:20:48

石原慎太郎の「秘祭」は、アラグスクの豊年祭ですよね。
アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/

354:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないようにするのが主目的なんじゃないのか?
夜伽とかと同じで。


361:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う
祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為
多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない
天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい


40:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:13:20 ID:DiGDdkMF0

国内で人口の少ない島はそれこそ1世帯〜数世帯レベル
成り立つかどうかが疑問

それに凄まじい近親婚になるので、障害児出生リスクも高い
他の地域の人と縁を持ち、島を維持してきたと考えるのが妥当


753:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 08:12:56 ID:7YIgrshr0

地元にも無人島があるんだけど、
昔住人が50人ぐらいいたけど、みんな血が濃くなりすぎて、そのせいでほとんど女子しか生まれず、その女子が本土へ嫁ぐに行ってしまい無人島になった。

434:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:14:32 ID:HuT7wwke0

昔はどこも人の出入りが少なくて部落単位だから小さな集落はみんな親戚になってだんだん血が濃くなってくる

ときどき少し遠く血を入れないとまずいので暗黙の了解として祭りの時に利用したってよく言われている

おそらくこれも同じで 全くの部外者の血を入れるのはいやだけど今では遠くにいる同じ島の出身者くらいの血は入れたいってことだと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


136:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:58:13 ID:dwr85dTX0

子孫繁栄のためならば、血が濃くなって奇形児が生まれることを防ぐために
部外者の参加大歓迎になるはず。 モンゴルあたりの遊牧民は、お客を自分の奥さんとか娘でもてなすらしいぞ。


64:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。
秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。


107:名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。


111:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:43:31 ID:B57FBblw0
>>64
万葉集の時代から、祭りの夜はフリーセックスだったしな
人妻とやりあったというのが残ってるw

かつて柳田を師と仰いだ宮本常一氏もまた、村の古老たちの夜這い談義を忠実に
再現した名作「名倉談義」(『忘れられた日本人』の内)を遺しています。

いきなり「夜這い」を持ち出さずとも、日本の村祭は密接に「性」と結びついています。 古来、祭の夜はフリーセックスが公認されており、それが若き村の男女の秘めやかにして最大の娯しみでありました。

160:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。


191:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:27:38 ID:Kyus9N6V0

天皇家の跡継ぎ問題じゃないけど、
一夫一婦制の妊娠ってのは結構難しいんだよ。

昔は貞操うんぬんよりも子供を産まない事こそ絶対悪。
だから妊娠チャンスとしての夜這いや乱交が当然の事としてあったんだよ。

貞操を叫んで、少子化で滅ぶ方が馬鹿な社会だと俺は思うがね。

450:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:38:03 ID:WYcf1F3L0

乳幼児死亡率が今と違ってものすごく高かったんよ。
生まれた子供の半分以上は、5才の誕生日を迎えず死んでいくような状態。
その前に死産もあったから、受精卵から成人まで育つのは、3割程度かね。

だから、とにかく産むのよ。
成人まで成長するのが数少ないから、産んで産んで産みまくって…
とやっていかないと、途切れちゃう可能性があるんよ。

441:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:24:04 ID:tDXPC+zJ0

昔は過疎化という言葉は無かったかも知れないが、貧困と乳幼児の高死亡率で
どんどん子供を産まなきゃならんかった。ガンガン産まなきゃ貧困と過疎高齢化に
対応できない。

それは本土の農民も同じ。沖縄なんて国そのもののレベルが東北以下だったんだから
なりふり構わずやりまくって産まなきゃならない。昔、子供は地域の宝っていう概念があったけど、それは地域で育てて地域を守るって表の意味と、乱交状態で誰の子供か分からないって裏の事情もあったわけ。だから村の子供は村で育てるわけ。

貞操とか秩序とか道徳っていういわゆる日本人的な美徳があったのは貴族や武家だけ。

220:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:42:46 ID:XryklFOc0

夜這い・乱交は百姓の話。 百姓は多いほうが良いから黙認していた。
百姓には氏素性は不要だからな。

支配者階級では許されるはずも無く、養子縁組で家を保った。

663:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 00:28:03 ID:he1UONG30

祭りの日の夜、家柄のいい地主だか商人だかは、自分の娘を蔵に閉じ込めて鍵をかけた。 男衆が女を目を血走らせてあさりに来るからだ。

女は蔵の中でガクガクプルプル震えて祭りが終わるのを待つ。

女を閉じ込めた親父は、時には若い男衆にボコボコにされても娘を守らなければならない。

245:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:54:15 ID:ek3jx5xm0

ムラの盆踊りに一人で行かせてもらえなかったって80歳のうちのばっちゃがいってた。 みんなセックスしてるからと。昔はどこのムラ祭りでもそうだった。

結婚はとなりムラの農閑期の慰安会の手伝いにいかされて、婿候補のじっちゃにこっそり見せられて後に結婚。今の俺があります41歳独身。昔はいいですな


178:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:20:19 ID:yAysof1uP

岡本太郎が墓暴きをやったせいで久高島では風葬が廃止され
貴重な秘祭であるイザイホーの伝統も絶たれてしまった

>>1が事実であろうとなかろうと、その土地の人が大切に守ってきた文化を
よそ者が踏みにじる行為は絶対に許せないと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


77 : 天之御名無主 : 04/07/15 05:25

風葬は1970年代までは確認されている。

1979年の久高島でのイザイホーのとき、芸術が爆発するバカが風葬場所を撮影するという冒涜を行って大問題になった。

つまり、当時はまだそこに人骨がおかれていたのだそうだ。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/

194:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:28:05 ID:8JgCPlKC0

先島の方の神事って、本島の進行役のユタと少し違って「系譜」があるそうで
その人を検挙されると祭事ができないので秘密の神事にしたところもあるそうですね。

戦後に、男性・女性のシンボルを模った面や神事に用いたものを米軍が押収していった
そうです。 アンガマのウシュマイ・ウミーも現在のモノとは随分と違うって本土復帰前の琉大の調査に証言してた高齢者もいたそうです。

174:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:18:00 ID:hqxwwBTu0

沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭は島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。

ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。
まあ、都市伝説みたいなものなんでしょうけど、そこまで隠すからそういう噂が出るんでしょうね。

僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。

実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。


215:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。

293:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:38:04 ID:DYrKD13LP

新城島のアカマタクロマタは部外者に対して禁忌というより琉球の古代から続く秘祭は多くが文字通りの秘祭だった

だが、今でも部外者秘を守ってるのはこの新城島のアカマタクロマタ

宮古島のパーントゥプナハくらいのもんだろ。

ちゅらさんで有名になった小浜島でもアカマタクロマタは部外者秘というが、今でもそうなのかどうか


アカマタクロマタは八重山一帯で広く信仰されてる、王国の支配が及ぶ以前からの
土着の信仰だ。ただし琉球王国のニライカナイ信仰同様、異界から現世に来る来訪神だから、ニライカナイ信仰に含められてるけどな


724:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:08:19 ID:kAp5lM6HP

アカマタ・クロマタ(地域によってはシロマタというものもある)は八重山一帯に琉球王国の支配が及ぶ以前あるとされる古代祭祀、信仰なんだが、秘祭として執り行っている地域が現在もまだあるというところが重要

アカマタという神が性交に関わる神だというのは広く知られている上に特に新城島のものは島外人秘で極めて排他的で実態が全くわからない
定期船もろくに無い離れ小島で古代の性的儀式を行っている疑惑があるからここまで話題になる
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


154 : 天之御名無主 : 2007/03/22(木) 09:34:22

宮良出身です。

・アカマタクロマタは夫婦。
アカマタは農作業で日焼けして赤い。クロマタは炊事の時の煤で黒いらしい

・アカマタクロマタは、もともと宮良にあるものではなく、明和の大津波の後、新城(?)から強制移住させられた人達が持ち込んだ風習らしい。 その大元の発祥については詳しく知らないけど、海賊避けのハッタリって話しも聞いた事ある

・あのお面は、ある家系が代々保管してる。
体の部分は神聖な意味を持つ、特定の種類の蔦を編んで作成。


214 : 天之御名無主 : 2010/04/23(金) 00:07:10

17年前に2回ほど石垣島宮良に見に行ったことがありますが、規制などは思ったよりは、緩いのですが、アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます
私は知り合いの家が在り、見れたのですが、一般の人が見るのは難しと思います。

祭り自体は、怖くはないのですが、アカマタ、クロマタは、草か葉っぱで覆われていて、意味のわからない言葉でその家々に言葉を残していきます、

アカマタクロマタに入っているのは、地元の青年団で、意味のわからない言葉も古くから伝わる言葉らしく、絶対教える事はできないらしく、地元の人もこの事自体あまり話したがりません、特に地元青年団など、深く関わった人は一切話すことはタブーらしです、

祭りに対してのもともとの由来など、地元の人でもあまり解っていないと思いますが、厳しい掟などは守られているのは罰が当たったりとか、そうゆうことを恐れてではないかと思います。

県民性から言うと、お盆とか、しぃーみぃー(清明祭)などを大事にしているのと一緒だと思います。 私も6年石垣に居ましたが、沖縄の人から(個人的には)見ると、石垣の人は変わっています。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/

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                 ,ィ圭ア'/ィ圭ィ圭ア l l`くミ(三三三三三= ,' ,' i ,'  ,',' ,'   '//     , r ', ∨´, ','     '
                 Vミ'彳'ィ圭ィ圭/l  ヽ>`ヾミ(三三三三,' ,', ,'i ,'  ,'' ,'          _ -'_',´乂,' , '  ,' ,'
                 `くィ圭ィ圭ア/  \,イ   ,∠ヾミ(三三',' ,',i ,'i ,'  ,' ,'i           衍う,'/,', ','  , ' ,'
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            _ _      ヾミィ圭ア,イ` l , '       ヾミ>、i'三=,'  ,' iiヽ、',    ´     /´, -´ , ',イ,','
 _, .- ‐ ' ´  ̄  ̄     ̄ ` ‐,、-,-弋 _ ハ_ /,'          ヾミ>三'  ,'',i i三≡、- , - ― -, ' ´,' , ', r 7','=,'/、'
 `、 `,               ,'   , ' ,' , '`-,'            ヾミ', ', 'ヽ三', 三三三三,r'_,- ' ,', ' ,' , r'´,','='//,>、
   `、. ',             /   , ' ,' ,-`ー'             ', ,r' , ', 'く三`三三三三= , '´,' ,' ,'   ,',' ,'//,イVハ、
    l ∧            ,'ヽ, '´,'_i ,'´  ,' _             ,'、__二ヾミ>`三三三=, '=´','  , '   ,' ,' ,'//,イ三三ミ、
    l  l          ,'  i   ̄ i   ,〈、::ヽ         , '´ .,'´    ヾミ>三三=, ' -´ ,. ' ,'   ,' ,' ,','/,イ三三三三=,
    l  l         ,'   i、    i  _,r'='ー='、_ _ _ _ _, - ' ´  ,'       ヾミ>、三,'三'´ ,イ  , ',', ' /,イ三三三三三/
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B. 死と再生の儀式


1) ニライカナイは地底にある・・他界はどこにあるのだろうか?

琉球民俗の底流―古歌謡は何を語るか 吉成直樹 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%90%89%E7%90%83%E6%B0%91%E4%BF%97%E3%81%AE%E5%BA%95%E6%B5%81%E2%80%95%E5%8F%A4%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%8B-%E5%90%89%E6%88%90-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4772280367

という本を読んでみました。


(引用ここから)
琉球列島に暮らす人々には、美しい海のはるか彼方、あるいは海の深くに、豊穣も禍ももたらす聖なる国があると信じられてきた。 この国をニライ・カナイと呼ぶ。 このような、人間の暮らす世界とは別の世界を「他界」と呼ぶ。

それが海に想定されていれば海上他界、山であれば山上他界(山中他界)、天上であれば天上他界、そして地下であれば地下他界ということになる。

ニライカナイは、海のはるか彼方、あるいは海底深くにあると考えられていることから「海上他界」と言って差し支えない。 こうした他界観は互いに相いれないものではなく、並存している場合が多い。

この章では、ニライカナイが、本来あくまでも垂直的な地下を志向する地下他界であったこと、先島諸島(宮古・八重山諸島)では、現在でも地下他界を意味すると考えざるをえない儀礼が残されていることを明らかにしようと思う。
(引用ここまで)


著者は、ニライカナイは「海の水平のかなた」にあるのか、それとも「海底深く」にあるのか、ということを考えているわけです。 一読しただけでは、なにが書いてあるのか読み取りにくいのですが、著者は琉球世界の中心と周辺、琉球世界の新旧の層を見極めようとしているのだということが少しずつ明かされていきます。

また、太陽信仰と地下信仰の相克についても考えられています。 以下、本文から少し引用します。


(引用ここから)
琉球列島の南部に位置する八重山諸島には、男性たちの年齢階梯的な結社によって行われる来訪神儀礼がある。 これは折口信夫の用語「まれびと」と表現される人神の訪れる儀礼である。

八重山諸島では、アカマタ、クロマタ、マユンガナシと呼ばれる。
男性が全身につる草を身にまとったり、クバの葉、蓑笠(みのかさ)などを身につけて、人神になり、村を訪れ、祝福し、村を去っていくのである。
これらの儀礼では、来訪神は地下あるいは土中から出現すると考えられている。

八重山のアカマタ、クロマタは、大地の底を意味する“ニーレスク”、手の届かぬ土の底を意味する“二―レースク”、地の底の知れざる穴を意味する“二ーロー”、から出現するとされる。

そして儀礼的には、ナビンドゥ(鏡のような凹状の洞穴の意味)から出現する、という形式を取っている。

アカマタ、クロマタの発祥の地とされる西表島・古見では、二―ラから豊作をもたらしに来る神とされているが、実際には森の中から出現し、そこにまた帰ってゆく。

山から出現しつつも「洞穴」が重要な意味を持つ事例は、他にもいくつかある。

たとえば沖縄島・安田のシヌグでは、草などを身にまとって仮装した男性たちが山から出現するが、その際、頂上にある「洞」を巡りつつ、「エーへ―ホーイ」と唱え、三回ここをつつくという。

宮古島のパーントゥと呼ばれる来訪神儀礼も、旧歴6月ごろ、産水、死水に用いる井戸、若い女性たちが若水を浴びる井戸から現れる。

ここで疑問に思うのは、神女たちが中心になるニライカナイ系祭祀はあくまでも水平的な海上他界に結びついているのに対し、男子結社が行う来訪神儀礼では、同じニライカナイ系の名称を持つ他界でも、なぜ地下を志向するのか、ということである。

端的に言えば、男子結社が行うニライカナイ系の他界と結びつく来訪神儀礼と、神女たちの儀礼では、文化史的な時期が異なるのではないかということである。
(引用ここまで)

「アカマタ」、「クロマタ」という来訪神は、ウィキペディアには次のような説明がされています。


Wikipediaより
アカマタ・クロマタとは、沖縄県八重山列島の豊年祭に登場する来訪神である。
西表島古見を発祥とし、小浜島、石垣島宮良、上地島に伝わっている。
西表島古見ではアカマタ・クロマタ・シロマタの3柱、他の地区ではアカマタとクロマタの2柱が現れる。

来訪行事を実施するのは地区住民のなかで資格を持つ者に限られており、その他の者にはその一部しか公開されず秘祭とされている。 かつては、既に廃村になった西表島北部の他の地区や下地島でもみられた。


石垣島宮良のアカマタ・クロマタ

アカマタとクロマタの2柱の神は全体が草に覆われ、ずんぐりとしていて、だるまやフクロウのようにも見える。

背丈は180センチメートルほど、アカマタ(赤面)とクロマタ(黒面)は縦長の鼻に丸い目と細かいギザギザの歯で構成され目と歯の両端に細長いヒゲもある。
目と歯に光が当たると反射して神秘的に輝くのが印象的である。


祭りの内容

夕方に何処からか現れ、村の一軒一軒を一夜かけて回り、朝方にどこかへ消えてしまう。

まず、数十人の太鼓隊が家々の門を潜ると、縁側から向かって左右に分かれて庭の周辺に登場し、太鼓を叩きながら歌いアカマタとクロマタを呼ぶ。

その後、アカマタとクロマタは門を潜り左右に分れ庭の中央に登場する。
アカマタとクロマタは棒を両手に持ち、威勢のいい太鼓隊の歌にあわせ、棒を叩いてユーモラスに踊る。

アカマタとクロマタは「なみだ」と呼ばれる殺気(精霊が宿っている)だった者達に厳重に警護されながら移動する。


祭りの背景

この祭は7月頃に行なわれるが、通常は島民にも知らされず非公開となっており、謎と緊張感に満ちている。 写真撮影、スケッチ、模造などは禁止されている。 もしもそのような行為を村人に見つかった場合、生命の保障はされないとも云われている。 20年程前には隠れて撮影を試みた記者が村人に見つかり、撲殺されたとの噂もあるほど。
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/1a3ed4df8d3c19236c438f3d3a20a2b1


“はだか世”から訪れる“人類の祖”・・ニライカナイは地底にある

吉成直樹著「琉球民俗の底流」の紹介を続けます。
実に興味深い考察が述べられています。

八重山の来訪神アカマタ、クロマタは、明け寅の刻に生まれるが、この生まれ方には「すでる」という言葉が用いられる。 ここで言う「すでる」とは、ヘビが皮を、蟹がからを脱ぐような生まれ方をさしている。

来訪神が“すでる”には、“すでる”ための水、“すで水”が用いられる。 具体的には、仮面に“すで水”がかけられたり、担い手たちが“すで水”を浴びたりする。

アカマタの仮面に水が注がれる時の神歌には、以下のようなものがある。

「ブンドゥレン井戸の水は
 セーロン井戸の水は
 大世持ち神をあびせて生まらせよう」


「すで水」は、人間が浴びると、一年の大きな折り目に、ヘビが脱皮する様に、人間をも若返らせるという力をもつ水である。 洞穴で、「すで水」によって再生する来訪神とは、地下のはるか彼方でよみがえることを儀礼的に表現しているとみなしてよい。 男子結社などの担い手は、仮面に「すで水」を注ぐことによって、また「すで水」を浴びることによって、秘儀的に来訪神を再生させる。

つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられていると言える。

来訪神アカマタ、クロマタが新生あるいは再生する存在だとしたら、従来考えられてきたような「祖先」「祖霊」という概念ではとても理解できない。
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/a3932d27cf0ad07b070f05ec8b1f3533


_____________

2) 神の島の豊年祭

豊年祭(上地島):旧6月。アカタマ神事・獅子舞。
秘祭として有名であるが、現在では島の出身者およびその関係者400人以上が参加見学する祭りとなっている。

豊年祭が開催される時期(前後の準備期間を含む)は、祭関係者以外の上地島への入島・桟橋への接近接岸・海岸への接近・接岸は、住民に拒否されている。 従って石垣島・黒島等から開催されているツアーでも上地島への上陸はできない。 また、島唯一の宿泊施設である新城島民宿も観光客に対しては休業する
(2009年7月実績および当時の上地島公民館長の話による)。

結願(上地島):旧8月。ミルク練行列、舞踊。

節(上地島) :旧7月〜8月。巻踊り。


上地島港には「祭事における注意事項 カメラ等の撮影禁止
祭詞・歌の録音禁止 スケッチ等の禁止夜間部落外への行動及び単独行動禁止
以上4項目を固く禁ずる」と書かれた看板が掲げられている(2004年7月)。


アカマタ クロマタ
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%BF+%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%BF&hl=ja&sa=X&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=mQxxUOOtEKjSmAWFtoCwBg&ved=0CCAQsAQ&biw=1047&bih=859
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%BF&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=PxtwUIfvJKiLmwWD24GQBw&ved=0CCAQsAQ&biw=1047&bih=892
http://max.masafumiendo.com/?eid=680714
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/note004.htm


新城島 豊年祭
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E5%9F%8E%E5%B3%B6+%E8%B1%8A%E5%B9%B4%E7%A5%AD&hl=ja&lr=lang_ja&tbs=lr:lang_1ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=0VpxUMv2IM-gmQXwj4CQAQ&ved=0CDcQsAQ&biw=1047&bih=892


(喜舎場永均『八重山民俗誌』沖縄タイムス社、一九七七)
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E9%87%8D%E5%B1%B1%E6%B0%91%E4%BF%97%E8%AA%8C-1977%E5%B9%B4-%E5%96%9C%E8%88%8E%E5%A0%B4-%E6%B0%B8%E3%80%93-59C3/dp/B000J8XC7G
 
沖縄八重山の小浜島・新城島などに伝わる、同じく仮面擬装のアカマタ・クロマタ神事では、その神々 (あるいはその仮面)が、「南の島」や 「南蛮」 「安南」「唐」から渡って来たという意味の神うたが歌われている。

このうちの 「唐」 とは、中国一般を指している。おそらくは、アカマタ・クロマタ神事もアンガマ行事もいつの時代にか中国大陸か東南アジアのどこかから伝来したものであろう。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage%2023.htm

石垣島宮良(みやら)の豊年祭には同類の精霊

「アカマタ・クロマタ(撮影・報道一切禁止。かつては上陸も禁止だった。だから画像を探しても無駄である。)」

が出現する祭りがある。

こちらはもっとものものしくススキをおったてた仮面をかぶる。そして体には重さ80キロ以上もある蔓草で編んだ着物を身に着ける。

男役が赤、女役が黒の仮面をかぶり、赤い棒を両手に持って100余戸ある家々を二手に分かれて巡る。

ちょうど東北のナマハゲや鹿児島のトシドンの「年神」に似ている。これは「厄落とし」の意味があるようである。一年の穢れをはらい、次の年の来訪をことほぐのである。この祭りも大晦日に行われる年越し行事である。つまり日本で言う「大歳の神祭り(『備後国風土記』逸文)の蘇民将来伝説」「来訪神」「大晦日おおつごもり」に相当する。仮面をつけて、体中を草木で覆う神という形態は、中国融水県のミャオ族に伝わる「マンガオ」にきわめて類似している。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50647516.html

アカマタクロマタ@沖縄石垣島 2012-08-01 20:03:46

オレは世界中の秘祭に参加してきた。

アメリカインディアンのサンダンス、
タイのベジタリアンフェスティバル、
インドのクンパメーラ、
マレーシアの苦行祭り、
トリニダッドトバコのカルナバル、
ブラジルのリオのカーニバル、
アマゾンのサントダイミー教会のミレニアム、
ペルー・チチカカ湖の大地への返礼祭り、
沖縄やんばるの山人祭り、
波照間島のムシャーマ、
宮古島のパーントゥ、
石垣島のアンガマー

など、数えればきりがない。秘祭のなかで、もっとも神秘のベールに包まれている祭りが石垣島にある。「アカマタ クロマタ」だ。

石垣島のある地域に受け継がれる祭りで、地元の人々によってかたくなに秘密が守られている。この祭りを撮影したものはカメラを地面にたたきつけられ、シャメを撮ったものは携帯をふたつに折られ、少しでも祭りを乱すと鞭で打たれるという。町内の道角には「ビデオ、写真、携帯電話、撮影録音禁止」の看板が立っている。

不気味な夕闇が迫る中、町の広場へたくさんの人々が集まっている。人々は白い浴衣に鉢巻を巻き、重要人物は紺の浴衣を着ている。

その中央にいるのは2柱の来訪神、アカマタとクロマタである。全身草に覆われ、50センチほどの面をつけている。

数十人の男たちが太鼓をたたき、古謡を振り絞るように合唱する。

アカマタとクロマタが道へとでてゆく。ふたりの神は「なみだ」と呼ばれる若者たちに護衛されながら、路地を進んでいく。「なみだ」たちは人々を道から払い、ライトをつけている車を取り囲み、叱りつけ、明かりを消させる。

来訪神アカマタとクロマタは重要な家を訪問していく。家は開け放たれ、泡盛やご馳走が用意されている。家のものは白い浴衣に赤い鉢巻きをしめ、主人らしきものは白い鉢巻をしている。先に到着した太鼓隊が演奏し、アカマタとクロマタは棒で大地を突きながら踊る。

アカマタは漁で赤く日焼けした男性神、クロマタはかまどで炭をつかう女性神の象徴といわれる。家内安全、一族の繁栄、祝福してくれるのだ。このあと明け方まで来訪神アカマタとクロマタは家々をまわる。

観光客や部外者が見られるのは早い時間帯のみだ。遅い時間までうろうろしていると、ようしゃなく追い払われる。石垣島は沖縄の離島の中でもっとも観光化された島といわれている。しかし観光エリアはほんの限られたエリアで、そこをはなれると伝統がきちんと残っているのだ。
http://ameblo.jp/akiramania/entry-11317545959.html

広場には赤と白の鉢巻をした着物姿のシンカと呼ばれるアカマタクロマタのお供の若い男性が放送設備のセッティング中、何も聞かずにええいと広場を横切って端っこのパイプイスにどっかりと座る。

会場の向こうの森からはドンドンドンという3連の太鼓の音がずっと聞こえている。あの森が、アカマタクロマタが生まれるというナビンドゥなのだろうか。

夜の帳がおりてくると会場はいつしか500人くらいの人で埋まっていた。太鼓の音が聞こえる森からは女性や年配の男性達が列を作って会場へ集まり始め、赤い鉢巻、白い鉢巻の集団がそれぞれ100人くらいずつ、広場に分かれて座った。夜の7時からは来賓の挨拶が続き、7時半に宮良公民館長から

「聖地ナビンドゥより我々のニイル(ニイルピィトゥ=来訪神か?)の神様がやってこられます。その時は皆様、ご起立願います」

とのアナウンスが入る。すると森の方からのぼりが2本現れ、その後ろのシンカの隊列の向こうに巨大な影が2つ見えてきた。

アカマタクロマタに違いない!

この日は部落中の照明を落としているので、見えるのはほとんどシルエットだけ。これだけで凄い迫力だ。

すると太鼓の音が突然ドドドドドドドンと連打に変わった瞬間、アカマタクロマタが広場に飛び込んできた。

でかい!高さは2.5m、横は2mはあるだろう。体中が草で覆われ、それぞれ赤と黒の巨大な面をつけているが夜光貝の目だけが夜の帳の中でキラキラ光り、その迫力はとても言葉では表現できない。子供が一斉に泣き出したという事実だけでもその衝撃が伝わるだろう。

すると鉢巻姿の村民が一斉に歌い始めた。歌は掛け合いで歌われ、みな声を限りに大声で歌っている。歌詞は一切分からないが明らかな沖縄の音階で、そのキーは高く、全身全霊をかけて歌う。歌に合わせてアカマタクロマタは上下に体を揺すり、2本の幟を持つ旗手は旗を互いクロスさせながら飛び上がるように踊る。そして後半、歌い手は一斉にアカマタクロマタを取り囲み、手を叩き、踊りながら、出会えた喜びを爆発させた。歌はユニゾンになり、宮良の夜を歌で覆い尽くした。

演出の見事さ、歌の素晴らしさに私は感動して涙ぐんでしまった。祭りには出店のひとつもないが、この豊年祭をみな心から待っていたことが伝わってくる。畏敬の念にあふれ、これこそが祭りの本来の姿なのではないか。

ここでいったん、広場での儀式は終わる。この後、2つの神は、シンカと歌い手と共に部落を一晩中、朝までかけて一軒一軒めぐり、祝福を与えていくのだ。

国道に面した神社にアカマタクロマタが入ろうとしていた。迎える家は全ての戸を全開にしてお迎えしている。家の中には20人以上いただろうか、アカマタクロマタが敷地に入ってくると全員が満面の笑顔になり、いかに待ちわびたか伝わってきた。
http://www.webvanda.com/2011/09/post_18200314.html

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
//   {l { い、、\V,ィf赤       //  ,ィ|l |  ト、 \
{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ
   ヽヽヽ .、 i   : : : : : : : : : : : : u: :/   、: 。: : . . .  . : : : : : ': : : :|
    ヽヽヽヽ、ヽυ : : : : : : : : : : :, :'´: : : : : :ヽ : : : : : j : : : : : : : : : : :,'
     \\ヽ ヽ、: : : :υ: : , : : : : : : : : : : : : : : : : : ι: : : : : : : : ιl
      | l! ヽ、ヽ、--‐ '´: : :     : : : : : : : : :`: ヽ、、_:_:_:_:.: :j'´}
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  `ヽ 、   丿 ヽゝ,, ::' "´        . . . . . . . . . .: : : : : : : : : :/ ,'
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C. ナビン洞の中で行われている儀式を調べようとした人はみんな…


1) 古からの秘祭・土着信仰が残る島


1 :本当にあった怖い名無し:2008/04/08(火) 04:24:03 ID:keQmaNWf0

沖縄の八重山諸島の1つに新城島と言う島があります。その島には古くから人魚伝説があり、人魚神社や御獄(ウタキ)大御獄(オオウタキ)と言う場所には

「この道は『神の道』につき一般の人の通行を禁止する。」

と書かれた看板が数多くあります。

そして、謎の秘祭(豊年祭)には『アカマタ・クロマタ』と呼ばれる二体の奇妙な神が豊年を祈り踊ります。しかしこの祭りは撮影禁止で、以前、隠し撮りした人への暴行事件も起きました。

他にも、鹿児島の甑島には『クロ』と呼ばれる土俗信仰集団があり、人喰いや強力な呪術を使うなどの噂があります。


御獄
http://www.youtube.com/watch?v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zkS_jmB0-NY
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/chinen/kanko/sefautaki/sefautaki.html
http://gurukun.jugem.jp/?eid=1339

10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO

ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが、いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。

儀式には幻覚作用のある薬物を(ガンジャやある植物の根を絞り発酵させた酒など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが、それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く、最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。


後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の〜」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、他にも・・・血が濃すぎるためのタブー

タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。


興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。そうすれば島の住民は友達で居てくれます。純朴で優しい人達ですよ。


12 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 22:36:33 ID:dghEXJ+6O
>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね

13 :10:2008/04/10(木) 01:50:14 ID:R9PnKYsJ0
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。

インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。今、改めて当時のレポートを読み返していますが、以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。

>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・

確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが、近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。

アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。実際は荘厳で美しい祭りでした。島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。


41 :本当にあった怖い名無し:2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO

昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。

島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://unkar.org/r/occult/1207596243


______________

2) パナリ島(新城島)ってどうYO


12 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/13(月) 19:49:46 ID:J/odx5Mt

豊年祭以外だと、節祭・ハーリー等ある。あと、豊年祭も2回あって、小さい豊年最と呼ばれていてアカマタ・クロマタの子供が現れます。

むろん全て島の人の招待や知り合い等が居ないと見れません。


20 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/18(土) 01:08:44 ID:l4K4Wqs7

行かれた詳しいかたがいるみたいなので質問です。
なんで島民以外はだめなんですか?

昔撮影しようとした人が見つかりボコボコにされたらしいが本当か?

石原慎太郎がモデルにして本かいたらしいが、そんな島のことを石原はどうやって
調べたのですか?タイトルも分かれば教えてください。


21 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/18(土) 16:24:43 ID:KQVCdBlJ>>20
それは伝統文化を大事にしているから。
観光客に見せるために祭りをしているわけじゃない・
しかし、島民のゲストとして招かれれば、見る事は出来ます。
ただし、祭りの間島の中では島のルールを守るのが大原則。


石原のシンちゃんも多分島民のゲストとして招かれたのだと思う。

小説のタイトルは「秘祭」だったと思う。


43 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/23(木) 12:08:25 ID:Mtq5BB6G

私の親友は五年前の祭の際、興味本位で島に向かい島民に拉致され翌日の朝まで監禁されました。その時、誓約書へのサインまで強要されました。
以上、紛れも無い事実です。
島の実行者は拉致、監禁、強要、脅迫の罪に問われると思います。一発懲役確定ですな。


70 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/02(土) 05:56:18 ID:undefined???

さすがにブログや個人のHPに記載したらえらいことになるからおまえら気をつけろ


94 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/14(木) 22:16:56 ID:5sbNWn9f

神聖、ルール、迷惑ってオマエが言うか。
馬鹿ナイチャー、破れナイチャーに執着されるのも大変よ。
ほっといて欲しいんだが。


97 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/16(土) 09:26:03 ID:6MQtMZoI
>>94
だからといって人をあやめるのはどうかと… お金で解決すればいーのに。


103 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/20(水) 12:13:02 ID:undefined???
>>97
人をあやめるって・・・殺人??
金で解決すればいい問題って??
何があったの?
kwsk!


105 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/20(水) 16:09:00 ID:/Bs4+Hyf

島の秘密は語れませんよ


108 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/20(水) 21:36:12 ID:2SeDmlDL

深追いすると大変な事になりますので要注意!


109 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/20(水) 22:13:06 ID:BrY96PPK
>>108
大変なことって何?


111 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/22(金) 12:39:26 ID:D7f9p9AJ

これ以上はマズイよ


112 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/22(金) 13:07:38 ID:0seG912D


なにが?


114 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/23(土) 01:52:16 ID:K4JZtjlL

島民の許可無く島内で行動してはいけません 神聖な場所には決して入ってはいけません


115 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/26(火) 22:54:08 ID:5fcHnO30
114>
その通りですし、
もう我々島の神様の事には触れてくれるな!
興味があるなら、実際見に来い!
そして心の中にしまっておけ!!

〜島人より


124 :名無しさん@天国に一番近い島:2006/12/29(金) 10:58:40 ID:s2CqOKDB

末代先まで祟られますよ


130 :俺も離島:2007/01/12(金) 18:21:12 ID:fbF2RsN4

観光客は人の聖域に土足で入ってくんなよ

お前らの生活はそこにないわけなんだし

いちいち興味もたなくていいよ、くるな


135 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/01/27(土) 00:46:58 ID:undefined???

この平成の日本で祭の事を口外したら命の保証は無いとか…
気になって気になって仕方無い


136 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/01/27(土) 10:34:02 ID:Jpb0/lfx

小浜島のアカマタクロマタは簡単に見れますか?


138 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/01/27(土) 18:05:29 ID:1bvOYNZZ>>136
出来る。
お前が祭りの日に行く事が出来るならな。


139 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/01/29(月) 06:49:21 ID:undefined???

命の保証はないとはいわないが…。

沖縄には神の島と言われる場所がいくつかある。久高島、古宇利島、伊是名・伊平屋などだが、ほとんどの島では古くからの宗教儀式が形骸化しつつある。

だが、八重山の新城島だけは、未だ部外者禁制を守り、神人が儀式を行っている貴重な場所であり、重要な文化財だということをわきまえない部外者は、安易に近寄るべきでない。祟りがあるというのは実話らしいしな。


146 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/02/06(火) 00:48:22 ID:0pxb4t4u

とりあえず大原に行って、
住民に見たいと言えば誰かが連れてってくれる。


149 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/02/22(木) 17:50:37 ID:ESZccdzc

パナリ島よりも閉鎖的な島ってあります?

152 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/02/26(月) 02:54:46 ID:U0+gzaBF

ない。たぶん。あれ以上なら、恐らく外部に漏れない。
ある意味で久高島だが、今は観光化への道を歩んでいる。


161 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/03/05(月) 13:18:35 ID:PHi78gF5

やっぱり女性の神様はアカマタになるんですか?


165 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/03/10(土) 18:47:08 ID:obrgSm2W>>161
一応、そう言われています。


168 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/03/21(水) 18:52:45 ID:qEf0Kzhv

先日、神聖な場所に無断で侵入した者がいますね わかってますよ


185 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/25(水) 20:14:52 ID:2Ymgv05Y

不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!

その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい


186 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/25(水) 21:00:42 ID:PiJa6c9t
>>185
あの雑誌に真に受けてるどうすんの??

自分で調べたり、行って見たら・・・あの話は都市伝説。祭りはあるけどね!

187 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/25(水) 22:02:58 ID:2Ymgv05Y

でも調べていた学者は島の人に目を潰されて、行った人は殺されて帰ってこれないみたいだよ。
怖くて行けないよ


190 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/26(木) 19:07:55 ID:mYqg/PSD

観光客はどっかに閉じ込められてアカマタが出てきてから踊るだけ見れるんでしょ?

行っても洞窟で何が行われてるか調べたり見たり出来ないじゃん。
で、調べると目を潰す・・・。これじゃ調べられないよ。

もし犯罪的な事をやってないなら、全部見せて、ナックルズは間違いですってやればいいんだよ。それが出来ないなら、やっぱり・・・って思われても仕方ないよ


199 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/29(日) 01:09:16 ID:3dQwoYLs

190の言う通りだな 大小合わせてかなりの事件も起きてますよね
警察は何してるんですかね? せめて祭位立ち会えばいーのに


194 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/27(金) 03:05:55 ID:8X3eQYVy

アカマタとクロマタの子供たちはいつ見れるんですか?


197 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/27(金) 19:50:43 ID:kcc0pSMb
>194
大人のアカマタ・クロマタが出てくる前。


195 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/27(金) 04:32:05 ID:7bWNacmX

御宮の太陽と月の紋章の所でかけ合いみたいに双方で合唱?
してアカマタ、クロマタを迎える歌で招くとアカマタ、クロマタが出てくるんでしょ?
観光客はそこまでは見れるけどその誕生の所は見れないでしょ?


196 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/27(金) 13:11:30 ID:DaI1srFE

それは観光客じゃなくても見れないよ。
島の人でも男性で、しかも御宮の関係者のみですよ。


211 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/04/30(月) 21:52:45 ID:9sFL2N6i

要するに犯罪行為をしてるから開放できないんだろ
隠す事が伝統とかいって痛い言い訳だなW


214 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/01(火) 02:25:07 ID:+CDA/Rv5

学者や警察にすら見せられないって何をやってるんだよ?


216 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/01(火) 12:08:07 ID:tIfkfoog


筋の通った説明をしてください!
二年前と五年前にも島外者に対する事件を起こしてますよね?


225 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/04(金) 04:52:13 ID:qIXsgMfu

皇族の神事祭事は何やってるか公開してる。
新城島の豊年祭も何をやってるか公開せよ


226 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/04(金) 08:58:26 ID:lAGVWm/9

700年以上続けてきた伝統がパーになる。


227 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/04(金) 09:30:05 ID:c7siwgxc

何が伝統だよ! 犯罪を隠す行為のどこが伝統だよ!


228 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/04(金) 17:22:06 ID:Qc5JsOYo

犯罪っていってるけど警察が動いて無いじゃん。
お前が行って暴いてこいよ。


241 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/06(日) 19:04:09 ID:NL6yu7+X

危険ですよ


242 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/06(日) 23:53:12 ID:jyZzKgUi

はやく載せろよ。
間違っても古見や宮良はやめてくれよ。
最低でも小浜のだったら許す。


243 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/07(月) 02:05:12 ID:lbgEPUXa

新城>小浜>宮良=古見ってところですか?
新城のアカマタクロマタとその他の場所のアカマタクロマタの見分けはつくのですか?


244 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/07(月) 16:46:21 ID:XqLPPEWr

見た目は、新城≠小浜=宮良≠古見って感じだな。


245 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/07(月) 22:08:42 ID:MktU+gK0

下地のアカマタ・クロマタの写真だったらネ申だね。


246 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/07(月) 22:17:52 ID:lbgEPUXa

下地島もアカマタクロマタの祭をやってるんですか 因みに小浜と新城が同じとは… 勉強になりましたm(._.)m


248 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/07(月) 23:32:39 ID:U6cLhv6u

下地は廃村になる前はやっていた。

小浜=新城ではなく、小浜=宮良


260 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/11(金) 01:00:51 ID:uvp3MNRe

新城島のアカマタクロマタの写真あるよ。秘密とされているのであまりアップは気が乗らない。ただ、男だけで集まる所のことは知らないので知りたいので、そのあたりとか教えてくれたら見せてもいいけど。

嘘と言われるのもあれなので一応要旨を容姿を書いておくと、草ボーボーでミクロネシア系?

今年もパナリ行く。


270 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/12(土) 11:55:49 ID:6hALnKME

幽閉されてる女の写真は?


271 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/12(土) 12:40:38 ID:undefined???

女が幽閉なんて明らかな嘘。
そんなことしたら、祭りの後に警察駆け込まれてタイーホだろ。


272 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/12(土) 13:32:20 ID:undefined???

人口が数千人以下の離島の島民同士のトラブル解決に警察を頼ることはまずない。

もし幽閉とか性行為が儀式にあるならそれを嫌がって、人口、特に若い女性はどんどん島を出て行くでしょう。そうすると祭りそのものが存続できないのでは?


273 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/12(土) 16:53:34 ID:TKgeiNw0

アラグスクの人口は7人くらいだろ?!


274 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/13(日) 11:43:05 ID:79sjiTWh


5人です (島守り4人、幽閉女1人)


275 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/13(日) 12:49:38 ID:JM2r381N
〉274
幽閉されてる人がいるというのは、一体どこからの情報なんだ?


297 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/27(日) 16:46:18 ID:X3tbQazr

最近発行された文庫本に日本全国の島のあんなことこんなことが
いろいろ書いてある。もちろん新城島のあのことも・・・。


298 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/27(日) 18:16:31 ID:sab88blb

幽閉の事ですか?


301 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/27(日) 22:10:34 ID:X3tbQazr
>>297
宝島社文庫 潜入!ニッポン不思議島

303 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/28(月) 00:51:28 ID:RHohNU+r

お前がいってレポしろ!


304 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/28(月) 02:32:43 ID:A7pK9WwU

石で眼球潰されちゃうよ 過去に実際にあった事件だよね 残忍な島ですね


305 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/28(月) 20:55:01 ID:oDtWyKEU

だんじりの方がもっと死人出てるのになぁ


306 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/29(火) 19:23:42 ID:p/9zoNGc

だんじり=事故死

豊年祭=殺人


大きな違いです


320 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/08(金) 11:53:16 ID:33Cx0iEm

幽閉女の存在も非合法ですよね

324 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/08(金) 21:43:56 ID:33Cx0iEm

人を殺したり目を潰したりした行為は許されるのでしょうか?


325 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/08(金) 22:17:59 ID:tP3d5jmI
>324
事実ならなんで警察が動かない?


326 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/09(土) 10:26:09 ID:8fj6vyXR

新聞にも載りましたよ

327 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/09(土) 15:01:06 ID:Py2vxumQ

幽閉の事がか?


331 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/10(日) 03:45:16 ID:HeWIpB0A

なぜ石で眼球を潰したり人を殺したりするのですか?


332 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/10(日) 22:19:47 ID:CFrzGj3B

そこに眼と石があったから。
そこに人が存在したから。


333 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/10(日) 23:57:45 ID:undefined???

なぁもういい加減にその話は止めないか?
ここでいくら聞いたって答えが出なの分かってるんでしょ?

そんなに気になるなら所轄の警察に電話して聞きなよ
・こういう記事を読んだが事実か?
・もし事実なら犯人は捕まってるのか?
・その後同じ様な犯罪は起きてないか?
今度遊びに行きたいけど心配なんで教えて欲しいって言えばそんなに冷たい対応はされないと思うぞ

こんだけしつこく書き続けてるんだからこれくらいは出来るよな?
早く真実が分かるといいね


335 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/11(月) 00:10:32 ID:o5nSVEYG

sageで書いてる奴、一人で必死だなw
そんなに秘密の儀式してるのばれると困る?


337 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/11(月) 10:21:28 ID:ko7FbH0a

さっき石垣の所轄に問い合わせたよ かなり冷たい態度だったけど、過去の事件については全て事実だと言いにくそうに答えてくれました
またあまり深入りしないようにと意味深な注意も受けました


339 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/11(月) 20:00:18 ID:o5nSVEYG

なんで終わりなの?
監禁もリンチも事実だった事がはっきりしたのでなんでそこまでして隠す事があるのか?
何をやってるのか?を話し合おうよ


391 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/17(日) 19:47:15 ID:OLvEPzMZ

─────────────────────
 島民さん、いい加減全部吐いて楽になれ
__  __ ┌───────────────
    ∨     │は、はい・・・・・
         ‖|__  __.┌──────────
         ‖   ∨   │監禁女は事実なんだな?
     / ̄\        |
      ̄ ̄ ̄        └────v──────
  ___              ___
  ヽ =@=ノ        ∧ ∧    ヽ=@= ノ
  ( ´∀`)      (゚Д゚ )    (・∀・ )
  (  ∨ つ   宙 ⊂ ⊂    ⊂    )
  | | ┿┳━┳━丿 丿     | | |
  (__)_)┃  ┃ ∪∪Π    (_(_)


345 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/12(火) 10:04:18 ID:wTevcp7m

幽閉されてる女性を直ちに解放せよ!


347 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/12(火) 12:36:31 ID:fWzvljow

今年から、観光客には豊年祭は見せません!禁止です!
部外者には関係ありません。もう一度言います。
今年から観光客には豊年祭は見せません!!!


348 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/12(火) 12:51:30 ID:FvIqt2OU

お前は公民館長か?


354 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/13(水) 07:20:29 ID:qWPRHu3R


都合のいい所だけ見てください。
都合の悪い所は見るな、聞くなって都合良過ぎる


355 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/13(水) 08:40:38 ID:olwCqOee

見てください?なんてだれも言っていません。


357 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/13(水) 10:30:53 ID:RA9ZzPdI

とにかく殺人や目潰しやリンチはすぐに辞めなさい! 
最悪にタチの悪い犯罪集団だな!


358 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/13(水) 13:08:44 ID:olwCqOee


殺人?目潰し?リンチ?
人の島の神聖なる祭りを侮辱するのはやめなさい!!
そんな事するわけねーだろ!!頭大丈夫ですか????


360 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/13(水) 14:26:58 ID:zgKksERj

358、ではそれらの事件の新聞記事に対しては、どう反論するのですか?


364 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/14(木) 08:39:22 ID:vnV1+QaN

かつての岸和田だんじりなんか、家を破壊し怪我人続出だったし、
諏訪の御柱祭りも、切り出した木に乗ってひっくり返り、死者まで出たとかもあったけどな。

そういった行為が良いとは言わないが、祭りや宗教的行事って危険覚悟でやるとの側面があるから、それをいちいち「犯罪だ」だの「安全最優先」だのと、部外者が騒ぐ行為はおかしいと思う。


366 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/14(木) 10:10:26 ID:NnEuuNDT

事故と殺人は全然違いますよ


423 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/01(日) 04:50:00 ID:oFxR3LKi


殺人事件が新聞に載ったのは事実ですよ 過去の事件ではありますが…

424 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/01(日) 14:10:38 ID:D5JfXejp

障害致死だってばよ。


425 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/01(日) 20:56:01 ID:NnVDdpzE

まあでも死んでるんだね。

426 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/01(日) 21:47:06 ID:kLEwNfmE


祭の秘密を知って撲殺かぁ 怖いなぁ 

427 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/02(月) 19:48:45 ID:ctXQ+fht

秘密の記録をとってはいけない。と注意されてるのに何故やぶる?
島民だって、昔からルールに従ってたわけだろ?

部外者なら、尚更守るべきだろ。

死亡者を出すのは行き過ぎだと思うが、ルールを守っていれば問題ないはす。
見たぐらいで、写真撮ったぐらいで、という考え方は自己中心的な考え方だと思う。

隠さすにみせろという奴は、キリスト教徒の前で、「只の壁拝んでんじゃねーよ!」って言えるか?


380 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/16(土) 22:20:19 ID:904PIQAk

小さいアカマタ・クロマタの持ってるのは、
棍棒か杖のどっちだ?

俺は杖だと思う。


381 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/17(日) 09:43:51 ID:2g+t+hEX

フプー、あれは仕込み杖でして祭の写真を撮ろうとする部外者を攻撃するために使用しています!


382 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/17(日) 16:15:55 ID:OLvEPzMZ

アカマタもいいけど人魚神社の秘密も知りたい。
宝島では中に入った人は呪われて
ナックルズでは人間の子供を人魚と称して食っていたと書いてあった


393 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/17(日) 23:12:38 ID:7klBx1Ym>>382
じゃあ、琉球王国の王様は人肉を食べていたのか?


396 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/18(月) 02:56:06 ID:evLrVa7T
>>393
王は人肉なんかくっちゃいねーよ。
民衆レベルは人肉食いがあったけどな。


383 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/17(日) 16:22:07 ID:aE6ACLa4


全て事実ですよ 
しかし人魚神社の秘密は島最大のタブーの為、ここでは勘弁です


403 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/06/20(水) 10:12:24 ID:bXB+dYBT

土人の人食は文化だったんだから許してやれよ
日本人の常識が通じないんだからしょうがないよ。


435 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/05(木) 23:09:52 ID:GQTyFpSZ

パナリにいってみたい
海が見たい・・島に行くと監視されるんですか?

439 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/06(金) 18:25:13 ID:undefined???
>>435
マジレス
今はパナリ住民の人がやっているツアーがあるから、それに参加するのが一番無難だな。
他にもいくつかツアーはあるけど、海岸でシュノーケリングのみで
島民は
「海岸で泳ぐなら黙認するが、集落には来るなよ」
とかだから。

440 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/06(金) 19:39:54 ID:undefined???

去年、黒島に移住した知り合いを訪ねて黒島に滞在してきました。
地元の方の船でパナリにも連れて行ってもらったのですけど、一応観光はできましたよ。下地はほぼ無人島だし、上地にも観光客は割りといました。少し海岸沿いに歩いていると「島民以外立ち入り禁止」とか看板はありましたけど。

地元の方の話によると、昔取材しに来たNHKの記者のカメラは壊されたそうです。


466 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/25(水) 22:11:20 ID:I/BBGMuP

基本的には祭り期間に島には入れない(各ツアーとも客を取らない)し、チャーター船でこっそり入ったとしても、「お前何しに来た?」扱いだぞ。

マジレスすると何でここまで秘密にするかというと

女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです


469 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/07/26(木) 08:50:26 ID:undefined???


まあ、>>466が書いたように、「産まれる」の儀式で、擬似的なセックスをやるとか、
あまり公開したくない部分があるみたいだがね。


503 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/05(日) 10:53:35 ID:o33cCchX

アカマタ役やクロマタ役は毎年同じ人がやっているのですか?


504 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/06(月) 03:53:19 ID:ilPhWRUF
>>503
いやちがうです。

メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、

男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを
演じる、
というのが慣わしです!


516 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/09(木) 02:18:14 ID:m0sN5Qvz

しかし…こんなスレ、いい加減止めて欲しいです。
たぶん見ないから良い様なものの、島のジィさん達が読んだら嘆き悲しみます


521 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/10(金) 13:26:50 ID:a5BCMAGB

部外者が島に行っても見れるのは一部だけだろ?
全て見ようとすれば殺される。
だから全てをビデオに撮って公開すればこのスレも無くなるよ。


530 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/11(土) 13:13:26 ID:pEqYa0Wq

1970年以降、複数の部外者が豊年祭を見学後にパナリ内で行方不明となっているみたいですが、その点はどう説明されるのですか?


524 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/10(金) 20:08:52 ID:et8z9Mpd

見たいやつは見にいって、どうしても全貌を見たいやつは島の関係者と結婚でもしてザーシンカに入れ。


544 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/15(水) 10:37:53 ID:bobjfvxo

やはりザーシンカになるまえにフグの毒を食べたのですか?
今でも恒例の儀式なのですか?


550 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/25(土) 15:22:34 ID:ilvmaKnL

案の定、今年も暴力監禁事件が有ったらしいですね 聞いた話によると、監禁された部外者にもそれ相応の非があったみたいですけど… 

552 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/25(土) 21:31:52 ID:48jiWS93
>550
監禁??
ンダ

553 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/25(土) 22:55:18 ID:48jiWS93

ンダチェ、ピャァスメプールバ、ンダラヌムヌォ…
ノーリャ?監禁?、人殺し?


ンザバヌッ(怒)


555 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/26(日) 03:47:55 ID:yno3+Ym+

今年もまたトラブルがあったんですか?
そこまでして隠すものって何なのでしょうかね?


557 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/26(日) 08:53:56 ID:7dYyDn1n
555>>
幽閉女に対する集団レイプじゃないですか?
あーザーシンカが羨ましい!


558 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/26(日) 11:15:50 ID:zH+srjol

幽閉女が存在するのはデフォなの?


571 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/10/29(月) 02:37:23 ID:eSMzQH80

俺は、10年前によく八重山を旅行してたけどパナリには興味があって、どうにかして行く方法を探していた。もちろん、石原の秘祭は読んだ事あり。

当時、黒島のダイビングショップからの、シュノーケリングツアーに申し込み、上地には全然上がれるし、昼飯もそこで食べた。ウタキのようなものに、ショップの店長は頭さげてたなあ。まだ、はむるぶしがやっていたから、聞いてみたら

「小浜島のほうが満員になった時か、特別な時でないと、新城島のはいむるぶしは、あけないから無理」
と言われた。俺は、離島情報にのってた、小浜島から船をチャーターして上陸を考えたが、電話したとこが、元芸能人のじいちゃんがやってるとこ。(そのグループの一番年下のやつね)

でも、酒飲んで帰ってこない、とか、波がきついから行かないとかで、結局うやむやで失敗。竹富のいつもいく宿で常連の客に「パナリに行きたい。泊まりたい」っていったら「方法あるよ」って。

しかも、下地。こっちのほうが俺は行きたかった。理由は祭りとかじゃなくて、単純に綺麗な海と浜を見たい、という理由。

その常連がいうには、
「下地には牧場があるが、そこにある大学が研究生を派遣してる。島民は夫婦が一組。研究生じゃないやつが、行く場合、石垣にある、船の会社のある船頭に頼む。もちろん、いきなりでなく、ある程度人間関係つくって。で、連れて行ってもらうとき、その島の夫婦にお土産持参。なーんもない島だから、飲み物がいいかも。
そこでいい人間関係ができたら、その夫婦に、またおいで、って言われる。
そうなって下地の常連になったやつを知ってる」

これが、常連が教えてくれた内容。祭りの話もしってたけど大したことないらしい。島民がやはり大切にしてる文化だから、興味本位の部外者にはいい感情はない、とも。

竹富の祭や、小浜も昔は、他の島からきた奴が祭りみようとしたら、棒振り回して追っ払ったんだって。これは、竹富のある有名人が実際若い頃、小浜の祭にいって実際にあった話。ただ、それだけ。

秘祭の内容がそのままパナリの祭をさしてるかどうかは知らないが、現代に女監禁してなんてあるはずない。あっても、かなり昔だろ。そんなの似たような事日本中にあったはず。JTAの飛行機でよむ雑誌にも、八重山の祭りの話がのってたが、小浜の祭りとよく似てる。つまり、そんな特殊なわけじゃないと思うよ。あのあたりでは。
実話ナックルズなんてアホ雑誌の記事なんて、適当もいいとこ。

で、結論、島の人の文化を興味本位でのぞくな。見たいなら、純粋に見たい、って島の人にお願いしたほうが全然いい。もちろん、ちゃんとルールを守る。


574 :(^∀^*):2007/12/04(火) 15:31:55 ID:742UUSP+

まだぁったんだww
そろそろ進展なぃんかね??
誰か行方不明になった人-?
ココ黒島の人見たら殺されるゎなwww
パナリ良ぃ所なんに。

578 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/01/31(木) 23:24:49 ID:0CRWQ9IG

島人7人しかいないなら忍び込んでリンチされても勝てんじゃないか?
仲間とかでいけば

579 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/02/01(金) 00:48:41 ID:Ci2zIOxD

バックに石垣や黒島が付いてるからな


594 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/18(金) 14:09:31 ID:qEgLe01U

気持ちの悪い島だね。陰でなにやってるかわかりゃしないよ。
神事なのにリンチとか‥それこそ神様が嘆くよ。
手をだしたら神事が穢れるのは島民が一番わかってることなのでは?
神様はもっと寛大だよ。島民が意固地になっているだけ。


596 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 15:33:06 ID:aXvII+ce

2004年だか2005年だかの夏に行方不明になっている客はどうなったんですか? 
確かカヌーかなんかに乗って行方不明ってことになってましたよね


597 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 22:48:39 ID:FgVZ4Su5

サメのお腹の中だろ。


598 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/21(月) 09:38:25 ID:HI8VoOXJ

なんだよ、その話ちと怖いんだが…。
やっぱりあれか?
祭りってのは島民の乱交パーティーなのか?


625 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/06/23(月) 17:10:03 ID:undefined???

色々な噂が飛び交っていますね。

先週、実際に新城島に行ってきましたので、その報告を。

パナリ島ツアーに申し込みをして、石垣島から船で行きました。
所要時間片道40分弱。

本島や石垣島でも怖い噂を聞いていたのでドキドキでしたが、実際に行ってみたら素晴らしいところでした。きれいな海とサンゴ礁、昔ながらの民家、そして人も温かい。
宿泊施設も2箇所ありました。(民家風の所、旧小学校)

以前館長を務めていた方は怖かったらしいですが、去年(?)亡くなったそうです。
新しい館長さんはとても親切で温和な方でした。
船での送り迎え、案内ともに館長さんがしてくれました。

その中で祭りの話もありました。
祭りを一般開放していた時に色々と中傷を受けて、去年から非公開にしたと。
今年も住民と協議の結果、非公開だそうです。
おそらくココを見たんじゃないかと思います。

とても心を痛めている表情で話をされ、こちらも胸が痛みました。
ここでも何人かの方が仰っているように、「この島は観光の島ではなく、住民たちの島」との事でした。当然祭りも「自分たちのための伝統行事」。見世物ではないし、とやかく言われたくないと。


ということで今年も基本的には見学不可です。どうしてもという方は、

・事前にツアーに参加して館長さんの推薦(許可)をもらう。
・元島の住民の方と知り合いになる、または紹介・推薦してもらう。

こんなかんじでしょうか。

その際はくれぐれも島の方の指示に従ってマナーを守るようお願いします。
こんなに素晴らしいところが汚されていくのは非常に悲しいことです。

昔からの歴史が残る数少ない場所。みんなで守っていきたいですね。


626 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/06/30(月) 06:46:18 ID:undefined???

貴方は祭の時の住民の変わりようを知らないから、綺麗事が言えるのでは
実際に参加すればわかりますよ とにかく犯罪行為は伝統とは呼べないと思います


648 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/16(水) 17:40:07 ID:undefined???

祭までもう少しだな アカマタクロマタが生まれる所見たいな


651 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/17(木) 13:39:57 ID:undefined???

いよいよ明後日からですね


652 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/17(木) 18:29:23 ID:+1Wv4yZ3
>>651
明後日から?
じゃあ、赤また黒またが出るのは21日か?

663 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/19(土) 14:37:51 ID:ptoIj3fk
>>652
正解
21日の夕方に現れる。20日の晩は獅子舞


653 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/18(金) 02:49:13 ID:Z5G9HPW7

生まれるのは19日の夜中


654 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/18(金) 12:10:50 ID:pXziuk/j
>>653
19日が初日なら出るのは21日だろ?


655 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/18(金) 15:29:36 ID:undefined???

ナビン洞の中では何が行われているの?


656 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/18(金) 17:59:55 ID:ypKTg/k9
>>655
ザーシンカだけの秘事


657 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/18(金) 22:57:27 ID:undefined???

いよいよ明日だな 伝統を売ったザーシンカは誰だ!


661 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/19(土) 11:59:00 ID:undefined???

到着したけど、泊まる場所がありません。とりあえず日陰に避難。


662 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/19(土) 13:23:16 ID:+mzG/se3

学校跡が桟橋付近の浜が部外者の寝るところだ。


664 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/07/20(日) 01:30:15 ID:1TcpO9JK
>>661

宿が無いんだろ?

食事は?
月曜日まで何を食うんだ?


718 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/09/07(日) 23:39:38 ID:1Gw1GiL7

パナリ島宿泊所の裏というか隣にある鳥居は人魚神社?


719 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/09/08(月) 16:33:27 ID:hfJIUeWZ

違う。あそこはアカマタ クロマタが出るところ。


720 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/09/12(金) 05:51:52 ID:undefined???

美御獄?


721 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/09/13(土) 13:54:10 ID:undefined???

アールウガン=人魚神社 でいいのかな?

726 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/09/20(土) 12:29:28 ID:vBlSq87n

アールウガン=東御嶽

神社じゃない。

222 :名無しさん@天国に一番近い島:2007/05/02(水) 10:23:58 ID:wQmgyeh8

祭の最中は麻薬もやっているって本当ですか?


745 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/10/30(木) 02:25:43 ID:undefined???

薬物使用は本当だがな


748 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/10/30(木) 17:28:19 ID:e/YcJETY

薬物?

あ〜!
シマーの事ね。
あれを飲み過ぎると翌日がキツいんだよな〜


759 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/11/21(金) 00:00:12 ID:5rFa/XIg

麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・
隠す訳ですね・・・・

761 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/11/21(金) 18:27:36 ID:undefined???

ゴアやパンガン島に続き、今度はパナリ島が麻薬常習者の溜まり場になりそうだな
バッグパッカーの穴場の島だね!


773 :名無しさん@天国に一番近い島:2008/12/03(水) 01:50:46 ID:R2bMXLAN

たしか島民は7人くらいで年寄りだけだったよな?


834 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/14(木) 08:19:02 ID:undefined???

ザーシンカって総勢何人位いるんですか?

835 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/14(木) 12:02:00 ID:R9ZZP4JG

当日参加出来ない人も合わせたら、軽く100人は越えるんじゃないかな。

838 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/20(水) 22:35:46 ID:undefined???

新城、小浜、宮良、古見の中で一番規模が大きい豊年祭は、やっぱり新城ですか?


839 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/22(金) 12:26:11 ID:ZKa5+fWV

人口の一番多い宮良。


840 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/22(金) 19:52:29 ID:LvmVqFSI
>>838
厳格さなら新城が一番。


841 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/25(月) 17:26:42 ID:undefined???

厳格さからいうと

新城>小浜>古見>宮良

で宜しいでしょうか?


842 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/27(水) 15:09:53 ID:QFQ7OBIY

そんな感じでいいんじゃない。


843 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/29(金) 02:26:52 ID:undefined???

白保と宮良の豊年祭は全然違うのですか?

844 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/05/29(金) 12:04:35 ID:+YaAaOSn

かすりもしない位違う。

宮良は小浜からの強制移民の集落。
だから、宮良=小浜のアカマタクロマタ。

867 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/03(金) 15:08:43 ID:undefined???

去年の豊年祭から部外者は入島禁止です 学校跡や砂浜も上陸禁止です


872 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/05(日) 15:03:39 ID:undefined???

泊まる場所がなければ部外者とみなされ、夜ヤラれるよ


878 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/12(日) 17:54:52 ID:undefined???

祭は雨天台風等、関係ありません
今年も去年同様、部外者は島民の招待以外参加出来ません
ちなみにキャンプや野宿は禁止です


882 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/18(土) 09:13:05 ID:undefined???

公民館長の言う事は守れよ


896 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/27(月) 12:14:15 ID:qAFTvh9a

今年は大原から警官が来ていたね。


903 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/30(木) 17:26:52 ID:H57A486p

またまた新しい本が出たよ
「怖い!怪奇村の話」って本で、

アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで
それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。


904 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/30(木) 19:06:27 ID:j+4ejAoy

せっかく部外者の見学が許されたのに、また禁止になるな〜


905 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/30(木) 19:40:24 ID:undefined???

島出身者で美人っているの?

906 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/30(木) 20:13:29 ID:j+4ejAoy

結構カワイイ子居たからいるんじゃない?


907 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/07/31(金) 21:11:42 ID:tt5s9E3m

仲間由紀恵の親父さんは新城のザーシンカ


910 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/02(日) 19:30:39 ID:N9u6JiMz

八重山女レベル度

1位 美咲町の立ちんぼ(石垣島)

2位 南大東島のフィリピーナ

3位 新城のアカマタ役


911 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/03(月) 12:27:59 ID:L7aBgCkQ

美崎町の立ちんぼはナイチャーばっかだろ〜


912 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/04(火) 18:49:19 ID:undefined???

シマンチュもいるよ〜
かわいかったさ〜


916 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/23(日) 14:14:38 ID:undefined???

なんか新城のアカマタも年々見せ物ぽくなってきたな


917 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/24(月) 14:15:11 ID:9/rbECkn
>>916
どんな所が?


923 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/27(木) 17:04:36 ID:Ec+Sv6yc
>>917

実際に参加すればわかるよ 5年前と比べたら全然だよ…


918 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/24(月) 20:26:12 ID:D9X7LmET

今年は、人垣の後ろの方で前が見えない人が石垣に登って見てたら、
「見えない人は見なくていい!」と恫喝されていたぞ。


928 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/08/31(月) 01:35:40 ID:cBui6CnJ

確かに館長が亡くなる前の方がよかったな


929 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/09/02(水) 10:13:12 ID:undefined???

結局パナリのアカマタも見世物祭りに変わってしまったみたいだな

940 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/09/11(金) 00:56:03 ID:7S/TOU5K

これ以上の観光化はもう止めようぜ


942 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/09/11(金) 18:37:23 ID:3HbRMsnr
>>940
どこをどう改善すると観光化しないか君の意見を聞かせてくれ。

943 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/09/11(金) 18:49:48 ID:7S/TOU5K

いろいろあるけど詳しくは書けないでしょ


968 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/09(金) 12:07:58 ID:0wM9SGD3

ここはザーシンカも見てるんだから内緒なんて無理。
トラブルがあったら、また問題になる。

969 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/11(日) 10:47:00 ID:undefined???

大抵の島民は、収入に繋がるのなら観光化はしょうがないと思ってるよ


970 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/12(月) 11:55:23 ID:5EL30ioC

島民の殆どは石垣か西表に住んでて、島の家は別荘みたいな扱いの優雅な生活してるんだよな〜


971 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/12(月) 11:56:51 ID:5EL30ioC

民宿をやってる人も大原の大地主みたいだしね。


972 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/13(火) 12:00:50 ID:g36ylDd5

島民って何人いるの?
それと何で生計立ててるの?


975 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/14(水) 17:03:40 ID:mVzlLSpI

島民は全部年金生活者じゃないの?

974 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/10/14(水) 11:52:02 ID:undefined???

ほとんどの島民は年収100万以下って聞きました
しかし正直、私も上地の観光化には反対です
http://unkar.org/r/tropical/1163308866


124 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/24(土) 21:11:04 ID:UHEU++n9

上地島の御嶽について教えて下さい。御嶽関係を少し研究しています。
クイヌバナ手前は西御嶽。集落からタカニク方面に向かう道の左手にあって鳥居のあるところが、ジュゴン神社=上地美御嶽 
集落から少し左手に行って右にずっと入っていったところが東御嶽で良いのですか。

西泊さんにも、 集落から少し左手に行って右にずっと入っていったところについては、絶対に行くなと何度も念を押されました。
それ以外は御嶽の名前は言いませんでした。

うんどうやのしょ○たさんも、左手の鳥居がジュゴン=ザンと言ってました。

資料を調べても東御嶽と上地美御嶽が混同していて わかりません。
当然ですが、島の人が第一ですので、入るとか写真撮るとか、そういう意図はありません。ひっかかる疑問を明らかにしたいだけです。


125 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/29(木) 22:29:31 ID:GojabcCn

http://panari88.ti-da.net/index_6.html 
2008年7月24日を見てください。豊年祭はこんな感じです。他の祭は写真も載せています。

私にお金を落としてくれる人はウェルカムです。なんでも好きなようにしてください。
油をまきちらしサンゴを破壊するジェットスキーもお客さんを増やすために導入しました。ただ、私に関係ない、石垣や黒島のツアーは徹底的に排除します。


137 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/06/20(日) 19:43:21 ID:i4o9K0k9

豊年祭って実際のところ何してんの?


138 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/06/21(月) 23:25:16 ID:QLBULg6C
>>137
初日は見たことが無いので分からないが、

2日目は獅子舞

3日目がメインイベントのアカマタ×2・クロマタ×2の登場、そしてお宮での舞いを終えた後、夜8時頃から各家々をアカマタ・クロマタが周って各家毎の舞を舞う。

現在は家が30軒ほどあるので駆け足で周っても、日の出ギリギリになってしまう。
そして各家々を周った後、アカマタ・クロマタとの最後の別れがお宮へ続く道の所で行われる。


119 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/09(金) 21:54:06 ID:Gx6naGfm

儀式の内容なんだけど男役と女役が性交の真似事をして神の子を産む
みたいな内容だって聞いたんだけど本当?

あとは麻薬に近い物を吸ってトリップ状態になったのを神がのりうつったとか言って神の言葉を聞くだとかも聞いたんだけど


146 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/08/20(金) 15:44:15 ID:bekC7HkD

ナックルズ監修の「怖い村」って雑誌の表紙がアカマタだったね。大丈夫なのかな?


36 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/11/07(土) 13:59:29 ID:X2hs/gc/

またまた新しいコンビニコミックに、アカマタが載ってた
例の女をさらって輪姦が載ってた


38 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/11/07(土) 18:30:55 ID:X2hs/gc/

ナックルズだね。
他に南大東島は人身売買して連れてきた女で売春島にしてた
ってのも載ってたな


78 :名無しさん@天国に一番近い島:2009/12/06(日) 00:42:44 ID:undefined???

少し前、そーいう噂があったな。


113 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/01(木) 23:43:00 ID:undefined???


秘密の祭りは近親相姦で柱にくくりつけてうんたら
という話を聞いたがどうなのよ


115 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/02(金) 21:36:06 ID:HuMFIDL7

近親相姦の祭りなんかじゃないよ


116 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/04/02(金) 23:35:59 ID:ILvSRbJk

あながち間違いとも言いがたいが…
http://unkar.org/r/tropical/1255482935


__________

3)【危険】パナリ(新城)島【タブー】

1 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/15(水) 20:36:35 ID:cAy9Bdbg

初代スレ主は行方不明… 
禁断、そして神秘の島、パナリについて語りましょう!


2 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/17(金) 01:58:24 ID:Y1hhZ1O6

今年の豊年祭ツアーを企画した人、消えたね。


5 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/19(日) 18:13:22 ID:huXUamZ2

今は勝手に島内を歩き回ると軽トラで追いかけてきますよ 


9 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/21(火) 00:40:05 ID:nB4gq/VR

軽トラですか。 じゃ、あの夫婦かな・・・
うみんちゅの船で桟橋までくると、使われなくなった貯水池の横の坂道を物凄いスピードで下りてきます。

で、桟橋から少し上がった左にある空き地(奥に人魚神社)には近づくなと毎回言われた。

島の住居は住人が居ないのに、いつも全て戸が全開。

下地は牛しかいない。
周りの珊瑚礁でゴシキエビが沢山捕れる。 夜漁で潜るとイタチザメが沢山でた。
ほんと懐かしいなぁ


23 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/01/17(月) 23:33:33 ID:nOBKmyGA
>>9
>桟橋から少し上がった左にある空き地(奥に人魚神社)

そこは人魚神社ではないよ。 人魚神社があるのは井戸の側。


6 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/19(日) 21:12:10 ID:qYB2lhM9

上地と下地、どっちがヤバイの?


7 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/20(月) 00:44:11 ID:o0BrABjs

上地 ここは本当にヤバい


8 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/20(月) 07:50:16 ID:SoBDxVM4
>>7
なにがやばいの?


10 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/21(火) 22:06:16 ID:jPW4ybog
>>8 
命が惜しいから誰も書けないよ ウタキや祭り以外の話題で行こうぜ!


11 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/23(木) 00:39:25 ID:exVIVHbB

パナリってお墓はどこにあるの?


22 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/01/15(土) 23:17:15 ID:kZv4zxCo
>>11
パナリの住人は殆どが大原や石垣に墓を持ってる。


13 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/24(金) 10:18:08 ID:o9Xhly3W

人口5人しかいないし定住する人は2人しか居ないのに
話題なんてあるのか?


14 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/24(金) 21:54:38 ID:sYKMZOA6

あんな小さな島なのに、
アカマタクロマタのタブー 
人魚神社のタブー 
代々の司の血筋のタブー
ザーシンカのタブー 

そして公民館長の浮気問題のタブーなど秘密がありすぎるさ 


28 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/02/07(月) 15:47:37 ID:9aXi9N6e

映画「秘祭」の話やナックルズの話をパナリで聞くと、マジで不穏な空気が流れるぞ

私はうかつにもその話に触れてしまい、最悪な経験をしました 
島民の方、あの時は失礼いたしました!


31 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/02/17(木) 02:27:51 ID:9jyExjdc

おまえ本当に呪われるぞ


32 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/02/21(月) 03:24:29.71 ID:4SuPbN/1

ヤバいよ


35 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/02/26(土) 03:25:43.03 ID:db1Gb6De

誰かこっそり撮影してニコニコにでもうpしてくれよ
実際、見つかっても注意だけで殺されたり暴行されたりはしないだろ
されたら警察に言って裁判で訴えればいい


37 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/08(火) 03:23:32.02 ID:a0Ew9v0B

本当にやめといたほうがいいよ
殺されちゃうよ


38 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/08(火) 16:39:15.09 ID:rJpvs8xG

消される。


39 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/08(火) 16:49:02.39 ID:Nfat2oub

面白い、ならばやってやろうじゃん


40 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/08(火) 23:35:42.11 ID:a0Ew9v0B

バカだな 甘くみないほうがいいよ
事件になる前に行方不明になるよ
今までだって…


41 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/09(水) 01:07:22.07 ID:xfouzqFZ

ふん、たかが小さな島民に何が出来る!
定期便がなくとも、こっちには幸い船も船舶免許もあるんでね
入念に準備して徹底的に調査してやんよ


43 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/11(金) 17:08:42.40 ID:+XO8cZfg

絶対後悔するよ


45 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/12(土) 00:45:42.59 ID:uWm3gac3

今年は何日にやるんだろうね・・
祭り決行日すら秘密にして公表しないモンなあいつら


47 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/14(月) 01:30:29.39 ID:LrbJgW+F

どうせビビって祭り当日は絶対来れないんだろ ヘタレくん
もし当日島に来るなら、いつでも相手になるよ 
祭をナメンなよ 


58 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/03/30(水) 23:20:06.68 ID:uTkEYHiC

今年も観光客は参加出来ません


60 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/04/06(水) 03:30:11.67 ID:frZ3RXKP

あまり祭を甘くみないほうがいいですよ 
祭の最中、部外者は絶対島に入れません


82 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/05/07(土) 04:03:25.24 ID:p79JWfBz

人魚の墓って本当にあるの?


83 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/05/08(日) 19:51:27.22 ID:WbvhQlUL

墓じゃなくて、ジュゴンを奉った神社ね。


89 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/06/11(土) 13:15:05.36 ID:Gj/D83qH

今年の豊年祭は某TV局が虎視眈々と狙ってるね


90 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/06/12(日) 15:09:23.80 ID:2iMbY2sh

ナックルズか?


91 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/06/13(月) 15:50:25.83 ID:V6j/Xggw

ナックルズが来るのか?


121 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/01(金) 18:05:30.07 ID:+eiTBWSV

ナックルズは男五人女一人のクルーだよ
余裕だね


122 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/01(金) 22:28:15.46 ID:TL/3HMhK

誰が手引きしてるの?
島に知り合いや泊まるところ無いと入れないでしょ?


123 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/02(土) 11:47:56.51 ID:M8IrTp1A

手引き者見つけたら、ただじゃおかないぞ。


124 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/02(土) 12:50:29.94 ID:53oFGmea

ナックルズのクルーが来島=手引き者がいるって事だよね。


148 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/20(水) 22:57:00.29 ID:Xp+mrRsN

ナックルズを手引きした人ってまずいんじゃないの?
帰りの船で自慢気に話しをしていた、らしき男たちがいたよね
ヤケにうるさかったし


150 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/21(木) 04:28:49.71 ID:QMaTGmzh

本当なら確実に消されてるさ
そんな甘くない


151 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/07/21(木) 08:44:05.23 ID:q+7zdDwx

雑誌に掲載されればな。
出なかったら、その話も妄想で終わる。


153 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/08/08(月) 10:05:59.79 ID:YppfumrS

次回のナックルズに載るね 何度も忠告しているのに
これから色々やっかいな事があるな


157 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/08/23(火) 08:52:28.83 ID:+rmNphDq

盗撮→拉致→山に連れて行かれる→セマルハコガメが肉、骨、服、荷物まで完食する

これで何も残りません。


160 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/08/24(水) 18:57:46.94 ID:ozCl/Vex
>>157
セマルハコガメより、ヤシガニの方が現実的。


163 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/01(木) 11:12:36.32 ID:WYTacqs6

ナックルズ、何も載ってねえじゃねえか!
結局いつもガセなんだよな。


166 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/06(火) 20:57:56.30 ID:MoXsDaNo

自粛したみたいだね


168 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/12(月) 20:51:43.72 ID:Hk8PIIdC

獅子舞も撮影駄目?


170 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/21(水) 18:53:11.15 ID:91aSL/cA

勇気があるなら撮影してみな 120%ヤラレルヨ!
間違いなく殺される


171 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/22(木) 16:02:31.62 ID:3q0KWfHz

むかし、アカマタクロマタをスケッチしようとした観光客がいたが、ザーシンカの人に注意されて止めさせられてたね。
でも、ザーシンカの人がカメラで撮影していたのは、子供ながら変だと思った。


173 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/09/26(月) 06:27:39.98 ID:ptRYblHd

スケッチなんてしたら島から出れません
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/tropical/1292412995/  

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        {__,,ノ´ 、}
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D. 先島諸島で妊婦と幼児が殺される理由


宮古島、八重山など先島では、人頭税(ニントウゼイ)の重圧が住民を苦しめた。人頭税はどのように課せられたのだろうか。

人口を調査して、一五歳から五〇歳までの男女を年齢によって上、中、下、下下に区分して、税率に少し傾斜をつけて税をかけた。

男女を同列に扱い税をかけるというのも、人頭税ならではのひどいやり方である。八重山は米が基本で、宮古は粟を納めた。女性は布を納めさせられた。

納税には、琉球王府に納める正租だけでなく、薩摩藩に上納する重出米(オモデマイ)があり、米や粟など運搬するための経費や途中での口減り分も加えて貢租とされた。さらに、労役の代わりに米を出す夫賃米(ブチンマイ)、市町村税にあたる公費、村費、滞納予備の貯蓄費など人頭数で割り当てられた。後には、勧業費、衛生費、学校費なども負担させられた。

布を上納する女性も、正租、夫賃米は免除されたが、それ以外のものはみんな頭割りで負担させられた。貢租は、米や粟など現物で納めなければいけない。だから、サトウキビが換金作物として有利であっても、農民は自由に作れなかった。

農民の暮らしはどんな実態にあったのだろうか。宮古の実例を見てみたい。

農民は粟を作っても大半の人は粟の味も知らない。サツマイモを常食としていた。味噌を持つ者さえ島民の四人に一人ほどにすぎず、海水に水を加えて、サツマイモの葉やツル、海藻を煮て食べた。醤油さえ口に入らなかった。

家といえば丸木を組み、草で屋根をふき、四面を囲んだだけの粗末な掘立小屋のようなものである。屋内も大半の人は土間だった。

これは何百年も昔のことではない。明治の中期頃の姿である。一年の収穫より年貢の方が多いという例さえあった。農民はただ人頭税を納めるためにだけ、生き、働くような存在だった。

人頭税を逃れるために、あえて自分の手足を切って「匹人」(ヒキニン、障害者)になる人もいた。役人に頼んでドレイのような「名子(ナグ)」になる人も後を絶たなかった。
http://rekioakiaki.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-fc3f.html

もし、人頭税を滞納するとどうなるか。

村番所に呼び出されて、「かし木」に入れられる。

「かし木」とは、一種の拷問器である。両足を丸太で挟んで締め付けるようなものだという。いったんこの拷問を受けると、大抵が身体に障害を受け、「疋人」(ヒキニン、障害者)といわれて、一生を日陰者として暮らすことになったという。

十字架もあったそうで、未納の多い者や村の内法(村の内規)を侵した者は、多くはこの十字架にしばりつけられ、罪の度合いによって一日から五日も縛られた。また科鞭(トガブチ)といって、長さ一尋(ヒロ、両手を広げた長さ)、周り五寸の樫木で叩きつけられる。村番所から、滞納者の悲鳴が絶えなかったそうである。
http://rekioakiaki.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e0c6.html

人頭税のもっとも痛ましい結果は、恐らく産んだ赤ちゃんの埋め殺しだろう。

「愛と哀しみの島唄」でも、人口調節のために、嬰児殺しが横行したと書いた。その時はまだ、リアルな実態を知らなかった。その後、その生々しい現実を知るにつけ、背筋が凍る思いがした。やはり前述の大浜氏が、体験者の証言をもとに伝えている。

 八重山の各村では、あの家でもこの家でも、赤ちゃんを産むとただちに始末したという。一六八一年ころから、赤ちゃんの埋め殺しが始まったという。人口が急増した時期と重なる。

その方法は、家の裏庭に穴を掘り、産みたての赤ちゃんを久葉(クバ、ビロウのこと)の葉に包み、穴に入れて、その上にアガザイ(シャコガイ、シャゴウをひっくるめて呼ぶ)で押さえて、生き埋めにする。

埋められた赤ちゃんは、すぐ死亡する場合もある。なかには二、三日たってもまだかすかな泣き声が聞こえる場合もあり、通りかかった人が、助け出して養育したという例がいくつもあるという。

 竹富島の豊見本次郎さん(トミモトジロウ、実名)は、長男でありながら、埋められた。封建時代のことではない。明治八年ごろのことだ。村の有力者が通りかかった。

「埋殺処置をして三日になるのに、まだ生きているというのは、この嬰児になにか徳がそなわっているということに違いない。この子は自分がもらいうけて養育しようと思うが、どうだろう」

と両親と話し合い育てた。その後、すくすく成長して村一番の働き手になったそうだ。同じように、有田加那さん(実名)も救い出されて、粟作りでは村一番といわれたそうだ。


 竹富島のK家では、これまで四人も埋め殺し、五人目も処置した。狂乱せんばかりの妻は、夫に向って

「あの泣き声は私ら夫婦を恨んでいる声のように聞こえる」

といった。夫は

「心配するな。これは皆、人頭税のせいだ。私が始末するから安心しろ」

といって、始末したという。大浜氏はもっとリアルに記述しているが、あまりにおぞましいので略する。その後、この家には怨霊のたたりか、生まれてくる子は、蛸のような骨なし子で、一所懸命に怨霊退散の祈願に手を尽くしたと伝えられているそうだ。
http://rekioakiaki.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e0c6.html

「定額人頭税制度になってからの村全体の敵は、なんといっても脱村者、不具廃疾者、妊婦、産褥中の婦人および多子養育中の婦人等であった。

したがって、村にとっては人口を制限して、村全体の税額を減らすという手段をとったり、あるいは村一円のすべての人々が不具廃疾者、産褥中の婦女の少ない状態をつくりだし、村の全人口が定額人頭税完納にむかって、邁進できる少数精鋭主義の傾向にむかわざるをえなかった」。
http://rekioakiaki.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-bbdd.html

与那国の“よな”は、境界という意味です。すなわち与那国とは、古代琉球国の最西端に位置する絶海の孤島という意味をもっていました。ですから、人口もわずかで、海鳥のいる島といわれているくらいでしたが、島民はこの島を南海の楽園にしようと考えました。そのためには、人がいっぱいいなくてなはりません。こうして「産めよ!増やせよ!」の風潮が高まっていきました。

15世紀の初頭には、島の人口は三万人余にも膨れ上がったそうです。
特に女性が多く1対6の比率で男性をはるかに圧倒していました。

御獄参りで願掛けをした神人や女たちは、「島の繁栄だ」として喜び合いました。ところが、これが、やがて残虐な血祭りの時代を迎えるとは誰も予想しませんでした。

人口が増えると今度はだんだんと食料が不足していきました。 人口は増える。食料はない。島の食料危機は日増しにつのり、やがて血を呼ぶいざこざがあちらこちらで起き始めました。

ある日、島の按司(酋長)たちは、もうどうしようもないこの状況を切り抜けるために、会合を開きました。 会合の最後で一人の按司が

「この島には女が多すぎる。食料が不足するのは、おんながどんどん子どもを産むからだ。だから今後は女に子供を産ませないようにしよう。」

と言い出しました。みんなはこの意見に引きずられました。

「それは、どういう方法をとればいいのか?」

ということになると、みんな答えに窮します。


「そうだ、妊婦だ!

妊婦を集めてあの絶壁の久部良割(くぶらばり)を飛び越させよう。

あの裂け目を跳び越した強い女だけ、子供を産むことを許そうではないか。」


と、また一人の按司、一同たちまちにこの案に賛同しました。こうしてあの残虐非道な人減らしを目的とした久部良割越えが実施されることになったのです。
http://www.kentoushi.com/home/history/densetsu/yonaguni/y_densetsu3.htm


与那国島 クブラバリ
http://www.youtube.com/watch?v=fiLZC_tRJms
http://www.youtube.com/watch?v=Qpg1lgYxmcY
http://www.youtube.com/watch?v=VRhxcWYOJ8I


与那国島「クブラバリ」写真

小中学校を通り過ぎたところに史跡クブラバリはあった。一見すると普通の草原のように思えるこの丘も、琉球王朝時代には恐ろしい場所であった。

クブラバリは、「久部良割」とも書かれる通り、久部良地区にある大地の割れ目の事である。その大きさ、深さなどは、実際に現地へ行って立つと、本当に身の毛のよだつ思いがする程恐ろしい場所である。

これがそのクブラバリ。

悪政・人頭税によって、人間を間引きする必要があった与那国地方。

その方法とは、妊婦にこの裂け目を飛び越えさせて、飛べた者だけが助かったという。しかし落ちたら死、飛べても流産してしまう恐ろしいこの裂け目。実際には、幅3メートル、深さ7メートルもあったという。そんな人等税を考えたのが島津藩であった!


裂け目

幅3メートル、深さ7メートルもあり、妊婦には絶対に飛べるハズがない。そこには死があるのみ。飛べてもおそらくほとんどが流産をしたであろう!

のどかな風景の中にある地獄への裂け目。実際に立ってみると、脚がすくんでしまうほど恐ろしい。そしてこの裂け目の底は薄暗くて見えない。死者の悲しみの声が聞こえてくるようである。
http://homepage1.nifty.com/takeishi/okinawa/yaeyama/yonaguni/newpage4004.html


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E. 人魚神社の御獄に葬られているのは…


人魚神社
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&hl=ja&lr=lang_ja&tbs=lr:lang_1ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=WK5yUIjJJ5CemQXTmoDwBQ&ved=0CDEQsAQ&biw=1047&bih=892


琉球地方の風葬
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%A2%A8%E8%91%AC&hl=ja&lr=lang_ja&tbs=lr:lang_1ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=-gd0UPSSIbGKmQX-mICIBg&ved=0CDcQsAQ&biw=1047&bih=892#hl=ja&lr=lang_ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&sa=1&q=%E6%B2%96%E7%B8%84+%E9%A2%A8%E8%91%AC&oq=%E6%B2%96%E7%B8%84+%E9%A2%A8%E8%91%AC&gs_l=img.3..0.8377.10919.0.11148.9.9.0.0.0.0.97.772.9.9.0...0.0...1c.1j4.UNK-A_-D4Mw&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&fp=8d86f3a4c8a3836b&biw=1047&bih=859


1) 御嶽の起源は葬所?


御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。
宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD_(%E6%B2%96%E7%B8%84)


「御嶽」と書けば、本土では「おたけ」・「みたけ」などと言いますが、
沖縄では一般に「うたき」と読みます。本土で「おたけ(御嶽・御岳)」と呼ばれる山の多くが聖地とみなされているのと同様に、沖縄における御嶽も、ほとんどが集落を守護する聖地となっています。

さて、私から見れば自然崇拝の塊である御嶽も、沖縄の民俗学研究では、まったく異なる御嶽観が強く支持されています。御嶽の起源は葬所であるというものです。
(仲松彌秀「『お嶽』の本体」『沖縄文化』第2号 沖縄文化協会 1961年)


この説を初めて唱えた仲松氏によれば、御嶽には必ず葬所が存在し、ほとんどの御嶽が祖先を祀っているそうです。それゆえ、村の草分けの祖先や英雄などの葬所のある場所が聖地化したのが御嶽の起源と考えられると・・・

御嶽に見られる自然崇拝の要素は、仲松氏の御嶽観の中でどう説明されるのでしょうか?

葬所が聖地の起源であるなら、岩ではなく、葬所そのものを祀っていれば良いと思うのですが。逆に、自然崇拝の聖地に葬所が設けられたとは考えられないのか?

こういった質問をある沖縄民俗学の大家に投げてみたところ、

「聖域に人が入って行くのはあり得ない」

と一蹴されました。沖縄人の信仰心が他県に比べて殊に篤いことは有名です。それゆえ、余計に、聖域に俗人が入り込む類の行為は想定しがたいのでしょう。
http://obotsu-sedi.jugem.jp/?eid=25


御嶽は、グスク同様、沖縄各地にみられる聖地ですが、その起源は、村草分けの祖先や英雄などの葬所であるというのが現在もっとも支持されている説です。

つまり、村人たちに尊敬される人物の葬所が村に隣接する丘陵に設けられ、丘陵そのものがその人物を祀る聖地となっていったと考えられているのです。

どこの御嶽に行ってもたいがい葬所が確認されること、祖霊を祀っている御嶽が多いことなどがその根拠となっているようです。

ちなみに、「葬所」というのは、遺体を骨化させる風葬所と、骨を納める墓、双方を含みます。(沖縄の葬法は、遺体を腐らせて骨だけにし、骨を納骨器に入れそれを墓に納めるという、いわゆる二重葬が一般的でした。)

御嶽の起源となる「葬所」とは風葬所なのか?墓なのか?という議論もあります。
http://obotsu-sedi.jugem.jp/?eid=65

戦前の久高島の風葬墓

琉球地方の風葬には大きく分けて二通りの方法があった。ひとつは特定の洞窟や山林(「後生グソー」と呼ばれる不浄の聖域)に遺体を安置してそのまま共同の墓所とする原始的な方法と、亀甲墓や破風墓の中に棺を一定期間安置し、風化して白骨化した後に親族が洗骨を行い、改めて厨子甕に納める方法である。

太陽が昇る方向にあることから「神の島」とも呼ばれる久高島では、1960年代まで前者の風葬が残っていた。 風葬の行われる場所を「ティラバンタ(葬所)」といい、「ティラ」は「ティダ」と同義で太陽の事、「バンタ」は断崖絶壁という意味である。

死生観を示すものとして葬儀の時に歌われた、葬送歌の一部を取り挙げる。

「トゥシアマイ、ナイビタン (年が余りました)/ティラバンタ、ウシュキティ (ティラバンタに来ました)/シッチ、ハタバルヤ (干潟は)/ナミヌシュル、タチュル (波が立つ)/ナミヤ、ハタバルヤ (波の干潟は)/ヒブイ、タチュサ (煙が立つ)/ニルヤリーチュ、ウシュキティ (ニルヤリーチュに来て)/ハナヤリーチュ、ウシュキティ (ハナヤリーチュに来て)」

このうち「年が余りました」は「寿命になった」、ニルヤリーチュ・ハナヤリーチュは対句でニルヤハナヤ、すなわちニライカナイのことである。

「干潟は/波が立つ/波の干潟は/煙が立つ」の箇所は、葬儀と関連する意味が掴めず難解だが、遺体が腐乱して溶けていく様をユタユタと立つ干潟の小波に喩え、「煙が立つ」のは溶解した肉体が煙(ヒブイ)となって飛んでいく描写だという。

沖縄周辺の信仰では、マブイ(魂)は煙のようなものと考えられていて、風葬は魂を海の彼方のニライカナイに還すものという観念がうかがえる。

宮古島における風葬

宮古島地方では、沖縄本島から伝わる以前から巨石墓(ミャーカ)というのがあり、風葬の代表的な例とされている。

屋根のない石囲いの中に遺体を葬るものであったが、後世風葬を嫌う考えが起こって屋根をかぶせるようになったという。仲宗根豊見親の墓のように、本島の横穴墓形式との折衷も見られる。

島尻、狩俣、大神島にも風葬があり、昭和時代には洞窟などから遺骨が多数発見されたことがある。また、島尻集落のほぼ中央部には巨大な崖下墓があり、以前から「長墓(ながぱか)」として知られている。研究報告によると、長墓は3つの廓に分かれ、6 - 70体分の遺骨が乱雑に置かれていた。

廓の前にはグスク様に囲いがあり、遺骨を以前収めていたと思われる容器も発見された。岩陰の内外で見つかった土器・陶磁器、キセルからこの墓域の年代は17世紀から18世紀頃と推定される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%91%AC

岡本太郎の沖縄
http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%95%8F%E5%AD%90/dp/4140805382


「岡本太郎の沖縄」は岡本太郎の死後、養女の岡本敏子によって編集された写真集である。写真の大部分は岡本太郎が1959年に沖縄を10日間ほど訪れた時に撮ったもので、この旅は「沖縄文化論」を生んでいる。写真集が「沖縄文化論」の副産物だというのが正しいだろう。

私にとってこれらの写真はまず、1959年という時代の記録として貴重である。それから、写真がどれも違和感なく受け入れられると感じられる。ということは、1959年において画家が現代の私たちが沖縄を見る目を先取りしていたということもできそうだ。これはある意味ですごいことだ。

ところで私はすでにこれらの写真を冷静に見ることができなくなっている。それは久高島のことがあるからだ。以前比嘉康雄著「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」を読んだとき、1966年に「心ない外来者」が風葬地に入ってひつぎを開け、写真を撮って雑誌に発表したという記述があった。これが原因となって風葬の習慣が絶えたとは筆者は断定していないが、おそらくそうなのだろう。

その後、岡本太郎と沖縄のことについていくらか調べていると、この「心ない外来者」が岡本太郎そのひとであることがわかった。このことについて池澤夏樹は「この心ない『外来者』とは岡本太郎である」といい、さらに

「死者の身内の者が雑誌に発表された写真を見てしまい、やがてこの人は精神に異常をきたすことになった。」

と書いている。なんともむごい話だ。パリで民俗学を学んだという画家は村人の心をずたずたに裂いてしまった。はっきりいって、この行為ひとつで私はすでにこの画家の全体を認めることがむずかしくなっている。

「沖縄文化論」の1972年版にはおそらく雑誌に掲載されたと同じものと思われる死者の写真が掲載されている。画家がまったく呵責を感じていなかったことの証だろう。写真は1967年に雑誌に掲載されたが、どの雑誌なのかはまだ知ることができない。
http://stowaway.exblog.jp/4159925/

10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO

ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。

これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の〜」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。

鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、

他にも・・・

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
http://unkar.org/r/occult/1207596243


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2) 島の人間は何故人魚を恐れているのか?


「人魚」とは「儒艮(ジュゴン)」とか、「マナティ」のことであるといわれているが、昔の島の人々は意外にも「人魚」は「人魚」でいたと信じて疑わない。実は、興味深い話で八重山の郷土詩人、伊波南哲の書いた本の中に、こんな一節がある。

「人魚というのは、ザン(ジュゴン)のことですか」

私は案内役の島(新城島/八重山)の総代にきいてみた。

「いや、本当の人魚は別にいます」

と、総代は平気な顔でこたえた。

「本当の人魚を、見たことがあるんですか」

「あります。西表島の南風見(はいみ)の海岸の岩穴には、今でも本当の人魚が棲んでいます。」

「で、どんな格好をしているんですか」

「黒い髪をたれて、乳房があって、そっくり人間の女と同じです」

「ほう、どうしてそれを捕獲しないのですか」

「とんでもございません。人魚を捕らえたものは七代まで祟られるというから、誰も怖くて手をつけるものはいません」

「それは、本当の話ですか」

「本当ですとも。嘘だと思ったら南風見の海岸に行ってごらんなさい。薄暗い珊瑚礁の岩穴に、子どもを抱いてお乳を飲ましていますよ。私達が近づくと、ぎょろっと睨みつけるので、怖くてよりつけません。」

この対話のように、人魚とは儒艮(ジュゴン)なりという学説を裏切って、人魚は別にいるという話は、一体どこまでがほんとうであろうか。

(伊波南哲著「沖縄風土記」/未来社)より
http://www.churashima.net/tsutaeru/history/10/10.html


人魚と津波    八重山竹富町

  波照間島(はてるまじま)では、

「釣りをしていて、釣られた魚の方から糸を手操(たぐ)って上がってくる手応えがあるときには、人魚かも知れないから、すぐに糸を切って舟を返さないと怖い。」

と言う言い伝えがあります。


  昔、三人の漁師が舟を出して島から遠く離れた沖で釣りをしていると、一人の釣糸に変な手応えがありました。普通の魚ならば逃げようと暴れるのですが、逃げようともしないで逆に相手の方から糸を手繰って上がって来た からでした。

  その時三人の漁師は、「これは大きい魚だ。」と喜んで糸を手繰っていると、海の上にふわっと黒い髪の毛のような物が浮かんできました。漁師達は、水死人を釣り上げたと思い糸を放したが、現れたのは長い髪の女で、良く見るとそれは人魚でした。


  人魚は、三人の漁師に、

「どうか舟にあげて下さい。お願いします。」

と片手を舟べりにかけて言い、漁師達が迷っていると人魚は泣きながら舟に乗せてくれと懇願しました。

  あまりに熱心に人魚が頼むので舟に乗せてやると、その人魚の姿は、上半身がまぶしいほど美しい女の姿でしたが、胴体は魚で尾はエビに似た形でした。

「決してご迷惑は掛けませんから、どうかあなたたちの島に連れていって下さい。」

と人魚は、漁師達に言いました。それまでは不気味に思っていた漁師達も人魚のきれいな顔を見ているうち  に、だんだん安心して、島に連れて行くことにしました。

  舟が島に着くと人魚は、珍しいそうに島のあちこちを見て廻り、そのうちに島の人達も人魚を見たさに集まってきたので島中が大騒ぎになりました。ちょうどその頃、丘の上にいた老人が沖の方を見ていると、沖の方から低い不気味な海鳴りの音が聞こえ、遠くに大きい山のような波が見えてきました。

  老人は、

「津波が来るぞ。おおい、津波が来るぞ。」

と大声で島の人達に知らせましたが、人魚に夢中になっている島の人達は津波が押し寄せて来るのに、なかなか気づきませんでした。ようやく老人の知らせに気がつくと人々は慌てて島の一番高い所に先を争って逃げました。


  人魚だけはうれしそうな顔で、おいでおいでと津波を手招きして、沖の方に向かって泳いでいき、やがてその姿は津波に飲まれて姿が消えました。不思議なことに津波が襲ったのは、人魚が歩き回った所ばかりだったそうです。
http://okinawan.jp/minwa/minwa026.htm

島の南へ行く道をたどる。原始の森を思わせる欝蒼とした木々の連なりの中を歩くと整備された建物があった。小浜島にあるリゾートの関連施設らしい。
その脇を通って浜へつづく道を行く。すぐに白い砂浜に着いた。

遠く西表島の島影、海の蒼と緑、点景加えるように浮かぶ小島。

来た道を戻り、今度は「クイヌパナ」へ向かう。
民謡にも歌われている景勝地なのだが、道は細く足場もよくない。

途中、「鳥居」があった。「鳥居」といっても内地の神社に見られるように赤く塗られているわけではない。細い電柱のような丸太棒を組み合わせて「鳥居」のように形づくっているだけの物。丸太棒の色は経年の為か周囲の草木と同色になってしまっており、気を緩めていると見落としてしまいそうだ。

持っていた「やえやま GUIDE BOOK」によると「イールウガン」(イール御嶽、西御嶽)とある。

荒く組まれた石段を上ると視界が開けた。
景勝地にふさわしい風景が広がっている。
再び、道を戻り埠頭を過ぎて集落へと向かう。

広場のような空間。
閉じたパラソルと白い椅子。ここもリゾートの関連施設になっているのだろう。
広場に脇に残る鉄棒が、過去ここに学校があった事を教えてくれた。

舗装されていない白い道を歩く。
きっと、昔の島の面影をそのまま残しているのだろう。

何か…島民が皆、“神隠し”にでもあってしまい、時間が止まったままの島に来てしまった…。そんなありもしない想像にかられてしまう。溢れんばかりの陽光の中にいるのに、寂しい。

集落を歩きながら私は次第にあせりはじめていた。やはり「アール御嶽」がどこにあるのかがかわからない。「やえやま GUIDE BOOK」の大まかな地図に従って集落のその方向へと歩いて見たが、わからない。

「鳥居」を目印にと思っていたが、さっきの「鳥居」のように目立たぬ物であれば見落としてしまう可能性もある。同行のSさん達を巻き込んで、それらしい細い道へ入っては御嶽を探す。

ふと、細い道の先に人影が見えた。この人に聞いてみるしかない。
Sさん達に待っていてもらい人影に近づいた。低い木に登り、鉈で枝を払っていたのは老人だった。私を認めると鉈を使う手を止めた。


「すいません、ちょっとお聞きしたいのですか」

怪訝そうな顔。

「あの…アール御嶽はどこにあるのでしょう」
「はぁ」

もう一度、アール御嶽はどこでしょうと聞いた。やはり、聞き返すばかり。

「あの…“ざん”を…“ジュゴン”を祭っているという御嶽です」

老人の表情は相変わらず硬い。「八重山の人頭税」に書かれていた「御嶽に案内してもらうまで苦労した」という逸話が頭をよぎる

「なんで」

と老人の問い。“なんで探している”と言う意味だろうか。素直に

「“ざん”の事を調べているのです」

と答えた。老人は低い木から降りてきた。

「公民館長には会ったか」

これも“公民館長に許可を取ったか”というような意味だろうか。私は

「いいえ、お会いしていません」

と答えた。老人はふいにある方向を軽く指差した。
老人が伐採したであろう雑木林の跡、その向こうある森。

「あそこだよ」
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/zan05.htm


「あそこですか」

思わず声が高くなってしまった。

「アール御嶽」は目と鼻の先と言ってもよいほどの場所にあった。
Sさん達を招き寄せると老人と共に森に近づく。

「鳥居の前までならいい、その先はだめだ」

伐採された雑木林の跡を歩く。

「写真は鳥居の前なら、いい」

私は思わず、聞き返した

「写真を撮影してもいいのですか」
「写真は鳥居の前なら、いい」

老人は同じ言葉を繰り返す。

いいのだろうか。
Internetの幾つかのページでは撮影禁止と紹介されていたのだが…。

だが、ここを目的の場所にしていた私にはあいまいな記憶ではなく、どうしてもこの場所を旅の記録に残したいという強い希望があった。

森には木々に覆われた小道があり、その向こうに丸太棒を組み合わせた鳥居が見える。あせる気持ちと相反して歩速を落としてゆっくりとその「鳥居」へ近づく。


「アール御嶽」
「ざん」を含め豊漁等を祈願する御嶽。

捕らえられた「ざん」は解体され、その骨はこの「鳥居」の向こうに祭られたという。

歩みが止まる。「鳥居」からまだ、数メートル離れているがこれ以上、進めない。

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ここには東御嶽の鳥居前の写真を2002年11月3日〜2010年3月28日まで
掲載しておりましたが、指摘がありましたので削除措置を行いました。
(2010年3月28日 雨男)
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/zan06.htm

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3) ジュゴンは人魚ではない


ジュゴンに関する御獄は上地島、下地島の各島に一つずつある。沖縄タイムスの記事で

『ジュゴンの霊を慰め、漁の安全を祈願するため、人々はジュゴンの骨を集めた「イル御獄」をつくり、今も大切に祀っている』

とあるが、上地、下地とも「イル御獄」はあるものの、島民の話しではどちらもジュゴンを祭っているという事実はないという。
https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:eMAPZkLqRKEJ:oecc.open.ed.jp/cdrom/reppdf/rep27.pdf+%E6%98%94%E3%81%AF%E4%B8%8A%E5%9C%B0%E5%B3%B6%E3%81%A8%E4%B8%8B%E5%9C%B0%E5%B3%B6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%A8%E5%AF%BE%E7%AB%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%80%81%E3%81%8A%E4%BA%92%E3%81%84%E3%81%AB%E7%9B%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%B0%B4%E3%82%92%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%80%81%E4%B8%8D%E4%BD%9C%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A9%B1%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%95%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%B0%B4%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8A%E3%80%81%E6%9C%80%E8%BF%91%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82%E5%A4%9C%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%81%90%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%80%81%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E6%AD%8C%E3%82%92%E6%AD%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E5%A4%9C%E3%82%92%E9%81%8E%E3%81%94%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82&hl=ja&gl=jp&pid=bl&srcid=ADGEESgr_G48PC4_H3rkyKXmInL2Gp6a6rj1CvuMf3huUpzMv8JmcVt7grNTz9Wf9iDlHlPCe87QLxQET14X3FoTKNtdU_N6PfZC-1uxWA9URccUSEsjDQkbRL8VO1bZQ86kLINTf0Lo&sig=AHIEtbT7EStCzAKV-SToIbs7MfVP7c0HxQ


Q: 昨日のアンビリバボーという番組で、沖縄の新城島についてやってました。

昔、新城島という島は琉球王朝にジュゴンの肉を貢ぎ物として送っていて、殺したジュゴンの魂を弔う為に人魚神社というところで儀式をしていたらしいのですが、
儀式をやめたら新城島には津波がきて、多くの死者がでたらしい というような話でした。

番組には沖縄出身の芸能人のゴリさんが出演していて、この話について軽く語っていたのを聞いて気になりました。 長くなりましたが、この話についてもっと詳しく教えてください。そして沖縄には何故オカルト系の噂が多いのでしょうか?

happybouyaさん

新城島は観光地ではないようです。

普段は4〜5人ぐらいしか島には住んでいないのですがお祭の時には島出身の人間が約300人ほどが戻ってくるそうです。

ただそのお祭というのも我々の考えるみんなで楽しくというお祭ではなく純粋に人魚の霊を崇めるための"祭り"なんだそうです。

見学したり等は出来るそうですが撮影や記録をとったりするのは一切禁止で儀式が行われている場所は立ち入り禁止なんだそうです。昔掟をやぶって立ち入り禁止の場所に進入した人がリンチ事件に合うという事が報告されています。沖縄ではいたるところで御獄が行われているところがありますが、新城島は各地で行われている御獄の感覚とは違うようです。

オカルト系の話が多いと感じるのは沖縄島民は

「霊的な物を信じる傾向がある」
「先祖を崇拝する」
「仏教の影響が弱い」

と、以上の三つの事が影響しているからだと思われます。本土等で一般的に浸透しているようないわゆる仏教系の話や逸話などは沖縄ではあまり語られる事が無く、かわりに沖縄独自のオカルト系の話が伝えられてきました。本土側からしたら沖縄の当たり前のように伝えられてきた逸話も、印象に残りやすく結果オカルト系の話が多いというように感じます。

tabinomushi7277comさん

その昔、八重山には「人頭税」という税金がかけられていましたが、新城だけは税の代わりとして雌雄一対のザン(ジュゴンのことを沖縄ではこう呼びます)を献上することを義務付けられていました。

ザンの神社は今でも実在していて、当時はザンの頭骨が御神体として奉られていた(盗難にあってしまったそうです)といいます。

また「パナリ焼」という焼き物の窯があって、当時、陶器を作る技術のなかった八重山の人々は「娘を(嫁に)出してでも」欲しがったそうですが、今はもう面影もありません。

話に出てきた「津波」というのは1778年(明和8年)に起こった「明和の大津波」のことです。マグニチュード7.4(関東大震災は7.9)の地震で発生した大波は標高30メートルにまで達し、石垣と宮古を合わせて約12000名が犠牲となりました。

実はこの地震には人魚にまつわる伝説があります。

その昔、石垣の野原村(のばるむら)に住むオジィが海で漁をしていると、網に人魚がかかった。人魚は助けてくれたら「秘密を教える」というので網からはずしてやると「明日の朝、津波が来る」と言う。

オジィは島中に知らせて回ったが、野原村以外の島民は気味悪がって誰も信じなかった。そして翌朝、人魚の言った通り大津波が押し寄せた。オジィの言うことを信じた野原村の人間は全員助かったが、避難しなかった島民は殆どが波にのまれて亡くなってしまった・・・。


沖縄にオカルト系の話が多い(と感じる)のは、沖縄県民自身がそういった神秘や霊的な物を信じているからだと思います。沖縄では神仏ではなく「先祖崇拝」をする土地柄で、祖先の霊をそれは大切にしており、体調不良や物事がうまくいかない時は「ウガンブスク」(御願不足)といって、先祖へのお祈りを怠ったからだといわれます。

ゴリさんも言ってましたが「医者半分ユタ半分」といって、これは科学的な話も聞くがユタ(占い師と霊媒師をたしたような存在の人)のお告げも信じているというたとえです。ユタは「セーダカウマリ」(生まれつき霊感が強いこと)な人が、ある日突然「お告げ」によってユタとして生きるよう言われるそうです。実際ユタのお告げで病が治ったり良縁に恵まれたりすることがよくあるそうです。

不思議な現象をオカルトや心霊といった恐いイメージではなく、身近な教訓としてとらえているのが沖縄の不思議でもありますね。

※新城は観光地ではありません。祭りの時か、島の方の紹介がないかぎり勝手に上陸することはできません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1038912630


老人は小道の入り口にある石に座った。「バイオレット」(沖縄産の煙草)の紫色のパッケージを左手に、火のついていない煙草を右手に持っている。

「明治の前は何だったかな」

どういう問いだろう。

「明治の前というと江戸時代…慶応とか…」と私は答えた。

「あぁ、明治の前にはもう“ジュゴン”はいなくなった」

それから老人は問わず語りにさまざまな事を教えてくれた。


−この御嶽の開基は首里の高い地位を持つ人物によりなされた事−

−その後、「ジュゴン」…「ざん」を祭るようになった事−


私は胸の内にある疑問の幾つかを老人に問うて見た。

「首里にジュゴンの肉を納めたと…」

「違う、首里には“なめした皮”しか納めなかった。肉は(住民が)食べた」

この回答には少し驚いた。

いくつかの本には「塩漬けにした肉を収めた」とか「煮て乾かした肉を納めた」とあるのとはずいぶんと異なる。と同時に「住民も食べていた」という話は今までの私の仮想を裏付けてくれるのだが…。

「この御嶽に捕獲したジュゴンの骨が祭ってあると聞いているのですが…」

「今もある。昔はもっとあったが海洋博の頃(沖縄国際海洋博覧会 1975年 昭和50年)にずいぶん持ち出された。でも、今でも頭の骨が20個ほどある」

なぜ、ジュゴンの骨を持ち出す者がいたかについては聞かなかった。興味本位や学術研究の名のもとに、このアール御嶽からジュゴンの骨が持ち出された事は事前に知っていた。

ジュゴンの事を調べて行く上で「ジュゴン」…「ざん」は伝説の人魚と同一視され、その肉は長寿の源となり、その骨は薬とされたという内容の文を何度も目にしていた。首里王府も、その肉は安産の妙薬として扱っていたと言うし、「もの食う人々」の中にも

「肋骨を粉にすれば精がつき、産後の肥立ちの悪いのに効くし(−略−)」

とある。「ジュゴン」にとっての最大の不幸はこの伝説の人魚と同一視されてしまった事かもしれない。彼等は幻影になってからも安息の時間を得られなかった。

話の切りが良いところで、老人に礼を言って別れた。立ち去り際、老人はこの御嶽の前の雑木林を切り開いて「シークァーサーを植える」のだと言った。

「すいません、最後に質問してもいいですか」

再び、怪訝そうな顔。

「“ジュゴン”の…“ざん”の味について何か伝わっていませんか。あの…美味しかったとか」

あまりにも子供じみた質問のせいか表情は硬い…が、しばらく間をおいて老人はぼそりと言った。

「島(出身)の101歳の人も“ジュゴン”をこの海で見たことはないと言っていた」

そして同じ言葉を繰り返した

「明治の前には“ジュゴン”はいなくなった…」

つまり、“ジュゴン”を捕食した人も、その味を覚えている人も今はいない。
「ありがとうございました」と再度礼を言うと、ほんの少しだけ老人の顔に微笑が浮かんだように見えた。私の、八重山の「ざん」を追う旅は、終わった。

昔、この海を「ざん」が、その白い体をゆだね、のびやかに泳いでいた時代があった。もう、二度と還る事のないその時代の事を、ほんの少しだけ想ってみた。
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/zan06.htm

新城島からの帰島後、私の中で幾つかの事柄が疑問符付きで残りました。


1.八重山の海にジュゴンはいつまでいたのか

2.ジュゴンの肉は首里王府に納められていたのか、またジュゴンを食べていたのはどのような人々だったのか


これを埋める為に、蔵書の一次資料(当時書かれた文献、公文書)をあたったところ、

「与世山親方八重山島規模帳」(西暦1768年 和暦 明和5年)
「富川親方八重山島諸締帳」 (西暦1875年 和暦 明治8年)

の二つの資料から「海馬」(ジュゴン)に関する記述が見つけました。

両資料とも首里王府から八重山・宮古の派遣された「検使」(行政監察官)である与世山親方、富川親方が八重山・宮古の行政状況をつぶさに調査し王府へ報告すると共にその問題点を指摘・指導するという内容です。「検使」である両名は「親方」(ウェーカタ)という上級官吏であり、その資料の性格から考えて、当時の八重山の状況を公正かつ正確に表しているといってよいでしょう。

資料中の原文は漢語候文で、現代語の対訳もついているのですがそれでも分かりずらいので私が一部口語体に直して記述します。


「与世山親方八重山島規模帳」の記述

『新城村は諸役人からジュゴンならびにカメなどをいつも所望され、村の悩みとなっているので、今後は御用(首里王府へ納める事)以外に所望する事を禁止する』

わずかこれだけですが、首里王府への納税としてジュゴンを捕獲する以外に、「諸役人」つまり八重山の地方役人達が勝手に新城島の人々にジュゴンを納める事を命じて捕獲させていたという事実が浮かびあがってきます。

首里王府、地方役人達、さまざまな人々がジュゴンを欲していた事がうかがえます。


「富川親方八重山島諸締帳」の記述は二つあります。

『御用物(首里王府への納税品)のジュゴンは新城村に限って捕獲指示書を出しており、その他の者から欲しいという要求があっても渡さないという事になっているのにもかかわらず守られていない。

御用物から余分が出てもその他の者の要求に応えて渡してしまっているので、年々、ジュゴンを捕らえるのに多人数で日数を要するようになり、困っているというのは問題である。今後は法に定めたように、その他の者の欲しいという要求には応えない事。

また、余分となったジュゴンは在番・頭が印をして保管させて後日の御用に使うように取り締まる事』

文中は御用以外の要求とあり、具体的に誰が「その他の者」なのかは書かれていませんが、前掲の「与世山親方八重山島規模帳」の内容から見れば、これもまた「諸役人」と見るのが妥当でしょう。

つまり、1768年から1875年までの約100年間、相変わらず地方役人達の職権濫用による私的な捕獲指示と御用物の不正取得が行われていたという事になります。

これも八重山の海からジュゴンが消えた原因の一端であろうと思われます。

事実、このおかげで捕獲に「多数の人数と日数」が必要になるほどに頭数が少なくなっている事。一時的に捕獲余剰となったジュゴンも「在番」(首里王府からの八重山派遣駐在官)「頭」(“間切”という行政区の長)という八重山行政機関の中でも最高位にあたる者が厳格に保管・管理しなくては納税に応えられないという事実が読み取れます。

このジュゴン捕獲に関する苦労はもうひとつの文からもうかがえます。


『首里王府に納めるジュゴンの調達は、新城村に受け持ちを命じてある。ところが年々、それを捕らえるのに多くの人足が必要となり困っている。

捕獲に必要な人足数を定めた法規を変えて人足の数を増やそうとしたが、この人足数はかつて定められているので、いまさら王府御用とはいえ規定を変えることは難しい。

一応、島で一斤につき四名ずつ増やし、地方役所の指示による労役の人足から差し引くようにするので、そのように心得る事』

(注.この「一斤につき四名」という記述が不明でした。重さを示す一斤(約600グラム)の事なのか、それとも他の意なのか、文脈を鑑みてつじつまの合う言葉が見つかりませんでした。)


この記述からは、最優先でジュゴンを捕獲しなくてはならない「御用」にすら多数の人数と時間が必要となっている事が読み取れます。

「富川親方八重山島諸締帳」(諸事全般の規定指示集)は明治8年に発行されています(首里王府の行政権停止と沖縄県知事の任命(一連の琉球処分措置)はこの後の明治12年・西暦1879年)。

本編の老人の口碑(言い伝え、伝説)では「明治の前にはいなくなった」との事ですが、「明治に始めにはまだジュゴンはいたが、姿見かけることはほとんどなく、その捕獲には大変な労力が必要だった」というのが正確なところでしょう。

ちなみに老人の口碑の「王府には肉は納めていなかった」ですが、首里王府への米や上布の納付要領などを事細かに定めた「富川親方八重山島諸村公事帳」(公務に特化した規定集)に「ジュゴン」に関する記述がなかった事(見落としているかも知れませんが)を書き添えておきます。
http://homepage2.nifty.com/ameotoko/zan07.htm


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鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠧止.                  ベシ       旧疆鬱鬱鬱



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F. 新城島の豊年祭の時にナビン洞で行われていた儀式とは?

アカマタ・クロマタの儀式に関する噂を纏めておきます。

最初に断っておきますが、『島の人口が多かった昔は実際にこういう事をやっていた』 というのではなく、以下の内容を象徴化して、心理的には同じ効果を生じさせる儀式を考案したという事でしょう。
以下がすべて事実だとは思わないで下さい(僕も命が惜しいですから):


・新城島ではなんとも奇怪な祭りが行われている。 毎年、島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。 島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。


・ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという


・豊年祭も2回あって、小さい豊年祭と呼ばれていてアカマタ・クロマタの子供が現れます。


・新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われる。


・アカマタ、クロマタは、明け寅の刻にヘビが皮を、蟹がからを脱ぐように生まれる。 ザーシンカは仮面に「すで水」を注ぐことによって、秘儀的に来訪神を再生させる。つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられている。


・その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でアカマタ、クロマタを生む


・秘密の祭りは近親相姦で柱にくくりつけて…


・アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…


・新城島では近親婚の為に、生まれる子供は女子ばかりだった


・近親相姦で生まれた畸形の子供や集落でトラブルを起こした女性が神への捧げ物とされた。


・儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。


・ナビンドウと呼ばれる洞窟でアカマタ・クロマタが生まれるが、シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われ、その間、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もる


・アカマタ、クロマタは地下あるいは土中から出現すると考えられている。 そして儀礼的には、ナビンドゥ(鏡のような凹状の洞穴の意味)から出現する、という形式を取っている。


・アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます


・新城島の豊年祭でだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われている。


・外部の人間はアカマタが出てきてから踊る所だけしか見られない。 洞窟で何が行われてるか調べようとした研究者は石で眼球を潰された。 石垣警察署に問い合わせると、あまり深入りしないようにと意味深な注意を受ける


・何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民が平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。


・人魚神社の秘密は島最大のタブー


・アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食べている。


・何でここまで秘密にするかというと、女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食べているのでばれるとまずいからだ


・昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。


・人魚は、漁師達にあなたたちの島に連れていって下さいと頼みました。人魚に夢中になっている島の人達は津波が押し寄せて来るのに、気づきませんでした。ようやく気がつくと人々は慌てて島の一番高い所に先を争って逃げました。人魚だけはうれしそうな顔で、おいでおいでと津波を手招きして、沖の方に向かって泳いでいき、やがてその姿は津波に飲まれて姿が消えました。津波が襲ったのは、人魚が歩き回った所ばかりだったそうです。


・人魚とはザンと呼ばれた〇〇のことである。〇〇の頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社には〇〇の頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。


・「神の〜」等が書かれた看板が立入禁止になっている場所は埋葬場


・祭の内容見ると、献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな

                                           ,. -―._====>ミ'ヽ、
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                                  レ'/ Y :/ /イ:/´。``':ミテメミト/ /   u  ,.ィ
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            ,,. '"      _,.          Y  ./ ,.ィ/.とノ     ヾヽ.ヽ    ::::::::::ヾヾミメ,_,.ノl!_
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        ,. '"  _,.っ,,.__o゚ノ            ヽ`゙'ー--‐'".:::::l         ノ'       ::::::::ノ'"}lメ! ,レ
    ,. ,. -‐''"´ -::r=:、:.、  ``丶、      u     ヽ.   / .:::::::l、   ι´´   _     ::::U '゙’-ィ-/
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神食いの儀式 _ 幻覚剤を飲み 人肉を食べ 乱交する狂宴


アステカの聖体拝領

神人合一のイメージを、信者をして強化せしめる方法として聖体拝領があるが、キリスト教のミサによるそれと、16世紀のアステカで行なわれていたそれが類似した儀式であったことを見ると、アステカの宗教は、観想を主力とするどちらかというとクンダリーニ・ヨーガ型の宗教であったように思う。ミサの聖体拝領は観想を補完するセレモニーと考えられる。


キリスト教のミサは、次のように執り行われる。


1.パン(ホスチア)の奉納
2.カリス(ワイン・聖杯)の準備
3.カリスを挙げる

4.奉納物の聖別(十字切り)と祭壇の献香
5.エピクレーシス(聖霊の降下を求める祈り)
6.聖別(パンとワインが主の肉体と血に転換する)

7.大奉挙(聖別されたパンとワインを会衆に向け高く掲げる。)
8.聖別後の祈り(聖別されたパンとワインを奉献する祈り)
9.奉献文の結び

10.挿入祈祷とフラクチオ(ホスチアがカリスの上で二つに割られる)
11.コンシグナチオ(ワインに対して、ホスチアのかけらで十字を切る)
12.混和(ホスチアとワインのカクテル)


最後は霊肉の一致のシンボル化ですね。

これに対してスペイン人修道士サアグンが1529年メキシコで目撃したアステカの儀式は、モクテズマ王や大祭司の前で行なわれた。


1.芥子粒の練粉でもって、ウイツィロポチトリ神の像を造る。

2.ケツァルコトアル役の祭司が、ウイツィロポチトリ神の像の心臓を火打石の槍で突き刺す。

3.死んだウイツィロポチトリ神の練り粉の肉体を細切れにする。心臓はモクテズマ王のものとなり、他の骨のようになっているバラバラの円筒状のパーツは列席する者に分配された。


この儀式は毎年行なわれ、神を食べることは「神食い」と呼ばれ、神を食べた者は「神の番人」と呼ばれる。
(参考:心理学と宗教/C.G.ユング/人文書院)


この儀式が隆盛なままキリスト教の布教を続けても、キリスト教のミサの方がアステカの儀式のパクリだと言われかねないので、サアグンは焦ったに相違ない。

どちらの儀式も、もともと個人と神が別である意識があることを大前提にスタートしているので、儀式の本質も神人一如を強調する形となっている。むしろアステカ民衆の意識が、西洋人に近い意識であったこと、つまり東洋的な意識(もともと神と人に隔たりはないという先入観)ではなかったことがひとつの驚きだと思う。

似た意識の大衆に対して、適切な宗教を移植すれば、非常によく似た儀式が出来上がる訳である。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/1a0c53a42e22a8266206417a54646457


ユングの観点から宗教改革の意味を考える場合、重要な焦点になるのがこのサクラメント、ミサ(聖餐)の問題です。

ミサの中心観念は、パンとぶどう酒の「聖変化」にあります。

これは、イエスが最後の晩餐の席で弟子たちにパンを裂いて与え、また杯を与えて、これを自分の身体と血であると語った伝承に由来します。パウロが語る次の言葉は、聖餐におけるこの「聖変化」を極めてリアルに伝えています。

「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである」
(?コリント11:27)。

 ミサにおいては、祭司がイエスの聖別の言葉を唱えることによって、パンとぶどう酒はキリストの身体と血に変化するものとみなされるのです。これを聖変化とか化体(実体変化)transsubstantiatioといいます。パンとぶどう酒の実体substantiaつまり「本質」が、霊的なキリストの身体と血に変化するという意味です。

 中世キリスト教には、この解釈をめぐって、二つの考え方がありました。一つは9世紀のラドベルトウス以来の考え方で、化体説の源泉となった考え方です。

彼は、聖別されたパンとぶどう酒は、天上にあるキリストの霊的な身体および血と〈同一〉であると言ったのです。

これに対して11世紀のベレンガリウスに代表される考え方は、パンとぶどう酒はキリストの血肉の〈象徴〉figuraであるとしたのです。
http://akitanarayama.blog10.fc2.com/?mode=m&no=309

 キリスト教会に魔女たちが告発されたのはこの人肉嗜食の罪に問われたのが、いちばん多かった。しかし、キリスト教信仰のまさにその中核こそ聖餐なのである。救いも、罪のあがないも、永遠の生も、何もかもこの聖餐にすべてがかかっているのである。

聖餐というものは、「象徴的な」人肉嗜食ではなく、神学上の原理説明によると、まったく現実に嗜食することなのである。

 神を食するということは、文明が始まって以来、全世界的に見られる風習であった。しかし、文明の初期は、人肉を実際に嗜食する祝祭がつねに行われていたのである。

「生贄になる者は」神の化身として「殺されるばかりでなく、自分を祀る者たちにその肉を食べられ、血を飲まれる。そうすることによって彼の生命は、彼らの生命に乗り移り、両者は結ばれて共生するのである」。

 神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。

「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。

例えばトラーキアのディオニューソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」

 キリスト教の聖餐は、他の秘儀のと同じく、こうした考えを下敷きとしている。エルサレムのシリルは、

「キリストの肉と血を食するのは、そうすることによってキリストと一体となり、血のつながりを得られるようになるからである。キリストの肉と血がわれわれの手足に入って、われわれは『キリスト担体』になる」

と語った。聖メトディオスは、

「信者はすべて、キリストの血肉にあずかることによって、キリストのような人間に生まれ変わる……キリストが人間として姿を現したのは、われわれ人間が神になるようにするためであったのだ」

と教えた。しかし、同じ聖餐でも、他の宗教のものとなると、それは悪魔の儀式とされた。

「悪霊は供物を食べて力をつける、だからあなたがたが供物を捧げると、あなたがた自身の手で悪霊を体内に引きいれることになる。悪霊は長い間ひそんでいて、そしてあなたがたの霊魂と一体となる」。

 真のカニバリズムは、7世紀まではなお、明らかにチベットの供犠と関連があった。しかし、その後は、それに代わって聖なる秘儀が演じられるようになり、そのためにカニバリズムはシンボリックなものになった。

練り粉で生贄を作って、それを引きちぎり、「内臓」を皆に配って食べた。
ときには、死刑囚の死体の肉をその練り粉で作った像の中に入れた。

贖罪の祭典のときには、「宗教の聖なる王」と呼ばれる雄ウシの仮面をかぶった聖職者が、その生贄の像を突き刺して、手足をばらばらに切り離し、胸を切り開いて人工の肺や心臓や腸を引き出した。残った遺体は動物の仮面をかぶった踊り手たちによってばらまかれた。

それは、古代、ウシル〔オシーリス〕やその他の救世主-神たちの遺体が地上にばらまかれたのと同じであった。

 そうした踊り手たちというと、『エゼキエル』の第24章に出てくるサバの住民たちのことが思い出される。彼らは「血を流す女たち」と呼ばれ、死者の喪に服するために黄金の冠と腕輪をつけ、「人肉のパンを食べた」という。

同じような送葬の踊り手として、エジプトには、女神メウト〔ムート〕、あるいはネヘベト〔ネフベト〕(死者を食べる女神)を擬人化するために、ハゲワシvultureの羽根を身につけたムーmuu(=母親たち)という人々がいた。

 最近まで、フランスの一部で、最後に刈り入れた小麦の束から取った小麦粉で人形を作って、それで人間の生贄を表す習慣があった。その人形は村長marie(昔は一族の母親の添え名)によって引きちぎられ、人々に与えられて、食べられた。

メキシコでも同様に、人間の生贄が廃止されてから、練り粉の人形の胸に火打ち石の先がついた槍が射こまれた。

こうした行事は、「神の肉体を食べるために神を殺す」行事だと言われた。「神を食べる」torqualoという儀式では、神の像が粉々にされて、人々に配られたという。

 これは、明らかに、アステカ人の宗教思想の遺物であった。生贄になる人は神の擬人であって、崇拝され、病気を癒し、人々に祝福を与え、つねに、そのそばには彼の世話をする弟子たちがいた。それから彼は殺され、彼に与えられていた特別な家(calpulliと呼ばれていた)でばらばらに解体された。育児中の母親たちは、その血を子どもに含ませるために、乳首にその血を塗りつけた。

 ギリシア人の言う「生食」wjmofagivaというのは、本来、人肉を食べる狂宴orgiaであって、そのときは料理も何もしないで食べた。生贄となる者は、その狂宴に参加した人々の歯や手で引き裂かれ、生のまま食べられた。ギリシアの古典作家たちは、つとめて「生食」を忘れようとした。

彼らは、野蛮人は乱交をし、家族の者を食べると言って軽蔑した。

「バーベキュー」というのは、本来、人肉を食べる饗宴であった。barbecueの語源はbarbricotで、カリブ・インディアンが人肉を焼くために用いた葉のついた枝で作った焼き網のことである。古い本を見ると、古代の人々には人肉を食べる習慣があったことがわかる。

古北欧の神々、あるいは巨人たちのことをヨツンjotunnと言ったが、「食べる人」という意味のインド・ヨーロッパ語を語源とする。血を飲んで、その骨でパンを作ったという英国のジャックの巨人と同じように、彼らも人間を食べたと信じられていた。

 聖王や救世主を食べることと、家族の者を食べることとの間には、どういう関係があったのだろうか。この答えは、人食い人種自身がしてくれた。つまり、

人が死ぬと、女性がその肉を食べ、そして、新しい子どもとしてその死者を再生させるのである。

原始時代の人々は、再生するためには女性の肉体の中に入らなければならないと考えた。そうするためには、女性に食べてもらうことがいちばん手っ取り早い方法であった。これが再生輪廻という、文字どおり肉体を再び身にまとうという、世界中に見られる教義の根源であったのである。

 どうやって懐妊するのかがまだよくわからなかったころ、死に瀕している人は、同じ種族の母親たちの誰かから自分がまた生まれてくるものと思っていた。自分の肉や血をその母親が新しい赤ん坊に移し替えてくれると思っていたからである。マッサゲタイ人は部族の母親たちに食べられることが唯一名誉ある死だと考えた。母親の肉体の肉となって、再生できると信じていた。大地と同じように、何度も何度も子どもを生む女性こそ、神秘の呪術によって自分を再生させてくれるものと思っていた。

 オーストラリア原住民の女性は、乳児が死ぬとそれを食べ、骨は赤く塗って自分の身体にぶら下げたという。こうしたまぎれもない呪術というものは、死んだ子を子宮にもどして、そして子を生む母親の血をその子の骨にまたまぶしてやることを目的としたものであった。

ビビンガ族の女性は、自分たちは死者を食べて、それで彼らを再生させてやるんだと、淡々と語った。ニューギニアでは、子どもが生まれるとその子に、殺されて母親にその肉を食べられた人の霊魂-名前を与えたという。

 1852年、ハブシュ博士はニアム・ニアム族というアフリカの部族のことで、次のように報告した。

「部族の誰かが死ぬとすぐに、縁者たちは、その死者を埋めないで、死体を切り刻んで賞味するのである。そのため、この地には墓地というものはない」

バガンダ原住民の話によると、女性たちはときに非常に空腹を覚え、乳児の耳を食いちぎることがあったという。おそらくこれは、子どもを食い殺してもまたその子を産めると信じて、全部食べてしまったということを、婉曲に表現したものであろう。

 妊娠するのは人肉を食べたためであるという考えは、未開人の間に広くある考えである。食べ尽くすことを表す語と、みごもることを表す語とは、同じであることが多い。古代バビロニアの諺に、

「誰しもみごもって初めて腹がふくらむ。誰しも食べて初めて腹一杯になる」

というのがある。フロイトは性的ドラマこそ本当の原風景であると仮定したが、ホラティウスによると、

「残忍な魔女がその腹から胎児を引きずり出して再生させる」

場面こそ、原風景であった。聖書では生誕を表すのに「身(bowels=腸)から出る」としている(『創世記』第15章4)。それというのも、子どもたちと同じように、古代の人々は、生殖と消化の区別がまったくつかなかったからであった。

サンヒドリン〔71人からなるユダヤの最高議会。紀元前5世紀から西暦70年まであった〕は、死体を洗った水を飲んだり浴びたりすると、女性はみごもるとした。これは、明らかに、死者の霊魂が新たに母親の胎内に入るという原始時代の考えの遺物である。

 殷の時代の中国は、生誕と再生は同じであると考えた。「霊魂」と「再生」を意味する鬼の絵文字は胎児であった。

 ヤノマモ族の言うところによると、彼らは、昔、母神マモコリヨマが死んだ親や子どもを食べてもよいと言ったからと言って、人肉嗜食をしたという。しかし、その後、彼らはその母神を崇拝しなくなり、人肉嗜食は罪だとして、死者を火葬にすることにした。それでも、今なお、彼らは死者の灰を食べ物に混ぜて食べている。祖先の灰を皆でいっしょに食べることは、縁者のきずなを強めると思われる聖なる儀式なのである。

 アフリカの南東部では、もし女性が別の縁者のグループのところに嫁いでいくときには、死んだ祖先の頭蓋骨に穀粒を盛ってそれを食べなければならない。

彼女が子どもを産むと、長老たちは死者とその子の間によく似た点があるかどうか見る。穀粒はウシル〔オシーリス〕のミイラの上でも、またベツレヘムBthlehem(=パンの家)で生まれたアドーニスの身体の上でも、同じように、栽培された。そしてその穀粒はウシル〔オシーリス〕やアドーニスを崇拝する人々が、厳粛な霊的交感のうちに、食べた。

そうすることによって自分が神と同じような者になり、神同様、自分も再生できると思ったからであった。

ハワイの原住民もウシル〔オシーリス〕によく似た神を持っていた。その神は身体を切り刻まれて、方々の大地-子宮に埋められた。彼の身体のいろいろの部位から食べ物が実った。

 ほとんどすべての宗教にはカニバリズムが見え隠れしている。神を食べる聖餐はキリスト教にも異教にもあったが、それとは別に、初期キリスト教教会は、本当に人肉嗜食をしたと言われた。

ローマ人の言うところによると、キリスト教徒は子どもを殺して食べ、その血の中に供犠を司る人を漬けたという。正当派キリスト教会側の人々(パウロ使徒団)はこうした非難に対して否定はしなかった。しかしそうした非難に値することをしたのは、ただ、グノーシス派の人々だけであると主張した。

殉教者聖ユスティヌスは、マルキオン派の信徒たちは実際に近親相姦や人肉嗜食をしたと言った。カイサリアのエウセビオス(263?-340。神学者、歴史家)は、カルポクラテス派の人々もやったと言った。エピファニウスは、モンタノス主義者や拝蛇教徒たちもやったと言った。アレクサンドリアのクレメンス、イレナエウス、5世紀の初期キリスト教会の長老サルビアンといった人々はすべて、異端者が食人種の行うような儀式をやって教会の名誉を汚したと言って非難した。

 厳しいタブーであったにもかかわらず、ヨーロッパでは中世になっても人肉嗜食が行われていた。飢えに瀕し、疫病が流行すると、ヨーロッパの町々では、多くの者が行き倒れになったが、ときにはある人の姿が突然消えてしまうことがあった。1435年、ガロウェイのソウニィ・ビーン家の人々は、何代にもわたって人肉を嗜食してきたといって告訴された。彼らはエディンバラの法廷で拷問にかけられて死んだ。しかしその死に方を考えれば、彼らが自白したとしても、その内容は疑わしいものである。

1661年、スコットランドで4人の魔女が拷問にかけられて、フォーファーの教会墓地から、洗礼を受けなかった子どもの死体を掘り起こして、それを食べたと自白した。しかし、そんなことはありえないのである。洗礼を受けない子どもが教会墓地に埋められることなどなかったからであった。

魔女に次いで、人肉を嗜食したといって頻繁に告訴されたのはユダヤ人であった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cannibalism.html#1


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詳細は

沖縄パナリの秘祭
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/331.html



31. 2012年10月26日 21:21:25 : HNPlrBDYLM

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みんな隠しているけど部落では父娘相姦が基本


裏には裏の道があり  2011/2/25(金)


たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。

だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。

15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。

A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html


俺の住む地域では近親相姦は珍しい事じゃない

少し昔では夜ばいもあったそうだ

しかし近親相姦といってもイトコ程度でキョウダイや親子での関係は珍しい

やはり子供が出来てしまい血が濃くなる事が心配だからだ

しかし俺は娘達と・・・

長女が中二の時から今、高校一年で次女が今年中二になり長女の目を盗み短い時間ながら次女とも交わる様になった

そして長女に目撃されてしまった 風呂に入っていると思っていたが突然 扉が開き次女の胸を舐めている姿を見られてしまった

長女はそのまま黙って自分の部屋に

俺は慌てて長女の部屋に行き言い訳をするが泣いている

しばらく長女を抱きしめていると次女も部屋に

その日から昔の様に三人で風呂に入り三人で寝る様になった

嫁が死んで5年なんとか子供達と仲良く出来ている

部落の中で新しく嫁を世話をしようとするが俺は今の生活が気に入っている
http://nan-net.com/kinshin/bbs/res/1/BV-5_Mm/  

1 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 04/01/06 20:23 ID:1jTpa9z0 [1/2]

昔の部落では近親相姦はあたりまえだったらしいが
どのあたりまでの近親と結婚(妊娠出産)してたのかな?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 06:00:37 ID:aSvyzTk9O

部落では今でも父娘相姦は多いらしい。父が娘を無理矢理…みたいな。
ソースは近所の部落民(37歳男性・公務員)からの酔った勢いでのカミングアウト。
http://mimizun.com/log/2ch/rights/1142686940/


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 00:18 ID:o2R4oq5j[1/1]

部落のものは親子が基本。

父親が娘を犯して子供が生まれ
その子を父親の私生児扱いにする例がけっこうあったそうだ。


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 16:38 ID:qgsZGHnG[1/1]

俺の父親の集落では近親相姦ともいえるような複雑な結婚が行われている(た?)。
叔父と姪が結婚したり、叔母と甥が結婚したり。
実際に障碍者も生まれているし。

本当に山奥の集落だから昔からそういうことが行われているのかもしれないけど(信号機が一つしかないw)
周りを見渡せばほぼ全戸が夫婦の親戚という恐ろしい所があります。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 19:58 ID:aIeCyok0[1/1]

狭いバラックに大人数が暮らしていたため
嫁が妊娠しても誰の子供かわからなかったらしい
旦那が留守のときは平気で親父や兄弟、近所の男がまぐわっていた
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/


32. 2012年10月26日 21:49:27 : HNPlrBDYLM


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 23:35 ID:dqB5C2Vc[1/2]

N県では死んだ娘を父親が犯して成仏させるという風習があったそうな。

もちろん部落での話だが。

部落では父親が娘を犯すという風習があった可能性がある。
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/


奇祭、奇習、世の中には沢山ありまして、面白半分という部分はあるのですが、実際に知っていくとですね。口が段々重くなります。近親相姦、精神疾患、遺伝病の発症の理由、村の中での奇習を隠すための排他主義。私もちょっと見てみたんですが、何といいますかね。今まだ残る人に対して、困ることになるんじゃないかと。

私は特に、幼い頃から、「えたひにん」と呼ばれる人たちの生い立ちや生き様、「部落」と呼ばれるところの部落からどう脱していくか、そして、現在、口が裂けても言われないけれど、ある施設の近所の子供に対する「差別」を追っていった事がありました。それを専門に勉強したかったんですが、あまりに、悲しい事実があるので、私も知りうることに関して、口が重いことがあります。けれど、実地でそういう人たちの話を聞いて周った(はじめた当時の私はまだ、8歳くらいでしたかね)ので、口も重くなります。

どうしてここに、社が建つのか。どうしてここに、こんなものがあるのか。どうしてここにこんな施設があるのか。

紐解いていけば紐解けるのですが、だからと言って、残された人たちが、すっきりはっきり白状できない理由も、あるのです。

何度でも話に上がっては来ると思いますが、触ってはいけない問題もあるということで、やったやってないは関係ない世界があるんです。それを、個だけを尊重して尊んで美談にしようとすると、村全体が悪くなって、誰も嫁に来なくなってしまったり、後を取る人もいなくなったり、廃村に持ち込まれたりします。あなたは、掘り下げようと思うとき、全ての人の利益を考えて発言してください。

どさくさにまぎれて行ったことは、全て、美談にならない洒落にならないものばかりなんです。
http://blog.goo.ne.jp/nekotech/e/ff1deb2cfcd8c62ed0dced78d7521f04


33. 2012年10月27日 00:13:06 : HNPlrBDYLM


777 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 18:27:52ID:A+Ncr2F00

枹の部落では
性交前で亡くなった娘を慰めるために
父親が開通してから
棺桶に納めるところがあった

今はやってないと思うがのぅ


778 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/05/29 19:12:34ID:aQQyEwJb0 [1/2]
>>777
幼女でもそれやるの?www

779 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/05/29 19:40:03ID:xy1l7W/20 [1/1]

死姦を風習にしなくてもな、、、


780 : 本当にあった怖い名無し [sage] : 投稿日:2010/05/29 20:14:06ID:DAlIyxMu0 [1/2]
>>777
枹てなに?地名?
読みは「ばち」でいいの?


781 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 20:29:58ID:A+Ncr2F00 [2/3]
>>780
県名
詳しい場所は書けないよ

しかし目のつけどころの良いスレじゃのう

物の怪や猟奇的、変質者などの類いは部落にルーツあり
日本のオカルトの源流は部落と差別と穢れだと思う
http://logsoku.com/thread/anchorage.2ch.net/occult/1265477106/#804


34. 2012年10月27日 13:31:02 : HNPlrBDYLM

61 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:04:27.48 0

児童虐待の報告書みたいなの読んだんだが

地方(部落?)によっては祖父や父親が小中学の娘とやるのがあたりまえの所があるんだよね

子供もそれが普通と思わされてるし


54 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:45:56.29 0

近親相姦があると遺伝子的に病気に弱くなる
近親との性交を好む遺伝子を持った人は死滅したから近親との性交を好まない人が増えたんじゃないかな



56 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:57:20.54 0
>>55
田舎特に古い家柄だといとこ同士なんてあたりまえ
田畑財産流出させないためにな
おれの実家もそうだが確かに障害リスクはある


57 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:58:08.01 0

むしろ田舎の方がそういう近親相姦婚多いよ


63 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:05:53.96 0

村社会だと女の子が生まれた時点でまんこは村の共有財産って考えあるからね
http://blog.livedoor.jp/samplems-bakufu/archives/51344448.html


サンカ生活体験記 11

 行き帰りに色んな事を聞いてしまったので、姉娘に上にかぶさってこられ、自分のラッキョウを入れられてオシッコをジャッとやってしまった私は、もうすっかりおどおそしきっていた。 すると、五銭玉を一つとっている手前か、年下の私が脅えたみたいにすくんでいるのに、

「女ごはな、初潮(サソヒ)があるまでは、まんだ子供で、女ではないから、兄妹でもママゴトにはする」

 娘は慰めるつもりか、父親が名古屋へ下駄の歯入れ屋をしに行き、母は津島へ注文の箕を届けに小さな子を二人連れていって、誰もいなくなった日。私を山陰へ連れてゆくと、そこで、「マグモノリ」とよぶ、謝国権の「LOVE」みたいな事を、人形の画でなく実地に教えた。

「タチ・クラ・ネ」という言葉は今でも、はっきり覚えている。「オタチ」というのは、今はレズビアン用語だが、その時は娘が下になって片脚を私の左右の肩に担がせるみたいに置き、そして抱えて持ち上げるみたいなやり方。

とてもラッキョではそれでは挿入できず、あてがえるぐらいだったので、次はクラだった。これは私が下になって、娘が上からおおいかぶさる前と同じ型で、またオシッコをかけられてはと、娘はこれは恰好だけで次は「ネ」だった。

私は左を下に叢に寝かしつけられ、娘は右を下にして、今言う横行位で、これはそのままで一回転して背向位と変わるのだが、これを繰り返して十回ぐらいは、ずっと続けねばゆかぬというのである。

 「マスラ」と呼ぶのが正常位だが、これは男が疲れるから仕事に差し支えるゆえ、女からは求めてはならぬし、三十から五十歳までといった掟まであって、殆ど女上位体勢が一般的だったらしい。

 向こうはオシッコの洗礼で懲りていたろうし、私は、もし見つかったらという心配から、その時もあてがうきりで挿入まではしてなかった。というのは、その前日の事だった。娘のすぐ下の弟と、その下の妹が、玩具もなく遊ぶ事もなくなったせいでの真似だった。

「天道(アノ)さんは、天(アマ)から見てるぞ。両親(カドイロ)の真似をしたら、生命がないぞ!」

母親のガナリ声がした。 運悪く現場を見つかってしまって、二人は厭という程まで叱られ、木太刀で打たれていた。 したがって、子供は絶対に両親の真似などしない事になっている。また、それは一人立ちして暮らしている親の特権であって、セブリを持たない者は決して誰も真似などしてはならない事として、厳しく教えこまれているのである。だから、私はとても恐ろしかったのである。

 ゆえに、いつ母親が戻って来て見つかって、自分も箕作りの木太刀で叩かれるかと気が気でなかった。まだ五銭玉を私が持っているのを知っている娘は、あわよくばもう一枚せしめるつもりか、すっかり恐怖からその気を喪失して縮こまっているものを手に持ちそえて挿入しようとするのだが、私としては、その時はとてもそれどころではなかった。

 娘の話では、初潮がある以前なら差し支えないから、父親が実地に性教育するセブリもあるそうである。今、ヨーロッパで父娘相姦が流行しているそうだが、その点はこちらが先進国である。他人と違って、父なら無理のないように優しく性教育もできるというものである。

 なにしろ、週に一度は娘も伜も親達から徹底的に奥の奥まで調べられる。もし、発育不全で婚礼が駄目になってはクズシリ様にも申し訳がないし、核家族の先鞭をつけ、セブリは夫婦だけという暮らしでは、もしも「行かず後家」となってしまった娘を背負い込んではどうにもならない。

 だから、一度縁づけたら万事そつなくやってゆけるように、差し障りのない初潮前に、タチ、ニ、ネから始まって四十八手をみな教えこんでおくのが親の責任でもある。だが、子供どうしでは遊びで終わってしまって学習にはならぬから固く厳禁されているのであるらしい。

 他に娯楽はないから雨天や仕事のない日は、日に十回も繰り返す夫婦も多いが、別に恥ずかしい事ではないので、客が来ても子供に見られても、途中で止めるという事は、まぁ絶対にない。

 私も姉娘も並んで、ヨシ夫婦の実演を何十回も、組んでほぐれるところを見てしまったか判らないほどである。テレビもない時代だし、夫婦は他にする事が別になかったせいだろう。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1012

俺は62才同居の兄貴は64才兄貴の嫁は48才、といっても俺と兄貴の共通の嫁で俺が34才の時に20才で兄貴に嫁いできた。

俺の部落は全部で17世帯で全部姓は同じ、皆親戚になってる。 熊本県と大分県の県堺の町で最近三つの町が合併した、山奥深い部落なので昔から親戚同士の結婚でよそ者はいない。 昔から女は少なく男は多くてあぶれた男のために夜這いは普通に行われてきた、村の全員が黙認してきたので生まれてくる子供も誰の子かよく分からない。 村全体の授かり子として大切に育てられた、当時兄貴が嫁をもらった時も俺の嫁でもあった。

嫁は少し頭が弱かったけど働き者で兄貴と俺の嫁として この年まで頑張ってる。 子供は直ぐに続けて3人産まれたがその頃の夜這いの男も数人いたから本当は誰の子供か分かっていない。 3番目に女の子が産まれたが3人共母親の血を引いて頭が弱かった。 頭が弱くても村では仕事はなんぼでもあって差別なく生きていけた。

3人の子供が成長して大人の仲間入りしたが、それほど広くない家で兄貴と俺と嫁の行為を自然に見てきた子供達にとって家族同士で行うセックスに問題など感じなかったのはしかたのないことだった。

夏の夜、上の二人の男の子が母親にのしかかっているのを見て兄貴も俺も黙って許した。 狂ったように大声上げて腰を使いながら射精を繰り返す子供達に嫁も又狂ってしまい狂乱の声を上げ続けた。

隣りの部屋をふと見ると、娘が全裸でトロンとした目で母親と兄たちの行為を見ながら 右指を膣に入れて出し入れしていた。

俺は兄貴の顔を見ると兄貴の形相が変わり娘をジッと見ている、あっ兄貴は犯るかなっと思った。 俺も変になりかかってた、兄貴と顔が合った 引きずった顔でニャっと笑った。 俺も下卑た顔でうなずいた、兄貴が俺の前を通って娘に近づいた。 目の前を兄貴の太く長いチンポが揺れながら過ぎると俺も頭が白くはじけた。

娘に兄貴が被い被さると娘は甲高い声を上げた、俺が近づくと兄貴のチンポが娘を貫いているのが見えた。 そのままギシギシと攻めて膣から流れる愛液で兄貴のチンポがテラテラと光った やがて娘がウーンと唸って失神した。

兄貴がチンポを抜いて俺と交代した、俺もたまらず娘の膣にぶち込んだ。 あったけー 気持ちえー 娘が再び声を上げだした、俺はあらんかぎりの力で腰をぶつけ続けた。

その頃になってやっと娘が処女でなかったことに気が付いた、そうか兄弟妹でオメコしてたんだ それで兄貴と俺が入れたら失神したんだ そう思うと納得した。
その晩 明け方まで父娘 母息子の乱痴気騒ぎは続いた。 その夜を堺に親子兄弟の縁はなくなった、雄と雌の関係になった もう止まらない。 初めて 俺と兄貴が娘を犯してからは毎晩親子 兄弟妹で破廉恥な淫虐プレーが続いた。

俺も兄貴も久し振りの若い女体に狂ってしまい年を忘れてチンポが疼いた。
今晩はもう無理だと自重しても目の前で兄妹 母と子供のセックスを見せられるとつい三便宝を仕込み俺も兄貴もチンポが勃起してきて、いつの間にか俺も兄貴も嫁や娘にのしかかっていた。

俺も兄貴も太く長いチンポしていたが息子達はもっと凄いチンポを持っている。
二人の息子は生まれつき頭が弱かったが嫁と兄貴と俺のセックスを子供の頃から見ていた所為か早熟でセンズリも早く覚えチンポはもの凄く大きかった。

その太く長いチンポで貫かれる嫁も娘も歓喜の声を上げ続けた。

朝起きて仕事に行く時は普通の家庭なんだが、夜になると皆 淫乱獣に変身した。 嫁も娘も俺 兄貴 二人の息子が代わる代わる射精する精液で種壺状態でトロトロ垂れ流し乾く間もなく次々にチンポを刺し貫かれた。

嫁と娘が上げるよがり声 呻き声 男達が上げる歓喜の声、接合部が発する淫乱音 部屋中に漂う精液の臭いで頭は痺れ口からは涎が垂れて このまま死んでもいいやと思えるほど気持ちが良かった。

数ケ月後 娘が妊娠した、誰の子が分からないが たぶん二人の息子のどちらかだろう。 その年 娘が男の子を出産した、訳ありの子なので近くの親戚が男の子を引き取ってくれた。 村の誰もが知っていたが 非難するものは一人もいなかった、むしろ貴重な子供の出生を喜んでくれた。

流石に嫁は妊娠しないが 俺達男は娘に二人目の子供を宿すため 今晩も喜々として種壺に仕込むだろう。
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=477#477
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=482#482

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 10:59

近親婚を重ねた家族に生まれた人を知ってる。

彼も含めて、その家に子供は七人。
聴覚障害者が三人(!)。
能障害が一人。

まったく正常だったのは彼と弟さんの二人きり。
その上、三人が二十歳になる前に亡くなっている。

貧しい地域だから栄養失調で亡くなったのかも知れないが、それにしても・・・。

354 :藤村:2001/03/02(金) 23:38

近親相姦はかなり寿命が短いです。
50才まで生きることができればいい方。

http://mimizun.com/log/2ch/uwasa/971693212/

133 : 名無しさん@お腹いっぱい。 [] : 投稿日:2005/12/12 21:34:36ID:CJ3oj11hO [3/3]

屠殺行為をしてきた民の近親相姦による異常遺伝子の民、
それを同和運動により解放された訳だろ。

同和により野放しになり、現在異常犯罪が増えている。
血統が問題で差別になるのは必然なのでは???
http://logsoku.com/thread/tmp5.2ch.net/rights/1128839447/


35. 2012年10月27日 15:12:11 : HNPlrBDYLM


65 名前:ロキ 投稿日:2006/01/06(金) 18:36:53

今日は僕は都内に住む30代の会社員です。現在結婚し子供もいます。
カズさんのHP見てビックリしました。 実を言うと私の実家も先祖代々近親相姦をしている家系だからです。秋田県の場所は勘弁してほしいのですが某村大字何某には今でもそういった風習が残っています。

何故その集落に近親相姦が風習として存在してるのか?というのは昔平家の落人の兄妹が先祖で、追っ手から逃れる為に隠れ近親相姦によって子孫を増やしたからです。その兄妹は集落の祠に奉られています。それから私の実家の村は標高がかなり高くその為稲作が出来ない程寒い為、裸でお互いに暖めあって夜を過ごす事もあり、今でも麓まで冬の燃料を買いに行く事は大変で、その風習は続いているようです。

私自身姉と母との近親相姦を経験していますが、私自身は自分の家族と同じ様に近親相姦をする気はありません。ただこの様な近親相姦がその土地の文化として又生活として残っている事実を知って頂きたくて此処に書きました。

私の実家は現在姉が家を継いでいます。姉には現在男の子二人と女の子が居ますが、長男の父は実父です。姉の旦那は同じ集落の男でその事も知っています。その村は15軒ほどの小さな集落で血がとても濃く、姉の旦那も又従兄弟になります。

村の人間は結構地所を持っているので今でも結婚して他所の家が入るのを嫌う傾向にあるのです。ですが色んな人間が言うほど奇形児や遺伝子病はないです。甥っ子も親子の子ですが全く普通です。唯昔から子の出来ない夫婦は全く出来ず。私の居た頃は少なくとも半数がそういった夫婦でした。そういった場合は村の男が種付けをしに行くのです。又未婚の女性が腹を貸しに行くこともします。

近親相姦や乱交では常識のある人から見たらとんでもない事ですが、今思うとその社会の中には其れなりの情や雰囲気があったと思います。

今年の正月にですね。田舎に家族つれて遊びに行った時のことです。家の小2の娘がですね。

「おばさんとお兄ちゃんが裸で抱っこしてた。」

って言うんですよ。朝六時頃娘が遊んで欲しくて小6の甥っ子探しにいったんですね。さすがにその時は私も戸惑いましたが、姉に話したら少し反省していましたが。妻には私の事は話してますので少し困惑していたようです。

現在私の実家には小学生の子供が5人中学生が2人高校生が3人しかいないそうです。そういったなかでする相手も少ないというのが理由の一つだと思います。私も大学に進んだのが切欠で村を出たのですが、矢張り女性がいっぱいいれば其方に興味を持つのが普通だと思います。事実私も大学を出てからは、母や姉との行為はしていません。姉や母も不思議とそれを受け入れてくれてます。

近親者や村の人間との行為は、その村の持つ雰囲気や情が関係あるのでしょう。今田舎に帰っても私とその家族は部外者であるように思えます。昔の友達と酒を飲んだときも私の昔の事についてはあまり触れなかったし、又今の事も語ろうとはしませんでした。唯結婚の話は別で友達は現在39歳ですが新しい嫁さんを貰ったと紹介してくれました。17歳でした。世間体があるのでまだ籍には入れてないそうですが、彼にとっては二度目の結婚で最初は19歳で農協の職員をしている時に36歳の未婚の母と結婚しています。実父の子供だったと思います。

世間では淫行ですが私の村では人が少ない故に結構こういう事が普通にあり、むしろ近い世代で結ばれることの方がラッキーなのです。姉の長男は現在15歳ですが23歳の娘とお付き合いしているそうです。

田舎ってすることないから子どもたちがみな早熟で、初体験を済ませる年齢が低いっていいますよね。暇をもてあまして、身近にいる親兄弟とセックスをしだす、っていう現象もあるんですかね。ですが、さすがに全部の田舎という事は無いと思います。私自身聞いたことはありません。

唯この様な事は普通外部には話しませんのでもしかしたらとは思いますが。もし性的にオープンな村で世代を超えた性交流があり、人数の少ない隔離された集落があれば、可能性はありますね。なんとも言えませんが家の村もそうでしたから

私の村はどちらかと言うと「家族でザーメンを楽しもう」というより、「家族で暖まる」といった感じでした。実際私の村では性行為を「燃す」と言います。心の中の嫌な物を燃やし元気な気持ちを燃え上がらせると言った感じですか。

「えのぎだなぁ」

と言う言葉がうちの村ではよく使いますが、意味は家が暑いという意味で

夜中喘ぎ声が多く聞こえる家は多く燃える=暑い=景気が好い。

という意味から金銭的に豊かな事もさし、近親相姦がけっして世間で言う悪いイメージではなかったように思えます。

「おがはんおじげあねがっこおめさままだね」

と言う言葉がありますが、味噌汁、漬物に身内を例え好きな子を主食であるご飯に例え、近親者との肉交よりお前の方が良いと言うある意味恋人への最高のほめ言葉になっています。

「ひながのばっち」

これは悪い意味で使われることが多く例えばお酒が止めれない人が「酒はひながのばっちだ」と言うようにやめようと思っても中々止められない時に使う事です。婚期を逃してしまうほど両親と末っ子の情交は凄まじくそれを比喩しているのでしょう。

76 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/12(日) 20:04:15

 ロキさんの話を読んでいて、最近の大雪のニュースで、孤立した村落が話題になりましたが、もしかすると、あの村落や周辺でも近親相姦をやっているのでは?と思いました。 実際には、どうなんでしょうね? あの辺りは

77 名前:ロキ 投稿日:2006/02/14(火) 19:52:31

うーんどうでしょうかね。あの辺の地理は確かにわが村に似ていますが・・・
例えば交通事情とかがですが。私の場合既に村を出ていますのでたとえ匿名でもカミングアウトできたのかもしれません。私の経験では実際に近親相姦をしている人は、独特の恥ずかしさがあり中々外部の人には話したがらないのです。

分かり易くいうと、身近に手ごろな異性がいない為自分の身内や年の離れた異性と性行為をしているのですから、交通事情が発達したとしてもバスで30分以上町から離れていれば友達も、ましてや恋人もでき難いものです。又高校進学時に村を離れ下宿する子も少なくありませんが。その頃には村の人情や性が身に付いてしまい、多少不便でも通えるのであれば村に帰ってくる子も多いです。

そんな中で普通に恋愛してセックスする子に引け目を感じたりするのでしょうか。大人もやはり犯罪行為になるような事や一般人から見れば倫理観からかけ離れた事をしている訳ですから自ずと口はかたくなるのでしょうか。

ピス・メンスさんももし娘さんと体験する様になれば分ると思います。


78 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/17(金) 00:29:51

 もし、娘ができ、近親相姦を行うに当たって、色々心配なことがあります。
 まず、そもそも、娘が体を許してくれるかどうか。
 もし、許してくれても、その後、精神に影響を与えないのかどうか。
 中には、精神分裂症に陥ってしまうのではとかですね。

 ロキさんの村では、いかがだったでしょうか?


80 名前:ロキ 投稿日:2006/02/18(土) 20:37:04

そうですね。近親相姦というのはやはり雰囲気が大事かと思います。ピス・メンスさんのご家庭が何より性に対してオープンである事が必要かと。いきなり襲うのは娘さんも嫌がるでしょう。

私の場合は横で両親がセックスしていた事で興奮したのを覚えています。私の姉の場合もそうだったと思います。精神的な影響は私の村では無かったと思います。たとえ親子でも普通の異性と同じ感覚なのでしょう。外部に隠したり引け目を感じたりするのは世間の倫理観とのギャップの問題だけだと思います。


私も叔母との経験があります。34歳の叔父が亡くなった時当時42歳の叔母の所へ行き。父と一緒に叔母を抱きました。私の村では後家さんや奥さんをなくした旦那を親族が身体で慰める風習があるのです。叔母は私の身体の上で叔父の名前を呼んでいました。懐かしくも悲しい話です。

叔父はとても優しく幼い時は可愛がってもらいました。村の中では近親相姦といってもアッケラカンですよ。そんなに問題はないです。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/108/storage/1013361373.html


36. 2012年10月27日 16:57:12 : HNPlrBDYLM


38 :本当にあった怖い名無し:2012/05/25(金) 22:29:31.57 ID:izmPJ9ba0

おれの出身は軒数20くらいの山間地。苗字全部一緒だった。本家とかあったし。 母さん(違う地区から嫁いできた)が

「ここらは近親相姦してたところだから、あんたらが障害を持ってたり奇形児じゃないか心配だった」

っておれが大人になって教えてくれた。 昔はうちの地区はみんな苗字一緒なんだぜって変な自慢してたけど、それ聞いて背筋が寒くなった。

そこかしこに無縁仏はあるし、葬式の時変な儀式してるし・・・
今思えば不気味だな。


93 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 01:52:54.80 ID:KAZVh3tz0

東北の父の実家で、知り合いはみんな意味を知らない謎の風習があるんだけど…。
お盆の頃になると赤い布でぐるぐる巻きにされて布に風車をいっぱい刺したボロボロの小さめのお地蔵さん?を設置する文化がある。
お地蔵さんは本当年期入っててボロボロだけど、かろうじて表情はわかる。優しそうな感じで笑ってる。多分女性。 

お盆の頃になると道を挟んだ村の墓地の目の前にある、ため池みたいな場所にでかい慰霊碑があるんだけど、お地蔵さんはその前に設置される。 お地蔵さんは道を挟んだ向こうのお墓の方を向いている。

慰霊碑にはとある戦没者の名前が書いてある。石碑の前にはお地蔵さん以外にも小さな石碑?が5,6個ある。 小さな石碑は季節関係なくある。梵字みたいなのが読めるけど意味はわかんない。これはお地蔵さん位古くて字が読めない。

ため池前の戦没者石碑の前にある梵字石碑の中に布ぐるぐる巻きのお地蔵さんを置く。これがお盆の光景。
で、このお地蔵さんはお盆が終わると山奥の川に流すらしい。流したらどっかに保管するらしい。どこに、誰が保管してるかは知らない。
お地蔵さんは父の実家では”ミズコ”と呼ばれてる。他の家ではなんと呼ばれてるか知らない。

なんで布を巻いて風車を刺して慰霊碑と梵字の中に置いて、どうして川に流してどこに誰が保管するのか、この風習に何の意味があるのか、こういう風習は他の所でもやってるのか。誰か心当たりがあったら情報おねがいします。

97 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 02:20:52.11 ID:BNdhvcKO0
>>93-96
一般に「水子」と言えば、死産・流産などでこの世に生れなかった子供のこと。
赤い布は産着、風車は子供の玩具だから(恐山の賽の河原でも見る光景)、
普通に考えると水子を供養する儀式なのかなと思うけど……。
「地蔵を川に流す」というのがちょっと引っかかる。
土地の由来を知らずにうっかりしたことは言えないけど、 明治ぐらいまで、貧しい地域にはいろんな風習があったからね。

98 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 11:08:13.64 ID:Zn97AIuu0

石の地蔵様が川に流れるというのはよほど地蔵が小さいのか
川が急流なのか
ドボンと沈むイメージから離れられんな


99 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 14:29:01.63 ID:TpDgFTby0

古事記でもなり損ないの子は(葦舟にのせてだけど)、流し去られたよね。


101 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 13:59:59.32 ID:kel8ZOeO0

「日本書紀」に弟橘姫の入水という話があって、弟橘姫は日本武尊の后で海神の怒りにあって波が荒れ船が進めないときに海に身を投げてその怒りを鎮めた場所は走水の海で現在の浦賀水道

面白いことに三浦半島の大浦山洞窟遺跡で弥生時代中期の人骨が発見されたが
骨には刃物で肉をそいだ跡があり、人肉食の風習があったことが疑われている
もしかしたら荒波を鎮めるための儀式的なものである可能性もあるかも

「三浦洞窟人バラバラ死体のミステリー」
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-4.htm

102 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:18:28.46 ID:Pzw4Mv+N0

ヒルコはイザナギとイザナミの国産みで最初に生まれた子で出来が悪いとして流された
これは女神であるイザナミが最初に声をかけて子をなしたためと「古事記」にはあるけど
この男尊女卑的な神話は後代の中国の影響を受けているという説もある

ヒルコが流れ着いた場合はエビス神に変質したりする
祝福された漂着物といった意味合いか またエビス神は漁業の大漁を象徴したりもする
ただエビス神の性格は複雑で素性をたどるのは難しい
殺生を嫌う仏教の影響は少ないのではないかな

103 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:21:14.82 ID:XHLHC4nn0
>>98
お地蔵様は30cm、梵字は20cm位です。川は一部の人しか知らない川らしいです。

>>99
父が水難事故の子供の供養かもとも言ってました…。
本当に古い土地だから謎の場所とか言い伝えが多いので、分かる方がいて安心しました…


104 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 15:27:39.14 ID:tLucQCE00

水子は民俗学のほうでだいぶ研究があるな
現在のような水子供養の概念というのは人工妊娠中絶が盛んになってからのものでかなり新しい 特定宗教が新手の金集めのために始めたという話もあるくらい

昔の間引きや、石を抱いたりしての子堕ろしと現代の妊娠中絶が最も異なる点は、間引きなどは集落において容認されていたという点かな

ある程度の年齢の子がある日を境にいなくなったとなれば、集落内でははあやったか、とすぐにわかる

それに対して現代の妊娠中絶は人に知られぬ個人的な行為だから、どうしても罪悪感を個人で引き受けるしかない 

「現代日本の水子供養」
http://www.ne.jp/asahi/time/saman/index.htm

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1333464457/


37. 2012年10月28日 15:39:04 : HNPlrBDYLM

日本に実在した恐ろしい風習とかしきたり


36:本当にあった怖い名無し:2009/01/13(火) 23:07:13 ID:J0exCnF50

おれも昔証券会社で働いてた頃いろんな所に行ったわ。
血とか骨とかが付いた地名からして凄いとこ。
特に何も無かったけどね。

ただ一度だけ部落のはずれの道端で白痴っぽい若い女を見た。
白いスリップとパンツだけでケラケラ笑ってるのよ。
横で小さい子供がフリチンで遊んでたかな?

車止めて見てたら通りがかりの親父に睨まれたので、そそくさとその場を去った。

帰り道で思ったんだけどね、その若い女って部落の男の公衆便所なのかなって?
なんの確証も無いけどそんな気がした。かれこれ10年前。

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水)

地元のしきたり

十二年に一度本家か分家から赤ん坊と食べ物を山の神社に奉納する
まだやってる
翌日行くと赤ん坊、食べ物は消えてる

21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:05:50.71 ID:4cwhA+zH0
>>15
大まかでいいから地方おしえて

31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:13:42.25 ID:Sw6vRLo30
>>21
東日本とだけ
奉納する前は山に入れば八つ裂きにされたとか

129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:37:01.03 ID:Sw6vRLo30

で俺の体験

子どもの頃よく言われるのが大きくなるまではその神社にいくなと言われる
そう言われてもたまに友達と行ってしまってたが奉納のための赤ん坊は産まれても公表しない

その時の子供は本家の子供
地主で本家の子供なら村はけっこう大騒ぎするはずだが何もなかった

俺は赤ん坊をみてみたかったが婆ちゃんや父親に止められてた
一週間かそこらかな?奉納が行われる

村人が食べ物を持って来て、その整理や車に載せるのを手伝わされてたのもあって忙しかったのは覚えてる

食べ物を車に載せて神社の入るための山道にいく
子供は神社に入っちゃいけないから俺は車から食べ物を下ろすのを手伝わされた
軽トラに載せたりもしてたしすげー量で色んな匂いが混ざってた
全部下ろしたら車で帰った
その日の夕飯はすげー豪華だったけど静かだったと思う

翌日神社に友達といってみた
もちろん食べ物のためだ
魚や肉はダメでも果物はいけるだろと思ってた

神社に行って中をみると何もなかった
軽トラや車で運んだ食べ物がない
運んだのはここじゃないのかもと思ったが果物や魚の匂いが扉を開けた時少し残ってた

こんな話

85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:11:33.47 ID:Sw6vRLo30

地元はすげー田舎なところ
赤ん坊を奉納する家は元々そこの地主

森にはいって生活するわけだが奥に入りすぎると上でも書いたように八つ裂きにされた
社も建てて毎年食べものを奉納するがそれでも被害はでる

それで地主が自分の家の赤ん坊と一緒に神社に入りひたすらもう襲わないようお願いをした

けど眠ってしまい夢の中で声を聞いた
赤ん坊はうまい。おまえの家の赤ん坊を捧げるなら襲わないでおくと

起きると扉は閉めていたのに赤ん坊はいなくなってた
それから山に入っても襲われなくなった

これが婆ちゃんから聞いた話


65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:56:37.42 ID:RkYjO6AmO

子供の墓は基本的に大人とは一緒にされない。

床下や庭などにトロ箱やミカン箱に入れて埋められることも多かった。

古い家の庭にお稲荷さんとかじゃない塚があったりするが、あれは無縁仏と子供の墓だったりする。


4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:54:26.53 ID:gV14b2+/0

奇形はごく潰しなのでキュッ

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:01.88 ID:/gEAURTL0

人工的神隠し

92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:14:51.98 ID:FHX1fQw40

地蔵盆の時にその一年で死んだ人と同じ数の提灯を飾って最後に子供が提灯を破く


76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:03:17.00 ID:C7WEk85Q0

赤ん坊を一度捨てる風習は結構あるのよ
なぜかというと拾った子供はよく育つという俗信があったから
自分の子供を一度捨てて近所の人に拾ってもらいそのあと返してもらうことで擬似的な拾い子とする風習


157. 名も無き哲学者 2012年10月23日 07:23

現代の常識では酷いとか人権がとか言って忌み嫌われる風習とか因習とかは大事だったんだよ…

姥捨ても、お産婆さんがキュッってするのも決して大きな声では言えないけど必要な事だったんだよ。老人ホームやら、優性保護法なんて言い訳作って誤魔化すのは良くないよな


6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:08.51 ID:LCHumACv0

ある地域の屋根裏には牢屋があった
近親婚が多く、近親相姦で生まれる障害者を閉じ込めておくために

【閲覧注意】あなたの家の開かずの間『開かずのトイレの痕跡』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4215369.html

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:09:46.72 ID:f5zNDHWl0

明治のころまでは地下に牢屋などを作って精神的な疾患などを抱えた家族を監禁してた

147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:54:08.57 ID:yF5K3ouQO

重い病気、ボケ老人を姥捨て。
障害持ちを幽閉や産まれた直後〆る
見合いや許嫁による半強制結婚

なんて風習は実は理に叶っていて村や地域社会が効率よく回る為に必要だったのかもしれないな
現代が抱える医療費の増大や未婚晩婚少子化もこういった風習がなくなってしまったが故かもしれない


156:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 02:01:30.22 ID:xeLUaf8l0
>>147
障害持ちを〆るのは普通にやってるだろ
高齢出産だと何も言わんでもチェックされるぞ
あと、安楽死は絶対早く合法化すべきだな
自殺の原因の半分は病気
かわいそう


419 名前:名無しさん@涙目です。 (空)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 14:45:37.10 ID:zV2yCDi70

畑の隅に必ず果樹が植わってて、人が死ぬとその木から少し離れた処に土葬される。 そうすると2,3年先に例年になくワッと果実 の成る年が来るから、その実を漬けて酒にする。 盆や命日がくる度に、故人の話しをしながら、それをチビチビと親戚一同で呑み交わす。

一度、止める様に指導があったけれど、うちの地域が今も土葬を認められているのは この習慣があるから。

82. あ 2012年10月22日 09:58

女とおし
村の有力者に初夜権と称して新婚初夜の嫁を掘られる
この処女膜をやぶる行為から女とおしと呼ぶ
気持ち悪いな〜


162. 名も無き哲学者 2012年10月23日 11:53

新婚の新妻は初夜に村の長老が味見をする、処女膜開通は長老の特権であった。




74. 名も無き哲学者 2012年10月22日 08:31

うちの実家岡山の山奥なんだが、昭和30年ごろまでは夜這いの習慣があったぞ。実際多くのお爺さんが若い頃経験したって話を経験者から聞いた。戦争で夫を失った後家さんに、若い衆が夜這して筆おろししてもらうんだそう。逆の場合もあって(やもめのおじさん×若い娘)そっちは子づくり目的な。

あと、昭和の中ごろくらいまでは田舎の山奥に歌垣の夜みたいな風習が残ってて、地区の祭りの後気に入った人と寝て、その結果できた子供は福の神と言われて大事に育てられたんだとか。でも解せないのが、夜這いや乱交祭りという風習に則った結果できた子供は大事にされるのに、強姦や不倫の子は母親ともども差別されて村八分にされるとか。

風習かな。うちの実家周辺では一般的にお盆に迎え火焚かない。でも最終日にお供えと故人の戒名の書いてある薄い木の板持って、鈴や鐘、家によっては小さい太鼓を絶え間なく鳴らしながら川まで行って、お供え流して板を燃やす。

その後帰宅するのだけど………帰宅途中決して後ろを振り返ってはならず、声を立ててもいけない。鳴り物すら懐にくるんで足跡も消して歩く。

そうしないと音にひかれて死人が返ってくるからって言われた。死人に気が付かれないように懐中電灯とかも消すから、途中田んぼに落ちたり側溝に落ちたりして怪我をする(笑)昔肥溜めに落ちた人もいたらしいが、誰も助けに行けなくって自力で這い出たらしい。



20. m9(^Д^) 2012年10月22日 01:12

神様同士が交じり合う儀式があって それを若い女性がチンコの形した棒もって見てるっていうのなかったっけ?

交じり合っている儀式はお面かぶった男同士だがそのまわりを若い女性が見ているってシュールだなぁって思った。 処女を守るって西洋から来た考えで日本ではむしろ嫁入り前に不吉な血の出る膜は破って嫁入りさせていたんだよなぁ。

地元ではもう残ってないけど 14前の女は稲荷の前で薪を3日焚き、その間、夜は稲荷の裏から鬼が出てきて 掛けていたらしい。

「掛ける」というのはもちろん「交わる」事。


鬼はどういう方法で選ばれてたかまでは 聞かなかったな。 無事、鬼に掛けられた女は、その次の日から夜ばいを受ける事を許され、兄弟以外の一番近い血縁から順番に紹介で次の男へと権利が渡っていく。 一巡し、もし身ごもっていたらいとこ婚だった。 身ごもっていなければ、他の男と結婚。

細かいルールまでは知らんが財産を守る知恵だったらしい。



43. 名無しさん 2012年10月22日 02:56

今と違って昔は処女性重要視されて無かったからな
それより今と違って性関係の情報無さ過ぎて
いきなり初夜迎えても出来ない事の方が深刻だった



52. あ 2012年10月22日 04:09

風習というか、嫁は家に嫁いできたものとして、兄が戦死したから弟が兄嫁と結婚とかならあるわな

あとは西武グループの初代の女癖みてると、息子の嫁と当たり前のようにやってるし、出身地ではそんな習慣があったんじゃないかとも思ってはしまうが
嫁と親父の子供を養育する息子とかなにが楽しかったのかね



216. 名も無き哲学者 2012年10月26日 00:21

シベリア抑留して帰って来た近所の爺さんは、 戻ってきたら後家扱いになってた新婚ほやほやの嫁が村の若衆の夜這いですっかり熟れてたのでショックで村を出たと言ってたよ。 それでも体面上、その後数年は法律上結婚し続けてたんだと。

後家は若衆のもの、という風習が残っていた地域の場合 同じように自分が苦労してる合間に嫁さんが公衆便所になっちゃって 涙飲んだ人は多々いただろうな。

どっちにせよ、人口の少ない村では若い人間はそれなりに貴重だし 一人に操を立てて生涯寡婦だと子供が生まれず村が栄えない。 だからこその風習なんだろう。

江戸から戦前戦後にかけて、それなりに人口が多く、移住者や旅客も多かった都市部はともかく、山間の村なんて自分の村と周囲の村くらいが世界の全て。
だからこその再婚・早婚システムといえなくもない。

無論、こうした風習や歌垣のシステムと、通常の不倫はまったく別。
寡婦を含む独身者は結婚が大きな仕事だし、歌垣は晴れの日の祭りだから許されたのであって、ケの日において秩序や和、信頼を乱す行為は御法度、ってことなんだろうな。



188. 名も無き哲学者 2012年10月24日 00:07

死後婚とはちょっと違うけど、アジアの一部やアフリカでは処女のまま死んだ娘は悪霊と結婚してしまうから、破瓜を済ましてから埋葬する習慣があったそうだ。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4318420.html
http://blog.livedoor.jp/isther_s/archives/8698294.html

参考 _ 座敷牢


昔は発病した子供を精神病院に受診させず、自宅に部屋をつくって閉じ込め、長期間、食事だけ与えるくらいの扱いしていた家族が実際にあった。病名はほとんどが統合失調症だったと思われる。そんな風な部屋は「座敷牢」と言われた。この座敷牢に入れられていた患者さんは、現在、うちの病院のように小さな病院でも2名いる。たぶん、現在のどこの精神病院でも、数名は生存されていると思うのである。

座敷牢で数年生活していた人は、必ずと言ってよいほど、かなり荒廃している。人によっては会話ができないくらいで、話しができたとしても、連合障害が酷くてまとまった会話にならないことの方が多い。ずっと保護室で暮らしていた人もいる。座敷牢と保護室は変わりがないじゃんと思うかもしれないが、僕に言わせると天と地の差がある。保護室では、普通に食事が食べられるし、入浴、洗面もできるからだ。精神症状によれば読書やパソコンもできる。

興奮が酷いケースでは、当然、過酷といっていいほどの大量の精神病薬が入っている。現在、もう70歳くらいになる女性患者がおられるのだが、14歳頃から30歳まで、床下に入れられていたらしい。食事もおにぎりが1つずつとか、そんな感じであったらしく、今でも背丈なども相当に小さい。よく言えば小柄なのだが、つまりは慢性的な栄養失調だったのであろう。

僕はこの人を約2年ほどしか受け持っていないのだが、当時、セレネースが40mgくらい入っていて、他のフェノチアジンも併用されていて、どのようにやっても寛解しないような感じだった。僕が持った後、ジプレキサやセロクエルをあわせて処方したり、いろいろ手を尽くしたが非常に難しいと思った。

これは2003年1月の処方である。
セレネース  30mg
セロクエル  600mg
トロペロン   3mg
アキネトン   3mg
ヒベルナ   100mg

2004年1月の処方は下のような感じだった。
クレミン     100mg
リントン      9mg
リスパダール  12mg
ヒベルナ     75mg
アキネトン    3mg

まぁこれがベストかどうかわからないのだけど、これでも悪いときはセレネース液経口やトロペロンの静注をしていたのである。不思議なことに、この処方でもEPSは全然なかった。この程度の処方が長かったこともあるかもしれない。あるいは、かなり多い量なのでEPSさえ押さえ込んでいたのだと思われる。

この患者さんの処遇し辛いところは、悪くなると、寝ている人の首を絞めたりすることであった。だからと言って、ずっと保護室住まいにするのはむごすぎるので、僕はこんな処方で大部屋で様子をみていたのである。

最初、床下から救出された?時は、垢にまみれており、顔の中央だけ赤いような感じで、まさに動物に育てられた子供のようであったらしい。当然、ずっと入浴もしていない。

最初入院した時は非常に精神状態が悪く保護室に入れていても、すぐに便いじりをして全身便だらけになってしまうとか、自分の肛門から出てきた回虫を拾って食べたりと、どうしようもない状態だった様子が詳しくカルテに記載されている。ちゃんと落ち着いて食事をするとか、洗面をするとか、生理の始末とか、そういうのが全然できなかったのである。

カルテの生活歴をみると、中学校時代はなんとバレーボールの選手だったらしい。これにはちょっと唖然としたというか、それを通り越した驚きだった。

なぜこんなことになったかというと、貧しくて治療費がなかったので仕方なく家族がそのようにしたのであった。昭和30年代後半から40年前半頃は、まだ日本は保険制度がまだ整備されていなかった。生活保護も制度も予算が少なく皆に行き渡らなかったのであろう。

これは今なら犯罪に等しいが、当時は社会の余裕もなく、そのような家族の処遇もとりわけ咎められなかったのである。こういう患者さんをみると、薬物治療に限らず、作業療法、生活指導、レクレーション、デイケアなどのリハビリテーションがいかに重要かがわかる。

日本の精神病院の老人患者さんにはそのような人がまだいるのである。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10025431136.html


参考 _ おじろく、おばさ Ojiroku, Obasa


 長野県の南部、飯田のあたりは、高山の多い信州の中でも特に山深いところである。平地といえるような土地はほとんどなく、ろくな道すらないのだけれど、そんなところにも古くから人は住んでいるもので、天竜川に沿ってぽつぽつと小さな集落がいくつか点在している。

 そうした集落をひとつひとつ数珠繋ぎするようにして、豊橋と辰野を結ぶ飯田線が全通したのが昭和12年。なにせ平らな土地のほとんどない深い山地のこと、さぞかし難工事だっただろうことは想像に難くない。さてその飯田線に、中井侍(なかいさむらい)という、ちょっと変わった名前の無人駅がある。長野、静岡、愛知の三県の県境あたりに位置する駅である。

 と、なんだか紀行文のように始まったのだけれど、別に私はこの中井侍に行ったことがあるわけではない。飯田線にも乗ったことはない。ただ、ある精神医学誌の論文にこの地域のことが載っていたので、ちょっと興味を惹かれただけである。

 「中井侍」をネットで検索してみると、写真入りのページがたくさん出てくる。どうやら、長野県の最南端の駅として、鉄道ファンにはちょっと知られた駅らしい。たとえばこのページやこのページ、このページなどの写真を見ると、本当に山の中の小さな駅で、鉄道がないころはまさに外界から隔絶された秘境だったのだろうなあ、と思うばかりである。

 さて、その中井侍の駅のある付近は、かつて神原村と呼ばれていた(今では天龍村になっている)。このあたりは高山の谷間で平地が極端に少ない。耕地面積が充分とれないから、産めよ増やせよというわけにはいかず、なんとかして人口を制限をしなければ共倒れになってしまう。そこで、この村の人々は奇妙な人口制限法を考えた。

 まず、一家のうち長男だけが家督を相続し、結婚して社会生活を営む。次男以下と女の子は、他家に養子になったり嫁いだりしないかぎり結婚を許されず、世間との交際を禁じられ、生涯戸主のために無報酬で働くのである。

 この村では、こうした制度が16〜17世紀ごろから何百年も続いていたという。こうした男は「おじろく」、女は「おばさ」と呼ばれ、家庭内の地位は戸主の妻子以下、戸籍簿には「厄介」と記され、村人と交際もせず、村祭りにも出られなかった。

 こうしたおじろく、おばさは結婚もせず、近所の人と交際することもなく、話しかけても返事もしないが、家族のためによく働いて不平も言わなかったという。怒ることも笑うこともなく、無愛想で趣味もない。おじろく、おばさ同士で交際することもなく、多くのものは童貞、処女で一生を終えたらしい。

 彼らは、物心つくまでは長男と同じに育てられるけれど、次第に弟や妹は兄に従うものだ、という教育を受け、将来は兄のために働くのだ、と教えこまれるようになるのだそうだ。たとえば、長男は休まずに学校へ行けたが、弟妹はことあるごとに学校を休んで家の仕事を手伝わされる。

 成長するに従ってだんだんと兄と違う取り扱いを受けるようになるのだけれど、それは割合素直に受け入れられ、ひどい仕打ちだと恨まれるようなこともなかったとか。親たちも、長男以外はおじろくとして育てるのが当然だと考えていたので、別にかわいそうに思うこともなかったらしい。

 掟に反抗して村を出る者がいなかったかというと、おじろくが村を出ることは非常に悪いことで家の掟にそむくことだ、という考えがあったため、村を出ようと思う者はほとんどなく、まれに出る者があっても人付き合いがうまくできず、すぐに戻ってきたのだそうだ。

 実際のおじろくへのインタビュー(普通に訊いても顔をそむけて答えてくれないので、睡眠薬を使ったアミタール面接を行ったのだそうだ)によれば、彼らは人と会うのも話しかけられるのも嫌い、楽しいことも辛いこともなく、世の中を嫌だと思ったこともなく、結婚したいとも思わず、希望もなく、不満もない。あるおじろくは、村を出たのは一生で一度だけ、徴兵検査で飯田まで出たとき(歩いて往復3日かかったという)だが、別に面白いことはなく、町へ行ってみようとも思わなかったという。

 こういう制度が何百年もの間続いていたというのだ。今じゃとても信じられない話ではあるけれど、周囲から隔絶した村だからこそありえた話だろう。

 おじろくを現代社会に連れてきて精神科で診てもらったとしたら、おそらく何かの人格障害と診断されるだろうけれど、逆にもしこの村でおじろくが反抗して自由を求めたとしたら、これまたおそらく人格障害とみなされることだろう(もちろん、そういう診断があったとしたら、の話だが)。このように、人格についての判断は、社会の価値観と無縁ではありえないのですね。このへんに、「人格障害」の判断の難しさがあります。

 おじろくの場合、「生まれつきの性格」とは関係なく、社会環境によって人格を作られてしまったわけだけど、現在の価値観からいえば、これは村社会全体による差別であり、洗脳であるのかもしれない。でも、私は別にその地域の文化が遅れていた、と言いたいわけじゃないのですね。文化なんてものは相対的なもの。社会全体が、弟妹は兄のために働くものだ、と思っているのであれば、それに反抗する考えすら浮かばないってのは当然のことだろう。社会常識の呪縛ってのは、それほどまでに強いものなのだ。もちろん、私たちだって、気づいていないだけで、現在の常識に縛られているはず。いくら常識から自由なつもりでいても、常識を完全に無視するのは不可能であり、そんな人がいたとしたらそれこそ「人格障害」と呼ばれることだろう。

 なお、明治5年には人口2000人の村に190人の「おじろく」「おばさ」がいたそうだが、鉄道の開通以来減少し、昭和35年には男2人、女1人になっていたとか。その絶滅間近の3人の「おじろく」「おばさ」に直接インタビューして書かれた論文(近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」)が、「精神医学」1964年6号に掲載されている。また、西丸四方「和風カスパール・ハウザー」(最新精神医学2000年5号)も「おじろく」「おばさ」を取り上げている。この文章は、その2つの論文によった。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html


38. 中川隆 2013年3月28日 17:14:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

乱交制だった戦前の日本では何をすると不義密通とされたのか?

◆◇◆◇◆おかみさん文化◆◇◆◇◆◇

江戸期、日本の町屋社会(商家社会)には「おかみさん文化」と言うものが在った。

江戸期に入る前は、商工氏族は武士兼業だった。

日本列島に渡来した氏族は、夫々の得意分野で農業、工業(鋳造業)、商業、神主(宮司)、僧侶などを兼業していた。

代表的な例は平安末期の武門貴族・平清盛(たいらのきよもり)の宗貿易で、つまり清盛は大貿易商人でもあり、ついでに彼は僧侶にも成った。

その流れで渡来氏族の一部が武士に成ると、江戸期に商人が純粋に業種として独り立ちする前は、商人の大半は武士と兼業か武士が副業で商いをやっていた。

天皇の京都御所を守る「北面の武士」を出自とする松波峯丸(斉藤道三/さいとうどうさん)が山崎屋庄五郎として油屋を営んで居たのは有名な話である。

そして、もう少し時代が下がる室町時代〜戦国時代には武士兼業の豪商が力を持ち、財力を使って大名と協力関係を結んだり、一部の豪商は茶人として名声をはくす者も出た。


「おかみさん文化」は、武士兼業の商工氏族が多かった上方(関西地区)で始まったものだが、「商家特有の文化」として江戸期には日本全国に広まった。

昔の商家には一生を独身で済ませ、お店(たな)大事を貫く番頭の存在が落語や講談、読み本などで紹介されているがあれには裏がある。

実はその番頭は、おかみさんの肉体で満足していた。 けして不義密通ではない。
それが商家に嫁いだおかみさんの現実的な役目だった。


大店(おおだな)を内側から守るのがおかみさんの役目で、それには信用できる使用人の育成は欠かせない。

肉体的繋がりほど強いものは無いので、丁稚(でっち)はともかく、目端が利きそうな手代(てだい)辺りから、おかみさんが性欲の面倒を見て手懐ける習慣が、町屋社会(商家社会)では公然の秘密だった。

この関係、小使いは少なくても我慢させて忠誠を尽くすだけでなく、悪い遊びを覚えてお店(たな)の金に手を付けたり悪い病気を拾って来るのを防ぐ役割もあって、当然お店(たな)の旦那公認の「面倒見の行為」だった。

旦那公認で、使用人の性欲の面倒見の行為が、平然と行われていた。


すると不義密通話は何なのか?

あれは、情が通って駆け落ちなどをする場合いで、唯の性欲の面倒を見て使用人を手懐けるのとは訳が違うのである。
正に肉体的繋がりの信頼関係を、昔の町屋社会(商家社会)のおかみさんが勤めていた事になる。

「情が通わない肉体のみの性行為と言う点では昔の方が現実的な考え方で、今の上辺だけの考え方を「さも真実だ」とする主張の方が空虚なのである。

勿論、使用人に所帯を持たせて「のれんわけ}をする事も有るが、考えて見れば商売敵の同業者を増やす事になるのだから、理想はお店(たな)に縛り付けるに越した事は無いのである。

それにしても、大店(おおだな)の「おかみさん」も、「それを覚悟の嫁入り」と言う事になる。
当たり前ながら当時はそれが常識で、今の物差しで見るから読み間違う。何しろ、大店(おおだな)の旦那には妾の二〜三人は居て、その妾にもおかみさんの方が「旦那が世話になる」と盆暮れに付け届けの挨拶をする文化だった。

自分も手代(てだい)や番頭の性欲の面倒を見てから、それで互いのバランスを取って居た訳である。
つまり、繁盛している商家程使用人の数が多く、おかみさんの身体は、信用が置ける使用人の育成に忙しかった事になる。

そんなので旦那とおかみさんは、「上手く行っていたのか?」と言うのは当時の事情を知らず、現代の倫理観に当て嵌めようとするからである。

その辺はお店(たな)の旦那は商いの為と割り切っていたし、おかみさんもそう言うものだと割り切っていた。

商家の奥座敷は奥が深かったらしいが、それにしてもそう言う事であれば、内々において公然の秘密でなければ、おかみさんもとてもそんな事は秘密に出来ないであろうから皆それと承知していた事になる。

情が通わない性的な奉仕は、「単なる手段」と割り切った所が、現在の世の中の常識より余程現実的な事は私にも理解できる。

つまりは、わが国成立初期の昔から存在した「お家大事主義」の、肉体を使うお役目、閨閥構成社会(誓約・うけい)の正当性を、完全に認めるような話である。

この「おかみさん文化」の習慣は実に良く出来ている。

元々上方(当時の皇居所在地である京都近在の関西地区)で発生した商家の形態は、武家の感性を踏襲して「お店(たな)大事」が何よりも優先していた。
氏姓制度の名残を残す豪商の発想が、手本だったのである。

商売は商(あきない)と言うくらい永く続くのが信条で、後継ぎは絶やせない。
都合の良い事に、「使用人の性欲の面倒を見る」と言う、このおかみさん文化の習慣は、旦那が「種無し(子種が無く)」でも使用人が密かにカバーする。

嫁が「生まず女」なら妾がカバーする。

言わば商家存続の安全弁の役割も担っていて、「実は若旦那の実父は独身の大番頭だった。」などと言う人情話に、当時を伝えているのである。

まぁこの「若旦那の実父は独身の大番頭」を現代風の解釈で個人的な「おかみさんと番頭や手代の色恋沙汰」と解釈するか、その時代の「町屋商家の習俗」と捉えるかで随分当時のおかみさん文化の理解が違うものになる。

この物語ではもう毎度の事に成ってしまったが、この「おかみさん文化」を現代の倫理観や価値観の意識そのままに当て嵌(は)めては、到底信じられない事かも知れない。

現代風に考えれば、それこそ性に対する倫理観も女性個人の尊厳もあった物ではない。
良識派を自認する学者達には「無かった事にしたい過去」だろう。

しかしこの時代は、武家も豪商も、通常「お家の繁栄」が全てに優先する価値観であり、一般的に男も女もその「お家の為」にする犠牲行為は、不謹慎なものではなく「美徳」だった。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。
つまり、現代の物差しとは違う価値観が昔存在した理由は、当時の女性は「お家大事を基本にした考え方が正しい」と考えていた意識の違いである。

従って、現在の意識を基にした「一貫性行動理論」の物差しを現代に当て嵌めて、「そんな事は有り得ない」と過去を判断するのは危険な判断方法である。


江戸期に於ける「おかみさん」のついでに、「商家の娘さん」についても少し書く。

「商家の娘さん」についても、修験道師絡みの、江戸期独特の風俗習慣が存在する。江戸時代から明治中期まで町屋(商家)を中心に流行した「狐つき祓い」が、まさしくこれである。

この時代、まだまだお店(たな)の娘としては自由恋愛とは行かず、親の都合の縁談が当たり前で、お店(たな)の示(しめ)しとしても、親に逆らってもらっては困るのだ。

この辺りの厳しさが商家の習慣にあるから、心中事件などと言う手段もあった訳である。

実はこの「狐つき」、商家の娘が、都合の悪い恋愛や恋わずらいをした時に、便宜上付ける厄病で、修験者を呼んで「狐(恋愛感情)」を落としてもらう為の方便だった。

修験者の「お祓い」と称するものの実体が集中的輪姦で、娘を犯し倒す性感の波状攻撃により、娘の人生観さえも変えてしまう。

簡単に言えば、既成事実を作って諦めさせるのが目的だが、修験者の「お祓い」ならば神事で、世間も納得する。

つまり、娘から「狐着き」が落ちて、親の薦める縁談がまとまり、経験を積んで性的に成熟しているから、嫁に行っても、婿を貰っても相手を飽きさせない。

これは、「性交による矯正」と言う事であり、昔からそう言う手段はあった訳である。

御祈祷の奇跡についてはこんな事例がある。

若い夫婦に中々子宝が授からなかった。

現代のように夫に子種が無いなどと言う科学的な思考の無い時代は、子宝が授からないのは何かの「呪い・因縁の類では無いか」と恐れを抱く。

それで評判高い陰陽修験の修行を修めた行者様に若妻を預け、加持祈祷をして頂く。

神前祭祀(しんぜんさいし)に於ける邪気払いの大麻(おおぬさ)は、修験道の「祈願・焚(た)き行」でも使われていた。

大麻草(マリファナ)は、真言密教の遠祖・チベット仏教(ラマ教)の地であるヒマラヤ高地一帯で自然に自生していた薬草である。

当然ながら密教・修験道師(山伏)は、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人が陶酔作用を引き起こす事をしばしば信者獲得に利用した。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

つまり密室での「焚(た)き行」の陶酔の中で、願主と修験道師(山伏)が如何なる加持祈祷儀式を為して居たかは当事者しか知らない。

加持祈祷を済ませた若妻は家に帰り、そのご利益が薄くなる前に早速夫と同衾する。
陰陽修験の行者の祈祷は霊験あらたかで、「アァら不思議」と若妻に子宝が授かってメデタしメデタしとなる。

ただしこの御祈祷は秘伝中の秘伝であり、御祈祷中の行者様の気を乱してはいけないので、どんな御祈祷が為されるのかは行者様と若妻以外誰も知らない。

後はこれを読む方の御想像に任せるが、とにかく奇跡は起こるのである。

そんな馬鹿な事はない。

「真面目に祈祷をしている行者も居る筈だ。」

とお叱りを受けるかも知れないが、あなたは祈祷のご利益が本当に信じられるのか?

この現代科学で考えれば、突然子宝が授かるには合理的な理由がある筈である。

こう言う裏話をすると、直ぐに理想論者の反論が湧き起こるが、現実に密教的修験の「お祓い」の常套手段が立ち入り禁止の非公開(呪術が効かなくなると言う理由)であり、酷い話になると、「覗けば目が潰れる」などの予防線が張られていたりする。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件においては、「お祓い・祈祷」が名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、上に上るほど高位の雛の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。


誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化まで日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。

日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。

性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。

いずれにしても我輩は、「美しい国・日本」の答えが「地球を救う共生主義と言うイデオロギーに変換する事に在る」と考えている。


________

◆◇◆◇◆お召し上げ・お下げ渡し◆◇◆◇◆◇

こうして書くと庶民だけが性に開放的だったように受け取られかねないが、勿論の事、この事ばかりは氏族も庶民もさして違いはない。

この辺りが、見事に「武士道の精神」の建前の形骸化が証明されるのだが、氏族(武士)社会にはそれなりの別のいささか残酷で都合の良い制度が確立していた。

血筋がものを言う氏族(武士)社会では、血筋を残す事が最優先の了解事項だから言い分として妾は正当な存在で、正婦人は言うに及ばず妾に到るまで勢力維持・拡大の具として「閨閥(けいばつ)」の対象に成る。

領主同士の婚姻関係は軍事同盟を意味し、出世を望む部下は我娘を領主の妾に送り込み、領主は見込みのある部下に妹や娘を下し置いて頼りとする。

氏族(武士)社会の主従関係には特殊な家臣(部下)を試す制度が存在し、家臣(部下)に娘が居るなら「召し上げ」て妾にし、忠誠心を試す。

意味合いとしては「稚児小姓文化」と同じで、誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は大事な者の身を任す事である。

独身男性の場合は「お下げ渡し」と称してお上(殿)の手の付いたその女性を娶る事を求められ、その家臣(部下)の忠誠心が試される。

試すべき家臣(部下)が結婚していて妻がいるなら、「お召し上げ」と称してその妻を差し出させ、暫らく寝屋を伴にしてから「宿下がり」と称して夫に返し、夫が自分のお手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。

敵対危惧関係や敵対関係と目される相手との場合はまた別で、「人質」と言う事になる。

これらは全て古代に在った誓約(うけい)の進化系で、 家臣(部下)の忠誠度や敵対及び危惧関係相手との信頼関係を試す手っ取り早く具体的な手段だった。

「お召し上げ」の例は枚挙に暇が無いだろうが、代表的な「お下げ渡し」の例は、斉藤道三の妻・小見の方(織田信長の妻・帰蝶(濃姫)の母)である。

斉藤道三がまだ西村勘九朗を名乗っていた頃、主君・土岐頼芸から美濃一番の美女と謳われた側室・小見の方を弓の手慰めの賭けで勝拝領している。

もうひとつお下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。

側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。

事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われ、染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。

綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。

そして戦乱期、こう言う女性の閨閥(けいばつ)的価値観の扱われ方や近習(稚児小姓)は、何の疑いもなく信じられた氏族(武士)の男女として、家名のお役に立つ為の当然の役目だったのである。

__________

◆◇◆◇◆閨房術(けいぼうじゅつ性行為の技)◆◇◆◇◆◇

日本民族には、欧米のキリスト教文化と違い昔から「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」と言う姫方・女房方が積極的に殿方を喜ばせる性技があった。

殿方を喜ばせる性技「閨房術(けいぼうじゅつ)」は、姫方・女房方にとって大事な積極的に習得すべき心得だったほど、性に対しておおらかで積極的な考え方を日本民族は持っていた。

と言うのも、実は殿方が姫方・女房方の性技に喜ばされて操られる事は珍しくない為、「閨房術(けいぼうじゅつ)」に平和な武器としての価値が認められていた。

当然ながら勢力を競う氏族(貴族や武士)の子女は、誓約(うけい)の概念の元に所謂(いわゆる)「閨閥(けいばつ/婚姻による家同士の連携)」創りの役割を果たす為に世に生まれて来た様なものだった。

日本古来の「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」の発祥は不明だが、考えられる推測としては他の武術同様にその発祥を諜報活動を担っていた陰陽修験に見られる可能性が強い。

以後、修験組織が関わって成立した「白拍子(しらびょうし)遊技制度」の「床技」などで発展、戦国時代の武家の間で戦略的に子女を持って利用されて「術」として確立された。

この「閨房術(けいぼうじゅつ)」、「術」と言う範疇(はんちゅう)に入るからには、修練を積んでその「術」を自在に操れる様になる事が要求される。
つまり大げさに言えば、「閨房術(けいぼうじゅつ)」と言う性技が、氏族の女性に課せられたひとつの習得すべき積極的な技(わざ)だった。

殿方が武勇を競って領地を広げるなら、女性(にょしよう)の戦場(いくさば)は寝所(寝屋)だった。

寝所(寝屋)での事に、正妻と妾妻の分け隔ては無く「如何に殿方を喜ばせるか」の性技勝負の場に成る。

大胆かつ濃厚な性技で殿方を極楽浄土に導き、子種を授かるのが女性(によしょう)の勤めで「手柄」である。

時代により女性の性に対する価値観も違って当り前で、血統を唯一の特権の証明として受け継いできた氏族の女性にとって、この理屈に疑いなどある訳がない。

まず、当時の社会では性技は花嫁の必須条件で、十五歳と言えば嫁入りの時に性技の心得は充分に教わる。

何人もの妾妻を持つ事が普通の世界だったから、「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせ、殿方に気に入られる事から寝所(寝屋)での戦は始まる。

どちらかと言うと正妻は政略結婚で、妾妻は殿方に気に入られての事であるから、実は正妻ほど「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせないと、この勝負は気に入られている妾妻に負けてしまうから切実なのである。

そして当時の氏族社会は極端な「血統主義社会」であるから、殿方の種を受け入れ世継ぎを懐妊・出産する事が女性(にょしよう)の勝利だった。

現在の解釈など通用しないのが、歴史である。

氏族の娘にとって「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」は勝つか負けるかで、殿方の武芸武術に相当する手段だった。

当時の氏族社会は「妾妻」を持つのが当たり前で、実質一夫多妻だったから閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)は現在のように「愛を確かめるもの」と言う拠りも殿方を愉しませ「愛を獲得する為のもの」だった。

原点がその通りだから女性はむしろ性交には積極的で、凡そ人間に考えられる閨房行為に女性には禁じ手など無く、口淫性交や陰間(肛門)を使う事など技の内である。

例えば氏族(武士や貴族)の間では男色習(衆道(しゅうどう/男色)が当たり前で、ほとんどが両刀使いだったから、女性相手でも陰間(肛門)も使っての行為は現在よりも一般的で、武家の娘はその位の事は心得ていた。

恋愛は精神的もので、当時の肉体的接触は、かならずしも恋愛とは一致しない手段である事が常識で、その事を現代の女性に「昔の女性の扱いは悪かった」と同情される謂われも無い。

現代では、女性の肉体を目的達成の手段にするなど、理解され難い事だろう。
しかし親子兄弟でも領主の座を争い、たとえ叔父甥の間柄でも、隙あらば領土拡張の的にする氏族の価値観である。

「殺し合いをしても領土を手に入れる」と言う究極の価値観に生きる者達には、女性の肉体は「領土拡張の道具」と考えられても不思議な事ではない。
つまり、殺し合いも女性の色香も目的達成の手段で、当時は異常な考え方ではなかったのである。

そこの価値観の違いを分けて懸からない事には当時の女性の心情は理解出来ないし、奇妙な現代風の恋愛時代劇が成立してしまう。

しかし良い加減なもので、恋愛時代劇が成立してその物語を楽しみ、女性の敵かのごとくに拘(こだわ)る筈の妾妻と主人公の殿方との恋愛を美しく描いて楽しむ矛盾もロマンチックに受け入れてしまう。

「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」も含めて男女の仲は添ってから育むもので、精神愛まで達した仲が本当のゴールである。

本来一致させるのが難しい精神愛と性愛を、現代女性の願望を満足させる為に金儲けでロマンチックに歴史が歪められるのはいかがなものか?
http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/yobai.html

詳細は


大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html

被差別部落出身の有名人は?http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html


39. 中川隆 2013年6月14日 08:58:11 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている(修正稿)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/818.html

欧米のポルノは何故日本の AV に敵わないのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/325.html

女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%e6%ea%cc%e7%c5%db%ce%ec


40. 中川隆 2013年7月06日 00:47:26 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ダルマ女を崇める村
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/839.html

19歳女性 歯を全て抜かれ3年間「性奴」生活を強いられる
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/823.html

言う事を聞かない女はアシッド・アタックで懲らしめてやろう
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/831.html



41. 中川隆 2013年7月16日 22:30:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

9 名前:名無しさん@HOME mailto:sage [2007/03/27(火) 13:55:42 ]

昔子供の頃住んでたのは農村部だったんだけど、

ある時私が10歳、姉が13歳14歳の時に本当に突然引っ越した

母と祖母の仲もあんまりよくなかったし、それでかなと思ってたんだけど、 最近実習詐欺の話がよく出るので、母に「信じられないでしょ」と言ってみたら衝撃の事実を聞かされた。

高校受験を控えた一番上の姉に次々と縁談が持ち込まれたと言う。

高校なんて行かなくていいから、と14歳の姉に30〜50の親父どもが群がり、
村は一時姉を巡って険悪な空気になったそうだ。

俺のだ、いや俺のだ、いいやワシのもんじゃ、ってな具合にね。

それで結局、長女は一番年上の40代後半のおっさんに、 次女は30代後半のおっさんに、私はまだ時間があるからそれまでに仲良く分配しようと勝手に青年団において話が纏まってしまったそうな。

長女の嫁ぎ先wは、要介護が居て大変だからと言う事で決まったらしい。
こういう事になったから、日取りを決めようとジジィが言ってきて愕然としたとか。

祖父母は

「娘はこういうもんだ! 女が学歴つけてどうする!
娘を出せば近所で大きい顔ができるが、出さなかったら村八分だ!」

と高校に行かせないと宣言。

夜這いもおっとりに近い習慣もある地域で、危険を感じた両親が夜逃げ同然に家を出たらしい。

車に泊まったり、旅館に泊まったりしてたけど家に電話したら

「おめえらのおかげで大迷惑だ!親不孝者!
さっさと戻って来い!娘を置いていけ!」

と言われ、父は家が決まっても住所を教えなかったそうだよ。

今私は38歳だから大体28年前の話。

父は膿家脳だったらしいんだけど、超子煩悩な人でかわいい娘が要介護の舅、気の強い姑、うだつの上がらん小舅付きのアジアツアーが大好きで粗野で下品で横暴な50になるエロジジィに…

って思ったらしく、驚くほどの勢いで洗脳が解けたんだって。
http://yomi.mobi/read.cgi/life8/life8_live_1174962512


42. 中川隆 2013年7月25日 22:15:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


秋田の百姓陰湿すぎワロタwww

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 18:13:25.35 ID:yue65u+A0

:新参の農家が自分より儲けるのは嫌なので
 作物の育て方を優しくアドバイスするふりをして嘘を教え、初年度作物を全滅させる

:新参の農家が自分より儲けると自分に回ってくる収入が減るので
 夜中に新参農家の田んぼの水路をせきとめ、全滅させる

:新参の農家が無農薬なんかに手出すのはなぜか腹が立つらしく
 イネミズゾウムシという虫を新参の田んぼに投げ入れ邪魔をする

なにこのきりたんぽマフィアwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
じゃあ新規参入者受け入れるなよwwwwwwwwwwwwwwwww 

55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 19:20:37.89 ID:0An0AEwOO
>>1
2つめは秋田以外でも良くある話。
だから田に水を入れる時は、みんな夜回りする。
1と3は嫌がらせなのかどうかはっきりしないな。
ただ、肥料をあまり使わない永田農法とか無農薬とかは、業者に結構嫌われる。
マジで嫌がらせされたなら業者の可能性の方が高い。


100:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金)

いやがらせして医者追い出しまくった話にはドン引きしたわ


47.気になる名無しさん2013年07月13日 08:17

医者追い出したり子供いじめ殺したりいろいろ問題が多い土地
冬の日照時間とかが影響してる
のろわれた土地ってやつだ出るしかない

55.名無し2013年07月13日 10:16

秋田の上小阿仁村だっけ
いじめて医者追い出した村
秋田の友達いたが、自分が不機嫌だとすぐ態度に出す陰険なやつだったなー

100.2013年07月13日 17:58

実際にあるから笑えん
「これも仕事だろ?」みたいな感じで平気で嘘つくからな
あいつらと友人になれる気がしない

4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 18:14:24.63 ID:Amii2KVz0

>>1は百姓になにされたの?


6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 18:16:42.21 ID:yue65u+A0
>>4
秋田に出張行った時に脱サラして農業始めた人たちのサークルにお邪魔して
いろいろ聞いてきたwwwwwwwwwww
最初の数年間はみんな>>1みたいな嫌がらせがかなりあって
しかもすごく露骨にやってくるらしいwwwwwwwwwwwwwwwwww

46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 19:03:39.74 ID:bVgrn1ZgO

秋田出身ですが秋田人はガチで意地悪
でも昔からの農村はどこもそうじゃないの?
新参を受け入れておいて 先住民と同じ作物はNGとか後から色々な条件付けるというのはよくきく


8.気になる名無しさん2013年07月13日 04:07

俺は秋田で産まれたんだけど、母は父方の家族(秋田)にずっと虐められてた
普通は姑だけいじめてくると思うけど、父の姉まで虐めてたらしい
俺もなぜか父の姉に見下されてるし、秋田にはいい思い出がない

7.気になる名無しさん2013年07月13日 04:07

都道府県の自殺率(人口10万人当たり自殺者数)1位は秋田県

83.気になる名無しさん2013年07月13日 15:12

若者なら逃げる
逃げられない老人が自殺するんだよ
※数字はごまかせない

91.な2013年07月13日 16:20

どうも日本海側の雪国は陰湿だよね


93.気になる名無しさん2013年07月13日 16:24

京都もそんなふうだしな
もうだめだわ


94.気になる名無しさん2013年07月13日 16:37

九州でいうとこの福岡みたいなものか
秋田、青森、福岡はひどいな

29.気になる名無しさん2013年07月13日 06:22

関東の上のほうの田舎で農業やってる
この辺だとまだ区画に屋号みたいな昔の呼び名が生きていて、それをさして「部落」と呼ぶ
そして、狭い中にその部落がいくつもあり、昨今の後継者不足で別の部落から米作をしにくる人も多くなった
そこで嫌がらせがある
 
わかりやすいところでスレにある用水の塞き止め
田植え時に苗束を先に運んでおくとそれに除草剤ぶっかけ
排水パイプの盗難
ゴミをあつめて新参の田んぼに撒く etc

土着の60代以上がまだ現役でやってる田舎なんかどこでもこんなもんだ


53.気になる名無しさん2013年07月13日 09:22

千葉県南部の農家出身だけどだいたい似たような感じ。
今はネットもあるから色んな人と話したり出来るけど、昔の人にとってはその田舎のコミュニティが本当に世界の全てって感じだから排他的になってしまうんだと思う。
学校のクラスみたいな、全員がお互いのことをある程度知ってるような小さい集団の中で生涯暮らすわけだからね。いじめが起きても、基の集団の和を見出したくないから見て見ぬ振り。


15.kj2013年07月13日 04:36

田舎がハートフルでみんな優しいみたいな幻想はすてろ
すごい陰湿だし悪い噂好きで情報も全員にすぐ知れ渡る
しかも他の者をものすごいはじく


61.気になる名無しさん2013年07月13日 11:10

田舎の人間が純朴ってのは嘘なんだよな
ただ何も知らないだけ
世間も知らないし、恥も知らない

86.気になる名無しさん2013年07月13日 15:35

苛めが基本的な心の支えになってるんだよ
神様はそれをしっかり見てたんだね


111.気になる名無しさん2013年07月13日 23:21

教養がない人間というのはたいていそうだよ。
性格が悪いというよりは動物のような子供のような本能的な無邪気さで妨害するの。
最近は左翼教師が叩かれる傾向があるけど彼らに道徳とかキレイ事を叩きこまれ続けて
ようやく「優しい」人間になるんだよ。
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3834713.html


43. 中川隆 2013年7月25日 22:38:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

無医地区問題と医療費についての歴史・・ある医師の, マスコミウオッチより・・・・

離島を除いて、無医地区の問題は、本質的には交通問題・・・

しかし無医地区の住民に、都会地並の、他人を傷つけないで生活するテクニックが有るか無いかの問題が解決されなければ駄目
 

マスコミには、時折、無医村、無医地区、僻地での医療の話が出ます。 大概、そこへの医師派遣や診療所の開設を促進せよとの論調です。 

はっきり言いますと、これは、現状では馬鹿げています。 離島を除いて、無医地区の問題は、本質的には交通問題なのです。 現在の無医地区に、医師が自発的に診療所を開設する可能性はほとんどありません。 もし私が他のロマンチストの医師から、一人で無医地区に行きたいとの相談を受けたら、即座に止める様勧めます。 例え、オンラインで情報交換や相談可能な大病院がバックについていてもの話です。

 無医地区の、無医地区たる理由は、診療所の個人経営が成り立たない地域だからでは無く、医師の子弟の教育が困難なわけでも有りません。 そこの地域住民が悪い、殊に、自分が有力者だと思い込んでいる首長、議員、町内会長、大地主、資産家等が、馬鹿な要求や他所者扱いや三流医師扱いをするから、医師が嫌がって地区を出て行くだけの事なのです。 本質的には、その地区出身の若者がいなくなるのと全く同じ理由なのです。

 馬鹿な要求の例が、診察時間中に、

有力者が自分や自分の縁者について、先に診察しろと言う事、
往診が必要な状態ではないのに、俺の顔を立てて往診しろと言う事、
不要なビタミン剤や点滴をしてくれと言う事、
時間内に来れるのに、特別扱いとしてわざと時間外診察を要求する事、
診察券や保険証を呈示せず口頭で受付に氏名を告げもせず、顔パスを要求する事

等々です。 直接に医師に言うとはねつけられるため、看護婦や事務員を介して要求することも有ります。

 もし、その診療所が、地区の自治体立だったりすると、さらに酷いことになります。 まず、そこに医師が赴任する事が、首長選挙の道具になることが多々あります。 医師が赴任した時点の首長は、医師を「連れてきた」事を次の選挙の時、功績の一つとして宣伝することがよくあります。 この時、住民の意識の中で、医師が首長より上の存在になっていれば問題は少ないのですが、大概は、首長の「子分」と見なされていますから、選挙で対立候補が勝ったりすると、新首長は、診療所の運営に嫌がらせをする事もあります。 また、政治絡みでなくとも、住民の中には、俺の税金で建てたのだから、俺の言うことを聞けと言って、前述の馬鹿な要求をする者が後を断ちません。

 他所者扱いの例は、誰でも見当がつくでしょう。 何か、地区の為になる事を話しても「ここでは通用しない」の一言です。 医師が地区の集会に招かれて意見を聞かれても、大概はその地区の有力者の意見に賛成を表明して欲しい、つまり、有力者のさらなる権威付けに役だって欲しいからで、医師個人の意見は言って欲しくないのです。 これに嫌気がさして集会に参加しないと、必ず、生意気だとの陰口をたたかれます。

 家族を連れて住み着いた場合は、当然、家族も他所者で特別扱いです。 表面上は大切にされますが、裏では、格好な悪い噂の標的にされます。 私の体験を記しましょう。 私は田舎の開業医の長男だったので、「医者様の跡取り息子」として特別扱いされ、その時に出来る壁のため、田舎では友達が出来ませんでした。 弟は「跡取り」ではないため、近所に友達が出来て、皆で遊んだり喧嘩をしたり、楽しく暮らす事が出来ました。 しかし、それも表面的な話です。

 家の近くに浅い井戸が有って、そこが砂混じりの土地だったため、自然に周囲が崩れて年々浅くなって行きました。 ところが、地区の大人達は、弟が井戸に砂を入れて遊んだから埋まったと噂したのです。 弟はそんな種類の悪さはしません。 もしやったとしても、小学校入学以前の幼児が、人が頻繁に行き来する道路のすぐ脇にあって、人の目を逃れて悪さするのが困難な、直径2m深さ5m水深2mの井戸が埋まる程に砂を運べますか。


 構図は次の通りです。 

井戸が埋まった

→誰かが悪さをしたに違いない

→犯人が見つからない

→誰かを犯人にしたてなければならない

→子供がやったことにすれば皆あまり目くじら立てず地区に波風が起きない

→それでも仕立てられた子供の親に文句を言う先っぱしりが出て、その親が怒っても困る

→誰も文句をいいにくい親の子のせいにすればよい

→医者の次男坊のせいにしよう、医者は他所ものだから、我々の地区住民内ではいさかいが起き無くて済む、...


というわけで、弟が悪者にされてしまいました。 

田舎なんてこんなものです。 医師の家族に限らず、その地区での飛び抜けた「有力者」の家族も時として、格好の陰口の対象、彼らの人間関係維持の為のスケープゴートにされてしまいます。


 さらに追い打ちをかけるのが、診療所の医師に対する「三流医師扱い」です。 

無医地区に開業するとすれば、医師は必然的に軽装備になります。 重装備では採算が取れません。 そうすると、確定診断出来る病気の数が減り、患者に確信を持って説明する事も出来なくなります。 確定診断できない患者をいかに遠方の大病院に紹介しても、患者から見れば、紹介に感謝するのでは無くて、

「あの開業医は病気が判らなかったから紹介した→あの開業医は薮医者だ」

となってしまいます。 従って、地区の住民は、交通手段が確保されれば、簡単に遠方の大病院に鞍替えをしてしまいます。

 また、住民には無関係の話ですが、大病院の医師の中には、

「田舎の開業医=藪医者」

と思う医師がいることです。 田舎の開業医でも、日本で2例目の褐色細胞種を見つけた医師がいます。 

1例目は、某大学病院で正体が判らない副腎腫瘍として手術していしまい、病理検査の結果、たまたま褐色細胞種と判ったというもので、手術以前に診断をつけて手術し助けたという意味では、かの「田舎の開業医」が見つけたものが、日本で第1例目だったのです。 私自身にしても、世界で初めて、全く自力で血中の遊離型ドパミンの測定法を開発したという経歴があります。 

こんな事は、大病院の医師たちには判らなくても仕方ない事ですが、時々、初対面から不勉強な藪医者扱いされて虚しく思う事があります。 私自身は田舎医者の息子なので、大病院にいるときも決して開業医を十把一からげにしたことは一度も無いのですが...。  

田舎にいるからと言って、全員が不勉強とは限らないのですが、住民のみならず、仲間の医師からも藪医者扱いされるのも、田舎が嫌になる理由の一つです。


 住民に話を戻すと、無医地区なんて、現実はこんなものです。 

素朴だの朴訥なんて物は、都会人の虚しいロマンに過ぎません。 

無医地区には、必ずその地区で生まれ育った若者ですら、耐えられなくて都会に脱出する原因となる因習が存在し、医師が行った当初は歓迎されても、半年経たないうちに、医師はその因習と戦わねばならなくなります。 

都会地でも似たような事をする馬鹿な住民はいます。 しかし都会の住民の多くは、他人を傷つけないで生活するテクニックを自然に身につけていますので、医師としても都会の方が精神的に暮らし易いのです。 これが、医師が増えても無医地区に開業しようとする医師が増えない本当の理由です。

 医師も人間です。 単に、交通の便が悪いため仕事が少なくて若者が流出しているだけの無医地区ならば、医師は必ず住みつきます。 不採算に対しては診療所を自治体立にすれば良いだけの事です。 子供の学習については、中学までは自分で教え、高校は都会地に出してやれば良いだけの事です。 

要は、無医地区の住民に、都会地並の、他人を傷つけないで生活するテクニックが有るか無いかの問題なのです。

 皆さんの殆どは御存知無いでしょうが、実は、日本には無医地区を無くす千載一遇の機会が有りました。 第2次大戦敗戦後、都市の荒廃に見切りをつけた医師達が、続々田舎に入り込んだのです。 

この時住民が、医師を人間として大切にすれば、彼らはそのままずっと居続け、また、田舎で大切にされる事が若い医師に伝われば、世代交代も順調に進み、無医地区は無くなるはずだったのです。

 ところが田舎に行った医師達がそこで受けた扱いは上記の通り、さらに当時の世相を反映して、高価な品物で少しの食料との交換を願う都会の住民に対する尊大な応対、自分の2、3男が戦死して悲しむどころか、厄介者がいなくなった上に遺族年金が貰えると大喜びする馬鹿親等々、....

医師で無くとも、脱出する機会が有れば、必ず脱出するのが人間として当然でしょう。 当時田舎に行った医師達は、田舎で資金を貯め、それが出来ると、次々都会地に戻りました。 私の父も、時代は違いますが祖父も、そうした医師の一人でした。

 勿論、戻らなかった医師もいます。 そうした医師達は、押したり引いたり、敵の敵は味方にする等の権謀術数を使って、自らをその地の絶対的有力者と化した者達です。 私の叔父の一人がそうした医師の一人でした。 田舎の診療所で長くやろうと思うなら、この権謀術数は今でも必須です。

 田舎は今も昔も変わりません。 伝統と称する因習を守り続けている人達が殆どです。 数年前、米が不作で都会地の人が田舎の農家に米を買いに来ました。 しかし農家の人達は、自家用以上の米を持っていても、分けてはやらず、「買いにきたけど売ってやらなかった」「高く売ってやった」との声が聞こえて来ました。 老人達は、敗戦直後の状況を思いだしたとはしゃいでいたそうです。

 この様な田舎の状況は、余程の変わり者で先輩も友人もいない医師を除いて、医師なら誰でも知っているし、若い時のアルバイト先の病院や診療所で、1度位は田舎の因習との接触を体験しているはずなのです。 ですから、どんな誘導策を取っても、無医地区を解消するだけの医師数の確保は出来ません。 こんな事は、現場の医師の世界では昔からの常識なのです。

 それにも拘らず、30数年前、政府やマスコミは医師の数を増やして「無医村を無くそう」とのキャンペーンを張り、医学部や医大の定員増や新設をやってしまいました。 新設医学部や医大に教員を供給する有力大学にとっても、自分の大学や医局の勢力拡張のチャンスであり、女々しく医局に残っていた古手の助教授や講師の追い出し先が出来たと、大歓迎されました。 しかし現場の開業医達は知っていました、医師の人数を増やそうと、そうそう田舎に行く者は出ず医師が都会に集中する事を。 

 そしてさらに現場の開業医達は、医師数の増加によって、医師一人当りの患者数が減り、それを埋め合わせる為には、患者一人当りの「水揚げ」を増やさねばならず、そうなれば医療費は簡単に高騰する事も知っていたのです。 しかし、この警告は政府やマスコミによって完全に無視されてしまいました。 世情一般の競争原理が、医師にも働き、医療費の総額がそれほど増えないと勘違いしたのです。 昔の日本医師会長の武見太郎氏も、始めは医師養成数の急激な増加には反対していましたが、子弟の医大入学の機会が増えるとの一部の医師会員の声に押し切られたと聞いています。

 かくして、医師数は増えましたが無医地区は残り、医療費が増加したという訳なのです。 結局、根本的な責任は、自分達の因習に固執し、千載一遇の医師常駐の機会を自ら壊し、自らの地域の若者を追い出し、他所者の移入を拒み、採算性の低下に寄与した無医地区の住民自身に有ります。 これを上滑りの「同情」だけで「無医地区を無くそう」キャンペーンに仕立てたマスコミ、医師養成数増加に荷担した政府、窓際族整理に利用した有力大学医学部、子弟の闇雲な医業継承を願った一部の医師達が共犯者なのです。

 さて、無医地区解消の話をしましょう。 医師は、都市部での生活がいくら苦しくなっても、無医地区には行きません。 一番冷たい見方としては、将来を考えれば、自動車の運転が出来ない老人が亡くなって減って行くわけですから、20年位で殆どの老人が車を運転出来る様になりますので、その時点で、現在の「半径何Km以内に医療機関が無い」という無医地区の定義自体が、離島以外では無意味になります。 離島以外の無医地区の独居老人には、連絡網を張るだけで大概の用が足ります。 とすると、時間の経過で自然解消を待つという手が有ります。

 次の手段としては、交通網の整備、つまり、道路の確保と家から医療機関迄の送迎や緊急搬送手段の確保です。 簡単に言えば、人の住む所には、車が楽にすれ違える程度の舗装路を通し、送迎バスと救急車の手配をすれば良いだけの事です。 これで、離島以外の無医地区はほぼ完全に消滅します。 これには金がかかりますが、従来型の公共事業として、少しは景気浮揚に役立つかもしれません、勿論、直接的採算は全く合いませんが。

 無医地区の住民の意識改革は不可能です。 彼らにとってみれば、彼ら自身はその地区に住み続ける事が出来た「勝者」であり、その地区の「正しい伝統」の継承者なのです。 「勝った」者が反省するなんて、有り得ない事なのです。

 以上、無医地区の無医地区たる由縁と、それが今日の医療費の高騰を招いた経緯を説明しました。 最後に、もし、これを読んでいるあなたが、無医地区の解消に情熱を持っている医師ならば、実行は慎重にして下さい。 単なる「気の毒」で飛び込むと、裏切られるだけです。 理不尽な要求を全て厳しくはねつける度胸と、その地区の因習の打破を実行してくれる賛同者を育てる能力と、時には先に書いた権謀術数を実行する覚悟が無ければ、行くのはおやめなさい。
http://www.izai2.net/muison.html


田舎では一事が万事この調子で、権力者は人を殺しても平気で罪を他の人になすりつけて、部落民も口裏を合わせて偽証するというのが普通なんですね。


44. 中川隆 2013年7月25日 23:00:33 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

秋田県上小阿仁(かみこあに)村の診療所で次々と医師がやめてゆく問題が発生


ネットで報じられる村民からの医師へのいやがらせの数々

昼食をとる時間がなく診療所内で食事をしようとパンを買ったときに

「患者を待たせておいて買い物か」

と住人に責められる。

年間休日18日。土日や祝日も村内回り、お盆期間も診療を続けた。しかし盆明けの8月17日を休診にすると

「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」

と批判した住人がいた。


診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と、センサー式照明を設置費用・電力費用を自費で設置したが、「税金の無駄使いをしている」と苦情を言った住人がいた。


自宅に嫌がらせのビラがまかれた。


当時mixiに書かれていた村民の発言

「上小阿仁診療所のヤブ医者がついに解雇らしいです。
年収2000万超も貰ってたらしく、村長よりも高給取りだったらしいですよ(@_@;)」

「やぶ医者め 家も建ててもらったり…最低だぁ」


村の広報紙で出された注意。

「医師にも同様に休日が必要であることから、村民の皆さまには、緊急かつ必要な場合以外は、連絡を遠慮するよう配慮していただきたいと考えております」

などと書かれてあります。
http://matome.naver.jp/odai/2134921660679478601



45. 2013年7月25日 23:02:09 : W18zBTaIM6

0 :ハムスター2ちゃんねる 2012年11月26日 9:44 ID:hamusoku

「悪の村」「村民全員が意地悪い」。

診療所の医師が辞職するたびにネットでそんな風評を立てられて苦しんでいる村がある。秋田県中央部に位置する上小阿仁(かみこあに)村だ。なにが原因なのか、どのような被害が起きているのか。村長のインタビューを中心に、村の現状をリポートする。(取材・文=フリーライター・神田憲行)


 * * *

 上小阿仁村は人口約2700人、65歳以上の高齢者が人口に占める割合の高齢化率45%(秋田県の自治体で最高水準)。村民の年間平均所得は143万3000円、県下で下から2番目に低い。村の総面積の90%以上は山林原野だ。

 ことの発端は、この村で公募した村の診療所勤めの医師が、08年からの4年間で4人とも短期間で辞めていったことである。とくに2011年5月30日に2番目に辞めた女性医師に対して一部村民から言いがかりのようなクレームがあったことを、前村長が村の広報誌で紹介した。

《まったく「いじめ」と思われる電話もあるそうですが、このような不心得者は、見つけ出して、再教育の必要があるようです》

《このような不心得者は、わずか5〜6人に過ぎないことを確認しております》

 その後も医師が辞職するたびに、「いじめがあった」とネットに書き込まれるようになった。

「ネットの書き込みを見て、村に『悪の村』とかメールや電話が掛かってきています。これはもういじめですよ。あんな思い込みの書き込みを本気になするなんて、ちょっとおかしいんじゃないか」

 上小阿仁村の中田吉穂村長(61歳)はそういって顔をゆがめる。

−−しかし4年間で4人とも短期間で次々と辞めるというのは不自然ではないでしょうか。

中田:どうして? 体調不良であればしょうがないですよ。

−−2番目の女性医師に関しては、前村長が広報誌で村民の「いじめ」のようなものがあったことを指摘しています。

中田:うん、その文章は重い。でも当時町議だった私はこの女の先生が辞めて帰られる前に1時間ほど話をしたのよ。「上小阿仁のことは忘れない」と言ってくださったし、「(広報誌で)本意ではないことを書き残されて、私としては悔やみきれない」と話されていたんですよ。

──この文章では「不心得者が5〜6人」と具体的です。

中田:これは、これはよ……(首をかしげて)前の村長がどういう意味で書いているのか……。


──そのあと2011年6月1日に来た3人目の40代の男性医師も、今年12年10月12日に、「水が合わない」と言い残して辞められています。

中田:それはたぶん気候なんですよ。このへんは天然の秋田杉の名産地で、シーズンは空が真っ白になるくらい花粉が舞う。鼻水が出たり大きなマスクしてたから「先生、大丈夫ですか」と聞いたら、「気候が合わない」とおっしゃっていましたから。

──だとしたら「花粉症で」と言えば済むのではないでしょうか。なにも「水が合わない」という含みを残した言い方をしなくても……。

中田:まあ……それは体調が最悪の時期だったぺ。あとたぶん、若い先生にしたら、この村での地域医療はやり甲斐がないと思う。診療所には入院施設もないし、薬を出す以外はたいした治療もできずに秋田市内の大病院に紹介状を書くことが多い。ただの紹介屋さんみたいになってしまうんだな。若い村民は自分で車運転して最初から他の病院に行ってしまうケースもある。そうするとほとんどお年寄りしか病院に来ない。そういう先生の「想い」と現実の差がストレスになっているんかなあ……。この先生は「自分はまだ若いから、医師としての腕を磨きたい」と帰られる前におっしゃっていました。


──そのあと直近で今年10月に来られた71歳の医師はひと月で辞職されました。

中田:ご本人が「80歳まで頑張る」というので来ていただいたんだが、残念ながら自己管理ができてなかったす。たちまち体調を崩されて心臓が弱り、もう故郷に帰られました。

 診療所で診察をまっていた80歳の男性は、ネットの「風評」について「聞いたことがある」と頷いて、うなだれた。

「上小阿仁の者が、先生をいづめるってことはねぇべや……」


46. 中川隆 2013年7月25日 23:40:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 03:26:04.26 ID:I39w8oR+0

俺が聞いた話では、
村に病院欲しいよ派と病院いらない派があるんだと

で、いる派が医者を呼んで
いらない派が追い出して
いる派が医者を呼んで
いらない派が追い出すらしいwwww

81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 03:28:08.38 ID:hviTewN/0

村長が国外にでて働いてた先進的な人で
村を乗っ取ろうとしてた宗教団体が追い出そうとしてたやつだっけ?
村長が連れて来た医者に嫌がらせしまくって「村長には求心力が無い」
って事にしてたって秋田の人に聞いたんだgあ

82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 03:29:27.15 ID:rOE89kf/0
>>81
どんな宗教団体?


84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 03:31:45.99 ID:hviTewN/0
>>82
よくわからん、たぶん創価とか有名なカルトじゃなくてマイナーなカルトじゃね?下手すりゃその村だけの宗教かも
村長は結構まともな人で、村に医者を呼んだんだけど村長の指導力が無いという風にしたいから、医者を必死に追い出してるのがその宗教団体だと聞いた。普通に考えたら医者は必要だろ。たぶん宗教団体は医者まがいの事してたんじゃなかろうか、キリスト教も布教のためにそういう事してたし。

92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 03:38:57.97 ID:hvRcBCDui

土曜も診察したり雨の日に家まで訪問したりしてた献身的なやつまで辞めさせた村なんだろ?
この医師の優しさに気づいてた人はかなり批判したらしいが

105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土)

mixiで医者を誹謗中傷していた上小阿仁村の仲間たち

■マタギ…(27歳) 元ダイドー社員
上小阿仁村コミュ主で中傷の中心人物
1/22結婚、息子は やまと(大和)君0歳

「上小阿仁診療所のヤブ医者がついに解雇らしいです。
年収2000万超も貰ってたらしく、村長よりも高給取りだったらしいですよ(@_@;)」
「なんか新村長が減給と住民票を上小阿仁に移すように言ったところ、医者が辞めます言ったらしいです(@_@;)
もともと現村長になったら辞めるって噂がチラホラあったって話もありましたし(´Д`)
さらに噂の噂では沖田面のお婆さん亡くなったときも釣りをしていたらしい・・・ヽ(  ̄д ̄;)ノ
ズル休みしてまで釣りにいくほど釣り好きだったみたいです(´д`)
次のお医者さんに期待ですねっъ(`ー゜)」

■きむ…金絵梨子(24歳)
上小阿仁村では介護士→現在 北海道で育児中

117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 04:11:30.93 ID:RiIWu2xJ0

・休日に趣味の釣りに行く
 →「サボってんじゃねぇ」とクレームの嵐

・メシ食う時間が無いから空いた時間でパン買って食う
 →「診療サボって優雅にお買い物とお食事ですか」と非難される

・急な患者に対応できるよう自動反応照明を自費で設置
 →「税金の無駄遣い」とビラ撒かれる

ワタミがホワイトに見えるレベルの労働環境

32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 02:11:15.27 ID:x+W6SOeq0

新村長が連れてきた医者だったから旧村長派閥の人たちがいじめて追い出そうとしてたうんぬん

33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 02:11:13.45 ID:7+ajLfc5O

嫌がらせをしていたのは医者にかかる必要がない若者ばかり
しかも首謀者の一人の女は医者がいなくなっても自分は結婚で北海道に引越すから関係無いと器物破損など犯罪に当たるようなかなりエグい嫌がらせをしていた

嫌がらせの理由はよそ者に金が行くのが嫌だから、の一点
年寄り連中は最初止めずに見ていたが、医者がおらず死人が出るようになってようやく止めに入り始めた
しかし後の祭り

43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 02:18:09.36 ID:HSSHiDyu0

秋田の田舎は怖い。仕来りとか面倒くさい
よそ者が台所に立つと殺されるレベル

​ ​

​​1772:名無し@まとめでぃあ:2012年11月18日 23:23:57

祖父母が住んでいるので上小阿仁村に何度も行ったことあるけど村自体は普通、元々林業で栄えた村で現在は衰退し、廃墟が多い。
隣町に湖東総合病院があるけれど財政難、建物の老朽化、医師不足で満足のいく医療は受けれないため、秋田市か能代市まで行かないといけない。

俺が小さい時は中国やフィリピンからの出稼ぎ女性が20人くらい居たと思う。
個人的には、認知症患者が多い、2つの部落による派閥争い、仕事が全くないのに年収2000万以上貰っていることに対しての村民の怒り、だと思う。

祖父母は診療所は利用してないので詳しいことはわからない。宗教については聞いたことがない。確か神道の人が多かったと思う。


1824:名無し@まとめでぃあ:2012年11月19日 09:28:54

公立の診療所があるってことは税金で運営されるってことで
人口3000人の村でんなもん維持するのはぶっちゃけ10割負担と大差ないわけだ
だから医者いらね。村長は何考えてるんだ、という一派と

医者がいなかったら緊急時どうするんだよおら死ぬのが怖いだよ、って人たちがいて
選挙なんかも絡んで反目。
この二つはどっちもジジババ世代ね

若い連中は職場も買い物も病院も村の外で済ませて
そもそも村には寝に帰ってるだけのようなもので関わり合いを避けてる
親が死んだら山を処分して引っ越すつもりなのでそれまでの辛抱

ってのがまあだいたいの図式
​ ​http://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-372.html
​​


47. 中川隆 2013年7月27日 10:16:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


山口県周南市連続放火殺人現場へ行ってみた _ ぬえのなく夜は怖い
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/862.html

沖縄パナリの秘祭 _ 沖縄の食人文化http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

部落と近親相姦話
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/773.html


48. 2013年7月28日 11:25:14 : W18zBTaIM6

690 :可愛い奥様:2013/07/28(日) 11:19:12.93 ID:W9kNzWLn0


田舎あるある 

・チャイム鳴らす前にドア開けようとする

・年寄りは鳴らそうともしない

・鍵かけてたら文句言われる

・言われないけど裏口も開けようとされる

・車があるからと縁側に回って「いる〜?」て来る

・縁側がしまっていると、ベランダに回って窓を開けて入ってくる

・夜中に村の男たちが順番に布団に入ってくる

・酒の席で刃物を持ち出すのはよくある

・愛犬に除草薬まかれる

・草刈機焼かれる


49. 2013年7月28日 12:08:18 : W18zBTaIM6

・普通に上り込んで勝手に茶を入れて飲んでたりする

・雨がふってくると隣のおばちゃんが勝手に洗濯物を取り入れて居間に置いてくれている

・パンツ一枚の謎の中年男性が自転車に乗って真昼間から徘徊してる

・夜中に村の男たちが順番に布団に入ってくる


50. 中川隆 2013年8月01日 19:56:28 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

1.名無し 2013年07月31日 14:47

この村に限らず村落なんて村八分で人を阻害して楽しむ集団だよ。
東京都でも桧原村とかはまだ普通だけど日原鍾乳洞があるあたりは悲惨なイジメの巣窟だよ。

いつ殺人が起きてもおかしくないし、実際に人殺しがあっても村中で隠ぺいして何もなかったかのように処理するので今まで警察沙汰になったことがないけどこのケースは違ったんだね。

出身者が言うんだから間違いない。

8.名無し 2013年07月31日 18:01

疎外されたと簡単に言うけど小さい村での疎外って恐ろしい孤独を意味するんだよ
俺たちのようにその気になれば一人で生きていけるというような都会の面影はない
悪い事に権力者が必ず変な思想をもっていて主観でとんでもない依怙贔屓をする

「しきたり」という言葉を聞いたことがあると思う。この「しきたり」というのは村では憲法よりも絶対的な力をもっていて、それに背くと拷問や虐待が待っている。
今回の犯人はその「しきたり」を破っただけなのだと思う。ただ逆ギレして相手を殺した。
村側が人殺しをした場合は口裏を合わせて死体を隠すが、今回は村側が被害者なので警察を介入させたってことだよ。

15.名無し 2013年08月01日 05:15

田舎は良い = 間違った幻想

イジメで結束をはかるのは、集団心理そのもの。
「イジメはいけません」と言っている大人がイジメてるんだからイジメが無くなる訳がない。村の隠蔽体質は未解決事件に深く関わっているんじゃないだろうか。


21.名無し 2013年08月01日 18:35

田舎のじみん支持者は本当に意地悪だし、きたない手を躊躇なく使うよ。
選挙でお金ばらまくとか、対立候補の悪い噂のビラとかは余裕。
山口なんて、どんだけ思い上がったじい様、婆様がいるか想像しただけで怖い。
http://amaebi.net/archives/2077600.html


51. 中川隆 2013年8月01日 21:55:49 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

5.名無し 2013年08月01日

2chで東京都の奥多摩にある鍾乳洞付近の村落の出身者で自分や自分の家族が遭わされてきた村八分の恐怖について詳細に語ってた。

まるで南北戦争前のアメリカの黒人のような扱いだわ。

畑は無残に荒らされ、娘はレイプされ、二男はたぶん殺されて行方不明。

村人全員が口裏を合わせて嘘の供述するから警察なんて何の役にもたたない。
韓国を小さくして村レベルにすると、そっくりそのまま同じイメージになる。
日本人としては絶対に許し難い行為だよな。


9.名無し 2013年08月01日

同和を甘く見ない方がいいよ。人殺しなんてなんとも思っちゃいない。


12.名無し 2013年08月01日

トリックの映画に出てきた村人を連想してしまった。
確かに人殺しなんてなんとも思っていない連中だった。
フィクションだとばかり思っていたが実際にあるんだな。


15.名無し 2013年08月01日

閉鎖的な田舎なら余所者は村八分にされるなんて珍しくないぞ
優しそうな婆さんが平気で若者に嫌がらせしてるなんて田舎じゃよく聞く話

今でも大昔の風俗に縛られてる村もあるらしいし
15年くらい前に山奥の村で大地主に若い女の子が監禁されてるって事件あったじゃん

女の子がむらの風習に従わなかったから母親も同意したとか言うやつ

山奥の田舎はマジで昭和どころか江戸時代の世界だよ
あんなことするのは全部韓国人とか思ってるお花畑野郎もいるみたいだけど
http://amaebi.net/archives/2078052.html


52. 中川隆 2013年8月10日 13:56:30 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ど田舎の集落、部落民の人間関係は悪人のひとことに尽きる

一人の個人としてはいいのだろうが、部落、集団になると人が変わる

オレの友達の両親が役所を定年退職して田舎で農業をしたいという夢を実現し、実際に土地を買って移り住んだ

ところが部落民から「いじめ」を受けて2年で鬱病になり自殺した

母親は、バカ高い金額で購入した土地と家をただ同然の金額で売り渡した

それもその土地を最初に販売した部落民が買い戻した

購入価格の10分の1


静岡の田舎でもひどい話がある

市道なのにうちの私道も少し踏む、と道路使用料をとる町会役員もいる

そこを通る近所の住民から道路使用料を一人18.000円

唖然とするのは誰も反対しないで払うとこが凄い(住民20人)

こんなことが田舎では通るのが恐ろしい!!


集落の現状

・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する

・「村」の掟や価値観、しきたりがある

・出る杭は打たれる。長い物には巻かれるべしの精神構造

・排他主義に基づく仲間意識が存在する

・自分逹の理解できない『他所者』の存在を許さない

・同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いている

・自分たちより劣る存在である、といった思い込みが激しい

・弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的にいじめをする

・集落は陰口を好み二人集まると誰かの悪口を言う

・プライベートやプライバシーといった概念が無い

・無学、無知、無教養の集まり


村社会の規則
http://www.cns-fuso.co.jp/inpaku/02mita/mit-095.html


村八分訴訟

「2004年に沼集落で開催されたイワナのつかみ取り大会において、運営責任者である集落の区長など地元有力者3名に対し、11名の村民が

「準備や後片付けなどでお盆をゆっくり過ごせない」

と運営不参加を告げたところ、村八分行為(ゴミ共同収集箱に施錠を行う、山菜採りなどに対して入会権を認めない、等)を受けたとして村民11名が有力者3名を相手取り提訴」

部落で殺人事件が起こる原因は「村八分」「いじめ」

「悪口を言う、いじめをする、嫌がらせをする」


いじめは部落民の伝統

部落民の現実

SPA!4/28号の記事

「年収100万円ライフ充実術」でUターン転職の成功例として取材したときには、

「田舎は物価も安いし空気もうまい。週末にはカヌーを楽しんでます」

と満面の笑みだったからだ。

それから1年後

岩手・多田昌義さん(仮名・34歳)郵便局嘱託

田舎は怖いです。正直、1秒でも早く抜け出したいですね」

原因

「近隣住民とのいざこざがきっかけで、東京から一緒にやってきた妻がノイローゼ気味になってしまって…」

諸悪の根源は、地域住民たちによる婦人会の存在だという。表向きは「子供のために地域の治安を守ろう」

というものだが、その実態とは…。


「毎日、会合と称して集まっては、

『出会い系サイトで誰々と会ったとかエッチした』

なんて話をしているようで。そんなところに行くなって妻に言っても、

『参加しないとありもしない噂を立てられるから…』と」

治安を守るはずの婦人会が、ほとんど不貞妻たちのハッテン場。心配しつつも「ウチの嫁にかぎって…」 と妻を信頼していた多田さんであったが、昨年末に計画されたあるイベントがきっかけで、訣別を決意する。

「婦人会を仕切る会長の亭主が運送会社の社長なんですが、年末の社員旅行になぜか婦人会のメンバーも 強制参加させられるというんです。おかしいでしょ? 

“人の妻”ですよ? オレも行くって言ったら、

『婦人会の懇談も兼ねての伝統行事だからムリみたい。社長にも逆らえないし』

って。 さすがにそんな慰安婦みたいなマネはさせられませんから、断りましたよ」


無事、婦人会を抜け出したはいいが、目を合わせれば陰口を叩かれる毎日。
奥さんは外出するのが怖くなり、家にこもりがちになったという。
http://desktop2ch.tv/soc/1284207813/

http://uracigoto.blog.fc2.com/blog-entry-320.html


53. 2013年8月10日 17:14:33 : W18zBTaIM6

昔の風習で初体験パート  2010/09/11

両親が相次いで泣くなり、僕は叔母に引き取られた。
叔母には僕と同い年の高校生の娘と中学生の妹がいた。

亭主は浮気して女と一緒に暮らしている。

叔母に引き取られて驚いたのは、僕が入浴するときは必ず叔母も一緒だということだ。
叔母に言い含められているのか従姉妹達もなにも言わない。

毎日脱衣所で二人服を脱いで全裸になって浴室で身を清める。
叔母が僕の全身を洗ってくれる代わりに、僕も叔母の裸体全身を洗わなければならない。

僕は石鹸を付けたタオルで叔母の乳房を触りながら洗っていく、叔母の巨乳を合法的に触れるので、揉み捲くり石鹸の泡だらけの乳房の谷間に顔を埋め、大きい乳輪の真ん中にある乳首をすい続けた。叔母は拒否すらせず双方の乳房を揉ませ僕のエロ行為を受け入れていた。

僕が興奮して

「叔母さん、やらせて!」

と言うと、ローションを肉棒に塗りしごきだす、ヌルヌル感で僕は気持ちよくなり白いザーメンを叔母の肉体にかけてフィニッシュ。

風呂から上がると従姉妹たちから

「お母さんに抜いてもらったの?」

と聞いてくる。もう習慣になり普通の出来事なのだ。

叔母は僕の前でM字開脚しクリトリスを舐めるように促す。

おばの指示通りに舐めていくと、叔母が気持ちよくなっていった。

「弘司、女は此処を舐められると気持ちよくなるんだよ。
今度は穴の中に指を入れてごらん。」

膣の中に指を入れると叔母が一瞬痙攣した。

「それを前後に動かして・・」

膣の中で指をズコズコと動かすと叔母は激しく興奮し悶絶した。

「おばさん、やらせて。」

と僕が言うと叔母は勃起した肉棒を口に銜えフェラチオをして僕の精液を飲み干した。

僕は叔母に

「なぜこんなことをするの?」

と聞いたことがある。叔母は

「男になるための儀式よ。」

と言うのみ。高校生も3年になると叔母と一緒に寝るように言われ、数々の性的行為を二人でして、僕は叔母の愛人のようになって近親相姦寸前の関係を続けて、叔母からSEXについて教わっていた。

僕は高校生の従姉妹と海水浴に行った。
泳ぎ疲れて日陰で休んでいたとき、彼女から真相を聞きだした。

僕が生まれ育った町は、昔から男を大切にする。
だから初体験の相手にと頼まれたら女は嫌とは言えず童貞卒業の手伝いをすることが多い。
童貞を卒業した者は一人前の男として見られるからだ。

僕もその風習は知っていたので、僕はこの従姉妹と初体験を済ませ童貞を卒業させようと思っていたのだ。ところが僕の部落では少し違う、男が年頃になると近所の年増に頼み初体験の相手をしてもらう。

相手をする年増は大抵後家か亭主が出稼ぎに行った女房だ、男は童貞を捧げた年増に結婚するまで面倒見てもらう、詰まる話が性教育をしてもらうのだ。経験豊富な年増の女から色々と教わった男は結婚してから嫁との夫婦生活が円満になり家が栄えたケースが多かったという。

だから僕の部落では母親みたいなおばさんと初体験する例が多い、我が一族では当主の跡取りに適当な年増が近くにいなければ親戚の年増が相手をすることになっていたらしい。血が遠い程いいのだが大抵は叔母が努めた。

今よりも避妊に対しての意識も技術も低かったので、当然妊娠する場合がある、そのときは産むしかない。甥の子を叔母が産むのである。しかしその子は里子に出された。

だから僕は当主の跡取りになるので、当家の風習に則り叔母が初体験の相手になり結婚するまで僕と肉体関係を結ぶのだ。

僕は推薦入試で大学進学が決まった、年の暮れに叔母が僕を居間に呼び、初体験の儀式を行うと告げた。

冬休みの期間正月まで、両親が死んで不在となった僕の実家で二人だけで行うと言う、雪の積もった中を二人は実家へ、布団を敷き二人は全裸になりその中へ潜り込む。

二人はキスを交わす、舌を絡め禁断の情事の開始を告げる。

叔母に今まで教わったとおり豊満な乳房を揉みほぐし乳輪から乳首へ愛撫を施す。叔母も負けずに僕の裸体を嘗め尽くし、若い男の肉体をむしゃぶりつくす。

叔母が肉棒を銜えフェラチオをし甥の肉棒をしゃぶる。叔母は当時まだ40代の半ば、従姉妹たちにはない豊かな乳房を始めとして、美しい裸体に僕は酔いしれる。

「弘司、弘司、私と結婚したいでしょ、私の裸綺麗でしょ、弘司は私のことが好きでしょ。」

叔母はもう僕を甥ではなく男としてみてるらしい。

僕は叔母の美脚を広げさせM字開脚の状態で僕は顔を埋め、クリトリスを舐めクンニを始めた。叔母は余りの気持ち良さに喘ぎ声を漏らし、

「ひろーーーーしーーーーー好きーーーーーー」

と叫び僕を求めた。しばらく続けると潮を吹きシーツが濡れてしまった。

「弘司、弘司に対する気持ちが潮を吹かせたのよ、弘司は誰にも渡したくない、私の男にしたい。」

叔母は僕を抱きしめ僕に深い愛を示した。叔母は勃起している肉棒を膣の中に挿入し

「コンドームはいらないから、この中で出して。」

と妊娠覚悟で僕を迎え入れる。叔母の子宮目掛け僕は腰を振り肉棒をズボズボさせる。叔母に教わったようにFUCKモーションに強弱を付け時間を持たせる。

「叔母さん、そろそろ行くよ。叔母さんと一緒に居たい。叔母さんが好きだよ」

そう言いつつ激しく腰を振って肉棒を膨張させ頭が真っ白になると

「どぴゅ〜〜〜〜〜〜〜」と膣の中で多量の精液が注がれていった。

正月まで実家に篭り、叔母と性の儀式を行い初体験は無事終了し叔母と肉体関係を続けることになった。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b01_1/index.cgi?mode=thr&no=2076


54. 2013年8月10日 19:21:30 : W18zBTaIM6


珍しくもない東北地方の近親相姦(フィクション)


○○家の秘密 投稿者:近親相姦 投稿日:2009/03/21(Sat) 19:08

  私は東北地方の人里離れた部落に暮らす、30代後半の男です。
農協で働く妻恵美子と10年程前見合結婚し、婿養子に入りました。
隣に家を建ててもらい、金銭的には何不自由なく暮らしていますが、この地方地域部落の風土仕来たり、特に○○家の奇行には驚かされるばかりです。

  近親相姦など珍しくもありません。性欲の強い男は暇さえあれば女を見つけ、己の欲望をみたしています。義理の父は60になりましたが、未だに性欲絶倫で、義理の母幸代50代を毎日容赦なく犯しています。男尊女卑。ここは未だ戦前の日本の名残、この部落は今でも女は男の奴隷です。

妻も近寄らない開かずの間に全裸で緊縛された義母

  私はこの家に入り1週間でこの異常に出くわしました。義母は気立ての優しい働き者です。小柄ですが胸は大きくふくよかで、色気漂う熟女です。そんな義母は私にメイドのように振る舞い、初めはこんな山奥に婿に来てくことに恐縮しての態度だと思っていましたが、この家では女は男に尽くすことが何よりの喜びと教育され、家の仕来たりだったのです。

  私はこの家に来た時から義母を異性として気にしていました。妻もあり新婚です。義理の父もいます。初めは良い夫を決めていたのですが、この家に入り1週間も経たぬ間に理性は吹っ飛び、義母を犯してしまったのです。

当時私たち夫婦は広い2階を、義理の姉がいるのですが、引き籠りの彼女が南側の1部屋を、大広間に台所客間、日の当りの悪い北側奥2部屋を義母夫婦が寝室に使っていました。

  家は古いのですが田舎ですから部屋は広く、義母夫婦の寝室も2部屋を引き戸で仕切り、手前の和室だけでも20畳はあったと思います。この家に来て間もない私は分からなかったのです。

  その日私は義母に用があり、義母を捜すうちに妻も近寄らない開かずの間を開けてしまったのです。雨戸の閉まった薄暗い部屋には、裸電球が灯され中央には大きな三角木馬が置かれ、奥を見渡すと古木で作られた十字の磔台が、その横には鉄格子の牢が設けられ、中には全裸で緊縛された女が放り込まれていました。

  その一糸纏わぬ全裸の姿は、女の秘肉こそ見えない状態でしたが、大きく垂れた乳房は縄で縛られ熟女を強調していました。義母のあられもない姿です。よく義父は義母を弄び、そのまま部屋を閉めて山に入ってしまうのです。きっと帰ってきてからまた義母をいたぶるのでしょう。


女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%e6%ea%cc%e7%c5%db%ce%ec


縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見え

  数日後、私は義父が出掛けた隙に妻の目を盗み、義父の寝室に忍び込みました。薄暗い部屋の中で義母は全裸で後ろ手に縛られ、目隠しをされ、天井の梁から吊られていました。排尿を我慢し切れなかったのでしょうか、尿は垂れ流されていました。梁からさがった縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見えでした。犯って下さいと言わんばかりに、熟れたオマンコが曝け出されているのです。

  その日を境に私の理性は吹っ飛び、義母を犯し続けています。数ヶ月が経ち義父も気づいたのでしょうか、普通なら殴られたり嗜(たしな)めたりたいへんなことになるはずなのですが、義父の奇行はエスカレートし、酒が入ると平気で私の前でも義母を罵り、その場で服を剥ぎ取り陵辱するようになりました。義母のおろおろする怯えた姿が、責める人間にはたまらない快楽なのでしょう。


引き籠りの義姉は、肉汁を垂れ流してイキ果てる

  妻恵美子には5歳年上の姉で洋子がいます。40になるのですが嫁にも行かず、小学校を卒業してから引き籠りだそうです。魂の抜けた人形のような女で、部屋の外に出ることはありません。こちらから何か話しかけると「ハイ」と頷く程度で、反応があまりない女です。

  キスしても抱きしめて、下着の中に手を入れオマンコをいじりまわしても、拒否することなく黙って従う従順ないい女です。私はそれをいいことに、洋子を性処理奴隷として使っています。洋子は仕事もせず家事もせず、いつも部屋にいるので犯したい時何時でもセックスできる都合のいいダッチワイフなのです。

  色白で細い腕に細い脚。痩せこけた胸を弄っても、女肉の楽しみはありませんが

「服を脱げ、股を開け」

と命令すると素直に従い、勃起した肉棒をオマンコに突っ込んでやると、普段無表情で反応しない女が、苦痛なのか感じてるのかうめき声をあげながらバタバタと暴れ、更に強引に押さえつけ膣奥の子宮にチンコをぶちあててやると、こんな人形のような女でも、肉汁を垂れ流してイキ果てるのです。

  洋子のオマンコは義父も使っています。義母のように私の目の前で陵辱こそしませんが、家から出ない女が妊娠し子供を堕したのです。


義父は義母を私に与えて、妻を性処理に使っている

  妻も私と結婚した時には処女ではありませんでした。もの心のつくころには母親と父親のセックスを目の当たりにし、母親からは、女は男に尽くすことを、何よりの喜びと教え込まれて育ったと聞いています。男根の咥え方に男の喜ばせ方、義母から教わったそうです。

  私と一緒になる前、妻は義父の玩具のひとつだったのでしょう。私も義母や義理の姉を奴隷にしてる以上、妻を義父の欲望から救うことは出来ません。義父は義母幸代を与えて私に提供し、未だ恵美子を性処理に使っているのです。私には娘がひとりいます。6歳になる愛らしい女の子です。私たち夫婦のセックスも見させています。
  妻を横に娘に肉棒を舐めさせ、上手くできた褒美に、娘の小さなオマンコを舐めてあげています。女にする日もそう遠くはないでしょう。
http://s.webry.info/sp/26624724.at.webry.info/201304/article_21.html


55. 中川隆 2013年8月10日 20:24:42 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


2005/3/4 東北地方の方に質問です。

東北地方は近親相姦が多いって本当ですか?
近親相姦で産まれたって人います?

なるべく方言で答えて下さい。

ベストアンサーに選ばれた回答

ま、聞いた話だけど…

たげにちゅーふうふがいて、そこのわらはんどがたげやべーったかんじらしくて、

まわりのふとだばみな、あそこのふうふだっきゃきょうだいでねーんずなってへってらったってや〜


というのはありました。


ID非公開さん

私の地元は漁師町ですが近親相姦の話は結構聞きます。

実際、異性との出会いが少なくて ついつい船小屋でやっちゃったとかね。
殆ど、身内同士で船に乗って作業しているところが多いし、個人の漁師は。

近親相姦で生まれた子供は、色素が薄く白人のように、髪の毛も白に近い金髪です。

私の同級生にいました。

12535640さん、津軽人?もしくは平内あたり?

実は、わーも津軽だよ。


___


ID非公開さん

事実多いですね。

一昔前の話ですが、群馬 、新潟、山形、福島など山奥の集落が有名です。

アメリカほどではないですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q103245165


56. 2013年8月10日 20:51:30 : W18zBTaIM6


2011年05月16日21:00

私の生まれた地域に今でも残る風習です。

女子は初◯を迎えた段階で二つのうちから一つを選択しなければなりません。

・一つは、父親もしくは5歳以上年の離れた兄に処女を捧げる。
 これを選択した場合、処女喪失以降は自由恋愛が認めれれます。

・もう一つは、結婚するまで純潔を守ることができますが、結婚相手は親が決めます。
 簡単に言うと人身売買のような形になります。男性が娘の「家」から「処女の娘」を大金を以て買うということです。


 注意点として、男性の配偶者になれるとは必ずしも限りません。
 有力者の愛人になるというケースもありえます。
 「夫」との間に年齢差があって、「夫」が早くに亡くなった場合、実家に帰される場合があります。

 この場合、子供は「夫」の家に取られます。

私の場合、許嫁とか愛人とかは考えられなかったので一つ目を選択しました。

上に書いた文の通りの説明を受けるわけではありません。

「これからお父さんに女にしてもらうのですよ」

といった感じです。かといって、生理が終わった途端に父親に挿入されるというわけではありません。

渡しの場合は一人部屋で寝ていたので、風呂で母親から大人の女の嗜みとしての
体の洗い方を教えてもらい、自室で母と一緒に父親が訪れるのを待ちました。
ノックなどして父が部屋に入ってきました。トランクスだけの姿です。

父の登場を合図に母親が私を裸にし、立膝の角度まで仕込んでから退室。

退室時に母親が部屋を真っ暗にしました。

何をされるのかとドキドキしていたら、両膝を掴まれて、ほぼ同時にアソコに何かが触れる感覚がきました。クンニでした。

父の舌は正確にクリトリスと包皮の境目を愛撫してから私のワレメの始まりにまで舌を這わせ まだわずかにしか生えていない恥毛を確かめるるように撫で付けました。 あとは同じことの繰り返し。

クリトリスの快感に関しては、ふろに入った時に母から

「女はね、ここを触られると男の人を受け入れる準備ができるのよ」

といった感じに言われ、実際に触られもして、もう快感をしっていました。
けれども舌による快感は群を抜いていて、私は何度も腰をくねらせて抗いました。
その夜はそこまで。

私はその日のうちに処女を散らすものだとばかり思っていたので少し拍子抜けしました。

こんな日が毎日続くと思っていましたが、そうでもありませんでした。
父の「夜這い」はほぼ週一のペースで、事前に母親から伝えられます。

「今日はお父さんが来るからキレイにしておくのよ」

といった感じです。 父の愛撫はクリトリスから小陰唇に至り、やがては極度に慎重に膣の入口にまで来るようになりました。

何回目かからは灯りを暗くしなくなり、父が私のアソコを眺めている時間も長く
なりましたが、実際に父が何をしていたのか具体的には私にはわかりません。
母親が付き添いっぱなしのこともあって、私への父の愛撫が終わった途端に父が母に挿入して・・・ということもありました。

フェラチオの手ほどきもほぼ一から十まで父から受けました。

もう口に出してくれてもいいのにと私は思っていましたが、父はいつも寸前に口から抜いて、 主に自分の手の上に出していました。

父がいよいよ挿入してきたのは初めての日から半年ぐらいだったでしょうか。
コンドームを見せられて悟り、そして覚悟しました。

もう私の膣は父の指(一本?二本かも)を簡単に受け入れていたころもあり、恐怖は ありませんでした。

この日も母が横にいてくれて私の手を握ってくれていました。

痛みはありましたが、意外なほどにあっけなくて、それと父は正に処女膜を貫通させる仕事だけをしてペニスを抜き母の体で射精したのですが、それを見た私はちょっと悔しい気分でいました。

その日以降、父は夜這いこそすれ、私の下半身を裸にしてアソコを見つめるだけで
触れられることはなくなりました。(私は眠ったふりをしていました)
やがてはそれもなくなりました。

あれから10年以上が経って、私はまだ嫁にも行かずに両親に世話をかけているのですが年に数回は母親の目を盗んで父の入浴に突入してます。

母親の目を盗む必要はないとも思うのですが、女としての意地かな?

とにかく父が私をまぶしそうに目を細めて見て、アソコを元気にしてくれるのを見るのは幸せです。

口で抜いてあげようかと誘うのですが、それはいつも赤面して辞退されます。
父に処女を捧げてよかったなと今も思ってます。

・・・彼氏には絶対打ち明けられない秘密ですがw http://blog.livedoor.jp/erocopype/archives/4768834.html


57. 2013年8月10日 21:12:02 : W18zBTaIM6

1 :天之御名無主:2001/06/23(土) 23:05

祭りのときは乱交OK
処女膜破りの儀式
異性または同性の成人から性の手ほどきを受ける思春期の子供

などなど教えてください


14 :天之御名無主:2001/06/29(金) 08:44

高知のヨサコイ祭りは乱交しほうだいって聞きましたが本当ですか?

30 :Six ◆aTOy5bfc:2001/08/15(水) 14:12

東北・甲州・信州の夜這いの風習は有名ですし
瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」に出てきた夜伽専門の村巫女(白拍子の類?)なんかもそうですね。

33 :天之御名無主:2001/08/16(木) 02:04
>>30
信州では諏訪地区(だったかな?)の「足入れ婚」も比較的近年まで残っていたと聞いてます。


46 :天之御名無主:01/08/28 09:49 ID:sLqx1aZ場所はいえませんが、私の田舎はいまだに祭夜の夜這いの風習があります。
私は18のときに、30代半ばのバツイチ女性のところに夜這いに行き、みごと筆おろしを済ませました。

52 :天之御名無主:02/02/08 06:17

15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。

ルールはこう。

その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3〜4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。

そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。

可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。

引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。

セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。

親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。

勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。

だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?


56 :天之御名無主:02/04/13 21:16
>>52
十年くらい前に似た話し聞いたなぁ…
結論から言うとデマ

正確にはかなり昔の話。
たぶん、再現した映像を勘違いしたのでは?
もしくは風習と言うか、たんに集まってた風景とか…
あんま大きくない島だと何処かの家に集まる事って良く有るよ。


108 :天之御名無主:03/01/21 23:51

少し田舎に行くと、秋祭りの夜とかみんな異様にギラギラしてる。
日本人の中には乱交の文化は生き長らえているよ。

114 :天之御名無主:03/03/09 16:33

宮城の某村では、維新の頃まで、新婚初夜は花婿の父親が花嫁とセックスする因習
があったらしい。
封建時代の名残らしく、父権の威信を保つためだったとか。
惚れあった者どうしの若い二人なら、辛い一幕だったろう。

和歌山の有田は太平洋戦際、全国での徴兵検査の成績が最低だった地域だ。
理由はこの徴兵検査でヒューマンテイルの者が一村に3名もいたことが判明した
からだ。

紀伊半島の海浜地域は古くから近親婚の多い地域だ。それは地理上の理由がある
ためだが、当時の有田の「尻っ尾者」は、女も含めると実際は調査以上の潜伏数
がいたと推測できる。

147 :天之御名無主:03/12/09 21:08

茨城県の八○町の某部落で今でも18歳になると夜這いの風習が残っている
その為か結婚も早いが離婚も多い
そこの部落は、平家の落中人伝説のあるところで一族の家系を守る為に風習が残っています。
ただ、外との交流が少なく血縁関係で部落を編成している為、血が濃くなる為か障害者や天才が多い


172 :天之御名無主:04/02/20 04:54
>>59
愛知県某所出身ですが、そこでバイトしてた時にちょっと離れた所から車で通っている子が、

「今だに嫁貸しのしきたりとかあるんだよ〜早く出たい」

とか言ってたなぁ…。たしか客に嫁を貸すって聞いたような。


173 :天之御名無主:04/02/20 21:28
>>172
是非その村に遊びに行きたい、ってゆか
村の中だけで嫁の貸し借りをやってるんだろうか?

239 :天之御名無主:04/12/31 21:36:03

沖縄県の某島では代々近親相姦で筆おろしをすませる風習があるらしい。
男の子が思春期迎えたときの母親(或は姉)の仕事とか

少年→一人前の男になるための儀式は世界各地にあることからも信憑性はある。
具志堅が初体験は?との雑誌インタビューに「思い出したくない」とはぐらかしたのも証拠になろう


330 :天之御名無主:2005/04/02(土) 22:52:54

本島ではなく○○島(離島)での風習らしい。
男が16歳を迎えると、父親は黙って家を空け母親が筆おろしをするとか。
(稀に姉のケースもあり)


332 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:26:44

日本の関西に母親が筆をおろす近親相姦のの風習があるって聞いたことがあるよ

333 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:31:02

聞いたことある。
たしか、京都の近く、、、


382 :天之御名無主:2005/05/15(日) 14:12:51

雪国で寒くて家から出たら凍死するような、北の日本海側の場所で山間に囲まれた地方なら近親相姦みたいのがありそうだね。
情報きぼん

384 :天之御名無主:2005/05/24(火) 16:58:52

東北地方にはそういう風習多いな

390 :天之御名無主:2005/06/07(火) 22:36:51

東北の温泉入ったら、洞窟の中で巨根像に締め縄という荒ぶる神が鎮座されてました。
その地方では美少女たちがチンポ像を抱え顔を真っ赤にし練り歩く風習があると聞きます。


391 :天之御名無主:2005/06/08(水) 00:08:40
>>390
顔を真っ赤にてのはあんたの希望だろ。
俺が見たのは東北じゃないが、普通の顔してにこにこ歩いてたぞ。
実物を見た事がないと、木彫りの置物と同じであまり抵抗がないらしい。

397 :天之御名無主:2005/06/21(火) 20:50:34

もう昔のことだけど、全裸の女がお面をつけて盆踊りをしてたという地域なら聞いたことがある。
なんで裸なのかまでは教えてくれなかったけれど。

398 :天之御名無主:2005/06/23(木) 15:50:26
>>397
俺も聞いたことがある。
なんでもそのあと乱交に至ってたようだけど。
俺が聞いたのは盆踊りじゃなくて、それに似た神事だったけれどね。

406 :山形南部:2005/07/08(金) 17:34:48

平家の落人の隠れ里だったといわれる某所では近代になっても村の女性は
「みんなの物」でほぼ自由にセークス可能だったそうな。

そこは今はダムの底になったが、昔、そこを訪れた人の話では、

近親相姦が多いので出産の際に「奇形やダメポー」は即座に絞めるのだが
判別出来ずに生きた人間が成長したのが度々目についたと・・

事実、現存している。
可哀想でキーボードに涙が

408 :天之御名無主:2005/07/10(日) 03:31:58 ?

先々月までアフリカを旅行してました。モロッコでのことです。モロッコの南端は
サハラ砂漠と一部接しているのですが、周辺の砂漠への前線基地的なオアシスの街にしばらく滞在してました。遊牧や隊商的な生活をしている砂漠の民は少なくなったけれども今でもちゃんと存在していて彼らがオアシス近郊に立ち寄ると必ず市が立つので楽しかったです。

夜になると女奴隷が卑猥な見世物を見せたりするのですが、若い日本人の子が一人いましたね。

体中にヘンナと呼ばれる染料で模様を書き込んだ全裸の日本人の娘が男達の輪の中で腰を振ったり、触られたりしてました。

  彼女と日本語で話をしたので間違いないです。諦めの境地にあるようなことを
言っていましたが、どうやら彼女のショーを見るかぎり、男達の喝采を買って彼女自身すっかりはまっているような、恍惚とした様子でした。

彼女はその地域では結構有名で、もとは女子大生で砂漠まで来て輪姦されたあげく、ある金持ちの後宮にしばらく監禁されていた娘らしいです。

それで飽きられたうえで売られたと。まるでボウルズの小説の世界。
人間って案外簡単に壊れちゃうものなんですね。


455 :天之御名無主:2005/09/17(土) 20:29:48

日本人って近親相姦(関西)とかホモ(武田信玄)とか自殺(切腹)とかあんまり
タブーが無い民俗なんだね。

456 :天之御名無主:2005/09/17(土) 21:00:00

奈良時代以前の皇族・貴族は異母兄弟姉妹間の結婚を常としており、皇族女性でなければ皇后とはなり得なかった。

日本神話においてもイザナギとイザナミは兄妹であり、ウガヤフキアエズは叔母であり育ての母である玉依姫と結婚する。

日本と近親相姦で調べたら、いっぱい出るは出るは。
日本ってすごい国だよね。

458 :天之御名無主:2005/09/19(月) 16:13:06

北陸の漁村での話し(伝聞だからね)

戦前までは毎年旧暦の6月の新月の夜、奇祭が行われたと聞いた。

その年元服を迎える男女が秘密裏に村内から選ばれ、7日間神社に篭って禊を行う。

新月の夜、二人は神主や巫女、村の長や網元の前で海岸にふんどし一丁で立って海に飛び込み、100mくらい沖合いの小島まで泳ぐ。

神主たちは小船で二人を追う。小島には小さな祠があり、神の目の前でふんどしを外した二人は愛し合う。その後、少女の膣から流れ出る精液を曼荼羅模様の神紙で受け止め、その年の漁を占う、というもの。


461 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/24(土) 20:24:39

京都伏見区のとある地域は異常に同姓の多い地域が有ります。
80代の方に伺ってみた。

「夜這いってあったんですかね、○○さん」

「さーねー。ははは」

とはぐらかされてしまいました。ますます興味が湧いてくる!


462 :天之御名無主:2005/09/24(土) 21:09:47

夜ばいはスレがあるけど、システム化されたものとしてかなり最近まで全国各地に「あった」のは事実みたいですね


466 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/25(日) 09:39:50
>>463
けれどもその地域の人は本当に障害を持つ親族の家庭がおおく、座敷牢の存在を認める方もいらっしゃいます。なのでどうしても色々な想像をしてしまいます。


472 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:03:21

関東と東海地方の貞操観念が割合強く他の地方はおおらかな様な気がします。

青森ではだいたいが中三か高一で初体験を済ます様です。
チャンスが無い子は焦って誰かに相手を紹介してもらうそうです。

援助交際の相場は「いちご」で結構あっけらかんとおじさんとエッチを楽しむ。
東京だと嫌々お金の為にマグロ状態でセックスすると言う感じ。
関西方面の女と話をしていると「良くしてくれたお礼にしてあげた」とか「落ち込んでいたのでしてもらった」と言う話を聞く。実際どうなんでしょうか?

485 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:14:10

ネタ1 ある田舎の風習

18歳に達した少女達は祭りで神社の境内で神男に処女を捧げなければならない。
この行事を行って初めて大人の女性として認められるんだと。


486 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:35:10

ネタ2 ある田舎への婿入り

この地方へ婿入りする男は嫁の親類に挨拶しなければいけない。
夕方から嫁の親類たちと盛大な宴会が行われ、その後寝室に通される。
そして、その場に集まる嫁の親類(女性のみ)と一晩過ごし

婿入りの許しを得なければならない。
これは村の存続をかけ子孫を繁栄させるため、生殖能力の高い男であるかチェックする仕組みと思われる。

評価する女性は嫁の母、祖母、姉妹、すべての親戚で手技によって精液の濃さ、量も批評される。またその晩に限り婿と性交することも許される。

まぁ。逆輪姦みたいな感じになるようですね。

490 :天之御名無主:2006/06/08(木) 00:58:54

新潟の山間部にいまだに夜ばいやカガイっぽい盆踊りやってるところがあるって聞くけど、

508 :天之御名無主:2006/09/11(月) 02:49:54

某混浴温泉には裸合コンたる風習が残っている。
地方からくる若い男女客参加もOK
その日晩 男女入り乱れのセックスがある。
旅の恥は掻き捨て
彼彼女いる貴方もOK!


516 :天之御名無主:2006/10/19(木) 19:45:29

10年くらい前、母方の祖父の家にいったはずが、離婚したはずの祖母と同じ苗字の家に世話になっていた。よくわからず母に聞いたところ、代々2つの家系で婚姻しているとのこと。

本家には座敷牢があって精薄で生まれた子などはそこで暮らしていたらしい。
(その数年前の台風で流されて今はもうないです)

その時会った従姉妹?は高校生なのに親戚との婚姻が決まっていて、本人はおかしいともなんとも思っていない様子でびっくりしたけど何も言えなかった。
多分兄弟でとかはないと思うけど十分疑問。


526 :天之御名無主:2006/11/15(水) 18:58:11

 昔読んだ本のコラムかなんかに書いてあったけど

ある村では女ばかりの家(女系家族)だと跡取りがなくなってしまう。
そこで相談してくじ引きで半年に1回、その村の長男以外の男性が泊まりにいく。
で、その女系家族の娘たちと性行為して子供ができたら婿入りしてその家を継ぐのが決まりなんだと。

村存続のための掟なんだろう。


534 :天之御名無主:2006/12/28(木) 17:27:58

長野県の一部では、今でも祭りの後に童貞や処女を捨てる儀式があります。
というか、15年前ほど前には確実にありました。(私自身、それが初体験ですから)
このスレに書かれている事と違っているのは、実際にはコンドームを使う事くらいでしょうか


548 :天之御名無主:2007/01/12(金) 11:32:04

昔 親類の叔父が地域に伝わる言い伝えとして教えてくれた

元服を迎える男と同い年の女が村から一組選ばれて神主の前で性交したそうだ 
神事らしいけど何が目的かよくわからん


588 :天之御名無主:2007/09/29(土) 22:29:10

青森県は弘前市の南西に10kmほど入った山間部に「かこ村(かっこ村?)」
という小さな盆地状の村があり(地図には地名なし)今では廃村状態の所がある。
その村はかつて十二年に一度、凶作や飢饉に見舞われることの無いように悲惨な祭りが行われていた。

祭りの年には村の中で未婚の女性が選ばれ、人身御供として神社に奉納するという。
人身御供といっても命を奪うわけではなく、選ばれた女性(少女10〜16歳くらい)
(基準不明)が三日三晩すごす。同時に選ばれた8人の村人が「神のお面」をかぶり日没から日の出まで代わる代わる少女と性交することにより、神々に生贄をささげ、五穀豊穣をねがったそうです。

長時間の性交に絶えられず失神したり逃げだそうと試みる娘もいたそうですが、神罰を恐れる村人に厳しく監視されていたそうです。犠牲となった娘はその後村によって特別な待遇下におかれた。


601 :北海道民:2008/01/13(日) 23:36:52

本州は耽美の宝庫だね。
近親姦の風習とか、もう完全にファンタジーの世界だよ。

644 :天之御名無主:2009/01/15(木) 19:47:08 245 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:04/11/01 06:48:07 ID:h0Yp+Mkn
続き

村の合併前に、私の村の二十歳前の男性が、隣村の女性に夜這いをかけたことがあったらしい
もちろん、両者合意の上だったそうで、本人間の間では問題はなかった。

一度目の夜這いのあと、二度、三度繰り返しているうちに、相手の村の男衆にしられ夜這いの後、村境で捕まり、散々殴られて返されてきた。

当時の私の村の男衆は、怒り喧嘩直前までいったらしいが、両村の大人が中に入って、夜這いをかけた男性の母親が夜這いを受けた女性の夫の夜這いを受けるということで手打ちになった話があります。

村の合併後、新村になってから、新しい村域内でのその種のトラブルはなくなりましたが今合併後の新村の隣村との間には、掟は存在します。


>>230
そのような話ではありませんが、何年か前、その年18歳になった一組の双子を含む
男の子達の希望を聞きまわった時、当時27歳の新婚の地元出身の地元中学校の教師を務めている女性に希望が集中して、かなり村で話題になったことがあります。

毎晩一人ずつする掟なので、その女性が八月中のある週に毎晩、白装束で鎮守さんに夜出かけていきました。結局、彼女を相手に八月中に童貞を失った男子が双子をふくめいっぱい生れたことになります。

双子の場合、どちらを先に優先させるかでもめました。戸籍上の兄弟はあるのですが、その家の教育方針で一年おきに兄弟の序列を変化させていたので二人がどちらが先に、女性を抱くかでもめて、結局若衆の前で籤をひくことで解決しました。

恐ろしい連中
http://syarecowa.moo.jp/108/31.html

シリーズ・関連 呪い系
http://syarecowa.moo.jp/kanren/noroi.html

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?
http://syarecowa.moo.jp/


651 :天之御名無主:2009/03/25(水) 04:38:20
>>644
それ、たぶん、親父の田舎だと思う。

俺も、18のときに、親父の実家に夏休みの間、帰郷して同じ体験をした。
今、首都圏の大学に通ってるけど、将来は祖父を継いで田舎に暮らすことになると思う。
相手の女性は、三十前後の美人のバツイチの女性だった。

最初、騎上位で挿入してもらって、おっぱいを揉んだり乳首を吸ったりしてる間に
しらないうちに射精してた。


654 :天之御名無主:2009/04/15(水) 18:16:53

小学生の女の子だけの祭りがあったな。
露出の高い服装にさせて(ブルマTシャツだった)集団で家を回る祭り。
女の子達は家ごとにお菓子を貰う。全員でなく、先頭のリーダーの女の子にお菓子がたくさん入った袋をあげる。
公民館から出発して村の家を全部回ると祭りが終わるんだが、大抵、公民館に戻るころは人が少なくなっていた。
昔は可愛い子がいなくなってたってよく噂になってた。

寂しい老人が女の子を引き止めて家で話し相手にさせられるらしい。
当時はそんな祭り興味なかったし、男だから参加しなくてよかったと思ってたが、普通に売春とかしてたらしい。


681 :天之御名無主:2009/07/01(水) 00:51:36

母親が言っていたんだけど、
母親がいた村では、15、6歳になると同じ年の女の子&母親達が集まって
一晩性について勉強したんだって。
それも、学校で習うような文献だけのやつではなく、母親達が裸になって
結構な所まで教えてくれたんだって。

ちなみに母親は山形の村出身
http://desktop2ch.tv/min/993305147/
http://hentai4u.blog12.fc2.com/blog-entry-86.html


58. 2013年8月10日 21:30:16 : W18zBTaIM6

『豪農の屋敷の開かずの間』


39 :1/7:2006/07/12(水) 22:45:33 ID:J0yDoNbP0

小二の頃のガチ体験。

俺の母親の実家ってのは、いわゆる田舎に古くからある豪農の家系ってやつで、
まあ地方だからってのもあるけど、敷地も広くて屋敷も大きかったし、蔵なんかもあった。
中学に上がるまでは毎年夏休みになると、十日くらい泊まりに行ったもんだった。

俺みたいな都会から来た青白いガキは、地元の子供達とは打ち解けられなかったんで、もっぱら同い年の従兄弟(母の兄の子)と、2人っきりで遊ぶ毎日だった。
こいつもまあ、金持ちのボンボン扱いwされてたんで、普通に友達いなかったし。
とりあえず家の敷地がめちゃくちゃ広かったんで、その中で遊んでても充分だった。


ある日の午後、俺達は昼間でもいくらか涼しい蔵の中で遊んでいた。

蔵は2階建てなのだが、1階の半分だけが座敷になっていて、1階奥と2階は物置状態。
何をして遊んでたのかも覚えてないが、いつしか床の間の脇にある押入れに入っていた。

そうこうしている内に俺達は、押入れの一番奥の床板が外れる事に気が付く。
外して下を見ると、大人ならちょっと入れなそうな狭い通路みたいになっていた。
まだ体が小さかった俺達は興味に突き動かされ、そこに入ってみる事にした。

通路は3mほどで行き止まりになった。(網が張られていてそこから通れない状態)
向こう側から風を感じたので、おそらく蔵の縁の下辺りに通じているのだろうと思った。

もう戻ろうか・・・と思った時、その通路の床がさらに外れる事に気が付いた。
すぐに床板を外して下を眺めると、今度は思いのほか広い空間がそこに横たわっていた。

持ってきた懐中電灯で照らしてみると、意外にもちゃんとした“部屋”のような感じ。
真っ暗というわけでなく、部屋の隅の方から弱い(外の)明かりが漏れているようだった。
都合が良く、俺達がいる場所のすぐ下に箪笥があったので、足場にして下へ降りてみた。


下に降りて部屋全体を眺め回してみると、そこは6畳くらいの殺風景な部屋だった。
箪笥(足場にした)が1つ、文机のような物が1つ、あとは何枚か座布団が積んであるだけ。
カビとほこりのニオイが結構きつかったが、そんなに汚い場所ではなかった。
意外な場所を発見した俺達は興奮して、部屋のそこかしこを調べて回った。

先ほど感じた“弱い光”は、一方の壁の上方に4つ並んだ小さな“通気孔”だった。
やはり網が貼られていたので奥は見えなかったが、これも縁の下に通じている感じがした。
反対側の壁には小さな襖みたいな戸があり、ここをくぐって部屋の外へ出れた。
(↑茶室?とかにあるような、ちゃんと立った状態では出入りができないような襖)

そこを出てみるといきなり細い階段があって、登ってみたが上で塞がれていた。
後で考えると、その階段の先は、蔵奥の物置になってる場所のどこかに通じてそうだった。
仕方ないので俺達は部屋に戻り、今度は箪笥の中とかを物色し始めた。
中身は衣類、食器類、紙で作ったおもちゃ?などがごちゃごちゃに詰め込まれていた。
特に目ぼしい物は発見できなかったので、次は文机の方を調べてみる事になった。


文机は横に2段の引き出しがついていた。上の引き出しには文房具などが入っていた。
下の引き出しは、立て付けが悪いのか最初開かなかったが、無理に引っ張ったら開いた。
中にはノート(というか紙を糸でしばってノート状にした物)が何冊か入っていた。
どうやら日記っぽかったが、小二の俺達には難しい漢字があり、ほとんど読み砕けなかった。
仕方なくペラペラとめくっていると、何枚かの写真がはさまっているページがあった。
サイズが一定していない古い白黒写真で、最初の1枚だけが大きいサイズだった。
大きい物は集合写真のようで、立派なヒゲを生やした紋付袴の男と数人の男女が写っていた。

ヒゲの男は見覚えがある。若いが、仏間に飾ってある写真の人だ。(俺の曽祖父に当たる)
隣は奥さん(曾祖母)らしき女性。前には2人の少女。他、小作人らしき者が周りを固める。

「この女の子ってさ、ばあちゃんじゃない?」

従兄弟がそう言う前に、俺もそう思っていた。
当時はまだ生きていた俺の祖母。写真は少女ではあるが、確かに面影はある感じだった。

が、不思議な事が1つ。写真には、その少女と瓜二つの少女がもう1人写っている。

「ばあちゃんて双子だっけ?」

だが俺達はそんな事より、残りの写真の方に興味が移っていた。


次の写真は、少女が女学生になった頃の物のようだ。だが、ここでは2人写っていない。
というか、これ以降の写真にもこの女性は写っているのだが、全部1人のみになっていた。
文金高島田の結婚写真、赤ちゃん(おそらく叔父=従兄弟の親父だろう)を抱えた写真。
写真をめくる度に老けて行き、その女性は俺達が知っている祖母の顔に近くなっていった。

特に見る物もなくなってしまった俺達は、その部屋で寝転がって話をしてしばらく過ごした。

“俺達しか知らない部屋”というシチュエーションに魅了されてしまい、全く怖くなかった。

「これからここを秘密基地にしよう」などと子供らしい発想でケリをつけ、部屋を後にした。

その夏、屋敷にいる間、ちょくちょくこの部屋に潜り込んで、遊んだりお菓子を食ったりした。
俺は帰る時まで、いや帰った後もずっと・・・誰にもこの部屋の事を口外しなかった。
子供の意識として、秘密基地というのは“そういうもんだ”と考えていたからだ。

そして1年後の夏、いつものように俺はまたその屋敷にお邪魔する事になる。


従兄弟は(もちろん他の家族もだが)去年と変わらず、喜んで俺の到着を迎えてくれた。
さてこの夏も2人でいろいろ遊びまくろうと、お互いわくわくしていたと思う。

「なぁ、明日はまず“秘密基地”へ行こう」

俺がそう耳打ちした瞬間、顔色が変わる従兄弟。

「そんなのいいよ、カブトムシ採りに行こう」

いきなり従兄弟にフラれ、俺はガッカリした。
が、わざわざ議論する事でもなく、その日は疲れていたのですぐに寝た。

翌日からは俺がいくら誘っても、従兄弟は何かにと理由をつけてはぐらかす状態が続いた。
頭に来た俺はとうとう詰問してしまった。すると従兄弟はバツが悪そうにこう言った。

「ばあちゃんに・・・あそこには行っちゃダメだって怒られたんだよぅ」

俺はその時、従兄弟が秘密基地の事を他人に口外した件についてのみ腹を立ててしまい、どうして祖母がそんな事を言ったのかについては何も訊ねなかったし、考えもしなかった。

その夏、結局あの部屋を訪れる事はなかった。(というかそれ以降も行った事はない)
1度だけこっそり忍び込もうと思ったが、押入れに大きな箱が入っていて中に入れなかった。
が、子供だったせいもあって・・・そんな事は俺の記憶から次第に薄れていってしまった。


中三の春、祖母が死んだ。その葬式の時、なぜか急にあの部屋での出来事を思い出した。
従兄弟はすごく落ち込んで聞き辛かったので、代わりに俺の母(祖母の実娘)に訊ねてみた。

「ばあちゃんってさ、双子だった?」

もちろん、あの部屋で見た写真について聞いたつもりだ。
母は全くそんな話聞いた事がないようで、何言ってんのアンタ的な表情しか見せなかった。
叔父にも他の親族達にも訊ねてみたが、反応はやはり似たような物だった。
誰に聞いても、祖母は“1人娘で婿取り”という存在で通っている。だが俺は信じられなかった。

成長してわかった事だが、あの部屋はおそらく“座敷牢”的な部屋だったのだろうと思う。
写真にあった、若かりし頃の祖母に瓜二つの少女。あの部屋にいたのは彼女ではないのか?
確かに、戦後にそんな三文小説のような、非人道的な事があったとは考えにくいのだが・・・。

大人になるにつれ、あの家にも足が遠のき、従兄弟ともいくらか疎遠になってしまっている。
もちろん座敷牢云々は俺の想像でしかない話だが、確かに“あの部屋”はあったはずだ。
たった1度だけ訪れたというわけではない。小二の夏、2人で何度あの部屋に入った事か。
それなのに、従兄弟は今ではこう言う。

「子供の時の事だし、全然覚えてないんだよな〜」

さらには、翌年の夏に俺が部屋について詰問した事すら覚えてないという。
彼の記憶は、“あの部屋に関する事”だけ綺麗に消えている(もしくはそう見せたい?)のだ。

いまだに俺は何かモヤモヤした物を感じているのだが、どうにもこれ以上聞き出せない。
そしてすでに蔵は取り壊され、あの部屋や写真の女性についての真相を探る術もなくなった。

[ 31731 ] NO TITLE

歴史のあるでかい家には、こういう部屋が付きものだと思う。

ゲームの零シリーズみたいにさ、あれほど脚色されてはいないと思うけど。
古今東西、お偉い立場上、見つかっちゃヤバイ子とか、宗教で生活を縛られてた時代には、ある種の病気は、前世で何か悪いことをした罰のためにかかる“業病”として認識されてて、その病にかかると周囲に穢れを撒くからと忌み嫌われた。

でも、だからと言って殺すなんて畜生みたいなこと、できるわけがない。
お偉い家名に傷が付く、だから生かしたまま閉じ込める。死ぬまでずっと。

流石に、もうこんな部屋いらん、取り壊せ埋めてしまえって、潰してある場合は多々あると思うけど、工事代もバカにならんからね…かん口令敷いて、入り口完全封印するのが一番簡単で手っ取り早いから、まだ残ってるとこもあるだろうな。
[ 2012/06/23 ] NO NAME ◆-

生きてりゃ80過ぎる母が昔、

「昔は双子が生まれると畜生腹と言われて忌み嫌われたもんだ」

って話してたのを思い出す
[ 2012/07/15 ] NO NAME ◆-
http://nazolog.com/blog-entry-3746.html

精神疾患という概念が出来るまで昔から精神病の患者さんは色々迫害されてきました。

特に中世ヨーロッパでは「魔女狩り」と称し300年で15万人の患者さんが虐殺されたんですよね。これはドミニク修道院のある修道僧が出した、「魔女の木槌」という魔女の見分け方マニュアルが原因で、例えば幻覚妄想がある女性、過呼吸発作や意識消失がある女性などを片っ端から宗教裁判にかけたんです。「宗教裁判」といっても「裁判」とは形だけで、要は神父さんが気に入らなければ皆有罪で処刑になったんです。(あのガリレオも地動説で宗教裁判にかけられ有罪になりました。有罪になった時の「それでも、地球は回っている」は彼の名言として残っています。)

 

 日本ではそのような虐殺の歴史は無いのですが、精神障害のある子供が生まれると、恥ずかしいからと座敷牢に隔離していた歴史があります。実際に

「精神病患者を外に出してはいけない」

という法律があり(精神病者監護法)、私宅監禁を国が推奨していた時代もあるんです。その後、ピレルの「鉄鎖からの解放」と呉秀三が「クレペリンの精神医学体系」を出すまでは全く病気という認識はされていなかったんです。


 今回はこの座敷牢に近い状態で、隔離されていた悲惨な患者さんのお話です。

 患者さんは20歳台後半の男性で、精神的におかしいからという理由で、子供の頃からずっと家の中で隔離され、病院にも行かず、ほとんど外に出たことはありませんでした。

今回は食事を取らず苦しそうで様子がおかしいと姉に連れられ来院しました。彼自身はほとんど会話出来なかったんです。

 初めて会った時には、かなり不潔で奇妙な風貌でした。

服装は粗雑で汗と排泄物の臭いがし、伸びきった髭と長髪に女性用のカーラーをたくさん巻いていました。ほとんど風呂にも入ったことがない様子でパッ見は本当に路上生活者のようでした。

男性なのに髪にカーラーを巻いているのが非常に奇妙であり、同時に彼の精神状態が普通でないことが一目でわかる風貌だったんです。

 呼吸困難を訴えており色々検査をしましたが特に嫌がる様子も無く、非常に苦しそうな表情だったのを憶えています。 入院後胸部レントゲンを見てびっくりしました。両肺に大量の水が、肺がほとんどレントゲンで写らないくらい溜まっていたんです。それで息が出来ず呼吸困難になっていたんですね。

 精神科的には統合失調症か知的障害で姉の話では、恐らく10歳くらいの発症です。引きこもりから始まり、ずっと訳のわからないことを言っていましたが、近所の目もあるからと病院には連れて行かず、姉の身を案じ家に彼用の隔離室を作り食事だけ与えていたそうです。他人とコミュニケーションが取れず、今回も自分で苦しいと言えなかったんでしょう。

 とにかく入院させ酸素を投与し、胸水の検査の結果を待ちました。たまたま入院した夜に僕は当直で、彼を見にいきましたが、苦しくて横になれず、全く眠ることも出来ないんですよ。会話できませんが、治療に抵抗することなく、何とか僕たちが助けようとしているのは解ってもらえたみたいでした。結局ベッドのテーブルに枕を置いて一晩を苦しそうに過ごしました。その夜は彼が不憫で心配で頻回に診に行ったのを覚えております。

 その時には、よくここまで放っておけたなと、家族に対し強い怒りを覚えるのと同時に非常に悲しくなりました。家族としては姉の身を案じてのことで、昔からの慣習だったのかもしれません。家族のせいだけではないのだと思います。逆に考えれば、よくぞ今回病院に連れてきてくれたのだと思いますよ。

 胸水の検査の結果、診断は癌性胸膜炎と悪性リンパ腫という血液の癌でした。胸水をカテーテルで少しずつ除去することで呼吸不全は改善したんです。

 統合失調症の方も、抗精神病薬を投与し、多少のコミュニケーションは取れるようになったんです。きちんとした会話は出来ませんでしたけど、身振り手振りで解りました。悪性リンパ腫については化学療法で完治する可能性もあるため血液専門の科のある大学病院に転院となったんです。

 あと2、3日病院に連れてくるのが遅かったら、隔離されたまま、息が出来ず一人死んでいたんでしょう。幼少時から隔離され、外にも出れずに、苦しくても苦しいと言えずに死んでいくなんて、彼は何のために生まれてきたんでしょう?

きちんと治療さえ出来れば良くなるのに・・・精神症状でコミュニケーションが取れないいうことは非常に恐ろしく悲しいことだと痛感いたしました。

 転院後患者さんはどうなったのかわかりませんが、おそらく、化学療法でリンパ腫は良くなったと思われます。精神症状についても薬物の反応は悪くなかったので、再び隔離されているということはないと思います。

 しかしながら、彼の未来を考えると、薬で統合失調症が良くなっても、この20年以上隔離されていたことで他人とのコミュニケーションや社会性というものは全く身についておりません。そのことで彼はこれからもずっと苦労することになるでしょう。再び引き篭もる選択をするのかもしれません。失った時間を取り戻すのは大変なんですね。でも、これから彼の人生は始まるのですから、今回このように病気になって外に出られたことは、良かったのかもしれません。

 私宅監禁、座敷牢、というのは地方の部落などでは、未だに認めることがあるそうです。

恐らく彼のような悲惨なケースが昔から日本には沢山あったんでしょうね。

逆に考えると、今回の彼は身体的な病気があったおかげで、家族が気づき外の世界に出られた訳ですが、もし身体的な病気がなかったら、一生隔離部屋から出ることはなかったのかも・・・老人になって、体を壊すまで・・・・

 日本では精神病というと、どうしても恥ずかしいという偏見が強いみたいですね。一族の恥だみたいな・・

昔海外の精神科医の講義を聞いたことがあるんですが、アメリカなどでは精神科に偏見が無く、逆に精神科にかかっていると言うと周囲の人が変に思うどころか「この人は大丈夫だ」と安心するそうですよ。日本と比べると全く逆ですよね。精神医学的に日本はアメリカより10年は遅れているんです。治療薬や精神科医の技量もですけどね。

 今回のような可哀相なケースを無くすためにも、日本人の精神病に対しての偏見が、無くなることを心から祈っています。
http://www.geocities.jp/niwaiin/C5_12.htm 


59. 2013年8月10日 21:37:20 : W18zBTaIM6

すごい。大正期のキチガイ座敷牢の実態調査を現代語で


呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%90%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E3%80%91%E5%91%89%E7%A7%80%E4%B8%89%E3%83%BB%E6%A8%AB%E7%94%B0%E4%BA%94%E9%83%8E-%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%80%85%E7%A7%81%E5%AE%85%E7%9B%A3%E7%BD%AE%E3%81%AE%E5%AE%9F%E6%B3%81-%E9%87%91%E5%B7%9D-%E8%8B%B1%E9%9B%84/dp/4260016644


90年前の大正時代にはすでに精神病者に対応するための法制度もある程度はあったし、精神病院なんてものもあったわけだが、むろんみんながそこに入れたわけではなく、相当部分の精神病者――ボケ老人もかなりいるが、25-40歳くらいが大半――は家族が座敷牢を作ってそこにぶちこむしかなかった。

その実態を調査したもの。著者の呉秀三は東京帝国大学の医学部の先生。
精神病で呉というと、どうしてもドグラマグラを連想してしまうんだけれど、そういう関係はどうもないみたい。


あちこち農村に分け入ってはその実態を淡々と書いており、その収容されている座敷牢の平面図、患者の状況その他がひたすら記録されている。その家族や村の経済状況、症状、病歴その他きちんと描かれている。全部で300件弱、地域も全国津々浦々。

もちろん、どれも悲惨ではあるけれど、その悲惨にも差がある。ほとんど人間の状態をとどめない者もあれば、コミュニティの助け合いの中にいる人々もいる。

座敷牢の広さは、いちばん多いのが一坪半*1、つまり三畳ほどだけれど、もうピンキリ。読んでいて悲しいものは悲しい。はだかで床に転がされている患者の粗い写真とか、患者が板戸を叩いて近所迷惑なので、内向きに釘をたくさん打って叩けないようにするとか……


とはいえ、結構みんな最低限の面倒は見ていたようで、本当にひどいのはそんなになかった、とのこと(統計的な分析もある)。でもそれも実に様々。さらに私宅監置って、勝手に座敷牢をこしらえてぶちこむもんだと思っていたら、ちがう! 

私宅監置の届け出をして、図面その他を警察に出して許可をもらって監禁する。暴力的とか、それなりに監禁を正当化する理由は必要だ。社会としての精神病に対する対応として公的に認可されていたものなんだね。これを見て、国家権力が弱者の弾圧を社会的に促進し、と拳をふりあげたがる人もいるだろうけれど、当時の医療や経済水準から考えて、これが可能だった精一杯の水準だったんだろうとは思う。

そしてまた、精神病者を治療すると称するお寺や神社や行者なんかが跋扈していて、そういうのも調査している。これまたここに書き切れないくらいおもしろい。いろんなものの黒焼きが珍重されていたとか(実はうちから少し上野のほうにいくと、黒焼き屋がいまもあるんだよね)。


原著者はこれを受けて、いまの座敷牢は監禁だけしかしない、だから廃止して、病院で引き取って治療も受けられるようにすべきだ、と強く主張している。でも当時、実際に何をしてあげられたのか考えてしまう面はある。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121017/1350481846


60. 2013年8月10日 21:49:16 : W18zBTaIM6


座敷牢の幽霊

もう十年くらい前だけど、従弟が事故で死んで俺が本家を継ぐことになったときに叔父(従弟の父)から聞いた話。

江戸も終わりの頃、N家(本家)に嫁が来た。

N家跡取りと仲むつまじく、やがて女の子が生まれて春と名付けられた。
その年は不作で、子どもを生んだばかりでも嫁も働かなければならない。
嫁は山菜を取りに山に入ったが、夕方近くになっても姿が見えない。
村の衆で探し回っていると嫁は乱れた姿で山から下りてきた。
天狗に孕まされて。

どうもこの天狗ってのは白人のことらしい。
まぁ「天狗=日本に漂着した外国人」ってのはよくある話、と叔父は言っていた。


堕ろそうにも、襲われたショックで寝込んだ嫁にそれは耐えられないと旦那が躊躇しているうちに、ついに男の子が生まれてしまう。
嫁は生んですぐに体調を崩して死んでしまった。

旦那は子供が憎くて殺そうしたが、嫁の忘れ形見だと思うと殺せない。
しかたないので座敷牢に幽閉し、そこで育てた。

途中までは人を雇って世話をさせてたが、いつからか姉の春が面倒をみるようになった。
父親がいくらいっても聞かないし、身内の恥を他人に見せるよりはって理由でそのまま娘にまかせた。
男の子の名前はユキハル。父も誰もつけないから、春が名付けたそうだ。
春はユキハルを大変可愛がった。

んで、そのユキハル。見た目は死んだ嫁によく似ていたけど、色彩が白人…というかハーフのそれだったらしい。
茶色の髪と青い目をしてて、姉から学んだたおやかな仕草。

(ここらへん特殊事情。春は訛りの矯正やなんかの習い事?もやってた。その姉からいろいろ教わったユキハルは女形みたいな子だったようだ)

嫁そっくりなのに日本人離れした薄い肌や髪の色をみるたびに腹ただしくて、ユキハルが成長するにつれて旦那はだんだん可笑しくなった。


…で、ある晩。ついに旦那はユキハルに乱暴したんだと。

その日から、村の衆や村にくるお役人にも身売りをさせた。
(売るといってもはした金の値段で、ユキハルを苦しめる為にやっていたようだ)
(だんだん憎らしさが勝ったんだろう)

春は弟が普憫で、父にこんなことは止めるようにと言ったが父は聞き入れず、次第に娘がうっとおしくなり早めに嫁にやることにした。

春が「嫁に行くことになった」と告げると、ユキハルは春をさらって山へ逃げた。
唯一自分に優しくしてくれる姉を奪われるのは、ユキハルにとって身を切られる辛さだったんだろう。


やがて湖のほとりに出ると、そこで春を抱いた。

事が終わり、すすり泣く春を見て「少し周りを見てくる」と言って一人にさせた。
春は泣きながら湖に入った。
ユキハルが帰ってくるとすでに春は水の中だった。
姉がいないならばと、彼も崖から飛び降りた。


姉弟がいないことに気づいた旦那は村の衆を使って探し、最初に姉、次に弟の遺体を見つけた。
春の着物の乱れを見て、何があったか悟った旦那は鬼のごとく怒り狂った。
ユキハルの死体を八つ裂きにして、山中に放置。
獣に食わせた後、荒神(山神ではないらしい)の祠の前に捨てた。

祠の前に捨てたときは、死んでからもう何ヵ月も経ってたけどまだ怒りが収まらなくて、骨を足蹴にしても飽きたらず石で粉々に砕いたんだと。
娘が死んだ嫁と同じ目に会わされたと知ったらね…気持ちはわからんでもないけど。

もう誰もいない座敷牢に幽霊が出るようになった。
けどそれは牢の主のユキハルではなくて姉の春のほう。
しばらく座っていたかと思うと消え、庭の隅にある石の上にたたずんで蔵をジッと睨んでいるそうだ。

その蔵というのが、ユキハルが身売りさせられてた場所だった。
春は生前、ユキハルが蔵に入っている間は石に座ってずっと彼が出てくるのを待っていたらしい。

そのうち旦那の夢枕にも立つようになったらしい。
春が祟っている、と言って少しづつ衰弱していった。
そして蔵の戸口の前で首をかっ切って死んだ。
(この蔵は戦後に壊しちゃったんだけど、叔父や親父は飛び散った赤い染みを見たそうだ)

旦那の弟が後を継ぐことになったが、怖くて仕方ない。
N家は跡を継ぐときとある儀式をするんだが、儀式をやる前に春の霊をなだめる方法を考えていると、なにやら井戸のほうで水音がする。

時刻は夜中。こんな時間に誰だろうと見に行くと、春が着物や食器を洗っている。
それはユキハルが使っていた物だった。

「お春…死んでからも、ヤツの世話をすることはない」

実父を祟り殺したとはいえ未だユキハルに縛られてる春が哀れでつい声をかけると、春は振り返りにっこり笑って消えた。
彼はもしや…とユキハルの砕かれた骨が散らばった土を集め、春の墓の隣に葬った。
途端に春の姿を見るものは無くなり、たまに井戸で誰もいないのに何かを洗う音がするだけになった。

「…きっと、春もユキハルを好きだったんだよ。でも姉弟で愛し合うことはできないから、入水した」

と叔父は言った。 それから、本来ならユキハルが継ぐはずだったんだろうN家は末子が継ぐように決めた。(春の機嫌をとったようなものらしいけど…)
http://id41269.blog.fc2.com/blog-entry-12.html


61. 2013年8月10日 21:52:32 : W18zBTaIM6

「座敷牢」仲町六絵

 I先生の刑法ゼミに在籍していた、学生時代の話だ。

 講義のあと、先生が私達を祇園のバーに連れて行ってくださったのだが、刑法39条の話題になったその流れで、先生がポツリと

「子どもの頃、近所の家の座敷牢に女の子が閉じ込められていた」

とおっしゃった。先生の子ども時代といえば、私宅監置が禁じられた昭和25年を、おそらく過ぎている。「あまり聞いてはまずいかな」という雰囲気が学生達の間に流れた。しかし空気を読まない男子学生が「監禁罪ですね」と言ったのに言葉を継いで、先生は話を始めた。かなり酔っておられたと記憶している。

 先生のご実家は小さな酒屋で、幼い頃から集金や御用聞きで近所の家々を廻っていたそうだ。ある大きな家の玄関を敲いたところ、返事のかわりに呻くような声が聞こえたので、誰か急病かと思って中に入っていった。鍵はかかっていなかったそうだ。

 どうかしましたか、と呼びかけながら声のもとをたどると、日の差さぬ部屋の中にささくれた材木を縦横に組んで、手づくりの檻があった。中で白い着物の女の子が、「なぁい、あい、なぁい」と声をあげていたそうだ。

 その女の子は、お尻がすっぽりと木箱にはまっていた。姿勢だけは乳母車の中の赤子のようだったけれど、十ぐらいのその子は、箱から手足をはみださせ、じたばたと動いていた。汚れた板敷きの上で、女の子のはまった箱はガタガタと鳴り続けていた。

 所用で出かけていたその家のおばさんが帰ってくるまで、先生は立ち尽くしていたそうだ。こっぴどく叱られて、ご両親にも「あの家には行かんでいい」と言われたという。

 しばらくたって、その家が燃えてしまった。深夜のことで誰も助からず、葬式で用意された棺桶は、女の子のぶんが無かった。

 葬式から帰った後、先生の叔父にあたる人が、一時期おかしくなったそうだ。押入れに布団ごと閉じこもって三日三晩、業を煮やした親戚連中に引きずり出されて井戸水をぶっかけられ、「いい大人がなにやっとる」と叱られて、夢から半分覚めかけた顔で言った言葉が「白い女の子とかくれんぼしとっただわ」。

 幼かった先生はそれを聞いて、

「あの女の子が牢から開放されて、遊んでいる」

と思ったそうだ。

 「解放されて、あの子はどこまで来れるようになったんだろう」

 そうおっしゃる頃には先生の呂律はすっかり怪しくなっていて、私達は何となく居心地の悪い思いで、テーブルの下の暗がりに目を落としていた。
http://www.mf-davinci.com/yoo/index.php?option=com_content&task=view&id=973&Itemid=52


62. 2013年8月10日 22:01:51 : W18zBTaIM6

『座敷牢』


385 :本当にあった怖い名無し:2009/09/16(水) 01:12:36 ID:bquAUI+a0

あー うちのばあちゃんの実家にも座敷牢あったな。

ばあちゃんちは地方の庄屋かなんかで、怖くなるくらいデカい屋敷に代々住んでた。
庭もすげー広大な日本庭園だったんだけど、

ある日遊びに行ったら、えらいキレイな顔して白い着物?浴衣?着た男の子が、一人でぽつんと佇んでた。

自分小さかったから、ばあちゃんに「あれ誰?」って聞いたら、適当にかわされた。

後年、母親にその体験を語ったら、

「あれはちゃんと育たなくて座敷牢にいる人」

と言われた。

だいたい一代とばしでそんな風なのが生まれるから、座敷牢が必要らしい。(今でも)


391 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 13:50:29 ID:+0bzKi2X0

生まれた時点では正常とみなしたんだから、出生届け出してるはずで、
小学校への就学年齢になっても入学させてなかったら、役所から人がくるだろ
ありえん


392 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 16:50:24 ID:nhgs6Eu30
>>391
ありえない前提が『出生届け出してるはず』なのは弱くないか。
出生届も出さずに、戸籍を持たない子供も増えてるのに。

393 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 17:52:41 ID:+0bzKi2X0
>>392
これまた特殊な例を出してくるんだなw
都市部の無計画子作りなDQN貧民や不法滞在の外国人の話をしてんじゃねえぞ
古くから土地に根付いていて広い敷地にデカい屋敷を構えてるような家の子供の話してんだよ
場合によっては跡取りだ
そんな家の子供が出生届を出さん理由って、一体なんだよ?
教えろや


394 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 18:41:36 ID:nhgs6Eu30
>>393
何故そこまでお前は喧嘩腰なのかと。

そういう存在が生まれる可能性が高いなら、適当に保留するのもあり得ない話じゃないし、
古くから土地に根付いてるなら、役所の人間より偉い(その土地の中で)ことだってあり得るわけで。
出してるかどうかすら定かでないのに、「出生届出してるはず」って前提は弱いだろ。


395 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 19:36:56 ID:FgAaf8DQ0

昭和も初期の頃は、「そろそろ就学年齢だから、役場に出生届を出すか」って、東京でもあったらしい。
当然、場合によっては±1年の誤差が出ることもある。
ソース@婆ちゃんの実家

396 :本当にあった怖い名無し:2009/09/18(金) 20:51:11 ID:+0bzKi2X0
>>394
なるほどそういう話か
それはすまん。わしが悪かった


397 :385:2009/09/18(金) 23:00:40 ID:Y7sBYqiY0

ありゃりゃ…紛らわしい話ふっちゃってスマソ

ばーちゃんの家は、確かに「古くから土地に根付いていて、広い敷地にデカい屋敷を構えてるような家」だよ。

国会議員や元警視総監(!)あたりもヘコヘコ挨拶にくるし、
昭和天皇が通りすがりに「日本庭園見せてくれ」って立ち寄ったり、
死人が出れば新聞に載ってエラい騒ぎになるような家柄。

ヤバい子が生まれた場合も、さすがに出生届けは出してるだろうね。(昔はわからないけど)

けど就学年齢になっても、役所も家も多分スルーだと思う。
書類上は一応入学したことにしといて、ずっと病欠→卒業とか…かな?
自分と同世代で座敷牢に入ってる人はいないから、詳しくは分からない。

ちなみに、自分が昔遭遇した美少年は、とっくに亡くなってるとのこと。合掌


398 :本当にあった怖い名無し:2009/09/19(土) 00:18:06 ID:wiP7I0xM0

なんか池沼の他にも、スケキヨとか真珠朗とか、その家にはいそうだなと思った。


402 :397:2009/09/19(土) 15:46:00 ID:N9WZrU60O

あー確かに…リアル犬神家みたいな屋敷だよ。
ひたすらデカくて暗くて座敷牢がある家。

乱歩的なモダンさがあれば、もう少し怖くなくなるんだけどねえw
しかし、なんで一代おきにヤバい子が生まれてくるのかなぁ 不思議


コメント


[ 7515 ] NO TITLE
>けど就学年齢になっても、役所も家も多分スルーだと思う。
>書類上は一応入学したことにしといて、ずっと病欠→卒業とか…かな?

リアルにありそうなところがなんとも不気味

[ 7642 ] NO TITLE
出生届けは出したが、あとになって障害者とわかったから懇意にしてる医師に頼んでニセの死亡届けを出して戸籍抹消とかだと思う。

そんだけでかい家で議員や警察のお偉いさんも来るぐらいだし、一代飛ばしくらいでそういうのが出てくるのが確定してるなら役所や警察も昔から「暗黙の了解」として詮索はせずにニセとわかっていても死亡届けを処理しているだろうしな。

[ 18272 ]
>なんで一代おきにヤバい子が生まれてくるのかなぁ

デカイ家ってのは、古い歴史の中でそれなりに後ろ暗いこともしてきてんだよ。
家系を維持するために因果応報

金持ちだから座敷牢で生かしておけるってのもあるだろう
貧しい農民の家ならすぐに口減らしされると思われる

[ 20627 ] NO TITLE
血が濃いのかね?


[ 26929 ]
座敷わらしの由来みたいなことがあったんじゃないかな。

家を立派にする為に子供を閉じ込めてさ…扱いは酷かったらしい。

美少年って言ってたからたぶんそっち系の慰みものにもなってたんじゃ?と恐ろしいことを想像した。


[ 32237 ] NO TITLE
>20627
ありうるね
遺伝子異常なのか、何か家系的な呪いなのか、まあ偶然ではないやろう、なんらかはある。

[ 46533 ] NO TITLE
ちゃんと育たなくてというなら知的か身体障害か。遺伝的な疾患もあるからね。
でも天皇家もそうだけど今後は障害がある子が生まれてもぜひオープンにしてほしい。
そして一緒に戦っているというのを国民や周りの人にぜひ見せて欲しいんだ。

[ 51152 ] NO TITLE
出生届はこんな一例もあるぞ…
http://www.kitimama-matome.net/archives/2166507.html

あと無戸籍に関してのドラマも放送されたしな
平成の世でこれなんだから、昭和なんてもっと酷い例があったとしても驚かない


[ 55536 ]
1974年?位までは座敷牢が合法だったんじゃなかったっけ
自宅監護っていってさ。
精神病院に入院させるか選べるの。


[ 55566 ] NO TITLE
>53702
昔はご近所というか集落ぐるみでやってた可能性もあるで
一家族だけじゃなくてさ


[ 57616 ]
昔から病気を理由に学校に通えない子供はいるだろうから自宅療養のため家庭教師つけて学校には行きませんで済んだんじゃないの。

地元でもかなりの名士だったなら役場も学校も事情知ってただろうし。

昭和40年代生まれだけど小学校の6年間一度も学校に来なかった同級生がいたよ。
なんか難しい病気で通学出来ないから学校に籍だけ置いてて定期的に担任の先生や
校長が様子を見に行ってたらしい。

卒業時に名前があったけど誰もその子の事を知らなかったし見た子もいなかった。
田舎で地域の子供全員が幼馴染みたいな環境だったんだけどね。
戸籍があっても色々な事情で世間には知られずに暮らしている人間って結構いるよ。
http://nazolog.com/blog-entry-4036.html


65. 2013年10月12日 21:52:10 : W18zBTaIM6
中川隆 投稿集
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/168.html

66. 中川隆 2013年10月23日 12:34:52 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

見てはいけない
http://amezor-iv.net/book/131005175551.html


          ヽ  /  /,..-、                    ヽ   _   _         _
    _,, -===-tz、≦ニニ爻、  彡==─.-─-_ - '' ¨          ̄ : : :::::::::-くυj
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  ,'  ,                     : : : : : : : : : :       ‘,                  ,
. l  ,                       l ./   ノl ヽヽ       .゚,                     ,
 l                          /ハヽ  ヽ/  い       .,                  i
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/                                 j          l                ,  、
                                              ,'                    ,'   ヽ
ヘ                                        /                イ     /}
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  ヾミ .,,_ ` -  _                         _  - ´    ̄     ̄     _,, -(> ´
    `( ¨'' -   ,,_''  -   ,, __ ,,     -‐   ''            _,,  -‐≦ _,, - ''.´
      ` ''' ‐-=二 ̄二ニ===─────----───====ニ二 ̄ ニ= '' .¨´
                ̄ ¨'''         ──     '' ¨  ̄


ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫) 岩井志麻子 (著)

岡山の遊郭で醜い女郎が客に自分の身の上を語り始める。間引き専業の産婆を母にもち、生まれた時から赤ん坊を殺す手伝いをしていた彼女の人生は、血と汚辱にまみれた地獄道だった…。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%91%E3%81%88%E3%80%81%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A6%E3%81%88-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%BF%97%E9%BA%BB%E5%AD%90/dp/4043596014


☆Promo ▪インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10868407?ref=search_key_video
http://www.youtube.com/watch?v=qp7JWZ28p1w
http://www.youtube.com/watch?v=VfdK0D0hADc
http://www.youtube.com/watch?v=pVszkLhk75I
http://www.youtube.com/watch?v=wip9Mr_eeXA
http://www.youtube.com/watch?v=3TzNBsoygyI


そこは、鬼の世へ つながった島
底なしの痛みを知れ
恐怖にただれた空気を吸え

耳慣れた声が囁く

「この地獄では死こそが仏」


怖い…怖い…怖い…怖い怖い怖い怖い怖怖怖・゚・(つД`)・゚・
怖い…さすが三池崇史、こわい。
え、えげつねぇ…orz

なんと言ったら良いのか…自分が持てる限りの言葉を尽くしたとしても
いま感じているこの気持ちは、とても伝えきれない気がするんだガーンネコ


不謹慎とか不道徳なんという言葉では、とてもても追いつかない
この、えげつない話に、もっともっと相応しい言葉が、他にある気がして…

コレを観た後では、「クライモリデッドエンド」も「ホステル」も…
あれは、まだまだ子供だましだったと言わざるを得ない
マサキもまだまだ、ここが頂上だ!と思っていたら、まだまだ3合目!


すとーりー
日本のある時代、ある地方で、アメリカ人文筆家のクリスは愛する日本人女性・小桃の行方を求め、遊郭から遊郭へと、各地を放浪していた。

そして、彼は川の中にある浮島の遊郭を訪れるが、小桃の姿は発見できなかった。
が、その遊郭で、客引きをせず部屋の奥で座っている、一人の女郎が気になり指名する。

その女郎は、顔面の右半分が、上部に引っ張られるように歪む醜い顔をしていた。
「ウチの顔、ぼっけえ、きょうてえじゃろ……でも、ウチのアソコは
しまりがいいと評判なんじゃ」と女郎は優しくクリスに、話しかけてくる。

やがて女郎は、自らの悲惨な生い立ちと両親のことを語りつつクリスが探す小桃のことを話し始めた。
女郎は、小桃を知っていた。女郎として売られ、この遊郭にやってきた小桃は愛する男が「きっと迎えにくる」との約束を信じ、ひたすら待っていたという。
そして、ある日、小桃は首をつり自殺してしまった。

それを聞かされたクリスは、激しく落ち込んだ。
だが、その話しは果たして真実なのだろうか?

まだ怖ろしい夜は、始まったばかり……


近親相姦、堕胎、堕胎児の川流し、殺人、奇形、聖職者の禁忌、折檻…etc
これでもか!というほど、タブーをぶっ込んでみた作品。

映像がエグイ、痛い(肉体的な意味で)、そしてえげつない。・゚・(つД`)・゚・

この作品には幽霊や怪物は出てこないし、出血量も大したことがなく(常識的な範囲)
腕や首が飛ぶことも無く、あっと驚くラストもなければ。派手な演出もない。
何がこんなに背筋をぞっとさせるのか
どうしてこんなに“怖い怖い怖い怖いガーンネコ”と呟きたくなるのか…

日本の忌まわしき因習というか、時代の暗部と言うか。
派手さは無いけど、日本人のDNAに組み込まれている「恐怖」を刺激する。
堕胎児を川に流して、手を合わせる女。
子供を流すたびに、一つまた一つと増えていく風車。
映像の一つ一つが、とっても怖い。
ただの風景のはずなのに、何かが見えてしまいそうで、何かが起こりそうで。


原作小説では、根底には女の悲しみがあり、女のえげつなさが出ていたけど。
そこに三池監督が加わったことにより、それが「恐怖!」に変化した。
三池監督のこの手の映画は、正視できない作品は、本当に正視できない。
「オーディション」もコレも、無理。確実に夢に見る。


小桃を女郎達が折檻するシーンは、正視できず。消音・画面小で早送りした。
女郎の一人が、このえげつない原作を書かれた、変態エロ作家の岩井志麻先生で実に、嬉しそうに喜色満面で、爪と肉の間に針とか刺してくるンですが
先生は「眉毛なし+お歯黒」とか、こちらも高確率で正視できない。
あれで、客が取れるのか、甚だ疑問であるkyu

あとあと良く考えみると、この折檻シーンは、海外のSM動画ではよくある感じの ピアッシングとか、ケインや鞭で流血してる動画と同じレベルなんだけど
何故か、こっちの方は、正視できない(p_q)三池マジック?


この映画は、全編英語のセリフで、小桃の髪は赤色だし、着物もちょっと変わっていて
時代・場所なども特定できない、少し変わった…奇妙な日本が舞台で。
まるで悪夢の中の光景を見ているようで、いや〜な気持ちになる。

原作の岡山弁を表現するために、あえて日本語訛りにした英語もなんだか気持ち悪く…薄ら寒い。
作り話だけど、昔日本の何処かで、実際に合ったとしても可笑しくない話で なんともいえない気持ちになる。


ただ、女郎の双子の姉だけは、見れば見るほどリアル「パーでんねんundefined」っぽい
そこだけ、何とかならなかったのだろうか…ちょっと無理あるからアレ;
知ってるかな?オレたちひょうきん族のアレなんだけど。詳しくは画像検索パソコン
あそこで、どーしても笑ってしまう。世界観がちょっと崩壊ギャー


特に、鑑賞をお勧めはしません、三池崇史監督を崇拝きしている!という
タランティーノやイーライ・ロスのような人は、ぜひ観ることをお勧めします。
それ以外の方は、自己責任で観て下さいm(_ _)m
http://masaki.kotori.egoism.jp/?eid=891325


インプリント〜ぼっけぇ、きょうてぇ〜

一人のアメリカ人が遊郭にやってまいります。このオヤジ、その昔、小桃という女郎と結婚する約束をしておりまして、いつの間にやら行方が知れなくなった彼女を探しまわっているそうです。今回も空振りか、と帰ろうとするんですが、帰りの船(島そのものが遊郭になってます)がなかったため泊まる事に。ビジネスホテルやないねんから、ちゃんと女郎を買ってんか、と言われた彼は、しょうがないんで座敷の奥の方に引っ込んでる女を選びます。
そばで見てみると、顔の右半分が上に引っ張られたように変形しております。そういう醜い顔を見られたくないから奥にいたのかも知れません。まぁ、元々そういうつもりで来てた訳じゃありませんから、寝るまでの間のヒマ潰しとして話し相手になってくれたらそれでええわ、と寝っ転がるオヤジ。何の気なしに小桃のことを知ってるか?と聞いてみると、なんと知っているという。小桃はここで働いていて、ついこの間自殺してしまった、とのこと。
一体小桃に何があったのか?彼女の口から恐ろしい話が語られ始めます。

という話。
1時間くらいです。アメリカの特番?の1エピソードで、日本から三池崇史がゲストとして参加したようです。ただね、この話、えげつな過ぎてアメリカで放送禁止になったそうな。
ダメじゃん(笑)。まぁ、そういう曰く付きのモノは観たくなるのが人情というもので。

舞台は日本ですが、アメリカの番組ですので全員流暢に英語でしゃべります。ボロボロの着物着た農民風情のオッサンが、ペラペラ英語しゃべってる姿はなかなかにエキセントリックです(笑)。んで、粗筋にあるように小桃がなぜ自殺したのか、ということが顔半分が引き攣れた女の口から語られます。

小桃は女郎頭の翡翠の指輪を盗んだ疑いをかけられ、拷問にあっていた。この拷問、ちゃんと描かれるんですよ、ごまかさずに。針一本一本を手の指の爪の間に差し込まれ、爪がみるみるうちに血で真っ赤になっていくところとか、唇をまくりあげて歯茎に針差し込んだりとか。観てて、痛い痛い痛い痛いってつぶやきますですよ、ええ。女郎ですんで、目に見えるところは痛めつけない(商品にならなくなるから)ところが実に生々しい。ここが放送コードに引っかかったのか?とか最初は思ってました。最初はな(前振り)。
しかし、実際には盗んでない小桃が、指輪のありかを言える訳がなく、いつまでたっても拷 問は終わりません。責め疲れて皆が引き払った隙をついて小桃は自殺、それを彼女が発見した、ということなのですが・・・

しかし、小桃が自殺した、ということがどうも納得できないオヤジは、マジでそうなん?と彼女を問い詰めます。「本当に真実が知りたいか?」と逆に聞き返されたオッサンは、おう聞きたいわ、と回答します。

小桃が拷問にあったのは本当。ただ、自殺したのではなく、彼女が絞め殺したのだった。地獄のようなこの世にあって、希望の光を失わない小桃を天国に行かせてあげたい、というのが動機。別に憎んでいたとかそういう訳ではありません。
そして、さらに語られるその壮絶な過去。彼女は浮浪者ような夫婦の間に生まれた子で、母親は堕胎師だった。貧しい農村で養える子供の数は限られています。なので、暗黙裡に堕胎が行われておりました。木の桶に血塗れの胎児を落とし込み、それを無造作に川に投げ捨てるというまさに地獄の様な光景。私が思うに、こっちのほうがアメリカで放送禁止になった原因かいな、と。ようやく人の形をとり始めたくらいの胎児がゴミの様に流されていく姿はかなり強烈です。
で、父親は酒びたりのロクデナシで、母親を殴るだけで何にもしません。母親は傷だらけになりながらも堕胎で金を稼ぎ、その金は酒代に消えていきます。もう絵に描いたような崩壊家庭。んで、これで娘に器量がありゃあいいんですが、顔半分が引き攣れた状態なので、周囲からは化け物呼ばわりされて忌み嫌われる始末。中でも外でも安らげる場所がないそんな状態です。そして、彼女にはまだ秘密がありました。それは畸形化した顔と関係のあることで・・・

忌まわしいイメージが横溢する話でした。しかし、負の映像が醸し出す妖艶さもまた否定できません。赤を基調とした映像(髪の毛まで赤い)が、血塗れの世界と相まって美しいとさえ思えてしまうのがなんとも。
そしてなにより、おそらくこういうことが実際にありそうだ、というのが恐ろしいです。畸形のところはおいといて、堕胎とかそういうことは貧しい世界なら普通にあるだろうし。一
皮剥けば世界は醜いことがいくらでもある、と思ってしまいます。
アメリカじゃあこれをTVで流したのか〜すごいな〜(おい)。
http://www.geocities.jp/ganchanmst/eigafile/imprint.html

________


べっぴんぢごく (新潮文庫) 岩井志麻子 (著)

死霊が彷徨い、腐臭漂う岡山の寒村。
村で一番の分限者の家に生れながら、牛蛙と綽名されるほど醜いふみ枝は、母シヲの淫蕩な美しさを憎悪する。しかしふみ枝の娘は、シヲに生き写しの、禍々しいまでの美貌を備えていた。
美女と醜女が一代交替で生れるのは、禁忌を犯した罰か、土俗の死霊の祟りなのか――。呪われた家系を生きた六代の女たち、愛欲と怨念にまみれた、百年の因果の物語。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B9%E3%81%A3%E3%81%B4%E3%82%93%E3%81%A2%E3%81%94%E3%81%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%BF%97%E9%BA%BB%E5%AD%90/dp/4101064245

岡山も、瀬戸内を離れて、北の山岳地帯に入れば、寒村が続くらしい。この物語は、明治の初期、岡山の寒村を母とともに乞食として流離っていたシヲの7歳のときから、大正、昭和、平成と世が移って、104歳で大往生を遂げるまでの一代記である。

シヲの7歳のとき、母親が殺され、左足だけを切断されて持ち去られるという事件が起き、シヲはその村一番の分限者である竹井家に引き取られた。竹井家にはとみ子という気の狂った一人娘がいて、その遊び相手を兼ねた小間使いとして追い回されることになったのである。

 とみ子が川に落ちて死んだ後、シヲは竹井家の養女に直された。「乞食(ほいと)隠れ」にもたれて物乞いをし、ときには春を売って食いつないできた乞食の娘が、村一番の家の養女となったわけだ。村人は驚き、かつ、シヲの美しさが尋常ではないことに気づくことになる。

 以下、シヲーふみ枝ー小夜子ー(冬子)ー未央子ー亜矢と、竹井家の女系が続いてゆく。シヲ、小夜子、未央子は目立つ美女で、ふみ枝、亜矢は容貌に恵まれていない。冬子を括弧で閉じたのは、彼女が奇形であったからで、未央子は冬子の子であるが、戸籍のうえでは小夜子の娘として育てられた。また、因果は巡るというべきか、ふみ枝は婚約者がありながら一夜乞食に身を任せてしまい、小夜子を生んだ。さらに、警察に追われる朝鮮人を匿ったところ、彼は奇形の冬子を抱いて逃走したが、その結果生まれたのが未央子である。朝鮮人はその後やくざとなり、成長した未央子の前に姿を現してもいるようだ。
http://ameblo.jp/yone1868/entry-10137565011.html

舞台は明治末期の岡山の寒村。

乞食の母娘。シヲの母は流れ着く先々で、身体を売って糊口をしのぐ。片足にぼろぼろの包帯。これだけは、けっしてはずさない。
道連れの琵琶法師に惨殺された母親。
シヲは、村の分限者に、無くなった娘(これも失恋の痛手で発狂している)の身代わりに引き取られる。
シヲが見合い結婚して生まれたのは、蝦蟇蛙のような醜女。その娘が、色情狂の美貌の乞食に犯されて産んだのは美貌の娘。この子が、愛人殺しで死刑になる優男との間に作ったのは、「アレ」と呼ばれる、 目鼻も手足もない「生き物」。これが、かくまった朝鮮人に犯されて生まれたのはまた美貌の娘。
この子は、街で遊び暮らすうち、やくざとして出世している父親に犯されて身ごもる。

合間に明かされる。シヲの出生のヒミツ。実は、乞食の双子の子供である兄妹の間に生まれた罪の子だった。
足の包帯の下には、良人の戒名の入れ墨。

そして生まれた醜女は、分をわきまえ、男に交わらずに生きようとしている。
演劇部で知り合った女性と同性愛的な関係になって、シアワセに暮らしているが、なんと、その相手は半陰陽。またも身ごもる。。。
http://akapandanotsuma.at.webry.info/200811/article_1.html


シヲの家系の女性は霊能力があり、死霊が見える。
舞台の寒村の家には「乞食隠れ」と言う板があり、ここが常人と乞食の境である。シヲは初めから異界の人物として描かれているのだ。「乞食」に敢えて「ホイト」とルビを振っているのは「ホト=女陰」を想起させるためであろう。シヲの母も色狂いだったのだ。

ひょんな事情でシヲは村一番の分限者の養女となる。身なりを整えたシヲは驚く程の別嬪だった。だが、賢いシヲは俗世とは一線を画し、平凡な結婚をする。そして、産まれた娘は醜女だった。

以下、相手の男の境遇は変れど、別嬪-->醜女-->別嬪の順に娘が産まれる。"アレ"も含めて、因果を背負って。シヲを除くと別嬪でも醜女でも男には苦労する。男に惚れられるも地獄、男に無視されるのも地獄。そして彼女達には常に死霊が纏わり憑く。連綿と繋がる地獄絵のような性と宿業の饗宴を、作者は時代の雰囲気と共に巧みに描く。死霊、乞食隠れの他、狂花、凶鳥、穢人の墓地と言った題材で黄泉のイメージを膨らませている点も見逃せない。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B9%E3%81%A3%E3%81%B4%E3%82%93%E3%81%A2%E3%81%94%E3%81%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%BF%97%E9%BA%BB%E5%AD%90/dp/4101064245




[削除理由]:規定違反

67. 2013年10月23日 13:25:16 : W18zBTaIM6

魔羅節 岩井 志麻子著

日本ホラー小説大賞受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』や『岡山女』、『夜啼きの森』などで、岡山という地に執着してきた岩井志麻子。本作もまた、彼女が得意とする岡山を舞台にした短編小説集だ。表題作をはじめ「乞食柱」「きちがい日和」「おめこ電球」「金玉娘」など、淫靡(いんび)で挑発的なタイトルの8つの物語が収録されている。

男娼に身をやつしながら幼い妹とともに暮らす千吉。客に尻をさし出しながら、千吉はかつて故郷の村で、雨乞いの日に自らを襲った悲劇に身もだえする。神木にくくりつけた千吉の体をなぶる村の男たち。千吉の脳裏に懐かしくもおぞましいあの唄が去来する…。(「魔羅節」)

病の果てにトウビョウ様の使いとなった少女の枕元へとにじり寄る乞食の男。龍神への生贄に差し出された少年。海に消えた亡夫の代わりに、妻たちと交わる口寄せの婆。貧困と因習がはびこる明治初期の共同体で暮らす人々の生き死にを、岩井は肉感的な筆致でエロチックに描く。その行間からは、汗、白濁液、腐臭、そして血液のむせるような生臭いにおいが立ちのぼってくる。

登場するのは、人間の奥底にある暗い闇をさらけ出したような人物ばかりだ。しかし、彼らの心の内に見え隠れする深いかなしみが、読む者の心を深く打つ。「わしの名前を呼んでくれ」と叫ぶ、狂った男。タヌキの金玉が八畳敷きと聞いて「うちには入りきらんのう」と答える幼女。死体に添い寝する女。近代への移行とともに打ち棄てられていった者たちの怨嗟(えんさ)が、自分の中になだれ込んでくるような、奇妙な錯覚にとらわれる小説集だ。
http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E7%BE%85%E7%AF%80-%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%BF%97%E9%BA%BB%E5%AD%90/dp/4104513016


岩井志麻子「魔羅節」

岡山市の外れの一角、最も貧しい棟割長屋に、その兄妹は住んでいた。
兄は、もう少し日露戦争が長引いていれば兵隊に取られていた年齢、妹はまだ尋常科の童子。

兄・千吉は、男の女郎をして生計を立てている。
髭剃り痕に化粧水をつけ、髪を綺麗に撫で付け、女の腰巻きを身につける。
千吉に一番古い思い出を尋ねられ、妹ハルは父親が鉱山で死んだ時と答えた。
母は頭がおかしくなり、父の所へ行こうとして崖から落ちて死んだ。

本当はもっと昔の思い出もあるが、ハルは知らないふりをした。
兄が支度を済ませた所へ、近所に住む俥屋の熊蔵が甘藷を持ってやって来た。
千吉に惚れている熊蔵は、普段からふたりに優しくしてくれた。
妻子がありながら、他の女にも平気で手を出すような男だが。
会話の最中、兄妹の故郷の村が日照りにあっているらしいと熊蔵が零す。

ハルの本当の一番古い記憶は、物心がつくかつかないかという頃。
村が大日照りにあい、ほとんどの稲が枯れた。老人は飢えと乾きで死に、子供が次々売られていった。

村人たちは、竜神様、水神様に祈祷を捧げた。
男たちが着物の裾を絡げ褌姿になり、「魔羅節」を歌う雨乞い。
しかし幼い千吉だけは、恥ずかしがってやらなかった。
それを誰かがどやしつけ、半泣きで褌姿になった。更にそれも剥ぎ取られ、下半身を曝された。
そして、異様な興奮に陥った数人の男どもに、千吉は犯された。

千吉の客として、ある商人がやってきた。千吉の故郷にも行ったことがあり、彼の噂も知っていた。
ここにいると聞き、わざわざやってきたらしい。

村を逃げ出し、人買いに攫われ、売られかけた妹の代わりを千吉が引き受けた。
あの魔羅節の日、犯された過去があったから、千吉はあっさりこの仕事を選んだ。
「今年もまた、村が日照りに苦しんでいる。魔羅節を唄いに戻らないのか?」
商人は千吉を犯しながら聞く。

魔羅節の後、本当に雨が降ってきた。千吉は雨の使いとして仕立てあげられ、毎年日照りの度、男たちに嬲られた。
それも男は知っていたからだ。
お客さんとこうして唄ってる方がいい、と千吉は答えた。

数日後、千吉の仕事場である旅館の座敷に、見覚えのある故郷の村の男たちがやってきた。
何を言われたか、他の仲居達は誰一人上がってこない。
村に戻ってくれと、男が言う。別の男が、長襦袢を取り出す。千吉が動く間もなく、彼を包んで押さえつけた。

あの商人に聞いたのか、と千吉が呻くと、そうだ、と返ってきた。
お前が戻って拝んでくれれば、すぐに雨が降る、と。
そうして、路地に停めてある車に運ばれた。それは、熊蔵の車だった。
しかし熊蔵は、中身が千吉だとは気づかない。
男たちは、村で悪さした者を連れ戻すだけだと嘘をつき、口止め料を追加してあった。
熊蔵は言いなりになった。余計にもらえた金でまた、兄妹に菓子でも買ってやろうかなどと考えている。

終わり
原文の会話文はもろ岡山弁
http://occult-atoaji.sakura.ne.jp/?p=11807


最初この本を手に取った時、凄いタイトルだなと驚いた。ペラリと1ページ目をめくり、目次を見てさらに仰天してしまった。「乞食柱」、「魔羅節」、「きちがい日和」、「おめこ電球」、「金玉娘」、「支那艶情」、「淫売監獄」、「片輪車」。これはヤバすぎる。本当に平成の世に出た本なのかと思わず我が目を疑って、発売年月日を確かめた。

「この作品は平成14年1月新潮社より刊行された」

私にとって、岡山は怖い土地だった。5歳の時、親が脱サラして商売をはじめたのと、妹が生まれたのを切っ掛けに、私は岡山に住む祖父母の家に預けられた。真偽についてはハッキリしない部分もあるので、詳しくはいえないけれど、そこは60代以上続く刀鍛冶の末裔の家だった。広い座敷の中心で、凄く怖い顔をした男たちは、刀の手入れをしている姿を見た思い出がある。

 ある日のこと、祖父に手を引かれて近くを流れる吉井川の側まで散歩に行った。確か夕暮れ時で、川面がオレンジ色に輝いていたのを覚えている。煙草を取り出して、一本吸い終えると、祖父は目を細めて語りはじめた。

「エリナ(私の本名です)見てみ。大きな川じゃろ。この川に俺の親族みんな流されたんや。夜中にドンって花火が打ち上がる時みたいな音がしてな、バーンと部屋の壁が倒れて水が流れ込んで来おった。口ん中にも耳ん中にも泥やら水やらがワヤクチャに入って、上も下も分からんようになってしもうた。

浮かんできた四角いもん......今思えば箪笥やったんやろか。それに掴まって上半身だけ水の上に出してな、やっと息が出けた。で、足を何かが強く引っ張っとるなーと思ったら、弟が顔を下にしたまま手で掴んどった。弟の名前を呼んで顔を上げさして......と思っとった矢先や、何か黒い水のうねりが来て弟を攫(さら)っていきおった。最後に弟が『お兄』って俺の事を呼んだ気がすんねんけどな、今思えば水の音がそう何かの拍子で弟の声を真似ただけかも知れん。姉やんも両親も全部この水が命を獲っていっきおった......」

 祖父は私に手を合わせるように言い、近くに咲いていた白い花を毟(むし)って川に投げた。

「火や水を使う仕事や、砂鉄もずっとここで取って来た。川の側から離れてはよう住まん」

 その晩私は高い熱を出し、祖父が何か凄く怖いことを言った気がするのだけれど、よく覚えていない。

 風が吹くと、時折うなるような音を耳にした。祖母に、何故風があのような音を出すのかと問うと、「なわめの風」だと教えてくれた。何でもお城の生垣に風があたると、縄のように捩(ねじ)れてあのような音を出すという。

「なわめの風が吹くところには家を建ててはアカンよ、風が怒りよる。家が絶えてしまうけんね」

 岩井志麻子さんの小説にも、これに似た話で家を建ててはいけない「ナメラスジ」というのが出てくる。暗く、現代の日本には似つかわしくない空気が漂う場所。そんなイメージが未だにある。無論、異を唱える人もいるだろうけど、少なくとも私にとって、岡山はそういう土地だったのだ。

 この『魔羅節』は岡山を舞台とした、陰惨な話がみっしりと詰まっている。命は脱ぎ捨てられた靴下程度にしか扱われず、どん底の中で登場人物は、饐(す)えた臭いに塗れながら夢とも現ともつかぬ世界で生きている。

 例えば、「乞食柱」は長患いの末に小蛇のトウビョウ様のお使いになったサトと、淫夢と共にやってくる乞食の話。「魔羅節」は雨乞いの為に生贄にされた過去を持つ、男娼の千吉と、栄養不足で青膨れた妹ハルの話だ。

祖父の話に戻るが、洪水で失った家族を、祖父はTという伯父に頼んで一度この世に呼び寄せてもらおうとしたことがあったらしい。

 呼び寄せた死者が祖父に何と伝えたのかと、親族のものは皆聞いたらしいが、祖父は決して誰にも内容を告げることは無かったそうだ。

 本書に収められている、「きちがい日和」はシケで婚約者を失った女たちが、生理中に籠る小屋の中で口寄せを頼む話で、蒸れた女性器の匂いと死者への情の共演が凄まじい。

 岡山は死者と生者の距離が近いのかもしれない。

 喉の渇き、性的な飢え、飢餓、喪失感、人間が最も体験したくないと思う陰惨な光景とだれしもが持っている後ろ暗い欲望。私にもこんな先祖がいたかも知れないと、一族の幻を見る。命さえもどうでもよくなってしまうような、気だるさと岡山の風に脅えながら私はこの本を閉じた。

 一番純粋で原始的な怖さと懐かしさを味わいたいなら、是非本書を手に取ってもらいたい。

 タイトル以上の剥き出しの何かが、本能を刺激する。こんな酷い物語を書くことの出来る作家は、岩井志麻子さんしかいないに違いない。
http://news.livedoor.com/article/detail/4517580/


69. 2014年6月05日 12:06:24 : lHAN82kqJ2
>第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。
つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。


↑ の記述のように、きっちりと性的な主導権が女性の側にあったなら ↓ のような悍ましい事件はなかったでしょう。
それと、だれの子供か分からないってことんなると
子ども同士兄弟姉妹だったりで、知らない内に近親婚になる可能性がありますから
財産相続云々の問題じゃなくても、廃止されて当然です。


“習わし”に洗脳された性教育

ヤバすぎて封印された日本の奇習! 鹿児島のレイプ結婚「おっとい嫁じょ」とは?

2013.05.28 火
http://happism.cyzowoman.com/2013/05/post_2446.html


70. 中川隆 2014年12月13日 13:17:51 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

私は昔から、両親とも代々飛騨出身

土地柄が悪いところだから、イジメなどひどいと思う。

土地で浮いてしまうと、ひどいめにあう。

回覧板なんてものがまだあるんだよ。。

それで回せば合意したということにされる。たとえば寄付など。

「9条の会」なんてのもその類。

場所によってはほぼ強制的に参加させられてカネを払わされる。

合意したつもりはない、などといえば、波風を起こしたとして、村八分にされる。

村八分が単に無視されるだけなら何のことはない。

土地の嫌がらせはそんな楽なものではない。


・庭にゴミが放り込まれる。

・猫の死体が放り込まれる。

・裏に回ってガスやポンプの設備を壊される。
・主に地下水をポンプで汲み上げているのでポンプが壊れると水はほぼ使えなくなる。


そんなことは当たり前だ。

田舎というのはそういう所。
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/12/13/%e4%bf%ba%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e4%bf%9d%e8%ad%b7%e3%81%af%e6%99%82%e9%96%93%e3%81%ae%e5%95%8f%e9%a1%8c/


71. 中川隆 2015年1月04日 13:18:04 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

「みんなに嫌われる者」には何をしても良い、というのが日本の宗教


みんなに嫌われるやつ、というのはどこにも一定数はいるわけです。私もまさにその1人なのでしょうが、私の父親などはもっとひどいと思う(芝居と世渡りが上手いので、結果的には私のほうが不利な生活をしていますが)。

もちろん、嫌われるには相応の理由があり、同情すべきだと言っているわけではありません。ただ、「嫌われる人間」には普通に生きる権利がないのか、ということです。

とにかく、そういう人間に対しては「何をしても許される」、というのが今に至る日本人の信念であり、日本に土着した文化であり宗教です。

要するに「村八分」の伝統ですが、村八分とはどういうことだったのか。私の高校時代の日本史の先生(旧帝大卒)によれば、江戸時代に村八分にされるということは「死ぬ」ということだったということです。

水利一つをとっても、農村の生活では協働しなければ日常生活も営めず生存を確保できないので、村八分にする、すなわち協働から排除するということは、殺す、生殺しにする、ということでした。不作為によって殺せる、というところが日本の文化に馴染み、日本人に好まれたところなのでしょう。

今の社会では単に「村八分」をしただけでは相手に大きなダメージを与えることができないので、さらに積極的かつ陰湿な行動がなされます。田舎では、団地でもないのに「自治会」などがあり、「回覧板」などというものがまわってくることがあるのですが(このような制度は昭和16年頃の国家総動員法、国民精神総動員運動によって始まり今も続いているものです)、そのような地域で、「みんなに嫌われるやつ」と認定されると、単に無視されたり陰口をたたかれたりするだけでなく、積極的な嫌がらせを継続的に受けることになります。


例えば、深夜2時3時にチャイムを鳴らす。そしてすぐに逃げる。どうやら、未成年にやらせているようです。老人のいる家に対して、こういうことが何度も繰り返される。年寄りが寝ぼけて玄関先で転んで死ねば、「うまく行った」というところでしょう。これが日本人なのです。

昼間もそういうイタズラは絶えない。今では、チャイムは壊して鳴らないようにし、宅配便は電話で呼び出してもらうようにしています。昼間2回のベランダから見ていると、女の子が自転車で来て玄関チャイムをいじっているのが見える。声をかけてやると、ヤバいという感じで、やってきた方に逃げていく。通りがかりのいたずらではない。庭に塀越しにゴミを投げ入れられることはしょっちゅうあり、死んだ猫を投げ入れられたこともある。

これが日本です。日本の伝統です。日本の文化。日本の宗教と言って良い。日本人とはこういう人たちです。

公道にゴミは捨てないかも知れないが、「みんなに嫌われるやつ」と認定した者には、おそらく何ら利害関係がなくても、どんなことをして憂さ晴らしをしても構わないと信じている。これが日本の宗教です。日本教の実態です。このような「美しい国」日本の「美しい伝統」の頂点にいて、このような日本の宗教を守護しているのが、天皇です。
https://kuantan2007.wordpress.com/2015/01/04/japanese-religion/


72. 中川隆 2015年1月07日 13:10:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

田舎町の社会福祉協議会とかは

社協の醍醐味―住民と行政とともに創る福祉のまち

だいたい、地元ヤクザの集まりみたいなものだ。

また、人をいたぶることに喜びを感じる土百姓の集まり。

そういうところに保護を求める者は、保護される条件として、完全な人格破壊を受けなければならない。

日本人の中には、他人の人格を破壊することに喜びを見出す者が多い。
特に卑しい出の者(戦後のほとんどの農家、戦前の水呑百姓)にはそういう者が多い。

それが生きがいのような者も少なくない。

ネットにも多く見られる。

ネットゲリラ(山田博良)や飯山一郎などのような、賤民系の日本人を見ればわかる。

他者を貶め、叩き、嘲笑することに喜びを見出している。
それぞれのサイトを見ればよくわかるだろう。

だからこそ、保護を必要とする弱者は、心も弱いのが通例なので、人権感覚において「少しはマシ」な都会で保護を求めることを選ばざるをえない。

それが気に入らないのなら、日本は弱者を保護しない国になるべきだ、とはっきり主張すべきである。
https://kuantan2007.wordpress.com/2014/12/10/hukushi/

田舎町の社会福祉協議会について断片的に見聞きしていることを続けていこう


まず、「土地柄の悪い所」では、こういう機関がまっさきに腐敗する。
ヤクザ者の巣のようになる。

お上がカネを出して、民間会社に丸投げでやっているものであり、その会社というのがいかがわしい会社であるのが通例。

社会福祉協議会から来ました、といってもいかがわしい会社員である。
汲み取り屋がお上の仕事を丸投げでやっているのと同じだ。
NPO法人に丸投げしている事業はまだマシな方である。


老人ホームとの癒着。

老人がいる、というだけで、その世帯は「福祉」の対象となり、民生委員が回ってくることになる。

「搾取」というものは、物質的な搾取だけではない。精神的な搾取も搾取者にとっては大きな喜びである。

要するに一種のパワーハラスメントなのだが、やってる方は楽しくて仕方がないのだ。
やられる方は確実に人格が破壊されていく。

他人の人格を破壊するのは、やる者にとっては楽しいゲームである。
こういうことも結構大事なことで、知っておく必要がある。

社会福祉協議会のケアマネージャーや病院の社会福祉士などが連携して、ケアの必要な老人を老人ホームに放り込む。

もちろん、老人ホームとケアマネや社会福祉士も癒着している。

病院は必ずしも悪いところばかりではないが、介護病棟にいる個人の中には、非常な悪人がいることがある。

老人の持ち物、実印、預金通帳などを盗み出すのは、老人ホームでも介護病棟でも日常茶飯事。

ほんのちょっとしたものでも盗み出す。

(介護職員自身、最低辺のブラック労働者であり、盗めるものなら鉛筆でも盗む)。

老人ホームも私立のものは非常にブラックな背景を持っているものが多い。

岐阜県西濃地方以西ではちょっと言いにくい種類の事情に絡んだものが多い。

例えば、本業は葬儀屋だったが、老人ホームをはじめましたという男。。
見るからに見るからなヤクザモノなどは、わかりやすいだろう。

遺族は関心がないし、もういないこともある。
それでも田舎者は資産をもっていたりする。

実印も何も使い放題なので、勝手に後見人になって、遺産を全部遺贈させてしまうとか、そんなことはよくある話。

年金口座から老人ホーム入居料金は自動引き落としだが、それでも余る場合、 印鑑や通帳を悪用して、例えば、退所後も料金を引き落とし続けるような操作をしたり、いろんな口実をつけてお金を引き落とさせたり、何でもやり放題である。

経営者だけでなく、看護婦や介護士も一体になって、せこいことから大きなことまで、 盗めるものは何でも盗むという場所になっていることに注意が必要。

できれば老人ホームで死んでもらう。そして本業の葬儀屋。

うまくすれば後見人になって遺贈を受ける。

結構カネを持っているが、親族からは強い関心を持たれていない(ほとんどの要介護老人はそうである)老人から、あらゆるものを搾り取る、すべて搾り取る、ということを、 官民一体(官は民に丸投げだが、丸投げの時にキックバックがあるだろう。

そして官の下請け事業が民間業者に投げるときもキックバックがある)でやっているわけだ。

土地柄にもよるだろうが、岐阜県から西は、確実に腐敗している。

大垣のT病院の介護病棟は話題になったね。
養老方面なんかもちろんひどいところだろうな。
一部の高貴な方にとってはとっても住みやすい土地柄なんだろうけど。
https://kuantan2007.wordpress.com/2014/12/13/social-worker/


73. 2015年1月07日 13:30:58 : b5JdkWvGxs

田舎で生活保護を受けている人も多い。

私の町にもいる(これも昨日会った人から聞いて初めて知ったことだが)。

「田舎で生活保護を受けるのは恥ずかしいから都会に出てくる」という説は典型的な馬鹿のたわごとです。

また、日本の田舎というところは、生活保護を受けるかどうかにかかわらず、嫌らしいところであって、田舎に住んで楽しいのは人をいたぶっている者だけです。

老人がいるだけでも民生委員など「福祉」の連中が回ってきていろいろな嫌がらせをする。
https://kuantan2007.wordpress.com/page/25/


74. 中川隆 2015年10月05日 06:45:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

名張毒ぶどう酒事件の真犯人は誰や? 2012/05/12

名張毒ぶどう酒事件発生から51年。86歳になった死刑囚の奥西勝は再審を請求したが死刑が確定しても無罪を主張して何度でも再審を請求出来るものなのやなあ。

誰かが、ぶどう酒に毒物を混入させたから、五人が死んだのやないか。誰もそんなことをした奴が居らんだら、あんなことにはならんだんや。誰がやったか、こんなものは奥西勝以外考えられやんわ。事件の起きた地域では奥西の犯行と断定して疑わんだけど、津地裁では証拠不十分で無罪になったんや。人を五人も殺して無罪では、被害者の家族は無論地元は承知せんわなあ。名古屋高裁は死刑の判決を下したが、執行もされず、また再審になるかどうかは25日に決まる。犯人は奥西以外に居らんけど、決定的な証拠が無いのが泣き所になってるのや。

犯人の奥西勝(当時35歳)には動機がありすぎた。妻(当時34歳)が居るのに近所の未亡人(当時36歳)と毎日のように竹薮に行っておめこしとったんや。それが村中の評判になり、2人で歩いて居る所を奥さんに見つかり、奥さんとの関係が険悪になったのやろなあ。それで、愛人にも別れ話を切り出され、まあ見切りを付けられたわけや。もうどうにもならんようになった奥西は「2人とも殺してしまえ」と思ったけど、やれば自分がやったのが解るから、チャンスを待ってたら、あの集会があったんや。男は日本酒、女はぶどう酒を飲んだけど、ぶどう酒に入れた毒物は青酸カリ以上に毒性の強い「ニッカリンT」だということらしいが、はっきりっしてない。瞬時に5人もが死亡する劇薬であったことは確かや。そしてそれを入れたのも奥西以外には考えられやんのや。そやから名古屋最高裁は死刑の判決を下したのや。それが何回も何回も再審を請求して、51年も経ってから、又再審を請求して、弁護士は完全な証拠がないことを理由に無罪を主張して、支援者グループがあって、全国から数万の署名を取って、「冤罪だ、奥西さんを救おう」と騒いでいるのや。本当にこいつらには「自分の身内が死んでてもこんな運動を出来るのか」と聞きたいわ。

ド助平の奥西勝はもう86歳や。拘置所におめこさせる女の差し入れは出来やんやろ。「35歳以降は51年間もおめこ出来やんだという制裁を受けてるのやから、もう許したれ」と思う人も居るやろ。アホはおめこも出来やんと拘置所暮らしや。解らんのは何で女房と愛人を殺してしまったのかと言うことや。何も女房と愛人を殺さんでもよかったと思うけど、その心理が解らんわ。三角関係を清算するのなら自分も死ななあかんわなあ。2人が邪魔になったわけやないやろ。二人にソッポを向かれたから、他にええ女を捜したらよかったのになあ。むしゃくしゃして殺してしまえと思ったのやろ。短絡的な男や。

殺すのには成功したけど、関係の無い三人も巻き添えを食らってるのや。「俺はやっとらん」と無罪を主張し続けているのやが、死んだ人とその遺族に支援者は居らんのや。何で殺人犯人ばかり庇うのか、それが解らんわ。奥西 勝が25日に再審になるかどうかは人間が決めることや。再審になったら、「無罪、冤罪」になる可能性も強い。奥西以外にやった奴は居らんのにおかしな話や。再審を認めないことを祈るわ。再審を認めてもだらだらと長引かせて、獄死するのを待つかも解らんわなあ。どっちにしても終身刑みたいなもんや。

わしは71歳でも昨夜もおめこしたわい。わしは女房とうまく行ってる。愛人が居って愛人とおめこしても、女房は怒らんのや。普通はうまく行かんのやが、うまく行ってるのはワシの人徳やろなあ。あのぶどう酒事件のあった頃は葛尾地区に限らず、山村でも漁村でもその地域によって、「おめこ自由」やったのや。不倫もくそもない。隣りのおばやんに、親父が不在の時やったら、「おばやんおめこしょうか」と言うたら「ああ、ええなあ、やろか」と言うことになって、ズボ、ズボ、ズボ、ズボ、やったんや。知ってる顔なら誰とでもおめこしたんや。ええ加減なものや。街でもそんなことはようあった。商売屋の親父が仕入れに行って、忘れものをして店に戻ったら嫁さんが居らんのでそーと二階へ行ったら嫁さんが何処かの男と夢中でおめこしとって、親父が来たのに気がつかんだという実話がワシの家からそう遠くない所であったのや。その時親父が、「他人でもおめこしたくなるのやから、ワシの女房はよっぽどええ女なんや」と言うた言葉が語り草になったんや。確かにその嫁さんは可愛い感じのふるいつきたくなるようなええ女やった。親父は嫁さんに惚れ切ってたから、離婚もせんと、もう2人とも90近くなったけど、元気で暮らしているみたいや。

明日はまた名古屋に行って愛人とおめこするのやけど、昼間やから、彼女は「外に出よう」と言うから、また昼間でもおめこ出来る旅館に行っておめこするつもりや。同じ相手と同じようにおめこして、それを書くのはアホくさいけど、ワシには期待してくれてる人があるので、書かんわけには行かんのや。また書くわ。
http://78441684.at.webry.info/201205/article_4.html


75. 中川隆 2015年10月05日 07:29:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

分かっていても公表できないこともある
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/289.html

名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html


76. 中川隆[2379] koaQ7Jey 2016年4月18日 01:22:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2463]

豊年祭あれこれ・・・ 2013-07-30 00:41


宮良(みやら)の豊年祭のことを書いておきます。

豊年祭というのは五穀豊穣を祈るお祭りで、各地域でそれぞれの伝統にのっとって行われます。地域によって、観光客や他の集落の人たちにも門戸を開いて行われる豊年祭もあれば、よそ者を徹底的に排除して行われる豊年祭もあります。

前者は、ザ・トラディショナルという感じで、ナイチャーも一緒に、豊年祭の趣旨の下で楽しく参加することができます。外国の方なんかにも、おすすめです。

その対局にいくつかの集落で行われる秘祭があります。八重山には新城島の秘祭があるのですが、これはかなりいろいろと書けないことがあるので、ここでは省きますが、いつか絶対に行ってみたいです。

今年はいいところまでいったのですが、詰めが甘くて島に渡ることができませんでした。ダイビングをしていて、自分以外の人はみんなジンベイを見ているのに、僕だけは見れなかった・・・という以上に、悔いが残ります。

ということで、今回は外部の人間も、身の危険を感じずに安全に見ることができる秘祭と言われている、宮良の豊年祭について書いておきます。

ザ・トラディショナルなお祭りと一番違うところは、カメラや携帯、スマホなどによる写真撮影、動画撮影、録音だけでなく、スケッチや採譜など、記録に残すことがすべて禁止されています。

アカマタとクロマタという神様が登場するのですが、この姿は写真もイラストもないので、祭りを見学した人以外は、どんな格好をした神様なのか、誰も知りません。
そもそも祭りがいつ行われるのかすら、直前まで外部にはほとんど知らされません。

最初に村の広場みたいなところに、どこからともなくアカマタとクロマタが祭者とともに現れ、踊り、叫んで祈ります。祭者たちは、三線を奏で、太鼓を叩き、歌い叫びます。

その様子は、他の地域の豊年祭とは全く違い、それを見るだけで秘祭と言われる所以がわかります。僕も祟りがあると怖いので、詳しくは書きませんが、独特のリズムとうねりが空気を伝って体に入ってきて、自分が今、ここにいるのを忘れるような気持ちにさせられてしまいました。

アカマタとクロマタの姿かたちを何人かの人に聞かれたのですが、正直、ひとことでは言えない威圧感があります。

身長は熊のグリズリーのように大きく、ポンキッキに出てくるムックのような動きをし、体中から草や藁が生えていて頭にはさとうきびが群生しています。これだけ聞くと、コミカルな姿を想像するかもしれませんが、実際はなまはげよりも威圧感があります。

広場での祀りが終わると、部外者の方はお引き取りくださいとアナウンスが流れます。大部分の人たちはここで帰るのですが、もっと見たい罰あたりな人たちは、アカマタとクロマタを追います。

この集団がその後御嶽に向かい、集落を彷徨い、家々を回ります。その順序もユタによって決められ、外部の者には一切知らされません。夜を徹して行われるので、当てずっぽで待っているわけにもいきません。

太鼓や歌の音が聞こえる方向に進もうと思っても、警備役の人たちによって、道を塞がれます。丁寧な口調で、あっちから回ってくださいと諭され、そっちの方向に進んで行くと、また別の警備の人に、遠い方向に誘導されます。

「あっちの人が、こっちは行けるって言ってましたよ」
なんて言う、理屈は通用しません。

神さまが決めたことがすべてです。

集落中の街灯が消され、真っ暗やみの中を歩かされるうちに、諦めたり疲れたりで、だんだんと追っかける人が減っていきます。そして真夜中になった頃には、集落の人以外は誰もいなくなるという感じです。

僕はたまたま現地で知り合った親切な人たちに導かれて、あまり苦労せずに何軒かの家を回らせていただくことができましたが、これはとてもラッキーなことでした。

いくつかの家を回って気づいたこと。

アカマタとクロマタが踊って祭者たちが唄う歌は、すべて違うんです。

「何曲くらいあるのですか?」と村のおじいに訪ねたところ、

「ベートーヴェンほどあるさ」との答えが返ってきました。

聞けば、それぞれの家ごとに自分の家の歌があり、またその中にも、家にすべての人が揃っている時に奏でられる曲、誰かが出稼ぎに出ている時の曲、家族の誰かが亡くなった年の曲、新しい家族が増えた年の曲・・・それぞれ、違う曲が奏でられるそうです。

歌う者も、神事なので絶対に間違えてはいけないし、すべての曲を覚えて歌える人もいないので、家ごとに人も入れ替わり、かなりたいへんらしいです。譜面や工工四(沖縄民謡の楽譜みたいなもの)に書いて伝えることもできないので、すべて口伝えの伝承音楽です。それが一晩中続くので、確かにチャラチャラとよそ者が入ってきたら鬱陶しいですよね。

そんな理由もあって、あまり詳しくは書けませんでしたが、神秘的なという表現という言葉では片づけられない、神さまの畏怖を感じた夜でした。
来年も行きたいな・・・
http://blumingo.exblog.jp/19364870

激ヤバ地帯
島民以外は立入禁止 秘儀・奇祭の島 2014.10.22


沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。

この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。


人口はわずか十数人の島だが、年間2000人あまりの観光客が訪れるため、島のあちこちには信仰の場を穢さないための注意書きが示されている。

K島港には「来島者へお願い 無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない A島公民館長」と書かれた看板が掲示されており、また、神社の周辺などには「写真撮影禁止」「住民以外の立ち入り禁止」の看板もある。

特に、厳しく禁じられているのは、神社で勝手に願掛けをすることである。

八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められているのである。


住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。

この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。

同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。

まさに、秘められた島で行われる秘祭だ。その様子は、撮影することも写生することも、録音することもすべては禁止されている。

漏れ伝わる情報や、八重山諸島の他の島で行われている祭りから推測される、この秘祭の実情は次のようなものだ。

祭りの中心である、アカマタとクロマタと呼ばれる2柱の神は、全身を草に覆われ、だるまやフクロウのようにも見える南方系の意匠のかぶり物である。

その背丈は180pほどと大きく、アカマタは赤面をクロマタは黒面で、どちらも縦長の鼻に丸い目と細かいギザギザの歯を持ち、目と歯の両端に細長いヒゲもあるというものだ。

この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。

神は、夕方になると数十人の太鼓を叩く人々を伴って村の家を一軒ずつ訪問する。人々は、口々に歌いながら、アカマタとクロマタを呼び歌い踊るという。

神々は「ナミダ」と呼ばれる精霊が宿った人々によって先導されて移動し、夜が明けるころには、村からは消えていくという。

この祭りが、決して島の外の人々には口外してはならないことになった理由は定かではない。

一説にはかつては、祭りを通じて男女が交わる行為も行われており禁じられたからというものもある。

いずれにせよ、前述のように外部の人間が祭りを見物するのは、ほぼ不可能だ。

かつて、ある大学教授が島に潜入して撮影を試みたこともあるというが、潜入を手引きした島出身の若者は謎の事故死を遂げ、教授宅は不審火で全焼して記録したフィルムも灰燼に帰したとされる。

この事件が偶然の出来事であるか否かは明らかでないが、島の人々が祭りの秘儀を決して外には漏れないように必死であるという事実ゆえに、様々な形で尾ひれがついて伝わっているようだ。

これまで、いくつかの雑誌などで、この島の祭りの様子を撮影したと称する写真が出回っているが、それが本物であるという確証はどこにもない。

依然として、この祭りは秘密のベールに包まれた立入禁止イベントとなっているのである。
http://gekiyabaaa.blog.fc2.com/blog-entry-38.html


2013-02-14
ある学術雑誌の紹介本に「乱交」の研究書があって、その中に石原慎太郎著「秘祭」の名前があったので興味を持ち、そちらを読み始めた。

研究所にあるように石垣島の先、八重山諸島のある島には、祭りの時に何代にもわたり、近親相姦もある乱交の習慣があり、それはある意味必要不可欠のものだと言う学説であった。

「秘祭」は昭和59年新潮社刊行

石原の内容は、その島には17人しか住んで無く、その島を買収し観光地として売り出すために、東京から派遣された社員が事故死したため、次の社員が派遣されると言う処から始まる。

どのように親しくしても、その島の人間になると言う事は全く受け入れず、全てを知った事で殺害されてしまうのだった。それを口外した事で舌を切られ、動物のように鎖に繋がれてしまった島の人間も居る。

石原は八重山に想を得たが、島と人物には係りないとしている。

研究書では、その秘祭は事実に書かれている。

安易に言ってはならないが、八重山に限らず、日本の祭り(盆踊り等含め)の原点はそのようなものかと思われる。
http://higashinum.exblog.jp/19994498/

近親相姦の島では毎年一人か二人は不具の子供が生まれるので、宗教儀式をして海の向こうへ送り返さないといけないんですね。

石垣島出身の友人に聞いた、実際にある離島のヤバすぎる風習 2014年11月14日

5年くらい前にテレアポのバイトをしていたんですが、その時に一緒に働いていたバイト仲間から聞いた話です。

そいつは沖縄の石垣島出身。俺は沖縄が好きっていうのと離島の神秘的な魅力に魅かれてた事もあり、そいつからよく石垣島の話を聞いていた。

その中に一つ、正直ヤバいだろって話がありました。

よく噂で、八重山諸島の新城島には他言無用の絶対秘密の豊年祭という秘祭があると言われています。

撮影も禁止であり、外部に情報が漏れないように徹底しているとか。

そこで行われてる内容に関しては、色々な噂がありますが、真の事は定かでないと。

また、新城島だけでは無く、久高島にも立ち入り禁止の御嶽があるとか

なんとなく、離島という隔離された場所で独自の土着信仰とか神秘的で怪しくもあり、なんだか興味をそそられる話。

いつかは、その辺りの八重山諸島出身の人間に話を聞いてみたいと思ったんで、実際にそういう事があるのか、そいつに聞いてみました。

すると答えはこう

「絶対に誰にも言わないで下さいよ…?」

と、切り出す。

妙に興味をそそられる。どうしても続きを聞きたい俺は、絶対に言わないと固く約束して話を聞いた。

「正直、全部は話せないけど、とりあえずこれは俺が経験した話です。場所は石垣島じゃありません。八重山の石垣周辺の小さな島って事だけしか言えないんですけど…。」

どうやら石垣島では無く、また別の八重山諸島の島の話らしい。

「そこに、俺の親戚がいて中学くらいの時にその親戚の家に遊びに行ったんです。で、その時期に豊年祭があったんです。」

きたきたきた!俺が聞きたかった秘祭の匂いがプンプンしてきた!

「で、その豊年祭はその島の人間と島の人間の身内しか参加出来ない祭りです。勿論、観光客も参加出来ないし、島の人間と親戚関係にあたる人間じゃないと島外部の人間は参加出来ないんです。俺はその時、初めてその親戚の家に行ったんですけど、絶対に他言無用だと固く約束されてその豊年祭に参加する事になったんです。」

実際に祭りに参加している奴の話だ。ワクワクが止まらない。

「祭りが始まる前に、その年に初めて豊年祭に参加する人間だけ集められて、島のトップの爺さんの話を聞きました。その時に言われたのが、やっぱりここでも絶対に他言無用って事、撮影も一切禁止。そして、島の身内であるという証が必要で、その為の儀式を行うんです。」

儀式、と聞くと神秘感がます。俺は黙って話に耳を傾けた。

「一通り話しを聞いた後、初めて祭りに参加する人間が変な民族衣装みたいなのに着替えさせられるんです。アフリカとかの民族の祭りとかで着てるようなの想像して貰えるとわかりやすいと思いますよ。とりあえずその姿が結構、奇妙な感じはしましたね…。」

まさに土着信仰的な感じがしてきた。早く真相が聞きたい!

「着替えさせられたら、今度は御嶽に行って、ある物を取ってこないといけないんです。因にこの御嶽も外部の人間は立ち入り禁止らしいです。」

ある物ってなんだろう?単純な疑問だ。むしろ、そこが大事なのに。俺は普通にその、ある物の正体を聞いた。

「それはマジで言えません!多分聞いたらひきますし…。ヤバいです。それ言ったら俺は殺されても文句言えないっすもん!」

リアルにヤバそうな雰囲気を感じた俺は、それ以上聞くのを躊躇った。本当に聞いちゃいけないっぽい。とりあえず話の続きを聞いた。

「で、そのある物を取ってくれば、島の身内と認められて豊年祭に参加出来るんです。」

島の人間だけで秘密を共有する事によって、仲間意識を持つという事なのだろう。

ただ、どうしても俺はその「ある物」が何なのか気になって仕方なかった。でも、それが何なのか確証を得ようとするのはどうも無理らしい。

なので一つだけ質問した。それは

「その、ある物ってさ…日本の法律に反してたりするの…?」

答えはこうだった

「…それも言えないです。」

めちゃくちゃヤバい雰囲気を感じた。多分もしかしたら…って事もあるのかもしれない。

絶対に聞いちゃいけない雰囲気だった。

そこから、豊年祭の内容の話も聞いたが、内容についても全ては話せないと言われ、とりあえず一つ言われたのは

「多分、皆が思ってるように結構奇妙な祭りですよ。結構ヤバいです。」

との事。

かなり気になるけど、真実を知る術は無い。

しかし、これだけインターネットっていう情報社会なのにも関わらず、そういう祭りの情報が外部に漏れてないのは凄い事だ。

本当に秘密を徹底している。

それだけ神秘的でヤバいって事なんだろう。

あとは想像の範囲で考えるしか無さそうだけど、とりあえず俺が実際に秘祭に参加した事のある人間の話を聞いた時はかなりヤバそうな雰囲気を感じたのは確かだった。
http://yoshidaproject.com/toshidensetu-okaruto/58/

263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net

新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」


美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。

そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。

女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。

そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。

さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。

島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。

食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。

儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。

洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。

これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。

豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。

265 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/15(月) 17:45:22.23 ID:krstyRX5.net

だいたい合ってる
そんなもんだよ


270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。

御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/

“沖縄県のA島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、セックス祭りである。

沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭が行われている。

それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。

運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。

一体なぜなのか?

それには驚愕の真実が隠れているからである。

この祭り、実は裏では「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。

毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。

首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、
島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。

ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://skamio.tumblr.com/post/1148043850/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AEa%E5%B3%B6%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%82%E5%A5%87%E6%80%AA%E3%81%AA%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E9%80%9A%E7%A7%B0%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%8F%96%E3%82%8A%E7%A5%AD%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C


215 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。

あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。

僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが

>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。

鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし

他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。

でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。

僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。


812 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:49:12 ID:4TJCDtnS0

秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。

かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

アカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で
見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。

威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。

627 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた
赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな

http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html

明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟(シンカ以外の島民はその
場所も知らない。

丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)へ帰っていくのだが、

アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、

見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。


734 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:38:46 ID:15i/Z9a20

昭和時代の大衆雑誌には、半ばお約束のように
こういう話がいっぱい載っているよ。


805 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:02:11 ID:he1UONG30

日本の少子化対策に種付けの儀式を新設してはどうか?

祭りの時に、まず20代の未婚女性を子孫繁栄の為に、たとえ彼氏が居ても強制徴用。

神社の賽銭箱とか置いてある高台に全裸で観衆にあそこを向けて縛り上げて、両足を縛って上に伸ばして並べて吊るす。

そもそもこういう風習は一部のイケメンとかに女の人気が集中して男があふれるからある訳だから、童貞の未婚男性(年齢制限無し)を集めて、さらに人数が多すぎたら、女と付き合ったことがないやつ、より醜男、より臭い奴が選ばれる。

石段の下の広場で選りすぐりの童貞醜男が集まり、お清め前の一斉放尿による奉納をした後に、荒縄で両手を後ろでに縛られた全裸の女たちは V字バランス状態にされてわかめ酒を振る舞い男たちが列をなす。

そしてクライマックスでは石段の下の広場をしめ縄になんかお祓いの棒についてるような白い紙の束ついたもので囲んで観衆が囲み、その中で選りすぐりの童貞醜男が全裸で待ち構える。

女たちは両腕は縄で拘束されたままそこへ突き落とされて逃げ惑うがブ男たちがもみくちゃになって襲いかかる。

例え縄の外に逃げても観衆から突き戻される。

この儀式の見物は女人禁制。女が観衆に混じっていたら例えそれが金髪外人であろうとも全裸にされて広場へ放り出される。

こういうの良くない?


806 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:16:26 ID:uAsAObrM0

何この中1の妄想w


810 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:37:00 ID:kAp5lM6H
>>806
妄想でもない

ポリネシア系の習俗が八重山には渡ってきている
それは南方系土器の伝播などで傍証できる
それに性交を祭祀とする古代信仰は別段珍しいものでもない
アカマタ、クロマタは琉球王府の統治以前の信仰だ


238 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:52:55 ID:oVr1su960

そういや以前、この島へシーカヤックで遊びに行った30代の母親と10代の娘が行方不明になったな・・・
一緒に行ったガイドも行方不明 そのまま捜査も打ち切られた・・・


256 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:05:04 ID:leNq0J4g0
>>238
なんで行方不明になったのだろうな? もしかして現地警察もグルなんだろうか。

263 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:12:35 ID:oVr1su960
>>256
http://www.y-mainichi.co.jp/news/689/

手がかりが無かったから1週間くらいで打ち切ったんだって
1人乗りカヤックだけ見つかったと

消えたカヤックは2隻、消えたのはガイド1人と母娘2人
2人乗りカヤックは見つからなかった


253 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:01:14 ID:leNq0J4g0

これマジでやばい島なんじゃないか?

http://2chnull.info/r/tropical/1163308866/1-1001
パナリ島(新城島)ってどうYO


:名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/23(木) 12:08:25 ID:Mtq5BB6G

私の親友は五年前の祭の際、興味本位で島に向かい島民に拉致され翌日の朝まで監禁されました。
その時、誓約書へのサインまで強要されました。以上、紛れも無い事実です。島の実行者は拉致、監禁、強要、脅迫の罪に
問われると思います。一発懲役確定ですな。


530:名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/11(土) 13:13:26 ID:pEqYa0Wq

1970年以降、複数の部外者が豊年祭を見学後にパナリ内で行方不明となっているみたいですが、その点はどう説明されるのですか?


596:名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 15:33:06 ID:aXvII+ce

2004年だか2005年だかの夏に行方不明になっている客はどうなったんですか? 確かカヌーかなんかに乗って行方不明ってことになってましたよね

258 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:08:20 ID:oVr1su960

生きてたら、娘は今15歳くらい
種付け時ではあるな・・・


257 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:07:22 ID:1xCrZcVM0

>平成17年:上地島5人 下地島2人
>平成18年:上地島6人 下地島2人
>平成19年:上地島9人 下地島2人
>平成20年:上地島8人 下地島2人
>平成21年:上地島10人 下地島3人

平均年齢考えたら40歳まで若い男女なんだろ。

277 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:19:41 ID:oVr1su960
>>257
平成17年、2005年というとさっき言った母娘が行方不明になった年だな・・・


605 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 22:21:06 ID:apzodXA30

母娘行方不明以降、何故か島の人口が殖えているね

280 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:58 ID:leNq0J4g0>>277

あっホントだ あんたすごいな 
つか、それって監禁されて・・・・ということになるのか?
警察が踏み込めよ・・・・。

261 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:09:59 ID:0otTP23y0

今時ある訳ねえじゃんwww


634 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:35:30 ID:azUfGyGt0

民俗学の研究じゃよく聞くよ
島外から駐在所に家族連れで赴任した警官の記録とか
すべて立件することも可能だけどそれだと島民全員が云々って。


728 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、

島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、 高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。


多分そんな神秘の祭りなんだろう。


737 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、
処女が選ばれる。

だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。

アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。

そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきで よそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。

と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、

隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。

驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。

その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。

764 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 09:25:57 ID:wbNvqeLZ0

村ぐるみで小学6年生の姉妹を数年間常習的に集団性暴行
http://www.chosunonline.com/article/20040919000028
未成年精神障害者の10代姉妹 村の老人グループに数年間強姦され続ける

これ思い出したな


64 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。


秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。


107 :名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。

324 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:13:58 ID:B57FBblw0

日本の田舎には江戸時代まで普通にあった慣習だよ


327 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:16:15 ID:pV1XbKvz0

離島レベルの隔離具合だとこういうのも残ってるのか。面白いね。


160 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。


279 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:43 ID:IxTP7PTe0

キリスト教が入ってくる以前の欧州でもそういう祭りがあったんだよね。
後にサバトととして悪魔的行為として位置づけられた。


354 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないように
するのが主目的なんじゃないのか?夜伽とかと同じで。

361 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う

祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為

多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない

天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい


383 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:45:09 ID:r37G5ytM0

明治時代始まったのが150年前くらい、江戸幕府が400年前だぞ
昔は外国だった上に僻地の離島なんだから妙な風習の名残くらい残ってるんしょ
今も続いてたとしても爺さん婆さんが当時の真似事やってるくらいだと思うよ

65 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく

これ以上この島に関わるな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/




77. 中川隆[2386] koaQ7Jey 2016年4月18日 12:46:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2472]

78 :天之御名無主:04/08/19 02:21

西表島古見・西表島高那(現在廃村)・小浜島・新城島・石垣島宮良で行われているアカマタ・クロマタの祭りはどういった祭りなのか知っている方いらっしゃいますか。
文献資料があまりありません。

やはり公にするのは憚られるような意味があるのでしょうか。


214 :天之御名無主:2010/04/23(金) 00:07:10

17年前に2回ほど石垣島宮良に見に行ったことがありますが、規制などは思ったよりは、緩いのですが、アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます

私は知り合いの家が在り、見れたのですが、一般の人が見るのは難しと思います。
祭り自体は、怖くはないのですが、アカマタ、クロマタは、草か葉っぱで覆われていて、意味のわからない言葉でその家々に言葉を残していきます、

アカマタクロマタに入っているのは、地元の青年団で、意味のわからない言葉も古くから伝わる言葉らしく、絶対教える事はできないらしく、地元の人もこの事自体あまり話したがりません、

特に地元青年団など、深く関わった人は一切話すことはタブーらしです、

祭りに対してのもともとの由来など、地元の人でもあまり解っていないと思いますが、厳しい掟などは守られているのは罰が当たったりとか、そうゆうことを恐れてではないかと思います。

県民性から言うと、お盆とか、しぃーみぃー(清明祭)などを大事にしているのと一緒だと思います。

私も6年石垣に居ましたが、 沖縄の人から(個人的には)見ると、石垣の人は変わっています。


154 :天之御名無主:2007/03/22(木) 09:34:22
>>78 宮良出身です。

・アカマタクロマタは夫婦。アカマタは農作業で日焼けして赤い。クロマタは炊事の時の煤で黒いらしい
・アカマタクロマタは、もともと宮良にあるものではなく、
明和の大津波の後、新城(?)から強制移住させられた人達が持ち込んだ風習らしい。
その大元の発祥については詳しく知らないけど、海賊避けのハッタリって話しも聞いた事ある

・あのお面は、ある家系が代々保管してる。
体の部分は神聖な意味を持つ、特定の種類の蔦を編んで作成。

他にも何かあれば、知ってる事なら答えるよ


121 :天之御名無主:05/01/12 15:39:36
>>78
アカマタ、クロマタが出る豊年祭はどこも撮影、録音などの記録がすべて禁止なので、資料として残りにくいかもしれない。
漏れは宮良のを見たけど、他の豊年祭とは雰囲気が違ってました。
アラグスクのは「内容を人に話してはいけない」そうです。


123 :天之御名無主:05/01/18 16:20:48
>>121
石原慎太郎の「秘祭」は、アラグスクの豊年祭ですよね。
アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…


157 :天之御名無主:2007/04/30(月) 16:41:26
>>154
写真を撮ったり詳細を話すとタダではすまないというのは本当ですか?
もし本当なら、そこまでして隠さなければならない何かをしているんでしょうか?


159 :天之御名無主:2007/05/02(水) 21:56:16
>>157
そういう祭りは、日本中昔からどこにでもあるよ。
むしろ、外部の人間になんでも公開してしまう祭りの方が近現代に特殊な感覚の産物だろう。


60 :天之御名無主:03/07/12 08:02

奄美、沖縄の風葬のルーツはどこだろう?
まあ、ここら辺は鉄の腐食も、死体の腐敗も早く鳥につつかせる必要も無いと思うが。


62 :天之御名無主:03/07/15 02:03

南島雑話に、ユタの風葬の記述があるようだ。
奄美北部は島津の影響で早めに消えるが
与論辺りじゃいったん土葬し、その後洗骨し壷に納めたのかな?
変化はしてるが沖縄はうまく、亀甲墓に移行できたね。


66 :天之御名無主:03/12/03 02:34
>>62
奄美に住んでた。北部で早く消えたというが、名瀬市にある、俺の家ではやってたよ。
17年前。土葬して12年後に掘り起こし、その家の長女が洗骨して埋葬する。
風葬ってこのこと?
確か名瀬市ではわか家が最後。なくなったのは、条例で土葬禁止されたからだと思う。


75 :天之御名無主:04/06/22 05:04>>62
>>66
与論での話だが、観光客が多くなり土葬に変わったと聞かされた。
うちは埋めてから7年後くらいに納骨しなおした。現在でもやっているかはわかんない。


76 :天之御名無主:04/07/03 08:23

風葬は粟国で聞いたなぁ
お棺に入れて放置、鳥に頼るそうな。現在火葬だそうで。


77 :天之御名無主:04/07/15 05:25

風葬は1970年代までは確認されている。

1979年の久高島でのイザイホーのとき、芸術が爆発するバカが風葬場所を撮影するという冒涜を行って大問題になった。

つまり、当時はまだそこに人骨がおかれていたのだそうだ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1051345690

111:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 22:15:22.40 ID:1AwEnXOY0

そういや沖縄の土葬ってこっちの土葬と違って
産めてから3年後にもう一度掘り出すんだってね

112:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 23:07:15.88 ID:lOYeC1G90
>>111
石垣島だろ。
この島では、埋葬後3年目に遺体を掘り出して洗骨する風習があった。

洗骨しないと次の死者が埋葬できないしきたりだったので、次の死者が出ると、埋めて数か月の生々しい遺体でも掘り起こし、包丁や鎌で腐乱した肉をそぎ落として、薄めた酒で骨を洗ったそうだ。

これらは、すべて島の女たちの役目。

女には、呪術的で神聖な力が宿っていると信じられていたんだね。

昭和の初め、この光景を目撃したことのある島の老翁が学者の聞きとり調査に応え、

「その残忍さと死臭は目をおおわんばかりに凄惨を極めた」

と語っている。


が、遺体を分断する風習は琉球に限らず、古くは日本各地にあったようだ。

目的は、主に悪霊祓い。

地方名を出すのは控えるが、

妊婦が分娩中に死亡すると、村の老婆が死亡した妊婦の腹を鎌で裂いて胎児を取り出し、妊婦と胎児をバラバラに裁断して葬る(地域によっては野山に撒く)ところもあった。

古代の日本では、物を斬り裂くことも、人間を葬ることも、同じく「ハフリ」と呼ばれた。

悪霊封じのために遺体を分断して埋めることは、 一種の宗教的儀式、あるいは呪術として広く行われていたらしい。

115:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 13:01:07.48 ID:h87uH8+M0
>>111
本島北部ですが、戦後数年はあったとのこと。

私が聞いた話では、三回忌や七回忌の年が重なる故人を、まとめて数名洗骨したそうです。あと、墓の骨壷密度からも、頻繁にはしなかったようです。三十三回忌が済んだお骨を、一つの壺にまとめるか何かして、洗骨、墓に納骨の流れだったような。

洗骨(風葬)を止める時には、三回忌じゃなくても洗って納骨したんですかね?

113:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 00:17:47.02 ID:V4OBIq7S0
かまいたちの風ハフリ波ハフリ(漢字失念)神社思い出した。

114:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 01:50:22.49 ID:8JWI3E9O0
>>113
神社の漢字は知らないが、「祟神記」に出てくる漢字は「波布理」。
その他、古文書には「屠り」「葬り」「散り」「祓り」などの文字が見られる。
これは、斬ること=葬ること(場合によっては撒き散らす)=悪霊を祓うこと、
という概念の表れなのかもしれない。

125:本当にあった怖い名無し:2012/08/28(火) 00:16:04.08 ID:XNF6Y/d70
>>114
「風はふり」は「風祝」じゃないかな。諏訪大社に存在した神職名。

116:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 17:41:11.68 ID:JV2PMZFe0

洗骨は今もやってる島があるよ。
島民の子に聞いたら、火葬の方が可哀そうなんだって。

与論島 洗骨 NHK でググれ。

118:本当にあった怖い名無し:2012/08/23(木) 19:39:55.01 ID:RmDA6Q7U0
>>116
そんじゃうちの会社の人って与論島の人だったのかな

実家で骨掘り起こさないといけないからっつって有給とって実家(沖縄)に1週間ばっかり戻ってたから

掘り起こすってどんな土葬だよとビビッたw

ちなみにうちの地方も普通の土葬やってる地域だわ

自分は新興住宅地の引っ越し組だから
最初地元の人にその話を聞いたときはにわかには信じられんかった

つか法律違反じゃね?と思った

ちなみに死体を埋葬する場所は内緒だから各地区の人しかしらんので
夜とか迂闊に知らない道を通ると急に卒塔婆ばっかりの場所に行き当たって怖い目に遭うw

卒塔婆行列も各地域でいろいろあるけど 一番びっくりした風習は

「その親族で一番若い(幼い)女の子が行列の先頭を裸足で歩く」って奴かな
http://inazumanews2.com/archives/19959433.html

沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。

この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。

八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められている。


住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。

この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。

同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。


この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。
http://gekiyabaaa.blog.fc2.com/blog-entry-38.html


という事で、新城島の「秘祭」では

遺体を掘り出して解体・洗骨・再埋葬するのではなく

儀式で殺したばかりの女性や奇形の赤ちゃんを解体・再埋葬する

という事でしょうか。

人魚神社に祭られているのは儀式で殺した女性や奇形の赤ちゃんなのでしょう:


263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net

新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」


美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。

そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。

女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。

そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。

さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。

島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。

食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。

儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。

洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。

これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。

豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。

270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。
御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/


78. 中川隆[2298] koaQ7Jey 2016年4月28日 13:04:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2505]

奇習! 昭和初期まで存在した「裸族」の実態=瀬戸内地方 2016.03.28.
http://tocana.jp/2016/03/post_8866_entry.html


 先頃、人気バラエティ番組で、沖縄県・西表島の北にある外離島で全裸生活を送る高齢の男性が取り上げられ、注目を集めた。しかし、昭和初期頃までは、その程度の差こそあれども、このような生活を送る人々は日本各地に存在していたという。

 現在、島根県の山間の村で暮らす元漁師・野村忠五郎さん(94)は、かつて山を隔てた反対側にある瀬戸内地方で、そうした“裸族”を目撃した経験のある貴重な生き証人だ。


「もう80年近く前のことだけども、若い頃ね、ちょうどこの山の裏の方の海に出てさ、漁師の真似事をしていた時期があってね。そりゃあ当時はね、楽しい時期だったよ、おおらかでさ」


 野村さんが中学を出た昭和12年頃の日本は、やがて訪れる太平洋戦争との間、いわばつかの間の小春日和のような、そんな時代であった。後に世界で初めて原子爆弾を落とされる国になるとは夢想だにしなかった当時の国民の多くは、第一期世界大戦での勝利から、この国のさらなる発展と躍進を信じて疑わず、「実ににぎやかな時代だった」(野村さん)のだという。そうした時代の中、野村少年は貧しい実家の助けになればと山を降り、漁師の見習いとなった。


「漁師って言ったってね、大きな船じゃないんだ。こーんな小さな船でさ、おやじさんと沖へ出て、昼前にはだいたい仕事が終わって戻ってくる。おかみさんがこさえてくれる飯が本当に旨くてねえ…。本当、いい時代だったよ」


野村さんが漁師見習いとして奉公に出た先は、彼の遠い親戚筋にあたる中年漁師夫妻の家だった。しかし当時としては珍しく、いびられたり、過酷な作業を押し付けられることもなく、子宝に恵まれなかった彼らは、野村さんを実の子のように大切にしてくれたという。彼らへの感謝は、何十年もの歳月が流れた今も、野村さんの心に深く刻まれているようだ。

 そんな見習い漁師としての日々がしばらく続いた頃、彼が漁師とともに沖へ出ると、遠く沖の方に点在する瀬戸内の島々の中のひとつに、信じられないものが蠢いていることに気づく。


「いやね、信じられない話だと思うけども、島のさ、浜にね、すっ裸の男や女が何人もいるのが見えたのよ。いやあ、あれは驚いたね。でもさ、俺もそういう年頃だろ? なんかびっくりしちゃってね。口をポッカリと馬鹿みたいに空けたままで、おやじさんの袖を引っ張ったものだよ」


 あまりに信じられぬその光景に、思わず言葉を失ってしまったという野村さんは、網を手繰る漁師にそのことを知らせ、その正体を知ろうとしたという。しかし、彼は遠方の島の浜辺で交歓に耽るその裸の男女たちを一瞥したかと思えば、一瞬苦笑し、「お前はまだ知らなくていい」と野村さんの坊主頭をポンと叩いただけだった。


「これはね、後から知ったことだったんだけども、あのあたりの島にはね、もともと裸で暮らすもんがおってね、なんていうんだろうな、野生の動物というか、未開の部族みたいな暮らしをしとるもんがおったっていう話で。

そういう人らはね、裸で生活しとるし、夫婦とか恋人っていう関係もないもんだから、ええなって思うと、すぐに交わってしまうっていう話だったんさ。ああいう人らはどこへ行ってしまったんかねえ」


海外の話ならばいざ知らず、この日本で、たった数十年前まで、このような“裸族”的な暮らしをしていた人々がいたというだけでも驚きだ。だが、それが事実上の乱交関係で結ばれているコミュニティともなれば、その驚きもひとしおだ。


「まあ、詳しいことはいまだにわからないけれども、いい時代だったんだよ」


 野村さんがその少年時代に目撃したという、牧歌的な暮らしぶりをしていた人々も、やがて訪れることとなる戦火や、その後の復興期、さらには高度経済成長期の中で、次第にその場所を奪われていくこととなった。当時、“裸族”として暮らしていた人々のうち、どの程度が現在も存命なのかは知る由もない。日本地図が細かく埋め尽くされてしまった今、少なくとも彼らにとっての安住の地は、おそらく、もう、ない。
http://tocana.jp/2016/03/post_8866_entry.html



79. 中川隆[2552] koaQ7Jey 2016年5月22日 01:48:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2813]

奇習!「村の共有物になった娘」の短すぎる生涯 2015.10.11.


【日本奇習紀行シリーズ】 東京都青梅市


「あまり大きな声じゃ言えないけども、なぐさみ者っていうのかな。そういうのはあったよ。カヨさんっていうんだけどね。私が6つか7つくらいのときに、10くらい上だったね」

 東京都青梅市。その中心部からさらに車で30分ほど入った山あいの小さな集落で、今年、米寿を迎えた山中時男さん(88)は、かつてこの地域に存在していたという『秘密』について、ゆっくりと語り始めた。

 今を遡ること約80年前の昭和10年頃、この地域に住む人々の間では、みんなが知っているハズなのに、なぜかその存在について口にするのを憚るという、あるひとりの少女がいたという。

名前はカヨ。山中さんの話によると、彼女は、今で言うところの知的障害を負っていたそうで、実際には20歳近かったにもかかわらず、まるで幼女のような言葉を話し、屈託のない笑顔を見せていたという。

「カヨさんはこのあたりでも、割りと貧しい家の子でね。器量は悪くなかったと思うんだよ。むしろ良かった。けれども、頭がアレなもんだから、両親が外に出すのを嫌ってね。それで最初は土蔵の中で隠すように育てていたっていう話だよ。けども、年頃になると、ちょっかいを出そうっていう男が増えたんだよな。それで、なおさら両親は隠すようになったんだけど、あるとき一計を案じたっていうわけだ」

 知的障害を負った我が娘が、性的な意味で好奇の目に晒されるようになると、さらにその存在を隠すようになっていったというその両親。しかし、自らが老いていくことを思えば、その亡き後、誰が彼女の面倒をみるというのか。そうしたことを思い悩んだ彼らは、ある妙案を思い付く。それは、愛娘を誰かの許へと嫁がせるのではなく、“集落全体の共有財産”として扱うことだった。

「なんていうんだろうね、当時は今よりもおおらかな時代だったからね。そういう女っていうのは、村にひとりやふたり、いてもよかったんだ。

後家さんなんかもそうなんだけどね、自分の女を売るというか、体を提供する代わりに、死ぬまで村の男たちから面倒をみてもらうっていうさ。

今聞くとね、若い人にとっちゃおかしな話に聞こえるかもしれないけども、当時はね、今みたいに、女がひとりでやっていくなんてなかなかできないことだったから、そうやって生き延びていく人はあちこちにいたと思うんだよな」


 かくして村の男たちの『共有物』となったカヨさんは、毎日のように彼らの訪問を受け入れ、薄暗い土蔵の中で、ひたすらひと晩中抱かれ続けるようになっていく。

しかしそうしたある種の苦境の中にあっても彼女は、自らの境遇や、その行為の意味を正確に把握できていない様子で、少年時代の山中さんに会うと、いつでも格子戸の中から微笑んでいた。やがて彼女が22歳の若さで謎の死を遂げる頃には、彼女の家は近隣でもかなり豊かな暮らしをするようになり、その葬儀は村をあげての派手なものとなったという。

「うん、詳しくはわからないけども、幸せな人生だったんじゃないかな。だって、ああいうことになっていなければ、葬式ひとつあげてもらえなかっただろうから。でもね、俺はいまだに思うんだよ。『本当はカヨさん、自分の状況がある程度、わかっていたんじゃないか?』って。もしそうだったら、なんだか気の毒にも思えてくるよな」

 かつてこの国においては、障害を負った子供が生まれてくると、それを隠すようにして座敷牢のような場所でひっそりと育て、知らぬ間に葬り去るという習慣が存在していた地域も少なくない。

その声なき声に耳を傾けたとき、決して教科書には載ることのない、この国における別の歴史が、見え隠れしてくるような気がしてくるのだが…如何だろうか。
http://tocana.jp/2015/10/post_7520_entry.html


80. 中川隆[2576] koaQ7Jey 2016年5月22日 20:41:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2837]

奇形児を食べていた日本の集落… おぞましい奇習とは?=山陰地方


 先日、大手メディアがアフリカ・タンザニアで古くから行われているという、アルビノ狩りについて報じていた。だが、実はこうしたある種の遺伝子異常や、奇形にまつわる儀式・奇習というのは海の向こうの出来事ではなく、我が国にも存在していた時期がある。


「そりゃあもうね、当時は大層珍重したものですよ。なにせ、見た目がああいう感じでしょう? それこそどんな奇形でも、有難がったものですよ」


 我々の取材に対してそう語りはじめたのは、かつて山陰地方のある海沿いの集落で暮らしていたという山鹿義美さん(仮名・78)。

山鹿さんの話によると、今を遡ること約70年前までは、当地に奇形を珍重する何とも不可思議な習慣が存在していたという。


「奇形がね、村に生まれると、まず、殺すんです。そう、赤ん坊のうちにね。

要はそれをね、みんなで食べるんですよ。薬になるもんだから。

知恵遅れも、手足の奇形も、真っ白なのも全部そう。
そういう子がね、生まれると、村は大騒ぎでしたよ」


 たしかに、古今東西、その見た目が奇異な印象を与える遺伝子異常や奇形の類というのは、珍重されてきた歴史がある。とりわけ、動植物については、その物珍しさから、不老長寿の秘薬とされたり、どんな病にも効く特効薬として認識されるなどしてきた。

効能は不確かであるものの、それを自らの体内に取り入れることで、何らかの効果を期待するという向きがあったのは事実だ。しかし、それがこと人間を対象としたものであるとなると、途端にオカルト的な臭いを放ち始める。


「生まれて奇形だってわかると、すぐにムシロをかけましてね、その上から石臼を乗せてね、大人が体重をかけて殺すんです。

それで死んでしまったら、そのままむしろごと藁縄で縛りましてね、井戸の中に吊るす。

でも、水には漬けちゃいけない。宙ぶらりんで吊るすんです。

それで7日間ばかし吊るしたあとで、今度は天日に干すんです。

 そこから2週間くらいですかね、生渇きになったら、鉈や何かでバラして、家格ごとに切り分けていくっていう。

この作業はね、村はずれの川っぺりに住んでて、四つ足の屠殺なんかをやっていた人らがね、金をもらって村人の代わりにやっていましたよ」

 山鹿さんの話によると、アルビノはもとより、手足の本数が異なる奇形、さらには今で言うところのダウン症まで、この地域で生まれた者は、すべて秘密裏に殺害され、“秘薬”として村人たちに振舞われていたという。


「とにかくね、なんにでも効く薬だっていう話でしたよ。

嫁さんが産気づくと精がつくからって煎じて飲ませたりね。年寄りが具合悪くなったら重湯に混ぜて飲ますとか。

本当に効果があるのかはね、わからないけれども、当時はみんなそうしたものです」


 無論、当時に比べ、格段に医学や生物学に関する知識が豊富となった今では、こうした奇形嗜食はなんら科学的な根拠を持たぬ迷信の類に過ぎない、なんともおぞましい行為として考えられることだろう。しかし、ミイラ薬や胎盤食など、非科学的な類似行為が全世界に存在しているのもまた事実だ。その奇異な外見が抱かせる神秘的な特徴に魅せられる人々は、洋の東西を問わず、いつの時代も存在しているのである。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/04/post_9153_entry.html


81. 中川隆[2580] koaQ7Jey 2016年5月22日 20:55:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2841]

奇習!“生娘の初夜権”を巡る岐阜の惨劇 ― ねじれた処女信仰と奇妙な儀式とは?

 今でも、いわゆる「処女信仰」のようなものは存在している。だが、かつて日本では、そうした信仰があまりに強烈に働き、その結果、なんとも奇妙にねじれた形で儀式として成立した時代も存在していたという。

岐阜県の北東部、飛騨地方に近いある山間の寒村地帯で行われていたその儀式は、まさにそうした「ねじれた処女信仰」を物語る奇習のひとつだ。


「あれは私が20歳くらいの頃でしたかね…。
今となってみれば、あれが本当に起きた出来事なのかすら、曖昧ですよ。
いや、記憶違いであって欲しいものです」


 今回、我々の取材に答えてくれたのは、現在、名古屋市内の特別養護老人ホームで暮らす山川力蔵さん(仮名・89)。

彼は今を遡ること約70年前の1940年代半ば、自身の生まれ育った岐阜の寒村で目撃したある悲劇が、未だに忘れることができないでいるという。


「もともと私の生まれた村ではね、結婚前の娘がね、嫁ぎ先にいる義理の親兄弟に抱かれるという風習があったんですよ。

要は一緒になる男よりも先に、その家の義父やら義兄弟やらに抱かれるっていう。

けれども、あるとき、それをどうしても受け入れられないっていう若い男女がいましてね、それで事件が起きたんです」


 山川さんの話をまとめると、どうやらその村には、いわゆる「初夜権」を巡る儀式が存在していたようだ。だが、ある若いカップルが、そのおかしな風習がどうしても納得できずに、村のしきたりに「反抗」したのだという。

とはいえ、まだまだ時代は閉鎖的な時代。そうした思いが受け入れられるはずもなく、彼らはついに駆け落ちを決意する。しかし、それが悲劇の始まりだった。

「ある晩ね、駆け落ちをしようとしたわけなんだけども、なにせ狭い村でしょう? すぐに勘付かれて、捕まってしまったんですよ。

するとね、見せしめっていうのですかね、村人の前に連れ出された彼らはね、晒し者になるっていうことになったんです。

まずね、生娘だったその若い娘が、男たちにかわるがわる犯された。
それも、新郎になる男の前でね」


 村の寄合所に連行された彼らのうち、男は手足を拘束させられた状態で、自分の愛する女性が無造作に輪姦され続けるのを見せつけられたという。

それは夜通し続いたが、当然のことながら、そうした姿を直視できない彼は、思わず何度も目を閉じてしまう。だが、それを許さない村人たちは、その瞼を強引に見開かせて直視するように仕向け、それでも瞼を閉じようとすると、小刀で彼の瞼を切り落としてまで、その輪姦シーンを見せようとしたのだという。


「あれは本当に気の毒な姿でしたね…。

結局、朝まで続けられて、それが終わるとふたりはその場に置き去りにされたんですが、それから三日もしないうちに、彼らの土左衛門が川の下流で見つかったそうです。

なんともやりきれない気持ちにさせられたものですよ…」


 日本とそこに暮らす我々日本人は、はしばしば「島国文化」「村社会」という性質を持っていると指摘されるが、そうした閉鎖的な社会においては、ルールの遵守というものが強く求められることは、多くの人々が知るところだ。

たとえそれがどんなに理不尽なものであったとしても、個々人にとってはそれに抗う術など、無きに等しいものなのかもしれない。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/04/post_9145_entry.html


82. 中川隆[3223] koaQ7Jey 2016年7月10日 07:13:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3574]

姑、舅との確執泣ける話 _ 農家で同居6年。奴隷のような生活から脱出した話

365: 名無しさん@HOME 2009/09/17(木) 16:39:06 0

電車どころかバスも一日一本しかない超ド田舎のクソ膿家に空気夫とウトメと同居して六年。


朝は四時半にトメの掃除機(私が寝ている部屋の障子のへりにゴンゴン音を立てて起こす)で起床。

身支度などする間もなく田畑のチェックと野菜の収穫、何をもいできても文句を言われるのは二年目に慣れた。

形が悪く虫だらけの野菜と格闘して朝食の準備、ウトと二度寝のトメと夫を起こす。食べている間にチェックした箇所の報告をして(当たり前のように返事はない)息子らを起こしてお世話。

ウトメと夫が出ていってから息子らと朝食。二層式の古い洗濯機を回しながらセカセカと動く。

息子ひとりにつき卵一個と決められ、私はウトメたちが残したものを舐めるようにこそぎとってご飯と一緒に流し込む。みそ汁の残り、トメ製漬け物の切れ端(皿に盛ると文句を言われるので端っこはよけてある)、おすそわけの梅干しなど。

庭とは呼べない敷地で息子らが遊んでいる間に掃除、洗濯、朝食の後かたづけ、昼の弁当の用意。

塩むすび、うめぼし、たまごやき、お中元お歳暮の時期は焼いたハムなどをつけるが当然わたしには当たらない。ハムやかたまり肉は誰かの分に端っこが入っていないと食べたのがバレて文句を言われるから、欲しくもない。

田畑まではウトメが軽トラ、夫が車に乗っていくので私は歩いて三人分のお茶を弁当を持ち、2〜3キロの距離を歩く。妊娠中も、赤ん坊の頃でも、熱があっても腰が痛くても、おんぶひもと抱っこの時期でも。

どこにいるのか知らされないし私は携帯を持っていないので、近いところから探して回る。軽トラの運転席、助手席、車の運転席にそれぞれ弁当とお茶を置いて、声をかけて(無視されて)家へ戻る。

息子らは足腰が強い子どもに育っていると思うし、最近は楽しんで遊びながらでも歩いてくれるので楽になってきた。

戻ると昼になるのでそうめんやおにぎりなど簡単なものを作って食べ、息子らの昼寝をさせる。

その間に敷地内を全て掃除、ぞうきんかけ、夕食の準備をする。戻ってきて席についたらすぐ食べられる状態にするために。

食材が限られているので煮物、おひたし、卵料理などがほとんど。勝手に買い物することはまず無理。

お金は落ちている小銭を集めたものしか隠し持っていないし、通帳カード類は全てトメの金庫の中。そもそも車がないし親しい人もいないので身動き自体がとれない。パソコンも携帯もない。

ウトメたちが帰宅する音が聞こえるとすぐに食卓の準備。食べはじめると同時に風呂を沸かす。想像できるだろうけどもちろん私と息子らは最後。まあどうせ掃除しなければならないので最後で構わない。

シャワーはもともとついていないので、わかした湯だけで全て済ませる。これも一年で慣れた。テレビはウトメがいるとき以外はつけてはいけない。まあ居る時も傍には寄らないが。

泥と汗まみれの服を下洗いして漬けておき、翌日は四時半に起きるので九時半には床につく。


盆暮れ正月来客時は多少の変化はあるが、このような生活を六年も送って頭がおかしかったと自分でも思う。

ウトメと夫は、農業だけは一生懸命だった。(そこだけは今でも尊敬している)

夫婦の会話はほとんどなく、次男が生まれてからは睡眠に支障がでるとの理由で寝室は別。

新婚の頃はあれこれと気を遣ってくれたが、一年もすると、私がウトメに文句や嫌味、罵倒されていても聞こえないふりをするようになった。どんなに理不尽なことでも、気が強いトメに怒鳴られると、萎縮するのか諦めるのか定かではないが、とにかくそれ以上関わらないような態度だった。

まあ、私もその点では同じようなものなので責めることはできないが。

ここへ来てからというもの、電車を乗り継ぎ数時間の距離にある実家へ帰ることができたのは二回だけ。

その二回ですら正月から頭を下げて

「お願いいたします、三泊だけで良いので行かせて下さい」

と言い続けさらに息子が

「○○のおばあちゃんち行きたい!なんで?なんでダメ?」

と涙ながらに食い下がりようやく許可がおりるといった感じ。本当に「許可」という言葉がぴったりだった。

この夏は、自分でもなぜなのかはわからないがどうしても実家に帰りたかった。
去年帰ったので今年は無理だろうなと諦めていたのに、なぜか「帰りたい!」と毎晩のように思った。

お盆も過ぎたある日の夕食後、夫だけに

「来年から長男も小学校だし、この夏に帰りたいんだけど」

と言うと「ばあさんたちに聞きなよ」と否定はしなかった。

エプロンを外してウトメのところへ行き

「去年も帰らせていただいて何なのですが、来週あたり実家の方へ行きたいと思って…」

と頼むとウトメが同時に眉間に皺を寄せた。ああ、やっぱりな…と思ったら

「は、好きにすればええが」

と思いもよらなかった答えが返ってきた。私のことがどうでもいいのはわかっているので裏など読まず飛び上がって喜びそうになったがこらえ、「ありがとうございます」と頭を下げて台所へ戻った。

翌日、みなが出ていったのを確認して弁当を準備したあと、衝動的にドタドタと荷物をまとめた。もともと持ち物は少なく、私と息子らの三人分の荷物が、大きめのトートバッグひとつにおさまった。

そして念には念を入れて洗面所にバッグを置き、その上から洗濯物をかぶせた。
もしものときに言い訳がきくように。

お茶と弁当を届け、家に戻るスピードの速いことといったらなかった。
長男は走り、次男はかついで早歩きした。湿ってしまったトートバッグを肩にかけ、下駄箱の上の牛乳代と新聞代をグシャッとつかんで巾着袋に入れた。

そして歩いて、歩いて、歩いて、歩き続け、高速バスの停留所が見える頃には空が赤く染まってきた。

昼寝もせずに移動したものだから兄弟そろってグズり、腕の感覚がなくなるほど抱いてでも止まらなかった。やがて次男が背中で寝ると、長男が「ぼく歩くよ」と言ってくれて手をつないだ。

腰を曲げながら歩くのは本当にしんどかったが、あふれ出す感情で顔をぐしゃぐしゃにして長男を褒め、歩いた。


バス停でバスを待つ間、気が気ではなかった。今頃あいつらは帰宅しただろうか?そして気付いただろうか?夕食の用意も、お風呂も、洗濯物も取り込んでいないのに気付いただろうか?

「そういえば今日帰るって言ってたっけ」と思われたらまだいいが、「逃げた?」「事故?」と思われたら?
死ぬ気で歩いてきたこの三時間が、車一台のスピードでパァになってしまうんじゃないか?

次男の泣き声でここが見つかったらどうしようという気持ちで、必死で背中を揺らしているとき 待ちわびていたバスがやってきた。今にも沈みそうな夕日に照らされて赤く、そして金色に輝いて見えた。そんな必要もないのに大きく手を振った。

席について真っ先にしたことは、後ろを振り返り、誰も見ていなかったかどうかの確認だった。自分が見る限り、バス停の周りには誰もおらず、乗客も運転手も全く知らない顔だった。

駅に着き、とりあえず新幹線が停まる駅までの切符を買った。実家に電話するより何より、早く、早くと焦っていた。

バスの中でいくらか寝たからか、電車内での息子らは落ち着いていてくれて助かった。

「ばあちゃんち?」「そうや」「ほんとう? やった」「やった」そんな会話を何度も繰り返した。

大きな駅について巾着袋を開くと、残りは十円玉が数枚だった。実家に電話すると母親が出た。


「母ちゃん…! わたしあのね、今ね(泣きそう)」

「○子!? 今どこ!?」

「○○駅」

「孫たちは!? お金もっとんか!?」

「一緒、お金、もうないねん」

「今から父ちゃんとそこまで行くから!目立たんとこで待って、二時間したらロータリーに出ておいで!」


受話器を置くと同時に泣いた。鼻水がダラダラ流れるぐらい泣いてしまった。

助かるんだ。私は助かるんだ。

人が少ない方面の、明かりが少ない階段の下で三人で話しながら鼻をズルズルと鳴らした。 一時間半で待ちきれなくなってロータリーへ出たら、もう父親が待ちかまえていた。

乗り込んだ車のシートの柔らかかったこと。優しかったこと。

息子らを抱える母と、険しい顔で運転する父を見て「ごべんね…」とだけ言って寝入ってしまった。


実家についたら兄と姉もきてくれていた。姉が食事を用意してくれて、お風呂わかしてくれて、和室にお布団、三人分の着替えまであった。

兄が息子らをお風呂に入れてくれている間、お腹がすいて待てなくて食事をガッつこうとしたが口いっぱいほおばったところでとうとう、わあわあと声をあげて泣いてしまった。

久しく口にしていなかった肉の匂いがますます哀しさを呼んで、子どもみたいに泣き、眠った。

ゲラゲラ笑う声で目が覚めると九時をまわっていた。

寝過ぎたからか頭がものすごく痛かったが、胸のうちはすっかり晴れている感じがしたのを覚えている。

姉が勤めている託児所に息子らを預け、日が暮れるまで母と話した。
といっても私が一方的にしゃべり倒して、母はただうんうんと聞いていたと思う。

朝と夕、義実家からの電話が鳴り続けたが、それ以外は静かだった。

家族に会い、友人に会い、話を聞いてもらって数日。すっかり元気になった頃に義実家から連絡が入った。「そろそろ帰ってこないと知らないぞ」とのこと。

父が「まあ、いろいろとお世話になったようで、ねえ?」と言ったのをきっかけにウトがキレた。


「くだらん家のしょうもない女をもらってやったのに偉そうな口のきき方をするな」

「一旦嫁に来たなら二度と帰ることは許されん、それがうちのしきたりやが」

「跡取り孫がどうしてもと言うからそんなところまで行かせてやっただけや」

「掃除も洗濯も溜まりまくっとる、年とったばあさんにおさんどん全部させる気か」

「夫くんの顔もわしらの顔も丸つぶれ、近所に顔向けできん」

「戻ったらただで済むと思うなよ」

「家族総出で謝りに来い」

「嫁の代わりと孫を返すなら考えてやってもいいが慰謝料は言い値で払え」


などなど、録音されているのも知らず、ビリビリと音割れするほどの大声でぶちかましてくれた。

以前の私なら萎縮してぶるぶる震え、最終に飛び乗ってでも義実家へ戻っていただろう。


なぜか実家に帰りたくなり、なぜか元気になり、なぜか義実家連中が怖くなくなった。

父から受話器を取って

「どうもお世話になりましたー! もうむりむり、むっりー」

「え?話ですか?何の話ですか?は?意味がわかりませんねー」

「こちらまで来るなら考えてもいいですけどねー?考えるだけですけどー、で、夫くんは?」

「ああ、もうあんた無理ホンマむりwwwごめwwwwがんばwww」

「何かあったら?は?携帯もってないしwwあんたがここに電話するしかないしwwwうぇwwwww」

みたいなことをしゃべっていたらウトが横から「離婚や!」と言ってくれたので、

「ざーーーす!じゃ署名捺印して離婚届送ってくださいねー!お待ちしてまーす!」

と言って切った。

それから一ヶ月経つがまだ送られてこないし、徐々にトーンダウンした電話しかこないのでどうしたものか考え中。

740: 1/3 2010/08/10(火) 20:21:50 0

覚えて下さっている方がいらっしゃるかどうかわかりませんが…

夕日に照らされて黄金に輝くバスに乗り、クソのつくド田舎から逃げた嫁です。

ようやく落ち着いたなと思えるようになったので、その後のことなど報告させて下さい。


実家に戻り、クソウトに暴言を吐いてからしばらくは表面上おだやかでした

が、義実家とその周辺では「嫁が跡取りをさらって逃げた」と大騒ぎだった様子。(といってもウトメがあちこちにないことないこと触れ回り、暇なご近所がのっかっただけ)

夫から「嫁子も息子たちも元気か」「すまない」と電話があったのは一ヶ月後でした。


そして季節が変わる頃、実家に分厚い封書が届き、開封したところ中から便箋10枚…

「嫁子は人さらい、跡取り(特に長男)を連れ去った罪は重い、
どこの馬の骨かわからない女を今までどれだけ尽くし面倒をみてきたか全くわかっていない、それを許して囲う両親もバカ野郎だ、

これを読んだら即刻長男を○○に戻し、嫁子には謝罪と今後の介護と家業の全てを命ずる、

○○(集落)の人間には全て暴露してあるから日本中に逃げる場所はないと思え」

といった旨の内容がカタカナと方言混じりのクソウトの字で書かれていました。

おまけに、もともと私にはないはずの「ウト名義の土地田畑家屋全てを相続する権利(?)」を放棄する内容の誓約書まで同封されていました。「甲」が「申」でした。

集落にいた頃の私ならきっと震え上がって戻っていたことでしょう。

しかし実家でごくごく普通の生活を送っているうち、体も心も正常になっていたようで真ん中から派手に破ってゴミ箱へ捨てることができました。

少し話はズレますが、実は長男に発達障害があることがやっとわかりました。
というのは、私はおかしいと気付いていたのですが、あそこでは為す術がなかったのです。

本屋も、病院も、子どもも友人もなく、NHKの番組だけが頼りでした。
新聞をチェックして ウトメと夫が作業に出ている間の家事、その合間、15分の番組を食い入るようにみていました。

誰が入ってくるかわからないのでいつもは締めない玄関の鍵をしめ、障子をしめて、音量を小さくして…。

(「○○の嫁がテレビをみていた」→「○○の嫁は家事をしないボンクラ」→ウトメの説教になる)


ここではしかるべき機関があり、知識も理解もある人がたくさんいて、本もたくさん買えます。 市の療育センターで面談とテストを受けて診断をいただき、入学先では通常級で頑張っています。

もしあそこにいたままだったら…ウトメが知ったら発達障害が何であるかもわからないまま、 知ろうともしないまま、全てを私のせいされ、周りの人間は憶測でものを言いふらすのが目に見えるようにわかります。長男のためにも、逃げてきてよかったと心から思っています。

あのド田舎生活でひとつだけ良かったことは、息子たちの足腰が強く育ったことでしょうか。あらゆる天候のなか毎日往復4〜5キロの散歩は、都会ではそうできるものではありません。

交通事故や犯罪の心配をせず、大自然の中をただ歩き続けながら季節を感じられたことは息子たちにとって素晴らしい経験だったのではないかと思っています。

そして影の薄い夫ですが、まだ離婚はしていません。今までに四度、単身でこちらへやってきました。

はじめのうちこそウトメの影響を受けて「帰ってこれないのか」などと斜め上発言をしていましたが会うたびにハツラツと健康になっていく私自身を目の当たりにして徐々に変わっていきました。

自分で言うのもなんですが十歳は若返ったと思うのです(といっても実年齢相応に戻っただけです)。

「ウトメ」「育った環境」「代々の土地」「跡取り」という思い込み、しがらみから脱出するのにはまだまだ時間がかかるとは思います。小さな頃からの刷り込みは本当にすごいものですから。

でも三度目の訪問時、バッグからのぞいていたのは現代農業について特集された起業誌でした。

それが何を意味するのか、今の私には想像することしかできません。

穏やかで静かな夫がその胸の内を私に明かしてくれるまで、待っていようと思っています。

それでは。


______


5. 修羅場の妊婦さん 2014年02月24日 15:48

当時、このスレ見てたよ
こんな世界が未だに日本にあるんだなって恐ろしくなった
いつもは続きが気になるけど、報告者とお子さん達が元気でいてくれたらそれでいい


6. 名無しさん 2014年02月24日 17:04

休憩室で掃除のおばちゃん達に聞いたら昭和40〜50年代までは田舎はだいたいこんな感じだったらしいな。
俺のばあちゃんも母ちゃんの事奴隷呼ばわりした事あったから近いかも
まあ、介護で仕返しされてたが


14. 名無しのはーとさん 2014年02月28日 09:14

私40歳だけど、田舎の同級生が、子供連れて農家から逃げて離婚したよ。
現代は妻の実家もまだしっかりしてる家が多いから、こうやって離婚して実家帰るケースが増えてるとか
今もこの話にあるような狂った農家ってあるよ
だから農家に望んで嫁に行く人が不思議


18. 修羅場の妊婦さん 2014年06月08日 13:57

>食材が限られているので煮物、おひたし、卵料理などがほとんど。

住み込みバイトやってたことあるけど、こんな感じだった
3ヶ月で頭おかしくなって帰ってきたよ

そこの奥さんは日々の生活に疲れきってる感じで、俺が途中で帰るって言っても何も言わずに優しく空港まで届けてくれた
旧農してる日本の農家はおそらく今でもこういうのが多いと思われる
日本の農家はTPPで痛い目に遭うべきだよ
http://blog.livedoor.jp/ninshin_syussann/archives/37257494.html
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1252998130/


83. 中川隆[4766] koaQ7Jey 2016年10月31日 20:45:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5181]

八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/
  

ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。

八ヶ岳の西側。

茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。

エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


エコーラインの超えられない壁。

これはこの辺りでは有名な話です。

役場でも聞きました。

エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。

そう聞きました。

例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。

そういう話が昔からあるようです。

とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。

八ヶ岳エコーラインとはここですね。
http://golden-tamatama.com/


Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


以下は、ワタスの持つエコーラインから下の現地住民のイメージ図です。

ほーっほほー


例えばこんな感じです。

例えばワタスが原住民エリアを散歩する。
良い風景ですねぇ。

ニコニコ。
笑いながら散歩してると。

バタッ、バタッ。
一斉に辺りの窓が閉められる。

よそ者が来た。
よそ者が来たぞ。

窓の奥で小さく囁く声が聞こえる。
そして監視している人々の目線を強く感じるのですた。

うーん。
まるで全身スキャンされているようだ。。

爪さきから脳天まで鋭く指すような目線を感じるのですた。


例えばです。
都内からカフェに来たお客さんがいる。

良い空気ですね〜

そういって何も知らないで、ニコニコと犬を連れて散歩する。
で、途中、畑の真ん中でワンちゃんが糞をする。

大自然の中、犬だって開放的になる。
自然の生理現象です。

別にアスファルトの上なら糞の処理もするでしょう。
でもこんな畑のあぜ道でほっといたって肥料になるだけでしょう。

そうやって放置して過ぎ去ったら、500mも過ぎた場所で

あんたあそこで糞させてただろう。
拾ってけ!
そのように現地住民にドヤされるのですた。

ガクガクガクガク。
ってあんた、ずーっと遠くから望遠鏡で監視してたの?

そんな風なエリアなのですた。

原住民の口コミ速度は光ファイバーより早い。

よそ者が来た!
そういう情報があっという間に広まって限界体制がひかれるのですた。


ワタスの場合、そういう危険エリアだと露知らず、真っただ中でカフェなどをやってしまいますた。
今となっては後悔しかありません。

カフェの場所は非常に分かりずらかったせいもあり

金玉カフェどこですか。
金玉さんって、どこですか。

辺りの原住民にそう聞きまわってやってくる読者さんが結構いますた。

玉蔵さん!
いやー
やっと見つけますたよ。

5軒以上聞きまわってやっとみつけますた。
いや、見つかって本当に良かった。

そう目を輝かせてワタスの手をとって喜ぶ読者さん。

こ、この野郎。。

こんな危険エリアで金玉、金玉などと言いふらしやがって。。
このスカポンピャン!!

その読者さんをぶん殴りそうになったのを覚えています。


とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。
http://golden-tamatama.com/


地方消滅 田舎暮らしの真実 その2
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


さて、昨日は長野、山梨は移住ランキング 1位 2位と載せたのですが。

以下は全国空き家率ランキングです。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html

実は、なんと長野県や山梨県は空き家率でも全国1位2位なのですね。


え?
長野、山梨は移住先人気1位2位なのになんで空き家率トップ?

矛盾している。
なんでしょうこの矛盾したデータは。

そう。

この意味するところ。
言いにくいことですが。


地方消滅。。


以下、元総務大臣で岩手県知事などを経験した増田氏の著書です。
全国に衝撃を与えたと言われる著書です。


地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也 中央公論新社 2014-08-22
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4121022823/asyuracom-22/


これから全国1742の地方自治体のうち、ほぼ半数の896市町村が消滅する。
今後の日本は地方が消滅し都市部だけに人口が集中する。
人口が点在する極点社会になる。

データを元にしてそう書かれた本です。


以下は国土交通省が出した今後の日本の人口推移グラフです。
ご存じのようにこれから日本は急減に人口が減ります。

日本の現在の出生率1.41%。2100年には人口 5000万人になるのでした。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


実はここまでの人口減少を経験する国はないと言われています。

大抵の国はここまでなる前に移民を入れたりする。
移民を受け入れない国でも子供を急激に増やす政策を打ちだして人口減少に歯止めをかけている。

でも、日本の場合どちらもやってないのでした。

フランスやスウェーデンは事実婚制度をすすめて子供が増えた。

ちなみに、知らない人が多い事実ですが、
日本は、生まれる数より堕胎する数の方が多い。

日本の場合、戸籍制度が縛りになって子供が増えない。
結婚の半分はできちゃった婚なのに、戸籍制度が縛りになって入籍するより堕胎を選ぶ人が多い。

フランスやスウェーデンは事実婚制度を推奨してから子供が増えた。

で、何もやってない日本は急激に人口の減る一方なのでした。

そして長野県、山梨県は10年後20年後には無人化するところが多いのでした。

以下は先日撮影した長野県の限界集落です。


長野県限界集落レポート - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iCw48Xp18HA


この動画は以下のルートで撮影しました。
八ヶ岳の麓。

富士見町から茅野あたりまでの20号線沿いを走ってます。

どうでしょうか。
見ると非常に寂れた街並みです。

この地域は、長野の中でも空き家率2位の場所です。
限界集落がどういうものか分かると思います。

Wiki 限界集落

中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。


実はワタスはこの20号線沿いでカフェをやってました。
その時、ワタスは多くの人達から何度も言われたのを覚えています。

玉ちゃん。
原村や茅野はエコーラインから下は住んじゃダメだよ。
あそこは移住者が住む場所じゃないよ。

ワタスは移住してまもないのでそんな場所とは露知らず。
カフェなどやって非常に苦労したのでした。


ワタスが最初に感じた違和感。
近くの温泉に行った時のことでした。

いたるところに

「オムツは捨てないで下さい。」

そういう張り紙が貼ってあったことを覚えてます。

オムツ?
こんな温泉で赤ちゃんのオムツを捨てたりするのか。。

何たるマナーの悪さ。
もうちょっとこの地域のお母さん方の教育をした方が良い。

そう思ってたのですが。


もちろんオムツとはジジババのオムツのことですた。

ガーン。

住民の平均年齢75歳。
移住して最初に感じる幻滅。

ダメだこりゃ。。

希望溢れる移住者は最初にここで打ちひしがれます。

ジジババ天国。

そこは驚くほど完全閉鎖的。排他的です。
現住民は外からの刺激を完全シャットアウト。

よそ者にはきてほしくない。
よそ者のあんたにゃわからない。

このキーワード。

決まりきったジジババサークル以外は誰も寄せ付けない。

地方には新しい取り組みをしたがる若者がいたりする。
移住者が何か新しい取り組みをしたりする。

でも村に住む保守的な老害が潰してしまう。
前例がない。
その言葉で大抵、何もやらない。

その地方では自民党系議員と土建屋だけが栄えてるだけ。
良くあるパターンです。
なんの新しい取り組みもアイデアも出ないので産業もなにも作りだせない。

で、若者は出て行く一方。
もちろん外部からもだれも寄り付かない。


随分と前に商店はシャッターを下したままだ。
そして最近スーパーが閉鎖した。
バスも来ない。
電車もかなり昔から1時間に一本。

かなり前から子供もいないので学校は閉鎖しました。
そして郵便局が消え、しまいには交番が消え。
最近、唯一繁盛していた病院が消えた。
今、繁盛してるのは火葬場だけです。

長野や山梨はそういう場所がいたるところにある。

それが空き家率ナンバー1,2の理由でした。

移住者はこんな場所には間違っても行ってはいけないのでした。


そういう場所は今後10年〜20年で70歳代の排他的ジジババも自然消滅する。

限界集落を越えて消滅集落。
これから20年以内にインフラ自体が消えてなくなっていくのです。


もちろん移住は楽しい。
美しい景色、美味しい野菜。
そういうハッピー移住ライフを目指すなら、移住前にちゃんとした情報を仕入れましょう。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


84. 中川隆[4851] koaQ7Jey 2016年11月07日 13:39:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5270]

八ヶ岳エコーライン 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

85. 中川隆[5809] koaQ7Jey 2017年1月01日 19:07:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6251]

離島暮らし


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/09(木) 17:05:50

絶対、や め と け。

と離島出身の私が言ってみる。
とにかく人付き合いの苦手な人、プライバシーを守りたい人は無理。
あと、お洒落な人、芸術系の人、頭のいい人もダメだ。
それからメンタルに問題のある人、持病持ってる人もやめたほうがいい。


19 : ◆i3pReaLiTY :2005/12/13(火) 01:53:33

離島は船がつかないと物資が届かない。
ここらへんはまだいいが、僻地にいけばいくほど大変。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 03:36:58

俺は人口400人の瀬戸内の島にこの前まですんでた
横浜でリーマン5年→2年弱漁師→リクナビでスカウトメールでその気になってしまって転職。


9 : ◆i3pReaLiTY :2005/11/23(水) 21:51:50

いいなあ瀬戸内海。400人かー。
瀬戸内海だとすぐ本土(岡山?香川?)までいけそうだけど、
橋かかってないとやっぱだめなのかな。


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 01:10:06

離れ島で稼ぐものが限られてきそう。
私自身しまなみ大橋のルート内で暮らしたいと言う願望がありますが、、
もう離れ島でもないかな?
景色は最高だし、魅力的ですね。


12 :8:2005/11/26(土) 07:14:27
>>9
橋かかってないと不便だな。
生活のリズムが船便中心になってしまう

船便の最終が夕方なのでハメハメハ大王の歌ではないが)夕日の前に寝てしまうw
極端か。

時化が続き定期便の欠航が続くと孤立状態。とても不便。

>>10
橋が架かるような島は(橋が架けられる程距離が近い)瀬戸大橋などごく一部除いて島民の潜在意識は内地の人とあまり変わらない。
生活習慣も同様だと思う。

景色は最高だろうが毎日見てると飽きてくるよ。
美人と結婚するのと同じ。


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 23:54:03
>>10
やめとけ。あのあたりは土人がたくさんいるぞ?8割は土人だ。

もちろん田舎ではなく都会にも土人はいるが。 土人比率が高すぎる。

エタヒニンレベルのな。潜在意識は皆、妬み嫉みだ。内地とは隔絶した精神レベルだからせめて陸続きの田舎にしとけ。

最大の娯楽は自分より、いいと思うもの、都会暮らしとか金持ってるとか、そうゆう存在を叩くことが最大の娯楽。

クズにはパラダイスだが、まともな人間からすれば哀れすぎて近寄ろうとも思わなくなる。


86 : ◆i3pReaLiTY :2006/03/09(木) 22:59:47 ?

淡路島・佐渡島 とかそれクラスならどうかわからんが、
島特有の気質ってか、ノリってかテンションってのはあると思うよ。
なんていうかアレだ。いきなり永住しようとしないで、まずは一ヶ月、とか。


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 10:50:41

ひと月離島でもてば、大抵の田舎で通用するね。


88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 13:40:21
>>87
2年は暮らしてみないと。一ヶ月ではいいところばかり目につくと思う。

みんな田舎でしんどいなど不満をいうが、離島暮らしに比べたら甘すぎる。
田舎っていっても、車で30分もいけば、大きなショッピングセンターがあったりするんだろ?
3〜4時間も運転すりゃ、街に出る。

私が生まれた島では、洋服屋など一軒もなかった。洋服買うときゃ農協のスーパーで。
重い病気や知られたくない病気にかかったら、旅費宿泊費何万円も出して本土に行く。つきそいもいれば軽く5万はかかる。
そして小児科の医師などひとりもいなかった。

青森かどっかで、小児科にたらいまわしにされて、小児科不足が叫ばれてたけど、
たらいまわしに出来るほど医師がいるだけでも幸せなんだよ!

母が病気の時、本当に本当に死ぬほど苦労したから、離島に住みたいと考えてる人は十分情報を集めて熟考して欲しい。

自分だけでなく、家族も一緒に、と考えている人はなおさらだ。


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 14:41:42

俺も離島出身だけど、離島でもう1つ大変なのは、一度離島に住んでしまったら、そう簡単に島の外に移り住めなくなることだ。

俺は離島のことを離島を知らない人に語るときは、「離島は精神の監獄だ」って表現してる。

田舎ってのはあらゆる意味で閉鎖空間。閉鎖されてるのは地形だけじゃない。
土地が閉鎖されてるって事は、色んな面で外界との繋がりが閉鎖されてる。

例えば人や組織のつながり。

小さな島では企業なんてものは無い。教師でもないと転勤なんて無いから、仕事を口実に島を出ることができない。
引越し業者もまず無いんで、引越しの作業も無駄に手間と時間がかかる。


情報のつながり

本土の田舎には、地元がどれだけ田舎かを知る機会が日常的にあるが、離島にはそれが無い。

なので、無意識に離島の常識が世界みたいに思ってる節がある。

よく言われる医療問題だが、不便不便とは言っても、ろくに島から出ない島民にとっては不便なのが常識だ。

なので、不便さを理由に島を出ようとすると批難轟轟だ。

「皆そうやって暮らしてるんだぞ!贅沢言うな!」と説教される。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 14:50:56

ついでにもう2つ、離島の情報鎖国について。


その1
島では外の世界の情報といえばテレビと新聞ぐらいしかない。新聞が届かない島もある。

それらの情報の殆どは島には無関係な遠い世界の話なんで、テレビのニュースも何処かフィクション感覚で受け止める。

複数の市町村が混在する本土と違って、島には1つの町村しか無いんで、その町村の常識が日本全体の常識みたいになる。

他所の町村と地理的に隔離されてるんで、人や情報の出入りが殆ど無い為だ。

なので、本土ではド田舎でもありえない様な非常識な習慣がまかり通る。

本土ならバレたら新聞沙汰になるような犯罪まがいの事でも、離島ではまかり通る。

離島という地形柄、行政やマスコミの目が届かないのと、他所の常識を知らないんで、他所では非常識だということを島の誰もが知らないせいだ。

なので、非常識だと指摘しても誰も信じてくれない。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 15:01:42

離島の情報鎖国について その2

情報鎖国と言う環境で特に深刻なのは、進学と就職だ。

進学情報は地元の学校に届くパンフだけが頼み。本屋なんてろくに無いし、あっても役立たず。
高卒の就職情報も同様。離島の小さな本屋には進学や求人の情報誌なんて売ってない。
何故なら、島の年寄りは受験戦争には無関心だし、島の就職はコネや縁故が常識で、赤の他人を雇うって習慣が無いんで、求人情報誌の重要性を全く理解していないからだ。
他所ではそういう雑誌が市販されてることを知ってる人も少ない。

あと、常識感覚のズレも面接の際に大きな問題になるんだが、
これを書くとかなり長くなるんで省略で。大体想像つくだろうし。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 15:04:22

ああ、大事なこと書き忘れ。

離島の進学・就職で大問題なのは情報不足もだが、それに対する周りの不理解ぶり。

自分達はものを知らないということを知らない。

世は不況だ就職難だ受験競争だと言っても、島民は何処か他人事だと思ってる。

島に住んでればそんなこと関係ないんだから、そんなに真面目にいいとこ狙わなくていいぐらいに考えてたりする。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 15:06:15

> 本土ならバレたら新聞沙汰になるような犯罪まがいの事でも、離島ではまかり通る。


これには激しく同意。
周りの人間は犯罪だとわかっていたとしても犯罪を犯している人間をわかっていても通報しないんだよな。


あの息子は○○の家の子だから、とか身内だから通報できないとかさ。

通報したのがバレたら周りから何言われるかわからないから泣き寝入りばかり。


94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 00:04:08
>>93
俺も同意。

前に、包丁を持ち出して殺傷事件寸前の事件があったんだが、
被害者が都会から来た家だったもんだから、家の人が警察にすぐ連絡した。
のどもとに包丁つきつけられておどされたらしい。

そうしたら、次の日から村八分ですよ。

寄り合いの席でオバちゃんたちが噂してたんで聴いてたら、 曰く

「警察を呼ぶなんて信じられない」「都会からきた人はこれだから」

もうね、何が常識で、何が非常識なのか、わかってないんだよ。あえていうなら島常識。

都合の悪いことや、隠したいことは平気で隠蔽するぞ、あいつら。
山形マットと一緒。一丸となって、島で生まれた加害者の方を守る。


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/14(火) 15:20:13

上の例の逆で、冤罪で加害者にされたとき、親や親族までもが警察の味方して層叩きにするときもある。

いくら冤罪だって訴えても「そんなことどうでもいいから、やりましたって言え」なんて言うの。

どっちが擁護されるかは、加害者と被害者の社会的地位、または親族内での地位によって決まる。

本家の長男辺りが暴力事件起こすと「でっち上げだ!」と被害者を攻撃するが、
分家の三男辺りが痴漢冤罪に会うと「いい加減諦めろ。これ以上家に恥をかかせるな」って調子で、親族ぐるみで自白強要すんの。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 22:14:00

私の友達も神奈川から離島に移住し、島の議員の息子に不法侵入・強姦未遂にあいました。

彼女は警察に訴えたけど、警察もまたあいつか〜って言ったそうです。

そのあと加害者の議員だという父が20万持って「島を出て下さい」って!

何で警察が「またか〜」って言ったのは同じ加害者が同じ事件を何度もおかしてるのに親の金で毎度示談になるから…

不法侵入下着ドロは常連、寝てる被害者の顔に精子かけたり!

警察も本土から転勤で来てるけど、この島独特のなあなあさには頭を抱えてるらしい。女性が被害届を出さない限り動けないらしい。島民が被害者の場合、議員の父に逆らえないため、訴える事はまず無い。

友達は結局帰ってきましたけど、離島絶対反対!

特に南国の離島はこのテの性犯が負かり通るので女性の方は特に気を付けて下さい!


109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 19:01:01
101です。 続きです。

友達は訴えを起こそうと思い、警察で被害届の手続きをしようと考えたらしいんですが、加害者は逮捕されるまでの間フリー・・・

彼女は嫌がらせもされ、加害者の親にはあらぬ噂を流され(こういう時島民は怖い・・)被害者のはずが村八分され加害者状態。

彼女は自分が悪かったのかと精神的に追い詰められました。

海が好きでダイビングライセンス取得し、朝早くから海のゴミ拾いなどをして島民の方々と仲良くなろうとつとめた彼女は、仕事や住まい・島の友達など全てを失い20万だけ掴まされて別人のようにやつれて彼女の母に支えられ帰って来ました・・・

私は彼女に会うため今年は地元の仲間で島へ旅行に行く予定でした、けどもうこれで離島に行く事は絶対ありません

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 01:13:45
>>101
島の有力者・その手の犯罪ってまさに私が心配していたポイントですよ。

結構好きな離島からオファーが来て赴任するか相当迷ったんだけど結局それらが不安で断りました。

2chだからどこまで信じていいのかわからないけど、やはりそういう土壌は絶対あるよね
(非離島ど田舎出身の家族がそのようなことを言っていたので)。


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 22:16:22

スゲエ話だ…
何県?


108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 18:45:50
>>102
沖縄県の某離島です。
町民が何千人かの小さな島だそうです。


110 : ◆i3pReaLiTY :2006/03/30(木) 20:46:28 ?

ひどい話だねえ。
でも被害届出さないと警察は動いてくれないよ。
逮捕されるまでフリー、ってのも、それ当たり前。


111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 00:51:55

いや、被害届けを出してるともっと酷い目にあってたろうって話だろう。
離島は超事なかれ主義でね、そういうときは「被害者1人が我慢すれば騒ぎにならなくて済む」と考える。
だから、我慢せずに騒ぎを起こす方が悪者扱いされる。


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 00:58:40

ちなみに、そういうときにテレビで似たような例の事件が報道されたとしても、自分達とは関係ないと考える。

田舎では、犯罪に関しては「悪い事をしたから逮捕される」んじゃなくて、「悪い人だから逮捕される」って考える傾向がある。

「都会の有力者は悪い人だったから逮捕されたんであって、うちの有力者は悪い人じゃないから逮捕しなくていい。」

てな風に考える。


113 : ◆i3pReaLiTY :2006/03/31(金) 09:15:09 ?

どちらにせよその島にいられなくなった、ってのは間違いないんじゃないかな。
しかし20万って安いよな。


117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 09:39:44
>>111
その通りです!

被害届を出したらどうなるか・・・
それを考えると泣き寝入りするしかなかったみたいですね。

こんな平和な島でこんな事があるなんて・・と、せめられたのは彼女の方です。
こんな田舎で化粧して歩くから、などとも言われて。

私もここでこんな事言ってすみません、でも理解しがたいだろうけど離島とはこういうとこのようです。

なあなあで楽しかったらそれでいい、いざとなったら島民をかばうんですね。
血が濃いからこんな考えになるんでしょうか?

これは私の勝手な考えですが・・常識が非常識になるとこですからね、何が正しいのかわからないですね。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 13:34:46

怖いねぇ・・ちょうど去年の今ごろ、瑠璃の島ってドラマやってたけど、
あんなかわいい娘いたら狙われちゃうね


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 15:04:00
>>118
そういうとき、常識的に考えれば娘の親が守るものなんだが、親が権威主義で腰が低い人だと、親が了承してしまうことがあるから性質悪い。

「○○さんに目をつけられるなんて有難い。可愛がってもらえ」てな調子で。

娘の意思は無視というか、娘の為を想ってやってるつもりだから困ったものよ。
俺の中学のときの同級生に、親の了承の元近所の同級生に犯されたって子がいた。


田舎の平和なんて偽りだよ。

被害届けが出されてないもの、表沙汰になっていないもの、平然と行われているが誰も犯罪だと認識していないもの・・・。
・・・数字に出ないものがいくつもある。

人口比率を考えたら、実際の犯罪発生率は相当なもんだろう。


121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 15:49:40
>>117
田舎の平和なんて偽りだと思った方がいいですよ。

実際は、ここに上がってるような表沙汰にならない事件や、
大っぴらに行われているのに誰も犯罪だと理解していない日常的な犯罪等がゴロゴロある。

田舎というか日本人の気質なのか、物事の本質なんてどうでも良くて、数字の上だけ平和なら、それで本当に平和なんだと思い込んでしまう。
というか、数字こそが本質だと思ってる節がある。

俺のいた島は、かつて年間交通事故ゼロの記録を更新し続けていた。
が、実際は、その記録を維持するために多くの違反が黙認されてきた。

飲酒運転はあったし、追突事故(警察がかかわらなかったから公式に事故じゃないが)はあったし、俺なんて余所見運転で轢かれそうになった。
どうやら現実の被害者よりも数字のほうが大事らしい。

まぁ、結局その記録は隠蔽しようのない死亡事故によってチャラになったわけだが。

さすがに死亡事故となると、皆記録どこるじゃなかったようだ。

・・・と思ったが、その事故の話をするとき、決まって「記録更新が止まった」なんて言ってた人がいる事を考えると、本当のとこはどうなのか怪しい。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 20:23:55

俺の住んでる所は瀬戸内で8千人位だが、そこまでヒドイ話は聞いた事無い。

むしろ犯罪なんて犯したら住んでられない。

事実、例え権力者の息子であろうと次の日には、 島中はその話でもちきり。
翌日会社で話をすると、全員詳細まで知っている事が殆ど。

よっぽど頭おかしくない限り、島で犯罪なんて考えられないわな・・・

強盗、殺人なんてのはここ数十年無い。

最近あった事件は2年程前に本土から空き巣が来てたな・・・
十数件連続でやられてたが、それ位に無用心な人も多い。
と言う事は比較的平和な証拠かもと思ってる


126 : ◆i3pReaLiTY :2006/04/03(月) 21:03:22 ?

っつーか「犯罪をしてもそれがもみ消せる程度の田舎」って、せいぜいが人口数百人かそこらじゃね?
>>101 の人口数千人の町で、ってのは信じられない。

別に嘘だとか言うつもりじゃないんだけど、人口数千人の町ってことはNTTも警察も公務員もして、出入りがそれなりの規模になるでしょ。

そんな大きな共同体で、犯罪を都合よくもみ消すなんて「できっこない」。

人口300人とかなら出来そうな気もする。でも、今はネットがあるしなあ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 00:19:55
>>126
俺の島は、NTTは中継アンテナだけで無人。
警察は小さな派出所に2人だけ。

>犯罪を都合よくもみ消すなんて「できっこない」。

揉み消してなんてしてないよ。揉み消しが必要になる前のだんかいで消すんだから。
価値観が根っこから違う離島だからできる。犯罪を犯罪と思ってない人ばかりだから。


128 : ◆i3pReaLiTY :2006/04/04(火) 00:26:30 ?

なるほどね。つまり「犯罪扱いにさせない」わけか。
本当に小さい島だから出来る技だね。

島ってのは、雪が深くて出てこれない村みたいなもんだし、
有力者ならそれぐらい楽勝できそうだ。

派出所ってことは警察官も島の人間なんだよね?
選挙違反でもなんでもできそうだ。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 00:41:57

島の警察は腰が低い。
田舎の警察には2種類あって、公務員様ってことでお地蔵様のような扱い受けるか、警察官なら才色兼備・文武両道に違いないってことで、自治会から幾つもの行事へ強制参加させられるか。

俺の島では、警察官は消防団に入団して地元の体育館で柔道・剣道の講師をやるのが義務だった。

んで、そうしてる間に自分自身も田舎の罠にハマっていって、田舎ルールに逆らえなくなる。

あるいは、島のそうした風土を知ってて、島への赴任を希望してたりする。

役場はほぼ皆地元の人。一般住民と同レベルかそれ以下。

島との出入りが頻繁にあるのは学校の教師だけだが、なんせ離島なんかに赴任させられる教師がどんなのなのか、言うまでもなし。

そもそも教師って人種は全体主義者が多いんで、田舎社会は教師にとって理想とする部分も多い。

メディアや行政の目がろくに当たらないのをいいことに、やりたい放題な教師がゴロゴロいる。

田舎じゃ公務員は特権階級だから、何やってもお咎め無しだし。

田舎の学校の教師は部活の顧問を強制させられるんで、ストレスも相当なもん。生徒に当たりまくる。

田舎の学校では、というか地域では、そういう教師からの理不尽な罵声を一身に浴びて絶え抜える生徒が優秀な生徒だと思われてる。
苦労に耐えれば立派に人間になれるって発想。

一応、離島でもまともな人格の教師は赴任してくるが、所詮は1個人。
島の体質に疑問を覚えたところで、どうにかできるわけじゃない。


130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 00:48:50
>>128
そう。そんなことを何十年もずっと続けてるから、誰も犯罪を犯罪だと思わなくなる。

上にも書いてあるけど、田舎は 「悪いことをしたから捕まる」んじゃなくて、「悪い人だから捕まる」みたいに考える節があって、 島の外で同じような例で逮捕者が出た話を聞いても他人事。

「他所の有力者は悪い人だから捕まった、うちの有力者はいいんだ」みたいな感じ。

逆に、「悪い人」と認識されると、何もしてなくても犯罪者扱いされる。


132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 09:32:13
>>128
有力者だけじゃない。一般島民までそんな感じ。

134 :大分県H島村民:2006/04/09(日) 22:50:06

うちの田舎じゃあ昭和40年代前半ごろまで島の駐在さんは地元民と賭け麻雀して
1日過ごしてたんだって。
田舎だから事件無いし、事件あっても何故かうやむやにされてたし。

事件が起きて、本土から来た警察官が容疑者を捕まえようとしたら、容疑者をかばう島の青年達に袋だたきにされて海に放り投げられてしまったんですと。

そしたらその仕返しに県警の機動隊が大挙してやってきたという素敵な話もあったらしい。

まぁ、あの頃の島民は血気盛んな人が多かったようですね。お巡りさん達も。

今はそんなことないけどね。うちの田舎も本土と同じ社会になってしまった。
悪い事すればすぐお巡りさんが飛んでくる。みんなおとなしい村人ばかり。
その代わり、離島独特の濃厚な人間関係も個性も無くなってきてるような気がする。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 23:15:11
>>134
 警官を袋叩きにしたらいかんやろwww


136 : ◆i3pReaLiTY :2006/04/10(月) 00:42:12 ?

まあ島の人間だしなあw
実際、酒のんでGOみたいなノリはあるよ。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/14(火) 16:10:26

別のスレで書くつもりだったけど、犯罪絡みの話題のついでに。

田舎は事なかれ主義で全体主義。

恐ろしいのが、民主主義を全体主義と勘違いしてることだ。
数の力で少数派を淘汰して、全てを同じ色に統制することが民主主義だと思ってる。

田舎者に「民主主義とは何か?」って質問したら「多数決」とか「投票」って答えしか反ってこないだろう。

田舎では、

1人の人生<<<<<5人のどうでもいい事。

質より数だ。
本当に下らない事で、他人に合わせることを強要される事がある。
本当に下らないことで、人生を諦めさせられることがある。

何でもかんでも、

「お前1人我慢すれば人様に面倒かけなくて済むんだ」って調子で妥協を強要される。

これを言うと、田舎を知らん人は「判ってもらうように努力しろ」と言うが、甘い。それが一番反発食らう行動だ。

自分の趣味を周りに理解してもらおうをすると、「お前1人が我慢すればr」てな調子で、周りに合わせることを強要される。

人に理解を求める=人に考えることを強要する、と解釈されるからだ。

本当に何でもかんでもだ。

外食の時1人だけお好み焼きにマヨネーズをかけなかったってだけで人格否定されたことがある。

「親族の誰も東京に行ったことないから」という理由で上京を許可されなかったこともある。

野球に興味が無いというだけで人格否定されるのはガキの頃から現在進行形だ。

こういう田舎にとっては、画一性こそが人間の美徳であり、個人を主張する人間は最低のクズだってことになってるから、

趣味や好き嫌いが人によってバラバラの都会や外国を見下していて、田舎独特の中華思想の確立に一役買っていたりもする。


97 : ◆i3pReaLiTY :2006/03/20(月) 10:31:15

まあ島は田舎の最終形みたいなもんだ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/countrylife/1132464916/

離島暮らし2

206 :名無しの権兵衛さん:2007/03/09(金) 20:17:46 ID:rPBTJJUx

魚釣りが趣味の人には いいかもしれんな


909 :名無しの権兵衛さん:2010/07/09(金) 01:10:47 ID:0CCYa7Mg

離島は世間が狭いし、交通の便も悪い。
俺はあまりオススメできない。

916 :名無しの権兵衛さん:2010/10/15(金) 18:46:11 ID:P8r7yi+V

この前離島に遊びに行ってきたんだが、ほとんどの奴がノーヘルでスクーターに乗っててビビった。
離島ではヘルメットの着用義務が免除されてるのか?


918 :名無しの権兵衛さん:2010/10/16(土) 06:35:52 ID:/Kp1xG0G

田舎はどこでも、みんな顔見知りだし、駐在もうるさく言わないからね
新任警官があまりうるさいこと言うと、逆にハブラレルこともある。

それどころか車検の無い車が走ってる(任意保険どころか、自賠責にも入ってない)なんてこともザラにある。
面倒なことを起こせば、自己責任。どうせ逃げられないし。


936 :名無しの権兵衛さん:2011/09/21(水) 09:35:25.03 ID:b/kD37Eu
>>918
なんかこわいなー…

離島ではレイプも多いけど被害者は誰にもいいだせないって本当?


937 :名無しの権兵衛さん:2011/09/21(水) 11:06:25.62 ID:bY323X+W

本当です

913 :名無しの権兵衛さん:2010/09/13(月) 14:40:48 ID:RGxM/LEg

離島6か月だけどもう限界
早く本島に帰りたい

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 06:29:47 ID:JOlq+E33

種子島に住んでみたいのですが、どうでしょうか?
ためしに1ヶ月とかでもいいのですが・・・
実際に住んでいる方、いいとこ、悪いとこ等、教えてください。


16 :名無しの権兵衛さん:2007/01/01(月) 23:39:29 ID:6gVi6MMv
>>5
やめとけ。
おれ、種子島に移住して2年になるけど ここの連中はマジでアホが多い。

集落の飲み会はシモネタ連発の上、60すぎのじじいとばばあが衆人環視のなか、お○んこする真似までしやがる。
すげえ気分悪い。

大酒飲みっつーか、アル中みたいなのも多い。

郵便局員は平気で知り合いに「○○さんは預金がいくらいくらあっとや」 なんてこと、平気で言うし

病院の看護士は、「○○さんは○○病」なんてことまで知り合いに吹聴する。

原付に乗ってるばばあは、ほとんどが無免許だし
(それでいいと思ってやがる)
法律なんてものが、全然通用しない島だよ。
電車に乗ったことがないなんてやつも多い。(つまり島から出たことねえってわけ)
ありえねーことばっか。
考え直したほうがいいよ。


17 :名無しの権兵衛さん:2007/01/02(火) 01:29:35 ID:8cT49uT8

5です。
レスどうもありがとうです。

なんかプライバシーなさそうですね。
種子島といっても場所によるのか、それとも全体的そうなのか・・・
沖縄に行ったときはいかにも観光地といった感じで、定住するにはちょっとちがうかなと思いました。
とにかく釣りができる暖かい南の島に住みたいのですが、鹿児島あたりであきらめるほうがいいでしょうか・・・

19 :名無しの権兵衛さん:2007/01/03(水) 07:08:01 ID:ahHuhsHH

私も種子島の移住者だけど
たしかにプライバシーないね

郵便局員とかあの家はどこに幾ら振り込んだとか平気で言うし

代引きの荷物頼めば配達の兄ちゃんが外で井戸端会議してるババァ連中に
また代引きだよ、よく来るなぁまぁとかケーそがん頼む物があるっちゅうかまぁ!
とか大声でババァが言ってるのも聞いたし大きなお世話だってのホントウザイ

島の人間ってみんながみんな知り合いみたいに思ってるから
初対面でも平気で失礼な事言うし何するにしても話の種にされちゃうよね

とにかく種子島が一番、種子島の人間が一番、東京者は犯罪者とか言うのもいるくらいだし
これから種子島に移住したい人が居ても絶対勧められない。


20 :名無しの権兵衛さん:2007/01/03(水) 09:42:10 ID:hCR1ueK+

まじかよ?ありえねー。配達の兄ちゃんが、お客様の荷物の中身まで
近所の人に話すの?
それ、犯罪じゃね?

へんな話、法には触れないけど、人には知られたくないもの
(避妊具、アダルトグッズみたいなの)
代引きで頼んだりしたら、近所に筒抜けってことじゃんか。
こえー


25 :名無しの権兵衛さん:2007/01/04(木) 03:54:35 ID:cseoPrkB
>>5へ。

別の離島在住者ですが。
人情厚そうだからとか、都会に疲れてのんびりした生活したいとか そういう憧れを求めて中途半端に移住考えてるなら言っておきます。

即止めた方がいい。

人情厚い→プライバシー無し

のんびりした生活→地元民のペースで動かなけりゃいけない。

一度その流れに反抗してしまうと、村八分とか移住者いじめとか平気で行う社会である事が多々ある。

きつい様だけど一番困るのは都会でも使えなくて田舎なら大丈夫と逃避してくる様な人間。人間関係かき乱すわ、仕事では役立たないわで最後はいつも逃げる様にして撤退していく。

観光気分でお試し滞在ならまだいいけど、定住を考えるなら相当な覚悟で来てください。


26 :名無しの権兵衛さん:2007/01/04(木) 15:29:07 ID:ZBq/Jrek

5です。
25さん、ありがとうございます。おっしゃるとうりです。

自分の場合、暖かい南側、趣味の釣りが気軽にできるよう海に近いこと。

この2点が重要で、あと自分の釣り船が係留できるような環境をもとめています。

今は海のない県に住んでいまして、海まで2時間以上かかります。
また船をマリーナ等に保管するととても経費がかかりますので、これも無理です。
ぶらりと釣りに出かけて、その日の夕飯をとってくるような、そんな日常にあこがれます。

ですから離島でなくてもいいのですが、どうしても都市からは離れた地域で探さなくてはと・・・都会に疲れたとかのんびりというわけでも・・・まだ34歳ですのでw。

ちなみに一度熊本に行って、九州で海に近い地域に住むか天草がいいのか車であちこち見て周ろうかと思っています。
どんどんスレちがいかもで、すみませんです。でもこの生活にあこがれて今まで貯金してきましたし、船舶の免許もとりました。今年こそ・・・


27 :名無しの権兵衛さん:2007/01/04(木) 22:49:59 ID:Gn4QlaQu

僕も4年前、東京の郊外から種子島に移住した者ですが
島の人たちは東京人にコンプレックスを持っていますね。

その裏返しで、「島の人間はいい」「東京者は悪い」みたいなこと言うんだと思います。

東京人
高学歴
いつまでも種子島弁を覚えられない

こういう人たちが、島では一番きらわれ、もろにいじめの対象となるようです。


32 :名無しの権兵衛さん:2007/01/07(日) 12:49:52 ID:GAh328pZ

自分は五島列島に釣りがしたくて過去に数年住んだ事があります。

魚種が多いしサイズも本土では考えられないようなのが釣れます
釣りに関しては天国です。

実際自分以外にも定年して移住した人とかも知っています。
とにかく釣りが好きならパラダイスでしょう。

移住するのにまず大変なのは住む所を探す事でした。

不動産屋が無かったために口コミで探すようになります。
だいたい数週間ぐらいはかかると思います。家賃は2万前後ですね。

一番の問題は人間関係です。

離島は貧富の差が激しく仕事もそんなに無いため実際裕福な人は経営者と公務員ぐらいです。
派手な行動を控えないと地元の人達からいい目では見られません。謙虚さが大切です。

自分は三十代でした。その数年は仲のいい地元の人も何人か出来て本当に楽しく過ごせました。しかし常に頭の中に将来の不安がつきまとっていたのも事実です。

収入源はアルバイトや魚を売ったりしてましたがギリギリの生活になりますから。
ある程度貯金があり孤独に耐えられて本当に釣りが好きで人間好きならオススメしますよ。最初は不安ですがいい人と巡り合えば楽しい生活が待っていますよ


37 :名無しの権兵衛さん:2007/01/08(月) 03:37:26 ID:MF67s5tD
>>5さん
25ですけど32の話に同意です。

本当にその通りで貧富の差が激しく、やっかみも多いです。

特に漁業で生計立ててる人も多いので(うちはそんなに居ないが)
何かやらかしてしまうとそれこそ一族郎党動員してのいじめがあったりする…離島、特に小さい様なとこは血縁関係が未だに濃厚ですので。

脅してる訳じゃないけど酷い目にあった人を見ておりますので。

だからやはり、貴方と同様の考えで住んでいる先住者が多い土地がお薦めだし、最初は真剣に定住考えなくてもよいのでは?

うちの所にも安易に定住しようとして、目立ち過ぎて現在進行形で失敗してる人間いるからねぇ…


45 :名無しの権兵衛さん:2007/01/24(水) 01:22:15 ID:/V5Ecnaq

25です。
俺は種子島在住ではないけど(もっと小規模な離島ですが)
同じ離島としてネガティブな面は確実にあると思います。

小規模な集団ですから、都会の様に大勢の中で割り切った人間関係が出来る様なところではないし、血縁関係とかもあるから更にややこしくなってるのは同じではないでしょうか?

離島独特の思考とか人間関係を甘く見て失敗している人間を何人も見ているので。

特に最近はテレビとかの影響で「離島=生活も人間もあったかい楽園」とかいう安易な考えで来る人間が多いんで。

下ネタとか酒社会とか噂話とか陰口は実際うちの島も同様です。

ただ、それをポジティブに捉えると楽しい酒の席での戯れになるけど、ネガティブに捉えるとセクハラとか酒浸りのだらしない社会となる訳です。

私的には離島暮らしを考えてる人には、安易に前者の様なポジティブ思考だけを期待して、そればかりで動いていると思って来て欲しくないです。

実際…酒の席で新参者が調子にのって騒いでて、住民も一緒になって陽気に楽しくやってると思ってたら、そいつが帰った途端一転してそいつの悪口合戦が始まった挙句、次の日から陰湿ないじめが始まったりする修羅場を目撃してたりする…

だから自分も心のどこかで冷めた視線を忘れないで住民と接してます。

まぁ勿論、そこまでネガティブだけでなく、礼節気をつけて生活して羽目外さず、陰口とかが聞こえ手も笑い飛ばせるくらいの根性あれば生活は楽しいし、住民も普通以上に手厚く接してくれますが。


58 :名無しの権兵衛さん:2007/02/01(木) 22:52:42 ID:ItL67v9N

離島への移住者は馬鹿が多すぎ
ほとんどと言っていい

最小の人間関係で済む都会でストレス感じて田舎に楽園(逃げ場所)を求める弱いやつが人間関係がすべてに優先する小さい共同体でうまくやれるわけがない

少ししたらまたストレス感じて自分の弱さを棚に上げて離島は閉鎖的だとか劣等感があるだとか訳のわからない批判をして去ってゆく

人生を田舎に移住してやり直し、さらに田舎から出て行ってさらにやり直し
自分の人生リセットしすぎ

移住者の人生はドラクエのセーブデータ並みの価値しかない

そのような人間達がまともに相手されるわけが無く>>27>>19のように
住民に軽く見られたあげく島民は東京に劣等感があるとか自己正当化のこじつけを
臆面もなく語り、自分の(どうしようもないほどだめな)生き様がさも知性的な都会人の優秀さの象徴であるかのごとく高慢な振る舞いを示し、都会を知らない住人達に都会はダメ人間の巣窟であるとの誤解を与え、そのためさらなる報復を住人から受け、最後は楽園ではなかったとか言って逃げるように去ってゆく

38 :名無しの権兵衛さん:2007/01/08(月) 22:03:25 ID:ncn+P2V+

5です。
25さん、助言ありがとうございます。
たしかに島の中心部にいきなり引っ越すなんてのは無理がありますね。

物件で検索していたのは、別荘が固まっているところや、市内よりの場所です。

思い切って安い海近くの別荘を購入して、海に出にくい冬場は熊本市内にアパートでも借りるか、地元に帰って働くかなんて考えています。

とにかく自分の場合、条件を満たしていれば特に「島」・「離島」でなくてもいいわけで、完全な「島人」を目指していません。その中途半端がだめなのかもしれませんが・・・

自分と同じような考えの人達が集まっているような地域?があれば最高です。
ぜひ仲間に加えてほしいですね。

60 :名無しの権兵衛さん:2007/02/02(金) 05:18:52 ID:Kl1fnumy

サーフィンとかやってるフリーターで毎日遊んで暮らすなら離島も楽しいかもね?仕事はサーフショップとか開業して観光客を相手に商売すればいい。

地元の人とは最小限の付き合いにすればかえって上手く行く。

893 :名無しの権兵衛さん:2010/04/01(木) 13:34:40 ID:3hbJhxYD

毎日、同じ風景の中で、同じ面子に遇い、同じ日々を繰り返す。
気の利いたカレー屋ラーメン屋も、たまに食いたくなる牛丼屋、回転寿司もない。
せめて、本州大陸に近い瀬戸内の島にしとけ。


894 :名無しの権兵衛さん:2010/04/14(水) 20:45:45 ID:5HzPLeDR

腹が減ったら海や山に沢山美味しい食材が有るんじゃないんですか?


895 :名無しの権兵衛さん:2010/04/15(木) 09:52:38 ID:wD33s/GX
>>894
海は構わんが山の食材採ったら泥棒だぞ(笑)
地面は必ず誰かのものだ。


896 : [―{}@{}@{}-] 名無しの権兵衛さん:2010/04/15(木) 09:57:50 ID:HJcjD7PZ

海も川も漁業権?とかいるんでないかい


897 :名無しの権兵衛さん:2010/04/15(木) 18:43:01 ID:wD33s/GX
>>896
海は国の物だから公共だ。
網や撒き餌釣りをしなけりゃ大丈夫。


898 :名無しの権兵衛さん:2010/04/15(木) 19:09:13 ID:QN4V1lLy
>>896
サザエ・アワビは稚貝を放流したものが多いから、盗った場合当然犯罪になる。
密漁禁止の札が至る所に立ててある。


945 :名無しの権兵衛さん:2012/01/19(木) 20:07:01.97 ID:VL/XJgKG
>>893
瀬戸内海の島に住んでいるけど、
カレー屋と牛丼、回転すし、ラーメン屋ならありますね。


>>894
竿買ってきて磯釣りに挑戦しているけれど、なかなか難しいよ。
うちの島は釣りの名所らしいんだけど、いまいち釣れない。

山には空き地ばっかりあるけれど、法務局で調べたらみんな不在地主が
いるとこばっかりだから、勝手に耕作するわけにもいかんし、めんどい。
地主が誰だかわかったら、許可もらってネギでも植えたい。


949 :名無しの権兵衛さん:2012/07/11(水) 14:43:51.17 ID:rBSbYdDW
>>945 
 『瀬戸内海の島に住んでいるけど、カレー屋と牛丼、回転すし、ラーメン屋ならありますね…』


因島と小豆島にカレーチェーン牛丼チェーン無いようだ。
まさか淡路島かな
淡路島を瀬戸内の島暮らしって言っちゃっていいのかな 


970 :名無しの権兵衛さん:2012/12/08(土) 06:27:35.43 ID:Maho+wPK

日生町日生の鴻島は放置してる車があっちこっち何年も停めて置いてる島を管理してる人達は何を考えてるのか!
片付けようと思わないだろうか。汚い島になってしまう。
観光客が来たら印象が悪いと思わないだろうか。


971 :名無しの権兵衛さん:2012/12/09(日) 18:23:39.01 ID:OnGab1F/

離島は、リトケイに食い物にされる
人が良くて、地域の絆があって、人生の楽園みたいな欺瞞ばかり広めて現実を出さないから移住して失望する被害者多数

950 :名無しの権兵衛さん:2012/09/22(土) 12:58:07.47 ID:4Nnfne/1

離島の共通項として・・・どうやって現金収入を得るかが問題だな

本土まで2km、中古船舶を手に入れて本土通いという戦法しかないわけだが、
マシな早さのエンジンだと燃料代に1往復2000円程度はかかるだろうからそれが痛すぎ

月に25日通うとして、50000円!!!

船外機も激しく消耗するんで1年で買い換え!!!
子供を作ると学校が云々でこれまた・・・・!!!

そういう理由で過疎化しているのだろうけれど、それ以外の要素はとても魅力的
中電の馬鹿原発も中止になったから検討の余地は十二分にある


959 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 01:32:32.73 ID:Rw6/t0t+

離島で何かあったら 自分が悪くなくても悪者にされるよ

960 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 06:44:57.20 ID:HUo6iEHy

アウェーで試合してるようなもんか・・
田舎の人間関係は好きか嫌いかのどっちかしかないから難しい


961 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 13:20:58.56 ID:pDQCJpL1

島の人間は、コンプレックスはある癖にプライドは高いから
それがかたくなな頑固さになってたりする

一度人間関係がこじれると修復するのが難しくて疲れて島を出たという人の弁


962 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 13:34:33.83 ID:+hNFcLqh

そうだね、とくに元教師や公務員
一度怒らせると追い出すまでいじめられる。
家に招待されると都会にある自分の不動産自慢。
島を衰退させている張本人だけど自覚ないね。


963 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 18:33:11.25 ID:HUo6iEHy

教師とか公務員とか・・
これは島人に限らず日本全国どこでもクズ扱いだよ 社会常識ない者が多過ぎる
 


964 :名無しの権兵衛さん:2012/11/04(日) 19:41:49.71 ID:qp7RLljz

クズ扱いというか教師や公務員はヒエラルキーの上辺だから嫉まれる
全国と比較すれば大した給与じゃなくても、田舎じゃ貰ってる方だからな
そして図に乗って他を見下すようになって、クズになってくんだろう

965 :名無しの権兵衛さん:2012/11/05(月) 09:17:51.81 ID:VkkNumX8

そうではないと思うが
クズになる最大の要因はいったん採用されたら仕事がなく遊んでても首にはならず
金は天から降ってくると錯覚させる日本独特の雇用体系にあると思う


935 :名無しの権兵衛さん:2011/09/14(水) 23:47:31.85 ID:ykqYImmT

広島に在住ですが、山陽本線沿岸の田舎町がおすすめだよ。
島はオススメしないよ。

 例えば、みんなが良く知っている尾道でも尾道水道を渡って向島になると、
この板で言われてるような排他的な因習がありまして、移住して十年以上でも
余所者が扱いにされるようです。

 より陸地から離れた因島、生口島になると尾道市や三原市、福山市在住の
人に対して強いコンプレックスを一方的に抱いていて、驚かされます。

 こちらからみると湘南みたいなリゾート地とか、
ぼくのなつやすみPSPみたいな、ポジティブなイメージで見ていたのですが、
当人たちは、ひどくネガティブに考えており、いかに自分が都会的に遊んでいるかが自慢だったりします。世の中どこも無いものねだりなんですね。


788 :名無しの権兵衛さん:2008/06/15(日) 18:24:42 ID:EeE7roMJ

地域行事に参加しなかったら村八分って話だけど
単身者だったら、無視したってなんにも不利益になること無いよね?

地域の人に頼る事なんてないだろうし、陰口たたかれたって関わらなきゃ関係ないし。
まあ、生活は楽しくはないだろうけど


789 :名無しの権兵衛さん:2008/06/22(日) 01:36:03 ID:17wIgxmA
>>788
そんな根性のやつは離島にいちゃだめだぞ。
都会でくらせ。


790 :名無しの権兵衛さん:2008/06/22(日) 23:32:35 ID:u6UqMFWx
>>788
そう思っていると、いざと言う時痛い目合ったり最悪の場合貴方を追い出す
計画が知らぬうちに持ち上がってたりするから。
恐らく、数年で帰る事になると思うぞ。
俺も現在進行中でそうなってしまってる…辛いわ。


885 :名無しの権兵衛さん:2009/12/19(土) 13:03:28 ID:4z0O6d5E

受益のある活動・行事は用事がない限り全参加に決まってるだろ。
クソ暑い中に草むしりしてもらった道路を平気で使う神経がわからん。


791 :名無しの権兵衛さん:2008/06/24(火) 12:32:11 ID:cPSNyAtu

私も 以前は 五島列島 福江島に 嫁いでいましたが やはり 馴染めず 離脱(-"-)あそこは 未だ 30年前の 日本ではないかみたいな 感じでした

周りと 同じことをしなければ 白い眼、周りと違う事をすると 村はちぶ 
役場の人間は 賄賂など 送ったりした人しか 丁寧に 接してくれない。

 居たたまれず 離脱、 私は 負け犬なので消火?でも 離島でも あそこは あまりに 差別や いじめがひどい所です


799 :名無しの権兵衛さん:2008/09/15(月) 01:45:26 ID:BHE/ryBk
>>791
近くですね。 こちらは仕事で僅かな期間ですが上五島にしばらく。
たしかに世の中なめ腐って生きてるような役場職員ていましたね。 
閉鎖社会だからどうにもなりません。

普通の人でも、表向きが純朴な島民ってイメージでしたが、暫くして出てくる実態はひどい。
 
慣れてくると、言葉づかいも男も女も、がさつで横暴な漁師言葉ですし、
口の利き方も喧嘩腰です いい年こいたおばちゃんが。 

こんな人が、民宿とか感光施設では気味悪いぐらいニコニコで迎えてくれます。

長く暮らしてたらいけません。


838 :バキィ:2009/03/20(金) 13:21:11 ID:RhbWTrhy

種子島に嫁いで4年
未だ馴染めない(T^T)

何故、地域行事があんなに多いのか…
島んちゅは、自由が欲しく無いのか…

閉鎖的な考え方、地域行事の多さ、その他色々…改善しなきゃ、若者離れは進むだけでしょうね…

帰りたい(泣)
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/countrylife/1167234791/


86. 中川隆[5826] koaQ7Jey 2017年1月02日 12:20:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6268]
>>83 に追記

八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html

ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。

八ヶ岳の西側。

茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。

エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


八ヶ岳エコーライン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


エコーラインの超えられない壁。
これはこの辺りでは有名な話です。役場でも聞きました。

エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。

そう聞きました。

例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。

そういう話が昔からあるようです。

とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。


八ヶ岳エコーラインとはここですね。Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U

とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html


に書かれている様に、原住民と接触しなくても良い別荘地内に住んだ方がいいです:

yodogawa3169さん 2015/05/19 01:02:38

セルフサービスのスタンドを除いて、山梨では、★ガソリンの価格★が他府県ナンバーの車は高い単価になります。

洗車も、他府県ナンバーは吹っ掛けられます。

慣れたらそんな物かと諦めますが。

あの有名な遊園地は、
地元民に無料で開放の日があります。
美術館などの入場料も地元民は無料です。

もし、京都や横浜でそう言う事をしたら、 観光客は怒りますよね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534

ID非公開さん 2015/5/18 15:29:48

春に山梨に転居してきました。パートですが、職場の雰囲気に馴染めず悩んでいます。

妙にそっけなく無視されているようです。それでいて、体調不良で休みをとると

「どんな病名?」「どこの病院いった?」「先生は誰?」「どんな薬?」

などプライベートな領域にズカズカ入ってきます。
いきなりそんな事聞く!?と引いてしまうのは私の感覚がおかしいのでしょうか!?


mobilat74さん 2015/5/18 15:41:25

山梨には都市部・山間部を問わず「無尽」という風習があり、無数の閉鎖的サークルが点在しているような土地柄です。

酒や女といった欲求から、お金の融通、祝い事、留守番から介護といった、およそ人間が生活していくうえですべての面倒をみてくれる、濃厚濃密な人づきあいです。
山梨の人は必ず、たとえルンペンであっても、自分の生活エリアの無尽にいくつか所属しています。

あなたが職場の雰囲気に馴染めるようになるのは、その職場の無尽に入ってからです。質問が多いのは、あなたを無尽に入れるかどうかの鑑別です。

入れるなら入った方がいいでしょうね。
山梨で無尽に入らず、生活できた人を知りませんので…。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534


山梨県限定の秘密の風習「ムジン」って何なの? - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2134979873440847801


山梨県民が楽しみにしている「無尽」の習慣って一体何? [2013/04/14]

「無尽」は「無尽講(むじんこう)」「頼母子講(たのもしこう)」とも言う


山梨県には「無尽(むじん)」という独特の習慣がある。無尽とは月1回程度、特定のメンバーで集まって食事や飲み会をすること。そして、その時に食事代とは別にお金を出し合って積み立て、メンバーが順番に使ったり、グループの目的のために役立てたりすることをいう。なぜこのような独特のシステムが生まれたのだろうか。

助け合いの精神から生まれた独特の習慣

「無尽」は、鎌倉時代に始まった庶民同士の融資制度が始まり。冠婚葬祭などまとまったお金が必要になった時、お互いに助け合うために作られたという。それなりの頻度で集まり、しかもお金が絡んでくるとなると、メンバー同士の信頼が必要になる。その点、山梨県は昔から住民同士のつながりが強く、このような独特の習慣が発展したようだ。

その後、金融サービスが発達して融資し合う必要はなくなったが、既に生活に根づいていた仲間で集まるという習慣は残った。現在では積み立てをする人たちもいるが、必ずしもお金を出し合うわけではなく、特定のメンバーでの定期的な飲み会を無尽と呼んでいる人も多いという。

人間関係が希薄な時代の貴重なつながり


おいしい料理とお酒を前に笑顔があふれる


そんな無尽、実際にはどんな形で行われているのか、地元の人に聞いてみた。まず参加している無尽の数は平均1〜3つ。付き合いが多い人は10、20も参加する人もいる。しかし、最近は人間関係が希薄になり、どの無尽にも属していないという人も増えているという。

メンバーは学生時代からの友人や職場の友人、趣味の仲間など気の合う人同士というのが基本。男性同士、女性同士、同年代が多いと思いきや、「草野球の無尽」「カメラ仲間の無尽」など趣味の集まりになると、幅広い世代が集まることもあるそうだ。

無尽を行う場所は、居酒屋やレストランが多いという。しかし、休みの日などはキャンプに行ったりバーベキューをしたり、食事をしたあとスーパー銭湯でリラックスしたりと、様々な形で行われている。場所決めは、持ち回りの幹事が行うことが多い。

女性の無尽は、いわゆる女子会的な雰囲気。食べたり飲んだりが好きなメンバーだと毎回場所にもこだわり、話題のおいしい店で行うことが多いとか。ちなみに、無尽は夜に行われることが多いが、家庭を持っていたりお子さんがいたりする女性でも、「無尽だけは特別」と家族が快く送り出してくれるそうだ。

積立金はみんなで有意義に使う


融資制度の名残で、積み立てをするグループも


積立金の場合は、その日集まったお金を各メンバーがローテーションで持って帰る形が主流。例えば、メンバーが5人いて1人1万円払うとすると、合計5万円を1人が持って帰るということになる。使い道はそれぞれに任されているので、貯金をする人もいれば欲しかった物を買う人もいる。

一方、目的を決めて積み立てをするグループもある。例えば、旅行好きの集まりならば、目標金額がたまったらそのお金を使ってみんなで旅行するという具合。あるいは、毎回食事代を少し多めに徴収して積み立てていき、忘年会でパーッと使うというケースもあるという。いずれにしても、細かくは仲間同士で話し合って決めるそうだ。

山梨県の飲食店は「無尽承ります」

山梨県の居酒屋やレストランの看板やホームページには、他の地域ではあまり見られない「無尽承ります」という文言が記載されている。それだけ無尽が根づいている証拠と言えるだろう。次は、そんな「無尽承ります」を掲げている山梨県甲府市・笛吹市の居酒屋「北海屋」に話を聞いてみた。


「北海屋」のホームページには「無尽承ります」の文字が明記されている


北海屋では、月に20件ほどの無尽が行われるそうだ。いろいろなグループが訪れるというよりも、無尽の常連さんがいて、例えば「毎月第3土曜日は、北海屋で無尽」と決めて同じグループが訪れることが多いという。そのため常連さんから予約が入ると、お店の方は「また無尽だな」と分かるそうだ。

人数は5〜10人でそれほど多くないので、メニューはお店に来てから決めるグループがほとんどだという。北海屋は、すしや刺身など新鮮な海の幸を中心に、バラエティに富んだメニューを提供している。それぞれ好きなものを注文して、気の置けない仲間とのひとときを楽しむそうだ。

ちなみに北海屋スパランド店は、宿泊できるスパ施設が併設されているため、泊まりで無尽を行うグループもいるという。これなら飲んでも安心、心ゆくまで楽しめるということで、こちらの店を利用する人も多いそうだ。


無尽があるからがんばれる! 生活の張り合いに

山梨県の珍しい習慣「無尽」。単なる飲み会とも言えるが、無尽によって楽しみが増えて充実した生活を送っているという人が多いそうだ。定期的に気の合う友人に会い、おいしい物を食べて飲む。そして次の無尽の約束をする。何げないことのようだが、こうやって仲間とつながっていることで毎日頑張れるのだという。

また、人とのつながりが薄れがちな高齢者も、無尽に参加することによって生活に張り合いが出るという人も多い。たくさんの無尽に参加している人ほど長生きするという話もあり、生きがいにつながっているようだ。

基本的には特定のメンバーで行われるため、県外の人はなかなか参加できないが、知り合いなどがいれば一度参加させてもらってみるといい。もしくは、居酒屋などで無尽らしき会が行われていたら、その様子を眺めてみたりするのも面白いかもしれない。
http://news.mynavi.jp/news/2013/04/14/027/

afurika_careさん 2012/7/12 16:56:50

山梨県のことをどう思いますか?
現在山梨県に住んでますが人間も短気で性格がキツいし最悪。
給料安い。仕事もロクな仕事が無い。車が無いと不便極まりない。
早く転勤したいです。

yamairaniranさん 2012/7/18 08:29:22

・山梨県をどう思うか → 今まで住んだ中で最悪(甲府よりも県内の田舎に行くほどひどいと感じる)

・県民性→
排他的
県内と県外に分けたがる
盆地だからか古めかし~い地区の冠婚葬祭を今だ続けている
会社まで休まされる
自慢話が好き
妬み僻みがすさまじい
ケチが多い


・給料→
安い
大企業は他県へと移転したり、そもそも大企業があっても工場であり、数も限られている

・仕事→
土木建築関連が県の予算も多く公共工事が県の主な産業なのだろうか?
販売系も愛想が悪い
デパートの店員にタメ口で話された経験有
・・・デパートもメジャーなデパートなし


・不便→
そのとおり
バス高いし本数ない
車がないと不便極まりない
運転も運転マナーも良くない
選択肢がすべてにおいて少なすぎる
全てにおいてレベルがお粗末

siettela_siettelaさん 2012/7/17 02:11:41

他県から山梨に来た者ですが正直な所、一ヶ月で嫌気がさしました(笑)
色んな地方に住みましたが、こんなに嫌だと思ったのは初めてです。

まず、車がないと生活出来ない。バスは料金が高いし、中心街に住んでるわけじゃないので電車も殆ど来ないです。

自然はいっぱいですが、遊ぶ所が殆どなく、場所によってはかなり過疎っていて寂れてる感じです。店も閉まってる方が多かったりします。

人間性ですが、他の所から来た人を快く受け入れず、よそ者と言うくくりでずっと扱います。隣町から移り住んで何十年経っていても、よそ者扱いされてる人もいるぐらいです。

あと、とにかく自慢話が凄いです。永遠に聞かされます。そして他県をけなします。とくに都会の人をけなします。

やたらと『若いってよく言われる。いくつに見える?』と聞くジジババが多かったです(笑)大抵、年齢より上に見えるんですが…。

噂話好きで、よくデカイ声で井戸端会議してます。早朝からです。田舎時間なのか、朝早くに悪びれる事もなく訪ねて来ます。

いい人もいるけど、気が強く、押し付けがましい人が多い気がします。

あと、うちの地域だけなのか、やたらと募金だのイベントだの、お札代だのとお金を集めに来ます。

いい所は自然いっぱいで景色がいい、果物が豊富で野菜も新鮮。ぐらいです。

本当に仕事がないです。給料も安いです。早く引っ越したいです。

japan2012okさん 2012/7/15 12:47:36

山梨県について思うのは・・・住みたくないと言う事です

過去に日本国内、とある島を含め数箇所住みましたが、
ここまで嫌な思いや、不便、理不尽を感じたことは山梨のみです。

旅行で行くぐらいなら良い所かもしれません
しかし、住むと質問者様が書かれている事がピッタリ当てはまる場所だと思います

質問者様が他の都道府県から来られた方ならあまりの田舎に驚かれたことと思います。

わたくしも他の都道府県から来ましたが長年「いつか慣れる」と思ってたのですが
いまだに慣れません。
住みにくい生き辛い場所だと思います

ただの田舎ならのどかで良いのかもしれませんが

山梨県は県民性が都会などでもまれてる人が少なく、田舎の価値観そのまま、自分と山梨中心の価値観を押し付けてきます

さらに他人の家庭やあらゆることにズケズケと平気で口を挟みます

地域には噂大好き田舎人が必ずいて、誇張した噂を流す人がいます

井の中の蛙のような人間がたくさんいます

自分と自分の(東京・埼玉・熊本・大阪・神奈川)から来た友人達の感じる山梨県は
地縁、コネ、都会に対する妬み、やっかみ、嫉妬深さに損得勘定に見栄っ張り

黙ってはいられないのかすぐ大声で口をはさむ、人の話を聞かない頑固さ

山梨に来て良かったことがこれといってないどころか、早く他に引越しをした方がよいという感想です。

仕事もスキルが高い人は少ないです

恐らく元々のスキルが高い人は東京や大阪など大都会に本社のある会社に就職しているでしょう
そして優秀な成績の子供達は山梨以外の大学へと県外に出ているでしょう

ですから山梨にどうしても帰らなければならない理由がある人以外はあまり山梨にすまないのではないでしょうか

山梨から出れないで過ごしている人も多いです

進学しないとか、就職も山梨県民お得意のコネ頼みなど

仕事も大手企業はありませんし、山梨県民が自慢する仕事は「役所」「地元地方銀行」「教師」の3点ぐらいなものです

車がないと身動き取れません
街つくりも下手ですよね、いちいちアクセスが悪すぎ

風景も綺麗というよりは特に冬場は悲しくなりますよ、
枯れた山に木が四方に見えますから廃墟みたいに感じます

仕事で来られた方も都会から来て山梨が嫌で、途中から単身赴任で子供や奥様が戻られるケースもあります

まあ、個人的には住みたくない県です
今後も人口は減るんじゃあないでしょうか?

もともとの山梨県民の中にも都会暮らしを経験した方は、山梨の不便さを嫌ってる人もいますし近所関係の深い深い関わりが苦痛だと言ってる方もいますので

住んでいる人々が悪いのではなく地形的にこのようになってしまったのでしょうね

東京と埼玉、東京と神奈川、大阪と奈良、滋賀と京都、などのように日々、日常的に他の県民と会ったり通勤通学ができる場所であったら、ここまで排他的で狭い視点の県民性にはならなかったかと思われます

早く転勤が決まればいいですね

ryghm962さん 2012/7/14 20:34:19


様々なところで地方生活を送りましたが、一番肌には合わなかったですね。

地方は不便、これは共通の課題(魅力とも捕らえられますが)です。

ただ、とにかくエゴイストが多すぎますよね。
それは人の性格のみならず、街づくりにも垣間見られます。

石和は温泉資源を持ちながら、街並はバラバラ。
どこも「うちさえ売れれば」の雰囲気で、情緒的な「温泉街」としての街並は最悪。

表面・無駄な見栄張りの重なりは県民性を表してますよね…


cat2jpさん 2012/7/13 16:36:29

私も転勤で、甲府に暮らしたことがあります。

正直、田舎コンプレックス丸出しの人たちが多いと思います。
良い思い出の無い街でした。

食べ物もまずいし(私の口には合わなかった)、飲み屋もロクなのないし、
女の子もブス(私好みの女性がいなかった)ばっかりだし。

早くイイところに転勤できるといいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1390577563

hm_luxuryさん 2014/3/16 23:12:46

仕事で山梨県にきてます。かわってる人が多くいる印象です。
悪口ばかり言ってるし(こそこそ)仲いいのかわからない会話している。
横浜出身ですが、このようなこと感じたことないから。同じ境遇の方いますか?

kokutetsuakajiさん 2014/3/17 01:53:05

ああ、それが山梨県民ですよ。
早く出世して山梨から脱出した方がよい。

私は逆に山梨から神奈川へ出た人間ですが、神奈川って、なんとまあ人間の質が素晴らしい県かと思ったけど、その後いろんな土地に住み、いろいろな都道府県の出身者と関わってみると、悪い意味で山梨が特別だということがよくわかりました。

残念なことに今はまた山梨で暮らしていますが、山梨出身でも山梨以外を知ると二度と帰りたくないと感じるのが山梨(県民)です。

育った場所なので、風景や自然は懐かしく感じますが、県民とは関わりたくない、そういう県です。

日本にはこういう地域もあるんだなと、勉強のつもりで頑張ってください。
必ず、山梨を出る日はきますから。

springkp1677さん 2014/3/20 11:06:06


旦那の仕事の都合で東京から山梨にきました。

最初の一年マンションに住み、その後会社近くの一戸建てを購入したのが大間違い。
マンションに居る時は気が付かなかったのですが、めちゃくちゃ住民の性格が悪いですね。

人の悪口言いまくり。常に誰かを仲間外れにしないと気が済まないみたいです。
お年寄りだけならまだしも、若い人も他県出身というだけで敵対視します。

私は東京で生まれ育ち、色々な県民の方との交流がありましたが、山梨県民最悪です。
我が家は旦那の定年をもって山梨とはおさらばする予定です。


pomery_popさん 2014/3/18 22:06:24


自分も仕事で山梨県に来ました。

典型的な山梨県民ですね。
仲良さそうに接しててその人が居なくなった途端に悪口・陰口を言う…。

あと、山梨県外から来た人にはいじめ、嫌がらせ等する山梨県民もいるので気をつけて下さい。
いい人もいるけど、全体的に自己中・傲慢・陰湿・ケチでセコい人が多いと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12122591922


88. 中川隆[5829] koaQ7Jey 2017年1月02日 17:43:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6271]

やくざと入れ墨は一体だ。
これに女性は見ただけで体が硬直してしまうため、容易にレイプされてしまう。
入れ墨はやくざの武器なのだ。


博打・麻薬と強姦売春のやくざビジネス

 やくざの三悪は、警察官であれば、だれでもよく知っている。博打・賭博・ギャンブルである。

 やくざの独占的不法行為・犯罪ビジネスは、麻薬である。
覚せい剤がいまや主流である。性行為のために、これを誰しもが使用しがちだ。
野球選手や芸能人に限らない。

 やくざはすべて覚せい剤の常習者である。
これを使うと、容易に女性をレイプすることが出来る。

彼らは、その場面を撮影して証拠として保管、それをレイプした女性にちらつかせることで、性奴隷にして、売春行為を強要させて、金銭を巻き上げる。恐ろしいダニだ。

 女性最大の敵がやくざなのだ。博打・売春・麻薬という恐ろしい武器で、世の中を荒らしまわっている。


木更津レイプ殺人事件が暴く巧妙なやくざの罠

 やくざが市民に姿を変えて女性を強姦、その後に性奴隷として水商売をさせていた凶悪事件が、木更津レイプ殺人事件である。

 被害者は戦争遺児の栄養士だった。若い年齢ではなかったが、日頃の鍛錬と徹底した健康管理で、同級生と比べると、10才以上も若い美人栄養士だった。

 それに瀟洒な住宅での一人住まいである。そこをやくざに狙われた。それまで、彼女は家に知らない男性を上げることはしなかった。郵便局員か宅急便であることを、あらかじめ確認した上で、玄関を開けるという慎重な対応をしていた。

 こともあろうに、やくざを家に入れることなど万万が一想定さえできなかった。彼女は選挙の際、信仰仲間の上部組織から、ハマコーやハマコーの息子に投票するように言われても、決して投票しなかった。それでいて、なぜやくざを自宅に入れてしまったのか。


信仰・介護福祉施設の罠

 木更津レイプ殺人事件の犯人・浜名は、地元の有力者の調べだと、50代半ばの指を2本も詰めた入れ墨やくざである。

 この性凶悪犯は市民に姿を変えていた。それだけではなかった。新興宗教に入信、その足場を利用して、妻に介護施設・デーサービスKを経営させていた。さらに「本業は大工」という触れ込みだった。戦争遺児の栄養士は、同じ信仰仲間のヘルパー・吉田HUMIEに誘われてKでバイトを始めた。

 戦争未亡人が、夫の形見として残してくれた戦争遺児の馬山朋子(仮名)を、まんまと騙してKに連れ込んだのは、浜名の共犯者・吉田だった。

 実に、巧妙な罠だった。この悲劇的事件は、現在、月刊誌「財界にっぽん」に連載中である。


レイプ写真をばらすという死の脅迫

 やくざの特徴は、血も涙もない点にある。覚せい剤犯罪の裏に必ずやくざがいるが、決まって捜査線上に現れない。「ばらせば殺す」と厳命されているからだ。

 やくざにレイプされた女性は、110番通報ができない。抵抗もできない。性行為の場面の写真をばらすと脅されているからだ。

 木更津レイプ殺人事件の被害者も、最期は「ばらす」という死の脅迫に倒れた。幸い、携帯電話の通話記録が決定的な証拠として存在している。まじめ捜査なら、容易に解明される。


 悪党であるやくざが跋扈する日本では、女性は安心して生きられない。独り身の美人は特にそうである。小銭を持っている女性もやくざに狙われている。

 カジノ解禁になると、やくざの跋扈は一段と激しくなる。背後で、性奴隷にされた女性も暗躍させられよう。覚せい剤・売春もひどくなろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52160688.html


やくざは女の扱いに手慣れている。瞬時に口をテープで封じて、両手足を縛り上げて丸裸にさせてしまう。数分もかからない。
裸体をカメラに収めて、悠々と女の尊厳をいたぶり続ける。そしてさらにカメラ撮影。ビデオだともっと生々しい。

 これで終わらない。オオカミはウサギが生きている限り、決して放すことはしない。「警察に届ければ、この裸体写真を娘婿の新聞社に送りつけるぞ。お前もぶっ殺すぞ」と刺青を見せつけて大声で脅しまくって、瞬く間に性奴隷にしてしまう。

 ごく普通の被害者は恫喝に震え上がり、抵抗力を喪失してレイプ犯に屈してしまうだろう。なぜ警察へ飛び込まなかったのか。木更津レイプ殺人事件の概要である。

やくざは女の扱いに手慣れている。瞬時に口をテープで封じて、両手足を縛り上げて丸裸にさせてしまう。数分もかからない。裸体をカメラに収めて、悠々と女の尊厳をいたぶり続ける。そしてさらにカメラ撮影。ビデオだともっと生々しい。

 これで終わらない。オオカミはウサギが生きている限り、決して放すことはしない。「警察に届ければ、この裸体写真を娘婿の新聞社に送りつけるぞ。お前もぶっ殺すぞ」と刺青を見せつけて大声で脅しまくって、瞬く間に性奴隷にしてしまう。

 ごく普通の被害者は恫喝に震え上がり、抵抗力を喪失してレイプ犯に屈してしまうだろう。なぜ警察へ飛び込まなかったのか。木更津レイプ殺人事件の概要である。

警察に駆け込めるか

 こうしたやくざレイプ犯にあなたは、どう対抗できるか。この事件の被害者はレイプ犯に服従したものの、神仏の祈りで絶縁しようとしたが、遂には命を奪われてしまった。

 警察に駆け込むしかない。いまの警察は暴力団に対して強い権限を有している。このことを世の女性は理解すべきだろう。

 屈することは、やくざの性の奴隷として「生きる屍」となる。地獄である。地獄に落ちるよりも、警察に届け出てレイプ犯・性奴隷犯に厳罰を加え、2度と立ち上がれないようにすべきだ。これが女性の自立を意味する。

 レイプ犯の油断を利用して、犯人を殺害しても正当防衛である。イラン女性の例である。

 被害者は親しい友人や子供たちにも、凶悪事件を隠し続けた。全ての人たちに裏切っていることになるのだが、もはや生きる屍にそうした判断能力はない。

 墓場に持っていく。これほどの精神的苦痛はない。愛する人がいれば、それこそ地獄そのものであろう。いずれ精神を病む。この間もレイプ犯との関係は切れない。死ぬまで続くのである。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52087519.html

2014年11月27日
木更津レイプ殺人事件の真相

「ハ00はやくざ」と言い残して逝った中年美人

 木更津レイプ殺人事件の契機となった被害者最期の一言、それは「ハ00は やくざ」というものだった。ということは、男の正体を8ヶ月にわたって見せ付けられていたことになる。刺青や指つめのやくざに脅しまくられていた何よりの証拠・証言であろう。

性奴隷にされていた中年美人だった。信頼する友人への、この一言が事件発覚の契機となった。


やくざを友人に押し付けてきた被害者
 彼女はやくざレイプ犯をなぜ、大事な友人に対して「ハ00はいい大工。うちでも8ヶ月前に頼んでいる。安くしてくれた。この大工を使ってほしい」と売り込んできたものか。

 おわかりだろう。これも性奴隷にされていた決定的証拠である。
一人住まいの中年美人は「やくざの女」を強要させられていたことになる。
大動脈溜破裂で即死状態(4月26日)の直前、4月20日の夜、友人は彼女の要望に沿って、やくざとは知らずに自宅補修工事現場を案内していたことも発覚した。

絶縁願いに対して脅迫を受けていた!
 繰り返し、このことを紹介する理由は、彼女の遺言のような一言も、その友人に打ち明けていたこともわかったからである。
 筆者は、さっそくやくざが運営する千葉県認可の介護施設周辺の住人に協力を求めた。ハ00の正体を確かめてみた。空き家を利用した施設の規模はまだ小さいが、木更津市の福祉施設案内にも載っていた。

 そうしてみると、千葉県をどう懐柔したものか。木更津市をどう欺いたのか。ここも重大な事件性を帯びている。地元の親切な住民が徹底的に調べてくれた。結果は、被害者の証言どおりだった。かくして取材を本格化させたものだ。

 レイプ犯は、そのさい怒声だけでなく、相手に恐ろしい体を見せ付けて、かよわい女性の抵抗を奪う。女性の尊厳と誇りを奪う。
つめた2本の指、そして刺青に多くの女性は抵抗力を失うものだから。
被害者はそれに恐れおののいて、性の奴隷に甘んじるしかなかったのであろう。
それが最期の一言だったのである。
逃げようとすれば、警察に届けようとすれば、次々と脅迫して、それらを封じこめてきたのであろう。凶悪犯罪そのものであろう。


上総記念病院に健康カルテ
 彼女、中年美人は敬虔な信仰者だ。花好きで有名である。近くの元教師は「彼女は薔薇が大好きで、庭にはいつもきれいな花を咲かせていた。私は彼女の母親の代からの付き合いですから。母親も花が大好きでした」と語っている。
 花好きに悪い人間は少ない。心が美しい。
 「彼女は健康管理にも徹していました。栄養士でしたから当然かもしれませんが、毎日散歩していました。半年ほど前までは早朝ヨガをしていました。週1回の公民館体操にも一緒に出ていましたよ。ですから急死をまだ信じられないくらいです」とも証言している。
 彼女の見事な健康管理を伝える話も入ってきた。「数年前、それまで定期に健康診断していたK医院が廃業した。そばに別の病院があるのに、わざわざ車で30分もかかる上総記念病院に行って、定期的に診てもらっていました。大動脈が破裂?信じられません」と指摘する友人もいる。

 要するに、ものすごいストレスを抱えない限り、彼女にとって無縁の病だったのである。それも、この取材を始めたきっかけとなった。

 ストレスの元凶は何か。彼女が遺言のように遺した一言「ハ00はやくざ」だった。8ヶ月にわたって「やくざの女」を強要された挙句に、殺されてしまったものと断定可能なのである。木更津レイプ殺人事件と決め付ける理由である。

 無念であろう。本当に無念だったであろう。その真実のほとんどを墓場に持って逝ってしまったのだから。「まるで人形のように綺麗だった。成仏していた」とうそぶく学会員もいるが、とんでもないことである。彼女は地獄から怨霊となって犯人を追いかけている。

レイプ犯にかしずかされていた一人住まいの中年美人
 駆け出しの社会部記者のころを思い出す。警察署内を行きかう美女たちである。「何者か、と刑事に尋ねると、やくざの女」という返事がかえってきた。やくざ女は押しなべて美人という。

 瀟洒な家に住む、いかにも金持ち風の中年美人が、経営する介護施設に来てくれた。一人住まいであることも、メギツネが教えてくれた。面接の際に家族構成を調べ上げていた。

 オオカミの口から、おいしい餌を見つけたときに出る唾液がいっぱい出てきたろう。「親切な、いい大工」を信じてしまった彼女の運命は、こうして死への道へとまっしぐら突進してしまったのだ。こんな不幸な人生も珍しい。

シロアリ駆除業者選定にも慎重
 取材で判明したことは、彼女の業者選定は安直なものではなく、すこぶる慎重を期していた。
 数年前にシロアリの駆除をしていた。安い業者をネットで探したりも出来る。彼女はパソコンも使える田舎では珍しい有能な美人女性だったが、業者選定はきわめて慎重だった。なぜなら自宅の床下で作業が行われるため、業者を自宅に入れなければ作業は進まない。
 彼女は住宅建築をしてくれた、このあたりでは大手の業者の紹介でシロアリ業者を選んでいた。女一人の世帯では、相当な慎重さが求められるのだが、彼女はその点で優等生だった。それでいて玄関の補修工事をやくざに頼んでしまったのである。悲運というべきか。

学会人脈に油断
 前にも指摘したが、彼女の学会に対する思いは、第3者には信じられないほど強かった。池田信者を信頼しきっていたのである。
 現在の自分を、信仰のお陰と思い込んでいた。人間革命を信じきっていた。ここにこそ彼女の落とし穴があった。そこへと直進して行った。
オオカミとメギツネの待つ介護施設である。

 現在、二人とも入院騒ぎを起しているという。地獄からの怨霊に悩まされているのだろうか。後者は交通事故だったという。事件発覚におびえているのだろうか。必死でアリバイ工作をして、学会員に吹聴しているらしい。
「ハ00さんはいい人。やくざではない。2本の指は若いころノコギリで落としたもの。大工仕事には娘も連れて行った。00さんとハ00さんの間に男女関係は無かった」などである。見ていたような大嘘をついている。お笑いである。
 オオカミとメギツネのアリバイ工作に引っかかるような千葉県警ではないだろうに。

株式会社経営やくざ
 ネットで問題の介護施設を調べてみると、施設経営は株式会社となっている。
ということは、事業は介護施設1つではない。水商売にも手を出している可能性がつよい。
 性の奴隷にした美人らを、そこで働かせている?という疑いも出てきた。事件後に被害者は、それまで考えられなかった高級パックを購入した事実もわかっている。
 毎夜、車で出かける姿を隣家の夫妻が確認している。彼女のオイル交換記録からも裏付けられる。オイル交換業者は「ここはやくざが多い。注意しないと踏み倒される。何度経験したことか」と語っている。

 こうした市民の声を千葉県警は、深刻に受け止める必要があろう。やくざ関連の事故・事件に対しては、福岡県警を見習ってはどうだろうか。やくざといっただけで、首をすくめてしまう木更津市民を、そろそろ自由に解放する時期ではないだろうか。責任があろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52088099.html


2015年07月01日
木更津レイプ殺人だけではない
やくざ凶悪犯罪はごろごろ
 木更津レイプ殺人事件への関心が高まっている。本ブログ人気の上位に入っている。
やくざが宗教と福祉施設に関与、そこに戦争遺児・栄養士も吸い取られ、性凶悪犯罪は起きた。デーサービスを認可した千葉県福祉行政が、厳しく問われている。宗教界の自浄能力も、である。

人間が一人命を奪われているのである。千葉県警の捜査が注目を集めている。
先日、中学校の同級生と雑談していると、やくざ関連の話題が次々と飛び出してきた。木更津レイプ殺人事件だけではない。木更津には、やくざ事件はごろごろ転がっていることに仰天させられてしまった。


ばくちに誘われて
 木更津は、特別やくざが跋扈する風土かもしれない。ここからやくざが国会議員になった。いま息子が地盤を継承している。やくざにひれ伏す風土は、今も変わっていない。千葉県警の恥であろう。
 ここに登場する事件は、木更津の自衛隊基地の近くである。繁盛するソバ店で事件は起きた。主人の腕も良かったのかもしれない。パートナーは多分美人だったかもしれない。
 その店をやくざが目をつけた。ヤクザの客が増えた。店は繁盛して懐具合もよくなった。店主は近くにたくさんの田畑を所有していた。気がついてみると、店主はやくざに誘われてばくちを始めた。

 鴨とは知らずに「大もうけ」に店主は有頂天になってしまった。どっこい、これが大きな落とし穴だった。店主は田畑と店を乗っ取られてしまい、脅されて夜逃げしてしまった。殺害されたかもしれない。誰もわからない。

田畑を奪われて夜逃げしたソバ店主
 この種の話は漁師町でよく聞いたものである。やくざは資金稼ぎを目的にしている吸血鬼である。狙う相手は資産のある庶民である。店主の田畑に的を絞っての策略である。これにはまってしまった。

 金がなくなると、やくざは金貸しもする。これに手を出したら最後である。借金は天井知らずだ。夜逃げするしかなかった。あるいは麻薬の手伝いをさせられているかもしれない。

妻も寝取られ性奴隷!
 美人妻もやくざは見逃さない。あっけなく寝取られてしまったようだ。
いまもソバ店は存在しているという。しかし、実態は以前と異なっている。
経営者はやくざなのだ。美人妻は性奴隷のように酷使させられているという。
木更津レイプ殺人事件のような事例である。同事件の戦争遺児は、やくざから逃げ出そうとして脅迫殺人にされてしまった。

ソバ店の美人妻は、生涯の性奴隷を受け入れることで、生きているのであろうか。なんと恐ろしい木更津であろうか。木更津警察の奮起が待たれる。

 女性もそうだが、男も自立しなければならない。110番するしか生きられないやくざ社会なのだ。やくざは血も涙もない人間の屑である。昔は侠客がいた。庶民をいたぶる悪逆非道なやくざを退治したものである。いまは警察である。千葉県警は福岡県警を見習う必要があろう。同時に市民も勇気を出して、決起することなのだ。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52109037.html


2014年11月02日
木更津レイプ殺人事件の教訓

学会員Y子を信用したT子
 古来、石橋をたたいて渡れ、との教訓を生かせなかったT子の悲劇・不運を嘆かずにはいられない。T子は学会員のY子を同士と信じて、介護施設のバイトを始めた。

やくざレイプ犯との出会い
 そこがやくざレイプ犯Hが妻に営業させていた施設ということなど露知らずに飛び込んだことが、彼女の命を奪い去るのだが、それにしても気丈な一人住まいの年齢より10歳も若い小柄な美人にオオカミが見逃すはずがなかった。

 運命のいたずらなのか、悲劇が待ち構える穴に「適当ないいバイト先」と信じて、全く疑ろうとはしなかった。ここでのバイトについて彼女は「Y子に紹介されて始めた」と友人や学会関係者に打ち明けていた。

親切な大工を信用したT子
 清潔で完璧な性格であることから、玄関の小さな故障が気になっていた。普段であれば、近くの親類であるIさんに頼んでいた。ところが、彼は体調を崩して入院中だった。退院したのはやはり8ヵ月後の2014年4月6日のことだった。
 一人住まいの年金生活となると、節約はいつものことである。そんな場面において「施設経営者の主人」「親切な大工」という宣伝にT子は見事にはまってしまった。

女の尊厳を奪われて屈したT子
 一人住まいのT子が、あろうことかオオカミを自宅に入れてしまったのだ。以来、彼女の生活は一変する。何度か具体例を紹介したのだが、いえることは、女の尊厳を根こそぎ奪いつくすやくざレイプ犯に、多くの日本人女性は声を上げることがない。
 これは悲劇である。状況証拠から容易に推測できる。断定すべきだろう。親しい友人と接触することがなくなってしまったこと、それでも深夜車を走らせるT子だった。

警察に訴えなかったT子
 徹底的に押さえ込み、抵抗を許さない手口をやくざは心得ている。素人の、自尊心の高い女性ほど、このワナにはまりやすい。やくざレイプ犯にとって、T子は格好の餌食だった。
 いま思うとき、なぜ警察に訴えなかったのか、という懸念がわくのだが、これは第3者の勝手な思い込みである。やくざレイプ犯は、そこをすり抜けて重罪を敢行してしまう。
 警察に届けられないワナを次々と仕掛けて、見えない檻に入れてしまう。被害者を丸裸にして絞り上げるのだ。女の弱点を全て掌握して、それらを脅しに活用する。「抵抗すれば、すべてばらすぞ」「お前の大事な娘や娘婿をいたぶってやる。それでも警察に訴えるか」などと恐怖のドーカツ的言動で押さえつけるのだ。
 これに反発できる女性・母親がいるだろうか。母親は娘・息子のために生きてきたようなものだ。立派な娘婿を傷つけるようなことが出来るわけがない。T子はこうした判断に追い込まれてしまった。まず間違いない。

性奴隷8ヶ月の不運
 現代の性の奴隷がどういうものか、被害者が決して口に出来ない、非道徳きわまる犯罪である。捜査の苦しい点でもある。
 まして被害者はレイプ犯の脅し・脅迫・恐喝まがいの、獰猛な牙にかかって、想像を絶するストレスの高まりによって、大動脈溜破裂で殺されてしまっている。たとえ生きていても、当人が決して口外できない仕打ちを受けている。
 8ヶ月の性の奴隷がどんなものだったのか。徹底捜査で明かすしかない。そうして、これを女性保護の教訓とすべきだろう。

ハ00レイプ犯絶縁に一人決起
 2014年を迎えたT子は、一人決断をしたことが、友人との会話によって判明している。「新たな人生を踏み出す大事な年」だったからである。亡くなる10日ほど前に、本当に親しい友人二人に明かしていた。
 レイプ犯に絶縁状をたたきつけることだった。それを彼女一人で、さらに言うと、信仰・祈りにかけた。4・11大聖堂参拝である。この参拝の意味するところを、学会員であれば理解できるだろう。
 「本尊に祈ることで解決する」との意思表明である。神仏に祈ることで難問解決という信仰の持ち主だった。

秘事公開できなかったT子
 警察に届け出るという発想は、8ヶ月経ってもなかった。これも悲劇・地獄を約束させるものだった。
 やくざはアウトロー人間である。法律の世界で初めて裁きを受けさせることが出来る。「そんなことをしても無駄だ。お前も殺してやる」という脅しに屈してしまう日本の母親ばかりである。
 そもそも男たちでさえも、やくざ犯罪を目にしていても、それを警察に届ける勇気などない。逃げる卑怯者ばかりなのだ。
 被害者本人が犯罪事実を隠す、周囲の者も「おかしい」と察知しても、それを表ざたにはしない。せっかくの暴力団対策法も生かされないのだ。

鈍感な友人
 それはこの事件の真相を暴いているT子の友人も「おかしい」で済ましてきた。冷静になって、手帳のメモを確認するまでは、事件に全く気づかなかった。

 なぜT子が「あなたの家の補修工事をHにやらせて」と強く求めてきたのか。当時は不思議に思わなかった。「うちでもやってもらったいい大工」という説明に疑問など持たなかったという。
 彼は見積もりを取るために自宅に現れたHとT子が、目の前で抱き合う姿を呆然と見つめるだけだった。二人の秘事に対して多くの疑問を持たなかった。二人が数回携帯電話で時間調整するという密接な関係にも、少しだけ懸念を抱いたものの、それを暴こうという勇気がなかった。

 この場面で二人の関係を自白させていれば、T子の死は免れたであろう。倒れる2日前に言い放った一言(ハ00はやくざ)というT子最期の叫びにも、半年を経てようやく気づいたほどだ。
 「自らの鈍感さにあきれた」と嘆く始末だ。ハ00最後のドーカツ内容はなんだったのか。彼女のストレスを急速に高めさせた元凶はなんだったのか。それはいまT子の友人が知っている。

 木更津やくざレイプ犯の完全犯罪は成立しない。させない。国政・外交も重要だが、人間の命の問題は、それ以上に重い。警察と多くの人々の覚醒を求めたい。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52085267.html


麻薬大国とやくざ大国の日本

 日本人は、日本が麻薬大国・組織暴力団・やくざ大国であることを認識しているのであろうか。知っていても口に出さないだけなのか。

筆者は、やくざによる「2014・4・28木更津レイプ殺人事件」追及から、巨人軍の清原事件に関心を持つ時点で、初めて日本の恐ろしい凶悪文化を放任する日本を発見した。

日本の女性は、差別されているだけではなく、安全ではない。振り返ると、明治このかた女性解放が叫ばれた来た。今も女性運動は存在するが、それは形だけである。

女性の敵であるやくざを放任して、大量の麻薬を密輸している大国である。
これで日本の将来に希望を持てるだろうか?

アヘン戦争時の清国ではないのか。これを議会も言論界も、肝心の女性運動家も問題にしようとはしない!
驚くべき原始の国であろう。強く警鐘を鳴らしたい。特に言論界がこれを隠ぺいしていることに、怒りを覚える!


売春天国・歓楽街を仕切るやくざ組織

 日本は売春天国である。古くは「唐行きさん」がいたという。多くの日本人女性が、奴隷船で海外に運ばれた。悲劇の極みである。戦前の女性は、権力や資産のある者の慰みの対象で、人格さえなかった。人間扱いされなかった。戦前の天皇制国家主義の社会では、選挙権さえなかった。

 戦後の民主主義の下でも、女性は「貢もの」にされてきた。敗戦時の占領軍の東京裁判では、昭和天皇が罪を軽くするために、キーナンという検事に女性を提供したという秘話が、今日、ようやくささやかれ始めた。「女性のサービスで助かった天皇」が神様という信仰者が、今の政権を転がしている?米占領軍は、容易に日本人女性と性行為をすることが出来た。いまでも沖縄の米軍は、その延長線上で行動している。それが許される日米地位協定である。

 沖縄での4・28レイプ殺人事件は、氷山の一角でしかない。

 日本は売春天国である。海外の女性さえもそこに押し込んでいる。やくざは手あたり次第、レイプした女性を歓楽街に送り込んで、麻薬と売春という性ビジネスで荒稼ぎをしている。

 戦後70年経っても一向に変わらない。


覚せい剤取引を仕切るやくざ暴力組織

 やくざの性ビジネスと覚せい剤の関係を筆者は、初めて知ってまだ1年足らずだ。社会部記者のころの多くの事件は交通事故だった。警察のパトカーのすぐ後ろを、社旗を立てた新聞社の車で、猛スピードで追いかけてカメラのシャッターを切った。

 千葉市の栄町が、歓楽街として有名であることは、千葉県人ならだれでも知っている。そこでカラオケをした経験もある。だが、歓楽街のエンジン役が、麻薬・覚せい剤であることなど、だれも教えてくれなかった。事情を知るマル暴担当の刑事も、駆け出しの社会部記者に教えようとしなかった。

 大量に密輸される麻薬取引の拠点の一つが千葉県である。海から、空から密輸される。沖縄は、その点で、より大量の薬物を安全に密輸できる拠点である。これも最近知ったばかりである。

 売春・歓楽街・麻薬の取引と、これを悪用する実態が、やくざ・暴力団組織である。木更津レイプ殺人事件「」は、そうした背景の下で起きた性凶悪事件である。

 目の鋭い、やせ形の大声を張り上げる、55歳前後のやくざハマナが犯人である。覚せい剤反応を見せびらかすような人物であることが、ハマナと接触した人間であればわかる。千葉県警と木更津署がいつまで泳がせるか、が興味の対象となっている。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52141949.html


89. 中川隆[5846] koaQ7Jey 2017年1月03日 09:12:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6288]

若く美しい女性は手に入らない存在ではなく逆に消耗品だ


若く美しい女性は、自分の意志に関係なく世間から注目を浴びる。だから、美しい女性は自分の容姿が金になるというのを若いうちに知る。

そして、自然と自分の持って生まれた美貌を活かせる仕事に就くのを望むようになる。

たとえば、彼女たちの多くはタレントやアイドルやモデルに憧れ、そういった世界を目指そうとする。普通の仕事に就くにしても、受付嬢や接客業など、無意識に美貌を活かせる仕事の方に向かう。

美しい女性は華があり、どこの世界でも好まれる。そして多くの男たちの目を惹きつけ、交際や結婚やセックスを求めて群がっていく。

そのため、美しい女性には主導権があり、選択肢もある。彼女は相手を選ぶ立場になるのだ。

その結果、こうした女性たちと付き合うのは「表社会の男たち」にとっては非常に難関と化す。あまりにもライバルがたくさんいて彼女に振り向いてもらうには多大な努力と誠意が必要になってしまうのだ。

ところが面白いことに、若く美しい女性はアンダーグラウンドの男たちには大した存在ではない。表社会の男たちは惑わされているだけなのだ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20161206T0324130900.html

ヤクザの情婦にされた妻 03/12/06


ヤクザに気に入りられた妻は、平日の昼間は殆ど毎日ヤクザの部屋に呼ばれ、一日中抱かれたり、男が妻を連れて買い物に出かけたりしていたのです。 時には、私達の部屋の夫婦の寝室で妻を抱いていました。端から見ると殆ど、恋人か夫婦のような状態だったのです。


更に、その男の知り合いが経営するグラブで妻は、枕ホステスとして働かせられていました。週に2回程度、クラブのホステスとして働かされ、客に、気に入られ、体を求められた時は断ることは許されず、そのまま枕ホステスとして、ホテルで抱かれる事を、妻を犯した男に強要されて居ました。客にホテルで抱かれていたので妻の外泊が多かったのです。

週に2回程度のクラブ勤めで、三十路ホステスですが、おっとりした性格と豊満な胸で100%絶対にやらせてくれる妻は人気者でした。 ましてや、店の宣伝と売り上げを上げるために、常連客には、初めから只で誰とでもすぐ寝る女、枕ホステスとして宣伝されていたために、妻の出勤日にはあっと言う間に指名客が何人も来たそうです。

店名を変えリニューアルオープンしたので、何人かやらせるホステスが居ると客の間に、やれるホステスが居る店として噂になり、店は賑わうそうです。 クラブへ出勤して、客とセックスをしない日は無かったそうです。 出勤日に指名が数人重なってセックス出来ない場合は、店に出勤しない平日の昼間にホテルで抱かれていました。そのクラブで働いた給料も払われず只働きです。

クラブ勤めをしない日には、時々別の何処かの組の何人ものヤクザ客の接待に使われ、背中に絵の描いてある中年親父ヤクザの性欲処理、肉便器として差し出されてました。ヤクザは、他の地方から来たヤクザを持て成すときは女を宛ったりする事があるそうです。中年ヤクザに気に入られた妻はその後も呼び出され、接待用の玩具にされました。


一番ショックだったのは、ヤクザ達の接待に使われたときにセックスショーをさせられた事です。ヤクザ達の3泊4日ほどの慰安旅行に連れて行かれた妻は、有る旅館を借り切って、少し広い座敷で20人くらいの男達の前でオナニーショーとセックスショーをさせたれたのです。慰安旅行と言うよりは性欲慰安旅行です。

人前でオナニーやセックスするのは嫌だと強く断ったそうですが、断れないように妻にシャブを使ったのです。 その3日間のセックスショーの直前にシャブ入りの酒を飲まされたり、水に溶かしたシャブを彼処に直接入れられたのです。特に、水に溶かしたシャブを彼処に入れられると粘膜がシャブを吸収し直ぐに体と彼処が熱くなりセックスしたくてたまらなくなると言ってました。

体が熱くなると戸を開けてオナニーショーが始まり、最初は指で彼処を開き、見ている人達に中を見せたり指を入れたり、ビール瓶を挿入したり、極太バイブ、ローターなどでオナニーをしたのです。

それが終わると、妻の男が現れてみんなの前でフェラチオしたり、色んな体位で濃厚なセックスをするのです。その時のセックスショーを、ビデオと写真に撮られていたようで、ビデオは、ダビングして裏ビデオとして販売したそうです。

セックスショーが終わると、興奮したヤクザ客同士がくじ引きで順番を決め自分の部屋に連れて行き妻を抱くのです。3日の間に20数人全員とセックスしたそうです。 シャブを使われた妻は10時間も連続で数人の男達とセックスし、男達が疲れて寝ても妻の彼処の疼きが止まず、妻の男にシャブの効き目が切れるまで抱かれたのです。

その男は、グラマーな妻を高給ソープで働かせて金にしようと思っていたようです。人妻ソープ嬢として売り出させるつもりだったようです。
http://moemoe.homeip.net/view.php/214

646 :名無しさん@入浴中[sage]:2009/01/28(水) 23:57:46 ID:efHa7/dLO

接客業としてやる気のない嬢が多いですね。

「金払ってしか女を抱けないような奴にアタシがしてやってるんだよ、ありがたく思え」
という考えの嬢ばかりらしいのです。

そういう嬢の気持ちを入れ換えるにはどうすればいいのでしょうか?


648 :名無しさん@入浴中:2009/01/29(木) 10:48:42 ID:MfeFQP35O
>>646
そんなこと簡単♪ 

シャブ漬けにすればセックスマシーンの出来上がり。超人気間違いない。 
実際にやっている店あるし。


___


3カ月前、女の子の“発狂”を目撃した会社員が語る。

「歌舞伎町のモグリのマッサージ店に行ったら、すごくやつれた女が出てきて無愛想に足踏みマッサージを始めたんです。ところが5分ほどして彼女はベッドから転げ落ち、悲鳴を上げながら自分の顔や腕をかきむしり始めた。

虫が体から這い出してくる幻覚を見ているらしく、激しくかくものだから顔から出血する始末。覚醒剤をやってるなと直感しました」


  騒ぎを聞きつけ飛んできた店長は「このことは内密に」と会社員をにらみつけたという。


マッサージ嬢をホテルに呼んだ自営業者も似たような現場を目撃した。


「性感マッサージが終わったら、女の子が額に脂汗をかいてうずくまった。

彼女はバッグから何かを取り出して20分ぐらいトイレにこもったんです。出てきたときは顔がスッキリ。事情を聞くと“気持ちよくなるクスリを打った”と白状し、自分が覚醒剤中毒だということを話してくれました」

ガリガリにやせて目もうつろな風俗嬢に当たったら、注意されたし。
http://fbdgd.s1.freexy.net/zhongguoqi.html

人間の血管は人それぞれでありまして、腕の血管でも皮膚から盛り上がって浮き出ている突きやすい血管もあれば、血管の場所がまったくわからない人もいます。 腕の血管と同じように女性のクリトリスの皮をヘソの方へ強くひっぱり完全に剥いてしまうと、クリトリスの角のように緑色の血管二本があらわれます、

血管の太さはまちまちなんですが、私の経験データーで言わせてもらうと、クリトリスの大きさに比例することがあるように思われます。 私の妻のクリトリスはかなりビッグでありまして角のようにわりと太いめの血管が二本ハッキリわかります。

非常にデリケートな場所ナノデ(粘膜)毎回そこにシャブを突くのではありませんが、妻がリクエストする時だけ、クリトリスの血管に慎重に注射してあげます、その後、私もベニスの血管にシャブを突きます。

さすがにこの日は非常に勃起しにくいのですが、それでも強烈に敏感でしびれるような快感があります。 妻もクリクンニだけで1〜2分間隔ぐらいでイキまくって呼吸困難な状態になりながらも絶叫しながら3時間はゆうに快感地獄にはまるのです、私たち夫婦のシャブセックスは何年か前に最長時間ラブホでまるまる3日間ぶっとうしで3グラムのシャブを使い切ってはまった経験があります、

そしてその時もクリ突きチン突きシャブでした。 みなさんも妻や彼女のクリトリス血管を一度探してためしてください


12/19 09:38 By:十三のジロー URL
http://ihoudrug.blog98.fc2.com/?mode=m&no=35&m2=res


01: 名前:名無しキメキメ投稿日:2011/07/20(水) 08:37

昔、先輩の借金の取立てについて回った事があって。そんとき、S(シャブって呼んでたけどね)の力をマジマジ見たことある。ある男がSでおかしくなりかけてて、当然、仕事もできないのにS打ってるから、借金あってね。


先輩が、「嫁(とにかく可愛い)にS教えろ、そしたら借金チャラにしてやる。包みやるから」って言って。


「ロ−ションに塗りこめ」 とか 「がーっと打っちまえ」って必死に、ポン中そそのかしてる。

先輩も何だか滑稽に見えて、俺ら後輩も影で笑ってたけれどね。でも、おっかない人だったから、一緒に、その旦那はやし立ててた。

それから、何度か確認して○実がSに慣れてきたの分かってから、金の取立てにいったんだけどね。三人で行って彼女と顔見知りの後輩に玄関空けさして、家に入り込んでね。まず、金返せって、滅茶苦茶言ってね。

先輩はもう、完全に○実目当てなのわかってたから、なんだかえらい、異常なくらいきつい取立てでね。彼女が


「子どもも寝てますから」


って土下座しながら謝った瞬間、とびかかったもんだから、俺らも慌てて、女押さえ込んでS打ったよ。

その後は悲惨だった。先輩が何度か追い打ちして、起きてきた子どもの前でもよがらせるし、その時は調子に乗って俺らも遊んでたけど、後から、罪悪感覚えた。先輩が捕まって、俺も今じゃ平凡な仕事してる。


最初は、なんだかグタってした感じであんまり反応なかった。しつこく、持って来たロ−タ−とか長時間で遊んでたら、少しだけ「女の反応」がでてね。それまで、うつ伏せだった女が、急に横向きになって、片足だけピンっとはって・・・

でも、顔は見せないようにしてるし、

「子どもがぁ」

とかまだ言ってるしね。 「こいつ、イッたよ」とか言い合いながらも。無理やりだとこんなもんかなってかんじで、俺も落ち着いてた。。


でも、さらに攻めるとだんだん。汗ばんで、濡れてくし、反応が出てきたから、しつこく攻めてた。でも、その後も、想像してた激しい反応はなかったけど、抵抗もなくなってきて、ロ−タ−でクリいじりながら、バイブ入れてかき回してると二度目は

「はぁぁ」

って小さく声出して、片足をまたピンと突っ張らした。


俺らも遊んだけど、自分ではSしてないからそんなに長時間できない。そこで、後輩が○実にS追い打ちしてね。また、道具で遊ぼうッて事になっったんだけど、そっからは、もう、地獄。


何でも、言う事聞いた。

自分のアソコの液を舐めさせて

「おいしい」、

「私の○○○汁って美味しくて、もっと舐めたい」

とか言わせてげらげら笑ってた。


冷蔵庫のものとか、引っ張り出してビ−ル飲んで、その空き瓶突っ込んだりしてた。バイブもかなりでかい奴、突っ込ましてオナニーさせて、


「私は犯されて精子まみれでオナニ−するのが最高です」


とか先輩が言わせて(実際には途切れ途切れで何言ってるか良くわかんなかった)、とにかく先輩の攻めは異常なぐらいしつこく絡んでた。

そうしたら、子どもが起きてきて、こっち部屋のドアあけた。最初は、三人とも顔面蒼白になるくらいあせったら、子どもでね。そんな、姿見たら子どもはびっくりして目を丸くしてた。それで、○実はどうするのか、注目してたら、自分の子ども見てもオナニ−してる。

でも、それも、少しの間で、おそるおそるバイブつかって動かしてた手を休めてね。でも、バイブを引っこ抜くわけでもなくて、それを突っ込んだままバイブつかんでた手をへその下あたりに持っていって、猛烈な勢いでへその下さすりながら、もう片方の手で寝室を指して、


「早く部屋に帰って。」

「早く寝な」

「明日、起きれない」


とか苦しそうに言ってる。そういいながらも、片手はへその下や内股をゴシゴシさすってて苦しそうにしてた。バイブは突っ込んだまま・・・。

「ああ、親としての気持ちと、快感と戦ってるんだ」

とか思ったけどね。子どもがその姿見て「セ−ロガン」「セ−ロガン」とか言い出した。母親が腹痛で苦しんでると思ったんだろうね、その後は、ビービー泣き出してたけどね。


そこで、後輩が後ろから、胸をぎゅうっと揉みだしたら、○実は大きくのけぞった。抵抗したのか、感じたのかは分からない。それで、先輩がバイブをつかんでかき回したら

「はぉぉぉお、ああああ」

ってあっという間に子どもの目の前でイってしまってた。その後、俺が子どもを部屋に帰して(閉じ込めて?)、三度目のお注射。また、訳わかんないこと言わせたりして遊んでね。そのあと、先輩が


「お母さんは、お○こ大好き」


とか言わせるように命令しだして、それを命令どおりに言う事を確認したら、俺に「子ども呼んでこい」って。

俺は気が進まなかったけど、結局、連れてきた。そうしたら、子どもに無理やりバイブのスイッチ押させて


「○○(子どもの名)ありがとう、ありがとう」

「お母さん、気持ちいい〜」


とか、怯えてる子どもに向かって言わせてた。もう、ひどかった。

最初に、怯えてる子どもを抱きしめさせて、落ち着かせて○実の目の前に猫の顔かたどった背もたれの子供用の椅子置いて子どもを座らせた。それから、子どもの目の前で、○実にバイブオナニ−させてね。


その時、口がわずかに動いてる。「やめて」って言ってる気もしたけど、二人は気にも止めてなかった。その後を考えると、違ったかもしれないけど・・・。


先輩が、○実の後ろに陣取って、胸をこねくりまわしながら、ささやくのね。そうすると、ささやいた言葉を○実が復唱する。あんな可愛い顔が、もう、完全にゆがんでたね。胸も変形するくらいもまれてたけど、


「気持ちいい〜」

「ちんちん欲しい」

「お母さん大丈夫だからね〜」


とか何度も言わせてた。時折、先輩と後輩が胸揉みながら、バイブでイカせて。その後、○実の両手にバイブもたせて、右手のバイブ舐めさせては、左手のバイブを突っ込ませて、今度は、左手のバイブのブルわして突っ込ませては、右手のバイブ舐めさせて

「お○こ汁って美味しい」


って子どもの目の前で、何度も言わせてる。


後輩のほうが事細かに、母親の「女の反応」を説明してたよ。○実は最初は、添えた手を離すと、そのまま、オナニーに夢中になっちゃってるだけなんだけどね。バイブを抜かせようとすると、頑張ってバイブを入れたままにしようとする○実が哀れに見えて、切なかったよ。


でも、20回くらい、しつこく、しつこく、後ろから手を添えて、交互に繰り返し入れて、舐めて


「お○こ汁美味しい」、

入れて、舐めて

「お○こ汁美味しい」


ってやらしてると、その内、自分から両手のバイブを何度も

「美味しい」

って言いながら、交互に舐めたり突っ込んだりの繰り返しをしてた。○実は一度、何かし始めると、しつこく同じとを延々繰り返し、繰り返しやってた。


それから、先輩がちんぽしゃぶらせて、顔面にひっかけて、それも、もちろん舐めさせる。時折、子どもを抱きしめさせてはやってた。アナルに細い制汗スプレーいれて、お○こにバイブ入れて、四つんばいで部屋中、歩かせたり。

絨毯は、愛液と血も少し混じってるしね。きつめの匂いもなんだかしてた。

その後、先輩が、泣きじゃくる子どものパンツ下ろして、親の愛情見せろって


・・・・他にもね・・・・。
http://hkwr.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=kusuri&tn=0064&rs=01&re=01&rf=no&al=on



90. 中川隆[5955] koaQ7Jey 2017年1月09日 09:53:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6398]

奇習! 身よりなき少女を犯す鬼畜男たち ― “もらい子レイプ”の悲しき実態
http://tocana.jp/2017/01/post_11439_entry.html


【日本奇習紀行シリーズ】 高知県某所

 1982年に公開された五社英雄監督の映画『鬼龍院花子の生涯』では、侠客一門を従える政五郎(仲代達矢)のもとに、ヒロイン・松子(夏目雅子/仙道敦子)が引き取られたことで、あまりに数奇な人生を送っていくさまが描かれているが、この映画の中では、美しい大人の女性へと成長した松子が、養父である政五郎に無理やり犯されるという衝撃的なシーンが登場する。しかし、かつての日本においては、この「養父に養女が犯される」という信じがたい現象が、さも当たり前のこととして行われている時代があった。


「そうだねえ…いろんな子たちがいたけれども、誰一人として、しあわせな人生を送れた子はいなかったんじゃないかねえ」


かつて自らが幼少期を過ごした地域で行われていたという「もらい子犯し」の蛮行について証言してくれたのは、くしくも、前出の映画『鬼龍院花子の生涯』の舞台にもなった高知県某所で今なお暮らしているという吉良満男さん(仮名・80)。吉良さんの話によると、彼がまだ子供だった終戦後間もない動乱期の高知の一部地域では、女衒のような人買い稼業の手合いによって全国各地から集められた身寄りのない少女たちが、毎日のようにセリへとかけられ、多くのやくざ者や色事を生業とする男たちに引き取られていったという。


「もともとセリに参加するのはヤクザ者ばかりでね。そうなると、そのセリにかけられた時点で、その子らは十中八九、地獄行きなわけよ。でもそれがたとえわかってたとしたって、そもそもが身寄りのないような子ばかりだからね、戻る場所なんかなかったんだよ」


 その全盛期には、週に1、2回ものペースで「セリ」が行われ、毎回毎回、少なくとも十人近くの少女たちに値段がつけられていったのだという。しかし、当時、「養父」として彼女たちを引き取る男たちの多くは、正妻、妾に次ぐ「将来の愛人」にすることを目的としたり、成長するまで待たずにそのまま“即戦力”として、彼女たちを「未成熟な性奴隷」とすることを目的として、彼女たちを入札していったのだ。そのため、彼女たちに待ち受けていたのは、あまりに過酷な毎日だった。

「まあ、拾ってくれた男のなぐさみものに、いつかなってしまうというのは当たり前としてもね、食事だってろくに食わせてもらえないしね、病気になったって薬ひとつもらえやしないとか、そんな毎日だよ。風呂だって、そういう相手をさせられる夜だけ入れさせてもらえるっていうさ…酷い世界だよねえ…」


 性奴隷として毎晩毎晩奉仕することを求められ、学校へ行くことも許されず、たとえ病気になったとしても、「土間に転がされるのがせいぜい」(吉良さん)だったという少女たち。そうした日常ゆえに無事に成年を迎える子は少なく、その大半が十七、八の頃には亡くなってしまっていたのだという。


「当時ね、自分と同じような年頃の子を何人も見たけど、何年かするといつの間にか消えてる。そういうのを繰り返していた記憶があるねえ。女の子が姿を消すと、逆に墓石が増えるっていうさ…今思い出しても、本当に胸が苦しくなるよ」


 吉良さんの話によると、今でも高知県の某所には、彼女たちのように「大人になることなく死亡した少女たち」の墓ばかりが、やたらと不自然な形で密集している地域があるという。貧困や孤独からの救いを求めてもらわれ、その泡沫の夢すら手にすることなく死んでいった彼女たち。その胸中を思うと、誰しもあまりにやりきれないものを感ぜずにはいられないところだ。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/01/post_11439_entry.html


91. 中川隆[5958] koaQ7Jey 2017年1月09日 10:14:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6401]

【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方


奇習! 少女は実父の子を孕み、母親は息子の筆おろし ― 近畿地方に実在した「近親相姦村」の実態
http://tocana.jp/2016/11/post_11425_entry.html

 これまでも日本各地に伝わる“性の禁忌”についてしばしばご紹介してきたが、今回取り上げるのは、男女ともにただひたすらに「親子セックス」とでもいうべき行為を続けてきたという“近親相姦村”の話である。無論、その性質上、今回我々の取材に応じてくれたその村の出身者・佐藤直道さん(仮名・73)からは、記事として取り上げる内容について「ある程度ぼかすように」と再三釘を刺されているが、今の時点で明かせるのは、それが「近畿地方にある集落」であるという点と、彼が知る限り「昭和50年代半ばまでは続いていた」という点だ。

「本当に隠してくださいね、そうしないと、私がどうなるかわかったもんじゃありませんから。なにせ、実の親子が交わるんです。交わって子どもも生まれる。生まれた子どもも交わる。そういう村の話ですから」

 佐藤さんが育ったその“近親相姦村”では、兄弟姉妹との関係は厳に禁じられていながらも、それとは逆に母子父子間のセックスは強要されるという、なんとも奇妙な習慣が存在していたのだという。佐藤さんの場合は、生まれて間もなく、この地域に住む親戚一家の元へと引っ越してきたため「範囲」に含まれていなかったというが、その親戚宅の場合は、親子間でのセックスが常態化していたという。

「ええ、だからその家でも、一家の大黒柱は娘たちと毎晩かわるがわるですよ。息子にしたってそう。実の母親の乳房を二十歳を超えたって吸い続けているんですから……。もらい子の私は蚊帳の外でしたけども、なぜそうした行為を自然に彼らが受け入れていたのか、今でも不思議に思います」

当然、そうした行為が「当たり前のこと」であり、むしろ「守るべきもの」として定着している以上、少女たちは実の父親相手に破瓜(はか)を経験し、少年たちは生みの親である母親相手に筆おろしを済ませるのが原則であった。そして、長じてもその行為自体は続き、実の親が死ぬまで、その忌まわしき性行為は続けられるのだという。そのため、この村においては、実の母親が息子の種を宿して出産し、父親は愛娘を孕ませるという事態が頻発し、それこそ「通常の家計図ではありえないような状態」(佐藤さん)となっていたのだという。

「私は就職と同時に村を離れて、その養父母一家とも徐々に疎遠になっていったのですが、その後、風の噂で何人もの子宝に恵まれたという話は聞いています。でも、それが一体誰を父親とする子なのか、誰が母親として生んだ子なのかということまではわかりませんね……」

 それが小さな村の中だけで起きていることであるとはいえ、組織的に近親相姦が行われていたのであれば、その歴史に鑑みると、遺伝子異常などの問題が頻発していると見るべきだ。その由来や定着過程も、一切が不明だという“近親相姦村”の奇習――。彼らの末裔たちが現在この日本でどのように暮らしているのか、いささか気になるところだ。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/11/post_11425_entry.html


92. 中川隆[5959] koaQ7Jey 2017年1月09日 10:18:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6402]

【日本奇習紀行シリーズ】 神奈川県東部

奇習! 醜きは「なかったこと」に… 赤子の“間引き”で保たれた「美男美女村」のおぞましき真実=神奈川県

1980年代から2000年代前半にかけての美容整形ブームの際、男女の容姿に関係するコンプレックスに乗じて高額な整形を勧めるコンプレックス商法が台頭し、その容姿に悩む人々を絶えず翻弄してきたが、それよりも遥か昔の明治末期には、そうしたコンプレックスの元ですらも「なかったこと」にしてしまうという、なんとも恐ろしい習慣が存在していたという。


「まあ、平たく言えば、なかったことにするっていうことです。あの地域には容姿の醜い人間はいてはいけなかった。だからなかったことにするっていう。そういう習慣です」


 自らが生まれ育ったという神奈川県東部の、とある地域に存在していたという“容姿に関する奇習”についてそう語りはじめたのは、現在、埼玉県の親戚筋に身を寄せているという中本義実さん(仮名・81)。中本さんの話によると、その地域では美形の男女しかおらず、近隣でも評判の地域となっていたという。


「美男美女しかね、いない地域ですからね、そりゃあもう近隣でも評判でしたよ。男たちは“美女村”だなんていうし、女たちは“美男子村”なんて勝手な呼び名で持てはやして憧れたりしてね。けど、自然にそうなったならばまだしも、わざわざそうしたんだから、そのカラクリさえ知ってしまえば、別に驚くほどのことじゃないんですよ、そもそも」


 しかし、この地域においてそうした不可解なバランスで“美男美女集落”という状況が保たれていた背景には、明治末期まで行われていたという、この地域特有の習慣が大きく影響しているのだという。


「まずね、もともと美男美女が夫婦になっているわけだから、子どももそう極端に器量の悪い子なんて生まれてきやしないわけです。でも、たまたま生まれる場合だってある。そうするとね、みんなであれやこれやと意見を出し合って、その子を育てるかどうかを決めるっていう。要は赤ん坊の品評会みたいなもんですわね」

中本さんの話によると、その始まりは定かではないものの、この地域では赤ん坊が生まれると、その集落に住む人々が集まり、そこで赤ん坊の「品評会」じみた行為が行われていたという。その結果、美形な成人になると判定されればそのまま親元で育つこととなるが、そうでない場合は、ひっそりと“間引き”されることとなっていたのだという。


「赤ん坊の顔なんてしょっちゅう変わるものだから、そりゃあ判断は慎重にしますよ。けどやっぱり今ひとつな子は間引かれちゃう。だけども親にしたらかわいいわけです。つらい状況ですわね。でもしょうがないんです、それが古くからの習わしですから」


 とはいえ、こうした醜男醜女候補とされる赤子であったとしても、やはりその親からすれば可愛いもの。しかし、この集落で暮らし続けるためには一緒に暮らせないという事情から、近隣の人々に対しては「間引き」したことにしながらも、その実、遠い親戚などへ里子に出したケースも存在していたそうだ。


「すべての醜い赤ん坊が殺されたわけじゃなくて、そうやってよそへとこっそり里子に出されたりして生きながらえたこともあるでしょうけど、それはあくまでほんの一握りでね……。そういう意味じゃ、こんな見てくれでも、村に残してもらえた私らなんかは幸せな方ですよ」


 かのクレオパトラがその美貌を維持するために、せっせと新鮮な胎盤を食べたように、「美」というものにこだわりすぎると、それはあらぬ形での悲劇を生み出してしまうもの。たとえ芸能人のような優れた容姿を持たずに生まれたとしても、決してそれを悲観することなく、親から受け継いだ宝と思って、大切にその人生を過ごしたいところである。

(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/10/post_11235_entry.html


93. 中川隆[5961] koaQ7Jey 2017年1月09日 10:28:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6404]

【日本奇習紀行シリーズ】 愛知県・北西部

奇習! 昼は過酷な農作業、夜は大人の性奴隷… 孤児たちの“生き地獄”、「貰い子虐待」の実態=愛知県


 フジテレビ系の深夜ドラマとして放送された『朝が来る』では、中学生にして妊娠・出産した少女と、その生まれた子を貰い受けた里親との人間模様が大きな注目を集めた。だが、この国では、こうした早すぎる出産によって生まれた子どもたちを、性的な虐待行為のために、率先してもらい集めていた地域が存在するという。


「それはもう、毎週のように新しい子どもがやってきましてね。一時期は、大人の数よりも子どもの方がはるかに多いんじゃないか? って思ったりしましたよ」


 かつて存在していたというその忌まわしき習慣について証言してくれたのは、愛知県北西部に位置する、とある地域で生まれ育ったという山本義之助さん(仮名・89)。山本さんの話によると、彼が幼かった昭和初頭、同地域では全国各地から子どもをもらい受ける活動がしきりに行われていたという。


「村長さんなんかが旗振り役をしていましてね。男の子も女の子も、10歳くらいまでの歳の子たちがやたらともらわれてきたものです」


 不運にも親から捨てられたり、死別したりと、その理由はさまざまながらも、親を亡くした子どもたちは、全国からこの地域に集まった。そこで、表向きは地域の希望者に里親になってもらい、養育されるという形となっていた。だが、実際にはまともな養育などされることもなく、単なる慰みものとして性奴隷のような毎日を過ごすこととなったという。


「男の子も女の子も、みんなやられたい放題だったようですよ……。本当ね、年からすれば、親兄弟から一番かわいがってもらえる時期だったろうに。でも、一番盛り上がったのはその頃だけども、もともと昔からあの辺りじゃ、そういうことが当たり前に行われてきたっていう話でね。だからあの頃だって、そんな惨い仕打ちをしても、誰一人咎める人なんかいやしませんでしたよ」


 山本さんの話によると、かつて江戸時代の半ばあたりから、この地域には女衒のような稼業に就く者が多かったという。彼らは全国を旅しては、飢饉や災害などに見舞われた土地で、親を失った子どもたちをもらいうけ、少女は遊郭や女郎宿、少年は今で言うところのホモ売春の巣窟となっていた陰間茶屋などに売り飛ばして暴利を貪ったそうだ。またその一方、買い手の付かなかった子どもたちを村へと連れ帰り、二束三文で土地の者へと払い下げていたのだという。要はそうした習慣が時代と共に変化し、こうした「貰い子虐待」へと繋がったのだと考えられる。

「そういう子らはね、ろくに食べ物も与えてもらえなかったものだから、まるで欠食児童のような感じでしてね。実際の年齢よりも体が大きくなっていないものだから、本当の歳を聞いてびっくりしたものですよ。ひどく痩せて、栄養失調になってね、手や足に斑点のようなものがある子もいたくらいですから」


 地域の人々にもらわれていった子どもたちは、ろくに学校へも通わせてもらえず、昼間は農作業を手伝わされ、夜は性の捌け口として奉仕させられる。そうした過酷な生活事情ゆえに病に没する子も多く、その大半は「知らないうちにいなくなってしまっていた」(山本さん)のだというから開いた口が塞がらない。


「誰だって自分で選んで生まれてくるわけじゃないんだから、一度生まれたからには、幸せになってほしいですよ。夜伽の相手をさせられて、大人にもならずに死んでいくだなんてあまりにも酷い話です。私もあなたも、生まれてきた家が違ったら、誰しもああなるかもしれなかったということ、みんなわかって欲しいものですよ」


 それがどういう形の誕生であるにせよ、親を失った子どもに何ら非はない。かの俳人・松尾芭蕉は旅の道すがら出くわした孤児に「唯これ天にして、汝が性の拙きを泣け」という言葉を残したが、その悲運でしかない短い生涯を思うとき、現代の世に暮らす我々は、ただただ胸の詰まる思いがこみ上げるばかりだ。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/09/post_10644_entry.html


94. 中川隆[5962] koaQ7Jey 2017年1月09日 10:31:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6405]

【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方・某地域

奇習! 村の共有物になった女児 ― 教科書には載らない“被差別部落の歴史”を古老が語る=近畿地方

これまで、本連載においては、日本全国に存在する、ないし存在していたとされるさまざまな奇習について紹介してきた。その大半が、当時の事象の一部、もしくは全部を体験したり目撃した人物による証言を元にしているという性質上、それら口伝的な内容は、学術的に主流とされる言説からはおよそかけ離れたものになりがちだ。

 だが、すべての歴史が書き言葉によって記され、史料として現存しているわけではないことからもわかるように、また、歴史というものが絶えず勝者によって継がれていくものであるという性質上、そこには必ずといってもよいほど「記されていない事実」というものが存在している。今回ご紹介する“とある古老”の話も、そうした歴史の教科書に載ることもなく、高名な学者先生たちからは見向きもされないような、そんな消え行く記録のひとつだ。


「最初に私がお話しなくちゃいけないのは、私の生まれ育った集落が、いわゆる“部落”だっていうことなんです。だから、地図上は同じ町内のように書かれていても、周囲とはまったく違った時間が流れていたんです」


 今回、我々の取材に、自らの生い立ちを交えつつ語りはじめたのは、近畿地方のとある地域に住む無職・金山力蔵さん(仮名・84)。金山さんの話によると、彼が生まれ育った地域は、いわゆる被差別部落に類するもので、そのせいか、集落全体が周囲の地域から隔絶された状態であったという。


「外から集落の入り口に差し掛かると、そこから急に道が悪くなっていたりとか。周りの家はちゃんとしているのに、あの界隈だけがバラック同然の板壁の家だとか。そういう見た目の違いもありましたけどもね、一番違うのは、我々の生活そのものです。たとえば、我々の地域じゃ、女の子が生まれると、それは共有財産というか、みんなのものだという考えがありましてね。それこそ、どの男とも籍ひとつ入れやしないんですが、嫁のようにいろんな男たちの子どもを生んでましたよ」


 金山さんの話によると、彼が暮らしていた集落では、女児が生まれると、その時点で誰が親なのかという点すら曖昧にし、それこそ地域の大人たちすべてが「父」であり、「母」であるという環境にするそうだ。そして、地域社会全体で彼女を養い育て、無事に成長した暁には、同じ集落にいる複数の男たちと性交させ、子どもを生ませる。やがて生まれた子どもは母親のいない私生児として扱われ、男児の場合は男の実家で育てられ、女児の場合は彼女の母親と同様に、村の共有財産として扱われる……そういう習慣が存在していたという。


なお、こうしたなんとも奇異な状況が生まれた背景について、金山さんは被差別部落ならではの事情があると指摘する。


「なにせよそから嫁に来るような娘はいないわけです。でも、村の中で生まれる女も限られてくる。だからみんなで養って、みんなの子どもを生んでもらう。そういう話だったんじゃないかなって思います」


「よその人たちからすればね、それこそ信じられないようなことだと思うんですよ。でもね、我々にとってはそうするのが当たり前だったんです。もちろんね、こういう話っていうのは、集落の外にいる人らだって当然、知っていたはずなんですよ。けれどもね、彼らはいつだって私らをね、腫れ物にでも触るかのように扱ってきたわけだから、見てみぬフリなんです。なにせ、火事で家が焼けようと、人が死のうと、お巡りも消防も来やしない場所なんですから」


 今回、金山さんが語ってくれた話は、無論、地元で保管されている郷土史料にすら、その記述が見当たらない。しかし、記述がないからといって、なにもその行為自体が実在しなかったというわけではない。もしかすると、彼らのように隔絶された時間と生活を過ごす人々にとっては、「表の歴史」として当たり前のように記載される年表の行間に、自らが辿った見えない生涯の記録を見出すことしかできないのかもしれない。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/08/post_10598_entry.html


95. 中川隆[7166] koaQ7Jey 2017年3月18日 19:31:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7637]

奇習! 実父と娘が常習的セックス、子どもができたら… 秋田県南部で行われていた“伝統的”近親相姦


その文化や宗教観などによって異なりはするものの、世の中には実に様々な“性のタブー”が存在する。そうしたタブーの中で割と知名度はありながらも、その実、踏み込む人がそれほど多いわけではないと考えられるものの1つが、親子兄弟姉妹間などにおける性交渉、すなわち「近親相姦」だ。


「……ああ、たしかにそうだよ。このあたりじゃ、昔はそれが当たり前でね。どこの家でもみんなそうしてたもんだよ」


 かつて秋田県南部のとある地域で行われていたという「近親相姦」に関する習慣についてそう語るのは、今でも同地域に住むという元養殖業・戸川盛一朗さん(仮名・69)。戸川さんの話によると、かつて当地においては、親と子がごくごく当たり前のように交わるという信じ難い習慣が存在していたのだという。


「親子って言ってもね、そういうことするのは、男親と娘だけなんだよ。だから兄妹とか姉弟とか、女親と息子っていう組み合わせはない。あくまで男親と娘だけなんだよな」


 当地における近親相姦の習慣において、その「組み合わせ」として認められているのは、男親と娘のみ。逆にそれ以外の組み合わせについては、絶対に行ってはならないものとされていたという。その理由は定かではないものの、戸川さんの話によれば、もしそれ以外の組み合わせで関係を持ってしまった場合は、当人たちはもちろんのこと、家人全員が村から追放されるという厳しい掟が存在していたのだそうだ。


「みんなそれが当たり前のものとして考えてたわけだから、誰一人、躊躇う人間もいないし、みんながみんな、そういうことをやっていたんだけどもね、一応は子どもができないように、中に挿れてはいけないことになっていてね。もっとも、実際には嫁入り前の娘が腹ボテになっていたりするのも見かけたから、守られていたわけじゃないんだろうけどな」

あくまで“建前上”は挿入ナシのセックスに限定されていたものの、戸川さんが言うように、実際にはそれを守る者はほとんどなく、実父の子を身ごもる少女たちが後を絶たなかったという。


「身ごもったのがわかるとね、薬を飲んでおろすんだよ。そう、虫下しをするみたいにね。だから村の共同墓地にはね、そういうのを供養するための地蔵がいくつも祀られていたよな…」


 なぜか「習慣」というだけで実父とのセックスを繰り返し、その子供を身ごもるたびに中絶を繰り替えしていたという当地の少女たち。どこをどう贔屓目に見たところで、現代人の我々の感覚からすれば、それは単なる性的虐待でしかない行為だが、いずれにしろ彼女たちが、その後の人生において、“普通の大人”として生きていけたのかどうか、誠にもって疑問である。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/03/post_12314_entry.html


96. 中川隆[7181] koaQ7Jey 2017年3月19日 14:40:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7652]

奇習! 花婿が義母からセックスを学ぶ「母娘どんぶり婚」 ― “良い息子”に成長するための秘密の夜伽=愛知県


【日本奇習紀行シリーズ】 愛知県西部

 作家・谷崎潤一郎の小説をもとに1959年に映画化された市川崑監督の『鍵』。この映画においては、中村鴈治郎演じる古美術鑑定家の剣持が、愛娘の敏子(叶順子)の婚約者で、大学病院のインターンとして多忙な毎日を送る木村(仲代達矢)に、妻の郁子(京マチ子)をあてがおうとするという、なんとも奇妙な性的嗜好の持ち主として登場するが、実はこの映画を彷彿とさせる奇習が、かつて愛知県西部のとある地域に存在していたという。


「まあ、言ってしまえば、娘婿と花嫁の母親が寝るという話ですよ。それが婚礼の際のしきたりとなっていましてね。今となっては変な話にしか思えないのですが」


 自身が知るその奇習について今回我々に証言してくれたのは、かつて当地で暮らしたことがあるという崎田善三郎さん(仮名・82)。崎田さんの話によると、その地域においては、娘の婚礼が決まると、その生みの親である母親を、娘婿に抱かせるという、なんとも奇妙な風習が存在していたという。


「まず結婚が決まると、婚礼の前の1週間だけ、村全体で共用している小屋というか、離れみたいな小さな家がありましてね、そこで花嫁の母親と花婿が暮らすと。それこそ新婚生活のような感じでしてね、要はそういう時間の中で、一番大切にされているのが、夜伽(よとぎ)と。そういうわけです」

崎田さんの話によると、花嫁の母と花婿との“営み”は、必ず毎日1回以上と決められており、それを1週間続けるのだという。我々の常識で考えれば、少々想像しづらい話だが、村人たちから崎田さんが聞いた話では、そうした行為を一定期間続けることにより、花婿は血の繋がっていない義理の母であっても実母以上に大切に想うことができるようになり、「良い息子」へと成長することに繋がるのだとされていたという。


「おそらくなんですが、熟練された母親にですね、若い娘婿を手ほどきさせて……っていう話なんだと思いますから、要は、広い意味での“子宝祈願”というのが建前であったのではないかと思います」


 この行為が持つ大義名分について、そう分析する崎田さん。実際のところ、その推測がどの程度正確なものなのかは定かではないが、たしかにそうした関係を持つことで、義理の母に対して、男性が格別の想い入れを持てそうな気もしてくることは事実だが……如何だろうか。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/03/post_12305_entry.html


97. 中川隆[7182] koaQ7Jey 2017年3月19日 14:46:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7653]

奇習! 逆らえばリンチ、輪姦、処刑… 紳士的村人の“裏の顔”と強烈すぎる男尊女卑地獄=青森県


【日本奇習紀行シリーズ】 青森県


「今は平気で女の人が男の人を振ったりするでしょ? けどね、私らのところじゃ、昔、そんなことをすると、えらいことになったものだよ」


 自らが生まれ育った地域の知られざる実態についてそう語るのは、青森県のとある地域で暮らす無職・世良善三さん(仮名・82)。世良さんの話によると、彼が生まれ育ち、三十路手前まで暮らしていたという同県の「有名な湖の近くの某地域」においては、「強烈な男尊女卑文化」ともいうべき、恐るべき風習が存在していたのだという。


「まあ、簡単に言ってしまうと、女が男に逆らっちゃいけないっていう。逆らったり、機嫌を損ねたら、むごい目に遭わされるっていう風習ですよ」


 要は結論から言ってしまうと、当地においては結婚はもとより、恋愛に関しても、女性側に何ら選択権はなく、婚姻関係にあったり、交際中にある際に女性は完全に男性に対して隷属し、男性の機嫌を損ねたりすれば、即座に、村人全員を巻き込んでの「処罰」が下されるのだという。


「もともと色恋に関しては、男から言うの。くっつくときも離れるときも。女からは言えない。くっつくきはまだしも、離れるときに女側からそんなことを言い出そうもんなら、それこそ袋叩きにされるからね。だから傍目に見ると、あの村で幸せそうに暮らし続けている夫婦というのは、夫も妻も完璧すぎるというか、どこをどう見ても善人でしかないんだよ。だって、そうじゃない人は殺されちゃったりするんだから」


 世良さんの話によると、男性側の申し出により、「処罰」が行われる際には、概ね、(1)集団でのリンチ(2)集団輪姦(3)処刑……のいずれかを選び、その「刑罰」が下されるのだという。一応、刑の執行にあたっては、女性側からの申し開きの場も設けられるが、それはあくまで形式上のことであり、現実にはほぼ100%、女性に対して先述した「三刑」のいずれかが下されるのだ。


「そういう目に遭うからね、女はものすごく気立てが良い嫁さんになるし、夫はそういう嫁を見て、とても大切にするんだよ。けど、それがもしね、うまくいかなくなったりしたら、嫁だけが間引かれるから。他所から嫁にきたってそう。夫婦喧嘩なんかしようものなら、晒し者にされた挙げ句に殺されて終わりよ」


無論、こうした一方的な「私刑」が公然と行われる一方で、世良さんが言うように、その日常において、必ずしもこの集落の男性が「男尊女卑」的な言動をとるわけではなく、むしろ、日頃は至って紳士的。それこそ100年以上も前から、「レディファースト」の習慣が定着し、結婚後も、家事や育児は夫婦で分担するなど、「いい男」揃いなのだという。にもかかわらず、ひとたび女性が男性の怒りを買うと、このような刑罰が下されるのである。


「昔からあのあたりは優男というか、いい男が多かったみたいだからね。そういう男たちによって、至れり尽くせりの生活をして、自分もいい女でい続けようと思って振舞えれば、何一つ不自由なんてありゃしないハズなのさ。けど、多くの女が増長して、いつしかそういうありがたみを忘れちまう。だからその歯止めにするために、ああいう風習ができたんじゃないかな」


 当地のおぞましき奇習について、ある種の「抑止力」としての意味合いがあると推測する世良さん。その是非はともかく、また、こうした奇習の有無に関係なく、日頃、身近な男性に対して傍若無人の振る舞いをして憚らぬ女性は、たまには自身の言動を顧みることがあっても良いのかもしれない。

(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/10/post_11238_entry.html


98. 中川隆[7183] koaQ7Jey 2017年3月19日 14:54:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7654]

奇習!母娘の「親子丼」を正当化した邪悪な男たち―ある資産家男性の告白


【日本奇習紀行シリーズ】 北関東


 今でこそインターネット上の情報交換が盛んとなり、性に関する情報が氾濫している状況となっている。だが、こうした時代になるまでは、一般とは少し違った性嗜好は、まさに「秘せるもの」であった。ましてやそれが、集団による不可思議な習慣として結実したものともなれば、それは後世の人々にとって、なおさら神秘のベールに包まれたものとなる。


「もともとは自分の中だけの秘密といいますかね、そういう行為だったんですけれども、行きがかり上、習慣になってしまった、と。そういう話です」


 自らの抱えている特異な性的嗜好と、そうした嗜好が生み出した行為、さらにはその賛同者によって定着したという「秘せる習慣」についてそう語るのは、東京都在住の元会社経営・堀江孝三郎さん(仮名・89)。彼の話によると、今を遡ること約60年前の昭和30年代初頭、北関東のとある地域では、彼が生み出した習慣が、その地域全体で「公然の事実」として定着していたという。


「私はね、若い頃から女というものに執着していましてね。特に、母と娘、姉妹といった近い血のつながりがある女に対しては、とにかく“味比べ”をしたくてしようがなかった。だからね、最初は自分の手近なところで、そういう嗜みとでもいいますかね、やっていたんですよ」


 もともと、母娘を同時に犯すという、いわゆる「親子丼」の行為について異常な執着を持っていたという堀江さんは、自らが経営していた会社で事務員として雇った当時30代半ばの女性を愛人として囲うようになった。その時点で既に彼の頭の中には、彼女の娘で、中学に入ったばかりの少女に対する強烈な執着と欲望が生まれ始めていたという。


「その女は三十路のいい女でしてね。となると、その娘だって、色気づく年頃には、母親と似てくるわけでしょう? そうなればどうしても“味見”したくなっちゃう。ましてや、母親よりも若いし、男を知らぬときたものですからね。私はね、母親の方の股を覗き込みながらね、『ここからあの娘が出てきたのか』って感慨深く思いますし、さらにここから出た娘が、もうこんなになっているって思ったら、もう…。だからね、話がまとまったときにはね、布団をふたつ敷いて、ふたりを並べましてね、交互に“味比べ”をね、したものですよ」


 沸き起こる性衝動を抑えきれずに、継父的な立場でありながらも、娘とその母を同時に性奴隷化したという堀江さんに対し、薄々事情を察しつつあった周囲の目は極めて厳しかった。それまで気さくに挨拶を交わしていた近隣住民たちは彼を避けるようになり、商売上、付き合いのあった人々ですら、彼と距離をとるようになっていったという。

 そこで彼は一計を案じ、有力な町議会議員や町で富豪として知られていた人物に接触。彼らに多額の金を握らせることで地域社会の「世論」を再構築することを思いついた。結果、彼は少女とその母親を同時に抱くという「親子丼」を、さも当たり前のことであるかのようにした上で、地域住民を巻き込む形で「古くからある習慣」として事実を歪曲・捏造し、定着させることに成功したという。


「人間なんてね、所詮は金です、金。金を握らせれば、常識も道徳もありゃしない。だから私は金を使ったんです。するとね、今まで私に陰口を叩いていたような連中までが私に従ってくる。あれは愉快でしたよ。気づいたらね、私のやっていることが、常識みたいな話になって。それからは毎日が幸せでしたね」


 それからというもの、堀江さん自身はもとより、彼と同様の行為に走る男たちが同地域で激増。「極めて自然な形」(堀江さん)で習慣として定着した。また当時ほど大っぴらではないものの、現在もなお、その地域では同様の行為が行われているのだという。


「私はね、もうこういう歳だからそんなにはしないけれども、あの時の私の努力が実ってね、今、こういう習慣として、残ってるわけでしょう? それは感慨深いことですよ。私自身だって、あの時の娘がね、子供を生みまして。その子供がまた娘を産んだんです、つい最近。もちろん、多少の“味見”はしましたけれどもね」


 自らが生み出し、定着させた「習慣」についてそう語る堀江さん。にわかに信じがたい話ではあるが、得てして、世の中に存在する奇習の類というものは、こうした個人のあらぬ欲望によって生み出され、ある種の力技によって、地域全体へと定着したものなのかもしれない。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/08/post_10561_entry.html


99. 中川隆[7184] koaQ7Jey 2017年3月19日 15:05:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7655]

奇習! 終戦直後の“母娘どんぶり”の実態! 継父による性的虐待推奨制度「二婦貰い」とは?


【日本奇習紀行シリーズ】 山梨県甲府盆地


 生別か死別かは別として、夫と離れた後に、女手ひとつで我が子を懸命に育てている女性は、今でも数多く存在している。そうした女性が、後に別の男性と所帯を持った場合に、女性の連れ子が女児の場合は、継父から性的虐待を受けたりといった深刻な事態が発生することも少なくない。しかし、かつてこの国においては、そうした継父による性的虐待が、当たり前のこととして行われて、むしろ推奨にも誓い形で定着していた地域が存在している。

 山梨県の甲府盆地から少し北方へと車を走らせたある寒村。周囲に点在する観光地とは裏腹に、ひっそりと静まり返ったその村で、今なお細々と農業を営む義家敬三さん(仮名・78)は、かつて当地で行われていたその儀式について知る、数少ない生き証人のひとりだ。


「戦争がね、終わりの頃にさしかかってくると、みんな兵隊でとられてしまってね、本当に誰もいなくなってしまったんですよ。私はまだ子どもだったからよかったけれども、ちょっと上の世代までは、兵隊で行って、戻ってこなかった。本当にいやな時代でしたよ…」


 たしかに、太平洋戦争末期となると、日本全国の男たちが戦地へと借り出された。ある者は南方のジャングルでその白骨を晒し、またある者は遠くシベリアの地に投獄されたまま餓死……、祖国の地を二度と踏むことなく、最果ての地でひっそりと息絶えた。また、同時にそのことは、国内において、多くの寡婦を生むこととなった。それは義家さんが住むこの山間の村とて例外ではなく、終戦を迎える頃になると、村からほとんど男衆の姿がなくなってしまったという。


「日本が負けて、少しずつだけども、みんなで力を合わせてまた元のような暮らしにしようっていうことになったけれども、もうその頃は村中が後家さんばかりでね。うちの集落だけじゃないよ、この辺はみんなそうだったんです。だから村の偉い人がね、後家さんたちを再婚させようとして、一計を案じたっていうわけです」


 義家さんの話によると、男手がなくなったことで田畑を耕す手も足りなくなったことから、付近一帯をとりまとめる有力者が手引きする形で、零細農家の寡婦たちは、一斉に再婚を目指したという。しかし、折りしも当時は日本全国で男手が足りなかった時代。そうやすやすと再婚相手が見つかるはずもない。そこで考え出されたのが、通称「二婦貰い」と呼ばれる制度なのだという。


「後家さんの年齢は様々だけれども、昔は今よりも子どもが多かったから、どの家にも必ずひとりやふたりくらいは、女の子がいたものでしてね。要はそういう子らをダシに使って、助平な男たちを集めようっていう腹でした。今にして思えば酷い話かもわかりませんけどね、当時はみんな生きるので精一杯でしたから。そのためには田んぼや畑だって耕さなくちゃならない。当の後家さんたちからすりゃあ、無念だったでしょうけども、迷っている暇なんてあったもんじゃなかったんでしょうね」


 男というのは心底救いようがないもので、山奥の田畑しか持たぬ寡婦相手には、再婚希望の手を挙げなかったものの、それがその家に暮らす娘と「セット」ともなれば話は別。邪な欲求に突き動かされた男たちによって、相次いでこの集落の再婚話はまとまり、終戦の翌年の夏頃までには、ほぼ全世帯が再婚した状態となっていたのだという。


「そりゃあね、“そういう目的”で集まってきた男たちだから、女の子が多い家の方が引く手がありましたよ。ひとりよりふたり、ふたりより3人っていう具合にね。けども、そういう継父のね、なぐさみものになるのがよほど耐えられなかったのか、中学を出る頃には、そういう子らはみんな都会へ出ていきましたよ」


 無論、現代の常識で考えれば、この「二婦貰い」の制度は、年端もいかぬ娘たちが犠牲になったことを思うと、胸の痛む話でしかない。しかもそれは彼女たちを生んだ母親、すなわち、夫に先立たれた寡婦たちにとっても、大きな痛みを伴うものであったはずだ。しかし、そうした苦渋の選択をせねばいられなかったほどに、生活が困窮していたこともまた事実。いつの世も、戦争における犠牲者というのは、兵士として戦場で命を落とす者だけではないのである。
(取材/文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/03/post_8154_entry.html


100. 中川隆[7185] koaQ7Jey 2017年3月19日 15:18:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7656]

奇習! 封印された平安貴族たちの蛮行 ― “恍惚”の赤ん坊レイプ


【日本奇習紀行シリーズ・番外】平安貴族たちの隠された悦楽


 かつて、小説家・芥川龍之介は、『今昔物語集』に残る逸話を基に、その著作である小説『羅生門』で、死体から髪を盗んで生業とする老女の姿を描いていた。だが、かつて、京の都が荒みに荒んでいた頃、死人の髪と同様に、常時では考えられぬ需要が生まれていた。それは、生後間もない嬰児の亡骸である。

 以前、世界各地の権力者たちが、幼児の性器から切除した包皮を好んで食していたという内容をご紹介した。(※【世界の奇習】割礼した幼い性器の包皮を食す―永遠の美と不老長寿を求めて)その時にも触れたが、嬰児が持つ生命力に魅了される形で、不可思議な行為を密かに行っていた者は、洋の東西を問わず意外と多く存在していたようだ。しかし、彼らの中には、そうした目的とはまた別の意味合いで、乳幼児の肉体を求めていた者も存在していたのだ。それは、その柔らかき肉体が、性的な快楽を得る上で、この上なく適したものであると感じていた人々である。

「現存する史料に乏しいため、正確な部分については不明な点も少なくないのですが、私は確実に“あった”と考えています」

 かつて平安貴族たちを中心に未曾有の大流行となったとされる“ある秘せる儀式”についてそう語るのは、歴史研究家・山種昭三氏(仮名・78)。彼は以前、定説を無視してまで半ば強引に持論を展開し、学会における地位を失った過去を持つ。氏が研究したところによると、今を遡ること900年以上前の1050年頃、京の貴族たちの間では、嬰児の亡骸を密かに買い入れては、それを性的な欲求を満たすために利用する者が続出した時期があったのだという。

「さる筋の傍流にあたる高貴な方が遺した書物によると、生後3カ月くらいまでの女児の性器は、まるで淡雪のごとく、柔らかき感触であるとのことなのです。またこれは別の史料から少しずつわかってきたことなのですが、ある時、京の北西部にある某寺の僧が、さる雅な血筋の赤子の遺体を弔う際に、なんの好奇からかは知る由もありませんが、その女性器に、自分の指を一本入れてみたそうです。

 すると、今まで感じたことのない感触に驚いたというんです。それで、その僧は仏罰が当たることを百も承知で、その嬰児の屍を抱き寄せて行為に及んでしまった。けれども、その行為の最中に見張りの者に見つかってしまい、彼はその場で斬られてしまうんですね。でも、切断されたその首は、とても恍惚に満ちたような表情を浮かべていたとか…。本当か嘘かはわかりませんが、もしかする当時、こうした逸話に尾ひれがついて、あのおぞましき習慣が広まったのではないでしょうか」


スルジャン・スパソイェヴィッチ監督の映画『セルビアン・フィルム』では、男が赤ん坊をレイプするという、なんとも信じ難い一幕が描かれていた。山種氏によると、平安の世においては、件の僧にまつわる逸話をどこからか聞きつけた一部の堕落した貴族たちにより、嬰児の遺体を買い集める行為が急速に広まっていったという。しかし、夜毎の快楽のためにそうした行為を繰り返していたのでは、死体がいくらあっても足りなくなってしまう。それがさらなる悲劇を生んだ。

「遺体が簡単に手に入らなくなると、今度は褒美を出す形で、貧しい庶民の家から生まれたばかりの生きた赤ん坊を買い集めるようになっていったと聞きます。しかしそれだけでは金も赤子も数が足りない。

 そこで結局は押し込み強盗のような真似をしてまで方々から赤子を誘拐しては、自らの屋敷へと運び込んでいく、と。その際に生死の別は問わなかったそうです。ですが、仮に死後間もない赤ん坊を1とすると、しばらく経ったものでその半分、逆に生きたままの赤ん坊であれば実に3倍のもの価値の褒美を惜しげもなく与えていたと言いますから、今風に表現すれば、とんだ赤ん坊バブルですね」

 夜毎、貴族たちの屋敷の裏手には、あちらこちらから赤ん坊を集めてきた者たちが、列を成してその「換金」を待つという、なんとも奇妙な光景が展開されていたという。折しも、平安時代と言えば、通常の男女であっても、親の承諾が得られない場合などは、誘拐という形で強引に婚姻関係を結んでいた時代。今の時代と比較すれば、いかにこの手の罪に対する意識が緩かったかがわかる。

「まあ、当時は“辻とり”といって、路上で女を浚ってそのまま結婚なんていう時代でしたし、乳幼児の死亡率も極めて高かった時代ですから、今ほど罪の意識はなかったんでしょうね。ましてや、婚姻対象となる年齢そのものも今に比べて格段に低かった。現代で言うところの小学生の女の子をいい歳の男が嫁にするなんていうのも当たり前でしたから、性の対象というもの自体が、あまりに自由すぎる時代だったと言えるのかもしれません」

 性に関するタブーという意味では、あまりに無秩序で、開放的過ぎた平安時代。当時の感覚を持たぬ現代の我々から見て、それが理解に苦しむものであることは、ある意味、致し方のないことなのかもしれない。
(文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2015/11/post_7743_entry.html


101. 中川隆[7187] koaQ7Jey 2017年3月19日 15:37:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7658]

2014年12月21日【呪い・祟り・復讐】近親相姦の障害?

うちの実家は東北の田舎なんだけど旧暦の正月に『ささら』っていう祭が有る。
祭事に詳しい人なら地区まで特定できそうだから明記はしないけど、そんくらい田舎だって話。

俺はガキの頃に屋根裏部屋とか物置とか探検するの好きだったと記憶している。
居間の隣に襖(ふすま)を隔てて、親戚が集まった時に宴会する様な応接間(?)が有り、その隣に仏壇や昔の調度品、旧家によく有る母親の子供の頃に買った人形とか母の兄弟の五月人形とかが、うっすら埃(ほこり)被って置かれてる様な部屋があった。

その部屋の押入れの奥に、小部屋が有るんだ。

もう何年も昔に、母方の親が相次いで亡くなって家を手放す時に俺の母の兄である叔父から聞いた話では、そんな感じの部屋ってのは、この辺の部落の旧家には何箇所か有って、その昔『夜這い』の風習とかが残ってる頃の名残だという。

戦前から子不足に悩んでた付近の住民が、あの小部屋で密会して、なんとか子供を増やそうとしていたらしい。


そんな中、ある家系に池沼の娘ばかり生まれる様になって、(近親相姦の障害?)近くの神社の家が「これは祟りだ」とか言い出した。

それで娘を引き取って、巫女として養ってたらしいんだが、戦後の貧しさから、その池沼の姉妹達に客取らせて金貰ってたんだと。
その売春に使われてたのが例の小部屋。

神主は祈祷(きとう)だと言って、夜な夜な巫女を旧家に行かせる。
その家の人間は巫女を小部屋に通し、順に客を招きいれて相手をさせて金を取り、その幾らかが神主の所に入る事になる。

『ささら』ってのは、その巫女がみごもった水子を慰める意味も有るらしい。
叔父は、「俺はこの事を、自分の息子には話さない。俺はここから離れるし、お前の母親も嫁にいった。事実上、この土地で○○(苗字)の家を継ぐのはお前になるから話すんだ」って、酒に酔いながら言ってた。

叔父も子供の頃に巫女が客取ってるとこ盗み見た事が有るから、「その頃はまだ、分家した家系に池沼の娘が生まれてたんだろう」との事。

ちなみにその部落の神社は、叔父が中学出る前に火事で無くなって、その家がどうなったかは知らんのだと。
http://kowainazofushigi.ldblog.jp/archives/18830302.html


102. 中川隆[7209] koaQ7Jey 2017年3月19日 22:11:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7680]

日本の神社の境内、特に鎮守の森は、何の為にあると思う?

日本の神社の境内は、お祭りの為にある。鎮守の森は、セックスの為に用意されている。お祭りには、神輿担ぎと同時に、セックスのお祭りがあった。(江戸時代まで)

村祭りの時だけは、村人は誰とでも相手を選んでセックスができる。通常の掟が通用しない場所、という意味で神社があるのだ。

ただし、規則が一つだけある。それは、”お面をかぶる事”である。男がかぶるのが”ひょっとこ”。女がかぶるのが”おかめ”である。何で、男と女で面が異なるかと言えば、暗い場所で男女を間違えない様に、という事である。

21世紀の現在でも、名残がある。それがお面と鎮守の森である。
お祭りの後、鎮守の森でセックスする事は、日本古来の風習なのだ。

こういう風習を全てやめさせた上に、靖○神社という人工宗教(靖○は明治維新の数年前に作られた、オウム真理教みたいなものだ)を作って、男たちを戦争に駆り立てたのが明治政府である。セックスを禁止して、暴力に走らせる。

日本古来の神社には、”戦争に行けば軍神になれる”などという妄信は一切無い。

日本古来の神社とは、平和とセックスの象徴なのである。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/611.html#c27


103. 中川隆[7236] koaQ7Jey 2017年3月20日 19:38:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7707]

奇習! 村男全員の“肉便器”にされた「ヨシさん」 ― 栃木の寒村に実在した元娼婦の悲しき真実とは?


【日本奇習紀行シリーズ】 栃木県

 都市伝説上でしばしば登場する「オサセさん」よろしく、日本各地では不特定多数の男性を性行為に誘い、「無料で簡単にやらせてくれる女性」というものが、かねてよりその存在を噂されてきたが、かつて、栃木県のとある寒村では、村に暮らす全員の男性と肉体関係を結ぶことを「仕事」としていた女性が、存在していたという。


「“ヨシさん”って呼ばれてたかな。誰も本名なんて知らないんだけどね」


 かつて当地に実在したその女性について語り始めたのは、現在もその地域で林業を営む中谷清三さん(仮名・76)。中谷さんの話によると、その「ヨシさん」と呼ばれる女性は、彼が物心ついた頃にはすでに村に居ついており、その後、中谷さんが三十代半ばとなる頃まで暮らしていたという。


「私が小学生くらいの頃には、すでに大人の女だったからね。おそらく50代半ばくらいまでは、あの村にいたんじゃないかな。でも、別に家があるわけじゃなくて、夜になるとだいたいその辺の物陰で寝起きしてたんだと思うよ。まあ、夜って言ったって、そう遅くない時間は男と寝てるわけだし、そんなに長い時間じゃないんだと思うけどな」


 実はこの「ヨシさん」、その詳しい素性は不明ながらも、中谷さんが大人たちから伝え聞いたところによると、20代の半ばに、村の実力者によって他の地域から招かれて、村の男性全員との肉体関係を結ぶように依頼された女性なのだという。

 とはいえ、娼婦とは違い、そうした行為で金を得ることはなく、住む家すら与えられなかったのだ。しかし、食べるものだけは保障されており、彼女が腹をすかせて村人の家を訪ねた際には、必ずその家の人間が彼女に食事を与えるという、不思議な決まりごとが設けられていたという。つまり、彼女は毎日の食事を得る代わりに、村の男性へ“奉仕”し続ける暮らしを送っていたということだ。


「聞くところによるとね、もともとどこかの色町で体を売っていた女だったらしいんだけども、借金が膨らみすぎてやっていけなくなったそうでね。それを村の偉い人が肩代わりして、自分のところへ身受けしたようなんだよ。けどその人は、自分の妾にするとかでなしに、村の男衆たち全員が共有する捌け口とでも言うのかな。そういうものにしちまった。そうすることで男たちに貸しを作ってね、自分の言うことを聞かせてたっていう。だからその人はね、ヨシさんを使ってまず村長になって、その後、最後には県議の上の方まで上り詰めたっていう話だよ」


 苦界から拾い上げられたと思ったら、権力を求める野心家男性によって「票集め」の道具とされ、乞食同然の貧しい生活の中で、ただひたすらに村の男たちの肉便器とされたという「ヨシさん」。その人生の大半を、無気力に男たちと寝続ける行為に費やした彼女の胸中は、如何なるものであったのだろうか。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/03/post_12308_entry.html


104. 中川隆[8032] koaQ7Jey 2017年4月26日 12:37:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8524]

田舎は今も昔もこういう感じですね:


旭川女子中学生集団暴行事件

旭川女子中学生集団暴行事件とは1996年12月に発生した北海道旭川市の市立中学校の女子生徒に対する集団性的暴行・強姦事件である。


事件の経緯

初めのうちはクラスのマドンナ的存在であった女子生徒に対する、スカートめくりなどの軽度の性暴力から始まったと言われる。

男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。女子生徒が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれるようになった。

男子生徒たちは公園や橋の下などで毎朝、口淫をさせた後

「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」

という屈辱的な言葉を言わせていた。

中学3年の5月からは、下着の着用と自由な排便を禁止した上、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄を強要していた。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

その後、旭川家庭裁判所において3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を旭川地方裁判所に起こした。

2001年1月30日、旭川地方裁判所は、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた(判時1749号121頁)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E5%9B%A3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6



週刊大衆平成10年5/28号より引用
不良グル−プに三年間レイプされ続けた女子中学生の悲鳴!

「・・・・・男子生徒10人は、A子が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。

A子が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれレイプされた。・・・

公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要。

毎朝、呼び出され、口淫をした後「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」というセリフを言わされていた。・・・・

中学3年の5月に、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせていた。・・・・

又、女子生徒の弱みにつけこんで、同女子に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返した。・・・・

女子生徒は現在、高校に通っているが、男性に対する恐怖心は消えてないという。

被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒延べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの性暴力から始まったと言われる。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。

だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

「お昼休みになると、他のクラスの男子が教室に大勢来て、その子(被害者を)
引っ張ってどこかに連れていきます。抵抗するんだけど腕を掴んで引きずって
いきます。」

少女はこの後、男子トイレで裸にされ、フェラチオを強要された。

順番待ちの列ができるほどだった。主犯格の少年は更にエスカレートし
毎朝、口淫を強要し精液を飲ませた。

そして遂に授業中にもフェラチオを強要する暴挙に出たと言う。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。


家に火つけるぞとか母親もレイプするとか脅されたらしい
それで一人でがんばってきたと
http://blog.livedoor.jp/hna072-odoroki/archives/1474484.html


旭川女子中学生集団暴行事件
平成一〇年(ワ)第一〇五号 損害賠償請求事件判決要旨


主    文

一 被告らは、原告甲野春子(原告が女性のときの仮名として「甲野春子」に置き換えるのがこの業界の慣習です)に対し、連帯して、金一七〇万円及びこれに対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告甲野太郎及び原告甲野はな子に対し、それぞれ金一五万円及び右各金員に対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。


理 由 要 旨

加害少年達は「・・・・」という非行集団に属する生徒達であり、集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

したがって、A教論としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえA教諭が理解したように服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけばいずれ本件学校内強姦事件等のような深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。

2 それゆえ、A教諭としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告春子からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害男子生徒や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を三学年の他の担任教諭らの他、教職員全体に報告すると同時に、
他の教諭らからも右性的被害に関する情報を収集し、学校内におけるわいせつ行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。

また、

(2)A教論には、被害申告を受けた時点で直ちに被害の事実を被害生徒及び加害生徒の双方の保護者に報告すべき義務があった。

さらに、

(3)A教諭は、前記実態解明の結果を踏まえて、他の教職員や保護者と連繋した教育指導態勢を作り、教職員全体で又は保護者らと一体となって、原告春子を加害生徒らによる報復から保護しながら、加害生徒らへの指導を強化徹底すべきであった


3 そうであるのに、

(1)A教諭は、平成八年六月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告春子に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害生徒ら及び他の同様の被害を受けているという女生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。


また、

(2)A教諭は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

さらに、

(3)A教諭は、原告春子の性的被害の相談について、加害生徒は他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教諭に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。


結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、 最終的には、クラスの帰りの会において、学級全体に対し、女子生徒の身体を触ることがセクハラになるなどと一般的な注意をしただけで終わらせ、その後は原告春子に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、A教諭には、安全配慮義務違反の過失がある。

4 右過失がなければ、原告春子は、平成八年六月の相談以降、日時を明確にできる分だけでも学校内での口淫強要二回、学校外での口淫強要二回、友人宅での強姦一回、学校内での口淫強要・強姦一回といった悲惨な性的暴力を受けることがなかった。


5 本件は、非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させ、最終的には教諭らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害女生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。


加害生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、同女を精神的にも隷属させ、その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、思春期の悲惨な体験が原告に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告春子は担任教諭に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなったというのも十分にこれを理解することができ、性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告春子の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告春子の右精神的苦痛に対する慰謝料の金額としてはい、一〇〇〇万円が相当である。本件では、加害生徒らからの示談金八六〇万円を控除した一四〇万円が損害額となる。
http://blog.livedoor.jp/hna072-odoroki/archives/1474484.html



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105. 中川隆[-8029] koaQ7Jey 2017年4月26日 16:42:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

〜当時の風俗情報誌の記事から抜粋

加害少年らは家庭科教室からパクってきた漏斗でペットボトルに小便を貯めて、被害少女に飲ませていた。

また、被害少女に小便をさせて貯めたペットボトルを教室に持ち込んで、被害少女の目前でクラスの男子生徒に臭いを嗅がせて笑い転げていたという。

(中略)

中学3年の1学期には剃刀で陰毛をすべて剃られて下着を着けずに登校するよう命じられた。

毎朝、校舎2階の男子トイレに呼び出され、下着を着けていないか確認をしていた。

リーダー格の少年が「ノーパンチェック」と告げると被害少女自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていたという。

そして口淫を強要されるのが日課となっていたそうだ。

また、剃毛した被害少女の陰毛を透明のカードケースに入れて持ち歩き、同級生の男子生徒らに触らせて勃起したら殴るという遊びをしていた。

被害少女から没収した汚れたタンポンでも同様のことをして遊んでいた。

下着の着用を禁止されて以降は、生理の時はタンポンの使用を強要されていたのだ。


校内で被害少女を見かけると、ファンがアイドルをコールするように

「シャブシャブ〜♪ヤリマン〜♪シャウエッセ〜ン♪」

と呼んで一般生徒の前で被害少女をからかっていた。

また、人気のない場所で加害少年らに「おまえは俺らの何だ?」と聞かれると「口マンコです」と答えるように指示されていた。

「そうか、じゃあ咥えろ」と言われて、複数の加害少年たちに毎日のように口淫を強要されいた。

口腔射精後は精液を吐き出すことは許されず、そのまま直に飲まされて「今日も美味しいミルクをありがとうございました」と言わされていたようである。


リーダー格の少年は、当時のオウム事件報道で有名になった言葉を使って「俺らはマインドコントロールの天才」と自画自賛していたようだ。

(中略)

本誌取材班は、事件当時被害少女と同級生だった旭川市在住の男性Aさんに取材をすることが出来た。

男性は、同中学校在籍時に少年らから金銭を取られたり使いっパシリ的な扱いを受けていたという。

男子トイレや特別教室などで、被害少女に猥褻行為をする時の見張り役や両親が不在時に自宅を提供させられていた。

すべての犯行現場に居たわけではないというが、当時見た猥褻行為の惨状や少年らが話していた悪事を出来るだけ詳しく証言してもらった。


被害少女は、色白で小柄な子でした。

目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のある可愛い顔でクラスのアイドル的存在でした。

彼女に片想いしていた男子生徒が何人もいたと思います。
明るい性格で友達も多く勉強も出来る子でした。

(中略)

私は大人しい性格のためか、入学当初から彼らのパシリ役にされて金品も取られていました。

パシリ役は全員同学年の男子で常時5、6人は居たと思います。

クラス替えで解放される子もいましたが、私は気に入られていたのか不幸にも3年間付き纏われました。

カツアゲしていた生徒らに被害少女の胸を揉ませたり陰部を触らせていました。

「カツアゲのことを親にしゃべったらこのことバラすからな」と脅されていたんです。

(中略)

クラスの連中も彼らの集団が被害少女に猥褻なことを強要していると薄々は知っていました。

おそらく学年中で噂になっていたと思いますよ。

何人もの友達から被害少女がどんなことをされているのかや、被害少女の身体の特徴を教えてくれと聞かれたことがありました。

「自分も見張り役でいいからやってみたい、おまえが羨ましい」という友人もいたくらいです。

ですので教師も知らないはずはないと思いますし、現にリーダー格や中心メンバーと被害少女はクラス替えで一度も同じクラスになっていませんので、学校側もトラブルを起こされたくなくて配慮していたのかなと今になって思う部分もあります。


色々ないじめの中で被害少女が一番恐れていたのが、校舎2階のスペースに設置されていた六角椅子です。

六角椅子は蓋のような形状をしていて中が空洞になっている重くて頑丈な椅子です。

被害少女に正座をさせて頭を床に着け六角椅子を被せると背中が押し潰されて苦しい姿勢のまままったく身動きが取れなくなります。

そこへ加害少年たちが座ると、もう自分の力では椅子を持ち上げることも出来ません。

六角椅子の中は、真っ暗で息苦しく暑苦しいらしくて、1分も経たないうちに被害少女の許しを請う泣き声がしました。

終いには発狂したように泣き叫ぶ被害少女を、加害少年たちは六角椅子に座って笑い転げていました。

このいじめは、被害少女が衰弱して泣き止むまで続けられることもありました。

「六角椅子に入れるぞ」と脅すだけで平常心をなくして泣き出すほど怖がっていました。

ひとつ間違えれば命にかかわる危険な行為も、彼らには暇つぶしのお遊びだったんです。


最上級生になって校内で更に凶暴化した加害少年たちは、パシリ役の少年宅にて後輩の不良たちを集めて被害少女を辱めた。

総勢20人程の目前で被害少女にストリップを強要したのだ。

初めて直に女性の陰部を見た下級生に対しては

「好きなだけ弄って構造を勉強していいぞ。こいつすぐマ■コ濡らすから」

と言ってニヤニヤしていたそうである。

その後、被害少女に臀部を突き出す姿勢を取らせて、後輩一人一人に肛門の皴を数えさせたという。

「俺たちはこんな可愛い子にこんなことも出来るんだぞ」と後輩の不良たちに権威を示したのだ。

取材に協力してくれた男性Aさんは、この時は被害少女が可哀相で今でも思い出すと心が痛むと語った。


中3の2学期には当時流行っていた、たれぱんだの絵を被害少女の臀部にマジックで描いて尻を振らせて踊らせていた。

「落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを被害少女の肛門に挿していたという。

肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて加害少年らは腹を抱えて笑い転げていたという。

このいじめは被害少女が、たれぱんだのシールを文房具に貼っていたのを見たリーダー格の少年が「そんなに好きならお前の身体に描いてやるよ」と思い付きではじめたものが仲間うけが良かったためにしばらくは頻繁に行われていました。

(中略)

被害少女の尊厳を傷付けるような本当に酷いいじめでした。

これ以来、被害少女は文房具に貼ってあったたれぱんだのシールを剥がしてしまったと男性Aさんは語る。
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/youth/1456145544/


[32初期非表示理由]:担当:アラシ

106. 中川隆[-8021] koaQ7Jey 2017年4月26日 17:39:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

715 :同級生 :04/05/15 00:30
肛門に突っ込まれた事件は結構有名で、


指に着いたウンコを壁になすりつけられてたけど、

そこに「***(被害者)のうんこ」って落書きがあったわ

それは中一だったから、犯されたのはもうすこし後だろうね
それからのことはしらない

奴らは悪だったし、一緒に参加しても、カツ上げされるの目に見えてたから


・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。

・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。「兄貴とセックスさせるぞ」「母親も犯すぞ」「少年院なんてすぐ出てこれる」と脅していた。

・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。


その女子中学生は日常的にフェラチオを強制され射精した精子をじかに飲まされたりしていた。

またある時、男子生徒同士で自慰をして出た精子を持ってこようという相談をし、それぞれが持ち寄った精子を一本のペットボトルに入れて 500ml一気に飲め!といわれた、

被害者の女子中学生は時間が経過し匂いがきつくなった精子を少しずつ口に含み半分ぐらい飲んだところで一人の男子が

「飲むのが遅せーんだよ!ムカツクな!ちょっとペットボトルを貸せ」

といって隣のトイレ個室に行き自分の尿をそのペットボトルに足して

「今度はドロドロじゃないから、飲みやすいぞ!」

といって、一気のみを強制した、

途中でむせて吐き出すとその吐き出した精子と尿の混ざった液体を近くの掃除用具置き場にあったモップに染み込ませ髪の毛や顔面になすりつけた。

その日は異臭が漂う女子生徒とはだれもSEXをしなかった

翌日はリーダー格の男子生徒に「チャンと頭あらってきたか?」と聞かれ「はい」と答えると「よし、それなら一発やってやるぞ」と言われ昼休みに男子トイレで立ったままパンツをひざまで下ろされ背後から性行為

放課後は体育館の倉庫でマットを敷きそこで正常位、それが終わるといつものように 7〜8人の男子生徒から次々と性行為をされた。


当時のテレビ朝日のザ・スクープで特集やってた。
同級生にインタビューもしてたよ。

「女の子は嫌がってましたけど。男子生徒が10人くらい取り囲んで両脇を捕まえて男子トイレに引きずっていくのです。

助けてって叫んでるんだけど先生も知らないふりでした。

女の子は男子トイレに連れ込まれて帰ってきませんでした。

昼休みとか毎日のように他所のクラスからも男子が来て、女の子を連れていきます。」

この橋の下で、女子生徒は激しい暴行を受けました。

口に出すのも憚られるほどの、陵辱を女子生徒は受けたのです。

橋の下で女子生徒は下着を剥ぎ取られ、性器を弄ばれました。

また、男子生徒数人は女子生徒に口淫(フェラチオ)を強要し、女子生徒に体液等を浴びせました。その行為を目撃していた人もいたようです。

女子生徒は長時間に渡り、陵辱の限りを尽くされました。

暴行は更にエスカレートしていきました。
暴行に加わる男子生徒も増えていきました。

口淫にとどまらず、性行為も頻繁に強要されるようになっていきます。

加わる男子生徒は10人を越えました。成人女性ですら耐えられないほどの猛烈な性暴力に女子生徒は晒され続けました。

もほや言葉にできない内容に唖然とさせられます。



加害者の●● アナル舐めがお気に入り。

「尻の穴もなめたら許してやるよ」

「じゃねーとてめー母親も同じ目に遭わすぞ」な?

加害者の○○のお気に入り目隠ししてチンチンなめさせて、

誰のやつか分かるかぁ?

「はずしたら浣腸か全裸で校庭3週たぞ?」


加害者の△△のお気に入り

小便を紙パックにして
「俺の小便おいしいかぁぁ????」
って聞いて被害者に「おいしいです」といわせる事。


加害者の▲▲のお気に入り
毎朝、ノーパンで登校させるのを強要して、
みんなのいる教室でのスカートめくり。

加害者の□□のお気に入り
放課後、酒を飲みながら被害者にストリップを強要。
その後にまわりの奴に押さえ込まして性交。


加害者の■■のお気に入り
被害者のアソコにありとあらゆる物をいれる。

加害者どもは校内を原付で走ったり、やりたい放題。
授業中でも被害者を平気で連れ出して、くわえさせていた。


むりやり裸にされてちくびにカッター突きつけられて、
くわえないと殺すぞとかあそこに包丁突きつけて
くわえないと殺すぞとか凄すぎ。

とにかく暴行が凄かったらしいね。

しょんべそ飲まされたり、浣腸させられその写真とられたり
むりやり水のませてションべそしてるところ写真にとったり

加害者の家にむりやりつれてかれてエロビと同じ事やらされたり、
教室でストリップさせられて、その後にくわえさせたり
10人以上にこんな事されたら・・・

公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせて写真撮影、

その2,3日後いとーよーかどーに写真をネタに「来ないと写真ばらまくぞ」と脅し、わいせつ行為。

浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせて写真撮影をしたのは被害者の母を呼び出すためにしたらしい。


空き家、公園の遊具の中、公園のトイレ、公園の隅の木の辺、橋の下、 ヨーカドートイレ、カラオケ、プリクラの中、学校トイレ、美術室、部室、体育館裏&倉庫、夜の校庭 、犯人宅、被害者宅のそばの空き地 、 牛朱別川(うしゅべつがわ)


404 :少年法により名無し:2007/06/26(火) 00:17:37 0
浣腸はいつどんな風にされたの?

408 :少年法により名無し:2007/06/26(火) 20:48:25 0
浣腸は公園のトイレで

初強姦はグループの一人の家で。

学校のトイレでの輪姦が発覚のきっかけになったんだな。

660 :少年法により名無し:2007/08/07(火) 17:19:33 0
放課後に学校の男子トイレ内で集団わいせつ行為というのが多かったようだが
8月の今頃のような夏休みの時はヨーカドーの障害者トイレをよく利用していたようだ


753 :少年法により名無し:05/02/14 16:11:29

1、剃毛

2、公園のトイレで浣腸

3、下着付けずに登校させる

4、夜の学校のグラウンドを全裸で走らせる

5、毎日のようにフェラチオさせて精液は飲ませる

6、「今日もおいしいミルクをありがとうございました」と礼を言わせる

7、中2の夏に、少年達の一人の家で強姦されて処女喪失

8、ついには学校のトイレ内でも挿入されて、これがこの事件がばれる原因となった


757 :少年法により名無し:05/02/16 01:47:08

5、7、8は裁判の記録にも出てくる話だから
本当よ。
あとは当時の週刊誌に出てた内容。

挿入は裁判で触れられてたのはその2回だけど
実際はやりたい盛りの連中だからね。

週一ぐらいのペースではやられてたんじゃないの?

77 :少年法により名無し:2016/06/27(月) 16:02:35.36 ID:6HxGVXYh0.net[5/5]

当時は被害者のイニシャルや実名も書かれていた。
家庭のことも事細かに。


92 :少年法により名無し:2016/07/07(木) 02:26:24.48 ID:QCJwxTr/0.ne
毎日というか休み時間の度に後頭部にグーパンチが挨拶代わりだったそうだ。

94 :少年法により名無し:2016/07/09(土) 17:28:37.13 ID:LKbxT2RK0.net[1/3]

加害少年(●木グループ)らが校内で多数の女子にしていたこと


乳クロー、尻クロー

プロレス技のアイアンクローのエロバージョン。
基本的には服の上から乳や尻を掴む、触る、揉む行為のこと。


乳パン

不意打ち的に乳房にパンチする。
「隙あり!」と言いながらやることが多い。


注射

身体の一部分を思い切りつねること。
主に乳首。


ジャージおろし

女子の背後からジャージとパンツを同時におろす。
北●中は当時、制服ではなくジャージ登校だったためスカート捲りよりこちらが主流。
ウケがいいので可愛い子だけじゃなく不細工や学級委員長などもやられていた。
複数で押さえつけて確実にパンツをおろすことをコンビネーションと呼んでいた。


女子便覗き

隠れてコッソリじゃなく堂々と女子トイレに入って覗く。
下の隙間から、上から。
加害少年らの気配があると女子がトイレを利用しなくなるのが日常。


コーモン(指浣腸)

「コーモン」の掛け声で指浣腸すること。
何故か「コーモン」と言いながら指浣腸していた。

「コ〜〜〜モン」と伸ばすとゆっくりな浣腸。

早口で「コモン!!!」の場合は高速の指浣腸で肛門にヒットすると激痛w

失敗してケツにズレると指が折れそうになる。

北●中は普段はジャージのため女子の肛門に照準を合わせやすかった。


パンツ狩り

可愛い女子を脅してその場で履いているパンツを貰う。

基本的にはしつこく絡んで脅して自らパンツを脱いで差し出させる。
応じない場合は羽交い絞めにしてパンツを強制的に奪う。

本人の前でパンツの汚れを見て、臭いを嗅いだりしてからかう。

狩ったパンツは加害少年らの間で回覧されて欲しい奴が貰う。
教室の掲示板に画びょうで貼って公開することもアリ。

生理ナプキンが出るまで1日に何人もパンツ狩りをして遊ぶこともアリ。

パンツを並べて誰のが一番汚いかを比較して爆笑。

あまり汚れてなくても数日経てば黄ばみが増してくるらしい。
可愛いとされる女子は何度も狩られていた。


ボテハチ

後頭部、乳房、下腹部、背中などにグーパンチを連打すること。
顔などは傷が目立つので殴らない。
言うことを聞かないと「ボテハチにするぞ」と脅す。
基本的に服の上から。



162 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 13:43:09.73 ID:bNHxnw7N0.net

特別教室で犯されてるところに女教師が来て「助けて」と言ったが見て見ぬ振りで立ち去ったくらいだ。

教師も学校も不良グループが怖かったんだろ。


163 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 14:16:08.91 ID:dOcF2vdQ0.net

被害者が3年も言いなりになっていたのはチクったら家燃やすって脅しが効いてたから

本当にそれくらいのことをやりかねないと思わせる程度にぶっ飛んだ野郎だったんだろうね


164 :少年法により名無し:2016/09/19(月) 01:40:59.06 ID:1GnqP9OK0.net

加害者と言われる少年らの親は893とか893関連の土建屋社長とかB地区とか当時の2ちゃんで言われてたよね。

田舎だし、教師も報復が怖くて自己防衛してたのかな。
自分の家族に被害出るの心配だし。

助平なことされてるのは知ってても「これは少女が同意してふざけてるだけ」と逃げてたんだろうね。

まあ教師も人間だし、女子生徒1人より自分の家族が大事だから仕方ないな。

181 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 14:53:20.02 ID:nwhYoLxJ0.net[2/2]

教師も人間だから生徒より家族優先。

自分の娘が不良達にアジの開きにされたらいたたまれない。
後で法の裁きがあっても不良達に犯された事実は消えないからね。

これは教育の域を超えて警察レベルじゃないと対応できない不良達。
警察に垂れ込むことさえ教師は怖かったはず。

1人の少女の犠牲によって他の生徒教師の安全が守られていた。
市からの賠償金はそのお礼みたいなもん。

この少女の容姿がアイドル並みだったために何人かの処女が守られたのも事実だろう。

185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00.net

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・

警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。
女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。
荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。


432 :少年法により名無し:2017/01/22(日) 02:16:16.16 ID:av2Ju1pf0.net

先週旭川の教師が教え子のJCに性的な悪戯して捕まってたな
去年も中学の教師が女子中学生盗撮して逮捕されてるし
旭川は性獣の都なのか?


433 :少年法により名無し:2017/01/24(火) 10:28:56.92 ID:pxmjmM880.ne

t大人の事情がわからずに教師を批判してる子どもが多いですな

自分の受け持ちの生徒が日常的に何度も学校の中でレイプしてるなんて前代未聞の事件が世間に公表されたら出世は絶望的なのだよ

教師も助けてあげたかったのだろうけど気づいたときにはもう手遅れ

世間に公表されたら学校の評判が地に落ちるような凄惨なレイプが行われていた

教師は泣く泣く見て見ぬ振りするしかなかったのだろうな卒業まで耐えてくれと断腸の思いで少女を見守っていたのだろうね

被害者を心配していた証拠に加害者のDQNどもと被害者を同じクラスにしないような配慮をしていた

438 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0.net

通りすがりのおっさん「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい
旭川市民には通報という概念がないのか?



[32初期非表示理由]:担当:アラシ

107. 中川隆[-8013] koaQ7Jey 2017年4月26日 21:50:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

旭川女子中学生集団輪姦事件

旭川女子中学生集団輪姦事件とは1996年12月に発生した北海道旭川市の市立 北斗中学校の女子生徒に対する集団性的暴行・強姦事件である。


事件当時の1994〜1996年は2000年代とは比べものにならない程に少年の素行が荒れていた。北教組公務員の教師は不良少年集団に怯えてまともに指導ができなかった。これが事件発生の要因である。

被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒延べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの性暴力から始まった。

1996年6月、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけに、性暴力はエスカレートしていった。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

事件の舞台となった中学校は不良少年が荒れ狂う動物園のような状態だった。発情期の不良少年はスカートめくりや尻触りに熱中。被害者少女はクラスでも可愛い容姿であったため特に被害を受けていた。

軽いスカートめくりや尻触りが如何にして日常的な輪姦に発展したのか。事の発端は不良少年が被害少女に告白したことにある。しかし、普段からスカートめくりをしてくる猿みたいな不良少年の女になろうなどと思うわけもなく当然少女は告白を断った。そこから大勢の不良少年が少女への嫌がらせを過熱させていった。

不良少年達はそれから少女を囲いスカートの中に手を入れる、教科書を隠し代わりにエロ本を机に入れるなどのスカートめくりから一歩進んだセクハラを開始するようになった。

耐えきれなくなった少女が教師に報告したのが中一の秋頃、ここが二番目のターニングポイントだった。教師は不良少年を呼び出し女の子が嫌がるようなことをしてはいけないとやんわり注意した。パンツ越しに股間を触っても大して怒られなかったことが、不良少年達の暴走が始まることにつながった。

さて教師からの叱責を大して受けなかった不良少年達はそれから日常的に少女の身体を弄ぶようになった。中一の冬に少女を裸にし性交直前で止めた。日常的に裸にして身体を好きなようにしていたが、この時点ではまだフェラもセックスもなかった。処女が奪われたのが中二の夏と少し期間があく。

男子生徒10人は、A子が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。A子が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれレイプされた。

公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要。毎朝、呼び出され、口淫をした後「今日もおいしい牛乳を有難うございました」というセリフを言わされていた。

中学3年の5月に、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせていた。又、女子生徒の弱みにつけこんで、同女子に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返した。

1995年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、立ち去っている。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。

中二の秋にはこのように校内の至る所でフェラを強要され、教師は黙認という異常な事態に発展していた。

また1996年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになった。

こうした異常事態は三年になっても続き、むしろエスカレートしていった。授業中に不良少年は少女の教室に入り、連れ出しにくるが教師は黙認していた。連れ出された少女は便所に連れて行かれ授業中にも裸にされてフェラチオを強要されていた。

その後リーダー格の少年がこっそりセックスをしていたことが仲間にばれ、フェラだけで我慢していたその他大勢が俺も俺も少女にセックスを迫るようになった。不良少年達に殴られ、代わる代わる中出しされ水をかけられた少女が廊下で泣いているところを友人の女生徒が発見。教師に事の経緯を説明し教師は少女を連れて少女の両親に報告を兼ねて家まで送り届けた。そこでようやく両親に事が伝わり警察が介入することになった。

少年2人が少年院、残りの8人が保護観察。賠償額は不良少年達から840万、学校から160万。

なぜ少女はもっと早くに解決に乗り出さなかったのか?不良少年達に家を燃やす、母親も犯すなどと脅されていたことや大の大人の教師までもがビビる不良少年の大群に心底怯えていたためであった。見て見ぬ振りをする教師の姿を見て大人を信用できなかった。事が長く続いてしまったのは決して少女に非があるからではなく、ひ弱な教師にある。


その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

2001年1月30日、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%BC%AA%E5%A7%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6


49 : 少年法により名無し 2015/06/12(金) 14:57:52.26 ID:kC0uPMsE0

裏モノJAPAN2005年11月号、表紙には書いてないけど、記事は確実にあるよ。
6ページでイラスト付きだった。
http://blog-imgs-46.fc2.com/u/r/a/uramonojp/ura200511h_1s.jpg
http://blog-imgs-46.fc2.com/u/r/a/uramonojp/ura200511h_2s.jpg

54 : 少年法により名無し2015/06/12(金) 17:12:26.31 ID:kC0uPMsE0

裏モノJAPANは確かに年月が経った後の記事だけど、被害者の父親の取材も書いてて信憑性高いよ。

被害者が涙を流している寝顔を何度か見て「どうしたの?」と聞いたけど「何でもない」と娘に言われたらしい。

母親の洗濯籠の下着がなくなったりと不審なことが家でもあったんだね。

処女だけは守ろうとして死に物狂いで抵抗したり、女の子の尊厳を傷付けるような恥ずかしい要求も指示通りしてたらしい。
裏モノJAPANはエゲツない雑誌なんで表現が生々しい。

大体は2ちゃんで出てる内容と同じ。
事件発覚の12月24日の詳細も書いてある。
あと、B子という仲のいい後輩のこととか書いてあった。

57 : 少年法により名無し2015/06/12(金) 19:51:02.40 ID:kC0uPMsE0

2ちゃんに書かれてないこと(既出かも知れないけど)

最初はめちゃ可愛いので、あいつの乳揉みたい、マンコ触りたいという会話から始まった。

学校近くのJR高架下の空き家に拉致って5回やった。

輪姦されたくなかったら○○しろと言われ何でもやらされてた。

マンコに入れるものを二択とかで選ばされる(真冬に氷とか、太鼓のバチとか)

あだ名は2ちゃんに書かれてる通りで、校内で被害者を見かけると歌を歌う風に呼ばれてた。

事件発覚のクリスマスイブの集団暴行は、下校中に下っ端メンバー3人に拉致られて学校まで連れ戻された。

学校へ着くとリーダーら7人が待っていた。

親友の後輩B子が泣いてる被害者を見つけ抱き合って一緒に泣いた。
その後、教師へ訴えて不良集団END

イラストが何枚かあったけど、強制撮影された写真かなぁと思われる。


58 : 少年法により名無し 2015/06/12(金) 19:59:28.42 ID:kC0uPMsE0

結局、浣腸も剃毛もノーパンもプリクラで恥ずかしい写真も全部、「やらないと犯すぞ」の脅しで従ったんだよ。

処女を奪われた後も「やらないと全員で犯すぞ」とか言われていいなり。
辱めて笑い転げるイジメでどんどんエスカレート。

不良集団は中3になって先輩がいなくなり凶暴化してチーム名つけていろいろな悪事をしていた。
雑誌記事は可哀相だけどオナネタにしかならない内容。


61 : 少年法により名無し 2015/06/13(土) 16:42:28.88 ID:RnLDilOO0

被害者は目鼻立ちがはっきりしたアイドル系の可愛い顔で、入学と同時にすごい可愛い子がいると他のクラスの男子でも話題になって、不良集団は被害者を見かけるたびに声をかけてた。

被害者の方もリーダー格の少年のことを、ちょっと悪るっぽくてカッコイイと思って、話しかけられたら普通に会話してたらしい。

被害者はこの時点では明るく活発な子で服装も真面目。
成績も学年100人中20番以内と勉強もよくできる子。

被害者の身体を触るより先に、他の可愛い女子生徒数名がターゲットにされ触られていた。

その「触る」とは、ちょっとタッチするという甘いものではなく特別教室に連れ込んで大勢で押さえつけて満足出来るまで身体を弄りまくる行為。
昼休みに30分間触り続けることが日常化。

被害者はリーダーのお気に入りのために手を出すなと言われていた。

それでも胸や尻を軽くタッチする程度はリーダー格はしていたが、被害者も「やめてよw」と笑いながら嫌がるような程度。

この段階ではリーダー格が自分に好意をもっていると薄々は気付いていたと思われる。
悪い噂は耳にしていたけど自分には優しいので嫌いではなかった。

地獄への切符が切られたのは中1の2学期早々にリーダー格から告白されたのを断ったのが原因。
不良集団のリーダーと言えどまだ13歳のガキ。失恋のショックが怒りへと変わる。
あいつ可愛いからって調子に乗りやがって、絶対ゆるさねぇ!!!

これが被害者が性奴隷にされるきっかけ。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1407650015/


75 : 少年法により名無し 2015/06/16(火) 18:11:41.77 ID:F6csk7W60
当時、テレビ朝日のザ・スクープで放送時間全部使ってやってたな。

同級生数人にインタビューしてたけど、「可愛い子」「学校で一番可愛い子」「クラスで1番美人でした」と言ってた。

みんながみんな「可愛い」「美人」と言ってたんで可愛かったんだろ?
録画してたけどVHSだから見れない。


147 : 少年法により名無し 2015/09/10(木) 01:24:18.28 ID:YCITuX4K0

俺の独自調査によると被害者の子はヤンキーでもギャルでもない普通の中学生らしい中学生だったみたいね
黒髪のツインテールで目がぱっちり二重の美少女で乳が中学生とは思えんほどデカかったらしい

163 : 少年法により名無し 2015/10/14(水) 15:11:47.92 ID:j2kJs1sp0

80年代の公立中学はレイプは日常だった。
訴えるなんてほとんどない。
友達には相談しても親や教師には絶対知られたくないこと。
不良連中が校内の可愛い子を何人も犯してたから、犯された子も自分だけじゃないと泣き寝入り。

教室で不良が昨日は誰を犯したとか会話してたから犯されたリストは大体知ってる。
卒アル見ると今でも興奮する。


164 : 少年法により名無し 2015/10/14(水) 15:17:58.94 ID:j2kJs1sp0

ちなみに同級の不良グループのうち大人になってから
殺人未遂逮捕1人、殺人逮捕1人、殺害された者1人。
ニュース、新聞に載ったものしか知らないから他にもあると思う。

マジ怖いからレイプくらいで訴えられなかったと思う。
俺の学年だけでも20人以上犯されてるし、下級生とか他校の中学も犯してた。
授業中でも平気でそういう会話してたから。

166 : 少年法により名無し 2015/10/17(土) 01:17:36.84 ID:Njp04jbW0

まあレイプのない学校なんてねえからな
俺も厨房の頃はヤンキー達がペットにしてる女貸してもらって楽しませてもらってたな
明るみに出たのがこの事件ってだけでこの手の話はどこにでも転がってるよ
大人数で脅してきちんと教育すりゃ性奴隷なんてすぐに作れるな
少年法に守れた厨房だけの特権やけど


108 : 少年法により名無し 2015/06/29(月) 16:51:02.03 ID:49DINooa0

たしか1つ上の兄がいて、不良らに「兄貴とセックスさせるぞ」とか「母親も犯すぞ」と脅されて口マンコにされてたんだよな。

学校休んだら写真ばら撒くぞ等と脅されたので1日も休まず登校した。

127 : 少年法により名無し 2015/08/26(水) 01:40:41.66 ID:hFoypG3T0

被害者の少女は不良たちが学校に来ている間は授業中だろうとかまわず引っ張り出されて常に不良たちの玩具にされていた

普段は昼頃に登校してくる不良達がいない間は少女は真面目に授業を受けていて、それが少女にとって束の間の安息であったはずだが、
時折授業にやってくる不良達は、真面目に授業を受けている少女に様々な性的な嫌がらせを多くのクラスメートの目がある授業に敢行していた

不良達がいる間は用を足すことさえ自由にできない少女は授業中に幾度となく失禁をして、不良達にからかわれながら、尿でぐしょ濡れになった下着をその場で脱ぐことを強要されていた

また教室から引っ張り出されたときも少女にとって悲劇であることには変わらない。
校内の至る所で裸の少女が不良に命じられるままに屈辱的なポーズをとらされ、乱暴に性器を弄られているところを多くの生徒が目撃している

少女が初めて剃毛を強要された日がいつなのかほとんどの生徒が知っている

少女は廊下ですれ違う生徒や教師に不良に改造されたひどく短いスカートを自らめくり上げて、性毛が綺麗に剃られた局部を見せつけていた。

横で監視していた不良たちは恥ずかしがる少女や当然の性器の露出に戸惑う生徒を見て、ニタニタ笑いながら少女を冷やす

ほとんどの生徒が、少女に同情を寄せながらもその痴態を目撃することを楽しみしていたこともまた事実だ。かくいう私もまたその一人であった

ある日のこと、三万円を支払えば少女と性行為ができると不良の一人が私を含む何人かのクラスメートに声をかけてきた

不良たちが遊ぶ金欲しさにしばしば少女に売春を強要していることは、少女と不良達な関する様々な噂の一つとして聞いていたが、まさか校内でそれを行うとは思っても見ないことだった

三万円は自ら稼ぐ術のない私にとってはとてつもない大金であったが少女の可憐な顔、美しい裸体、綺麗なピンク色の性器を思い浮かべると後先など考えることはできなかった


129 : 少年法により名無し 2015/08/30(日) 01:15:28.89 ID:XdMENRD80

いやヤンキーとは真逆の存在だったよ
かなり可愛い子だったんだけどイケてるグループとは距離置いて底辺のブスどもとツルんでた

今でいう腐女子の走りみたいな感じだったなブスどもと教室の隅で漫画読んだり絵描いたりしてるような子だった

飛び抜けて可愛い被害者がそんなことしてたから逆に目立ってしょうがなくて
地味な髪型で化粧もしてないのに圧倒的に可愛かったからオタク系の女子以外にはかなり嫌われてたな

それが男子にも伝播してクラス全体からいじめられるようになったんだけど
当初はエロ目的じゃなくて普通のいじめだったな

オタク野郎きめえから学校くんなとかそんな悪口から始まって小突いたり物隠したりするようになって
もちろん被害者が可愛いかったからってのもあったけどスカートめくりとか尻叩きはいじめ一環としてだったな

エロいことしたいからってよりもクラスの空気的に被害者をいじめるって感じだったな

本当によくあるただのいじめでたまたま標的が可愛い子だったってだけなんだよね
まあただ毎日スカートめくりとかしてて、被害者には何しても良いって空気が蔓延すると男子の目の色が変わってきてさ

いじめってことにすりゃとびきりの美少女を好きにできるんだから当然なんだが、被害者のおっぱい揉んだりマンコいじったりするようになって

中一の終わりくらいには便所連れってて裸に剥いて調教するのが当たり前になった

この頃には被害者にエロいことするのが目的になってたけど女子の手前エロ目的だけってわけにもいかんくて殴ったり便器舐めさせたりションベン飲ませたりと気の毒なこと色々されてたわ

被害者が学校くると教室の後ろに引っ張られて裸にひん剥かれて殴られながらエロいことされまくってた

ゴミ箱にはいつも被害者のパンツが突っ込まれててまともにパンツ履けてた日は数える程しかなかったと思う


130 : 少年法により名無し 2015/08/30(日) 01:34:50.17 ID:XdMENRD80

そんな感じでエロいことも暴力もエスカレートしててって中二の初めくらいで処女散らされてからかなり頻繁に犯されるようになって、夏休み前には肋かどっか骨折して入院してたな

中二になって被害者の身体がエロくなってくのに比例して男子の力も強くなったからってのもあるのかな

まあそんなことがあったから被害者はかなり暴力に怯えて、なんでも言うこと聞くから痛いことしないでくださいって当時一番熱心に被害者をいじめた奴らに頼んで

そっからかなぁいじめっていう感じではなくなって被害者がそいつらの従順な性奴隷みたいになったのは

そいつらは被害者にかなり酷いことしてたけど暴力は収まったみたい

ところかまわず脱がしたり恥ずかしいことさせるのは変わらなかったけど

そんな感じで中二の秋くらいにはそいつらだけが被害者を独占してて具体的に何されてたのかはあんまりわからん

全裸の被害者に首輪つけて犬の散歩みたいなことしてたり男子便所で犯されてたりするとこはたまに目撃してたけど詳しいことはほとんど伝わってこなかったな


158 : 少年法により名無し2015/10/06(火) 00:20:44.75 ID:R8u2V7Jm0

浣腸と中出しどっちが嫌だったんだろ

授業中の脱糞強要が二回
公園で浣腸が一回
教室の公開プレイはアナルに指入れが多かった

加害者スカトロジストの素質があるな
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1407650015/




156 :少年法により名無し:2008/04/04(金) 13:00:06 0
先生に相談しても先生が「その話はしないでくれ」って信じられんな。
福岡の放尿中学生みたいく、よっぽど犯人グループと親がワルだったのか。


106 :少年法により名無し:2008/03/09(日) 06:52:51 0

地元のヤクザの親分、しかも表社会でも名士の奴の息子がボスだったから、
先生すら逆らえなかったんだよ。

田舎はそういう奴が多い。
代々、不動産屋+土建屋+学校理事長+市会議員とかな。
その地域を文字通り支配してる。

108 :少年法により名無し:2008/03/09(日) 16:54:35 O

告白してフラれたから廻したって話だったよな?確か。
わりと当時から学校中で有名だったらしいからなぁ…それでも何も出来ない旭川に乾杯。

…旭川からマジに出てぇ…。


141 :少年法により名無し:2008/03/31(月) 20:08:20 0

北海道は、旭川、富良野といい中学校でのレイプが多いよ。
実名さらして、死刑にしないと、この手の犯罪は無くならない。


224 :少年法により名無し:2008/05/05(月) 13:09:58 0

北海道は普通にDQN多い。大人も保守的閉鎖的だし。
俺の周りでもそれが嫌で大学は道外にする奴多かった。

これの悪ガキどもの親がヤクザ兼お偉いさんで、
先生も気付きつつ放置してたったのも十分あり得る話。


273 :少年法により名無し:2008/05/20(火) 19:03:11 0

犯人グループは北都のDQN史でも特別な連中。

福岡の逮捕されたガキと一緒。親がヤクザ兼地元の被差別団体の幹部。

糾弾集会でググれば、奴らとトラブルと家族含めてどんな目に遭うのか分かる。
担任も学年主任すらびびって見ないふりだったのに、周りの生徒に正義を求めるのは酷だよ。
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/youth/1200579750/#_=_



[32初期非表示理由]:担当:アラシ

108. 中川隆[-7993] koaQ7Jey 2017年4月28日 10:39:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://yo2605.blog114.fc2.com/blog-entry-72.html

中学校側の無策が輪姦に

347 名前:可愛い奥様 mailto:sage [2005/06/25(土) 09:16:59 ID:HnoB+bhu]

  何年か前に夜のニュースで見た事件。(実際の事件はさらに数年前に起きていたらしいのだが。)

北海道のとある地域にある中学校に入学したA子さん。A子さんは入学当時から同級生(同学年男子)に「性的なからかい」を受けていた。A子さんは両親に相談するが「無視しなさい」との言いつけで同級生のからかいを無視し続けるが、そのうちにからかいから「性的いやがらせ」へと進化していく。

  耐え切れなくなったA子さんは再度両親に相談。ここへきてさすがにA子さん両親は学校へと相談。しかし学校は「そのような事実は確認できていない」と真っ向から否定。(このご両親がここでA子さんを転向なりなんなりさせなかった事が本当に悔やまれる。)

  しかし現実にA子さんは、下着を下ろされたりといやがらせを受け続けていて、納得の出来ないA子さんご両親は再三学校へ訴えつづけるが、やはり学校の対応はぬるいものだった。

  そして事件が起きる。中学3年の受験を控えた頃、A子さんは同級生たちに校内のある場所に監禁されて、20名近くの男子生徒に輪姦される。怒った両親が学校に出向き激しく抗議するも、男子生徒の親が「A子にも落ち度がある」と主張。絶望したA子さんのご両親は学校を相手取り民事裁判を起こす。

  というのが大体の事件のあらましだったと思います。A子さんが今、幸せでありますようにと本当に思います。

旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://saki.2ch.net/youth/kako/980/980849555.html

1 名前: おかしい 投稿日: 2001/01/30(火) 19:12

■女生徒暴行訴訟で原告勝訴 旭川地裁
市と道に200万円の支払い命令

  北海道旭川市の市立旭川市立北都中学校で男子生徒らが女子生徒に暴行などを繰り返した事件で、被害者(19)と両親が「事件は教諭ら学校側が安全配慮義務を怠った結果」として、国家賠償法に基づき旭川市と北海道に総額約四千四百三十万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が三十日、旭川地裁であった。

  斉木教朗裁判長は「学校が加害男子生徒の指導を徹底すれば、女生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として、旭川市と北海道に計二百万円の支払いを命じた。

  訴状によると、中学一年当時から始まった男子生徒らの被害者に対する性的嫌がらせは次第にエスカレートし、中学三年時の平成八(一九九六)年には、男子生徒十人に校内のトイレで暴行などを受けた。 

  担任教諭らは、女子生徒から被害の相談を少なくとも三回受けたほか、わいせつ行為を目撃したことがあったにもかかわらず、男子生徒らに適切な指導を怠り、事件後の真相解明を求める被害者側に対し責任逃れに終始した、としている。

  男子生徒十人は、旭川家裁により少年院送致や保護観察処分などをすでに受けた。


2 名前: 見てみぬふり 投稿日: 2001/01/30(火) 19:19

  斉木裁判長は判決で、訴えを全面的に認め、「少なくとも相談を受けた平成八年六月の時点で予見は可能だったが、詳しい事情聴取をせず、指導強化も怠った。女性はこの相談以降、少なくとも六回の暴行を受けた」と学校側の過失を認定。さらに、集団暴行事件について「教頭は両親に暴行の事実を隠して胸などを触られただけと説明し、事件が闇に葬り去られる危険性もあった。これだけでも重大な違法行為にあたる」と厳しく指摘し、「前代未聞の悲惨な事件」と断じた。

  その上で、損害賠償額は一千万円が相当としたが、加害生徒から支払われた示談金八百六十万円を考慮して、女性には市と北海道が連帯して百七十万円、両親にはそれぞれ十五万円を支払うよう命じた。


29 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/31(水) 20:29

  私の地元。その時私は高校生だったけどこの事件はかなーり衝撃的だったよー

 みんな「どこの中学?!」て騒いだなー 地元紙にもいろいろ記事載ったけど、なんだか釈然としないまま事件は消えて行ったと思った。

  でも今頃になってやっと判決が出たのね。裁判は時間かかり過ぎ。女の子はけっこう可愛かったらしいけど、集団レイプ最低。

08: 名前:名無しさん投稿日:2001/01/31(水) 17:14
  北都中だよ。同じクラスのやつがちょうどこの学年。

15: 名前:しゃもじ投稿日:2001/01/31(水) 20:05
  北都なの? じゃあ、ジャージプレイか。


21: 名前:名無しさん投稿日:2001/02/02(金) 12:27
  職員室と教室が遠いからなんでもあり! 学校中美術品飾って「学校美術館」てよんでた。(トイレの中まで飾ってあった。ツバとかついてるだけで全校集会で犯人探し!)

  事件が起こったのはエリート校長の時、(だから問題起こしたくなくて隠しに走ったのでは?)


126 名前: 北海道警察 投稿日: 2001/02/07(水) 22:00
  旭川市立北都中学校。被害者の女子は、俺の同級生の妹だった。俺が中学の時、いじめがあったが、先生はなにも役にたたなかったなー 担任の山?先生


127 名前: ↑ 投稿日: 2001/02/07(水) 22:43
  ひょっとして音楽の?

いじめられる方が全面的に悪い


378 名前: 名無しです 投稿日: 2001/05/30(水) 20:41

  私が旭川市内の中学生だったのは15年以上前の事。旭川出身者としては、担任教諭が被害者の相談を受け、現場を目撃してもなお動かない、という所が「いかにも旭川の中学校らしい」と思いました。

  「いじめは、いじめられる方が全面的に悪いのだから、止める必要はない」という考え方の先生が多いみたいなんですよ、旭川教育大の出身の先生には。私の3年の時の担任もそうでした。始業式の日の自己紹介の時に前述のような話を一席ぶって・・・。その年に配属されたばかりの新米でしたから、自身の経験から出た言葉とは思えないんで、大学の教育課程でそういう考えに染まった様で・・・。

  担任がそんなだから、クラスにいじめが起きて・・・苗字が同じだったもんだから、私、他人事に思えなくて、ムダだろうな・・・とは思いながらも一応担任に報告するんだけど・・・完全無視でしたね。

  賠償金、市と道が払ったんですか? 学校と教師どもが払うのが筋じゃないの?

386 名前:可愛い奥様 [2005/06/25(土) 18:16:16 ID:czkHlrDC]

  結婚前に勤めていた会社で聞いた話。ある社員(男40代中頃)が高校生の頃、友達数人で公園のアベックを襲って、彼女の方をみんなで強姦した話を酒の席で自慢げにしたらしい。

  その席にいた人はみんな驚いて、ドン引きだったらしいけど、本人は酔っていたようでそんな事にも気付かずに、ベラベラ楽しそうにしゃべってたって。本人は「青春のひとこま」みたいに「よき思い出」として語ってて、まったく罪悪感は感じてなさそうだったって。

  いわゆる一流大学を出て、奥さんも綺麗で、女の子2人の父親だった。
http://yo2605.blog114.fc2.com/blog-entry-72.html


109. 中川隆[-7961] koaQ7Jey 2017年4月30日 10:25:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

●旭川女子中学生校内集団レイプ事件●

470 :名無しさん@ピンキー:02/10/16 11:23

俺が聞いた噂では、この女の子が怒って訴えたのは、学校や教師の態度が原因らしい。

授業中にフェラチオさせられたりしているのに、女子生徒が同意していると
勘違いしてたのと、不良たちにビビってたのと二つの理由で
男子生徒怒らないばかりか、なんと、不良たちの機嫌を取っていたらしい。

「A子のお口はどうなんだ?気持ちよかったか?(笑)」とか、

「妊娠には気をつけろよ」とか、

「口のなかに射精しちゃってるのか?(笑)」とか

「授業中じゃなくて、せめて、お前ら休み時間にフェラしてもらえよ」とか

そういうことを言っていたらしい。だから、少女の家族は怒った。

しかも、授業中にみんなの前で、

「A子と、■■たちは、もうエッチしてるんだぞぉー」とか

「A子のフェラチオはそうとうウマイらしいぞ」とか

生徒の笑いを取りたくて、授業中に言ってみんなのクスクス笑いを誘っていたらしい。

教師こそが加害者だ。
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/ogefin/1007475004/470


536 :名無しさん@ピンキー:02/10/18 00:19

その当時の週刊誌で読んだ記憶があるのは・・・・・・・

不良10数人たちは、少女の事を「便子(べんこ)」って読んでいたということ。

出したくなったら、チンポ咥えさせて口内射精する”便所”代わりという意味と
いつでも射精できる”便利な女”とうい二つの意味で便子と呼んでいた。

しかも、教師や一部の同級生までが、 不良に性欲処理に使われているのを知って、
その美少女を「便子」って呼んでいた。

>>470 に書いているみたいに、
「先生も独身だから、溜まったら便子にチンコしゃぶってほしいなぁ
 なんてたって、便子は便利な女の子だもんねぇーーー」とか、

「男子は、おしっこは、男子トイレに、  精液は便子に出すんだぞぉーー」とか

「便子は、生徒だけど、性教育の先生でもあるよな(笑)」

とか、言っていたらしい。

そうじゃなきゃ、裁判沙汰にまではならなかっただろうにね。
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/ogefin/1007475004/


[32初期非表示理由]:担当:アラシ

110. 中川隆[-7993] koaQ7Jey 2017年4月30日 10:41:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

565 :名無しさん@ピンキー:02/10/19 04:51

この少女レイプされている時にコーマン濡らしてたんだよね。
もちろん、それは本能的なものであり、 体が性器を守ろうとして分泌するものなんだけど、加害者たち本人と、学校やその弁護団は、それを鬼の首を取ったように主張した。

それはさすがに地元マスコミも、まともな主張じゃないという論調だったらしいけど。

加害者側いわく

「少女の性器は性交や口淫をしているときに、加害者と言われている男子生徒たちによってたしかに、分泌液が確認されており、それは少女の快感を証明する。

 性交や口淫が強制的なものではなく、少女も同意いや、少女も好んで進んで行っていた証左である。

 性交時には少女は性器に性的快感を覚えていた筈であり、分泌液がそれを証明する。

 また、口淫に関しても、男子生徒が自分だけの快感のために陰茎を少女の口に含ませたと言うよりも、少女も性的な興奮を得るために、進んで少年達の10人のペニスをみずから口に含み口淫していたことは明らかである。

 そもそもそうでなければ、無理やりに口を開かせることはできないはず。
 この裁判は、10数人と合意の上で性的に楽しんでいた少女が後から少年達を陥れたものであり、被害者は少年側である。」

と、こんな主張をした。

ま、弁護士はそれが仕事とは言え、あまりに無茶苦茶。

はっきり言えば。。。。。。。。。。。。。。。。

お 前 ! ま ん 汁 で マ ン コ を 濡 ら し て た ジ ャ ン!

って弁護士が当時中学生の被害者に言っているのと同じなんだよ。酷すぎるな。


589 :名無しさん@ピンキー:02/10/20 13:50

>>565 の話は俺も地元(道央)だから、断片的に読み聞きした。

色々と真っ赤な嘘の作り話をして、全てをひっくり返そうと言う卑劣な戦略。
判決ではそれらの弁護は一切採用されなかったのが、救いだよ。


「少女の性器は多量の分泌液でヌルヌルになっていた」(少年側弁護士A)

「おちんちんを見せて欲しいと授業中に言われた」(少年A)

「フェラチオしてみたいから、させてほしいと言われた」(少年B)

「少女はマスターベーションの経験があって、いつもしてると言った」(弁護士B)

「トイレに連れ込んでパンティを脱がすと、
 すでに、あそこは愛液で湿っていたと言う証言がある。」(弁護士B)

「男の子のせんずりをじっくり見せて欲しいと言われて驚いた」(少年C)

「トイレで大勢の男子がズボンを下ろした状態で
 少女を囲んでフェラチオの順番待ちをしている時、
 頼んでないのに、チンポを握ってきて、口に咥えた。」(少年D)


うろ覚えだけど、こんな感じ。ネットソースはマスコミが自粛するし、
判決文とは違い法廷でのやりとりは文章では公表されないから無いかも。



[32初期非表示理由]:担当:アラシ

111. 中川隆[-7987] koaQ7Jey 2017年4月30日 12:47:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

112. 中川隆[-7902] koaQ7Jey 2017年5月01日 08:37:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


113. 中川隆[-7810] koaQ7Jey 2017年5月05日 08:20:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人が真実を明らかにされると困るみたいなので、このスレだけ もうしばらく継続します:

>>109 ●旭川女子中学生校内集団レイプ事件● に追記

167 名前: らっつ 投稿日: 2001/02/01(木) 16:45

1.彼女は何故、強姦された後も学校へ行き続けたか?
  ・教師に訴えた後も「少なくとも6回は強姦された」とのことだが
  何故、そんなにまでして学校へ行き続けたのだろう?

2.目撃した教師は何故止めなかったのか?

3.彼女の訴えを聞いた教師は何故犯人に制裁を加えなかったのか?

この「被害者」は本当に強姦だったのだろうか?
判らん事件だ・・・


169 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/01(木) 16:49

私はいじめで自殺を毎日考えていたけど学校にいった。
学校に行くの当たり前だと思い込んでいたので。
先生にも訴えたけど助けてくれなかったし、状況は変わらなかった。
反抗すれば一番下の弟を(当時2歳)酷い目にあわせてやるとも脅された。
親にも言えない、誰も助けてくれない。
世の中はそんなものだ。


173 名前: 窓際リーマン 投稿日: 2001/02/01(木) 17:07
>>167
1.親に心配掛けたくないとか、脅されてるとか諸事情があったんだろうな。
2.イジメは昔から黙認ですよ。
3.自分の学校で強姦事件があったなんて分かったら大変ですからね。


179 名前: 地元人 投稿日: 2001/02/01(木) 17:48

彼女は中学校が皆勤賞だったんだよね。

立派なのに弁護側はそれを逆手にとって
彼女は性行為を嫌がっていなかったのではないか
っていったんだからひどいよな


181 名前: >180 投稿日: 2001/02/01(木) 17:57

犯行の翌日も登校したのか。
バカガキ共は>>179の様に考えただろうな。
弁護士はバカガキと同レベル。


182 名前: 169 投稿日: 2001/02/01(木) 18:01

私はいじめを家族にも言えなくて家にもいる場所がなかった。
しょうがないから学校にいった。
学校以外いくところがなかったから。


183 名前: 169 投稿日: 2001/02/01(木) 18:03

こんな私もいじめを喜んでされていたと言うんだろうな。馬鹿弁護士は。


185 名前: おそらく 投稿日: 2001/02/01(木) 18:26

加害者が10人以上いて、しかも学校の教師の責任もからんでくるから
加害者側はかなり大弁護団を組めたんだろうな。レイプされた上に
訴訟費用も負担しなければならない被害者はふんだりけったりだよな。
加害者に有力者の馬鹿息子がいた可能性は大だな。


186 名前: ななしさん 投稿日: 2001/02/01(木) 18:29

ニュースで彼女は被害にあった翌日も学校に
通ったと入ってたけど皆勤賞だったとはねー

我慢しちゃう子だったのかも


188 名前: 信じられないのは 投稿日: 2001/02/01(木) 18:34

輪姦直前に囲んでいるのを目撃した女教師だよ。
同じ女として なんとも思わないのかね。出世をえさに校長あたりに口封じされたのか?


136 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 13:03

斜め向かいに交番あるのに・・・
教育委員会だかどっかの偉い役職だった人が校長になった時なのに・・・
あんな事件がおきるとは・・・


137 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 13:21

私が入学する前はかなり荒れていたらしいが、校長が替わったりして荒れが収まっていた。
学校内に美術品を飾り(トイレ内にも)「学校美術館」と呼んでいた。

しかし私が卒業した後校長が替わり(エリートで定年前の最後の学校だったらしい)
あの事件が起きた。


141 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 14:11

エリートだから問題起こしたくない → 問題隠し → 被害者が訴えてしまった。

そんな構図ではないでしょうか?

279 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/03(土) 18:16

事件当時なんかの週刊誌で大きくとりあげられていたな。

それによると、顔射、中出しをやっていてさらに、「今日OOの誕生日だからそいつとやれ」 みたいなことを言ったらしい。


当時隣町の厨房だった俺は、この事件とても印象にのこっていて、最近旭川の人に
このことを聞いてみたところ

「この手の事件はいろんな所(厨学)であったのであまり印象に残っていない。」

と、いう答えがかえってきた・・・

考えてみれば空知・上川はそんな事件ばっか。

俺が知っている事件。厨学のころ、そういうことをやっていた奴が、高校の時甲子園逝った・・


312 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/05(月) 17:46

北海道新聞夕刊より

元担任教師は99年に自己都合退職、
教頭は2000年に定年退職。
処分を受けることなく、円満に定年退職。

なんか変。


316 名前: d d s 投稿日: 2001/02/05(月) 20:16
>>312
その新聞って今日の?

自分の学校で起きた強姦の事実をなかったことにして被害者の両親に説明
した教頭が、円満に定年だと……ふざけてる。実名公表の上、年金も恩給
も停止しろ!


303 名前: らーめん 投稿日: 2001/02/04(日) 22:03

女も悪い
逃れる手段はいくらでも有ったと思うが?

6回遣られてから「強姦されました」と
言うのは変。
脅されてたんだろうか?


308 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/05(月) 08:15
>>303
脅迫されてたんじゃないの?

母親を襲うとかなんとか言ってたらしいぞ、

と言うか、中学生の女の子だろ、ヤクザもどきのガキンチョに脅されたら
言いなりになるだろ・・・。

489 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 01:50

この事件で一番いやらしかったのは少年グループが被害者の母親が
美人なのに目をつけて、何度も被害者に母親を呼び出させようとして
た事。大人の女を犯したかったんだな・・


501 名前: デフォルトの名無しさん 投稿日: 2001/02/13(火) 14:35

被害者の母親とやろうとしたっていう話は、
事件が発覚当時の週刊誌に書かれていました、確か。


774 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/05/29(火) 18:32

当時の週刊誌によると

「ちくったらお前の母親も同じ目に合わすぞ。」

と屑どもに脅されていたとのこと。


526 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/14(水) 01:36

「・・あら、何かご用なの」
「えへへ・・おばさん、美人だね」
「おっぱいもでかいじゃん」
「な・・何なの!?・・ふざけない・・ああ・・やめなさい!」
「いいじゃん、ちょっと触るだけ・・パンツ何色おばさんヒヒ」
「うわっ、でけえけつ!あそこも・・娘とは違うな・・ケケケ!!」
「早く入れちゃおうぜ」
「その前に舐めたいな・・」


492 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 02:37

母親を守るためにも被害者は身をなげうったんやな。
ほんまに可哀相や。
その家族にもこの辛さは打ち明けられへんねやな。
ホンマに鬼や。人間やない。
被害者は、これだけ酷い目におうても、更に大切な人間を守ろうとしたんやな。
この事件は絶対に忘れへんからな。


493 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 03:19

女にしかわからないと思う。


216 名前: げる 投稿日: 2001/02/01(木) 23:21

目撃した女教師はレイパーたちに向かって
「ほどほどにしなさいよ」とだけいったそうな。
そのごレイパーたちはほどほどにかおりちゃんを回したわけだね

565 名前: 許せん!! 投稿日: 2001/02/15(木) 22:16
事件発覚後、被害者は警察(?)に

「私は将来、普通に結婚できるんでしょうか?」

って聞いたらしい。
多分、読売新聞に書いてあったと思う。
かわいそすぎる。


632 名前: 名無しさん23 投稿日: 2001/03/22(木) 02:45

あのさ、被害者家族は土地を離れ、ひっそりと暮らしているそうな。
だから、続報も入らないの。

蛆マスコミも取材に行ってみたりするけど、やっぱしそっとしといてくれ
と懇願されると、蛆マスコミといえども報道はためらわれるそうな。
(バッシングに遭うのが怖い、という意見も80%だけど(笑))

加害者どもは、快活に生きてるそうですよ。笑ったりしてね。
それなりのペナルティ(町のウワサ程度)は受けていますが、でも別に
「若き日の武勇伝」て感じ。
判決出たし、少年院も行ったからもう禊は終わった、という周囲の見解。

・居なくなった人間
・近所に住んでる人間

どっちを庇うか、田舎の人間ならお分かりですね。

「加害者にも非が」というのは、そういう部分と、裁判の加害者側弁護士
による、人権無視の誹謗中傷に近い質問によるところが大きい。
(濡れてた=感じてた=合意、とかね。)

以上、近年取材した事がある友人より。
http://piza.2ch.net/news2/kako/980/980843323.html


114. 中川隆[-7809] koaQ7Jey 2017年5月05日 08:29:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人が真実を明らかにされると困るみたいなので、このスレだけ もうしばらく継続します:

奇習! 数多の少女を性奴隷にした「謎の紳士」 ― 戦災孤児を襲った“風呂”の誘惑
http://tocana.jp/2017/05/post_12298_entry.html

 かつて行われた第二次世界大戦の際に、日本は多くの尊い人命が失われ、また、美しい国は文字通りの焼け野原と化したが、そうした戦争の爪痕は、その後の日本においても多くの暗い影を落とすこととなった。とりわけ、この戦争により親兄弟を失った戦災孤児たちを巡る悲運は、まさに筆舌に尽くしがたいものであったことは言うまでもない。

「もうあれから何十年も経ちましたけどね、思い出すだけで胸が苦しくて。本当に忘れてしまいたい、辛い記憶ですよ……」

 終戦直後に遭遇した謎の紳士と、その後に生まれた悲劇についてそう語るのは、自らも戦火により家も家族も失った経験を持つという平塚勝道さん(仮名・77)。当時、平塚さんら孤児は、行く当てもなく、帰る家もなく、焼け野原となった東京の片隅で、身を寄せ合うようにして子供たちだけで暮らしていたというが、そんなある日、一人の紳士に出くわしたという。

「本当に良い人だったんですよ、身なりもすごく立派でね。それこそ、お大尽という感じでしたから。周りが焼け野原で着のみ着のままで乞食同然の様子だというのに、まったくそういうものとは別の世界に住んでいる人のようでした。でも今にして思えば、それがすべて罠だったんです」

 その紳士は、時折彼ら孤児のもとを訪ねては、当面必要な食料などを無償で提供してくれる「神のような存在」(平塚さん)で、いつしか孤児たちも、彼に対して自然と尊敬や憧憬の念を抱くようになっていったという。だが、そうした日々がしばらく続いたある日、思わぬ事件が発生する。その紳士に「風呂に入れてあげる」と言われて連れていかれた少女たちが戻ってこなかったのだ。

「“来週は男の子だ”ということで、先に女の子だけが連れていかれたんです。けど、待てど暮らせどその子たちは戻ってこない。その男の人だって、それっきりです。“誘拐されたのかもしれない”って気づいたときには、年端もいかぬ子供だった私らにとって、もうなすすべもありませんでした」

実はこの平塚さんが証言している「謎の紳士」と、それによって引き起こされたと思しき「少女たちの大量失踪」は、多少の差異こそあれど、全国各地で類話が存在し、行方不明になった少女たちの大半が、米兵相手の幼い娼婦とされたり、戦火を逃れた富裕層の日本人たちの「性奴隷」にさせられのだという都市伝説が広まるキッカケとなった。だが、ある史家によると、これはかつて日本に存在した女衒のような人買い業者たちによって引き起こされたもので、そうした人物たちが「謎の紳士」として全国各地に出現しては、彼らの間で共有されていたマニュアル通りに子供たちをたぶらかし、組織的なビジネスとして、こうした行為を展開していたのだという。すなわち、「単なる都市伝説」などではなく、紛れもない「事実」として存在していたというのである。

「……風の噂で、娼婦にさせられたとか、金持ちの慰み者にされたとか、よくない話ばかり聞きました。それを思うと、私は今でも胸がしめつけられる想いがするんです。あの子たちがお風呂に入れると聞いて、大喜びで出かけていったあの日の笑顔が、いつまで経っても頭の中から離れません」

 同じ境遇に置かれながらも、「性別が女」というだけで、その毒牙にかけられてしまったと思しき少女たちの“その後”に想いを馳せ、今なお、鎮痛な面持ちで述懐する平塚さん。数々の文学作品などでも描かれているように、我が国においては、古くから人身売買が慣例化していたが、それは決して大昔の話ではなく、たった数十年前まで大々的に行われていた、忌むべき歴史であったようだ。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/05/post_12298_entry.html

小児性愛組織の黒幕 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html


非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。


http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/

(一部のみ)

1月14日付け

EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters

世界を支配しているCIAの3派

By the Anonymous Patriots

The Millennium Report Exclusive

(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。


CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。


オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。

更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。


CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する


組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。


DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。


1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。

国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。


クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。


クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。

法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。

クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。


オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。

オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。

スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。


CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。


CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。

オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。


CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。


GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。


GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。

また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。

Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):

パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。


パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。

ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。


ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。

ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。


パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。

ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。


パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。


パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の金(ゴールド)を盗んだ。

そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。


Ex-CIA:


既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。

政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。

Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。

Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。


コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。

ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。


これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。


トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。

トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。


CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。


トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。

CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。


ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。

以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html


115. 中川隆[-7808] koaQ7Jey 2017年5月05日 08:39:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人が CIA の真実を明らかにされると困るみたいなので、このスレだけ もうしばらく継続します:


>>114 小児性愛組織の黒幕 世界を支配しているCIA3派とは・・・・ の続き


幼女とかの児童買春の実態を知っているけど質問ある?

6 :日本鬼子◆Ek/JAP/82U :2008/09/09(火) 22:28:04.51 ID:KhA8OcyM0 ?2BP(807)

なんで知ってるの?


9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:32:59.73 ID:Su7cCpTL0
>>6
近い業種で働いたことがあるからです
自分が働いていたところは買春系ではなく、すぐ隣が買春系だったので目の当たりにしてきました。親に売られてしまったかわいそうな子どもたちまで様々な人間模様を見てきました。

怖い人たちについては怖いので伏せておきます。


168 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:02:33.45 ID:PaK/ER+m0

小学生くらいの子も普通に居たって言ってたから、
1の言ってることは本当だろうね


8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:32:17.95 ID:Wz0zAQIG0

プチエンジェル事件の真実を教えてください


>>8
ググって出ることそのまんまだと思います。
超氷山の一角です。


34. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 02:01

スレでプチエンジェル関係のこと聞きまくってた奴
あれを嗅ぎ回ってたジャーナリストが不審死したことを忘れるなよ


234 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:43:58.24 ID:h8mOKCQN0

このスレ見て、初めてプリプリエンジェル事件を知った
心が痛んだ・・・ちんこも痛んだ・・・


14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:42:25.71 ID:1azS2ac+O

ねぇねぇ拉致とかあんの?
自分の娘がなったらどうすべきなの?


>>14
日本でまったく関わりのない人を拉致して商品にするってことはあんまりないです。
少なからず自分から業界の門を叩いちゃった人達がほとんどです。
ただ外国で拉致られたらまず終わりと思ってください


18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:45:03.45 ID:ThmHZpTIO

捕まっても釈放される言い訳教えてよ


>>18
児童買春して捕まったときの?
個人取引だとバレたらおしまいなので予防策として
プロを挟んで取引すればいいと思います。


21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:50:38.75 ID:DcbAlkUcO

この間、アジアの最底辺の児童売春を書いた「闇の子供たち」って小説を読んだけど普通に抜けた
生々し過ぎる

アジアの最底辺に旅行に行って児童売春とかって本当に出来るもんなの?


>>21
有名なタイとかインドネシアとか?w
簡単にできますよ。
あっちはそういう店が多すぎて怖い人達が管理しきれていないので、
個人店とかでゆっくりすることもできますよ。


25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:55:07.12 ID:YFfUhPeJO

いくらでやれるの?


>>25
場所、相手の歳、プレイの内容などでかなりピンキリです。


26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:56:29.69 ID:V2jN3HC80

ペドの政治家のリストを一気に公表とか出来ないの?
したヤツが死ぬの?


>>26
公表したところで信憑性などの問題が出ますし
信憑性のあるものは潰されます

みんなロリ好きでしょ?
政治家となにが違うってお金を持っている持っていないかだけなんです。
たとえ法律でギッチギチに固めても人間の性的嗜好が無くならない限り、
児童買春は続いていきます。
悲しいことです。


29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:59:46.29 ID:ThmHZpTIO

やっぱり低年齢のほうが安いのか?


>>29
逆に低年齢ほど高価です。
またプレイ内容も過激化するほど高くなります。
ここら辺は風俗と変わりありませんね。


37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:06:31.02 ID:KgePybtp0

やっぱこういうのはマンションの部屋に何人か待機してるって感じなの?


>>37
日本の個人向け業者はそんなです。
マンションというか業者の施設で待機して、デリヘルと同じように送られたりします。ただ最近は安全面を考慮して、すべて自前の施設でやらせるとこが増えてきたらしいです。


40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:09:28.68 ID:mn46K1Gg0

細かい事は聞かん
幼女と犯れる方法教えろ


>>40
まずお金を貯めてください。お金がなければ何も始りません。
そのお金を持って国内の業者に行くか、外国のお店に行ってください。
国内は管理が厳しくて一見様お断りが多いので、外国をおすすめします。
それですべて終わったら自分を恥じてください。


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:10:51.90 ID:oY834HSsO

娘がそういう所で働いているのは、親の借金が一番の理由なの?


>>42
現状の比率はわかりませんが、
お金関係で働く子のほかに家出をしてそのままズルズルと入り込む子が結構います。


43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:11:24.80 ID:Ba35LYcA0

何歳のマンコがベストなの?


>>43
自然のままで入るのはJ才くらいからです。


45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:11:49.99 ID:KgePybtp0

はやくどこに連絡したら行けるのか教えろよ


>>45
貴方が素人なら、普通の風俗店から入り、
風俗業界に詳しくなることをお勧めします。
そうするとそのうちわかるようになります。いろんな意味で。


50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:15:58.75 ID:t2BUz6pN0

北斗の拳の連中は女性をすぐ殺そうとするけどおかしいと思わない?


>>50
汚物扱いなんですかね?
女性にはもっと優しく接しなきゃいけないと思います。


51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:16:18.32 ID:aul6gfJH0

どんな奴らが女の子買ってたの?
相場はいくら?


>>51
本当にいろいろお客がいましたよ。
共通点は買うお金があることぐらい?
相場は上記の通りピンキリです。


57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:23:12.62 ID:KgePybtp0

小学生のランドセルプレイとか幼女何人も集めて一緒にお風呂とか
そういうのをするのにはいくらかかるんだコラ


>>57
5人ぐらいで下のクラスなら250ぐらいあればできますね。
ランドセルなどのオプションは新品を買い与えるぐらいの料金と思ってください。


71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:36:17.20 ID:KgePybtp0
>>68
250は高すぎね?前聞いた話は1人5から20くらいが相場って聞いたぞ


>>71
小学生でその値段ってのは商品としてはありえませんね。
それは個人業者のもつ家出少女じゃないでしょうか?


58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:25:48.51 ID:aul6gfJH0

なんか淡々と所詮ビジネスだからという印象なんだが、
レイプや性的虐待とどう違うんだ?


>>58
少なからず本人もしくは周りに責任が発生した結果だからです。
レイプや拉致などまったく無関係の人を染めるのは本当にいけないことです。
しかし因果故にそうなってしまったものはもうそうなるしかありません。
アフリカの子供たちの飢餓を見て「かわいそう」と思っても救えないのと同じです。
環境って残酷ですね。


60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:28:27.07 ID:wKT//1tr0

ガチのロリコンってそんなにいるもんなのか?


>>60
もし法律でおkになったらあなたはどうしますか?
上の問いの答え次第です。


63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:30:44.37 ID:LkbygCguO

気に入った子を文字通りお持ち帰りするにはいくらぐらい必要?
そもそもできるの?
あと外国でこういう事できるの?


>>63
できます。
1k〜10kぐらい。
業者が手放してもいいという商品だったらもっと安くなります。


65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:31:53.05 ID:AI0N9c7I0

フィクションでいいから買ってる奴の具体名挙げてくれ


>>65
ここで苗字あげてもなんのことで終わると思うので、

やっぱり高収入所得者が多いですね。
人間お金をある程度持つと何か外れるみたいです。


67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:33:18.04 ID:QmNi7cbO0

仮に児童買春できたとして、あとでそれをネタにユスられるって事あるのかい?


>>67
ゆするリスクが高いと思うので業者としてはやりませんが、
あとは従業員の教育次第でしょうか。


73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:38:54.82 ID:OmeOu7NJ0

親が売りに来ている、ということはありますか?
また、児童ポルノ法案の可決によって親に売られる児童が増えると思いますか?


>>72
あります。
ただ法案で増えるかというとちょっとわかりませんね。


76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:40:31.03 ID:UFrBGYWgO

250万あれば大衆ソープに100回は行ける


>>76
使い道も人それぞれってことですね。
俺なら車買うけど。


84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:45:45.37 ID:cRxL1VqWO

どこで買えるの?


>>84
一業者で多くて20人ぐらい持ちます。
業者自体の数は把握できていません。


87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:48:11.54 ID:7R6+VE13O

日本人は何人いるの?
あと少女の最低年齢と最高年齢は?


>>87
基本的に国ごとにその国の商品です。
客が自国を求めるのが理由になります。
ただよその国の商品のほうが扱いやすいのも事実です。
俺は見た最低年齢はC,Dぐらいでした。
上見るとババアになると思います。


149 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:47:56.74 ID:3aOQcDE0O

C,Dは3,4だよな?
ペドきめぇ
女は9歳からだろJK


>>149
俺は18ぐらいが好みです


88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:48:25.63 ID:vT9Z9+J50

一見さんお断りなら、どういう人と仲良くなると連れてってくれるんだよ


104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:57:32.74 ID:RB9IrMcg0

俺の予想

高級ソープなどの常連やVIP会員になり店の店長みたいなやつと親密になる
そしてロリを抱きたいからいいとこ紹介してくれと言って金を出す

店長から秘密の店を紹介してもらう
こんな感じなの?


>>104
104ナイス。
まあVIPとかになんなくても詳しい人と仲良くなればいいだけだけど


90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:50:19.67 ID:aul6gfJH0

親が幼女を直接連れてきたりすることはあるの?


>>90
日本では親が直接連れてきて「買ってくれ」はまずありません。
前もってある程度の話をつけ業者が引き取りにいきます。


92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:52:21.73 ID:85RvsPem0

どういうプレイがなされていたかわかる?
わかるならSMで幼女に犯されたりしてもらう人がどれくらいいたか教えてください。


>>92
恋人のように愛し合うプレイから
ネックを抑えて窒息プレイまでなんでもありますよ。
ただどうにかしてもらう客よりどうにかする方の客のほうが圧倒的に多かったですね。


99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:55:01.98 ID:vT9Z9+J50

10歳以下でも本気で感じて喘いだりするの?
マグロじゃ価値がないと思うんだけど


>>99
薬つかいます
マグロとか痛がるのがいいって人もいます。


89. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月11日 00:34

10歳にフェラさせてごっくんさせる。
それを3連発位させるには幾らかかるんだろうか?


100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:56:07.30 ID:TTHJOagA0

児童買春してた子って将来どうなってくの?


>>100
少なくとも社会に復帰する子はほとんどいません。
ただ今を幸せに暮らしている人は知っています。


129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:32:11.01 ID:wjnYZ0Z/0

>>少なくとも社会に復帰する子はほとんどいません。

客とれなくなったら殺されたりするの?
逃げたりする子はいないの?
そんなに自分から軽い気持ちでやって来るものなの?


>>129
ただ処分することはない、なんらかの形で生かす。
逃げる子もいるけど逃げられると思っているのかは知らない。
気づいたら足元泥沼ってのはよくあること。


151 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:48:51.77 ID:wjnYZ0Z/0

>>ただ処分することはない、なんらかの形で生かす。

なんらかの形ってのが気になるな。
二十歳前後になっても違法売春どこかでさせるってこと?


>>151
その歳になって精神保ってる人ってかなり少ないよ。
別の形になります。


84. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 00:01

何らかの形で生かすってどういう事だろう?

同業者(商品を提供する側)にするのか、それこそダルマやマニア仕様にして売るのか…
被害者は精神病院に入る事があるって見たけど、精神科ってセラピーも受けるんじゃないの?
セラピストや医師に、児童買春の被害者でしたって言っても信じてもらえなさそう…
報告受けた医師側が警察に通報しないのかも気になる


86. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 07:25

大抵は消される


153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:49:16.75 ID:5UIYSWjy0

>>1が見てきた商品の中で、「なんでこんな子が…」みたいになるぐらいかわいい子っていた?

>>153
いるいる
養子にしたいぐらい


105 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:58:07.54 ID:/anleTwb0

値段は外国と日本ではどのくらい違うの?十倍くらい?


>>105
西洋>>日本>>>越えられない壁>>>アジア


114 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:17:14.95 ID:uIUpsvyfO

1人で複数質問失礼

・家出少女の取引相場が低いという話があったが、何故そうなのか?
 病気を持っている可能性があるからリスク負担の意か?

・性病について業者は何か対策を打っているのか?
 信用が重視される業界だろうから、訴訟が起こりえないことを理由に
 知らぬ存ぜぬを貫き通すとはとても思えないが…
 「一見さんお断り」や取引相場に尽きるのか、他にもあるのか?

・「適齢期」や性病などが理由で「商品」にならない子どもたちは、
 どう「処分」されるのか?
 女子もそうだが特に男子の場合が気にかかる


>>114
・頼る人間がいないから商品になるしかない

・基本ゴム、生の場合は別金額それに検査及び薬の代金請求

・業者による
外国に飛んでいくこともあれば、
無理やり商品に仕立てあげることもあり、
運よく卒業して生活できる人もいる


115 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:18:44.20 ID:ylyKvIJ90

そういう業者はニュースにならない所で摘発とかされてるの?


>>115
報道されないことは多い


120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:24:02.17 ID:3aOQcDE0O

11歳より6歳が高いって?
リアリティ無いわw


>>120
あなたがそのレスを打っている間にも商品は成長していきます。
若いっていうのは貴重なのです。


121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:24:18.88 ID:9FTK3nDU0

裏に片足突っ込んでたが金あればなんでもありだよ
エロ漫画に出てくるような媚薬とかも普通に手に入るし
まぁ二度と関わりたくはないがww


124 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:25:57.78 ID:aBDtM/pL0

回答は予想できるんだが、
都市部の方が業者が多いよね?
東京都市圏と大阪都市圏。

もしできれば業者がいなさそうな都道府県もあげてくれ。


>>124
えー・・・?
強いていうなら地方?
たぶんいないところはないと思うけど。


126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:26:35.06 ID:T73W4Xzw0

1の組織って全国にあるもんなの?それとも都会だけ?


>>126

            すべてを包み込む何か

          ↓        ↓         ↓
      全国大型業者  他の仕事    怖い人たち    

          ↓
     地方の個人業者


170. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 20:51

しかしすべてを包み込む何か・・・怖いな・・・
その内側が闇でその周囲に陰があるって事か・・・


130 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:32:57.76 ID:DPsW34fhO

幼女に大人が入れてるの見た事あるけど
どうやって成り立つの?
裂けないの?


>>130
薬か器具でほぐすかメス入れる


131 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:33:55.38 ID:5UIYSWjy0

薬とか使わなくてもエロエロな幼女って居るの?


>>131
好きでやっているなら人類皆幸せだよ


133 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:34:10.50 ID:juJNcpWL0

売春してる少女をお持ち帰りするふりして助け出しても
こっちでは国籍やらなんやらめんどくさくて結局助けれないよな
助けるなんておせっかいだよな結局


ぶっちゃけやりたい


141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:40:10.29 ID:0XVCEmraO

その幼女達は売春してる時以外は何してるの?


>>141
ノーマルの売りなら普通に暮らしてる
普通つってもプレイのダメージは日々たまっていくけど


146 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:43:03.18 ID:aBDtM/pL0

地方の方が業者多いのか?意外だったな。
地方の方が「商品」を仕入れやすい、とかの理由があるのか?
単純に都市部だとアシが付きやすいのか?


>>146
専門買い口ってのがあんまりなくて、
都市に送られてくることもあればそのまま使われることもあるから
ケースバイケース?


147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:44:58.45 ID:s4+FVTT/O

アフリカなら腐るほどいるがな〜
でもエイズ率40とか死ぬwww


157 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:53:15.13 ID:PaK/ER+m0

俺の知り合いの子は地下風俗で働いてた事あるらしいよ。高校生の時に
1の知ってるのはもっと児童な感じなのだろうか


>>157
そうだね


159 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:54:25.29 ID:AbKiwKKW0

日本でもあるのか?


>>159
ありまくりですよ旦那


165 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:58:06.16 ID:T73W4Xzw0

これってもっと裏に行ったらスナッフとかそういうのもあるの?
それとも管轄外?


>>165
一応、
調教、改造まで
スナッフにはノータッチ


178 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:06:43.91 ID:5UIYSWjy0
>>177
改造って何するんだ?


>>178
肉体切ったり縫ったり


188 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:11:45.85 ID:6q2oFGXe0

海外にいくとダルマプレイとかって割りと簡単にできんの?


>>188
改造は買い切りがほとんどと聞きました


63. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 11:33

ダルマプレイって何?
怖くてググれん...


64. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 11:48

手足切断


71. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 15:38

ダルマって手も足もないだろう・・・?
つまり・・・。


195 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:18:10.13 ID:83MafjMk0

切ったり縫ったりあんのかよ…
性器改造、ではないよな…あくまでお隣さんだし
もっと目に見える形でやってるってことか


>>195
まあ俺は見たことあるだけだし


200 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:19:45.60 ID:T73W4Xzw0

なんかのイベントハウスで自分の舌切ったり腕焼いたりするような映像は見たこと
あったけど幼女でもそんなことしたりするの?


>>200
金しだいです


201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:20:03.50 ID:5rSpdUadO

死んだりするの?
もし死んだり、自殺したらどうするの?


>>201
専門の処理の方におまかせするらしいです。


60. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 09:30

硫酸で溶解やら解体したりしなかったりして私有地に埋没させるわけですね。
いやー、世の中って怖いなぁ。


179 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:07:29.96 ID:QWazu+HjO

子ども達は学校に行ったりできるの?


>>179
行けないw


180 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:07:41.08 ID:lnQKBRvDO

欧州ってやっぱ厳しいの?
地域によるならわかる範囲でkwsk
あと業者って女とかもいんの?


>>180
あっち側は法律や罰則が異常に厳しい
いいことですけどね
それでも闇は深くまで根付いてる
業者で女ってほとんどいないなー


189 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:12:30.57 ID:cbJqT8CW0

海外では一見さんでもいけるの?


>>186
>>189
買春が盛んな国だとできますね
アジアとかアジアとか


192 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:13:47.66 ID:M66VYJJhO

幼女一人が取る客って1日何人くらい?
客はやっぱり普通の風俗みたいに写真で選んだりするの?


>>192
というより要求に合わせて業者が選ぶ感じです。


202 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:12.59 ID:T73W4Xzw0

中国行ったら戸籍のない子が多いから好き勝手できる?
マッサージ屋行ったら明らかに中学生とか出てきたが。
それともタイのほうがいい?


>>202
人種的な好みで選んでみては?


204 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:34.55 ID:F0neWYFn0

たとえばタイに旅行へ行って空港に着いて・・・
ヤるにはまずどうしたらいい


>>204
タイ 売春宿
でググればすぐわかりますよ
インターネッツは便利だな


205 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:46.67 ID:RhOMhkA60

やっぱりほとんどの商品が病気持ってるんでしょ?


>>205
そうでもないです


206 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:22:03.36 ID:WlxHyYEHO

昔漫画で『16歳になってガバガバだから殺されるよ』

って言ってたけど16歳くらいまで持つの?
妊娠したらどうするの?初潮迎える年まで生きてるの?


>>206
医療班がいれば大丈夫 だとか


208 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:23:04.08 ID:QWazu+HjO

こんな事が現実で起こってるなんてやだな…
買い手は罪悪感とかないのか?ロリコンきめぇww


>>208
罪悪感ってM属性の人には快感じゃないのかな?
と思うことはあります


227 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:39:02.26 ID:QWazu+HjO

幼女犯してる自分って最低って思いながら興奮してるのか…


209 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:23:24.33 ID:mn2hnFIwO

女の子が妊娠したらどう扱われるの?


>>209
降ろさせる
まあピルなりなんなり対策はしていますけど


211 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:24:54.84 ID:aBDtM/pL0

そいや、「商品」は、どういう状態で一日を過ごすんだ?
どこかの部屋にでも放り込んでおくのか?


>>211
繋いどく人もいれば
好きにすごさせる人もいるらしいです。


220 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:33:09.47 ID:lnQKBRvDO

そういやインドで脱走やら廃棄の子供引き取ってるボランティアのおばさんの話見て泣いたの思い出した
もうシャブやり過ぎで余命一年とかそんな子ばっからしいねあの辺り
日本にもそういう団体とかあんの?
そんでソイツらと戦ったりすんの?
夜回り先生みたいなのとか


>>220
日本は露見しないから行動的な団体もないです


238 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:46:39.18 ID:7oobJgbX0

>>220で思い出したけど、インドのスラム街ってすごい事になってるらしいな
外では大人の売春婦がたむろしてるんだけど、ポン引きに付いて行って建物の中へ通されると まだ胸も膨らんでない小さな女の子もいるとか
しかし部屋があまりにも汚くやる気が失せるようだ


225 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:38:27.70 ID:T73W4Xzw0

タイは最近厳しいって聞いたけど最近の海外の情報は入ってこない?
今はカンボジアかラオスがいいとか、あとミャンマーとか
タイはメジャーになりすぎたから今は少なくなってるとさ


241 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:48:55.57 ID:7J8wz06xO

・ラオスなら12〜15歳の顔も日本人ぽい子が2時間で40$

・キスは嫌う

・うち15$程が彼女達のバック

・トゥクトゥクにヤンガーって言ってれば連れてってくれる

・12歳とか体格が子供すぎて変な感じ


226 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:38:59.90 ID:dHgYwudX0

売られた幼女達の最後が知りたい。

1、消される
2、精神病院行き
3、水商売関係に就職
4、普通に暮らす

とか?
人それぞれだろうから一括りには言えんだろうがこんな感じなの?


>>226
だいたいそんな感じです。
4をつかんでほしいのですけれどね・・・。


231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:40:49.98 ID:WT9KKhZi0

マカオとかでは日本人が高く取引されてるって聞いたけど本当?


>>225
>>231
その話マカオが成長しているからの諸説だと思いますが、
日本人もそれなりに人気はあるようです。


233 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:43:52.68 ID:pj7BQuIzO

やっぱり顧客で一番多いのは韓国、朝鮮人なの?


>>233
自分の国の子が一番らしいですよ?


290 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 02:57:22.85 ID:Wp/hftXIO

夜のカンボジアは売春だらけ
日本人の数十人のおっさん団体とかいたよ〜
ディスコもカラオケもいる女の子は全員売春婦


218 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:31:10.38 ID:DgXUzdmWO

おまえら釣られすぎ


>>218
そうだよ
これは釣りなんだよ
だから買春しなきゃいけない幼女なんてこの世にはいなくて
みんなクリスマスは家族と過ごしてプレゼントをもらうんだ


18. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 22:38

なんだフィクションか
かわいそうな幼女はいなかったんだねいなかったんだね
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175447.html
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175874.html


_________


コメント


7. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 00:57

母親が男にネジ巻いてるようなクズだと、
それこそ小学生くらいから“自活”しなきゃいけなくなるしな。


16. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 01:11

今思い出したが、日本って人身売買をなんとかしろって言われてるんだよな。
てっきり毎日新聞の模造記事のせいだと思ってたが・・・。


17. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 01:12

赤線の世界に足突っ込んだ事あるが、
漫画みたいな話がマジであるから困るw


61. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 03:55

女郎小屋の現代版だよな


63. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 04:23

昔、小菅に居た頃に似たような話を聞いたことあるが、俺が聞いたのは一粒あたり100位だったから、相場が倍以上になってんだな。


64. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 04:47

ヤと警察と権力ある金持ち
全部どっかでつながってry


65. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 05:03

まぁロリコン禁止と叫んでる裏には宗教とか業者がいるってことだな。

海外でだが

「自分はカトリック神父になって、人目をごまかしながら孤児を虐待する」

ゲームがあったのだが。
(たしか日本のアヤしいPC誌に紹介されてた)


85. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 09:47

まあ、実体は残酷だわな
関わったら重度のニ次のロリオタでも嗜好が変わるだろ
幼少の頃から売春させられてる子は精神病院送りになる子が多くて、
そこでゴキブリを食ったりするんだと、


86. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 10:10

10年近く前の話だが、JC,JK扱っている業者は知っていた。出会い系の電話で相手が男!と思ったら業者だった。証明として学生書or生徒手帳を一部隠して見せてくれるの。偽造かもしれんが。


100. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 12:39

全国にネットワークを持つ団体
犯罪組織・暴力団・宗教・政治組織
復讐・レイプ文化・マッチポンプ
海外・資金


103. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 13:36

八九三が悪いわけじゃないだろうな。

お金持ってる人が悪いこと望む → 自分の手は汚したくない → 金渡して怖い人組織作る → そこから買う形にする

まあこんなトコだろう。需要が先にあるんだよ。
全て上が管理してるんだk… あ、誰か来た


127. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 17:44

ヤクザの利点はただ一つ。落伍者のセーフティネットだよ。
自由競争?社会なんだから、ある程度落伍する人間は出てくる。ヤクザは落ちぶれて自殺しそうな人間を救う組織・・・だった、少なくとも江戸時代までは。
今は多分部落三割在日三割できな臭いから、本当に救ってるのかどうかは微妙だけど。
ヤクザは必要悪というより、必要な枠組みと捉えるべき。悪いと決め付けてるのは、単に恣意的な倫理観に過ぎない。


129. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 18:35

むしろ、落ちぶれさせて自殺者量産させている気がする。
闇金とか賭博とか薬物とかで。


136. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 19:41

小泉元総理大臣が窒息プレイ好きでやり過ぎのあまり
別の意味でヤってしまったという噂話はずいぶん昔に読んだことがあるな。


139. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 19:46

実際日本には日本人が思ってるよりやばい組織が数多くある。
普通は一生関わらないけどな。


155. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 23:53

前に豚速に中東に幼時売春しに行った奴の報告スレがが載ってたが
そっちは幼女と売春したうえ吸引系の薬までやらせるという本物の外道だった。
しかも海外でやったから絶対につかまらねーしざまあWという態度で腸が煮えくり返る。でもログ消えてた。


158. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 01:49

生殖機能のない子供を強姦するというのはチンパンなどサルの世界では既に確認されている行為だ。つまり幼女をやっちゃうのは社会的に認められない行為であって、決して「生物的に異常」なのではないぞ。


171. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 21:31

規制が厳しすぎると裏の資金源が増えるんだ。

例えば風俗が無くなるとどうなるか。
エロ本が無くなるとどうなるか。

多くの人間は犯罪以外の所で我慢できる。
だが犯罪以外の方法が全て規制されたら…。
人間から性欲が無くなることは無い。
あとは分かるな?
何事も程々が一番。
必要悪って必要なんだよ。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175447.html


45. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 01:10

10年近く前に東南アジアで幼女を買った俺が通りますよっと


78. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 18:42

世界は思った以上に金中心に回ってるんだな・・・


79. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 21:08

まぁ金がすべてじゃないけれど
金でどうにかなる事の方が世の中多いよな・・・


87. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 09:40

プチエンジェル事件は実際にあったんだから
そういうレベルの業者は存在するだろう。

しかしダルマとなってくると
ソースが無いので現時点では嘘だな。


88. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月10日 02:54

金の魔力は怖いよ;
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175874.html


507. 2015年2月21日 14:33:33 : b5JdkWvGxs
年間8万人が不明…キャバ嬢や風俗嬢はなぜ次々と消えるのか 2013年10月12日
どこへ行った?/(C)日刊ゲンダイ

 最近、行方不明者にまつわる事件をよく耳にする。8日に都内の解体業者ら2人が逮捕された事件では、業者らが取り壊す予定のアパートで男性の白骨遺体を発見。解体が遅れるのがイヤで勝手に遺棄したため罪に問われた。男性は5年前に死亡したとみられている。

 八王子のホストクラブ経営者が殺されて5人が逮捕された事件も当初は行方不明事件だった。昨年9月に失踪した島根県のホステスはいまも行方が分かっていない。

 日本全国の行方不明者は毎年8万人を超える。2012年度は8万1111人で、うち女性は2万8924人。不明者のうち10代が一番多く1万9300人、これに20代の1万3856人が続いている。ほとんどは遺体(自殺)や帰宅が確認されるが、それでも1400人近くは所在が分からないままになっている。

 気になるのはキャバ嬢や風俗嬢の不明者だ。風俗ライターの梶山カズオ氏によると、ホストクラブに多額のツケをためて返済できず、どこかに連れ去られる女性が多いという。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/145212


エンゼルフィー問題(内海聡) 新生児売買の日本版。
世界では新生児だけでなく児童全体が、セックススレイブや臓器売買に。

このエンゼルフィー問題とは何かというと、簡単にいえば新生児売買の問題ということになります。新生児売買の日本版がエンゼルフィー問題です。

世界では新生児だけでなく児童全体が、セックススレイブや臓器売買などに利用されていることがいくつも暴露されていますが、発展途上国だけの問題ではないということです。

日本ではだいたい400〜700万円くらいで新生児が海外に売られているそうです。

ではどんな風に売られているかというと極めて巧妙で、善意の仮面をかぶったシステムになっています。

日本においては例えば風俗嬢とか貧乏シングルマザーとか、いろんな事情で子供を孕んだ人に近寄っていきます。

そしてどうやるかというと、妊娠中から子供を要らないと考えている親を捕まえて、養子縁組という契約を済ませておきます。

そのような女性は経済的に二重三重に追いつめられていることもあれば、薬漬けにされていることもあり、悪逆なのはそれを牛耳っている人々であり、さらにいえば構造を上から支配している人々なのです。

このシステムを使うと一見みんな得をすることができます。子どもなんていらないって親はそのお金を少しもらうことができます。アメリカ人はお金を払っても子供を買いたいのですから言うまでもなく、かなり多くのお金を出資します。NPO法人は裕福なアメリカ人からガッツリ中間マージン取ればいいだけであり、誰も損する人はいません。そしてその結果はこのように伝えられます。

「育てる力がない人よりも、育ててくれるアメリカ人のところに行った方が幸せだよね」。

そして被害者として子供だけが残ります。

この売られた後の子供がどうなってるのか?
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/784.html


1 :わいせつ部隊所属φ ★:2013/06/20(木) 13:21:14.05 ID:???0

【人身売買、中国とロシアを最低ランクに 米国務省報告書】

 米国務省は19日、世界各国の人身売買や強制労働に関する年次報告書を発表した。政府の対応に改善が見られないとして、中国とロシアへの評価を制裁の対象となる4段階の最低ランクに格下げした。


 日本は昨年に続き主要7カ国で唯一、上から2番目の「対策不十分」だった。

アジア諸国などからの人身売買の目的地・中継地になっていると指摘。「援助交際」にも言及し、日本人の少女売春を助長しているとした。 (ワシントン=芦塚智子)


15 :名無しさん@13周年:2013/06/20(木) 13:30:51.71 ID:x847RqBt0

アメリカも偉そうに言ってるけど
養子って名目で買いまくってるのはアメリカだろ
需要があるから供給するんだろ


112 :名無しさん@13周年:2013/06/20(木) 15:48:05.57 ID:jjCvl8+VO

人身売買はユダヤマフィアの縄張りだからな

ロシアと東欧が供給地で
アメリカと中東が消費地

タリバンはすっかり悪者になってるが
もともとは人身売買組織への自警団みたいなもんだ

ま、ただの麻薬組織になったけどね


122 :名無しさん@13周年:2013/06/20(木) 16:15:34.05 ID:n7gkVYK90

アメリカもNCIC調査で毎年6-70万人の行方不明者出してて、そのうちの6割は未成年女子。

つまり3-40万人前後の未成年女子行方不明者出してる。

これは捜査案件になったのを合計しただけで、不法移民や不法滞在のを合計したら
毎年どれだけの行方不明者出てるかわかったもんじゃない。

この手の事件はたいてい未解決事件のリスト入りするか、
遺棄された死体が見つかる不幸な結末に終わる。
http://dontena.doorblog.jp/archives/28629988.html


狂気のイスラム集団ISISがシリアからイラクにかけて広大な地域を暴力の渦に陥れているが、そこでは若い少女も拉致されて「奴隷市場」で売られている。(イスラム国。13歳の少女を性奴隷。奴隷市場で10ドルから)

最近は性奴隷にする少女をいくらで売るのかという「価格表」が出回っているというのだが、一番高いのが1歳から9歳で日本円にして約2万円であるという。

ISISの戦闘要員は、別に彼女たちを「育てる」わけではない。あくまでも「性奴隷」として扱うために少女や幼女を買うのだが、10歳未満が一番高いのである。

そして少女の価値(価格)は年齢に反比例していて、年齢が上がれば上がるほど「性奴隷」の価値は下がっていく。狂気と暴力の現場で男たちが求めているのは、あくまでも「若い少女」であることが分かる。

シリアの少女たちは難民としてヨルダンやレバノンにも入り込んでいるが、そこでも金持ちのサウジアラビアの男たちが、難民少女を「性奴隷」にするために買い漁っている。

「少女」には巨大な需要がある。だから、高く売れる。これはイスラム世界だけの現象ではない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150813T0212430900.html


順子ちゃんも歯を全部抜かれたり、人体改造プレイされたんだよ。

お金が無い人でもこういうのに参加すれば手軽に体験できるよ:

244 名前:名無しさん:07/11/20 19:42

平和言われてる日本でも裏では

若い女二人裸にして檻の中で殺し合いさせながら皆で賭けて観戦したり、

横浜では薬浸けにした女を奴隷にして売り出してたりするんやから。

ちなみにその場で締まり具合チェックできるらしい。 会員なるのに何十万、参加費用何万とかやから変な性癖持ってるの金持ちが多いよ。 買われた子がどんな扱いされるかは本人しかわからん。


249 名前:名無しさん:07/11/21 18:26

入会五十万、参加三十万やったかな?
奴隷は何千万。


83 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 15:26

SMクラブとか風俗関係が暴力団と手を組んでやってるみたいだよ。暴力団自体は奴隷を提供して店から借金分の金をもらってるだけらしいよ。 上にあったけどマグロ漁船と同じ仕組み。暴力団はめんどくさいことは嫌いなようです。


15 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/04 18:47

借金返されへんやつをSMクラブのショーに出すって話は聞いたことあるで。


19 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/05 18:16

15>聞いたことあるよ。

  大阪のミナミのSMクラブで年に何回かあって参加費10万ぐらいかかるらしいよ。でも客にサービスもめっちゃいいんだって、  
俺でも知ってるってことはかなり有名みたいだけど参加したやついないの?


46 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 20:45
19>
アメ村の近所にあるよ。
見学だけなら3万、カメラの持ち込みは15万、ビデオは禁止で何名か招待されてる人もいるみたい。 俺はバイトの連れに教えてもらって参加したんだけど、えげつなかったで。

会場は普通のクラブみたいなとこで地下にあった。 ドデカイ扉の前にホストのような男がいて金を徴収して中に通してくれる。

十字架のような×の張り付け板と椅子みたいなやつとかSMの道具が用意してあって真ん中がステージになってる。回りを囲むように立ち見になってって調度ストリップ劇場みたいな感じやった。


49 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/05/07 20:55

HERMES?


80 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/05/08 06:05

SMショーに出演されて、性器破壊されるだけで
借金帳消しになるって、いくらぐらいの相場なのよ?


53 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:16

俺も大阪やけど聞いたことあるな。
ハンマープライスみたいなんで一番高い値をつけた人が実行できるらしいで。

最初は鞭打ちから始まって最後は×××××をペンチで潰すのでそれが一番人気で50万とかなるらしいで。

実行した人にはそのときのビデオがもらえるとか聞いたけど。


56 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:18

53>そうそう。ハンマープライス見たいなんが主流らしいな。


207 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 15:49

乳房をペンチでねじ切られる時の女の声は人間の声ではない。 屠殺場の豚以上の獣の断末魔の叫びです。

テープを10年以上昔に、族の同級生に聞かせてもらった。 今でも夢を見る。
あんなもの聞かなきゃよかった(;;)


209 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/06 16:32
>>207
×××××を切断されるときの声も、尋常じゃないそうだ。


280 名前: 248です 投稿日: 02/06/17 23:34

医者に数百万支払って、適当な病名をつけてもらい、すべてが終わるらしいです。


429 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:46:18 ID:Di85uiWP0 [3回発言]

治療という形にすればいい。


302 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/06/19 23:58

基本的には指詰めて病院いくのと同じ扱いにしてます


63 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/07 21:30

名古屋ですけどなんか同じような話を聞いたことがあります。


79 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 04:56

HERMESは知らんがそういうショーは現実にあるよ。 だって俺見たもん。
ミナミの店で聞いたら大抵知ってるんじゃないかな?


84 名前: 名無し調教中 投稿日: 02/05/08 15:30

タイの風俗で性器破壊ショーが流行ってるって連れのツアコンが言ってった。
http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


16 名前: このスレ読んで思い出した 投稿日: 02/05/04 19:01

拷問じゃないんだけど、10年くらい前によく行っていた雀荘で知り合った暴力団のおっさんは俺と知り合う7年くらい前まで人身売買をやっていたらしい。ヤクザ仲間が拾ってきた家出娘や DQN女の身辺を調べて足が付かないようなら海外に売り飛ばすそうだ。

どうやって運び出すのか、どこの国へ売り飛ばしたのかは教えてくれなかったよ。それと売られた後のことはよくわからないらしかったけど長く生かしておくと情に訴えたり逃げ出したりしてろくなことがないらしくわりと早いうちに殺されるらしいと言っていた。

>>2>>10のようなことされて殺されたのだろうか?


50 名前:名無しさん:07/03/03 21:16

以前ヤクザ屋さんでアジア系の女の子、金持ちに売っぱらってるおっさん居てたんやけど、

売る時には女の歯を全部抜くって。

身元付けへん様にするんと、×××をしゃぶり易くする為や言うてた。


女買う奴の中には、手足切断で興奮する奴も居てるし、死姦でしか興奮できへん奴も居てるみたいやな。

おっさん、赤ちゃんでしか興奮できへん奴が客に居てるとかで、貧民地区から赤ちゃん貰ってきてたわ。そのおっさん嘘言うてるかもしれへんけど、5年前にブラジル行ったまま、行方不明になったわ。
http://bbs.yoasobiweb.com/read_view.php?tb=chat_kyofu&parents_id=503&first_no=-1&rast_no=541


13 名前:140cm台の彼女募集中 [2006/12/21(木) 02:13:02 ID:EVJLBsof0]

この前フィリピン人の少女が総入れ歯外して汚いおっさんに×××してる動画見たときは本気で吐きそうになった

まだ10代なのに総入れ歯なんだぜ


43 名前:マッチョ [2006/12/21(木) 02:34:00 ID:h2T1I9iXO]
>>13
歯茎の感触の為に、全部ぬかれるんだよな…
ひでぇ話だ


55 名前:ビッチ [2006/12/21(木) 02:47:24 ID:KbX735R+0]

歯茎×××は最高らしい。
やくざの貢物女がされるとか聞いたことある。
http://yomi.mobi/read.cgi/anime/anime_news_1166634573


バブルの頃からこの不景気日本衰退に至るまでの陰で実は実力ある創業者系や地域で古くからの富裕層等のブルジョワ日本人階級一家が次々と苛め抜かれた挙句に行方不明になっていた、まるでロスチャイルドの計画通りに。

創○が、創○に電話盗聴等おかしな事をされているとこのブルジョワ被害者達がいくら訴えても、無関心な近所住民やハニートラップや児童ポルノで創○に弱味を握られたOBの息のかかった全国警察網の支援で、予めターゲットブルジョワの客との商談価格交渉等やりとりの情報を入手し当該客のニーズをきちんと調べる等して自分達でより良い条件を提示して横取りし逼迫させて遂には家の敷地を切り売りする程に追い込んで家の両側を挟むように創○員の家を建てて囲い込み嫌がらせ三昧風評操作三昧、

ターゲットブルジョワが詐欺師紛いの胡散臭い商売をしている等と風評操作をし、そうして挙句に借金苦に陥り夜逃げした云々という事にして拉致し臓器密売ルートに流し自分達で財産をそっくり頂いてしまう等していたようです。

ブルジョワ一家の残った家族には秘密朝鮮人ルートで保険金をかけ、息子さん達は今回の市川海老氏事件と繋がる暴走族に追い回させ白昼堂々に何人かで金属バットを持って家に乗り込もうとしたり麻薬を使って軽い通り魔犯や地域の変質者に仕立て上げ

娘さん達は権力者の弱味を握る為等に催す地下レイプショーに引きずり出されて生きたまま内臓を引きずり出され断頭され硫酸で溶かされたりして行ったりしていたようです。


北朝鮮絡みで有事の際はいつでも爆発や海底ケーブル切断に動くと言っている極東会のK俣K也という構成員等が、「秘密組織」であるという事とFEMAクーデター日本乗っ取りに向けた北関東「少女」連続誘拐殺人をきちんと窺わせる、

「秘密組織 人妻いじり」
「秘密組織 幼女いじり」
「秘密組織 思考性交」

々という下品極まりないスレッドを2ちゃんねるに立てていた。

少女誘拐や小学校襲撃の影の真犯人は彼らでプチエンジェル事件や北関東県境少女連続誘拐殺人等の黒幕でもあり、六本木森ビルと繋がるような彼らが誘拐した少女達でレイプ殺人ビデオを作っていて顧客リストにその関係ビルの元首相の名やおそらく平沢や亀井のような警察超上層の名があった事は阿修羅にも嘗て投稿されていました。

後藤組のほか、極東会と繋がりが強いので住吉会も核心の1つなのかも知れません。
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/125.html


116. 中川隆[-7800] koaQ7Jey 2017年5月05日 10:50:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人が CIA の真実を明らかにされると困るみたいなので、このスレだけ もうしばらく継続します:

有名な CIA のスパイだった昭和天皇がやった事


こんな女に誰がした(パンパン編)__天皇陛下を恨んでね

 『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

 この売春施設の目的は性のハケ口を設けることによって、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」とも言うべきものであった。が、実際は占領軍によるレイプ事件は日常茶飯事であった。

 さてRAAであるが、東京の大森を皮切りに各地に作られ全盛期にはそこで働く「パンパン」と呼ばれた女性は7万人を数えるようになった。しかしその後占領軍兵士が持ち込んだ性病が蔓延し、GHQは21年3月10日慰安所への兵士の立ち入りを禁止し、RAAは崩壊する。パンパンの彼女たちの多くは私娼となって街で客を求めるようになる。

 そのころ吉原はというと、戦時中に東京大空襲で焼け野原になるも政府の援助によってすぐに復興。そして終戦を迎えると、前述のRAAの慰安施設となる。

 GHQは占領軍のRAAの立ち入りを禁止すると同時に、日本政府に対して公娼廃止を求める。日本政府はこれを受けて公娼を廃止するが、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。

 赤線地帯は吉原や新宿二丁目など戦前は貸座敷があったところが指定され、風俗営業取締法(以下風営法)によって「カフェー喫茶」などが営業されていた。この「カフェー喫茶」であるが、もちろん「喫茶」といってもただ単にお茶を飲むのではない。かつて花魁として働いていた女性が今度は女給という呼称で売春をしていたのである。その後赤線は朝鮮戦争の特需景気により営業する店が急増した。そのころの泊まりの料金は1000〜3000円。

 赤線が一応風営法というかたちで許可をとっていたのに対し、その許可を取らないで売春行為をしていたのが青線である。青線は表向き料理屋の形をとっているが客と交渉が成立したときは店を閉め売春をする。青線のほうが基本的に価格は安く、比較的所得・階層の低い人が利用していたと言う。

 しかし、赤線・青線地帯もやがて崩壊する。昭和33年4月1日売春防止法(以下売防法)が施行される。これはこれまで黙認してきた売春行為を禁止するものであった。なぜこの次期に売防法が公布・施行されたのか。それは日本が国連に加盟するためである。国連は昭和24年「人身売買及び売春行為の搾取禁止のための条約」を決議しており、国連に加盟するためには娼婦をなくすことが必要であったからである。

 売防法について、赤線で働いていた女性は猛反対していた。もし赤線がなくなれば彼女達は生きる術を失うことになる。政府は何も生活の保障や仕事の斡旋などはしてくれない。東京では「東京都女子従業員組合連合会」を結成し、売防法に反対するビラまきなどを行った。

 しかしながら売防法は施行され、そして吉原をはじめとする赤線地帯は消えていったのである。職を失った女性たちは、厚生施設に通い手に職をつけようとした者もいたが、白線・黒線と呼ばれる結婚相談所の形をとった売春組織で働く者もいたし、それ以外の性風俗で働く者もいた。 
http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


映画 『赤線地帯』 1956年 大映 無料動画
http://www.bilibili.com/video/av4455923/
http://yume551.com/japanesefilm/35391.html


監督 溝口健二
原作 芝木好子(一部)

撮影 宮川一夫


キャスト

京マチ子(ミッキー)
若尾文子(やすみ)
木暮実千代(ハナエ)
三益愛子(ゆめ子)
菅原謙二(栄公)
川上康子(しづ子)
進藤英太郎(田谷倉蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%B7%9A%E5%9C%B0%E5%B8%AF


2017-04-21
映画『赤線地帯』に見る、1950年代の日本の裏社会の出来事
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170421T0153090900.html


日本は1945年に敗戦を迎え、日本に上陸したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はすぐに公娼廃止指令を出した。

しかし、日本には「遊郭文化」が根付いていたので、そう簡単に売春ビジネスは消えなかった。遊郭は「特殊飲食店(カフェー)」に鞍替えして生き残った。

政治家や官僚も遊郭で政治を語り、男は遊郭で友情を深めるのが当たり前の時代だった。GHQの命令には、日本人の上から下までみんな反対した。

やがて、1956年に売春防止法が制定されたのだが、戦後のどさくさの中で売春ビジネスに追いやられた女たちの多くがこれで途方に暮れた。

この売春防止法が制定される前後の日本は貧困が蔓延していた。貧しい女性のために「売春」という仕事はまだまだ日本に必要だという無意識の総意がそこにあった。

この1946年の公娼廃止指令から1956年の売春防止法までの期間において、売春ビジネスが黙認されていた地域は警察によって地図に赤線で丸が書かれて特別視されていたので、この地区は赤線地帯と呼ばれるようになった。

いったい、この赤線地帯はどんな光景だったのか。


特殊飲食店(カフェー)として生き延びていた時代

それを知りたければ映画『赤線地帯』を観るのが最適だ。この映画は、その頃の赤線地帯独特の光景をリアルに捉えている。

『赤線地帯』は1956年の映画であり、当時の光景や日本の空気がそのまま映像に刻まれていると言っても過言ではない。

日本の当時の売春ビジネスの空気感を知るためには、絶対に見逃してはいけない作品でもある。

この映画『赤線地帯』は舞台は吉原なのだが、そこで「夢の里」で働いている複数名の娼婦たちの群像を描いている。この女性たちがそれぞれワケありだ。

ひとりは病気の夫を抱えて極貧にあえぎながら身体を売っている。ひとりは平凡な主婦に憧れながら抜けられない。ひとりは故郷に残した息子を想いながら必死で生きている。

そしてひとりは金の亡者のようになって客も騙している。そして街でパンパンをして生きていたところを拾われて吉原に流れてきた女性もいる。

この女性たちが客や同僚と絡み合い、互いに相手を支え合ったり、出し抜いたりしながら生きていく。

この当時の吉原は、公娼廃止指令で法的には「遊郭」というスタイルが禁止されたので、一斉に特殊飲食店(カフェー)というスタイルに偽装していた。

「カフェーに来た客が女性と恋愛関係になって二階に向かう」というストーリーで売春専門の店ではないという偽装を行っていたのである。

だから、この映画に出てくる『赤線地帯』は、江戸時代から続いていた遊郭という特別な世界ではなくなっていた。

性風俗が文化ではなく「ちょんの間」に近いものになっていたのだった。そうした時代の背景を知っていると、この映画の光景が理解できる。

店内には踊り場もあって、そこで女性が踊ったりすることもあったようで、それを見ると現在のタイのゴーゴーバーの雰囲気の先駆けを感じたりするのが面白い。

映画『赤線地帯』。1956年に公開されたこの映画は溝口健二監督の最高傑作でもある。私が愛している日本映画のひとつだ。


この当時の吉原。女性は多くが和服で客を募っていたのだが、パンパン上がりの女性などは洋服を着て流行の最先端を行っていた。そういった女性が混在していたというのがこの映画を観れば分かる。


吉原の特殊飲食店の中ではこんな趣向を凝らして客寄せをしているところもあったようだ。映画の中で踊っているのはパンパン上がりの不良娘を演じる女優の京マチ子。


「お前たちはな、甘い話なんか乗っちゃいけないよ」

この1950年代というのは、日本が今までの歴史・文化の中で合法だった売春ビジネスを法的に廃止するか存続させるかの瀬戸際にあった時代だった。

日本では、昔から「貧しい女性を食わせるための仕事」として売春ビジネスは認知されていた。

しかしアメリカから見ると、それは貧しい女性を女衒が集めて借金を背負わせ、性ビジネスを強制している違法ビジネスという見方しかなかった。

また地方から貧しい女性を集めるというのは「人身売買である」という見方が次第に大きくなっていった。

遊郭が廃止されて、特殊飲食店として生き延びた置屋の経営者は、言ってみれば人身売買の親玉として糾弾されて苦しい立場に追い込まれていた時代だったのだ。

公娼廃止指令と売春防止法は、「人身売買されて強制的に性労働させられている女性の解放」という見方であり、これが通れば遊郭・赤線地帯は崩壊する。

そのため、当時の吉原の置屋経営者は、「世間は何も分かっていない。自分たち経営者だけが女性のことを考えている」と女性たちをつなぎ止めようと必死だった。

こうした経営者の事情も、映画『赤線地帯』では盛り込まれている。映画では店の経営者が女性を集めてこのように演説をぶっている。

「今日はな、ちょっと大事な話があるんだ。今の巷で騒いでいる売春禁止法な、ほらラジオで聞いてただろう。お前たちを助けるための法律なんて言ってるが、とんでもねぇ。一番困るのはお前たちだ。客を取ったら監獄にぶち込まれるとしたら、お前たちどうやってオマンマ食っていく?」

「本当にお前たちのことを心配しているのは、俺たち業者だ。こうやって店を作って、娼売させているから、お前たちは食うに困らない。一家心中だってせずに済むんだ。俺たちはねぇ、政治の行き届かねえところを補っているんだ。国家に代わって社会事業をやってるんだ」

「英才ぶって食いっぱぐれのない連中は、お前たちの苦労なんてひとつも分かっちゃいなんだ。お前たちの味方は俺たち以外にあるかい!」

「ま、お前たちはな、甘い話なんか乗っちゃいけないよ。この商売ができなくなったら、明日からどうなるかってことを、よーく考えて、馬鹿見ないようにしなきゃいけないよ。いいな」

これに対して女性たちも、しんみりしながら聞いてこのようにつぶやく。

「議員の人も分かんないことを言うね。自分のものを自分で売るのに、どうしていけないんだい?」

女性たちに「俺たち業者がお前たちの味方だ」と演説をぶつ店の経営者。「英才ぶって食いっぱぐれのない連中は、お前たちの苦労なんてひとつも分かっちゃいなんだ。お前たちの味方は俺たち以外にあるかい」と説く。


娼売をする女たちを見る世間の冷たさが垣間見える

映画ではこの経営者が同じ演説を二度もぶっている。

女たちに逃げられたら経営者も一緒に破綻するわけで経営者も必死だ。しかし、世間が彼女たちを見る目はとても冷たくて、彼女たちが日陰の女であることは映画では何度も繰り返される。

面白いのは、結婚して娼売を上がる女性に対して、自分の妻に娼売で食わせてもらっている男がこのように言って見送ることだ。

「私は嬉しいよ。世の中に負けないで頑張って下さいよ。こんな嬉しいことはないよ。あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズだ。……どんな目に遭っても君は決して戻って来るんじゃないよ。二度と戻って来るんじゃないよ。分かったね」

自分が病弱のために妻が吉原で身体を売って働いているのに、その横で「あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズ」というのだから、この映画の皮肉の効いたブラックジョークの場面のひとつだ。

もうひとつ悲しい場面は、息子のために身体を売っていたのに、息子が働くようになって会いに行くと、その娼売をなじられ「あんた、恥ずかしくないのか」と息子に言われる場面だ。

「私ね、あんたを立派に育てたいばかりに、この歳になってこんな情けない娼売してるんじゃない。あんまり馬鹿にしないでおくれよ!」

しかし気持ちは通じず、「もう二度と連絡しないで下さい」と突き放されてしまう。

自分が最も愛していたはずの息子だった。この愛する息子を育てるために身体を売って必死でお金を作っていたのに、その娼売のために冷たく突き放されて親子の縁が切れてしまった。

この女性は立ち直れず、その後、吉原の店で精神を病んで発狂してしまった。

身体を売る女たちを見る世間の目は、今以上に厳しいものがあったのだろう。そういった悲劇をも映画『赤線地帯』はしっかりと織り込んでいる。私の好きな映画だ。

自分が病気で妻が吉原で身体を売って働いているのに、その横で「あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズ」という男。隣で妻がやれやれと聞いている。

吉原で身体を売って生きているばかりに、息子に拒絶されてしまう母親。精神的なダメージから立ち直れなかった彼女は、その後、気が触れてしまった。悲しい結末だ。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170421T0153090900.html

「戦争が終わってアメリカさんが来たら、素人さんを守ってくれ、防波堤になってくれなんて、いーい調子でおだてられちまってね」というセリフ!

映画のラスト。初めて吉原の店に出る生娘の少女が、ようやくのことで男を誘う呼び声を出すが、すぐに柱の陰に隠れてしまう。

彼女は、これから男に体を売って生きていかなければならない。その未来の始まりが映画の終わりだ。何という終わり方!

また、それが溝口監督の映画の最後のシーンになった
http://bojingles.blog3.fc2.com/blog-entry-682.html


記録映画「赤線」  官許遊郭の実態
http://www.youtube.com/watch?v=WOZEV7sh_TU&feature=related

赤線
http://www.youtube.com/watch?v=Czjvt2wB3Z8

記録映画『赤線』・ネオンきらめく吉原 1958
http://www.youtube.com/watch?v=w3b6A9fxSE0&feature=related

記録映画『赤線』・東京パレス(小岩) 1958
http://www.youtube.com/watch?v=tM45aDtaU-4&feature=related

記録映画『赤線』・洲崎パラダイス 1958
http://www.youtube.com/watch?v=I9iF39c-Hdk&feature=related


怒れる占領軍を親日家に変えたこの手腕__昭和天皇は偉大だった


昭和天皇は主席検事キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った(?)。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


田中隆吉は、すぐに、主席検事キーナンに親しいボディーガードとなった。二人は、両者に共通するフランス語を使い、田中はバーボンをあたかも「特級酒」ように楽しむことを覚えた。田中が出版した回顧録によれば、キーナンは田中を日本暮らしのガイドのように使った。

もし、キーナンが女性関係を望んだ時は、彼はただ会話に「Je suis fort. (私は強い)」 とだけ言えば、田中は電話をかけてその段取りをととのえた。

実際、田中は何事にも明るく、靴を脱ぐのを嫌うキーナンが、靴のまま畳の間に入り込んでも問題を起こさないような、そんなくつろぎの場をも手配した。キーナンは、アメリカ人将校と日本の上流婦人との間の関係を良しとしていなかった。彼はよく言った。

「私もちょっとしたあそびは好きだが、素人に手を出したりはしない。それはよくない。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


マッカーサーの部下職員の宿泊所として徴用された旧東京記者クラブでは、22人のメイドと電話交換手が、夜、そうした職員の部屋で過ごしているところを発見された。占領後半年までに、少なく見積もっても、半分以上のアメリカ軍将校たちが日本人の愛人を持つと見られていた。

 10月、幣原内閣が発足しようとする頃、特殊慰安協会はその供給について、下士官と将校を分離し、50万人の占領軍全体がすべて同じように魅力的なサービスが受けるのは難しいと強調し始めた。そしてその日より、下士官には下級のホステスバーが、兵卒には「ウィロウ・ラン」となり、上等な老舗旅館は将校向けとなった。つまり、もはやだれもが十分に満足しえるものではなくなっていた。

みごとな庭園を持つ豪奢な別荘の幾つかにはアメリカ式浴室が設けられ、そして人々の視界からは消えた。米軍士官にもっとも人気のあったのは、東京中心部のネオン街にある、招待客のみを受け入れる、プライベートクラブだった。

 そうしたクラブの筆頭が「大安」で、裕仁の弟、海軍大佐の高松宮の親友、安藤明が経営しており、戦時に便乗して暴利を稼いできていた。

トラック運送あるいは建設業界のボスとして、最初の占領軍の着陸に際し、厚木基地のまたたくうちの修復工事を成し遂げて名を売っていたのが安藤だった。

そのクラブ「大安」では、米軍の高級将校に、活発で英語の話せる貴婦人を紹介し、夜ごと、その記念にと、御木本の真珠のネックレスが贈呈されていた。

彼の気前の良い商風は、幾度も彼を倒産の崖淵に追い込んでいたが、地下商売で大当たりを上げては再起していた。そして最後に短期の刑務所暮らしをした後は、引退して安楽な生活を楽しんだ。

 そうしたクラブとは別に、内閣官房楢橋渡や東久邇元首相の別荘では、極めて興味深い享楽が繰り広げられていた。東久邇のパーティーの様は余り記録に残されていないが、楢橋のそれは、見るからに露骨な誘惑そのもので、今日。老いたアメリカ人将軍たちが当時を思い出して顔を赤らめるものとなっている。

楢橋は熱海に別荘をもっていた。熱海の入江や山々、そして名高い温泉やホステスたちと、当地はその持ち味をあえて強調する必要もなく、かつ、楢橋は名うてのもてなし上手だった。その裕福な弁護士は、戦争中、北京で最大かつ最も儲けの良い情報収集源ホテル〔北京飯店〕を経営していた。

その彼の部下の鳥尾〔鶴代〕子爵夫人が、コトニー・ウィットニー准将に仕える将官〔民政局次長チャールス・ケーディス〕の愛人となった。ウィットニーは、連合軍最高司令部民政局を動かし、日本の法制改革の草案作りをしていた。その元ホテル経営者の楢橋は、自分と自分の「貴婦人」たちが、最後にはウィットニーの部下たちすべてを「とりこ」にするだろうと豪語していた。

 性的わいろに加えて、さらに特異な投資機会も存在していた。

マッカーサーの会計担当ハロルド・R・・ルース大佐は、占領軍将兵たちは、毎月、支払われる給料より800万ドルも余計に故国に送金をしているとの報告を行った。

日本人が中国から略奪してきた数々の骨董品は、日本産の秘蔵品とともに、米国へ送られる雑のうの中に入れられていた。

天皇の叔父、東久邇宮自身も骨董業を手がけ、後になって、要職にあるアメリカ軍士官たちに安売りし過ぎて破産したと、よく語っていた。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


8月15日の降伏の日、近衛宮は警視庁長官、伴信也を呼んで言った。「我々は日本の娘たちを守らなければならない。特に君にはそれを理解してもらいたい」。用意周到な中産階級の人々は、女たちを山中に隠れさせ、いざという時のために青酸カリ剤を持たせていた。

スラム街には、貞淑であろうとする権利も、国を思って自ら愛国者であろうと考える暇すらも与えられたことのない数千人の女たちが残されていた。今や、そうした女たちの出番であった。

伴長官は、東京の主要な娯楽業界――旅館、レストラン、麻雀荘、お茶屋、バー、売春宿など――の代表を招集した。

8月23日、こうしたお歴々によって、連合軍下士官のための「特殊慰安施設協会」が設立された。この団体は、勧業銀行による二百万ドル相当の株発行を資本とし、その株券は天皇の友人たちに販売された。数週間のうちに、同協会は、東京で33個所、地方で5個所、そして二つの婦人専門病院での事業を始めた。 

また同協会の別事業として、東京下町にあった軍需品工場がホテルに改造された。刀を鍬に作り直す事業などより、はるかに儲かるビジネスだった。

後にこの施設が最終的に廃止されるまでに、 「ウイロー・ラン」 と呼ばれたその工場は、250人の女たちによる生産ラインを持ち、一日に平均3,750人の兵士たちを受け入れるという生産高をあげた。

 特殊慰安施設協会とその付属組織は、 「一年一円」衆と称して天皇に仕える工業界人団体によって支援され成長した。

この団体は、化学、海運業界の重鎮であり、過去十ヶ月、和平派に属し、木戸内大臣と幾度も会談を重ねてきた、山下太郎によって組織、統率されていた。山下とその賛同者は、二億円、およそ1,400万ドルの基金を集め、天皇に献上した。

この贈呈が、その受け入れに木戸内大臣が二日を要したところからみて、何らかの見返りが要求されていたことが伺える。


 山下と 「一年一円」衆が引き受けた仕事のうち、最も難しかったものは、マッカーサー及びその側近との間の連絡業務であった。

宮中のご婦人たちの助言によれば、無能な国内警察による通訳用務が放棄され、外国語に通じたそうした国際経験ある婦人たちがそれを代行するようになれば、連合軍司令部との関係ははるかに円滑になる、というものであった。そこで、パリやロンドンに暮らしたことのある王妃や侯爵夫人たちの一団は、米国での良好なコネを持つビジネスマンの一団と協力し合うことに同意した。折角の貯蓄も目減りして見る影もない戦争未亡人には、新しい着物を買うための資金も用意された。名家の別荘は、その品格と遊興施設の程度によってランク付けされた。西洋の首都で見られるようなものをまねて、会員制のクラブが作られた。

裕福な才女たちのグループは名うての芸者を招き、男たちをもてなす芸に取り組んだ。

 日本は、マッカーサーが自分の兵隊たちに予測していた気の緩みにつけ込むための準備を万全に整えていた。和平派の特殊慰安施設協会は、まさしくその目的のために、国をあげての娼婦力を動員していた。

最初に米軍の機動部隊が東京に到着し、所定の兵営や工場に収まり、そこに検問所を設置した時より、兵員たちは、幾台ものトラックに満載されてきた女たちが検問所前で下車して準備が整い、通訳から「特殊慰安施設協会からの御挨拶です」と説明されてびっくり仰天した。

この最初の進呈は受け取りを拒絶され、そのトラック満載の贈り物は未開封のまま返品された。だが数週間のうちに、それが日本側の騙し打ちではないと判ると、アメリカ人たちはそれに打ち解け始めた。そしてすぐににマッカーサーは、「広がっていると報じられる占領軍メンバーと不品行な日本女性との間の乱れた関係に大きな懸念と深い困惑」を表すこととなった。

 戦前、日本の売春婦は、その小柄さ、その恥じない快楽主義、そして彼女たちの自尊と誠実さを込めた甘美なサービスで、国際的な評判を得ていた。

彼女たちは、主要都市の街外れにある、壁で囲まれ、飾り立てられた街区に住み、働いていた。その最も著名なものは、東京の吉原で、きらめく提灯とごった返す小路を持つ40エーカー〔16万m2〕ほどの治安の良い一画を形成し、金張りの龍と朱塗りの門、着飾った客引きや曲芸師と砂糖菓子売り、格子を通して垣間見える池や庭と縁側や格子窓の向こうの女たちといった、集積された東洋の魅惑と悪徳の場であった。

 空襲を生き延びたそうした女たちは、首都圏全体に霧散していた。少しでも英語が話せるものは、特殊慰安施設協会に雇われ、郊外の古びた宿屋や、同協会が下町に作ったキャバレーや売春宿で、そのサービスを提供するのを待ち構えていた。

アメリカ人による需要は、ついには、横浜の「ビック・ティッツ〔「大きなおっぱい」の意〕・バー」や。東京の「ハード・オン〔「勃起した」の意〕・カフェ」のような目立った歓楽場所を生みだし、占領が始まって1ヶ月も経たない時点で、歓迎されるとみられる所では、目立たないようにながら、あたかも偶然を装い、そうした女たちが商売を始めていた。

 米兵のうちには、まるで麻薬の幻覚であるかのような、そうした初期の出来事を経験したものがいる。日本の地方で、武器の隠し場所を捜索していた元第8軍団の軍曹が、1945年10月末のある日の経験を述べている。


 彼と同僚は、その日、東京の東方にある小さな海辺の町のほこりっぽい広場に、彼らの乗るジープを止めた。そこで彼らが、昼食のためにK号携帯糧食を開こうとしていた時、シルクハットを被り、黒く盛装した一人の紳士がやってきて、たどたどしい英語で、粗末な場所だがその屋根の下で、食事を摂ったらいかがかと申し出てきた。彼は、ジープの後方バンパーに立ち、海を見下ろす崖の上へと、砂利道を案内した。竹藪の前で車を止めさせ、崖の淵にある、古い宿屋へと小道を下った。

その玄関では、着物を着た四人の麗しい娘が、彼らの靴を脱がせ、二階の、漆塗りの食卓の置かれた畳敷きの部屋へと通した。座布団が差しだされ、ふすまが開けられると、素晴らしい景色がそこに広がり、眼下では波が磯に砕け散っていた。女中が、K号携帯糧食に加えるべく、ビール、おひつに入ったほかほかのご飯、数々の前菜を持って入ってきた。娘たちは、間違った英語をにぎやかにしゃべり、はしを使って米兵たちにそれを食べさせた。そして、指やマッチ棒やビール瓶をもちいた接客ゲーム――言葉を超越した遊び――を彼らに教えた。とっくり入りの燗のついた酒も出され、それを杯で飲んだ。

やがて、食事と歓談に満腹したところで、娘たちが言った。「お風呂に入りましょう」。

 折り返した階段を下りて、崖下のほら穴状の部屋へと案内された。その岩の床はおだやかに傾斜し、一方の壁は海に向かった開口部だった。その床の中央に、タイル張りの湯気をあげる浴槽があった。

娘たちは着物を取り、男たちの服を脱がせ始めた。娘たちは、手おけで火傷しそうなその熱いお湯を自らあびた。その行為は繰り返され、兵士たちは大喜びしてそれをまねた。皆がそうして洗い終わった時、娘たちは浴槽の中に身を沈めた。男たちは、それに従い、その40度を越える熱いお湯に体を入れ、ゆっくりと首までつかったが、火傷はしないようだった。彼女たちは、兵士たちの顔を手ぬぐいでふいて、女中が運んできたビールを小さなグラスで飲ませた。遠くでは、崖の影が、海面の上に長く延びていた。

 皆がよく浸かった頃、女中が清潔な木綿の浴衣を持ってきて、男たちはそれを着て、その帯を前で結び、その結び目を背に回すことを教わった。そして娘たちは、彼らを、二階の個室へと案内した。そこでは、畳の床の上に厚い布団が敷かれ、またしても、ビールが幾本か、食膳の上に並べられていた。

一人の娘が、「アメリカ風の愛し方をして」と、軍曹に手を巻きつけながら言った。軍曹は、一瞬息をのみ、圧倒され、夢中となって、そして、それを拒むには自分が余りに誇らしくなっているのを感じていた。

翌朝、彼は一人で眼を覚ました。隣の部屋の仲間を起こし、そのぜいたくな遊びの代金を請求された場合を心配して、彼らの手持ちの金をかき集めた。

女中がお茶とご飯をもってきた。朝食の後、彼らは、その黒の盛装の男にそれでよいかを尋ねた。その男は、その代金は、一人につき、煙草二箱で結構と言った。玄関では、昨夜の相手をしてくれた娘たちが、靴べらを手にして待っており、満面の笑みをうかべて礼をして、彼らが帰途につくのを見送った。


 そのような、初期の接触がもたらした体験や物語は、親密関係無しといった公式占領政策をアメリカのMPによって徹底させることを不可能にした。ジャングルで闘ってきた精鋭部隊が、すべて「米国内」に帰還し終わるまでに、そうした女たちは、米国人宿泊所や定期的な一掃取締についてのあらましを知っていた。

連合軍隊員によって占められたかつての日本軍兵舎や武器改造工場は、消灯時ともなると、ヒールの音や漂う香水の香り、溜息や何かのきしみ音などが響く、不可思議な時間帯となった。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


「米軍の本隊がまもなく到着する。宿舎は内村旅館である。

どのくらいの期間滞在するかわからないが、
署長は米軍から知覧の町民を守るようにとの中央の命令を受けている。

一番怖いのは婦女暴行であるが、これについては各方面の協力を得て、
彼らに当てがう女たちを確保した。

その女たちは、いわゆる慰安婦である。
 (赤羽礼子 石井宏著「ホタル帰る」草思社p188)

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   ゙'!,,,い:    ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\  .,l 私のせいで多くの女性が犠牲になった?
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     ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i   あ、そう! だから何?
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米兵は日本の「慰安婦」を常用していた

エリック・タルマッジ
AP通信 2007年4月25日18時44分

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この日付のない写真は横須賀市によって公開された。東京の南に位置する横須賀の安浦遊郭前に集まる米水兵。日本の降伏後米兵に売春を提供するために日本側によって設置された多くの慰安所の一つ(提供:AP通信/横須賀市)

【AP通信:東京】 第二次大戦中、軍のために女性を奴隷化した日本の忌まわしい行いには、余り知られていない続編がある。降伏後日本は米兵に対しての同様な「慰安婦」を提供したのである。米占領当局の黙認の下に。

 これまで英訳されてなかったものを含むAP通信の史料再調査は、女性が売春を強要されていると言う内部報告に関わらず、米当局が公的な売春システムを許可していたことを明らかにした。またアメリカ側は、日本が戦時中に占領したアジア諸国で女性に残忍な扱いをしていた事も熟知していた。

 1946年春にダグラス・マッカーサー司令官が売春宿を閉鎖させたが、それまでに何万人もの女性が安値で米軍相手の売春婦として雇われていた。1945年8月に米軍の日本進駐を期に多くの売春宿が営業を開始した事が記録には書かれている。

 東京の東北に位置する茨城県警の公式記録には「遺憾ながら、我々警察は占領軍のために慰安所を設けなければならなかった。それが経験豊富な女性の特別任務であったのは、一般の女性や少女を守るための防波堤とする目的であった」とある。

 日本の降伏と占領に関して協議するため日本の代表団がフィリピンに発つ前日の1945年8月18日に、内務省の指令があった。茨城県警は直ちに準備に取りかかったが、丁度良い施設は独身警察官の寮であり、それはすぐに売春慰安所に模様替えされた。20人の慰安婦と共に海軍施設から寝具が運び込まれた。慰安所は9月20日に営業を開始した。


売春宿は大繁盛
http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fd%2Fredfox2667%2F2007050102564097_1.jpg/


記録には「慰安所が開設されて以降予想通りに大繁盛だった。慰安婦たちは...昨日の敵に自らを売ることに抵抗があり、言語や人種の違いなど彼女達にも最初は大きな戸惑いがあった。しかし彼女達は高額の賃金を受け取り、徐々にその仕事を受け入れるようになった」と書かれている。

 政府の財源で運営された「保養慰安協会」(RAA) の援助の下に、警察と東京の業者は売春宿のネットワークを設立した。1945年8月28日、東京の南隣の厚木へ進駐軍の先行隊が到着、その日の夕暮れまでに軍は最初の売春宿を見つけることになる。

 RAAの情報課長だった鏑木清一氏は「私はRAA幹部と共にそこに急いで向かったが、路上に500-600人の米兵が列を作っているのを見て驚いた。アメリカの自治警察が兵達をコントロール出来ない状態だった」と1972年の回想録でそう書いている。

 警察と民間によって運営されていたとしても、このシステムは戦時中の海外の日本軍によって設立された慰安所を手本にしている。

 鏑木氏はまた「進駐軍の兵は前払いでチケットとコンドームを与えられた」と書いている。最初のRAAの売春宿「小町園 - The Babe Garden」は当初38人の売春婦だったが、必要に迫られててすぐさま100人に増員した。女性一人当たりが一日に15-60人を相手にした。

 アメリカ人の歴史学者ジョン・ダウアー氏の著書『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本』によると、売春婦との一回が15円で、タバコ一箱の半額であり、「突然の高需要のために売春宿の運営者は、認可された売春婦でない女性をやむなく公募した」とある。

 戦争で身内を失った小町園の滝田ナツエさん (当時19) は、事務職募集広告で応募したが、空いてる唯一の職が慰安婦であると言われ、仕事につくように説得された。1952年の占領終了後に出版された鏑木氏の回想録によると、滝田さんは売春宿開業の数日後に列車に身を投げたとのことだ。「最悪の犠牲者は...『新日本女性』の広告に応募して来た、未経験の女性であった」とダウアー氏は書いている。

 鏑木氏によると、1945年の末までに35万人の米軍が日本に駐留し、米兵のためにRAAは最高時7万人の売春婦を雇っていたとある。そのためにそこに日本人以外の慰安婦が海外から来たと言う説があるが、それに関する明確な証拠はない。

 広島歴史研究所の田中利幸教授は、鏑木氏の提示した数字は根拠に乏しいとしているが、RAAはそのごく一部であり、公式記録に載っていない民間売春業者の数は更に多いであろうとしている。田中氏が発見した記録によると、米駐留軍幹部は、進駐軍の相手をする慰安婦のためにペニシリンを日本政府に提供し、RAAの売春宿のそばに予防施設を作り、兵隊達に使用を許可したとある。

 旧日本軍のための慰安婦と、進駐軍のために募集された慰安婦の類似性を駐留軍幹部は見過ごさなかった。GHQ衛生福祉厚生部のヒュー・マクドナルド上級士官の1945年12月6日の回想録によると、日本の慰安婦はしばしば強要されていたことを米進駐軍は把握していたと言う。「貧困の極致の両親に促され少女は契約を無理強いされた。時には自ら進んで家族のために犠牲になったとあるが、しかしながらそれは情報提供者の主観であり、かつてよりは一般的ではなくなったにせよ、都市部では少女の奴隷化の習慣はまだ存在している」と書いている。


RAAの崩壊

 従軍牧師達の苦情と、売春宿の発覚が米国に帰国後の進駐軍に不名誉となる懸念から、1946年3月25日、マッカーサーは全ての売春宿や慰安所その他の売春所への立ち入り禁止を指令し、間もなくRAAは解散した。

 マッカーサーの主な心配事はモラルの問題ではなかった。田中氏によると、進駐軍の米兵の1/4以上がその時点までに性病に感染していたとのことだ。「全国規模の立ち入り禁止令は、15万人以上の日本人女性を突然失職させた」と田中氏は2002年の性奴隷に関する著書でそのように書いている。元慰安婦の大半が兵士相手の違法ビジネスを続けたが、その多くが性病を持ち貧困であったとある。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/?mode=m&no=2


 アメリカの朝鮮戦争時における慰安婦施設について

 朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

朝鮮の戦場から一定期間毎に交代で米軍の兵隊が送られてきた。
 (中川八洋「歴史を偽造する朝鮮」徳間書店p225) 
http://www.tamanegiya.com/iannfudoitu18.5.302.html


「国体護持」へ国策売春

『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。


 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。
 http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


 1945年8月18日、俗に言う終戦の日の三日後、内務省警保局長は進駐軍用に慰安施設を整備するように全国に無電を発した。9月4日には内務省保安課長も同様の命令を出している。内務省警保局というのは今日で言う警察庁のような物であり、全国の警察の元締めである。

「これを受けて各警察は慰安所の設置や慰安婦確保に奔走する。その模様を詳述しているのが『神奈川県警察史』だ。それによると空襲で焼けた花街に女性は残っておらず、警察が業者に公務乗車証明書を発給し、疎開先を回って勧誘させた。また、慰安所の布団や衣類、化粧品、消毒薬などの手配や運搬には、直接警察官が携わったという。」
とある。

 東京では警視総監坂信弥が指示して売春業者と飲食店経営者に「特殊慰安施設協会」を作らせ対応したという。この特殊慰安施設協会には、後に吉原などのソープランド経営者に連なる者達が沢山いたという。更に当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。

「警察と大蔵省がバックの国策事業ゆえ、協会は堂々と新聞広告まで出して慰安婦を募っている。」

「進駐軍売春作戦の発案者とされる坂は、国務大臣近衛文麿から国体護持のために婦女子対策をと指示され、慰安所設置を決めたと生前語っている」
のである。占領下では米兵による強姦事件なども多かったために、反米感情が爆発して折角天皇制を存続させることに成功したのにそれが元の木阿弥となることを未然に防ぐためである。花街の女性を強姦に対する防波堤とした訳だ。

 で、特殊慰安施設協会に参加した売春業者達が戦時中に何をしていたかというと、当然の話であるが大日本帝国陸海軍の将兵相手に商売をしていた訳である。つまり従軍慰安婦=戦時性奴隷の手配に手を染めていたものも多数いた。

米軍相手に政府機関が売春婦を斡旋するという政策を取った背景には、日本軍将兵の間に強姦事件によって性病が蔓延したり占領地での人心掌握に支障が出ないように配慮した経験が生かされていた。

実際には日本軍の士気やモラルは非常に劣悪で、強姦殺人は日常茶飯事であった。毎日のこの記事だけでは従軍慰安婦=戦時性奴隷に日本政府や軍部が関わっていたことに対する状況証拠でしかないが、軍人に女性をあてがうという発想が、当時の日本人の感覚として極々普通の物であったことが分かるだろう。 
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/08/post_cfe5.html


「江東区女性軍」強制連行……。
「本土決戦が叫ばれた昭和二十年(一九四五年)に、国土防衛軍である「江東区女性軍」の編成にくりこまれた女性青年団埼玉第一中隊の百三人は、終戦の日に帰してもらえなかった。

「耐えがたきを耐えて、全日本婦人の楯となるべき……」

 と、お上が手早くつくった「国際親善協会RAA」(占領軍慰安婦)のうち、都内の四カ所に強制連行され、やみくもに米軍との交接を強いられた。
 そのことは埼玉らず、広島の女子青年団、そして川崎のM軍軍需工場など、他地区にも多くみられた。
 当時−−天皇のために捧げてたてまつると、血の宣紙を捧げてあった娘たちは、

「血書を捧げた君たちの忠誠を、天はみそなわしたもうたものであろう。君たちでなければ、日本人の操を、進駐軍の手から守り通すことはできない」

 占領軍慰安婦の持ちかけがお上からだされたのは敗戦直後の八月二十一日、RAAの誕生とともに二十六日には慰安婦の徴募がなされ、二十八日はRAAが宮城前で誓詞をなし、同日は厚木進駐の米兵に横浜の小町園が開所した。
 RAA発表による占領軍慰安婦は、昭和二十年十一月まで二万人、最盛期七万、閉鎖時の昭和二十一年(一九四六年)三月二十七日、五万五千であり、閉鎖は性病兵が増えたという米軍側の主張によった。」


横須賀……。

「横須賀に上陸した兵は、バイラーと呼ばれる客引きに案内された。−略−
 街は建物のかげ、ボートの中、神社、学校、いたるところで性行為が見られた。
「外人が船に乗ってくるから、パンパンがよってくる。横須賀へ来た船の着くところをこわした方がいい」(『日本の売春問題』神崎清)」

子どもたちが目撃して、作文にしている……。
−−小泉はこんな環境で育ったのだろうか?

自己責任は小泉政権のスローガンでしたね。直接は関係ですが……。

「閉鎖までの慰安所料金は、ショートで百円、オールナイトで三百円であり、RAAは充分にもうかっていた。政府融資の国策事業なのに、慰安婦たちからは部屋代、食費、衣裳、雑品、化粧品などと、昔からの廓のしきたりをむしろ越えるほど取り上げ、揚句の果てに、病気や怪我も、慰安婦の自己払いであった。」


閣議より前に、業者たちを集めたという。
「前述の慰安婦指令は、閣議よりも四日も早く、広尾小学校の警視庁保安課より出されてたのだ。高橋保安課長と大竹風紀係長らが、さっそく業者を集めてかたりかけた。」


調布、三鷹……。
「RAAの仕事では、立石は黒人用慰安所とされた。
 調布の日本楽器の建物は「調布園」として、九月十日に慰安婦三十人で開店し、三鷹はキャバレー慰安所として、ニューキャッスルが開所した。」

「娘を売る光景」
「人売は昭和二十三、四、五年と、売春婦に売られたが一番多いとされている(労働省婦人少年局の調査による)。」

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/0b9d55f0b563f7420ee0432b3a409d22


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三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
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   /| |::|        /  l ミii       ト、二)
 彡 | |::|    __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
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    | |::|       ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
.    | |::| .ィニ=-- '"  /  ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|  
     | |:::|     ./  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|   
   ノ .| |:::|  _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|


確かに売春婦ですが一般の女性を米兵によるレイプから守るためでもありました。
進駐軍がモラルがあったから日本は幸せだったというのはGHQの報道管制のたまもの
白人は昔から現地の女性をレイプし生まれた混血児をその植民地の支配層にするという政策を取り続けていました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430857764


進駐軍犯罪史

 読売新聞の調べによる昭和32年の国内10大ニュースのトップはジラード事件。これはちゃんとした世論調査に基くものなので、当時の国民が最も関心を示したニュースが直接、反映されるものだ。ジラードとは進駐軍の兵士の名前である。ジラード事件とは進駐軍の兵士が村議夫人を射殺したという事件であった。
 
 進駐軍犯罪といえば大規模なものでは松本清張が「黒地の絵」で描いた、小倉の黒人兵大量脱走劇に伴う地域住民への大規模なレイプ、暴力沙汰がある。昭和25年7/11、およそ160人の黒人兵による祗園祭の日の犯罪事件は進駐軍によって厳重な報道規制が行われ、事件をうかがわせるような記事は当時の在京各紙にはまるで見えない。結局、この事件は7/15に進駐軍による鎮圧で市街戦となるまで続いた。この市街戦についても徹底した報道規制が行われた。
 
 昭和20年8/15から昭和27年4/28の平和条約発効までの間、日本はアメリカ進駐軍の支配下にあった。この間、都内での進駐軍犯罪被害の届出は318件、全国では2万5500件であったが、この数字は「氷山の一角」とされていた。なぜなら進駐軍犯罪被害の届出は非常に困難だったので、実際の犯罪被害は届出件数の数倍はあったのではないかと当時の人の生活感覚では感じられていたのである。
 
 進駐軍犯罪被害で役所に届出を出すと、まず加害者が本当に進駐軍という証明書を要求される。さらに市町村長の証明書、警察の証明書正副5通を要求され、少しでも不備があれば受理されない。これをようやく揃えて、やっと届出が受理される。その数字が全国で2万5500件であった。つまり届け出なかった、書類に不備がありつき返された、揉み消されたなどの犯罪被害の件数は2万5500件の中には入っていないのである。
 
 届出が受理されても、その審理は粗末なものだった。子供が酔っ払いのアメリカ兵のジープに轢殺された母は被害届をようやくCID(陸軍犯罪調査部)に受理されるも、何の連絡もなく放置され、呼び出されて「裁判でお前が負けた」と言い渡されて終わり。裁判があったのかなかったのか、あったとしたらどんな審理がされたのか何も伝えられないというシロモノだった。さらには仕事帰りにアメリカ兵にジープに拉致されて走行中に道に飛び降りて死んだ娘は「身元不明の売春婦」として処理され、家族が訴え出てもまともにとりあってもらえぬという酷さ。他にも道路を横断しているのが誰の目にも明らかなのに、アメリカ兵の運転するトラックがスピードを落さずにそのままその歩いて道を渡っている日本人をひき殺すという事もあった。あるいは突然、理由なくアメリカ兵に射殺されたり、道を歩いていて殴り殺されたり、強姦されたりなどの犯罪被害は総計3万4000件と言われたが、うち2万件は泣き寝入りしたとされている。
 
 終戦直後、進駐軍の到着に備えて政府は婦女子に警戒を呼びかけてはいた。「婦女子は淫らな服装をせぬこと、また人前で胸をあらはにしたりすることは禁物である。外國軍人が『ハロー』とか『ヘイ』とかあるいは片言まじりの日本語で呼びかけても、婦女子は相手にならず避くること」。
 
 しかしアメリカ兵によるレイプ事件は昭和20年8/30、占領部隊の日本上陸第1日目にすでに発生している。これはワシントンの米政府機関が保管していた当時の日本の内務省警保局「米兵の不法行為」に記載されており、8/30午後1時30分には神奈川の横須賀市旭町で車運転手の家にアメリカ兵2人が押し入り、留守番をしていた運転手の妻(36)と長女(17)をピストルを手にレイプした事件が起きている。このアメリカ兵2人は午前11時30分に件の家を下見しており、中に女性しかいないのを確認して犯行に及んだのだった。また同日午後6時には横須賀市の鎮守府正門にあったガラス商の家で、女中(34)が1人で留守番をしていたところをアメリカ兵2人にレイプされている。アメリカ兵は交互に見張りに立ってレイプしたという。
 
 アメリカ兵の上陸したところにレイプ事件あり。9/1にはアメリカ兵による日本人女性レイプは房総に飛び火した。千葉の安房郡の漁村の漁師の家に3人のアメリカ兵が押し入って、出征中に戦死した漁師の息子の妻(28)が留守番中に輪姦されたのをはじめ、同じ村では押し入ったアメリカ兵4人のうちの1人が別の漁師の妻(36)をレイプする事件が起きた。同日午後6時には横浜市中区でアメリカ兵2人と日本人2人に連れ出された女中(24)が野毛山自然園の中の米軍宿舎でアメリカ兵27人に輪姦される事件が起きている。この女中は翌日、意識不明となっているのを元の家へと送り返されている。
 
 アメリカ兵の理不尽な暴力の被害に遭ったのは女性ばかりではない。9/15午後10時30分には川崎市木月の国民酒場で、店主の田中(47)と長男(16)が酔ったアメリカ兵3人によって射殺される事件が起きている。特に深い理由もなくアメリカ兵に突然、射殺されて泣き寝入りという実例となる事件であるが、こうした事件はほとんどが表沙汰となる事はなかったのである。
 
 アメリカ兵による犯罪が公に報じられたのは、9/9に事もあろうに葉山の御用邸に乱入して略奪の限りを尽くしたというニュースが最後であった。9/10よりGHQの報道管制が始まったため、それ以降は進駐軍のレイプ、強盗、暴行殺人などの犯罪は全く報じられず、こうした犯罪に対しては日本警察も手が出せないという状態が続いた。政府は性の防波堤としてRAA(特殊慰安施設協会=進駐軍相手の売春公社)を設置したが、当の進駐軍から廃止にされて街頭には米兵相手のパンパン(売春婦)が溢れるようになった。こうしたパンパンは蔑視の対象にされたが、米兵の一般婦女子への際限ないレイプへ歯止めをかけた功績は大きい。
 
 このようにしてアメリカ兵による犯罪はどんな些細な事件でも新聞での報道は厳禁とされたので、総じて日本人のアメリカ進駐軍への感情は悪くはなっていない。占領中のアメリカ進駐軍犯罪には損害賠償法令がなかったため、日本独立後の昭和31年5/22、進駐軍被害者連盟が結成されて政府に補償とそれまで報道が控えられていたアメリカ兵の犯罪事実の公表へ向けて活動するなどとした。
 
 ジラード事件は昭和32年であるから進駐軍犯罪への報道はタブーではなくなっていたものの、日本の裁判管轄権が進駐軍には通用しないという構図が日本国民の前にさらされてこうした事が反米感情などに火をつける事となっていく。
 
 1/30の事であった。アメリカ軍の群馬県相馬ヶ原演習場はアメリカ軍が演習中には立ち入り禁止区域となっていて、それを破った者には刑事特別法による懲役1年以下、罰金2000円以下という罰則規定まであった。しかしこの相馬ヶ原は地元住民らが地べたに落ちている銃弾の薬莢を拾って生計の足しとするのが慣わしで、この日も相馬村議の妻、坂井なか(46)が仲間らと薬莢拾いのために相馬ヶ原に立ち入っていた。
 
 なかと一緒にいた男性(30)ら5人の証言によれば、なかは米兵に追われて逃げる最中に突然、撃たれてそのまま絶命した。この事件は当初、伏せられていたものの、2/2に5人の目撃者の中から社会党の茜ヶ久保重光衆院議員に相談を持ちかけた者があり、一気に政治問題化していく。一般の国民が事件の概要を知ったのは2/3の新聞報道によってであった。
 
 なかを撃った米兵は第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード特務三等兵(21)で、なかには2発銃弾を浴びせていた事も判明。1発目が外れて2発目を発射したというから、事故などではなく完全な確信犯である事は明らかであった。
 
 事件が表に出されて慌てたアメリカ進駐軍は2/4、熊谷の籠原キャンプの憲兵隊から群馬県警へジラードが事件を自供したと報告、その後、ジラードは地裁に告発されたものの、日米行政協定がネックとなってジラードは公務中なので裁判権はアメリカにあるというアメリカ軍の主張に押し切られそうになる。日本の反米感情の激化を恐れたアメリカが結局は裁判権不行使という裏技で、ようやく日本側の手でジラードは起訴された。これが5/18である。アメリカではジラードの日本への身柄引き渡しを認めないよう訴訟が起こされ、7/11にアメリカ最高裁によってようやく日本での裁判権が認定された。11/19に前橋地裁は傷害致死で懲役3年、執行猶予4年の判決を下し、控訴されずに12/6、ジラードはアメリカへ帰国して事件は日本国民に割り切れない感情を残したまま幕を下ろした。
 
 ジラードがなかを撃つ前にも別の弾拾いの住民に向けて発砲していた事や、なかと小野関英治に「パパサン大丈夫、ママサン大丈夫」と話しかけて近くの壕を指して「ママサン、タクサンネ」と言っていた事が明らかになったのは公判によってであった。ジラードは発砲時にはビクター・ニール・ニクル特務三等兵と一緒におり、最初は小野関に向けて空砲を発砲、続けて「ゲラルヒヤ」となかを誘い、逃げたところを背中から撃っていた。さらになかが倒れた後、ジラードはなかに近寄って触っており、なかを殺害した事は認識していたものと思われた。
 
 ジラードは7/5に日本人女性と結婚、帰国の際には同伴しており、味噌樽を土産にアメリカに持ち帰った。昭和33年4月にオタワのジラード邸を訪問した松田ふみ子によれば、ジラード邸はペンキが剥げ落ちて板は腐って2間きりの狭い家だったが、当時、日本では珍しいテレビ、電気冷蔵庫、ガスレンジが完備していた。ジラードは帰国後、工場で荷物運びをしていたが失業し、妻のハルは英語が下手なのでジラードと意思疎通が出来ず、さらに5ヶ月でわずか5ドル(1800円)しか貯金がたまらない事もあり日本に手紙も出せない状態だったという。
 
 相馬ヶ原は榛名山の南側に広がる原野で大正9年に陸軍の演習場となり、周辺住民の薬莢拾いはその頃から軍に黙認された「権利」であった。周辺住民の土地を一部強制収容して演習場にしたため、周辺住民の生計の足しのための薬莢拾いについて陸軍でもとやかく言えなかったのである。演習場は戦後はアメリカ進駐軍に接収されたが、旧日本陸軍時代と違って実弾射撃で農家の萱などに被害が出るようになり、戦前よりかえって周辺住民の生活は圧迫されてしまう。
 
 相馬村の上新田地区では地域住民全員が薬莢拾いを主な収入源としており、桃井村住民と合わせ3、400人が薬莢拾いを行っていた。1日に2、3貫(7.5キロから11キロ)を拾い、週に1度来る鉄くず屋に1貫(3.75キロ)を7、800円で売り、いい稼ぎとなっていた。月平均で1人あたま2万円の収入となったという。勢い、薬莢拾いにも熱が入り、演習の最中に演習場の中に立ち入ったり、演習場の中に穴を掘って潜み、演習中の砲弾の爆発を待つ者までいた。こんな事をすれば生命の危険にさらされるのは無理もなく、1月には砲弾の破片で薬莢拾いの住民に死者が出ている。アメリカ軍側では再三にわたって危険だからと地域住民の演習場立ち入り規制を日本側に求めていたが、地域住民は送検されても過去に起訴された事はなかった。
 
 薬莢拾いは相馬ヶ原だけの風習ではなく、演習場のある地域ではどこでも行われていた普通の事であった。静岡の御殿場にあるアメリカ軍の東富士演習場の狐塚でも昭和31年9/7午前7時30分に地元の農婦(31)が演習中のアメリカ兵に撃たれて重傷を負っている。農婦が立ち入り禁止区域にいた事から農婦側の過失として事件は処理されていたが、ジラード事件では被害者女性が死んでしまった事や社会党が政治問題化した事から一気に国民の反米感情に火をつける事となったのである。ところが相馬村ではジラード事件調査に訪れた社会党県議団には非協力的な姿勢で、今回の騒動で薬莢拾いの「特権」が奪われる事を村民らは恐れていた事も当時の報道には記されている。事件後も相馬ヶ原では地域住民ら100人が毎日、薬莢拾いを続けていた。
 
 ジラードがなぜ薬莢拾いの村議夫人を撃ったのかは、演習の最中に手袋をはめてまだ熱い薬莢を拾ったりする地元住民らの姿をジラードの所属する部隊の中でどのように感じてどういう話題にしていたかがわかれば、その理由のいくばくかが見えてきそうな気はする。禁止された区域に立ち入ってくるのだから非は向こうにあるという意識がジラードの中にはなかったか。或いは薬莢拾いの地元住民だって家に戻れば人並みの暮らしをする普通の人間であるというところまでジラードの意識が思い及ばなかったか。
 
 このジラード事件で日本の対米世論が硬化する最中の昭和32年8/2午後3時、茨城の那珂湊市前浜の県道で工員の北条清(24)が母親のはる(63)を自転車に乗せて走行中、突然、低空飛行の飛行機が2人に接触してはるは胴体を真っ二つにされ即死、清は重傷を負った。この飛行機の正体はアメリカ軍水戸補助飛行場から飛来したL22型連絡機で、2人は尾翼に引っかけられたのだった。
 
 目撃者の男性(35)の証言によれば、アメリカ軍機は機首を落として畑すれすれに飛んできてそこで曲がりかけた後、再び地面すれすれを超低空飛行、尾翼を芋畑でバウンドさせて上昇する最中に2人を引っかけたのだという。2人は阿字ヶ浦に向かう途中であった。
 
 このアメリカ軍機を操縦していたのはジョン・L・ゴードン中尉(27)、ほかに下士官も同乗していたとされる。現場に飛来する直前にこのアメリカ軍機は近くの海水浴場でも低空飛行をして海水浴客が驚くさまを楽しんでいるかのようだったというから、故意に危険な飛行をしていたのは明らかであった。しかしアメリカ軍側は異常気流で操縦不能になったための事故と主張、茨城県警ではこのアメリカ軍側の主張を斥けて8/8、ゴードンを書類送検としたが8/21には不起訴となっている。
 
 ゴードンはなぜ危険な低空飛行をしたのか?実は類似の事件は戦前にもあった。操縦士が無意味な低空飛行を地上に人がいる場所で試みて、飛行機に人を引っかけて死なせてしまう事件である。昭和2年10/21、東京の芝区愛宕小学校で運動会が行われている最中、下志津飛行学校生徒の操縦する飛行機が低空飛行をして校庭の小学生のうち3人が引っかけられて1人が死亡した。この件では操縦士は後に不時着を試みたなどと弁明している。ゴードンの例も、この飛行学校生徒の例も、自らの操縦の腕を得意がっていたのではないか。衆人環視の場所で低空飛行を繰り返して地上の人たちが騒いだり驚くのを面白がる、そういう心理から危険極まりない行為に及んだのではないか。
 
 ジラード事件、低空飛行殺傷のゴードンの事件の記憶さめやらぬ昭和33年9/7午後2時、西武線下りの飯能行き列車が埼玉の狭山市入間川ジョンソン基地内の武蔵藤沢−稲荷山公園間を走行中、1両目に銃弾が飛び込み、乗客の武蔵野音大絃楽科1年の宮村祥之(21)の背中に命中、午後3時に運ばれた基地内の病院で死亡した。列車を撃ったのはジョンソン基地憲兵隊臨時勤務のピーター・E・ロングブリー三等航空兵(19)で、「空射ちの練習をしていたところ実弾が入っているのを忘れて撃った」としたがすぐさまアメリカ軍に逮捕された。
 
 宮村は母子家庭で、母は郷里の熊本の荒尾で日雇人夫をしながら女手一つで宮村を育て、音楽家を夢見ていた息子を東京の大学へと進ませていた。宮村は昭和30年に上京、初めは東洋音楽短大に通っていた。事件の直前にはコントラバスのバイトが見つかり、母に仕送りをもう受けなくても大丈夫と連絡があったばかりであったという。
 
 アメリカ軍では当初、公務中の出来事で事故だとしたものの、いくら空射ちのつもりだったと主張しても列車に向けて発砲したのでは言い逃れのしようがなく、公務時間中の出来事ではあるが列車を撃ったのは公務とは到底認められないという見解を出した。早速埼玉県警はロングブリーを書類送検、昭和34年5/11に地裁で禁固10ヶ月の判決が出ている。
 
 アメリカ進駐軍がらみの事件ではこうして全国的な話題になった事件以外にも無数の犯罪が起きているが、それらは公にされる事は稀であった。昭和34年4月には青森の上北郡六ヶ所村で三沢基地の米軍機が訓練に際して爆弾を誤って落としていく事が頻繁となり、東京でも報道されている。六ヶ所村は米軍三沢基地の天ヶ森演習場と高瀬川を隔てた場所にあり、以前より米軍機が爆弾を誤って落としていたが、およそ3ヶ月に1発の割合だったので特に問題化していなかった。3ヶ月に1発のレベルでは報道すらされていなかったという事で当時はこの手の米軍の無法ぶりが基地の近くでは日常的だった事がわかる。
 
 しかし昭和33年9月より米軍ジェット機の練習用爆弾が昭和34年4月までに六ヶ所村に30発落下しており、うち10発は民家から2、30メートル以内の場所で爆発していた。米軍機の速度が向上して爆弾を標的に当てにくくなり誤爆しやすくなったらしい。昭和33年12月には125キロ爆弾が六ヶ所村倉内の農家の近くに落下し馬小屋に穴が開いて山火事となったほか、昭和34年3月下旬には農作業中の男性の3、4メートルの場所に爆弾が落ちて男性は気絶、さらに3/20、同じ男性の水田に爆弾が落下し爆発して5、6メートル四方の穴が開く出来事があった。米軍は模擬爆弾なので大丈夫だなどと説明していたが、死傷者が出ないのが不思議なほどであった。六ヶ所村では米軍機が爆弾を落とす標識を海上にするように陳情していた。
 
 昭和35年3/10午前10時、沖縄の伊江島の伊江村の米軍演習場の立ち入り禁止区域で弾拾いをしていた農業の島袋武盛(20)と大城敏一(19)が、米空軍ジェット機から機関砲で砲撃されて島袋は右足を銃創貫通、大城は右腕切断という重傷を負った。米軍演習場での弾拾いは沖縄に限らず内地でも付近の農民の「特権」として暗黙の了解事項になっており、伊江島ではそのための信号旗を持って農民は弾拾いをしていたが砲撃されたのだった。
 
 昭和36年11/20午後3時30分には茨城の那珂湊市釈迦町の旅館など民家8軒が、アメリカ軍水戸射撃場からの機関砲弾13発を浴びた。米軍機の誤射によるもので、旅館では窓ガラスが撃ちぬかれて座布団に直径20センチ、長さ75センチの砲弾が突き刺さっていた。ほかにも家の中や庭先などに被弾しており、旅館の女将は寝ていたら音がして、座布団や畳から煙が出ていたという。過去にも被弾事件は200件起きていた。
 
 昭和37年5/5午前3時30分、神奈川の横須賀市汐入町巡査派出所に私服の米兵5人が酔って市民を暴行していると通報があり巡査2人が駆けつけたが、うち遠藤寛巡査(37)が米兵1人に蹴られ倒れそうになったので警棒で押し返したところ、警棒を奪われたのでピストルで威嚇しながら交番へと連れて行こうとした。しかし50メートルの途中で遠藤巡査は5人の米兵に組み伏せられ、奪われたピストルで頭と右腕を撃ち抜かれて死亡、犯人の米兵はそのまま逃走した。午後7時30分、在日米海軍は20歳4人、19歳1人の二等水兵が遠藤巡査殺害の際の5人であったと発表、いずれも横須賀港に入港していたLST(戦車揚陸艦)トモグリー号の乗員で、裁判は日本で行われるとされた。
 
 昭和39年7/20午前1時30分には静岡の御殿場市中畑の米海兵隊キャンプ・フジで近所の農家の妹、勝又(45)が立ち番中の米兵に小銃で下腹部を撃たれ死亡する事件があった。この女性は酔っており、うずくまっていて米兵の日本語、英語の呼びかけに答えなかった。3回呼んでも返事がない時は撃ってもいいという管理規則だった。この女性は独身で知恵遅れ、酔うと放浪癖があったという。アメリカ軍は撃った兵士は不明であるとし、また公務中なので裁判管轄権はアメリカにあるとした。この事件については報道はなされたものの、ジラード事件と違って社会問題化せず、実際に事件自体について知らない人がほとんどである。
 
 昭和47年9/20午後には沖縄の米海兵隊基地キャンプハンセンで、米海兵隊第4師団第3大隊のジェームス・S・ベンジャミン上等兵(25)の部屋で靴を磨いていた基地従業員の栄野川盛勇(37)にベンジャミンが10ドル紙幣が消えたと難癖を付けて口論となり、ベンジャミンがライフル銃で栄野川を射殺した事件があった。9/21に警察庁がベンジャミンは公務中ではないと見解を出してアメリカ軍に犯人引き渡しを要求したが、アメリカ軍は公務中として応じなかった。9/22、インガソル米駐日大使は1次裁判権は日本にあるとし、在沖縄米海兵隊基地司令部もベンジャミンは公務中ではなかったと認め、9/23午後11時50分、沖縄県警はベンジャミンを書類送検した。10/3、ようやくベンジャミンの身柄は日本に渡されて殺人罪での起訴となった。しかしその後、ベンジャミンには心神喪失で無罪の判決が出ている。

http://www.geocities.jp/showahistory/history04/32c.html


占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 

【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

 AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの許可で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。

 AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を許可した一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した−と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。

 日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を許可されたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。
(19/05/06 03:21)
http://tamezou.at.webry.info/200705/article_1.html


1945年9月28日、進駐軍は都衛生課に慰安施設の開設を要求した
『占領秘録』 中公文庫 住本利男著

坂信弥氏の話

それから婦女子の問題は内閣でも非常に心配した。私は内閣に呼ばれ近衛公から

『日本の娘を守ってくれ、この問題は一部長に任せず君が先になってやるように』

と言われた。一般の婦女子を守るために防波堤を築くことも考えました。慰安施設を作り、そうしたところで働く女性を集める。こう言う矢面に立とうという人があったればこそ、あとの若い人たちが救われたのだと思う。

なにしろ、米軍が進駐したその晩に、早くも左官級の人々がジープを飛ばして東京にきた。そして丸の内警察署を警視庁と間違えてか、入ってきて、女を世話しろという。そういうものはないと答えると、あの辺に大勢いるではないかといって、日比谷辺りを歩いている女の人たちを指さした。あれは良家の子女だといって納得させるのに骨が折れたようだった。

良家の子女が間違われる心配は多かったのです。

とにかく警視庁で、この際国民のためになるならという人を集め、向島や大森などに設備をした。それからすぐに特殊慰安施設協会(RAA)というものが料亭SやYの主人達によって作られ、資金は三百万円を勧銀から借り出して経営したわけです。


ペニシリン 東京へ

都衛生課が一番はじめに受けた命令は、「女」の問題だった。

九月二十八日に総司令部に来い、というので、与謝野博士がでかけてゆくと、軍医総監のところへつれてゆかれた。総監は、大きな東京の地図を前にしていて、女の問題を持ち出したのだった。その時に公衆福祉局長のサムス准将(当時は大佐)に紹介され、それから同氏との交渉がはじまった。

赤坂は焼けてしまい、新橋は休業、柳橋はない、という有様で、都内の花柳界で残っていたのは五ヶ所きりだった。それに特飲街が十七ヶ所あったが、博士は先方の要求で進駐軍用としての割ふりをやった。

葭町は将校用とか、向島はなに、というふうに決めたのだが一番困ったのは黒人兵の割当てであった。与謝野博士は、業者からやみ打ちをうける覚悟で、五、六ヶ所を考えて相談した。初めは女たちも泣いて嫌がったようだが、黒人兵のほうからすれば、日本人は「白人」の部類に入る。だから女に対しては親切をきわめ、サーヴィスにつとめたものだった。それでニ、三日すると、黒人兵大歓迎ということになり、博士も心配していただけにホッとしたものである。
その時の命令は、

「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはならない。だから都の責任で検診を厳重にやるように・・・」

ということだった。週一回の検診では不足だという。「花柳病予防法」というものがあったが、それではやれないので、すぐに「性病予防規則」を作り、花柳界、特飲街、それから「特殊慰安施設協会」(RAA)などに検診や治療をやったのである。もっとも都側は、日本には治療するにも薬がない、完全に命令を履行するため薬をもらいたい、と申し出た。その結果、ダイヤジンやペニシリン、梅毒のマハルゾールの三種の薬品が大量に与えられたのであった。ただその代償として女から治療費などをとってはならぬ、無料でやれ、ということだった。

こうして、進駐軍用に、焼け残った都内の花柳界、特飲街が割りあてられてしまい、日本人用はたった一つ特飲街の千住があるだけだった。

引揚者や家族を疎開させた単身者が多かったので、風紀上何か問題が起きはしないかと心配されたのだが、事故も起こらなかった。ニ、三ヶ月後には千住だけでなく、ニ、三の場所もよいことになったが、こんどは、日本人の客があまり歓迎されない、という妙な現象が起こった。

翌年の四月ごろになると、進駐軍兵士で性病にかかるものが多くなってきた。これが理由で、総司令部は全部の花柳界を「立ち入り禁止」(オフ・リミット)にしてしまった。

病気のことも原因だが、花柳界のことが米国の新聞特派員によって本国に報道されたため、兵士の母親や家族では大問題となったからであった。我々の師弟が、そういういかがわしい特飲街に行っているのは怪しからん、という非難がサムス准将のところへ殺到したものだった。花柳病は実際はそんなに多くはなく、むしろ減っていたのだが、これを口実にして、サムス准将は政策の切りかえをやったのである。


「パンパン」の発生

占領下にできた新しい社会現象は「パンパン」であろう。軍隊の後には女が行進する、ということは歴史が語る事実である。進駐してから形もかわり、場所も移ったが、いつも軍隊の後を追っていた。
米国の軍人や軍属などが日本に落とす金は一億八千五百万ドルといわれるが、「パンパン」のかせぐドルは、その半ばに達するだろうという。

パンパンの発生は二十一年の夏頃であった。最初は立川、東京市内の日本劇場の周り、有楽町などで、数も五百人ぐらいだったが、そえがまたたく間に二千人、三千人になろうという有様だった。「パンパン・ガール」は健康診断を受けないから性病の罹患率が高くなってきた、と言うので、進駐軍の方が困ってしまった。

東京都が性病予防規則をつくった時、厚生省は、自治体だけでああいう規則をつくるのはけしからん、というので叱ったことがあった。しかし、都側は進駐軍から命ぜられたから仕方がない、という立場をとっていた。与謝野課長はハーグの陸戦法規に、「出先官憲は占領軍の命令を守らなければならない」と書いてあるのを見て、厚生省に説明し、そこで初めて厚生省は、花柳行予防特例によって、全国府県知事の責任で検診をやることにした。占領軍当局は、進駐軍を相手とするダンスホールのダンサー、ビャホールの従業員まで検診をやれ、といいだした。ダンサーも気の毒だったが、ビヤホールの従業婦などは、年少の人たちが多くて、ひどい飛ばっちりを受けたものだと、関係者は言っている。

特例の規定にしたがって、検診をしたものは、写真入のカードを持たせたが、これを思っていれば安全、というわけで、ヤミ屋がカードを売り出すような始末となった。そこで進駐軍はカード制はだめだといいだし、特例はすぐに廃止するわけにも行かないので、「申合せ」で発行を中止してしまった。

「パンパン」に対しては無検診だからというので進駐軍は一斉検挙を日本側に申し入れた。日比谷にあった憲兵司令官とか軍医関係のものがやればよかったのだが、東京には十一の憲兵分隊があり、分隊では下士官が命令し、警察官が協力して逮捕したものだから、場合によっては行きすぎもあった。とうのは何人捕まえたという報告を出さなくてはならなかったので、数をあげようとする傾向があった。

社会的な問題となったのは、東上線大山駅で、電車をとめて、乗っていた若い女たちを全部引っ張った事件だった。日本の警察官がついていたのだから、これはそうじゃない、といえばよかったのだし、またその意見もきけばよかったのだが、先方は日本の警察はヤミ取引があるのではないかと疑う。それで商売女でないことが判っていながら、みすみす吉原病院に送るというようなことがあった。病院のほうは、きたものは検査する義務を持っていたから、送られて来たものはすべて検査した。普通のお嬢さんがそうした目にあうことはしばしばだった。警視庁に、負けたとはいえ日本は法治国家ではないか、という抗議がいくたびかきた。


与謝野光氏の話

「我々のほうは進駐軍の命令にしたがった、国際公法によってやったのだとい理屈はある。しかし、これはやり方の問題で、やはり警官が弱かった。私は、なるべく前によく聞きただせ、といっておいたし、幾人かは帰しもしたけれど、ひどい目にあった人が相当あったと思う。米軍は自分の国の兵隊を守ることに急なため、日本の女性に迷惑をかけることになった。

進駐軍が性病を持ち込んだこともあったろう。しかし特に悪性のものもでなかった。むしろ米兵から、どこで遊んだら病気になったというような報告が多かったので、日本側は信用されず、米軍の軍医が直接検診に乗り出したこともある。

たとえば日本橋のどこで、目が黒いとか、背丈がどのくらいだが、というだけで名前も判らない。これを探すのは容易ではなかった。

 『パンパン狩り』は、狩り込みを先方がやってこちらが検診するというやり方だったが、後に、二十六年の九月からは、先方が検挙するのはやめて、日本側でやることになった。総司令部の公安課から、日本の法務府検務局長に対して、今後は日本でやること、ただし今までの成績を落とすようなことがあったら、責任者を即刻クビにする、という強い命令がでた。検務局長と警視庁、それに私が総司令部によばれて、依頼をうけた。しかしどうして検挙するかが問題だった。私のほうでやるには性病予防法の第十一条でやるほかない。

第十一条というのは、常習売淫の疑いあるものは、地方長官が検診の命令を出すことができる、というものでした。私は検務局長に対し、私のほうでやれといっても、第十一条は検診の命令で、検挙してもよいとは書いていないがいいのか、と聞いたものです。いいからやってくれ、というので警視庁は暴力で妨害するものを防ぐために『売春班』をつくった。ところで警察のほうは、検挙すると調書をとらなくてはならない。事務手続きが厄介で、そうしないと人権蹂躙になる。とにかく、今でも周一回、警視庁、私のほう、それから混成の三種類でやっていますが、私たちのほうはやめたいのです。

おかしなことに総司令部も二つに意見が分かれていた。公衆衛生局と憲兵司令官は病気をなくしたいといって我々に強く要求してくるが、法務局のアップルトン検務局長は、私をよびつけて、

『怪しからん、人権蹂躙ではないか。君は連れて行く権限は無い。第十一条は禁止命令で、lつれていく権限は書いていない。文化国家のやるべきことではない。また常習淫売というのは、一回だけではだめで、二回以上行わなければなりたたない。しかも現行犯だけをつかまえること、また検診命令も即刻出頭なんていう命令ではいけない。四十八時間のうちに出頭するように命じ、納得ずくでやれ』というのだが、四十八時間内に出頭しろといっても、来るものではないのです。

検務局長の意見に従っていても、たとえば立川基地などの現地の司令官は軍人なのだから、こちらのいうことなどはききはしません。週一回やらない限り、『立入禁止』(オフ・リミット)にするという。業者などは、これをやられると困るので、我々のほうになんとかやってくれ、といってくる。占領下では先方の命令でやられたのだが、独立したこれからは、法律的な根拠がなければやれないのであって、法の改正を厚生省などに要望してもなかなか実現しないのです。

性病が増えたように思う人が多いが、戦前に比べるとぐんと減っています。性病についての統計は今までは発表してはいけないというので公にされていないが、減少しています。東京だけをみても終戦当時に比べて四分の一位に減っている。これからもますます減ると思います。パンパンのよな野放しのものも減っているのです。初め彼女らの罹病率は60パーセントくらいだったが、今は10−15パーセントくらい。まして花柳界は減っている。いずれにしろ、占領行政のうちで、我々公衆衛生に関係した部門は一番めぐまれていたといえましょう。積極的に援助を受け、総司令部が先にたってやってくれたので、業績は大いにあがったのでした。」
http://urara225.iza.ne.jp/blog/entry/203155/


堕ちた大和撫子たち

 パンパンが街を闊歩する

 アメリカ軍が進駐して来て、大方の兵隊は市民には危害を加えないということが分かってくると、ようやく街も落ち着きを取り戻し、市民の表情にも安心感が現れ始めた。

 この頃、パンパンという言葉が流行った。パンパンというのは、進駐軍の兵士を相手にして、春を売る日本女性のことである。これには、オンリーというのがあって、兵隊の中でも上級階級専属で、このクラスになると住居も与えられ、いわゆるダンナから手当てをもらい、アメリカの、当時の一般の日本人がとても手にすることの出来ない衣食物を供与されて、贅沢な生活をしていた。

そうでない、不特定多数の下級の兵士を相手にするクラスの彼女らは、街角に立ってアメリカ兵の袖を引いていた。当時は、小倉には米軍の24師団が駐屯していたので、街にはアメリカ兵が多く、商売相手には事欠かなかったらしい。小倉の真ん中を流れる紫川にかかる常盤橋(当時)のたもとには、夜になると彼女たちがズラリと並んでいたものである。

 彼女たちの化粧や服装は、完全にアメリカナイズされていた。今なら普通と言えるかも知れないが、当時、人々は目をみはった。茶色に染めた髪、真赤な口紅、ピンクや紫などの手足の爪、肩をあらわにしたドレス、踵の高いカラフルなハイヒール、どれをとっても昨日まで、「撃ちてし止まむ」と化粧気もなく、耐乏生活に耐えていたモンペ姿の日本女性だとは思えなかった。

 人々は「大和撫子も堕ちたもんよ」と眉をひそめた。しかし、中には「あれらのおかげで、普通の家庭の娘が、アメ公(アメリカ兵の蔑称)どもに悪さをされなくて済んでるんだから」とそれなりの評価をする大人もいたが、ほとんどは陰で「パン助」と言って白い目でみていた。

 しかし、彼女たちは、そんな視線を尻目に、ハイヒールの音を響かせて、アメリカ兵の片腕にすがって街を闊歩した。それは夜だけでなかった。昼間も堂々としていた。敗戦という現実に心身ともに打ちひしがれた市民のなかにあって、彼女たちだけが生き生きとしていた。

 パンパンの語源は定かでないそうである。英語のpompom(これは性交という意味があるそうだが)が基になったという説もあるし、単純にペンペンという三味線の音、つまり芸者を意味しているというのもあったりする。しかし、広辞苑には原語不詳とあるが、「第二次大戦後の日本で、街娼、売春婦のことを指した」とある。

 私は、最初に彼女たちを目の当たりに見た時にはとても驚いた。それまで接してきた女性と言えば、母であり、姉、近所のおばさんたち、学校の教師などの通常の女性であったから、まるで異国人を見る思いがしたものである。しかし、それにはすぐに慣れた。彼女たちは、戦後の風俗となって、一時期世間に定着していた。

 確かに売春というのは、道徳的ではない。しかし、終戦を境に、彼女たちは自分の女体を武器にして、それまで鬼畜と喧伝されてきたアメリカの兵士といち早く関わり、その持てる金やモノを吸い取って、人々が一夜にして変わった混乱の中で、空腹を抱えて打ちひしがれている時に、図太く生きていた。大人たちは、彼女たちを口では軽蔑していながら、心のどこかで羨望していた。一見しただけで、その服装や持ち物が違っていた。物資の豊富なアメリカがそこにあったのである。

 常盤橋の両側には、靴磨きが多く並んで客待ちをしていた。中には、戦災孤児と言われた少年もいたが、戦闘帽を目深に被った白衣の傷痍軍人も多くいた。その中には義手を着けた人もいて、椅子に座って客が片方づつ履いたまま磨き台に載せる靴をかがみ込んで器用に磨いている。客のほとんどは、アメリカ兵や彼らと手を組んで歩くパンパンたちであった。日本の大人たちには、金を払って靴を磨かせる余裕などなかったということだ。

 あの白衣の傷痍軍人たちは、昨日まで誇り高き天皇陛下の軍隊として、日の丸の下で、聖戦完遂に命を賭けて鬼畜アメリカ兵と戦っていたに違いない。それが今日はその元敵兵の足元に膝を屈して靴磨きをせねばならないように、一夜にして世の中が変貌してしまった、ということだ。同時に私は、少年の幼い心情ではあったかも知れないが、そのアメリカ兵が磨き終わり、交替して椅子に座ったパンパンが、その元軍人の鼻先に足に履いたままの真っ赤なハイヒールを突き出して磨かせる光景に、何かしら義憤めいたものを覚えたものである。

 彼女は、普通では手に入らない洋モク(当時、憧憬を込めて外国のタバコをこう呼んだ)を、チュウインガムを噛みながら紅い唇に咥えてくゆらし、隣のアメリカ兵と何やら片言の英語を交わしながら、時にキャッ、キャッと甲高い笑い声を発している。その靴磨きは、下を向いたまま、黙々と彼女の靴を磨いている。私は、こんな光景に出くわす度に、なんだかこのような元軍人が可哀想で、同国人にいささかの遠慮もなく、思いやりを示さないそのパンパンが心から嫌いになった。
http://enjoynaming.cocolog-nifty.com/sudou34/2008/11/post-f3d2.html


パンパン狩り

性病が蔓延したため、強制検査のために街娼の狩込みを強化する警察やMP。有病者は強制入院させられる。池袋でもよく行われた西口闇市での取締りの光景。

RAA慰安所(米兵相手の慰安施設)や花柳街・特殊飲食街では GHQの要請で米兵を性病から保護するため 公娼や私娼に強制検診が行われていた 公娼制度廃止でRAAの慰安婦たちが何の補償もなく解雇されると 街娼(戦後自然発生)が急増 性病罹患数も増え
 強制検査のために「パンパン(米兵相手の街娼)狩り」が行われるようになる
http://com-support.co.jp/war_and_peace/after_johoku-daikusyu/index7.html


パンパンの狩り込みは、昭和二十一年(一九四六年)一月二十八日から東京ではじまった。GHQの要請でだが、占領軍の性病防止のためといえた。

京都は昭和二十三年の検挙者は二千四百二十二名であった。年齢は大正生まれが七十八名、昭和生まれがほとんどで、彼女のように十九歳から二十四歳ぐらいまでが百三十六名と一番多かった。(国家地方警察本部防犯課の資料による)


昭和21年、パンパンの一斉手入れ。こんな女に誰がした?

昭和21年の朝日新聞に、品川駅付近のホテルに出没する売春婦、いわゆるパンパンの一斉取り締りが報じられているそうです。

全部で300人が検挙されたが年齢は16歳から38歳までいた。けっこう若いじゃんと思われるかもしれません。暮らしに困って売春をなさる方の中には、恐ろしいほどの年配の方もいます。 専業は少なく、官庁や会社の事務職の者も混ざっていた。 参考資料によれば、「ダンサー、女給」など、売春業に手を染めやすい方々もおいでですが、「女工や会社の事務職、公務員」など、いわゆる堅気の女性もいたらしい。

300人のうち、性病にかかっていた者が60人いた。2割ほどの確率で病気をもらって帰るのでしょうか。当時、一番恐れられていたのは梅毒です。HIVと比べれば可愛い病気かもしれません。

「どうせ日本は負けたのだから、私たちが好きなことをするのは勝手だ」と取調べで煙草を吸う女もいた。
http://blog.q-q.jp/200702/article_17.html


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2.こんな女に誰がした(バスガイド編)__従軍慰安婦と同じ様に管理しただけさ


戦後、進駐軍指定慰安施設の閉鎖により町にあふれ出でパンパンガール
と呼ばれる街娼になった女達はGI達に性病が蔓延し始めると、MPと
警官による「パンパン狩り込み」と称する街娼の一斉検挙によって逮捕
され晒し者のように手錠腰縄で数珠繋ぎにされて強制検黴施設に連行され
全裸に剥かれて陰部を強制検診され、外性器に異常が無くても梅毒の潜伏
期間とされる一週間の拘留を申し渡され一日一度の強制検診を義務づけられた、
さらには明らかにパンパン狩りを見物しているに過ぎない女学生や主婦を
員数合わせや面白半分に連行する事も有り、沢山の悲劇が生まれた。

パンパンが安宿で全裸で淫売行為に及んで居る所に狩り込みが入ると、性行為の
動作を途中で停止させて写真を撮り、局部を拭くことも許さずに全裸のまま連行して
性器から検体を採取、そのまま一週間の拘留の刑罰を下されるので寒い時期には大変
だったそうだ

パンパンの狩り込みに度々引っ掛かったのは、終バスの乗務を終えて帰宅する
バスの女子車掌で、彼女達は料金着服防止の防犯検査で乗務終了後の裸体検査
を義務づけられているため、裸を人に見られることに慣れており、さらに泊まり番
の時は運転手と雑魚寝するために全て非処女、検挙後、検黴施設ですっ裸に剥かれても
婦人科検診台に昇って丸裸で大股開きになっても、日頃から全裸性器肛門点検を
毎日されている女子車掌は平気の平左のために常習淫売を疑われて、米軍発行の
商売女認定証、通称グリーンカードを発行され、売春婦登録となると週に一度の
性病検査を義務付けれて、さらに同じ職場の女子車掌全員が検挙されて強制検黴
を受けさせられ、売春婦登録される大騒動に発展した、さらに売春婦となった事実は
戸籍謄本に暗号で記載され、後の女子車掌の結婚に大きな妨げになった

いかにもの商売女の中に、素人臭い娘が混ざっていると取り調べの刑事どもも
昂奮して、証拠写真を撮るためと称して刑事部屋の汚い床に娘を全裸で仰向けに
寝かせて、座布団に張型をくくりつけた物を抱かせ淫売の手口を実演させて
楽しんだそうだ

東京でも省線電車を突然停車させて、若い女を全員降ろしトラックで病院に送り込んで
丸裸にして皮膚症状をチェック、婦人科検査台に昇らせて股を開かせ局部検査、ここで
処女と解かれば帰宅させるが、残りは潜伏期間の間は留置場に拘留なんて荒療治がまかり通った

そんな無茶なと思われるかもしれないが、梅毒を筆頭に各種性病の蔓延で奇形児の出産が相次いでおり、進駐軍が奇形胎児のホルマリン漬けを突きつけて日本側要人に対策を迫る新聞も病毒蔓延を書き立てるなどしたため、どんな強行手段も容認されたのだが
一部には夜のパンパン狩り同様、若い女に手錠腰縄を掛けて数珠繋ぎにし性病専門病院に連れ込むのだから、精神的抵抗も凄まじく数々の悲劇が生まれた
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1218787155/l50


バス女性車掌身体検査

女子バス車掌身検制度

全裸身体検査といえば昭和初期から30年代くらいまでにかけて行われたバス車掌身体検査のほうが凄まじい。

当時のバスは運転手のほかに運賃を扱う女性車掌が乗っていたのだが、着服を防ぐために男性検査官による身体検査が行われていた。

当時のバス車掌というのは女性にとって花形職業であり、15〜6才から20代後半くらいまでが大半だった。

この娘たちを全裸にするのはもちろん、足を開かせて穴の中まで徹底的に調べたらしい。


バス車掌の思い出

中学を卒業してすぐにバスの車掌になりましたが、車掌の仕事は現金を
扱うために、料金着服防止の為の身体検査が義務付けられており、乗務
を終えて運行事務所に戻り、精算が済むと、制服、制帽、車掌靴を返納
して、下着姿で、防犯係りの前で、福引きの機械に似た、検査機を回さ
され、青玉なら通常検査、そのままシミーズの上からなで回して検査
黄玉なら特別検査、シミーズを脱いで、ズロースに手を突っ込んで検査
で済むのですが、赤玉なら精密検査を受けさせられました。

赤玉を引くと「そぉれ,裸ン坊だよ!」と大きな声で命令されて
事務所の奥のカーテンの奥に連れ込まれ、ズロースを脱がされ、「それ
カンカン踊り!,早くする!」と大きく足を拡げて、両手で両足首を
握ってお尻を突き出すように強制され、陰部と肛門にワセリンを塗られて
ゴムサックをはめた防犯係りの指と、検査棒で、中身をつつき回され
ました、

また、検査の後は入浴が義務付けられており、脱衣所で、衣服を
検査係りに渡した後、浴場の入り口に、甘字架という、張りつけ台のような
物があり、この台に上ると、性器、肛門がぱっくりと開くような姿勢に
なるんですね、是に必ず登って、さらし者にならなければ、お風呂に
入れない構造になっておりました,

料金着服の疑いをかけられている車掌は ここでも、衆人環視の中で、
性器、肛門の中身を、容赦なく点検されました、

当時、車掌は裸踊りも仕事の一部だとされており、乗務中の車内でも、痴漢
さんに、

「どうせ、会社に帰れば、泥棒の疑いで、丸裸の四つん這いにさ
れて、尻の穴までつつき回されるんだろう、是くらい平気だろう!」

ってからかわれながら、いろんないたずらをされた物です、会社からは、お客様
に失礼の無いよう、どんなことにも我慢しなさいって言われてましたから
抵抗も、口答えも出来ません、ただ、火照ってくる体と屈辱に、身を震わせ
ながら、悔し泣きするだけだったのです、こんな、恥ずかしい検査の事を、
会社では「女の兵隊検査」と呼んでおりました。


ちなみにこれをネタだと思うヤツは、以下の本を読んでみるといい。

「バス車掌の時代」ISBN 4-7684-6611-7

日本図書館協会選定図書なので、大抵の図書館にもある。
さすがにここまで具体的には書いてないが、似たようなことが書いて
あるぞ。

バス車掌の話、「ユメノ銀河」って映画のワンシーンであったね
浅野忠信が出てて、主演は、何とか麗奈って娘(なんかのドラマのいじめっ子役の、、)

さすがにぼかしは入ってたけど、、、苦痛に歪む表情がタマランカッター
小刻みに震える足の指がクワッ!!って拡がるシーーンで逝ってしまった、、

昭和初期から30年代にかけてはマイカー等が普及していなかったため、公共機関
全盛期でした。特にバス会社は日本中に何百社とできたので、バス車掌の扱い方についても地方や会社によって全然違かったのかもしれません。
(特に関西が凄かったという話です・・・未確認)

余談ですが、このバス車掌身体検査は昭和30年代のある事件(濡れ衣を着せられた
車掌が拷問の挙げ句自殺してしまった)を境に全国的に廃止されました。
その後、昭和40年代になってワンマンバスの出現により、女性車掌自体が廃止されて
しまいました。


あの時代は女子の就職先自体がほとんど無かったので、電話交換手と並んで
バス車掌は花形職業だったそうです。
女は家庭を守るものという意識が根強い反面、戦争によって父親を亡くした母子家庭
も多く、生活していくためには働かなければならず、そのためバス車掌などの職業に
就けるだけでも恵まれている、という認識があったようです。

そのため、どんなにひどいセクハラを受けても会社に反抗したり辞めたりする人は
いなかったようです。


美空ひばりの「青春はりきり娘」と言う映画に、バスの女子車掌の、
集団裸体身体検査の様子が出てくる、一列に並べられた、バスの女子車掌が、
次々にホールドアップの姿勢で両手を上げさせられ、制服のボタンをはずされ、
ズボンのベルトを抜かれて、ズボンが足下に落ち、ズロースを膝まで
引きずり降ろされ、悲鳴を上げながら、局部に指を突っ込まれて性器、
肛門の検査をされる、後ろからの描写で、直接、尻や性器は見えないが、
エロ度は高い。

これは、昭和30年代まで、実際に行われていた、バスの女子車掌の、
料金着服防止の防犯検査を、映画用に、表現をソフトにして、再現した物で、
実際は、全裸にされ、両手で両足首を握り、大きく脚を開いて、けつを突き出し、
ゴム手袋と、検査棒で、徹底的に性器肛門をつつき廻して検査したそうです。

この検査を受けた体験談を赤裸々に告白していたのは、
日本人ボンドガールの浜美枝さん、彼女は、中学卒業と同時に、
バスの女車掌に身を落として、名状しがたいような屈辱的裸体身体検査を、
乗務前、昼食時、乗務終了後、外出先の抜き打ち屋外裸体検査と、
涙が涸れ果てるほど受けてきたと波瀾万丈伝のなかで告白しています。

そして、当時、エロ映画界には、バスの車掌は、裸が平気で、明日から使える
という評判が有ったそうで、浜美枝さんも、おなじ身体検査を受けている、
車掌仲間と、出かけた、セクシー女優登用試験の面接で、堂々と裸体を
披露度胸の良さを買われて「若い素肌」でデビューしたそうです、

ボンドガールになったきっかけも、この役が、縄ふんどし一丁の
裸海女の役だったため、英語の達者な本格女優がみんな断ってしまい、
英語もしゃべれず、泳げないという、浜さんに、裸度胸をみこんで、
仕事が舞い込んだそうです、その後も、週刊プレイボーイなどで、
全裸で逆立ちするなど、当時としては破天荒なエロシーンに、
敢然と挑戦していました。

参考: DVD[歌え!青春 はりきり娘]
  ttp://www.rakuten.co.jp/cfc-co/596371/600351/602957/
 モノクロ84分/1955年度作品/モノラル/スタンダードサイズ

【STAFF】監督:杉江敏男 脚本:八田尚之
【CAST】美空ひばり/久保明/小泉博/藤原釜足/寿美花代/清川虹子

■発売元:東宝 ■販売元:東宝

昭和二十年代に出されたSM雑誌「裏窓」なんかには、
バス会社ごとの裸体検査の方法の違いなどがのっていた。


第043回国会 法務委員会 第28号
昭和三十八年六月二十七日(木曜日)   午前十一時五十九分開議

○志賀(義)委員
神戸市交通局の松原事務所の車掌若林栄子さんの、不当な疑いによる
取り調べで自殺した事件について、人権擁護局に調査を依頼しておきましたが、
その結果はどうなりましたか、お知らせ願います。

○稻川政府委員
結論としてはっきり申し上げますと、調査はまだ完了しておりません。
その後、いろいろ根本的にむずかしい問題がありますので、
この際そういう問題も調査しておきたいという考えで、まだ終了しておりませんから、
もう少しお待ちください。

○志賀(義)委員
では大臣が来られるまでもう少し質問いたしたいと思います。
〔林委員長代理退席、委員長着席〕
この前、私が刑事訴訟規則で身体捜査には判事の拘引令状が必要だと申しましたが、
私、先日神戸に行きまして、六月二十三日その事務所に参りまして、
いろいろと調べを受けた場所、並びに当局の言う

検査を受ける場合の、簡単な調べを受けるときに青玉が出る、
赤玉が出たら入浴して脱衣場に置いたものを全部調べられる。

その赤玉、青玉のことを新聞記事を読んだだけではわからなかったのですが、
行ってみましたら、こんな箱の中に青いビー玉を四つ、赤いビー玉を二つ入れて
引っぱり出しますと平均して確率で二回ほどは青・一回は赤玉が出る。
赤玉が出たら入浴して検査を受ける。その入浴場も私は見てきました。

どうもその道具を見ますと、いささかこっけいな気がする道具なんですが、
そんなことでそういう検査が行なわれるということでございますが、
こういう検査は神戸法務局の人権擁護課の話では、バス車掌の身体検査は
ある程度やむを得ないと思うが、行き過ぎのないよう最小限度にとどめるべきだ、
今度の場合遺書もあるというが、それが直接原因とすれば問題だ、
人権侵害の疑いも考えられるので、訴えがなくても関係者を呼んで独自の調査を
始めるということになっておりますが、その報告はまだきていないのですね。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0488/04306270488028c.html

女子車掌が裸体検査をどのように思っていたかを示す婦人雑誌の記事に、
中学の進路指導でバスの女子車掌採用試験の内容を兵隊検査と説明され、
受験を希望して帰宅したら、小学生の弟から

「ネェちゃん、ケツの穴に指突っ込まれんノンか」

と聞かれ、恥かしい噂は近所中に広がっていたと出ています、
度胸を決めて臨んだ身体検査会場は町の商工会館の二階会議室で、
ズロース一丁で衝立の前に整列させられ一人づつ呼び込まれるのを待っていると

「ズロース脱いで、早くする、両手両足を印のところに置け」

と指示されているのが聞え、四つん這いにされるんだと思っていると、
名前を呼ばれて中に入ると、試験官のお偉いさん達の位置から
丸見えに成っているのが解かり、全身がカッと羞恥で真赤になるのを感じながら、
言われるままに全裸になり、大きく股を開いて膝を付けずに四つん這いになり、
思いっきりケツをもったてると、

「ブスっといくぞ」

の声が掛り、まず性器を二本指でこね回してからケツの穴に指を突き立てられ、
前後にピストン運動された後、すっと指が引き出されパシッとケツを叩かれて、
医者と看護婦、一部始終を見ていたお偉いさんに

「有難う御座いました」

と挨拶した、帰宅してからは父母にも検査の様子を聞かれ、

「なんもなかった、ちょっと見られただけじゃけん」

と答えたが、寝てから肛門に突っ込まれた指の感触を思い出して、
きゅうりを突っ込んで散々オナニーしてしまったそうだ


昔のグラフ雑誌などに、若い女性がシミーズ姿で涼んでいたりする写真や、
ズロース一丁で乾布摩擦してる写真が載っており、特に戦後の混乱期は
若い女性も裸を恥かしがらない風潮が強かったので、バス女子車掌が運行掛りに
行なう乗務点呼がシミーズ姿で有ってもさほど恥かしくは無かったのだろう、

「大内吉子、十八番線朝勤乗務します、防犯検査御願いします」

と申告して、防犯掛りがシミーズの上から撫で回し、
すそをまくってズロースの中を探り、パシッと尻を叩いて

「点検終り、異常なし」

と告げると、制服と車掌鞄などの受取り札を貰って
車掌乗降口に廻って服装を整えて乗務したそうだ
バスの女子車掌が防犯検査でケツ穴を検査されるのは世間で良く知られていたが、
もっと凄い噂として、バス女子車掌は糞舐め女だとか運転手のケツ穴を舐めさせられる
という話しが流布されていて実際に広く行なわれていた

糞を舐めさせられるのは糞付きの防犯掛りの指や検査棒を検査終了後に、

「ほれ、舐めて綺麗にするんだよ、早くする!」

と号令を掛けられて舐めさせられた、そして当時のバスの運転手は大陸の戦線などで
退廃的な風俗嬢を体験してるので、泊まり番で女子車掌と雑魚寝するときには
ケツ穴リップを強要した為で、当時のバス女子車掌はズベ公が多かったから
プレー感覚でまんざら嫌がらずにやっていたそうだ


バス女子車掌の裸体検身を写した有名な写真は、

事務所の衝立の陰の検身台の上ですっ裸の四つん這いにさされている女子車掌の横を
忙しそうに立ち歩く女子事務員の姿と、脱がされた衣服を点検する防犯掛り、そして
衝立の向こうに映るごく普通の事務所で伝票整理したり、窓際で談笑したりする人を
姿が映りこんでてすっ裸で性器肛門丸出しで四つん這いにさされた女子車掌の屈辱が
匂い立つような作品です


1 名前:屈辱の日々@[] 投稿日:02/03/07(木) 12:01 ID:+GTe8s9i

昭和三十年代まで、中卒でバスの車掌になった女の子たちは、料金着服
防止のための防犯検査、通称『泥棒検査』を受けなければ帰宅がゆるさ
れ無かったのです。

 検査は乗務終了後、制服を返納して、シュミーズ一つの姿で事務所の
カウンターに並んでクジを引かされ、『青玉』なら通常検査、その場で
なで回して検査、『黄玉』なら特別検査、シュミーズを脱ぎズロース一
丁でカウンターの中へ入ってズロースのなかへ手を突っ込み性器や尻の
割れ目をなで回して検査、『赤玉』なら、大きな声で『赤玉です、裸検
身御願いします!』と申告させられ、『そぅれ、裸ん坊の御通りだよ。』
と肩を押されて、事務所の奥の身検室(隅に三角形にカーテンをつるし
ただけ)に連れ込まれて、通称『女の兵隊検査』。全裸のままで、膝を
付けずに四つん這いになり思いっきりケツを突き出した格好で、ゴム手
袋をした指と、棒でしつこく性器と肛門をつつきまわされ、検査を受け
た後は一週間くらいひりひりしたものでした。

 そして、おとり捜査で印をつけた千円札何かが、清算金に入っていな
かったら、もう大変、拷問まがいの取り調べを特高上がりの『密行』と
よばれる防犯係(なんと、男!)から長時間全裸のまま受けなければな
らず、自白を拒めば、自宅へつれていって両親の前で、全裸性器肛門検
査を強要される事さえ、有ったのです。


2 名前:屈辱の日々A[] 投稿日:02/03/07(木) 12:03 ID:+GTe8s9i

また別のバス会社では、女子車掌は、揺れるバスのなかで、立ったままの姿
勢で、長時間勤務するにもかかわらず、当時(昭和2.30年代)、まともな生
理用品がなかったため、バス会社から貸与される赤ゴム製のゴムふんどしで、
脱脂綿を固定していたそうです。バスの車掌は低学歴の娘でも、女工さんの
三倍もの給料を貰えた反面、労務管理はかなり厳しい。特に女子車掌が料金
を着服するのを防止するため、乗務終了後は全裸で身体検査されていたので
すが、このゴムふんどしを付けていた時は、検査係が、『ギュー』と伸ばし
ておいて、『パッ』と放し、『ビシッ』と裸の尻に当てていじめたとか。強
力なゴムなので、青アザが出来るほど痛かったそうです。また、この赤ふん
どしを借りるためには、男もいる運行事務所で、ズボンを膝まで下げて、
『輪島車掌区、本多寿々子!本日よりメンスが始まりました!生理帯の貸し
出し御願いします!』と大声で申告しなければならず、時には『おい、ズロ
ースも脱いでよく見せてみろ。脱げないなら、誰か手伝ってやれ!』などと
いわれて下半身スッポンポンの屈辱を味わわされたりしたそうです。

 ちなみに、この赤ゴム製のゴムふんどしは、看護婦出身のバス会社幹部夫
人が子供の脱腸帯を見て、考案されたものです。


バスの女

子車掌全裸検査制度は、日弁連の人権白書などにも、取り上げられており
学校でも、憲法、労働法なんかをとれば、かならず取り上げられていたものです。

美空ひばり主演の映画なんて(「歌う青春、はりきり娘」だったか)大衆的な作品
にも、ひばりさんがバスガールに扮して恋を実らせるという設定で、大部屋女優が行列
させられて、男の防犯係から、ホールドアップの姿勢をとらされ、制服のボタンをはず
され、スカートのベルトをとられて、さらにブラウスの前をはだけられ、手をさしこま
れる検査シーンが出てきます、

何人か調べた後で、怪しい素振りを見せた娘を、女の
防犯係に、「こいつ奥で調べて!。」と指示して、なにか電話がはいり、シーンはうつりますが、こういう、大衆娯楽の分野でも、バスガールを登場させるなら、裸検査を連想させるシーンを登場させる事はお約束でして、彼女たちが素っ裸の検査を受けさせられていることは、世間の常識だったんです。
http://www.oocities.com/masako_69_love/0352.html


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参考 : 従軍慰安婦の管理法

日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。


 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中という者は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、
次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。
 ある日、田中という者は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日帝野獣は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、
乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日帝は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、
死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。
http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。

731部隊やら南京大虐殺と並んで有名な従軍慰安婦問題。
A級戦犯が永眠る靖国を総理が未だに参拝している事が大陸で問題視されているのも、生の声を聞くと頷ける。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


兵隊は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいまし た。ところが、両親は私たちを残して死ん でしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお 母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして 弟たちを養いました。   私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋 に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。
弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、
男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの 娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴っ たりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大 連へ連れて行かれました。
私たちが列車の 外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりし ました。 私は、弟たちのことも心配だしこ れから何が起きるかという不安で泣き出し たのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江な どで娘たちの一部を汽車から次々と降ろし て行きました。 私は東寧県で汽車を降ろさ れ、20人くらいの女性たちとトラックでプ チャゴルに連れて行かれました。

到着する と将校が「天皇と軍の命令だ。言うことを 聞かないと殺す」と言いました。
私は5号室に入れられ、着いたその日か ら強姦されたのです。

あちこちの部屋から も悲鳴が聞こえてきました。
それからは、 少ない日でも30人くらいの日本兵の相手を しなければなりませんでした。

  ある日、2人の女性が兵隊の相手をする のを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に「犬のよう なお前たちの言うことなんか聞かない」と 言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って 沸いた湯の中に入れました。
そして、その 煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように
足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。
私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってし まったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。

  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。
私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいま した。
私はここの「慰安所」に8年間いま した。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。
1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生 むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:

A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのか
と尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、
裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を
切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で
『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』と述べ、死んだ女性の死体を
煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令
され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を
切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦
の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」
と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。

(上記の申立書、ならびにハウスフェルド法律事務所の各種資料は、
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm



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4. こんな女に誰がした(アメリカ移民編)__天皇陛下を恨んでね


天皇一族は売春業者

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。

しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。
貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。
天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html


高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。

「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。
<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。
日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。

娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。

「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」

福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825


1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、
欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、
欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。
そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを
公然許可すべき」という指示を天皇に与える。

賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に
「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、
天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。
(福沢諭吉全集 第15巻)

1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い
仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で
大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は
天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」
日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は
「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の
売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族の
サギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。
その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性を
だまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の
売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」
された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に
売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。

日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、
三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、
全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の
新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を
「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する
「売春業参加のお礼」として建設された。
(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。


また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と
協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。
こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が
蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた

米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で
1億ドルを超えると記録されている。

国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、
女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、
ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。

戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で
「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって
戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく
自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。

また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し
略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に
運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」
という巨大な壷に蓄財された。

中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争
は天皇の個人的蓄財のために行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは、
「天皇一族は金銭ギャングである」
と吐き棄てるように語っている。
(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)


1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は
この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、
海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、
スイスに850万ポンド、
ラテンアメリカに1004万ポンド等、

広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、
天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した
蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。
(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。


広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本を
どのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、
天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金
を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が
日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そして
スイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた
日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されて
いる最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など
何も考えていない事は明白である。

(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」
マルジュ社)。


なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた
商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の
対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは
何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が
「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員
であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を
借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、
港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、
莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の
金融ビジネスマンである。

そしてここでも「何故か」CIAと天皇は
「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を
「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが
虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのも
スイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に
「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族
の蓄財を隠していた。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪
ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。
(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 

ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い
女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が
社会問題化し、それを禁止した法律であった。

天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」
(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の
「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、
1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、
日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇
の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し
米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、
人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語る
のがジャーナリストの仕事である。
天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の
無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607


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     ヾ、       |二二二二二二二| ..|
  _    `ー―' | ..|.:.\\_::::::::::::::|_||
彡三ミミヽ       | ..|ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|    天皇・・・・・
彡' /| ヾ、    _ノ|_|: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,|
  / ./|.  `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|    ぜったい許さない
 ,ィ| |::|ニミヽ   __.ノ ヽヘ`" 彡' 〈     |
彡'| .:|:::|   ` ̄       `\   ー-=ェっ |    
  | .|:::|   _  __ ノ  {ミ;ヽ、   ⌒   |
.  | |:::|,ィ彡'   ̄        ヾミミミミト-- '  |  
三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
.   | |:::|  ィニニ=- '     / i   `ー-(二つ 
   | |::|彡'          { ミi      (二⊃
   /| |::|        /  l ミii       ト、二)
 彡 | |::|    __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
.    | |::| /          | ミ{     :.:.:..:|
    | |::|       ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
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     | |:::|     ./  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|   
   ノ .| |:::|  _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|

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参考__日本の女性売買史

有史以来「売春婦」は存在したと見ても間違いないだろう。平安時代には「白拍子」と呼ばれていたが、室町時代には戦乱による社会の混乱で、その数が急増、社会的地位も最低となった。

天正13年(1585)豊臣秀吉は、業者を指定し、散在していた売春婦を集めて大阪傾城町(新町)に「遊郭」を造らせた。我が国の「公娼制度」の始まりである。次いで京都島原などが造られ、これらは「遊郭」「郭」「色里」とも呼ばれた。

江戸時代の元和3年(1617)江戸に元吉原ができ、更に遊郭以外の私娼街も各地に誕生したが、黙認されていた。享保3年(1720)に幕府は遊郭の制度化を図り、江戸吉原、京都島原、大阪瓢箪町、下関稲荷町、博多柳町、長崎丸山など25ヶ所が許可された。そのほか深川など半公認の私娼街も在った。「遊郭」の多くは郊外に設置され、周囲に溝を回らし、大門(オオモン)だけが通行できた。

「遊郭」の中には特異な習慣、作法、郭詞(クルワコトバ)、揚屋制度等があり、江戸文化形成に一定の影響を与えた。江戸芸術の多くが「遊里」と何らかの関係があるのは、ここが芝居と同様の社交場になっていたからである。明治時代になると単なる売春地帯に変貌し、その数が急増した。明治5年(1872)マリア・ルース号事件で政府は公娼制度廃止の布告を出した。

【ペルー国籍のマリア・ルース号が清国からペルーへ苦力(クーリー)を輸送途中、横浜に寄港した時、虐待に耐えかねた苦力が逃亡して英国軍艦に助けを求めた。神奈川県令大江卓は裁判で苦力を釈放し本国へ送還した。この措置に対しぺルー側は日本の公娼制度も「人身売買」であると非難した】

当時の司法卿江藤新平が“娼妓、芸妓は牛馬と同じ。牛馬に借金の返済を迫る理由はない”と言ったことから「牛馬解放令」とも言われた。この布告は、江戸以来の遊女制度に打撃を与えたが、古い遊郭は「貸座敷」に再編成されたに過ぎず、公娼制度の実態は変わらなかった。大正13年(1924)には全国に544ヶ所の遊郭があった。

「公娼制度」は、性犯罪の防止及び性病予防に一定の効果があった。昭和6年(1931)満州事変勃発以降、遊女は軍により「従軍慰安婦」として動員され、高まりつつあった「廃娼運動」は大きくつまずいた。「遊郭」の実状は、遊郭経営者の家庭で育ち、つぶさに遊郭を観察された作家宮尾登美子氏の数々の作品で語られている。 http://www.c-able.ne.jp/~tseiso/jibunsi/panpan.html


 まず、鎌倉時代の「長者」。長者とはもともと名望家や富豪の旧家の主人をさしていた。そしてこの長者の家に貴族や高位の武士が旅をするときに泊まる風習があった。このとき長者は自分の妻に身の回りの世話、さらには夜伽の相手、いわば売春接待をしていたのである。その後、客の接待のために専属の女性を雇うようになり、鎌倉時代中期以降は、それが営業化して娼家のようになったのだという。

 次に蓮葉女。これは港の商家の問屋が取引上の顧客や船頭を家に泊め、その接待婦として専属に雇われていた人たちである。

 街道の旅籠屋(宿屋)で、給仕の女が売春することが多かった。江戸時代に「飯盛り女」と言えば駅妓を指す。また茶屋も売色をすることが目的の「遊び茶屋」が少なからず存在した。

 また江戸時代には湯女風呂というものが流行した。これは蒸し風呂があって、女たちが垢を落とし、また当然色を売ったりもしたのである。

 この辺りがフーゾクの原型である。

 ところで、ここからは公娼の話。公娼制とは幕府や政府といった為政者が売春を公式に管理する制度。

 公娼制の存在がはっきりわかっているのは16世紀後半、豊臣秀吉が大阪・京都で認可した遊郭である。

 さてその後徳川家康が江戸城に入城し、辺りを開拓していくのだが、地方から商人や労働者が集まってくると当然遊女も集まってくる。その後江戸が繁栄し出すとあちらこちらに遊女の店が出来る。「それは風紀上よろしくない。一ヶ所にまとめてしまおう」と幕府に提案したのが庄司甚内。1612年のこと。その5年後にこの提案が幕府に受け入れられ、作られた遊郭が吉原である。

 吉原は3万坪ほどの広さで、周囲が溝で囲まれており、一箇所しかない門からしか外に出れないようになっていた。中には3000人ほどの遊女があり、江戸の前期は大名などが、後には商人や庶民がここで遊ぶようになったという。

 この頃の遊女というのは、もとは地方などの貧しい家の娘が、お金と引き換えに女衒というブローカーを通してつれてこられた女達であり、基本的に約10年その親の借金のためにそこで売春をしなければいけなかったのである。連れてこられたときの年齢は14やそこらである。また彼女らの死亡記録をみると20代前半が多かったことを付け加えておく。

 吉原は唯一の幕府公認の遊郭として繁栄していくのだが、徐々に岡場所などといった私娼窟が勢力を伸ばし、吉原は衰退していく。原因としては、吉原の遊郭の「サービス料」の高さと形式ばったところが嫌われたのではないかといわれている。

 さて、明治維新。遊郭はそのままの形で残ったのだが、しばらくしてマリア=ルース号事件が起こる。これはどんな事件かって言うと、ペルーの汽船が日本に入港したら船に乗せていた清国人奴隷(苦力:クーリー)の一人が、イギリス軍艦に逃げてしまった。それで「奴隷を返せ」っていうペルーと「いや、奴隷は人権違反だ。返せん」なんていうイギリスとの間で裁判を行うことに。日本がその裁判を引き受けることになったんだけど、日本の裁判長の大江卓は「奴隷売買は国際法違反だ」という判決を下して、清国人の身柄は母国に戻せって言ったんだ。

 そしたらペルーは怒って「奴隷契約が国際法違反だったら、おまえの国の娼婦はなんなんだ」って言ったんだ。そしたら日本は「それもそうだ。公娼は解放の方向で取り組みます」なんていって、明治五年「娼婦解放令」が発令される。

 遊女たちは「これで帰れる」なんて喜んでいたみたいだけど、結局家に戻っても貧乏には変わりないから、行く場所がない。結局「貸座敷」という形で遊女屋はほとんどそのまま残り、女たちはそこで働くことになった。

 明治・大正・昭和になっても相変わらず地方は貧しい。そしてたくさんの娘たちが金と引き換えに貸座敷に連れてこられたという。山形県のある地方では9万の人口がいたのだが、そこで2000人もの女が娼妓になって村から消えたなんて話もある。

 昭和恐慌と東北を中心とする農村の壊滅的な貧困により、この身売りはピークを迎える。日本史で受験をした人なら資料集などで「娘身売りの場合は当相談所においで下さい」なんていう張り紙がしてある光景の写真を見たことがある人も多いと思うが、当時親が娘を連れて行くのはこの相談所ではなく、身売りの斡旋をする周旋所であった。

 戦前、軍人たちはよく吉原などの貸屋敷で遊んでいたという。そして戦争がはじまると、兵士たちは出征の前に馴染みの遊女に挨拶に行き「生きて帰ってきたら一緒に所帯を持とう」などと誓ったという。また、徴兵されることになったまだ若い息子を連れて父親が吉原に来たこともあったという。その父親にとって息子が女を知らずに死んでしまうことはやるせなかったのだろう。

 戦争が激しくなったが吉原は引き続き地味にではあるが営業を続けた。しかし、やがて空襲により吉原は全焼。中にいた遊女たちは多く焼死したという。一方従軍慰安婦として海外に渡りそこで死んだ遊女たちも少なくない。
 http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai25.html


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4. こんな女に誰がした(キリシタン編)__キリスト教を恨んでね


豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

徳富蘇峰の近世日本国民史に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっています。

『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』

ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、マラーノのアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタンの悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万もいるという。

肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。

鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。

ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』


豊臣秀吉は準管区長コエリヨに対して次のように命じています。

『ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。 従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ。』

2002.7.9日付北國新聞の「バテレン追放令」も当時の「宣教師達による日本人女性人身売買」について触れています。
豊臣秀吉のバテレン追放令第10条の「日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止」を紹介し、次のように述べています。
『バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。』

豊臣秀吉は、この奴隷狩りを止めさせるために、イエズス会の司祭、コエリュに詰問しています。

「九州に来る西洋の商人たちが日本人を多く購入し連行していることをよく知っている。いままで誘拐して売り飛ばした日本人を返せ。それが無理なら、ポルトガル船に買われて、日本にいる監禁されている日本人だけでも開放しろ。そんなに金が欲しいなら、代金はあとで渡す。」

これにコエリュが答えて

「日本人売買の禁止はかねてからのイエズス会の方針である。問題なのは、外国船を迎える港の領主(キリシタン大名や天草四郎)であり、厳しく日本人の売買を禁止しない日本側に責任がある。」

このやり取りで、秀吉は激怒し、奴隷売買禁止令を発します。

天草四郎があれだけ最新鋭の鉄砲で武装できたのも、奴隷狩りの豊富な資金があったからです。
彼らは現在の絵や小説やドラマに描かれているようなムシロ旗に竹槍の武装などしてないんですね。 鎧を着て、銃で武装した組織的武士団です。

戦前までは、この事実はよく知られていたそうです。
そのため、古い物語などに出てくる天草四郎は魔回転生に出てくるような化け物として描かれています。 しかし、戦後はあべこべに日本人がキリスト教徒を迫害したのだと教科書で教育しています。 奴隷貿易で子供や女性を連行されたのは日本人の方なのに。


日本の歴史教育ではキリシタン殉教者の悲劇は教えます。
しかし、天正少年使節団が報告した日本人女性50万人が奴隷として売買されていた悲劇を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇を、どうして教えないのでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q2869029.html


日本人女性をドレイとして売り飛ばした切支丹大名の非人間性、これが武士か、日本人か


キリシンタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとに行ったが、その報告書を見るとキリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

 「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国まで転売されてゆくのを正視できない。 鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」


 この少年たちの父や叔父たちが日本女性を数十万単位でポルトガルの教会の師父たちと共謀して売った悪なのである。これがキリシタン大名や小名、豪族たちの偽らざる真実の姿なのである。ポルトガルの教会の師父が世界的売春組織のボスであることを知って、キリスト教のなんたるかを連想されるがよい。

日本のキリシタン大名が、キリスト教(カトリック)の宣教師、そして、ポルトガルの奴隷商人に、火薬一樽につき五十人の日本の美しい娘を奴隷として、ヨーロッパなどに売り飛ばした、と言う一件である。

 この件は、日本側に、日本の娘たちを捕らえて、キリスト教の奴隷商人に売り渡す勢力が存在しなければ、全く成り立たない。実際、十六世紀以降、キリスト教ヨーロッパの征服者たちは、サハラ以南の黒人、アフリカ地帯から、合計数千万人の黒人奴隷を中南米、北米大陸に連行した。しかし、この件は、黒人側に、奴隷売買の権力者が存在しなければ、成り立たない。

 我々は歴史書によって、当時、アフリカ黒人部族の首長たちが、ヨーロッパキリスト教奴隷商人から資財を受け取り、それと引き換えに、黒人同胞を売り渡して居たことを承知して居る。

 しかし、全く同じことを、戦国末期の一部の日本人権力者がやって居たことを始めて知って、正直なところ大きなショックを筆者は受けた。

 九州のキリシタン大名大友宗麟は、カトリックの宣教師に煽動されて、永禄四年、宇佐八幡宮を焼いた。天正九年十月八日には、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いたと。
 大友宗麟は、カトリックの極悪悪魔主義者たる宣教師と、ポルトガルの商人から、火薬の原料硝石を輸入するために、豊の国の神社仏閣を焼き払い、若い娘たちをドレイとして、売り払ったと。

 このような人物こそ、日本史上極悪の民族への裏切り者、売国奴、国賊、として特筆大書され、徹底的に日本国民に、教えなければならないのではないか。
 しかし、大友宗麟のみでない。日本人キリスト教徒は、全員大友宗麟と同類の顕在的また潜在的な売国奴、ではないのか。
http://www.asyura.com/0411/bd38/msg/361.html


キリスト教布教に躍起になり、日本人を奴隷として連行するのは何故かと秀吉は耶蘇を詰問


大分(豊後)は、キリシタン大名・大友宗麟の領地です。
織田信長は、ポルトガル(+イエズス会・サビエル、大友宗麟経由)から大量の武器・資金援助を受けていたようです。

当時、大友宗麟・有馬晴信・大村純忠・高山右近・小西行長・黒田如水・細川忠興らのキリシタン大名たちは、武器輸入のかたに日本人を奴隷として売買して利益を上げた、と言われています。

天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。

 「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)
 
http://www.asyura.com/0411/bd38/msg/354.html


 大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷

天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。

 「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)

 日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。

「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」

「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」

といったやりとりが、使節団の会話録に残されている。この時期、黄海、インド洋航路に加えて、マニラとアカプルコを結ぶ太平洋の定期航路も、1560年代頃から奴隷貿易航路になっていたことが考えられる。

 秀吉は九州統一の直後、博多で耶蘇会のリーダーであったガスパール・コエリョに対し、

「何故ポルトガル人はこんなにも熱心にキリスト教の布教に躍起になり、そして日本人を買って奴隷として船に連行するのか」

と詰問している。南蛮人のもたらす珍奇な物産や新しい知識に誰よりも魅惑されていながら、実際の南蛮貿易が日本人の大量の奴隷化をもたらしている事実を目のあたりにして、秀吉は晴天の霹靂に見舞われたかのように怖れと怒りを抱く。秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録されているが、それは本書の本文でたどった黒人奴隷の境遇とまったくといって良いほど同等である。「中間航路」は、大西洋だけでなく、太平洋にも、インド洋にも開設されていたのである。

「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」

といった記述に、当時の日本人奴隷貿易につきまとった悲惨さの一端をうかがい知ることができる。

 ただし、こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』に書かれている。秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じたという。検地・刀狩政策を徹底しようとする秀吉にとり、農村秩序の破壊は何よりの脅威であったことがその背景にある。

 しかし、秀吉は明国征服を掲げて朝鮮征討を強行した。その際には、多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった。−−奴隷貿易がいかに利益の大きな商業活動であったか、このエピソードからも十分に推察ができるだろう。
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html


117. 中川隆[-7793] koaQ7Jey 2017年5月06日 06:08:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2016年09月27日
【レイプ】ヤクザの女を捕まえて監禁。エロい拷問をして犬にもエッチさせる話

僕が中学を卒業してしばらく経った頃にしていた、ある組織の事務所でのバイトで見た裏世界です。

僕は中学生になった頃から落ちこぼれ、喧嘩と飲酒、喫煙を覚え、日の当たらない道を歩むようになりました。

学校単位では喧嘩も強く威張っていましたが世界は広く、僕を子供扱いするような強い人は山ほどいました。

そんな人たちと付き合うようになったのがキッカケでした。

上下関係、先輩後輩の秩序ある関係など自分を中心とした相関図を常に把握しておかなければ、ちょっとした事が命取りになる世界で、昔は唾の吐き方一つで半殺しの目に会わされて引退した人もいたようです。

僕は親しくさせていただいた先輩が心配してくれて、2日で5000円のお小遣いをくれて口の聞き方や行儀作法を教えてくれるし、今親しくしておけば将来きっと助かる事があるだろうと、ある組の事務所の電話番をしました。

直接指導してくれたのは経験2年の先輩でしたが、目上の人に対する言葉遣いは半端なく、また目上の人と話をする時は常に頭を下げたままで話を聞き、話をしていました。

また、電話を受けても相手からは見えないのに、やはり頭を下げたまま受け答えをしていました。

電話の取り次ぎで系列の方々に連絡する時も同様でした。
「見られるわけないのになぜキチッと応対するんですか?」
と聞くと

「確かに無駄な事かも知れん。だが、いつ誰が見て聞いているかも知れんし、見られてるからキッチリする、見てないからダラける、それじゃ俺を信頼してくれてる親分や兄さんに申し訳ないて思う。不器用な男やから上手く立ち回れんのじゃ」
と教えてくれた。

また、
「掛かってきた電話を取るのは俺やお前かも知れんが、相手は○○組に掛けてるから組の看板を汚す訳にも行かんから掃除と同じくらい電話番もキッチリしにゃならん」
とも教えてくれました。

ほとんど何事もなく穏やかな日が続いていましたが、何やら対立関係にある組織とトラブルが生じていたらしい頃です。

対立関係の組織だとかトラブルの内容だとかは、僕らみたいな若造には話してもらえませんでしたが、兄貴たちは誰かを見つけ出して事務所まで拐ってこいと言われていたようでした。

毎日、昼も夜も人探しをしていました。

ある時、その兄貴から事務所に電話が入り、
「月を拾った。今から事務所に引っ張るから裏のシャッターを15分後に上げて待て。俺のクラウンが入ったら、シャッターを直ぐに下ろせ」
という内容でした。

「月」というのは探している本人ではなく親しい関係にある人の事で、嫁さんとか兄弟姉妹、愛人などを示しますので、人質みたいなものを確保したらしい事は分かりました。

重要と思われる電話は、当番で事務所にいる先輩に伝えることになっていましたので、内容を正確に伝えました。

時計を見ながら待っていると電話が入り、
「すぐに着くから頼むぞ」
と言われ、僕は裏に回りシャッターを頭の上くらいの高さまで上げて止めました。
シャッターの外には出ずにカーブミラーを見て待ちました。

一方通行の狭い道の向こうから黒塗りのクラウンが来て、そのままシャッターをくぐり入りました。

僕はクラウンが完全に入ったタイミングでシャッターを下ろしました。
事務所にいた先輩方が後ろのドアを開け、中にいた別の先輩がロープで縛られた20歳過ぎくらいの女と共に出てきました。

逆側からも別の先輩が出てきました。

後部座席の真ん中に縛られた女が乗せられ、左右を先輩方が固めていたようでした。
シャッターの内側から女が引きづられるように建物の中に入って行き、地下の物置として使っていると言われていた部屋に女は連れて行かれました。

物置とは、戦争になった時に事務所での自炊やらの為に米や非常食、水、トイレットペーパーなどが保管されている部屋と、もう1つ天井に鉄骨が剥き出しになっていて、滑車やフックがぶら下がっているほとんど何もない部屋があり、女はそっちに連れ込まれました。

緊急体制とやらで電話番は当番の先輩方が引き受けてくれ、僕は他の先輩の手元として地下の女がいる部屋に待機していました。

女はそれまでのロープをほどかれましたがすぐに両手首を縛られ、天井から下がっているフックに両手首を縛ったロープを回して滑車を操作し、女の爪先が床に着かない程度まで吊るしました。

そこで女の口を塞いでいた猿ぐつわが外され、口の中に押し込んであったハンドタオルみたいなものも出されました。

女は相当な美人で、髪は長く縦ロールで巻かれていて肩甲骨の下までありました。
体つきはかなり痩せ気味でしたが、胸は突き出していてウェストには明確なクビレがあり、お尻は豊かな丸みがありながら張りがあるように見えました。

先輩の一人、石川さんが吊るされた女の顎を持ち顔を引き寄せて
「楽しい時間を過ごさせてやるからな」
と言うと、女は石川さんの顔に唾を吐きました。

石川さんは女の頬をつねり上げて
「その威勢の良さがいつまで持つかな?」
と言うと、女の着ている服を力任せに剥ぎ取りました。

ビリビリと裂けるように服は切れっ端になり、腕や身体に巻き付いた布切れはハサミでザクザクと切られて身体を覆うものはほとんど無くなり、ブラジャーとガードルと、その下のショーツだけになりました。

石川さんは僕にハサミを手渡し、
「全部むしり取れ」
と言いました。

僕は
「切り刻んでいいですか?」

と聞くと石川さんは

「どうせ無事には帰れんだろ。着替えの必要も無いし、きっちり剥いで生まれたまんまの姿にしてやれ」

と言いました。

「遊びながら楽しくやってみろ。逆らうようなら逆らわなくなるまで遊んでやりな」

と言うと、石川さんは壁際にあるベンチとテーブルの所で煙草を吸い始めました。
僕はガードルのウェスト部分を引っ張り臍の辺りからハサミを入れ、恥骨の上までを割きました。

次いで、逆のお尻の上からお尻の割れ目に沿ってハサミを入れました。
ガードルを下げ、股の部分を切りガードルは左右に分かれ太ももの所で止まっています。

ブラジャーの肩紐を切り、背中のホックを外すとブラジャーは女の足元に落ちました。

目障りになったガードルを足首から引き抜き、ショーツの左右にハサミを入れ切りました。

ショーツを手に取り女に見せつけ、細かく切り刻み二度と使えないぼろ切れにしてから足元に落としました。

この時に女の目から涙が伝っているのが分かりました。

女の顔をまじまじと見ていたら、元アイドル歌手の麻丘めぐみとAV女優の塚本ゆきを足して割ったような容姿だと思いました。

足首にロープを巻き左右に開くようにロープを引っ張り固定しました。
女は完全に床に足が着かない状態で吊るされています。

足をもっと開くように足首に巻いたロープを更に引っ張りました。
隠しようの無い姿を晒す女の周りをゆっくりと歩き、眺めました。

女の身体に触れず、明るい中で女の詳細な部分まで眺めるのは初めてで、隠唇の歪みやアナルの皺まで鑑賞しました。

陰毛はある程度まで手入れされていましたが、全て剃り落としました。
アナル周りの無駄毛まで処理し、剃り残しが無いか指先で確かめました。

お尻の割れ目をなぞり、アナル・膣口を通過し、マンコの溝に沿ってクリトリスまで何往復かすると膣から湿り気を感じ、やがて濡れ始めました。

まだ女は目を瞑り唇を固く結んでいます。

僕はアナルと膣を重点的に解しました。

アナルには抵抗がありましたが、膣は濡れてピチャピチャと音がし始めました。
膣に指を入れると女は仰け反りました。

指を二本にして少しずつ強く激しく揺すると、女の口から吐息が洩れだしました。
膣の中の指と外側からクリトリスに圧を加えていた親指で挟み細かく動かしました。
僕は、この美人の女性のもっと淫らな姿を見たいと思い、膝にロープを回して両手を吊るしているフックに掛けました。

女は両膝が上がり足首は下に引かれていて、M字開脚のような幼い子がオシッコをする時のような格好になり股間を晒しています。

少し開いた割れ目と、その上に肥大化した豆が見えています。

目線を上げると、巨乳に近いボリュームのある乳房が見え、更に上には憂いを帯びて今にも泣き出しそうな可愛らしい顔が見えます。

「誰でもいいんだろう?」
僕は小さく囁いた。
女はビクッと反応した。
まさか・・・という顔で僕を見る。

僕は女の開かれた足の間に入ってベルトを緩めると、女は首を横に振った。

「私は××組の東堂のオンナだよ。命なくすよ」
と小さな声で言う。

「兄さん、この人、なんとか組の東堂のオンナだそうです」

「やっと吐いたか・・・知らぬ存ぜぬだからな、女は油断できねえ。間違った女を引っ張ったかと思うぜ。なんか御褒美やらなきゃな・・・」

この時、まだ俺は童貞で女の身体をマジマジと見たのも初めてだった。
自分を強く見せたいという気持ちから経験済みみたいな顔をしていたが、正直勃起ビンビンで先端からは先走りが出ていた。

しかし、今、ここでヤルという勇気は無かった。
ただ見て楽しむだけで充分だった。

色気というのか見ているだけで逝きそうな気がした。
せいぜい指で遊んでやるくらいが精一杯だ。
煙草を吸い終えた兄貴分が来てくれました。

「遊んでる分にはいいが挿入はまだだぜ。上のグラスから順番に入れてくからな。ま、俺の番が来るのに3時間くらいかかるやろな」
と言いました。

じゃ、俺の番が来るのは明日じゃないか・・・と思ったら、気がついた。
俺の番なんか無いんじゃないかと。

「兄さん、写メ撮っていいですか?」
「おう、いくらでも撮っとけ。どうせコイツは薬に浸けて風呂に沈めたるからな」

女は

「ふざけんなよ!お前ら、命無くすぞ!」

と暴れたが身動き出来ない。身体がおかしく揺れただけだった。
隠しようのない身動き出来ない姿で撮影されまくりで女は泣きそうだった。
泣きそうな顔も勃起を促した。

マンコが呼吸してるみたいにヒクヒクして、面白かった。
まだ少年のような心が俺にも残っていた。

胸を見る。

俺の感覚では胸とか乳房というよりオッパイという方がピンとくる。
撮影に飽きてきた頃、先輩方が続々と集まってきました。

許可を貰ったから始めようか、と縦縞のスーツを着た人が言うと、派手なトレーナーを着た人が味の素みたいな粉を水に溶かして注射器で吸い入れて、女のマンコに近付けた。

何人もの先輩方が見守る中でマンコの中に注射したみたいだった。

「どのくらいで効いてくる?」

「モノが良いので即効です」

と笑顔で答えました。

先輩方は女を見守るというか、観察をしているみたいだった。

女は息が荒くなり、肩が上下に動いていた。

先輩の一人がマンコに触ったようだった。
クリトリスかも知れない。

女が「あ〜っ!!」と大きな声を上げた。

面白がって、先輩が何度も女の股間を弄くる。
その度に女の喘ぐような叫び声がしました。

先輩方が女から離れましたが、女は何もされていないのに喘ぎ続けていました。

顔は紅潮して滝のような汗をかき、目は飛んでいて

「ハァハァ、ゼィゼィ」

と荒い呼吸で、股間をきつく閉めようとしたり弛んで開いたりしていました。
力なく、ジョ、ジョー、ジョボ、ジョボと漏らしました。

勢いが無く、長い時間オシッコを垂れ流していました。

「もう、どこをどう触っても逝きまくりですょ」

とトレーナーが言い、指名された先輩が乳首を摘まむと
「はぁ〜あ、ぁ、あぁぁぁあ!!」

と女が叫び、身体全体を煽りながら痙攣していました。

乳首を摘んだまま、捻ったり押したり引っ張ったりする度にぎゃあぎゃあ喚き喘ぎました。

「気持ちいいか?」

と聞けば

「気持ちいい〜っ!」

と答え、

「逝きそうか?」

と聞くと

「逝っちゃう〜っ、逝っちゃう〜っ」

と答えました。

「欲しいか?」

と聞くと

「欲しい〜よ、欲しい」

と答え、

「何が欲しいんだ?」

と聞くと

「おチンチンっ!」

と答えました。

先ほどまでの気丈さは消え去りました。

トレーナーを着た先輩は実は組とは直接の関係はなく、医師免許を持つ医師だそうで、専門は薬物依存症だそうでした。

この女は乳房の太い血管や股の付け根の太い血管に注射痕があり、その様子から薬物の常習者だそうで、キッカケを与えれば逆らわず何でもやるだろうとの事・・・。

注射も自分で打てるところを探して打ってたんだろう。
何もされないのに女は喘ぎ続けていました。

条件反射の1つで、多分セックスの前に打っていたから、打てばセックスをするというように身体が覚えてしまったのだろう。

今いる中で一番上の位にあると思われる先輩が

「コイツはゴロウに払い下げるから、先にヤりたい者はヤっていい」
と言いました。

聞いていた何人かがズボンとパンツを脱ぎ、女に群がると凄い喘ぎ声が途切れる事なく聞こえました。

「あ、ぎゃ〜っ、あうっ、ぁん〜っ、ぁふ、ぁふん、ぁん〜っ、あ゛〜っ」
マンコから抜き差しする時のピチュピチュピチャッピチャッ・・・という音が聞こえ、女の喘ぎ声とシンクロしていました。

女は床に下ろされ、うつ伏せになってお尻を捧げる格好で男を迎え入れていました。

口元には何本ものチンコが突きつけられ、女は順番もなく顔を突つかれる度にチンコを咥えていました。

一段落ついた頃に、ゴロウが連れられてきました。

4歳の、人間でいうと16,7歳くらいになるオスの土佐犬だそうで、体重も40kgを越えているのではないかと聞きました。

俺と違い、何人かの人間の女を経験しているらしく、マンコやケツからザーメンを垂らす女を見て尻尾を高く上げてゆっくりと振って近づきました。
四つん這いの女の後ろからケツの穴やマンコの臭いを嗅ぎ舐め始めると、女は再び呻き喘ぎ始めました。

ケツを前後に揺らしながらゴロウの愛撫を受けています。
自分から気持ちいいポイントをゴロウに舐めさせるかのように艶かしく腰が動きました。

ゴロウが前足を女の腰に乗せると下半身を女の股間に近づけ、垣間見た巨大な少しイビツな陰茎をマンコに差し入れ、人間では不可能だろうと思うような激しく早い動きで女を攻めました。

カクカクした小刻みな振動で女は揺れ、動きに合った喘ぎ声を発して、皆の嘲りに包まれました。

「お犬様にお情けいただく気持ちはどうだ?」
と聞かれて

「気持ち良い〜っ、大きいっ、太いっ、ぁあ〜っ逝くっ逝く・・・!!」
と逝かされました。

ゴロウは抜かずに動きが緩やかになっただけで、程なく腰が動き出すとマンコとゴロウの間から泡立った白い体液が溢れ、洩れてきました。

ゴロウが女から離れると、マンコがパックリ開いていて、そこからゴロウの精子が糸を引いて滴り落ちました。

女は口角から泡を吹き涎を垂らし眼は宙を泳いでいました。
「あぅう・・・ぁうぅ・・・」
と息吹きのような声が洩れていました。

「おまえはこれからゴロウの女だ。分かったな。可愛がってもらえよ」
女は、ゴロウの陰茎を口に含みました。

舐めるように唇が頭と同じ動きで前後すると、ゴロウが女を押し倒しました。
ゴロウは正乗位の形で女に乗り早く激しい動きで女を犯しました。

女は果てました、だらしなく股間を広げて内臓まで晒して失神していました。

トレーナーを着た先輩が再び女のマンコに注射をし、十数分経つと女は息を吹き返しました。

これが薬の力か・・・と思うと怖くなりました。
女の眼に力が漲りました。目力は凄いものがありました。

さっきまで泳いだ眼をして、犬にお尻を与えて喘いでいた女だとは思えません。
トレーナーの先輩が女の首にゴロウ用に購入してあったベルトの太い首輪と八目編みの太くて黒いリードを付け、ゴロウが結ばれた同じ丸環に、同じように結ばれました。

まるで、ツガイのようです。

数日この状態で置き、ゴロウが求めれば身体が結ばれ、女が求めればゴロウが交尾するという事が当たり前になってきた頃に、身内向けにゴロウと女の
「獸姦ショー」
を交通費だけで提供するようになって、石川さんが運転手となり、石川さんの指名で俺が手元に付きました。

俺はまだ童貞でしたが、この女が畜生の性処理便所に堕ちる前に突っ込んでおけばよかったのかな・・・と思う事はあります、今となっては。
ちなみに東堂は、この女について、

「知ってはいるが付き合っているわけでもなく、情婦であるわけではない。落ちていたのなら拾った人が好きにすればいい。飼うにしろ捨てるにしろ。私がとやかく言う筋ではない」

と人伝に知らせてきたそうです。

まぁ仮に自分の女だったにせよ、他の男たちに抱かれ

「東堂よりこっちのおチンチンの方がいい!逝くっ〜ぅ!(土佐犬の)ゴロウ方がいい!」

と叫んだ女を未練たらしく追い掛けるのも・・・と判断したのだろう。

「獸姦ショー」の時だけ女は下着を含めて衣類を身につけるようになっていました。
ショーが無い時は、ずーっと裸のままでリードに繋がれ、ゴロウの傍で寄り添っていました。

ショーの前と前回の投与から2日空けて、薬を注射して与えています。
初めの1週間は1日に数回、その後は1日1回、1ヶ月後からは1日おきに薬の投与は行われ、ショーが始まってしばらくしてから2日空けた方が薬の効果が顕著になり、「観客」が喜ぶ事が分かりました。

逆にショーの前日・前々日に投与されませんので禁断症状が現れ、女が怒る、泣く、土下座して要求するなど、明確なオネダリがされました。

初めの頃は
「薬くれたら私に何をしてもいい」
と駆け引きしてましたが、犬に抱かれて逝きまくる自分に商品としての価値が微塵も無い事を知ると要求しなくなりました。

3日に1回は貰えるし、ゴロウとのショーの前にも貰える事が分かったようで、その時を待っていました。

ショーが何日か続くとショーのある日は確実に投与されるので、女は
「もっと皆に見ていただけるよう配慮してください」
みたいなお願いをしました。

無料でイイ女がストリップをし丸裸を見せ、剃毛シーン、オナニーシーンを公開し、オナニーで逝った後で目の前で獸姦シーンを見られるので、友好団体の若い者からもオファーが殺到していました。

また、付き合っている彼女や友人が興味本意で見てみたいという要求もあり、飽きられる前に新たな観客希望者が生まれました。

しばらくしてから、組関係者が経営するスナックの売り上げを使い込んだ21歳の女が失踪し、探し出されて新たな薬漬け肉便器としてゴロウにあてがわれ、3P獸姦ショーとして無料提供されるようになり、このフェロモンバリバリの女が俺の初マンコになりました。

見るだけでしたが、経験を積んでいたので初体験としては女を先に失神するまで逝かせれたのは喜びでした。
http://nao8890.doorblog.jp/archives/7534355.html


118. 中川隆[-7682] koaQ7Jey 2017年5月10日 09:50:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>104 追記


旭川女子中学生校内集団レイプ事件★7 [無断転載禁止]©2ch.net

468 :少年法により名無し:2017/03/27(月) 00:52:47.36 ID:mUiCCgdB0

朝、少女が呼び出された男子トイレに行くと、既にDQNのケンジとタカシと吉田の三人がボッキしてスタンバイしている!

「遅えぞ!」
「申し訳ありません!」
「ノーパンチェックだ!」
「かしこまりました!」

少女は自らスカートをたくし上げる!パンツ!履いていない!

ノーパンチェック済ますとそのままケンジの手マン!十分に濡れたところで立ちバックだ!

ケンジは少女の尻を無茶苦茶に叩きながらの激しいピストン!

中出しの後はお掃除フェラだ!「美味しいミルクをありがとうございます」

「次は俺の番だ!」タカシがバキュームフェラを要求!

四つん這いになって激しくチンポを吸引!

吉田は少女の後ろに回って尻を撫で回しながら、舌で少女のアナルを愛撫!

朝からイキまくりイカせまくりの辛え学校生活だぜ!


436 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0

通りすがりのおっさん
「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。
アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい

旭川市民には通報という概念がないのか?


437 :少年法により名無し:2017/02/01(水) 00:20:05.58 ID:+9VyMEnC0

・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。


・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。

「兄貴とセックスさせるぞ」
「母親も犯すぞ」
「少年院なんてすぐ出てこれる」

と脅していた。


・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/


119. 中川隆[-7692] koaQ7Jey 2017年5月10日 20:26:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決
https://web.archive.org/web/20050508065146/http://ijime.orz.hm/news/asahan.htm
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm
https://web.archive.org/web/20050508065213/http://ijime.orz.hm/news/asahi01.htm


北海道 旭川市立 北都中学内の女子生徒暴行事件

今から5年前になる。

1995年から96年にかけ、中学校の校内で男子生徒11人から、当時、14歳の女子生徒が性暴力を受けていた事件があった。

この事件で、男子生徒3人が少年院送致、7人が保護管轄処分を受け、当時の学校長と教育長は厳重注意処分となった。

その後、被害者と両親は、国家賠償法に基づき、旭川市と道に慰謝料など総額4430万円を求めた訴訟を起こした。

その判決が1月30日、旭川地裁で言い渡された。

裁判長は「深刻な性的暴行事件に発展するかもしれないという予見は可能。相談を受けた教論は加害生徒らへの指導を強化徹する義務を怠った」とし、旭川市と道に合わせて200万円の支払いを命じた。

当時の報道は、女子生徒をトイレに監禁し、上から水をかけるなどの悪質ないじめと伝えていた。

が、事件が徐々に明るみに出てくると、性暴力(婦女暴行)という、とんでもない事実が発覚した。

その事実は、あまりに衝撃的なことだ。

学校という子供たちにとって一番安全であるべき教育現場で、助けを求める女子生徒の声を教師は無視し、半ば公然と男子生徒による性暴力が繰り返されていたのだ。

女子生徒は1年生だった94年から、スカートめくりなどの性的いたずらの対象とされていた。

95年には、集団による強制わいせつ行為にエスカレートしていった。

96年には校舎内外で十数回にもおよぶわいせつ行為が繰り返されることになる。
その年の12月、男子トイレに監禁され、暴行されたり集団によるわいせつ行為が行われ事件が発覚した。

が、当時は、単なるいじめとして処理していたのだ。

95年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、たちさっている。

96年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。

その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになる。

96年12月にトイレに連れ込まれる際、通りかかった教師に悲痛な声で「助けて」と叫んだが、教師は気づかぬふりをして立ち去ってしまった。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。

某週刊誌の取材では、教師たちは、女子生徒が男子生徒に連れ込まれることが強姦を意味していることを知り、また、その行為を目撃しているに無視していたとしている。さらに、幾度となく女子生徒が教師に助けを求めて叫んでいるのを無視し続けた。

複数の男子生徒が、嫌がる女子生徒を抱えるようにして空き教室やトイレに連れ込もうとしているところを目撃し、必死に助けを求める声にも耳をかさず、事件発覚後は、単なるいじめで処理しようとした教師に責任はないのか。

学校外でのわいせつ行為にも触れていた。

脅かしては呼びつけ、男子生徒たちにわいせつ行為を受けていた。

一般社会で、強姦事件を目撃し通報の義務を怠れば罪を問われる。
が、学校という特異な社会には法は通用しないのか。

旭川市は上告しない方針で道教委と話し合うという。

その当時の教師は、今もどこかで教壇に立っている。その教師に刑事責任はないのか。そう思うと腹立たしい。
https://web.archive.org/web/20050508065213/http://ijime.orz.hm/news/asahi01.htm


 
北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決


平成一〇年(ワ)第一〇五号 損害賠償請求事件判決要旨


主    文

一 被告らは、原告甲野春子に対し、連帯して、金一七〇万円及びこれに対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告甲野太郎及び原告甲野はな子に対し、それぞれ金一五万円及び右各金員に対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。


理 由 要 旨

一 本件学校内強姦事件等を防止すべき安全配慮義務違反について

1 秋山教諭は、

(1)中学二年(平成七年)の冬ころ、生徒会室において、原告春子から、A男、B男、D男より廊下や教室で身体を触られている旨を聴取しており、

(2)平成八年五月ころには、原告春子が鞄を男子トイレに入れられて困っている旨をB子らから聞き及んでおり、

(3)平成八年四、五月ころには、原告春子から、特別活動室でA男やB男らに身体を触られた旨の訴えを受けており、

(4)平成八年六月にも一人で職員室に来た原告春子から、A男らによりスーパーで身体を触られ、他の女子生徒らもD男らクラスの男子生徒より身体を触られている旨の相談を受けていた。

そして、原告春子が名前を挙げた加害生徒らは、いずれも秋山教諭らが毎日のように注意指導をしていた「●●●●」という非行集団に属する生徒達であり、集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

したがって、秋山教論としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえ秋山教諭が理解したように服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけばいずれ本件学校内強姦事件等のような深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。

2 それゆえ、秋山教諭としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告養子からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害男子生徒や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を三学年の他の担任教諭らの他、教職員全体に報告すると同時に、他の教諭らからも右性的被害に関する情報を収集し、学校内におけるわいせつ行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。

また、(2)秋山教論には、被害申告を受けた時点で直ちに被害の事実を被害生徒及び加害生徒の双方の保護者に報告すべき義務があった。

さらに、(3)秋山教諭は、前記実態解明の結果を踏まえて、他の教職員や保護者と連繋した教育指導態勢を作り、教職員全体で又は保護者らと一体となって、原告春子を加害生徒らによる報復から保護しながら、加害生徒らへの指導を強化徹底すべきであった。

3 そうであるのに、

(1)秋山教諭は、平成八年六月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告春子に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害生徒ら及び他の同様の被害を受けているという女生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。

また、(2)秋山教諭は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

さらに、(3)秋山教諭は、原告春子の性的被害の相談について、加害生徒は他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教諭に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。

結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、最終的には、クラスの帰りの会において、学級全体に対し、女子生徒の身体を触ることがセクハラになるなどと一般的な注意をしただけで終わらせ、その後は原告春子に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、秋山教諭には、安全配慮義務違反の過失がある。

4 右過失がなければ、原告春子は、平成八年六月の相談以降、日時を明確にできる分だけでも学校内での口淫強要二回、学校外での口淫強要二回、友人宅での強姦一回、学校内での口淫強要・強姦一回といった悲惨な性的暴力を受けることがなかった。

5 本件は、非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させ、最終的には教諭らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害女生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。

加害生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、同女を精神的にも隷属させ、その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、これによって受けた原告春子の精神的苦痛には想像を絶するものがあり、思春期の悲惨な体験が同友に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告春子は担任教諭に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなったというのも十分にこれを理解することができ、性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告春子の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告春子の右精神的苦痛に対する慰謝料の金額としてはい、一〇〇〇万円が相当である。本件では、加害生徒らからの示談金八六〇万円を控除した一四〇万円が損害額となる。

 なお、被告らは、原告春子には中学生として相応の判断能力が備わっていたのに両親等に被害を訴えていなかったのであるから落ち度がある旨主張するが、それは、思春期にある女子生徒の性的差恥心や、深刻な性的被害を周囲の人々に知られてしまった場合に生ずるかもしれない学校や家庭内での孤立感・疎外感に対する恐怖、報復を異常に怖れるいじめの被害生徒の心理、担任教諭に相談しても事態が好転をしなかったことによる無力感、一五歳という年齢からくる判断能力の未熟さ、性的暴力の影響による判断能力の低下等が複雑に絡み合った結果であろうと推察されるから、右の落ち度を重要視することは相当ではない。

また、被告らは、保護者である原告太郎らの監督不十分の過失を主張するが、それは原告春子の損害額を減額する事情とはならない。


二 平成八年一二月二四日の真実解明報告義務違反の違法行為について

1 夏山教頭らは、本件学校内強姦事件が発生した日の午後六時四五分ころ原告春子を自宅に送り届けた際、すでに口淫強要の被害を認識していたのであるから、原告太郎らに対し、右口淫の被害を報告すべき義務があったのに、単に胸やお尻を触られたとのみ説明し、口淫の被害を隠した。

2 また、夏山教頭らは、右同日午後九時三〇分以降、原告太郎らから協定書に署名押印を求められた段階において、すでに加害生徒らからの事情聴取によって集団的な口淫強要等が繰り返されていたことを十分に認識しており、かつ、右原告太郎らが右口淫の被害を知らないまま前記協定書記載の処分(加害生徒の頭髪の五分刈り及び内申書への記載)をもってこの事件を終わらせるつもりであることを察知していたのであるから、直ちに右口淫の事実を原告太郎らに説明すべき義務があった。そうであるのに、夏山教頭らは、右報告義務を怠り、右口淫の被害を原告太郎らに隠したまま右協定書に署名押印した。

3 仮に原告春子が強姦の被害を兄弟に詳しく聞かれて後に打ち明けるということがなかったとすると、協定書作成後の本件学校内強姦事件は、協定書に従って加害生徒らを五分刈りにした程度で闇に葬り去られていた危険性もあった。右危険性を考慮すると、夏山教頭らが口淫の被害を原告太郎らへ報告しなかったことは、独自に損害賠償の対象となるような重大な違法行為であり、これによって原告太郎らが受けた精神的苦痛については各一〇万円の慰謝料損害賠償請求権を認めるのが相当である。

三 よって、被告市は国家賠償法一条一項に基づき、被告道は国家賠償法三条一項に基づき、原告春子に対しては右損害金一七〇万円(内弁護士費用三〇万円)、原告太郎及び原告はな子に対しては各損害金一五万円(内弁護士費用各五万円)並びに右各損害金に対する不法行為の日である平成八年一二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払義務がある。

※固有名詞は、仮称である
https://web.archive.org/web/20050508065146/http://ijime.orz.hm/news/asahan.htm

北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決 資料
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm

1996/12/ 北海道旭川市立中学校の女子生徒(中3)が、同学年の男子非行グループ11名から繰り返し性的暴力を受け、強姦にまで発展する。


経 緯

中学1年生の2学期頃から放課後、女子生徒Xは、学校内の教室や特別活動室などで、特定の男子生徒11名から服の上から胸や尻を触られるなどの被害にあっていた。中学3年生になって、性暴力はエスカレートした。


1996/4/ 教室内で性器を直接触るなどした。

5/ 学校近くの障害者用トイレで、口淫におよぶなどした。

6/ 女子生徒が担任に被害を告げたのを境に、さらにエスカレート。事件発覚まで少なくとも6回にわたり、学校内やその周辺で複数から、口淫に及ぶなどの暴行を受けた。

12/ 女子生徒は学校内で10名の男子生徒に取り囲まれた。至近距離を部活顧問の女性教師が通りかかったために助けを求めたが、男子生徒から脅され、「何もない」と言わされているうちに、女性教師は立ち去った。

その後、男子トイレに連れ込まれ、6名が順番に口淫や身体を触るなどし、1名が女子生徒を強姦した。被害直後、Xが友人の女子生徒と泣いている姿を見た教師の通報で、事件が発覚する。


加害者

加害者の男子生徒たちは、中学1、2年に10人ほどのグループを結成。他校生徒とケンカしたり、喫煙や窃盗などの行為を繰り返していた。

女子生徒Xと両親が告訴後、警察が捜査を行い、加害生徒たちは少年審判を受ける。

3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分。少年事件の過程で、示談金860万円を支払うことで示談成立。


ほかの被害者

X以外にも、被害にあった女子生徒がいた。


学校・ほかの対応

学校側は、同グループの男子生徒たちを問題生徒たち、あるいは問題グループとしてとらえ、事例検討の課題として取りあげていた。

Xは教師たちに何度か被害を訴えていた。教師は、女子生徒Xが加害者の生徒たちと教室内にいるところを目撃していた。

教頭は、集団暴行事件について、被害者の両親に暴行の事実を隠し、「胸などを触らせただけ」と説明した。

担任の対応

中学3年生の6月、女子生徒Xは自ら、担任教師に何度か被害を訴えた(最初、担任は否定。後に6月の1回のみ認める)。

しかし、女子生徒が「笑みを浮かべながら」「男子生徒が胸やお尻を触ってくる」という言い方をしたため、深刻なものとは受け止めなかった。

担任教師は、Xから、加害生徒の名前や被害の場所、他に被害を受けた女子生徒の名前を確認したにもかかわらず、養護教師にしか話をしなかった。加害男子生徒は複数のクラスにまたがって存在していたが、学年主任や他クラスの担任に相談することをしなかった。

担任教師は、2〜3日様子をみたが何もなかったため、クラスの生徒全員に「生徒同士でも身体をさわったらセクハラになるから止めるように」と注意しただけで、加害生徒に個別に確認したり、加害・被害生徒両方の両親に報告するなどの対応を一切とらなかった。この6月を境に、男子生徒らの行為は更にエスカレートする。

裁 判

1998/4 最終事件から約1年4ヶ月後、12月の強姦事件後に学校側がとった対応に不審を抱き、被害女子生徒Xとその両親は、旭川市と教師の給料を負担している道を相手に、慰謝料などを求めて、総額4400万円の損害賠償を求めて提訴。


・学校内で、性暴力が特定の加害生徒から反復繰り返しおこなわれていたこと

・教師の一部が一緒にいるのを見ており、かつ、X自身が何度か教師たちに訴えていること

・担任も一度は訴えを聞いたと認めていること
から、学校の安全配慮義務違反は明らかであるとした。

被告の言い分

学校側は、

・Xが担任教師に相談したのは一度だけであり、その際も「笑みを浮かべながら」であったため、深刻には受け止められなかったと、Xの過失

・Xが加害生徒と仲良くしていたこと、被害を「笑っていた」ことなど、事件後の聞き取りをもとにXにも落ち度があった

・加害生徒たちとの示談成立
を理由に、損害は補填されたと主張。


 

裁判での証言

教育委員会が、提訴後に加害生徒やその他の同級生等から聞き取り調査。その中には、「Xは嘘つきである」「加害生徒のほうがかわいそう」などの記述もあった。また、担任教師の陳述書には、Xの性体験について、事件後に他の生徒から聞いた話というのが記載されている。

一方で、X側に立って証言をしてくれる同級生を確保すること、協力を得ることは至難。また、Xが、非公開とはいえ、男性裁判官、男性の学校側弁護士の前で被害の詳細について証言したり、立証することは困難。


裁判の結果

2001/1/30 旭川地裁で判決。

斉木教朗裁判長は判決で、

「学校が加害男子生徒の指導を徹底すれば、女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」

「少なくとも相談を受けた98年6月時点で予見は可能だったが、詳しい事情聴取をせず、指導強化も怠った。女性はこの相談以降、少なくとも6回の暴行を受けた」

「女子生徒から相談を受けた教諭らには深刻な性的暴力事件に発展する予見可能性があった」

とし、「学校側に助けを求めたにもかかわらず、被害に気づかなかった過失がある」として、学校側の管理責任を認めた。

また、集団暴行事件について「教頭は両親に暴行の事実を隠して胸などを触らせただけと説明し、教諭らは被害者の親に事実を隠し、事件は闇に葬られる危険性もあった。これだけでも重大な違法行為にあたる」と、学校側の対応を厳しく批判した。

少女の事件全体の慰謝料を「1千万円が相当」と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いたうえ、弁護士費用などを加味して、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を算定、市と道に計200万円の支払を命じた。
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm


旭川女子中学生校内集団レイプ事件★7 [無断転載禁止]©2ch.net

26 :少年法により名無し:2016/03/12(土) 20:15:13.09 ID:YRaZU8460

北都中?
学校が知らんわけないだろ。何やってたんだろね。
この子の親もいじめとか気づくだろ。

436 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0

通りすがりのおっさん「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい
旭川市民には通報という概念がないのか?


430 :少年法により名無し:2017/01/22(日) 02:16:16.16 ID:av2Ju1pf0

先週旭川の教師が教え子のJCに性的な悪戯して捕まってたな
去年も中学の教師が女子中学生盗撮して逮捕されてるし
旭川は性獣の都なのか?


401 :少年法により名無し:2017/01/06(金) 22:19:18.41 ID:F103w1dq


教師がクズ過ぎる

相談しても何もしないし、一度だけ帰りの会で

「女子生徒の体を触るのはセクハラです」

と軽く注意しただけで逆に加害者側がエスカレートするきっかけを作ってるし
事件発覚のきっかけになったレイプ事件も、被害者の両親に「胸やお尻を触られただけ」と大嘘ついてるし


431 :少年法により名無し:2017/01/24(火) 10:28:56.92 ID:pxmjmM880

大人の事情がわからずに教師を批判してる子どもが多いですな

自分の受け持ちの生徒が日常的に何度も学校の中でレイプしてるなんて前代未聞の事件が世間に公表されたら出世は絶望的なのだよ

教師も助けてあげたかったのだろうけど気づいたときにはもう手遅れ

世間に公表されたら学校の評判が地に落ちるような凄惨なレイプが行われていた
教師は泣く泣く見て見ぬ振りするしかなかったのだろうな卒業まで耐えてくれと断腸の思いで少女を見守っていたのだろうね

被害者を心配していた証拠に加害者のDQNどもと被害者を同じクラスにしないような配慮をしていた

151 :少年法により名無し:2016/09/10(土) 13:10:42.99 ID:6QccjBr10

ところでなんでこの事件って加害者とか隠蔽に関わった教師の名前出てこないの?

教師に関してはしっかり退職金まで貰った上で退職してる頃だと思うから今更って言えば今更なんだけど

173 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:21:48.62 ID:SkqayeR3O

教師も加害者生徒にはかかわり合いたくないんだろ
3年我慢すれば生徒の方は卒業してくんだし そうすればトラブルは無かったことになる

177 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 00:45:09.99 ID:8NDG5vNk0

DQNの奴隷になってるいじめられっ子なんて腐るほどいるけど大半の教師は何もしてくれないだろ

被害者が女の子ってのは特殊だけど男相手なら総額5000万恐喝されたりウンコ食わされたりする壮絶ないじめがゴロゴロしてるんだからこの事件も大したことじゃないだろ


465 : 少年法により名無し[] 投稿日:2005/11/23(水) 22:14:29 0

加害者どもは校内を原付で走ったり、やりたい放題。
授業中でも被害者を平気で連れ出して、くわえさせていた。


402 :少年法により名無し:2017/01/07(土) 23:13:02.76 ID:MXoLWnJI0

エロばっか際立ってるけど暴力もすさまじかったみたいだからコンクリみたいな結末になってたかもな

実際、六角椅子に閉じ込めるとか真冬の旭川で水ぶっかけて監禁とか死んでもおかしくなかったわけだし


403 :少年法により名無し:2017/01/08(日) 00:46:19.09 ID:zXy6DvK+0

六角椅子には興奮した。
暴力による支配で、命令されれば何でもやらされてたんだな。

高校くらいになると悪友相手に売春やらされたりしただろうな。
1発3000円とかで。

最終的には刺青入れられて風俗でバイトだろう。


239 :少年法により名無し:2016/10/03(月) 19:37:32.96 ID:vYYZRi8P0

教室でクラスメート集めて、肛門にボールペン突っ込んで抜いたらキャップが消える手品、見たかった。

キャップはどうやって取ってたのかな。
完全に玩具化にされてたんだね。


375 :少年法により名無し:2016/11/24(木) 19:24:27.65 ID:y3dWs+9E0

下校途中に捕まえてマンコに雪を入れたのは雑誌にあった。


715 :同級生 :04/05/15 00:30

肛門に突っ込まれた事件は結構有名で、

指に着いたウンコを壁になすりつけられてたけど、
そこに「***(被害者)のうんこ」って落書きがあったわ

それは中一だったから、犯されたのはもうすこし後だろうね
それからのことはしらない
奴らは悪だったし、一緒に参加しても、カツ上げされるの目に見えてたから


195 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 23:47:35.84 ID:nR2Yrgyv0

輪姦する時は誰かの家が一般的だな。
校舎ではフェラや手マンコを日常的に。
部室で回すことはあるがな。

この事件は特殊じゃないし、教師の見ぬ振りも一般的な対応。
荒れた中学では輪姦してる悪ガキは多いよ。
まあ校舎じゃ無茶はしない。
女が泣きじゃくって暴走したら面倒だから。
初めに回す時は必ず誰かの家でじっくりが基本。

この事件のガキ連中はちょっと調子に乗り過ぎた。


201 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 14:54:07.66 ID:FFaXjsPr0
>>195
生徒同士の殴ったり蹴ったりを黙殺しちまう教師は普通にいる
けどな、学校内での集団強姦を黙殺しちまう教師は普通いないんだよ

こういう言い方をしちゃうといじめで苦しんでる子にはかわいそうなんだけど
いじめの延長で起こる、暴行・傷害・脅迫・恐喝あたりと
重要犯罪として、殺人・強盗・誘拐・放火なんかと並べられてる集団強姦を一緒にして考えてんじゃないよ

この事件の教師がマスコミに叩かれてるのなんて気の毒でもなんでもなく叩かれるべくして叩かれてんのね
むしろ実名を晒されてないだけでもほっと胸を撫で下ろすべき


202 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 16:19:08.37 ID:VsMCWGj30
>>201
それは学校現場を知らなすぎる。

恐喝や万引きの強要などは何処も日常だし、善意ある生徒からの垂れ込みがあっても教師はスルーは多い。

同様に女子生徒が放課後に不良らの家で輪姦されてることを知っても教師はスルーする方が多い。

教師は警察官じゃないし、そういう権力もない。
勉強を教えるのが教師の仕事。

道徳や生活態度の指導も仕事だが、それは真面目な生徒だけで十分。
ヤクザ並の悪童に危険を冒してまで無意味な指導をして教師が被害を被るのは仕事の域を超える。

一般論ね。中には勇敢な教師もいるだろうが、そんなの少数。

親が警察へ相談するのがベストだが、犯されている子は親に隠すから泣き寝入り。
結果として初体験が乱交という女が多数存在するのが現状。

更生不可能な生徒は卒業するまでスルーするのが学校の現状だ。


210 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 17:50:43.37 ID:zcRNrfwA0

俺は俺の経験から書いてる。
教師への幻想は捨てた方がよい。

自分が完全に安全な状態でなければ生徒を助けないのが一般的だよ。
報復されるような相手に自分から率先して行動はしない。

この被害少女がはっきりと「強姦されました」と教師に助けを求めた時には学校側は適切に動いてるじゃん。
それで十分に対応はしている。

「嫌らしいからかいをされた」くらいじゃ教師だって口頭で軽く注意する程度が普通。

娘がいる奴は田舎でも私立の中学へ行かせた方が無難。
犯されてからでは遅いし、教師は守らないぞ。


211 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 18:05:49.09 ID:zcRNrfwA0

若い女教師の輪姦はマジのこと。
乳揉んだり尻触ったりは日常的だったな。

教師を輪姦するくらいだから女子生徒も日常的に犯していたと思う。
大体は放課後に学校外でな。

犯されてる生徒はすぐ判断できる。

容姿良い子で急に元気がなくなり休み時間に不良らといる場面を見かければ、今はあの子が餌食なのかと分かるよ。

でも教師は何もしないよ。
それが普通の教師。

荒れた公立中学は無法地帯だから教師の子供は私立へ行かせる。

荒れた中学を知らない奴らはネタにしか思えないのかな。
気の弱い教師も生徒にいじめられて休職する奴いるからね。


212 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 18:13:47.67 ID:zcRNrfwA0

ちょっとヤンチャな生徒に指導するのとはレベルが違うからな。

刺青入れてたり、親が万引きや喧嘩の仕方を教えたりしてるような奴ら。
幼稚園から金髪にさせて自分の犯罪自慢を子にする親に育てられた奴らだからな。

本当に怖いから関わりたくないのが教師の本音。
卒業するのを待つだけ。


217 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 12:21:13.30 ID:ugNaBCBl0
>>212
あんたは悲惨な地域ばかりに赴任されてきたんだなw

だが安心しろこの世の中全体はあんたが見てきたほどは腐ってない
学校内で泣き喚く生徒が犯されて教師が来たけどスルー。そしてその後に再びレイプ再開

本来であればこんなのは完全にAVの世界

ベタなAVだと目撃した教師まで強姦に参加するのだが、この事件の場合だと教師が女性なだけに流石にベタなAVの展開にはならなかった

逆に「え?女がレイプを見て見ぬ振りするの?」
という新しい疑問を生み出し、そこには不細工なおばさん教師による若くて綺麗な女生徒への嫉妬や妬みさえ感じさせる

事件の集団強姦の要素だけなら色々と考えさせられるドラマ的なAVの世界なのだが
この事件の場合だと暴力とスカトロの要素が強すぎてあまりにもマニアっく過ぎてAVにもならない

>>210
>この被害少女がはっきりと「強姦されました」と教師に助けを求めた時には学校側は適切に動いてるじゃん。
>それで十分に対応はしている。

集団強姦を目撃スルーした教師から同じ言葉が出たら流石にぶん殴ってるw
なあ、頼むからあんたはもう教師辞めてくれよ


218 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 12:39:06.71 ID:ugNaBCBl0

補足しておくと、アンタが言うような気づいていながらも気づかない振りしてる教師は確かにいると思うけど
集団強姦を目撃しながらも逃げちゃって、見なかったことにしちゃう教師は普通はいないよ

それも乱交かもしれないしと言い張るなら・・・
アンタはガチで教師辞めてくれ


219 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 14:56:05.75 ID:cOv/aGG50
>>218
憶測で反論するなよ。
あんたの環境では輪姦なんてないんだろ?
輪姦を目撃して逃げる教師はいないとなんで言い切れるのか?

例えば物静かな特別教室で輪姦してる声が聞こえたらどうする?
教室に入って確認するのか?

そんな危険なことは出来ないぞ。
そっと教室から離れるのが普通。
生徒も教師も同じ行動とるね。
身の危険を守るのが第一だから。
警察官じゃないのに殉職したくないじゃねーか。

ちょっと気に障るような話をしただけで、車に 10円傷つけられたり、しかもマンコとか書かれるんだぜ。

自宅も知られてるし、妻子になにされるか分からんのだ。
他人の子(生徒)より家族が大事。
やられた後で法的に裁いても遅いんだよ。
娘がアジの開きにされた事実は消すことはできない。

理想と現実、本音と建て前があるんだよ。
ここだから書いてるだけ。

まじでさ、この事件みたいなことは珍しくないよ。
ほとんどは女子生徒の泣き寝入りだし、親に知れても表面化せずに終わる。
>>212 みたいな親を相手に被害少女の親と板挟みになる教師は地獄だぞ。


220 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 16:02:30.25 ID:ugNaBCBl0
>>219
全くない訳でもないが滅多にない
少なくとも学校の中では無かったと思う。うちの学校も結構荒れてたが、そこまで教師を舐めてはなかった

>輪姦を目撃して逃げる教師はいないとなんで言い切れるのか?

言い切れないよ。現にこの事件の教師は逃げてるし
ただ、そんな教師はそんなに怖ければ辞めちゃえば良いのにって言ってるだけでしょ

>例えば物静かな特別教室で輪姦してる声が聞こえたらどうする?

俺なら多分確認くらいはすると思うよ
ちなみにそういう場に出くわした場合、止めるか止めないか?通報するかしないかは
生徒の場合はただ人間としての品性が問われるだけで、何もしなくても仕方がないと言えば仕方が無い

ただ、教師の場合は義務が発生する
義務さえ全う出来ないなら辞めれば良いのに・・・と、言ってるだけ

>>212 みたいな親を相手に被害少女の親と板挟みになる教師は地獄だぞ。
もうめんどうになってきたけど、それが嫌なら辞めれば良いのに


221 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 16:22:37.35 ID:ugNaBCBl0

しかしまあ・・・中々ぶっ壊れてるなあw
これが最近の教師の実態なのか


222 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 23:05:17.83 ID:qb1e9bQeO

教師に期待するのが馬鹿

223 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 00:10:04.89 ID:CP/WlHDJ0

本当公立はダメ。
教師が生徒とイタズラと言っては付きまとって暴れる。
育ちのいい子が「気にしないでいいよ」とが言うと大変。

普通は感謝して同じことをしないようにするのに、こいつは何をしても文句言わないと思いその生徒をサンドバックにする。

生徒も教師もカス。会いたくもない。


224 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 14:12:36.05 ID:LvUJEqEb0

この事件が異例じゃないのは分かる。
表面化しないだけでどこにでもある。


226 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 20:08:18.26 ID:GewmDU0v0

公立の小学校中学校ってのはヤクザやシリアルキラーになるような化け物まで収容されてんだぜ
たかが教師にそんなやつらを抑えつけられんやろ


227 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 20:53:04.66 ID:ATDHaJr10
>>226
私立にだってヤクザやシリアルキラーになる奴はいる
ヤクザにやる奴はよくいるが流石に化け物とは言えない
シリアルキラーは確かに化け物だがその数は少ない
そんなのにあったら運が悪いとしか言いようがないな


228 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:20:22.62 ID:KvoTV/BG0

中学時代に過ごした自分の環境で違ってくるんだろうな。
俺は(昭和50年代後半)人口5万人の市内に公立中学3校あったが3校とも荒れてて、どの中学にも不良グループがあってレイプは横行していた。

不良グループ以外にも部活の先輩が後輩女子部員をレイプしたり普通にあったぞ。

女も周りの女がレイプされまくってるから自分がレイプされても仕方ないという感じで泣き寝入りしてまったく事件化していない。

不良らは教室で「昨日●●をまわした」と平然と会話してた。

教師もなにもしていなかった。

だから旭川の事件が特別とは思わないな。
自分の周辺でレイプない環境だった奴は信じないんだろうけど。

大人になってから殺人、殺人未遂で数人は逮捕された。
殺された奴もいる。
俺が知らないだけでもっと事件起こしてる奴がいるかも。


229 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:25:46.58 ID:KvoTV/BG0

こいつらは男子へのイジメはしてなかった。
女を犯したりイジメる方が楽しいんだろうな。
喧嘩や暴力はあったが。

逆に別グループの中途半端なヤンキーは女は犯さないけど男子をイジメたりパシリ役にしてたな。


230 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:52:06.32 ID:ATDHaJr10

流石に学校にシリアルキラーの犯行を止めろとまでは言わない
酒鬼薔薇の事件で学校や教師を責めてる人なんていないでしょ?

この事件は止められるチャンスがいくつもあったのにそれをスルーし続けたから教師が叩かれてるだけ


341 :少年法により名無し:2016/10/14(金) 16:45:22.60 ID:KaFVXqje0

昭和は大学に入学した4月から6月までにヤリコンで処女を失うのが通過儀礼というのは常識だった。

そこで食われない女はとんでもないブス。

親もそれを心配して女子大に行かせるとかも多かったよね。

ロストバージンが大学1年の春が5割以上の時代。
うちの娘が輪姦されましたなんて訴える親もいなかったな。

ワルは中学で可愛い子を乱交。
真面目は大学生になって乱交。

訴えて裁判に勝訴しない限りは輪姦じゃなく乱交なんだよね。
だから初体験が乱交という女が非常に多い。
口にしないだけで。


342 :少年法により名無し:2016/10/14(金) 22:37:59.24 ID:VN2DniX90

ヤリコンやヤリサーという言葉が定着してるくらいだから大学の一部のワルらで乱交は日常。


109 :少年法により名無し:2016/07/19(火) 16:51:43.99 ID:fRL0NdkJ0

今とは時代が違うからな。
当時は女犯して初めて一人前の不良ってとこがあった。
強いグループほど沢山の女を犯してたよ。

162 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 13:43:09.73 ID:bNHxnw7N0

特別教室で犯されてるところに女教師が来て「助けて」と言ったが見て見ぬ振りで立ち去ったくらいだ。

教師も学校も不良グループが怖かったんだろ。


185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・
警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。
女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。
荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。


187 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 01:38:09.19 ID:1ylOBDsN0

うちの中学は美人の新任教師が痣が出来るほどケツの肉を掴まれたり、パンツ脱がされてシミの確認されたりしてたな。
1980年代のこと。


203 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 16:26:20.63 ID:VsMCWGj30

若い教師が不良らに輪姦されて退職なんてのも珍しくないよ。
学校へ被害を相談しても校長は問題化したくないから隠ぺいされる。

ある女子運動部の顧問が大会前に部室に女子部員を1人1人呼んで上半身裸にさせて、鏡の前で「私は綺麗」「私は綺麗」「私は綺麗」と言わせるのが恒例化していた。
他の教師も知ってても誰も問題視しなかった。
面倒に巻き込まれたくないからね。
明らかにセクハラなわけだが。


190 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 19:41:00.42 ID:1ylOBDsN0

生徒指導のブンブンというあだ名の教師。
竹刀をブンブン振り回して校舎を歩いてたけど不良らにはため口叩かれても敵に回さないようにご機嫌取りしてた。

女子トイレもうろうろするし、女子の尻を竹刀で叩いたり小突くのは挨拶替わり。
不良ら共有のヤリマン女の存在も知ってたけど「避妊はしとけよ」と容認。

荒れた学校の教師なんてこんなものだぞ。


192 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 01:45:47.82 ID:ncJoNUoJ0

教師なんていいかげんで薄情なものだよ。
いじめだって見て見ぬ振りは日常だろ。
面倒な事にはかかわりたくないんだよ。
学校でだけ教師面してりゃいい。

てか、教師が生徒をイジメたりレイプする事件あるじゃん。
あんなの表沙汰になるのは極一部だぜ。
この事件の中学校教師がマスコミに叩かれたのはちょっと気の毒。

集団レイプはどこの学校でも珍しくないが、本人が告訴しないから乱交になる。

初体験が乱交という女は口にしないだけで多いぞ。
美人の1割、ヤンキー女の3割くらいいるだろ。
ヤンキー女でそこそこ可愛い子は先輩に回されるのが常識だったしな。


194 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 08:58:57.90 ID:e+PCOSG40
>>190
それって教師がカスなだけで学校の荒れかたとは関係なくない?w
>>192
教師が薄情なのは重々承知だけどこの事件における無責任さは流石に異常だと思うよ
薄情とかいう次元じゃないよ

教師が生徒をレイプしちゃう事件も確かにあるけどそれがちゃんと事件になってちゃんと服役してくれれば
こっちもそれ程憤らなくてすむ

この事件の教師たちに憤ってしまうのは処分の曖昧さについてなんだよね
こんな奴らがいまだに教師続けてたり普通に退職金もらって定年してたりすると思うと
後、集団レイプが学校で行われるのは普通に珍しいよ地域差もあると思うけど
ヤリマン女が何となく流されてやっちゃう乱交と集団強姦は根本的に違うからね
君AVの見過ぎじゃない?

113 :少年法により名無し:2016/07/19(火) 21:28:33.19 ID:Q9Z0LgTG0

この事件は校内で起きたからスキャンダルになったんだよ、当時。
1歩外に出たらDQNが女をマワす!なんてのは珍しい話ではなかった。

99 :少年法により名無し:2016/07/10(日) 20:15:37.11 ID:IqqYJ6qW0

現場を教師が目撃しても見て見ぬふりだもの、なんでもやり放題だよな。


90 :少年法により名無し:2016/07/06(水) 01:25:44.89 ID:vmRdquFg0

95年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、たちさっている。

96年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。
その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになる。

96年12月にトイレに連れ込まれる際、通りかかった教師に悲痛な声で「助けて」と叫んだが、教師は気づかぬふりをして立ち去ってしまった。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、 男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。


27 :少年法により名無し:2016/03/13(日) 07:10:39.83 ID:I9w0k26Y0

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。
だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。
この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ
6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。
その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。

男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。

また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。

担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。
また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

損害賠償額は一千万円が相当としたが、加害生徒から支払われた示談金八百六十万円を考慮して女性には市と北海道が連帯して百七十万円、両親にはそれぞれ十五万円を支払うよう命じた。

163 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 14:16:08.91 ID:dOcF2vdQ0

被害者が3年も言いなりになっていたのはチクったら家燃やすって脅しが効いてたから
本当にそれくらいのことをやりかねないと思わせる程度にぶっ飛んだ野郎だったんだろうね

164 :少年法により名無し:2016/09/19(月) 01:40:59.06 ID:1GnqP9OK0

加害者と言われる少年らの親は893とか893関連の土建屋社長とかB地区とか当時の2ちゃんで言われてたよね。

田舎だし、教師も報復が怖くて自己防衛してたのかな。
自分の家族に被害出るの心配だし。

助平なことされてるのは知ってても「これは少女が同意してふざけてるだけ」と逃げてたんだろうね。

まあ教師も人間だし、女子生徒1人より自分の家族が大事だから仕方ないな。


166 :少年法により名無し:2016/09/20(火) 17:10:47.62 ID:XEj4KVx70

授業中の教室に毎日乱入して少女を連れて行ってたそうだけど、教師は注意したり止めたりしなかったの?

少女が怯えながら嫌々連行されてたのは雰囲気で分かりそうだけど。
職員会議でも問題になってないの?


168 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:03:28.41 ID:ZRNykoVj0
>>166
注意もしないし止めもしなかったらしい
たぶん職員会議でも問題には上がってないんじゃないかな

それが後々ちょっとした問題になるんだけど
民事で裁判が行われたのは事件から3年後とかだったはず

その時間の開きが原因なのか教師たちの処分は曖昧なまま幕を引いたんじゃなかったかな
町が被害者に慰謝料払ってそれでお終い

なんか昔このスレでも3年も時間を空けたのは被害者側も悪いみたいな書き込みがあったけど
弟とか妹がいて中学に通ってたら普通に訴えづらいよね

レイプされてるのを見て見ぬ振りする教師だもん
訴えてたらその子達がどんな目に遭わされてたかと思うとね


167 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 05:44:04.27 ID:LGABoOuA0

ヤンキー怖いし当時の価値観じゃ学校に警察なんて呼べないからお手上げでしょ


169 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:17:17.05 ID:ZRNykoVj0
>>167
けど、レイプされてるのを見て見ぬ振りしちゃうくらいヤンキーが怖いなら
中学校じゃなくて小学校とかの教師になれば良かったのに・・・
とは思うよね

この事件が起こった当時なら田舎に行けば行くほどどこの中学校にも少年院に入ることがハクになると思ってる頭が悪いやつ何人かはいたわけだし


170 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:40:29.14 ID:0nfUWTgO0

田舎の教師は馬鹿が多いからな
地方の国公立大学の教育学部は他の学部より難易度が低いし


171 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:00:45.74 ID:ZRNykoVj0

ヤンキーが多い田舎では教師になりたがる人も少ない=教師の程度も低い
って事なんですかね?
この事件の被害者や加害者と同世代で田舎育ちの俺としては・・・
なんかわかる気がするなw


172 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:07:32.85 ID:0nfUWTgO0
>>171
田舎は仕事が少ない
公務員がいい
役所は難しい、警察は体力が厳しい

教師でもなるか
教師しかない
でもしか先生


174 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:27:52.79 ID:ZRNykoVj0
>>172
うーんw
義務教育の名の下に学校通学を強制させている限り
少なくとも義務教育中の教師の質くらいは高いところで保っていて欲しいけど・・・

今の日本の景気では教員の給与を上げたりも出来ないだろうし・・・
昔、日本が貧しかった頃の教員って高収入の部類だったのに
今の教員って低所得のイメージあるしなあ・・・


175 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:33:35.79 ID:ZRNykoVj0
>>173
「そんなノリなら中学校の教師になんかなるなよ!」
教師「別になりたくてなった訳じゃない!」

みたいなことをID:0nfUWTgO0さんと話してた
少しで良いから黙っててくれる?


176 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 00:32:37.94 ID:nwhYoLxJ0

教師だって凶悪な不良を敵に回して自分の嫁や娘が犯されたら嫌だろ。
見て見ぬ振りをしてたら自分と家族に危害はないからね。
クラスメートだって怖いからかかわらないようにしてたわけだし。

強姦か同意の乱交かは女の気持ち次第。
て、いうか被害届出さない場合は同意の乱交となる。


179 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 03:22:48.62 ID:4ShI96Wd0
>>176
クラスメートが関わらないようにしてたのと教師が関わらないようししてたのをなんで同じ物差しで測ってるの?
馬鹿なの?


181 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 14:53:20.02 ID:nwhYoLxJ0
>>179
教師も人間だから生徒より家族優先。
自分の娘が不良達にアジの開きにされたらいたたまれない。

後で法の裁きがあっても不良達に犯された事実は消えないからね。

これは教育の域を超えて警察レベルじゃないと対応できない不良達。
警察に垂れ込むことさえ教師は怖かったはず。

1人の少女の犠牲によって他の生徒教師の安全が守られていた。
市からの賠償金はそのお礼みたいなもん。

この少女の容姿がアイドル並みだったために何人かの処女が守られたのも事実だろう。


184 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 09:55:31.87 ID:srPIgIhn0
>>181
ちなみに強姦罪は親告罪だから教師達がどうがんばっても被害者本人が被害届けを出さなければ警察は動いてくれない

けど教師達が目撃スルーしてるのは集団強姦罪で、これは親告罪ではない
警察を介入させた時点でヤンキー達の腕には手錠が掛かり教師の娘がアジの開きにされる心配も取り敢えずは無い

で、何だろw警察を介入させた後の出所後の報復が怖かったってこと?

チンコロにも種類が色々とあってその内容によっては出所後に報復しちゃう奴も確かにいるけど
この手のチンコロで出所後に報復する奴って中々いないと思うよw
どんだけ怖がっちゃてんだよw


185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・

警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。

女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。

荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。


188 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 10:36:19.77 ID:qCXJLSYS0
>>185
もの凄く荒れた学校を経験してるから知ってるよ

こんなことで警察を介入させたからって出院後に教師の身内を的に掛ける奴なんて聞いたことがない

この事件のスカトロヤンキー達だって新しい的を見つけた方が早いし事件にもなりにくいんだよ

一回警察呼んでる人やその関係者を的に掛けるなんて高リスク過ぎて普通はやらないし

逆に大人らしい厳粛な対応を取れる大人が周りにいなかったからここまで調子にのったんだと思うよ

それに暴力団員になってからもまだこんなこと続けていたら恥ずかしいだけだし
警察呼ぶのに親がヤバイ系って流石に関係なくない?
どっちかって言うと逆に呼びやすいでしょ

この事件の教師たちは何も出来ないなら出来ないで仕方がないから
せめて直ぐにでも辞めるべきだったんだよ
そうしていれば代わりに何か出来る教師が赴任してきていたかも知れない
という可能性だってあった

教師辞めて生活が少しくらい苦しくなっても被害者へのせめてもの罪滅ぼしとして受け入れるべき


189 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 10:46:27.31 ID:qCXJLSYS0
>>185
>中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

大人は守るべきものがあると確かにこういう対応をとるけど
正しくは中学教師なんかになるべきではなかったのになってしまった大人の対応だと思うよ

少なくとも学校の中では生徒を守るのも教師の義務だからね
義務を全うできないならその場で学校からも逃げ出すべきだったんだよ


462 :少年法により名無し:2017/03/13(月) 00:40:54.70 ID:uq4QJvkg0

成人なら一回でもレイプしたら10年近く豚小屋にぶち込まれるのに
校内レイプなら数年間やりたい放題でも少年院にすら入らない

やっぱり少年法ってクソだわ


200 :少年法により名無し:2016/09/26(月) 22:12:32.72 ID:+RoR6pZ50

高校は悪さすると退学になるけど中学は無法化しちゃうよね。

可愛い純粋無垢な女子生徒が小一時間で経験人数10人とかね。
中1で母親より経験人数多くなっちゃうから。


246 :少年法により名無し:2016/10/05(水) 15:50:58.63 ID:Nc8JbH2y0

長期に及ぶ集団心理で罪悪感は消える。
被害者も今日はフェラだけで帰してもらえた。A君はいい人と感謝したりする。


389 :少年法により名無し:2016/12/26(月) 16:45:38.03 ID:O9GAXTfn0

服従させる基本は飲食と排泄の管理だからな。
小便の許可しただけで感謝するようになる。


458 :少年法により名無し:2017/03/07(火) 17:01:07.55 ID:g2wCHyPD0

北海道民の日常
ほのぼの北海道
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/


120. 中川隆[-7590] koaQ7Jey 2017年6月09日 15:59:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


日本人はなぜやめた? アマゾンに残る夜這いの文化
南と北の性愛/恋愛格差―日本の生涯未婚率4人に1人を考える
風樹茂 (作家、国際コンサルタント)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9449

 人口の増減は、恋愛や性愛の行動様式と深く関係している。この4月発表の厚労省国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、大よそ男性の4人に1人、女性の7人に1人が生涯未婚であるという。婚外子も少ないのだから、日本の少子化の波は止まらない。2065年には人口は8808万人、15〜64歳の生産年齢人口は4割減り、4529万人と予測される。

 著者が住んだ南米のメディアでも「日本人は恋愛をしない、子供を産まない、結果老齢化と人口減少が進んでいる」とよく報道されていた。ラテンアメリカの友人は「なら、おれたちが移民して、助けてやるよ」と冗談ぽく言ったものだ。

 一理あるかもしれない。都内の人口の自然増は外国人2456人、日本人は730人(2015年10月〜16年9月)である。もしかしたら、女性が著しく多産だったアマゾンの小村にこそ、少子化を食い止めるヒントがあるかもしれない。日本の過去・現在との比較を交えて地球の裏側から報告する。


(iStock)

ボリビア、アマゾンの小村が多産なわけ

 80年代後半ボリビアは、日本の面積の3倍もあるのに、人口が600万台(80年代)しかなかった。2010年代には人口1000万人を越えたので年率2%強の増加となる。80年代の合計特殊出生率(一人の女性が生涯産む子供の数)は5を越えていた(現在3、日本は1.46)。ボリビア全体の数値なので筆者が滞在していたアマゾンはもっと多産だったに違いない。いくつか理由がある。

3人しか生き残らなかった

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は、自身の公式ホームページでこう語っている。
「兄弟は7人だったけど、そのうち3人が生き残った。他の兄弟は1歳か2歳で死んだ。それが農村に生きる家族や子供の宿命なんだ。半分以上は死ぬ。7人のうち、ぼくら3人は運よく生き残った」

 ボリビアの80年代の乳児死亡率は10%前後とされるが、僻地ではずっと高かったのである。アマゾンの小村でもよく人が死んだ。仲良かった労働者の兄が列車から落下して死んだ。日系人の息子が川で溺れ死んだ。乳児たちは病気で簡単に死んだ。村人は総務部に属した筆者のところに、よく木材を求めにきた。棺桶を作るためだ。

 運がよく、強いものだけが生き残る。だから子供は多いほうがよい。それは戦前の日本の女性が多産だったのと同じだ(1925年、大正15年 合計特殊出生率5.11)。


陸の孤島

 「なんで、あなたはお土産を置いておかなかったの!」

 20数年を経て村に戻ると、40代前半になった知人女性にこう怒られた。うかつにも初めて知ったが、友人のボリビア人、日系人、フィリピン人などは影でちゃっかり行動を起こし、ボリビアの人口増加のために寄与していたのである。

 これにも理由がある。アマゾンの小村は陸の孤島だった。チャコ戦争(パラグアイとの国境の石油資源を巡る戦争 1932〜38)のときに作られた道路は熱帯雨林の中で草木に覆われ、消滅したような状況だった。週に一度は脱線する鉄道が頼りだった。

 そのような土地では親戚が増える。血が濃い。だからよそ者の血が好まれる。村の男たちと比べると、よそ者の多くは高等教育を受けている。遺伝的にもきっと知的だ。教育こそが収入格差を呼ぶことは誰もが知っている。ボリビアの大学進学率(短大含む)は30%弱なのに、友人たちの血を引く子供たちは、奨学金をもらうなどして大学に進学していた。ある意味、女性たちのもくろみは成功したのである。

 昔、日本の離島でもよそ者が女性に好まれたのと同じだ。江戸時代の作品「好色一代男(井原西鶴)」の主人公世之介は、海の彼方にあるという女だらけの女護島をめざして船出し、それきり消息が絶える。女護島とは外の血を欲している伊豆方面あたりの離島を暗示していたのであろう。

電気がない

 かつて夜は真っ暗闇だった。村の発電機は故障していることも多く、燃料節約の必要もあり、週末の夜だけ時間を制限して稼働していた。日本でも電灯の有無が出生率に強く係っていたようだ。『大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代(文春新書) 』(速水融、小嶋美代子著)には、こんな一節がある。抜粋してみる。

 「明治43年に194.9万灯に過ぎなかった日本全国の電灯取付け数は、大正14年には2732.1万灯と約14倍に増えている。15年間にこれだけの増加をみせたのは、この時期だけである。電灯は庶民の「夜の生活」を変えた、といっていいだろう。電灯のもとで、人々は雑誌や書籍を読むこともできたし、夜なべ仕事も容易になった。大正期に始まる都市の出生率の低下は、電灯の普及と少なくとも時期的には一致している。都市では夜の娯楽が増え、農村に比べてそもそも低かった出生率は、さらに低くなった」

 大正15年から合計特殊出生率は急減し、12年ほどで4を割り込んでいる。

男女の出会いは頻繁

 日本で恋愛塾や恋愛セラピーを取材したとき、「出会いの場がない」、「恋愛に割く時間がない」という若者も多かった。

 アマゾンの村の出会いの場所は、教会のミサ、サッカーの試合、誕生会などであった。電話もネットもないので人と人は直接会うしかない。村はさほど広くないのでどこにでも短い時間で歩いて行ける。

 唯一のディスコティックも男女の出会いに大きな役割を果たしていた。吹き抜けの掘立小屋の土間を踊り場にして、壁の周囲に長椅子を置いて、大きなスピーカーをしつらえた、簡易の踊り場である。踊ると、土が舞った。周りでは、豚や鶏が我が物顔に歩いていた。少し離れた草地では、ロバが時折間抜けな声を上げている。週末の夜、村の女性たちがまるで六本木にでも行くかのようにおめかしをしてやってきた。入場料は1ドル。

 夜10時、発電機は止まり、村は闇の帳に包まれる。外へ出ると夥しい星々が天空全体に銀色の美しい天の川をかけている。男女は暗闇の中、どこかへ消えていく。村には映画館もショッピングセンターもモーテルも何もない。一度、女性を家まで送ったことがある。軒下には彼女の従妹と妹と日系人などのカップル3組が闇の中でうごめいていた。平安時代の通い婚状況である。


初対面の男女の挨拶は口づけ

 村に赴任して最初に驚いたのは、世界一と思われる男女の距離の近さである。欧米では男女の挨拶は頬にキスをするのが一般的だろうが、ここでは口と口を合わせる。著者よりも先に赴任していたフィリピン人が、村の女性と出会ったときに「初対面から口と口なんだよ」と嬉しそうに言って実践した。江戸時代の日本はもっと男女の距離が近く、混浴だったことを思い出す。

12歳の少女と駆け落ち

 早熟であることもアマゾンの女性の特徴だった。

 あるとき、30代の女性が総務部に泣きながら相談にきた。

「夫が駆け落ちをしてどこに行ったか分からない。さがして下さい、お願いです」

 調べてみると、彼女の旦那は工夫たちをまとめる親方で、仕事振りには定評のある真面目な男だった。都市からきて村に夫婦で下宿していた。相手の女性はなんと12歳だ。

「えぇー、あの娘が12歳、20ぐらいに見えとったよ」

 職場の日系人が驚きの声をあげた。

 日本だったら、三面記事を賑わし、男は刑務所行きかもしれない。無論ボリビアでも不純異性交遊にあたる法律はある。けれども、社会慣習としては男女の仲には寛容である。この場合も男がたぶらかしたというよりも、少女のほうが男をせっついた可能性の方が高い。恋心もあるだろうが、村にいたくないとか、親と喧嘩したから家を出たいとか、そんな理由もあったのかもしれない。

 筆者も様々な男と浮名を流している14歳の少女に手を握られ、「どこかへ連れていって」と誘惑されたことがあった。相手にせずにいると、彼女は自分の男性遍歴を赤裸々に語った。

 その時思い出したのは、ドストエフスキーの「悪霊」と夏目漱石の「心」だった。「悪霊」では主人公のスタヴローギンは関係をもった12歳の少女がクビを括って自殺したことで、罪の意識を持ち続け、その罪の意識をひとつの理由に自らも自殺する。「心」では親友の彼女を奪ったことで心に傷を負った主人公の先生は、明治天皇の崩御を契機に自殺する。しかし、このような文学的主題はアマゾンの村では普通成立し得ない。馬鹿げた行為として笑われるのがおちなのだ。

婚外子は普通

 前出のフィリピン人がこう言っていた。

 「この村では女は男をバスケのボールに思っていて次々にパスするのさ」

 中南米、とりわけカリブ海地域やアマゾンでは、10代の中頃から男女は無数の短い恋愛を繰り返す。村には10代でも夫の違う子供を2、3人かかえている娘が何人かいた。男性は単なるセックスの相手、子種のための存在だった。長男が家や土地を相続するとは限らない。母系制の影響が強い社会だった。子どもが生まれても必ずしも親が育てるわけではない。叔父叔母、祖父母、兄弟、あるいは親の親や名付け親の代父母が育てるかもしれない。高校生や大学生でも子供がいる女性はいるし、世間が目くじらを立てることもない。

 もちろん、男のほうもそれをわきまえている。仲好くなった初老の保安官は一緒に飲むと筆者にこう諭したものだ。「恋人は5人いなきゃいけない。他の男にとられてもまだ4人、病気で死んでもまだ3人、1人が妊娠してもまだ2人残っている」

 男は女性と関係し、妊娠したら逃げる。その後、他の男が連れ子のいる女性と結婚することになる。まさに、カッコーが行う托卵(たくらん:他の鳥の巣に卵を植え付け、育ててもらう)である。生物学的には、子孫を増やすには、最も効率的で狡猾な方法といえる。

 このようにアマゾンでは男女は知り合うに易く、添い遂げるに難しかった。他に理由もある。夫や恋人がどこかに仕事を探しに行けば、戻ってくるかどうかの保証はない。当時の連絡手段といえば、人を介しての手紙だけだ。政治も経済も不安定で、自然条件も厳しい。生きているのか死んでいるのかも不明だ。明日は、限りなく儚く頼りない。諸行無常は、言わずもがなのことであった。


日本の性愛/恋愛事情の今昔 

 日本で恋愛事情を取材しているとき、大学生の女性がこう言っていた。

 「相手に大きな望みはないんです。でも、ニート、フリーター、派遣だけは避けたい」

 非正規雇用の男性は、最初から恋愛・結婚市場から除外されている。ところが、正社員の男性は、仕事が多忙で、恋愛に割く時間もエネルギーも持ち合わせていない。そのうち恋愛も結婚も年とともに諦めてしまう。恋愛市場が歪な形になっている。だからなのか、性風俗店は世界でも図抜けて多い。

 いつからだろうか?

 昔の日本はこんな社会ではなかったはずだ。柳田国男のような官制の臭いが強い民俗史ではなく、赤松啓介のような在野の民俗学者が描いた日本社会には、明治、大正、昭和の庶民の性生活が描かれている。農村でも商店でも、夜這いの習慣が普通で、祭りなどでは乱交もあったようで、明るい農村というのはまさに公の言い草だが、その底に隠れているのは、明るく愉しい性生活の農村ということであった。かつて、日本の庶民にとっては、いかに多様で愉しい性生活を送るかが、第一の生存意義(レゾン・デートル)だった。アマゾンの小村とさほど変わりはなかったのである。

 それが一言でいえば「遊びは勉強してからにしなさい!」という、明治以降の、西欧化、富国強兵、殖産興業、高度成長、そして教育勅語、修身、芸能スキャンダル雑誌を含むマスメディア、電気や携帯に代表される文明など、もろもろの影響もあってか、性の習俗も変わってしまった。

 社会も時代も家族形態も違うのだから、アマゾンや過去の日本をそのまま見習うのは難しいが、若者が恋愛や結婚を諦めるような社会は何か尋常ではない。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9449


121. 中川隆[-7155] koaQ7Jey 2017年7月16日 18:17:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

田舎の「タダ」は「無料」ではない 値段のない"お互いさまエコノミー"
http://president.jp/articles/-/22561
2017.7.13 慶應義塾大学特任准教授/NewYouth代表取締役 若新 雄純 PRESIDENT Online


若者が都会から田舎へ移住すると、地元の人から「タダ」でさまざまなモノをもらえることがあります。野菜や米だけでなく、バイクや家をもらった人もいるそうです。しかし、慶應義塾大学特任准教授の若新雄純さんは「田舎のタダは、“無料”ではない」といいます。その理由とは。

地方では、いまも近所の人同士でいろいろなモノを分け合う文化が残っています。都会から田舎に移住した人が、「ご近所さんから野菜をタダでもらって、助かっている」という話などもよく耳にします。

ただ、移住者の中には「田舎で受ける“タダ”を“無料サービス”と勘違いし、循環する善意を搾取してしまう人もいる」と、都会で生活していた若者など15人に福井県鯖江市に体験移住してもらうプロジェクト「ゆるい移住」(2015年)などを手がけた若新さんは指摘します。「田舎のタダは無料ではない」とはどういうことなのか? 詳しく聞いてみました。(聞き手は編集部)

田舎の「タダでもらえる」はなぜ?

――都会から地方の田舎に移住すると、ご近所さんに野菜やお米などをタダでもらえることがあるといった話を聞きます。若新さんが企画された移住プロジェクトでも、そのような例はありますか。

【若新】ありますね。全員ではありませんが、地域の方からいろんなモノを譲ってもらったり、無償でお借りしたりして、お金はあまり使わなくても充実した生活が送れるといことがあるようです。食べ物だけではなくて、空き家や、中には、アパート1棟を家賃なしで借りたり、おじいちゃんが乗れなくなった大型バイクを譲ってもらったりといった話も聞きます。

――アパート1棟を丸々ですか!? それはすごいですね。

【若新】もともと使っていなかったアパートだから、しばらく自由に使っていいよ、と。

――特に見返りはナシで、ですか?

【若新】具体的な見返りは求められていません。見返りが明確にされていたら、それは対価を支払うビジネスですからね。でも、それは単に「余っているし、要らないから、無料であげる」ということでもないのです。僕も田舎の山奥で生まれ育ったので、モノを分け合う文化にはなじみがありますが、「なんでも無料で手に入る」という感覚ではありませんでした。それよりも、もっと原始的で、人間社会ならではの独自の有機的なシステム(エコノミー)が機能しているんだということが分かってきました。それは、各々ができる範囲のことを提供し合う「善意のエコノミー」です。

移住者の「0円」という勘違い

――「善意のエコノミー」とは、具体的にはどういうものですか。

【若新】地域のコミュニティを構成する人たちが、それぞれ必要以上に持て余しているモノを提供することで、お互いに資源をうまく循環させるような仕組みです。これについて、移住政策を実施していく中で、いろいろわかってきたことがあります。

まず、お互いに提供するモノの値段や価値は、均等である必要がないということです。仕事や暮らしぶりによって、地域の人たちはそれぞれ持て余しているモノの量も中身も違います。売れば高い値段がつくようなモノを提供できる人もいるし、そのような余裕はないけれど、例えば誰かからもらったお土産の「おすそわけ」ならできる、という人はそれでいい。モノは提供できないけれど、時間ならあるという人は、近所の子どもの送り迎えを申し出たり、集会所を掃除したりと、自分ができる範囲内で、コミュニティに貢献するということです。

また必ずしも、何かをタダでくれた「その人」に直接、お返しをする必要もありません。モノが提供されている対象は個人ではなく、そのコミュニティ全体であり、誰かに何かを提供してもらった人は、今度は自分がコミュニティ内の誰かに、できる範囲のことを提供します。量も順番もタイミングもバラバラでOK。ちょうど誰かが持て余していたモノを、ちょうど欲しい人がいたならば、そのモノの価値はコミュニティ内で最大化します。

大切なのは、それぞれが善意を持ってこのシステムに貢献しようという気持ち。それがあれば、提供するモノの価値や順番が不均衡でも、誰も文句を言わない。これが、僕が考える「善意のエコノミー」です。

――なるほど、まさに「お互いさま」という気持ちで成り立っているわけですね。では、それらが「無料サービスではない」とは、どういうことでしょうか。

【若新】外から移住してくる人の一部は、これを「0円で販売されている無料商品」と勘違いしてしまうようなのです。都会で生活していると、0円でモノやサービスがやり取りされることは、あまりないですよね。すべてはお金で清算されます。その金額を払えば、誰でも契約は成立・完了です。それ以上は求められません。それと同じように、地域の人たちがエコノミーシステムへの貢献として提供したモノを、0円という市場価格で販売されている「無料のサービス」だと勘違いしてしまうんです。0円で購入するという契約が完了した、と。

もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまう

――それはつまり、人によっては「もらいっぱなし」ということ?

【若新】「0円」という価格で販売されていたわけではありませんから、もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまいます。彼らは、「善意のエコノミー」という特有のシステムに気づいていません。「タダでいいと言うから、もらったんだ」、「見返りが必要なら、最初から値段を言ってほしい、買うから」などと、売買契約を前提に考えてしまいます。でも、そういう話ではないんです。「善意のエコノミー」は、それぞれが可能な範囲で資源を分かち合う循環型のシステムです。タダだから「0円」という値札がつけられて無料販売されているわけではなく、言ってみれば「プライスレス」の相互扶助なんです。

――なるほど、「0円」での売買だったら毎回リセットされますが、この相互扶助システムはもっと長いタームで「もらう」「あげる」が続く。そこも違うのですね。……それにしても、誰かに何かをもらったり、してもらったりしたら、今度は自分にできることで返そうと思うものです。でも、そう思わない人もいると?

【若新】「0円」という対価を払った、売買契約が完了したと勘違いしてしまうから、そこで終了できるんです。ちなみに、そのように「もらうだけ」の人は、田舎の地域にもたまにいます。かといって、そういう人たちがその地域から追い出されるわけでもありません。別に、なにかの契約に違反したわけではありませんから、近所から回覧版もまわってくるし、地域のイベントにも誘われます。ただし、周りの人たちは「善意が搾取されている」と感じることでしょう。次第に、循環の輪からは外れていってしまうと思います。

大型バイクのお返しに、菜っぱ?

【若新】逆に、このエコノミーシステムにうまく参加できる人は、みんなで豊かさを高めていくコツをつかんでいます。もらうだけの搾取では終わりません。例えば、大型バイクをタダで譲ってもらったという若者ですが、バイクの所有者は年配の人で、うまく乗りこなせなくなったそうです。それで「自分が持っていてもムダだから、君にあげるよ」と。所有者が変わることで、バイクの価値は一気に上がりました。でも彼は、バイクを「0円」で買ったのだとは思っていません。自分に提供できるモノを、提供しようと考えているはずです。でも、バイクに見合ったお金やモノで返す、ということじゃないんです。バイクをくれた方やその周りの方に、なにか「手伝って」と言われれば、喜んで駆けつけるでしょうし、あるいは、庭で育てた菜っぱを差し入れにいくでしょう。


 大型バイクと菜っぱの交換が成り立つ?

――大型バイクのお返しに、菜っぱ、ですか?

【若新】“お互いさま”の善意が対等であれば、提供し合うモノは、できる範囲のモノで何でもいいんです。等価交換じゃなくていいのが、このエコノミーシステムの面白いところです。モノが人の手を渡り、価値が最大化するところに循環していくんです。

もちろん、このような“お互いさま”の文化を窮屈に感じる人もいるでしょう。確かに、お店に行って自分のお金で買えば済む話です。でも、モノがあふれていると言われる現代において、この「善意のエコノミー」はとても合理的に富の循環を行っていると思うのです。今風に言えば、「シェアリングエコノミー」の一種でしょうか。そこに参加するには、一定のリテラシーとセンスが求められます。搾取するだけの人間では、移住先のコミュニティに根付く本当の価値を体験できない。そういう人には、なりたくないものです。


122. 中川隆[-7105] koaQ7Jey 2017年7月31日 16:23:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奇習!村人全員の嫁になった女 ― 深刻な嫁不足・セックス不足が生んだ寒村の悲哀!

東京から特急列車とローカル線を乗り継いでおよそ2時間強、その甲信越地方のとある山間の地域では、かつて相次ぐ自然災害などの影響により深刻な人口減少が発生。とりわけ、はからずも極端な形で男性ばかりが生き残ってしまったことから、地域で生まれた女児について、実に奇妙な養育がなされていたという。

「わかりやすく言えば、みんなで育てて、みんなで分かち合う。そういう話なんじゃないかな。昔は農作物だって、貴重なものはそうしてたわけだから、まあ、その頃の人らの感覚じゃ、それが自然なことだったんだと思うよ」

 この地域にかつて存在していたという、女児の養育に関する奇妙な習慣についてそう語るのは、米寿を迎えた今も、父祖伝来の田畑を守り続け、「現役」で農業を営み続けている高村伊佐夫さん(仮名)。

高村さんの話によると、その習慣が生まれたのは江戸時代のことで、深刻な嫁不足が起きていた同地域では、“貴重な女児”を村人全員で協力しあいながら養育し、その後、成人した後は、“村の嫁”として男たちが共有していた時期があったという。

「もともと嫁になり得るような女がほとんどいやしないからね、おそらく最初はよそからもらってきたり、さらってきたりしてはじめたことなんだろうけども、女の赤ん坊からね、育てていくわけよ、みんなで。

そうすると、いつかは大人になるだろう? そしたら、育てた男たち全員の“嫁”になるっていう。

となると、その嫁が今度は子供を生むだろう? 女の子だったら、その子もみんなで育てていく。もともとどの男が父親か? だなんてわかりゃしないからね、それでよかったんだろうね」


 今の時代の「誘拐事件」よりも、もっと“ありふれた事”として、人攫いや人買いが横行していた当時、遠く離れた地域から、この村の男たちによって連れ去られた女児たちは、本来の両親から引き離される形で、男だらけの集落で養育され、やがてはその“共有財産”として“村人全員の嫁”となっていく。

そして、その嫁が生んだ女児もまた、同様の運命が待ち受けていたのだ。しかし、彼女たち“村人全員の嫁”の生む子が、必ずしも女児であるとは限らない。

「……そうね、男の赤ん坊が生まれた時は、間引いてしまったっていう話だよ。

もっとも、こんな話、私だって死んだ爺さんから聞かされた話だし、その爺さんだって、ひい爺さんから聞いたっていうぐらいの大昔の話だからね、本当かどうかはわかりゃしないけれども」
http://tocana.jp/2017/07/post_13705_entry.html


123. 中川隆[-6588] koaQ7Jey 2017年8月28日 12:48:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奇習! 小作人の嫁や娘と強引セックス ― 女たちを孕ませ続けた豪腕名主のハーレム生活=東北地方
http://tocana.jp/2017/08/post_14068_entry.html

いつの時代も権力者というものは、得てして、その力のままに、無力な一般人を虐げるものであるが、そうした被害に遭う人々というのは、その理不尽さをわかっていながらも、それに抗うことすらなく、権力者の意のままに、多くの辛苦を味わい続けるものである。

「そうですね、当時はあのあたりの人間はみんながみんな貧しい小作農ばかりでしたからね。名主様に楯突く人間なんていやしませんでしたし、そんなこと、思い浮かべることすらありゃしませんでしたよ」

 かつて東北地方のとある地域で絶大な権力を誇り、“小農王”とまで呼ばれた名主による専横ぶりについてそう語りはじめたのは、現在、北関東の小さな町に住む元農業・川崎昭次郎さん(仮名・89)。川崎さんの話によると、彼が生まれたその地域に君臨していたその名主は、文字通り、地域の人々を隷属させ、傍若無人の振る舞いを続けていたという。

「日常生活の締め付けが厳しかったのはどこも一緒でしょうけれども、あの名主さんは本当に酷い仕打ちばかりをする人間でしてね。どの家の嫁も娘も、それこそ女という女は手当たり次第に手をつけては孕ませていましたよ……」

 英雄色を好むとは言うが、その名主、地域の取りまとめ役としては、ある意味、“優秀”な辣腕家ではあったものの、同時に、酒と女に目がなく、複数の愛妾を囲っていたのはもちろんのこと、それだけでは飽き足らず、小作人たちの中にいる女衆をかき集めては、強引に関係を持ち続けていたという。そのため、当地においては彼の子種を元に出産する女性が後を絶たず、まさに彼にとってはハーレムで、同時に小作人たちにとっては生き地獄のような悲惨な暮らしぶりが常態化していたというのだ。


「なにせどの家でも名主様に金を借りたりしていましたからね。というか、そういう方向になるように持っていかれているわけですから、当たり前なんでしょうけども、そういう借財がどんどん膨らんでいって、やがてはどの家も、身一つしかない状態になってしまう。そうなれば、嫁だろうと娘だろうと、言われるがままに差し出すしかない。かといって、そうした暮らしから逃れようとすれば、当然、夜逃げしかないですし、そうなると親類縁者や近隣のみんなに迷惑がかかるからそれもできない。となれば、従うより他ないんです」

 川崎さんの話によると、こうした名主による小作人への搾取は、彼が死ぬまで続き、その間、彼によって無理やり犯され、子供を生むことになった女性は数え切れないほどの人数に上るという。こうした話は、なにも我が国に限ったことではなく、類話は世界各地にリアルタイムで存在しているが、やはり富や権力というものは、いつの時代も、その所有者如何で、数多の悲劇を生むものなのかもしれない。
(取材・文/戸叶和男)


124. 中川隆[-6097] koaQ7Jey 2017年10月28日 19:54:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奇習! 村の実力者による伝統的“味見”の実態 ― 下は13から上は40代まで… 抱かれまくる妻・娘、無言で差し出す父・夫=北陸地方
http://tocana.jp/2017/10/post_14732_entry.html


【日本奇習紀行シリーズ】 北陸地方

 かつて隆盛を極めた遊郭文化がそうであるように、いつの世も、“実力者”と呼ばれる人々による“お遊び”は、我々一般庶民からすると、到底考えられぬような代物となりがちであるが、そうした“実力者によるお遊び”が、「奇習」として長らく受け継がれていたケースも、この国においては少なからず存在している。


「まあ、昔はその土地ごとに力のある人がいたものでね。古くは庄屋さんの家柄だとか、大昔から続く大店の家系だとか、そういうの。そういう力のある人がね、昔は本当におかしなことをやっていたものだよ」


 郷里である北陸地方のとある地域で、かつて実際に存在していたというその奇妙な習慣についてそう語るのは、現在も当地にほど近い小都市で余生を過ごしている横澤昭蔵さん(仮名・82)。横澤さんの話によると、彼がまだ少年時代だった昭和初頭までは、村の実力者による“禁断の遊び”が、平然と行われていたという。


「まあ、わかりやすく言うと、あそこらで一番力のある家の主人がね、一帯に住む女たちをすべて味見できるというしきたりだね。大抵は毎月決まった日になると、下は十三、四、上は四十路の奥さん連中までね、その家の広間に集められてさ。それで一人ずつ姿形を見ていって、主人が気に入った女を何人か選んで抱く。それでその中で一番気に入った女にね、結構なまとまった金を褒美として渡すんだよな」

潤沢な資産と、地域での発言力をフル活用する形で、近隣に住む女性たちを味見し続けていたという当地の実力者。横澤さんの話によれば、さすがに避妊だけはしていたようであるものの、大切な娘や妻、姉妹を、彼に抱かれるためだけに差し出す男たちはタマったものじゃない。たとえそれが、相応の対価を得られるものであるとしても、だ。しかし、そうした不平不満や怒りを口にする者は誰ひとりとして存在しなかったのだという。


「あそこらに住む人というのは、みんなその人の言いなりなわけ。なにせ暮らしの大半をね、握られてるんだもの。どうしようもない。だからああいうおかしなことをやってもね、誰一人文句なんか言いやしないんだよ」


 戦国時代の大名や、江戸時代の将軍たちが、何人もの側室を夜毎に交代させては抱き続けたように、地域の実力者が、近隣に住むすべての女性たちを味見し続けたというこの習慣。その無念さですらも口にできなかった当地の人々の胸中を想うと、なんともやりきれないところである。
(取材・文/戸叶和男)


125. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2018年1月02日 16:04:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奇習! 嫁も娘も父親の性奴隷になる近親相姦村 ― あまりに無慈悲な“男尊女卑”の習慣とは?
http://tocana.jp/2017/12/post_15260_entry.html

 本人の意思を無視した状態で、親兄弟の命ずるがままに、政略結婚をはじめとする女性の“望まない結婚”がしばしば行われてきたことからもわかるように、日本ではいわゆる“男尊女卑”の時代が長らく続いていた。無論、そうした時代においては、女性の人権を無視しているとしか思えない理不尽極まりない習慣も、少なからず存在していたのである。


「なにせ、女は一生、その家の家長の奴隷のようなものだったからね。今じゃとても考えられない状態だよ」


 かつて、甲信越地方のとある地域にのみ存在していたという、その奇妙な習慣について語るのは、同地域の出身だという辺見健三郎さん(仮名・82)。辺見さんの話によると、当地では男性の発言力があまりに強大で、女性たちはその生涯を通して、男性に命じられるがままに理不尽極まりない要求を受け入れるだけの人生を強いられていたのだという。


「まず、あのあたりじゃ、女房たちはひたすら旦那に傅く人生を送るのだけれども、それは家事や労働といったことだけじゃなくてね、夜の営みもそうでさ。全部、旦那が決めた通りにやらされてね、文句ひとつ言うことすら許されない。いかも旦那を満足させられなかったら、その場で平手打ちにされるっていう。本当に酷い話だよ」


身の回りの世話はもちろんのこと、夜になれば夫の性奴隷のように扱われ、ひたすら奉仕を求められるという当地の人妻たち。夫はそんな妻を虐げ、ただひたすらに自分勝手なセックスを繰り返すだけだという。だが、こうした災難に見舞われるのは、なにも妻だけではない。その妻との間にできた娘たちもまた、同様の憂き目に苛まれ続けるのだ。


「嫁さんだけならばまだしもね、娘たちにも手をつけるんだよ、あのあたりの男は。あの、なんていうの?“親子どんぶり”っていうのかな。娘もその母親もとっかえひっかえ自分の営みにつきあわされるっていう。それこそね、亭主を真ん中にして川の字になって、とっかえひっかえ楽しむだなんていう鬼畜も珍しくないわけ。だからあの当時、世間一般じゃ男の子の方がね、跡継ぎになるっていって喜ばれたもんだけど、あのあたりじゃ逆でね。娘が生まれた方が喜ぶんだよな」


 妻を自らの性奴隷とするだけでなく、その娘でさえも、理不尽極まりない性交渉の相手にしてしまうという、当地の男たち。辺見さんの話によると、それが“古くから続く習慣”であったがゆえに、誰一人文句を言うことはなかったというが、当地の女性たちの胸のうちを思うと、なんともやりきれないところだ。
(取材・文/戸叶和男)


126. 中川隆[-5738] koaQ7Jey 2018年1月07日 08:19:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

移住者はゴミ出し禁止、絶対の年功序列… 移住民が落ちた「村八分」地獄
1/3(水) 7:59配信 デイリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180103-00535075-shincho-life

駐車場の端に特設された巨大なゴミ集積倉庫


移住天国の夢想家が落ちる「村八分」地獄――清泉亮(上)

 メディアが称揚するようなバラ色の楽園、そんな聞こえの良い話が実際に待っているはずはない。大分県の「村八分」報道は世間を大いに驚かせた。が、全国の夢多き移住民のハマったぬかるみは深い。ゴミ出しすら許されない、その地獄の実態をご紹介する。

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 平成がそろそろ30年目にさしかかろうかという時代に、穏やかならざる報道であった。去る2017年11月6日、大分県弁護士会は、「Uターン男性への村八分をやめるよう、集落全体に是正勧告した」というのだ。

 狐につままれたような印象があるが、その大要は以下の通りである。

〈68歳の男性は母親の介護のために2009年に関西から大分へUターンした。しかし、2年後に地元住民とトラブルに発展。集落の構成員と認められず、行事の連絡や市報の配布先から除外された。弁護士会は「男性に落ち度なし」と結論づけた〉

 大分県内の「村八分」に関する勧告は今回で3例目で、過去2度は非公表だった。だが、このままだとUターンする人が減りかねないという弁護士会の懸念が公表に踏み切らせたのだ。

 結論から言えば、これは対岸の火事ではない。テレビは盛んに田舎暮らし礼賛番組を流し、移住ブームに便乗する自治体も「こっちの水は甘いぞ」とばかりに移住促進策を打ち出す。ざっと、ここ最近放送された一端を拾っただけでも、

〈「第二の人生」で田舎暮らし〉(テレビ朝日)

〈楽園暮らし憧れ居住者増“日本一住みたい”島根・大田市〉(朝日放送)

〈激化する“人口争奪戦”移住の好条件 続々…〉(テレビ東京)

〈切実 田舎に移住するシングルマザー 人口減に悩む町が後押し〉(よみうりテレビ)

 といった恰好で、歯の浮くような惹句のオンパレードである。

 しかし、実際の暮らしぶりに目を向けてみると、さにあらず。日常のゴミ出しさえままならない、暗澹たる現実が横たわっている。それは、「移住人気日本一」(NPO「ふるさと回帰支援センター」調べ)を誇る、山梨県とて例外ではない。

 まず、私が暮らす、山梨県北杜市の実態をご紹介しよう


20キロ先からゴミ運び

 11月初旬、標高1000メートル付近の八ヶ岳南麓の朝はすでに氷点下である。冠雪した駒ヶ岳を擁する南アルプスを一望する市の総合分庁舎の駐車場。ここに、朝7時半を回った頃から、三々五々、四駆車や軽トラが続々と集まってくる。

 ドライバーの目的は山々を睥睨(へいげい)するためでは断じてない。ここは、他ならぬゴミ収集所なのだ。地元集落のゴミ収集所に持ち込むことが“許されない”“認められない”移住者たちのための……。

 運転席から降りると、かじかむ手を擦りながら、後部座席やハッチバックのドアを開ける。積まれているのは、大量のゴミ袋。その日は「燃えるゴミ」の収集日で、駐車場の端に特設された巨大なゴミ集積倉庫(上の写真)に、ゴミ出しに来るのだ。

 平成の大合併で、8町村が合併して誕生した北杜市は、県下最大の広さ。市境から市境までの最長部分はおよそ90キロにも達する。

 その広域さゆえに、10キロ、15キロ、場合によっては20キロ先からゴミを運んでくる者も少なくない。20キロとは、東京で言えば、日本橋から調布の味の素スタジアムまでの距離である。ほとんどハーフマラソンだ。

 1カ月ほど前に神奈川は横浜から移住してきたという初老の男性に訊ねると……。
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移住者はゴミ出し禁止、絶対の年功序列… 移住民が落ちた「村八分」地獄


惨めで気の毒な「越境ゴミ捨て行」


「市は干渉できない」

「ネットで手ごろな中古物件があったんで、夏場のうちにと思って移住したんだけど、自治会に入ってないとゴミは出せないって聞いて、ここまで運んできてますよ。どうも、自治会のほうが加入を認めないっていう話だったから。いちいち車にゴミを積んでガソリン使って、ゴミを捨てに何キロも走るっていうのはね、産廃じゃないんだからね。それに、体力的にいつまでできるのか」

 一体どういうことなのか。

 北杜市下では、集落の単位を「組」と呼ぶことが多い。そして、それぞれの集落でのゴミ収集所は組が運用しているのが建前だ。

 北杜市環境課によると、

「収集所そのものは組の所有地に建つ、組の所有物なので、市は干渉できない」

 したがって、組に加入していなければ、ゴミ出しはできない、という理屈になる。つまり、組から排除されている移住者は、居住地域内でゴミを出せないのだ。大分県の例に倣えば、これも「村八分」といえようか。

 まだ意気軒高な40代の移住者は、

「住民票を移している完全移住者は住民税を支払っているし、別荘所有者であっても北杜市は別荘税を徴収している。さらに、市が指定する有料のゴミ袋を購入しなければゴミは出せないので、そのゴミ袋の代金にも、ゴミ収集の費用は転嫁されているはずだ。そもそも自治会加入とゴミ出しが結びついていることがおかしい」

 そう憤る。

 他方、東京・世田谷から来て3年になるという初老の夫婦は、いずれは就農をと考えて移住したものの……。

「私たちがいるところは、やっぱり自治会に加入できないところで、だからここまで出しに来てます。雪が降る前はまだいいですけど、さすがに真冬はもう、きついですよ。明日はゴミの日かなんて考えるだけで、げんなりしますよ」


ローカル・ルールに嫌気

 移住する前にゴミ出しのことは知っていたかと問えば、

「知りませんでした。まさかね、自治会に入らないとゴミが出せないというのはね。東京では賃貸マンション暮らしでしたけど、これって変な話だと思いますよ。マンションで言えば、所有権者しかゴミは出せない、賃貸住人のゴミ出しは認めないみたいな話じゃないですかね。都会ならば訴訟が起きたっておかしくないですよね」

 執拗に訊く一方の私に、この夫婦は逆に尋ねてきた。お宅はどうなんですか? と。

「私は別荘地に移ったんです。そこでは、分別はもちろんしますけど、ゴミ出しは別荘地内にたくさんあるゴミ収集箱に24時間、出すことができますから助かってます」

 私が北杜市に移住したのは14年のこと。それ以前にいた長野県佐久地方の過疎の集落では、古老らによる露骨な無視に始まり、公民館での元日からの万歳三唱、早朝4時からの雪かき励行……。こういった常軌を逸したローカル・ルールに早々に嫌気がさして逃げ出し、辿り着いたのが北杜市だったのだ。それも、管理会社が管理する別荘地のなかである。別荘地ゆえに、建築制限を含めた管理規約があり、管理費が課される。しかし、集落での「無視」や「消防団強制参加」「上下関係強要」などの煩わしさとは無縁で“心の安寧代”だと思えば、管理費は高くは感じない。

 ひとりでは手に余る雪かきとて、管理事務所に電話一本で、除雪車が急行する。ひと気のない山中で夜間、四駆車が故障し遭難しかけたときも、24時間体制の管理事務所に電話をすると、すぐにランドクルーザーで救援に駆けつけてくれたのだ。自治会未加入の「村八分」集落であれば誰も手を差し伸べてくれなかっただろう。それに、仮に集落の手を煩わせようものならば、“後”が高くつく。

 集落では春や秋など年に数回、住民挙げての道路掃除「道普請」が行われる。体調が悪く参加できないものならば……移住歴20年の主婦の言葉を借りると、

「不参加のときは1人頭、3000円を払ってます。夫と2人、どうしても参加できないときは6000円を支払ってます」

 ということになる。

飲酒運転天国

 たとえ村八分にまで至らずとも、集落での緊張関係・揉め事・軋轢は日常茶飯事だ。

 北杜市のみならず、甲州地方の集落は「年功序列」が徹底している。1カ月どころか、1日でも生まれたのが先ならば、同輩ではなく「先輩」なのだという。それゆえに、役所による地元集落への「指導」も、よほどの法令違反がない限りはご法度となる。笑えないジョークでしかあるまい。

 当然のことながら、集落においては公私の区別など存在しない。公務員、警察官であったとて、生活圏での人間関係では、古老に頭が上がらない。

 それを見越した古老らは狡猾だ。夕刻になればコンビニで買ったビールを勢いよく流し込み、酒臭い息で悠然と軽トラのアクセルを踏んでいく。直進車無視の右左折強行、ウインカー不点灯、一時停止無視、携帯電話片手の通話運転、まるで飲酒運転天国。山梨県下では「マイルール」「山梨ルール」などと称され、もはや道交法などどこ吹く風、なのだ。

 夜ともなれば、スナックに平然と車で乗り付け、酒を飲んで帰っていく。そんな行為を咎めようものなら「村八分」にされかねないから、誰も指摘しない。

 無邪気な移住者はそうした地域性の洗礼を受け、結果、ノイローゼにもなりかねないのである。

(下)へつづく

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清泉亮(せいせん・とおる)
ノンフィクション・ライター。1974年生まれ。専門紙記者などを経てフリーに。別の筆名で多くのノンフィクション作品を手掛けてきた。近現代史の現場を訪ね歩き、歴史上知られていない無名の人々の消えゆく記憶を書きとめる活動を続けている。信条は「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」。清泉名義での著書に『吉原まんだら』『十字架を背負った尾根』がある。

「週刊新潮」2017年11月23日号 掲載


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監視と縛りの日常生活“ブラック集落”を避けるには 移住民が落ちた「村八分」地獄
1/4(木) 7:58配信 デイリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180104-00535078-shincho-life


新参者、よそ者を受け入れない


移住天国の夢想家が落ちる「村八分」地獄――清泉亮(下)

 ノンフィクション・ライターの清泉亮氏が山梨県北杜市に移住したのは2014年のこと。現在は管理会社が管理する別荘地で暮らす清泉氏だが、以前に暮らした長野県佐久地方の過疎集落では、早朝からの雪かきなどのローカル・ルールに嫌気が差し、逃げ出した経緯がある。

 移住者のゴミ出し禁止など、自治体も手を出せない「村八分」について、その実態を紹介する。

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 次の話は、子供が生まれると同時に、東京郊外から移住してきた、ある若夫婦の体験である。

 子供が保育園に通い始め、新しい故郷に貢献したいとの一念から、母親は保護者会の会長にと手を挙げた。すると、どこから聞き及んだのか、集落の最長老格の女性からのアプローチが始まった。

「あなたには次があるから。まだ将来があるから」

 連日連夜の電話攻勢に自宅訪問と、ほとほと疲れ果てて立候補を取り下げるまで、その“説得”は続いた。

 理由は「若い者の言うことは年長者は絶対聞かないから」というもの。代々染み入った「長幼の序が絶対」の集落では、学識や見識ではなく、年齢こそがすべて、というわけだ。選挙の前から当選者が決まっているといわれる、悪名高い「甲州選挙」の本領発揮といえようか。

 一方で“集落一家”の紐帯を誇る地だけに、「乱す者」への監視も厳しい。

 移住して5年ほどになる集落居住者がいう。

「怖いのは選挙だ。立会人っているでしょ。あれが、集落の誰は投票に来た、誰は来てないっていうのをみんなチェックしてて、来なかった人間は後から吊し上げられるんだ」

 投票所での立会人も、狭い地域では、顔なじみの古老ばかり。誰が投票しなかったかは集落内で密やかに「共有され」、ときに忠誠が問われるのだという。仮に自治会に入れたとて、日常のあらゆる局面で、監視と縛りが待っている。移住組の70代主婦はこうこぼす。

「ゆっくり休みたいときも大変よ。5時に起きて、まずは居間のカーテンを開け放ってから、もう一度寝室に戻って二度寝よ。カーテン閉めたままだと何を言われるかわからないから」

 たとえ誤解された噂でも、流されてしまえば「事実」になる集落では、一瞬たりとも気が抜けない。


なぜ新参者を受け入れない? 

 集落による「新参者、よそ者を受け入れない」掟は、決して時間が解消するわけではない。北杜市に移住してすでに20年になろうかという80代の女性は、いまだに自治会に入会できず、集落内でゴミ出しができるメドさえ立っていない。

「主人が亡くなっているので、いつまでゴミを出せる体力が持つか自信がないわよ」

 と漏らす。もちろん、敬老行事の案内などもまわってこない。

 そこまで徹底して新参者の加入を認めない理由について、北杜市の移住担当者は次のように指摘する。

「やはり、一番大きい理由は財産区のようです」

 山間部の地元集落はたいてい、共有財産として山林を所有している。この山林の伐採益や売却益を含め、現金化されたときの分配が少なくなることへの懸念が、最大の理由だというのだ。

 もちろん、移住者のなかには、あえて自治会に加入したがらない者もいる。

 彼らの言い分はこうだ。

「前は自治会費を払ったこともあった。ただ、収支を見せてと言ったら嫌がったり、何に使われているのかまったく不透明。聞けば、会議と称した甲府あたりでの呑み代とか、宴会や、慰安旅行のピンクコンパニオン代に消えててバカバカしくなった」

 収支不明朗が伝統の集落の意識と、移住者の権利感覚は馴染みようもなかろう。
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“ブラック集落”

 だが、北杜市が常々標榜するのは「一流の田舎まち」。手をこまねいているばかりではない。担当者が言う。

「今年の春、市としてもそれぞれの自治会にアンケートを行いました。移住者を受け入れるうえでの不安材料がないかや、受け入れを歓迎するかしないか、自治会への加入率や区費・組費といった内容です。市としては、そうしたアンケートやヒアリングをもとに、移住の相談があったときに、“このあたりは移住者をウェルカムとしていますよ”とか、逆に“ここはちょっと”、といった細かいアドバイスができるように準備しています」

 不動産屋の口車に乗せられて、煽られるままにすぐに手を付け、移住してはじめて“ブラック集落”であることがわかったときには目も当てられない。たとえば、築浅なのにオーナーが手放そうとしている物件は、周辺の地域性を念入りに調べたほうがよいだろう。「暮らすに暮らせない」場所でありうるからだ。

 最後に、先頃、集落内で発生した、ある“衝突”の現場を再現してみよう。

 現在、北杜市は、中央道と軽井沢側の上信越道を結ぶ中部横断自動車道のルート決定をめぐって八ヶ岳南麓を二分する「戦争状態」にある。

 補償費を含めた現金収入につながると目論む賛成派の集落古老。これに対して移住派は、目の前が高速道路では都会と変わらないから、当然反対となる。

 公民館での会合は紛糾したという。トドメは集落古老による一言だった。

「この土地は、俺たちが信玄公から代々預かって、管理し続けてきたんだっ」

 400年以上前の武田信玄を持ち出されては、何かとインテリを自任する移住者達は沈黙するしかない。理屈ではないものが支配している社会が厳然としてあることを、悟ったのだろう。経済的に余力のある者は、「やっぱり管理費を払ってでも」と、別荘地内に“リハウス”してくるのだ。 

 結論はやはり、集落移住は×、移住するなら別荘地、ということに落ち着きそうだ。


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集落は× 別荘地は◎ 田舎暮らしの新しい提案――清泉亮(ノンフィクションライター)
週刊新潮 2015年3月26日花見月増大号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2015/04020800/?all=1


 住めば都と言う。だが、田舎暮らしとはすなわち、地元住民との果てなき異文化交流である。最初に移住した集落で“泥濘(ぬかるみ)”にはまった後、別荘地に移って心の平穏を得たノンフィクションライターの清泉亮氏。田舎暮らしの常識を覆す、その真率な告白をお届けする。

 ***

 好奇心に襟首をつかまれたわけでも、バラ色の人生を夢みたわけでもない。

 かの旅の汽車の車掌が
 ゆくりなくも
 我が中学の友なりしかな

 と、石川啄木が詠んだごとく、人口1000人弱の小さな集落である。

 いずれは農業をと熟慮を重ねた結果、私は長野県佐久地方にある山間の村に新天地を求めた。数年前のことである。しかしながら、そこで待ち受けていたものは、バカ高い国民健康保険料にプライバシーゼロの生活環境、そして集団行動の強制といった様々な“洗礼”だった。

 これは、昨年11月のリポート『住んでみなきゃ分からない田舎暮らし入門』でお伝えした通りである。

 その後、対人関係におけるストレスは耐え難いものとなり、矢も楯もたまらず、別荘地へ引っ越すことにした。差し当たって、この選択には満足している。その逐一を論じる前に、私が佐久地方の集落を去ることになった経緯から本稿を始めたい。

 2014年元日のことである。午前9時には村民ほぼ全員が公民館に集合していた。長老の訓示を拝聴し、万歳三唱するのだ。正月早々に背広を着たことなど、勤め人時代でさえ記憶にない。その後の歓談中、村民の口を衝いて出るのは、顔を見せなかった移住民に対する罵詈雑言ばかりであった。

「町内会費の払いが悪いくせに」「そのくせ、部屋の照明や暖房器具はいい物を使いやがって」「昼間はいっつもカーテンを閉めてやがって」「道普請(村内の道路掃除)では早く切り上げやがって」

 やれやれ、大晦日に飲み過ぎなくてよかったと胸をなでおろしたのも束の間、翌日にはこちらに火の粉が降りかかってきやがって……。

 役場前での地元消防団による出初め式。正月2日くらいはと自宅で休んでいたところへ、85歳になんなんとする古老が軽トラでやってきた。

「聞いてねえか」

 と口火を切ると、一気にまくしたてる。

「移住者は消防団に参加することって、役場から聞いてねえか。あんた、歳いくつだ」

「40をまわりましたが」

 と私。消防団は40歳で“兵役免除”となるはずが、

「年齢は関係ねえずら。参加するずら。友達もできるずら」

 口疾(くちど)に交わされた会話ののち、こちらの不見識を詫びる手紙を役場宛てにしたためると、数日後、世話役が自宅までやってきた。彼にあれこれと慰められたのだが、集落では特に夏のあいだ、会合や訓練などのイベントが目白押しなのだという。

「せめて夜は、星を見ながらゆっくり考え事をしたい。一応、それが仕事でもあるもんで。出られないこともあるかもしれません」

 と憚りながらこぼす私に、彼はこう当て擦るのだった。

「芥川賞でもとれたらな」

 要するに、著名でなければ、自宅に籠っての作業はおしなべて“遊んでいる”と映るらしいずら。

 これに加えて集落では、「返礼は倍返しせよ」といった悪弊が存在し、いきおい出費がかさむ。さらに前回書いた、地域によって差のある保険料も異様に高く、ボディブローのように効いてくる。こういった“障壁”とも折り合いをつける手づるが、私にはなかったのだった。


■充実の管理体制

 そうやって、にっちもさっちも行かぬ状況を脱し、新たに移り住んだのは、山梨県北杜市の八ヶ岳山麓である。地元不動産業者が、

「日本のワンツースリーが楽しめる」

 と喧伝する有数の別荘地帯。この「ワンツースリー」とは、富士山、南北アルプス、八ヶ岳という標高の高い山塊トップ3を指す。この地から、それらすべてを見渡すことができるのを売りにしているのだ。

 そうは言っても、私が転がり込んだのは廃屋同然の一軒屋である。気持ちが塞ぐこともあろうかと入居前は覚悟していたが、あにはからんや、長野での苦難が嘘のように充実した時が流れている。

 ダイヤモンドダストが陽光に輝く朝は、アカゲラが木をつつく、「ココン、コンコン」という小気味よい音で目が覚める。あたかも鼓を聞いているかのようだ。ウッドデッキに出て新鮮な空気を吸い込み、ストーブ代わりに使っているメキシコ製のチムニーに薪をくべ、湯を沸かす。標高が高いせいで沸点が低く、薪の火力でも湯が沸くのは速い。ガスとは違って湯が煮えたちすぎないので、コーヒーもうまい。誰にも容喙(ようかい)されず、ゆっくりと味わう贅沢。目の前の白樺に吊るした鳥の餌皿から、リスがヒマワリの種を拝借していく。

 夜になれば、星空には天の川(ミルキーウエイ)、軒先を鹿の群れがかすめて行く。気分は米ニューイングランドの郊外か、アフリカのサファリか。ここでは、凡庸な1日などありはしない。

 むろん、昨年までの集落暮らしだとこうはいかない。雪が降れば、朝の4時、5時から村民総出で雪かきとなる。遅れて6時に駆けつけようものならば顰蹙もの。冬場は連日の「お勤め」が原則で、アスファルトが覗くまで徹底的に“掃き清め”るまで作業は続く。

 これとは対照的に、別荘地での生活はすこぶる快適だ。車の往来にも支障をきたすほどの降雪なら、管理事務所に電話一本。融雪剤や滑り止め用の砂を持って、すぐに作業員や除雪車が駆けつけてくれる。

「長年に亘って、別荘オーナーの無茶な要望に慣れてるから、腰は軽いよ。東日本大震災の時には、みんなこっちに避難してきて、かつてない賑わいだったけど、人員が24時間常駐の管理センターがあって、なにかと安心だった。去年の大雪でも炊き出しをしてくれてね」(名古屋市出身の50代住人)

 こうしたサービスの原資は、移住者が支払う管理費である。この点、地元不動産業者は、

「都会から来る移住希望者は、別荘地に管理費があると聞くだけで拒絶反応が凄まじい」

 と怪訝な顔をするが、それは杞憂である。現に、私が支払っている管理費は年6万円弱で、これは長野で払っていた国民健康保険料1カ月分並み。実は、移住者と別荘地との間には、保守管理に協力するならば、管理費が半分になるという取り決めがある。協力と言っても大仰なものではない。道路に木が倒れていたり、電線が雪害を受けていたりといった、作業員だけでは目の届かないトラブルを報告する程度のものだ。

 しかもこの管理費は、管理センターから近いほど高く、離れればそれだけ安くなる設定となっている。我が庵はセンターから至近距離にあって管理費は最高レベルだが、この住環境でその金額なら、むしろ安いと感じている。

 それというのも、この6万円弱で、除雪作業や家周辺道路の管理に加え、ゴミ回収費までカバーするからだ。別荘地ゆえ、ゴミ出しも24時間OK。数十メートルごとに置かれた巨大なボックスには、出したいときに、それこそいくらでもゴミを投げ込むことができる。

 これとは別に、別荘税も徴収されるが、5000円でお釣りがくるレベルだ。税金を払っていれば、地域の温泉には割引価格で入浴できるという特典も付いてくる。当然のことながら固定資産税も課されるが、別荘の場合、都心住宅の比ではなく格安である。


■老いらくの恋はここに

 とまれかくまれ、移住してほどなく、あることに気付いた。それは意外にも単身者が多いこと。そして、冬場は灯油の買い出しから薪割り、春は花壇や菜園作りと、さまざまな局面で男女がペアとなり協力し合う。そうこうするうちに、あっちもこっちも通い婚状態となっていく。老いらくの恋は、特養やデイサービスのみならず、別荘地にもあったのだ。

 かたや愛犬を伴侶とし、長らく男とは距離ある生活を送ってきた女性。こなた「女房は表参道や伊勢丹新宿店での買い物が何よりの楽しみだから、都会を離れない。娘はコンビニのないところには来ない」と漏らす、別居同然の初老男性。そんな2人が、笑顔で語らいながら仲睦まじく犬のリードを引く姿は、おしどり夫婦そのもの。従来の「パートナーそろっての老後移住生活」という固定観念をあっさり覆してくれる。

 煎じ詰めると、都会に生きた人間は、結局のところ孤独に耐えられず、人恋しいものなのだ。

 そこへ行くと長野の集落では、どんな場面でも「男女、席を同じうせず」が徹底していた。だから、“老いて後の恋”など成就しそうもない。ともするとそれは、「都会性」や「匿名性」を包摂する別荘地の特権と言えよう。

 それに引き替え、匿名性など皆無で何でも筒抜けの集落では、ゴミ捨てもひと苦労である。ゴミ袋には記名が必須で、場合によっては班長に中身まで調べられて“教育的指導”を受けることも。ゴミ袋は完全に透明だから、ちょっと恥ずかしいものは、やむなく直近のコンビニまで運ぶことになる。片道10キロの“長旅”ずら。


■「パネル畑」問題

 しかし、物事にはすべて裏と表がある。別荘地にも難点がないわけではない。それは例えば、地元業者らによる“談合”に表れている。

 彼らは、リフォームを含めて、何かと別荘地での受注獲得に熱心だ。事実、コンビニには、工務店の電話番号が所狭しと貼りだされていることもある。

 薪ストーブの購入や樹木伐採、建物修繕に関し、業者から何度も見積もりを取ってわかったことがある。金額が横並びで、とりわけ割高なのだ。その理由を業者の1人が打ち明ける。

「これじゃあさすがに断られるかな、と思うような値段でも、“いいよ”ってみんな言ってくれるから。やっぱり別荘の人達は違うなあと思ったよ。元パイロットのお客さんの時もそう。ウチは台所事情が苦しかったから、かなり高い金額の見積もりを持ってったんだけど、内容なんか見ないで、一発OKだった」

 なるほど、共存共栄を奉じる業者側の言い値に、別荘住民は唯々諾々と従うケースが多いから、施工費用は高止まりするのだ。また、地元スーパーとて例外ではない。品ぞろえも価格も、高級スーパーの成城石井かクイーンズ伊勢丹かと見紛うほどだ。

 平日にひと箱1500円だった桃が、品川ナンバーの高級車が溢れる週末には5000円にまで跳ね上がる様には驚く。店を出すおばちゃんに質すと、

「都会の人は高くないと買わないのよ。安いと売れないの。お兄ちゃんもお金持ちでしょ」

 否、こちらは別荘族ではなく、別荘地に住まう移住者。誤解なきように。

 それだけではない。

 私の別荘周辺では目下、ある問題が持ち上がっているのだ。

「3・11」をきっかけに、国策化した売電事業。「野立て」と言って、地面に太陽光発電パネルを置くのだが、この事業が大きな収入源となりつつある。よく知られる通り、八ヶ岳南麓は、日本でも指折りの日照環境の良さが特長だ。果たして売電ブームに乗じて、山林や遊休地に「パネル畑」が生まれるようになった。

「わざわざ移住して地方で暮らそうとする。そういった方はとりわけ、都会暮らしで犠牲にしてきた“南向きの陽当たりの良さ”や“眺望”を買おうとしますね」(地元業者)

 いわゆる「ワンツースリー」を切望して八ヶ岳南麓を購入したのに、見下ろせば一面に無機質なパネルが拡がっているという光景は、ブラックジョークに他ならない。その一方で地元自治体によると、

「パネルの認可数は、北杜市内だけでおよそ4000件あります。そのうち、これまで実際に設置されたのは約500です」

 つまり、これからパネル畑がまだまだ生まれる可能性があるというわけだ。そのうえ、所管官庁である経産省は、個人情報保護を盾に、設置予定場所を明らかにしていない。もっとも現時点で、私の庵の周りにパネルは見当たらないのだが。


■長く楽しめる桜

 続いて、移住者がはまりがちな落とし穴を指摘したい。それは、再び都会に戻らねばならぬ日が来るという事実だ。

 集落では、何をするにもクルマは欠かせない。それが歳を重ねて運転できなくなり、独り身ともなれば、生活が成立しないのは自明のこと。

「そうなったら、都会のマンションがいいんです。病院も買い物も歩いて済ますっていうのは、都会でしかできないんですから」

 と、かねてより移住相談に乗ってきたコーディネーターが次のように解説する。

「まだ若いときに田舎暮らしをして、介護が必要になったら都会に戻る。これが理想ではないでしょうか。地方では、クルマを自分で運転するか、運転できる身内がいなければ暮らせない。退職金で別荘を建てても、売りに出して再び都心へ戻っていく方は結構いますよ」

 そんな時に物を言うのが、田舎暮らしのために購入した家の資産価値だ。裏返せば、それが人生最後の生活の質を決める鍵である。

「この点でいうと、八ヶ岳の物件は、値崩れしにくいのが特徴です。築10年くらいの中古物件でも、状態次第では2000万〜3000万円台、多少悪くても売り出しで1500万円は下らない物件も多い。ノルウェーの木材を使うなど、建材そのものが良いのもあります。おまけに、中央線でも高速バスでも、わずか数千円で新宿まで出られる。その足の良さも魅力なんです。ある意味、通勤圏内とも言えますから。そして何より特筆すべきは、八ヶ岳南麓の地下岩盤がとにかく硬く、地震にも強いこと。先の大震災の際、築40年近い家でもびくともしなかった。だから、震災以降、この地域の人気は一段と高まっています」(同)

 確かに、私の別荘もこれまで何度か地震に見舞われているが、その際の体感震度は、発表された数値よりもぐっと小さいものだった。

 それでは、地元住民に八ヶ岳南麓という別荘地の美点を聞いて、総括としよう。

「この地域の最大の魅力は春です。桜なんです。標高が低いところから高いところまで、徐々に桜前線が上昇して、開花していきます。3月から、ともすると5月の終わりまで、2カ月以上も桜が楽しめるんです。冬が長いような印象がありますけどね。実は春を、桜を“なが〜く”楽しめるのが隠れた魅力なんですよ」

 他ならぬ私も昨年、「ワンツースリー」を背景にした桜を満喫した。移住2年目の今年は、白樺の横に植えたヤマザクラの開花が、何よりも待ち遠しい。

▲△▽▼


年金生活で田舎暮らしを企てる無謀;田舎暮らしは甘くない 2014/12/21
https://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/65114480.html


ちょっとしたことで、週刊新潮の11月27日霜降月増大号を見ることになった。

中吊りの見出しとしては非常に小さいのだが、特別読み物と称する記事の中の「住んでみなきゃわからない田舎暮らし入門」という記事は、田舎暮らし実行中の法師にとっては実にタイムリーな企画だった。

因みに「田舎暮らし 失敗」でYahooで検索してみると約79万件がヒットする。それだけ田舎暮らしの失敗例は多いということだ。

以下に書くことは誇張でもなんでもなく、ウソだと思うのなら図書館かどこかで週刊新潮のバックナンバーを読むのが良い。


ハッキリ言って、大きな結論は二つ:

1.都会の家を売って田舎暮らしをするのは愚の骨頂

2.田舎の集落に住むと人間関係で煩わしくて気が狂う。
棲むなら互いに干渉しないことになれている都会人が多い別荘地にすること


の二つだ。


一番の問題は田舎の人は素朴だということは真っ赤な嘘だということ。


田舎の痴呆自治体は税収を上げるために、都会からの移住者を勧誘する。ところがここには大きな落とし穴があって、わずかばかりの年金で暮らすヂヂイやババアが引っ越してきても税収は上がらない。これは自治体にとっても大きな誤算。


しかも働く若人はどんどん出て行き、年寄りばかりの限界集落になってくると、健康保険の運営が苦しくなる。


国民保険の運営は自治体単位なので、当然都会で払っていた保険料より割高になる。一般会計からの繰り入れは御法度なので、保険料は「都会で払っていた保険料の五倍になる」ことも珍しくない。


だから賢い人は、住民登録を移さないで都会においておく。そうしないと保険料を払うことで食っていけなくなるからだ。


田舎暮らしは想像を絶する固定費が発生する。


で、田舎の人は素朴で親切だということは全くの偽りであるということ。


この記事で面白いのは長野県へ移住した人たちの悲劇。


田舎の人は好奇心が強い。集落に自治体の勧めによる中古住宅などを買って棲み始めると近所の人の好奇の目に晒される。やれ、出身地はどこだ、大学はどこを出ている、現役時代はどんな仕事をしていて役職はなんであったかなどなど。


どう答えたところでやっかみの目に遭う。


しかも彼らは絶対に自分たちのことは言わない。これは長野県のあちこちを回ってきたおまわりさんの口から語られたことなので、真実だ。


そして、一挙手一投足が村の噂として流され、雪かきなどで嫌味を言われて村八分の状態になる。


そういうことを覚悟しなかったら、村の集落に終の棲家を求めるなどと言うタワケタことをしてはいけないのだ。

わたしもパソコン教室の先生をヴォランティアでやってみたが、「ヤッテランネェヨ」と言うことになった。

与えることばかり多くて得るものはごく少ない。それが村人に混じって暮らす田舎暮らしの真相。


実際に田舎暮らしをしている身から申し上げると、まず「クルマが運転できなくなったら、即、死を意味する」ことを知らなければならない。運転免許証返上などと言うのは都会の役立たずのオマワリの世迷いごとなのだ。


家からもっとも近い公共の建物は郵便局なのだが、4.5km先。その手間にスーパーが一軒あるのだが、品ぞろえはお粗末で、仕入れが少ない分だけ値段が高い。

何とかなるスーパーまでは8.5km。それも都会のイトーヨーカ堂に比べれば、屁のようなもの。


バス停までは歩いて20分くらいで日に2〜3本。最終は18時前なので、何の役にも立たない。だから中心街(と呼べるとして)の飲み屋などは、酔っ払い運転の取り締まりが厳しくなってからは閑古鳥。したがってシャッター化に拍車がかかる。


クルマで呑みに行って、帰りに運転代行を頼むと呑み代の2〜3倍ふんだくられる。だから家で呑む癖がないと、酒飲みは絶対に田舎暮らしができない。


そういう暮らしのファンダメンタルズに耐えることができなかったら、田舎暮らしは無理だ。


そして医療関係。


細かいことは申し上げないが、この界隈にはいざとなった時に頼りになる医療機関は?????


やはり都会につながりをキープしなかったら大変だ。


私もカミサンもいくつかの科目で東京の大学病院のお世話になっているが、こちらでかかる医院はその大学病院から紹介された医院。面倒なことになったら、電子カルテで経過が記録されている大学病院に紹介状を書いてもらえる。


税金や社会保険料のことを考えると、田舎で払うことはゼニをどぶに捨ているようなものだ。


だからいざとなったら、あるいはクルマの運転ができなくなったら帰るところを都会にキープしておいて、住民登録は移さないこと、これが大前提だ。


そして、集落の「つけ火して、煙り喜ぶ、田舎者」との交際を避け、別荘地に棲むべきだという週刊新潮のこの記事は、実際に田舎暮らしをしている身にとっては、まるでキリスト教徒が新約聖書を崇めるようにありがたい記事であった。


田舎暮らし、それは都会を捨ててするにはあまりにもリスクばかりが大きいことを理解した方が「いいずら?」と申し上げる次第である


コメント

田舎暮らしには多くの弊害があります。
私の隣に新築(土地を相続)した夫婦には「10年くらいは町内会には入らず、PTAだけのお付き合いをしなさい」と言っています。
祭り当番では、3〜4日も連続して休暇をとらねばなりません。年寄りと同居でもしてないと無理でしょう。
2014/12/21(日) 午前 8:20 [ killy ]


killyさん、おっしゃる通りです。田舎暮らしの弊害を報道しないことは罪悪です。祭当番は3〜4日とおっしゃいますが、祭りの規模によってはもっともっとすごいです。
中には死者や重傷者も出るような祭もあります。
2014/12/21(日) 午前 8:52 憲坊法師


良くわかりました。田舎暮らしは止めておくことにしました。
年齢が行ったら、買い物と病院に自分一人で行けることがキーになりますし。
2014/12/21(日) 午後 4:51 [ 桃実 (Momomi) ]


桃実 (Momomi)さん、もう一つこのあたりで聴くことは、奥方に田舎暮らしの経験がないと失敗することが多いとのことです。
蛇が出てビックリしているようでは絶対に田舎暮らしはできません。
2014/12/21(日) 午後 4:56 憲坊法師
https://blogs.yahoo.co.jp/higashidake/65114480.html


127. 中川隆[-5729] koaQ7Jey 2018年1月07日 10:05:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

田舎では選挙で誰に投票したかまで監視されている

移住して5年ほどになる集落居住者がいう。

「怖いのは選挙だ。立会人っているでしょ。あれが、集落の誰は投票に来た、誰は来てないっていうのをみんなチェックしてて、来なかった人間は後から吊し上げられるんだ」

 投票所での立会人も、狭い地域では、顔なじみの古老ばかり。誰が投票しなかったかは集落内で密やかに「共有され」、ときに忠誠が問われるのだという。仮に自治会に入れたとて、日常のあらゆる局面で、監視と縛りが待っている。移住組の70代主婦はこうこぼす。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180104-00535078-shincho-life

小沢一郎が当選する理由。岩手県の徹底言論弾圧


5.22小沢に怯える岩手県民[桜H22/5/24]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10845403


小沢一郎
選挙区は岩手県水沢市。

日本じゅうの大迷惑なコイツを選出してるってどんな人ら?!って思うよね


この地区は『徹底的な言論弾圧』が行われてるorz


○○町で、○人が小沢一郎に投票しなかった。

連帯責任でそれなりの制裁が来る


○○が小沢一郎に投票しなかった

旦那の勤務先の会社が倒産する
http://000hime.blog74.fc2.com/blog-entry-84.html


小沢一郎「国民の生活が第一」代表が民主党時代の2011年中に、資金管理団体「陸山会」へ100万円以上の個人献金をした人が、10年の10人から急増して109人に上ったことが、30日公開された政治資金収支報告書で分かった。総収入額は約3億4300万円で10年からほぼ横ばいだったが、個人献金の総額は3倍以上に膨らんだ。

 報告書によると、109人の職業は主婦・主夫33人、会社員22人、無職21人、パート・アルバイト8人、公務員・市嘱託職員6人など。うち101人が小沢氏の刑事裁判が始まった10月以降にのみ献金。100万円を一括寄付し、他に寄付のない人が80人に上った。政治資金規正法の個人献金上限の150万円は9人。


「娘を助けたいなら(小沢氏に)寄付するよう医師に言われた」

とした無職女性もいた。2012/11/30-17:18)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201211/2012113000771&g=pol


128. 中川隆[-5472] koaQ7Jey 2018年3月09日 13:35:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

>>30, >>76 に資料追加

【危険】パナリ(新城)島【タブー】
276名無しさん@天国に一番近い島2016/08/13(土) 05:15:11.36ID:Ic6FmCqs

英語文献で見ると結構詳しく書いてあるのね。

akamata-kuromata
https://books.google.co.jp/books?id=-Rhy_9p9BZQC&pg=PA389&lpg=PA389&dq=akamata-kuromata&source=bl&ots=7XKDkKnwAC&sig=yjZrpegyCXL-C52NJfRlGbFWo4Y&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=akamata-kuromata&f=false

まあ、要は男どもを年齢別に分けて、薬やって乱交するって事だろう。
流石に薬や乱交の事は文献には書いてないがwww

でも、秘密結社とやらの年齢別構成も書いてあるし、
英語ならばれないから研究者もガンガン英語で書いてんだなwww
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/tropical/1292412995/


129. 中川隆[-6739] koaQ7Jey 2018年3月30日 23:31:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9457]
奇習! 毎日違う男に抱かれては身篭り…!
自分の娘を村の“無戸籍・共有妻”として育てた西日本の悲しき伝統
http://tocana.jp/2018/03/post_16161_entry.html

(取材・文/戸叶和男)【日本奇習紀行シリーズ】 西日本


 現代の日本でも、実にさまざまな理由や経緯から、戸籍を持たぬ状態で生活し続けている人々が少なからず存在するが、かつて、そうした状況とはまったく異なる形で、特定の人物を“なかったこと”にする習慣が、西日本のとある地域に存在していたという。


「今の時代からしたら人権無視もいいところ。なにせ、存在していないことにされちゃうんですから」


 かつて、当地で大量に無戸籍者たちを生み出してきたという悪習について、そう眉を顰めつつ語るのは、現在もこの地で暮らし続けているという加納栄三さん(仮名・80)。加納さんの話によると、今でこそそうした悪習は姿を消したものの、昭和30年代半ば頃までは、特定の条件に当てはまる人々を、その誕生から“なかったこと”にしていたという。


「なんでしょうね、この地域ではね、女の赤ちゃんが生まれると、すべて“死産”という形にして、戸籍上は存在しないにもかかわらず、村の男たち全員の共有妻のような状態で囲う習慣があったんですよ」

男児が生まれた場合は、その家の跡継ぎないし、将来における貴重な労働力として育てられ、女児が生まれた場合は村の男たち全員にとっての“共有妻”になるというこの習慣。当人である女児はもちろん、その親にとっても身を切るような想いであったことは想像に難くないところだ。


「もともとこの一帯が深刻な嫁不足だった時期があるからなのかもしれないですが、それにしたって、今日はあそこの旦那、明日はこっちの旦那っていう具合に、毎日違う男に抱かれて身篭るわけですから、当人たちからすれば災難以外の何物でもないでしょう?しかも、そうやってまた女の子が生まれでもしたら、自分と同じ運命を辿ることになる。だから、あまりの苦境に気を病んで、身投げしてしまう人も多かったそうですよ」


 女性として生まれてしまったばかりに、自分が思うような生き方ができないことはもちろんのこと、村全体の“共有妻”とされた挙げ句に、その戸籍上の記載すら“なかったこと”にされてしまっていたという当地の女性たち。そんな彼女たちが耐え難い辛苦に身悶えしながらも生きたことを示すものは、当地を見下ろす小高い山の中腹に、ひっそりと打ち棄てられたままとなっている無記名の墓石群のみである。


130. 中川隆[-10926] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:56:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2011年02月01日
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html

大湯環状列石
 
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
 
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
 


 
●単一集団内の日常的なまつり


http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:祭祀に使われたと思われる道具の数々(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)

  
・人類は、縄文時代の前期あたりまでは30人程度の集団で生活し、それが世界のすべてでした。

・そこでのまつりは、歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
  
 
●豊かになり、死を対象化しはじめた土偶祭祀


http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:縄文時代を通じて祭祀に使われた土偶たち(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
 
・精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
 
  
●単位集団を超えて男・女が交わるまつりへ
 

図:大湯環状列石(秋田県) BBっといー東北についてより
 
・縄文の中期ごろになると温暖化とともに人口増加→集団規模を拡大させ→分化していきます。
 
・縄張り確保や生産の協働、出産可能な女性を維持するための移籍など、部族の維持存続のため、単位集団間の結束力(求心力)を高めることが必要でした。

 
・そこで用いたのが、集団間の婚姻制(交叉婚)です。
定期的に男たちが他集団を訪れて、女たちと交わり合います。
性という根底的な充足と婚姻規範によって集団の結束力を維持しようとしたのです。

 
・これは集団の存亡が懸かった重要な行為であり、厳格に運用する必要があります。その資格や相手を明らかにするしるしとして登場したのが抜歯だと思われます。そこには肉体的苦痛を伴う強力な共認形成を図る意味もあったでしょう。


図:抜歯の風習 街角散歩さんより
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html

 
・一方で、その解脱充足性をより高めるためにさまざまな儀式や行動様式、場のしつらえなどが工夫されていきました。
 
・その痕跡を今に伝えるのが環状集落や環状列石です。
 
・まずは集落の中心に広場や墓域がつくられます。さらに集団が拡大・分化すると、集落から離れた領域に集いのための領域=環状列石がつくられます。そこでは、精霊や祖霊に祈りをささげる儀式や踊り、クライマックスは男たち・女たちの交わりあいが行われたと考えられます。
 
・環状列石や送りの場と言われる場に付随して置かれるのが掘立柱建物です。これは居住に用いたものではありません。そこでの儀式に必要だったのです。そこで行われたのが、男女の和合だったのではないでしょうか。和合に没頭できる安全域を形成したのです。

 
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:三内丸山の掘立柱建物(復元) zhangshiさんのフォトライフさんより

 
・そのような非日常的なまつり場の代表的なものが下の3つの遺跡。
左から大湯遺跡(秋田)、大野遺跡(長野)、西田遺跡(岩手)
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html


縄文時代における墓の変遷と祭り・親族・地域より
 
・まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
 


あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。


ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
 
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
 
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
 
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
 
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
 
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。

東北の遺跡ストーンサークルさんより
  
・ストーンサークルには踊りを踊ったと思われる痕跡も見出せるのです。
 
 
●充足を基盤に大集団を統合した縄文人
  
・縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
 
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
  
・遠方からの遺跡(婚姻)の形跡などからもその結束力は日常行動圏を超えた相当広範囲に至っていたことがうかがえます。
   
   
●現代社会も充足を基盤にした社会統合が求められている
   
・翻って、現代。私権と個人主義が集団性を悉く解体され、バラバラで孤独な個人ばかりが存在している。現代社会は、ひとびとの充足力→結束力が衰弱し、新たな紐帯としてのまつり場が求められています。
  
・そのためには、家族や企業という単位集団を超えた“社会”の次元での充足の場が必要。そのような場がいまネットに形成されようとしています。
  
・ただ、それだけでは成立しません。基盤となる単位集団(の再生)→日常的(対面上・肉体的)な充足基盤も同時に必要です。
  
・その維持・発展という目的意識が「社会」への参加を促進するのではないでしょうか。つまり、身近な単位集団の再生と社会のまつり場の再生は相乗的に再生されていくのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html


131. 中川隆[-10925] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:57:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2007年04月10日 日本の婚姻通史
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html


出自規則の転換要因のマードック説
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000153.html

は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。

今日は婚姻通史を示します。
参照:高群逸枝著『日本婚姻史』


原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘       母系氏族
 ↓
大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘   
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤   
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘
 ↓
室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系
 ↓
明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系

日本の婚姻史は、群婚、婿取式(母系型)、嫁取式(父系型)、寄合式(個人型)の4段階に大別される。

群婚は、族内婚(いわゆる兄妹婚)と族外婚(交叉婚)の二期に分かれる。

婿取式婚姻は、対偶婚――1対1の結合であるが、この結合は弱く、離合不定である。群婚の延長または遺習ともみなすべき多夫多妻的現象の並存を見ることが多い――に比定され、群婚とともに原始婚の範疇に入る。

婿取婚は、古典での代表的婚姻語である「ツマドイ」(奈良ごろまでに支配的に見られる)と、「ムコトリ」(平安から鎌倉ごろまでに支配的に見られる)の二語によって表される妻問婚と婿取婚の二期に分かれる。


妻問婚=通いで夫婦別居のたてまえ。その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。

婿取婚=狭義の婿取婚で妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
狭義の婿取婚は、以下の4つに細分される。

前婿取婚:大化後平安初までの過渡期における母による婿取り

純婿取:摂関政治の盛行時代、婿取儀式が中央でも地方でも見られる段階で、妻方の父が婚主

経営所婿取:院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼の場所を設けて妻方の手で婿取婚が行われる。その後新夫婦は新居に移って単婚世帯をいとなむ

擬制婿取:鎌倉から南北朝ごろまで。夫方の親が別宅へ避居したあとを、妻方の、または妻自身の家として擬制して婿取をするたてまえの婚姻形態。この期間の各世帯は、前の経営所婚からひきつづいて単婚世帯が多い

嫁取式婚姻は、室町ごろに表面化して確立する。「ヨメトリ」という婚姻語がこの期にあらわれる。この期で妻は完全に夫方同居となる。だから前代の単婚世帯をすてて、夫方の家父長の族中に同居する俗となる。嫁取式は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手、妻方が呉れ手という取り引き観念のもとに、嫁は死装束を身につけ、一個の物件と化して略奪される形となる。

寄合婚は、明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化してくる、近代社会の男女同権的単婚制。

本来ならば大化前の氏族制末期に表面化されなければならない嫁取婚(家父長婚)が、日本では約10世紀もおくれて室町期に表面化した。その約10世紀間、太平洋諸島や東南アジア、台湾等に見られるような原始婚を保持し、しかもそれを徐々に終局へと規則正しく経過させた。(筆者注:妻問いから前婿取→…→擬制婿取へと、妻方居住から夫方居住へ大転換していく様は、連続していて実に見事です。)

この間、女性の地位は原始的な高さ(財産、祭祀、恋愛等の諸権利において)をもち、また女性を取り巻く社会環境も、原始的な諸関係を示していた。例えば、氏族制は崩壊していたが、原理は残っており、それが嫁取婚や家父長制の顕現をおさえており、だから夫婦は別産で別墓だった。同氏でさえあれば離別した夫婦でも同じ墓地に葬られ、同じ氏寺のある隠居地に余生を送り得たが、形影相伴う相愛の夫婦でも異氏のばあいは、隠居地を異にし、墓地を異にした。

最も不思議なのは、系は父系であるのに、婚姻や家族は母系型である点で、なにかの故障で成員の分家がちょっと妨げられると、たちどころに母系型の大家族が顕現した。これに反して父系型大家族は一例もない。父系系譜と母系型家族の複合は、「父系母所型」といわれ、母系型族制の上に父系系譜がたどられている。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html

日本婚姻史2 族内婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html


日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)

共食共婚

原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25u、5〜6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。

群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。

神前婚

原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)

族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。

例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。

それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。

万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。

トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。

大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。


女性発情の告知方式

月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。

踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)

女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。


族内婚図
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原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)


(一)原初型

     年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘


性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。


(二)その進んだ型

年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。

                 年齢階級
          <オヤ>           <コ>
性 セ  オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定


(三)内部の実母子族

イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
           └―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。

日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。
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日本婚姻史3 族外婚
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日本婚姻史2 族内婚 に続いて、もう一つの群婚である族外婚です。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)


群の定着と族外婚

縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。

(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)

族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。

ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。

「日本の交叉婚の特殊性」参照。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3

通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。


クナド方式

クナグという古語は性交を意味する。

(『トツグ、マク、クナグ』参照)
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「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。

クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。

クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。

・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。

・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。

交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。

CAO4KP4V.jpgカガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。

(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)

クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。

・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。

・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。

・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。

・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。
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『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの

「日本婚姻史」(中山太郎)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132490

という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)
第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。

著者の中山太郎氏は、


共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)時代が在ったか否か。換言すれば我国に女子共有の時代が在ったか否か。

という問題意識から古語を調べ、その存在を証明しています。ただし、この本が書かれた昭和初期にも、学者たちの抵抗があったらしく、


土俗を軽視した従来の学者は悉く否定説を採っている。就中、かかる事象の存在を国家の威厳でも傷けるものと誤解していた所謂国学者流の人々や、又は支那の儒教かぶれした学者達は、恰も臭いものに蓋をするが如き態度で、殆ど故意とも思われるまでに此の事象を或は否定し或は黙殺したのである。

と記しています。

さて、共同婚(⇒兄妹婚や総遇婚を指すようです)の存在の証拠の一部として、次のような内容が記されています。

★琉球石垣島の皿濱地方では、女にはプトモツ(夫を持つ)という結婚を表す言葉があるが、男には全く無く、露骨に「交合」という言葉を使っている。それと同じ用語例があり、それが「トツグ、マク、クナグ」の三語である。

★現在では、それぞれ「嫁ぐ、覔く、婚ぐ」という字を当てるが、古くはどれも「交合」の意味に用いられた。

その具体的事例を、少し長くなりますが引用しますね


トツグの語義は橘守部によれば『とつぐは陰接なり』と断定され。

宇都保物語(蔵開上)に

 そのむすめ、とつぎ時になり給しかば、みかどをさして、人かよはざでありしに、天皇、みこ、みや、とのばらのみ、よばひのつかひはあけたてはならめぐりてあれど、こともえつけでぞ侍りし云々。

これ等の例証から見るも、トツグの原義は交合であって、これが嫁娶の意に用いられるようになったのは、後世の第二義的の分化であることが知られるのである。

マクの語義に就いては『倭訓栞』に『日本紀に覔をよめり、古事記に求をよみ眞來と書けり、もとむる義なり云々。女を犯す事をまくといふも妻をまくより出たるなり云々。伊豫にてはまぐといふ、伊勢にてはまけなといふも同語なるべし』とあるが、これは谷川士清にも似合わぬことで、前に述べたマクの国語に覔または求の感じを当てたために誤られた解釈であって、古くは単なる交合の意であったことは、伊豫や伊勢の用語が示している如くで、現に琉球の宮古島や大隈の徳ノ島では交合の意にマクの語を使用している。

クナグの語義にあっては、諸冊二尊に合交(まぐわい)の事を教えた鶺鴒の和名を、古く『にはくなぶり』とも『とつぎをしへとり』とも言うた一事から見るも。この語が交合の意味を有していたことは明白である

然して以上列挙したトツグ、マク、クナグ等の言語を使用した古代人の思想は、交合することが直ちに婚姻であること、猶お琉球の皿濱地方におけると同じであった。反言すれば、婚姻とは即ち交合の意に外ならぬのであった。交合を『見る』とも『逢ふ』とも言い、婚姻を『よばふ』と言うようになったのは、この次の時代であって、多少とも婚姻に式礼を加えるようになってからの発明である。

霊の結合に重きを置かなかった古代にあっては、肉の結合が直ちに婚姻の総てであった。然もそれを最も露骨に最も勇敢に実行したのが私共の遠い祖先だちである。

一対婚が実は日本では数十年の歴史しかないことを、社会人になってから初めて知った のですが、そういう事実は、日本の古典からも読み取れるんですね。

古文の授業で、「逢う=結婚」と習って、 って感じだったのですが、もともと「交合」であったと考えればスッキリします。

著者は、古代は「霊の結合に重きを置かなかった」と書いていますが、そうではなくて、その時代は「霊の結合」と「肉の結合」は一体で、区別する必要なんて無かったんだと思います
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html

日本の交叉婚の特殊性  

>族外婚(交叉婚)の段階になると、実母氏族間(つまり兄妹間)の禁婚が厳密に守られたという事実がないと、後の母系氏族制の確立…、ひいては、それを基盤とした婿取婚が南北朝時代まで続いたことに整合性ある説明がつかないのではないでしょうか。 (小寺さん、21980)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21980

 まず禁婚については、世代間と兄弟姉妹に分けて考える必要があります。細田さんが

21655
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21655

で、中国貴州省の山地に住む少数民族、苗族(ミャオ族)の例から、

>最初の段階の制約は、世代の異なる人同士は結婚できないという年齢の制約である。次に現れた制約は兄弟姉妹や母方平行イトコ間では結婚できないことだ。三つ目の制約は、同一宗族内の者が通婚できないことで、このような制約も地域によって、どの制約がなされているかは異なるようだ。

とまとめられていますが、この点でも日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。

 子は母親の群で育てられるのは原始以来そうですから、ずっと母系氏族制であったと考えていいのではないでしょうか。集団分割も血縁を基準に分割するしかなく、必然的に母系氏族集団になったと思います。交叉婚の男女も各自生まれた群に属しています。

 妻問婚→婿取婚は、弥生人or大和人が持ち込んだ婚姻制で、当初支配層のみで行われていたものです。男が忍んで好みの女のもとを訪れる妻問婚も、男を母系集団に迎え入れる婿取婚も、母系氏族制を基礎にしていますが、同時に崩壊をも意味しています。群同士の婚姻制が崩れ、さらに生まれた群を離れるという形で変質していきます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3


採取時代の婚姻様式    

   
   観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。  

   
   しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。  

   
   東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、

部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した

(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。

なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。

何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。  


   
   ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。

採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。

それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。

しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。

役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。

従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。

(近世になって西欧人が侵略の目的でやって来た時でさえ、タヒチやカリブの女たちは、彼らを性的に歓待した。

これは、採集部族の人たちがいかに心を開いていたか=いかに警戒心が無かったか=いかに完全に自我を封印していたかの証明であり、また女たちが、集団の性役規範にいかに積極的に応えていたかの証明である。)  

 
   それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。

しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった

(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。

だが、ここに大きな落とし穴があった。首雄は、原モグラ(哺乳類)以来の自然な存在であり、かつ唯一人である。それに、皆が評価し共認した族長に対して不満などあろう筈がない。仮にもし不満があったとしたら、直ちに皆が認める新たな族長に替わるだけである。しかし、勇士は一人ではなく何人もいる。しかも、勇士の資格は人工的に作られた資格である。従って、男たちの相対性と各々の正当化から自我を発生させて終う余地が大きい。

何より問題なのは、首雄集中婚や総偶婚では集団規範によって性(婚姻)の相手は決まっており、従って娘たちは12歳前後で、思春期を迎えるや否や直ちに性関係に入ってゆく事ができる(=女の最大欠乏たる性的役割欠乏が充足される)のに対して、人工的な勇士婚では相手は決まっておらず、勇士が決まり婚姻が決まるまで、娘たちの性欠乏=存在理由欠乏は宙に浮いてしまうことである。  


 
   もともと首雄集中婚の下でも、外圧が低下して解脱収束を強めた男たちの性欠乏は宙に浮いていた。

しかし、モグラ以来、首雄以外の男の性は封鎖されてきたし、性の主役は女なので、女の性の相手を定めた婚姻規範が有る限り、問題は起きなかった。

ところが、勇士婚規範によって、その女の性が宙に浮いてしまった。
こうなると、規範破りの性関係が発生してくるのは避けられない。

とは言え、狩猟生産の段階ではまだまだ闘争圧力⇒集団統合力が強く、規範破りの不倫は殆ど発生しなかっただろうし、万一発生したとしても、部族を捨てて逃げるほど反集団的には成れず、従って(恐らく男が)処刑されて一件は落着しただろう。

しかし、牧畜生産に移行すると一気に闘争圧力が緩み、集団統合力も低下する(牧畜は、一般には採集部族と同様に女の仕事であり、従って牧畜部族に働く外圧は、採集部族に働く外圧レベルにまで低下したと考えられる)。

そこでは勇士の資格が更に下に拡張され、規範破りの不倫も、時折は発生したに違いない。しかし、やはり氏族(親や兄弟や仲間)を捨てて逃げるほど、反集団的な意識には成り得なかった

(集団を捨てて逃げる為には強固な反集団の自我収束が必要だが、そこまで強く自我収束し得る場が、狩猟部族や牧畜部族には見当たらない)。

だが、彼らが遊牧へと移行していった時、彼らは遂に開けてはならないパンドラの箱を開け、集団を破壊する性闘争を顕現させてしまうのである。  
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8 

日本婚姻史シリーズ1〜その3:縄文時代の婚姻制を探る
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html


先ずは、新石器時代(=採集・漁労生産時代)、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。


『実現論(採取時代の婚姻様式)』
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した

(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。

なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
『実現論勉強会(採取時代の婚姻様式・図解)』


交叉総遇婚とは、同じ集団内(母方の親族)の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。

集団が閉鎖性を帯びないように、A集団の男たちはB集団の女たちと、B集団の男たちはC集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。

では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか? このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。


るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』

 田中良之氏の研究によると、縄文〜5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。

 こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の2つの仮説が考えられます。


・1つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団(氏族)内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。

・2つ目は、婚姻関係は単位集団(氏族)を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。   

以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html


日本婚姻史1〜その4:日本の交叉婚の特殊性
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html

前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。


【総偶婚】

集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。

約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。


前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。

今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。


★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは?

■クナドとは?

クナグという古語は性交を意味します。

(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html


「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまりクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。


■クナド婚とは?

クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。

クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。


詳しくは、

『日本婚姻史3 族外婚』
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html

を参照


祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。


★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度

交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。


http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html

上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。


★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか?

ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。

日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。


★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度

日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。

日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。

それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
(るいネット「日本の交叉婚の特殊性」より引用)

日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。

集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
******************************

以上が、縄文時代の婚姻制度でした。

しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚(一対一の関係)】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html


132. 中川隆[-12670] koaQ7Jey 2018年5月28日 13:42:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14542]
奇習! 幼い少年少女による「SEX奉公」の実態! 旦那や女将の性奴隷に… 闇に葬られた「商家の秘密」とは!?=近畿地方 2018.05.26
http://tocana.jp/2018/05/post_16721_entry.html

【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方


 西村昭五郎が監督し、1982年に公開されたロマンポルノ『美姉妹・犯す』では、風祭ゆき演じる書店経営者の長女と、山口千枝演じる次女が、父親が経営する書店で勤労学生として働きながら下宿している清(演・内藤剛志)によって犯され、最後には姉妹同時にハメ倒されるまでになるという、なんとも複雑な人間模様が描かれているが、こうした「使用人との肉体関係」は、なにもロマンポルノや後世のAVの中だけの話ではないようだ。


「昔はちょっとした商売人の家じゃ、下男や下女を使用人として抱えていたものなのですがね、こと、このあたりじゃ、ちいとばかし事情が違っていまして。こうした使用人というのは、だいたいが、雇い主一家の性奴隷のような位置づけだったのですよ」


 自身が生まれ育った近畿地方のとある地域に、かつて存在していたという、“商家の秘密”についてそう証言するのは、自身も米問屋を営む大店の次男坊として生まれ、そうした“秘密”を幼い頃より「当たり前のもの」として考えていたという、白鳥耕三さん(仮名・89)。白鳥さんの話によると、当地における商家の使用人たちは、その大半が、表の商いで必要とされた人材ではなく、あくまで、経営者一族の性のはけ口としてのみ、その役割を果たしていた人々だったのだという。


「だいたい、昔で言ったら、中学を卒業したと同時に、うちみたいな商家に奉公に上がるんですけれどもね、入って早々に行われるのは、“性の手ほどき”なんですよ。といっても、だいたいがそのくらいの年頃の子たちですからね、最初は“イロのイロハのイの字”も知りやしない。だからね、いざ、そういうことになると、だいたい1/3ぐらいがそのまま里へと逃げ帰ってしまうし、1/3がしばらく呆けたようになってしまうっていう。けれども、残りの1/3ぐらいは、そのまま頑張って奉公を続けるんです。そういう子らをね、当時の大人たちは“筋がいい”だなんてうそぶいていたものですよ」

 そもそも、働き口を求めて奉公に上がった思春期の少年少女たちに、いきなり虐待でしかない性的行為を強要するという時点で、当世の我々にとっては俄かに信じ難い話だ。しかも、そうした被害に見舞われた奉公人たちのうち、度重なる辛苦を耐え忍ぶ形で、身を置き続けようとする者たちを、涼しげに“筋がいい”などと言ってのけるというのだから、鬼畜の極みとはまさにこのことだろう。白鳥さんは続ける。


「それでね、残った人間はどうなるか? っていうと、男は女将さんに、女は旦那さんに、弄ばれ続けるんですよ、それからも。要は旦那さんや女将さんが“飽きた”というまで、それが続くんです。しかも、場合によっちゃ、何人かの奉公人がまとめて相手をさせられることだってある。……ね? 今の人からしたら、信じられない話でしょう?」


 それぞれが個別に性の相手をさせられるどころか、時には複数プレイにまで参加させられていたという、当地の奉公人たち。これは現代社会問題となっている、いわゆる「ブラック企業」のそれを遥かに超えるといっても過言ではない、極めて劣悪な労働環境と言えるだろう。


「まあ、さすがにもうそういう時代ではないですから、今では大昔の昔話でしかないのかもしれないですけれどもね、当時を知る私なんかからすれば、今の若い人たちにも、“こういうことがあったんだ”、“こういう時代を経て今があるんだ”っていうことを知ってもらいたいですね」


 なお、白鳥さんの話によると、こうした極めて理不尽な経験をしつつも、無事に「年季明け」まで勤め上げた奉公人は、それぞれの“功績”を評価する形で、晩年、新たに店を一軒与えられるなど、“それなりのケア”はなされていた模様だが、果たしてそれが、彼らがその半生を通じて味わい続けた辛苦に見合った対価なのかと言えば、なんとも微妙なところである。
(取材・文/戸叶和男)


133. 中川隆[-13926] koaQ7Jey 2018年7月24日 10:28:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17293]

奇習! 不妊を理由に離縁され、売春宿へと沈められた人妻たち ― 東北地方に実在した忌まわしき差別の実態とは!?
http://tocana.jp/2018/07/post_17469_entry.html

医学の研究が進んだ今の時代でこそ、いわゆる“不妊”の原因については、男女ともに様々な要因があることがわかってきているが、一般にこうした知識が今ほどには定着していなかった頃には、一方的にその原因が女性側にあると決め付けたり、そうした事態を改善するための努力を、やはり女性側にだけ求めるという愚行も、長きに渡って続けられていたというのが実情である。


「なにせ昔は子供ができないと、それだけで人間でないような酷い扱いを受けたものでね。特に、ここいらみたいな農家ばっかの土地じゃ、子供は大事な跡継ぎであると同時に、貴重な労働源だったものだから、その傾向はかなり強かったんだよ」


 かつて、東北地方のとある地域にはびこっていたという“不妊女性への差別”と、そこから生まれたと思しき“忌まわしき風習”についてそう語るのは、当地で生まれ育ち、今なおその余生を送っている斉藤清七さん(仮名・88)。斉藤さんの話によると、“不当な差別”とも言うべき不妊女性に対する見識が原因となる形で、当地においては多くの悲劇が生まれることとなってしまったという。


「まあ、結婚しても子供ができない嫁というのは、子供のいる嫁に比べて、散々な待遇でね。飯だって1日1食、口にできるかどうかっていう話なんだよ。おかしな話だろう? でも昔はそれが当たり前だったんだよ。そういうね、栄養もろくすっぽ与えられないようなね、生活を送るものだから、なおさら子供もできづらくなっちゃう。そうなると、だ。いよいよ“こりゃ駄目だ”っていう話になって、よそへ連れてかれるんだよ」


 自身は望んでいるにもかかわらず、子宝に恵まれない人妻たち。彼女たちの大半は、食事もろくに与えられず、半ば軟禁状態にも近い生活を余儀なくされたのだという。しかも、そうしたある種の懲罰的な待遇の末に、彼女たちを待ち受けているのは、さらに悲惨な人生なのだ。

「子供ができないっていうことはだ、イタしてもできないということだからね。これは人妻として見ればよろしくないだろうけれども、女郎として見れば逆に好都合なの。だからね、子供ができない嫁というのはね、離縁されると、そのまま村のハズレにあった女郎小屋へと連れてかれるの。そこで村の男やら、通りすがりの旅の男やらに体を売ってね、かろうじて生きながらえるっていう。それで体を売って得たお金はね、全部、元夫のいる嫁ぎ先に支払われる。だから当の本人はね、それこそ食うや食わずで、死ぬまで体を売り続けるっていう寸法よ」


 理不尽なレッテル貼りをされた挙げ句、一方的に離縁され、挙げ句には売春宿へとその身を沈められてしまうという、不妊女性たち。しかも離縁されて売春宿へと移った後は、たとえ病気になったとしても、まともに薬すら与えられないような、極めて劣悪な暮らしぶりだったという。


「まあ、そんなことだからね、たとえ死んでも葬式ひとつあげてもらえやしないし、死体だって河原で燃やして、馬頭観音のそばにある穴に骨を投げ入れるだけ。ホント、酷い話だよ」


 その後、時代の変遷とともに、無論、当地のこうした悪習は姿を消し、それに伴う形で、不当な理由で苦界に身を落とす人妻たちもいなくなり、現在ではこの話を知る者すらほとんどいなくなってしまったという。そのため、皮肉にも、彼女たちの遺骨がうち棄てられた穴の上には、今ではすべてを“なかったこと”にする形で、地域の防災倉庫が建っているというが、当時の状況を知る斉藤さんたちは、今なお、その倉庫の前を通るたびに、手を合わせているという。やはりいつの時代も、いわれなき差別や偏見は、多くの人々の人生を狂わせ、その傍観者たりえる人々の心にも、暗い影を落とし続けるものなのかもしれない。
(取材・文/戸叶和男)


134. 中川隆[-13925] koaQ7Jey 2018年7月24日 10:40:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17293]

奇習! 不妊に悩む“石女”に行われた惨すぎる仕打ち ― 裸で引きずり出され、こけしを陰部に挿入し…=東北地方
http://tocana.jp/2018/06/post_17134_entry.html

最近では具体的な治療法をはじめとする、さまざまな方法論が確立してはいるものの、そうしたものが「ない」時代においては、いわゆる“不妊”状態にある夫婦は、なぜか女性だけが「石女」と呼ばれて蔑まれ、いわれもない謗りを受けることも少なくなかったし、そうした人々の“無知ゆえの感覚”が、時として、非人道的な蛮行を引き起こすことも、少なからず存在していたようだ。


「今にして思うと……いや、当時もね、私はあんな所業が平気でできる人間がね、いるとは、本当に信じ難かったんですよ。けれどもね、そういう流れに抗うことは、これはもう即座に、村で生きていけないことにつながるもんだから、情けないことに、私も従わざるを得なかったんです」


 自身がかつて目の当たりにしたという、東北地方のとある地域に存在した“石女への仕打ち”についてそう語りはじめたのは、当地でその人生の大半を過ごしたという、元農業・石坂清次郎さん(仮名・87)。石坂さんの話によると、当地において、結婚後もしばらく子宝に恵まれない世帯の嫁は、にわかには信じ難い惨い仕打ちに見舞われていたのだという。


「なにせ昔は、それこそ“産めよ殖やせよ”の時代です。そうなると、夫婦になってからもなかなか子どもができない家というのは、それだけで十分に“白い目”で見られてしまう。けども、今の時代ほど医学が進んでいなかったですから、そういう状態の原因は、すべて女の人にあるとされてしまっていたんです。だから、ああいう仕打ちが行われていたのだろうと……」


 石坂さんの話によると、当時、子どもができずに“石女”とレッテルを貼られた女性たちは、あろうことか、村人全員が見ている前で「裁き」が下され、その結果、なぜかその「罪」を一方的になすりつけられた挙げ句に離縁され、村人たちによって秘密裏に“処刑”されていたのだという。これは言うまでもなく、現代の我々からすれば、理不尽極まりない蛮行だ。


「神主さんがですね、身体検査をした後で、(「裁き」が下った女性は)まっ裸でみんなの見ている前に引きずり出されるんです。それで、子どもができなかったことへの“侘び”を言わされて、その場で縛り首にされる……本当に酷い話です」

しかも、石坂さんの話では、その“縛り首”にされる際にも、なぜか女性たちは、赤ん坊のような形をしたコケシのような木像を、陰部に挿入され、その状態のまま、絞首刑に処されていたのだという。この行為は、「生まれ変わった後には子宝に恵まれるように祈る意味」(石坂さん)があったというが、正直、ここまでくると、ちょっとした猟奇殺人犯の犯行と大差ない。


「あのね、村の人間がみんなで縄を引くんですよ、首に巻いた縄をね。するとね、“くーっ!”とも“きーっ!”ともつかない呻き声を、(女性が)あげるんです。最初少しだけ白目になりかけて、それで本当に苦しそうに顔をしわくちゃにして、それで(顔が)真っ赤になって、手足をバタバタとさせて……しばらくそのまま縄を引き続けていますとね、ある瞬間、急に縄が重くなる感覚があって。見ると(女性の)体がぐたーってなってて。すると、股の間から尿がサーっと漏れ出てきて。木の人形も転がってて……私はね、あの光景がですね、未だに瞼の裏に焼きついていて、未だに夢で見るほどなんですよ」


 ちなみに、村人が一斉にその“絞首刑”の縄を引くのは、現代における死刑囚の“執行ボタン”が持つギミックと同様に、執行人ひとりひとりの罪悪感めいた感情を弱めるための“工夫”であると推測されるが、いずれにしかり、こうした私刑的な行為を、ごくごく当たり前のこととして、日常的に行っていたことを思えば、彼らの倫理観は、現代の我々からすれば、明らかにその理解の範疇を超えたものであると言えるだろう。


「……そうですよね、たしかにあの頃、私を含め、みんながみんなそういう行為を止めなかったというのは、断罪されるべきことなのだと思います。けれども、今の時代も、あの頃ではないにしろ、少子高齢化とやらで、“産めよ殖やせよ”の時代になってきているでしょう? ……私はね、再びああいう忌まわしいことが行われるようになるんじゃないかって思うんです」


 無論、さすがに現代社会において、石坂さんが目撃し続けてきたような、あまりに非人道的で、理不尽極まりない行為は、そう容易く行われるものではないだろう。しかし、その一方で、我々日本人の中にも、当時の彼らとさしたる違いのない、ある種の同調圧力が脈々と存在し続けているということも事実である。そうした意味で言えば、石坂さんが抱いている危惧が、あくまで杞憂として終わり、現実のものとならぬよう、我々は願うばかりだ。
(取材・文/戸叶和男)


135. 中川隆[-13924] koaQ7Jey 2018年7月24日 10:53:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17293]

奇習! 夫が死ねばその肉親と…! 死ぬまで離脱が許されない“嫁の掟”とは?=東北地方
http://tocana.jp/2018/03/post_16162_entry.html


今でこそ自由恋愛・結婚が当たり前のものとなってはいるものの、それこそ、一昔前までは、この日本でも「結婚」という行為は、実に様々な制約がつきまとう、“実に不自由なしきたり”としての側面も存在していた。特に女性たちにとっては、その傾向が強く、彼女たちにとって「結婚」は、“一か八か”というレベルを遥かに声た、非常にリスキーな行為であったのだという。


「なにせ、このあたりじゃ、当たり前のようにそういう形で人生を送る人が多かったもんですからね。それをおかしいと言う人なんて、誰一人としていませんでしたよ」


 自身が生まれ育った地域における「結婚」に関する“あるしきたり”についてそう証言するのは、東北地方のとある山間の集落で生まれ育ち、今なお暮らす藤澤五郎さん(仮名・86)。藤澤さんの話によると、かつてこの地域では、花嫁となる女性に対して、にわかに信じがたい約束事を押しつけていたのだという。


「簡単に言ってしまうと、夫が病気や何かで先立たれた場合は、まずその兄弟と再婚しなくちゃならないというんです。でも、彼らに既に妻がいた場合は、亡夫の従兄弟や叔父などを相手にしましてね、再婚しなくてはならないという。それでも駄目なら、相手が見つかるまで何代先にも遡って、分家の子孫やら何やらまで範囲を広げましてね、そう、とにかくその親族の男と再婚させるっていう約束なんですよ」


そもそも、本来であれば幸せな門出であるはずの「結婚」という儀式を前にして、夫に先立たれる不幸を想定した話をされるだけでも、当の女性たちからすれば気分の良い話ではないだろうが、挙げ句、そうした事態が万が一にも起きてしまった際に、本人の意思を丸無視した状態での再婚を強要されるとくれば、当然のごとく「結婚」自体に腰が引けてしまうところだ。


「まあ、本来でればそこまで先の人生を勝手に決めるような約束事なんて誰もしやしないと思うんです。けれども、そこが若気の至りとでも申しましょうかね。うちの近所に住んでいた分家筋の長男に嫁いだ娘なんて、嫁いで早々に旦那に先立たれてしまったものですから、すぐにその弟と再婚させられまして。しかもその弟も何年かした後に病死しましてね、結局は連れ合いに先立たれた夫の父親と何十歳も離れているのに添い遂げることになってしまいましたよ」


 なお、この地方の文化・風習に詳しいとある郷土史家によると、もともとこの風習は、かつて、一時的に女児の少なかった時期に、自然発生的に生まれたものであるそうで、その“ただでさえ少ない女性”が、「夫との死別を機に他所へと移り住んでしまったり、移住しなくても、未亡人の取り合いが発生することを防ぐ目的で誕生したのではないか」と、考えられるのだという。たしかにそう考えれば、ある意味、合点の行くところではあるものの、いずれにしかり、当の女性たちからすれば、たまったものではない話と言えそうだ。
(取材・文/戸叶和男)


136. 中川隆[-13759] koaQ7Jey 2018年8月16日 17:01:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17887] 報告

恐怖!田舎暮らしは「地獄の沙汰もカネ次第」
8/16(木) 8:00配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180816-00232656-toyo-soci


お金にあくせくしたりしない、あこがれのカントリーライフを送るつもりで移住をしたけれど…(写真:Hakase_/iStock)


田舎暮らしを希望している都会の人の大きな誤解が、田舎は都会よりもお金がかからない、生活費が安くあがる、という思い込み。実は、田舎暮らしは、物価も、保険料も、税金も都会より高い。しかも、場所によっては、交際費が収入の3分の2もかかることもある。

前回「恐怖の実話! 悪夢と化した『夢の田舎暮らし』」で田舎暮らしの人間関係を語ってくれた、移住歴20年のベテラン・イジュラーに、今回は、田舎暮らしのお金の現実を語ってもらった。


 風のなかに 土のにおいが もう一度 日本を見つける 私を見つける――。

 女優の松たか子の詩的なナレーションで始まる人気番組「新日本風土記」。その叙情的な言葉に誘われるかのように、番組の熱心なファンでもあった夫婦が長野県東部の、とある集落に移住したのは32歳のときだった。

 人口わずか1000人弱の小さな谷あいの集落に移り住んだ直後、道ですれ違った老婆は開口一番、夫婦のあいさつを手で遮ったかと思うと、宣告せんばかりにこう告げた。
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 「ここは言葉は荒れぇけど、その場限りだから気にすんな」

 思えば、それが地獄の釜が開いた瞬間だったのかもしれない。その地で体験したのは、「言葉が荒れぇ」などでは済まされない地獄絵図さながらの体験だった。「新日本風土記」が映す地方の、僻地の、田舎のくったくのない笑顔。そんなものはどこにもなかった……。


■「修学旅行の金は俺たちの税金だ」

 現在、40歳を越えた高藤泰之(仮名)さん夫婦は、高校生になった長女とともに、長野県佐久市内で暮す。佐久は長野新幹線で東京に出るにも便利で、地元電気会社の営業マンとして働く高藤さんにとっては首都圏へのアクセスも悪くなかった。
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 就農を目指し、32歳のときに関西から移住したのは、佐久からもさらに車で小一時間ほど走る山間部の集落だった。小学生に上がったばかりの長女とともに移り住んだ高藤さんは就農支援を受けながら、それなりに地域にも溶け込み、子どももすっかり小学校になじみ……と、傍目には移住成功組と映っていた。

 自治体が発行する移住体験記のパンフレットに、家族全員で紹介されたこともあった。

 「子どもにとっては、まさにふるさとができたといった感覚で、僕らにとっても第二の故郷と呼んでもいいかなと思ってうれしかったんですが……」


移住して6年目、長女が小学校を卒業するときだった。周囲に突然、不穏な空気が漂い始めた。

 「誰の金で生活できたと思ってやがるんだ」「俺たちの金で海外に行きやがって」

 集落には、ジェットヒーターまで完備された全天候型のゲートボール場がいくつもある。うわさ話は年間を通じ、ゲートボール場で火が付き、そして拡散し、尾ひれがついてまたゲートボール場に戻ってくる。あるいは、辺りにたった1つの診療所のロビーで。
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 「うわさ話だけは、インターネットよりも速いと言われる土地だと言われていたので……」

 高藤さん家族の耳に、自身らに向けられた罵声が届くのはあっという間だった。

 やり玉に挙がったのは、長女の修学旅行である海外研修旅行の件だった。かの地では、姉妹都市を結ぶ海外に、小学生の卒業旅行で行くのが恒例行事だった。小学校入学と同時にかの地に越してきた長女にとっては、まさにその小学校と集落が故郷同然。海外とはいえ、修学旅行に参加するのは当然だと思っていた。
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 しかし、過疎化の進んだその移住先には、すでに中学校がなくなっていた。集落から中学校に通う者は、早朝5時、6時には自宅を出て、本数の極めて限られたバスに乗るか、あるいは毎朝、家族が10キロ以上離れた場所まで送らなければならない。

 「冬場は氷点下10度くらいいくこともざらな寒い場所ですから。さすがに中学生の通学でそれだけの負担を強いるのはかわいそうだなと思って。それで、中学校がある佐久市内に越すことに決めたんです」
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 それが、集落住民らの怒りを買ったのだ。だが、怒りの矛先は高藤さん家族が引っ越すこと、そのものではないようだった。

 「娘の海外への修学旅行の金は、もともとは俺たちの税金だろうって。それを返せって。出て行くくせに海外への修学旅行に行きやがってって、それが気にくわなかったらしいんです」

 さすがは教育県と呼ばれる長野県である。修学旅行とはいえ、海外研修を計画し、その姉妹都市からは小学校にして時折、英語教師さえ派遣されていた。都会ほど生徒数が多くないこともあったのだろう。海外への修学旅行費用も、教育委員会の予算として支出され、児童全員が参加するれっきとした学校行事であった。


「だけど、もとをたどれば俺たちの税金だと。集落を出ていく癖に、海外への修学旅行に参加しやがって図々しいと、そういうことのようでした」

■田舎の返礼は「倍返し」が基本

 移住成功家族として自治体のパンフレットにまで紹介されながら、高藤さん夫婦は半ば白眼視され、最後はまるで追い出されるような気分で集落を出ることになった。

 「娘にとっては幼なじみの友達もできた土地で、物心がついてからのまさにふるさとだったので、残念でした」
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 高藤さんは、引っ越し後もようやく軌道に乗り始めた農業を続けようと思っていたが、手のひらを返したように一変した空気から、農業から離職し、佐久市内で電気会社に再就職することになった。

 「集落では1人が言い出すと、全員が自分の意思に関係なくそっちに流されますから、昨日までの友も今日の敵で、もうダメなんですね。理屈じゃないんです。たとえ理不尽な言いがかりであっても、言われたら最後、うわさを立てられたら最後、なんです」
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 それに、と高藤さんは言う。

 「僕らは都会にはない豊かさを求めて地方に移住する。でも、移住先が求めているのは決して人口が増えることではない。結局は金、なんですね」

 土地柄もあっただろうが、とにかく金絡みの損得勘定の始末にはうるさかった。仕事から帰ってくれば、玄関前には収穫物のおすそ分けが置かれていたりする。

 「白菜ひとつとっても、野菜に名前が書いてあるわけじゃないから、その日のうちに誰が置いていってくれたのかを大捜索して、その後は菓子折を買ってお礼参りですよ。そんなときも、明らかにもらったものよりも上乗せしたものを持っていかないといけないわけです。下手に野菜だとかおすそ分けなんかもらうと、そのお返しばかりでもう大変な出費でした」
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 田舎の返礼はもらったものの「倍返し」が基本になる。さらに、である。子どもの七五三に入学式なども、始末が悪い。

 「自分の子どものお下がりだなんだと、いろいろと寄こしてくるのですが、着物なんかだと、クリーニング代だけで2万円近くいきます。アマゾンで買ったほうがよっぽど安上がりなんですよ。でも、拒んだら、一瞬にして悪いうわさが立ちますから……。もうね、最後のほうは半ば強迫観念ですよね。とにかく何かあげなきゃ、貢がなきゃ何を言われるかわからない。無視されるかもしれない。どんな局面で意趣返しされるかわからないっていう……」


時期によっては、毎月の収入の3分の2が、こうした“交際費”で霧消したという。

■お金がなくても幸せな人は、実家が農家

 高藤さんは続ける。

 「とにかく、生活費は高くつきますよ。集落の人間関係をうまくやろうとすればするほど、最後は金の話にゆきつくんです」

 どういうことか─―。

 「人口が少なくて、世帯数も少ない集落では皆が助け合って和気あいあいとやっているのではないかという印象を外からは持ちがちですが、とんでもないんです。そういうところもあるかもしれませんが、私がいた集落は常々、村長派と反村長派で村が二分していて、道路を挟んで、やれこっちに住んでいる者は村長の親戚が経営するガソリンスタンドから灯油を買わなければだめだとか、あそこの業者は反対派だから使うなとか」
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 しかし、灯油もガソリンも値段の表示さえない場所である。極めて高くつく。

 「30キロ近く離れたホームセンターに灯油缶を持っていって買ってきたほうが安いくらいですから。でも、それを見られると突き上げられるので、夜中に寝静まった頃にこっそり、自宅のなかで電気を消したまま、ホースを延ばして、外の灯油タンクに移すんです。真冬なんてマイナス10度以下ですよ。凍えるうえに、バカバカしくなりますよ」

■隣人監視の目は、購入先すべてに及ぶ
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 隣人監視の目が厳しいのは、生活物資の調達や購買先すべてに及ぶ。

 「遠くのイオンモールのショッピングバッグを家に運び込んでいるのが目につこうものならば、わざわざ自宅の戸をたたいてまで、生活用品は農協の店で買え、ですからね。もちろん、事情はわかりますが、イオンで90円のものが、過疎地の農協直営店では150円ですから。都会での会社勤めのときよりも収入が減っているのに、生活コストだけが倍になったら、やっていけませんよ」
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 だが、集落は意外にも、若い住人が少なくない。皆、都会での教育を終えると、実家に戻ってきているのだ。何かと生活コストがかかり、人間関係も難しい土地であっても、昨今、地方には、都会人が想像するほど若年層は枯渇していない。むしろ、地元出身の若い夫婦のUターンが盛んな感さえある。そこには“事情”がある。

 「行政や雇用促進の団体は盛んに、施策効果をうたってますが、実感としてはちょっと違いますね。地元出身者らが戻ってくるのは、決してそこが住みやすいから、懐かしいから、ではなくて、経済的な事情が大きいのではないでしょうか」


どういうことか─―。

 「親が子どもを呼び寄せ、いつかせるためであれば、惜しまずにどれだけでも金を出すからです」

 集落に戻ってきた子どもたちは、実家の敷地内に新築のマイホームを建ててもらえるのだ。もちろん、土地の購入費もタダ、自宅の建設費もタダだ。

 「車だって地方では家族の頭数だけ必要ですから、親が出している例はいくらでもありますよ。つまり、都会では働いても働いても生活に余裕が出ないワーキングプアとかいわれてる現代では、子どもたちも親元に戻ってきたほうが生活が楽なんですよ」
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 高藤さんの妻は、こうも教える。

 「Uターン組の奥さんたちは陰ではブツブツ言いますが、決して嫁ぎ先から出ていきません。家や車や子どもの生活費だけじゃありません。農家だから、食料ももらっているんです。多少嫌なことがあっても、経済的なメリットのほうが勝っているから出ていかないだけのことなんです」

 高気密・高断熱で最新設備のブランドホームを建ててもらい、車も買ってもらい、育児費用の面倒もみてくれる─―。そんな地元出身者、Uターン夫婦の生活ぶりをみて、移住者が自分の生活像を重ねてはいけないのだ。
.

■聞いてしまった、地方移住歓迎の本音

 さらに、である。追い打ちをかけるのは税金の高さや健康保険料、介護保険料だ。人口の少ない過疎地ほど税収が乏しく、いきおい一人頭の税金は高くなる。健康保険料に介護保険料も当然、人口が少ないので納税余力のある者への負担は割高だ。結果、多少でも収入があり納税余力の水準が高い者には、都会とは比べものにならない負担がのしかかってくる。

 高藤さんはこうも言う。

 「移住者を受入れるのには、金を落とさせたいというその一心でやむなく、というのが本音ですから」
.

 当の集落出身の議員にそこを訊ねると、あっさりとこう認めるのだった。

 「最初、移住者を迎えるかどうするかって問題になったときも、すったもんだあったずら。でも、移住者を受け入れねえと、医療費の財政がもたねえってことになって、それならばって反対していた奴らもしぶしぶ了承したんだ」

 自治体がこぞって旗を振る「移住者歓迎」は、決して人口増による地域活性化だけが目的ではないことに注意が必要だ。ようは財源欲しさ、税収欲しさの、詰まるところ金欲しさ、が本音なのだ。


「田舎暮らしはお金がかからないなんて幻想もいいところですよ。それに、こっちは必死の思いでお金を捻出して敬ってるつもりでも、向こうは移住者なんだから当たり前っていう感覚で感謝されることはまずないですから」

 さすがに思い余った高藤さんは、周辺に1つだけの県警の「駐在所」に駆け込んだ。長野県内の駐在所を転々としてきてまもなく定年を迎えようかというベテランの駐在はこう教えるのだった。

 「あんたも出て行くか。あんたなんかは長いほうだったよ。もうね、入れ替わり立ち替わり、だからね。定住なんかとはほど遠いよ」
.

 駐在はつねに、狭い集落の人間の出入りと、転入、転出を目配りしている。移住者が転入してくる場所は限られている。そうした番地の住民の流れをみていると、早ければ数カ月、長くても1年未満で外に出て行ってしまうという。

 「あまりに入れ替わり立ち替わりで、こっちがあいさつに行こうと思ってるともう出てっちゃってるんだから」と駐在は笑う。

 役場は、田舎暮らしは都会よりも金がかかることなど、まず教えてくれない。

 「金を落としてもらうべき、飛んで火に入る夏の虫に、わざわざ不都合な話を教えてはくれませんからね」
.

 そう言って高藤さんは笑う。山間部の集落を出て佐久で暮らすようになり、周囲の目や耳を気にすることなく、高らかに笑う高藤さんの表情には、ようやく「のびのびとした解放感とともに日々を過ごす」理想の田舎暮らしにたどり着けた充実感が満ちているように見えた。


清泉 亮 :移住アドバイザー

137. 中川隆[-13569] koaQ7Jey 2018年9月22日 09:43:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18748] 報告

恐ろしすぎる村八分…全くの孤立状態、葬儀にも来てもらえず 奈良県内自治会に「是正勧告」
9/22(土) 8:11配信 弁護士ドットコム
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180922-00008576-bengocom-soci



政府は「地方創生」を掲げ、過疎や失われる活気に苦しむ地方は外から人を呼び込もうとPRを続けている。「空気はきれい、食べ物は新鮮、人も温かい地方は最高」と言わんばかりのテレビ番組も流れている。だが、それを鵜呑みにしていいのかーー。そう思わせる「村八分」の事態が再び明らかになった。弁護士会が「人権侵害」と認定したその中身とは。

●自治会役員と周辺住民、葬儀にも顔出さず…

舞台は奈良県天理市。自治会の構成員となる資格について、地元神社の氏子に限定しているのは「不合理な差別的取扱いで人権侵害にあたる」として、奈良県弁護士会が天理市内の自治会に対して是正勧告を出した(8月27日付)。弁護士会が9月11日に発表した。

勧告書などによると、夫妻は地域に転入してきた1992年以降、自治会費にあたる協議費(年1万3500円)を自治会に払い続けてきた。ところが、自治会は夫妻が集会や神社の祭りなどに参加することを認めず、市の広報誌や回覧板も届けなかった。全く孤立した状況に置かれ続けてきたという。(夫妻は土地を購入し、建物を新築した上で転入)

こうした扱いに疑問を膨らませ、2012年に夫妻は協議費を払うのをやめた。翌2013年に夫妻の母が亡くなり自宅で営んだ葬儀には、自治会の役員をはじめ周囲の住民が来ることもなかったという。2017年、既に払い済みである協議費の返還と慰謝料の支払いを求めたが拒まれたため、弁護士会に対して人権救済を申し立てるに至った。

●自治会費は徴収、でも加入は認めない

弁護士会は勧告書で、自治会は任意団体であるものの、天理市が広報誌を自治会を通じて配布し、天理市が事業や制度を周知したいときに自治会の掲示板への掲載や回覧を依頼しており、「強い公共的性格を有している」と指摘。正当な理由なく構成員を限定することは、自治会が有する公共的性格に反すると記した。

また、自治会の活動資金となる協議費を徴収しつつ、自治会への加入資格を限定する扱いは「正当な理由に基づかず、信義則違反」などと問題視した。

●自治会「夫妻だけを特定して差別しているわけではない」

一方、自治会側は、夫妻だけを特定して参加を認めているわけではないと反論している。地域には235世帯があり、自治会に所属しているのは52世帯で自治会の構成員として認めていない世帯が183世帯もあるためだ。52世帯は、「昔から地域に住んでいて神社の氏子である世帯」だという。

弁護士会は、その地域に住所があるすべての人に構成員となる資格を与えず、加入資格を限定していること自体が「許されない差別的取扱い」とし、長年にわたる慣例であったとしても「不合理な差別的取扱いで人権侵害にあたる」と指摘した。

今年夏の政府の来年度予算概算要求では、地方創生関連として、移住して起業した場合に最大300万円を支払うなどの新制度を創ることが報じられ、ネット上では一時、移住したい派がわき立った。たとえごく一部の限定的なケースだったとしても、移住した人が厳しい「村八分」に遭ってしまったとしたらーー。300万円もらったとしても割りに合わない。

138. 中川隆[-13567] koaQ7Jey 2018年9月22日 09:55:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18748] 報告


若者の地方移住、地獄の「村八分」には要注意…政府白書は「関心高い」と指摘するけど 2018年07月01日
https://www.bengo4.com/other/n_8123/


3大都市圏に住む若者の4人に1人が、地方移住に関心があるーー。国土交通省が6月26日に発表した国土交通白書(2017年度)は、全国の20ー70歳代の男女5000人を対象にネットで調べたところ、このような特徴がわかったと指摘した。

若者ら都市部の人たちが地方に移り住み、地方が活力を取り戻すのであれば望ましいことなのだろう。ただ、移住者と受け入れ側の不一致が次第に深い溝となり、地方では地獄のような「村八分」が待ち受けている恐れもある。

●ハッピーな地方移住ばかりではない

村八分とは、村の人全員が申し合わせて、その村のある人や家族を仲間外れにすること。ここ1年以内にも、以下のような村八分とみられる事例や移住者にとって不便な生活実態が伝えられている。

<大分県宇佐市>

母親を介護するために、関西から大分県北部の集落にUターンした60代男性が村八分のような扱いを受けているとして、大分県弁護士会が2017年11月1日、集落の自治区に対して「他の構成員と平等に取り扱う」よう是正勧告をした。男性は自治区への加入が認められず、市報の配布もされなかった。(大分合同新聞などが報道)

<山梨県北杜市>

自治会への加入が認められないと、近所にあるゴミ置場を使うことができず、車で数キロ先のゴミステーションまで運ばないといけない。ゴミ置場は、自治会が管理しているため。(週刊新潮や週刊朝日が報道)

行政が「ぜひ我々のところに移住してください」と熱烈にPRして、実際に移住してくれたとしても、村八分が待っていたとしたら移住者にとってあまりにも気の毒だ。不幸にも村八分にあった場合、移住者は法的に、どのような請求ができるだろうか。M門俊也弁護士に聞いた。

●脅迫罪になりうる

ーー村八分による法的問題について教えてください

「都会の方は村八分という言葉を耳にしたことがないかもしれませんが、当職は田舎の出身なので、なじみがあります。まず、刑事について考えます。村八分は、通告された側の人格を蔑み、名誉を傷つけるもので、名誉に対する脅迫罪を構成するものと解されます」

ーー関連する判決を教えてください

「かなり前ですが、大阪高裁(昭和32年9月13日判決)は、『いわゆる村八分の決定をし、これを通告することは、それらの者をその集団社会における協同生活圏内から除外して孤立させ、それらの者のその圏内において享有する、他人と交際することについての自由とこれに伴う名誉とを阻害することの害悪を告知することに外ならない』と指摘しています。

その上で、通告を受けた者が、集団社会の和を乱し、道徳的観点や法律的観点から見逃すことができないような場合を除き、『脅迫罪の成立を免れない』という趣旨を示しています。

つまり、大阪高裁の判旨からは、基本的に村八分の通告は脅迫罪に該当しうるものの、通告された側の落ち度が大きい場合は例外的に該当しない場合があると理解できます」

●慰謝料請求も

ーー民事ではいかがでしょうか

「民事では、村八分をされることで社会生活上、大きな困難を生じたり、人格権が侵害されたりするため、不法行為として差し止め請求や慰謝料請求の対象となると考えられます。

感情のもつれもあり、小さなコミュニティの中で村八分を解決するのは簡単なことではないのかもしれません。ですが、村八分が刑事・民事ともに法的な問題を生じうるということは多くの方に知っておいていただきたいと思います」

(弁護士ドットコムニュース)


この記事へのコメント


虎徹 ( 40代 女性 )
こんばんは。
この様な記事は移住希望者は読んでおくべきと思います。
私が生まれ育ったのは、友人には実家は市内だよー。と言いますが、ほんとに片隅、田んぼに囲まれた田舎です。市内なのにバスも来てません。最寄りのコンビニは車で行かないと行けません。
結婚してより都会?で生活して分かったのが地元の閉鎖性。と言うか、次男が生まれて小学生高学年になった頃に長男がいるから次男は養子によこしてくれと言われた時でした。私は2人姉妹だったので、どちらも結婚して家を出てるので。
最初は親としての本能で拒絶です。ものすごい拒絶。当たり前。さすがにわかった、この話は無かったことにしようと言われましたが。落ち着いて考えるとあんな閉鎖性の高いところにはやりたくありません。私が一緒に住めばまた違うかもれません。(知り合いや同級生もいますし、地元の事も私はよくわかってるので)でないと、次男が村八分になるのは目に見えました。子供達が生まれ育ったところも大きなお祭りがあり、それなりに地域の方との交流もあります。でも私が生まれ育ったところほど濃くないんです。子供達が生まれ育ち、今も住んでいる地域の感覚で移住したら間違いなく村八分です。あの濃さは程よい交流に慣れてしまうと拷問でしかありません。

いいね 54 返信 .
2018年07月12日 22:44 投稿


すもも ( 女性 40代 )
虎徹様の田舎はどのような閉鎖性があったのですか?あの濃さ、がどういったことを指すのか気になりました。

いいね 11 .
2018年07月19日 22:36 投稿


Uターン家族 ( 40代 男性 )
文脈が飛躍していて、正直わかりづらいです。
なんとなく、気持ちは伝わってきていますが
起承転結と正しい日本語で書いていただけると大変参考になりそうなのですが…

いいね 39 返信 .
2018年07月18日 03:38 投稿


あっ ( 男性 50代 )
やり過ごす寛大さも必要です。

対極にあるわけですから。

いいね .
2018年09月18日 10:33 投稿


田舎をたまに見る老年者 ( 60代以上 男性 )
移住者が、自治会の決まりを嫌がって、自治会に入らない場合もあるように思えるのですが・・・
結果論だけをいうのではなく、なぜそうなったのかを明確にしなければ、解決方法がでませんね。
法律だけで解決できるのもではないと思います。

いいね 42 返信 .
2018年07月19日 07:44 投稿


さとぽん ( 男性 30代 )
自治体の決まりとやらは公平で平等なのか?また理にかなっているのか?
拒否するにはそれなりの理由があるんじゃないかな?そこを明確にしないと解決方法が出ませんね。
まずは自分達のルールを客観的に観て、移住者が馴染めるかどうかを考えてほしいものですね。
最終的には法律で解決するしかない問題です。

いいね 11 .
2018年08月07日 23:49 投稿


月下美人 ( 30代 男性 )
村八分になってます。と言うか、自分からなりました。

理由は
毎月の会費が高いのと
毎月順番に近所の家に集まり(年に1度は自分の家で)
お酒や食べ物を提供して夜中まで騒ぐからです。

近所との親交を深めるためなのか分かりませんが
小さな子供もいる家庭ももちろんあり
23時前後まで騒ぐ事が大切だと思えませんでした。

近所の方々は強制的な感じで
消防団に入れ!
入らなければ罰金を払え!
町内会から抜けるならゴミを出すな!
と言われましたがもちろん全て断りました。

消防団は強制で入るものでもないですし
罰金なんて必要ないでしょ?
税金を払ってて指定のゴミ袋を買って
ゴミを捨てるなと言われる筋合いもない!
それに文句があるなら裁判でもして下さいって言いました。
後日町長に抗議したところゴミは捨てて貰って大丈夫です。
近所の方が勝手に言ってるだけで、我々にそんな権限はありません。
との事でした。

元々ご近所とはそんなに付き合いがあった方ではありませんし、望んでもいませんでしたから
良かったと思っております。

いいね 131 返信 .
2018年07月20日 10:22 投稿


匿名ユーザー
なって当然✋

いいね 19 .
2018年07月24日 21:54 投稿

匿名ユーザー ( 男性 30代 )
都会はなんでも金で解決する。田舎は人付き合いで解決したりすることもある。
都会の薄っぺらな人間関係で田舎に住もうと思うのは少し無茶な気がする。
そういうのも含めて田舎、御託並べて通用する世界じゃないのは理解しといた方がいい。

いいね 23 .
2018年08月15日 05:55 投稿

匿名ユーザー ( 男性 10代 )

都会への偏見だねー、田舎も金で解決するし都会も人付き合いで解決したりするだろ


大好きな田舎を馬鹿にされて怒ったのかな?気持ち悪っ

いいね 15 .
2018年09月04日 01:36 投稿


匿名ユーザー ( 30代 男性 )
お互い様なところがあると思います。

いいね 4 返信 .
2018年07月23日 13:15 投稿


田舎の村八分は本当に陰湿で凄惨です ( 40代 男性 )
大手ゼネコンに長年努めてきたけれど、若い時に地方の田舎の支店に応援で転勤したけれど、

本社からの応援で(田舎支店の汚職を食い止める密命を受けて赴任)やってたきた事が、村八分の対象になりバブル期の中堅層からの村八分に長年遭い続けて、長年勤めた大企業を辞めてマイホームも捨てて上京した。

田舎は、地元民による汚職や横領や会社の私物化が当然になっていて

邪魔物を排除する力が強い

田舎に転勤して、田舎の人達に排除されて人生がも生活もキャリアもボロボロになった


いいね 8 返信 .
2018年07月24日 20:14 投稿


おだまき ( 30代 女性 )
私も結婚を機に名古屋から長野県に移住して来ました。

ゴミ出し時には、いちいち細かくチェックされたりと煩わしさを感じますし、ご近所やら集落同士の関係が密なだけに、 いきなりやって来たローカルルールを理解出来ないよそ者ですから、警戒されて距離を置かれるのも当たり前。

私からしたら 無駄だな!と思う集まりも そこの人達は 今までずーっと当たり前にやって来た事なので、 それを無駄でしょ!的な雰囲気を出して参加したり、何かモノ申した時には気に入らないと思われたり、感に触ると思われ距離を置かれても仕方ない。

都会の隣に誰が住んでるのかも分からない、ご近所さんとは付かず離れずの距離が楽な人には田舎への移住は苦痛だと思います。


いいね 17 返信 .
2018年07月24日 20:23 投稿


elvaiojp (50代 男性 )
結果論だけを取り上げてはいないですか!私は山梨県の田舎に住んでいますが、村八分になったのではなく、自身から溶け込まなかったのではないでしょうな?田舎には、お祭りや古くから伝わる行事など住民が大切にしている文化もあります。それらを蔑ろにして部落行事には参加せず住居するのはどうかと思います。各家への広報配布やゴミステーションの掃除も住民が交代で実施している集落が殆どです。住民は新しい仲間を求めています。楽しいカントリーライフには仲間作りから始まります。

いいね 14 返信 .
2018年07月24日 20:39 投稿


地方都市が住みやすいよ。 ( 30代 男性 )
郷に入っては郷に従え
そんな言葉があるくらいだから、
日本はもともと閉鎖的なんだよ。
特に田舎は田舎の価値観があってそれを大事にしてる。
相容れない奴を除外して維持するんだろ。
それが嫌な奴は田舎から都会に出ていくし。
自由気ままに田舎暮らししたかったら、
別荘地とかいいんじゃない?

いいね 12 返信 .
2018年07月24日 21:40 投稿


超然 ( 50代 男性 )
田舎の付き合いが、そこの生活にとって必須であるかのような前提の記事ですが、はっきり言って、「村八分」にしてもらった方が楽な場合もあります。

近所の人が死んだら、何日も仕事を休んで葬儀の手伝い行けますか?
正月から年末まで、季節ごとにある祭礼の準備もしかり。たまの休みも返上ですよ。

お金も出さないといけませんよ。
神社の修復、祭りの費用、その他
ある人は夜逃げするくらいお金に困ってたのに、情け容赦なく寺院修復費の分担金として数十万円をむしり取られてました。

村八分がつらいって、ホントにそうですか?


いいね 18 返信 .
2018年07月24日 21:57 投稿


匿名ユーザー ( 20代 男性 )
>住民は新しい仲間を求めています。
時代遅れの都合のいい奴隷を求めているとしか思えないです。
他人である相手に、溶け込むことを強いているとしか思えませんね。

いいね 27 返信 .
2018年07月24日 22:21 投稿


匿名ユーザー ( 40代 男性 )
>お酒や食べ物を提供して夜中まで騒ぐから
>消防団に入れ!入らなければ罰金を払え!町内会から抜けるならゴミを出すな!
これはおかしいですね。
本来行政がやるべき仕事を自治会に押し付けているからこのようなことが起こるんだと思います。
自治会が管理しているところが使えないというのは仕方ないですね。
行政が自治会に任せている以上行政は未加入者にも使わせるよう働きかける義務があると思います。すべて自治会任せにするのなら補助金交付は即刻廃止すべきです。未加入者からの税金が使われるのですからね。
自治会側も行政に対して「住民の負担を軽くしろ」と言えれば良いんでしょうけど補助金が貰えるからなのかあまり意見を出したがらないようですね(有力議員へ忖度もあるのかな)。
今じゃ自治会加入率低下を恐れて行政が自治会に加入するような条例を作るところもあるようです(法律上強制はできないのであくまでも勧誘)。
自治会には良いところもあるんでしょうけど、悪いところはみんな目をつむるようですね(国家総動員体制みたいに)。悪いところを改善していく行動こそが自治会を盛り上げさらには地方創生につながっていくんだと思いますね。既得権益の塊に化してしまっているところが自ら改革なんて出来っこありません。外圧があってこそなんです。マッカーサーのような絶大な権力で変えていく必要があるんだと思います。

>近所の方が勝手に言ってるだけで、我々にそんな権限はありません。
ほれ見なさい。行政が責任逃れを言い出したぞ。
補助金出しておきながらこの始末。何か見えない力(人物)への忖度でしょう。
自治会に入らないと困るように仕向ける・・・というところもあります(以前新聞掲載していました)。

いいね 13 返信 .
2018年07月24日 22:45 投稿


田舎経験者 ( 40代 男性 )
20年位前Iターンで田舎に行って、感覚が合わずにその数年後脱出しました。
他の方が書いているように、区費が高い、請われて消防団に入ったは良いが
訓練のあと強制的に遅くまで飲酒、地元の活動には強制参加、祭りでは
神輿を担ぎましたが、重すぎて肩を痛めました。

確かに当時から若い人も少なく、集落を維持する、これまでの活動を
維持する上で人供は必要かもしれないですが、外から来た身からすれば
こうした活動こそ不要。少ない人数で過去の活動を維持しようとする
から無理が生じる。

何とか努力はしていたので村八分にはなっていませんでしたが、
無理して田舎での生活を続けることは私には不可能でした。

全ての場所で同じだとは思いませんが、田舎で暮らしている
自分達のせいで、地域が衰退しているなんて微塵にも思わない
でしょうね。

いいね 24 返信 .
2018年07月24日 23:47 投稿


匿名ユーザー ( 40代 男性 )
逆にシカトしてやれば良いんだ。

いいね 7 返信 .
2018年07月24日 23:48 投稿


匿名ユーザー
山梨県北杜市に移住を考えてましたが、現在住んでいる方と思われる方の記事を読み考え直しています。市報が貰えない、ごみ捨て出来ない、移住者は水道を引けず井戸を掘る選択しかない、雪の日除雪車が来てくれない、自治会には入るなと言われるなどです。(真偽はわかりかねますが。)記事を読む限り、市は移住は歓迎な雰囲気と思うのですが、地元の方の力が強いのか改善はなかなかむずかしく感じます。自分も田舎出身なので大変な移住者のせいで長く住んでいる方の迷惑もわからなくはないですが、移住者全てを受け入れない姿勢はどうなのかななんて。家や土地を購入したりしてからでは遅いので、しっかり調べてからでないといけないなーと思います。受け入れないなら受け入れないで、市が広報してほしいくらいです。

いいね 22 返信 .
2018年07月24日 23:50 投稿


ぶーちゃん ( 60代以上 女性 )
村八分、村八分と皆さん言っているけど、こんな事 が、村八分なら、田舎暮らし無理です。

いいね 9 返信 .
2018年07月27日 03:50 投稿


花火 ( 30代 男性 )
経験したことあるけどこういう輩は夜中とか卵を窓に投げてきたり、石をせっせと車の前に運んだりと嫌がらせするんだよな
しかも警察も地元の奴、あるいは地域に溶け込んでることが多くて、まともに対処してくれない

暮らしに余裕があるからこんなことするんだと思う
奴らは基本暇だから
だからJRとか政府による地方の補助は辞めて、地方でもインフラの採算が取れるように電車の運賃とか電気料金を値上げして、夜も働かせるべき

現状地方の暮らしを支えるために都市民が犠牲になりすぎている


いいね 15 返信 .
2018年07月27日 12:03 投稿


匿名ユーザー ( 50代 男性 )
田舎モンの民度なんて所詮その程度。やはり都会に限る。

いいね 18 返信 .
2018年07月31日 23:52 投稿


かかし ( 40代 女性 )
田舎で育ち、都会で暮らしています。

田舎では地主のような権力者や先生と呼ばれる人以外は「皆と一緒であること」を、とにかく求められます。地元を出た人間が戻ってきても「地元を捨てた裏切り者」として、余所者扱いされることもあります。

移住者で嫌われてるタイプは、二言目には「都会ではこうだった」と言う人。

地元民でも移住者でも、「長い物に巻かれない人」ほど嫌われます。

消防団活動は消防署が遠いから。寄り合いが多いのは貧乏時代の名残(各家の材料を持ち寄ってみんなで食べれば品数が増える)田舎の理屈はそれなりにある。いざという時、遠い公的機関よりも隣近所にしか頼る人がいないから、ご近所も消防団活動も「絶対」になってしまう…。

どこを歩いても顔見知りだらけ。生活に変化がないから噂話で憂さ晴らし。噂話のネタのために、他人の生活を常にチェック…子世代が都会に行くケースが増えて、嫌々残っている子世代が劣等感や嫉妬から親世代と同じ生き方をしていたり。努力して田畑を「経営」している地元民子世代が、周囲の跡継ぎに嫌がらせを受てきた話も聞いてます。

田舎暮らしに憧れる〜と都会で聞くと、曖昧に笑うことしか出来ません。
ある程度、常に転勤族がいるような地方都市の農村部でもこんな感じです。過疎化が進むのも当たり前と思っています。

いいね 17 返信 .
2018年08月02日 07:38 投稿


匿名ユーザー ( 40代 男性 )
まだまだ村社会が多いな。
Iターン、Uターンは簡単に出来そうにないね。

いいね 6 返信 .
2018年08月05日 13:59 投稿


銀 ( 40代 男性 )
田舎というのは素晴らしいという前提で考えるから村八分の問題も起こります。
都会でもママ友問題や人間関係、早い話がイジメという問題が学校会社を問わずあります。
今の言葉で言えばパワハラですね。
人間が集まればなにかしらの問題が起きます、好き同士で結婚した二人でさえ半分は離婚して終わるんですから、そもそもが田舎になにか期待するのが間違いですし受け入れる田舎のほうも人工減少で衰退して、過疎、そして消滅集落の運命を受け入れるべきでは?
それが嫌ならお互いに歩み寄りよい方向に進むように努力すべきでは?自分が正しいので、悪いのは相手、だから相手が折れるべきだ。
これってテロリストの考え方と同じですよ?
でも自分も田舎出身で、山奥の秘湯とか旅行にいき、懐かしい故郷の源風景をみた気分で癒されますが…
やっぱり田舎のあの人間関係はまっぴらごめんで、癒されに行きはしても住む気にはなれないのが…(^_^;)

いいね 7 返信 .
2018年08月07日 20:58 投稿


くまこ ( 50代 女性 )
田舎は大変ですね
私は東京都のベッドタウンと言われるところで生まれ育ち、自分は田舎者だと思っていましたが
コメント欄を読んでると私は都会生まれの都会育ちですね
都会でよかった!

いいね 10 返信 .
2018年08月15日 02:18 投稿


ミーママ ( 30代 女性 )
私は田舎で生まれ育ちました。たまたま私の母も、近所に住む人達も、地方都市から嫁いできた人が増えてきたので、徐々に変わりつつあります。でも私の母が嫁いできた頃は、必要とは思えないような決まりがたくさんあり困惑したと言っていました。小さい集落だから、都市だったらあり得ないようなことも、まかり通ってしまうそうです。私も今は結婚して田舎を出ましたが、田舎に住んでいるときは、田舎の行事や集まりが当たり前と思っていたから、ずっと田舎に住んでる人にはなかなか理解されないこと多いと思います。今は泥棒に入られたりするから、もう無いけど、家に誰もいなくても鍵を開けたままにしているのが当然で、鍵をかけてる家があると陰口を言われるとか……

いいね 2 返信 .
2018年08月15日 22:29 投稿


超然 ( 50代 男性 )
経験上、田舎暮らしを検討している人にアドバイスするとしたら

@都心部から公共交通機関で一時間以内(病気になったときに苦労します。地域の医療機関は、よほど運が良くない限りレベルが低い)

A過疎化がかなり進んで地域社会が崩壊している方が良い。下らないしきたりも一緒に崩壊しているから却って楽。ただし、移住者でイベント好きな奴がいると、「●●祭りを復活」とか、余計なことをするから要注意。


いいね 8 返信 .
2018年08月16日 21:13 投稿


落ち着け ( 50代 男性 )
田舎で住んでるものです。田舎のくだらないしきたりにはうんざりしています。

ただ、気になるコメントがあったので、少し。

>現状地方の暮らしを支えるために都市民が犠牲になりすぎている

好んで田舎に住んでるなら、この批判は受け入れましょう。ですが、現実にはそんなことはあまりせん。都市に生まれた人が、自ら努力して都市に住んでるわけではないように、田舎に住む人も、置かれた状況でやむを得ずというのが、ほとんどです。安直な比較対立論で批判するのはどうかと思います。

>田舎モンの民度なんて所詮その程度。やはり都会に限る。

都会からハイキングとかで押し掛けて、ゴミをばらまいて帰る人が居ます。でも、ほとんどの人はマナーのいい人だと思います。それを「都会モンのマナーなんてその程度」とは言いません。単なる印象で、対立をあおる書き込みはやめた方が良いと思います。

いいね 16 返信 .
2018年08月16日 21:29 投稿


法律家 ( 40代 男性 )
記事序盤での村八分の定義が「仲間はずれにすること」なのに、紹介されている判例は「村八分の通告が害悪の告知にあたるか」というところで争っています。

つまり、仲間はずれにしても通告しなければ脅迫罪にならないのに「仲間はずれにしただけで脅迫罪になる」かのように読者をミスリードしかねない記事は弁護士の名を冠するメディアの記事としては不適切だと思います。

いいね 2 返信 .
2018年08月17日 18:27 投稿


匿名ユーザー
ぶーちゃん様
あ、じゃあ田舎暮らししなくて結構ですw
首都圏の県庁所在地在住なので、最悪でも地方都市にしか住めないと思いますしww
大人が新しく転入してきた人にごみ捨てさせないことを村八分と言わないなら、そりゃあ小学校でもいじめはなくならないわけですよ
勝手に過疎化してけば?

いいね 11 返信 .
2018年08月19日 00:50 投稿


匿名ユーザー ( 40代 男性 )
田舎によっては50年くらい考え方が違うと思いますよ
田舎の人の考え方は多分皆が家族みたいな思考ではないでしょうかね?
自分は東京に10年くらいは住んでいたけど
都会は隣近所に無関心が多いと思いますが
田舎の付き合いは 俺には無理!
不便さの無い田舎の新興住宅地が一番かな
殆どの人が違う地方の出身なので面白いし、都会と同じ気の合う家と
付き合うだけ  勿論地域の美化運動とかは出ないと気まずいですよね
班だけの問題だから特に問題は無いですね
消防団にも参加していないし 誘いも無し
新興住宅の人は地元の人とは知り合い以外は接点が無いですが
町のイベントには誰でも参加できるし自由です。

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2018年08月20日 18:56 投稿


がまお ( 50代 男性 )
そもそも簡単にかっぺとうまくいく訳無いじゃない甘いんだよ

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2018年08月20日 20:21 投稿


黙祷 ( 50代 男性 )
イジメって都会田舎関係なくおこる。年代差ですら起こります。程よい付き合いの程よさは集団のボスが決めるだろうからその場所がド田舎か都会かは関係なくね?
他人に強制する人格の人間がボスに君臨する事が多いだけ。そしてボスに対抗出来る力のある人間は成人すれば地方にはほぼ残留しない。自分にとってかわる人間に批判されない状況なら好き勝手やってしまう事例はそこらじゅうに存在する。可視化と記録は群にはほんと大切。

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2018年08月28日 15:15 投稿


ポルコ・ロッソ ( 50代 男性 )
自分は、父方が東京、母方が地方です。母方な実家や親戚の家には、子どもの頃からよく訪れ、夏休み中滞在したこともあります。従兄弟は全て地方在住で、学生時代までは、相互のの行き来も頻繁でした。そんな関係でも、大人になって、家族を持つようになってから訪れると、東京との感覚の違いは大きいです。とにかく、地縁・血縁がコミュニティの中心で、都会的な個人と個人のコミュニティは、異質なものとされてしまいます。また、倫理観や社会ルールは、地縁・血縁の利害で決まります。都会的な合理性や客観的な考えを方では、全く浮き上がります。地域差もあると思いますが、ネイティブな東京人として、職場の中の各地方出身者ごとのコミュニティを見ていると、自分が母方の実家で感じたことと大差はありませんでした。
村八分と言うと、時代的な感じですが、都会的な地域コミュニティの感覚て、地域のコミュニティに参加することは、かなり高いハードルがあり、それがこじれると、村八分になってしまうと考えをます。

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2018年09月03日 21:35 投稿


難しいけど生きていく ( 40代 男性 )
「若者の地方移住」って記事ですが、私から言えることは、その地域出身でUターンした人でも村八部になる。そのままずっと住んできた人でも、親が他界したのを境に村八部になることはあります。言葉はキツイですが、「よそ者」でなくても村八部になるんです。構造としては、結局ボスや権力者がいて、気に入らない人をはぶこうとするんです。始まっちゃうと、はぶくのが目的だから、被害者はいくら良いことをしても、是非の検討すらなく悪者扱いです。例えるなら、嫁に入った人が姑にいびられ続けて数十年後にやっと認めてもらえる人もいれば、姑が他界するまで結局認められない人もいるという感じです。人のもめ事は古代からあることでしょうし、いきなり新築でなくて、可能ならば借家で住んでみて様子をみるのも方法かと思います。
具体的な嫌がらせ:敷地に空き缶が捨てられる(通るたび)
         回覧板をポスト内でなくポストの上に置く(風で飛ぶ)
         挨拶無視、すれ違いにそっぽを向く
         行事で知らないことを聞いても、分からないととぼける
         昔からある商店でタバコの銘柄を言ったら、ないと言わ
         れ売ってもらえなかったり、すいませんと呼んでも奥か         ら出てこなかったり(以前は買っていた)
         公民館での集まりで悪評を流される
うちの家族の親子間でもめていることがあり、地域の自称ボスが遊びに来ている時に親子で言いあいになってしまい、親の肩を持つ発言をされたときに、私が、「〇〇さんに、ウチの何が分かるんですか」と言ってから、私たち夫婦を悪く言いふらされました。きっかけなんてこんなものなんです。
しかもウチの親との交流はありつつ、その息子夫婦の私たちを悪く言えるんです。(親も肩を持ってもらった手前ボスに言い返せない)だから、新しく迎えた「家族」のはずの嫁を平気でいびるのと似ています。でも地域の催しものはなるべく夫婦で参加して上記のことはなくなりましたが、ボスが生きているかぎり全てうまくいくわけではないと思っています。子供の時には気付かなっかった地域性が、数年前から見えてきた感じです。
愚痴と解釈されたら残念ですが、具体例があったほうが良いかと思いコメントしました。   

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2018年09月04日 02:58 投稿


モモ ( 女性 )
 村八分になっています。何もしていないのに、悪いことをしていると噂を流され、早数年。後から考えると、よそから団地に引っ越してきたときから、標的にされていたようです。
 行くところ、行くところ、ごみは散らかり、犬のウンチは散らかり、動物の死骸は散らかり。近所の植木が枯れ始めたと思ったら、最後に我が家の大事にしていた植木5本を枯らされました。ドラッグストアのレジ打ちが打ち間違えていたので、いただきすぎると届け出るとまた間違え、車のナンバーで罵詈雑言を浴びせる、子供にまで参加させる・・・と挙げだしたらきりがありません。でもどこに訴えたらいいのでしょう?どう村八分を証明すればいいのでしょう?面と向かって言われたことはないのだから。陰で「お尋ね者」と言われたことはあるけれど。警察、市役所、総務省?        
 日本にこんなことがあってはいけません。逃げ出さず、ここに存在するだけで、自分の生きている意味があると思っています。

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2018年09月07日 06:26 投稿

匿名ユーザー ( 50代 男性 )
そもそもこの記事、村八分と言ってる時点で、地方をバカにしている。地方では町内会ごとにゴミ収集所を管理し、その管理費用を年会費などで相互に支払っていて、担当者が収集所の掃除や、整理整頓を行なっている。時には、不法投棄されたゴミの処分も行う。だから、町内に住み、ゴミを出すなら、その費用だけは払わないと、ゴミは出してはいけないのは当然である。
他の町内の寄り合いなどは、自由だろうが、ゴミは費用を払うべきです。それは村八分ではなく、都会でも当然のルールでしょう。
2018年09月08日 10:48 投稿https://www.bengo4.com/other/n_8123/

139. 中川隆[-13359] koaQ7Jey 2018年10月14日 11:51:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19192] 報告

奇習! 娘や妻を差し出さなければ村八分 ― 村の実力者に家族を犯され続けた小作人たちの悲哀
https://tocana.jp/2018/10/post_18391_entry.html


 中世以降の日本においては、各地の代官の下などに、小さな村々を実質的に統括する役割を任された庄屋や名主の類が存在し、そこで暮らす人々をとりまとめていたが、そうした家柄にあった人々というのは、江戸幕府が滅び、明治政府が誕生した後も、“村の実力者”として代々その力を維持していたというケースが少なくない。しかし、こうした世襲制の権力というものは、得てして、その下に置かれる人々に、様々な被害を与えていたのが実情である。


「さすがに今じゃそういう人間もいなくなったけれども、昔、このあたりじゃ、代々庄屋を続けていた家があってね。もちろん、私が生まれた頃には、とっくに庄屋ではなくなっていたんだけれども、昔からの流れで、誰も逆らえないような金と力を持っていたんだよ」


 かつて当地で絶大な権力を有していたという、庄屋家系の“村の実力者”についてそう語るのは、現在でも当地でレタス農家をしている田中正吉さん(仮名・89)。田中さんの話によると、その“実力者”は、まるで自身の家来であるがごとく、自分の思うがままに村人たちを支配し、それに抗う者に対しては、徹底した圧力を加え続けていたという。


「なにせね、小さい村でしょう? あの家の人間に楯突こうものなら、この村じゃすぐに暮らせなくなっちまうんですよ。いわゆる“村八分”というやつです。ましてやね、戦時中なんて、そういう状態になっちまうと、まともに配給すら受けられなくなっちまうものだから、それこそ命そのものを握られているような状態。だからね、どんなに理不尽なことをされても、誰一人、文句が言えなかったんだよ」


それが実力によるものではなく、代々世襲されているだけの利権であるにもかかわらず、事実上、“村人の命”を握っている立場にあるという強みから、悪逆非道の限りを尽くしていたという“村の実力者”。そのため、当地で暮らす男たちは、彼から「娘や妻を差し出せと」言われれば、それに従うよりほかなかったという。かくいう田中さんもそうした苦い体験を持つ村人の一人だ。


「私はね、すぐ横に座っているだけの私に対して、涙で枕を濡らしながら、“しょうあんめい、しょうあんめい……”(※「しょうがない」の意)って言って、犯され続けた女房や娘の姿が、今でも忘れられずにいるんだよ」


 当時、貧農に過ぎない彼ら村人たちと、“村の実力者”との関係は、それこそ、「大名と水呑百姓ほどの差があった」(田中さん)のだという。いつの時代も権力者というものは、その権力の強大さゆえに、力なき者たちの心を知らず、蛮行を繰り返すものだ。そんな手合に、自身の人生を翻弄され続けた田中さんのような善良なる人々の胸中を思うと、なんともやりきれないところである。
(取材・文/戸叶和男)

140. 中川隆[-13432] koaQ7Jey 2018年11月03日 12:54:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19930] 報告

2018年11月03日
外国人増加で田舎の「村八分」文化が壊される?


奈良県天理市では電柱を建てさせず電気を使わせないなどの村八分があった


奈良県天理市_移住者差別_村八分

画像引用:https://yakyusoku.com/archives/22733

田舎の「村八分」問題

すいぶん前から田舎移住やUターン増加がいわれていますが、同時に言われているのが田舎の閉鎖性です。

2018年は大分県に移住した男性が住民から「村八分」を受けたとして訴訟を起こした。

男性は「よそもの」ではなくもともとその土地出身者で、宇佐市というくらいでまるっきりの僻地でもなかった。


男性は自治会への加盟をゆるされず、会報や行事の日程を知らせる広報誌が届かなくなった。

きっかけは国が交付する農業補助金の分配に男性が異議を唱えたため、住民と対立が起きた。

この土地では先祖代々の住人が自治会役員をつとめ、「よそもの」は従わなければならない暗黙のルールが存在した。


長野県でも移住者を自治会に参加させず、自治会が設置した「ゴミ捨て場」を使用できないなどの村八分が報告されている。


奈良県天理市でも同じようなことがあり、自治会への参加を認めず、葬儀に誰も出席しないなどの村八分があった。


住民が男性宅への電柱を建てるのを認めず反対したため、隣町(奈良市?)から電気を引いているという。


2013年7月21日には山口県周南市で、村八分を恨みに思った男性が、村人5人を襲う事件も発生していた。


この男性も地域出身のUターンだったが、「よそ者」として排除され、物を壊されたり捨てられるなどされていた。

当時のメディア取材では、この地域では古くからの長老に絶対服従しなくてはならないのに、男性は反抗的だったという。

集会で何かを提案したり、長老や村人の意見に疑問を唱えると村八分のターゲットにされるようです。

外国人が増えた地域は移住しやすくなる

こうしたことが日本中の田舎にあり、村八分や差別がひどいために住人が離れていき、新しい移住者は集まらない。

東京や大阪など移住者で構成された都市は、移住者にとって住みやすいのでますます人口が増える。

田舎は外からの移住者が居ないので古くからの住人が閉鎖社会を作り、閉鎖的なのでどんどん人口が減る悪循環が起きる。


ここに大量の外国人や移住者が住み着いたら、閉鎖的な田舎も変わらざるを得ない。

「ゴミ捨てできるのは先祖代々の住人だけ」のようなルールが外国人に通じるはずがなく、間違いなく暴動が起きます。

実際外国人が増えた群馬や首都圏周辺の田舎では、急増する外国人に団地ごと占領されるなども起きている。


URは低価格で住居を提供する公的な団地ですが、古いURは家賃が安く審査も緩いので(保証人不要)外国人だらけの場合もある。

住民のほとんどが外国人で、保育園や小学校でも外国人がどんどん増えて、NYのようになるかも知れない。

嫌でも国際化が進んでいくので、「先祖代々の・・・」などは通用しなくなるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/78020615.html#more

141. 中川隆[-13232] koaQ7Jey 2019年1月03日 14:08:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22216] 報告
「田舎の長男」との結婚に絶望した彼女の告白
1/3(木) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190103-00256271-toyo-soci&p=1

単純計算すると3組に1組の夫婦が離婚している日本。そこに至るまでの理由は多種多様だ。そもそも1組の男女が、どこでどうすれ違い、別れを選んだのか。それを選択した一人ひとりの人生をピックアップする本連載の第7回。

■大自然マジックで、農家の長男と婚約

 「農家の長男との婚約は、地獄でした。今思うと、本当にあれは悪夢です。今でも、あの村での日々を思い出すとゾッとしますね」

 そう語るのは、都内の教育関係の会社のOLとして働く須藤百合子さん(44)だ。百合子さんは、28歳の時に結婚し32歳で離婚。その後、農家の長男と婚約まで行き着くが、結婚寸前で思いとどまり、ギリギリで婚約破棄。百合子さんが「地獄」と断言する壮絶な女の軌跡を追った。
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 大学卒業後、予備校で塾講師として働いていた百合子さんは、1年間同棲していた2歳年上の職場の先輩と結婚した。

 「結婚って世間体だと思っていて、私も人並みに結婚して、子どもが欲しかった。30歳前になると、周りの友達がバタバタと結婚していくから、波に乗り遅れないようにと焦って当時同棲していた彼と結婚しました。

 結婚しても共働きだったし、経済的には何不自由ない生活でした。だけど財布も完全に独立会計で、家事も分担制で寮生活みたいだったんです。仲は良かったけど、お兄ちゃんと生活しているみたいな感じで、ときめきもなかった。子どももできなかったこともあり、お互いまだやり直せるうちに別れようという話になって、トラブルもなく円満離婚しました」
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 再び一人暮らしに戻り、時間を持て余すようになった百合子さんは、思いつきで簿記の資格学校に通い始めた。

 そこで出会ったのが、東京から車で3〜4時間かかる、ある県の兼業農家の長男である2歳年下の隆一(30)だった。隆一は資格取得とリフレッシュを兼ねて、その県から毎週高速バスで上京していた。

 結婚生活にほとほと疲れ果てた百合子さんは、隆一の都会の男にはない「押しの強さ」に引かれた。

 「出会ってそんなに経ってないのに、『君と結婚したい』って猛烈アタックしてきたんですよ。『なんて情熱的な男なの!』って、思わずポーッとなってしまいました。離婚した直後だったし、私、まだ女として終わってないんだと感じて、舞い上がってしまったんですよね。『とにかく早く君と結婚したい、親にも君を早く紹介したいんだ』って言ってくれて、心が動いてしまったんです。そこからとんとん拍子に婚約して、彼の実家にあいさつに行きました。そこは、映画に出てくるような田んぼしかない本当のド田舎でした」


■早く男の子を生んで、将来は私たちの面倒を

 山間部に位置する隆一の実家は、大自然とのどかな田園風景が広がっていた。澄んだ空気に、全身に力がみなぎるのを感じた。

 隆一の実家に足を運ぶと、両親は手作りの郷土料理をテーブルいっぱいに並べて、百合子さんをもてなしてくれた。なんて良い人たちだろう。こんな田舎で大好きな人と一生を送る人生もすてきかもしれない、百合子さんはそう感じた。

 隆一の両親が、突然同居話を持ち出すまでは――。
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 「彼のお母さんから、いきなり『東京の人だから、同居はなじめないかもしれないでしょ。だから、こっちが百歩譲って二世帯住宅にうちを作り替える』という話が始まったんです。頭が混乱しましたね。だって、さっき会ったばかりなんですよ。でもそんなことなんてお構いなしに、『百合子さんも早く男の子を生んでもらって、私たちの面倒を見てもらわないと』って言うんです。

 『いや、同居とか二世帯住宅とか、ちょっと待ってください』と言ったら、彼が『母さんの言うとおりだよ〜』ってコロッと手のひらを返したんです。私、この村に軟禁されて、一生出られなくなるんじゃないかという恐怖を感じました』
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 後ほど隆一に問いただすと、「この村では、『私たちの面倒を見てね』という言葉は、君を受け入れたという意味なんだよ。よかったね」と笑っている。それって重荷だし、怖いと百合子さんは背筋が凍るのを感じた。

 まだ婚約段階なのにもかかわらず、嫁が来るという噂はあっという間に村中に広まり、長老たちが続々と隆一の家に集まってきた。長老たちは、百合子の顔をいやらしそうな目でなめ回すように見ると、「結婚式は村のしきたりに沿った式にしてもらう」と百合子さんに告げた。すぐに村の公民館で長老たちの会議が始まり、百合子さんはドン引きしたが何も言えなかった。
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 百合子さんは、それでもまだ隆一を信じたい気持ちもあった。同居を迫る隆一の両親を何とか説き伏せ、村の近くにアパートを借りて、仕事を探し、まずは一人で生活することになった。

 「意外かと思われるかもしれませんが、村人は外部から来た人に決して、ウェルカムじゃないんです。向こうで仕事を探そうと思っても、地元の企業には東京の人だと就職できない。『この村の者じゃないよね』『村のどの学校出たの?』と聞かれる。東京から来たというと、それだけでアウトなんですよ」


結局、百合子さんが就職できたのは、東京に本社のある食品の工場だった。

■女のバツイチは村の恥

 村にとって、離婚歴のある女性はそれだけで恥という存在だった。隆一は、百合子がバツイチであることを「村に知られたら大変だ」とおびえていた。隆一に聞くと、「百合子がバツイチであることは母親のみが知っていて、父親や村の住民たちには金輪際、隠し通すつもりだ」と言う。隠していてもいつかバレるから、せめて彼のお父さんには早く言ったほうがいいと百合子さんは隆一に伝えたが、聞く耳を持たなかった。
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 百合子さんは、前の夫との間に子どもがいなかったこともあり、土日には2人で海や山などのレジャーを楽しむのが、日課だった。

 しかし、せっかくの土日にどこかに外出したいと百合子さんが隆一にせがんでも、首を縦に振らなかった。土日は早朝から夜遅くまで、地元の消防訓練がある。それが、村の男のしきたりだと言うのだ。

 「『土日に遊びにいかないの?』って聞いたら、『いや、土日は消防が当たり前だろ。女はそこにご飯とか総菜を作って持ってくると決まっているんだ』って言うんです。聞くと土日祝日は村の男衆が集まって、公民館で消防の朝練を朝5時からして、その後は夕方まで飲み食いしているんです。彼のお母さんも村の女性たちも、みんなそのしきたりがあるから休日でも遊びに行くこともない。『消防って、それ楽しいの?』と彼に聞いたら『いや、楽しいとかそういうものじゃなく、それが村のしきたりだ』としか言わないんですよ。とにかくあぜんとしましたね」
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 百合子さんも、毎週土日は食べ物や飲み物の差し入れを強いられ、その時間が苦痛で仕方なかった。なんでこんなところに来てしまったんだろうと思うと、泣きたくなった。

 「今思うと、彼も嫁要員を見つけるのに必死だったんでしょうね。村で30代というと、子どもが3人くらいいるのがデフォルトなんですよ。異常に地域の連帯感が強いから、消防の応援とか、地域の行事に家族ぐるみで行かなきゃいけない。むしろそれがステータスなんです。そこで30代独身の男性がいると、めちゃくちゃ肩身が狭い。『あいつは、何か性格に問題がある』と陰口をささやかれる。


田舎って、一見癒やしだと勘違いしてしまうんですが、実は閉鎖的で多様な生き方が一切認められないんです。そんな中でも特に犠牲になるのは女なんだと、身をもって実感しましたね」

 年に数回ある祭りは強制参加で、女性は料理をして、陰で支えると決まっている。村人の冠婚葬祭があると、仕事を休んで男たちのおもてなしをしなければならない。

 そもそも村に住んでいる限りは行事に参加しないという選択肢はない。村に住んでいると、男尊女卑は当たり前で、何かと女だけが馬車馬のように働かされる事実に、百合子さんは違和感を覚えずにはいられなかった。
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 村の生活に悩み困り果てた百合子さんは、ある日Iターンで東京からやってきたリンゴ園を経営する男性と知り合い悩みを打ち明けた。

■喜んで受け入れられると思い込んでいた

 すると男性は、「わかるよ。僕も、村の人たちに田舎でリンゴ園やるなんて、立派だと歓迎されると思って東京から来たんだ。でも甘かったよ」と、肩を落とした。

 男性は東京生まれだったが、田舎の自然の豊かさに引かれて脱サラ、一念発起し、リンゴ園を開業した。村は、どの地方も抱える問題と同じように少子高齢化の波が押し寄せ、過疎化している。そんな中、まだ30代だった男性は村の貴重な労働力として、喜んで受け入れられると思い込んでいた。しかし、村の住民たちの反応は違った。
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 男性が東京からやってきたことを話すと、村の住民たちは顔色を変えた。そして、突然、「親を東京に置いてくるなんて、この親不孝者め!!」と罵り始めた。男性は住民たちのいじめに遭い、そのまま村八分になってしまったという。結局男性は、Iターン組だけでグループを形成し、村の住民との交流は完全に断絶していると苦しい胸の内を打ち明けてくれた。

 日々息が詰まるような生活を強いられた百合子さんは、たまには1人で羽を伸ばしたいと思い立ち、ある日、1人で高速バスになって大阪に買い物に出かけた。すると村中にその噂が広がり、地元では大騒動になっていた。

 「休みの日に女が1人で遠出をするなんて許せん!」

 百合子さんは隆一の父親に怒鳴られ、村の住民や家族から大目玉を食らい、その後も白い目で見られ続けた。

 「たかが買い物ですよ。女1人で買い物も許されないんです。同じ日本でも、文化が違うだけでこれだけわかり合えないのかと思いましたね。やってられないと思いました」

 もう限界だと百合子さんは、隆一との婚約破棄を決意。それを隆一に告げると、携帯の留守電には毎日何十件も「ふざけんじゃねーよ!  ぶっころすぞ!」と罵りの電話が入るようになった。恐怖を感じた百合子さんは、弁護士に相談し、命からがら東京へと逃げ出した。結果、隆一とは婚約破棄となった。
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■恐怖の村から脱出し、東京に帰還

 恐怖の村から脱出した百合子さんは東京に戻り、教育関係の仕事を見つけ、そこで知り合った会社員の男性と再婚し、長男を出産。現在は地方出張もこなすなど、バリキャリとして、多忙な日々を送っている。今の夫は働く百合子さんを応援し、子育てにも積極的だ。

 「自分の両親には、『あの男とだけは、結婚しなくてよかったね』と言われます。今もあの村に住んでいたら、きっと今のように私が働くことなんか、絶対認めてもらえなかったはずです。ましてや今の仕事のように、遠方に出張とかは無理だったでしょうね。よくテレビで、都会の女性と田舎の男のお見合いの番組とかやってるじゃないですか。あれを見ると、『本当に大丈夫?  私みたいにブラックホールに落ちないでね』って言いたくなっちゃうんです」
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 人並みの結婚を目指していただけなのに、いつしか思わぬ泥沼にハマりかけ、危機一髪のところで、なんとかはい上がった百合子さん。百合子さんがこれらの経験を経て得た教訓は、一時の情熱や恋愛感情で突っ走らず、結婚相手の周辺に目を向けることの大切さだ。相手の家族だけでなく、相手を取り巻く環境を今一度よく見渡してほしい、と百合子さんは最後に力強いまなざしで語ってくれた。
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菅野 久美子 :フリーライター
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190103-00256271-toyo-soci&p=1

142. 中川隆[-12847] koaQ7Jey 2019年1月20日 14:18:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

集団無視、ごみ出し禁止…「村八分で転居」提訴へ 大分の家族「自治区側 人権侵害」
1/20 西日本新聞

 大分県中部の山間部にある集落に移住した男性(73)ら家族3人が、集団無視や生活用水の取水妨害など「村八分」扱いを受け、転居を余儀なくされたとして、自治区の2人やため池を管理する地元土地改良区に約3千万円の損害賠償を求める訴訟を21日、大分地裁に起こすことが分かった。

 訴状などによると、男性は2008年2月、集落に新居を建て大分市から転居。障害のある長男(46)を施設から呼び寄せて親子3人で暮らし始めた。16年8月、自治区費の決定方法などに疑問を抱き、自治区から退会。この後、自治区からごみ集積所への搬入を禁止され、行政広報誌の配布もなくなり、集団無視が始まったという。

 男性は洗濯などの生活用水のため、自治区の同意や土地改良区の許可を受け、農業用ため池から取水していたが、自治区は17年1月、同意取り下げ書を提出。男性は「同年7〜8月、池の水が抜かれ取水できなくなった。土地改良区も適切な管理を怠った」と主張する。男性の代理人弁護士は「家族を締め出す自治区側の意図は明白。重大な人権侵害だ」と訴えている。

 男性は現在、妻(72)と県内のアパートに住み、長男は施設に入所している。

 自治区の男性(70)は「村八分などしていない。(池の水を抜いたのは)雨が少なく農業用水として使ったため」と主張。土地改良区は「取水できなくても異議を申し立てないという誓約書を男性は提出している。法的責任はない」と反論している。

 同県では宇佐市にUターンした男性(70)に「村八分」のような扱いをしたとして、県弁護士会が17年、自治区に是正を勧告。男性は昨年11月、歴代自治区長らに330万円の損害賠償を求める訴訟を大分地裁中津支部に起こした。

143. 中川隆[-12796] koaQ7Jey 2019年1月22日 17:42:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

「村八分訴訟」衝突はなぜ起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告
1/22(火) 9:48配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190122-00010003-nishinpc-soci

起きた? 「Uターン者のトラブル少なくない」専門家は警告


訴状を持って大分地裁に入る原告側の代理人弁護士


 大分県中部の集落に移住した男性(73)の家族3人が21日、「村八分」の扱いを受け転居せざるを得なくなったとして損害賠償を求めて大分地裁に提訴した。近年、UターンやIターンなどが一部の都市生活者に人気となっているが、専門家は「元々の住民と価値観の相違などからトラブルになるケースは少なくない」と警告する。なぜ衝突は起こったのか。男性、訴えられた元区長(70)や土地改良区、専門家に意見を聞いた。
.

元区長主導の仕返しだ 移住者の原告男性(73)

 −なぜこの集落に移住したのか。

 集落に住んでいた故人の男性に歓迎するからと強く勧められたことが大きかった。池に近い静かな環境は障害のある長男(46)と同居するには最適だと思った。元区長男性(70)も「よく来てくれた」と、池から取水するための同意書作りにも汗を流してくれた。当時は本当に感謝していた。

 ただ自治区の運営方法などで元区長の身勝手な振る舞いが多く、ついていけないとの思いが徐々に募り退会した。元区長はメンツをつぶされたと思ったのか、元区長主導による集落の「村八分」が始まった。
.

 −池の水が減ったのは農業用水として使用されたからだと元区長は主張する。

 約10年暮らし、雨が少ない年もあったが、取水ができないほど水位が低下する年は一度もなかった。池の水位が異常に下がりだした17年7月は、日田などで人的被害も出た九州豪雨のあった月だ。一方で、昨夏は耶馬渓ダム(中津市)が干上がるほど少雨だったが、池には満々と水があった。元区長らの嫌がらせ以外に考えられない。
.

 −現在の生活は。

 県内の賃貸アパートに妻(72)と2人で暮らしている。長男は施設に預け、家族がバラバラに暮らさざるを得ない状態だ。家賃や施設利用料も新たに発生し経済的負担は重い。年金生活だから貯蓄を取り崩さざるをえず、人生設計が狂った。なにより一緒に暮らせなくなった長男に申し訳ない。盾突いたからといって、他人の生活まで脅かし、人生も狂わせるほどの仕返しをする必要があるのか。

説得にも聞く耳持たず 集落の元区長男性(70)

 −なぜ、ごみ出し禁止や行政広報誌の配布を中止したのか。

 集落のごみステーションは、自治区構成員の土地に自治区が金を出して作った。男性は退会したのだからごみを置く権利はない。行政広報誌は役員が構成員に配布するものであり、男性に配る義務はない。
.

 −2017年7、8月に、原告の家が取水できなくなったのは、元区長ら集落の男性2人が農業用ため池の水位を故意に低下させたからだと主張している。

 まったくの的外れだ。その時期は水田に水を供給しなければならない。雨が降らなければ池の水は減り、水位が下がるのは当然。池に流れ込む水を途中でせき止める権利もわれわれにはなく、流入量をわざと減らすこともできない。それは男性も知っているはずだ。男性は「池に水が入ってこない」と勝手に水路の堰(せき)板を調整し周辺集落から頻繁にクレームが来た。そのたびに頭を下げたのは私たちだ。どちらが被害者か。
.

 −対立がここまで先鋭化した理由は。

 10戸ほどの小さな集落に来てくれるからと最初は歓迎し、池の使用が認められるよう集落全世帯の同意も取りまとめた。男性より数年早く移住した別の6人家族は集落に溶け込んでいる。移住者が住みにくいわけでは決してない。強調したいのは、彼ら家族が勝手に出ていったということ。彼には「われわれもいたらない部分はある。でも慣例やしきたりがあり、すぐには変えられない。徐々に変えていけばいいじゃないか」と説得した。自分が正しいと聞く耳を持たなかったのは彼だ。
.

取水保護の責任はない 池管理の地元土地改良区

 −男性は、土地改良区が池から取水できるよう維持管理する義務を怠ったと訴えている。

 まず確認しておきたいのはため池は農業利水用だということ。2006年11月、集落側から全世帯の同意書を提出されたため、同年12月、「特別の配慮」で池からの取水を許可した。同時に男性には、池の水位が下がったり、池干しなどのため取水ができなくなったりしても、改良区に異議を申し立てないという誓約書を出してもらっている。農業利水が最優先で、改良区には、男性が取水できるようにため池を管理する法的責任はないと考える。

−集落側から2017年1月、改良区に取水同意についての取り下げ書が提出された。男性への取水許可は無効になっているのか。

 保留と考えている。家族の生活権もあるため、集落から同意取り下げ書が提出されたからといって、一方的に許可を取り消すわけにもいかない。ただ、改良区の構成員でもある集落側の意向を無視するわけにもいかない。非常に難しい立場だということを男性には理解してほしい。
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 −改良区は集落寄りだと男性は指摘している。

 過去、農業用ため池なのに、飲料用以外の生活雑用水として男性に取水させていることに、県から疑義が指摘されたこともあった。だが、集落の同意もあるからと男性の取水権を守った。集落と男性の仲介役として話し合いの場も設定したが、男性は姿を現さなかった。改良区には法的責任はなく、集落のもめ事をこれ以上調整することも困難だと考えている。
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先鋭化させないシステム急務 大東文化大・島田恵司教授(自治体政策論)

 人口減少で移住者の受け入れに積極的な自治体は多いが、各地で元々の住民との摩擦が問題となっている。解決が困難なケースもあり、行政は問題が起こることを前提に、対立を先鋭化させないシステム作りを行う必要がある。

144. 中川隆[-12076] koaQ7Jey 2019年2月19日 10:09:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22249] 報告

2019年02月18日
日本の田舎は変われるか 移住者を追い出すから人口が減る


限界集落では住人自身に問題があり人が離れていくことが多い


画像引用:https://d3numabb4btu5o.cloudfront.net/assets/images/reading/posts/9594/1603bb23-f642-47ad-97d2-8b0b88446f56.jpg

移住者いじめという田舎文化

都会から田舎に移住するUターンやIターンが増えているが、問題点も明らかになった。

人口減少になやむ過疎地域ほど、移住者への反発が強く、公然といじめや村八分を行っている。

しかも「移住者募集します」とネットで公募しているような過疎地ほど、移住するといじめに遭うので始末が悪い。



住民たちは人口を増やしたいと思っているが、同時に既得権を手放す気はまったくない。

今まで人口10人だった集落に3人家族が移住してきたら13人になり、それだけ先住者の権利は失われてしまう。

町内会でもゴミ出しルールでも神社や寺の運営でも、なんでも自分たちだけで決めていたのに、ある日よそ者が来て「それはダメだ」と言い出すのが耐えられない。


こうした過疎の村は家長である数人の実力者が代表になり、その中でも力のある1人の人物が全権力を握っていることが多い。

移住者がその大ボスに従順な態度を見せないと村八分になり、受け入れられても新参者は住民の最底辺になる。

山口県周南市の「かつを事件」やその後発生したトラブルの多くは、このように発生していました。


奈良県のある山間地では町内会費を払わないという理由で電気の供給を拒否され、隣の市から電線を引いた。

他の複数の過疎地でも、町内会をめぐってトラブルがあり、ゴミ出し場を使用させないなどの村八分が発生している。

ある程度の都会では町内会に入ろうが入るまいがゴミ出しは市民の当然の権利だから、町内会費を払っていない人が多い。

田舎が変わらないと人口は減るばかり

過疎地では町内会は強制で会費を払わなかったり活動しないのは非国民のような存在になってしまう。

田舎では集団で草刈りしたり神社などの行事をしていて、都会の人はそれを見て「のどかな風景だ」と思うが多くが強制です。

消防団とかも強制だしPTAも強制、過疎地では民間サービスも行政サービスもないので、住民にボランティアを強制することでやっと村を維持している。


ところが人口が残り100人を切るような過疎の集落ほど、先住者は既得権を守るために「よそ者いじめ」に精を出すから益々人口が減ってしまう。

移住してきた人も数年で出ていき(追い出され)、子供が生まれても街に引っ越すので住民は老人だけになる。

老人だけになった集落はさらに頭が固くなり、自分たちのルールに固執しさらによそ者いじめを過激化させる。


こんな事が全国の過疎地で起きていて、名指しすると長野県や奈良県、秋田県、山梨県の山間部などが評判が悪い。

移住者を募集しておいて移住したら追い出そうとするのは、募集しているのは役所の職員で住民ではないからです。

役所の職員は移住者を騙して連れてくれば自分の成果になるが、後の面倒は一切見てくれません。


役人は募集時の説明では良いことだけを話すが、実際に移住したら移住者を放置します。

「人口減に悩む過疎の村」はまるで被害者のような言い分だが、人が出ていくような事ばかりしたから人口が減った面もある。
http://www.thutmosev.com/archives/79048819.html

145. 中川隆[-11545] koaQ7Jey 2019年3月10日 12:00:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[448] 報告

「憧れの田舎ライフ」で常に警戒すべき“因習リスク” 若夫婦を苦しめた“奴隷の亡霊”
3/10(日) 7:00配信 デイリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190310-00558023-shincho-soci

移住先の“恐怖体験”とは


次男や次女は、長男の“奴隷”

「こっちの水は甘いぞ」とばかりに、パンフレットにホームページまで、今や「移住者」という拡大市場を狙い、自治体から不動産業まで沸き立っている。だが、いきなりの移住はドツボにはまるリスクがある。ある夫婦は、移住先の“恐怖体験”を理由に、そこを去らなければならなかったという。

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 学生時代にワンダーフォーゲルサークルで知り合った山好きな立石泰典さん(仮名)夫妻は、都会でのサラリーマン生活に早々に見切りをつけ、就農を考えていた。

「学生時代に何度も登った駒ヶ岳が懐かしくて。そのふもとで自分のペースで農業をしながら暮して、時間があるときには駒ヶ岳をはじめ南アルプスの山々を散策できれば……」

 そう考えた2人は、まずは実家が空き屋になっているという学生時代の友人のツテで、納屋同然の古民家を借りた。南アルプスのふもとを太平洋へと流れる天竜川沿い、長野県南部の小さな集落だった。

 同い年の2人は、ちょうど38歳。結婚5年目ながら、都会では共働きで、まだ子供はいなかった。

「どんなことにも耐えられる自信はあったんです。ですが、まさか地元との人たちの人間性に耐えられないというのは、自分たちにとっても予想外でした。それに、ああいった因縁ともいえる深い歴史がある土地だということは、行ってみるまではまったく想像もできませんでした」

 移り住んだ“寒村”は、いまや人口1000人ほど。そのほとんどはお年寄りで、学生生活を終え、都会からUターンしてきた若い衆は、ことごとく役場に勤めている。

 住み始めてまもなく、不思議なことに気づかされた。集落の者に挨拶をしても、返事がないのだ。首をかしげるが返事をしない者、顔さえこちらに向けず目も合わせない者、年寄りばかりでもなかった。比較的まだ若いと思われる50代、60代と思しき者たちも、ことごとく、である。

 いずれ馴れてくれば挨拶を返してもらえることもあるだろう――。そう考えた夫婦は、ことごとく無視されても、小さな集落でとにかくすれ違えば大きな声で丁寧に挨拶をし、立ち止まって会釈を繰り返していた。だが……。

「まるで目の前に誰もいないかのように、完全に無視なんですよ。周りには誰もいないし、こっちの声が聞こえない距離でもない。でも、無視なんです」

 当初、役場の担当者とともに挨拶に回ったときには笑顔で歓談してくれた相手でさえ、道ばたですれ違っても「無視」であった。集落の集まりでは拍手をして迎えてくれた面々でさえ、個別に顔を会わせれば「無視」である。

 馴れてくればと思いながら、どんなに話しかけても無視されるばかり。会話らしきものに応じるのは役場の職員くらいだ。役場のホームページには移住者勧誘の専門ページがあり、地元民の「人柄のよさ」が謳われていたからかもしれない。

 こんな無視がいったいいつまで続くのだろうか、と悩んだ立石さんは、学生時代に知り合った、この地域出身の友人に、ついに相談することにした。すると友人は、こともなげにこう言うではないか。

「ああ、よそ者を無視するなんて当たり前だよ。いちいち気にしてたら、生きていけないよ。無視されても、こちらからとにかく頭を下げ続けておくことだね。そのうち気が向けば、あっちも応じてくれることがあるかもしれないから。それがいつになるのか、何のきっかけで会話をしてくれるようになるのかは、わからないよ。でも、こっちから先に頭を下げ続けておくことが大事なんだわ。無視してても、あっちはこっちの態度を見てるから」

 まるで、「無視こそ文化」と言わんばかりである。立石さん夫妻が移住を試みたのは、その地域の出身者でさえそう認める場所だったのだ。さらに友人は、不穏な話をほのめかした。

「まあ、いろいろと暗い過去があった土地だからね。ただ、もうそんな習慣はとっくにないけど。実際に経験した人たちもほとんど死んじゃっているんだけど、そんな風習がずっとあった場所だから、何かと外から来た者に対して強い警戒感が残っているのかもしれない……」

 その土地では、長男以外に産まれた者は、分家はおろか結婚さえ許されず、一生涯、長男一家のために働き、尽くして亡くなっていく。次男、次女に産まれれば、それが運命づけられていた。かつてそんな風習があったというのだ。

 立石さんにとっては、生まれて初めて聞く因習だった。極めて封建的で、移住者を受入れない原因は、ここにあるに違いない。早速、夫婦は調査に乗り出した。


軽視できない“因習”リスク

「そんなことを突然、訊かれても、答えられん」

 集落一帯を代々見守ってきた寺の住職らにそのことを訊ねると、顔をこわばらせ、狼狽を隠さなかった。どうやら、県南部から静岡県へと下り、太平洋へと注ぐ天竜川沿いの集落には、広く定着していた習慣のようだった。

 かの地では、子供の運命は、産まれ落ちたときに定まってしまう。長く天竜川沿いで林業を営んできた古老が説くには、

「昔から、長男が家督を継ぐという話は当然あったんだが、そこでは次男坊、三男坊が家を継げないだけではなくて、長男のために生涯を捧げるというか、長男のために尽くして生涯を終えていくっていうことで、まるで奴隷みたいだって言う人もいた」

 先の住職が顔色を変え、言いよどんだのは、そうした者たちが、どのように生き、そして弔われてきたのかを訊ねたときだった。

 住職を強く警戒させたのも無理はない。その因習が戦後も長く続いていた集落や、その周辺域では、どこの家にも「被害者」とでも言うべき「彼ら」が存在していたことを知っている。しかし、今となっては一切触れられたくない。まさに封じられた因習なのだ。立石さん夫妻が移住したのは、そんな“過去を封印した土地”だったというわけだ。

 結局、「彼ら」の痕跡を訊ね歩いても「知っているが言いたくない」「どの家かは教えられない」と、一様にそんな返答ばかりである。

 しかし戦前、この地方に「彼ら」は溢れていた。決して多くはない集落の戸数のなかで、「この家だけ、あの家だけ、ということはなく、どの家にもたいてい2、3人は、そうした人々がいたものだった」(先の古老)のだ。

「彼ら」は長男一家と同居はしているが、食事をするのは、家長である長男や長男家族とは離れた場所であり、寝るのは納屋のような離れの小屋だった。はたから見れば、使用人や家政婦のような扱いに見えるかもしれない。

「彼ら」が、いわゆる「公」の場所に現れることはまずない。村の祭りなど、公式行事やハレの場に姿を見せることは、暗黙のうちに禁忌とされ、「彼ら」もまた、それに抗うことなく了承していた。

 産まれ落ちた家で、長男家のためにただひたすらに農作業や雑務をこなす一方で、もとより現金収入の乏しい山村ゆえ、「彼ら」に労働対価が支払われることはほとんどなかった。「彼ら」はただ長男家に尽くしている限りにおいて、衣食住が保証されていた。

 1964年に刊行された専門誌『精神医学』(医学書院)は、信州大学の研究者らによる調査結果を伝えている。同誌によると、《長野県の山奥の部落で古来その未分化的社会情勢に応じて人間疎外がやむをえず行われ》たとし、彼らの特徴を《感情が鈍く、無関心で、無口で人ぎらいで、自発性も少ない》と指摘した。

 明治の始め頃には、2000人ほどの人口に対して、およそ200人の「彼ら」が存在したとされ、人口比にして10%ほどを占めたとみられている。戦後はさすがに激減し、わずか数人にまで落ち込んだようだが、高度経済成長期の前夜まで最後の世代が健在だったことが確認されている。
 
「彼らは“福の神”とか呼ばれたなんて話もあるけれども、あの墓にはびっくりした」

「土饅頭にもなっていない、石がただポツンと置かれた、ただそれだけ。もちろん、家の墓とは別の場所に、ただ石を置いてあるだけで」

「彼ら」の墓を見た立石夫妻はそう言うのだった。立石夫妻が墓に辿り着いたとき、そこにはもちろん、墓誌などは一切なかった。

 墓地と呼べばそう見えなくもなく、ただの野原と言われれば、そうとも見える場所である。ただ、弔いの石は確かに、かつての「彼ら」の存在の数を裏付けるように、そこここに置かれていた。

 立石さん夫妻が移住を試みたのは、地元の人々でさえ押し黙る、そんな過去と歴史をまとった場所だったのだ。詳細を知った夫妻は、見知らぬ土地での就農は諦めた。土地が抱える業の深さともいうべきものを知り、恐ろしくなったからだった。

「もしかしたら、あの石も、この石も、彼らの墓石だったかもしれないなんて思えてきたら、なんだかとても収穫どころじゃないな、なんて思えてしまって……」

 移住支援策、定住促進パンフレットが決して謳わない因習は、長野だけに限らず日本全国、そこここにある。もちろん、そうした因習や暗い記憶は、地元町村誌や活字をつぶさに紐解いても記載されていることもまずない。

 地元の人でなければ、決して外からはうかがい知ることのできない風習と歴史を、日本の集落はどこも抱えている。移住勧誘のパンフレットから、あるいは移住相談会に並ぶ明るい笑顔の担当者からは、その背後に潜む、そんな歴史を見抜くことは難しい。

 人間は、その土地が孕む“歴史”によって育まれるものでもある。過酷な因習、暗い記憶は、住んでみなければ知り得ない。

 そんな土地に一目惚れし、なけなしの貯金や退職金をつぎ込み、何千万円もかけてログハウスでも建てようものならば、後の祭になりかねない。

 まずは借住し、じっくりと「人」に加えて「歴史」を“観察”してから、定住先を決めるべきだろう。移住・定住とは、そんな各地が封印している“歴史”のなかに飛び込む行為にほからならないのだ。

 結局、立石夫妻は、県南部での生活をわずか1年で終えた。南アルプスを越え、今は山梨県側に移り住んだ立石夫妻は、現在は公営住宅を借りながら終の住処を探している。

 ヤバいことがわかったら、いつでも引き払い転住できる、気楽な「借住」こそがお勧めだと、夫婦揃って声をそろえる。その言葉には説得力があった。

取材・文/清泉亮(せいせん・とおる)
移住アドバイザー。著書に『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)

週刊新潮WEB取材班

2019年3月10日 掲載

146. 中川隆[-11543] koaQ7Jey 2019年3月10日 12:13:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[450] 報告
憧れの「田舎暮らし」なんて真っ赤な嘘 女性が直面する“移住地獄”とは 2019年1月4日
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/01040558/?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back&all=1


現実は甘くない

移住女性に浴びせられる“罵詈雑言”

 小さくてもいい。田畑で家庭菜園をしながら、慎ましく暮していければ――。そんな思いが募り、ついに始めた夢の田舎暮らし。しかし、現実は甘くない。とりわけ女性にとっては堪え難い話も多い。

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 地方は現在でも“男社会”が圧倒的。“男衆”の価値観が支配する集落に飛び込んだ、ある妻の苦悩とは……。

「集落では一人が言い出すと、全員が自分の意思に関係なくそっちに流されますから、昨日までの友も今日の敵で、もうダメなんですね。理屈じゃないんです。たとえ理不尽な言いがかりであっても、言われたら最後、噂を立てられたら最後なんです」

 五町田貞子(42歳・仮名)さんは、こう言う。そばに寄り添う夫の弘信さん(48・仮名)が黙ってうなずく。

 現在は長野県松本市に住む五町田さん夫妻が先頃まで住んでいたのは、やはり長野県内の小さな集落だった。そこは冬場になれば、あたりの林道はこぞって通行止めとなり、ほとんど陸の孤島に近い地形にあった。

 東京生まれ東京育ちで、大学では建築を専攻した夫の弘信さんは、建築会社で設計士としてキャリアを積み、40歳になるときに独立して設計事務所を立ち上げた。

 それまで築いた建築関係の人脈で設計請負の仕事は順調だったが、以前から夢だった山村での自然環境を生かした設計を手がけたいと、田舎暮らしに踏み切った。事務所を手伝っていた妻の貞子さんも、やはり東京育ち。「高層ビルの森はもう見飽きて」と、まさに夫唱婦随での田舎暮らしとなった。

 幾度も地域を訪れ、役所を通じて地域の有力者らへの挨拶も丁重に繰り返したうえで、人間関係に軋轢が生じないようにと十二分にケアをしてからの移住実行となった。

 だが、現実は想像以上のものだった。集落の公民館で移住者に向けられる言葉からして、苛烈なものばかりだった。

「東京の江東区から移住してきた70代の女性に対して、『あのババアは区費の払いが悪いくせに最新の石油ヒーターを使いやがって』とか、『東京から来たあっちの嫁は真っ昼間だってのにカーテンを閉めっぱなしにしやがって』とか、まあ、言葉がキタナイのなんのって。都会から来た私たちでさえ驚くほどの口の悪さでした。まるで素行不良の中学生みたいな……」

 この集落では毎年、住民が金を出し合って、代表者が新幹線で年末ジャンボ宝くじを東京・有楽町のチャンスセンターまで購入しに行くという“年中行事”がある。

「不参加を伝えると、『都会から来てカネを出さねえなんてふざけやがって。誰のカネで生活できてると思ってやがるんだ』ですからね。とにかく『移住者はカネを落とせ』、『カネを拠出しろ』と、まあカネ、カネ、カネ。もしくは、露骨に浴びせられる罵詈雑言ばかりでした」

 そんな地にも、まれに妙齢の“お一人様”の女性移住者が流れ着くことがある。

「畜産の地なので、あるとき女性の獣医さんが越してきたんです。そして、公民館で挨拶に立った女性の獣医さんに、男連中からこんな言葉が飛び交うんです。『おーいっ、彼氏はいるのかー、彼氏はーっ』。それを合図に、合いの手を入れるかのように、あっちからもこっちからもで、その下品なことといったら……。若い獣医さんは可哀想に、赤面したまま言葉なく立ち尽くしていましたよ。しかも、それの何がおかしいのか、男たちはドッと大笑いなんです。都会や会社の歓送迎会でそんなことをやったら、今時は『セクハラだ』、『モラハラだ』と言われかねませんが、いかにも男社会いまだ健在といった感じですね」

 そして、女性への配慮が、いまだに乏しいのだという。

「年に1度の集団検診では、体育館に男女問わず、1列に並んで検尿、検便を提出させるんですが、検診はおおむね集落を区切って検診日を決めているんで、指定された日に行くと、当然、前後左右みんな隣近所の見知った顔ばかりです。その検尿、検便を提出する机には、毎年こうプラスチックに印字された大きなプレートが出ているんです。『生理の方は申し出てください』って。前後左右は隣近所のオッサン、オバサンばかりですよ。そこで若い女性が、『今日生理です』なんて申告したらまる聞こえじゃないですか」

 さすがに見かねた五町田貞子さんが、役所の女性担当者に改善を要望したという。

「『隣人のおじさんがいる前で、今日生理ですって、あなたなら言えるんですか』って。『都会だったら、今時こんなことをしたら役所が突き上げられますよ』って。でも変わりませんでした。理由はこうでした。『毎年そうやってますから』って……」

 ゴミの収集では、完全に無色透明なビニール袋が指定されている。中身は当然、丸見えだ。

「そんなゴミ袋に、名前を書かなければなりません。女性なんかは恥ずかしくて、生理用品の袋ひとつ入れられないわけですよ。トイレは汲み取り式だし、浄化槽に流すわけにもいきませんから。結局、そうした恥ずかしいものは、夜のうちに車に積んでおいて、たまに遠くのコンビニに行った折に、そこのゴミ箱に捨てることになります。このように、田舎の集落へ移住した女性は比較的歓迎される一方、女性に対する配慮は公私ともにありませんね」

 過疎の地ほど、嫁の来手や後継者不足が、今もなお現実の課題である。そうした集落では、女性は大切に扱われる傾向が強い。ここで紹介した女性の苦労話は、移住体験談として、むしろ例外の部類に入るのは事実だ。

「実際、小学校や分校に独身の女性教師が派遣されてくると、そうした女性教師に男衆がアプローチして結婚した例は数多くあります。集落の若い男性は、そういうことでしか女性との出会いがないので」(同・五町田貞子さん)

 しかしながら、女性と男性の違いは当然として、既婚女性と独身女性の間でも、集落での扱われ方は決定的に異なる。移住の体験談も、その辺りを斟酌したうえで耳を傾けるべきだろう。

人間関係が厳しくとも離婚しない“地元嫁”

 五町田貞子さんが言う。「とにかく、生活費は高くつきますよ。集落の人間関係をうまくやろうとすればするほど、やっぱり最後はカネの話に行きつくんです」

 人間関係を円滑にしようと思えば、カネが必要――どういうことだろうか?

「人口が少なくて世帯数も少ない集落では、皆が助け合って和気あいあいとやっているのではないか、という印象を外からは持ちがちですが、とんでもないんです。むしろ、狭い土地ほど隣人同士のいがみ合いさえあって、それが表面化したときは凄いですよ。私がいた集落はもう、村長派と反村長派で二分していて、道路をはさんで、やれこっちに住んでいる者は村長の親戚が経営するガソリンスタンドから灯油を買わなければだめだとか」

 しかし、灯油もガソリンも、値段表示さえないというのだ。そのため、極めて高くつくこともあるという。

「30キロ近く離れたホームセンターに灯油缶を持っていって買ってきたほうが安いくらいですから。でも、それを見られると突きあげられるので、夜中、近所の人が寝静まった頃にこっそり、電気を消したまま家のなかからホースを延ばして外の灯油タンクに移すんです。バカバカしくなりますよ」

 隣人監視の目が厳しいのは、生活物資の調達や購買先すべてに及ぶ。

「遠くのイオンモールのショッピングバッグを家に運び込んでいるのが目につこうものなら、わざわざ自宅の戸を叩いてまで、『生活用品は農協の店で買え』ですからね。というのも、農協の店が商売にならなくなったら自分たちが生活できなくなってしまうからです。もちろん事情はわかりますが、イオンで90円のものが過疎地の農協直営店では150円ですからね。そもそも地方に移住してきている段階で、都会での会社勤めよりも収入そのものが減っていますから。そこに生活コストだけが倍になったら、やっていけませんよ」

 都会暮らしでは、まず体験できないような出費もかさむという。

「これは盲点ですが、地方の不動産物件は、公営住宅であれ、古民家であれ、和室が極端に多いんです。入居するときには『ああ、い草の上に寝っ転がったら気持ちいいじゃない』と気になりませんが、退出のときに必ず畳の“表替え”ってやりますよね。汚れた畳の表面を取り替えるものですが、和室が多いってことは、畳の表替えの枚数が多いってことなんです。田舎は畳屋も競争がありませんから、これがバカ高いんですよ。1枚8千円くらいから取りますから。10畳の部屋が2つもある古民家ならば、退出のときの表替えの費用だけで16万円です。家賃が安いので、表替えだけで軽く敷金はすべて飛びますから要注意です」

 役場や不動産業者は、敷金をはるかに凌ぐ退出コストがかかることなど、まず教えてくれない。

「カネを落としてもらうべき、飛んで火に入る夏の虫に、わざわざ不都合な話を教えてはくれませんからね」

 とはいえ、集落は意外にも、若い住人が少なくない。彼ら彼女らはみな、都会での教育を終えると、実家に戻ってきているのだ。何かと生活コストがかかり、人間関係が難しい土地であっても、昨今は過疎地でさえ都会人が想像するほど『若年層が皆無』ということはない。むしろ、地元出身の若い夫婦のUターンが盛んでさえある。そこには“事情”がある。

「行政や雇用促進の団体は盛んに施策効果を謳っていますが、実感としてはちょっと違いますね。地元出身者らが戻ってくるのは、決してそこが住みやすいから、懐かしいからではなくて、経済的な事情が大きいのではないでしょうか。詰まるところ、親が子供を呼び寄せ、居着かせるために、惜しまずにカネを出すからです」

 集落に戻ってきた子供たちは、実家の敷地内に新築のマイホームを建ててもらえるのだ。もちろん、土地は親のものなのでタダ、自宅の建設費もタダ。

「クルマは新車を次々に乗り換えて、そのクルマだって地方では家族の数だけ必要ですから、親が出している例はいくらでもありますよ。つまり、都会では働いても働いても賃金が上がらないワーキングプアなどと言われている現代では、子供たちも親元に戻ってきたほうが生活が楽なんですよ。むしろ、親元に戻ってこないと生活がままならない時代でもあるんですね」

 若衆が集まれば、こんな会話が交されるという。

「『もう、都会に出て行く』って言ったらよ、『クルマ買ってやるから』って言うじゃんよ。農協行ってすぐにカネおろして来ちゃってクルマ買ってもらっちゃったから、まだしばらくは出ていけんじゃんね」

 親のほうも、あの手この手で必死の引き留め工作だ。だが、病院通いに限らず、いざというとき手となり足となる我が子をそばに置いておくためと思えば、マイホーム代やクルマ代など安いものだろう。老人ホームに入るためのお金を子供に投資するようなものである。

 あるときその地方に、東京で人気の「いきなり!ステーキ」の店舗ができた。そこには、年老いた父母に中年の息子か娘といった組み合わせが、平日でも開店と同時に溢れていたという。さすがに“柔らかいステーキ”という評判でも、見ているだけで心配してしまうほど高齢の老父母は、我が子が「ステーキ食いたい」と言えば、財布を持ってどこまででも付いていくのだ。子供の心を引き留めたい一心なのだろう。

 だからこそ、人間関係がどんなに難しくとも、嫁は自宅の敷地内で夫の親と半ば同居し、どんなに精神的に不便があっても絶対に出て行かないという。


女性がタバコを吸えば“犯罪者”

 五町田貞子さんは、女性の喫煙も要注意だと明かす。

「最近は集落の奥さんたちも、みんなタバコを吸いますよ。でも、集落で女性がタバコを吸っているところなんか見られたら、もう、それこそ犯罪者扱いですよ。『女のくせにタバコなんか吸いやがって』って。周囲からそう罵声を浴びせられるだけでなく、その奥さんの嫁ぎ先の家の名誉にまでかかわってきますから、隠れて吸うのに必死です」

 見つかったら大変だ。「あそこの嫁は、あの女は、タバコなんか吸ってやがるぞ」と、まるで犯罪者扱いだ。

「だから、タバコを吸うときだけは、誰もいない山のなかの奥の奥のまで車を走らせたり、あるいは、集落の者はあまり立ち寄らないような生活圏から離れたコンビニまで行って……。一服するのに、1本吸うのに、もう大変です。ガソリン代のほうが高くつきます(笑)。女のくせにタバコなんかって。それでいて男たちは、役所の前だろうが、畑だろうが、プカプカやってますからね。女のくせにって……時代錯誤も甚だしい。でも、それが常識なのが地方の集落ですから。でも、それでも出て行かないんですよ、地元出身者やその奥さんは」

 高断熱高気密の自宅を建ててもらい、車も買ってもらい、子供の経費の面倒もみてくれる――。それはやはり、実家に“寄生”していなければ成り立たない、田舎暮らしの良さなのだろう。

 そんな地元出身者、Uターン夫婦の生活ぶりを見て、移住者が自分の生活像を重ねてはいけないのだ。「しかも……」と貞子さんは明かす。嫁はときに、家族として数のうちに入らない扱いなのだとか。

「これは長野のその集落だけじゃなくて、山梨県北杜市とか移住人気地でも共通ですよ。あのあたりじゃ、実家の姑は息子夫婦のところに、おやつだ、おすそ分けだといって、お菓子やお土産を持ってきても、例えば4人家族でも必ず3つしか持ってこないんです。それを奥さんが『夫が帰ってくる前においしくて食べちゃって』と姑に言うと、また姑は持ってくる。しかも、また3つだけ。息子である夫と孫である子供2人の分だけ。これは山梨から長野にかけて、どこでもそういう話を聞きます」

 つまり、嫁の分は勘定に入っていない。決して嫁と姑の関係が悪くなくても、姑はそうするのだという。

「つまり、姑たちが嫁いできた時代から、そうした習慣なんでしょうね、嫁の扱われ方として。都会の女性にはまったく理解できない作法で、彼女たちは陰ではブツブツ言いますが、決して集落から出て行きません。そうした奥さんたちはたいがい、家もクルマも子供の生活費も、そして農家だから食料も、実家から供給されているからなんです。つまり多少嫌なことがあっても、経済的なメリットのほうが勝っているから出て行かないだけのことなんです。それを見て移住者たちが、若い人たちも居着いているから住みやすいんだ、と思うと大間違いです」

 いよいよそんな集落に嫌気がさした貞子さんは、「こんなところに死ぬまで住むのはとても無理」と、ついに新たな移住先へと再び“転住”を決意した。その際、移住以来、なにくれとなく話し相手になってくれていた県警の駐在所に挨拶に行った。

 長野県内の駐在を転々としてきて、まもなく定年を迎えようかという駐在さんは、こう教えるのだった。

「あんたも出て行くか。あんたなんかは長いほうだったよ。もうね、入れ替わり立ち替わりだからね。定住なんかとはほど遠いよ」

 駐在さんは常に、狭い集落の人間の出入りと、転入、転出を目配りしている。移住者が転入してくる場所は限られている。そうした番地の住民の流れを見ていると、早ければ数カ月、長くても1年未満で外に出て行ってしまうという。

「あまりの入れ替わり立ち替わりで、こっちが挨拶に行こうと思ってると、もう出てっちゃってるんだから」と駐在は笑うのだった。

「この辺りは、3代住んでもまだ地元の者としては認められないからね。県をまたいで山梨から嫁いできた85歳のおばあちゃんなんかは、まだヨソ者扱いだから。移住してきた人たちが本心から受入れられるっていうのは、まず考えられないね」

 近くには、移住後10年近く、集落の住人から無視され続けてきたという移住者もいた。だが、都会や会社でのストレスから解放された退職後、そこから「10年もの無視」に耐える“意義”を移住者が見つけられるだろうか……。五町田貞子さんは言う。

「集落に居た頃は、冬場なんて朝は4時、5時から雪かきで、6時に出て行こうものならば、『もう終わったずら』なんて嫌みを言われる毎日でした。今は移住者ばかりが集まっている新興住宅地のような場所なので気が楽です」

 夫の弘信さんも同感だという。

「女房がタバコを吸うときでも、今はもう気兼ねなく堂々とですよ。隣の奥さんと仲良く、縁側でのびのびと世間話しながら、1本頂戴、いいよ、なんてやってますよ。女性がタバコを吸うためだけに車を走らせなきゃいけない田舎暮らしってね、なんだったんでしょうね」

取材・文/清泉亮(せいせん・とおる)
移住アドバイザー。著書に『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)

週刊新潮WEB取材班

147. 中川隆[-10449] koaQ7Jey 2019年5月16日 17:24:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1849] 報告
2019年05月14日
★明治期庶民がどのようにして新しい家族制度を受け入れたのか

江戸時代は、庶民の結婚スタイルは自由であり、混浴の銭湯が社交場であったとか、主婦が行う期間限定のレンタル妻という職業や、隠れた人気職業は「妾」だったetc…男女関係においても、とても大らかな時代でした。

それが明治時代に入ると西洋文化を取り入れた近代化が進められ、人々の生活が大きく変化していきました。中でも、新しくできた家族制度について庶民たちはどのように感じ、受け入れていったのでしょうか?


******************************************************

庶民にとって暮らしの中で最も身近な位置にある家族制度が、明治期になりどのように変わり受け入れられていったかを調べてみました。
江戸時代の家族は、以下のような姿でした。

●江戸時代中期頃になると、新田開発などが進み小農が自立するようになり、人口の大多数を占めていた農民の中では比較的小規模な直系家族が形成されるようになっていました。

●農民に次いで人口の多かった武士は、長男相続・親と長男夫婦の同居・都市居住のサラリーマンで妻は専業主婦という家族形態が主流でした。(近代以降の家族の原型になるものでした)

●一方、都市部に暮らしていた庶民(町人)たちは長屋の共同体的な世界に暮らしながら、基本は小家族あるいは単身所帯でした。

さて、明治維新を経て、西欧列強に伍してゆくために中央集権体制の国民国家の形成を目指して様々な制度が作られていきました。

家族制度に直接繋がるものとしては、明治4年制定の戸籍法があり、明治6年に地租改正と徴兵令が定められました。

戸籍法によって戸主が定められ、地租改正で土地の権利が定められると戸主名義の財産となっていきました。また、徴兵制が成人男子を対象にしていて、一時、戸主の免役があったことから、長男相続へと方向付ける原因のひとつになったようです。

その後、明治23年に教育勅語が発せられ、明治31年に家族制度を明文化した民法が制定されました。

教育勅語については、当時回付された西欧流の民法草案に対して、家族の中に権利規定などを持ち込むべきでないという考えを持った保守層などがその制定を強く働きかけたようです。

明治民法は、欧米列強と付き合い、治外法権を撤廃させるために欧米流の法制度を制定するという色彩が濃かったようです。そのため、国内では様々な議論があり、家族法関連の規定についてはある意味骨抜きにされた条文で制定されました。
このあたりの事情については、ざっと以下のようです。

●明治民法は、 元老院の審議によって多くの条文を削除されて実効力を削がれた旧民法の条文をもとに、 明治前期に整備されていた戸籍制度を基礎にして、 戸籍に体現される 「家」 を基幹の家族制度として家族法の規定を整備した。 この結果、 日本民法は、 相続という効果を除けば、 戸籍の登録基準を定める法として主に機能するものになってしまった。

●明治民法は、 本来的な家族法としては無力な法であったけれども、 家制度を定めて家族の正統的なあり方を宣言することにより国民の家族意識を形成する法としては、 圧倒的に強力なイデオロギー的効果をもった。

当初は現在の住民基本台帳と同じように、 ひとつの屋敷ごとの住民登録として作成された戸籍は、 実際の生活を反映したものであったから、 もともと家制度は生活実態や感情と重なるものではあった。 しかし逆に、 明治民法の家制度や戸籍制度によってそれが制度化され、 その制度の側が国民の意識を形成したことも大きかった。

●家制度は国家公認のイデオロギーとして推進された。 明治民法立法以前は、 わが国では戸籍上も夫婦別姓であったのだが、 その記憶は瞬く間に遠のいた。

●明治民法そのものよりもあるいは戸籍制度や氏のほうが、 国民の家族意識形成に働いた力は大きかったかもしれない。

住民登録とも連絡しており公開原則のもとで本人の意思にかかわらず他人から容易にアクセスできる戸籍という家族簿は、 国民各人が人生の重要な場面で記載内容が問題とされる逃れられない身分証明でもあって、 その記載はさまざまな差別をもたらしうるものであったから、 戸籍の記載内容への関心は絶大なものであり、 その存在が国民の意識に重大な影響力をもつのも当然のなりゆきであった。

●第2次大戦後の民法改正はイデオロギー的にはたしかに大きな転換ではあったけれども、 実際には、 家意識は、 戦後改正による家制度の解体後も根強く残った。 それには、 氏の果たした機能が大きかったと思われる。 個人の表象である氏名は本人にとって人格権的な意味をもつ非常に重要なものであるから、 本人の意思に合致した変更であればともかく、 意思に反しても婚姻に伴って氏を変更させることは、 「家」 の変更として人々の意識に圧倒的な影響力をもたらしたであろう。

以上から見えてくるのは、戸籍法、地租改正、徴兵令、教育勅語、民法といった様々な法律、制度が制定されたとはいえ、新しい家族制度への変化の上では戸籍登録と婚姻に伴う氏の変更(庶民に名字が許されたのは明治になってから)という実態的な規定に基づく「家」の具象化が基礎になっていたと言えるようです。

そして、教育勅語で「親への孝行」などが教え込まれ、戸主の財産権の規定から民法での家父長の規定へと繋がる序列観念の浸透が「家」制度を補強するようになっていったと思われます。

江戸期の庶民(農民、町人)たちのおおらかな婚姻規範と共同体的なつながりの中に組み込まれていた家族は、明治期の西欧列強に伍するための中央集権体制の国民国家の形成を目指した法制度の制定と近代的な産業社会への移行という社会の変化の中で、「家」制度に基づく家父長の下に統率された家族へと変化していきました。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/05/3661.html

148. 中川隆[-9574] koaQ7Jey 2019年6月16日 21:25:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2900] 報告

大家族生活の良さ 2019年06月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

 柳田国男が、明治42年(1909年)に、白川郷を訪れたとき、大家族生活の印象を書き残している。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2279832.html

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 引用以上

 ちなみに「チュウビンテンメン」という用語は、ネット上で探しても出てこない。広辞苑や大言海でも無理かも知れない。「秋風帖」という柳田の著作には漢字で出てくるものの、今では誰も理解困難だ。

 柳田が言いたかったことは、「白川郷の大家族生活には孤独が存在しない」ということである。しかし、冒頭の私のブログに書いてあるように、昭和初期には、女性たちは、高山や岡谷、富山などの紡織産業に出稼ぎに出ていて、ひとたび外の世界の「自由」に触れた者たちは、再び白川郷に戻らなかった。

 白川郷の労働が激しかった理由は、たぶん戦国時代に、煙硝=硝酸カリの製造法が発見され、その最適地として知られたのが飛騨合掌家屋であったことだろう。
 雪深く湿度が高い環境と、一軒家に多数の人々が暮らしているので、原料となる屎尿・青草の入手が容易な白川郷や五箇山では効率的な煙硝の製造が可能だった。加賀藩や高山藩が煙硝製造に焦って、住民たちに年貢の代替として無理な負荷をかけ続けた事情は容易に窺える。

 白川郷には男女の集団生活があったが、彼らはプライバシーに飢えていた。
 我々が、大家族生活の利点に憧れるとき、最も警戒しなければならないことが、人が多すぎてプライバシーがもたらす休息が失われることの可能性である。

 大家族には生活上の利点が実に多い。

 何よりも、食事、洗濯、買い物などで、たくさんの消費を効率的に満足させられるのである。一度にたくさんの仕事をするから、孤立した小家族に比べて、一人あたりの消費は実に合理的に行える。

 間違いを犯しても、仲間がすぐに指摘してくれるし、分からないことは教えてもらえる。
 
 生活の必要経費と労働量は、小家族と大家族では極めて大きな差が生じる。

 何よりも、一人主婦が家事を行うのと、数名でワイワイガヤガヤと共同して行うのでは、同じ家事でも雲泥の差、共同には人生の楽しさのエッセンスが詰まっている。

 一人の仕事はつまらない。人は共同にこそ人生のすべての楽しみを得られるように設計されているのである。

 洗濯機や冷蔵庫、掃除機など家電製品で考えれば、数名でも数十名でも同じ道具と時間ですんでしまうので、たくさん買いそろえる必要がない。

 老人や病人の介護が、一人の主婦に負担が集中する小家族とは比較にならないほど楽であり、何か困ったことが起きても、よってたかって解決する人が、たくさん出てくるのである。

 人が死んだときも、全体に及ぶ影響は、家族の規模が大きいほど小さなものになる。悲しみも、みんなが和らげてくれる。「孤独」って、どこの話? ということになるのだ。

 ここでネット上で、大家族生活の合理性について書かれているサイトを参照してみよう。

 山上家の節約術が凄い!家族10人で月30万円!?
 https://xn--bck9etdz48puxcfxu.net/bigfamily/bigfamly/yamagamike

 大家族貧乏ゆうり家の究極のこだわり節約術
 https://yuurin4children.com/daikazokusetuyaku/

 大家族すぎて生活苦に陥っている家庭の悩み https://mikle.jp/theme/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%8B%A6+%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F/

 これらの記事は、私の子供時代の家族感覚からすれば、大家族でもなんでもなくて、「普通家族」のものにすぎないが、それでも生活の大変さと、家族が多いことでの不便と合理性について触れている。

 私は「大家族生活」を考える場合、単位としては10〜20名程度を想定していて、10名以下は「普通の家族」であると思う。

 それに血縁ばかりが家族になるわけでなく、家族というより「共同体志向」を念頭に考える必要があると思っている。

 逆に大家族制度の不合理性=不便性について、ネット上で実情と意見を探しているのだが、なかなか発見することができない。

 小家族の合理性について探しても、まず出てこない。つまり、「小家族で良かった」との記事は見たことがない。

 「大家族はいいですよ」という記事はたくさん見かけるのだが、大家族のせいで自殺に追い詰められたとか、人生が窮屈で死にそうだとかの苦情を探すのは困難なのであり、小家族で幸せだったとの賛美も見つからない。

 せめて、「トイレが足らなくて、我慢してるうちに漏れちゃった」というような具体的な不便記事を探しても見つからない。
 
 それでも、大家族を未経験の人が真っ先に深刻に不安視するのが、プライバシーの侵害であり、隠し事ができないことへの恐怖であり、たくさんの人と同居することの閉塞感、圧迫感であろう。

 実際問題として白川郷の若い娘たちが、苛烈な冬の野麦峠を越えて、女工哀史に描かれた凄惨なほどの岡谷の生糸紡織産業に就業し、一日16時間の辛い肉体労働を強要されても、故郷に帰らなかった事情は、8畳間に同性の10人以上もが寝起きする合掌家屋の生活に、よほど嫌気がさしていたのではないかと思う。

 そこで、我々が窮乏する生活上の要請から、再び大家族生活に回帰するにあたって、個人のプライバシーと、大家族の合理性を、どのように両立させるか明確なビジョンを持って、計画的に準備することが必要というのが私の考えである。
 もうギュウギュウ詰の生活を我慢できる人も少ないだろうから、一定のプライバシーは、どうしても確保しておかないと、集団=共同体生活も成り立たないと考えている。

 そこで参考になるのが、ヤマギシ会のシステムである。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html

 私は1973年頃、新島淳良がヤマギシ会の理事長だったころ、特別講習というのに参加したのだが、この頃のヤマギシ会は、本当に素晴らしかった。
 何より、参画者の女性たちが美しかった。化粧など誰もしていなかったが、人生や人間関係に対する喜びにあふれた表情は、一目見ただけで忘れられないほど美しいものだった。

 当時のヤマギシ会は、まだ貧しくて、みんな粗末なトタン張りの小屋に住んでいたが、それでも、ヤマギシズムと呼ばれた放し飼いに近い養鶏法が生活の主軸になっていたから、養鶏法をモデルとしたシステムに、人間も生活していたのである。

 ドーム型の長屋を区割りして個室が作られていたが、個室は四畳半くらいで、数名が生活していた。

 食事も洗濯も風呂も、すべて共同で行われ、強制は一切なく、本人の自主性だけに依拠した共同体がうまく機能していた。

 問題が出ると研鑽会が開かれ、みんなで意見を出して解決していた。

 大切なことは、ヤマギシ会においては、粗末ではあったが、それなりの個人のプライバシーが確保されていたということで、我々が共同体を志向するときも、必ず、共同性とプライバシーを両立させる生活システムを考える必要があると思う。

 その後、80年代末にも私は関わったのだが、その頃になると、いろいろな問題が噴出し、いわゆる「問題組織」とレッテルを貼られるようになったが、私は、詳細を知らない。ただ、結構豪華な個室が与えられていたことが印象に残っている。
 ちょうど70年前後の全共闘運動が80年代に近くなると、悪い意味での変質が起きていたことに似た、組織の統治に関する問題がたくさん出てきて、私は幻滅させられることが多く、ヤマギシとの関わりも失われた。

 リーダーが専用のベンツに乗って外出する姿を見たとき、「ヤマギシも終わったのか?」と強い不安に駆られた記憶がある。つまり、もの凄く儲かっていたことで、ヤマギシズムの本質を見失ってしまったのではないか? と私には思えた。

 今の段階では抽象的にしか語れないのが残念だ。当時は、私自身が地獄の釜のなかにいるような精神状態で、何をどうすべきかのビジョンが、まるで生み出せなかった。

 資本主義の爛熟過程では、みんな物質的欲望と見栄に取り込まれ、愛を見失い競争だけが生き甲斐になるような、人間性を見失った時代になってしまうのだが、それがバブル時代だったと思う。

 私もバブル時代の中で、価値観を見失い苦悩したが、今、再び、60年代のような民衆の貧しさが復活して、真実を見抜こうとする価値観が復権してきているような気がする。

 豊かさは人を愚かにするが、貧しさは人を賢明に育てるのである。みんなが貧しくなって、再び、我々の前に真実が姿を現しはじめた。それが共同体の復権であると、私は思う。

 共同体=すなわち大家族生活のことである。人が金ではなく、人に依拠して生き抜いてゆく。この世の本質は、金や差別ではなく、人間と、その愛であると気づいた人たちが、手を取り合って新しい社会を形成してゆくのである。

 まだ資本主義の競争社会に影響を受けて、人ではなく、技術や集団、組織の虚構に目を奪われて、「この世には人間と自然しかない」という真実を見抜けない人たちがたくさん生きている。

 彼らは、コンピュータ社会、IT・AIに過剰な幻想を抱き、それが人を支配するようになると勘違いしているが、決してそうではない。世界の本質は人間であり、金ではなく、技術でも権力でもない。
 人間だけを見つめて生きるために、我々には大家族=共同体生活が必要なのだ。

 また、共同体は、「そうしなければ生きてゆけない」という切羽詰まった現実の上に築かれるものであり、誰か頭の良い、えらーい人が登場してきて共同体社会を指導して回るわけではない。

 みんな、ときには「いやいや」団結し、共同してゆくのであって、団結のなかで、新しい価値、大きな合理性としての共同体生活を見いだしてゆくものだと私は思う。

 何度も書いているのだが、30年前に松原照子が予言したとおり、「日本人は草も食べられない」ようになりつつあり、もう大都会では餓死するしかない時代が目前に迫っていると思う。

 テレビでやってる山奥の「ポツンと一軒家」こそ、真の桃源郷になる時代が近づいているように私には思われるのだ。

 今は90歳近い老人が少人数で最期の日を待っているが、やがて、ここに若者たちが、未来を担う共同体を作り出す日がやってくると私は信じている。 
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

149. 中川隆[-9098] koaQ7Jey 2019年7月14日 06:18:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3592] 報告
田舎生活の愉しみは噂話、悪口と苛めだけ


ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う〜 2018/07/23 https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

 第23回参議院選挙投票日の2013年7月21日。前月からの猛暑が続く山口県周南市・須金(すがね)・金峰(みたけ)地区の郷(ごう)には、この日も朝から強い日差しが降り注いでいた。そよ風すら吹いていないのはいつものことだ。8世帯12人が暮らす小さな山村は、周南市街地から16キロほどしか離れていないが、半数以上が高齢者のいわゆる限界集落になる。

 隣の菅蔵(すげぞう)集落の田村勝志さん(仮名)は、集会場『金峰 杣(そま)の里交流館』で投票を済ませた。その帰りに声をかけて来たのは、義理の妹に当たる山本ミヤ子さん(79歳=当時・以下同)だった。彼女の夫は田村さんの弟にあたるが、先立たれ、一人暮らしをしていた。

「ちょっとコーヒーでも飲んで帰らんね」

 縁側で一緒にアイスコーヒーを飲んでいると、隣の家からいきなり大音量でカラオケが流れ、そこに住む男の歌声が聞こえてきた。隣では最近、朝10時と夕方5時に、カラオケが始まるのだ。周辺に気を使って窓を閉めることもせず、窓を開け放ち、歌を集落中に響かせる。いつものことなので、驚くでもなく、田村さんは男が歌う昔の流行歌を聴きながら、コーヒーを飲み干して、山本さんと別れた。
 帰りの道沿いにある、貞森誠さんと妻の喜代子さんが住んでいる一軒家を通り過ぎた。誠さんは71歳、集落の中では中堅の年齢だが、数年前から癌を患い、1歳年上の喜代子さんが自宅で誠さんの看病をしている。さきほどの男の歌声は、この家の前を通るときも聞こえていた。

 山本さんはこのあと、同じ集落の石村文人さん(80)とラウンドゴルフに出かけた。いつもの日曜日。夜から始まる惨劇を、集落のものは誰も想像すらしていなかっただろう。

 ただひとり、カラオケの男≠除いては。

 長閑な村の様相が一変したのはその日の20時59分。
「貞森さんの家が、真っ赤っかになっとる!」
 さきほどの夫婦が住む家から煌々と火が上がるのを目撃した近所の住民は、慌てて119番通報をした。
 ところが電話を切って外に出ると、もう一つ別の家が燃えていることに気がついた。
「山本さんの家も、メラメラ燃えとる」
 別の住民が21時5分ごろ、石村文人さんに電話をかけた。だが応答はなかった。
 集落では二軒の家の消火活動が行われ、22時14分、ようやく鎮火した。貞森さんの家からは誠さんと喜代子さんの遺体が、山本さんの家からはミヤ子さんの遺体が発見される。誠さんの遺体は足がもげていた。消防団が焼け跡をかき分け、片足を探した。
 この2軒が燃えたことに、村人たちは皆「何かおかしい」と感じていた。ふたつの家は70メートルほど離れていて、間に燃えるものもないからだ。
「なんでこんなことに」
「放火じゃなかろうか」
 集まった村人たちは口々にそう言い合った。とはいえ、翌日から現場検証が行われる。火災の原因もじきに分かるだろう。
 投票場だった『金峰杣の里交流館』の、はす向かいに住んでいた吉本茜さん(仮名)から連絡を受けた河村聡子さん(73)は、吉本さんの家で一緒に消防団にお茶や水を出すなどの世話に追われていた。夫の二次男さんは、友人たちと愛媛に旅行へ行っていた。
「貞森さんの家族に連絡せにゃならんね」
 吉本さんと聡子さんは、そんな話をした。

 県警の緊急配備が解かれたのち、消防団が引き上げ、片付けが終わったのが1時半。日付はすでに変わっていた。それから家に帰り、風呂に入って寝る支度を整えてから、一階の居間で二次男さんに宛てて火事のことをノートに書き置きした。大変な1日を終え、聡子さんは二階の寝室に向かった。
 だがその聡子さんも昼前に、遺体で発見される。遠方に住む娘が自宅を訪ね、二階に血まみれで倒れている聡子さんを見つけたのだった。夜から連絡がつかなかった石村さんも、その数分後、自宅を訪れた県警に遺体で発見される。すぐに、村の入り口に黄色いテープの規制線が貼られた。現場検証が始まる。
「2軒の火災による3人の死亡」が、「5人の連続放火殺人」に姿を変えた瞬間だった。
 県警はこの時点で、昨晩から自宅におらず、連絡もつかないカラオケの男≠重要参考人と睨み、その自宅を捜索。男の行方を追った。二台の車はガレージにある。遠くには行っていないだろう。
 5人は全員、撲殺されていた。遺体に共通していたのは頭部の陥没骨折、そして足の殴打痕。加えて『口の中に何かを突っ込まれた』形跡があったことだ。
 貞森さん夫妻と山本さん、3人の遺体は黒く焼け焦げ、確認のために山本さんの遺体を警察から見せられた息子は、どっちが頭なのか足なのか分からなかったほどだという。のちに司法解剖が行われ、頭蓋骨の陥没骨折や、顔に皮下出血が認められ、頭部や顔を鈍器のようなもので激しく殴られて殺害されたことがわかった。
 石村さんの遺体にも同じく、後頭部や膝の裏を激しく殴打された痕が見られた。口の中にも損傷があり、何か棒のようなものを突っ込まれた形跡があった。
 聡子さんも同様だ。首の後ろを激しく殴られたことが致命傷とみられている。その口の中は血まみれで、前歯が折れていた。
「家で寝ちょったら殺されるかもしれん」 
 連続殺人であることを悟った村人たちは怖がった。県警は、さらなる犠牲者が出ることを防ぐため、村人たちを投票場だった『金峰杣の里交流館』に避難させる。そこで寝泊りを始めた村人たちにとっては、参院選の投票結果など、最早どうでもよいことになっていた。集会場の外では投入された県警の捜査員約400名が村中を周り、男の行方を探し続けている。村の入り口に張られた規制線の外には、おびただしい数のテレビ中継車が並び、上空には報道ヘリが飛び交っていた。
 一度に5人が殺害されるという大事件が発生した村には、地元だけでなく東京からも多くの記者が詰めかけたが、そんな彼らが何よりも注目したのは、カラオケの男≠フ家のガラス窓に貼られた不気味な『貼り紙』だった。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

 山口県周南市金峰(みたけ)で21日夜、全焼した民家2軒から3人の遺体が見つかり、翌22日に別の民家2軒から新たに2人の遺体が見つかった事件で、火災現場で見つかった3人はいずれも頭部に外傷があり、ほぼ出火と同じ時刻ごろまでに死亡していたことが、司法解剖の結果わかった。県警は、3人が殺された後、放火されたとみている。
 県警は22日、5人が殺害された連続殺人・放火事件と断定し、周南署に捜査本部を設けた。県警は同じ集落に住む男が何らかの事情を知っているとみて、自宅を殺人と非現住建造物等放火の疑いで捜索した。男は行方がわからなくなっている。
 全焼した山本さん宅の隣の民家には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と、放火をほのめかすような貼り紙があった。(2013年7月23日 朝日新聞朝刊)

 14人が暮らす集落で5人の遺体が次々と見つかった。携帯電話も通じない、山口県周南市の山間部で起きた事件。「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。全焼した民家の隣に住む男は所在不明で、自宅には放火をほのめかす貼り紙も残る。「家族のよう」と言われる山里で、何が起きたのだろうか。(2013年7月23日 四国新聞朝刊)

 警察は山本さんの住宅の隣に住む男が、2つの住宅に火をつけた疑いがあるとして、殺人と放火の疑いで男の自宅を捜索しました。
 その際に室内から外に見える形で窓に貼り紙があり、紙には「つけびして煙り喜ぶ田舎者」と書かれていました。
 男は、現在、行方が分からなくなっていて、警察は貼り紙の内容が放火への関与を示すものとみて、男の行方を捜査するとともに、一連の事件との関連について調べています。(2013年7月22日 NHKニュース)

 村の3分の1以上が殺害され、姿を消した男の家には不気味な貼り紙。「平成の八つ墓村」などとネットでも騒がれ始めた。まさか自分の村がこんな言われようをするとは、村人たちは前日まで誰も考えたことすらなかっただろう。
 事件発生から4日が経った7月25日。警察は山中で男の携帯電話や、男性用のズボン、そしてシャツを発見。さらにその翌日朝、発見現場付近を捜索していた機動隊員が林道沿いで男を見つけた。Tシャツとパンツの下着姿で、靴も履いていない。
「ホミさんですか?」
 近づきながら機動隊員が声を掛けると、男はその場にしゃがみ込み言った。
「そうです」
 抵抗することもなく県警の任意同行に応じ、逮捕されたそのカラオケの男≠ヘ、郷集落の住民の一人、保見光成(ほみ こうせい)(当時63歳)という。
 その後、県警は山中で、側面に「ホミ」と彫られたICレコーダーを発見した。息を切らしたような雑音の中、こんな言葉が録音されていた。
「ポパイ、ポパイ、幸せになってね、ポパイ。いい人間ばっかし思ったらダメよ……。
 オリーブ、幸せにね、ごめんね、ごめんね、ごめんね。
 噂話ばっかし、噂話ばっかし。
 田舎には娯楽はないんだ、田舎には娯楽はないんだ。ただ悪口しかない。
 お父さん、お母さん、ごめん。お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、ごめんね。……さん、ごめんなさい……。
 これから死にます。犬のことは、大きな犬はオリーブです」

 保見光成の家のガラス窓にあった、この貼り紙。
「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」
 県警が保見を捜索している段階から、これはカラオケの男≠ノよる犯行予告なのではないか、と騒がれていた。「放火をほのめかす貼り紙」「不審なメッセージ」などと、テレビや新聞は何度も取り上げた。
 だが、それは決意表明でもなければ犯行予告でもなかったのである。

金峰行きの経緯


 そのことを知ったのは、事件から3年半が経った2017年1月。取材のために金峰地区を訪れたときだ。
 私は東京で週刊誌の記者として稼働しながら、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとして活動していた。取材に出向くひと月前、ある月刊誌の編集者が『山口連続殺人事件』について改めて取材して記事を書いてみないかと声をかけてくれたのだった。
 すでに保見は5件の殺人と2件の現住建造物等放火で起訴、山口地方裁判所での一審公判も、広島高等裁判所での控訴審も判決が言い渡されており、事件は最高裁に係属していた。このときも、今もである。
 逮捕当初こそ「殺害して、その後、火をつけた。私がやりました」と犯行を認めていた保見は、2015年6月25日、山口地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判でこれを翻し「火はつけていません。頭をたたいてもいません。私は無実です」と無罪を主張した。
 大量殺人を犯したとされる被疑者は、精神的な問題がないかを起訴前に鑑定し、問題がない、つまり事件当時に完全責任能力を有していたと判断されたのちに起訴されるという流れが出来ていた。この鑑定を起訴前鑑定という。さらに起訴後の公判前整理手続という非公開の手続きにおいて、争点が責任能力であるとなれば、改めて精神鑑定が行われることになる。これを本鑑定と呼ぶ。
 保見に対しては一審が開かれる前に、この2つの鑑定が行われた。起訴前鑑定では事件当時の保見は「完全責任能力」があると判断されたが、起訴後に本鑑定が行われ『妄想性障害』と判断されていた。
 これをもって、一審公判で弁護側は責任能力について「心神喪失」もしくは「心神耗弱」を主張した。それに加えて保見は放火も殺人も、自分がやったのではない、と、犯人であること自体を否認したのである。だが同年7月28日の判決公判で山口地裁は保見に「死刑」を言い渡した。『妄想性障害』は認めたが、完全責任能力は有していたという判断だった。また放火も殺人も、犯人は保見以外に考えられないと認定された。
 妄想性障害をめぐる責任能力については、山口地裁は判決で次のように述べている。
「鑑定人によると、被告は両親が他界した2004年ごろから、近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった。こうした妄想を長く持ち続けており当時、妄想性障害だったと診断できる。『自分が正しい』と発想しやすい性格傾向と、周囲から孤立した環境が大きく関係し、妄想を持つようになった。
 この鑑定は合理的であり、これを基に責任能力を検討すると、被告が当時、自己の行為が犯罪であるという認識を十分有していたことは明らか。凶器となる棒を携えて各被害者宅を訪れ、殺害後に自殺しようと山中に入っており、善悪を認識する能力も、その認識に基づいて行動する能力も欠如したり、著しく減退したりしていない。被告は当時、完全責任能力を有していた」
 保見はこれを不服として即日控訴。2016年7月25日、広島高等裁判所で控訴審の第一回公判が開かれたが、弁護側の請求証拠はすべて却下されて即日結審し、同年9月13日、控訴棄却。その翌日、保見側は上告した。
 判決では本鑑定の結果に基づき「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と認定されているが、これには疑問があった。事件発生当初から、保見は集落の村人たちから村八分≠ノされていたのではないかという疑惑があったからだ。

 金峰の郷集落で生まれ育った保見は中学卒業後に上京し、長らく関東で働いていたが、90年代にUターンしてきた。しかし村人たちの輪に溶け込めず「草刈機を燃やされる」「庭に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」などの出来事が起こっていたのだと『女性セブン』(小学館)2013年8月15日号は報じていた。また被害者のひとりである貞森誠さんが、かつて保見を刺したことがあるという、気がかりな情報もあった。「みんな仲良しなのに、1人だけ浮いた存在」。保見の逮捕直後、新聞のインタビューに近隣住民がこうも語っていた。
 保見はICレコーダーに「周りから意地悪ばかりされた」と吹き込んでいたが、これは妄想などではなく、本当なのではないか――。
 そのようなことを思っていたが、この時の目的は少し違っていた。私に声をかけてきてくれた月刊誌の編集者は、金峰地区における夜這い風習≠ノついて取材をしてきてほしい、と頼んできたのだ。彼は私にある記事を手渡した。
 それは『週刊新潮』2016年10月20日号(新潮社)に掲載されていた山口連続殺人事件にまつわるものだった。あるジャーナリストが、広島拘置所に収監されている保見に面会取材を行い、逮捕当時に大きく報じられていた「村八分」の発端となる『ある事件』について話を聞いたというのだ。
 読めば、金峰地区には夜這い≠フ風習があり、戦中に一人だけ徴兵を免れた村人が、女たちを強姦してまわっていたという。そして、この村人が保見の母親を犯そうとしたとき、それを止めて追い払った人物が、保見光成と二十歳近く年の離れた実兄なのだ、と。
「これを、ちょっと行って来て、確かめてもらえる?」
 とその編集者は言う。
 私は保見の公判を傍聴に行きたいと一審の当時思っていたが子供が産まれたばかりだったため、長期間家を空けることができず、諦めたという経緯があった。編集者とはその話も過去にしていた。おそらくそれを覚えていて、話を振ってくれたのだろう。二つ返事で引き受けた。
 とはいいながらも、取材を終えてその結果を世に出せば、世に出ている記事の検証取材であるから、ややこしいことになる、という予感は最初からあった。しかも取材の目的が「金峰に夜這いの風習があったかどうか、確かめる」というもの。行くとは決めたものの、多忙な夫に子供を預け、遠路はるばる山口県周南市の山奥まで出向き、夜這いについて村人に話を聞いて回る……。
「夜這いの取材かぁ……」
 ノートパソコンを開いて取材前の情報収集をしながら、年末の夜中にリビングでひとり思わず呟いてしまった。この21世紀に夜這いの取材。ちゃんと話が取れるのかと不安になる。だが引き受けたからにはやらねばならない。それに件の記事には、保見へのいじめ≠ヘ存在し、その発端が戦中の強姦未遂事件≠ナあると記されているのだから、それを確かめることは、一応いじめ≠ノ絡む取材ではある。西に向かう新幹線の中で私は腹を決めた。

 民俗学者らの文献や、伝承ものの書籍には、夜這いについての記述はいくつもある。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)に収録されている「土佐源氏」は現在の高知県檮原町で乞食小屋に住む元ばくろうの老人≠ゥら聞き取った昔話で構成されているが、この老人の父親は、母の夜這いの相手≠セった。同じく同書収録の「世間師」では、宮本の故郷である周防大島でふたりの老人から聞き取りを行っている。このうちひとりは長州征伐のあった1865年に14歳だったという男性だが「戸締りが厳重になったため、娘のところへ夜這いに行けなくなってしまった」とある。
 同じく民俗学者の赤松啓介は『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)で実際に様々な村へ足を運び、時に村のコミュニティに入り込んで、夜這いについて聞き取りを重ねている。また、ともに夫の転勤で徳山に来たという向谷喜久江・島利栄子によって記された『よばいのあったころ 証言・周防の性風俗』(マツノ書店)では、山口における夜這い文化について、老人たちに聞き取りを行なっているが、ここには「山間部の部落には、若衆宿が、昭和の初めごろまであった」とある。若衆宿とはその集落で一定の年齢に達した男子たちが集まる場所で、規律や生活上のルールに加え性的な事柄も伝えられていた一種の教育施設だ。こうした文献に照らせば、金峰地区にかつて夜這い文化があったとしても全く不思議ではない。だが戦中まで、となるとどうか。

(続く)
https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6

ルポ「つけびの村」02/06 〜つけびして 煙り喜ぶ 田舎者〜 2018/07/23
https://note.mu/tk84yuki/n/n3cf6b0673398


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

 事件のあった「金峰地区の郷集落」は、山口県周南市の北部にある山村だ。
 その周南市は山口県東部に位置し、重化学工業を主な産業としている。2003年に徳山市、新南陽市など2市2町が合併し発足した。南側の臨海部に広がる工場群は現在「周南コンビナート」と呼ばれ、遊覧船による夜景ツアーが組まれるなど観光名所のひとつとなっている。ここは明治時代に旧海軍の石炭基地が設けられたのち、石炭が石油に代わり石油科学工場が発達。昭和初期には海軍の燃料廠や有機・無機化学、鉄鋼などが集積する工業地帯に成長した。昭和39年には工業整備特別地域に指定され、隣接する下松市、光市とともに重化学工業の拠点としての本格的な整備が進み、製造品の出荷額は山口県の5分の1を占める。
 JR徳山駅はこの「周南コンビナート」の港沿いを走る山陽本線と、東京から博多へ続く山陽新幹線が停車する周南市の中心駅だ。駅名には合併前の都市名がそのまま残る。東京から新幹線で4時間以上かかるが、それでも空路を使うより手っ取り早い。県東部の岩国錦帯橋空港から郷地区は50キロ、西部の山口宇部空港とは90キロ離れていて、乗り継ぎにかかる時間を考えると、やはり新幹線一択になる。


 駅から港に向かい数分歩いたところにある徳山港には、太平洋戦争で海軍が開発していた人間魚雷「回天」の実物大レプリカが展示されている。ここから発着しているフェリーに乗り30分ほどの距離にある大津島には、かつて回天の組立工場と発車訓練基地があった。いまも島には記念館があるが、そこを目指しているとおぼしき観光客の姿はない。
 駅を挟んで港の反対側は中心市街地だ。とはいえその規模は小さい。地方都市の宿命か、駅前のアーケード街に人は数えるほどしか歩いておらず、半分以上の店舗がシャッターを閉じていた。そんな中にも、銀行の支店や市役所、新聞社などが立ち並び、夜は酔客でささやかな賑わいを見せる。
 瀬戸内海に面しているこの辺りの気候は温暖で冬でも晴れる日が多い。滅多に雪も積もらないというが、対して北側は中国山地の一部にあたり山深く、冬の積雪も珍しいことではない。目指す金峰地区は、北側に属する。臨海部の主要産業が重化学工業であるのに対し、北側はぶどうや梨の栽培をはじめとした農業が栄えている。


 2017年1月、私は徳山駅の近くで車を借り、金峰地区に向かった。周南市に私鉄はなく、JR山陽本線も湾岸部しか走っていないので、住民は移動にバスか車を利用している。地元のバス会社はあるにはあるが、運行網は金峰地区から9キロほど離れた場所で途絶えていた。そこからタクシーを探すより、徳山駅から車を走らせた方が早い。
 新幹線の中でスマホのアプリを立ち上げて天気予報をチェックした時、週末には寒波が押し寄せ、日本海側に大雪が降ると告げていた。そのせいか、ダウンコートを着ていても寒い。車を3キロほど走らせると、あっという間にスーパーや飲食店は姿を消し、両側と前方にこんもりとした山が広がり始めた。車線も狭くなるが、それでもまだ道は綺麗に舗装されている。ここでようやく、ガードレールが白でなくオレンジ色であることに気がついた。山口県は昭和38年の山口国体開催にあたり、特色のあるものを作ろうと考え、ガードレールを県特産の「夏みかん」色にしたのである。
 オレンジ色のガードレールが両側に立つ片側一車線の山道は時折くねくねと急カーブを切らなければならないが、15分ほど走ると、ようやくコンビニと開けた小さな町が目に飛び込んできた。金峰と徳山市街地の間にある、唯一の町だ。とはいえ、コンビニぐらいしか買い物できる場所はない。ここで飲み物を調達し、さらに国道で北に向かう。すぐにまた道の両脇を山に囲まれ、先ほどまで快晴だったのが嘘のように空が曇り始めた。家も店もない道をしばらく進むと見えてきたのは菅野湖だ。ここにかかる細く古い橋を渡り、湖沿いの県道41号線をひたすら北上する。バス釣りのメッカのようで、ボートを曳いたクルーザーが何台も停まっていた。下流にスロープがあり、ボートを湖に降ろせるようだ。
 車の西側には深緑色の湖面が広がり、東側の山肌には草木が生い茂っている。まだ徳山駅から30分も走っていないのに、ここまで山深くなるかと驚いてしまう。しかも舗装が悪い。濡れた路面はでこぼこで、ところどころ深く大きな穴が空き、水たまりができていた。スリップして湖に落ちやしないかとすこし怖くなった。
 それでも、湖沿いのボロ道を抜けると、また普通の道路に戻る。ここまで徳山駅から40分ほど。距離にして20キロしか離れてないが、見渡す限り山と田畑が広がる田舎道で、もうコンビニなどどこにもない。
 ところが「金峰の郷集落」にさしかかる直前のすこし開けた平野を走っていると、突如として銀色のUFOと巨大な象が目に飛び込んできた。その脇には『宇宙の入り口』という看板が立っている。
 まだ郷集落にも着いていないのに、思わず車を停め、UFOを眺めた。
 そういえば、菅野湖沿いを走っているときから、小さなUFO型の看板がいくつも立っているのを見ていた。そこには手書きで「気をつけて安全運転」など記されていたが、『宇宙の入り口』へ向かうための案内板だったようだ。
 木材で骨組みを作り、アルミ板のようなものをかぶせて仕上げをした数台のUFOと象のオブジェのほか、幅2メートルはあろうかという巨大な太鼓や、木馬も並んでいる。「このブランコに乗ると結ばれる 愛愛ブランコ」という文字が躍った木製のブランコもあった。いわゆるB級アミューズメントスポットだが、陰惨な事件現場のすぐそばにこのような施設が並んでいると、ただ不気味でしかない。
 車に戻ろうとしたところで、男性に手招きをされた。全て手作りだという、この『宇宙の入り口』の生みの親だった。男性は保見と同い年だが、金峰地区に住むものではなかった。
 再び車に戻る。木々の生い茂る薄暗い道を数分行くと、ようやく金峰の郷集落に着いた。
 事件当時、ここは「携帯電話も通じない限界集落」だといわれていたが、実際に足を運ぶと、ほとんどの場所で携帯電話の柱も立った。
 保見光成の家は、地区名の由来にもなった一千年以上の歴史を持つ金峰神社の参道前にある。ここが郷集落の入り口だ。家は二棟あり、ピンク色の壁をした新宅と、茶色のベニヤ板でできた本宅が、土壁のガレージを挟んでいる。本宅からガレージにかけられたブルーシートは劣化して破れ、風にあおられるたび、焦げ跡のある家の壁や、倉庫の中が見えた。


 保見が関東から戻ってくる際に自力で作ったという新宅のまわりには、枯れ枝が散乱していた。それをかき分け、白い門扉の前に立つ。右脇には茶色い壺や人型のオブジェが、空っぽになって倒れた植木鉢とともに雑然と並んでいる。門の奥にはガラス戸の出入り口があるが、上半分は簾がかかっていて中は見えない。左手に目をやると陶器でできた大道芸人の人形が置かれていた。その奥に立つポストはガムテープで塞がれていて「郵便物は入れないでください 当方へ御用の折は、お手数ですが下記にご連絡ください」と携帯電話番号らしきものが書かれた紙が貼られている。試しにその番号へかけると「現在使われておりません」のアナウンスが流れた。少し下がって全景を見れば、雨どいを支える柱に、CDが貼り付けてあった。再び近づいて目をこらすと、ちょうど保見が金峰に戻ってくる直前である1993年に松任谷由実がリリースしたアルバム『Uーmiz』だ。都会での思い出が詰まっているCDなのだろうか。
 土壁のガレージは車が2台は停められる大きさで、シャッターはついていない。破れたブルーシートを少し開けて中を覗くと、汚れた国旗や工具、工具箱、段ボールやタイヤ、窓枠などで散らかっていた。上部にかけられた針金にもザルやブリキの薬缶といった様々な道具が吊られている。幅が30センチはありそうな、片刃のノコギリのような、見慣れない刃物も吊られていた。隣に無造作に置かれた資材の上には鳥かご。中にはオウムのぬいぐるみが入っていた。新宅、本宅ともに屋根の下にはセンサーライトらしきものの残骸が残る。
 本宅の出入り口引き戸の脇に表札はないが、上にはロールス・ロイスのプレートと、可愛くデフォルメされた熱帯魚のオブジェが貼り付けられていた。
 その右側には、かつてあの貼り紙が貼られていた窓がある。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを」

 これもすでに剥がされていた。
 ガラス窓は汚れ、かなり曇っているが目を凝らして中を見ると、すぐ前に壁があった。11時20分で時を止めた古時計のまわりに扇子が6枚かけられていて、下に備えられた棚の上には陶器の酒樽が置かれている。その脇にあるスリッパ立てには、きちんとスリッパが4組揃えられていた。
 住む人を失った住居特有の寂れ具合を醸し出していたが、事件がなくとも、家主の個性がにじみ出ている家だったことだろう。
 保見光成に撲殺された後、放火された隣の山本さんの家は雑草生い茂る空き地になっており、同じように撲殺され、放火された貞森さんの家の跡には、小型ユンボが置き去りにされ、その脇に真っ黒に焦げた木材が積み上げられていた。3年半経っても、事件の痕跡は集落の中に色濃く残る。


 郷集落入り口の交差点は、通ってきた南からの県道41号線と、東西に伸びる県道9号線がぶつかる。ごくたまに、9号線を大型トラックが轟音を立て猛スピードで走る以外は、ほとんど車も通らない。村人も誰一人、歩いてはいない。道沿いに流れる小川のせせらぎと、山の葉の擦れる音がざわざわと鳴るだけだ。空は晴れたかと思うと雲が広がるというせわしない状態を繰り返しているが、晴れているときでも山が太陽を遮り、道が陰る。路面はやはりところどころ濡れていた。空気は刺すように冷たく、湿っぽい。私は山口県の隣、福岡県出身だが、同じ西日本でもここまで寒さが厳しいとは思っていなかった。
 保見の家のはす向かいにある、砂利が敷き詰められた広場に車を停めた。ここにはかつて廃屋があったというが、今は更地になっている。事件当時は規制線が張られていた小さな橋を渡って、住宅地図を手に、郷集落を奥へと進んだ。車が一台しか通れない細い道が、小さな川に沿って伸びていた。徳山の市街地よりも寒さが厳しく、少し歩くだけで冷えが身体中に広がる。足の先は感覚を失い、手が動かなくなってきた。
 周南市役所の集計によると、2016年12月31日時点での人口はわずか10人。一軒一軒、訪ね歩いても、誰も出てこない。橋を渡ってすぐ右側にあるオレンジ色の瓦の二階建て家屋は、一階がガラス張りで商店のような趣があるが、中を覗いてみたところ生活用品が雑然と散らばり、すでに空き家になっているであろうことは想像がついた。
 その向かいに伸びる石段を登ると、小さな寺がある。脇の寺務所の門を叩き呼びかけたが、やはり誰もいない。再び細い道に戻って集落を奥へと進んだ。道の片側に流れる小川は、冬でも雑草が高く生い茂っている。その反対側にある山を切り開き、古い家屋が点在していた。どの家も車が一台やっと通れるような私道を少し登ったところに建てられていて、脇にある車の停められる大きさの倉庫には農機具や薪などが置かれていた。古い家屋の作りはだいたい同じで、ガラス引き戸の玄関の脇に、両開きの掃き出し窓が二窓ほど並んでいる。
 寺の隣には、本来は公民館だという古く小さな木造の建物があるが、鍵がかかっていて、使われている形跡はない。脇には、殺害された河村聡子さんが名付けたという『金峰杣の里交流館』。集落にある建物の中では目新しく大きい。保見が逮捕されるまで、村人たちが避難していた場所だが、ここも扉には鍵がかかり窓は雨戸が閉められ、ひっそりとしている。
 郷集落についてから人に行き合っていないし、どの家も人の気配がない。心細くなりながら、車が一台しか通れない小川沿いの道をゆっくりと進む。気温が低すぎるせいか、手に持っていたスマホは突然電源が落ち、動かなくなった。小川の反対側には、この道路よりも少し高い位置に県道9号線が沿っている。あの県道からは村の家々が見渡せる。保見の逮捕当時は中継車が停まり、テレビもそこから村の遠景を捉えていた。
 更に細い道を東に進むと左手の高台に家が見えた。見上げると、グレーのトタン屋根一面に『魔女の宅急便』のキキが箒にまたがっている絵が描かれている。さきほどのUFOに負けず劣らずの不気味さだ。玄関前には旭日旗が掲げられ、引き戸の前に置かれたホワイトボードに夏目漱石、福沢諭吉などの名前が書かれていた。すりガラスの引き戸の奥には蛍光灯のあかりがちらちらと見える。扉を叩いて「こんにちは!」と外から呼びかけた。ところが、そのたびに中からテレビとおぼしき音がどんどんと大きくなっていく。4回ほど呼びかけたときには、騒音レベルにテレビの音が大きくなってしまった。真昼なのに薄暗い村を歩いているだけで怖いのに、この家人の対応にまた怖くなり、もう諦めた。
 郷集落の東の端にあるのは、聡子さんとその夫、河村二次男さんの家だ。そこを目指し『魔女の宅急便』の家を離れ、草の生い茂る川沿いを再び歩くと、背の高い木がみっしりと植えられた私道を登った山側の高台に、誰も住むもののいなくなった石村文人さんの家、そしてもう一軒の二階建ての家があった。こちらも不在だった。石村さんの家は家族が時折空気を入れ替えるために訪れていると聞いた。すりガラスの引き戸の奥は真っ暗だ。古く黒い木で作られた表札に『石村文人』と大きく書かれている。その石村さんは3年半前、この引き戸の奥で、保見に頭を何度も殴られ、絶命した。
 保見はこの引き戸を開ける時、何を考えていたのか……。
 隣の家の犬がけたたましく吠えた。さっきの道に戻ろう。
 河村二次男さんが不在の場合、郷集落での取材はかなわない。細道に戻り、さらに先を目指すが、道はさらに草が生い茂り、廃道のような趣になってきた。この先に家があるのだろうかと焦りが募り始めたころ、ようやく家らしきものが見えてきた。大きな物置のようなものが置かれたガレージのそばには、まだ艶のある御影石の墓。玄関引戸の脇には『キンポー整体院』『札所(六代目)』と毛筆で描かれた木の看板がある。引戸の前から呼びかけるとしばらくして高齢の男性が、玄関横の腰高窓を開けて姿を見せた。がっしりとした上半身をしていて、目はギョロッと大きく、出目金のようでもある。
「三年前の事件のことを、今取材している者です。東京から来ました。お話を聞かせていただきたいのですが……」
 駄目元で切り出すと、男性は言った。
「いま扉開けるから、中に入りない」

 その男性、河村二次男さんは事件当時、友人たちと愛媛県に旅行に出かけていた。
「はよう死刑になればいいと思うちょる。でも弁護士のアレで。やってなかったって言いよるけど5人も殺しとるんやけ。火までつけちょるのに。山口で最終弁論があったときに我々もいろいろ言ってアレしたけど、やってないっちゅうことはない。犯人はわかっちょるし火もつけとるんやしね」
 方言と、河村さんの滑舌の悪さに、何を言っているのかよく聞き取れなかったが、根気よく1時間も話を聞くと、少しずつ聞き取れるようになって来た。
「片目にもなっちょるし。こっちは目が見えんし。事故でね。鼻水が出そうになるとかむけど、そのとき耳の鼓膜がいってね。診療所行ったら『あんまり聞こえんほうがいいですよ』って。あはははは」
 かつて車の事故で頭部を負傷し右目を失明したそうだ。あっけらかんと語る様子に面食らった。確かに両目の視線の先が合っていない。それでもガレージに停めてある軽トラックを運転するというから驚いたが、この地では車の運転ができなければ何もできない。
 通された応接間には、壁にびっしりと写真やカレンダーが飾られている。孫娘と笑顔で並んで写った写真も大きく引き伸ばされ、貼られていた。山の頂上で撮影された集合写真もある。河村さんはこのとき79歳だと言っていたが、背筋も曲がっておらず、体つきもがっしりしている。かつては活発に友人らと外に出かけていたのだろう。ガラス戸棚の中には、聡子さんに宛てた孫娘からの手紙があった。整体に関する書籍も並んでいる。公務員を定年まで勤め上げたのち、整体の学校に通い、自宅で整体院を営んでいたという。
「わしは天下りをするなと役場で言ってきた。要請があったけど断ってきた。でもそりゃ、定年になったらなんかせんといかん。手を動かしたらボケん、っちゅうからやってみよう、って。1年ほど学校行きまして。60万ぐらいかかったんじゃないかな。1回3000円でやりよった」
 こうした四方山話を聞きながら、私は夜這い≠ノついて河村さんにたずねる機会を伺っていた。編集者が持っていた記事にはこうあったからだ。

―― 私【保見光成】が金峰に戻ってきた直後、竹田(仮名)が、『おめえの兄貴にはイジメられたぞ』って言い始めた/時を同じくして、近隣住民に道で無視されるといった些事から、農機具を燃やされ、挙句に刃物で切りつけられたりといった大事に至るまで/数多の“事件”が起きたという〜先の大戦当時、10代半ばだった保見の兄は、母親に言い寄る徴兵忌避の男を追い払い家を守り抜いた。実は、その男の長男こそ、帰郷直後の保見に「兄貴にはイジメられたぞ」とからんだ竹田だったという――前出記事

 記事の中で『竹田』という仮名をあてられ、年齢も伏せられている「強姦魔の息子」とは、いったい誰か。最初に手掛かりになったのは『事件後、金峰周辺の人々は、陰でこう囁きあった。「竹田こそが保見の本命だったじゃろうに……」』という記述。この書きようから察するに、『竹田』は殺害された五人ではなく、七人(事件当時)の生存者の中にいる。
 次に、「兄貴にはイジメられたぞ」発言。保見は、山口地裁で行われた一審公判の中でも、同じ台詞を口にしていた。『「お前の兄貴にはいじめられたぞ」と、カワムラさんに言われました』。
 強姦(夜這い)についての発言はなかったが、相手の名前を挙げていたのだった。となれば、郷集落で生き残っているカワムラさんは目の前にいる河村二次男さん、一人しかいない。
 いよいよ私は聞いた。

――戦時中は、河村さんのお父さんも兵隊に行かれていたんですか?
 強姦魔は徴兵忌避の男だったと記事にあったからだ。
「親父は、背が低すぎて(徴兵)検査に落ちたから兵隊にとられなかった」
 なんと。忌避ではないが、河村さんの父親は戦争に行ってなかったのだという。
 では、河村さん自身は「父親による強姦」が原因で保見の兄にいじめられ、そのことを保見に言ったことがあるのか?
「バカ言っちゃいかん! そげなことは今はじめて聞いた」
 記事の存在をまったく知らなかった河村さんは憤慨した。
 ここでようやく持ってきた記事のコピーを河村さんに見せながら、取材の目的を明かした。すると、しばらく記事を眺めていた河村さんはそこに載っていた「つけび」の貼り紙を指しながら驚くことを言ったのだ。
「これ、うちのうしろに火をつけられたことがあるんですよ。わしはこれじゃないかと思うんですよ。家の前に貼ってる。ここに火をつけて2〜3日で貼っちょったね。家の一番良く見えるところに貼っちょった。下手くそな字でね」
 そしてこう続けた。
「僕が思うにそれは犯人が違うと思うんや」
 保見は事件の時に二軒の家に火を放ったとされているが、保見の他にも火をつけるような村人がいたのか?
「うん、悪いやつおったんよ。それは人から見たら、わしも悪いんかもしれんけど」
 事件の痕跡を色濃く残した郷集落のたたずまいや、『魔女の宅急便』の屋根の変な家もあいまって、私はいよいよ怖くなってきた。
 家を出る時に河村さんは表まで出て来て見送ってくれた。ガレージの中にある物置のようなものはシイタケを乾燥させる機械だと教えてくれた。真新しい墓はやはり聡子さんのものだった。
「あいつ(妻)が先に入っちゃった」と河村さんは言いながら、目元をこすった。
 その後、近隣の集落の村人たちにも話を聞いて回ったが、皆、河村さんと同じことを話した。「河村さんの家の風呂場が焼けた」が、その犯人は「保見ではない」と。
「金峰の夜這い」についても、夜這いそのものが金峰にあったらしいことは分かったが、戦中の夜這い(強姦)を巡る河村家と保見家の禍根について知っている者はいなかった。またそもそも、河村さん自身「長男」ではなかった。
「兄貴は、公務員やなんかやりよった。39で交通事故で死んだからそんで帰った。それまでわしは外に出とった」
 件の記事は、保見の言い分のみをもとに作り上げた記事だった可能性が高まった。
 私は東京に戻り、取材で得た話を原稿にまとめた。だが、一向に記事は掲載されず「送り」になることが続く。一旦はその月刊誌で企画として動き出したが、掲載のタイミングがないのだ。発生からすでに何年も経っている事件では、その裁判に動きがあったときか、もしくは刑が確定したか、さらには、死刑判決を下された犯人に死刑が執行されたときしか、掲載のきっかけはない。だが掲載が延びればギャランティの支払いも先送りとなる。「送り」が3回続いたとき、私はこの記事を「非掲載」にしてもらい、別の実話誌に掲載してもらうことにした。
 こうして『山口連続殺人事件』の仕事は一旦終わったが、しかし私には1月の取材を通じ、もっとこの事件を掘り下げたいという気持ちが沸き起こっていた。いや、事件というよりも、村人たちの話の不吉さが頭から離れず、この不気味な村の正体を知りたくなったのだ。
「つけび」貼り紙の発端となったのが、河村邸放火事件だったことにも驚いたが、村人たちはこんなことも話してくれていた。
「何回かあったらしいよ。何かにつけてケチつけてたけね」
 なんと郷集落での火災は一度ではないというのだ。
 こう話す村人もいた。
「皆殺されて、おらんようになったから、幕引きはできた。私はほんとに安心して生活できるようになったよ。わし自身は。今はもう鍵はかけんけど、鍵をかけ忘れるときも別にどうちゅうことないし、倉庫の鍵をつけたままにしとっても別に何も盗られることもないし、以前はそんなことしよったら何もなくなりよったからね。まだ色々悪いのがおったの。名前をあげりゃ2〜3人そんなものはおったからね」
 まるで事件で村に平穏が訪れたかのような口ぶりなのである。「皆が家族みたいに仲良しだった」集落で、「鍵をかける者などいなかった」という報道に接していた私は、また驚いた。
 さらには、保見について周辺集落を訪ね歩いた時、こんな話を聞いていた。
「親父がコレじゃったけね」
 人差し指を丸めながら、ある村人は言う。保見の父親が泥棒だったというのである。
 そしてある村人は、こちらが真顔で事件のことを尋ねているのに、
「夏はね、亡くなった山本さんやら貞森さんやら、石村さんやらとね、蛍でも出たらね、夕方に『蛍見よう』ゆうてから、仕事から帰ってね、おかずの一品でも作って、皆で集まってビール飲みよったけど。みーんな、その仲間は、殺されてしもうたね。あはははは……」
 と、なぜか高らかに笑うのだ。
 一体、この村はなんなのだ。
 保見が事件を起こす前から、泥棒や放火といった悪事は村で日常としてあったのか?
 一方、保見に対する具体的ないじめ≠ノついても、このとき村人たちに尋ねていたが、確たる証拠は得られなかった。
 たしかに判決でも、近隣住民による保見への「うわさ」や「挑発行為」そして「嫌がらせ」は、保見の思い込みであり、徐々に妄想を深めて村人たちを恨んだ結果、起こした事件だった……と認定されていることは先にも書いた。
 そうはいっても、完全に妄想だけでこれだけの事件を起こすだろうか。
 公判を傍聴した中にも、その疑いを抱いた者がいた。旧知の傍聴マニアのひとりだ。いじめがあったのではと考えたそのマニアは、関東から山口地裁まで傍聴に出向き、いくつかの期日の審理を傍聴していた。保見が具体的な話をしていなかったか尋ねたところ「犬の水飲みバケツに農薬を入れられた……とかは話してました」という。だが、他にはさっぱりそれらしい話をしなかったというのだ。
「『何をされましたか』って公判で質問されたらやっぱり刺された話をするもんじゃないですか。貞森さんから刺されたことは事実ですから。でもその話はしてないんですよ。『街宣車が来ると家の前で心を入れ替えなさいと言われる』とか話し始めるんです。家の前でかならず『心を入れ替えなさい』と同じところをテープで大音量で流されるって。そういう妄想の話しか出てこなくて、肝心な話をしないんですよ」
 また保見は公判で「自宅で作っていたカレーに農薬を入れられた」という話もしていたのだが、よく聞けばそれがいじめ≠ゥどうか、怪しかった。
「一ヶ月分まとめて七輪で作るんです。普通に考えると一ヶ月分作ったら最後の方は腐って食中毒になりますよね。冷蔵庫に入れるでもなく勝手口で作っているんです。そのカレー鍋に農薬を入れられて食べて死にそうになったって保見は言っているんだけど、それは農薬のせいじゃなくて腐ってたんじゃないか? って聞いた方は思うじゃないですか」
 私が当初期待していたほど、公判で保見はいじめ≠ノついての詳細を語ることはしていなかったのだ。

 保見と同じように集落に住む一人の人間が突如として 近隣の者たちを皆殺しにする事件を、私は他にも知っていた。1938年に岡山県津山市の貝尾部落で起きた『津山三十人殺し』である。実際、山口連続殺人事件を平成の津山事件≠ニ報じるマスメディアもあった。
 田舎の限界集落で、周囲に馴染めない一人の男が突如として村人たちを殺害してまわる……たしかに二つの事件は似ている。津山事件の犯人は、当時21歳だった都井睦雄。匕首と日本刀、九連発ブローニング猟銃を携え、自宅の祖母の首を刎ねたのを皮切りに、わずか一時間半の間に三十人を殺害し、近くの山で猟銃自殺した。
 保見光成は自殺まではしなかったが、この二人が、自らも暮す集落の人々に対して、強い嫌悪感を抱いていたことも共通する。『津山三十人殺し』(筑波昭/新潮社)によれば、都井は三通の遺書を残しており、そこには集落の人々への恨みが綴られていた。一部の村人は都井が患っていた病気を毛嫌いし「肺病の一家や、近づいたらあかんぞ」などと直接言っていたといわれる。対する保見は、事件の二年前の元旦に周南警察署を訪れ、「地区で孤立している。集落で悪口を言われている」などと、のちに殺害することになる被害者たちの名を上げていたほか、逮捕直後にも、近所の人の名を挙げて「うまくいってなかった」と語っていた。
 それよりももっと、共通点を感じる大量殺人事件を私は過去に傍聴していた。2004年に兵庫県加古川市で発生した『加古川七人殺し』だ。当時47歳だった藤城康孝は8月2日の午前3時半、突如、近隣に住む親戚を次々に牛肉解体用の特殊な包丁で刺してまわり、7人を殺害したのち、自宅に放火し、ガソリンを積んだ車に乗り込み発車し、それを近所の信号柱にぶつけ、自殺を図るが警察官に引きずり出されて逮捕されたという事件だ。
 保見の逮捕のニュースに接した際、私は津山事件でなく加古川事件を真っ先に思い浮かべた。2009年に神戸地方裁判所で論告弁論を傍聴した際に、検察側が近隣住民との諍いについて述べたのだ。
「周辺は古くからの農村で人間関係が濃密。ささいな出来事も話題にのぼり、噂になる土地柄です。
 被告人一家は権利関係があいまいなまま本家の土地の一部に住み続けていました。また被告人は近所でもけんかっ早くて有名で、定職につかず、被告人の父は昭和62年に『年金を1人で使いたい』と家出します。しかし周りには『被告人の暴力から逃げる』と嘘をつきました。被告人の兄弟は自立しており、母親が靴下製造工場でパートとして働き、生計を立てていました。
 被告人は当時、老齢の母と2人で暮らしており、常に噂話の対象となっていました。被告人の母はこう述べています。
『夫が家にいた頃まではあまりにも露骨な噂話はありませんでしたが、夫がいなくなってから格好の噂の対象になりました。遠慮もなくなり、外出時には利彦の妻、周囲の住民が井戸端会議をしていました。挨拶をしても返さず、声を潜めその場を離れて行きます。娘も「あの人ら何なん。いつも悪口言ってる」と言っていました』
 また被害者のひとりと立ち話していた近所の女性は『被告人の姿はたまにしか見かけませんでした。平日の昼も家にいるようで、まともに仕事もしてないこともわかっていましたが、何か仕事しとるんやろか、と噂していました』と述べています。
 このような環境で被告人は周囲が自分を見下していると考え、怒りを募らせていったのです」
 藤城に対しては何度も精神鑑定が行われた。一審・神戸地裁では弁護側請求による鑑定と、検察側請求による鑑定。二審・大阪高裁では裁判所が職権で鑑定。一審弁護側請求鑑定と二審の鑑定では、保見と同じく『妄想性障害』という診断が下された。だがそれに伴う責任能力の有無については、保見とは扱いが異なった、一審弁護側請求鑑定で「完全責任能力を否定」し、二審の鑑定でも「判断能力に著しく障害があった」と責任能力が限定的であったとされたのだが、神戸地裁も大阪高裁も、完全責任能力があったと判断したのだ。最終的に最高裁でも『妄想性障害はあったが完全責任能力はあった』と認定されている。だが近隣住民による「うわさ」や「挨拶をしても返さない」などのいじめが存在したことは神戸地検も争ってはいなかった。

 集落にはそれぞれの性質がある。ひとくちに村八分≠ニいっても、その性質により、内容も異なる。先のふたつの事件では、都井に対しては直接的な悪口、藤城に対しては陰口や無視といった行為がそれにあたる。保見に対してはどうだったか。1月に触れた郷集落の不気味さの片鱗だけでなく、村の本当の姿を知らなければ、保見の感じていた疎外感を知ることもできない。
 私は、改めてこの郷集落における保見がいかなる存在だったのかを追うことにした。まだ梅雨は明けていなかった。

保見ちゃん

 保見光成は昭和24(1949)年12月に郷集落で生まれ、地元の金峰小学校に入学。鹿野中学校を卒業後に上京し、先に上京していた長兄と仕事をしていた。17歳の頃にボクシングを始め、ジムを何度か移ったが、そのうち兄とやっていた仕事を辞め、ジムに住み込む。パチンコ屋でも住み込みで働いていたという。
 山口地方裁判所で行われた裁判員裁判の検察側被告人質問(第七回公判)で、保見は自らの経歴を問われ、こう語っている。

検察官「金峰を出たあと、関東ではどのような仕事をしましたか?」
保見「いろいろあります。石貼り(タイル)、のろ貼り(セメント)、軽天(天井)、建築に関すること、ほとんど。住込みのパチンコも、あっ、すし屋……」

 時は高度経済成長期。若い労働者が金の卵としてもてはやされた時代だ。左官や土建業を中心に、保見はさまざまな仕事を渡り歩いた。
「東京では、やればやるだけ金がもらえた。当時は月200万の収入があった。貯金は1500万ぐらい」
 全盛期は、仕事場にシュラフを持ち込み、夜になるとそこに潜り込んで眠り、目覚めてすぐに現場仕事に取り掛かる、という生活をしていた、と村人たちは保見から聞いていた。だが、本当にずっとそんな調子で稼げていたかは、分からない。

「体の調子が悪いから、戻ってきてほしい」

 父親の友一からこんな連絡を受け、郷に戻ることを決めた保見光成は、1994年10月、元駐在所の本宅に隣接する土地を、その所有者であり事件の被害者となった石村文人さんから購入し、当時住んでいた関東と金峰を往復しながら自力で新宅を完成させた。1996年5月、拠点を金峰に移し、両親との3人暮らしが始まる。このときには1000万円の貯金があった。
 土地の購入に関しては、郷地区から少し離れた金峰谷(みたけだに)という集落に住んでいた、鹿野町(当時)の町会議員、三浦富貴人(ふきと)さんが、高齢の友一夫妻を心配し、保見へ譲ることを石村さんにすすめたのだと地元では言われている。その富貴人さんは事件が起こった年に亡くなった。
 石村さんから購入した土地の登記簿を確認すると、郷地区に戻る直前の、保見の住所が確認できた。神奈川県川崎市多摩区のアパートだ。京王・JR両線の稲田堤駅から北東に1キロほど進んだその場所を尋ねたが、すでにアパートはなくなっていた。古い平屋住宅、低層階の古いマンションやアパートが立ち並ぶ中に、造園屋や工務店などが点在している。真新しい建売の戸建てが、ところどころに出来始めていた。
「あいつのタイルの親方がこの辺にいたんだけど引っ越しちゃったんだよな。職人としての腕はよかったよ。やっこさんが住んでたところの隣に3階建てのマンションがあるのよ。そこを奴がやったんだよね。外壁を」
 当時の保見を知る男性はこう語った。確かに、アパートの跡地すぐそばに、1991年3月に建てられたクリーム色のタイル張りマンションがあった。仕事は順調だったように見える。だが、このマンションが完成して数年後に「親が体の調子が悪いから、家に帰んなきゃなんねえんだ」と言い、金峰に戻ってしまった。
 保見はこの地に住んでいる当時、稲田堤の駅前に古くからある、焼き鳥屋の常連になっていた。その店主である森さん夫妻=i仮名)が、保見と同年代で、仲が良かったという。保見が住んでいたアパート跡地の近所にある森さん宅を何度か尋ね、奥さんに話を聞いていた。「あの事件があったときは田舎(山口)からも取材が来てたのよ」という。
 多摩川沿いにあるその家で夫妻は現在、甲斐犬のブリーダーをやっている。奥から何頭もの犬の鳴き声がけたたましく響くなか、玄関で取材に応じてくれた。
「私もお店(焼き鳥屋)に出ていて、当時子供も小さかったから、保見ちゃんに見てもらったりなんかしてたんです。その当時、別にどこか異常だとか感じたこともなかったしね。ただなんか神経質っていうかな。仕事は熱心だし真面目だし。真面目なんですよ。だから逆に真面目だからこそ、融通がきかないってのはあった。でもそれって、男でも女でも、人によって性格ってあるじゃないですか。
 保見ちゃんが働いてるとこの従業員の方とか社長とか飲みに来たり、自宅にも飲みに来たりなんかして家族ぐるみの付き合いしてたね。『あいつは気は短いけどでも気持ちはいいぞ』って社長は言ってました。わたしもホミちゃんのところに遊びに行ったことあるけど。だけど別にどうってことないし、ちゃんと洗濯もきちっとしてるし支払いもきちっとしてたからね、そういう付き合いはしてたんですよ。あんまり変な人だとね、うちも子供が女の子だから付き合えないし。
 保見ちゃんは、仕事が早く終わっちゃうと『一杯飲ませてくれとか』早い時間に店に来て喋ってたり。でも仕込みなんかで私たち夫婦は忙しいから、酒も出してる暇ないからね。だから自分で出して伝票も自分でつけてくれてたり。そんな感じでみんなで和気藹々とやってましたよ」
 そもそもの出会いは、当時森さん夫妻が切り盛りしていた焼き鳥屋に、保見がタイル職人の親方に連れられて来店したのがはじまりだった。
「保見ちゃんに会ったら言っといて。稲田堤のババアが年取ったって。娘は大きくなって孫もできたよ、保見ちゃんありがとうね、って」
 ちょうど家の奥から電話が鳴り出し、ここで話は途切れてしまった。

 稲田堤に住んでいたころの保見は、タイル張りの仕事に精を出し、行きつけの焼き鳥屋で交流の輪を広げ、仲の良い友人と一緒に釣りに行き、その魚を近所におすそ分けもする、でも頑固で細かいところもあった、普通の職人のおっちゃん≠セった。
 では、金峰地区に戻ってからはどうだったのか。

ワタル

 1月と同じように徳山駅から車で菅野湖沿いの県道41号を北上する。片側が湖、片側が山になっていて車一台しか通れない道だが、6月下旬ともなると、山から生い茂る雑草が伸びてきて、車の側面に葉が触れる音がかさかさと車中に響く。たどり着いた金峰地区も同じく、緑が生い茂っていた。
 この県道41号と、それよりも道幅が広い県道9号がぶつかる地点に保見とその両親が暮らした家がいまもある。41号を挟んだ向かい、西側には金峰神社へと続く参道がのびていた。保見の家から参道の方を眺めたとき、その脇に見えるのが金峰山(きんぽうざん)だ。
 前回訪れた時と村の佇まいは変わっていないが、季節が冬から梅雨になったことで、山の木々や道路沿いの雑草はさらに青々と生い茂っていた。そして、なんといっても虫が多い。歩いていても、止まっていても、走っても、身体中に小さな羽虫がまとわりついてくる。何をしていても虫たちが耳元で小さな羽音を響かせ、とくに顔に集まってくるから堪らない。小さな叫び声をあげるが、周りには誰もいない。手に持ったタオルで顔に寄ってくる虫をはたきつつ、郷集落や近隣の集落を訪ね歩いた。
 保見光成は、もともとの名前を『中』(わたる)という。そのため皆、保見のことを『ワタル』と言って話す。
 事件直前のワタルは、関東に住んでいた時の人物像とはまるでかけ離れた攻撃的な村人として、郷地区で敬遠されていた。妻の聡子さんを殺害された河村二次男さんが言う。
「うちの田んぼがワタルんちの前にあった。そこで女房が仕事をしとると、ワタルが家から窓開けて、歌を歌うて、おびくわけ。おびく、っち分かるかな、罵る、ちゅうこと。カラオケでギャーンと流す、そういうことしよった。女房は『気持ち悪い』っちゅうけど、わしは『取り合わんがいい』と言いよったんよ。
 女の人は集まって井戸端会議とかするじゃないですか。それを、まあ、ワタルの家の前に鳥居があるからね、そこで山本さんとうちの女房が話をしよったらワタルが外に出てきて犬の散歩がてら『お前ら殺したろうか』っちゅうわけ。『お前ら二人じゃつまらんけ、もう何人か連れてきてやっちゃろか』と。そういうこと言うわけ。
 女房がワタルの向かいの家に行っとるときに車で送って、お宮の前に車止めて、向こう見とったらワタルの家の方向くでしょ。そうしたら『お前何の用事があるんか』と言ってくる。そりゃあね、わしらも多少あれやったけど、田舎のものにあげなこと言うたら恐れる。あれは恐ろしい」
 道ゆく村人たちに食ってかかり、時には殺害も仄めかす。完璧な危険人物に成り果てていたようだ。
 別の住民も「貞森誠さんがワタルに掴みかかられた」、「棒みたいなん持って犬を散歩しよった。会うと『10人くらい殺して死のうと思う』とよう言いよった。思いがあったんかなんなんか。それを私はなんでとは問わんよね、怖いから」など口々に振り返る。
「夕方にカラオケかけて歌いよった。5時ごろ出たら歌ってるよ。『およげ!たいやきくん』やらね、そういう歌よ。すごい外に大きく聞こえるように。マイクをこうね。山側のほうに向けてね」
 しかも、食ってかかるだけでなく実際に暴力も振るい、挙げ句の果てに毎日のようにカラオケで熱唱していたというのだから、確かにこれは、田舎のものでなくとも、恐ろしい。
 当のワタルは一審山口地裁の被告人質問で、当時の生活パターンを検察官から問われこう答えている。
「最後はわからなくなった。朝5時半散歩して、家でカラオケ。事件2〜3か月前はなんもやってなかった。ポケーとして声を出すこともなかった。人の話を聞きたくない」
 最初の頃に自宅の窯で陶芸をやっていたことを覚えていた村人もいたが、それもいつしかやめていた。
 村人たちにはその言動を不審がられていたが、家の中はそれにもまして不気味だった。地下のトレーニングルームを中心に、自作のポエム≠ェびっしりと壁に貼られていたのである。一審公判の証拠調べで、法廷の壁にかけられた大型モニターにその壁の様子が映し出されている。傍聴した記者やマニアは一様にこの写真のことを真っ先に挙げ「すごかった」と語るほどだ。

「何かしなければ全て認めて死ぬことになる 悪者にされ一人死んでたまるか」
「試合である 警察に訴えない 病院代の請求 遺恨残さず」
「あなたの性根の悪さがよく分かる がまん がまん がまん いつまでどこまで リオブラボー」
「もんぺ下げ 散歩の亀に 餌をやる」
「無神経 なのに 神経痛」
「玄関前に横たわる ぴくりとも動かない 仇討ち」

 エロと恨みが共存したこれら不穏なポエム≠ヘ、村人への恨みから来るものなのではないか? そう一審公判で検察官が追求していたが、ワタルはそれを否定していた。こんな調子でだ。
「ルームの紙は両親が亡くなった後書いた。どういうつもりでって……つらい気持ちで書いた。見る時はなんともないです。子供がいじめられて日記書くでしょ、死ね死ね死ねとか。吐き出してすっきりする。そういうもんです」

 そうは言っても、すっきりできなかったから事件は起こったのではないか。
 事件直前は村の危険人物に成り果て、草むしりなどの集落の作業にも、自治会の仕事も参加せず、回覧板も受け取らない生活をしていたワタルだが、最初からそうだったわけではない。
 関東に出る前の幼少期は、ガキ大将として近所の子供を引き連れて遊んでいた。連れ回されるのが嫌で、子供たちはたいてい、ワタルが遊びに来る前に外に出るようにしていたという。いじめられていた同級生を守ってあげたこともある。
 1996年5月に郷地区に戻って来たばかりの頃も、いわゆる変人ではなかった。戻った翌月には自治会の旅行に参加した。その翌月に開かれた歓迎会にも参加して、自己紹介をし、村人たちの輪の中にすすんで入ろうとしている。2日連続の公民館行事に参加もした。旅行でのワタルの様子を覚えている村人はいない。ということは逆に言えば取り立てて何も問題がなかったのだろう。だが歓迎会でワタルは、自分がこの地で何をしたいか、村人たちに提案をした。
 公判を傍聴したマニアが、この当時の情報を語ってくれた。
「本人に面接し本鑑定を行なった精神科医が、彼は『村おこしに失敗した』と言っていました。その一言だけで、具体的には何に失敗したのか言っていなかったんです。本人は手に職があるからバリアフリーをやってみたり、年寄りが多いから色々と電気の付け替えとか、便利屋さんをやろうと思っていて、戻って来た年にあの新しい家で『シルバーハウスHOMI』を開業したんです。そこでやっぱり介護とかデイサービスみたいなこともやろうと思ったんじゃないですかね」
 ワタルは自力で建てた新宅で、リフォーム業を主とする便利屋を開業しようとしていた。当時すでに過疎化が進んでいた村を盛り上げたいという意志を持っていたという。新宅は、その拠点にしようというワタルの思いが込められた造りになっている。
「気軽に集まってもらったり、お酒を飲んで歌ったり話をしたりしたら楽しいよね」
 ある村人は、ワタルからこう聞いていた。いま草に覆われている新宅の扉の奥には、カウンターバーがあり、カラオケ機器も当初から取り付けられていた。地下にはトレーニングルーム、さらには陶芸のための窯もあった。
 ワタルはここを村人たちの交流の場として作ったのだ。
 日々ドアを開けてふらっと訪れる村人たちと、カウンターでお酒を飲みながら交流を深め、地元を盛り上げるための色々な案を考えていきたい……そう考えていたという。
 当初『シルバーハウスHOMI』を訪れたことのある村人は言う。
「すごいバーを作って、外は飲み屋のようにネオンがつくようにしちょった。中もお店みたいじゃったよ」
 だがすぐに、誰もそこに行かなくなったのだという。村人は続けた。
「そうするためにはやっぱり人間関係がないとねえ」
 ワタルは自作の新宅を集落の新しい拠点として、村人たちが楽しめるような設備を作り、村を盛り上げようと胸を膨らませていた。だが真っ暗な村に一軒だけネオンが輝く様は、不釣り合いであり、浮いていた。そしてワタル自身も、まず村人たちとの信頼関係を築く前に、近代的な家の設備で村人を呼び寄せようとしていたことが裏目に出た。『Uターンハイ』とも形容できるような状態になっていたのだろう。
 都会から戻ってきた俺が、こんな家を作った。これで村も盛り上がる。さあ、皆ここに集まってくれ……。
 年長者ばかりのこの村で、それは通用しなかった。やはり村に戻ってきたからには、自治会の仕事に参加し、数ヶ月に一度行われる草むしりなどの仕事にも精を出し、先輩となる村人たちとの調和を図ってはじめて、村に受け入れられるのがセオリーだ。冷静に見ても確かに、その案は強引に映る。
 歓迎会の席上から、ワタルは村人にあまり良い印象を抱かれてはいなかった。都会帰りでハイな状態のワタルは、村人たちにとっては、うっとうしかったのかもしれない。この村を盛り上げるためのワタルなりの村おこし……新宅を村人たちの交流の拠点とする案は、あっさりと年長者たちに否定されてしまったのだ。
「最初には、光成自身が外森(仮名)に相談をしたの。年代が違わんから『金峰おこしをしようじゃないか』と相談をもちかけたのは光成のほうやね。最初に自治会で出会ってその話をしたと。その時に外森が『それじゃ二人でやろう』ちゅうて。そのままやったらよかったんじゃが、あとのあおりが怖いちゅうんで、外森がおそれて手を引いたから、光成自身が一人悪者になった」
 ワタルの村おこしの顛末を知る村人は、こう語った。外森さんとは郷地区にある玉真寺という寺の住職で、ワタルよりも少し若い男性だ。郷地区から7キロほど西に離れたところにある寺の住職も兼ねており、事件後はほぼそちらに住んでいるのだという。彼と当初は村おこし≠しようとしたが、外森さんから梯子を外されてしまったのである。
 出鼻をくじかれたことで金峰・郷集落での生活は幸先の悪いスタートを切った。集落のもやい仕事に参加したのも最初だけだ。「気が弱いところもあった」とも評されるワタルなので、理想の村おこしを反対されたことで萎縮したのかもしれない。人間関係が築かれてくれば、長期的には『シルバーハウスHOMI』を村おこしの拠点とすることも無理ではなかっただろうが、ワタルはそれをしなかった。
 そんな中でも『シルバーハウスHOMI』のために、店のチラシを印刷してあげたりする村人もいた。実際、初めの頃は徳山の方へ出向き、リフォームを請け負ったこともあるというが、そのうち開店休業状態となる。
 関東と金峰を往復して作ったこの新宅には、ワタルが思い描く郷集落での理想の生活が詰まっていた。だが『シルバーハウスHOMI』は、稲田堤の焼き鳥屋のように、地元の村人たちが集まる場所にはならなかった。いつしかトレーニングルームは自身の鬱屈した思いを書き連ねたポエムが壁一面に貼られる禍々しい空間へと変貌し、カラオケを一緒に楽しむ村人が訪れる日は来ないまま、一人でひたすら「およげ!たいやきくん」を歌っていた。

 ―― 過疎化した金峰では、子どもの住む街へ出るお年寄りが多い。そんな中、保見(ほみ)友一さん(93)の二男、中(わたる)さんが九四年、川崎市から帰ってきた。十五歳のころ、都会にあこがれ東京へ出たが、「自分の生まれたところで死にたい」という思いは消えなかった。
 工務店勤務の経験を生かし、老いた両親のために部屋の段差をなくし、手すりをつけた。一年ほど前、母のタケヨさんが病気で倒れ入院した。「うちに帰りたい」と言う母のために自宅で介護を始めた。おしめを換え、たんを取った。
 昨年十二月末、八十七歳の母をみとり、父と二人暮らしになった。「親が子どもを育て、年をとる。 そんな親をみるのは子どもの義務」。父が毎日手を合わせる仏壇の周りにも手すりを付けた。(2003年4月19日読売新聞朝刊)――

 金峰地区に住む高齢者と、その子供たちについて触れた記事だ。この翌年、友一も死んだ。村人の中には「両親が死んでから、おかしくなった」と言う者がいた。確かにこの頃から、家の前に雑然と置かれたオブジェの様子が異様なものへと変わり始めたようだ。
「ブラジャーをつけた変なマネキンを家の前に飾ったりして、どんどん様子が変になって言った」
 地下のトレーニングルームの貼り紙も、この頃から始まった。

 郷集落から5キロほど離れた別の集落に、ワタルと友一を知る村人がいた。82歳になるその男性は、この地で長らく酒屋を営んでいた。平成16年(2004年)に店を畳むまで、近隣の家へ酒の販売・配達をしていたのだという。
「お父さんはわしもよく知っちょる方じゃある。まあ椅子に座りない」
 男性は、保見の父・友一と、保見の母が生きているころ、郷集落のあの家に酒を配達していた。
「犯人のあれも、話したことがある。まあ、あれがあんなことをするとは思われんような。穏やかな人だと思うちょった。犯人の家はお父さんお母さんの家のすぐ隣に作っちょった。お酒の配達はお父さんが飲みよったけ、そっちの古い方の家に行きよった。お父さんと話するけど犯人とも話する。あそこは夫婦仲もよかったし。喧嘩ちゅうようなことはなかったですよ。犯人のほうも、大きな声をあげてどうじゃこうじゃ言う人じゃなかった」
 郷集落の人々は、酒税法が変わり酒のディスカウント店が都市部にできるまで、めいめい決まった酒屋から酒を頼んでいたという。男性は郷集落では保見家だけに配達をしていた。
 話を聞きながら、ふと、元酒屋だったというその家の土間を見回すと、ワタルとはタイプの違う、前向きな自筆の標語が壁一面にびっしりと貼られていて、そちらに気を取られてしまいそうになった。腕に蚊が止まっても、気づかないのか、そのまま話し続けていた。
「ひと月に一回注文があった。いっぺんに持って行くのが一升瓶10本。多いですよ。わっはっは。よう飲みよったです」
 酒飲みだったが穏やかな家族だった……。こう男性は言うが、郷集落とその近くでは違った評判が立っていた。
穏やかな人≠セったというワタルに関してはこうだ。
「帰った当時は集落の旅行にでも行きよったよ。それならええわけ。でも、仕事をせん! 集落の村の仕事にも出ん。はしからそうなっていったんや。そりゃ人が相手にせんにゃ」
「ものを人にあげるような人じゃなかった。うん、そういうところはなかったですね。飲みに行った人のところに次に行くときさ、ビールの一本ぐらい持って行くとかさ、そういうのが一切なかった」
「なめこがたくさん採れた年に、分けちゃろうとおもって、なめこ食べるか? って聞いたら『おう食うど。しいたけは埃臭いから好かんけどなめこならええど』って、ありがとうはない」
 都会から戻ってきた若者……と言っても、すでにこのとき40代半ばだったが……なのに、年長者たちに礼を言わず、集落の仕事にも参加をしない。川崎・稲田堤に住んでいた時とは違う尊大な態度のワタルに、郷集落の村人たちは距離を置いていった。剛に入りては郷に従え。特に人口の少ない集落においては重要かつ唯一ともいえる処世術になるが、ワタルはこれを拒否し、村人たちもそれを苦々しく思っていた。2009年にワタルが「光成」に改名したが、それを村人たちが知ったのは、事件の後の逮捕報道でだった。

 このように郷集落に戻ってきてからのワタルの、あまり良くない言動は、村人から暇なく聞かれるのだが、報じられていた具体的ないじめ行為については確たる話が出てこない。
 一審公判の冒頭陳述では、近隣住民との諍いの経緯が時系列で明らかにされているが、そこで出たのは「平成20年8月の河村さんとの農薬散布トラブル」、「平成21年5月 飼い犬を巡り河村さんと口論」、「平成25年はじめ 飼い犬のフンをめぐるトラブル」などだった。だがこういう裁判では被害者側の生前の非を隠すこともある。
 事件当時に現場を取材した記者によると、そのときは郷集落に貼られた規制線のため、中に住む村人たちへの取材はできない状況だったことから、金峰山を超えた鹿野町などでも取材が行われていた。そこで記者は、こんな話をする住民に出会ったそうだ。
「せっかくみんなのために買った草刈機を、あぜ道に置いたまま忘れて帰ったら燃やされたっていう話を聞いてました」
 そのほかにも、すでに書いたように「庭に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」などの出来事が起こっていたと遠くの村人≠スちは口々に言うのだが、当の郷集落の村人たちに聞いてもそのような話が出てこないのだ。
「あの人だいたい草刈機を持ってなかったから。農家じゃなければあまり草刈機はいらないよね。それに草刈機も、燃えるようなもんじゃない。草刈機をどうかされたっていったら、投げられたとか、刃を壊された、とかならまだわかるけど、草刈機のどこを燃やすんか」
「草刈機を燃やしたとかなんとか聞いたことあるじゃろ。だけどあれはわし、よう知らんのよ」
 そもそも草刈機の存在さえ怪しい有様なのである。

 河村二次男さんは日々、村で起こったワタルとのトラブルを、自分の『県民手帳』に書きつけていた。そこにはこんな記述があった。
「背負式の機械で田んぼに農薬を散布していたら犬がどうとか言っていた」
 これは2008年の出来事なので、冒頭陳述にあった『農薬散布トラブル』とみて間違いないだろう。除草剤ではなく農薬を散布した際に、ワタルが自分の犬を攻撃されていると思ったのではないか。
 一部の村人は河村さんについて「ワタルに色々言われるけえ、ちゅうて、田んぼも手放したんじゃけど、まだ田んぼをやりよるときは、よく農薬まく人じゃったんよ」と、もともと農薬を好んで使う主義だったと話した。
 事件当時取材に答えていた遠くの村人≠スちによる、郷集落でのいじめの話は、ワタルが以前にそうした被害を誰かに話したものが広まっているかのような印象を受けた。犬について文句を言った話は、郷の誰からも聞けなかった。いじめた相手にいじめの話を聞かせてくれと言ってもなかなか話してくれない。そういうことかと思っていたが「あの人がいじめていた」という耳打ちすらされないのである。
 それよりも、ワタルに対する具体的ないじめ≠フ話が村人たちから出て来ないのと対照的に、周辺集落の誰もが知っていたのが、ワタルの父・友一が泥棒だった≠ニいう話だった。

(続く)
https://note.mu/tk84yuki/n/n3cf6b0673398

▲△▽▼

ルポ「つけびの村」03/06 2018/07/24
https://note.mu/tk84yuki/n/nee18a0ab0ef6


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


保見友一

 その泥棒≠フ噂高い、保見の父親は、いつから金峰の郷地区に住んでいたのだろうか。集落を訪ね歩いて話を聞くと、皆、大まかには同じことを話した。
「保見のところは、もともとは、同じ金峰でも郷とは違う山の中に住んどった。
 長男は順一。友一(ともいち)は三男。その間に徳市(とくいち)ちゅうのがおる。ワタルの父親が友一。この3人ともが皆それぞれに郷に出て来た。それは戦争前。今から70年くらい前かな。家のあったとこは、あとはなんもない」
「ワタルくんのお父さんらは、山の上の方おっちゃったらしいよ、ほんで降りてきた、わたしらも親が話しよったちゅうぐらいしか知らんからね。入るのはね、河村さんところの道を山伝いにずっと上がるんじゃけど。途中から奥まった山の方へ登るんと思うよ。家とか、もうないない。山しかない。もう誰も住んじゃないよ。昔はそこへ山をちょっと持っとったんじゃろうが、もうそれも誰かに売っちゃったみたいじゃがね。自分らも子どもの頃、あの河村さんとこの奥のところに入ったことはあるけど。山よ。集落はないね」
「なんで越して来たかは知らんね。兵隊取られるかそんな頃やから、昔の話じゃ。兵隊から帰った時にこっち来たんやね」
 たしかに、金峰神社の参道脇にあった保見家の墓や、神社に残された石柱などを確認しても、光成の父親である友一、その兄たちの順一、徳市以外の名前は見当たらなかった。

 郷集落は保見家の南隣に、3人目の被害者山本さん宅と、さらに南方に進んだところに、本来は菅蔵地区だが「もとは郷に住んじょって、そっちに移った」ため、そのまま郷集落の一員として暮らしていた最初の被害者、貞森さん夫妻が住む家がある。保見家の家の裏手にはこんもりとした山が続くが、その手前には東西からそれぞれ流れてくる小さな川が合流している。東側から流れるほうの川に沿った細い道をその上流に向かって歩くと、500メートルほどで河村さんの家に着く。ここまでが郷地区といわれる。この細い道をさらに奥に進めば、県道9号線にふたたび合流するのだが、郷集落の入り口の前よりは道幅が細くなっており、車が一台しか通ることができない。1キロほど曲がりくねった細道を進んだところで、道が南北に分かれている。この周辺にワタルの父・友一とその兄たちは住んでいたという。
 そう村人たちが言う場所は現在、道沿いに家はぽつりぽつりとあるが、朽ち果てた廃墟もあり、今も人が住んでいる家は数100メートルおきに一軒ほどしか見当たらない。山の方を見ても、もはや家らしきものはなかった。
 体に寄ってくる虫を避けながら、保見友一とその兄たちが郷集落に移り住んだ経緯や、住んでからの暮らしぶりを高齢の村人に尋ねてまわると、わりあい話が聞けた。といっても、金峰地区では高齢者しか見かけたことがない。ここでの高齢の村人というのは、後期高齢者に分類されるような者たちだ。

 金峰地区の生き字引と称され、金峰地区のことならばこの人に聞け、と名前の出る男性、田村勝志さん(仮名)は郷集落の隣、菅蔵(すげぞう)集落で長らく農家を営んでいる。友一とは20歳近く年齢が離れているものの、やはり友一とその兄たちのことをよく知っていた。なぜ郷地区に移り住んで来たのかもだ。
「生活ができんようになったから。住んでいたところは、それはもう山の中で、どうしようもない生活しよった。その山の中に一軒家があって、そこに生まれて育ったんやからね」
 友一が移り住んで来たとき、まだ郷地区を東西に走る県道9号線が東方向には伸びておらず、現在の保見家の北側から東にかかる『第二郷橋』付近に家があった。
「まあお粗末な家を作っておったよ。竹をパッと縦に割って、その中の節を落としたものを重ねて行くわけ。でそれが屋根になるわけ。そういう家じゃった」(別の村人)
 郷地区から北東方面に採石場があることから、昔からダンプカーの往来があった。集落の家々の前にある細い道を抜けていたのだが、道幅が狭かったため、1976年代にバイパス工事が行われることになった。このとき友一と妻、そして子供であるワタルとそのきょうだいらが住んでいた家は立ち退きとなり、現在の茶色の建物に移ったのだという。もともと駐在所だった建物をそのまま友一が買った。
 ワタルの父、友一とその兄たちは別々に移り住んで来ている。次男の徳市は事件の被害者となった貞森さん夫妻が住んでいた家に住んでいた。その家を建てたのだという。金峰地区の村人たちは、徳山に近いほうを「カミ」、遠いほうを「シモ」と言う。順一は「シモのほうに住んどった」というが、詳しい場所は誰に聞いても定かではなかった。
 ワタルの叔父にあたる明治生まれの長男・順一の生活ぶりを直接覚えているものは、田村さんだけだ。
「わしが小さい頃、長男は荷車を引いて荷物を運ぶ商売をしとった。ここから徳山まで馬を買って来て荷馬車にして荷物を徳山へ運んできて、徳山で、頼まれたら買って帰るというのを長男はやってた」
 同じく叔父にあたる次男・徳市になると、数名の村人が記憶していた。話は皆共通しており「ブローカーのようなこと」をやっていたという。徳市、友一と交流のあった田村さんの話はこうだった。
「どういったらええかな、請負仕事をして、そして儲かって、土地を買ったり、いろいろ商売をしたりということをやりよった。ここに昭和26年の10月に大きな台風が来たんじゃけど、この辺は死の谷ちゅうて、家もあったけれども、田んぼも何もみな川になってしもて、大変なときがあった。道路という道路、橋という橋がひとつもなくなったんや。それを改修するために土建業の人がものすごいここに入った。そういうときに保見徳市という人は、なかなか頭のいい人やから、すぐにその請負をしたわけね。それで儲かって、まあ、一代をなしたというか」
 昭和26年10月 13日から14日にかけて山口県を襲ったルース台風は、同県に甚大な被害をもたらした。この災害をビジネスの好機と捉えたのが徳市だった。それなりに財を築いたが、徳山市に出ていた徳市の長男が脳溢血で急逝したことで潮目が変わる。その妻が、家の財産を奪ってしまったのだという。
 とはいえ長男・順一も、次男・徳市も、郷地区に移り住んで来てから仕事をしていたが、ワタルの父、友一だけは違っていた。どのように暮らしていたのかと村人たちに尋ねると、こんな答えが返って来るばかりなのだ。
「あんまりに働かないおじさんでね。上手いこと言って安い酒を人に高く売りつけてお金をあれしたりとか。人の作ったカゴを自転車の後ろにつけて売ったり。それで時々仲買に出たり。体がでかいおじさんだったけど、勤勉に働くような人でもなくて。それでいつも将棋をやっていてね。バスが来てたんですよ、で、バスが止まるといつも運転手さんと早将棋をやっていた」
「カゴを売る仕事のほかは、戦後に植林ブームちゅうのがあった。山を綺麗にして、苗木を植えて、下刈りをして、下刈りもだいたい5〜6年やりよるから、ひとつ受けたら6年間は仕事がある。あんまり定職ちゅうのはなかったね」
 金峰地区の産業は、今も続いている農業や椎茸栽培のほか、かつては製炭や畜産、そして竹細工も盛んだったという。友一は付き合いのあった竹細工職人から安く仕入れた籠を、高く売りに行っていたほかは、植林ブームに乗り一時期その仕事に従事していた。友一の妻、つまりワタルの母親は「和裁ができた」というが、どこかに勤めに出ている様子はなく、近所のものたちの農作業を手伝い、報酬に農作物をもらっていたことがあった。

 1月の取材で聞いていた友一は盗人≠セという噂について村人たちに尋ねると、他の兄弟の話と同じく、皆が同じ話をした。
「あの家の中に縁側があって、そこで2〜3人集まって酒を飲んでいるちゅうのが友一の日常生活じゃった。酒を飲むのも、自分は酒がないから、来た人をうまい具合にごまかして、酒代をとって、いうような感じ。それで人をごまかす。だから相手にするなという風評が高まった」
「保見友一って誰も呼びやせん。友のアカの人≠ソゅうふうに言いよった。アカっちゅうのは、盗人のことやな。米も洗濯物も盗られる。盗んで着るんじゃから、すぐ分かるよ」
「今なら笑えるようなものを盗りよったらしいよ。まあ洗濯物とか、カボチャとかやね」
「友一は子供がたくさんいたし、非農家じゃったから、田んぼがない。終戦後、食べ物にすごく困っている時があった。昔は水車を回して米を挽いていて、農作業に出る前に水車のところに置いて出て行っとった。そして帰ってその米を炊いて食べるんじゃけど、それを盗んだとか、カボチャを盗んだとか」
 米やカボチャ、洗濯物を盗み、家に来た者から酒代を取る……友一に関しては良くない話≠オかなかった。酒代については、被害に遭えばすぐに犯人が分かる類のものなので信憑性は高い。けれども農作物や洗濯物の盗みの話は、いまとなっては本当だったか確かめようがない。同じように、本当に泥棒だったのか確信を持てないと話す村人もいたのだが、友一が盗人だといううわさ≠ヘ、話を聞いた全員が知っていた。

 田村さんは述懐する。
「保見友一は人気がなかった。自慢をしたりなんかするから、あんまり付き合いをする人がいなかった。
 今日のような暑い日に皆は田んぼや畑へ出て仕事をするが、あの人は田んぼを作らないからね。まあ左うちわっちゅうか、皆が暑い暑いと言いながら仕事しとるときに、家の中で涼しい風に当たって、夕方にちょっと出て散歩をするというぐあいに、皆と生活の態度が違ったんやな。そういうところから嫌われ始めた。わしらが汗水流して働きよるのに、働かんと、人をごまかして、生活をして、高い目線で見よるというようにな」
 金峰地区では田や畑を持っているのが一般的だ。友一は「非農家」で、田も畑も持っていなかった。ならばふたりの兄のように仕事をして金を稼ぎ、食べ物を調達しなければならない。それなのに定職についている様子はなく、農作業もやる様子はない。人から金をチョロまかして酒代を多めに取る……そのような暮らしをしていたために、村人たちから白い目で見られていた。
 また金峰地区には集落ごとに自治会があり、2年に一度、選挙で会長が決まる。役員は自治会員らで話し合いをして決めるのだが、生前、友一は役員になれなかった。それが集落の者たちの故意だったのかは定かではないが、友一はそれを気に病んでいたという。ワタルが関東から戻って来たとき、友一とその他の村人との間にはこうした空気が熟成されていた。
 都会で金を貯めて戻って来た。近代的な一軒家を建てて「村おこし」をしたいなどと言い出す。それも単なる都会上がり≠ェ都会風を吹かせているだけではない。よりによってあの盗人の家の子が、そう言うことを言っている……そんな認識が、集落の村人たちにあったのだ。快く思わなかったのは容易に想像がつく。

金峰

 金峰地区の村人たちと保見家の関係がよく分かるものが、村の中にある。保見友一の眠る墓である。
 かつて『シルバーハウスHOMI』だった保見家から県道を挟んだ向かいから伸びる、金峰神社の参道をのぼった。石段はところどころ途絶え、急勾配のけもの道になっている。左手にタオルを持って虫を払いながら、拾った長い枝を空いている右手に持ち、杖の代わりにして本殿を目指す。両脇に並ぶ高い杉の木のせいか、晴れていても山道は薄暗く、足元の土は湿っていて、何度も滑り、この杖に助けられた。
https://note.mu/tk84yuki/n/nee18a0ab0ef6


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ルポ「つけびの村」 04/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/n8dbf7f16be07


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

『コープの寄り合い』

 相変わらずほとんど人が歩いていない金峰地区で私は、村人が恐怖する金曜日朝の『コープの寄り合い』が行われていた家に住んでいた、吉本茜さん(仮名)の現在の居所を聞いてまわった。ワタルの父・友一やその兄たちの居所を訪ねた時も感じたが、この地区の人たちは、村人の転居先にも詳しい。何人かに聞くと、だいたいの場所がわかった。
 吉本さんは事件の後に集落から離れた街に引っ越し、息子たちと住んでいるという。金峰地区の村人だけでなく、少し離れた地域の村人も、吉本さんの名前、経歴や人柄を詳しく知っていた。むろん、引っ越し先の詳しい場所もである。ワタルよりも有名人だ。
 若い頃には学生運動をやっていたとも聞いた。郷集落に戻って来てからも、熱心に環境問題に取り組んでいたという。実はこの吉本さんは、ワタル逮捕後の起訴前鑑定で名前が出ていた人物だ。鑑定を担当した山口県立こころの医療センター・兼行浩史医師は、鑑定当時ワタルが被害念慮を抱いていたことに触れ、その対象を「吉本さん以外全ての人に対して持っていた」と述べていた。
 村人がおそれる危険な『コープの寄り合い』で情報を司っていた中心人物≠ナありながら、ワタルは吉本さんだけには「被害を受けている」と感じていなかったというのである。一体全体、どういう関係性を築いていたのだろうか。
https://note.mu/tk84yuki/n/n8dbf7f16be07


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ルポ「つけびの村」 05/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/ne4995dd23077

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


『金峰百年の歩み』

 ワタルは友一とその妻との間に生まれた5人きょうだいの末っ子ということはすでに1月の取材で知っていたが、まだ存命であるならば、誰か一人にでも話を聞きたい。
 また友一の兄である順一、徳市はすでに亡くなっているが、その子供達は、ワタルとは従兄弟の間柄である。子供時代に付き合いがあってもおかしくはない。
 周南市立中央図書館に用意してもらっていたのは『金峰百年の歩み』という本だ。金峰地区に近い鹿野町にある、周南市立鹿野図書館に問い合わせをした際、この本が所蔵されていることを聞き、あらかじめ中央図書館に送ってもらっていた。
 郷地区にある「金峰杣(そま)の里交流館」は公民館の役割を果たしており、事件当時、村人たちがここに避難していたことはすでに書いた通りである。ここは以前、金峰地区の子供達が通う「金峰小学校」だった。明治8年(1875年)に須万小学校分校として開校し、明治20年(1887年)には分校から独立。郷簡易小学校など名称は何度か変わったが、戦後に金峰小学校となり、昭和50年(1975年)に100周年を迎えた。これを記念し、卒業生らの手によって昭和51年(1976年)に刊行されたのが『金峰百年の歩み』だ。
 生徒数は明治後期から戦後がピークだった。明治42年(1909年)には117人、大正11年(1922年)には113人、そして昭和21年には最大の169人となる。昭和30年代には、須万小学校の一部だった奥畑分校が金峰小学校の分校となっていたが、両校とも生徒数の減少が続き、昭和48年(1973年)には生徒数2人となった奥畑分校が金峰小学校に統合された。100周年を迎えた頃は生徒数が11人となっていた。
 それでもこの年は、卒業者名簿の編纂や祈念碑の制作とその設置、本書の作成、記念式典のほか、金峰小学校の全室にカラーテレビが設置されるなど華々しい行事が続いたが、児童数の減少には歯止めがかからず、100周年からわずか3年後には鹿野小学校金峰分校へと改校される。平成4年(1992年)には生徒がひとりだけとなった。その児童が卒業した平成7年(1995年)には在籍児童数がゼロに。卒業式の半月後に休校式が行われ、平成15年(2003年)には廃校となった。
 ページをめくると最後のほうに「金峰小学校卒業生一覧表」があるのが目に留まった。明治27年度から、昭和50年度までの卒業生の名が並んでいる。眺めると今回の事件の被害者や、ワタルの名前も確認できた。
 別のページには一部の卒業生が刊行に合わせて学校の思い出話を綴った作文が掲載されている。そこにワタルの父親、保見友一のものがあった。
https://note.mu/tk84yuki/n/ne4995dd23077

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ルポ「つけびの村」 06/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/ne6061a373ac6

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


 ポパイが今も思いを寄せる飼い主のワタルに面会するため、広島拘置所へ向かった。その日の広島駅周辺は、朝から曇っていた。蒸し暑く、歩いていると髪が湿気を含む。ホテルから10分ほどしか歩いていないのに、広島拘置所に着く頃は髪が膨らんでボサボサになっていた。
 地方都市では城や城跡の近くに役所や裁判所が置かれていることが多い。ここ広島も例に漏れず、広島城のそばに裁判所があった。だが拘置所となると事情は異なり、必ずしも城の近くにあるというわけではないのだが、ここは拘置所が裁判所と同じブロックにある。拘置所敷地の外壁には、浮世絵のようなタッチの、海の上に多数の船が浮かぶ絵が描かれていた。拘置所の職員にこの絵の由来を訪ねたが「さぁ……なんでしょうね」と、何を知っているわけでもなかった。


 狭く古い待合室で、グレーの汚れた壁を見ながら待っていると、あっという間に番号が呼ばれた。スピーカーから流れて来る職員の声が大音量で割れている。キーンというハウリングの音とともに、こう聞こえてきた。

「四番面会室にお入りください!」

 面会室に入るとすぐに、ワタルが入って来た。アクリル板越しのワタルは、黒い半袖Tシャツにグレーのスウェットズボンを履いている。金峰地区の村人達はワタルを「体がでかいけぇね」と言っていたが、確かに背丈もあり、体格もがっしりとしていた。骨太な姿が、須金で会った長女の娘、ワタルの姪に似ている。ホームベース型の顔は、原始人のようにも見える。まず挨拶をして、面会に応じてくれたことに対する礼を言ったのだが、ワタルは聞いているのかいないのか「時間がないけぇね」と言いながらすぐにパイプ椅子に座った。挨拶をしないという噂は本当だ。
 ワタルは会話のキャッチボールをする気がないのか、面会時間が15分しかないために自分の思いをすべて伝えたいと焦っているのか、こちらが質問する隙を与えない。持っている資料の束をひとつずつ広げながらアクリル板に押し付けて私に見せながら、まくしたてた。
https://note.mu/tk84yuki/n/ne6061a373ac6

150. 中川隆[-11325] koaQ7Jey 2019年9月21日 11:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1473] 報告
■日本は近親相姦社会 国立社会保障人口問題研究所
【調査研究 配偶者選択の現状 今泉洋子 金子隆一】

我が国でも山村や孤島などの集団で近親婚率を調べると30%を超えている集団がいくつかあった。
我が国における近親婚率はこれら隔離された集団ばかりでなく、都市部においてもつい最近まで
近親婚率は数%におよんでいた。我が国の値はインド・エジプトの次に高くブラジルの値と同水準にある。
近親婚率を調べることは、集団全体の人口資質を知る上で大切である。
我が国のように諸外国と較べて近親婚の多い国においては
今後も近親婚の動向を調べていく必要があろう。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14168401.pdf

■日本家族計画協会「日本は近親婚が非常に多い」

遺伝のはなし3 近親婚 - 日本家族計画協会
近親婚はどれくらいあるか
わが国では 1947 年には 15.5%という報告もありました。最近は減少し 3〜5%
を割っているでしょう。もちろん、地域差はあります
近親婚は欧米では 0.2〜0.3%です。

http://www.jfpa.or.jp/mother_child/150401遺伝のはなし3-1近親婚.pdf

■藤田医科大学「日本人の遺伝子はかなり均質」
https://www.fujita-hu.ac.jp/research/story/neuro.html

■日本は異常な近親相姦社会
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102236.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102443.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102308.jpg

151. 中川隆[-11326] koaQ7Jey 2019年9月21日 14:15:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1472] 報告
近親相姦がもたらす“5つの障害・遺伝病”が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ“推奨”されている国も!? 2019.08.12.
https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry.html


 現在、世界のほぼ全ての国や文化圏で近親相姦はタブーとされている。

 しかし過去、近親間の結婚・出産は世界各地の特に王族・貴族間で盛んに行われており、古代エジプトでは支配層において純血を守るという目的から実の兄弟姉妹間、さらには親子間での婚姻・出産は当たり前の事象であった。

 近親交配では先天異常を持って生まれる子が誕生する確率が高くなることが知られている。類似した遺伝子を持つ者同士の交配により、劣性形質が発現しやすいなど多数の問題が生じる可能性が高まる。たとえ目に見えた障害が現れなくとも、子から孫へと、代々問題が受け継がれることもある。

 海外メディア「Ranker.com」では、王族・貴族の家系で行われた近親交配によって生じた可能性のある先天性疾患の例がいくつか紹介されている。


・ 13 Genetic Mutations That Can Arise from Incest (Ranker)
https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan

■下顎前突症(The Habsburg Jaw)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像1

https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan

神聖ローマ皇帝カール5世。画像は「Ranker」より引用

 ハプスブルグ顎と呼ばれる下顎前突症は、現在のスイス領内を発祥としたハプスブルグ王家からその呼び名が付けられた。

 ハプスブルグ家では近親婚が代々繰り返され、一族には下顎前突症以外にも数々の障害を抱える者が多数誕生した。一族を描いた肖像画には、長い顎や過蓋咬合といった特徴を持った人物が多数描かれている。

 その中でも特に有名なのは、スペイン王のカルロス2世(1661〜1700)で、父のフィリップと母のマリアナは叔父と姪の関係であった。そして父フィリップと母マリアナの双方とも近親婚によって生まれている。

 カルロス2世は巨人症で顎が大きく長く、言語障害や知的障害、精神障害、生殖機能障害、尿細管性アシドーシス等、数々の疾患を抱えていた。噛み合わせが悪いせいで常によだれを垂らし、8歳まで歩けなかったという。

 しかも、現代に生きるハプスブルグ家の末裔さえ、幾人かはこの特徴的な顎が現れており、近親婚による影響は何世代にも及ぶ事が見て取れる。


■頭蓋骨奇形(Misshapen skull)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像2

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_2.html

画像は「Ranker」より引用

 古代エジプトの半身像や絵画で、時折見られる後頭部が異常に長い頭。これは当時の芸術的観点から誇張されたものではないようだ。兄と妹、姉と弟、父と娘、母と息子、叔父と姪、従妹同士の結婚が、エジプト王室では当たり前に行われていた。その結果、多くが障害を持って生まれており、ツタンカーメンは頭蓋骨奇形以外にも口蓋裂や内反足、脊椎側弯症も患っていた。

■奇肢症(Fused limbs)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像3


https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_2.html


画像は「Ranker」より引用

 ジンバブエのヴァトマ族では、足の肢部分が結合し鳥の足のようになる欠指症という疾患が多く発症しており、その大きく繋がった足から「ダチョウ人間」とも呼ばれている。地理的に隔離され、その少人数の部族内で交配が繰り返されたことが疾患の原因と見られる。


■血友病(Hemophilia)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像4

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_3.html

ビクトリア女王のひ孫、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフ。画像は「Ranker」より引用

 近親婚はヨーロッパ王族の間でも非常に盛んで、イギリスのビクトリア女王(1819〜1901)も近親婚に起因する疾患を抱えて生まれた一人であった。

 1850年代、ビクトリアと夫アルバートの間に生まれた四男には血液が凝固する病気(血友病)があった。娘たちにもその遺伝子が受け継がれており、孫の代になっても血友病が多く発症している。そのため、血友病は時に「ロイヤル病」とも呼ばれていた。

■小頭症(Microcephaly)

【閲覧注意】近親相姦がもたらす5つの障害・遺伝病が恐ろしすぎる!
何世代も呪いのように続く… いまだ推奨されている国も!?の画像5

https://tocana.jp/2019/08/post_106685_entry_3.html

画像は「Ranker」より引用

 パキスタンでは今も従兄妹間の結婚が当たり前のように行われているどころか、なんと推奨されている。1998年のレポートには、実に63%ものパキスタン人が血縁者と結婚したとある。数代にわたり従兄妹同士の結婚が繰り返されているケースもあり、小頭症の子どもも多く誕生している。

 パキスタン人全体の先天性疾患患者誕生の割合は1万分の1だが、パキスタン以外の世界に目を向けると、その割合は100万分の1に下がる。いかに異常な数値であるか見て取れるだろう。

 今回紹介した以外にも、アルビノ症や重度の体や顔の歪み等の奇形、小人症、生殖障害、免疫系の障害等も近親交配による疾患としてリストされている。その他にも聴覚障害、視覚障害、内臓や神経系、骨等の疾患も多く報告されている。

 もちろん、それらは近親婚でない場合にも発症する可能性がある。しかし、近親間での出産が遺伝的に危険である事は紛れもない事実だろう。

 ほとんどの国では近親婚は違法とされているが、先述したパキスタンのように、今も文化として残っている国が存在する。モラルとしてはもちろん、これだけの危険を冒してまで守るべきものなのかと思わざるを得ない。

参考:「Ranker」、ほか
https://www.ranker.com/list/genetic-mutation-from-incest/laura-allan

152. 中川隆[-11762] koaQ7Jey 2020年8月22日 08:01:05 : PugKUHucEg : bEZ4bUhBN0ZreVk=[1] 報告
耐えられる極限まで…… 2020年08月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1223.html
 動物たちは、地球上に生きる生命体を食べて、最期には、自分を食べさせて終わる命の循環がある。これは究極の利他主義といえるかもしれない。
 だが、これこそが、宇宙生命の本質なのだ。
 生涯、他の生物を食べながら、自分だけは食べられずに、静かに埋められたいなんて自分勝手な人生観を持っているのは人間くらいだ。

 動物たちは、衰え、弱ったことを自覚して死期を悟ると、自ら死を迎えるための地に赴くと、私は信じている。
 私は、若い頃から数千回も山を歩き回ってきたが、あれほどたくさんいる動物たちの死骸を目にしたことはごくわずかで、それも交通事故とか、滝や土石流で落ちたカモシカとか、事故死の現場くらいで、老衰で死を迎えた動物を見たことがないのだ。

 だから、人知れない、誰も見ることのできない動物たちの静かな死地があると、若い頃から確信してきた。
 動物の死の現場といえば、例えば日光皇海山の登山道には、至る所に鹿の骨が転がっていて、「お花摘み」に藪に入ると、大きな頭蓋骨を目にすることも珍しくない。
 羅臼岳の登山道では、50mくらい下でヒグマが鹿を食べている光景を目撃したことがある。
 おそらく、このような死地では、驚くほど短時間で、他の生命体による「命の循環」が行われるのだろうと考えている。

 深沢七郎の「楢山節考」では、主人公のおりんが、70歳の死を迎えるべき年齢に達すると、自ら健全な歯を折って、息子に、老人たちのために用意された死地=「楢山まいり」に連れて行くよう促す。
 孝行息子の辰平は、泣きながらおりんを背負って七谷と呼ぶ死の地に向かい、おりんを山に置く。

 そのとき雪が降ってきた。決して口をきいてはならない掟を破って、辰平は、
 「おっかあ、雪が降ってきた……」と言った。
 それは、簡単に凍死できるから、運がいいという意味だった。

 楢山節考が世に出たときは、私はやっと歩きだした幼児だったが、やがて、この小説の意味を知るところとなったときは、小学生くらいだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1%E7%AF%80%E8%80%83

 以来、映画も見たが、本当にこの小説が示唆している哲学が、身に染み入ってくるようになったのは、自分が死を迎えること約束された数年前からのことだ。

 子供の頃から若い頃までは、「科学技術が発達すれば、こんな悲劇もなくなるだろう」なんて軽薄な感想しかなかったが、自分が年を越えるごとに衰え、肉体も脳も劣化して、まともな仕事もできなくなってきたことを自覚すると、自分にも、おりんのいる七谷が近づいてきたことを思い知らされるようになった。

 おりんはイワナ取りの名人で、健全な歯も肉体もあったが、孫のけさ吉の嫁が孕んで、集落全体の食料のゆとりがないことが分かると、自ら歯を折って、この世から消える決心をした。

 私の祖母は、100歳で死んだのだが、最期は骨粗鬆症で、大腿骨を骨折し、実父は延命治療を拒否し、餓死させる最期を選んだ。
 今、実母が96歳で、同じ事情のなかにいる。誤嚥性肺炎で長期入院していたのだが、姉妹は、延命治療を断る署名をしている。

 そうして考えると、おりんの運命は、決して人ごとではなく。我々全員に突きつけられている選択だったのだ。
 雪降る七谷は、終末を迎えた老人たちが寝る病院だった。
 私自身も、自分が、この社会で生産的な人生を送れないと自覚していて、今の貯金や年金で生活できなくなれば、例え表面上、余力があるように見えても消えてゆかねばならないと覚悟するようになった。

 誰もが、最期は自らの意思で死を選ばねばならないのだ。山で最期を迎える動物たちと、病院で最期を迎える人間たちに、いかほどの違いがあろうか?
 私は幸い(本当に)、家族がいないので、後顧の憂いもなく、最期は、力尽きて朽ちる前に、なるべく他人に迷惑をかけないような死に方をしたいと願っている。
 しかし、自分のゴミ屋敷を、どう始末すべきか、今でも頭を悩ませている。まあ、死の運命の数日前に、まとめて始末するかと調子のいいことを考えている。

 生に大きな執着を持つ理由のない動物たちに対して、天は苦痛の少ない最期を与えている。
 昭和天皇のように、死を迎えても周囲から死なせてもらえず、何十万人分もの他人の血を無理矢理注がれて、死ぬと分かっているのに、極限の延命をさせたことで、裕仁氏は、人類で最も激しい苦痛を与えられた残酷な死だったといえよう。
 https://dot.asahi.com/wa/2016042100212.html?page=1

 動物たちは、ときに自分の肉体を上位の猛獣の餌として提供する運命なので、実に容易に苦痛を感じずに死に至るようにプログラムされているといわれる。
 https://news.goo.ne.jp/article/magazinesummit/entertainment/magazinesummit-http_editor.magazinesummit.jp_p_48122.html

 動物たちの死は、自然界の掟であり、生態系循環のプログラムに組み込まれているから、何百万年の種の進化の過程で、簡単に死ねるように設計されているのだ。
 裕仁氏は死の床で、動物たちの自然な死を羨んだことだろう。

 人間は、肉体と生に執着するがゆえに、死を迎えるにあたって、執着の分だけ苦痛を味わうことになる。
 執着を捨ててしまった究極の老人たちは、ごく自然な無理のない死に様が多いと私は、これまで身内の死を見てきて感じた。
 私も死ぬべき時は、執着を捨てて、夜のとばりが降りるように朽ちてゆきたいものだと思っている。

 「執着を捨てる」これが人生の極意なのかもしれない。

 日本には、死と紙一重の、生命の極限を生きるような、とんでもなく苛酷な修行が存在する。それは比叡山と、大峰山で、もう1000年も前から続いていて、この行に挑戦して命を失った者も多数いると聞く。
 https://www.youtube.com/watch?v=SBczUgzi5uI

 https://www.youtube.com/watch?v=y7UKACmylZk

 酒井雄哉は、毎日、山野を40Km歩く行を700日行い、9日間の断食、断水、不眠、不臥の堂入行を行い、最後の仕上げが、京都大回り、毎日84Kmを歩く通算1000日の行を二回続けて行った。
 こんな凄まじい行は、一般人が挑戦しても、一日でも不可能に近い。
 行に失敗して歩けなくなれば自決する掟なので、もう生に対して一毛の執着を持つこともできない。言い換えれば、これは死を決意して生者の価値観を完全に捨て、死者になりきってしまわなければ不可能だ。

 千日回峰の行者は生者ではない、死者なのだ。だから、死者の装束を着ている。たまたま、運良く生還できれば大阿闍梨」という称号が与えられるが、それだけの話だ。
 酒井雄哉は、学徒動員で鹿児島の鹿屋基地に配属された。言わずと知れた特攻基地だ。
 それは生を捨てることを要求され、この世への未練は微塵も許されない。しかし雄哉は生き残った。

 その後、いろいろな事情で、新妻を自殺させてしまい、後悔の念から比叡山に入った。
 そうして生を捨てなければ絶対に不可能な千日回峰を二回こなした。
 私は、千日回峰の行者たちの姿と、堂入成就、開扉のとき、京都中の善男善女が周囲を取り囲み、泣きながら無事を祝っている姿を見て、京都が1000年の間、京都らしさを失わず、守られてきた本当の秘密を知らされた気がした。
 https://www.youtube.com/watch?v=JtHfT4B4QJk

 これが京都の根源にある命そのものなのだと。もし、京都に千日回峰がなければ、今の京都はなかったような気がする。
 「生への執着を捨てる」
 この姿を、行者の超絶的苦行と生身の姿を通して、京都の人々は見せつけられてきたのだ。
 動物たちは、みな死の運命を素直に受け入れる。人々もまた、執着を捨てて死を受け入れる。これが本当の「浄土」の姿なのかもしれない。

 私はといえば、間質性肺炎になり、呼吸が困難になって、少しでも命にしがみつこうとして、毎朝5Km標高差170mの道を歩いて、必死に呼吸トレーニングしているが、それでも迫り来る死の恐怖に怯えて、いらぬ心配ばかりして、みっともないことこの上ないのだが、守るべきものを持たない気楽さには大いに助かっている。

 最期の最期は、呼吸ができなくなることになっているのだが、このとき、救急車を呼んだり、病院の医療にしがみつこうと思わないと、意志薄弱の私が偉そうに言ってみても、そのときになってみなければ分からない。
 数年前から、楽に死ねる方法を模索していて、テントの中で七輪で木炭を焚くか。石灰硫黄合剤にサンポールを混ぜるか、などと、あれこれ思案しているが、結局、中津川は高所橋梁天国なので、ドボンもいいなとか、楽しい想像が尽きない。

 こんな妄想をしていて、自殺に関するツイートをしたら、5年も前のツイートを、作りたてのルールによって裁かれ、私はツイッターを永久追放になった。
 「だったら、麻生太郎の優生保護、老人安楽死発言を裁け!」
 と言いたいが、ツイッター社は自民党と同体ではないかと思うほど仲良しなので相手にしてくれない。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

 まあ、今は、死の極限まで生きていようと思っている。食べ物がなくとも、水だけで人間は一ヶ月くらいは生きてゆける。食べ物を入手できなくなれば、とりあえず死ぬまで、自分の姿、遷移を見つめていたい。
 最期はカクンと、薬の力を借りなくとも力尽きて朽ちてゆきたい。

 おりんに比べれば、私はずいぶんいくじなしだ。
 今でも、楢山節考は強烈に私の記憶に残っていて、辰平がおりんを置いて去り、おりんの体に冷たい雪が積もって、意識を失ってゆく姿を想像するだけで、なんともいえない人生の侘しさ、残酷さに打ちのめされるのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1223.html

153. 中川隆[-11597] koaQ7Jey 2020年8月29日 08:39:02 : soEYFebmyo : QWQ0OExaa2treG8=[8] 報告
953底名無し沼さん (ワッチョイ f5f3-Xbxe [114.185.214.109])2020/08/28(金) 19:00:42.79ID:KvwawMrv0

俺が子供の頃爺さんたちの寄り合いで「誰々は昔酒飲んで帰る途中にキツネに騙されて池に
嵌った」「誰々はタヌキに騙されて川に落ちた」みたいなことを本気で話してた。

あれって恥ずかしい失敗をキツネやタヌキのせいにすることで笑われないように
してたんだなってつい最近気付いた。狭い村社会だから一生言われ続けるだろうし
それが原因で人間関係が悪化しかねない。狐や狸のせいにしとけば丸く収まる。
都合がいいからみんな騙された振りしてて村人もそれを受け入れてたんだろうな。


961底名無し沼さん (ワッチョイ 1d18-BlA8 [124.219.200.180])2020/08/28(金) 22:44:53.61ID:9QInLIE40>>962>>969
>>953
子供の神隠しもそうだな。
間引いたことは暗黙の了解。


962底名無し沼さん (ブーイモ MM4b-IgyH [163.49.209.158])2020/08/28(金) 22:59:29.13ID:risyANafM
>>961
うっかり死なせてしまい、床下に丁重に埋葬した後、村人総出で探し…
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1597674511/l50

154. 中川隆[-11596] koaQ7Jey 2020年8月29日 08:40:08 : soEYFebmyo : QWQ0OExaa2treG8=[9] 報告
969底名無し沼さん (ワッチョイ 6d64-ySMb [222.11.16.173])2020/08/29(土) 06:00:11.06ID:YQVZ8lNf0
>>961
お地蔵様やこけしの裏の意味知って怖い
155. 2020年11月19日 15:25:56 : SLEgGoMUOc : YU1tY1pGWlVUTTY=[8] 報告
西日本には、1960年代くらいまで「夜這い」の習慣があった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1315.html


 http://oohaman5656.hatenablog.com/entry/2015/12/08/120000

 これは2500年前、上海近郊の蘇州にあった呉という国が越に戦争で敗北して、国ぐるみ皆殺しにされるというとき、水郷地帯だった呉の人々は、船で脱出し、朝鮮南岸や南西諸島、九州に上陸移住したのだが、この人々が弥生人となった。
 この弥生人たちが、照葉樹林帯文化圏の風俗習慣を日本列島に持ち込んだ。そのなかに、歌垣とか夜這いとか、自由な男女の交際文化があって、とりわけ九州から瀬戸内沿岸に伝えられた風俗なのだ。

 ちなみに、彼らは「水の民」であり、瀬戸内など沿岸部に沿って文化圏を拡大した。しかし、平安時代には、四国山岳地帯、岐阜県内陸部(徳山村、白川郷)や静岡県沿岸にまで拡大したことが分かっている。
 これは、女性が13才くらいに初潮を迎えると、戸長が赤飯を炊いて近所に配る。これは「うちの娘に夜這いをかけてください」という意思表示である。

 ちなみに、夜這いは、茶室の原型である離れに娘を寝かせ、小さな「にじり戸」から村の若者が忍び寄ってゆく。このにじり戸こそが夜這い文化圏である。これは白川郷の合掌造りなど岐阜内陸部や岡山県などの古民家に普通に見られる。
 これが後に「茶室」の文化と融合した。

 誰でも忍んでよいわけではない。村の若者で、その娘をもらってよいと覚悟を決めた者だけだ。もしも既婚者が夜這いをかけようものなら村八分の制裁を受けた。
 娘が妊娠したなら、娘は自由に夜這いの若者から婿を指名できた。ただし子の父である必要はない。指名された婿が断ることは許されなかった。

 西日本の昔の田舎では、地位を誇る者は少なく、一種の共同体であり、生まれた子供は「村の子供」であり、遺伝上の父親が誰であろうと関係ない。「みんなの子」だったのだ。
 この習慣は、今の80才以上の西日本出身者なら誰でも知っていて、夜這いの経験のない者も少ないだろう。ただし、権力を我子に伝えたい者(武家)だけは、血筋を確定するために夜這いを避けた。

 だが東日本では違う。東日本では武家の文化が優位であり、個人ではなく家を守り受け継ぐために、父の血統が問題にされたから、夜這いなど、とんでもない破戒行為だったのだ。
 静岡県の島田市や金谷町は、幕府崩壊とともに旗本が移り住み茶の栽培を生業にした地域なので、武家の価値観が一般的だ。また旗本の子女、美男美女が多い。

 だが近い浜松では、弥生人気質の末裔たちが大昔から住んでいて、根本的に異なる価値観があって、夜這いをめぐって深刻な対立があった。
 島田市に移住した江戸旗本のなかでは、夜這いは破戒であり、許される習慣ではなかった。だが、先住民にとって、夜這いは常識的民俗なのだ。

 こうして、「夜這い」を巡って、西日本と東日本では真っ二つに分かれた評価が成立していた。西日本では、夜這いの体験から、男女の関係は頗る自由であり、親子の血統を気にする人も権力者以外、少なかったが、東日本では、個人よりも「家」を大切にする文化があり、これは儒教による序列や格差と結びついていたから、男女の関係は厳しいものだった。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1315.html

156. 中川隆[-6844] koaQ7Jey 2021年3月08日 04:38:36 : tSqicI5Edc : U3czV0FueHVQeEk=[10] 報告
【ゆっくり解説】日本の歴史的な闇。かつて実在したヤバすぎる奇習7選


157. 中川隆[-6246] koaQ7Jey 2021年3月29日 06:44:57 : U6kLTmD2iU : cmZlNW1GRFFJREU=[6] 報告
【悲報】日本、近親相姦大国だった・・・
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1559393427/l50

1名無しさん@お腹いっぱい。2019/06/01(土) 21:50:27.83ID:BHVYbm4p

■日本は近親相姦社会 国立社会保障人口問題研究所

【調査研究 配偶者選択の現状 今泉洋子 金子隆一】

我が国でも山村や孤島などの集団で近親婚率を調べると30%を超えている集団がいくつかあった。
我が国における近親婚率はこれら隔離された集団ばかりでなく、都市部においてもつい最近まで
近親婚率は数%におよんでいた。我が国の値はインド・エジプトの次に高くブラジルの値と同水準にある。
近親婚率を調べることは、集団全体の人口資質を知る上で大切である。
我が国のように諸外国と較べて近親婚の多い国においては
今後も近親婚の動向を調べていく必要があろう。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14168401.pdf


■日本家族計画協会「日本は近親婚が非常に多い」

遺伝のはなし3 近親婚 - 日本家族計画協会
近親婚はどれくらいあるか
わが国では 1947 年には 15.5%という報告もありました。最近は減少し 3〜5%
を割っているでしょう。もちろん、地域差はあります
近親婚は欧米では 0.2〜0.3%です。

http://www.jfpa.or.jp/mother_child/150401遺伝のはなし3-1近親婚.pdf

■藤田医科大学「日本人の遺伝子はかなり均質」
https://www.fujita-hu.ac.jp/research/story/neuro.html

■日本は異常な近親相姦社会
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102236.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102443.png


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/J/JAPbuster/20170106/20170106102308.jpg

158. 中川隆[-5879] koaQ7Jey 2021年4月09日 15:21:48 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[13] 報告
今日は、ちょっと個人的な話 2021年04月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html

  私が中津川の当地に移住したのは2003年だから、すでに18年になる。
 子供が生まれたら大学受験の年齢なので、結構な時間だ。
 若い頃から大都会が嫌で、「大自然の小さな家」のような本当の自然に囲まれて住みたかったから、何と素晴らしい土地に住めるのかと感動した。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-82.html

 だが、移住して、いきなり先住民の悪意の洗礼を受けた。
 別荘地の二軒下手のAという人物だが、私に対して「誰の許可を得て住んでるのか」と威圧的に詰め寄った。
 「ここに住むのに、あなたの許可がいるのか?」
 と返したが、憎悪の目を向けてきたことを覚えている。
 (当時は60前後、今は70代だろう)

 「こりゃ大変な人物の近所に来たもんだ」
 と不安感を抱いたが、その後も、ことあるごとに様々な嫌がらせを受けた。
 Aは夫婦で住んでいて、娘が二人いて地元の学校に通っているという噂だったが、不思議なことに、この18年の間で、その娘を見かけたのは、ただ一回だけで、一人だけだ。
 いくらなんでも、近所にいて、長期間、子供の姿を見ないというのは不可解だった。

 私が浄化槽を作ったり、鶏を飼育したりすると、必ず行政が飛んできて不可解な監査が行われたので、Aが役所に通報したのだと分かったが、妻の方は、自分の旦那が嫌がらせをしていることは知らないようだった。

 あるときは、庭のカマドでたき火をしていると、消防車が飛んできた。これもAが通報したのだと分かった。
 また、我が家を訪ねてきた人物が、Aによって、「ここは私有地だから通行禁止」と言われて追い返されたことも知った。

 当地は、春になると大量の山菜が顔を出す。ワラビが実にうまいのだが、ある朝、我が家の敷地のワラビが全部摘み取られていることに気づいた。
 すると翌日の深夜2時過ぎに、監視ビデオに我が家の前を歩く夫婦の姿が映っていて、他人の敷地に入り込んで山菜を採取していることが分かった。

 普通の、まともな生活者が、このような住居不法侵入行為を平然と行うことはない。この夫婦は、昔から非合法行為を屁とも思わない人生を送ってきたのだと思った。
 なお、ビデオの映像は、不鮮明で証拠にはなりそうもなかった。
 
  いったい何者なのか? 興味を持ったが、個人情報保護法が制定され、なかなか個人情報を調べることは困難な時代になっていた。

 それから、すでに十数年前になるのだが、私の車が頻繁にパンクした。回数は、数回程度で、それも前輪ばかりだ。
 私はタイヤ屋でのバイト経験があるので、パンクというものは、前輪VS後輪の比率が1:10位であることを知っていた。つまり、前輪のパンクというのは非常に珍しいのだ。
 理由は、道路の釘がタイヤに刺さるとき、前輪で起こして後輪が刺さるメカニズムがあるからで、寝ている釘が前輪をパンクさせることは極度に少ない。

 ところが、私の車は前輪ばかりが、駐車中にパンクするのだ。これを見て、私はAが夜中にネジや釘を前輪に突き刺して、それに気づかないで出かけてパンクしたのだと思った。
 しかし、私はパンク修理はお手の物で、キットを使って十数分もあれば治せるため、そのときは、あまり深刻な気分にはならなかった。

 それからも、Aからは、たくさんの嫌がらせを受け続けた。例えば、小さな小屋を建てると、建築会社に電話で「建築確認をしたのか」とか、行政に、「私が無許可で家を建ててる」とかの通報が行われていた。
 私が2014年に間質性肺炎の発作を起こしているときも、喘息発作が聞こえたのか、自分の家の焼却炉に、故意に悪性の排煙を出すプラスチック類を燃して、私の病気を悪化させようとした。私が、それに気づいて見回ると、慌てて中止するのが見えた。

 考えつく限りの嫌がらせを受けたので、次は放火でもやるのではと、心配になった。

 昨年春から夏にかけて、再び、私の車が頻繁にパンクするようになった。
 すると、Aが私の家の前を一日5回以上も歩いて様子を見にて、にんまりとほくそ笑んでいるのが確認でき、100%Aが犯人と確信できた。

 数ヶ月で通算5回、すべて前輪だったので、間違いなくAの仕業であり、監視カメラや夜間センサー照明をたくさんつけた。向かいの池の奥にも設置した。
 警察に通報しても、確たる証拠がない限り、被害届けさえ受け付けないことが分かっていたからだ。
 Aに激怒をぶつけたかったが、それは、取り返しのつかない事態を招くので抑えた。

 そこで、いよいよ私も動かざるをえなくなった。登記所で、Aの登記を確認し、本名であることが分かった。
 そして、監視カメラと投光器のせいで、パンクさせるのが危険になったと分かったのか、今度は、私が設置しているカメラを深夜に取り外して持ち帰り、映像を改竄することまでやりはじめた。

 元通りにカメラを返してはいるが、映像には被写体が分からないようなぼかし処理がほどこされていた。
 最初は、こんな映像処理を70代のAができると思っていなかったので、やられたことが分からなかったが、盗難防止用に警報器をつけた紐をセットしてあったのが、はさみで切られていたので、何が起きたか分かった。

 これには本当に驚いた。監視カメラの映像を改変処理できるとなると、これは素人の嫌がらせの域どころではない。明らかに、そうした仕事を生業としてきたプロだ。
 Aの嫌みのカタマリのような傲慢な性格(近所の人もそう言っている)から、タダの人ではないと、みんなが思っていたが、もしかしたら、Aは若い頃からプロの知能窃盗団だった疑いが急速に強まった。
 深夜2時に起きて他人の敷地で山菜採りをするのも、普通の市民感覚では不可能だ。

 引退して田舎暮らしをして、自分の本名で不動産を登記していることから、今の生活を守りたい気持ちはあるようだが、平然と他人のカメラ(一つは敷地の門扉に取り付けてあったリーベックス3000)を外して、自宅で解体してSDカードを外して映像を改変し、元に戻しておくという芸当は、内心、自分の技術を私に見せつけたい気持ちからやったのかもしれない。

 つまり、私はAから徹底的に舐められているわけだ。
 だが、そんな工作は無理筋であって、私にデータ改変を知られた以上、「プロの泥棒稼業」の過去を自分で暴露したようなものだ。
 ここまでくると、どんどんエスカレートしていくのは必然なので、場合によっては血を見るような事態になるかもしれない。

 そこで、一連の事情をブログの文章にして残しておくことにした。
 実は、過去の処罰歴は、官報を閲覧すれば分かる。ただし、愛知県か岐阜県の県立図書館まで行かないと閲覧できない。見つかれば、書かれた日時から、当時の新聞記事を探して、何が起きたのか、調べることになる。
 結構大変な作業になるので一日がかりだ。でも、やるしかない。おそらく、いろいろと出てくるだろうと予想している。

 私は内心激怒していて、暴発して残りの人生を刑務所で過ごすことを避けるために、証拠集めの監視カメラと、こうしてブログに書くことで、自分の気持ちを落ち着かせることにした。

 Aが私の家に放火しない理由は、たぶん、延焼して自分の家にまで火災が及ぶことを警戒しているのだろう。すると、次の嫌がらせは何か?
 嫌がらせの共通点は、こそこそと自分の姿を隠していることだが、深夜でもやってくる行動力があり、映像を改変できる技術力がある。
 また、何か仕掛けがあると手を出さずにはいられない性格だ。ここに来る前にも、ずいぶんひどいことをやってきたのだろう。

 私としては何が起きるか分からないが、とりあえず証拠を残すための仕掛けを増やすしかない。現在6台の監視カメラと3台のセンサー投光器をセットしてある。
 Aの性格を逆手にとって、手を出してくる仕掛けも考えているところだ。手を出さずにはいられない性格なのだから。

 私も、1995年から自分のネットサイトを作ったおかげで、多数の嫌がらせを受け続けてきた。大半は、ネット上でこそこそ身元を隠した誹謗中傷と、警察へのいわれのない通報だが、具体的にパンクさせるとか手を出してきたのはAだけだ。
 一度は、各務原の現役自衛官から、「家を燃してやる」と恫喝されたが、IPアドレスから身元が分かり、警務隊に通報しておいた。

 熊の出る田舎である当地では、たくさんの別荘地があって、今も安く売られている。
 コロナ禍で、こんな売別荘を買う人も多いだろうが、田舎に住むというのは、はっきりした理由があって住むのだ。
 Aの場合は、おそらく犯罪者としての過去を隠したいという動機だろう。妻は、ひょっとすると自分の夫の悪行を知らないかもしれない。

 他の住民を見ても、浮気をして妻から家を追い出されて住んでいる者が多い。近所に、浮気追い出され校長が三名も住んでいる。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1400.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1156.html

 田舎に住んでいるのは、自然が大好きな善人ばかりと思わない方がいい。むしろ、田舎に住まざるを得ない事情を抱えた人間である。
 今後、テレワーク、コロナ禍逃避で田舎に移住する人も多いだろうが、そのことに十分に留意していただきたい。
 家には、安くなった監視カメラとセンサー投光器を複数、設置すること。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1458.html

159. 中川隆[-5560] koaQ7Jey 2021年4月18日 09:30:57 : cVvh3vnihc : SkQ4eVFEeU43Y0U=[29] 報告
旭川にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html

「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html  

160. 中川隆[-5499] koaQ7Jey 2021年4月19日 12:40:05 : ECAMO1LgFY : WmJmTXVaMHpQaHc=[42] 報告
旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている?


【社会】「死ぬから画像を消してください」旭川14歳女子死亡“ウッペツ川飛び込み”イジメ事件の全貌《警察が出動》★13 [砂漠のマスカレード★]
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1618788046

178ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:35:46.19ID:C7im7cnP0

0385 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:43:13

加害者の某は被害者に売りを強要させてた
その金で遊び回ってたよ
叩かれるのはわかってるけど自分も加害者にアイスおごってもらった

0495 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:48:47

んでね、まだいじめられて売りやらされてる女の子いんよ
072させられて動画とられたかは知らない
中学生じゃないから格安で売らないといけないからノルマゆって1日5人とやらないと髪の毛ひっぱったり見た目にわからない頭おもいっきり殴ってるんだって

0352 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 02:44:29

コンビニからただいま
自殺した人のことか他の人のことかは知らないけどお母さんと男がやってる動画をとってこいってゆったのに拒否ったってきれてた
婆のしまりが若い女と違うか確認するつもりだったのにってゆってたからお母さんもやるつもりと思った

友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、中いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するってゆってた

自殺した人が自殺したのは、お母さん守りたかったのかもしれんけど他の人のことゆってたのかもしれないから、そこまではわからない


こんなカキコミもある
万が一の事もあるから警察はちゃんと捜査してくれ

179ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:35:49.61ID:aY+VFnSu0
>>105
前スレに貼られてたやつか
Twitterでも加害者達が女回してってリプあったね


180ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:35:51.91ID:aUETA90p0

ラインに動画をまわして脅すとか陰険で卑劣すぎるわ
これをお咎めなしだと旭川は無法地地域だね

130ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:32:02.39ID:e67MwLDO0

これほんとに自殺か?


162ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:34:53.82ID:xRrifEDc0>>196
>>130
自宅から二キロ以上らしいしな、積雪状態でこれは変。
夏なら10キロとかの感じだし。まあ、自殺にしても疑える


148ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:33:39.17ID:2hUA5ZXx0
>>130
死因は凍死だけど強要されたんじゃない?
公園に朝までいないと画像ばらまくとかレイプするとか脅迫されたんじゃ?

167ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:35:07.17ID:CTCCVFIu0
>>130
自殺であっても強要でしょ
理由は一度川に飛び込ませてるから
公園で凍死しろ!なんてのもあり得る


197ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:37:04.82ID:X/2nsvOl0

やっぱこれ、相当悪質な「残虐殺人」よな

絶対に許せん犯人たち


執拗で鬼畜、B男C男のやり口

C男B男の性的虐待
C男は更にゴム無しの強姦を予告してまで自慰画像や動画の強制を執拗に迫って
さらにC男はその入手した映像等を拡散し辱め人間的尊厳を徹底的に貶めて行った
さらにそれらの画像をネタにして小学生まで引き込んでの性的虐待とか鬼畜所業以外の何ものでもない

さらに何とか関係を断ち切ろうと引っ越ししてまで逃げたにも関わらず
B男は爽彩さんが逃げて引っ越した先まで執拗に追いかけ性的虐待を強制し追いつめて行った

コイツらのは単純な衝動的性犯罪でなく延々と虐待を続け、死を明確に意識させるまでの悪質な虐待殺人行為である

周到な手口も反吐が出るがレイプ映像では自分たちの身バレがあるから別に自慰映像まで執拗にせまって強制的に撮らせ拡散
それをまたネタに更に性的凌辱を加速させていくとか、、 ほんま鬼畜所業

結局、爽彩さんは死ぬしか無かった(本当に自死かも非常に疑わしいが)

これら残虐的殺人行為は、本当に許されるものでない

日本社会としてもこういった常軌を逸した極悪事件で、そこでは年少者としのエクスキューズは受け入れられるものでなく
この加害関係者、暴行犯罪に直接かかわったものはもとより
被害者側が助けを求めていたにも関わらず与することなく犯罪行為をエスカレートさせた担任はじめ学校関係者など
それらすべてを厳正に処罰することなしに爽彩さんの死が報われる事は無い

とにかく、日本社会としても今回のこの残虐な犯罪事件を放置し、凶悪な犯罪者たちを野放しにしておくことは絶対に許されるものでない


400ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:51:56.66ID:xbGNZqMC0

事件について箝口令しいてるどころか
進路に影響するぞって脅してるって、どっかで読んだけどマジな話?
だったら旭川の教育者っておっそろしいね


430ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:54:07.15ID:3/92lbVj
>>400
本当かわからないけど

親に子供のスマホチェックさせて
加害者の事書いてたら消す様に指示したとか、、、

もし本当ならありえないよね、この詳細知ってる人は
ここは匿名掲示板じゃないから、文春にタレコミして欲しい


511ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:01:32.64ID:X6gpi9In0
>>430
「子供のスマホ見て加害者のこと書いていないかチェックしろ」
そんなことを通達するのは旭川だけだww

210ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:37:36.57ID:MLPUEdMy0

旭川の名前聞くと、確か昔女子生徒への集団暴行事件とか
信じられないくらいおかしな事件があったとこだよな…と
薄っすら思い出すことが多かったけど、地域的にそういうところなのかね

226ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:39:00.50ID:TsQhzGn30

被害者が亡くなった公園の近くで2人中学生が自殺、教員が自殺してて関連疑ってるみたいだけど、この近所に住んでる者からしたら関連は全くないよ。
この3人の自殺はもう5年以上前のことだから


318ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:45:19.34ID:AXoBTM5W0
>>226
5年以上前にも学校内で性的暴行やイジメがあったという裏付けにならないかな
つまりもう先輩から後輩へと性的暴行やイジメが受け継がれてる


424ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:53:39.51ID:piESORVs0
>>318
これ
狭い地域で短期間に女子中学生が3人も亡くなるなんて異常


441ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:55:13.96ID:CTCCVFIu0
>>424
似たような手法が伝統的に使われてるのかもしれないね
恐ろしい


502ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:00:31.18ID:aY+VFnSu0
>>424
しかも成人男女でも男子中学生でもなく"女子中学生"が3人って…

528ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:03:30.03ID:MLPUEdMy0
>>424
えぇ…そうなのか
めちゃくちゃ怖すぎるんだが
普通中学生の自殺自体、地域でそうそうは起こらないよなあ…

35ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:25:14.73ID:xRrifEDc0
>>9
胸糞悪いのは、一度消去した画像復元拡散だな。
これ、成功体験で味占めた奴だ。

399ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:51:55.52ID:etCjprls0
>>35
この行為ぞっとした。
被害者側が絶望したのは間違いない。

497ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:00:09.44ID:xRrifEDc0
>>399
これって、最早如何しようもないよな。

口でいうても理解できないんで、報復されないと理解しない


550ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:17.80ID:TCQDuRfv0
>>497
川に飛びこんだ娘を助けるために駆けつけた母親が娘に会えないように工作までしてるからなこの糞ガキども。
警察に「あの子は母親から虐待されてます!」つって病院に運ばれた娘に会えないようにした。鵜呑みにした警察も糞だがガキどもの発想がもう完全に大人や社会を舐め切ってる。

557ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:56.74ID:CTCCVFIu0>>583
>>550
会えないようにするためだったの?
酷いな
怒りがこみ上げるよ


552ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:27.37ID:8JgkUNu90

旭川市は1996年にDQN集団の似たような女子中学生レイプ自殺事件あった
他にも女子中学生の首吊りとか変死事件数件、
今年も何件も恐喝とか変な事件多い
今回の川飛び込みの時の目撃者も亡くなってる

何なんだこの土地は


556ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:54.46ID:VdJaZJeZ0

旭川のいじめってきついのよ。
内地の人だったら3日で不登校になるレベル。
ホント小中学生が泣くまで普通にやる。
道産子が嫌われる温床だと思うわ。

583ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:09:33.05ID:TCQDuRfv0
>>557
会えないようにして親子を嘲笑うつもりだったか、あるいは殴打痕を見た警察や病院がいじめを疑う可能性があったからその罪を母親になすりつけるため。
おそらく両方だろう。


595ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:10:57.62ID:ca7zN6Ef0
>>556
昔、旭川市出身のタレントの矢部美穂が壮絶なイジメ受けてたそうだけど、
こんなレベルだったとは想像も出来なかった
結局あの人、不登校でその後学校行ってないんじゃなかったかな

572ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:08:31.43ID:eqS1PdL20

旭川市って明らかに異常だよね
どうしてこうも少女を狙った犯罪が多発するのか???


599ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:11:38.21ID:3/92lbVj0
>>572
そんなに犯罪多発してるの?

同じ地域で、、、

犯人違くて? 

被害者が凍死ってのも、怪しさマックスなのに

他にも、少々を狙った犯罪多発

通報者が亡くなっているとか、、、、


なんだかな、、、


550ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:17.80ID:TCQDuRfv0

川に飛びこんだ娘を助けるために駆けつけた母親が娘に会えないように工作までしてるからなこの糞ガキども。
警察に「あの子は母親から虐待されてます!」つって病院に運ばれた娘に会えないようにした。鵜呑みにした警察も糞だがガキどもの発想がもう完全に大人や社会を舐め切ってる。


557ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:06:56.74ID:CTCCVFIu0>>583
>>550
会えないようにするためだったの?
酷いな
怒りがこみ上げるよ


583ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:09:33.05ID:TCQDuRfv0
>>557
会えないようにして親子を嘲笑うつもりだったか、あるいは殴打痕を見た警察や病院がいじめを疑う可能性があったからその罪を母親になすりつけるため。
おそらく両方だろう。


601ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:11:58.73ID:xRrifEDc0>>646

親に虐待されてる子が自殺未遂したって宣伝。

つうか、恐ろしいすぎるんだよなこの手口。

567ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:08:11.83ID:78IvDAdD0

ゆたんぽ正論
死ぬくらいなら学校なんて行かなくて良い


608ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:12:50.77ID:QyAhBIkg0
>>567
9月に転校してからは学校には殆ど行ってなかったんだよ
でもあれだけの凄絶な体験をしていたたから完全に心が壊されてしまっていた
フラッシュバックで甦ってきたんだろうね
辛すぎるわ


628ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:14:47.34ID:OxUHHOqC
>>608
スマホみてる他生徒を見るだけで具合悪くなっていたとどっかで読んだ
吐いてしまう、は被害者本人のTwitterにあった

639ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:15:51.07ID:TCQDuRfv0>>687
>>608
転校した後も犯人から携帯に脅迫や呼び出しがあったからな。これで警察が何も出来ないとかいくら少年法があるといっても酷すぎないか?

601ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:11:58.73ID:xRrifEDc0

親に虐待されてる子が自殺未遂したって宣伝。
つうか、恐ろしいすぎるんだよなこの手口。


646ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:16:59.19ID:3/92lbVj0
>>601
テンプレだよ虐め加害者や教育関係者の

弁護士が入れ知恵してるんじゃないのかね

ほぼ、虐め事件あると、虐められた被害者の家庭環境がー、虐待疑惑ーとか
それ見てるから、子供も真似する

裁判官が悪いんだよ
虐め事件裁判って、加害者の罪軽いのばかり
↑完璧な家庭なんてなかなかないから、↑の主張も考慮されてしまう、

酷いよね、日本の教育現場や虐め裁判

650ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:17:31.83ID:sjjDoi1D0

事故物件情報見たら当該の遺体発見現場周辺で、ここ2年以内に2件も女子中学生が亡くなってるではないか。
どういうことなのかね。警察はまじめにやっているのかね。


675ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:19:22.53ID:0AuWZou0

加害者の男子中学生、未だに女子中学生や小学生に
売春させてるぞ
もしここで闇に葬られたら
アイツら調子に乗って、更に被害者出すぞ
死人出さない為にも徹底して追い詰めろ
加害者全員の個人情報は公開するの躊躇うな

679ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:19:25.78ID:LqKKT8iV0

旭川ってデリヘル5kで本番が暗黙の了解だし女性の扱いが軽い


709ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:21:18.87ID:s7Uey55p

これなあ
憎い憎くないとかじゃなくて加害者本気で死んでほしいわ
女の子攫って売春させてレイプ動画ばらまいても中学生だから無罪です、なんて連中だぞ
お前のうちの隣に引っ越してきたとしたらまともな生活ができるか?

658ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:18:04.09ID:H7o9sdHZ0

胸くそ悪い事件だな
保護者出てこいや


740ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:23:57.93ID:TCQDuRfv0
>>658
出て来てインタビューに答えてるよ。
加害者の親たち全員口を揃えて「被害者の家庭環境が悪いせい」と言っている。

706ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:21:02.71ID:oniS/7ug0

イジメはなくならないものだから
イジメられたら即転校するに限る
環境を変えるしか方法がない


733ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:23:01.76ID:3/92lbVj
>>706
この娘は転校してたよね?
転校先まで、わざわざ拡散しに来たんじゃなかったけ??違う?


765ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:25:27.44ID:oniS/7ug0
>>733
転校先が近すぎたのかね


738ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:23:57.51ID:PRw429pv0

恐すぎる、犯人野放し状態だし、若い女性とか旭川の街歩けないわ...

739ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:23:57.43ID:O9/Pra8B0

文春のインタビューで見る限り加害者側一切反省なし。
そして野放しのまま。
旭川ってそういうところって認識で宜しいか?


124ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:31:24.75ID:Kh+wacgh0

担任教師 菅野未里は、創価婦人部

菅野未里は、授業中に被害者が殴られているのを見ながら、母親からの相談に対し、教頭と共に「本当に仲のいい友達です、親友です」と回答。

被害者自身も担任の菅野未里に相談「相手には言わないでほしい」と言ったにもかかわらず、その日の夕方にはB男に菅野未里が直接話してしまい、その結果、被害者はB男に呼び出される。

怯える娘を見た母からの再相談に対し「B男はちょっとおバカな子」「彼氏とデートがある」(4〜8回?)などと不誠実な回答を繰り返した。

菅野未里がヤマダ電機でデートしている姿が記録されている。

838ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:30:16.73ID:zvoebbN/

 捜査の結果、わいせつ画像を送ることを強要した加害者であるC男は、児童ポルノに係る法令違反、児童ポルノ製造の法律違反に該当した。だが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、少年法に基づき「触法少年」という扱いになり厳重注意を受けた。

「しかし、彼らは反省すらしていなかったのです。捜査終了後、警察を通して、爽彩の画像や動画のデータは加害者のスマホからすべて削除させたのですが、翌日に加害者のひとりがパソコンのバックアップからデータを戻して加害者たちのチャットグループに再び拡散。その後、警察がパソコンのデータを含め拡散した画像をすべて消去させても、データを保管したアプリからまた別の加害者が画像を流出させたりと、その後もわいせつ画像の流出が続きました」(同前)

先生とか警察が悪いみたいに書いてるけど加害者の親が相当おかしいよ
警察に呼ばれて画像消してるのに翌日に子供にパソコンやスマホ触らせるようにするかね


777ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:26:12.65ID:Ge58QSX70

ヤフーと文春以外出てこないあたり、ほぼ100%マスゴミたちは黙ってるつもりなんだろうね。
加害者に加担してるんだろう。


816ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:28:52.99ID:s+NmKTlA0

草加なら納得


844ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:30:45.33ID:Y2gczoFG0
>>816
創価ってそんなに怖いのか
Bの親が?とかか?

178ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 08:35:46.19ID:C7im7cnP0

0385 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:43:13

加害者の某は被害者に売りを強要させてた
その金で遊び回ってたよ
叩かれるのはわかってるけど自分も加害者にアイスおごってもらった


0495 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:48:47

んでね、まだいじめられて売りやらされてる女の子いんよ
072させられて動画とられたかは知らない
中学生じゃないから格安で売らないといけないからノルマゆって1日5人とやらないと髪の毛ひっぱったり見た目にわからない頭おもいっきり殴ってるんだって

0352 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 02:44:29

コンビニからただいま
自殺した人のことか他の人のことかは知らないけどお母さんと男がやってる動画をとってこいってゆったのに拒否ったってきれてた
婆のしまりが若い女と違うか確認するつもりだったのにってゆってたからお母さんもやるつもりと思った
友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、中いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するってゆってた
自殺した人が自殺したのは、お母さん守りたかったのかもしれんけど他の人のことゆってたのかもしれないから、そこまではわからない


こんなカキコミもある
万が一の事もあるから警察はちゃんと捜査してくれ

638ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:15:48.61ID:Pmi1ADaF0
>>178
さすがにこれが本当だとしたら酷すぎるだろ
未成年買春してるのも旭川民だとしたら旭川終わってんな


864ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:31:23.34ID:ca7zN6Ef0
>>638
旭川市青年会議所の集まりで16歳脱がせて女体盛り祭りやる位だから
隠蔽しようとしてる大人側もこういうの買ってるのかもね


675ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:19:22.53ID:0AuWZou00

加害者の男子中学生、未だに女子中学生や小学生に
売春させてるぞ
もしここで闇に葬られたら
アイツら調子に乗って、更に被害者出すぞ
死人出さない為にも徹底して追い詰めろ
加害者全員の個人情報は公開するの躊躇うな


920ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:34:31.63ID:50r5jcFC0

>>675をみると、もしかして上級国民たちが買ってるんじゃないかと、
疑いたくなるよね。
プチエンジェルみたいに。


872ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:31:39.91ID:s+NmKTlA0

テレビもこの事件を避けないと駄目な理由があるんだろ


832ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:29:56.78ID:3/92lbVj0

文春と新潮は権力の圧力に屈しないところあるから
一般人じゃ勝てない相手の可能性大だよ、世論が大炎上したら勝てる変わる可能性あるけど

879ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:31:57.95ID:LvU69guE0

旭川市って青年会議所が16歳の少女の裸女体盛りを集まった客人に振る舞うところだから
そもそも日本の常識は通用しないんだよ
女とは性的に消費する為のものという価値観

882ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:32:11.62ID:Xu+k8jlu0

数年で女子中学生が3人も死ぬ町


917ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:34:24.79ID:AOfjO5XF0

小中学生でレイプ犯罪を思い付いて行動するあたりがアブノーマル。
さすがは夷島、流刑の民はひと味違いますね。


740ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:23:57.93ID:TCQDuRfv0

加害者の親たち全員口を揃えて「被害者の家庭環境が悪いせい」と言っている。


812ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:28:42.58ID:MLPUEdMy0
>>740
言い分が揃ってるというのも凄いな
子供は繋がってても学校学年違えば親までは普通繋がってないし
誰かの指示で口裏を合わせている、ということなのか?

925ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:34:47.72ID:TCQDuRfv0
>>812
いや、言動から察するに以前からこの親子、特に母親を見下してたんじゃないか?
家庭内や井戸端会議で「あそこのお母さんは◯◯で〜w」なんて会話を子供がしょっちゅう聞いてたら子供もその家庭を見下すようになると思う。


941ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:35:32.35ID:fz++oujm0

やっぱり後ろにウリやらせてる奴いるんじゃないのか
頭ちんこの猿がやったにしちゃ知恵つけすぎだし誰も声を上げられないって相当脅されてる
この件だけじゃなくて何年も前から被害者が代わる代わるいた可能性もある
庇ってる元校長共も児ポの旨味を啜ってたかもしれないね


970ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:36:59.11ID:FJNUE1Yf0
>>941
旭川は毎年女子中学生自殺してるみたいだし
今この瞬間にも苦しんでる女の子いそうだなった感じる。


946ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:35:41.18ID:4Igeg8Xh0

北海道そのものがアイヌを殺して奪い囚人を過労死させて開拓した日本最大の事故物件だし


879ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:31:57.95ID:LvU69guE0

旭川市って青年会議所が16歳の少女の裸女体盛りを集まった客人に振る舞うところだから
そもそも日本の常識は通用しないんだよ
女とは性的に消費する為のものという価値観

961ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:36:45.59ID:sjjDoi1D0

淫行教師も複数捕まっている。あと新興宗教も強いね。いろいろカオスだよ。
土地ころがしで海外も噛んでいるかもしれんし、医大は遠隔医療ネットで利権。

970ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:36:59.11ID:FJNUE1Yf0

旭川は毎年女子中学生自殺してるみたいだし
今この瞬間にも苦しんでる女の子いそうだなった感じる。

972ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:37:13.71ID:/B3zVeB60

学校総ぐるみで売春強要だし、これじゃ晒さん方が頭おかしいって。
おまえら旭川市内絨毯爆撃や!


976ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:37:34.56ID:aRBXkrcJ0

これだけ騒ぎになっても全く情報がないなら旭川中の生徒含め関係者はみんな共犯だよな


982ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:37:57.60ID:nEDE9IYB0

通報者が死亡とか闇深すぎ。

旭川周辺で異常な性イジメが多発してるとか言う書き込みみたけど
根っ子は同じっぽいな。

995ニューノーマルの名無しさん2021/04/19(月) 09:38:50.43ID:jIIDd04E0

旭川市

主要産業
自衛隊
任侠(旭導会←山口組直系)

http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1618788046

詳細は

「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html

旭川にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html

161. 中川隆[-5446] koaQ7Jey 2021年4月20日 08:54:33 : fzZb06XXLw : bDI2N25GTEVHOFU=[18] 報告

旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/598.html

旭川にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html

「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html

旭川では前にもこういう事件が

中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/738.html  

旭川 中国人墓地 心霊スポット - YouTube動画
とても有名な心霊スポット。
日本人に強制連行され労働させられ死亡した中国人たちのお墓が密集している。
とある一つの墓にある裏にある文字を読むと死んでしまうという。
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0+%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88


▲△▽▼

旭川14歳女子凍死事件と同じ様な少女売春の組織的犯罪 プチエンジェル事件については

プチエンジェル事件の深すぎる闇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html

飯島愛が殺された理由 _ ジャニーズ・プチエンジェル事件との関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/720.html

プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html

中国美女も日本男性が大好き _ 皇族・政治家を中国のハニートラップにかけたプチエンジェル事件の黒幕は小沢一郎だった?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html

プチエンジェル事件の真相 解決されることのない少女買春の闇
http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html


▲△▽▼

ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html

ロリコンと近親相姦の世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/456.html


162. 2021年5月12日 20:04:57 : 4t3VBjCsvI : Zng2SkJtNW4uNlU=[34] 報告
【実在】ヤバイ村の風習、解死人【ゆっくり歴史解説】




ゆっくり日本の闇
戦国時代、実在の村で「解死人」という理不尽な風習が行われていた。
なぜ、そのような風習が行われていたのか? 時代背景も絡めて解説します。

■目次
00:21 解死人とは?
00:59 当時の時代背景(戦国時代・惣村)
01:46 暗黙のルール
02:55 解死人の実例
04:53 伝承される「身代わり」文化(御伽草子:物くさ太郎)
05:44 考察+まとめ
163. 中川隆[-4997] koaQ7Jey 2021年7月14日 19:46:52 : PZddMrZD2w : c1ZOSXVQWldZMVU=[31] 報告
【ゆっくり解説】住んだら終わり...村八分にされる"昭和の集落"をゆっくり解説!
2021/07/14



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