黒澤明VS.ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて [著]田草川弘[掲載]2006年06月18日 [評者]最相葉月(ノンフィクションライター) http://book.asahi.com/review/TKY200606200359.html 定説を覆す資料を発見したとき、書き手が当事者を傷つけることなく客観的かつ公平に事実を記述するのはむずかしいことだ。黒澤明という映画監督の、ともすれば名誉を損ないかねない資料を手にした著者は、まずそのことを一番悩んだのではないか。あとがきで明かされるが、最後まで自分の正体を伏せたのも、自らを律する箍(たが)を必要としたからかもしれない。そして、その試みは成功した。 本書は、昭和40年の『赤ひげ』から45年の『どですかでん』まで、黒澤の「失われた5年間」と呼ばれる季節をジャーナリストが検証したノンフィクションである。この間に二つの企画が立ち上がり、頓挫した。ハリウッドで製作が予定された『暴走機関車』と『トラ・トラ・トラ!』である。とくに、20世紀フォックスと提携して日米双方の視点から真珠湾攻撃を描く『トラ・トラ・トラ!』は、黒澤が「この映画を見たら(真珠湾攻撃を)騙(だま)し討ちだ、なんてもう誰にも言わせない」と語ったように、歴史的に意義深い作品となる可能性があり世間の関心も高かった。だが、完成した映画に黒澤の名前はない。なぜか。 健康上の理由で辞任、いや解任だ、などと情報が錯綜(さくそう)する中、黒澤は自分は病気ではない、フォックスに抹殺されたと主張。米国との交渉にあたった黒澤プロの当時32歳のプロデューサーが責任を問われ、生涯にわたり黒澤と絶縁することとなった。以後、事情を知る者は口を閉ざし、謎だけが残された。「失われた」のではなく、隠蔽(いんぺい)されたのだ。 国内取材の限界を感じた著者は米国で黒澤オリジナルの「準備稿」を発見。フォックスのプロデューサー、エルモ・ウィリアムズに会い、製作日報や契約書の入手に成功した。 27回に及ぶ改稿の過程で黒澤がこだわり続けたものが明らかになる。黒澤は、意に反して開戦の突破口を開く山本五十六の苦悩こそ最大の悲劇とし、これを『平家物語』やギリシャ悲劇を意識しつつ描きたい。米国側は『史上最大の作戦』のようなスペクタクルにしたい。度重なる応酬で黒澤は疲弊。撮影開始後は素人役者を起用した誤算に苛(いら)立ち、スタッフと衝突。酒におぼれ、奇行に走った。 後半、契約書や医師の診断書をもとに数々の事件や誤解が検証されるが、本書が映画界の醜聞の真相解明に留(とど)まらず、芸術とは、文化とは、コミュニケーションとは、といった普遍的な問いを提起しえたのは、こうした冷静な科学的手法がとられたためだろう。 読後の余韻は重い。誰も信用できない黒澤という王の孤独と狂気、そして黒澤の天才に敬意を表しつつ決断を下すエルモの寛容と冷徹さの背後に、文化摩擦という言葉ではとらえ切れない人の心の深い淵(ふち)を見た気がした。 復帰第一作『どですかでん』には、頭師佳孝演ずる知的障害者の六ちゃんが「どですかでん、どですかでん」と電車の口真似(まね)をしながら走る姿が登場する。黒澤が『暴走機関車』に乗り気だったのも機関車が大好きだったからだという。……そうか、六ちゃんのあの姿は、失意の黒澤が再び歩き出そうとするしるしだったのか。なんだか、泣けてきた。 ◇ たそがわ・ひろし 34年生まれ。NHK記者などを経てフリージャーナリスト。米の放送ジャーナリズムで活躍したエド・マローの研究者。 |