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東アジア、東南アジア、南アジアの住民のゲノム(全遺伝情報)の分析によって、日本人の多くは、アフリカからインドに入り、
タイなどを経て北に向かった集団の流れをくむと推定されるとする研究結果を国際チームがまとめ、11日付の米科学誌サイエンスに発表した。
東アジアの人は、主に南から来たという説と、少なくとも北からと南からの2ルートはあったという二つの仮説があり、今回は前者をより強く支持する結果という。
http://www.excite.co.jp/News/society/20091211/Kyodo_OT_CO2009121001000829.html
日本人におけるミトコンドリアゲノム多様性
○田中雅嗣(岐阜県国際バイオ研究所)
【背景】ミトコンドリアDNA (mtDNA)の全塩基配列に基づいた世界人類のミトコンドリアDNAの多様性に関する最近の分析は、ヒトのアフリカ起源説を支持する確固たる
証拠を提供している(Ingmanら、2000)。100,000年前以降に、少なくとも2つのmtDNA人間血統が、急速にアフリカから旧世界に広がり始めた(Maca-Meyerら、2001)。
考古学的記録は約30,000年前に人間が極東アジアの日本に到着したことを示している。(Gloverら、1980)。
その頃、日本は北と南の陸橋によってアジア大陸とつながっており2つの移入ルートが可能であった。13,000年前に日本とシベリアにおいて世界で初めての土器
が出現した(Shiraishi 2002)。その後の技術的な改良は、日本の新石器時代の縄文文化をもたらし、かなりの人口成長が見られた。その後大陸の人々が朝鮮半島から
の日本に到着し弥生時代が始まり、約2000年前に人口の流入は最大となったと推定されている。
【研究方法】東アジアのmtDNAの系統樹を構築するために、私たちは日本人672個体のミトコンドリアゲノムの全塩基配列を決定した。
これにより、アジア人942個体の全塩基配列を使って系統発生を分析することが可能になった。
日本人mtDNAの全塩基配列データから新しい分岐および小分岐が同定された。
この明白な系統樹に基づいて、私たちはアジア人4,713個体のmtDNAの部分的塩基配列を10%未満の誤差で分類した。
【結果および考察】人口および系統地理学的な方法を適用して、日本列島におけるヒトの定住の歴史において論争の的になっている問題を明確にするために、
mtDNAの部分配列を利用した。人口に基づいた比較によって、現代の日本人が北アジア人、特に韓国人に最も近い遺伝類似性を持っていることを確認した。
このことは、弥生時代以降に中国大陸から日本へ遺伝子の拡散が生じたとする従来の説と一致する。
一方、この系統地理学的なアプローチによって旧石器時代の日本人が高度に分化していたことが明らかになった。琉球人とアイヌ人において基礎的なMおよびN系統
が存在することから、古代において南方と北方からの移住があったと推定された。さらに、日本人とチベット人との間の直接的な関係も明確になった。
これはY染色体の研究結果と一致した結果である。更に、いくつかの小分岐が日本において最も高い多様性を示したことから、日本がアジア大陸への移住拡大していった地域の一つであると推定された。
【結論】ミトコンドリアゲノム多型から描き出されたこの複雑な像は、日本への定住の歴史を説明するために提案されてきた従来の理論では十分に説明できない。
http://www.nms.ac.jp/nms/jmito/NENKAI03/DAI3Y41-50.html