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八月の狂詩曲(ラプソディー)
DVD ~ 黒澤明
抗議する事は、権利ではなく義務である。, 2005/8/9
「抗議する事は、権利ではなく、義務である。」と言ふ言葉が有る。黒澤明監督がこの映画を作った動機は、まさに、この言葉の実行であったに違い無い。--この映画が完成した時、試写会の場で、多くの外国人特派員が、黒澤監督を非難すると言ふ出来事が有った。即ち、「日本人が、原爆を題材にした映画など作るのは、日本の戦争を正当化する事に成る」と、考える一部の外国人ジャーナリスト達が、試写会の場で、黒澤監督を非難したのであった。私は、黒澤監督は、良くぞ、彼らの怒りを集めたと思ふ。--黒澤監督が、彼らの怒りを集めた事は、この作品に込められた黒澤監督の抗議の強烈さを証明する物である。アメリカによる、広島、長崎への原爆投下が、国際法上正当化し得ない行為だった事は、ハーグ条約によって、明白である。又、戦争を終結させる為に不必要だった事も、アルペロヴィッツ等の歴史家によって、完膚なきまでに証明されて居る。それにも関わらず、原爆投下の不法性、非人道性を認めたくない一部の外国人ジャーナリスト達が、この映画に込められた黒澤監督の原爆投下への抗議に、憤慨したのである。--この映画で、忘れられない場面が有る。それは、映画の終はり近くで、お婆ちゃんが、稲光を原爆の光と錯覚して、孫たちを、シーツで守ろうとする場面である。その意味が分からず、当惑する孫達と、「白い物をかぶってた人達は助かったんだ。」と独り言を言ひながら、孫達をシーツで守ろうとするお婆ちゃんの姿。これは、黒澤監督自身の姿ではないのだろうか?--この場面を見た時、私は、「これは、『生きものの記録』だ。」と思ったものである。お婆ちゃんが、孫達を原爆の幻覚から守ろうそして、シーツでくるむこの場面は、核戦争を扱った黒澤監督のもう一つの作品『生きものの記録』(1955年)の、再現以外の何物でもない。--そして、最後の、夕立ちの場面は、何と素晴らしい事だろうか。あの夕立ちの中で、「野ばら」が流れる場面こそは、黒澤監督の、原爆投下への、最大の抗議なのである。
(西岡昌紀・内科医/長崎への原爆投下から60年目の日に)
レビュー
八月の狂詩曲 [DVD]
4.22点 ( 9人中)
松竹ホームビデオ
2008年10月29日
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=924247&media_id=4
「核なき世界」へ共に歩もう=オバマ演説を支持−64回目の長崎原爆忌
(時事通信社 - 08月09日 11:01)
長崎は9日、64回目の原爆忌を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、被爆者や遺族のほか、麻生太郎首相や民主党の鳩山由紀夫代表らが参列、犠牲者の冥福を祈った。田上富久市長は平和宣言で、国際社会に対し、核兵器廃絶への徹底した取り組みを要請。オバマ米大統領がプラハ演説で掲げた「核兵器のない世界」へ共に歩んでいこうと呼び掛けた。
午前10時40分に始まった式典では、7月までの1年間に死亡が確認された3304人の名前を記した原爆死没者名簿3冊が納められた。死没者は14万9266人となった。
原爆投下時刻の午前11時2分、「長崎の鐘」やサイレン、船舶の汽笛が鳴らされ、参列者全員が1分間の黙とうをささげた。
田上市長はオバマ大統領の演説を取り上げ、「強い決意に被爆地でも感動が広がった」と支持。一方で2回目の核実験を強行した北朝鮮を非難し、米ロなど核保有国について核兵器削減を要請した。日本政府には被爆国として、国際社会で指導的な役割を果たすとともに、高齢化した被爆者に対し、援護を拡充するよう求めた。
続いて被爆者代表の奥村アヤ子さん(72)が「平和への誓い」を朗読。家族全員が原爆で死亡した体験を話し、「両親や兄弟がいない生活は地獄そのものでした。何十年たっても消えることのない苦しみと悲しみを生み出す核兵器は、地球上にいらないのです」と訴えた。
麻生首相は「改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを誓う」と述べた。長崎市は、66カ国の駐日大使に出席を要請。過去最多となる29カ国の大使らが参列した。