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通州事件から72年−−チベット、ウイグルの民衆弾圧の原型としての通州事件    西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/166.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2009 年 7 月 29 日 19:15:00: of0poCGGoydL.
 

*


ウイグルで、チベットで、中国による現地の民衆への圧迫、弾圧が続いて居ます。

そうした情勢の中、通州事件(1937年7月29日)から72年目の時が流れました。


通州事件と言ふのは、今から72年前の今日、北京郊外の通州と言ふ小都市で、現地で暮して居た日本の民間人が、突然、中国人の保安隊に襲撃され、女性や子供、老人が、一方的に拷問、惨殺された恐ろしい事件の事です。

(このサイトをお読み下さい)
     ↓
http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html

犠牲者の多くは、当時、日本国民であった朝鮮民族の女性や子供でした。

この事件は、戦後、殆ど全く語られる事無く、封印されて来た為に、「通州事件」と言ふ言葉すら知らない方が少なくないと思はれます。この事件が起きた時、日本と中華民国は戦争をして居た訳ではありません。それどころか、中国側が一方的に発砲した盧溝橋事件に対してすら、日本側は不拡大方針を貫き、言はば無抵抗の姿勢を貫いて居たのです。それにも関はらず、中国人達が、日本の民間人を一方的に襲撃し、罪の無い子供や女性を、強姦、拷問の末に惨殺したこの事件を語らずに、あの時代、日本が中国に対して一方的な「加害者」ででもあったかの様に語る「歴史」に騙されてはいけません。(私自身、学校やマスコミに洗脳されて、若い頃には、日本は、中国に対して一方的な加害者だったと信じ込んで居た一人です。)

以下に、この事件の目撃者達の証言を御紹介します。


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「守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の
 惨殺死体が横たはって居り、一同悲憤の極に達した。
 『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査して
 ゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切ら
 れた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等がそこそこの
 埃箱の中や壕の中などから続々這ひ出してきた。ある
 飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺され
 てゐた。婦人といふ婦人は十四、五歳以上はことごとく
 強姦されて居り、全く見るに忍びなかった。旭軒では七、
 八名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されて居り、陰部
 に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめて
 ある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐へなか
 つた。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合はせ
 てそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎに
 して引き回された形跡歴然たる死体があつた。池の水は
 血で赤く染まつてゐたのを目撃した」

(桜井文雄・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長(当時)の
 東京裁判における証言)


「近水楼入口で女将らしき人の屍体を見た。足を入口に
 向け、顔だけに新聞紙がかけてあつた。本人は相当に
 抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半
 身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡が
 あつたと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が
 散乱してゐた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つ
 の屍体があり、全部もがいて死んだやうだつた。折り重な
 つて死んでゐたが、一名だけは局部を露出し上向きに
 なつてゐた。帳場配膳室では男は一人、女二人が
 横倒れ、或はうつ伏し或は上向いて死んで居り、闘つた
 跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣の
 やうだつた。女二人は何れも背部から銃剣を突き刺され
 てゐた。階下座敷に女の屍体二つ、素つ裸で殺され、
 局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。一年前に行つ
 たことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素つ裸の女の
 屍体があつた。その裏の日本人の家では親子二人が
 惨殺されてゐた。子供は手の指を揃えて切断されて
 ゐた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の
 屍体が路上に放置されてあつたが、胸腹の骨が露出し、
 内臓が散乱してゐた。」

(桂鎮雄・支那駐屯第二連隊歩兵隊長代理(当時)
 の東京裁判における証言)
 

「旭軒(飲食店)では四十から十七〜八歳までの女七、
 八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺
 されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺され
 てゐた。商館や役所に残された日本人男子の屍体
 は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、
 血潮は壁に散布し、言語に絶したものだつた。」

(萱島高・天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二
 連隊長(当時)の東京裁判における証言)


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中国人は、日本人と朝鮮人の民間人に対して、この様な行為を行なったのです。ところが、この歴史が、今もタブーにされ、学校でも新聞・テレビでも殆ど語られる事が無いのは何故なのでしょうか。


そして、戦後のチベットやウイグルでも、こうした残虐行為が、民衆に対して加えられ続いたのではないか?と言ふ疑念を持たずには居られません。−−そこに通州事件の今日的意味が有ります。


この事件から72年を迎えたこの機会に、一人でも多くの方が、この封印された歴史の真実を知って下さる事を願ってやみません。
 ↓
http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html
(クリックして下さい)

平成21年7月29日(水)


                 西岡昌紀

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