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http://www.mag2.com/m/0000260920.htm
《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第17回 ― 政党政治はどうなるか ―
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6月18日(木)、私は北海道の滝川市で開かれたある団体の研修会に招かれた
。「直近の政治情勢と政権交代」というテーマで講演してきた。冒頭に北海道で
の土佐人の活躍を話した。
明治維新のあと、土佐では自由民権運動が起こり、
「自由は土佐の山河から」
と歌われ、自由と平等を求める政治運動は土佐が出発点であった。維新後、13
0年を過ぎた平成21年の現在、土佐には政治思想の欠けらもない。その理由の
ひとつに、明治時代に土佐の自由民権運動は分裂して、正統派は新開地を求め北
海道に集団移住したからである。もっとも、安政年間、私の郷土の偉人中浜万次
郎は函館奉行所で捕鯨の指導をしていた。多分、函館の人たちに米国のデモクラ
シーを話していたと思う。
さらに、慶応年間、大政奉還の直前、坂本龍馬は海援隊を北海道に移し、新しい
国づくりのモデルにしたいと考えていた。暗殺で実行されなかったが、甥の坂本
直寛は龍馬の構想に従って北海道の帯広で暮らすことになる。
さらに、明治24年の第1回帝国議会で、予算修正問題が起こり、自由党内の土
佐派の中で対立が生じ、政府側と妥協するグループと反対するグループができた
。この反対するグループのリーダーが中江兆民であった。兆民を支持する土佐在
住の人たちが、土佐で暮らすことにいや気がさし、集団で北海道に集団移住する
ことになる。移住先は、いまの北見市である。
明治の中頃、土佐から北海道でも北端に近い北見に集団で移住する。それも思想
信条のためである。この人たちの多くはクリスチャンであったといわれる。新天
地で神の国を造ろうという意思であった。
この中江兆民の弟子が、四万十川で産湯を使い大逆事件というでっちあげ事件の
犠牲となった幸徳秋水であった。土佐の近代思想運動は、中浜万次郎が米国から
もって帰った「草の根デモクラシー」の種を、坂本龍馬が蒔き、それを板垣退助
や中江兆民・幸徳秋水が育てていったのである。
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『 政党政治そのものの液状化 』
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日本の政党の歴史は土佐自由党から始まる。土佐で生れた自由党の分裂が、今日
の自民党から共産党に至る政党である。明治24年の第1回帝国議会での予算修
正問題で、自由党が分裂し、右派が改進党らと合同したり分裂しながら、戦前戦
後の歴史の流れを経て自民党になっていくのだ。
自由党左派は幸徳秋水らの無政府主義(アナーキズム)を経て、大正13年の日
本共産党の結成となる。その中間の政治勢力が、社会主義や民主主義という理念
でいくつかの政党をつくられたのである。
敗戦後の政治をみても、明治から始まった政党のしがらみを引っぱって65年目
になる。戦前から形の上で残っている政党は共産党だけとなった。自民党は戦後
できた政党ではあるが、戦前の政友会と憲政党の伝統をもっていた。その自民党
が液状化現象を起こし始めたのである。
北海道滝川市での日帰り講演から帰宅してみると、親しいマスコミ関係者から
「郵政会社の西川社長問題で、鳩山総務大臣を事実上罷免したことで、自民党は
液状化が始まった。次の総選挙では政権交代だけではなくて、政党再編が始まる
かもしれない」との電話が入った。日頃、不安に思っていたことであった。自民
党が液状化することが不安だということではない。自民党の液状化は、政党政治
そのものの液状化である。
私の故里、土佐で生まれた政党政治が崩壊する時代になったからである。これま
では「議会政治は政党政治」という常識で、政治が行われてきた。健全な資本主
義を前提としたものであった。情報社会という資本主義の変化の中で、議会政治
の根本が変化する前兆かも知れない。 (つづく)
(コメント)
戦前は政党政治の崩壊の後軍部が台頭し、敗戦に突き進んだのですよね。
しかし、世界情勢と期を一にしていただけでもありますが・・・。