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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-144071-storytopic-6.html
歴史越え連携構築 薩摩藩侵攻400年シンポ
2009年5月3日
薩摩侵攻について意見を交わした薩摩藩奄美琉球侵攻400年シンポ=2日、鹿児島県徳之島町の徳之島町文化会館
【徳之島2日高良由加利】1609年の薩摩の琉球侵攻を振り返り、将来展望を開こうと、薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業「未来への道しるべ」(同実行委員会、沖縄大学地域研究所主催)が2日、鹿児島県の徳之島町文化会館で開かれ、600人が訪れた。シンポジウムでは各登壇者が侵攻前後の歴史を奄美や中国など多様な視点からとらえ、400年を機に「鹿児島、奄美、沖縄が歴史とどう向き合い、どう連携するか考える時期に来ている」と、新たな関係性を構築する重要性を強調した。
薩摩島津家の第32代当主・修久(のぶひさ)さんも登壇し「旧藩時代の苦難の歴史の主な原因をつくったのはわたしどもにある」とあいさつした。徳之島高校教諭の吉満庄司さんを進行役に、鹿児島大教授の原口泉、琉球大名誉教授の金城正篤、琉球大教授の高良倉吉、徳之島郷土研究会の幸多勝弘、奄美郷土研究会の弓削政己の5氏が登壇した。
高良さんは「鹿児島と沖縄は意外と交流がない」と述べ、両県が連携して奄美に研究所を造るなど、交流が生み出す可能性を指摘した。歴史を見る視点について原口さんは「あらゆる角度から検討して初めて過去が見える」と述べ、多面的に考察する重要性を説いた。
金城さんは、薩摩に直轄支配されて以降も奄美が「琉球で中国使節を歓待する際の経済的負担を負わされた」と紹介し、幸多さんは「影の部分で奄美が命を削っていたことは事実だが、先祖のたくましさを誇りに思おう」と呼び掛けた。
シンポジウムに先立つ基調講演で弓削さんは、侵攻に至る経緯や侵攻時に先発隊として徳之島に入った薩摩軍が二手に分かれて攻めたことなどを説明した。