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上海は、フリーメイソンの活動が盛んな場所でした。
1941年12月8日の開戦直後、日本海軍の犬塚大佐が、その上海の租界に在ったフリーメイソンの施設を接収し、そこに在った膨大なメイソンの内部資料を押収しましたが、戦後、同大佐の未亡人である犬塚きよ子さんが公開したそれらの上海フリー・メイソン文書を見ると、当時の中国国民党内部に支那人のメイソンが多数居た事、彼らが、フリー・メイソンを介して、アメリカ・イギリスの意向を汲む行動を取って居た事が、実証的に読んで取れます。
(犬塚大佐についてのサイト)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%A1%9A%E6%83%9F%E9%87%8D
その上海で、大韓民国の臨時政府が樹立されて居た訳ですが、皆さんは、これを偶然とお考えに成るでしょうか?
(実際、李承晩はフリーメイソンだったと言ふ記述を何処かで読んだ記憶が有ります。)
3・1運動も、上海のフリーメイソンの活動と関係が有ったのかも知れませんね。
(3・1運動に関する日記です。)
↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1095339310&owner_id=6445842&org_id=1095366720
言ふまでも無い事ですが、歴史を全て、フリーメイソンなどの「秘密結社」の「陰謀」によって解釈する事は出来無いし、そんな事を言ふ積もりは有りません。
しかし、現に膨大な内部文書や写真が日本軍によって押収され、その活動が詳細に、日付け入りで明らかに成って居る上海フリーメイソンの問題を避けて近現代史を語る事は不自然です。
犬塚大佐が開戦直後に上海で押収し、戦後、同大佐の未亡人(犬塚きよ子さん)が公開、出版した上海フリーメイソン文書が何故もっと注目されないのか、不思議でなりません。
(参考文献)
犬塚きよ子『フリーメイソンの占領革命』新国民社、1985年
↓
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8D%A0%E9%A0%98%E9%9D%A9%E5%91%BD%E2%80%95%E7%99%BD%E3%81%84%E7%A5%9E%E3%80%85-%E7%8A%AC%E5%A1%9A-%E3%81%8D%E3%82%88%E5%AD%90/dp/4915157458
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【社説】臨時政府から90年…当時の愛国心を危機克服の礎に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=807867&media_id=56
【社説】臨時政府から90年…当時の愛国心を危機克服の礎に
(中央日報 - 04月14日 11:12)
今月13日で、中国・上海に大韓民国の臨時政府が樹立されてから90年になった。
臨時政府は1919年3月1日に行われた独立運動の精神を受け継いで、祖先が発足させた韓国初めての民主共和国政府であった。現在の憲法は「大韓民国が臨時政府の法統を受け継いだ」と宣言している。
実際「大韓民国の今日は臨時政府がその基盤を作った」としても言い過ぎではない。日本の圧制を処断した李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士らの快挙はもちろん、光復(解放)軍を作って武力闘争を展開し、外交的に、国際社会が韓国の独立を認めるよう働きかけるなど、臨時政府は45年に日本帝国主義が降伏するまで、活発に独立活動を続けた。大韓民国という国名も、臨時政府が定めたものだ。極度に厳しい経済状況の下、日本の執拗(しつよう)な追跡を避けつつ繰り広げた奮闘だった。
解放後も臨時政府の要人らは信託統治に反対するなど大韓民国の独立を守るために努力した。90周年を迎え、各界で多様な記念イベントが開催されている。特に13日にはソウルと中国の上海、重慶、米国のロサンゼルスでもそれぞれ記念式典が行われた。ソウル記念式典で李明博(イ・ミョンバク)大統領は「臨時政府は大韓民国のルーツ」と明言し、臨時政府の基本精神となる「大同団結」を通じ世界経済危機を克服しよう、と呼びかけた。
この日、政府は国家に殉じた烈士の遺体約2万体を安置できる奉安所を作ると発表し、殉国の士6人の遺体を安置するなど愛国者をたたえる措置を取った。このように愛国精神をたたえるのは、高貴な愛国活動が現時点でも大切な意味を持つからだ。大統領が明言した通り、厳しさの中で国を取り戻すため自分のすべてを犠牲にした殉国の士の愛国心を見習うことができれば、現在の経済危機の克服にも大きな刺激剤となりうる。
こうした殉国の士の犠牲があったから、現在の韓国が存在するのであり、我々が殉国の士の犠牲を記憶し見習うことによって我々の子孫もこの地で繁盛できる、という点を再度肝に銘じなければならない。そのためには▽殉国の士の子孫に対する処遇改善▽愛国者が活動した現場の復旧と整備事業−−により努めるべきだ。
苦難に立ち向かった独立闘争に献身するため、家族のために尽くせなかった愛国者の子孫の相当数が貧困を解消できず、経済的に厳しい状況にあるという点を、我々は恥かしく思わねばならない。埋められてから100年近くになる安重根(アン・ジュングン)義士の墓地探しなど臨時政府系列だけでなく、数多くの系列の独立闘士の発掘や研究もより一層強化すべきだ。