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福知山城(両丹日日新聞)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/102.html
投稿者 めっちゃホリディ 日時 2009 年 3 月 15 日 20:34:10: ButNssLaEkEzg
 

福知山城(上):周辺整備ほぼ完了 観光施設として魅力アップ

3月15日15時20分配信 両丹日日新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090315-00000002-rtn-l26

 福知山市のシンボルといえる福知山城。1986年(昭和61年)に再建され、その後、城周辺の様々な整備事業が行われたが、昨年末に天守閣東側に復元された釣鐘門の建設工事完了で、一連の事業がほぼ終わった。市の重要な観光資源として、今後さらに集客効果が上がることが期待される。

 福知山城は1579年(天正7年)に明智光秀が丹波国を平定するとともに、中世に造られた横山城を攻略し、近世の城郭に大改築したもので、城主は初代の光秀から末代の朽木為綱まで、20代にわたり統治されてきた。

 廃城令によって明治の初めに取り壊されたが、昭和40年代に、市民による城再建の機運が盛り上がり始め、市が事業主体となって天守閣を再建することになり、1984年に着工。総工費7億円をかけ、約2年間で完成した。

 天守閣が再建されたあとは、福知山城公園整備として様々な事業が進められた。完成した天守閣の土台となる石垣部分は400年以上たっていたことから、石が割れたり、抜け落ちたりしていた。このため、積み直す工事を実施。工事の際は既存の石を利用する形で進められた。石一つひとつに番号がつけられて、できるだけ元の状態で積まれていった。

 本丸や上り口沿いの石垣も整備。上り坂沿いの石垣の上には土塀と櫓(やぐら)が設けられ、風格を増した。公園西側の石垣も斜面崩壊をしていたため、大規模な工事が行われ、立派な石垣が積まれた。

 二の丸の登城路(現京都地裁福知山支部周辺)にあった銅門(あかがねもん)番所は大正時代初めに、天守閣が取り壊された跡地の天守台にすえつけられていたが、再建の際に、公園西側に移設した。公園内では現存する唯一の城建造物で、歴史を語る貴重な存在となっている。

 このほかの周辺工事としては城下に市美術館を建設。市出身で文化勲章を受章した日本画家、佐藤太清氏の絵画を中心に展示しており、建物は隅櫓(すみやぐら)風の城郭を思わせる造りで、景観に十分配慮している。また城そばを流れる法川沿いには親水広場を設けた。城をイメージしたモニュメントや噴水、池、せせらぎなどをつくり、水と親しみ、遊べるようにしている。

 昨年3月から約10カ月間かけて復元された釣鐘門は周辺整備の最後の大きな工事となった。門は天守閣東側に設置。2階部分を持つ、高さ7・3メートル、横4・1メートルの造りで、遠くから見てもよく目立ち、城を引き立たせている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090315-00000003-rtn-l26

福知山城(下):石垣に転用石、日本一の井戸も

3月15日18時30分配信 両丹日日新聞

 天守閣再建、周辺整備が整った福知山城には見どころがいっぱいある。天守台から本丸にかけての石垣は野面積(のづらづみ)で、大小の石とともに、転用石が使われているのが特徴。この様式を採り入れているのは、現存の城では福知山城を含め3カ所だけという。

 転用石は五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部、石臼、石仏、灯ろうなどで、石垣の表面だけでも450個から500個が確認されている。中でも1359年(延文4年)の銘が刻まれた五輪塔が一番古いとされる。石垣用の石が足りなかったという説のほか、敵だった武将の墓をつぶし、その一部を使用することで、強い権力を示すために用いたといった説もある。

 天守閣東側にある豊磐の井(とよいわのい)も珍しい遺構の一つ。直径約2・5メートル、深さは50メートル、水深37メートル。城の井戸としては日本一深い。当時は緊急用で、敵に攻められた時に井戸の水を飲料水として利用した。2、3年ほど前に井戸の水をくみあげたところ、きれいだったという。整備で井戸の周囲もきれいになった。

 石垣の上に設けられた塀には、三角や四角の窓が開けられている。鉄砲狭間(はざま)、矢狭間と呼ばれる窓で、ここから敵に向かって鉄砲を撃ち、矢を放った。窓は内側が広く、外側が狭くなっており、敵から身を守れるような造りになっている。

 復元された天守閣の大屋根には鯱(しゃち)瓦が載っているが、この瓦の復元品が天守閣前に展示してある。高さ約150センチ、幅約80センチ、奥行き約45センチ。重さは約120キロ。そばで見ると迫力満点で、鱗(うろこ)の一枚一枚まで丁寧に作られている。

■明智光秀関係の文書、遺物収めた資料館も人気スポット■

 天守閣は鉄筋コンクリート造り3層4階で、内部は市郷土資料館。外観だけでなく、中もユニークな造りや貴重な資料であふれ、人気スポットとなっている。

 1、2階は光秀や福知山城に関する文書、遺物、この地方の文化財などが並ぶ。

 内部は展示場の機能だけでなく、当時と同じような造りの場所も。天守閣に接近してきた敵を苦しめる「石落とし」も再現。石落としは床部分などを細長くくり抜き、下の敵に石を落としたり、湯をかけたりするもので、城内には計10カ所設けられている。石落としにはガラスがはめこまれ、下がよく見えるようになっている。

 最上階の4階からの眺めは最高で、市街地が一望でき、城主になった気分に浸ることができる。

 法川には親水公園と城方面を結ぶ昇龍橋を架設。同橋と一緒に見る天守閣の姿は美しく、写真撮影の絶好ポイントでもある。


 

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