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 死  命  魂  ???
http://www.asyura2.com/09/qa3/msg/117.html
投稿者 岐伯 日時 2010 年 4 月 05 日 11:54:54: nUVRtJTlOUMk2
 

(回答先: 死んだあとどうなるのでしょうか? 投稿者 モモンガール 日時 2010 年 4 月 01 日 23:47:04)

こういう話題はいいね。

「死んだあとどうなるか?」との疑問について、歴史に名を残すような人の中の、それもほんの僅かな特別な人のみが「魂は不滅だ」とか述べているわけだが、宗教家などが成り立つのは、「魂は不滅だ!」と聞かされた凡人にとって、それを確かめる術が無いこと。つまり「言った者勝ち」。

だからこそ、我こそは霊能者とかの自称の者がノタマウ「あーだこーだ」を聞いた者は「そうかも」と思うか「うそだろ」と思うかしかないわけで、誰の言葉を耳にしようが、はたまた聖書などを読み漁ろうが結局は「ホントかな?」以上にはならないのは当たり前。

よって、この阿修羅の場で「死んだらどうなるの?」と問いかけても「私はこう思っている」という思いのいくつかを聞く事ができるに過ぎず、真の回答が得られるわけではない。

投稿主の問いの真意が何処に在るのかは知らないが、真の答えは無理なので、阿修羅住民の中にこういうジャンルに造詣の深い人物がどれくらい居て、そしてどんな「思い」を持っているのかを知るには役に立つ。

で、投稿主さん、そしてピノキさんなどに私からお聞きしたいのですが・・・・

「死んだあと」の「死」を「人の死」のみに限定して考えている人が多いけれど、「生き物すべてには死が付き物」なので、人間以外の死と人間の死の間には隔たりがあるのかどうか?

どのようにお考えでしょうか?

もし道端の草にも人間の命と同じ命の価値があると思うのであれば、おちおち草も踏めません。また微生物の命も考えれば今度は別の問題が起こってくる。

すなわち、「私」という一個の人間が「一つの命の主」なわけで、魂があるとすれば魂は一つ。しかし、大腸菌も「私」に含まれるし、血液も「私の一部だ。個々の生命体に(生きている個という意味で)魂が在るという話になると・・・・

個々の命の集合体たる「私達人間」は「個であると同時に多でもある」ということになる。

つまり、厳然たる「個」などは元々無く、個は同時に多でもあり、さらにまた全体でもあるということに気が付く。

  個=多=全体

だからこそ、蟻や蜂は其々が全体の一部として当たり前に役目を果たしている。
もっと言えば、地球と言う「生態系」も生命とも言え

 私自身(個)=地球

という関係も成り立つ。

こういう考えっていかがでしょうか?

 

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