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(「五十嵐一助教授はなぜ殺されたか?(3)http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/799.html の続きです。)
五十嵐助教授が殺害された理由が、五十嵐助教授が『悪魔の詩』を翻訳した事に有ったとする言説には、実は、何の証拠も有りません。仮に、「イスラム原理主義者」がそうした動機で五十嵐助教授を殺害したのであれば、犯行声明が出されないのは不自然だとも私は思ひます。
その一方で、今回、五十嵐一助教授のこの本(『中東ハンパが日本を滅ぼす/アラブは要るがアブラは要らぬ』(徳間書店・1991年)) を読んで、私は、この本で、私が読み落として居た色々な事に気が付きました。
例えば、この一節です。
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ところで筆者は、昨年八月の湾岸危機発生の以前から、当時中東五カ国歴訪を控えていた海部首相に対して、内閣官房を通じてさまざまなレポートやアドヴァイスを送ってきた。五カ国はじめ中東とはどのような地域か、そして相手との交渉時の留意事項のレポートに始まって、湾岸危機発生後はサッダーム・フセインの出方や日本政府の対応策について、種々申し上げてきた。
その中には時局に応じた生臭い話も多々あって、たとえば追いつめられたフセインが人質を巻き添えにして自爆する可能性如何とか、イランの今後の出方を占うなど、湾岸危機の推移とともに、求められる質問や総理府に出向いてする討論の内容が変化してきた。
興味深い事実を挙げれば、最初の頃は「サッダーム・フセインは気狂いか?」との質問を多く受けたが、後半は「何故フセインは腰くだけのようになるのか?」と変わってきた。筆者は一貫して彼らアラブ人一般のバーゲニング能力を指摘し続けて、フセイン=狂気説や、フセイン=臆病者説を斥けてきたが、話の最後に「フセインと交渉して説得するよりも、ブッシュに対しての方がずっと困難ですよ!」と付言するたびに、官房スタッフから首肯されてきたのである。
気の早い読者は、筆者の予想の的中率を知りたがっておられよう。あるいは常日頃の筆者の言説をご存知の向きからは、五十嵐が背後にいたにしては海部首相はじめ日本政府の対応がなっていなかったではないか、とお叱りを受けるかも知れない。
たしかにそう映るであろう。しかし断っておくが海部首相の背後にいたのは筆者ではなくて、ブッシュ・ホンの渾名(あだな)どおりにブッシュ大統領、アマコスト駐日大使、そして何よりも誰よりも自民党の小沢一郎幹事長(当時)なのであった。
(五十嵐一『中東ハンパが日本を滅ぼす/アラブは要るがアブラは要らぬ』(徳間書店・1991年)56〜57ページ)
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つまり、五十嵐助教授は、イラクのクウェート侵攻(1990年8月)以前から、当時の日本政府に、この様な助言を与えて居たのです。そして、湾岸危機が発生すると、更に、こうした助言を当時の海部首相を含む日本政府に与えて居たのです。五十嵐助教授は、当時、その様に、日本政府の中東政策に、強い影響を与えて居たのです。
この箇所もお読みになってみて下さい。
↓
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1990年8月2日に生じたイラク軍によるクウェート侵攻事件に反応しての、アメリカの立ち上がりは素早かった。侵攻から併合へとイラクがエスカレートするにピタリと呼応するごとく、サウジ・アラビアに派遣した志願兵の数を矢継ぎ早に増加させ、臨戦態勢を敷いた。その対応が素早かった。いや素早すぎて過剰反応とすら映った背景には何があったのか。その行動は、額面どおりに国際秩序を護るという正義感に支えられていたのであろうか。
筆者の見るところ、アメリカの素早い立ち上がりには三つの事情が絡んでいた。これらをしも正義感の発露と解釈することはあまりにも単純であろう。アメリカにもアメリカなりの事情が潜んでいたからである。
(1)クウェートの石油収入を基にした財テク運用の相当部分を、アメリカの金融資本が担当していた。イラクの侵攻により、その旨味が失われる怖れがあった。
(2)かつてパーレヴィー皇帝時代のイランに対して持っていた軍事的プレザンスのイラン革命による喪失を、サウジ・アラビアやクウェートに派兵することによって取り戻したい。
(3)中東風交渉のテクニックとして、最初に強い手段を取る相手に対して、こちらも「目には目を、歯には歯を」的報復に出た。これは後手に回ってすべてを失ったイラン革命の苦い体験による学習効果である。
少々注釈を付しておきたい。
(1)の財テク運用の件であるが、イラクの侵攻に加えて、亡命クウェート政権の預金引き出しのダブル・パンチのあおりで、倒産する米国銀行が出現していた。
また(2)の軍事的プレザンスの失地回復であるが−−イラン革命後はイスラエルだけの片肺飛行なのであった−−サウジ・アラビアに派遣した武器の類は必要人員とともに戦争のいかんにかかわらず、相当部分が現地売却ないし贈与が決定されていた。その額の大きさ(30〜40億ドル)に神経を尖らせたイスラエルにも武器供与を含めて数十億ドル程度の緊急軍事援助が決定されたように、アメリカの軍事産業は初手から湾岸戦争でいい商売ができたのである。
(五十嵐一『中東ハンパが日本を滅ぼす/アラブは要るがアブラは要らぬ』(徳間書店・1991年5月31日初版)26〜27ページ)
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先に引用した部分と合はせて、この本のこの箇所を皆さんはどうお読みなるでしょうか?
そして、この本(『中東ハンパが日本を滅ぼす/アラブは要るがアブラは要らぬ』(徳間書店・1991年)) のカバーを見て、私は、或る事に気が付きました。
この本の初版が発行されたのは、1991年5月31日。−−五十嵐先生が筑波大学構内で殺害される日(1991年7月11日)の直前なのです。
五十嵐助教授を殺害したのは、本当に、「イスラム原理主義者」だったのでしょうか?
事件直前に出版されたこの本の何処かに、真犯人の動機が有った可能性は、無いでしょうか?
重ねて、五十嵐一先生の御冥福をお祈り致します。
平成23年(西暦2011年)7月14日(木)
西岡昌紀(内科医)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/
(西岡昌紀のブログ)
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■脱原発は首相の希望、内閣の目標でない…枝野氏
(読売新聞 - 07月14日 14:12)
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脱原発は首相の希望、内閣の目標でない…枝野氏
(読売新聞 - 07月14日 14:12)
枝野官房長官は14日午前の記者会見で、菅首相が13日に表明した将来的な「脱原発」方針について、「遠い将来の希望という首相の思いを語った」と述べ、内閣としての政策目標ではないとの認識を示した。
首相は記者会見で「将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく」と明言した。これについて枝野氏は「政府の見解というより、そういったことを視野に入れた議論を進めるというのが政府の立場だ」と説明。「原発をなくすことは内閣としての政策目標か」との質問に、「首相の記者会見ではそこまで言っていない」と指摘した。首相の発言内容について、政府内で事前調整を行ったかについても明言を避けた。
政府が成長戦略の一環に位置づけてきた原発輸出については「我が国はどの国よりも厳しい安全性の下で(原発を)当面活用していく。輸入する側がどう受け止めるかを含めて、中期的に検討する」と述べ、継続に含みを残した。
(参考資料)
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喉元過ぎれば熱さ忘れる、ではないが確かに第一次オイル・ショック時に叫ばれた代替エネルギーへの転換、とくに石油から原子力への切り替えは、このところ旧(ふる)びた証文に近くなった。当時は21世紀に入る頃には原子力エネルギー50%依存を目指す、などと調子の高かった通産省も、最近では2010年には25%程度とトーン・ダウンし−−近年の実績は15%程度−−原子力発電所の建設計画もそれほど振わない。
同省のエネルギー長期需給見通しとして、原子力発電所を西暦2000年には4000万キロワット分建設予定と目論んでいたにもかかわらず、計画十年目の現在のところ1600万キロワット分しか完成していないからである。
顧みれば、原子力エネルギーへの転換を焦った、あるいは焦らされた結果、子供だましの低俗なキャンペーンまで政府は実施していたものである。
曰く、原子力発電所は安全です、放射線は太陽光線の中にも含まれています式のコピーであるが、原子力発電所の放射能漏れと、大気中に降り注いでくる自然の放射線との根本的相違を無視したサギまがいのPRであった。
このような似非(えせ)非科学的言辞が身の周りから消滅するに越したことはない。しかし政府当局もずいぶんと心変わりが早いと言おうか、喉元過ぎればの態度を示すものである。
石油危機の背後にエネルギー危機を読み取る向きからすれば、これまでの安心ぶりやイラク危機に際しての相変わらずの石油ショック騒ぎに、眉をひそめる出来事と映ろう。もっとも、エネルギー危機論者と言っても、その実態はさまざまである。
原子核融合のフロンティアをきちんと押さえた上で、代替エネルギー論を提起する人から、原子力発電所建設反対は石油会社の陰謀であるとウソブクだけの心情的危機論者まで、幅広い。
しかし概して言えば、エネルギー経済論的視点が欠如した立論が−−原子力推進派にも反対派にも多いようである。つまり、石油の可採年数にせよ原子力の安全性にせよ、議論が一極集中的になされてきた感がある。
すでに見てきたように、「山師(やまし)の金隠し(きんかくし)」的テクニックは石油の埋蔵量についても働くわけで、石油価格の高騰につれて確認埋蔵量も増大している。つまりは高くなれば採算がとれると判断して、隠しておいた油井のフタを開けるのである。しかし、だからと言って石油エネルギーと原子力エネルギーは完全に相反し合う、あるいは相互排除的というわけではない。つまりは、石油が尽きた時こそ原子力の出番、というほど単純ではないのである。
何故ならば、原子力エネルギーの平和利用とはいえ当面のところ原子力発電に頼る、もしくはひとたび電気エネルギーに転換してからでなければ全く利用に供さないのが現実だからである。
想像して頂きたい。すべてのエネルギーを電気の力で肩替りできるであろうか。可能ではあるが全館暖房を電気で行うにはコストがかかり過ぎる。電気で走る自動車はまだ試作段階であるし、まして原子炉を積んで走る自動車となるとSFの段階である。そして何よりも、当面のところウラン採掘からその運搬に至るまで、タービンを回すにもベルト・コンベアーを動かすにも石油エネルギーを借用しなければならない現実がある。
つまりは石油も原子力もエネルギー経済学的視点からみて、共存共栄かつ共枯共死なのである。前者から後者への排他的転換など、SF的世界を別にしてはあり得ない。その事情はいわゆるメジャーズと言われる石油企業も熟知していて、それだからこそウラン235はすでにエッソが買い占めたなどという噂が流れもしたのである。
買い占め云々はともかくも、まっとうなエネルギー産業の担い手ならば石油も原子力も、さらには石炭も天然ガスも−−原子力で天プラができるとでも言うのか!−−各種のエネルギーを按配し、それぞれの相互依存関係と特異不得意の持ち分を検討しているのが真実なのである。
(五十嵐一『中東ハンパが日本を滅ぼす/アラブは要るがアブラは要らぬ』
(徳間書店・1991年)108〜110ページより)
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