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去る7月11日(月))は、五十嵐一(いがらしひとし)筑波大学助教授が、筑波大学構内で惨殺されて20年目の日に当たりました。
(五十嵐一筑波大学助教授(当時)とその殺害事件について)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%B5%90%E4%B8%80
(クリックして下さい)
謹んで御冥福をお祈りすると共に、五十嵐助教授の御遺族の御心痛にお見舞いを申し上げます。
五十嵐一助教授(当時)は、1947年(昭和22年)新潟県に生まれ、1970年に東京大学理学部を卒業。1976年には、同大学院美術芸術学の博士号を取られたユニークな経歴の持ち主でした。
五十嵐氏は、同年秋からイラン王立哲学アカデミー招待研究員と成り、イスラム世界の社会、文化についての研究を深めます。
そして、1987年、筑波大学で比較文化学類の助教授と成り、同大学で教鞭を取るのと並行して、中東関係の著作を多く執筆しました。
そうした執筆活動の一つに、マホメッドを風刺したサルマン・ラシュディーの『悪魔の詩』の翻訳が有り、注目を集めます。
その五十嵐助教授が、筑波大学構内のエレベーターの中で、何者かに刺殺されたのが、20年前の7月11日の事でした。
犯人は今もって「不明」であり、事件は、5年前、時効を迎えて、迷宮入りしました。
事件以来、マスコミは、五十嵐一助教授(当時)を、何故か、『悪魔の詩』の翻訳者としてばかり紹介、言及して来ましたが、私から見ると、五十嵐氏は、むしろ、エネルギー問題の優れた論客であり、湾岸戦争やパレスチナ問題についての優れた考察の主でした。
五十嵐教授が惨殺された理由は、今もって全くの謎ですが、五十嵐助教授(当時)が、原発問題に揺れる今、生きて居たら、日本のエネルギー政策について、どの様な提言をしただろうと、私は思ひます。
日本は、本当に、貴重な知識人を失った、と思はずに居られません。
(続く)
平成23年7月13日(水)
西岡昌紀(内科医)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/
(西岡昌紀のブログ)
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