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「二・二六」将校の遺書、新たに発見 事件から75年
2011年2月26日19時31分 :朝日新聞
旧陸軍の青年将校らが「昭和維新」などを掲げて決起した1936年の「二・二六事件」で、将校ら13人が、死刑執行まで収容された東京陸軍衛戍(えいじゅ)刑務所の看守に宛てた遺書が新たに見つかった。事件から75年にあたる26日、国家社会主義者の北一輝や栗原安秀中尉ら指導的な22人が永眠する賢崇寺(東京都)で、将校の遺族らに公開された。
遺書は「古(いにしえ)も今も天地に變(かわ)りなき/誠の心一筋の道」(坂井直中尉)など、至誠の念が色濃い。対馬勝雄中尉は「後世史家ニ俟(ま)ツハ維新ニアラス現代人ノ恥辱ナリ」と記述。昭和天皇を批判する手記を残した磯部浅一・元一等主計は横書きで「正気」と力強く書いた。
看守への遺書は、別の看守3人に渡したものが知られる。将校の遺族で作る「仏心会」世話人の安田善三郎さん(85)は「内容は3人宛ての遺書と同じだが、4人目の存在は初めて知った」と言う。
「4人目」は、97年に亡くなった奈良県の野依(のより)音松さん。36年3月に看守に着任し、事件後60年以上、遺書を保管してきた。孫の宏人さん(47)が09年10月に賢崇寺に納めた。宏人さんは「祖父は私が高校生の時に遺書を見せて『立派な方々だった。このことは世間には言うな。言うと大変なことになる』といましめた」と話す。
事件に詳しい評論家の松本健一さんは「長年、複雑な思いで保管してきた貴重で大切な資料だ。地方出身の看守にとって、将校は自分たちの貧苦や不平等を救おうとした者と映り、心を通じ合わせたのだろう。事件は昭和の日本人に刺さり、今も抜けないトゲといえる」と話している。(米原範彦)
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