http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/626.html
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(RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20101126-japon-mineur-condamne-peine-capitale
日本
記事発表:2010年11月26日金曜日
最終更新:2010年11月26日金曜日
日本:未成年者に死刑判決
RFI
日本の北部、仙台の法廷は、19歳の男性に死刑を宣告した。その男性は、1年前に、元恋人の姉と友人を殺害し、その2人の若い女性と一緒にいた男性に重傷を負わせた罪が問われていた。 2009年5月に、一般市民による裁判員制度が日本で始まって以来、裁判員が未成年者に死刑を宣告したのは、今回が初めてだ。
RFI東京駐在記者フレデリック・シャルルの報告
日本では2009年5月から、刑事訴訟において、一般市民からくじ引きで選ばれた6人の裁判員が、3人の職業裁判官が出す判決に関与するようになった。さらに、仙台では、今回初めて6人の裁判員がためらわずに(原文通りに書きます:投稿者注)、18歳の時に、元恋人が別れていったことに我慢できなかったという理由で、同年齢のその2人の女性を残忍な方法で刺殺した男性に死刑を宣告した。
日本では20歳からが成年とされるが、 18歳以上のすべての人に死刑が適用可能だ。日本の最高裁判所によれば、一般の人々が司法判断に参加することにより、その過程が公衆の人々にもっと理解されやすくなる。たぶん、その通りだろう。
しかし、法律家は何人もいるのに、法律についての知識をほとんど持たないただの市民に、死刑適用の可否を検討せよと求めているのだ。日本では、検事が事件の衝撃的な写真を見せることによって、裁判員の印象操作は可能だ。
ある調査の結果によると、80%の日本人が裁判員はやりたくないと言っている。
くじ引きで選ばれた市民は、もっともな口実がない限り、裁判員の義務を果たさなければ、750ユーロ相当(裁判員法では「10万円以下」となっています:投稿者注)の罰金刑に処せられる。
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(日テレNEWS24)
http://www.news24.jp/articles/2010/11/26/07171246.html
裁判員「つらいです」3人殺傷の少年に死刑
< 2010年11月26日 3:05 >
宮城・石巻市で3人が殺傷された事件の裁判員裁判で、仙台地裁は25日、被告の少年(19)に死刑を言い渡した。少年に対する死刑判決は全国で初めて。公判後、裁判員を務めた男性が会見し、「人の命の重さというのを、すごく、どうするべきかというのを感じてはいました」「つらいです」などと話した。
少年は今年2月、別の少年と共謀し、元交際相手の少女の姉・南部美沙さん(当時20)と少女の友人・大森実可子さん(当時18)を包丁で刺して殺害し、居合わせた男性に重傷を負わせたとして殺人などの5つの罪に問われていた。少年は起訴内容をおおむね認め、検察側は死刑を求刑、弁護側は死刑の回避を訴え、少年の更生の可能性が焦点になっていた。
25日の裁判では、鈴木信行裁判長が判決理由の読み上げから始め、主文を後回しにした。その中で、更生の可能性については「著しく低いと評価せざるを得ない」と死刑を選択した理由を述べた。
判決公判後、会見を行った裁判員の男性は「(会見で)顔を出していいと言った理由の一つとしては、今まで裁判員制度で参加した方々、これから参加する裁判員へのメッセージとして、正直、一生つらい思いを背負っていくと思うんですけど、誇りに思うとかではないんですけど、人に恥じることはしてないので、下を向いてはほしくない」「(判決言い渡しの時は)じっと(少年の)顔は見ていました。最後(判決を)出された時に、彼のほうで表情が『そういう結果か』という感じで表情を崩された時に、正直、何とかできなかったのかなと」「つらいです。つらいですけど、そのつらいことを誰かがやらなきゃいけないんです」と、時折、言葉を詰まらせながら話した。
少年は「判決を受け入れたい」と話しているということだが、弁護人は控訴を検討するよう話したという。
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(投稿者より)
25日の木曜日、仙台地裁で、殺人罪などに問われていた19歳の少年に死刑判決が出されました。少年が被告の裁判員裁判で初の死刑判決が出されたことが、マスコミでも大きく取り上げられました。
まずは、この判決公判を伝えたフランス・RFIのサイトに掲載された記事を日本語に直しました。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。
また、この裁判で裁判員を務められた男性の方の記者会見についての記事がありましたので、それも合わせて掲載します。日テレニュース24からです。記事のリンクから画像を見ることもできます。また、同じ画像をYouTubeに投稿なさった方がおられましたので、そちらのURLも貼っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=0ZFu2bJgmv8
RFIの記事の原文、"six jurés n'ont pas hésité à condamner ..."(6人の裁判員はためらわずに....を宣告した)の部分については、「『つらいです。つらいですけど、そのつらいことを誰かがやらなきゃいけないんです』と、時折、言葉を詰まらせながら話した。」と、先ほどの日テレの記事の中で、裁判員の方は話しておられましたので、ここに記しておく必要はあるでしょう。ただ、EU諸国では死刑制度自体が廃止されているので、記者の主観もあわせて考える必要はあるかも知れません。
裁判員となられた方々のご心痛は拝察いたします。もちろん、被害者のご遺族のご心痛はさらに重いものと拝察いたします。ただ、私がここで申し上げたいのは、このような映像を何ヶ月、何年と見続けるうちに、私達が極刑を下すということに対して、私達自身が不感症にならないかどうかが心配だ、ということです。
ところで、死刑判決の可否については、「永山基準」と呼ばれるガイドラインが最高裁判所から示されています。
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(永山基準:時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010110100558
永山基準 4人を射殺した永山則夫元死刑囚の判決で、1983年に最高裁が示した死刑選択時の基準。(1)事件の罪質(2)動機(3)態様(殺害方法の残虐性など)(4)結果の重大性(特に殺害された被害者数)(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)被告の年齢(8)前科(9)事件後の情状−などを総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、ほかの事件との刑のバランスや、再犯防止の観点からもやむを得ない場合に、死刑が認められるとした。(2010/11/01-15:41)
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日弁連のサイトには、裁判員制度の意義について、「市民が刑事裁判に参加する制度は、市民の自由や権利が不当に奪われることを防止するために、重要な役割を果たします。さまざまな経験や知識を持った市民が、その常識に照らして『疑問の余地はない』と確信してはじめて、有罪とする。そのような仕組みが、市民のかけがえのない自由や権利を守るのです。 」とあります。ただ、これは裏を返せば、「裁判官には常識がない」と言っているようにも受け取れます。
(どうして市民が刑事裁判に参加するの?:裁判員制度:日本弁護士連合会)
http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/about/simin_sanka.html
日弁連のサイトによると、戦前の日本には陪審員制度があり、有産者が訴訟に参加していたようです。ただ、今回の裁判員制度が始まった直接のきっかけは、確か、米国からの「年次改革要望書」でした。記憶に頼る記述で申し訳ありませんが、日本で訴訟を活発にすることと、外資系法律事務所の日本への参入を容易にすることが求められていました。
その要求に応えるためには、まずは弁護士を大量に生産する必要があります。そのため、米国流の「法科大学院」の制度が始まり、法科大学院修了者に有利なように、司法試験の制度が改められました。さらに、国民が訴訟に慣れる必要もあります。そのために、一般国民が裁判に参加する枠組みとして、大多数の国民の反対を無視する形で、この裁判員制度が始まりました。
裁判員裁判は、現在、刑事事件の第一審に限られています。民事事件を扱った場合、裁判員は大企業側に不利な判断をする可能性があります。
日本は昔から「和」を重んじ、事前の根回しや指導などによって利害を調整し、対立を極力回避するシステムがとられていました。このシステムには善し悪しがあるのですが、「年次改革要望書」が視野に入れているのは、米国型の「自由競争」「事後調整」型の社会に、日本を作り替えることのようです。つまりは、日本が日本でなくなることが、この制度の目論見として、仕組まれています。
このことについては、ネットを検索すれば、いくらでも関連サイトが出てきます。
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と、憲法第76条3項にあります。
裁判官が研鑽を重ねて、良心に従い独立して職権を行えば、裁判員制度は本来不要なはずです。今回の事件も、「永山基準」に鑑みて、裁判官が合議で判決を出せばそれで済んだはずですし、仮に今回の事件について控訴があるとすれば、控訴審の裁判官はそのようにして判決を出すはずです。そのような方向で、裁判員制度を見直す必要を感じています。
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