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(回答先: 市橋達也の冤罪検証・市橋達也の逃走劇は県警の公式発表後に挿話された。(憂いの果て) 投稿者 ハタ次男 日時 2010 年 10 月 25 日 11:22:05)
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2010/10/25(Mon) 08:57
前回のブログの続きであるが、挿話された逃走劇の検証をしてみたい。
事件翌日未明に配信された時事通信と読売新聞の記事が伝えるように、訪問先の男性=市橋達也は不在であったとするならば、捜査員は本人不在の状況で406号室に踏み込み、ベランダに放置されたバスタブの中に遺体が埋まっていることを確認したことになる。
市橋達也が捜査員の制止を振り切り逃走した後、遺体が発見されたような印象を受けるが、27日未明の記事を紐解けば、逃走劇の前に捜査員は406号室が不在であることを確認し、隣室の住民に協力を仰ぎ、ベランダを覗き込み、バスタブを発見したことになる。事件報道にそう形でいえば、捜査員はバスタブ発見後、再度406号室を訪問し(不在の再確認ともいうべきか?)、すると突然玄関ドアが開き、市橋達也とおぼしきリュックを背負った男が靴も履かずに飛び出し、捜査員の制止を振り切り逃げ出したということになる。
■ 市橋達也の居宅を訪れた捜査員は捜査令状を持っていなかった。
捜査員が406号室に訪れたとき、市橋達也は不在だった。そして、捜査員は隣室から406号室のベランダを覗き込み、バスタブを見つけ、人の手が出ているのを発見する。ここで浮かび上がるのは『捜査員は市橋達也および406号室に対する逮捕令状、家宅捜索令状を持っていなかった』ことである。確かに、ベランダにバスタブが放置されているのは不自然で怪しい。捜査員が「何かある」と直感したとしても不思議ではない。だが、その前に、捜査員がなぜそのような回りくどい行動に出たかを考える必要がある。正式な手続きを踏み、令状が取られていれば、本人の立会いが無くても家宅捜索は可能であり、本人不在で施錠されていたとして、この場合マンション管理者に令状をみせ、解錠させるのが適当である。隣室の住民に協力を仰ぎ、406号室の現状を確認するためにベランダを覗き込む―。令状があればこの行動の必要性が全く感じられない。
もう一つ触れておきたいのは、日没後の捜索は刑訴法で禁じられている(刑訴法222条4項)ということだ。この事件の場合、発覚が夜22時ごろである。当然日没後にあたる。捜査員は遺体を発見する前に隣室の住民に協力を仰ぎ、406号室の状況を確認しているが、刑訴法で禁じられている状況下である日没後の捜索に正当性は全く見当たらない。
NOVA関係者らによってリンゼイ・アン・ホーカーさんの捜索願が船橋署に届出されたのは、2007年3月26日の午後だという。捜索願の受理とあわせて、市橋達也に対する逮捕令状が請求されていたとしても、時間的にみて市橋達也と居宅の捜査が可能になるような捜査令状が発布されたとは考えにくい。
令状は裁判所で逮捕の理由と相応性が審議されたのちに発付される。午後に逮捕状が請求されたのであるならば、発付は早くても翌日午前になるはずだ。せめて午前中に請求されていれば当日中に発付されていたことは否定出来ないのだが。
捜査員は市橋の居室を訪れる前、リンゼイ・アン・ホーカーさんの社宅を捜索している。そこで市橋達也の連絡先が記された似顔絵が発見され、連絡先から住所を割り出し、新日本サンライズ行徳の406号室を訪れることになる。この事件のケースを言えば、令状が発付される前に捜査が行われていたと考えたほうが妥当である。
市橋の逮捕状は事件発覚翌日に取られている。これらをみても事件発覚当時、市橋達也と居宅に対する捜査令状無しに406号室を訪問したと考えるのが妥当である。
■ 令状無しに本人不在の家宅捜索は認められていない。
令状無しに強制的な捜査を行うことは、法令上、犯罪捜査の権限を与えられた警察にすら許されない行為であり、発覚すれば相応の処分が下される。住居侵入罪、職権濫用罪等が適用されてもおかしくない。本人不在の状況で、部屋に踏み込み一番奥まった場所にあるベランダを含めて家宅捜索ができるのは、令状があってこそなのである。
捜査員の直感が働き、バスタブの中に遺体が隠されていると確信したとしても、また、例え部屋の鍵が開いていたとしても、令状無くしては、捜査員は部屋の中に入ることはできないのであり、部屋の一番奥まった場所にあるベランダに踏み込みバスタブの中を確認することはできないのである。元警察官でジャーナリストの黒木昭雄氏は『「無施錠のドアを開けて声をかける」。「一歩室内に入る」。そこまでが限界だと思う』としている。
市橋の逃走劇こそ、捜査員により不正行為が存在したとして、それを正当化できるのであるが、それは後述するとして、まず、事件当日午後に届出された捜索願について考えてみたい。
■ 令状無しで捜査員はなぜ406号室を訪れたのだろうか。
なぜ令状無しで406号室を訪れるまでにいたったかを考える必要がある。桶川ストーカー事件だけをみても、日本の捜査当局は事件化されないと捜査しないのは明々白々であり、事件当日午後に船橋署に捜索願が届出され、当日夜に遺体が発見されるという迅速さに違和感を覚えてしまう。まっさらな状態から捜査したというよりも、ある程度の確度を持って捜査したからこそ、このような迅速な事件化に至ったと考えられないだろうか。
■ リンゼイ・アン・ホーカーさん捜索に至る過程の解明
捜索願が受理されたとして、それは警察ネットワークに行方不明者を登録するに過ぎず、逮捕状のような執行力は持ち得ていない。もっといえば刑訴法で禁じられた日没後の捜査を可能にする執行力はないのである。
ただ、リンゼイさんの捜索願が届出されたとき、船橋署が「一般家出人」としてではなく「特異家出人」と認定し受理したのならば、受理署長の判断いかんですぐさま行動に移すことは可能になる。
特異家出人とは、家出人の中でも犯罪等で生命・身体に危害のおそれのある者や、事件事故に巻き込まれたとおそれのある者、自傷や他者に危害を加えるおそれのある者(※)を指す。捜索願が特異家出人として受理される件数は全体の30〜40%だという。
−−受理署長は、特異家出人の態様により、警察力を集中的に運用して緊急に捜索活動を実施する必要があると認めるときは、直ちに当該署員、車両及び装備資機材を活用して検索、検問、足取り調査(捜査)を実施するなど、効率的な捜索活動を実施しなければならない。【家出人発見活動要綱実施要領より抜粋】−−
リンゼイ・アン・ホーカーさんの捜索願が「特異家出人」として受理されれば、受理した署の署長に捜査の全権が委ねられる。捜索願が届出されてから遺体発見に至る過程で、船橋署長のトップダウンで捜査が行われていたとするならば、捜査令状の発付をまたず、捜査することは理論上可能になるともいえる。この事件では船橋署の署長が「今すぐ捜査を開始しろ」と命じたとするならば、礼状無しで406号室に捜査員が訪れたことについては問題はないともいえる。ただ、先述の通り、令状で許されている強制的な逮捕や家宅捜索は認められておらず、事情を聞いたりするのは問題がないといえるだけで、それは捜査というよりも調査に近いともいえる。
■ 市橋達也の逃走劇の意味。
「男性方を訪れた捜査員が室内に入ろうとした際、いきなり玄関ドアが開き、男性が飛び出し捜査員の制止を無視して、走って逃げたという。3月27日12時18分配信 毎日新聞」
「市橋容疑者は26日午後10時ごろ、リンゼイさんを捜索に来た捜査員に玄関前で見つかり職務質問されたが、制止を振り切って素足で非常階段から逃走した。3月27日22時3分配信 毎日新聞」
「市橋容疑者は26日夜、ホーカーさんの同僚からの相談を受けてマンションを訪れた警察官に事情を聴かれた際、あわてて逃走し行方をくらましている。3月28日8時0分配信 産経新聞」
「捜査員9人が容疑者宅を訪ねたのは26日午後10時ごろ。突然ドアを開けた同容疑者は、非常階段から裏の駐車場を通って逃走した。3月28日配信 ZAKZAK」
「市橋容疑者は県警捜査員と自宅前で鉢合わせした際にリュックサックを落として逃走。リュックには下着類が入っており、捜査の手が及ぶのを察知して逃走準備していた可能性があるとみている。3月29日3時3分配信 毎日新聞」
捜査員が406号室を訪れたところ、突然玄関ドアが開き、男が捜査員の制止を振り切り逃走したと市橋達也の逃走劇は報じられている。
市橋達也が『捜査員の制止を振り切り逃げ出した』ことが事実ならば、公務執行妨害容疑の対象になり、緊急逮捕が発動される(刑訴法210条)。さらに、被疑者の逮捕に際して必要な場合、令状無しで、住居等において被疑者を捜索し、または逮捕の現場について捜索を行うことができるようになる(刑訴法220条)。つまり、市橋の逃走劇は、捜査員が令状なしで、本人不在の状態で家宅捜索することができるような状況を作り出しているのである。さらにいえば、『いきなり玄関ドアが開き、男性が飛び出し』たのならば、わざわざ、管理人を呼び、開錠させる手間も省ける。
この、緊急逮捕の発動こそ、市橋達也の逃走劇が挿話された理由ではないか。捜査員が遺体を発見する過程で、不正行為を働いたからこそ、誰も処分されないような虚構をねじ込んだのではないだろうか。
■ 隠蔽しようとしていた不祥事を翌日昼に公表したのはなぜか。
市橋達也の逃亡劇が事実であるのなら、27日未明に配信された第一報で『不在だった』と報じたのは、目の前で凶悪事件の犯人を取り逃がすという大失態を隠蔽するためであろうとも推測される。しかし、ただ、解せないのは、なぜ批判の矢が捜査本部に向くことを承知しながらも捜査員の大失態を公表したのかである。隠蔽しようとしたのならば、徹底的に握りつぶし、手練手管をもって露呈させないように動くのが日本の捜査当局のやり方である。記者クラブ制度というのはそのための制度であり、最高権力組織であるからこそ、その存在意義を確実なものにするために、批判の対象になりえる不祥事は徹底的に握り潰してきたのではないか。それをあえて公表するというのは恣意的な思惑があってこそだと思うのは邪推だろうか。
市橋の逃亡劇が事実だとして、捜査員は目の前で市橋のことを取り逃がしたことになる。だとするならば、千葉県警は、なぜ、緊急配備やタクシー手配をしなかったのか。
事件現場は江戸川にほど近い場所であり、東京都まで歩いても一時間掛からない。千葉県内だけで検問を実施しても東京都に逃げこまれてしまえばおしまいである。凶悪事件の犯人を目の前で取り逃すという大失態を隠蔽する意図があったかどうかは問題ではない。それよりもまず、県警自ら逃亡犯に有利な状況を作り上げたかが問題である。目の前で取り逃がしたのならば、すぐさま緊急配備やタクシー手配を要請し、容疑者検挙に向けて最大限の努力をすることが名誉回復につなげるため、警察が為すべき行動であろう。
目の前で被疑者を取り逃すという大失態を隠蔽するために第一報で不在と報じさせ、警視庁の耳に入らないように、緊急配備やタクシー手配をしなかった。千葉県警がそこまでして不祥事をもみ消そうと画策していたとする。では、なぜ翌日にはあっさりそれを公表したのか。隠し立てするのは良くないと、襟を正したとでも言いたいのだろうか。当方はそうはみない。真に隠すべきことがあり、それと天秤にかけ、捜査員が目の前で取り逃がしたことにしたのである。捜査員が406号室を訪れたとき、市橋達也は不在だった。遺体を発見したときも不在だった。捜査当局は遺体を発見する過程の不正行為を隠匿するため、また、市橋達也の単独犯行を確たるものにするため、市橋達也の逃亡劇をぶちあげたのではないか―。
***
腰の重い日本の捜査当局がこのような迅速で無駄のない捜査活動により、捜索願が届出された当日中に遺体を発見するという経緯をみても、すでに上層部の恣意的な判断や対外的な圧力の存在は否定出来ない。それ相応の理由があってこそである。
事件が発覚する過程で捜査員による不正行為があったとして、そうせざるをえない事情があったと推察する。それは捜索願が届出された当日夜にリンゼイさんの遺体が発見されるという迅速な事件化に集約されている。捜査員に適格な情報提供をもたらした協力者がいたからこそ、このような迅速な事件化が図られたと考えている。犯意のある協力者と、犯意のない協力者がいる。犯意のある協力者が青写真を描き、犯意のない協力者が捜査員を現場に向かわせることになった。犯意のない協力者は被害者に近い存在であったから、彼女が生きている可能性を信じ、遠い異国から捜査員にアプローチしていた。このことは日本では報じられていない。
Bill Hawker: Where is my daughter's killer? - Times Online
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article5139609.ece
---(抜粋)
Lindsay’s mother, Julia, told me she had actually spoken by phone to one of the officers stationed outside Ichihashi’s apartment on the evening he escaped. The officer was a woman who spoke good English, and Julia had been urging her to go into the apartment.
--―(抜粋ここまで)
リンゼイさんの母親であるジュリアさんは私に以下の様に話してくれました。
彼女は、市橋容疑者が逃走した晩に、容疑者のアパートの外に配置されていた警察官の内のひとりと実際に電話で会話したことがあります、と。
その警察官は上手に英語を話す女性で、ジュリアさんはその警察官にそのアパートへ踏み込むように強く迫ったとのことです。
(意訳)
リンゼイさんの母親であるジュリア・ホーカーさんの気持ちはわからなくもない。ただ、日本には礼状無しで本人不在のまま強制捜査をしてはならないという原理原則がある。娘はそこにいる。まだ助かるかもしれない。ジュリアさんが捜査員に強く迫ったのは、時間的にみてもまだ助かる可能性があると信じてうたがわなかったからだろう。
この事件が市橋達也の犯行であるとするならば、ありのままを伝えればいい。嘘を付く必要はないし、事実をねじ曲げる必要もない。だが、この事件は嘘と捏造にまみれている。市橋達也の犯行でないからこそ、嘘を付き、事実をねじ曲げる必要があったのではないか。この事件を検証し、見つけた嘘は一つや二つではない。多くの嘘を重ね塗りして真実を闇に葬ろうとしている。
捜査員が遺体を発見する過程こそ、この事件の嘘の始まりである。嘘から始まれば、多くの嘘を積み重ねる必要があり、真実は嘘に埋もれて見えなくなってしまう。この事件の真実は市橋達也しか知り得ない。そして市橋達也の口から真実が語られることを恐れて、当局は裏で手を回し弁護団を市橋の元に送り込んでいる。接見禁止も解かれず、独房に押し込められている。
偽装報道を繰り返し、既成事実化するのは簡単なことかもしれない。ただ嘘は嘘でしかない。ほころびを見つけるのも簡単なことなのである。
二年七ヶ月の時を経て大阪に捨てられた市橋達也は、通報を受け駆け付けた警察官に対し、「何もやっていない」と言った。本当に「何もやっていない」かもしれない。リンゼイさんはNOVAへの見せしめとして殺害されたのではないか。市橋達也は本当は事件に巻き込まれただけの、いわば被害者なのではないか。彼はリンゼイさんの殺害を実行した犯人たちに拉致監禁されて、人目につかない場所にいたのではないか。リンゼイ・アン・ホーカーの遺体は体中アザで埋め尽くされていた。単なる強姦殺人であるならば、なぜ、このような『しるし』を遺体に残す必要があったのか。捜査当局は市橋達也が被害者を殺害した証拠の一切をなぜ見つけ出すことができなかったのか―。この事件がNOVAに対する見せしめとして遂行された象徴的殺人であるならば、全ての謎は氷解する。
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