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(回答先: 日航123便 事故 〜part2〜 投稿者 地には平和を 日時 2010 年 8 月 13 日 21:00:26)
日航機墜落からあす25年 『惨劇、繰り返さないで』(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20100811/CK2010081102000080.html
2010年8月11日
「あの惨劇を二度と繰り返さないでほしい」と話す加藤さん=足利赤十字病院で
五百二十人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から十二日で二十五年を迎える。足利赤十字病院(足利市本城)の加藤君江看護部長(60)は当時、群馬県の藤岡市民体育館で遺体の処置に当たった。毎年この日を迎えるたび、祈りをささげてきたという加藤さん。「あの惨劇を二度と繰り返さないでほしい」と強く願っている。 (小倉貞俊)
事故発生から三日後の一九八五年八月十五日朝。同病院の看護婦長だった加藤さんは日赤群馬県支部からの要請で、医師ら六人とともに検視場所の同体育館に入った。任務は墜落現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)から運ばれる遺体の洗浄と整復作業だった。
館内に足を踏み入れた途端、異様な雰囲気にたじろいだ。窓は暗幕で覆われ、うだるような熱気と、鼻をつく異臭に満ちていた。
遺体を包んでいた毛布を広げると、あまりの損傷の激しさに言葉を失った。姿形をとどめておらず、ばらばらだったり、黒焦げになったものもあった。
「『私たちがやるしかない』と無我夢中でした」。手を合わせ、黙祷(もくとう)してから作業に入った。はい回るうじを払いのけ、ぬらしたタオルで泥や血をぬぐい落とす。バケツの水はすぐに黒くなり、水替えを何度も繰り返した。
遺族のショックを少しでも和らげようと、新聞紙や布を丸めて遺体の失われた部分を作り、人の形に整えた。「ご家族に会う前に、少しでもきれいにしてあげたい」一心で、流れ落ちる汗が目に染みるのもかまわず必死で手を動かし続けた。
一度だけ緊張がほぐれた場面もあった。服の中から焦げた免許証が見つかり、ある男性の身元が特定ができた時だ。思わず仲間たちと「良かったね」と声を掛け合ったという。作業が終わったのは、翌十六日の午前三時ごろ。後任に引き継ぎ、現場を後にした。
「決して風化させてはいけない出来事」。そうは思いながらも自身の記憶はあまりにつらく、「忘れてしまいたい」と葛藤(かっとう)してきたという。事故から四半世紀。加藤さんは「今を一生懸命に生きることの尊さを教えられた。いつの日か、慰霊登山をしたい」とあらためて心に誓った。
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