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公安警察の断定に、もしオウムが名誉棄損の裁判を提訴したらどうなるか【弁護士阪口徳雄の自由発言】
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/496.html
投稿者 傍観者A 日時 2010 年 4 月 04 日 23:40:27: 9eOOEDmWHxEqI
 

http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/61398829.html
公安警察の断定に、もしオウムが名誉棄損の裁判を提訴したらどうなるか(司法・裁判60)

* 2010/4/3(土) 午後 8:58
* 司法・裁判
* 事件

≪ 公安警察にもしオウムが名誉棄損の裁判を提訴したらどうなるか。この民事の裁判は実に奇妙な裁判となろう≫
国松警察庁長官の銃撃事件で、警視庁の公安部長が記者会見をし、公表した「捜査結果概要」「によると、事件はオウム真理教のグループが、教祖の意思の下、組織的に敢行したテロだった」と断定した。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/nansen/h220330_jiken.pdf
 被疑者不詳のまま、起訴できない事件で、捜査機関が犯罪に特定の団体の関与を認定することが許されない点は、多くのマスコミが指摘しているので、繰り返さない。
もし名誉棄損で、「オウム」から、損害賠償請求をされたら、公安警察は民事裁判でどのように対応するつもりか。
この裁判は実に奇妙な裁判となる。
第1に公安警察にとってどっちに転んでも、不味い結果となろう。
公安警察は、オウムが「教祖の意思の下、組織的に敢行したテロ」という断定をした。
この断定は「オウム」という団体の名誉を棄損したことは明白だから、公安警察が名誉棄損の裁判に勝つ為には、「オウム」と断定したこと=それが真実であること=真実性の立証を民事で要求される。
「オウム」の犯罪と認定する証拠がないのに、「オウム」の犯罪と認定したとなれば、公安警察は真実性の立証ができず民事上敗訴する。
一般に名誉棄損の裁判で「真実性」の立証ができなくても、仮に真実でなくても真実と信じるに相当な理由があること=真実相当性を立証すれば敗訴しない。
捜査権力である公安警察が、真実ではないが、真実相当性があるという弁明は、この裁判ではおよそ見っともなくて、主張できないだろう。何故なら、オウムが「教祖の意思の下、組織的に敢行したテロ」という断定までしているからである。
そのような主張をすれば、恥の上塗りになる。
他方、公安警察が、名誉棄損裁判で敗訴しない為に、真実性の立証をしようとすればするほど、公安警察の今回の捜査の実態=「オウム」の関係者が関与していた事実を明らかにする必要性に迫られる。
それを明らかにしようとすればするほど、では何故そこまで「オウム」を追い詰めながら、次の捜査が何故、できなかったのかという、今回の公安警察のマスコミで指摘されている「失敗」捜査の実態が、公開の法廷で明らかになる。
反対に真実性を十分に立証できないと、オウムが「教祖の意思の下、組織的に敢行したテロ」という認定は間違いとなり、失態が続くことになる。
第2に、真実性の立証をどのような証拠で立証するか。
公安部長や捜査の報告を受けた次長などが、部下からそのような捜査の報告があったという証言だけでは、オウム側はその報告書並びにその報告書の基になった証拠の提出を要求し、裁判官もそのような訴訟指揮をするだろう。それを提出しなけば、裁判官は真実性の立証ありと恐らく認定しない。
原告側であるオウムはABCD・・・等の人物の供述調書などを要求することは明白。
ところが、普通は起訴されない事件の関係者の供述証拠などは民事の法廷には、捜査の秘密や、被疑者、参考人などの名誉、個人情報保護を理由に提出に応じない長い歴史がある。
応じる場合は、交通事故などの実況見分調書、鑑定書などの客観的証拠だけである。
今回のケースではこれらの実況見分調書、鑑定書などが提出されるが、それだけでは「オウム」の犯罪と認定する証拠にはならない。
もし公安警察が、ABCD・・・などの関係者の供述調書などを民事の法廷に提出することになれば、今までの捜査の秘密などの慣例がこの事件に限って破ることになる。今後の扱いも、公開の方向で提出することに変えざるを得ないことになり、これは大変なことになる。
おそらく、公安警察は、ABCD・・・などの関係者の供述調書などを民事の法廷には提出できないだろう。
では、ABCD、・・・Fなどと指摘されている関係者を証人尋問することになるのか。
彼らは警察が認定した通り民事の法廷で、証言すれば良いが、もし証言しなければ、公安警察は『いや、彼らは取り調べ段階では、認めていた』として、取り調べた警察官を証人に立てるのかつもりか。
反対に「オウム」の関係者で、「オウム」とは関係がないと警察で供述した調書など公安警察の認定に不都合な証拠の文書提出命令が出されたら警察はどう反論するのか。
その調書は不存在とか弁明しても、公安警察の認定に反する、不都合な供述調書が作成されていないとか反論されれば、かえって公安警察の捜査のいい加減さが浮き彫りになる。
都合のよい証拠だけでオウムと断定したとなれば、真実性の立証ができず、これまた民事上不利となる。
泥沼の裁判になる。
公安警察は「オウム」から民事上、名誉棄損で訴えられる法的りスクを検討したのかどうか極めて疑問。
もし検討したというなら、上記のような泥沼裁判をどのように切りぬけることができるのか、説明責任を果たすべきである。
将来の公安警察のリスク管理の程度、認識、あり方を検討する意味では非常に重要だからだ。
以下、各紙の社説の一部を引用する。
全て公安警察の断定には批判的。
――――――――――――――――――――
公安部長会見―法治国家としておかしい(朝日新聞社説一部)
  警察は犯罪を捜査する機関であって、裁判所ではない。だれに対してであろうと、弁護や反論の機会も与えずに一方的に有罪を言い渡すことはできない。
 この会見は、そうした法治国家のルールを大きく逸脱した行為ではないだろうか。
 断定の根拠もあいまいだ。
 だが、決め手となる証言や証拠は示されず、犯行の際の役割はまったく解明されていない。なぜ詰め切れなかったかについての分析もない。
 捜査当局にとって、都合のよいピースだけパズルにはめ込み、最後にオウムの組織テロと断定する。この「概要」そのものが、説得力を著しく欠く。起訴に至らなかったのも当然だ。
  捜査を主導した警視庁公安部が、警察内外からの批判に反発し、「捜査はここまで肉薄したんだ」と発表することで、なんとか体面を保とうとした。そんな身勝手な組織の論理が働いたと疑われても、仕方あるまい。

公安部長会見 刑事手続きを逸脱した危うさ(読売社説一部)
  8人は匿名だが、坂本弁護士事件などで死刑が確定した元幹部など、容易に人物を特定できる。
 だが、立件できなかった事件の犯人を名指しすることは人権にかかわるし、公益性もない。どんな団体であれ、裏付けのない罪をかぶせていいわけがない。
 真犯人かどうかを判断するのは裁判所であって警察ではない。公判請求の可否を検討するのは検察だ。それにもかかわらず警察が犯人と断じた。刑事訴訟手続きの逸脱も甚だしい。公安警察の危険な体質をうかがわせる。
 「証拠が弱い」と内部には発表に消極論があり、検察当局も「訴訟書類非公開の原則」を理由に反対したという。
 公安部は捜査に最善を尽くしたと訴えたいのかもしれないが、開き直りと取られかねない。初動捜査の不備や元巡査長の供述隠蔽 ( いんぺい )に対する批判に続き、最後までミソをつけた形となった。
社説:長官狙撃「所見」 敗北は率直に認めよ(毎日新聞社説)
  立件に足る証拠が十分でなかったから時効になったのだ。なのに時効成立後、警察が特定の団体を名指しして「犯行グループ」と公言することが許されるのか。オウムの犯した罪を考慮しても、法治国家における刑事手続きのルールを踏み外していると疑問を持たざるを得ない。
 捜査結果概要は、関与した可能性があったり、そのメンバーと接触のあった者をA〜Hと表記し、供述や証拠を並べ、「評価」や「まとめ」をしている。だが、書かれた文言は「可能性を示す」「疑いは極めて濃厚」などとあいまいさが残る。状況証拠を積み重ねた仮説との印象だ。
「オウムによるテロ」までは解明したと強調したいのならば、組織防衛を優先した姿勢ではないか。
  翌96年、オウム信者だった警視庁巡査長(当時)の関与を疑い、公安部が捜査本部や警察庁に知らせず半年間、極秘で聴取していたことが発覚した。公安部長が更迭され、井上幸彦警視総監が引責辞任した。04年には、この元巡査長ら教団幹部4人を逮捕するが、不起訴処分になる。
 捜査が迷走した背景に、刑事部と公安部の連携のまずさや秘密主義はなかったか。聞き込みなど初動の基本捜査が甘かったのではないか。公安部長が語るべきは、そういう点についての真摯(しんし)な反省と、今後の治安維持にこの失敗をどう生かすのかという話だったはずだ。

  捜査結果の公表とはいえ、警察権の行使に絡む行為に関して、慎重さに欠けていたと改めて指摘したい。
長官銃撃時効 歴史的失態を猛省せよ(東京新聞)
前代未聞のテロを迷宮入りに追いやった揚げ句、自己正当化に走るかのような警視庁の逸脱ぶりには看過できないものがある。
 この日、警視庁の青木五郎公安部長は記者会見で「犯人に法の裁きを受けさせることなく時効を迎え、残念だ」と述べ、その無念さからか捜査結果の概要を公表した。しかし、かつて検察当局が不起訴処分とし、司法手続きを踏んでいない捜査内容を一方的に世間に公表することが許されるのか。

【主張】「長官銃撃」時効 弁解より大事件解決が先(産経)
時効事件について、犯行グループを名指しする記者会見をしたのはきわめて異例だ。
 そこまで犯行を解明しながら、なぜ立件に持ち込まなかったのか。これでは、自らの捜査ミスを弁解しているとしか思えない  

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