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平岡都さんの発見された「靴」は、神戸少年事件における「挑戦状」(さあ、ゲームのはじまりです)を想起させる。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/437.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2009 年 12 月 06 日 19:14:48: 0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 参考までに…「平岡」には意味が込められていると考えられます。三島由紀夫氏の本名と同じなのには深い意味があるでしょう。 投稿者 新世紀人 日時 2009 年 12 月 06 日 14:19:09)

新世紀人殿。
貴重なご推察、多謝。

さて、神戸少年事件で、酒鬼薔薇聖斗が「透明な存在」を装って、「学校殺死」(当初は「SHOOLL KILL」と表記)と銘打って、土師淳君を殺害、頭部を友が丘中学校の正門に据えたことで、恰も「学校」イコール義務教育への恨みを表わしたような意図を表明していますね。このことで、「汚い野菜」のイケニエとして淳君を殺害した動機としている。

しかるに平岡さんの場合は、彼女が学生であり、この点では、「透明な存在」で殺しに喜びを見出す酒鬼薔薇聖斗が、将来のエリートへの妬みを表明して犯行に至ったようなポーズが見て取れないわけではありません。その意味で、酒鬼薔薇聖斗が、「学校殺死」の延長にあるように見せかけていると小生はとらえています。したがって、小生の推察は、貴殿のおっしゃる「巫女殺し」にはどうしても到達しないのです。

つまり、「透明な存在」としての「ボク」または「僕」は、形を変えて「汚い野菜」としてのターゲット殺害を繰り返したととらえております。つまり、形を変えてはいますが、立脚点のようなものが同一であることが見て取れるのです。この意味では、黒魔術的な装いをこらし、あたかもバイモドオキ神の託宣に従った行動であるかのような意味付与が見て取れるわけです。

しかし小生は、このような殺人の外面上の装いを取り払った場合には、三島のクーデター未遂に事寄せた、ホンダシゲクニが介在することが見てとれるのであり、酒鬼薔薇聖斗が殺人を犯したのだという意味合いがあると考えているものです。三島のクーデター未遂は、明らかに自衛隊影の部隊(神戸少年事件ではCIAと連結した青桐グループ)、山本舜勝の指導に従った行動でした。ここで、平岡公威(三島由紀夫)と平岡都さんの、共通する「姓=平岡」が、今回の平岡都さんの、頭部切断と密接な関係があると思います。

ご承知のとおり、現在の自衛隊は日米共同の指揮系統のもとにあり、そこではCIAとJCIAが共同行動を取ることは非常に確率が高いわけで、日本軍(自衛隊)が、現政権とは意を異にする軍隊であることから、現在のミエミエの謀略は陸幕二部が遂行しているのだろうとんぼ想像を固くせざるをえません。江田島は海軍ですが、海軍にこのような実体が存在するかどうかは、小生は不詳です。

つまり、「透明な存在」とは、義務教育のおちこぼれから発生した「見えない」部分ではなく、謀略を推進する影の存在だと思います。したがって、酒鬼薔薇聖斗が、単なる個人ではなくて、決して表に出ることのない、闇の部隊である(複数の者である)、それも年数の経過により、世代交代をしつつ、舞台が常に再生産されていることを示すものです。

なぜなら、今回、足利事件が冤罪であることは、DNAの再鑑定で明らかになったように、警察の明確な誤りは、弁護側と菅家さん本人の無実の叫びで明らかになったことで、警察も、証拠物件としての被害者の衣類とそれに付着した体液が残されていた、しかも、DNA鑑定の威力をアピールするために警察が菅家さんをイケニエにしてしまった。このことからして、足利事件そのものが政治謀略を意図した性格を認めることは難しい。ところが、その足利事件の一年前に発生した、これと同様の一連の女児殺害事件(宮崎勤事件)は、政治謀略が取りざたされています。

宮崎勤事件では、「挑戦状」に該当する「犯行声明」が「今田勇子」から発せられています。こちらの事件では、足利事件では冤罪であることの決め手となったDNA鑑定が大きくものを言ったわけですが、たかだかその一年前の宮崎勤事件では、一件の被害者の特定がDNA判定が用いられただけで、すべて本人の「自白」のみが決め手となっています。神戸少年事件(女児殺害も含む)でも少年Aの自白のみが少年Aを犯人とする決め手であって、死刑にいたる20年近くにわたって、凶器や体液・毛髪などのDNA鑑定の一言も出ていない。このことについては、小生も別途吟味中ですが、宮崎勤というモンスターをマスコミを動員して作り上げた。意図的に外堀を埋める手法は神戸少年事件も同様です。

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宮崎勤事件―――破綻した謀略のシナリオ=@連続幼女誘拐殺人事件の深き闇
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html
投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2005 年 10 月 30 日 20:09:06:
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文中以下、引用します。

―――――――――――――以下、引用---------------------
というより宮崎勤事件≠ニいう警察のシナリオは、これまで見てきたようにすでに破綻している。そしてその破綻 の修復のために出してきたのが『スウィ―トホ―ム』のビデオにまつわる逸話だろうが、これがまたさらなる破綻を呼んでいるという顛末だ。宮崎の部屋にあの ビデオを仕込むことができたのは、警察関係者かマスコミの人間しか考えられない。業界の関係者ならビデオの発売日より前に品物を入手できる。警察の意向を 受けた何者かが密かに宮崎の部屋に証拠物件をセッティングした可能性も考えられる。
この件に関連して最近妙な話を聞いた。まだ宮崎が綾子ちゃん殺 害を自供する前というから、マスコミが現場に殺到した8月10日より以前のことである。ひとりの男が宮崎宅を訪れた。彼はあるテレビ製作会社のディレクタ ―だった。家族に許可を取ったかどうかは不明だが、宮崎の部屋に上がりこみ、ビデオをうず高く積み上げた―――――
そう、あのオタク部屋を作ったのは彼だった。舞台設定を整えてカメラを回し、帰っていったという。
彼は現在消息不明らしいが、当人を知る人物から本誌編集者が聞き出した話である。事実なら警察は幼女誘拐殺人事件の犯人が宮崎であることを、かのディレクタ―にいち早く漏らしたことになる。しかもその時期はまだ宮崎が幼女殺人を自供する前なのだ。
この奇妙な話は何を意味するか?警察は事前に宮崎をマ―クしながら泳がせていたことになる。そして宮崎の異常性を際立たせる工作も準備していたことになる。宮崎勤事件≠フシナリオは、恐ろしく早い段階で練られていた可能性が出てくるのである。
政界を揺るがした疑獄事件との奇妙な符号
目撃証言と異なる「カロ―ラU」と「ラングレ―」の大きな矛盾
誤報≠ニして処理された読売新聞の「宮崎のアジト発見」報道
そして、宮崎事件とリクル―ト事件の奇妙な符号・・・・・・・・・・
       事件の最深層には果たしていかなる闇≠ェ存在するのか―――?
宮 崎勤事件の発端、つまり埼玉県入間市で真理ちゃんが行方不明になったのは、朝日新聞がリクル―ト疑惑をスク―プしてから2ヶ月後のことだった。政界の有力 者への未公開株譲渡も発覚し、世間が騒然となっていた。今田勇子の犯行声明が送られた時期には、リクル―ト社前会長やNTT前会長などの大物逮捕が相次い だ。4月に消費税導入と竹下内閣の退陣があり、6月に誕生した宇野内閣が女性スキャンダルに見舞われたのと同じ時期に綾子ちゃん事件が起きている。7月の 参議院選挙で自民党は惨敗し、同じ日に宮崎勤が逮捕された。そして宮崎が綾子ちゃん殺しを自供した日に海部内閣が発足・・・・・・・・。
政界のド タバタや消費税の不満などは、史上稀に見る猟奇殺人事件報道の嵐の中に埋没していった。この一連の流れを 事件後の早い時期に意図的≠ナありフィク ション≠ナあると喝破したのは映像作家の手塚真である。<考えられるべき一番大きなフィクションというのは、宮崎勤という犯人と、その環境の全てがフィク ションだという考え方がありえるように思えます。何者かが、ある策略によって、あの時期に事件を作らなくてはいけなくて、犯人に何らかの時代の理由付けが 必要となり、若者のデ―タをいろいろと掻き集めて、「宮崎勤」という性格の犯人像を作りだしたというものです(中略)どういうカラクリかわからないけれど も、何か政治的カラクリがある。例えば、あるものから目をそらせるために、ひとつのものに熱中させるというのは、手品の初歩的なテクニックです>(『Mの 世代 僕らとミヤザキ君』太田出版より抜粋)
その言葉のニュアンスには揶揄的な要素が多分にあったと思うが、あらためて当時をふりかえってみる と、宮崎勤事件とリクル―ト事件はあきれるほどパラレルに進行していた。そして綾子ちゃん事件から宮崎再逮捕に至る日程は思わず天を仰ぐほど政局と一致し ていた。一見何の関係もない事柄が、どこかでつながっていたとしたら・・・・・・?そんなことも考えたくなるような符号ではある。
―――――――――――――――以上、引用終わり------------------

引用分中「この件に関連して最近妙な話を聞いた」というコメントのソースは、
ウィキペディアからたどってゆける。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
「ポルノ」の項目より、
---------------------以下、引用-------------------------
しかし、ポルノに関する印象はやらせもしくは捏造ではないかという声は、宮崎に否定的か協調的かの立場に関わらず存在していた。一橋文哉によると、この事件の頃は昭和天皇の崩御で右翼団 体の活動が活発で、彼らが宮崎を死刑にと主張しており、マスコミも犯罪を時代論と結び付けたがり、それが結果的に裁判のため宮崎を凶悪犯にしたいという警 察の意図と結びついてしまい、その対象として現代病を探し当てたいという若い記者たちの好奇心が利用され、総合的にそのようになってしまったと推理してい る。
ネット上の話であるが、2005年11月21日に、当時この事件の取材をしていた木村透が、読売ウイークリーのブログにて偏向報道があったことを告白している(当該エントリーはすぐに削除された。関連記事)。削除されたエントリーで木村は、部屋の隅に数十冊あった雑誌の大半は20代男性なら誰でも読むような雑誌類などだったのに、ある民放カメラマンが成人向け書籍をワザワザ一番上に乗せて撮影するという意図的な行為があったと告白した[4]。また、大量のビデオテープの中でいかがわしいビデオは少数で、幼女関連のビデオは5787本中44本で全体の1%に満たず、大半は「男どアホウ甲子園」や「ドカベン」など普通のアニメの録画テープだったという。
なおこれらのテープだが、その殆どは一般のテレビ放送を録画したものや、そのテレビ録画がマニアによってダビングされたもので、これらは文通などの 形で交換されあったものという話がある。当時の報道によれば、こういったマニア間でのテレビ録画したダビングビデオの交換は方々で行われていたが、宮崎は この交換で望みのテープを入手する際に、相手への返礼が遅くなったり十分でないといったトラブルもあったという。宮崎が自分の欲しい作品をどんどん入手す る割に人の頼みは出来るだけ断るという行動を取ったため、除名したサークルもあった。また、宮崎は「完録マニア」(全話を録画しないと気がすまないタイ プ)であり、子供っぽいという印象も持たれていた。
--------------------以上、引用終わり--------------------

この項目の元ブログは
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-165.html
です。

――――――――――――――――――――――以下、貼り付け----------
事件報道のリソースに「恣意的な映像」を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ。
2005-11-21
<筆者注>
今回のエントリは、あくまでも犯罪報道の影で生み出された「恣意的な映像」というものに焦点を当てて論を進めます。犯罪加害者擁護というつもりは全くないので、その辺りを誤読しないようにお願いします。

「格闘する読売ウイークリー編集部」のブログに、このような記述が掲載されていた ↓

■いったいどうなっているのか(格闘する読売ウイークリー編集部)(googleキャッシュ)(スナップショット)
     
(筆者注:批評のための資料のという位置付けで、全ての文章を引用)
女子高生がタリウムを母親に飲ませたかと思えば、
今日は同級生の女の子を殺した疑いで高1の男子が逮捕。
いったい、どうなっているのでしょう。
とても理解できません。

10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。
警視庁記者クラブでは、
詐欺とか汚職などの知能犯を扱う捜査2課の担当だったせいで、
その後もそんな事件ばかり取材しました。
知能犯ですから、頭を使った犯罪なのですが、
動機はほとんどが「お金」。
その点では、大変わかりやすいのです。

理解不能と思った事件も、多くはありませんが、経験しました。
忘れられないのは、平成元年の「宮崎勤事件」です。
幼女4人の連続誘拐殺人。
オウム以前の、戦後最大の事件かもしれません。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3−4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
5,6人の記者でじゃんけん。
で、私が一番になった、というわけです。

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。

ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。
高校生逮捕の夕刊を見て、
そんなことを思い出しました。
(苦悶デスクこと・木村透)
 → ここより、私が興味を持った部分を抜粋する。

■いったいどうなっているのか(格闘する読売ウイークリー編集部) より
ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。
部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。
 → 記述されている「部屋に入ったとき」の参考となる資料はこちら ↓

■宮ア勤・幼女連続誘拐殺人事件(警察庁指定117号)(事件史探求) より
 
 → この画像について、上記サイトでは「宮アの部屋には多量の児童猥褻ビデオや漫画が発見された」との記述つきで説明書きが付いているが、文中で取材時の印象については以下のように描かれている ↓

■いったいどうなっているのか(格闘する読売ウイークリー編集部) より
おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。
 → 現場の人間による記述、ということであれば、「宮アの部屋には多量の児童猥褻ビデオや漫画が発見された」との記述は、事実と重なる部分は存在するにしろ、それは誇張された表現であるということも言えるのではないだろうか。

更に、当時のTVで報道された映像に関する記述も存在している ↓

■いったいどうなっているのか(格闘する読売ウイークリー編集部) より
その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。
 → この辺りの時代背景記述については、以下のような文章が参考になるかと ↓

■不連続な読書日記 No.234 (2004/05/07)(ORION) より
●834●大塚英志『「おたく」の精神史──一九八○年代論』(講談社現代新書:2004.2.20)

 八○年代を一つの隘路として描くこと(「あとがき」)。──一つの象徴的な写真がある。だらしなく敷かれたままの布団と、枕元に配置された一冊のエロ本(『若奥様の生下着』)。数千本のビデオが積み重ねられた宮崎勤の部屋の写真である。だが、この写真の構図(あまりに古典的な性のあり方)は、カメラマンの一人によって配置し直された可能性がある。「八十年代という時代は、布団とエロ本という構図が象徴するような、古典的な性意識が解体していく時代であった」(75-76頁)。
そ れでは、古典的な性意識(エロ本的な性意識)の解体は何をもたらしたか。「男たちの性意識の女性の身体からの逃走」と「女性が自己表現として自らの性的身 体をメディアにさらけ出す、という事態」がそれである(88頁)。「八○年代という隘路」をめぐる大塚英志の記述は、ここから始まる。──「おたく」とい う語が中森明夫によって現在の意味で初めて用いられた八三年は、小林秀雄と寺山修司の没年である。
 → 大塚英志氏の予想が、当時の取材陣にいた一人の証言部分によって見事に「一つの確証」を得たということになるだろう。

しかしながら、驚くべきは「ある民放のカメラクルー」が、部屋にあったある本の山から「抜き取って、更に一番上に重ねて撮影」したことだろう。それにより「あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、誤ったイメージが流れてしまった」という、完全に「事実を恣意的に捻じ曲げて報道する手法」をマスコミがここでも使っていた、というのに他ならないだろう。

上記の記述が「全ての原因だ!」とは言い難いが、その後の報道は岡田斗司夫氏が1997年の「現代用語の基礎知識」に掲載した原稿を引用して説明すると ↓

■自由国民社現代用語の基礎知識(97年度版)掲載原稿(OTAKING SPACE PORT:原稿一覧) より
  オタク族という新人類は、80年代のバブル経済・サブカルチャー全盛時代に、一般人には全く理解されず、いつまでもマンガやアニメを見ている子供っぽいヤ ツ、ダサくてダメなヤツというレッテルが貼られる。それに追い打ちをかけるように1989年、連続幼女殺人事件が発生、マスコミの「容疑者M=オタク=社 会不適格者」という偏向的な報道によって、人々の間にオタクはダサくてダメなヤツだけではなく、暗くてアブないヤツ、という決定的な差別感を植え付けるこ とになった。
 → と、幼女連続誘拐殺人事件に関係するあらゆる報道内容を起点にして、波及的に事件報道と関係無い者へのバッシングへと繋がっていった。その中に、あの「恣意的な映像」もリソースとして含んだ上で。

そのバッシングの最たるものとして、Web上に挙げられているのが ↓

■すべてのクリエイターのために【日刊デジタルクリエイターズ】(Melma!:バックナンバー) より
特に宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件が世を震撼させた1989年には、8月のコミケでテレビ中継の女性レポーターが「ここに10万人の宮崎勤がいます」とやっている。
凶悪犯罪に対する怒りをぶつける矛先はこれでよかったのか。この事件により「オタク」イコール「犯罪予備軍」のイメージが世に広まったように思う。
 → この辺りを詳しく探ってみると ↓

■同人おたく年表 一覧(同人用語の基礎知識) より
8 月13日〜14日 . 「コミケット36」、晴海国際貿易センターにて開催。 参加サークル数は大台の 10,000、入場者数も大台に乗せ、およそ10万人に。 折りしも宮崎勤容疑者が逮捕された直後で、しかも彼の部屋に大量のアニメビデオやエロマンガ本 が積み上げられていたことから、コミケ会場前で 「ここに10万人の宮崎勤がいます」 と叫んだワイドショーのテレビレポーターが現れ、非難の的に (TBS)。
 → 褒められた報道内容ではないことは自明だろう。

このように、現場の取材陣が生み出された報道と、それらをリソースとして新たな報道を生み出したものが、世論醸成を成し得るとともに報道マスコミ側の商品として生み出されていたが、その報道内容の中には、現場の人間が恣意的に生み出した情報が存在することも含まれていたことが分かる。

このような背景を、率直にブログに書いて戴いた部分だけは木村透氏を評価すべきかもとは思う。

ただ、その当時に恣意的な映像を生み出そうとした「ある民放のカメラクルー」を、彼やその場所にいた報道陣はなぜ止めようとしなかったのか。また、その恣意的な映像を黙認した上で、報道を続けていたのだろうか。

少なからずとも、そ の恣意的な映像を生み出した「ある民放のカメラクルー」が一体どこなのか、率直にどこなのか・誰なのかを書かないということは、自分たちの「報道という商 品」の品質を落とした同業者を庇い、またその「恣意的な映像」の公表をしないことで、自分たちの業界全体の正当性を保っているという風にしか見えない。

それとは別に、この言葉に関しては絶対に許すべきではない ↓

■いったいどうなっているのか(格闘する読売ウイークリー編集部) より
ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。
 → 「犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが」って、それでいいの?報道結果により受け手に誤解される/されないに関わらず、これまでも、またこれからも恣意的な映像(端的に言えば捏造した映像)を報道時の資料として垂れ流すことは許されるのか?それは犯罪内容の重さ/軽さには全然関係ない次元での話だと考えるが。

しかも、まるで他人事みたいに「仕方ないかもしれません」とか言いやがって。
−−−−−−−−−−−以上、貼り付け終わり---------

さて、話を島根県浜田市に戻します。
実は神戸少年事件をネットたどってゆくと、浜田では昭和27年か28年におぞましい事件が発生したという。

それもこの事件を推理している「風太郎」さんのHP(またはブログ)で、筆者風太郎氏が浜田市で、原体験をしていることから、神戸少年事件にアプローチしていることが語られています。平岡さんの事件が、風太郎さんが神戸少年事件を推理してから12年後に発生していることに、偶然とはいえ、なんとも複雑な思いに、小生は陥っております。

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http://free.ftn-jp.com/futaro/shooll.htm
=「酒鬼薔薇聖斗の挑戦状」=

ゾディアック事件の犯人の筆跡

「推理・酒鬼薔薇聖斗事件」を読む

「突然の事件解決に思う」を読む
------------------------------------------

これからまだまだ意外な展開がありそうですが、小生のスタンスは、現実の政治とのかかわりで事件を捉えてゆくものです。

なお、韓国プサンの射撃場での日本人10名および韓国人5名(こちらは巻き添えだと思います)の焼死事件は、小生は、現場で、特殊で、殺傷力の高い爆発物が使用されたのではないかと疑っております。このことは、浜松での雀荘放火・焼死事件(組織的な犯行)にも共通した手口ではないかと思っております。浜松では三名の不審な人物が目撃されており、それは見張りと、車での逃走のための運転手、それに放火(爆発があったと思われる焼け方に特徴があります)の実行犯という役割分担が見て取れます。

貴重なご推察再度深謝。


 

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コメント
 
01 2009 年 12 月 07 日 07:52:39
この手の犯罪者って、発想がガキなんだよね。だからヒントを残して、愚民どもはまだ気がつかないとか思ってんの。アホくさ。
世界はもっと広いのよ、おバカちゃん。あなたの下らない謎掛けに付き合ってる暇なんてないの。
捜査の裏を突いてるような高等なこともしてないでしょ。単に、警察内部の問題分子を利用してるだけ。


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