01. 2014年1月21日 23:05:43
: DuP9JLTVbc
当方は国鉄一家だったが、JRに行ったものの絶望的な状況に悲観的になり、親しい方のツテを頼って今後どうすべきか相談。なぜか外国に行くことになり、そちらで身を立てて暮らすことになった。運命のいたずらとしか言えぬ展開だったが、前置きはそれくらいにして、JR北海道の問題は国鉄の分割解体のなれの果ての姿なのである。1980年代初頭、国鉄だった頃は北海道全体で2万8000人の職員がいた北海道。これが1987年4月のJR北海道発足時には1万2720人であった。これが2013年4月には7116人にまで減少している。当方が入手した情報では、JR東日本の千葉支社は5000人だと言う。広大な北海道で、この人数では線路や車輌の保守点検が行き届かなくなることは当然である。 2011年に発生したJR北海道の根室本線ディーゼル特急列車の脱線、炎上事故。JR北海道は道内で航空会社と競合している。既に本土と北海道間の旅客輸送は、9割までが航空機だ。青函トンネルが開通して25年になるが、旅客が戻ってこない。この展開が道内交通に広がると、JR北海道の線路が維持できなくなる。道東、道北方面のディーゼル特急列車の更なる高速化を図って、振り子式気動車を投入した。カーブでも速度を落とさずに走ることができる。 だが、無理な振り子式気動車の投入が、線路の劣化を早めていったことは言うまでもない。もともと北海道の国鉄は、夏と冬の温度差が60℃に達する厳しい自然条件にある上、広大な面積をカバーしていることから、保線には人が必要だし、費用もかかる。本土以上にかかることは言うまでもない。ところがJRでは保線部門を本体から切り離し、外注化している。費用ばかりで利益を生まない保線部門など、単なるコストに過ぎないと経営者は思っているようだ。しかし保線は社会インフラであり、これをケチることは相撲で言えば土俵の軽視だ。ぬかるんだ土の上で相撲など取れないことは明らかだが、JR北海道の線路は、ぬかるんだ土俵と同じである。 車輌点検、修繕は国鉄時代、重視されていた。車輌故障で列車が走れないことなど、国鉄では考えられなかった。ところがJR体制では、この車輌の保守点検ですらコストとみなされ、徹底した削減が行われた。検査周期の延伸、検査項目の削減、全般検査周期の延長などが行われた。上で述べた根室本線ディーゼル特急列車の脱線、炎上事故だが、事故を起こした車輌の車輪踏面が大きく剥離していたと言う。普通に点検していれば、直ちに判明するから、修理工場に送って車輪交換や車輪削正すれば解決する。多分、このことについてもJRは把握していたはずだ。しかし、経費がかかるから先延ばしにしていなかったか。当方は、このように疑っている。 機械は使っているうちに故障する。国鉄時代、機械(車輌)は壊れる前に部品を交換していた。予防保全が行われていたのである。絶対に運休させないために、乗客や荷主に輸送の義務を果たすためである。ところがJRになってから、このような当たり前のことが無視されるようになった。その結果、JR貨物では滋賀県内の東海道本線の近江長岡駅で、セメント貨物列車の輸送に当たっていたEF65形電気機関車が発火、炎上する事件が発生した。 この電気機関車は国鉄からJRに移行時に、輸送量の減少から休車になっていたものだった。バブル経済による好景気で輸送量が一時的に増えたことから、現役に復帰させることになり、全般検査が行われることになった。これにより現役に復帰したのだが、最低限の費用で復帰させたため、電気部品の全体的な老朽化が進んでいた。このため、絶縁性能が劣化していた部品が過熱し、発火して炎上したのである。この事件は当時、マスゴミも全く報じなかった。国鉄の分割解体に加担したマスゴミだけのことはある。JRに都合の悪いことは全く報じることなく、隠蔽した。 かつて主流だった、各駅で停車して貨車を切り離したり連結したりする貨物輸送がなくなり、長く重いコンテナ貨車を高速で長距離を走りぬく「高速貨物列車」ばかりになった。しかし機関車も貨車も、費用不足で新車になかなか置き換わらず、老朽化が進んでいった。1990年代に入ってから全国的にコンテナ貨車、コキ50000形の脱線事故が頻発。ようやく台車の交換が行われたが、荷主から預かった貨物は損傷し、怒った荷主は鉄道利用をやめてトラックに転換。当然であろう。 JR北海道でも、JRになってから新車が買えなくなるだろうと国鉄末期に危惧されたことから、JR移行時の直前の1986年にディーゼル気動車の大量導入が行われた。それから28年が経過しようとしている。国鉄時代、おおよそ20年で新車に置き換えられていたものだったが、本来ならJR移行時の新車は廃車されていなければならないのである。 JR北海道の振り子式気動車は、航空機との競争に勝つため、最高出力で連続長時間運転することが常態化していた。エンジン部品の磨耗が進み、充分な交換がなされないまま運用に投入されていた。これでは故障しない方が不思議だ。 JR北海道に厳しい監督命令と業務改善命令が出たようだが、今さら改善など無理だ。人を減らしすぎて技術の継承ができていないだけでなく、技術を持っていた職員は定年でやめてしまった。鉄道を知り尽くした専門屋を育ててこなかったツケが一挙に露呈してしまった。伝承されなかった技術、技能が再び戻ってくることはない。線路も車輌も、予防保全が行えないし、予算をあてがうにも金がない。元々、JR北海道は国鉄時代でも膨大な赤字を出していたのだ。 JR北海道をこれからどうするのか。当方は言いたくなかったが、もはや鉄道として残すことは無理であろう。厳しい自然条件の中で、満足な状態で線路、鉄橋、トンネルなどを維持していくことは、膨大な人数と予算を必要とする。道路なら政府、北海道庁に維持責任がある。思い切ってバスに転換するしかない。 |