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多額の負債で失踪…曽根中生監督、死んでいなかった!「ヤクザに殺された」など安否が都市伝説化!20数年ぶりに公の場に!
シネマトゥデイ 8月27日(土)13時44分配信
← 生きていた!曽根中生監督
26日、大分県で開催中の第36回湯布院映画祭で、死亡説や行方不明説が飛び交っていた伝説の映画監督・曽根中生がおよそ20数年ぶりに公の場に姿を現し、謎のベールに包まれていた空白の期間を激白した。
曽根監督といえば、『天使のはらわた 赤い教室』『新宿乱れ街 いくまで待って』『嗚呼!!花の応援団』『博多っ子純情』など1970年代、80年代の日本映画界で数々の傑作を生み出してきた伝説の映画監督。しかし、多額の負債を抱えた80年代後半にプッツリと消息を絶ってしまって以来、映画業界でその行方を知るものはいなかった。そんな曽根監督が20数年ぶりに公の場に登場、報道陣の前で会見を行うことになった。
映画関係者の間でも「借金が返せずにヤクザに殺された」「北九州で敵対するヤクザ組織の親分になった」「ダンプ(タクシー説もあり)の運転手をやっていた」など、まことしやかなうわさが次々と飛び交い、いわば都市伝説化。その辺の真相を直撃してみると「東京にいたころ、借金でよくヤクザに呼び出されていた。その様子を見ていた人がそういううわさを流したのかもしれないですね」と返答。さらに運転手説も「だいたい僕は運転が下手くそですから」と一笑に付していた。
曽根監督はなぜ映画界と距離を置いたのか。「ちょうど(自身が手掛けた制作会社)フィルムワーカーズを倒産させた後で、借金があった。そんなときに競艇の映画(現時点で曽根監督最後の映画となる『フライング 飛翔』)にお金を出してくれるところがあって、それにすがった。そしたら本職の競艇選手に『あなた競艇を知らないでしょう』とこっぴどくやられた。実際、出来た映画もひどかったし、これ以上映画を撮ることは罪悪だと思うようになった。それと西村隆平というプロデューサーが若くして亡くなったことも大きかった。片腕を亡くしたような気持ちになって。そんなこともあって、とにかく映画に捨てられたという意識が強くなり、映画から離れなければならないと思った」と明かす。
その後は九州で、ヒラメの養殖所で働いたり、競艇場で出会った羽振りのいい怪しい男に小遣いをもらったりしたりと、映画とは無縁の生活を続けた曽根監督。そしてその後、九州大学で出会った電子工学の先生のもとで磁気の勉強をしたという。その過程で二つの特許を取得。一つは、火力・電気を使わずに鉄・ガラス以外の物質をことごとく灰にする「磁粉体製造装置」、もう一つは油と水を混合して新しい燃料を作る技術「エマルジョン燃料装置」。現在は大分県でその実験を続け、その収入で暮らしているのだという。
そんなときに、この湯布院映画祭で『博多っ子純情』を上映すると知ってしまい、いても立ってもいられずに、曽根監督自ら、映画祭事務局に連絡をとったのだという。その流れでつい最近、『(秘)女郎市場』『嗚呼!!花の応援団』などで組んだ脚本家の田中陽造と再会。「(この空白の期間に)会えなくなった人間がたくさんいる。生きていて良かったなと思った」としみじみ語る。
このような数奇な人生を送ってきた曽根監督も御年73歳。このような元気な姿を見せられたら、新作を期待する向きもあるだろうが、「まあ、時間が合えば来るものは拒まずですが……。ただ、まだまだわたしの研究を待っている人がいますし、普段は洗濯や食事の準備など主夫業で結構忙しいんですよ」と煙にまかれてしまった。(取材・文:壬生智裕)
第36回湯布院映画祭は8月28日(日)まで由布市湯布院公民館で開催中
最終更新:8月27日(土)16時30分
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