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(回答先: JR西日本 「はまかぜ」などに使用のディーゼル車、ミャンマーに譲渡 投稿者 ピノキ 日時 2012 年 2 月 02 日 02:42:49)
テレビで見慣れた車両の色とは違うが、形状は確かにあの「あまちゃん列車」だ
ミャンマー・ヤンゴン市の東側に位置するパズンダン駅。一番端のホームに入線していた1両のディーゼル車が、15時ちょうど、定刻通りに出発した。赤と青のツートンの車体が、線路の両脇から覆いかぶさるように生えている緑の木々の間をすり抜けていく。
実はこの列車、少し前までは日本の三陸海岸を走っていた。そう、2013年に日本で大ブームを巻き起こしたNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」で一躍脚光を浴びた、あの三陸鉄道の車両だ。
老朽化のため日本での役目を終え、ここミャンマーに有償譲渡された。ドラマに登場した青色ベースの車体とは色が異なるが、形は間違いなく、あの三陸鉄道の車両そのものだ。
2014年12月の運行開始と前後して、現地でも一般家庭向けにミャンマー語吹き替え版「あまちゃん」の無料放映を開始した。ヒロインのアキと親友のユイが結成したアイドルユニット「潮騒のメモリーズ」がどれだけミャンマー人の間に根付いたかは不明だが、このストランド線を「あまちゃん列車」と呼び、目を細める在留邦人が一定数いるのは確かだ。
実際、廃線や電化などによって日本で使われなくなった後に海を渡り、ミャンマーを走るようになったディーゼル車の数は、これまでに200両を優に超えるという。市内を走るバスも、「○○市営バス」といった日本語を車体に残したまま走っているものが目につく。
これは、単に中古の方が安いという価格面のメリットだけではなく、日本の車両やバスは中古であっても非常に質が高く、エアコンなど設備の面でもレベルが高いことが要因となっている。車体の日本語表示が消されないまま走っているのも、日本製を証明することになるからだ。
車内から手を伸ばせば届きそうなほど、線路のすぐそばまで家屋や食堂が接近している地区を通り過ぎ、市街地の南側を流れるヤンゴン川に面したストランド通りに出た途端、行く手がパッと開けて車内が明るくなった。
1908年に貿易会社のオフィスとして建てられたという赤レンガ造りの中央郵便局やクリーム色のストランドホテル、かわいい三角屋根の見晴らし塔がシンボルの港湾局など、英領植民地時代の面影を色濃く残す建物が沿道に並んでいる。
それらを眺めながら走っていると、雨期特有の厚く垂れこめた雲からぽつりぽつりと水滴が落ちて来た。そうと思ったのもつかの間、雨はすぐにバケツをひっくり返したように音を立てて地面をたたき始める。大通りが雨に煙ると、ノスタルジックな雰囲気を一段と醸し出し始めた。
出発した時には運転士と車掌しかいなかった車内にも、15分ほどの間に数人の乗客が乗り込んできた。男性2人と女性1人のグループは、これから瞑想に行くのだと言う。
「17時から瞑想が始まるんだけどね、バスで行ったら何時に着くか分からないだろう?これが一番だよ、何時に乗って何時に着くか確実だからね」と話してくれた男性は、以前、保健省に勤めていたが、現在はリタイアし、気の置けない仲間と週に3回、瞑想通いを楽しんでいるという。
降りる間際に、「もし時間があれば一緒に瞑想に行かないか、気持ちが落ち着いていいものだよ」と熱心に誘ってくれたが、数時間後には空港に向かい、帰国の途につかなければならなかったため、心惹かれながらも丁重に辞退し、3人を見送った。
ストランド通りを抜け、市街地の喧騒の中をしばらく走ると、終点トゥーリクェ駅に到着した。正味50分の旅だ。聞けば10分後に折り返し運転をするというので、そのままパズンダン駅まで戻ることにした。16時ちょうど。来た時と同じように定刻通りに列車が発車する。
このころには車掌とも打ち解けて話せるようになっていた。まるで甲子園を目指す野球少年のような丸刈り頭の車掌は、はにかんだような笑顔が初返って親近感を感じさせるが、実は警察官。警察に入って23年目というベテラン警官だ。名前はゾーテー。今年でちょうど40歳だという。
なぜ車掌が警官をしているかは不明だが、テキパキと車掌業務をこなしている。「15年前、6カ月の研修を受けて鉄道警察に移ったんだ」と、制服の肩に縫い付けられた鉄道警察のエンブレムを誇らしげに見せてくれた。
最終列車だけあって、折り返しの車内は一日の仕事を終えたらしい人々が次々と乗り込んできた。乗車率は7割といったところか。皆、ほっとした表情で言葉を交わし、さきほどよりも車内はずっとにぎやかになった。
2駅目のワーダン駅から乗ってきたにこやかな女性2人組は、ストランド通り沿いのボーダータウン駅まで帰るところだと教えてくれた。
家はそこからさらにヤンゴン川をフェリーで渡った先のダラーにあるという彼女たちは、以前はバスで通勤していたが、今はもっぱらこの最終列車で帰宅しているという。
「バスだと、何時に家にたどり着けるか分からないもの。列車は時間が確実だし、快適だから、仕事を少し早目に切り上げてこの列車に乗るようにしているのよ」と顔を見合わせながらうなずき合う。
また、鉄道省に勤務しているという女性は、朝の出勤時は時間が合わないため利用していないが、帰宅時には毎日乗っているという。「終点のパズンダン駅まで乗ってから環状鉄道に乗り換えて自宅の最寄り駅まで帰るの。とっても便利よ」と満足げだ。「やっぱり日本製の列車はいい。揺れないし安全ね」と付け加えた。
ところで、「あまちゃん列車」が走るヤンゴン川沿いのこのストランド線は、間もなくこの国で初めての「旅客電車」が走る予定だ。今年7月には広島電鉄が路面電車を譲渡したほか、JR東日本もメンテナンス技術者の短期派遣を通じた技術指導を行うなど、11月上旬の第一区間の運行開始に向け準備が着々と進んでいる。電化工事も急ピッチだ。電化が実現した後は、あまちゃん列車はその先の非電化区間に移され、走り続けるという。
日本はこのほかにも、現在、ヤンゴン―マンダレー間約620kmを結ぶ幹線鉄道や、ヤンゴン市内をぐるっと一周する環状鉄道を近代化するために政府開発援助(ODA)によって詳細設計調査を進めている。
まさにミャンマーの鉄道整備のリーダーシップを、日本が掌握しているようだ。
一見すると、日本以外の他国の影は薄いようにも思われる。だが、ヤンゴンとマンダレーをつなぐ環状鉄道沿線の駅を一駅ずつ丹念に回り、各駅の信号機を調べてみると、中国やインド、韓国などさまざまな国から設備が入っていることに驚かされる。中国製やインド製のディーゼル機関車、客車も次々と入ってきており、他国も着実に布石を打っているのは事実だ。
実際、首都ネピドーの郊外には、中国の支援で建てられた大きな車両整備工場が平野の真ん中に建っている。折しも9月には、日本が長年支援をしてきたインドネシアで、日本が進めてきた高速鉄道計画の事業化調査結果が白紙撤回され、中国案が採用されることになった。同計画は、2008年ごろから日本がかなりのリソースを投入し調査を行ってきただけに、衝撃が大きかった。
日本は、ミャンマーに「日本式鉄道」を導入すべく、無償資金供与でヤンゴン中央駅の信号システムを計画している。円借款で整備するヤンゴン―マンダレー間の幹線鉄道について、ODAのスキームを活用して日本製の信号システムの導入を働き掛けているのだが、勝負の行方やいかに――。
世界ではますます熾烈さを増しつつある、昨今の鉄道進出競争を見るにつけ、「やっぱり日本製はいいわね」という乗客の笑顔に油断していては足をすくわれかねない。ミャンマーでの取り組みがインドネシアの二の舞にならずに、日本が戦略的な支援をきちんと展開していけるのか、まだまだ目が離せない。
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