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1603年から1868年まで続いた江戸時代は、当時の世界でもっとも環境への取り組みがすすんでいた。江戸時代にはリサイクルシステムは今日参考にすべき点が数多ある。今すぐ江戸時代の生活に戻ることは不可能であろうが、特に原発事故が起きてから、「人には何が大切か」ということをあらためて考える時、江戸時代の生活の中で行われたリサイクルシステムはそのヒントが満載である。
江戸時代は第一次産業(農林水産)主体だった。人口の80%以上が農業・林業に従事し、多くの中・下級の武士も生活のために畑を作っていた。いわば、降り注ぐ太陽エネルギーだけを利用した。何も減らないし何も汚さない「緑の経済」であって、今さらカタカナ語を使うのも気恥ずかしいほど、見事なシステムとして成立していた。
例えば、下水道問題でも当時の欧米の大都市が抱えていた不衛生な生活ではなく、相対的にはるかに衛生的な大都市であった。日本の下肥農業が急速になくなったのは、つい最近の高度経済成長期以降の農業近代化の過程である。そこで行われていた都市の廃棄物を利用して形成されていた都市と農村間の物質循環は消滅してしまった。人の生活から発生するもの(排泄物,灰に至るまで)は、捨てるごみではなく、回収して再生・売却可能なものであった。「もったいない」精神の真髄である。
江戸の「開発」は必要最小限で終了した。江戸時代初期には新田の開発などを積極的にやった。開発と同時にそれに見合うような用水の整備などを総合的にやって、ほぼ50年で終了させている。開発というのは自然を壊すことだから、開発によって変わった自然が逆に災害を生むということを、幕府はじめ当時の学者は知っていた。富に目がくらんでいなかった。例えば、1666年に徳川幕府は「山川掟」という政令を出した。これ以上開発はすべきでない、開発によってかえって大雨が降って土砂があふれたり、水が溜まったり、開発した土地が荒らされるので、開発を停止すべしということが命令された。
「富国強兵」を正義とした明治維新を推進するために「徳川時代」はある意味否定され、「江戸時代」の生活を貶めている節がある。この書では、江戸時代のシステムを現代の目で見直し、「昔はよかった」式の回顧ではなく、何故そのような状態であったのかを冷静に見ている。確かに水洗トイレの威力はすごく、一度慣れてしまうとその快適さを捨てることは難しいが、「集中と収奪」でなく、「自然との共生」を考えなくてはならないと思う。
矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-category-85.html より転載
関連記事:
江戸時代の生活は究極の再生利用社会(もったいない精神の真髄)
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/855.html
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