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信頼分子「オキシトシン」の不思議
ポール・J・ザック
2012年 5月 2日 20:32 JST
1つの分子――1つの化学物質――がわれわれの道徳生活の核心になり得るのだろうか。
自分の物を惜しみなく差し出す人もいれば、冷酷でしみったれた人もいるのはなぜか。人をだましたり物を盗んだりする人もいれば、自分の命を預けられるほど信頼できる人もいるのはなぜか。浮気をしない夫もいれば、浮気をしがちな夫もいるのはなぜか。女性には男性よりも優しくて寛大である傾向があるのはなぜか。私の過去10年間の研究は、こうした現象にオキシトシンと呼ばれる化学伝達物質が深くかかわっているということを示唆している。オキシトシンはわれわれの血液や脳で、男女の親密な関係だけではなく、ビジネス上の取引関係、政治や社会全般においても信頼の絆を作る万能薬となっているようだ。
主に女性の生殖ホルモンとして知られるオキシトシンは、分娩時の収縮を制御するが、多くの女性になじみがあるのは医師が陣痛促進剤として注射するその合成薬版「ピトシン」だろう。母親が授乳時に赤ちゃんに注ぐ冷静な集中力にもオキシトシンが影響している。男と女がセックス、マッサージ、ハグなどの最中に感じる温もりや火照りを促進する働きもあるので、新婚初夜には豊富に放出される(はずだ)。
2001年以来、私と同僚は、誰かのオキシトシンのレベルが上がると、彼あるいは彼女の赤の他人に対する反応が、より寛大で優しいものになるということを示す数々の実験を行ってきた。われわれは被験者が他の人たちと本物のお金をその場でどれほど快く分け合うかを行動を測る基準として採用した。オキシトシンのレベルの増加については、採血とその分析で計測した。お金には都合よく単位があるので、誰かが快く分け合う金額で気前の良さの増加分を数値化することができた。こうして得られた数値と血液中のオキシトシンの増加の相関関係を分析したのである。
その後、われわれが目の当りにしたことに本当に因果関係があるのかを確かめるため、脳に直接届くように工夫された鼻腔用スプレーを使って被験者に合成オキシトシンを注入した。結論を言うと、被験者の行動反応は庭で使うホースの噴出口のように簡単に切り替えられた。(家庭ではまねしないように。米国ではオキシトシンの吸入器は一般に販売されていない。)
さらに衝撃的だったのは、より気前の良い行動につながるオキシトシンの急増を促すために、被験者の鼻腔に化学物質を注入したり、彼らとセックスやハグをする必要もないということがわかったことだ。この「道徳分子」を呼び起こすには、誰かに信頼の証を示すだけでいい。ある人が別の人に信頼するような形――たとえば、お金をあげるなど――で接したとき、信頼された方もオキシトシンの急増を経験し、その人が打ち解けなかったり、だましたりする可能性は低くなる。つまり、言い換えると、人は信頼されていると感じると、より信頼できる人になるのである。これが次々と広がっていけば、他の人たちもより信頼しやすくなり、それがまた連鎖していく。
信頼が信頼を生む無限ループが「道徳の輪」とでも呼ぶべきもの――最終的にはより道徳的な社会――を作るということに気付いたとしたら、あなたにもこの研究の意味がわかるはずだ。
もちろん、オキシトシンだけが影響しているわけではない。体内の化学物質で単独で機能するものなど存在しないし、その人の人生経験からくるその他の要因にも左右されるだろう。うまくいかない場合も出てくる。われわれの実験でもごく一部だが、被験者がお金を全く分け合わないということがあった。そこで彼らの血液を分析したところ、彼らのオキシトシン受容体が機能不全に陥っていることがわかった。しかし、その他の被験者全員については、オキシトシンがすべての文化で正しいとされる生き方――地球上のすべての文化が「道徳的」と評する協力的で、温和で、向社会的な生き方――に沿った寛大で思いやりのある行動を促した。黄金律はからだがすでに知っている教訓で、正しいことをすると、すぐに報われた気分になるのもそのためである。
オキシトシンがわれわれを常に善良だったり、寛大だったり、信頼できる人物だったりにするとは限らない。この荒っぽく混沌とした世界では、寛容さや慈愛へもかたくなな反応しか示されず、背中に「蹴ってくれ」という張り紙をして歩き回るも同然だろう。しかし、ジャイロスコープのように機能する道徳分子なら、信頼に基づいた行動と用心深さや不信感に基づいた行動のバランスを保ちやすくしてくれる。このようにオキシトシンは、われわれが寛容さの社会的利益――これはかなり大きい――とだまされないために必要な慎重さのバランスを取るのを手助けしてくれるのだ。
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Jon Hurst
リンダ・ゲッデスさん
リンダ・ゲッデスさんという花嫁とともに行った実生活実験で考察してみよう。英国の雑誌ニュー・サイエンティストの記者で、私の研究を取材してきたリンダさんは、自分の結婚式で経験するであろう感情の高ぶりが来賓のオキシトシンのレベルを上げるかどうか確かめることに興味を示し、この実験に賛同してくれた。
私は英国の田舎にあるその式場、ビクトリア朝様式の領主の邸宅に70キログラム近い遠心分離機と30キログラム以上のドライアイスを持参した。注射器、すでにラベルが貼られた156人分の試験管、止血帯、アルコールパッド、バンドエイドといった実験器具を広げ、作業に取りかかった。リンダさんと協議した結果、われわれは出席している家族、友人の広くから結婚の誓いの直前と直後に2つサンプルを採取することにした。
すべての採血が終わると、私はドライアイスの上に横たわっていた試験管とともにその場をあとにした。米カリフォルニア州にある私の研究室にそのサンプルが届いたのは2週間後だった。結果はわれわれが望んでいた通りで、オキシトシンは社会生活の一場面のニュアンスを読み取ったり反映したりできるということを裏付けるものだった。
リンダさんの結婚式における来賓それぞれのオキシトシンレベルの変化は、花嫁を太陽とした太陽系のように配列させることができた。1回目と2回目の採血の間隔はわずか1時間しかなかったが、リンダさんのオキシトシンレベルは28%も急増していた。その他の来賓たちのレベルの増加に関しては、その式にどれだけ強い思い入れがあるかに正比例している可能性が高かった。花嫁の母親は24%増、花婿の父親は19%増、花婿本人は13%増・・・以下徐々に増加率は下がっていった。
花婿の増加率がその父親よりも小さかったのはなぜか、と疑問に思う人もいるだろう。オキシトシンの放出を抑制し得るホルモンがいくつかあるが、テストステロンもその1つで、花婿のテストステロンのレベルは血液検査の結果を見ると100%も増加していた。来賓がストラップレスのウェディングドレスを着たリンダさんに見惚れているとき、花婿は最強のオスになっていたのである。
結婚式での実験結果は、オキシトシンが、信頼と用心深さ、寛大さと自己防衛心の強さを分ける段階的で予測不能な敏感さに関わっていることを示している。この人の集まりのなかで自分は安心してぬくぬくとした気分でいられるのか、それとも用心すべきなのか。あるいは状況によって最善の結果が変わってくるのかもしれない。ある人はオキシトシンが優勢で、別の人はテストステロンが優勢という具合に。
人間の行動が無限に複雑で、結婚式の日(とその夜)の至福を維持するが往々にして難しいのは、オキシトシンの敏感さと他の多くの化学伝達物質の相互作用が影響しているからである。(妻が不満を抱いている理由が理解できない夫に関する有名なジョークがあるではないか。「結婚を申し込んだときに愛していると言ったじゃないか。どうしてまた言わなきゃいけないんだ」)
しかし、今回の実験にはさらに大きな収穫があった。人間性とわれわれが正しい行動をどうのように判断しているかについては数百年にわたって議論されてきたが、ついに応用できる新しい情報――われわれの道徳判断のメカニズムを明らかにする実験で得られた証拠――を手にしたのである。ならば、自らの行動をオキシトシンの産物の方向にもう少し近づけて、社会全体の仕組みを改善するためにわれわれにできることとはなんだろうか。
私が行った実験では、多くの集団活動――歌、ダンス、祈りなど――がオキシトシンの放出のきっかけとなり、つながりや思いやりを促進することがわかった。社会的な生き物である人間は、他の人たちとのつながりを深めるために、オキシトシンの産物が得られやすい活動を考案してきたのだ。それどころか、信頼されたときに最も多くのオキシトシンを放出する人は、社会生活がより豊かなため、より幸せで健康なのである。
ツイッターや友人のフェイスブックのページを見るといった「ソーシャル・スナッキング」でさえ、オキシトシンの急増を促し得る。しかし、本当の評価基準はそうしたネット上でのコミュニケーションがより重要な人とのつながりを補完しているかどうかだ。こうした形のコミュニケーションは人間の絆を深めるのだろうか、それとも共感を断ち切ってしまうほど匿名性と抽象的概念を助長させてしまうのだろうか。
オキシトシンの放出を促す別のアプローチに、自分の家族、文化、地理的な「種族」の外にいる人との交流を求めるというのがある。自分たちと外見や行動パターンが違う人々に対して警戒心を抱く傾向があるのには、はっきりとした進化的理由がある。数百万年ものあいだ、個人にとっての社会は自分の村や部族に限られてきた。正当な理由があって部外者は、そうではないと証明されるまで脅威だと考えられていた。ところが研究では、こうした不信感には適応性があり、交流を持つことで薄れていくことがわかっている。
米国で文化的、政治的分裂の高まりが懸念されている今、顔を突き合わせたやり取りに基づくオキシトシンのレベルの底上げが有効だろう。大都会の子供と小さな町、あるいは田舎の子供同士を知り合わせるための国内交換留学制度という形もあり得る。さまざまに異なっていて分野横断的な都市生活の再活性化も正しい方向への第一歩となろう。それと逆行しているのが米国の首都ワシントンDCである。かつては当たり前だった党派を超えての親睦が最近では全く聞かれなくなってしまった。米国議会での辛辣なやりとりは、オキシトシンに欠ける関係性を反映している部分もあるのだろう。
数年前から、私は研究室への訪問者たちに対して、別れ際にはハグをするからと予告し始めた。なかにはぎょっとする人もいるが、この少し奇抜な提案は会話の深さに変化を与えていることに気付いた。両者にとってより親密に、より興味深く、より価値あるものになったのである。おそらく、ハグを予告することで、私は相手を信頼している証しを示し、訪問者たちの脳内にオキシトシンの放出を引き起こしたのだろう。こうした人々は、次に他の人たちともより親しくなり、その対応もより寛容なものになる。道徳の輪を始めるのに、ハグ以上に大げさなことなど必要ないのだ。
(米ペンギン・グループのダットンから5月10日に出版されるポール・J・ザック氏の著書『The Moral Molecule』より抜粋)
http://jp.wsj.com/Life-Style/node_436690?mod=WSJFeatures
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