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アニメ界の巨匠フレデリック・バック氏の「木を植えた男」は、たった1人の羊飼いの男が砂漠のような荒地に森を甦らせるという奇跡を描いた物語である。「震災からの復興を目指す今こそ、日本に住む多くの人に観てほしい」――こう語るのは、バック氏を我が師と敬愛するスタジオジブリの高畑勲監督だ。バック氏の作品は、現代を生きる私たちに、何を問おうとしているのか。3回にわたって高畑監督に聞く。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110706/276691/
――世界で尊敬されるアニメーション映画監督のフレデリック・バックさんですが、高畑監督もまたバックさんを敬愛され、交流を深めてこられました。バック作品と最初に出会ったのはいつ頃のことでしょうか。
バックさんの作品との最初の出会いは「クラック!」というアニメーション映画作品でした。ちょうどアカデミー賞を受賞した1982年にアメリカで観たんです。受賞のことも何も知らずに観たのですが、すっかり虜(とりこ)になってしまいました。
「クラック!」は一脚の木製ロッキングチェアが辿る運命を通して、カナダのケベックの伝統的な生活とその移り変わりを生き生きと情緒豊かに描いた作品です。セリフはありません。絵も音楽もじつに暖かく、アニメーションの魅力に満ちている。ユーモラスで、ほんとうに楽しい傑作です。
自然と人のつきあい方を直接テーマにすることの多いバックさんの作品の中では異色とも言えるのですが、自然の恵みの中で人が暮らしていく姿をしっかり捉えていて、作家の姿勢は一貫しています。この映画を観た時の衝撃が忘れられず、人に勧めたり、自分も何回も繰り返し観ているんですけれども、今でもその魅力は全く色褪せません。
――バックさんの代表作の一つに「木を植えた男」があり、この作品もアカデミー賞を受賞しています。今年の夏から秋にかけて、「木を植えた男」と「クラック!」の2作品の原画を中心に、数々の作品を紹介する「フレデリック・バック展」が東京で開催され、映画の上映も行われます。高畑さんはこの展示会を実現するため、企画の段階から力を尽くされたそうですね。なぜ今、あらためてバックさんを日本に紹介したいと思われたのでしょう。
バックさんはつねに、自然と人間の営みのあり方について考え、文明の行き過ぎには警鐘を鳴らし、根本のところからメッセージを発し続けてこられた偉大なアニメーション作家です。
人間はどう頑張っても、太陽の熱と、地球上の、水と大気と自然の恩恵なしには生きられません。それを自覚することがますます大切になってきた現在、まったくの偶然だとはいえ、日本は未曾有の東日本大震災と大津波に見舞われました。そしてあろうことか、恐るべき原発事故が起こったわけです。
そういう今こそ、この日本で、バックさんの作品をあらためて見直すべき時なのではないかと私は思うのです。とくに、荒廃した山地に黙々と木を植え続け、大地を甦らせた一人の男を描く『木を植えた男』は、ゼロから出発して、幾多の困難を乗り越えながら、力を合わせて営々と復興に取り組まなければならない私たちを根本のところから励まし、希望を与えてくれるにちがいありません。
そして、セントローレンス河の壮大な歴史を追ったもうひとつの代表作『大いなる河の流れ』は、全世界にそのままつながっている「水と大気」を決して汚してはならないのだという反省と決意を、原発事故後の私たちに厳しく迫ってきます。
森には再生する力がある
――高畑監督ご自身も、「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」、あるいは文化記録映画「柳川堀割物語」など、自然と人間との関わりを描いた作品を数多く手掛けておられます。
今、日本人と森との関係はおかしくなっていると感じています。私が映画の舞台にしてきたのは、手つかずの自然ではなく、人の手が入った親しみ深い自然で、それがいわゆる「里山」なんですが、「里山」という言葉が流行し、その大切さ素晴らしさが叫ばれているわりに、宅地造成による里山の破壊は一向に止まりません。そこに暮らしてきた人にとっては、まさに「ふるさとの喪失」なのに。農家の屋敷林だってそうです。宅地化で切り倒してしまった瞬間、それによって育まれてきたものがすべてゼロになる。子供のときから共に成長してきたケヤキなどの大木が突然なくなるのだから、これだって一種の「ふるさと喪失」です。もう少し敏感であって欲しい。
逆に、木を切ることが無条件に悪いと思っている人がいますが、これもおかしい。木というのは再生可能なものだから、木を切って、その後にまた植林して、という林業も成り立つし、クヌギやコナラの雑木林のように、伐採した切り口からひこばえを成長させて、十数年するとまた伐る、というのを延々と繰り返すこともできます。つまり、うまくやれば持続可能なわけです。
ある時期、国は政策として奥山の木まで大量に切って全国一斉に杉を植えさせた。これは行き過ぎで、ほんとうに異常でした。けれども50年たって、今いい材に成長している杉もある。これまで、安い外材を輸入して、よその国の山を荒廃させるばかりでしたが、ひょっとすると、日本は良材の輸出国にさえなれるかもしれない。問題は、採算が取れない、人手がない、ということで、現在、杉林の多くが十分に手入れされないまま放置されていることです。そういう荒れて危険な人工林が全国至る所にあります。手をかけざるを得ない杉林を大量に作った以上、最後まで人間が面倒見るしかないのに。これをどうするかは、国土保全の観点からも、いまや我々全国民の問題として考えなくてはいけないと思います。
――高度経済成長によって開発が進み、都市人口が増えて、自然との関わりが急速に失われていった。木に再生する力があり、植林すればまた木は育つことさえ分からなくなっているのが、日本の現状かもしれません。
再生は植林だけとはかぎりません。日本は恵まれた土地です。再生力がある。
例えば、私は岡山県の瀬戸内で育ったんですが、戦後このあたりの山はすごく荒廃してハゲ山だらけでした。それが今はちゃんと木が生えているんです。むろん、植林政策のおかげもありますが、やはり生活が変わって木々をまったく使わなくなったことが大きいと思います。
昔は建築材だけでなく、燃料用の薪炭や柴も、肥料としての落ち葉も、みんな森林からもらっていました。それをうまく循環させて持続させているうちはいいのですが、戦中戦後は松の根まで掘ったりして使い尽くし、とことん荒廃させてしまった。それをやめただけでなく、木や葉を燃料にも肥料にも使わなくなったから、いつの間にか木々が再生したんです。ただ、面倒を見ないから、もと松林だったところもふくめ、状態の良くないヤブ化した雑木林になってしまった。それでも私の子供のときよりは、とにもかくにも木が生えて森が甦っている。
じつは、明治のはじめ頃も、写真を見ると、今より木々がずっと少ないところが全国にいっぱいあったんです。おそらく当時、急激に人口が増えはじめて森林を酷使していたんでしょうね。山の使い方で、状況が良くなったり悪くなったり、いつの間にか樹種が変わったりする。だから、若い人に対して、近代化によって一方向的に“自然が失われた”とか、取り返しがつかないとか思わせて、喪失感ばかりをかき立てるのは間違っているし、嫌ですね。あの鬱蒼とした明治神宮の森だって、たかだか90歳、やる気さえあれば森は甦るんです。『木を植えた男』もそれを語っています。
古来、日本人は、さっき挙げたこと以外にも、山菜やきのこなど、たくさんの恵みを森からもらいつつ、そのために森がダメにならないように、いつも恵みを与え続けてもらえるように、いろいろ手入れをして、うまい関係を持続させてきました。棚田の水も、その上の山の木々が降った雨を留めてくれたものです。そしてそういう関係を何百年と保ってきたんです。しかもそんな環境こそが、生き物たちの宝庫でもあった。つまり、ひとつの素晴らしい生態系、循環の輪を作っていた。それが「里山」文化ですね。「里山」の景色は、自然と人間が共同して作り上げたものだからこそ、なつかしいし、親しみ深いんです。かたちは違うけれど、甦った水と緑に育まれ、人々が住みはじめた『木を植えた男』の村も、『クラック!』の村も、そんな「里山」なのではないでしょうか。
「自然を克服し、支配する」ことは可能なのか
――東日本大震災は、被災者の方はもちろん、被災していない日本人にとっても、日常の暮らしを一瞬にして奪う自然の強さに向き合わざるを得なかった。改めて、自然との関わり方について考えさせられたように思います。
一言で言えば、高度成長以来、延々と信じられてきた「人間は何でもコントロールできるし、しなければならない」「自然は克服し、支配するべきだ」という、必ずしも「日本的」とは言えない思想が破綻し、再検討を迫られているのだと思います。
その破綻の最も端的なあらわれが原発事故です。バックさんの『クラック!』では、原発が反対運動によって美術館に生まれ変わりますが、私も20年以上前、「さわらぬ“カク”にたたりなし」という一文を書いて原発反対を表明したことがあります。津波による電源喪失から相変わらず深刻な現状までの経過を見れば、「人為によるコントロール」というものが、残念ながら、いかに難しく頼りないかが分かります。
噴火・地震・津波・暴風雨・洪水・土砂崩れ、豪雪など、日本は自然災害が極端に多い国で、毎年その脅威にさらされ、毎年相当な被害を被っています。高度成長以来、「自然を克服する、支配する」という西欧から学んだ考え方によって、巨大ダムやあらゆる種類の堤防を築き、建造物を鉄筋コンクリートにするなど、さまざまな対策を講じてきました。その度合いは、本家である西欧の比ではありません。もともと自然災害の少ない地域である西欧の思想を災害列島に適応しようとしたのですから、そのもたらすひずみも、本家よりはるかに大きかった。コンクリートで自然災害を押さえ込もうとして、大切な自然そのものを破壊し、傷つけ、失ってしまう。情けないことです。情けない、というのは、災害を減らすためにはやむをえない対策かもしれないことを、半ば認めざるをえなかったからです。
ところが今回の大津波は、そんな努力を一挙に無にするほどの強烈さでした。高さ10メートルの堤防でも役に立たなかった。まるで自然に嘲笑われているかのようでした。
いかに素早く安全なところへ避難するか、いかに人命を救うか、その最重要課題以外、これほどの災害を食い止める方策が果たしてありうるのだろうか、そんな疑問がわきました。そして、現代のような土木力を持たなかった先祖たちが、もろもろの自然災害のなかでどう生きてきたのだろうか、それを考えずにはいられませんでした。
ともかく、今回の大震災は、人間は自然のほんの一部でしかないこと、「人間が何でもコントロールできる」というのはまことに不遜な考えであることを思い知らせてくれました。そして、人の営みとは本来どういうものであらねばならないのかを考え直す、大きな契機になるのではないかと私は思います。
恐るべき自然の猛威は、「自然との共生」とか「自然の恵み」など、口当たりのいい言葉を一挙に吹き飛ばしてしまったかのように見えて、じつは、それでもやはり、その自然の懐の中でしか私たちは生きられないのだ、ということを痛切に教えてくれたのではないでしょうか。
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