1)特集:進化する進化論 プロローグ 進化論の150年 http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0904/200904_020.html2)特集:進化する進化論 変異 多様性の源 複雑な生物を生む力 http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0904/200904_036.html 3)特集:進化する進化論 米国事情 創造説のナンセンスな変異 http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0904/200904_098.html 上の引用、読んだよ。 なるほど育種の例ね。それが進化の実例だってことだね。
で、二つめの引用の中にはこんなことばがある。 「ダーウィンは,自然に発生した変異と生殖の差異が積み重なるといかに大きな力となるかを読者に納得させるために,人為的な育種を例に挙げて,わずか数世紀で作物やハトやイヌの大きさや形が大きく変化したことを説明した。」 でも、そうした種内の変化が進化の証拠といえるのか。育種家たちはそうした見方には異を唱えるようだよ。 米国の歴史上でもっとも著名な植物育種家といわれるルーサー・バーバンクは、かつて黒いチューリップや青いバラを作り出した者は誰一人としていないが、それはそういう遺伝物質がなかったからにすぎないと指摘している。(最近発表されたサントリーの青いバラはパンジーの青色遺伝子を組み入れて作り出したもの)。「わたしは経験によって1.5センチから6.5センチくらいの長さのプラムならいかような大きさのものもできることを知っているだが、豆粒ほどのプラムとかグレープフルーツ大のプラムとかを作ろうとしてもむだであることを認めるにやぶさかでない。また、半年間に渡って絶えず花を咲かせるバラはあるが、一年中花を咲かせ続けるバラはないし、これからも作り出せることはないだろう。ようするに、品種改良には限界があるのだ。」 作物や家畜の品種改良は数世紀どころか数千年にわたって行なわれてきた。けれどブドウはブドウ、羊は羊であり、ハトやイヌも何か別の種に変わったことも変わりつつある姿も観察できない。育種の例は、見かけの大きさや形は変わっても種の変化には限界があることを示してると思うけどね。 それと、 「1859年,ダーウィンは『種の起源』を発表し,地球上のすべての生きものは1種あるいは数種の生命体の子孫であると提唱した。最初の生命がどのようにして現れたのかについては言及していない。」 ってことだけど、「種の起源」メントール版1958年、450ページでダーウィンは「当初は創造者によって幾つかの、もしくは一つの形態の中に吹き込まれた」のかもしれないという点を認めているよ。
進化論でも創造論でもまた温暖化説にしても議論をするのはいいけど、あまり感情的になりすぎて○○を信じるような人間は△△な人間だ、みたいな人格攻撃まがいなことはよそうよ。
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