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http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000024122009
こんにちは、国立環境研究所の江守正多です。歴史的なCOP15が終わりましたが、そのことはいろんな人が解説するでしょうから、僕はいわゆる「クライメートゲート事件」に関係したことを引き続き書きたいと思います。今回は、この事件が投げかけた問題の1つと思われる、科学における「査読」の意味に焦点をあててみます。 前回書いたとおり、英国イーストアングリア大学の研究者の電子メールなどが大量にインターネット上に流出し、その内容の一部が問題になっています。これが一部で「クライメートゲート事件」とよばれているものです。 まず、僕は大量のメールなどを全部調べたわけではありませんので(他人のメールを調べる趣味もありませんので)、現時点で確定的なことは言えません。この問題については大学に独立評価委員会が設置されて調査が進められているようですので、その結論を待つべきでしょう。 しかし、世間でこの問題が取り上げられるときに十分に理解されていないと思われる点がいくつかありますので、それを補足することは僕に現時点でできることです。 問題になっていることの1つは、研究者らが過去1000年の北半球の気温変化のグラフを描く際に、木の年輪などから復元された過去の気温と、近年の温度計のデータをつなぐ部分で、恣意的なデータ操作をしていたという疑いです。 具体的には、年輪により復元された気温は1960年以降の気温が下がってしまい、実際の気温上昇と合わないので、その「下がる」部分のデータを「隠した」と言われています。 しかし、あまり知られていないようですが、年輪のデータが「下がる」ことは、秘密でもなんでもありません。このことは、問題のグラフを作成した研究者の1人であるキース・ブリファ(イーストアングリア大学気候研究ユニット副所長)自身により、1998年に発表された論文で堂々と論じられています。 問題のメールが書かれたのは1999年です。彼らは、年輪のデータが1960年以降は温度計のデータと合わないこと、つまり、その期間のデータは使えないことを既に科学的知識として知っていて、それ以前の期間のみのデータを使ってグラフを描いたわけです。 そうしてできあがった問題のグラフがこれ( 図1 )です。
このグラフの残念な点は、1960年ごろまでの年輪のデータとそれ以降の温度計のデータを、なめらかに一本の線でつなげて描いてしまっていることです。一般の読者へのわかりやすさのためにこのようにしたのかもしれませんが、これをなめらかにつなぐためには、「人工的な」データの処理が必要だったでしょう。そのことが批判されるのはある意味で仕方がありません。 しかし、言ってみればこれは図の描き方だけの問題であり、このグラフの持つ科学的な情報に影響を与えるものではありません。1960年までは年輪のデータと温度計のデータは沿って変化しており、その部分で両者のデータを合わせているのですから、温度計のデータを恣意的に高くみえるようにつなぐこともできません。 なお、このグラフは2000年に発表されたWMO(世界気象機関)の報告書に掲載されたものであり、IPCCの報告書に掲載されたものではありません。2001年や2007年のIPCC評価報告書に掲載された同様の図は、温度計のデータは復元されたデータと区別されて、きちんと別の色の線で描かれています。 さて、この話で1つ重要な点は、ブリファが「査読付き論文」で、年輪の気温が下がることを発表していたことです。 ここで、「査読」について馴染みのない読者のために若干の説明をしておきたいと思います。研究者が研究結果を論文として学術雑誌に発表する際には、通常2〜3人の別の専門家(査読者)が匿名で論文の審査をします。これを論文の査読といいます。査読においては、論文の書き方に不備はないか、論理展開や計算などが間違っていないか、過去の関連研究をきちんと踏まえているか、新しい重要な知見が書かれているか、などの観点から、査読者が論文を評価します。学術雑誌の編集委員会は、この査読の結果を参考にして、論文を雑誌に掲載するかどうかを決めます。 ■科学者も人間、査読巡るトラブルも 僕自身も日本気象学会の英文誌の編集委員を何年かしていたことがあるので経験としてわかりますが、編集委員会は、間違いのない、質の良い論文を掲載するために、注意深く査読者を選び、査読結果を吟味して掲載の可否を判断するものです。 もちろん、査読を経た知見が絶対的に正しいわけではなく、査読を経た知見同士の間で科学的な議論がさらに展開されます。つまり、査読を通ることはある知見が科学的に正しいための必要条件であり、十分条件ではないということです。また、科学者も人間ですから、査読をめぐってはいろいろなトラブルもありえます。たとえば、査読者は、自分と親しい研究者の論文を甘く評価したり、逆にライバルの論文は必要以上に厳しく評価したり、あるいは査読をした論文のアイデアを盗んでしまうこともあるかもしれません。そして、めったにないことですが、数年前に問題になったES細胞論文ねつ造事件のように、論文の著者が意図的に査読者をだますような行為もありえないことではないでしょう。 こういった問題を抱えながらも、査読は研究者の共同体が科学的議論の質を保つ上で必要不可欠と認識され続けており、およそ350年前にヨーロッパで学術雑誌の原型が産まれてから、今までずっと機能し続けているシステムなのです。
クライメートゲート事件で問題になっていることの1つとして、主流研究者がセクト化して、懐疑的な論文の締め出しを図っていたのではないかという疑いがあります。たとえば、主流研究者による過去1000年の気温の復元(いわゆる「ホッケースティック曲線」=図2)に対して批判的ないくつかの論文が査読を通って学術雑誌に掲載されました。これに対して、ある主流研究者が「査読付き論文の定義を変える必要があったとしても」これらの論文をIPCC報告書で引用しない、とメールに書いていたそうです。 これはどういうことかというと、IPCC報告書では、基本的に査読を経た学術論文のみに基づいて、それらを引用する形で、現時点での温暖化に関する科学的知見の総合的な評価を行います(まれに、地域的なデータなどを参照する必要がある際に、査読されていない報告書などを引用することも許されています)。主流に対して批判的な論文も、査読を通っていれば、IPCC報告書に引用される資格があることになります。しかし、ある主流研究者は、それらを引用するのを嫌がったというわけです。 これについては、論文の内容を吟味した上で引用に値しないと評価した結果かもしれませんし、だとすると気持ちはわからないでもありません。しかし、一般的にいって、このような排他的な態度は批判されても仕方がないでしょう。 ただし、この話には続きがあります。これらの批判的な論文は、結果的にはIPCC報告書に引用されたのです。実は、IPCCの報告書の原稿自体も、世界中の専門家と政府担当者から、合計3回の査読を経て作成されます。そして、少なくとも温暖化の科学に関する部分(第1作業部会)に関しては、すべての査読コメントとその1つ1つに対する執筆者の応答が、インターネット上に公開されています。つまり、これまでもIPCCは相当程度に自覚的に、評価の過程を透明にすることに努力しているということです。そのせいかどうかはわかりませんが、主流に対して批判的な論文も、必要なものは引用されています。ここからもわかるように、一部の研究者が恣意的にIPCC報告書の内容を大きく変えることは不可能でしょう。 一般的にいって、われわれは世の中に出回る膨大な科学的情報の中から、信用できるものとそうでないものをより分けなければなりません。すべての原論文や元データを調べた上で納得するのが一番確実かもしれませんが、あらゆるテーマについてこれをやるには時間がいくらあっても足りません。 そこで現実的には、多くの場合、「この文献は信用しよう」と判断して、原典をたどって調べる作業をどこかで打ち切っていると思います。 ■情報・データの信頼性確保、「査読」が補完的役割 この判断の際に役に立ってくるのが「査読」です。査読を受けた文献は、別の専門家がよく読んで一通りチェックが済んでいるので、信用できる可能性が高いと考えられます。査読を受けた文献を引用して書かれた文献がそれ自身査読を受けることで、信用できる可能性が高い情報を集約することができます。IPCCの報告書もこれにあたります。 専門家であってもIPCCの報告書を全部詳しく読んだ人は少ないと思います。それにもかかわらず、多くの専門家はIPCCの内容を信用しています。これには「査読」というプロセスへの信用が大きく寄与しているといえるでしょう。 最後に、僕自身がこのような解説を書くときにも、文献を調べる作業を自分の判断によりどこかで打ち切っています。その結果、もしもその判断が間違っていて、間違った内容の解説をしてしまったとしたら、その責任は自分にあると思っています。 いわゆる「懐疑論」を語る方々にも、そのような責任をしっかりと感じて頂きたいものだと思います。 2009年ももうすぐ終わりです。新年を迎えるにあたり、読者のみなさんも、ご自身の信用している温暖化に関する科学的な情報を、情報源の信頼性をご自身の責任で判断するという観点から、今一度振り返ってみてはいかがでしょうか。 では、今回はこんなところで。 |